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EPISODE ONE Ensenada to Bahia de Los Angeles by Katsuhisa Mikami

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iPhone用に最適化したBAJA2000参戦ストーリー。FRM掲載記事を再構成したものです。

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EPISODE ONEEnsenada to Bahia de Los Angelesby Katsuhisa Mikami

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それは、人生そのものが輝いた一瞬だったのかもしれない。

僕の人生が、西田の人生が。

そして、BAJA1000参戦ライダーと、

サポートスタッフたちすべての人生が。

2000年11月。1967年に始まったBAJA1000の、

21世紀を迎える記念イベントとして開催されたBAJA2000。

2800kmあまりの距離を走る「スプリントレース」。

その完走までの制限時間は80時間。

あまりに過酷で、あまりに長いその道程を、僕たちは走りきった。

2007年、SCORE

BAJA1000は40周年を迎えた。

それを記念して、このドキュメンタリーをお届けしよう。

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最初からトラブル

 今回、初めてまるでプレランせずにBAJAに臨んだこともあって、僕らにとってのBAJA2000はかなり厳しい展開のレースとなった。 2800kmという超長距離のこのレースに、ほかのチームの多くが4 〜 5人体制で参戦しているのに対し、こちらは2人だ。1993年のBAJA!000を一緒に走っている相棒の西田充志は、ここのところそれなりに林道ツーリングなどもしていたようだが、僕自身は95年のBAJA1000以来、ロクにオフロードを走っていないという、なかなか他人には言えないていたらくぶりである。 奥さんには「経験があるから大丈夫」などと強がっていたものの、正直言ってまともな走りで完走できるかどうかはまったく自信がもてなかった。

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朝6時過ぎ、薄暗いエンセナダの街をスタートしていく

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 過去に92年に1人で参戦して完走こそしているものの、時間外。しかも、途中で相当にヘコみまくってのゴールだった。95年には31時間と結構いいタイムでゴールしているが、ほぼノートラブル、しかも相棒もかなり速いという好条件がそろっての結果。その相棒は今回別チームで参戦しているし、なにより95年のBAJA1000は1000マイル

(1600km)だった。○

 2000年11月12日朝6時過ぎ。エンセナダ市街の中央部に位置するリヴィエラ・コンベンションセンターの前をゼッケン1xのジョニー・キャンベル(ホンダ)がスタート、BAJA2000の幕が切って落とされた。 200mほど舗装路を走った先の交差点を左折、ホテル・ラピンタ前から河川敷へ入り、ダート区間

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が始まる。 僕のパートナーの西田は6時30分ごろにスタート。国道1号線を50kmほど南下した地点のサント・トーマスで最初の交代を行う予定なので、サポートメンバーと僕はサポートカーのアストロで交代ポイントへと向かった。 この区間、レーサーはエンセナダからオホスネグロスを通り、国道3号線を越えてサント・トーマスまで走る。距離はおよそ200kmだ。  僕たちがサント・トーマスに着いたころには、すでに多数のサポートチームが到着しており、場所を陣取っていた。多くのチームはここか、この次に国道とクロスするサン・クインティンで最初のライダー交代を行う。9時過ぎ、トップを疾走しているジョニー・キャンベルが轟音をとどろかせてサント・トーマスを駆け抜けていった。

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 僕たちが計算していた、西田の予想到着時刻は10時30分。平均50km/hという余裕をもったアベレージでの計算で、4時間をかけて到着すれば上出来という計算。区間によっては僕らのレベルでもアベレージ80km/hを超えることのあるBAJAだけに、無理のない予想だった。

○ ところが10時30分を過ぎても、11時になっても西田は来ない。この区間にはけっこう激しいガレ場があるようだが、西田は一昨日、チーム・エルコヨーテ(作家、戸井十月さんが率いるチーム)の戸井十月さん、吉益先生とプレランしている。そのエルコヨーテ……戸井さんも来ていない。 ライダーの通過を見届けた、あるいは交代を済ませたチームが手を振りながら国道を南下していく。日本人チームも何組かすでに通り過ぎていっ

