アジア経済の成長・統合と 日本企業の中国及びアジア・ビジネス ·...

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はじめに 1992年のR小平の南巡講話以降の中国の開放・経済発展の加速により,近年では中 国への進出が 圧倒的なウェイトを占め,日本企業の対外的関心の中心を占めるよう になっている。ただ,中国の成長性と経済規模は抜きんでているが,その他のアジア 諸国の成長率も高く,その合わせた規模も相当のものになっている。中国市場は確か に魅力的だが,競争が 激しかったり,市場が 複雑であったり,投資環境に透明性を 欠いたりして,中国事業の成長性・収益性に問題を抱えている企業も多い。また, 2010年の尖閣諸島での事件に対する反日デモ,中国政府の強引な対応などから,中国 市場の政治リスクも実感されるようになっている。一方で,日本企業は戦後早くから 東南アジア諸国に進出し,とりわけ1980年代央以降の急激な円高の中で東南アジア諸 国への進出を加速させ,東南アジア市場において高いシェアを誇り,日本企業の地盤 となっている。さらに,高成長・巨大規模の中国経済を核としながら,アジア市場の 統合も進んでいる。 このような環境から,中国集中リスクの分散の必要性と成長著しい他のアジア市場 の機会を捕まえにいく可能性が考えられる。また,中国を含むアジア大のネットワー クを形成して行く必要性も考えられる。日本企業,ひいては日本国家にとって中国は 確かに死活的重要性を持つが,これを日中間で捉えるのではなく,アジアの中で,ひ いてはグローバルな環境の中で中国を捉えて対応することが,必要になると考えられ る。そのことが中国ビジネスにも好影響を及ぼしていくと考えられる。 このペーパーはこのような視点からの分析をしようとするものである。この研究は 2年間のものであり,現在は1年目を終えたところである。今回のペーパーでは,主 に研究の枠組みと仮説の提示にとどまっており,研究ノートとしての性格に留まる。 研究ノート 193 産業経済研究所紀要 第21号 2011年3月 アジア経済の成長・統合と 日本企業の中国及びアジア・ビジネス The Economic Growth and Integration of Asian Economies and Their Impact on the China and Asia Business of Japanese Corporations Seiichi MASUYAMA

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Page 1: アジア経済の成長・統合と 日本企業の中国及びアジア・ビジネス · 研究の枠組みは,中国を中心とするアジアの経済成長と市場統合の動きがもたらす

はじめに

1992年のR小平の南巡講話以降の中国の開放・経済発展の加速により,近年では中

国への進出が圧倒的なウェイトを占め,日本企業の対外的関心の中心を占めるよう

になっている。ただ,中国の成長性と経済規模は抜きんでているが,その他のアジア

諸国の成長率も高く,その合わせた規模も相当のものになっている。中国市場は確か

に魅力的だが,競争が激しかったり,市場が複雑であったり,投資環境に透明性を

欠いたりして,中国事業の成長性・収益性に問題を抱えている企業も多い。また,

2010年の尖閣諸島での事件に対する反日デモ,中国政府の強引な対応などから,中国

市場の政治リスクも実感されるようになっている。一方で,日本企業は戦後早くから

東南アジア諸国に進出し,とりわけ1980年代央以降の急激な円高の中で東南アジア諸

国への進出を加速させ,東南アジア市場において高いシェアを誇り,日本企業の地盤

となっている。さらに,高成長・巨大規模の中国経済を核としながら,アジア市場の

統合も進んでいる。

このような環境から,中国集中リスクの分散の必要性と成長著しい他のアジア市場

の機会を捕まえにいく可能性が考えられる。また,中国を含むアジア大のネットワー

クを形成して行く必要性も考えられる。日本企業,ひいては日本国家にとって中国は

確かに死活的重要性を持つが,これを日中間で捉えるのではなく,アジアの中で,ひ

いてはグローバルな環境の中で中国を捉えて対応することが,必要になると考えられ

る。そのことが中国ビジネスにも好影響を及ぼしていくと考えられる。

このペーパーはこのような視点からの分析をしようとするものである。この研究は

2年間のものであり,現在は1年目を終えたところである。今回のペーパーでは,主

に研究の枠組みと仮説の提示にとどまっており,研究ノートとしての性格に留まる。

研究ノート

― 193 ―

産業経済研究所紀要 第21号 2011年3月

アジア経済の成長・統合と

日本企業の中国及びアジア・ビジネス

The Economic Growth and Integration of Asian Economies and

Their Impact on the China and Asia Business of Japanese Corporations

舛 山 誠 一

Seiichi MASUYAMA

Page 2: アジア経済の成長・統合と 日本企業の中国及びアジア・ビジネス · 研究の枠組みは,中国を中心とするアジアの経済成長と市場統合の動きがもたらす

研究の枠組みは,中国を中心とするアジアの経済成長と市場統合の動きがもたらす

中期的なビジネス環境について分析し,それが日本企業の中国アジア・ビジネスにど

のようなインパクトを及ぼすかを分析するというものである。今後2年目には,今回

提示した枠組と仮説に対して日本企業はどのような対応を行い始めているかという事

例研究を行って,論文の発表につなげたい。

第1章において,アジア経済の高成長がもたらすアジアの内需の拡大とアジアの立

地優位性の変動に関して分析する。第2章においては,アジア市場統合の進展の枠組

みとそれがもたらすアジアにおける貿易・投資フローの変化について分析する。第3

章においては,急激に変貌するアジアにおける日本企業の競争力の低下の原因につい

て分析する。第4章においては,中国集中リスクについて分析する。最後に第5章に

おいて,このような環境変化に対して,日本企業の中国アジア・ビジネス戦略に関す

る課題はどのようなものになるかに関しては,全体戦略とマーケティング戦略,生産

戦略,研究開発戦略,人的資源戦略という機能別戦略に分けて分析する。

1.アジア経済の高成長

1-1.アジア経済の高成長

先進国経済に比べて途上国経済の成長率が高い。その中でもアジア途上国の経済成

長率が高く,中期的にも高成長の継続が予想されている。IMFは2015年にかけて,

アジア途上国が高成長を継続すると予想している(表1)。なかんずく,大きなウェ

イトを占める中国が年率10%近い成長を続けると予想している。南アジアの大国であ

るインドについても,中国ほどではないが同8%強の成長を予測している。本格的な

経済自由化を目指した経済改革が1991年に導入され,対外開放路線が展開されてきた

結果である。その他のアジア途上国についても,押し並べて年率5%以上の比較的高

い成長を予想している。

アジアNIEsに関しては,いずれも比較的高い成長の継続が予想されている。日

本の経済成長が1~2%台で停滞する一方で,韓国,台湾,香港,シンガポールと

いうもはや先進経済入りした国・地域が4~6%とかなり高い成長を遂げると予想さ

れている。

青木は,日本の1956~69年,韓国の71~90年,中国の78~2008年の高度成長パター

ンが類似していることを指摘している。これらの時期の高成長には,脱農業化と人口

ボーナスの貢献が大であるという。そしてその先の発展段階として,日本の71~90

年,韓国の91~08年の成長パターンも類似していると指摘している。この段階では,

― 194 ―

舛 山 誠 一

Page 3: アジア経済の成長・統合と 日本企業の中国及びアジア・ビジネス · 研究の枠組みは,中国を中心とするアジアの経済成長と市場統合の動きがもたらす

上記の要素は縮小し,工業労働生産性の自律的向上が経済を牽引しているとしている。

そして中国もこの段階に入りつつあるとするi)。

表1 アジア諸国の経済成長率予想

このような高成長の結果,アジア諸国の経済は相当な規模に達すると予想される。

表2は,IMFによる2015年のアジア諸国の経済規模の予測である。

中国の名目GDPは約10兆ドルと,日本の1.5倍に達すると予想されている。購買

力平価(PPP)では,約17兆ドルと日本の約3.4倍の規模に達すると予想されてい

る。2015年には人口約13億人と中国に並ぶ規模に達すると予想されるインドの名目

GDPは,約2.4兆ドルと日本の3分の1の規模になるが,PPPでは約6.4兆ドル

と,日本の1.3倍の規模に達すると予想されている。中国に韓国,香港,台湾を加え

― 195 ―

アジア経済の成長・統合と日本企業の中国及びアジア・ビジネス

2008 2009 2010 2010~15平均

出所:IMF World Economic Outlook Oct. 2010

アジア途上国

中国

インド

インドネシア 

パキスタン

バングラデシュ 

フィリピン 

ベトナム

タイ

ミャンマー

マレーシア

カンボジア

ラオス

アジアNIEs

韓国

台湾

香港

シンガポール

先進経済

日本 

米国 

ユーロ圏

9 .6 9 .1 10 .5 9 .5

6 .4 5 .7 9 .7 8 .2

6 .0 4 .5 6 .0 6 .7

1 .6 3 .4 4 .7 4 .7

6 .0 5 .6 5 .8 6 .8

3 .7 1 .1 7 .0 4 .5

6 .3 5 .3 6 .5 7 .2

2 .4 -2 .2 7 .5 4 .5

3 .6 4 .9 5 .3 5 .0

4 .7 -1 .7 6 .7 5 .1

6 .7 -2 .0 4 .8 6 .7

7 .8 7 .6 7 .7 7 .6

2 .3 0 .2 6 .1 4 .2

0 .7 -1 .9 9 .3 4 .8

2 .2 -2 .8 6 .0 4 .4

1 .8 -1 .3 15 .0 4 .2

-1 .2 -5 .2 2 .8 1 .8

0 .0 -2 .6 2 .6 2 .7

0 .5 -4 .1 1 .7 1 .7

(年率:%)

