世界の憲法制度概要⑴ -...
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N081718 駒澤法学9-1
〔研究ノート〕
世界の憲法制度概要 ⑴
西 修
凡 例
1.筆者は、『駒澤法学』第5巻第1号(平成17年11月20日発行)および第
6巻第1号(平成18年9月30日発行)において、〔研究ノート〕として、「各国
憲法概要 ⑴」および「各国憲法概要 ⑵」を掲載した。同ノートでは、各国憲法
を見開き2頁で概説したため、はなはだ不充分な内容にとどまった。
そこで若干、概要をより詳細にし、頁数を拡大した。項目を若干改め、①略史、
②過去の憲法、③現行憲法の成立経緯とその後の改正動向、④現行憲法の概要、
⑤現況と課題にした。また現行憲法の概要を⑴主要な特色、⑵国家形態・基本的
指針、⑶統治機構、⑷基本的権利・義務、⑸憲法改正、⑹国防・平和条項、およ
び⑺その他に分類した。
2.国名、英語による名称および独立年月は、外務省ホームページによった。
3.面積(単位㎢)および人口(単位1,000人)は、おもに総務省統計局『世
界の統計 2009』によった。
4.国民総所得(GNI)および一人当たり国民総所得は、おもにWorld Develop-
ment Indicators database,World Bank,revised 10 September 2008によった。
単位は、前者が100万米ドル、後者は米ドルである。
5.人間開発指数は、国連開発計画(UNDP)『人間開発報告書 2007/2008』
(阪急コミュニケーションズ)によった。人間開発指数とは、一国の平均的達成度
を以下の人間開発の3つの基本的な側面について測定したものである。
・出生時平均余命で測られる長命で健康な生活
・成人識字率と初・中・高等教育総就学率で測定される知識
・一人当り GDP(PPP US$)で測定される人間らしい生活水準
43
一一二
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(以上、『人間開発報告書 2007/2008』阪急コミュニケーションズ、260頁に
よる)。
6.政治的権利および市民的自由は、Freedom in the World 2008によった。
Freedom in the Worldは、1950年代にはじめて世界の自由度比較に着手し、今
日では独自の基準のもとに世界各国の「政治的権利」と「市民的自由」をランク
づけている。1が最も自由度の高い国であり、7が最も自由度の低い国である。
7.各国との比較を試みるうえで、日本国(Japan)によるデータは、以下の
ようである。面積(377,923)、人口(127,770)、独立年月(表示なし)、国民総所
得(4,813,341)、一人当り国民総所得(37,670)、人間開発指数 0.953(8位) 政
治的権利 1、市民的自由 2。
8.主要参考文献は、本シリーズの最後に掲載する予定である。
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一一一
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ネパール連邦民主共和国
(Federal Democratic Republic of Nepal)
面積 147,181
人口 25,887
独立年月
憲法の制定年月 2007年1月15日
憲法の構成 前文167条附則5
国民総所得 9,660
一人当り国民総所得 340
人間開発指数 0.534(142位)
政治的権利度 5
市民的自由度 4
1 略 史
古くから中国で泥婆羅(ねばら)国として知られていたが、4世紀から17世紀
にかけてリッチャバ王朝が、9世紀にはデーヴァ王朝が、また13世紀にはマルラ
王朝が成立した。1769年に第10代グルカ王、プリトビ・ナラヤンが全土を統一
し、シャハ王朝を形成した。しかし、1846年に起きた宮廷内の虐殺事件を契機に
ラナー家によって実権を奪われ、以後、1世紀以上にわたりラナー家の世襲によ
る封建支配体制のもとにおかれていた。1951年に王制復古がなったものの、その
後、民主化運動の高揚とそれに対する弾圧というくり返しのなかで、2008年5
月、君主制が廃止され、共和制に移行した。
2 過去の憲法
①『ネパール統治法2004年』(1948年4月公布・施行、前文68か条) 1846年
以来、国王の名代として首相職を世襲してきたラナー家による支配体制の正当性
を成典化したもの。パンチャヤット(評議会)制度も組み込まれている。②『ネ
パール暫定統治法2007年』(1951年4月公布・施行、前文73か条、59年2月廃
止) 王政復古にともなう立憲君主制憲法。第2部に「国家政策の指導原則」(3
条~21条)を設け、国民の福祉増進、失業者・老齢者など社会的弱者に対する扶
助、国際紛争の平和的処理などが列記された。③『ネパール王国憲法』(1959年
2月公布、同年6月施行、前文77か条)「余、マヘンドラ・ビル・ビクラム・シャー
提婆王は、ネパール王国の主権、ならびにわが国の伝統と慣行により、余に付与
され、尊崇する祖宗から譲られた大権を行使するうえで、『ネパール王国憲法』を
制定し、かつ公布する」(前文)との文言にみられるように、典型的な欽定憲法。
④『ネパール王国憲法』(1962年12月公布・施行、前文97か条)「党派なき民
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主的なパンチャヤット制」(前文)を確定し、国家体制を「ヒンズー君主国家」(3
条)と明記。主権を国王に付与し、行政、立法、司法を含む全権限が国王から発
する(20条)とするなど、60年代に制定された憲法としては珍しい君主主権憲
法。⑤『ネパール王国憲法』(1990年11月公布・施行、前文133か条) 民主化
運動の一つの成果として制定された。国民主権の明記、国王の象徴性と権限の縮
小、複数政党制の統合強化、議院内閣制の導入などが盛り込まれている。
3 現行憲法の成立経緯とその後の改正動向
1996年にネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)が王制打倒を唱えて「人
民戦争」を開始、内戦状態に入った。2002年6月、ギャネンドラ国王が即位し、
国王の親政を敷いた。同国王の絶対的権力の掌握に議会内の主要7政党(政党連
合)と議会外のマオイストが連携して対抗し、06年4月、全国規模のゼネストを
展開、国王の専制政治が終焉した。翌月には復活した下院で、すべての立法権が
議会に存すること、国王の権限を縮小すること、国王賛美の国歌を変更するこ
と、ヒンズー国家から世俗国家(政教分離)に変更することなどが宣言され、ま
たこの宣言に違反するいかなる憲法および法律も無効であるとの決議が採択さ
れた。同年11月には、新政府とマオイストとのあいだに「恒久平和の実現に向け
た合意文書」が締結され、この合意文書をもとに、07年1月15日、下院で『ネ
パール暫定憲法』が成立した。
この暫定憲法は、その後、何度か改正されてきている。第1次改正は07年4月
13日になされ、ネパールを連邦制にすることが採択された。07年6月13日の第
2次改正では、少数民族の保護、政府に王制廃止の動議提出権を認めることなど
が盛り込まれた。第3次改正(07年12月28日)で、制憲議会議員564人中、560
人の賛成により、ネパールを「連邦民主共和国」とすることが明記された。また
第4次改正(08年5月29日)により、大統領職・副大統領職が設置された。そ
の後も第5次(08年7月13日)、第6次(08年12月11日)の改正がほどこされ
ている。本稿は、第6次改正までをフォローしている。
4 現行憲法の概要
⑴ 主要な特色
文字通り、「暫定」の性格を有する。前文の末尾に「本暫定憲法は、新憲法が制
憲議会によって作成されるまで効力を有する」との文言が入れられ、第7章(63
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条~83条)には、制憲議会に関する詳細な規定が設けられている。これらの規定
にもとづいて、08年4月10日に制憲議会選挙が実施され、翌5月に制憲議会が
招集された。制憲議会の任期は、最初に招集された日から2年とされている(64
条)。したがって2010年5月までには、恒久憲法の作成が予定されている。
内容的には、4条( ネパール国家>の見出し)に「世俗国家」であると明記さ
れた点が注目される。なぜならば、同国では年来、ヒンズー教を国教としてきた
からである。構造的には、基本的権利、国家政策の指導原則、行政府、国会、司
法などについてもかなり細かな規定が配置されており、基本的に1990年憲法を
踏襲している。
⑵ 国家形態・基本的指針
上述のように、07年12月28日の第3次改正により、「ネパールは、連邦民主
共和国である」(159条1項)と明記された。ここに240年間にわたって存続して
きた王制が廃止されるにいたった。また同条には「国を統治するためのいかなる
権限も、国王に与えられない」(2項)、「国政に関するすべての権能は、首相によっ