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た。これは西田になにかあったのかもしれない。バイクより後にスタートした、ATVのライダーたちも快調そうに通り過ぎていく。 日本人ライダーの1人が、ハンドルの左側をクリップオンハンドルのように大きく曲げてサント・トーマスにやってきた。手もケガしているようで、顔が痛みに歪んでいる。サポートのバンから新品のハンドルが取り出され、さっそく交換している。まずいなー。俺たちはハンドルのスペアなんて用意していないぞ、なんて思ってしまう。 やきもきしてさらに30分が過ぎ、12時も過ぎたころ、ようやく西田がやってきた。戸井さんもほぼ一緒に到着。223kmのコースに5時間半もかかっている。そろそろ4輪のトップグループがやってきてもおかしくない時間だ。 「どうした!」 「ムース、リヤ、だめになっちゃた

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んすよ」 え? マジ!? じつは、レース3日前に300kmほどのプレラン(下見のための走行。BAJA1000では1カ月前から可能になる)をしていた。で、プレランを終えたときに、リヤタイヤだけが妙に柔らかくなっているのに気づき、ちょっと不安ではあったのだ。(ムースとはチューブの代わりにタイヤに入れる、パンクしないゴムのかたまりのようなもの。念のため) しかし、スペアホイールはないし、スペアタイヤすら用意していないのでそのままスタートするしかなかった。今じゃ考えられないが、とにかくこのときの僕らは究極の貧乏チームだったのだ。 BAJAのベテランである松井勉が「ムースは初期に柔らかくなることあるよ」と言っていたのを心の頼りに(なんじゃそりゃ)、プレラン終了時には

「これ以上柔らかくはならないだろう」とたかをく

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くっていたのだ。 ところが、まだレースが始まったばかりだというのに早くもムースを失ってしまった。ここで終わりか? 「Mag7(有料のサポートピットサービス)でムースをチューブに入れ替えてくれたんですよ」 

「マジ?」 なんと、リヤがバーストした状態で西田がMag7のピットに飛び込むと、ピットスタッフが総出で壊れたムースを普通のチューブに交換してくれたのという。すごい。やるぜMag7。 しかしよく見ると、問題のリヤホイールのスポークが折れている。しかも3本も。あちゃー。さらによく見ると、リヤホイールのビードストッパーもなくなっている。「ビードストッパーは?」「いやもうリヤホイールの内側グチャグチャになってて……」 よく話を聞くと、チューブもヘビータイプではな

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く、普通のペナペナのやつが入っているらしい。とりあえずリタイアせずに済んだのはいいが、まだ230kmである。残りまだ2500kmもあるのだよ。

最初からトラブル

 最初から、ムースの入ったタイヤの交換など考えていないオレたちだから、タイヤレバーもチューブもタイヤもなにも持ってきていない。 恥ずかしいが、じつはこれはBAJA1000をナメてかかっていたわけではなく、92年、93年、95年と持ち物をどんどん減らしていった結果だ。日本からもっていくスペアパーツや工具を検討するときに、「そんなのが必要なときは体も壊れているに決まってるじゃん」という考え方で、本当に最低限のものしか日本から持ってこなくなっていた。

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BAJA + HIDは至高の組み合わせ

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 しかも今回は事前の準備に十分な時間をとれなかったこともあって、工具すらロサンゼルスで買い揃えたくらいで、本当になにも持ってきていなかったのだ。 サポートの由紀(僕の奥さん)と隅本(以下スミモっちゃん)がエルコヨーテのピットに行ってお願いし、チューブ(やった! ヘビーチューブだ!)とパンク修理キット、それにタイヤレバーと空気入れまで借りてきてくれた。 こっちの事情を話したら、あっさり貸してくれたと言う。本当にありがとう。申し訳ない。 ここでヘビーチューブに交換してから出発することも考えたが、なにしろ時間が押している。すでにマトモな2輪の連中はほとんど行ってしまった。まだここでヘッドライトはつけたくない。パンクしたらヘビーに入れ替えればいいわけで、とりあえず