Page 4: アジア経済の成長・統合と 日本企業の中国及びアジア・ビジネス · 研究の枠組みは,中国を中心とするアジアの経済成長と市場統合の動きがもたらす

た極東アジアの2015年の名目GDPは,12.6兆ドルと日本の1.9倍に達すると予想さ

れている。PPPでは約21兆ドルと日本の4倍強に達すると予想されている。これは

米国の予想名目GDP18兆ドルには及ばないが,PPPでは上回る規模になる。ユー

ロ圏の予想名目GDP13.6兆ドル,購買力平価GDP12.7兆ドルをともに上回る規模

になる。問題はユーロ圏のように市場が統合されていないことである。また,この極

東アジア経済の大部分を中国が占め,また香港,台湾を加えたグレーターチャイナと

言うべき地域が占める。

表2 2015年のアジア諸国の人口と経済規模の予想

― 196 ―

舛 山 誠 一

人 口(百万人)GDP(百万米ドル)

名目値 PPP

出所:IMF World Economic Outlook Oct. 2010

アジア途上国

中国

インド

インドネシア 

パキスタン

バングラデシュ 

フィリピン 

ベトナム

タイ

ミャンマー

マレーシア

カンボジア

ラオス

アジアNIEs

韓国

台湾

香港

シンガポール

先進経済

日本 

米国 

ユーロ圏

1 ,375 .3 9 ,982 .1 17 ,120 .6

1 ,299 .2 2 ,412 .4 6 ,384 .6

250 .2 1 ,111 .1 1 ,531 .7

180 .5 244 .4 628 .6

176 .5 161 .5 385 .1

103 .7 285 .1 470 .4

93 .6 166 .0 420 .7

71 .1 445 .7 786 .3

67 .6 42 .7 105 .1

30 .7 321 .1 571 .6

15 .0 19 .2 44 .3

7 .1 9 .6 24 .5

49 .7 1 ,371 .3 1 ,925 .8

24 .4 634 .1 1 ,104 .0

7 .4 316 .0 430 .7

5 .6 279 .1 387 .2

126 .2 6 ,517 .5 5 ,070 .8

325 .4 18 ,029 .3 18 ,029 .3

13 ,681 .8 12 ,681 .4

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ASEAN5(インドネシア,タイ,フィリピン,マレーシア,ベトナム)にシンガ

ポールを加えたASEAN主要経済の2015年の名目GDPは,2.6兆ドルと日本の約4

割にとどまるものの,PPPでは約8割の規模に達すると予想されている。中国に

NIEs,ASEAN5を加えた日本を除く東アジア経済の2015年のGDPは,約14.9

兆ドルと日本の2.3倍に,PPPでは24.7兆ドルと日本の4.9倍の規模に達すると

予想されている。さらにインド,パキスタン,バングラデシュを加えた日本を除くア

ジア経済の2015年の名目GDPは,約18兆ドルと日本の約2.8倍に,PPPでは32.3

兆ドルと日本の約6.4倍の規模に達すると予想されている。

産業革命までは世界のGDPシェアは大体人口シェアに比例していた。しかし産業

革命以降,欧米・日本とその他の世界との技術格差が拡大したために,いわゆる先進

国に世界の富が集中する構造となっていた。しかしグローバル化・IT革新の結果,

技術移転が猛烈なスピードで進み,技術格差が縮小した。その結果,世界のGDPシェ

アは18世紀以前の人口シェアの世界に戻りつつある。日本のGDPの世界シェアが

8%程度であったのは,世界史の中の最近の短い期間であり,これが3%程度のシェ

アに戻りつつあるのである。このような認識が必要である(吉川 118-119頁)。

このように日本企業にとっては,少子高齢化にともなって中長期的に低成長が予想

される日本市場の隣に,成長著しいアジアの市場が存在している。アジア市場を日本

の内需と見なして,これを取りに行くことの必要性が声高く主張されるようになって

きたゆえんである。

表2で見てきたように,この日本を除くアジアの経済の半分強が中国であり,日本

に近い極東地域,東アジア地域ではその存在感はさらに増す。日本企業はこの中国市

場の開拓に取り組んである程度の成果を挙げてきた。しかし,中国の規制,取引慣行,

歴史問題などもあり,必ずしも満足な成果を挙げていないし,中国集中リスクも存在

する。その他のアジア市場への分散の要請も強い。そしてその他のアジア市場の規

模も相当なものになりつつある。2015年のインドにASEAN5,シンガポールを加

えた名目GDPは約5兆ドルと中国の2分の1の規模,PPPでは10.6兆ドルと約6

割の規模に達すると予想されている。日本企業は古くからASEAN市場を開拓して

強い基盤を有しているが,さらにインド市場の開拓が急がれるゆえんである。

このようなアジアの市場は,米国市場,ユーロ圏市場と異なり多様である。1人当

たりGDPで見ても,国・地域ごとの大きな差がある(表3)。2015年のNIEsの1

人当たり名目GDPは,シンガポール,香港がほぼ日本並みに達し,韓国,台湾は日

本の約半分の水準に達すると予想されている。PPPでは,シンガポール,香港は日

本を大きく上回り,台湾も日本を抜き,韓国はほぼ日本並みになると予想されている。

中国は日本に比べて名目で14%,PPPで約3割の水準に止まるが,地域格差が大き

いので沿海部は日本,NIEsの水準に接近すると予想される。

― 197 ―

アジア経済の成長・統合と日本企業の中国及びアジア・ビジネス

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表3 2015年の1人当たりGDP予想

1-2.アジアの内需の拡大

これまで見てきたようにアジア経済の拡大スピードは極めて速く,規模も大きくなっ

てきたが,国内需要,とりわけ個人消費の拡大は立ち遅れてきた。アジア諸国,とり

わけ東アジア諸国の成長が,輸出・投資主導であったためである。この結果,2008年

のアジアの家計消費支出6兆7,420億ドルのうち,日本が40.5%,中国が23.5%,ア

ジアNIEsが 13.6%,ASEANが6.4%,インドが9.8%という比率であった(大

木a 15頁)。このような経済構造が,国際収支の不均衡と外貨準備の東アジアへの集

中を招き,持続可能な成長に障害となってきた。このことは2008年後半からのリーマ

ン・ショックによって現実のものとなった。その後,中国を中心に景気回復策として

内需の振興策が取られ,長期的にも内需の拡大が要請されている。アジアの消費への

期待が高まっている。

このようにアジアの消費は立ち遅れているが,経済の高成長を反映して急拡大して

― 198 ―

舛 山 誠 一

名目値 PPP

(米ドル)

出所:IMF World Economic Outlook Oct. 2010

米国

日本

シンガポール

香港

韓国

台湾

マレーシア

中国

タイ

インドネシア

フィリピン

インド

ベトナム

ラオス

パキスタン

カンボジア

バングラデシュ

ミャンマー

55 ,409 55 ,409

51 ,663 40 ,195

50 ,244 69 ,690

42 ,623 58 ,085

27 ,603 38 ,767

25 ,992 45 ,251

10 ,455 18 ,608

7 ,258 12 ,449

6 ,269 11 ,057

4 ,441 6 ,122

2 ,748 4 ,535

1 ,857 4 ,914

1 ,772 4 ,491

1 ,358 3 ,463

1 ,354 3 ,482

1 ,275 2 ,951

915 2 ,182

632 1 ,554

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いる。そのアジアの消費をけん引しているのは,中国,インド,インドネシア,タイ,

フィリピン,マレーシア,ベトナム,ミャンマー,カンボジア,パキスタンなどの新

興国である。その中でも中国の存在感が圧倒的で,2001~2008年のアジアの消費拡大

への寄与率は,中国88%,インド14%,インドネシア8%であった(大木b 28頁)。

日本の消費は停滞しているが,NIEsの消費の伸びも緩やかである。2015年ごろに

は中国が日本を抜いてアジア最大の消費市場となる見込みである(大木a 15頁)。

大木によるとアジアの消費拡大の原動力となっているのは,経済発展による中間・

高額所得層の増加とサービス産業の成長である。アジアでは世帯所得(年間可処分所

得)が 5,000~4.5万ドルの中間層の世帯のシェアが 2001年の11.2%から2008年には

31.7%とほぼ3倍増した(表4)。この中では可処分所得1.5万~4万ドルの中間層

上位の世帯数は5.3%から7.7%へと5割ほどしかシェアが増えていないのに対し

て,5,000ドル~1.5万ドルの下位中間層の世帯シェアが5.9%から24.0%へとほぼ

4倍に増えている。1.6億世帯の増加であり,この増分の60%が中国であり,次いで

インド,インドネシアで増えている。いわゆるボリュー・ゾーンと言われる需要を形

成している。これら世帯の増加の大部分は中国沿海部で起こった(大木b 40-41頁)。

そして,このような中間層を形成しているのは,主に外資系などで働くエンジニアや

管理職であり,若い年齢の層である。ワーカーよりエンジニア,管理職で人材不足か

ら賃金が高騰していることが背景にある(大木b 29頁)。これら中間層の消費は耐久

消費財から健康,旅行などのサービスに関心が移っているという(大木a 16頁)。

表4 アジアの所得仮想別世帯分布

1995年 2001年 2008年

(注)アジアは、日本、中国、インド、韓国、台湾、シンガポール、タイ、インドネシア、ベトナム、フィリピン、マレーシア、パキスタン。

出所: 大木b元データは Euromonitor International “World Consumer Lifestyles Databook”など

下位 1,000ドル未満 29 .1 20 .1 7 .5

低所得層 中位 1,000ドル以上2,500ドル未満 44 .4 49 .0 25 .0

上位 2,500ドル以上5,000ドル未満 11 .1 15 .4 30 .6

中間層下位 5,000ドル以上1万5,000ドル未満 5 .1 5 .9 24 .0

上位 1万5,000ドル以上4万5,000ドル未満 4 .4 5 .3 7 .7

高所得層 4万5,000ドル以上10万ドル未満 3 .9 3 .3 3 .9

富裕層 10万ドル以上 1 .9 0 .9 1 .3

合    計 100 .0 100 .0 100 .0

― 199 ―

アジア経済の成長・統合と日本企業の中国及びアジア・ビジネス

(単位:%)