ておこなわれる」(3項)、「国王の資格においてギャネンドラ国王により取得され
たすべての財産(たとえば各地の王宮、森林、公園など)は、国有とされる」(5
項)などの規定が配されている。
第4章(32条~36条)に「国家の責任、指導原則および政策」を設定し、国家
がなすべきことを詳細に定めている。すなわち「国家の責任」として、普遍的に
容認されている基本的人権の概念を完全に遵守する政治体制を採択すること、汚
職による不正な蓄財に厳罰をもってのぞむことなど20項目にわたり列記されて
いる。また「国家の指導原則」として、福祉の促進を国家の主要な目標とするこ
と、民主主義を制度化することにより繁栄したネパールの構築を政治的目標とす
ること、国の経済を独立、自立かつ前進的なものにすることを基本的な経済目標
にすること、あらゆる種類の不平等を取り除くことにより健康な社会生活を確立
することを社会目標にするなど6項目が掲げられている。そして「国家政策」と
して、生活水準を引き上げる政策を追求すること、文化的多様性を維持すること
により国の統合を強化する政策を追求することなど22項目が設定されている。
ただし、これらの原理の実施は、裁判所に提起される性格のものではない。
⑶ 統治機構
国会は1院制で、330人より組織される。任期は、制憲議会の最初の会合まで
とされている。
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第4次改正により、第4A章(大統領職および副大統領職)が新設された。大
統領は、国家元首たる地位にあり、憲法を擁護する責務がある(36A条)が、そ
の職責は儀礼的である。実権は、執行権を有する閣僚会議に与えられている(37
条1項)。閣僚会議は、首相によって主宰される。大統領も首相も、政治的合意に
よって選出される。ここに「政治的合意」とは、マオイストを含む主要政党間の
合意をいう。
司法権については、独立した司法府の概念、規範、価値を認識し、かつ民主主
義の精神を実現することにより、司法府が憲法にかかわることが定められてい
る。最高裁判所は、市民から憲法違反にともなう権利侵害のための訴訟が提起さ
れたときは、違憲審査権を有する(107条)。
政党に関し、その設立の自由が保障されている一方で、憲法の前文と規範の精
神(競合的な複数政党による民主主義、市民的自由、定期的選挙、法の支配の尊
重など)に違背する目的を有する政党には、登録する資格を与えられていない
(142条)。なお第2次改正で、反対党の領袖に関する規定が新設された(57A
条)。
⑷ 基本的権利・義務
「基本的権利」(第3章)のタイトルのもとに、自由に対する権利(生命の尊厳、
死刑の禁止、表現・集会・政党結成・組合結成の自由など)、平等に対する権利、
不可触賎民および人種差別に対する権利、出版・放送に関する権利、環境および
健康に関する権利、教育および文化の権利、雇用および社会保障に対する権利、
財産権、女性の権利(生殖に関する健康権など)、社会的正義に対する権利(ダー
リット=カースト制度における最下層民、被抑圧階級の国政への参加など)、子ど
もの権利(自らの名前をもつ権利、ストリート・チルドレンが国家から特別の保
護を受ける権利など)、宗教に対する権利、刑事裁判・予防拘禁・拷問・情報・プ
ライバシー・搾取・労働・国外追放に対する権利、憲法上の権利救済のための権
利など、盛りだくさんの規定がおかれている。ただし、自由に対する権利や出版・
報道に関する権利については、ネパールの主権および統合を侵害するような行為
または品位ある公的行動もしくは公衆道徳に反するような行為に対しては、合理
的な制約を付することなどの制約がなされている(12条、15条)。
義務に関する独立の条章はないが、1条2項に「本憲法を維持することは何人
もの義務である」との規定がおかれている。
⑸ 憲法改正
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憲法改正は、現に在籍している総議員の少なくとも3分の2の賛成によりおこ
なわれる(148条)。
⑹ 国防・平和条項
大統領は、国軍の最高司令官であるが、軍隊の長は、閣僚評議会によって任命
される。閣僚評議会は、諸政党の同意と国会の関連委員会の助言により軍隊の民
主化のための作業計画を立案し、実施する。訓練に際しては、民主主義と基本的
権利の規範と価値が遵守されなければならない(144条)。
戦争、外部からの侵略、武装反乱または極度の経済的混乱のいずれを問わず、
ネパールの主権もしくは統合またはその一部地域の安全に関連し、重大な非常事
態が発生したときは、閣僚評議会が宣言または命令により、国家非常事態を発す
ることができる(143条1項)。この国家非常事態の発令手続き等について10項
にわたり、細かな規定がおかれている。平和主義については、前文で平和を国家
の中心的関心事とすることをうたい、35条で外交政策として、国連憲章の原則、
非同盟政策、国際法および世界平和の規範に基礎をおくことなどを定めている。
⑺ その他
憲法上の機関として、権力濫用検査委員会、公務員委員会、選挙委員会、国家
人権委員会が特設されている。
5 現況と課題
最大の課題は、いつ、いかなる内容の恒久憲法が制定されるかということであ
る。制憲議会内部にはさまざまな思惑をいだいているさまざまな政派が存在して
おり、正式な国名も決まっていない状況で(09年6月末現在)、紆余曲折が予測
されている。国内的には、タライと呼ばれる地域に住むマデシ人が高度な自治を
要求して中央政府と対立している(いわゆるマデシ問題)。外交的には、隣国ブー
タンとのあいだで難民問題がいまだ十分な解決をみていない。07年1月に国連安
全保障理事会の決議1740号によって、ネパール軍とマオイスト軍との武器およ
び兵士の管理や停戦監視などを目的として、国連ネパール政治ミッション
(UNMIN)が派遣され、今日まで継続している。このUNMINには、日本から
も陸上自衛隊の自衛官6人が武器を携行しないで、個人の資格において参加して
いる。このように、内政、外交両面で難しい問題が山積している。
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タイ王国
(Kingdom of Thailand)
面積 513,120
人口 65,306
独立年月
憲法の制定年月 2007年8月24日(公布)
憲法の構成 前文309条
国民総所得 217,348
一人当り国民総所得 3,400
人間開発指数 0.781(78位)
政治的権利度 6
市民的自由度 4
1 略 史
タイ族による最初の王朝は、1257年のスコータイ王朝である。その後、アユタ
ヤ王朝(1351年~1767年)、トンプリー王朝(1767年~1782年)、そして現在の
チャックリー王朝(1782年~)へと続く。1932年6月、官僚と軍部が中心になっ
て無血革命(立憲革命)が生じ、専制君主制から立憲君主制へと移行した。その
後、何度も軍事クーデタが起こり、そのたびごとに新たな憲法が制定されるとい
うサイクルが常態化してきている。またその際、ラーマ9世のプミポン・アドゥ
ンヤデート国王(1946年即位)が、権力のバランサーとして重要な調停役を演じ
ているのも、近年の一つの特色といえる。
2 過去の憲法
①『仏暦2475年シャム王国統治憲章』(1932年6月公布・施行、前文39条)、
②『仏暦2475年シャム王国憲法』(32年12月公布、前文68条)、③『仏暦2489
年タイ王国憲法』(46年5月公布・施行、前文96条、47年11月停止)、④『仏暦
2490年タイ臨時タイ王国憲法』(47年11月公布、前文98条、49年3月停止)、
⑤『仏暦2492年タイ王国憲法』(49年3月公布、188条、51年11月停止)、⑥『仏
暦2495年タイ王国憲法』(52年3月公布、123条、58年10月停止)、⑦『仏暦2502
年タイ王国統治憲章』(59年1月公布、前文20条、61年6月停止)、⑧『仏暦2511
年タイ王国憲法』(68年6月公布、前文183条、71年11月停止)、⑨『仏暦2515
年タイ王国統治憲章』(72年12月公布、前文23条、74年10月停止)、⑩『仏暦
2517年タイ王国憲法』(74年10月公布、前文238条、76年10月停止)、 『仏
暦2519年タイ王国憲法』(76年10月公布・施行、前文28条、77年10月停止)、
『仏暦2520年王国統治憲章』(77年11月公布・施行、前文32条、78年12月
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停止)、 『仏暦2521年タイ王国憲法』(78年12月公布、前文206条)、 『仏
暦2534年王国統治憲章』(91年3月公布、前文33条)、 『仏暦2534年タイ王
国憲法』(91年12月公布、223条)、 『仏暦2540年タイ王国憲法』(97年10月
公布・施行、前文336条、06年9月廃止)、 『仏暦2549年タイ王国憲法(暫定
版)』(2006年10月公布、前文336条)。このうち『仏暦2540年タイ王国憲法』
(97年憲法)は、起草経緯および内容的に最も民主的な憲法といわれている。