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今は行くぜ! と気合で出かけることにした。本当は、とにかく早く走り出したかった。僕はプレランに行っていないので、まだほとんどこのバイクを走らせていない。とにかく、一刻も早く走り出したかった。  「リヤ、スポーク3本も折れてて大丈夫なの?」と隅本が言う。「平気でしょ。3本だったら」と答えたが、その答えになんの根拠もないことは僕がいちばん知っていた。 これから2500km、ビードストッパーなし、ペナペナチューブ、スポーク3本折れ状態で走り切れるか。知ったことか。やってみないとわからないだろ、そりゃ。その前にライダーがくたばるかもしれないんだし、行くしかないのだ。 そして、今回この瞬間までBAJAをまったく走っていなかった僕は、ようやく走り始めることができ

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た。今まで参戦したBAJAでは、短くても必ずプレランをしていた。今回ほど事前にまるで走らずに走り始めたのは今回が初めてである。正直、不安はあった。 しかし今思い出してもゾクゾクする。それは不安と恐怖、そして狂おしいほどまでの喜びがミックスされたものだった。走り出してすぐ、アクセルは全開だった。冷静になどなれない。喜びに思いっきり体をまかせ、ガレた坂をフルスピードで上り始めた。

トラブル頻発

 走り始めたら、不安は乾いた風とともに思いっきりふっ飛んでいった。最高だぜバハ! 最高だぜXR650L! 砂利混じりのワインディングのコー

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ナーをハデにケツを流しながら快調にすっとばしていく。赤茶色の地面が海へとまっすぐのびている。真っ青な海に白い波。素晴らしい景色だった。海に向かってまっすぐ落ち込むように坂を下ると、道は海沿いのワインディングになった。 これまた準備が出来なかったので、バイクのコックピットには純正の大きな(ニュートラルのインジケーターなどもついている)スピードメーターがついている。それが幸いして、今何km/hでているのかもばっちりわかる。コンスタントにコーナー60km/h、ストレート100km/h+αですっとばす。 俺って意外に速いじゃん? という、いつものうぬぼれが心の中に舞い上がってきていた。 うぬぼれているのは、自分でもわかる。これはやばいかも...と思っていたら、案の定、曲がりきれずにコーナーから飛び出した。幸い、土手に

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ぶつかって止まった。ダメージなし。先は長いんだよ、そう自分に言い聞かせて再出発。でもバカなのか、すぐにその戒めは忘れてしまう。 今度は、とあるコーナーで激しく岩に乗り上げてフロントがすくわれ、大転倒。まずいことに、後ろから徐々に近づいてくるトップクラスの4輪が見える。もう来たか……。 観客のアメリカ人が「早くコースから出て!」と叫ぶ。バイクを反対側に押し倒して、土手にかけあがる。その女性が「もっと上、もっと上」と叫ぶ。わかってるよコンチクショウ! 4輪が通り過ぎて、バイクを起こすと………レレレ? 一見してオイルとわかる液体がポタポタ………ゲ! クランクケース割れてるじゃん! まっじー………終わりかよこれで?  左側のジェネレーターカバーに親指の爪ほどの

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穴が開いて、そこからオイルが漏れている。マズい。93年のリタイヤはオイルもれが原因だった。そのときの相棒も西田だった。西田とオイルって相性悪いんじゃないか? と自分の転倒のことは棚に上げて止めやすいところでバイクを止める。 石鹸なんてねえよなあ。しかたない、ガムテープで応急処置するか。

○ よく見ると、リヤの左サイドにあるバッテリーケースのフタがめくれ、そこにあったはずのヘッドライトのメインスイッチもスっ飛んでいる。こりゃあ西田に悪いな、一生懸命西田が配線したのにな。 バイクを止めて、ガソリンコックをオフにして横倒しにする。修復作業を始めようとしたら、メキシコ人やアメリカ人がいっぱい集まってきた。 「だれかチューインガムもってる?」と聞くと、ア