Page 8: アジア経済の成長・統合と 日本企業の中国及びアジア・ビジネス · 研究の枠組みは,中国を中心とするアジアの経済成長と市場統合の動きがもたらす

低所得層の世帯シェアは,2001年の84.5%から2008年には63.1%に減少したが,

そのうち1,000ドル未満の下位低所得層のシェアが20.1%から7.5%に,また1,000ド

ル~2,500ドルの中位低所得層が49.0%から25.0%へと激減した。一方で中間層予備

軍である2,500ドル~5,000ドルの上位低所得層のシェアが2001年の15.4%から2008年

の30.6%へと倍増している。この増加寄与率は中国43%,インド34%であり,今後

インドの中間層の増加の割合が高まっていくことを示唆している。

高所得・富裕層世帯は,2005年の4.2%から5.2%へと緩やかに拡大した。年間可

処分所得4.5万ドル~10万ドルの高所得層は,2001年には日本が8割からは低下した

が,2008年には依然6割以上を占めている。次いで,韓国,中国,台湾の順である。

国全体に占める高所得層の比率は,日本44%,シンガポール37%,香港34%,台湾

25%,韓国21%,中国9.6%である(大木b 41頁)。高所得・富裕層世帯の伸びが緩

やかなのは,日本の部分の低迷が全体の足を引っ張っていることによるはずであり,

日本を除くアジアの高所得層は相当の速さで拡大していると思われる。

アジア新興国における中間層の台頭という大きな流れはあるものの,アジアの個人

所得には,国によって,国の中の地域によって,同じ地域でも社会階層によって大き

な差があり,消費市場は多様で複雑なセグメント市場によって構成されている。例え

ば,2008年の1人当たり家計消費支出額では,日本の約222万円,シンガポール143万

円,韓国103万円,台湾101万円,マレーシア38万円,タイ23万円,インドネシア14万

円,フィリピン13万円,中国12万円,ベトナム7万円,インド6万円と大きな差が存

在する(大木b 31頁)。

今後に関してはインドを中心に低所得層から中間層に移行する世帯が増加し,中国

においては可処分所得1.5万ドル~4万ドルの上位中間層世帯が増加していくことが

大きなトレンドとして見込まれる。高所得層の増加は全体として比較的緩やかなもの

にとどまると予想される。地域間,世帯間格差は依然として高いものとなろう。中国

のジニ計数は1990年の0.36から2000年には0.44,2009年には0.47に上昇している

(大木b 42-43頁)。

1-3.アジア各国の立地優位性の変化

アジア経済がダイナミックに変化していく中で,アジア各国の立地優位性が急速に

変化している。例えば,中国の高成長は,その市場としての魅力を高める一方で,賃

金の上昇にも結び付き,生産拠点としての競争力に影響を及ぼす。特に沿海部におい

ては,近年労働賃金の上昇率が高く,労働集約的産業の立地は困難になっている。現

在の中国の人件費はベトナムの3倍,ミャンマーの10倍くらいに跳ね上がったという

(大前35頁)。一方で,特に沿海部では人的資源の蓄積,産業の蓄積が進み,産業構造

が高度化し,知識集約的産業における立地優位性を高めている。

― 200 ―

舛 山 誠 一

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2.アジア市場統合の進展

欧州,北米に比べてアジアの市場統合は遅れてきたが,近年,国際生産ネットワー

クの形成による事実上の市場統合が進展し,加えてアジア各国・地域間のFTA(自

由貿易協定)i i)の締結が加速することによって,制度的な統合も進展しつつある。こ

の面からも,企業にとってアジア市場を一体として捉える必要が出てきていると考え

られる。

2-1.アジア市場統合の特徴

アジア市場統合には,幾つかの特徴がある。第1に,欧州,北米のような制度的統

合よりも事実上の統合が,東アジア諸国を中心に進展していることである。第2に,

種々のFTAの締結による制度的な統合も,欧州,北米に比べて随分と遅れてはいる

ものの,近年進展しつつあることである。第3に,経済発展の著しい中国がアジアの

経済関係の中心に位置することによって,中国を中心とした市場統合が進展しつつあ

ることである。

2-2.事実上の市場統合の進展

電子産業を中心に,労働力の豊富な東アジア諸国に直接投資が拡大した結果,国際

生産ネットワークの形成が進み,東アジアの市場統合を促進してきた。インドはこの

ような東アジアの生産ネットワークにほとんど入っていない。輸出志向の強い直接投

資の拡大で,東アジア諸国の輸出に占める外国企業の割合が急増してきた。ASEAN

4(マレーシア,タイ,フィリピン,インドネシア)においてはこの割合が70~80%

に達し,中国においても50%を超える水準に達している(浦田5頁)。

このような東アジアにおける国際生産ネットワークの形成の進展により,域内の部

品貿易が急拡大している。2010年版通商白書によると,1998年から2008年にかけて東

アジアの域内貿易は3.6倍に拡大したが,中国への部品輸出は,日本からが4.8倍,

NIEsからが7.1倍,ASEAN4からが9.5倍と貿易全体を大きく上回る拡大を示

した。このなかで日本のシェアが低下している。また,この部品貿易は双方化してお

り,中国からの部品輸出は,日本,NIEs向けが各5.5倍,ASEAN向けが11.1倍

と拡大している。

日本の輸出の伸びが相対的に低く,シェアが低下しているのが問題である。アジア

諸国との技術格差が急速に縮小していることが背景にあると考えられる。電子製品を

中心としたデジタル化,モジュラー化iii)の流れが,このような国際生産ネットワーク

の形成を促し,また,日本とその他のアジア諸国の技術格差の縮小をもたらしてきて

いると言える。さらに,かつて統合型システムで競争優位を築いた日本企業のモジュ

― 201 ―

アジア経済の成長・統合と日本企業の中国及びアジア・ビジネス

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ラー化への取り組みの遅れと,アジア市場におけるコスト競争への対応の不足もこの

ようなシェアの低下をもたらした要因であると考えられる。

中国に次ぐ規模で興隆するアジアの大国インドとの経済関係の構築も,日本は遅れ

ている。1990年代以降,インドのASEAN,中国,韓国との間の貿易は順調に拡大

したが,唯一日本との貿易が停滞した(小島311頁)。

2-3.ASEANを中核とするFTA形成の動きの加速

東アジアにおけるFTAへの取り組みは,欧州におけるEU(欧州連合),北米にお

けるNAFTA(北米自由貿易協定)に比べて遅れてきた。その中ではASEAN諸国

による自由貿易協定であるAFTA(ASEAN自由貿易地域)の形成が先行し,また

近年は,アジアにおける種々のFTAの中核的存在になってきている。東アジアある

いはアジアでは中国,日本,韓国の経済規模が圧倒的に大きいことから,日中韓を中

核とした広域的なFTAの形成が望まれているにもかかわらず,日中韓間のFTAの

形成は進まず,展望があまり開けないでいる。日中,日韓間に歴史問題など政治的緊

張があることに加えて,韓国と日本の産業構造が補完的というよりは競合的要素を強

めていることが背景にある。

AFTAは1993年にASEAN6カ国 iv)で設立された。中国の経済的台頭の脅威が背

景にあった。90年代後半にはベトナム,ミャンマー,ラオス,カンボジアが参加して

現在10カ国になっている。ゼロ関税目標年を2015年から2010年に前倒し,発足から10

年後の2003年に一応の完成を見た。

日本企業を含めた外資企業や地場企業は,これに対応して域内における生産・輸出

拠点の集約化の動きを進めている。例えば自動車産業においては,域内生産拠点のタ

イへの集約化が進んできた。

アジアにおける自由貿易圏の形成への動きの中で,先ずASEANを核としたFTA

圏が形成されている。ASEANと域内諸国間のFTAとしては,中国・ASEAN間

(CAFTA),日本・ASEAN間(JAFTA),韓国・ASEAN間(KAFTA),イン

ド・ASEAN間,豪州・ニュージーランドとASEAN間のFTA(AANZFTA)