3 現行憲法の成立経緯とその後の改正動向
06年9月の軍事クーデタにより、97年憲法が廃止され、同年10月に暫定憲法
が制定された。この暫定憲法には、恒久憲法制定への道筋が定められていた。す
なわち、まず国王によって任命される2000人以下の議員で国民会議が組織され
る(20条。実際には06年12月17日、1982人からなる国民会議が開会)。ついで
国民会議が200人以下の憲法起草議会議員候補者を選出する(22条。実際には12
月18日、200人が選出)。つぎに国家安全保障評議会(軍司令官などで構成)が
人選し、国王が任命する100人からなる憲法起草会議が設けられる(23条。実際
には07年1月8日に設置)。そして具体的に憲法草案を起草するため35人で組
織する憲法起草委員会が設けられる(25条。実際には1月25日に始動)。起草さ
れた憲法草案は、憲法起草会議で審議され、最終的に国民投票に付される(29条。
実際には8月19日、国民投票が実施)。
こうして07年8月19日、同国ではじめて新憲法制定のための国民投票が実施
された。結果は、投票率57.61%で、賛成56.69%、反対41.37%、無効1.94%
であった(タクシン元首相の選挙基盤である東北部では、賛成36.53%に対し、
反対61.67%)。この結果を受け、8月24日、国王の裁可を得て、前文と15章お
よび経過規定を含む全309か条という長大な憲法が公布・施行された。
このような成立経緯について、憲法起草会議は、ひろく国民各層の意見を反映
した民主的な憲法であると自賛している。これに対して、憲法起草会議の人選に
軍部首脳が深くかかわったこと、国民投票といっても、国民には草案全体として
の「可」「否」が問われただけであり、内容への諾否というよりも、政権への信任、
不信任という意味合いが濃厚だったなどの批判がなされている。
4 現行憲法の概要
⑴ 主要な特色
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以下の四つを指摘することができよう。第一に、従来の諸憲法を継承して、「国
王を国家元首とする民主的政治体制」を基本原理としていることである。2条に
は、「タイ国は、国王を国家元首とする民主的政治体制を採択する」と明示され、
また7条に「いかなる事案についても、本憲法のもとでいかなる規定も適用でき
ないときは、当該事案は国王を国家元首とする民主的政治体制に従って、決定さ
れる」との文言が配されている。ほかに「国王を国家元首とする民主的政治体制」
を遵守することが、政党の設立要件(65条)、国民の擁護義務(70条)、国家の護
持義務(77条)、教育の基本方針(80条)、国民への奨励(87条)、憲法改正の限
界(291条)などとして設定されている。
第二に、行政権の弱化が試みられていることである。最も民主的といわれた
1997年憲法がタクシンの強権政府を生んだという状況から、選挙制度の改革(下
院の小選挙区比例代表制併用型から中選挙区制への移行)、首相の任期規定(任期
を8年に制限)、下院の首相への不信任提出権の緩和(従来の下院議員5分の2以
上から5分の1以上へ)、財政規律の厳格化(8章に「金融、財政および予算」の
章を創設)などの規定が導入された。他方で司法権の強化がはかられている。と
くに憲法裁判所の政治権力への介入は、現行憲法制定前からみられ、06年5月に
は、前年に野党の選挙ボイコットのなかでタクシン政権により強行された総選挙
の無効判決をくだし、また07年5月、タクシン派のタイ・ラック・タイ党に解散
命令を出すとともに、同党役員111人に対して5年間の政治活動禁止判決を言い
渡した。現行憲法における憲法裁判所も、この流れのなかで位置づけられてお
り、「裁判官の憲法」とよばれている向きもある。
第三に、政治倫理の徹底がいっそうはかられた。97年憲法にも「国家権力行使
の審査」の章を設け、資産および負債帳簿の公開、国家汚職防止委員会について
の規定があったが、現行憲法で新たに「政治職および国家公務員職にある者の倫
理」(13章)を特設し、より詳細な規定がおかれた。
そして第四に、基本権条項が整理され、かつ拡充された。97年憲法では「タイ
国民の権利と自由」というタイトルのもとに、40か条にわたり羅列されていた
が、現行憲法では総則(1節)、平等(2節)、個人の権利および自由(3節)な
ど細かく表題を付した13の節に分け、「共同体(コミュニティ)の権利」を新設
するなど条文も49か条に及んでいる。
⑵ 国家形態・基本的指針
前述の2条で明記されているように、タイ国は、立憲・民主的な君主国家であ
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る。国王は崇敬され、その地位は神聖かつ不可侵であり、何人も国王を訴追して
はならない(8条)。国王は仏教徒でなければならず、宗教の最高の擁護者であり
(9条)、また国軍の最高司令官たる地位にある(10条)。主権は国民に帰属する
が、国王はこの主権を国会、内閣、裁判所を通じて行使する(3条)。国王には王
位継承者の任命、王位継承法の改正、枢密院顧問官の任免、法律の裁可、首相お
よび国務大臣の任免、緊急勅命の発布、戒厳令の布告、宣戦布告、条約の締結、
裁判官の任免などの権限が付与されている。
第5章には「基本的な国家政策の指導原則」(70条-87条)がおかれている。
一般規定(1節)をおき、国の安全保障(2節)、国家行政(3節)、宗教・社会・
公衆衛生・文化(4節)、法律および司法(5節)、外交(6節)、経済(7節)、
土地の使用・天然資源・環境(8節)、科学・知的財産・エネルギー(9節)、国
民参加(10節)の19節に分け、それぞれに関して国がとるべき政策を詳細に定
めている。たとえば経済政策では、国は、市場メカニズムを通じて自由で公正な
経済制度の促進、消費者の保護、公平な所得配分の履行、就業年齢層の雇用促進
などにより、充足経済の履行を奨励・支援するものとされている(83条、84条)。
この規定は、「足るを知る、ほどほどの経済」を主唱しているプミポン国王の思想
が反映されているといわれる。これらの諸政策について、内閣は、施政方針演説
で国会に対して明確な説明をすると同時に、具体的な国家行政計画の策定をしな
ければならない(75条、76条)。
⑶ 統治機構
国会は、下院と上院の二院からなる。下院は、選挙区議員400人と比例代表議
員80人の480人で組織される。下院議員の任期は、国王によって解散される場合
を除いて4年である。選挙区議員は、中選挙区制によって選出される。これは、
97年憲法で定められていた小選挙区において、タイ・ラック・タイ党のごとき巨
大与党が生じたため、このような現象を防止することを目的としている。巨大与
党化の防止策として、下院議員の任期期間中に政党の合併は認められないとの規
定も設けられた(104条)。上院は、各県から公選によって選ばれる議員(76人)
と任命議員(74人)の150人で組織される。上院議員は、政党員であってはなら
ない。任期は6年で、連続して再選されない。任命議員は、以下の上院議員選考
委員会によって選任される。①憲法裁判所長官、②選挙委員会委員長、③オンブ
ズマン長官、④国家汚職防止取締委員会委員長、⑤国家会計検査委員会委員長、
⑥最高裁判所大会議により委任された最高裁判所裁判官、⑦最高行政裁判所大会
一〇二
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議により委任された最高行政裁判所裁判官。国会は、摂政の任命・王位継承・宣
戦布告に関する承認、憲法改正など16の事項について審議するため両院合同会
を設置する(136条)。
内閣は、首相と35人以内の国務大臣からなり、国王によって任命される。首相
は、下院議員でなければならず、任期は8年である。国会に対して連帯責任を負
い、下院で現在議員の過半数によって、不信任されうる。下院が内閣の不信任動
議を提出するときは、次期首相にふさわしい者を指名しなければならない(158
条)。いわゆる建設的不信任制度をとりいれている。
裁判所として、憲法裁判所、行政裁判所、軍事裁判所、最高裁判所その他の裁
判所の設置が定められており、裁判官の独立が保障されている。
憲法裁判所は、長官と8人の裁判官で組織される。国王により以下の条件に従
う者のなかから、上院の承認にもとづき任命される。①最高司法裁判所大会議に
よって選出された最高司法裁判所裁判官3人、②最高行政裁判所大会議により選
出された最高行政裁判所裁判官2人、③豊かな知識を有する法学分野の有資格者
2人、④豊かな知識を有する政治学・行政その他の社会科学分野の有資格者2人
(204条)。任期は9年で一期限りである。憲法裁判所は、法令の違憲判断をおこ
なうが、憲法に保障する権利および自由が侵害された市民の誰にでも訴えの権利
を保障している(212条)。
⑷ 基本的権利・義務
第3章を「タイ国民の権利および自由」(26条-69条)とし、総則(1節)、平
等(2節)、個人の権利および自由(3節)、司法手続きにおける自由(4節)、財
産権(5節)、職業の権利(6節)、表現の自由および報道の自由(7節)、教育の
