熊谷を知るブラ探訪 愛染堂、常光院などから行田へ...

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熊谷を知るブラ探訪 愛染堂、常光院などから行田へ 旧成田領を巡る旅熊谷市立江南文化財センター 山下祐樹 1

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Page 1: 熊谷を知るブラ探訪 愛染堂、常光院などから行田へ …...信仰や「愛染」から見て取れる恋愛成就の願い が込められてきた。愛染堂内には奉納額や絵馬

熊谷を知るブラ探訪愛染堂、常光院などから行田へ

―旧成田領を巡る旅―

熊谷市立江南文化財センター

山下祐樹1

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1.星宮地区の歴史天正18年(1590) 忍城主・成田氏から引き継ぎ、             松平家忠の領地となる。

天正20年(1592) 松平忠吉の領地となる。慶長5年(1600)12月 幕府の直轄領となる。寛永10年(1633) 忍城主・松平信綱の管轄地。 その後、栃木壬生城主で忍城を兼ねた阿部氏が、     忠秋、以降の9代正権まで約180年に及び支配する地域となる。

文政6年(1823) 松平忠堯の領となり子孫が           幕末まで支配を担う。 2

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2.明治以降の星宮地区

明治2年 忍藩に属し、忍県、熊谷県以後。明治4年11月 埼玉県となる。明治22年 池上、下川上、上池守、下池守、       皿尾、中里、小敷田の7ヵ村合併し

       星宮村となる。

昭和30年7月20日 町村合併促進法により、       行田市に編入したが、

       同年10月1日       池上、下川上が熊谷市に分離合併。

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3.星宮・地名の起源

・7ヵ村合併の際、「北斗妙見信仰」(北極星・北辰への信仰)に基づき、7つの村を北斗七星に見立てたことによる地名がついた。

・村内に数多くのお宮が星のごとく所在していたのでこの地名が生まれた。

・7ヵ村合併の際、村内を流れる星川と古宮の地名(神社・水路など)の星と宮を取り「星宮」とした。(有力説)

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星宮

出典:『熊谷市郷土文化会誌』星宮特集号5

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4.「愛染明王」

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愛染明王と信仰

本尊の「愛染明王」は、熊谷市下川上地区にて時代を越えて保存されてきた。江戸時代以降、「藍染」と「愛染」の関わりから、関東一円の多くの染物業者などが参拝し、染色業者をはじめ、花柳界・木遣り等の額、算額が奉納され、庶民信仰の文化遺産として今に伝えられてきた。

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愛染明王の伝承と仏像

宝乗院愛染堂の本尊は、大同元年(806)、日本一木三体の一体(その他、陸奥国、筑紫国)として造立されたとの言い伝えが語り継がれている。その後、江戸時代に入り仏師の手によって、「愛染明王」が制作された。像高は、髪際までの高さで約三尺六寸(1.09メートル)を計り、全体で1.45メートルの大きさを誇る。台座と合わせると、半丈六(2.42メートル)を越える大きさとなる。

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5.市指定有形民俗文化財藍染絵馬

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愛染絵馬の概要

染織関係の絵馬には、天保年間の紺屋の絵馬などが4枚あり、熊谷市の有形民俗文化財に指定されている。その中には、藍場にて7人の男女がそれぞれ違った作業に励んでいる絵馬がある。

糸染めの手順に従い、最初の染めから、絞り、染め、絞りといった各人の仕事の様子を見ることができる。堂内の他の絵馬には、浸染めする人、庭先で商談する人、意匠に工夫をこらす人、屋外で引き染めをする人といった多様な職人の構図が描かれているものがある。(熊谷市立熊谷図書館保管)

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6.尾高惇忠筆「奉納額」

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尾高と奉納額

額には「共進 成業 唯賴 冥護」と示されており、藍染業を中心とした業界団体から愛染堂に奉納された額であることが判明した。そして、世界遺産「富岡製糸場」初代工場長・尾高惇忠の号(筆名)である「尾高藍香」の名が確認できる。

(サイズ 横:133cm 縦:79cm 厚み:5cm)

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7.愛染堂と渋沢・尾高の関わり

 額の願主には、養蚕や藍玉の一大生産地だった現在の深谷市域の地名が見えることから、商売繁盛や業界繁栄の祈願を行っていたことが分かる。その中には、尾高の義弟である渋沢栄一の義弟の市郎や、栄一の伯父で養蚕の改良に力を尽くした渋沢宗助の名前を見ることができ、尾高・渋沢家の人々が現在の市域を越えて交流があったことを明らかにする遺産といえる。

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8.愛染堂の過去・現在・未来

損傷の状況

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① 愛染堂の歴史愛染明王を安置する愛染堂は、享保11(1726)年に建立。宝乗院本堂は江戸末期に消失か。その後、三嶋神社との神仏分離等を経て、愛染堂が本堂に位置付けられる。

江戸時代中期以降、愛染堂は染物業者からの信仰や「愛染」から見て取れる恋愛成就の願いが込められてきた。愛染堂内には奉納額や絵馬が複数掲げられ、その信仰の様子が垣間見える。また、欄間に組み込まれた彫刻も秀逸で、肉彫りなどの技術が見られる。これらは愛染堂に伝わる多くの想いや技術を今に伝えている。

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② 愛染堂の状況21世紀初頭、愛染堂の毀損が顕著になった。地元住民の他、熊谷染の藍染業者を中心に厚く信仰されていた愛染明王であるが、産業構造の変化に伴う熊谷染めの染色業者の減少などに伴い、愛染堂への参拝者が少なくなり、また縁日がなくなるなどの状況が窺えた。