が既に発効済みである。

中国・ASEANは2002年11月に包括的な経済連携構想に調印した。中国が強く提

唱した結果である。貿易自由化だけでなく,サービス分野の自由化,直接投資自由化

や経済開発における協力も含んでいる。後発ASEAN加盟国に対する経済協力や,

ASEAN諸国の関心の高い農産品などの特定の品目を前倒しして輸入自由化を行う

という先行自由化(アーリー・ハーベスト)条項などASEANにとって魅力的な内

容を多く含んでいる(浦田17頁)。通常分野の場合には,2005年1月から関税引き下

げを開始して2010年までに撤廃し,新規加盟国は2015年までに撤廃することを目標と

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舛 山 誠 一

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している(トラン・ヴァン・トゥ等57頁)。

韓国・ASEANのFTAは,2005年に交渉が開始され,2006年5月に署名,2007年

に発効した。これにより韓国とASEAN加盟国は2010年までそれぞれ輸入の90%に

当たる品目に対する関税を撤廃し,2016年まで残り7%の品目に対する関税を0~

5%水準に下げることになる。

日本・ASEAN間FTAは2005年に交渉が開始され,2007年11月に交渉妥結し,

2008年12月1日に日本,シンガポール,ラオス,ベトナム,ミャンマーの間で発効

し,2009年1月1日にブルネイ,2月1日にマレーシア,6月1日にタイとの間で発

効した。日本からASEANへの輸入の約91%,ASEANから日本への輸入の約93%

が発効後10年以内に無税化されることになった。

インドは,中国・ASEAN・FTA交渉への合意に刺激されて,ASEANとのFTA

交渉を開始し,2003年10月に包括的経済協力枠組み協定(IAFTA)を締結した。商

品,サービス,投資のFTA,経済協力分野をカバーするとともに,アーリー・ハー

ベスト条項を盛り込んでいる(小島 308)。2010年1月に発効し,2016年までに,相

互に貿易品目(約5,000品目)のうち80%について関税を順次撤廃し,10%については

関税率を5%に引き下げるというものである。1991年以降の本格的な経済改革政策の

導入のもとで対外開放路線が展開される中で,インドは東アジアとの経済関係を強め

るルックイースト政策を強調するようになった。日本,韓国,中国,ASEANから

インドに及ぶ「繁栄の弧」の形成を目指したものである(小島209頁)。

オーストラリア・ニュージーランドとASEANのFTA(ANNZFTA)は,2009

年に締結された。オーストラリア,シンガポールは2010年に各約96%,100%の品目

の関税を撤廃し,その他のASEAN先発国については約90%の品目について関税を

撤廃し,2020年にはほとんどの国について関税の撤廃を目指すというものである。

上記のようなASEANを核とするFTAの完成年度は2010年ごろに集中している。

このようなFTAの効果はそのころから顕在化してくるものと思われる(トラン・ヴァ

ン・トゥ等61-62頁)。

FTAには,浦田によると以下のような経済効果があるとされる。静態的効果とし

て「貿易創出効果」,「貿易転換効果」,「交換条件効果」,動態的な効果としては「市

場拡大効果」,「競争促進効果」が挙げられるとするv)。我が国,我が国企業にとっ

て,日本から他地域への貿易転換効果が発生するリスクが脅威である。また,FTA

は直接投資にも影響を及ぼす。FTAにより域内の貿易が活発になれば,域内市場の

獲得を目的とした直接投資が流入してくる(浦田24頁)。日本のFTAの形成が進ま

なければ,日本企業の国内生産のアジアの他地域での生産へのシフトが起こり,第3

国企業の日本への直接投資からの転換が起こる効果がある。

日本のFTA形成が農業問題が足かせとなってなかなか進展しない状況で,韓国,

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アジア経済の成長・統合と日本企業の中国及びアジア・ビジネス

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中国のFTA形成が先行し,貿易が日本から他地域に転換するリスクが高まっている。

韓国が積極的なFTA戦略を展開し,域内だけでなくEU,米国とのFTAを形成し

ている。後述するように香港,台湾などと戦略的にFTAを締結し,ASEANとの

経済関係を強化して,自己の勢力圏を形成する動きを見せている。

また,日本企業は東南アジアに生産基盤を持ち,中国にも生産基盤を強化している

が,これら地域の第3国とのFTAの形成が日本を差し置いて進むと,日本企業が日

本からの輸出よりもこれら地域の生産拠点からの輸出を選択する可能性が強まる。例

えば,ASEANとオーストラリア・ニュージーランドとのFTAが発効している一

方,農業問題から日本とのFTAの展望がなかなか開けない現状では,日本企業がA

SEANにおける生産能力を拡大して,日本からの輸出を代替する動きを強めること

が考えられる。日本から輸出する代わりに韓国の製造拠点から輸出するとか,韓国企

業に委託生産して輸出することが選択肢になろう。

2-4.中国による戦略的な勢力圏の形成

中国においては,政治が経済に優先する度合が強い。共産党の一党独裁政権の下で,

強いリーダーシップによって対外政策が追求されているが,それによって他国に比べ

て経済関係の形成はより政治性を帯びたものになる傾向がある。アジアに関しては,

自己の勢力圏を形成するという志向が強いと考えられる。

ASEANとのFTA交渉においても,中国はASEANにアーリー・ハーベスト条

項などASEANに相対的に有利な条件を与えて,政治的決着を図った。また,2003

年6月にはCEPA(香港・中国経済貿易緊密化協定)を締結して,中国のWTO加

盟公約を上回る優遇策を香港に提供している。これは香港製品の対象品目へのゼロ関

税,18種類のサービス産業の開放,貿易と投資の効率化の推進を内容としている。そ

の後,順次ゼロ関税の対象品目を拡大してきている。台湾との間には,2010年6月に

ECFA(両岸経済枠組み協定)が締結された。中国の反対で台湾のFTAの形成が進

まない一方で,韓国・ASEAN間,日本・ASEAN間にFTAが締結されて,台湾

企業の競争力への影響が懸念されていたなかで,台湾への救いの手を差しのべながら,

政治的経済的統合への環境を整備しようとの動きであると考えられる。中国が台湾に

529品目を開放し,台湾が中国に対して267品目を開放すること,台湾の11種類のサー

ビス産業に中国市場を解放するなど,中国が台湾に対して譲歩した内容になっている。

これにより,台湾は中国市場において競合する日本,韓国に比べて有利な位置に立つ

ことになる。台湾との良好な関係を持つ日本企業は,台湾の拠点を活用して,あるい

は台湾企業と連携して中国市場の開拓を進めるインセンティブを強めると考えられ

る。これにより不利になる韓国が中国とのFTA交渉を加速させるようなインセンテ

ィブを強めることも予想される。

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また,対外直接投資による外貨準備の有効な活用を目指す「走出去」政策によって,

中国政府は2000年以降,中国企業の海外進出を促進してきた。M&Aが主流であり,

天然資源の確保,中国企業の海外市場の開拓,貿易摩擦回避,元上昇圧力の緩和を目

的としているvi)。これによって中国の対外直接投資は,2003年28.5億ドル,2004年54.

9億ドル,2005年122.6億ドル,2006年161.3億ドルと急速に拡大してきている。

「走出去」政策の本格化によって,近年,中国の対ASEAN投資が本格化している。

対ASEAN投資は,香港,アフリカ,中南米に次ぐ。ASEAN向けは,インフラや

農業関係が多いことに加えて,製造業が多いことが特色となっている。特に製造分野

における中国とASEANとの一体化が進んでいる。

中国は1962年の国境紛争以降関係が冷却していたインドとの間も,領土問題の棚上

げを行って,貿易・投資関係を緊密化している。インドから鉄鉱石などを輸入し,電

気機器・部品,機械類・部品などを輸出している。相互の直接投資も活発化し,中国

からインドへは通信機器,家電港湾設備などの分野で企業が進出し,IT,医薬品,

建設・エンジニアリング,トラクターなどの分野で企業進出が活発である(小島

317-318頁)。

3.日本企業を巡るガラパゴス化現象

日本企業は,戦後早くから東南アジアに進出し,基盤を築いてきた。さらに1985年

のプラザ合意以降の円高の高進に対応して,東南アジアに輸出拠点を構築するための

大々的な投資を行った。その後,1992年のR小平の南巡以降中国投資を拡大してき

た。しかし,先述したように,中国投資には数々の障害があり,日本企業の中国経営

は順調に行っているとは言い難い。アジア経済の統合が進展する中で,他のアジア諸

国への分散を図るとともに,東南アジアにおける基盤を生かして,中国でのオペレー

ションと連携することも検討されるべきであると考えられる。

上述のようにアジアの成長を取り込んで成長戦略を描くことが,日本国としてもま

た日本企業としても必要になっている。しかし,我が国企業のこれら市場における対

応は十分とは言えない。この理由として,日本企業とその製品のガラパゴス化現象が

あると考えられる。南米エクアドルの西方約900キロメートルにあるガラパゴス諸島

では,南米大陸の生物との競争がなかったために,ガラパゴス・イグアナ,ガラパゴ

ス・ゾーガメなど独自の進化を遂げた動物が現存する。これら動物は主に草食系であ

り,外来種の攻撃に極めて弱いと言われる(吉川17頁)。ちょうど日本の企業が日本

の市場の中で世界の需要とはかけ離れて日本消費者のニーズを満たす製品を提供しそ

の結果,世界市場でのシェアを失っていったことに例えられる。吉川によると,日本

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アジア経済の成長・統合と日本企業の中国及びアジア・ビジネス

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のガラパゴス化には,日本製品のガラパゴス化,日本国のガラパゴス化,日本人のガ