権利(8節)、公衆衛生および福祉サービスに対する権利(9節)、情報に対する
権利および誓願の自由(10節)、集会および結社の自由(11節)、共同体の権利(12
節)、および憲法を保護する権利(13節)に区分けして、44か条にわたり詳細な
規定がほどこされている。このうち、共同体の権利として、共同体をひとつの法
人格体とみなし、共同体として集会している人、地域の共同体または伝統的な地
域共同体は、慣習・地域の知恵・地域および民族の芸術またはよき文化を保持し、
復興させる権利を有し(66条)、また政府機関、国家機関、国営企業体、地方政
府または法人たるその他の国家機関に対して訴える権利を保護される(67条)。
憲法を保護する権利の節には、憲法で定める方法に従わないで国家の統治権力を
取得した行為に対して平和的に抵抗する権利が何人に対しても認められている
一〇一
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(69条)。
第7章には、「国民の直接政治参加」の章がおかれ、1万人以上の有権者による
法律発案請求権、2万人以上の有権者による首相・国務大臣・上下両院議員らの
罷免請求権および内閣が提出する事案などに対する国民投票権が設定されてい
る。
第4章を「タイ国民の義務」として5か条を設けている。国家・宗教・国王・
国王を国家元首とする民主的政治体制の擁護(70条)、国防・国益の保護・法律
の遵守(71条)、選挙権の行使(72条)、兵役・公的災害の防止・復興のための支
援、納税、国の芸術文化・地域の知性の保護・維持・継承、公共サービスへの支
援、教育および訓練を受けること、天然資源・環境の保守(73条)など、多くの
義務が賦課されている。またとくに公務員に対しては、全体の利益を確保するこ
と、政治的に中立でなければならないことなどを求めている(74条)。
⑸ 憲法改正
憲法改正の発案権は、内閣、下院の現在議員の5分の1以上、下院および上院
の総議員数の5分の1以上、法律案の提出権を有する5万人以上の有権者に属す
る。「国王を国家元首とする民主的政治体制」を変更し、または国家形態を変更す
る効果をもたらす憲法改正案の提出は、禁止される。国会では3読会で審議さ
れ、最終的に両議院における現在議員の過半数の承認により、採択される(291
条)。
⑹ 国防・平和条項
国は、王制・独立・領土保全を護持しなければならず、独立・主権・国の安全・
王制・国益・国王を国家元首とする民主的政治体制・国の発展の護持のために必
要かつ適正な軍事力ならびに最新の技術を整備しなければならない(77条)。軍
事裁判所の設置についての規定もある(228条)。国もしくは公共の安全、国の経
済的安定を維持し、または公共の災害を回避するため、内閣が緊急かつ不可避の
必要性のある非常事態であると判断したときには、国王は法律としての効力を有
する緊急勅命を発することができる(184条)。この緊急勅命の合憲性に対して、
上院議員または下院議員の5分の1以上の署名により、憲法裁判所に判断をあお
ぐことができ、憲法裁判所が違憲の判断をくだしたときは、当該勅命は当初から
効力をもたないものとされる(185条)。平和主義条項として、国は諸外国との友
好関係を促進し、非差別原理を採択し、タイ国が当事国である人権条約ならびに
他国および国際機関と締結した国際的義務に従うとの規定がおかれている(82
一〇〇
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条)。
⑺ その他
憲法にもとづく独立機関として、選挙委員会、国家オンブズマン、国家汚職防
止取締委員会、国家会計検査委員会が、また憲法にもとづくその他の機関とし
て、検察官、国家人権委員会、国家経済社会評議会が必置機関とされている。「国
家権力行使の審査」の章(12章)や「政治職および国家公務員職にある者の倫理」
(13章)で腐敗の防止について、詳細な規定がおかれている。
5 現況と課題
タイ王国憲法の最大の特色は、その寿命の短さである。それは反面、政治の不
安定さを表している。現行憲法については、国民の選挙で選ばれた政治家よりも
非公選の裁判官などが大きな権限を有していることに対して、管理された民主主
義であって、真の民主主義ではないとの批判がある。06年のクーデタによって亀
裂が生じたタクシン派と反タクシン派との衝突が収束しておらず、内政上の混乱
が続いている。対外的には、隣国カンボジアとの国境問題が未解決で、小規模な
軍事衝突がくり返されている。タイ王国は、現在、内外ともに多くの課題をかか
えているといえる。
九九
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コソボ共和国
(Republic of Kosovo)
面積 10,887
人口 2,070
独立年月 2008年2月19日(独立宣言)
憲法の制定年月 2008年4月9日採
択
憲法の構成 前文14章162条
国民総所得 3,569
一人当り国民総所得 1,475
人間開発指数
政治的権利度
市民的自由度
*面積および人口は外務省のホームページ(2008年11月現在)に、国民総所得お
よび一人当り国民総所得は『世界の国情報 2008』(リブロ)によった。
1 略 史
現在のコソボ地域にセルビア人が定住したのは、6~7世紀のことである。
13~14世紀には、コソボは中世セルビア王国の中心地となった。1389年、コソボ
の戦いでセルビアがオスマン・トルコに敗退、多くのトルコ人、アルバニア人が
コソボに移住してきた。1913年、バルカン戦争でオスマン・トルコ帝国に勝利し
たセルビアがコソボを奪還。18年には、セルビア等がユーゴスラビア王国の一部
となった。45年のユーゴスラビア社会主義連邦の建国により、コソボはセルビア
共和国の一部として、「コソボ・メトヒヤ自治区」となった。
1980年代に入り、独立を求めるアルバニア系住民の暴動が激しくなり、これを
鎮圧するセルビア政府とのあいだに確執が深まっていった。90年には、アルバニ
ア系住民の非合法組織、「コソボ解放軍」が組織され、本格的な武力闘争へと発展
した。セルビアのミロシェビッチ政府は、アルバニア住民の弾圧政策を展開、つ
いに99年3月、NATO(北大西洋条約機構)軍がセルビアの空爆に踏み切り、
同年6月、国連安全保障理事会決議1244号により、国連による暫定統治が開始さ
れた。その後も国連による調停が何度か試みられたが、国連安全保障理事会常任
理事国ロシアの反対によって、功を奏してこなかった。
このような状況下で、2008年2月17日、コソボ議会が独立を宣言した。この
独立宣言に対しては、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本など54か国
が承認を与えているが(09年2月現在)、セルビア政府はコソボを自国の主権下
九八
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にある領土とみなしており、ロシアもコソボの独立に強く反対している。
2 過去の憲法
なし。ただし、1974年の『ユーゴスラビア社会主義連邦共和国憲法』のもとで、
『コソボ社会主義自治共和国憲法』(1974年)を有していた。また90年7月2日、
コソボ議会のアルバニア系議員は、ユーゴスラビア連邦内での独立共和国を宣言
し、同年9月7日、独自に『コソボ共和国憲法』を採択した。なおこのコソボ議
会による独立宣言は、91年にユーゴスラビア連邦憲法裁判所によって、憲法違反
と判示されている。
3 現行憲法の成立経緯とその後の改正動向
08年2月19日、独立を宣言したコソボ共和国のセイデキユ大統領は、21人の
コソボ人からなる憲法委員会を設置した。同委員会は、07年3月26日に国連安
全保障理事会へ提示された『コソボの地位解決のための包括案』(以下で包括案と
いう)にほとんど全面的に依拠して憲法草案を作成した。包括案は、14条と付属
文書12からなっており、コソボの将来の枠組みや憲法の指針などについてきわ
めて詳細な規定を設定している。たとえば、付属文書1は、「憲法規定」の表題の
もとで、基本原則(コソボは平等の権利を有する多様な民族社会であること、コ
ソボには国教が存しないことなど)から議会・内閣の構成方法、憲法裁判所の設
置にいたるまで、憲法に導入すべき事項を網羅的に示している。
憲法委員会は、憲法案を作成するにあたって、これらの事項をより具体的に条
文化するだけで足り、それゆえ実質的に特別な付加作業をおこなう必要がなかっ
た。委員会は、08年4月2日、最終案を作成し、同日、同案は国際文民代表団
(International Civilian Representatives)によって認証された。包括案によれ
ば、コソボ議会が憲法を採択する前に、国際文民代表団によって、憲法草案が包
括案に従っているかどうかを確認されなければならないとされていたからであ
る。憲法草案は最終的に、同年4月9日、コソボ議会で採択され、6月15日に施
行された。なお憲法委員会は、ウエブサイトなどを通じて国民の意見を求め、77
か条にわたる修正をしたという。
4 現行憲法の概要