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メリカ人のうちの1人がくれた。サンディエゴから見物に来たのだそうだ。口に入れ、柔らかくする。するとその間に今度はメキシコ人がやってきて、エンジンのオイル漏れの部分を指差してなにか言っている。 自慢ではないが、レストラン用語以外のスペイン語はほとんどわからない。すると、そのメキシコ人のおっさんが自分のクルマに戻って、手に何か持って戻ってきた。おお! それはインスタント・ウエルド(直訳すると即席溶接だ)ではないか! メキシコに入る前にPEPBOY(アメリカに多くあるオートバックスみたいな店)で買おうかどうしようか迷って結局ケチって買わなかった、インスント・ウエルド(エポキシ系のデブコンのようなもの)をこのおっさんは持っている! もうこのオッサン(ナチョって人)の背後に後光がさして見えた。

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サポートは荒野を見ながら、やはり2000kmの耐久ドライブ。

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 さっそく、ガムで修理作戦は中止して自分で食べ、破損部をガソリンで洗浄し修理にとりかかる。結局、このインスタント・ウエルドが最低限の硬さになるまで30分ほど待ち、合計1時間ほどもタイムをロスしてレースに復帰した。本当はもっと早く走り出したかったんだけど、オッサンが指で触ってまだだめ、もうちょっと、と引き延ばされていたのだ。この間にバギーとトラックが何台か通過。2輪は1台も見なかった。もう全部、行ってしまったのか。 海外に沿って走るコースは快調なワインディングだ。エンジン破損部からのオイル漏れもないようで、徐 に々再びペースを上げていく。正直言って、先ほどのトラブルで失ったタイムも取り戻したい。しかし、凶暴なまでに速い4輪が時折後ろから追いついていくる。しかも複数でバトりながら来るので恐いことこのうえない。どうしても後ろを気にした

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走りになってしまう。ストレスがたまる。 僕にとって最初のMag7に到着。「13マイル先にブービートラップ(などの観客が作った罠)! 気をつけて!」とスタッフが叫ぶ。ガスを入れ、全開で復帰。行くぜ! この区間はしかし本当に人が多い。人の見えない区間がないくらい観客がいる。これならガス欠してもなんの不安もない。 絶好調で飛ばし、そして案の定ブービートラップとわかっている場所でトラップにハマって小転倒

(笑)。それは、まっすぐのように見える道がいきなり流されており、深いガケになっているところだった。メキシカン大喜び。なんどやっても懲りないこの性格は? やっぱ俺ってバカ? メキシカンがここぞとばかりにいっぱいやってきて、バイクを起こしてくれる。そのうちの1人が、ヘルメットに書いてある名前を見て「カアアチュヒ

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イイサ・メカアミ!」。一同爆笑。俺苦笑。 その中の1人がウエストバッグを指差してなんか言っている。なに? 見てみると、なんとチャックがぱっくり開いている。ファスナーが壊れているのだ。参った。なにか落としているかも。 はずしてチェックしてみると、とりあえず落としたものはなさそうだ。メキシカンがビニールテープを持ってきてくれたのでひとまずそれでバッグをグルグル巻きにする。 こうしてどんどん時間が過ぎていく。焦る。そして道はウオッシュ(川底。砂と岩のミックス路面)へと変わっていく。出きる限りのスピードで飛ばす。だからなにかあってもよけられない。シルト(粉のような土。非常に目が細かく走りにくい)っぽいワダチに、巨大な草のかたまりが落ちているのもかまわずに突っ込む。と、スタック。情けない...と

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思いながら、ギヤをローにいれて全開。 ところがスタックから脱出できない。なんで? リヤを見る。おおおおおおお! これ草じゃない! これって魚網じゃんか! ナイロン繊維だろう、頑丈な漁網が思いっきりリヤホイールにからまっている。リヤブレーキのガードがひんむけるくらい強烈にからみついている。頭クラクラだよもう。 おまけにコースの幅が狭い。後ろから猛烈な勢いでバギーがやってくる。必死にバイクをコースからどかそうと思うが、ビクとも動かない。やばいよマジで。近くにいたメキシカンのおっさんがやってきてくれて、魚網を取るのを手伝い始めてくれた。ありがたい。 僕もウエストバッグのビニールテープをはぎとってナイフを出し、漁網をざくざくカットする。遠くに見えていたバギーが2台、ついにやって来た。1台