ラパゴス化の3つの側面があるとする(吉川18-19頁)。加えて,日本製品のガラパ

ゴス化と似た範疇として,日本企業のガラパゴス化があると考えられる。

3-1.日本製品のガラパゴス化

日本製品のガラパゴス化に関しては,特にITの革新と新興国の台頭の複合作用が

もたらした面が大きいと考えられる。IT製品・サービス分野で特に深刻である。携

帯電話がその典型例である。2007年の携帯電話市場の世界シェアは,フィンランドの

ノキア38%,韓国のサムスン電子14%,米国のモトローラ14%,日本・スウェーデンの

合弁企業ソニー・エリクソン9%,韓国のLGエレクトロニクス7%であり,ソニー・

エリクソン以外の日本企業のシェアは全部合わせても6%しかなかった。新興国市場

の成長もあって世界市場では80%以上がミドルレンジ製品となっているのに,国内企

業はハイエンド市場に傾斜する国内通信キャリア向け製品の供給を優先して世界市場

を失った(宮崎14頁)。携帯電話だけでなく液晶テレビ,DVDレコーダ,カーナビ,

ETCにおいても,日本企業は世界市場では需要のあまりなく日本市場でしか需要の

ない多機能・高品質・高価格製品に集中して,世界市場を失った(宮崎21-23頁)。

日本の製品は,必ずしも必要でない機能を満載し,高性能の部品を搭載して,製品価

格をわざわざ高くしていると見られている(宮崎29頁)。

IT革新の1側面としてIT製品の開発・生産において「モジュラー化」が大きく

進展した。PCなどに見られるように標準規格を媒介にする限り,個々の部品・モ

ジュールは各メーカーが独自に開発・生産し,それを使って製品を組み立てること

によって最終製品が生産されるという仕組みである。この結果,個々の生産プロセス

においては専業メーカーが出現し,水平分業体制が敷かれた。この水平分業体制は,

米国,台湾,中国などをまたがる国際生産ネットワークを形成することになった。こ

れにより専業メーカーによる大量生産体制,安い中国の労働力を活用することによっ

て,日本企業に比べて品質ではやや劣るものの2分の1から3分の1への製造コスト

の劇的な削減が実現した。例えば,米国企業が標準規格を作り,台湾企業が受託製造

するという水平分業モデルが形成された(宮崎24-25頁)。

世界の標準IT製品の分業体制は以下のようになっている。半導体・電子デバイス

は,米国・台湾の半導体設計専業企業が設計し,受託生産を行う台湾中心のファウン

ドリが前工程を製造し,後工程は台湾を中心とする専業メーカーが製造する。部品は

廉価な電子部品を調達・使用する。機器の製造に関しては,設計を米国,欧州の企業

が行い,製造は米国・台湾専業の組み立てメーカー(EMS,ODM)が主に中国にお

いて行う。これら製品を米国・欧州企業などのブランド企業(例えばデル・コンピュー

タ,コンパック)が世界の顧客に対して販売する(宮崎29頁)。

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これに対して日本企業においては,従来からの系列企業間でのすり合わせによる垂

直的なセット製品の開発・生産システムが維持されて,主に国内の顧客向けに販売さ

れてきた。モジュラー型への転換が他国に比べて遅く,不十分であった。

IT製品に限らず日本の製品は,世界の需要の増加の大半を占めるに至っている新

興国の需要に対して過剰機能で著しく価格競争力を欠く傾向が強く,世界の主戦場で

ある新興国におけるシェアを落としているvii)。また,デジタル製品は,アナログ製品

に比べてコピーが容易で,従来に比べて格段に途上国が技術的にキャッチアップしや

すくなっていることも,技術格差の大幅な縮小をもたらし,日本企業の新興国企業に

対する競争力の低下を招いた原因である。このような要因が重なり,日本製品のガラ

パゴス化が進展し,特に新興国市場における競争力が大きく落ち込んでいる。

また,日本企業がアジアの新興国市場においてシェアを失っているのはボリューム

ゾーン市場だけでは必ずしもなく,中国の沿海部などで増加する高所得層・富裕層向

けの高級品市場においてもではないかとみられる。2005~2009年の主要製品の中国へ

の輸入先国別シェアを見ると,一般機械,電気製品および同部品,化学製品,鉄鋼及

び同部品,輸送用機械,科学光学機器でドイツのシェアが上昇し,輸送機械を除いて

日本のシェアが低下している。また,衣類および同付属品でイタリア,織物および同

付属品でイタリア,フランスのシェアが上昇している。衣料品では香港のシェアが大

幅にダウンしているviii)。ということは,ブランドがものをいう高級品市場で欧州製品

がシェアを伸ばし,日本製品がシェアを低下させたということではないかと思われる。

この間2008年まではユーロは対円で大幅上昇基調にあったので,欧州製品のシェア上

昇は為替安の効果によるものではないと考えられる。規格大量生産型の日本製品は,

ボリュームゾーンではNIEsや新興国地場企業との価格競争に敗れ,高級品市場で

はブランド価値の構築で欧州企業に後れを取っているのではないかと考えられる。

3-2.日本企業のガラパゴス化

日本のガラパゴス化の2番目の側面に,製品のガラパゴス化と密接に関連する,日

本企業のガラパゴス化がある。そもそも世界市場の需要の新興国への急速な構造的シ

フトが起こっているのに,これに対する対応が遅く不十分であった。これまで自国の

市場が米国に次ぐ規模で比較的大きかったことと,世界市場において米国・欧州市場

が圧倒的に大きな規模の市場であったために,日本市場に適した製品を開発・生産し,

これを基にした製品を欧米市場で販売するという戦略を取って成功してきた。この成

功体験と経営のリーダーシップの欠如が,大きな構造変化への適応を遅らせた。

製品のガラパゴス化において見たように日本独自の標準規格にこだわって,海外市

場への展開の障害となった。また,国際コミュニケーションの標準言語である英語の

採用や,現地での現地人・第三国人の経営陣への登用,本社での外国人の登用におい

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アジア経済の成長・統合と日本企業の中国及びアジア・ビジネス

Page 16: アジア経済の成長・統合と 日本企業の中国及びアジア・ビジネス · 研究の枠組みは,中国を中心とするアジアの経済成長と市場統合の動きがもたらす

て欧米企業に比べて大きく遅れていることも,日本企業のガラパゴス化の原因となっ

た。

3-3. 日本という国のガラパゴス化

次に,日本という国のガラパゴス化が,日本製品の国際競争力,特に新興国におけ

る国際競争力の低下を招いている要因となっていると考えられる。日本企業の本拠の

弱体化と外国とのつながりの弱さは,ともにアジアにおける日本企業の競争力を阻害

する。

港湾,空港など国際輸送面における日本の競争力が著しく低下している。規制に加

えて,多くの地方港湾・空港に分散投資することによって中核港湾,空港の整備が進

まず需要が分散したことなどが原因であると考えられる。また,2009年9月にシ

ティ・オブ・ロンドンが発表した「国際金融センター指標」に関するランキングでは,

1位ロンドン,2位ニューヨーク,3位香港,4位シンガポール,5位深v,6位

チューリッヒ,7位東京,8位シカゴ,9位ジュネーブ,10位上海となっている。ア

ジアでは香港,シンガポール,深vの後塵を拝しており,躍進著しい上海に抜かれる

のも時間の問題となっている。GIS規格,会計基準など世界標準と離れた独自標準

を維持しようとする傾向なども日本という国のガラパゴス化を招いている。

日本は,諸外国に比べて外国企業の日本参入に関して結果的に著しく閉鎖的である。

2005年末の対内直接投資残高の名目GDPに対する対内直接投資の国際比較を見る

と,英国が37%,フランスが18%,ドイツが18%,米国が13%であったのに対して,

日本はわずかに2%であったix)。そもそも対内直接投資が少ないということは,国の

閉鎖性とともに,その国の投資機会が乏しいことを反映していると考えられる。日本

の場合は,両面があると思われる。

日本への直接投資が少ないことは,日本市場における競争を緩やかにすることに

よって日本企業の能力向上の機会を減少させる。また,日本の産業界が世界の標準と

かい離した行動原理を取ることを継続させ,国際的常識を学ぶ機会を減少させる。日

本企業・製品のガラパゴス化を助長していると考えられる。

首都圏はそうは言っても対外的な交流の機会が多いが,特に地方のガラパゴス化が

進展して危険なレベルに達している。例えば,2008年末において,日本には外資の日

本本社が 3,311存在したが,そのうち東京都に74.1%,神奈川県に8.5%存在し,そ

れ以外の府県にはわずかしか存在しない(吉川63頁)。

先にあげたアジアにおいてだけでなく広域的なFTA交渉における日本の遅れも,

日本企業の成長機会を制約し,日本を経由した貿易の量を減少させ,日本に立地した

企業の国際競争力を低下させる。日本の場合,農業セクターからの反対を政治処理で

きないことが,FTA交渉の最大の障害になっている。これに対して,中国はASEAN

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とのFTA交渉において,国内農業セクターの負担をともなう農産物分野における