⑴ 主要な特色
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憲法の最大の特色(同時に最大の問題点でもある)は、いまだその効力がコソ
ボの全地域に及んでいないことである。コソボ北部のセルビア系住民は、コソボ
への統合を拒否しており、憲法を受け入れていない。
第二に、同憲法は、その成立経緯にみられるように、国連安全保障理事会に提
出された国際合意としての包括案に依拠していることである。包括案は、安全保
障理事会では議決されなかったものの、アメリカおよび EU(ヨーロッパ連合)
によって、コソボ独立のための前提条件とみなされた。それゆえ、コソボが独立
するにあたって、包括案を遵守することは国際的な責務でもあった。憲法自身が
次のような規定を設けている。①コソボ共和国におけるすべての公機関は、包括
案のもとでコソボ共和国の義務とされているすべてを遵守しなければならな
い。②包括案の規定は、コソボにおけるすべての法律の規定に優先する。③コソ
ボ共和国の憲法、法律その他の法令は、包括案に準拠して解釈されなければなら
ず、両者に不一致がある場合には、包括案が優越する(143条)。
第三に、これと関連して、国際法が重視されていることである。憲法は、共和
国の最高法規であると定めるとともに(16条1項)、共和国は国際法を尊重しな
ければならないと明記し(同条3項)、共和国によって批准された国際合意は、基
本的に国内で直接に適用され、また共和国の法律に優越する(19条)。
第四に、コミュニティの独自性を尊重する諸規定が特設されている。コソボ共
和国がアルバニアその他のコミュニティからなる多民族社会であること(3
条)、公用語はアルバニア語とセルビア語であるが、トルコ語、ボスニア語および
ロマ語も公用語の扱いを受けること(5条)、国会の構成、内閣の組成、裁判所の
組織にも少数コミュニティを考慮することのほか、第3章を「コミュニティおよ
びその構成員」との表題にし、6か条にわたり詳細な規定をほどこしている。
第五に、「憲法的価値」を明記していることも、特色の一つにあげることができ
るであろう。すなわち7条の見出しを「価値」とし、同条1項には次の規定がお
かれている。「コソボ共和国の憲法的価値は、自由、平和、民主主義、平等、基本
的権利および自由ならびに法の支配に対する尊重、非差別、所有権、環境の保全、
社会正義、多様性、国権の分立および市場経済の諸原理に基礎をおく」(なお同条
2項には、男女の平等が定められている)。
⑵ 国家形態・基本的指針
「コソボ共和国は、独立、主権、民主、唯一かつ不可分の国家である」(1条)。
国名そのものが明示しているように、共和制をとる。大統領が国家元首であり、
九六
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国民の統合を体現する(4条3項、83条)。大統領はまた、国内的、国外的に共
和国を合法的に代表し、共和国の諸制度の民主的運用を保障するなどの権能を有
している(4条3項、84条)。
第1章の「基本条項」では、国家の定義、国民主権、法の前の平等、政治形態
および権力分立、言語、シンボル、価値、非国教国家、文化および宗教の遺産、
市場経済、貨幣、地方行政、首都、公民権、在外公民、憲法の最高法規性、国際
協約、国際協約の批准、国際法の適用、主権の委譲の見出しで、それぞれの規定
が配されている。
コソボはいかなる国造りを意図しているか。前文を掲げよう。「われらコソボ人
民は、コソボの未来を、すべての市民の祖国となる自由で、民主的でかつ平和愛
好国として建設することを決意し、すべての市民の権利、自由および法の前の平
等を保障する自由な市民の国家の創造に傾注し、コソボ国を、経済的福利と社会
的繁栄に満ちた国家にすることに傾注し、コソボ国がすべての近隣諸国とよき善
隣関係と友好関係を創造することによって地域と全ヨーロッパの安定に貢献す
ることを確信し、コソボ国が世界の平和愛好諸国の家族の尊厳ある一員となるこ
とを確信し、コソボ国が欧州と大西洋の統合の過程に全面的に参加する意図を
もって、厳粛にコソボ共和国憲法を承認する。」
⑶ 統治機構
コソボは、権力分立原則および憲法で定める各権力機関の抑制と均衡に基礎を
おく民主的共和国である(4条1項)。国会は120人からなる一院制で、任期は4
年である。120人中、20人は少数派のコミュニティに割り当てられている(10人-
セルビア人系、1人-ロマ人系、1人-アシュカリ人系、1人-エジプト人系、
1人-ロマ人系、アシュカリ人系、エジプト人系のうち得票の多かった方の人
系、3人-ボスニア系、2人-トルコ系、1人-ゴラニ系)。
大統領と政府の二重構造が設定されている。大統領は、国会によって選挙され
(86条)、国家元首、憲法制度の保護者、軍の最高司令官たる地位のほか、外交政
策の指導、憲法改正の提案など、大きな権限を有している(83条、84条)。政府
は、首相、副首相および大臣で組織され、執行権を行使する(92条)。大臣の選
任についても、少数コミュニティに配慮されている。政府は、国会の総議員の過
半数によって不信任されたときは、解職される(100条)。この場合、大統領が国
会を解散することもできる(82条2項)。
司法権は、最高裁判所を頂点とする、専権・独立・公正・非政治的かつ公平な
九五
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裁判所に付与される(102条)。憲法解釈と法令の合憲性を審査する最終的機関と
して、憲法裁判所が設置されている。この憲法裁判所には、国会、大統領、政府、
オンブズ・パースンだけでなく、個人にも訴える権利が保障されている(113条)。
憲法裁判所は、9人の裁判官で組織され、任期は1期かぎりの9年である(114
条)。最高裁判所の裁判官および憲法裁判所の裁判官の構成についても、コミュニ
ティへの配慮がほどこされている。
⑷ 基本的権利・義務
第2章を「基本的権利および自由」とし、36か条を割いている。とくに注目さ
れるのは、国際条約との関係である。22条には、①世界人権宣言、②ヨーロッパ
人権条約および議定書、③国際人権規約および議定書、④民族的少数者保護枠組
み条約、⑤人種差別撤廃条約、⑥女子差別撤廃条約、⑦子どもの権利条約、およ
び⑧拷問等禁止条約に定められている人権と基本的自由は、共和国内に直接に適
用され、国内の法令と不一致がある場合には、これらの条約が優越すると特記さ
れている。そして、憲法で保障された人権および基本的自由は、ヨーロッパ人権
裁判所の判決に合致して解釈されるものとされている(53条)。
基本権のカタログは、人間の尊厳を筆頭に、法の前の平等、死刑の禁止、身体
の自由、良心・信教・表現・集会・結社・学問の自由、子どもの権利、参政権、
財産権の保障などのほかに、知る権利(公文書へのアクセス)、メディアの自由、
プライバシーの権利、家族の保護、教育を受ける権利、失業者・疾病者・労働不
能者・高齢者に対する社会保障など豊富な内容になっている。環境については、
自然・生物多様性・環境・自然の恵沢を保持することが、何人もの責任とされて
いる(52条)。
これらの基本的権利と自由は、開放的かつ民主的な社会にとって必要とされる
程度で、法律によって制約されうるが、その場合でも権利の本質を否定してはな
らず、より少ない制約でなければならない(55条)。なお非常事態にあっては、
特定の権利の制約が認められている(56条)。
義務については、特別の条項が設定されていないが、第二章の冒頭におかれて
いる「一般原則」のなかで、「何人も、他人の人権および基本的自由を尊重しなけ
ればならない」との規定がある。
⑸ 憲法改正
大統領、政府または国会議員の4分の1以上が憲法改正の議案を提出すること
ができる。憲法改正は、総議員の3分の2以上の多数で議決されるが、少数コミュ
九四
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ニティに割り当てられている議員の3分の2以上が含まれていなければならな
い。第2章に定められている権利および自由を縮減する改正については、国会議
長が事前に憲法裁判所にその評価を付託したのちでなければ、採択されない。
⑹ 国防・平和条項
軍隊は、国の安全のために行動するだけでなく、国際責務の履行と完全に一致
するときには、海外に派遣されることができる。大統領が軍隊の最高司令官であ
り、つねに民主的に選ばれた文民機関の統制に従わなければならない(126条)。
大統領は、緊急の防衛措置、憲法秩序もしくは公共の安全のための国内的危険、
または大規模な自然災害に際して、非常事態を宣言することができる(131条)。
平和主義との関連で、平和愛好国家であること、隣国と善隣友好関係を構築する
こと(前文)、平和護持のための国際協力に参加すること(17条)、国際機関に主
権を委譲し得ること(20条)などの規定がある。1条3項には「コソボ共和国は、
いかなる国家またはその一部に対しても、領土の主張をせず、または統合を要求
しない」と明記されているが、この規定は包括案に由来し、コソボとセルビアと