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めはスムーズに脇を通っていってくれた。2台目。まっすぐ突っ込んできて、僕の足の直前でようやく止まった。 で、俺たちに悪態つきまくって通りすぎて言った。悪かったな! こっちも努力してるんだよ! どかせりゃどかしてるよコンチクショウ! コースの真中でぼんやりとまってるわけじゃないんだ! おっさんが、僕のナイフを奪って魚網をきり刻んでくれてるんだけど、おっさん、ブレーキホースのすぐそばを凄い勢いでナイフでガシガシ切ってくれてる。あまりに怖いのでお礼を言いつつもナイフをオジサンから奪い、自分自身の手でなんとか除去。おっさん、本当にありがとう。

○ で、再び飛ばす。それなりにラッツ(水が流れて掘れた深い裂け目)など荒れた路面のあった

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前半と異なり、後半はやや深い砂はあるものの全開で飛ばせる牧場の中のコース。サポートポイントで待っているだろう仲間にがんばっているところを見せたいのもあって、飛ばす飛ばす。飛ばしすぎて一度ミスコース。道の真ん中にいた牛ににらまれてすっげー恐かった。飛ばしまくって来た道を牛にビビりながら5kmほど戻る。サポートとの待ち合わせは、コースと国道が交差する地点だ。 再び飛ばしに飛ばし、それらしき場所に出た。しかし、国道に出てもサポートの姿はない。距離、そして途中でロスした時間を考えるとこちらが先についているはずはない。「おまえここで何しているんだ」と話しかけてきたアメリカ人に「これはハイウエイ1か?」と聞くと、「これは旧道だ」と返された。やっぱプレランは重要だ。 途中でまた人に場所を聞きながら、なんとかサ

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ポートのアストロを発見。時刻は最後のミスもあって5時を回っていた。出発したのが1時くらいだから、なんと200km弱の距離に4時間もかかったわけだ。これじゃ西田に文句言えないわ。 高速区間であったこともあり、先にコースに入った連中はとっくに先に抜けていた。着いた瞬間に、由紀に「どうしたのよ」と言われて結構ムカついた。トラブル以外はかなりのハイペースで走っていたので「そんなこと言われなきゃなんないほどゆっくり走ってないぞ」と思ったのだ。 しかしよく考えてみれば時間は確実に過ぎていたわけで、心配されてもしかたなかったのだ。みんなは手際よくクルマの脇に工具類をすでに並べてくれており、「6時になっても来なかったらSCOREのオフィシャルに聞きに行こうと思ってた」そうだ。申し訳ない。どうやら、バハに来る以前も、

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来てからもまるで走っていないので、みんなを相当心配させたようだ。

そして夜に

 そうこうしているうちに、すでに完全に日は落ち、周囲は真っ暗になってきた。みんながHIDのヘッドライト装着にかかっているとき、軽い調子で「そうだ西田。ヘッドライトのトグルスイッチ飛んじゃったよ」と言った。直後、西田が凍った。 ? こっちも凍った。ヤバいのか。たかがスイッチじゃん。いざとなれば直結しちゃえばいいんじゃないの? 「つなげる時にショートすると、HIDのユニットが逝っちゃうかもしれないんですよ」「じゃあスイッチ、あっちに停まってる4輪の連中が持ってないか聞いて来ようか」とスミモっちゃん。「容