アーリー・ハーベストを提案して,ASEAN諸国に大変感謝された。中国の共産党

独裁の下での一元的政治制度のなせる業である。韓国も大統領府に交渉権限を一元化

して,積極的なFTA形成を進めてきた。日本の縦割り行政とそれを一元化できない

政治の貧困が日本の立場を弱体化させているx)。

基本的に,日本には中心国の論理から周辺国の論理への転換が必要である。日本が

世界第2位の経済大国で相対的技術水準も高い中心国家的存在のときには,独自の基

準を採用して外国企業から国内市場を守り,国内市場での国内企業同士の競争から獲

得した高品質とコスト競争力を武器に世界市場に出ていくことには合理性があった。

しかし,新興国の台頭などで日本の相対的な経済規模が縮小し,相対的技術水準が

低下してきた現状においては,そのような閉鎖性は世界の孤児化(ガラパゴス化)を

促進し,産業の衰弱を招く。中心国の論理から周辺国の論理へと転換し,外国とつな

がるオープンなシステムに転換する必要がある。

3-4.日本人のガラパゴス化

日本製品,企業のガラパゴス化を招来する根源的な要因として,日本人のガラパゴ

ス化がある。若い人の内向き志向が極めて強く,海外への関心が薄くなっている。ア

ンケート調査によると,外資系企業で働くことへの抵抗感が若者ほど強いという結果

が出ている(吉川71-72頁)。海外留学生も減少している。このような内向き志向を

反映して,日本人若者の国際標準コミュニケーション言語として英語の能力が,国際

的に著しく低くなっている。留学英語テストであるTOEFLの日本人受験者のスコア

は,アジアでは北朝鮮に次いで2番目に低くなっている。さらにより根源的には,日

本人の学力が低下し,中国や韓国の学生に比べて競争力を欠くようになってきている

ことである。

これまで日本企業は,欧米多国籍企業に比べて幹部に現地人,第三国人を登用する

ことをあまりしてこなかった。国際経営においては,学力は勿論国際指向を持って異

文化経営能力があり,国際標準コミュニケーション言語としての英語の能力を持った

人材が不可欠である。これまで依存してきた日本人の学力,国際指向,英語能力が低

ければ,国際経営がうまくいくはずはないであろう。外国人・三国人の活用を増やし

ていくことが一つの解決策であるが,多国籍企業の経営においては本国とのつながり

が重要な場合が多いので,本国の人材である日本人のガラパゴス化は大きな問題であ

る。

前中国大使の宮本氏は,日本の若者に対して「中国に来なさい。中国の自由な空間

を活用して飛躍しなさい。」と言っている(宮本201)。

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アジア経済の成長・統合と日本企業の中国及びアジア・ビジネス

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4.中国集中リスクの存在

中国経済の長期的な成長には疑問がないとしても,中国には不動産バブルが崩壊す

るなどして,経済が大きく変動するリスクが存在する。中国の中央集権政治において,

地方が中央の政策に反応して一斉に投資競争に走る傾向が常に存在する。また,沿海

部を中心に賃金が急速に上昇することにより,特に労働集約的産業における中国の輸

出拠点が急速に競争力を失うリスクが存在する。さらに,元の切り上げリスクが存在

するx i)。世界的に,先進国で経済回復のために大規模な流動性が供給されているが,

先進国には投資機会がないために投資機会のある途上国に余剰資金が流入し,バブル

現象を生じていることが背景にあると思われる。為替を固定化すればインフレが高進

して,賃金上昇を招いて立地優位性を阻害する。国内産業の脆弱な部分とその雇用に

配慮しながらも,徐々に為替の切り上げを進めていかざるを得ないと見られる。

さらに幾つかの政治リスクが存在する。

先ず,法治が十分に行き渡らずに人治の要素が残り,法律の安定が欠けているとい

う問題がある。この背景には中国の体制では,中国共産党が憲法を超えた存在であり,

法律のチェックが機能しないという根源的で構造的な問題がある(宮本)。

国内の格差の拡大と腐敗の深刻化により,中国の政治が不安定化する可能性が存在

する。国内の経済格差の問題が深刻化している。沿海部と内陸部,都市と農村,教育

程度の高い人とそうでない人などに大きな格差が存在しており,この多方面の格差が

拡大している(宮本38-39頁)。上述のジニ係数の危険な水準への上昇もその例証で

ある。

腐敗の問題も深刻である。この腐敗の問題は,中国の政治システムと土地制度に基

づく構造的なものである。中国の土地は公有であり,経済発展に伴って必要となるイ

ンフラや工業用地を少額の補償金で使用している農民などから収容し,企業に売却し

てきた。この結果,政府の財政収入は豊かになり健全化する一方で,この過程で業者

との癒着が生じ,腐敗が深刻になっている。また,土地を追われた農民などの貧窮化

による格差の原因ともなっている。

このような腐敗の深刻化の背景には,共産革命によって儒教などの伝統的価値観が

否定されて居場所が定まらないところに,改革開放によって資本主義が大挙入ってき

たことから,倫理的抑制が働いていないということがある。

しかし,インターネット社会が進展して,知識と情報の普及がスピード化し,政府

による社会の管理がますます難しさを増しているという側面がある。中国には現在4

億人のインターネット・ユーザーと6億人の携帯登録者が存在する(宮本44)。

2001年のWTO加盟に向けて経済自由化が進んだ中国において,中国の保護主義が

再び強まっていることに外国企業の懸念が強まっている。官僚制度が支配的で基幹産

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業を中心に今なお国有企業を多く擁している中国において,「行政手段を通じて経済

をコントロールし,プロセスをしっかり管理品が問題を解決する姿勢が目立つ」よう

になっている(宮本)。中国においてインフラ建設や環境問題機器・システムなどを

はじめ需要が急拡大しても,外資はあまりその恩恵に浴せないことになるxii)。

このように中国には持続可能な発展を期待に陥れかねない多様なリスクが存在する

が,それにもかかわらず中国は今後も比較的安定的な高成長を継続するだろうとの見

方が支配的である。この背景には,中国共産党の高度な組織能力,組織規律がある。

特に人材養成と抜擢のシステムが急速に進歩していると言われるxii i)(宮本34頁)。中国

共産党は問題点を常にウォッチし,それに対して積極的な対策を打っているという。

例えば,社会の格差,環境問題の深刻化などに対して,2004年に胡錦擣政権は「科学

的発展観」という概念を打ち出し,経済発展と社会の調和の両立を打ち出している。

しかし,腐敗問題は,根本に共産党が憲法を超える存在であり,チェック機能は働か

ないという問題が存在するので,克服は極めて困難である(宮本40頁)。

そして,日本との間に歴史問題という,他国と中国との関係には存在しない要素が

存在し,政治問題の経済への影響をより複雑にし,深刻にしている。日中関係におい

ては,その日中関係悪化の悪影響が経済に及ぶ可能性が他国に比べて高い。

上述の格差,腐敗の深刻化にたいする国民の不満が鬱積するが共産党独裁体制の下

での言論・集会統制などでそのはけ口がない状況で,歴史問題の存在から政府が抑制

の対象にしにくい反日行動に転嫁されることはこれまでにあったし,今後もその可能

性が存在しよう。

2011年の尖閣列島沖の中国漁船と日本の海上保安庁船舶との衝突事件に見られるよ

うに,領土紛争が日中間の関係に複雑な影を落としている。中国が1980年代以降海洋

権益を主張し,これを軍事力でバックアップする姿勢に1980年代転じたことがこの背

景にあると考えられる(宮本47頁)。中国は1980年代に海洋権益の確保と海洋事業の

発展を国策とし,1990年代に入り,関連法制度を整備し,尖閣列島を中国の領土とし

た(宮本80頁)。そして,人民解放軍に海洋権益の確保が新たな任務として付け加え

られた(宮本208頁)。歴史問題の故に中国がこの問題に対して柔軟に対応する余地が

少なくなっているという(宮本16頁)。

歴史問題に由来する日中関係の緊張はこれまでも存在し,経済に影響を及ぼしてき

たし,今後も影響を及ぼすと考えられる。全中国大使の宮本氏は,中国でビジネスを

行う人は,日本の中国侵略に対する中国人に痛みに対する理解がなければ,中国人と

の真のコミュニケーションは不可能となるだろうとしている(宮本96頁)。

ただ,もう一方では,3章で述べたように,ガラパゴス化している日本で事業を行

うことにも大きなリスクが存在する。中国のリスクと日本のリスクとどちらが大きい

のかという重要な問いかけが必要である。第1章で述べたように,アジアの中で中国

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アジア経済の成長・統合と日本企業の中国及びアジア・ビジネス

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経済のウェイトはあまりにも大きく,大企業に関しては,これを他のアジア諸国への

投資によって分散することは困難である。しかし,リスク管理の観点から,中国から

他のアジア諸国へのある程度の分散投資を検討する価値があろう。

5.日本企業の戦略

5-1.全体経営戦略

先ずは,先進国市場からアジアの新興国市場への経営資源の大幅なシフトが必要で

あろう。特に,停滞する日本から他のアジア市場に打って出ることが必要である。中

国やインドなどのアジアの力をいかに取り込むかを考えることによって日本と日本企

業の成長戦略を構築することが必要である。中国市場は競争が激しく,不透明性もあ

り,文化的地理的にも複雑な要素が多いが,その成長性,規模から,ある程度の規模

の日本企業は,そこを避けるわけにはいかないだろう。アジアへの投資に関しては,

多くの企業にとって中国が中心にならざるを得ないだろう。しかし,他のアジア新興

諸国も高成長を継続することが予想され,中国市場で闘うためにも,他の市場で地位

を築き,中国市場と連携する必要があるxiv)。グローバルな,あるいはアジア大の戦略

を持ち,そのなかに中国市場を位置づける必要があるxv)。

また,より長期的な観点から中国に続く成長地域を考える必要もある。インドなど

が有力候補となるxvi)。

次に,中国・その他アジア間の関係の調整に注力する必要がある。多くの日本企業,

特に大企業は,1990年代後半から中国市場への進出を本格化する前に東南アジア諸国

に投資している。その後中国経済が巨大化し,中国拠点での生産規模が大きくなり,

また中国と東南アジアとの市場統合が進展する中で,東南アジア諸国との拠点での生

産とどう供給力を調整し,連携するかを常に決定する必要がある。中国をはじめとし

てアジア諸国の賃金が急速に上昇し,相対的なコスト競争力がダイナミックに変化す

る環境の中で,これは特に重要になろう。

さらに,日本企業はこれまでの縦の目線を横の目線に変化させる必要がある。これ

は他のアジア諸国との関係でもそうであるし,大企業と中堅・中小企業との関係でも

そうである。日本からの目線ではなく,現地からの目線が必要だと言えるかもしれな

いxvii)。

日本経済が停滞する一方でアジア諸国の経済が興隆し,その相対的な所得,技術力,

経営力の格差が急速に縮小する中で,日本企業はアジア諸国やアジア企業を下に見る

ことをやめて,対等な能力を持つ競争相手・パートナーとして見るべきである。ボ

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リュームゾーン市場への対応において,NIEs・中国企業は日本企業以上に成功して