また、平成10年頃から愛染堂の屋根部分の崩落が進む。愛染堂が該当する指定文化財の収蔵施設の修理については、全体費用に対する4分の1の額を市から補助する制度がある。当初、管理者の費用負担の目途が立たず、修理工事等の実施は難しい状況が続いた。

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9.愛染堂保存修理事業

平成26年(2014)6月、愛染明王の一般公開。

平成26年9月、所有者の実相院や地元下川上の地域住民、古くからつながりのある染色業者を中心に保存修理実行委員会が結成された。

平成27年度 保存修理事業の開始。

         寄附募集の開始。PR大使の委嘱。      クラウドファンディングによる寄付募集。

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愛染堂(下川上)

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10.保存修理事業の概要

・瓦からガルバリューム鋼板への屋根交換

・軒廻り、高欄の一部改修

・前方の須弥壇の一部改修

・基礎部分の一部交換

・畳替え ・その他毀損部の一部改修

→ 愛染明王を再び元の場所に安置した。

→ 修理事業としての課題・今後の展望19

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西側の修理  20

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毀損状況(北西側)

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修理後の状況

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特別編 「成田氏の源流とは」

藤原氏説・古代幡羅郡領説・私市党説・横山党説

 成田氏の出自について、幡羅郡領説、藤原氏説、私市氏説、横山党説などがある。『埼玉県史』では横山党説を採用しているが、研究者は藤原氏説を唱える場合が多い。なお、「成田氏系図」は藤原氏からの流れになっている。

 上之に定着したのは助高からであり、成田太夫と称し、成田氏の始めとされている。その館は、泰蔵院の西側を館跡として推定されている。 「田を成らす」などの意からの姓名化といわれる。

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成田氏勢力範囲図

黒田基樹編『武蔵成田氏』12頁より

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成田氏関連の文化財

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「成田氏館跡」(熊谷市指定史跡)  成田氏は、初代助高から九代親泰に至る400余年、上之に館を構えていたが、延徳3年(1491)、親泰が忍大丞を攻め滅ぼし、本拠地を忍城(現在の行田市)に移した。現在、館跡の遺構である堀や土塁は見られないが、地元の話や地形図から判断すると二重の堀をもつ館であったことが考えられている。

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上之村神社本殿

 埼玉県指定有形文化財「上之村神社」は、古くは久伊豆神社と称し、成田氏の崇敬が厚く、応永年間(1394 ~1411)に成田家時が社殿を再建したと伝えられている。江戸時代に入り、慶長9 年(1604)に徳川家康から三十石の朱印地を与えられ、明治2 年(1869)には村名をとって上之村神社と改称した。

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11. 大塚古墳

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大塚古墳の概要

 熊谷スポーツ文化公園東側、墳頂に熊野神社が祀られている円墳で、直径約59m、高さ1.2mの基壇上に、直径35m、高さ4m以上の円形の塚がのった形をしている。石室は横穴式石室で、全長9.6m、最大幅3.4m。現在、玄室は奥室だけ残っているが、南側に前室がある複室構造が発掘調査によって確認されている。調査により鉄鏃・鞘尻金具・須恵器の大甕などが出土した。

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12. 常光院

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常光院・中条氏館跡の概要

 平安時代末期、藤原氏から出た常光は中条の地に館を構えて中条氏を名乗ったた。

 その常光の孫の家長は鎌倉幕府の評定衆となり貞永式目の制定に加わった。

 常光院は、建久3 年(1192)、家長が祖父の菩提を弔うため、館の一部を寺としたと伝わっており、現在も土塁・堀の一部が残っている。本堂は茅葺屋根が特徴で、江戸時代前期の遺構とされる。(埼玉県指定史跡「中条氏館跡」)

 俳句寺としても知られている。30

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13. 天野氏の墓

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「天野氏の墓」概要

 常光院の歴代墓地の西側にある、3基の宝篋印塔型の墓碑で、天野忠重とその子忠詣及び孫忠顕の供養塔。江戸時代初期のもので、完形で保存状態もよい。忠重は徳川幕府の家臣で、江戸幕府の創建に貢献し、功績をたたえられ、日光東照宮域内の釈迦堂に墓碑が建立されている譜代家臣19 人の中の1 人。(熊谷市指定史跡)

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14. 上之の遺跡群 諏訪木遺跡、前中西遺跡、藤之宮遺跡など、多くの移行が確認されている。縄文時代、弥生時代、古墳時代の出土品や住居跡が確認されており、諏訪木遺跡には祭祀儀礼をおこなった形跡があり祭祀遺跡としても知られている。

 熊谷市では土地区画整理事業にともない神の周辺での遺跡調査を1980年代から本格的に調査している。

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15. 平戸の大仏(木彫大仏坐像)

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平戸の大仏について 「平戸の大ぼとけ」として古くから知られている木彫の坐像。千日堂に安置され、高さ4m余の薬師如来(向かい右)と観音菩薩の2 体で、江戸時代の作と推定される。

源宗寺は17世紀初頭に藤井雅楽助(うたのすけ)が開基したとされる。

 2体の像の胎内にあった秘伝書によって調剤した馬の病気と疝気( 腰・腹の痛む病気) の薬は「平戸の妙薬」として有名となり、当地を訪れる人が絶えなかった。

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地域を知る楽しみが地域の文化遺産を未来へ引き継ぐ

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たっぷりと鳴くやつもいる夕ひぐらし 兜太 (常光院)