の統合あるいはアルバニア人が大部分、居住している領域の併合を排除する意味
をもっている。
⑺ その他
公機関の違法な行為から個人の権利および自由を保護するために、オンブズ・
パースンの詳細な規定がおかれている(132-135条)。
5 現況と課題
コソボ共和国憲法の成否は、一にその実効性が国際的、国内的にひろく承認さ
れるかいなかにかかっている。現在、国際文民代表団が存置し、NATO主体のコ
ソボ安全保障部隊(2008年11月現在、約1万6千人)が駐留している。国連コ
ソボ暫定統治機構(UNMIK)からコソボ政府への権限移譲は、ロシアの反対に
よって、実現していない。不透明性が解消されていないなかでの憲法の実効性確
保が、当面の大きな課題といえる。
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ブータン王国
(Kingdom of Bhutan)
面 積 38,394
人 口 647
独立年月
憲法の制定年月 2008年7月18日(国王裁可)
憲法の構成 前文35条附則4(1か条の項目多し)
国民総所得 1,166
一人当り国民総所得 1,770
人間開発指数 0.579(133位)
政治的権利度 6
市民的自由度 5
1 略 史
ブータンの歴史は、9世紀に北方から到来したチベット人がヒマラヤの先住民
族と融合したことによって形成された。王国の起源は、17世紀初頭、チベットの
高僧、ガワン・ナムゲル(1594または1596-1651)が、各地の群雄を平定したこ
とに遡る。1907年にはウゲン・ワンチュク(1861-1926)が初代国王に就任、以
降、ワンチュク家の世襲制となっている。第4代国王(在位1972-2006)は、第
3代国王(在位1952-72)が敷いた近代化、民主化路線を発展させ、国王に対す
る不信任投票制を導入するなど、立憲君主制の確立に向けた国政改革と意欲的に
取り組んだ。同国王は、2006年12月に退位し、第5代国王(1980年生まれ)に
譲位した。
2 過去の憲法典 なし。
3 現行憲法の成立経緯とその後の改正動向
ブータンが制度改革と近代化の道を歩み始めたのは、第3代国王のときであ
る。同国王は、1952年の王位就任直後、立法権を国民議会に譲渡するとともに、
同国最初の包括的な法典を編纂した。68年には、内閣に相当する閣僚評議会を設
置し、また高等裁判所を創設して、司法権の行政権からの分立を実施した。
第4代国王は、国民からの信任が厚く、憲法典制定に向けた動きを早めた。2001
年9月、憲法制定のための勅令を発し、同年12月には、国会議員、高僧、司法界、
地域代表者など39人からなる憲法起草委員会が発足した。この委員会は、翌02
年12月、第一次憲法草案を起草した。国王は、04年11月、閣僚評議会に第一次
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憲法草案の改定案を提出、同案は国民のあいだに広く配布された。国王みずから
が憲法の制定を国民に訴えるべく、全国を行脚するという姿もみられた。07年12
月には、より単純化された最終案が示され、国家評議会(上院)選挙(07年12月)、
国民議会(下院)選挙(08年3月)を経て、新たに召集された国会で採択され、
08年7月18日、国王の裁可を得て、同国最初の成典化憲法が完成した。
このようにブータンでは、国王の民主化促進という上からの改革の結果、憲法
が作成されたという特色をもっている。
4 現行憲法の概要
⑴ 主要な特色
他の憲法にみられない最大の特色は、国民総幸福(Gross National Happi-
ness)の追求を明記していることである。すなわち、9条2項は、以下のように
規定している。「国家は、国民総幸福の追求を可能にする諸条件を推進するために
努力する。」発展途上国の多くが、国民総生産の増大を目指しているなかで、独自
の方途を選択している。この9条には、「国家政策の諸原則」の表題のもとに、24
もの項目が列記されている(後述)。
また文化遺産の保持、伝統的価値の助長(4条)、環境の保全(5条)について
詳細な規定が設けられている。とくに環境の保全に関しては、「政府は、国の自然
資源を保守し、生態系の退化を防止するために、ブータンの全国土の最低60%が
常時、森林によって被覆されていることを確保しなければならない」というユ
ニークな規定もおかれている。宗教についての規定も、特異である。仏教は、ブー
タンの精神的遺産であり、安寧・非暴力・慈悲および寛容の原理と価値を促進す
るものであると定める一方で(3条1項)、国王は、ブータンにおけるすべての宗
教の保護者である(3条2項)と規定する。また、政治と宗教の分離を定めると
同時に、宗教を政治の上位に位置づけ(3条3項)、国王は、仏教徒として、その
一身において、政治領域と宗教領域を統合する(2条2項)。国家によって容認さ
れた中央仏教団体は、精神的・物質的福利をもたらす存在として、国家から資金
と施設を提供されるという規定もある(3条7項)。このように、仏教に優位性を
もたせながら、政治と宗教の二元性を保持するという、やや矛盾のある規定構造
となっている。
⑵ 国家形態・基本的指針
「国家形態は、民主的立憲君主制」であることが明記されている(1条2項)。
九一
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国王は、国家の元首であり、王国およびブータン国民の統合の象徴である(2条
1項)。皇位の継承は、長子順であるが、男子に優先権が与えられている(2条3
項b号)。また国王は、65歳に達すれば、後継者に譲位しなければならないとい
う異色の規定もある(2条6項)。国王の行為は、法的に無答責であり、その身体
は、神聖である(2条15項)。国王には、最高裁判所長官、高僧、軍隊の長など
の任命権、みずからの意思による国民投票の実施権などのほか、憲法その他の法
律に定められていないすべての事項についての裁量権など大きな権限が与えら
れている(2条16項-19項)。ただし、国王が憲法に恣意的に違反するときは、
国会の両院合同会で総議員の4分の3以上の多数(この多数を得られないときは
国民投票の過半数)の決議があれば、退位しなければならない(2条20項-25
項)。
憲法9条は、「国家政策の諸原則」のもとに、国家が以下のことに努力しなけれ
ばならないことを列記している。特異性があると思われるので、全項目の概要を
掲げる。⒜世界平和と親睦にかかわる進歩的で繁栄する国家におけるブータン国
民の生活の良質な平等性の確保、⒝国民総幸福の追求、⒞法の支配にもとづく圧
迫・差別・暴力のない市民社会の創造、人権と尊厳の保護、国民の基本的権利と
自由の確保、⒟ブータンにおける何人もの電信・郵便その他の通信に対する不法
な遮断・妨害からの保護、⒠公正・透明かつ迅速な手続きを通じての裁判の実施、
⒡経済的その他の理由による拒絶されることのない司法扶助の実現、⒢王国内の
各地に居住する個人間に生じる所得、富の集中、公共施設の格差縮減、⒣すべて
の地域の平等な取り扱い、⒤経済的自立と開放的で前進的な経済の達成、⒥公正
な市場競争を通じての民間部門の発展の奨励と商業独占の阻止、⒦安定的で適正
な生活を可能にする条件の促進、⒧正当で好ましい労働条件の確保、⒨労働時間
の合理的制約および定期的な有給休暇を含む、休息および余暇の確保、⒩労働に
対する適正かつ合理的な報酬、⒪知識・価値・技術の向上を目的とする教育の整
備、⒫10歳になるまでのすべての子どもに対する無償の教育、⒬公的、私的分野
における労働での悪徳取引、売春・虐待・暴力・嫌がらせ・脅迫を含む、女性に
対するあらゆる形式の差別および搾取の排除、⒭上記とほぼ同様の理由による子
どもに対するあらゆる形式の差別からの保護、⒮共同体生活における協力と大家
族構造の保全に資する条件の促進、⒯仏教の精神と普遍的な人間の価値に根ざす
善良で、慈悲深い社会の真に持続可能な条件の創設、⒰現代的、伝統的医療の両
方における基本的公衆衛生サービスの利用、⒱疾病および人知の及ばない理由に
九〇
世界の憲法制度概要 ⑴(西) 65
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よる生計手段の欠如に対する安全の供給、⒲共同体の文化生活への自由な参加の
奨励、芸術および科学の促進、技術革新の育成、⒳諸国間とともに善意と協力関
係の促進、国際法と条約上の義務に対する尊重の助長、国際の平和と安全を促進
するために国際紛争の平和的手段による解決の奨励。
⑶ 統治機構
国会は、国家評議会(上院)と国民議会(下院)からなる2院制である。国家
評議会は、20の地域から1人ずつ選ばれる議員と国王によって任命される5人の
議員の合計25人で(11条1項)、また国民議会は、小選挙区制によって選出され
る最大55人の議員で組織される(12条1項)。国家評議会の議員は、政党に所属
してはならない(11条3項)。
詳細な政党条項が設けられているのも特色といえる。それによれば、政党は国
益を優先させ、国民的統合と経済発展を推進し、国民の福祉を確保するように努
めなければならない(15条1項、2項)。選挙委員会によって所定の要件を充た