いる。韓国のサムスン電子に日本の電子メーカーは業績的には束になってもかなわな

い。特に,モジュラー・システムを活用して大幅なコストダウンを実現している上で

日本企業に比べて先端的な面がある。ITサービス分野においては,インド企業の方

が日本よりはるかに国際競争力があり,多国籍企業を輩出している。

また,アジアの新興国市場に適応するために,縦社会日本で出来上がった大企業を

上に,中小企業を下とする企業文化を修正する必要がある。例えば,中国においては,

そのような文化は存在しないという。中小企業でも魅力的なキャリアの展望を提供で

きれば,優秀な人材を集められるという。取引先の中でも,あいまいな内容での注文

をして後で修正をいっぱい要求してくる日本の大企業は,契約社会の欧米企業との比

較で従業員の間で嫌われているという。日本の従来からのシステムの良い面は残しな

がら,欧米企業やアジア企業の良い面を取り入れるハイブリッド経営が求められてい

るとの見方があるxviii)。

日本の中小企業が頼ってきた日本の大企業は,国内市場が低迷する中で新興国市場

に出ようとしているが,ボリューム市場でのコスト競争力が全くないので苦戦してい

る。抜本的なコストダウンを実現するために現地企業からの調達を増加させることを

迫られている。中小企業は,これまでのように大企業に依存していては展望が開けな

い。アジア新興国市場を含めて顧客の多角化を図り,自立化する必要がある。しかし,

これまでの大企業依存傾向から,マーケティング機能を持たないか,持っていても非

常に弱い中小企業が多い。また,同様の理由から財務体質が弱い中小企業が多い。マ

ーケティング機能の強化と財務的自立化を急ぐ必要がある。さらには,従来の系列関

係のような縦の関係ではなく,自立した企業間の横の連携が大切になってくると考え

られる。

そして,現地サイドとのWin-Win の関係の構築が必要である。これは人的資源管

理における現地人従業員へのインセンティブの提供,顧客にメリットのある製品の提

供,現地サプライヤーとの関係,提携企業との関係などの面で必要であるxix)。

より基本的には,現地において,あるいは他国間の連携を通じて,「情報優位性」

を以下に構築していくかが重要なポイントになろうxx)。現地市場,政治情勢,技術ト

レンド,現地あるいは多国籍間の企業間のネットワークなど経営を行っていく上での

様々な要素が含まれよう。

また,ラジカルな調整が起こるリスクへの備えも考える必要があろう。前章までに

見てきたように,アジアの新興国を中心に世界的な構造変化が起きているのに対して,

日本においてはガラパゴス化現象が深刻で,これへの備えが全くできていないことを

考えると,日本企業を巻き込んだラジカルな調整が起こるリスクも考えなければなら

ないだろう。日本の財政破たん,円の暴落,日本企業の業績不振による大々的リスト

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アジア経済の成長・統合と日本企業の中国及びアジア・ビジネス

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ラなどの可能性もないとは言えないだろう。このようなリスクも視野に入れながら中

長期的戦略を練る必要があろう。

5-2.マーケティング戦略

先にみたようにアジア諸国間には大きな所得格差が存在し,国の中でも都市と農村

間,地域間,同一地域内の所得階層間などでも大きな差が存在するので,セグメンテー

ションに基づくターゲティング,緻密なリサーチが必要である。例えば生理用品のユ

ニチャームは,品質の裏付けと緻密なマーケティング戦略によりインドネシアで6割

のシェアを獲得したと言われる(大前99頁)。ワタベウェディングは,上海でウェディ

ングビジネスを開始するために,かなり前の1993年に同地で製造拠点を開設し,工場

の社員を中心に4年程度をかけて入念な市場調査も行って,現地市場でウェディング

ビジネスを新たに創造することに成功している(吉川174頁)。

同時にアジアの新興国の市場は猛烈なスピードで変化している。上記のようなセグ

メンテーションに基づいたマーケティングは,このような動態的変化に対応した迅速

で先を読んだものでなければならないだろう。

製品戦略に関しては,ボリュームゾーンへの対応,日本の後追い的発展への適応が

ポイントとなろう。先ずは,アジアのボリュームゾーンに対応した製品を開発する必

要がある。品質を落とさずに,機能を絞り込んで使い勝手を良くし,先進国向けの製

品よりも劇的に安い製品を開発して提供することが必要である。このためには,研究

開発,生産部門との連携が必要である。現地マーケティング発の研究開発,生産が必

要であろう。

アジア新興国は急速に発展しており,その中にはIT化,グローバル化など日本の

発展の経験とは異なる要素があるが,多くの点で日本の発展パターンを踏襲している

(前出脚注i)参照)。日本では成熟産業となった鉄鋼業,非鉄金属産業,エネルギー産

業,セメント産業などが,中国などアジア新興国においては現在成長産業である。イ

ンフラ建設需要が極めて大きい。大前は,日本の鉄道,原子力産業などに新興国で大

きなビジネスチャンスが存在するとみている(大前173-185頁)。

同時に,ハードの競争では,アジア新興国に勝ち目はあまりないから,サービスの

要素を結合した商品の提供で勝負するように転換していく必要もあろう。青木は,日

本産業として工業力とサービス力の結合が重要だとしている。また,他のアジア諸国

が日本の発展パターンを踏襲していく傾向に着目して,現在とこれからの日本の安定

成長フェーズで獲得した環境,都市経営などの社会・経済的技術の一層の洗練に努め

て,これをアジアに移転していくべきだとする。人口成熟化のフェーズに固有の課題

である健康,介護,生涯教育,科学技術,有機農業などを解決するための革新的能力

を開発し,これを東アジアへ移転していくべきであるとするxxi)。この側面からのアジ

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Page 23: アジア経済の成長・統合と 日本企業の中国及びアジア・ビジネス · 研究の枠組みは,中国を中心とするアジアの経済成長と市場統合の動きがもたらす

ア市場での製品戦略に可能性があろう。

アジアの市場は複雑でダイナミックに変化していくので,従来の日本の大企業中心

体制の下での規格大量生産的製品の提供では,限界がある。NIEsや中国沿海部な

どに高級品市場も確実に拡大していくと思われる。一般的な日本企業がこれらの市場

を取りに行くのには限界がある。中堅企業の強化による日本企業のターゲット市場ご

との分化が必要になってくるのではないかと思われる。

5-2.生産戦略

日本企業のアジア市場に対応した生産戦略には,ボリュームゾーン市場でアジア企

業と競争するための劇的なコストダウンの実現とそのためのアジアへの生産能力の移

転,アジア域内での生産の集約化と国・地域間の生産の調整が課題となろう。

アジアの新興国で最大の市場を形成し急激に拡大するボリュームゾーンに対応した

価格競争力のある製品を提供するために,劇的に大幅なコストダウンを実現する必要

がある。日本からの高価格の原材料・部品の使用を抑えるために,現地調達率を引き

上げる努力が必要である。生産の現地化の徹底が必要である。より根本的には,モ

ジュラー化に対応して,製品の差別化に必要なコアの部分を除いて,アウトソーシン

グを徹底する必要がある。コアな部分を中心に,日本企業の得意としてコピーのしに

くいすり合わせ型生産を全体としてのモジュラー型システムの中に適切に位置づける

必要がある。モジュラー型のシステムに対応するためには,全体的戦略のところで述

べるように,アジア企業との提携が必要になろう。

アジア市場が成長し,日本という国,日本人のガラパゴス化が深刻化する中でアジ

ア企業とのコスト競争に直面している日本企業は,日本からアジアへの生産能力のシ

フトを迫られている。そして,アジアにおける立地優位性が,経済発展のスピードの

差やFTAの締結などによってダイナミックに変動する中で,アジア域内での地域間

の能力移転・生産拠点間の連携を継続的に行う必要がある。

ASEANの統合が進む中で,ASEAN内の生産拠点の集約化が行われている。

ASEANに蓄積された生産能力を有する一方で,90年代半ば以降投資された中国の

生産拠点が急速に能力を拡大している状況の下で,中国・ASEAN間の生産能力の

集約化,その間の連携が課題となる。さらには,近年インドへの投資が進展する中で,

ここでの生産能力の拡充,インドとASEAN・中国の生産拠点間の連携も課題とな

ろうx x i i)。加えて,モジュラー化が進む中で,これらを自社内や系列内で行うだけで

なく,系列外・国際間の企業連携も視野に入れて行う必要がある。

5-3.研究開発戦略

アジアのボリュームゾーンで競争力を高めるためには,機能を絞り込んだ価格競争

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アジア経済の成長・統合と日本企業の中国及びアジア・ビジネス

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力のある製品の開発が必要である。このためには,現地マーケティングと連携して,