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ヘッドライト装着。夜を走り始める。

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量がムチャクチャデカくないとダメなんで、たぶんそんなのは持ってないです」なるほど。そんなに重要なスイッチだったのか(後に、そんなに重要なスイッチでなかったことが判明するが、当時はそう思っていた)。 ヤバいことやっちゃったのかも。うーん。なんとなく小さくなって、クルマの後ろに回ってもそもそとバナナを食べる。うううむ。 結局、なくなったスイッチのかわりに、HIDユニットに電源を供給しているケーブルのカプラーを抜き差ししてオンオフすることになった。「つなぐときに切れちゃうかもバルブが知れないですよ」という西田の暗い声を打ち消すかのように、ユニットをつなぐと、HIDの強烈に青白い光がグワアアアアっと夜空を切り裂いた。 「行ける行ける、OK!」と気楽に言うオレ。そ

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して西田は、カタビナの手前で国道とクロスする地点までの約160kmを走りに出かけていった。まあ夜でもあるし、オレはクルマの中で最低3時間は休めるだろう。ピットを撤収し、夜道を再び南へと向かった。

○ 夜9時。交代ポイントはコースが国道に1度出て、またダートに戻るその入り口の地点だ。その場所に到着すると、多くのライダーたちが今まさに通過していくラッシュアワーのような時間帯だった。この入り口は、コースノート(事前に配布されるコマ地図のようなもの)にミスコースしやすい、と書かれているだけあって、多くの選手が入り口を通りすぎていってしまう。 それも無理はない。コースマークがほとんどないのだ。僕はクルマのセカンドシートで、眠るとも

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起きるともつかない状態でねっころがっていた。 スミモっちゃんと由紀は、たまにやってくるレーサーたちに、両手を振ってコースはこっちだと一生懸命合図している。「いやー、楽しいよ。レースに参加している気分バリバリ」とスミモっちゃんはエビス顔で超ニコニコだ。 しかし、レースカーは半分くらいの割合でスミモっちゃんを無視して、やはりこの入り口を通りすぎていってしまう。で、しばらくすると猛スピードで戻ってくる。なんだ。案外プレランしてないやつ多いんじゃん。戻ってくるレーサーにスミモっちゃん、聞こえるわけないのに「だからー言ったじゃーんこっちだってー」と笑いながら大声を上げている。面白い。 しばらくすると、エルコヨーテの宮崎雄司(以下宮ちゃん)がやってきた。僕はクルマの中から、

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由紀とスミモっちゃんがなにやら宮ちゃんと話している様子を見るともなく眺めていた。 エンジンの調子が悪いらしい。起きてチューブを貸してくれた礼を言わなくちゃ、と思ったが、頭は起きていてもまだ体が寝ているみたいだ。なかなか起きられずにいる間に宮ちゃんはコースに入っていった。宮ちゃんは、コースに入っていくときに立ちゴケしていた。ヤツらしい、サービス満点の行動だ。

仲間たち

 宮ちゃんは、今回チーム・エルコヨーテのライダーとしてこのバハに来ている。90年に、今回僕のサポートをしてくれているスミモっちゃんと2人で組んでBAJA1000に参戦したのが最初のBAJAだ。

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このときは、ボレゴという場所の手前でスミモっちゃんが骨折してメヒカリの病院に運ばれ、そこでレースを終えていた。 その後92年にエルコヨーテのメカニックとして参戦し、93年に僕と西田の3人でループ(※10)のバハ1000に参戦する。しかしエンジン破損によるオイル漏れでこのときもリタイアに終わってしまった。 僕は90年にサポートとしてBAJA1000に初めて行き、92年に初参戦した。92年は西田と組むはずだったが、直前に西田が伊豆富士見ランドでトレーニング中に靭帯を損傷し、1人で参戦した。このときは時間外ではあったが完走してフィニッシャーバッジ(完走者だけがもらえるバッジ)ももらっていた。だが、95年の時点でまだ完走経験のない宮ちゃんはとにかく完走を果たしたかった。そこ