したと判断される政党が登録される。07年の選挙時、ブータン人民連合党が、全
国横断的なビジョンや目標などを欠いているという理由から、選挙委員会によっ
て登録されなかった。登録された全政党がまず予備選挙で競い、予備選挙の結
果、第1党と第2党のみが本選挙で争う。本選挙での勝者が政権与党を形成し、
敗者が反対党となり、2党のみで政治が運用される(15条5項-8項)。反対党
は、国民のために建設的な役割を演じ、統合と調和を推進するなどの義務を課せ
られている(18条)。執行権は、首相によって主導される閣僚評議会に付与され
(20条2項)、国王と国会に対して連帯責任を負う(20条)。司法権は、5人の裁
判官からなる最高裁判所を頂点に、その独立が保障されている(21条)。
⑷ 基本的権利・義務
7条に「基本的権利」として23項目が、8条に「基本的義務」として11項目
が列記されている。基本的権利としては、従来型の法の適正手続き、表現・思想・
居住の自由、法の前の平等などのほかに、知る権利、プライバシー・名誉の保護、
著作権の保護などの現代型権利も設定されている。死刑の禁止条項も盛り込まれ
ている。財産権については、その権利を保障する一方で、外国人に対して土地ま
たは不動産の譲渡・売買を禁止している。これらの基本権は、ブータンの主権・
安全・統合・保全、外国との友好関係などにより、法律上、合理的な制約に服す
る(7条22項)。基本的な義務としては、主権の保持、環境・文化の保守、寛容・
相互尊重の助長、国旗・国歌の尊重、テロリズムへの不寛容、公共財産の保護な
八九
世界の憲法制度概要 ⑴(西)66
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ど、多くの項目が掲げられている。
⑸ 憲法改正
憲法改正案は、国会の両院合同会で総議員の過半数によって提案され、次会期
でおなじく両院合同会で総議員の4分の3以上の賛成があれば、裁可を得るため
国王に提出される。国王が裁可しないときには、国会は国民投票に付すことがで
きる(35条)。ただし、民主的立憲君主制の規定と王室制度に関する規定は、か
ならず国民投票に付されなければならない(2条26項)。
⑹ 国防・平和条項
28条を「国防」にあて、国王が軍隊およびミリシアの最高司令官であること、
国会は兵役の義務を定めることができるなどの規定がおかれている。また軍事力
を自衛、領土保全、主権の保持以外には外国に対して行使しないこと(同条6
項)、さらに前述のごとく、9条24項で国際紛争を平和的手段によって解決する
ことなどの平和条項もおかれている。33条には、国家非常事態に際しての詳細な
規定がおかれている。
⑺ その他
選挙委員会、王室公務員委員会、腐敗防止委員会、俸給委員会が、憲法上、独
立の機関として特設されている。
5 現況と課題
国王から下賜されたといえる同国最初の憲法が、国民によっていかに運用され
ていくかが最も注目される。国民総幸福を目指しているとはいえ、経済的に貧困
ライン以下の生活を余儀なくされている国民は、全人口の32%に達している。経
済のボトムアップも課題である。1990年代、政府はアイデンティティの強化策と
して、ゾンカ語の普及やブータン式服装の着用義務を実施したが、ネパール系住
民の反発を呼び、死傷者が出る事件にまで発展した。ネパール系住民がネパール
に難民として逃れ、ネパールとのあいだで難民帰還のための協議がなされてい
る。
八八
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ミャンマー連邦
(Union of Myanmar)
面 積 676,578 国民総所得 13,611
人 口 50,125(00年度) 一人当り国民総所得 281
独立年月 1948年1月 人間開発指数 0.583(132位)
憲法の制定年月 2008年5月29日(国民投票で成立したことが発表)
憲法の構成 前文457条 政治的権利度 7
市民的自由度 7
*国民総所得および一人当り国民総所得は『世界の国情報 2008』(リブロ)によっ
た。
1 略 史
1044年、ビルマ族による国内最初の統一王朝・バガン王朝(~1287年)が成立。
その後、タウングー王朝(1531~1752年)、コウンバウン王朝(1752~1885年)
などを経て、第一次(1824~26年)、第二次(1852年)および第三次(1885年)
の対イギリス戦争に敗北し、1886年1月、ビルマ全土が英領インド帝国に併合さ
れた。同年から1947年までのイギリスによる植民地時代は、ビルマ人が社会の最
下層におかれ、「屈辱の植民地時代」と呼ばれている。
1948年1月に独立を達成し、イギリスのウェストミンスター型の憲法が施行さ
れたが、62年3月、ネ・ウィン将軍によるクーデタにより停止された。64年3月
にはネ・ウィン率いるビルマ社会主義計画党(BSPP)以外の全政党の活動が禁
止された。そして73年12月、同党主導で作成した憲法案について、国民投票が
実施された。国民には、軍事政権のもとで発せられる命令による政治運営を望む
か、一党独裁の社会主義憲法を望むかの選択肢しかなく、後者を選択した。こう
して74年4月、社会主義憲法が施行された。88年には BSPP政権に対する反対
デモが国内に吹き荒れ、9月11日、国会で複数政党による選挙実施の議決がなさ
れたが、1週間後の9月18日、国軍の組織する国家法秩序回復評議会(SLORC)
が政権を掌握、74年憲法を停止した。また1989年6月、国名が「ビルマ連邦」
から「ミャンマー連邦」に改称された。
90年5月には民主化の波のなかで総選挙が実施され、アウン・サン・スー・チー
女史の率いる国民民主連盟(NLD)が、60%の得票率で80%以上の議席を得て圧
八七
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勝した。しかし軍事政権は政権を移譲することなく、その後も軍事政権が続いて
いる(なお国家法秩序回復評議会は、97年に国家平和開発評議会 SPDC>に改
組された)。
2 過去の憲法
①『ビルマ連邦憲法』(1947年9月制定、48年4月施行、前文234条) 独立に
先立つ47年9月24日、制憲議会により制定され、国名を「ビルマ連邦」と称す
ることとされた(1条)。すべての国民の上位に大統領職がおかれ、大統領は両院
の合同会議で選出される。任期は5年で、代議院の指名により、内閣総理大臣を
任命するなどの権限を有する。大統領は、儀礼的な国家元首と位置づけられた。
国会は代議院と民族院からなり、民族院は各州を代表する。連邦政府は、その長
たる総理大臣その他の国務大臣によって組織される。連邦政府は、代議院に対し
て連帯して責任を負う(115条)。4章には「国家政策の指導原則」を設定し、老
齢者、疾病者、労働能力喪失者に対し生活保障権を認めるなど社会的権利規定も
みられる。この憲法下で複数政党制による議会制が運用されたが、政治的分裂、
民族間の対立が激化し、62年3月、ネ・ウィン将軍によるクーデタが発生、47年
憲法が停止された。以降、74年まで憲法典不在の時期が続いた。
②『ビルマ社会主義共和国連邦憲法』(1974年4月公布、前文209条) 73年12
月、国民投票により、『ビルマ社会主義共和国連邦憲法』が採択された。「社会主
義社会は、国家の目標である」(5条)、「社会主義的民主主義は、国家構造の基礎
である」(7条)、「ビルマ社会主義計画党が唯一の政党であり、かつ同党が国家を
指導する」(11条)と明記されているように、一党独裁の社会主義国家を標榜す
る。もっともその目指すものは、「ビルマ的社会主義」であって、「マルクス・レー
ニン主義的社会主義」とは、以下の点で異なるとされた。⒜ビルマの現実に適し
た美点をも吸収し、国際共産主義との結びつきがないこと、⒝社会主義を共産主
義にいたる一段階として捉えるのでなく、社会主義の建設そのものを目指してい
ること、⒞物質の精神に対する優位性ではなく、精神の物質に対する優位性を認
めていること、⒟信仰の自由を十分に保障していること(佐久間平喜「ビルマ式
社会主義-その源流と現状」『外務省調査月報』第14巻1号)。
3 現行憲法の成立経緯とその後の改正動向
2003年8月、軍事政権から民主化に向けた7段階の「ロードマップ」が発表さ
八六
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れ、第1段階として、憲法の基本原則を定める国民会議(憲法制定会議)が開催
されることが発表された。04年5月に国民会議が再開され、07年9月、最終的に
基本原則の策定作業を終えた。翌月には僧侶らの激しい抵抗運動が起きるなかで
(いわゆるサフラン革命)、政府は54人からなる憲法起草委員会を立ち上げ、同委
員会は08年2月に憲法草案を起草した。一般に公表されたのが、4月9日のこと
である。そしてわずか1か月後の5月10日、特大級のサイクロンが荒れ狂い、ま
た同草案に反対する国民民主連盟党員の逮捕・拘束という状況のなかで、膨大な
分量の憲法に対する国民投票が強行された(サイクロンに襲われた一部の地域で
は5月24日に実施)。政府発表によれば、投票率は98.12%で、98.58%の賛成