マーケティング発の研究開発を行う必要がある。研究開発の現地化を推進することが

必要である。

5-4.人的資源戦略

アジアの新興国市場を開拓するためには,経営陣の現地化が必要である。これは経

営理念の共有による接着剤を強固にすることによって実現できるxxi i i)。また,企業全

体として,人的資源のアジア化を進める必要がある。日本人の若手のガラパゴス化が

深刻なので,このニーズはより強い。実際,最近になって,多くの先端的企業がアジ

ア人材の本格的採用に乗り出している。

次に,定年前後の熟年人材の活用が有効である。アジア諸国の産業発展は,かつて

の日本の高度成長時の繰り返し的な要素があるので,日本の成熟技術が有効な傾向が

強い。実際,韓国・中国企業は日本のそのような人材を大量に雇って,技術移転を促

進している。中部地域のある中堅企業も,系列外の大企業の国際経営経験者をやとっ

て中国での生産と市場開拓に成功して,急速に拡大している。大前は,日本企業は定

年間近の人を若手とセットで新興国に派遣して長期間働いてもらうことを提唱してい

る(大前171頁)。

最後に,日本の若手人材の脱ガラパゴス化のための努力を企業においてもやる必要

がある。若手人材の英語・中国語能力の強化とアジアでの経験の機会の提供を行う必

要がある。アジア,中国市場でビジネスを行うためには言葉が必要であるし,閉塞感

漂う日本での仕事は,人材の成長機会が限られる。現実に,最近伊藤忠商事が社員全

員に中国語の習得を義務付け,多くをアジア途上国に派遣する決定を行ったことが報

じられている。他にも先端的企業に同種の動きがみられる。

5-5.組織戦略

組織戦略に関しては,他企業との提携を強化する必要がある。特に新興国でビジネ

ス機会の多いインフラ事業,環境エネルギー事業などは,発注側の公共体などにシス

テムを構築する経験と能力とが欠けており,ワンセットで提供しないと受注がむつか

しい場合が多い。時には本国の政府の支援も得てコンソーシアムを組んで対応する必

要のある場合が多い。また,生産戦略のところで述べたように,ボリュームゾーンに対

応したコスト競争力のある製品を高めるために,モジュラー化を徹底してアウトソー

シングを活用する必要がある。他企業との提携が必要である。

このような目的のために,特にアジア企業との提携の必要性が高まっている。現地

市場環境への適応に必要であったり,モジュラー化に強みを持つアジア企業が多かっ

たりするからである。実際,日本電子企業の台湾企業との提携が増加している。また,

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中国で現地市場における営業実績のある台湾企業の主導で多数の日系企業を巻き込ん

だ省エネ・コンソーシアム(GGM)が形成されている。

i)青木昌彦「世代間の合意と『開国』を」日本経済新聞 経済教室 2011年1月5日

ii)国家・地域間の経済統合の初期の段階であり,相互に関税・輸入制限などを撤廃して貿易

の自由化を行うことを言う。域外に対して共通関税を設定する関税同盟,これに加えて租

税措置,各種規制,経済政策の共通化をともなう協働市場に比べて,市場統合の初期段階

である。

iii)パソコンなどのIT機器に見られるように,個々の部品やそれを組み合わせたモジュールが,

標準規格を媒介に互換性を持つように設計されたシステムである。これによって各部品・

モジュールの開発生産は,企業間で擦り合わせなくても独立的に行えるようになり,水平

的分業体制の採用による大幅なコストダウンが可能になった。

iv)シンガポール,インドネシア,タイ,フィリピン,マレーシア,ブルネイ

v)浦田によると,「貿易創出効果とはFTA加盟国間の貿易障壁が撤廃されることで,加盟国

間の貿易が創出される効果であり,貿易転換効果とは効率の高い国がFTAの加盟国でない

場合に,FTA設立により効率的な非加盟国からの輸入が非効率な加盟国の輸入によって転

換(代替)される効果である。交易条件効果は,加盟国間の貿易量の拡大と非加盟国との貿

易量の縮小を通じて加盟国の非加盟国に対する交易条件を改善させる効果である。市場拡

大効果は貿易障壁の撤廃により市場が拡大することから,生産や流通での規模の経済性の

実現と最適立地が可能になることで得られる効果である。競争促進効果とは,市場統合に

より域内の寡占産業が競争的となり,効率的な生産が実現する効果である。」(浦田22頁)

vi)大前は,日本のバブルの時代の不動産などへの結果的に損失をもたらした非合理的な海外

投資とは異なり,中国の海外投資は自らの弱みを是正するための鉱山や農業関係の企業に

向かう合理性を持った投資であると見ている(大前45頁)。

vii)例えば中国市場において日本の自動車メーカーのシェアは世界シェアに比べてかなり低い

し,インドにおいても自動車産業におけるスズキを除いて,日本企業は韓国企業の後塵を

拝している。家電では韓国のLGとサムスンの進出が目立つ(小島316頁)。

viii)証券アナリストジャーナル2011年1月号 パネルディスカッションにおける佐治信行氏提

出データ。

ix)経済産業諸「2007年版通商白書」による。

x)木村は,冷静に考えれば,農業問題などFTA締結にそれほど問題にならないとする。日本

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アジア経済の成長・統合と日本企業の中国及びアジア・ビジネス

Page 26: アジア経済の成長・統合と 日本企業の中国及びアジア・ビジネス · 研究の枠組みは,中国を中心とするアジアの経済成長と市場統合の動きがもたらす

は既に一大農産物・食料品輸入国であり,関税などの貿易障壁も,米などの主要穀物など

を除けばすでにかなり低くなっている。ある程度の譲歩を政治決断で行うことで解決でき

るはずだという(木村副成「FTA戦略と日本〈上〉好機逃さず主導権握れ」日本経済新聞

2003年7月23日)。

xi)木下は,中国の純貯蓄率が高い状態が社会保障制度の充実の困難性のため当面続こうから,

為替レートをハイピッチで切り上げていかない限り,経常収支の大幅黒字が続いて国際的

摩擦を深刻化させると見ている(木下69頁)。

xii)最近,大成建設が仕事が確保できないために中国から撤退したことが報じられている。

xiii)中国共産党の党員数は,2009年に7,500万人に達し,人民解放軍,外資系企業,労働組合に

も党組織の設置が義務付けられており,あらゆる組織の中に網の目のように組織として張

り巡らされているという(宮本33頁)。

xiv)大前は,親日国という点でインドネシア(さらにはトルコ)に注目している(大前96頁)。

xv)日東電工の柳楽社長は証券アナリストジャーナルの座談会で,市場を考える際に,その国

を単独で見ることはしないと語っている。例えば,東南アジアを含めた中国というような

見方をするとしている。経済発展は,いずれは南に降りてくるし,インドであれば東に動

いてくると見ている(証券アナリストジャーナル 2011年1月号)。

xvi)日立建機の木川社長は,証券アナリストジャーナルの座談会で,最初にASEAN諸国に進

出し,その後が中国だが,少し時間がかかるかもしれないが中国に続くのはインドだと思

うと語っている。そのほかには資源開発関連の需要の多い建設産業として,アフリカに注

目しているとも語っている(証券アナリストジャーナル 2011年1月号)。

xvii)ロート製薬の山田社長は,証券アナリストジャーナルの座談会で,以下のように語ってい

る。「アジアは非常に面白い時代に来ている。ただし,日本の視点や日本の技術優位を生か

すことを考えた途端に,八方ふさがりになってしまう。日本からの視点でチャンスやリス

クを考えても,グローバルなダイナミズムにはついていけない。」(証券アナリストジャー

ナル2011年1月号)。

xviii)木下は,「失われた10年」に対応した経営改革の結果,優良企業と言われる大手企業の大半

に共通している要素は,スピード経営,資本の効率性,コーポレート・ガバナンスを重視

する米国モデルを選択的に取り入れ,長期雇用,年功序列,社内組合,チームワークとボ

トムアップを特徴とする日本モデルのうち,維持しにくくなったものを縮小し,良いもの

を残したハイブリッド型に進んでいると指摘している(木下78-79頁)。

xix)天野は,パートナーとの信頼関係を築き,それを強化するために積極的な技術移転を図る

ことが大切であるという(天野51頁)。また,熊本県に本拠を置く味千ラーメンは中国で成

功しているが,現地パートナーに過半数の株式を与えて権限委譲し,現地加盟店や従業員

のモラルを高めるための「現場第一主義」の経営を行っている(吉川179-180頁)。

xx)天野は,生産進出の際には,単なる低賃金労働や土地資源の様な現地資源にとどまらず,

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現地の産業集積と深くかかわり,そこから得られる「情報資源」をいかに取り込み,優位

性を構築していくかという視点が必要だという。「企業が国際化のプロセスからいかなる

「情報優位性」を獲得するかということに焦点があてられる必要がある。」という(天野45

頁)。

xxi)青木昌彦「世代間の合意と『開国』を」日本経済新聞 経済教室 2011年1月5日。

xxii)インド・タイ自由貿易枠組み協定により2004年8月にアーリー・ハーベスト条項が導入さ

れたが,その中に日系企業がタイを生産拠点にしているテレビ・ブラウン管,トヨタがイ

ンドネシアを拠点としているギア・ボックスが含まれていたという(小島315頁)。

xxiii)日立建機の木川社長は,証券アナリストジャーナルの座談会で,「現地の文化や習慣に従っ

て日本人が経営するのは困難で,現地スタッフによる経営の方が円滑に行える。ただし,

日立建機としてのアイデンティティや,理念として掲げている「基本と正道」,「Kenkijin

スピリット」(価値基準・行動基準を明文化したもの)の価値観を共有してもらわなければ

ならない。」と述べている(証券アナリストジャーナル 2011年1月号)。また,上海のウェ

ディング・サービス事業で成功しているワタベ・ウェディングも理念教育を通じた人材教

育こそ企業経営の根幹であるという(吉川174-175頁)。

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