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で、95年にかなりの気合いをもって僕と組んで参戦したのである。 そのかい合ってか、95年は大きなトラブルもなく、それなりに悪くない時間で完走できた。初めてフィニッシャーバッジをもらった宮ちゃんは大満足だった。 それから彼は、本格的にチーム・エルコヨーテの活動に入っていく。エルコヨーテがそのころ開始した「五大陸走破計画」のメンバーとして、北米縦断、オーストラリア横断と戸井十月氏と一緒に世界に出ていく。 そして98年のBAJA1000で再びエルコヨーテのメカニックとしてBAJAを訪れている。 そして、2000年では晴れてエルコヨーテのライダーとしてBAJAを走ることになった。メンバーは作家戸井十月、戸井の長年のパートナーである

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鍼灸師吉益先生、フリーライターの松井勉と宮崎の4名だ。 このほかに、LA在住のコーディネーターの水野さん、そして急遽チームメンバーになった、モトショップ・ストラーダの手塚さん(通称グッキー)もエルコヨーテのメカニックとして参加していた。グッキーはすごく面白い人だ。バハのあとは、三橋淳のメカとしてダカールに参戦する予定だ。

○ ここからコースは再び国道1号線の東側に入り、100kmほどでカタビナに出てくる。ほとんどのチームはカタビナで交代するようだ。僕たちは今回、西田がスタートを担当して僕がゴールするという約束ができていたので、僕たちはカタビナの手前のこの場所で交代することになっていた。ここで交代する以外に、レース全体での走行距離を2人

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でうまく分ける方法がなかったからだ。 交代ポイントで西田を待っている間に、1人の日本人ライダーがやってきた。サント・トーマスでハンドルの左側を大きく曲げ、ハンドルを交換していたライダーだ。「左手が痛くてまるでハンドルが握れないんですよ。コースにはもう戻れない」と言う。ひとまず、コーヒーを出して、座らせる。どうやら左手の甲の骨折か、それに近いダメージを負っているようだ。左手がパンパンに腫れている。 カタビナに相棒が待っているというので、ひとまずそこまで国道で言ってはどうかとスミモっちゃんが薦めている。しばらく休んで気力が復活したのか、彼は礼を言うと暗い国道へと出ていった。後で聞いたところによると、そこで相棒と合い、相棒がまた戻ってやり直したらしい。みんな、なんとしてもゴール地点のカボサンルーカスへ行くぞ、と

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気合いバリバリなのだ。前半ならではの熱い気合いが気温の低い国道を熱気で包んでいた。 しばらくして西田がやってきた。霧が出てきているという。ヘッドライトは「凶悪」なくらい明るいそうだ。ひとまず、大きなトラブルはないようだ。 エアフィルターを交換し、チェーンに給油して、カタビナまでの約100kmを僕は走り始めた。こんなに明るいヘッドライトでBAJAを走るのは、今回が初めてだ。それも楽しみだった。それに、ここまでに出るべきトラブルは出尽くしたような印象だった。それが当たっていればいいのだが……。

○ カタビナまでの約100kmは追いついてくるクルマをやり過ごす区間だった。はっきり言ってもっと彼らとバトルしたほうがよかったのかもしれない。しかし、追いついてくるという事は、結局自分よりも

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ペースが速いということ。ムリしてペースを上げると自爆することは過去の経験から知っていた。だから、追いついてきたヤツは無理せず先に行かせる。まだまだ先は長いのだ。 巨大なサボテン林の中を走るコースはシルティな柔らかい砂……ほとんど粉……が積もったパートが多く、一度4輪に前を走られるとほとんど前が見えなくなってしまう。HIDのヘッドライトは、西田が言ったとおり凶悪とも言えるほどまでに明るいが、それだけに砂煙に巻き込まれると光が反射してしまい、まさに五里霧中状態になってしまう。こうなるとアクセルをまるで開けられなくなってしまう。 逆に、前に砂煙が立っているということはミスコースしていないことの証明にもなるが、砂煙のせいでいつコースマークを見逃すかもしれない、という危険もはらむ。さらに霧まで出てきている。