票があった。
こうして憲法は採択されたが、施行は総選挙後に招集される国会開会の最初の
日とされ(441条。*選挙は2010年に予定されている)、それまでは、国家平和
開発評議会が引き続き国権を行使する(442条)。
4 現行憲法の概要
⑴ 主要な特色
最大の特色-そしてまた特色のすべてともいえる-は、軍部の支配権が国家機
構のあらゆる分野に及ぶように憲法全体が構成されていることである。まず国軍
(Defense Services)は、強力、相当かつ現代的な唯一の愛国的な防衛軍であり、
軍隊のすべての事項を独立に管理・決定し、連邦の安全と防衛の面において全国
民の参加を運営する権利を有する。また国家の目的たる連邦・国民連帯の非分裂
および主権の永続性、ならびに憲法を保護することに主たる責任を負う(20条⒜
~⒡)。国軍最高司令官は、国防安全保障会議の提案と承認にもとづき、大統領に
よって任命される(342条)。国防安全保障会議は、大統領、2人の副大統領、下
院議長、上院議長、国軍最高司令官、国軍副司令官、国防大臣、外務大臣、内務
大臣および国境担当大臣の11人からなる(201条)。国軍最高司令官は、連邦の
上・下両院議員の4分の1、地区・州議会の3分の1の議員の指名権(109条、
141条、161条⒟)、ならびに連邦の防衛大臣・内務大臣・国境担当大臣、地区お
よび州の安全・国境問題担当大臣の指名権を有する(232条⒝、234条⒝、262条
⒝)のみならず、国家の非常事態には、立法・行政・司法の全権を掌握する(418
条)など、きわめて大きな権限を有する。
また憲法上、立法・行政・司法権の三権分立と抑制・均衡が定められているが、
八五
世界の憲法制度概要 ⑴(西)70
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それには「できる限りの範囲内で」という留保が付されており(11条⒜)、軍部
の介入が可能な規定方式とされている。
⑵ 国家形態・基本的指針
第1章を「ミャンマー連邦共和国の基本的原則」との表題にし、ミャンマー国
は、「独立した主権国家であること」(1条)、「ミャンマー連邦共和国と称するこ
と」(2条)、「多様な民族集団が共存すること」(3条)、「真正の訓練された複数
政党制の民主体制であること」(7条)など、48か条にわたる条項が配されてい
る。この第1章が、憲法全体の要約にもなっている。
連邦は、7つの管区(Regions)と7つの州(States)に区分され、これらの地
区と州は、同等の地位を有する(9条)。それぞれの民族集団は、連邦の支援のも
とに、その言語、文学、美術および文化を発展させる権利を有する(22条)。政
府の公式発表によれば、現在、国内に135の民族集団が存する。
6条には、国家の一貫した目的として、次の6項目が掲げられている。⒜連邦
の非分裂、⒝国民連帯の非分裂、⒞主権の永続性、⒟純正で、訓練された複数政
党制の民主主義体制を繁栄させること、⒠連邦における正義、自由および平等の
永続的原則を高めること、⒡国軍を国家の政治的な指導的役割に参加させるこ
と。このうち⒜~⒞は、国民の義務、政党の要件、大統領および議会の議員の宣
誓文にも取り入れられており、最も重要な目標に設定されているといえる。
このほか第1章には、連邦の経済体制は市場経済システムであること(35条)、
連邦が全国土および全天然資源の最終的な所有者であること(37条)、連邦は教
育・公衆衛生の改善、母親・子ども・孤児・老齢者・労働不能者への配慮、失業
者の削減、生活水準の向上、自然環境の保護、青少年に対してたくましく、ダイ
ナミックな愛国精神と正しい考え方をもたせ、5つの気高い力(*仏教の教えで
ある誠実、持続性、注意深さ、集中および賢明を指すといわれる)を発展させる
ように努めるなどの規定もある。
⑶ 統治機構
連邦の立法権は、連邦議会、管区議会および州議会で共有される(12条)。連
邦議会は、人口を基礎にして選出される下院(Pyithu Hluttaw)と管区および州
から同数で選出される上院(Amyotha Hluttaw)の2院からなる。下院は最大限
440人で、そのうち110人は国軍最高司令官によって任命される(109条)。また
上院は最大限224人で、そのうち56人は国軍最高司令官によって任命される
(141条)。任期は、両院議員ともに5年である(119条、151条)。
八四
世界の憲法制度概要 ⑴(西) 71
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大統領は連邦の国家元首であり、行政府の長である(17条)。大統領は、連邦
議会によって選出され、任期は5年とされている(60条、61条)。大統領の資格
要件の一つとして、配偶者が外国人であってはならないことが定められており
(59条⒡))、ノーベル平和賞受賞者で国民民主連盟総書記のアウン・サン・スー・
チー女史を排除する方式になっている(同女史の亡夫は英国人)。大統領は国務大
臣の任命権などを有しているが、国軍最高司令官たる地位を有しない。それだけ
国軍最高司令官の地位の大きさを物語っており、選挙による大統領制が実施され
ても、軍部の独立と政治的指導性が不動であろうといわれるゆえんである。
連邦の司法権は、連邦最高裁判所、管区高等裁判所、州高等裁判所、自治管理
地域の裁判所を含む各レベルの裁判所が共有する(18条)。特筆されるのは、憲
法裁判所を新設したことである。憲法裁判所は、憲法規定の解釈、法律・行政措
置などの合憲性、連邦と管区などとの憲法争議の決定などの権限を有する(322
条)。同裁判所の裁判官は9人からなり、そのうち3人は大統領により、3人は下
院議長により、残りの3人は上院議長によりそれぞれ選出される(321条)。
⑷ 基本的権利・義務
第8章「市民権、市民の基本的権利および義務」には、46か条の条文がおかれ
ている。ただし、自由や権利よりもその制約が目立つ。たとえば表現・集会・結
社の自由については、連邦の安全、法律、命令、地域の安寧または公共の秩序と
道徳に反してはならないし、みずから帰属する民族の文学、文化、芸術、慣習、
伝統を発展させる権利に対しては、国民の連帯に有害であってはならないなどの
制約が付されている(354条、365条)。宗教について独自の規定がなされている。
すなわち信教の自由を認める一方で、仏教に対し大多数の連邦市民が有している
信仰として、特別の地位を与え、またキリスト教、イスラム教、ヒンズー教およ
びアニミズムをも承認している。ただし宗教を政治目的のために濫用することを
禁じ、また憎悪、敵意、人種的・宗教的共同体または宗派間での不和は憲法に反
するものと定めている(360~364条)。
すべての市民の義務として、国家目標たる連邦の非分裂、国民連帯の非分裂、
主権の永続性の支持のほかに、軍事訓練への参加と兵役、民族集団間の統合の向
上、文化遺産の保持、環境の保守など、8か条にわたる規定がおかれている。
⑸ 憲法改正
憲法改正案は、国会議員の総数の20%以上の賛成により、国会に提出される。
第1章の全条項など憲法所定の条項については、全国会議員の75%以上の賛成を
八三
世界の憲法制度概要 ⑴(西)72
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得たのちに国民投票に付される。国民投票で有権者の過半数の承認によって、憲
法改正は成立する。憲法所定の条項以外の条項については、全国会議員の75%以
上の賛成のみで成立する(435条、436条)。ここに全国会議員の25%が国軍最高
司令官による指名者であることにかんがみれば、軍に不利益な憲法改正はなされ
ないことになる。
⑹ 国防・平和条項
国軍が平時にあっても国家権力機関として多大な役割を演じることは、既述し
た通り。非常事態が生起したときは、大統領が緊急事態宣言を発する。とくに連
邦の分裂、国民連帯の分裂、または主権の喪失に導かれるかもしれない事態にい
たるときには、大統領は、国軍最高司令官に立法、行政および司法権の全権を委
譲することができる(40条、417条、418条)。
平和については、世界平和と諸国間との友好関係を目指した非同盟政策を遂行
し、諸国間との平和的共存原則を支持すること、外国に対して侵略行為を開始し
ないことが明記されている(前文、41条、42条)。
⑺ その他
憲法構造として、第1章に憲法全体の要約規定がおかれ、各章にそのくり返し
規定がおかれているために、未整理な印象を与えている。
5 現況と課題
09年5月、アウン・サン・スーチー女史が米国人の不審者を自宅に滞在させた
として、逮捕された。ミャンマーのこのような軍事政権の姿勢に対しては、国際
社会から厳しく糾弾されている。「この国では選挙は民主主義を意味しない」と国
民民主連盟執行委員のウィン・ティン氏が述べているように(朝日新聞09年5月
17日付朝刊)、10年に総選挙が実施され、憲法が施行されても、軍事独裁型の憲
法体制が恒常化するだけということになりかねない。実質的な民主主義をどう根
づかせるのか、国際社会も決して無関心であるべきではない。
八二
世界の憲法制度概要 ⑴(西) 73