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夜。霧。砂埃。そして昼間走った区間と正反対に、人の気配の皆無なサボテンの林の中。夜ならではの不安な気持ちが、浸みるようにどんどん心に入り込んでくる。 アブソリュートのHIDランプユニットを組み込んだBAJADESIGNSのヘッドライトはさすがに明るい。40w2灯という構成はワッテージだけみれば過去に使ってきたハロゲンの半分ほどのパワーしかないが、その数字の倍以上のパワーで夜の闇を明るく切り裂く。色は青白く、砂の多い白い路面のセクションでは路面がまぶしく感じられるほどだ。 しかし、スポット側のライトが上を向きすぎているだけでなく、下方向に押してもほとんどうごかないため、とくにワイドオープンだと遠方を照らしすぎるし、急坂の下りでは逆に手前を照らしすぎる。ど

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んなときでも水平を保つヘッドライトマウントってのがあればいいのにな、などと思いながら走る。だが、この明るさは、1度手に入れたらもう手放せない。すごい。 しかし、時折深いシルトが現れる。うっかり止まってしまうと自分の立てた砂煙が後ろからモワっとやってきて、ヒドい目にあう。とくに、シルトの付近で4輪に抜かれるともう、海底で砂を巻き上げられたようになにも見えなくなってしまう。本当になにも見えない。フロントフェンダーの先端すら見えないほどだ。その煙幕のなか、明るいヘッドライトがむなしく光の帯を放っているだけという状態になってしまう。 一度こうなると、風向きかルートの向きが変わって煙が晴れるのを待つしかない。しかし、サボテンの林の中や、すりばち状に凹んでいる道の場

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合、晴れるのは期待できない。そんな状況のなかでうっかり飛ばせば足下をすくわれるケースもあるから、どうしてもペースを落とさざるを得ない。が、しかし4輪はこんな視界の状況でもかなりのスピードでつっこんでくる。連中は、前がどうなっていようと大して気にしていないとしか思えない。つまり、前後に常に気を配らないといけないので、非常に疲れるのだ。

チェックポイント

 白い路面、明るいヘッドライトで前はまぶしいほどなのに、しかし一瞬流れ星が見えた。花火のように地平線近くで散った。これまでに見たことがないほど明るい流れ星だった。 今年BAJAに来て2回目だ。ついつい、サポー

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トカーのことが心配になる。バハのサポートというのは案外厳しいものだ。睡眠時間も限られるし、今年はアストロだからきちんと横になって休むスペースもない。無事に事故を起こさずに走ってくれていることを祈る。縦断のレースの後、南から北へと半島を北上すると、何台かのクルマ、トレーラーがガケ下に落ちているのをみかけることがある。自分たちだけはそんな目には遭いたくない。夜、1人で走っているとどうしても、いろんな不安がアタマにわいてくる。 何台かの4輪と楽しくない出会いを過ごし、2時間ほど走ったころだろうか。いきなりコースが終わってまったく人気のない舗装路にぶつかった。

「れれれ? もうカタビナ?」しかし、ハイウエイに交差するところでは必ず見受けられる警官の姿や、他チームのサポートスタッフの姿などがいっさ

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いみられない。僕のバイクのエンジン音以外、静寂に包まれている。 おかしいと思いながら、コースマークを探しながらハイウエイを南下する。左側にたき火の明かりが見え、人が見える。土手を下りて行ってみると、そこはホンダピット(USホンダが展開しているサポートサービス)だった。 「どうした。ガソリンか」とスタッフが声をかけてくる。「コースはこっち?」ハイウエイのほうをさして聞く。「そうだ」「カタビナまでどれくらい?」「1時間かからないくらいだと思うよ」このとき、僕の手はハイウエイをさしていた。しかし、ホンダのスタッフの手は、ほんの4 〜 5m先にあるダートロードを指していたのであった。 ここからもうハイウエイか、ラクだったな、なんて思いながらハイウエイを南下する。しかし、ハ

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イウエイの脇にある道標がどうもおかしい。カタビナはエンセナダからkm184 〜 200ポイントあたりのはず。しかし、このあたりの道の脇にある道標のkm表示はまだ145kmくらいだ。おかしい。コースがここで50km近くも国道を走るはずがない。 一回道ばたにバイクを止め、ウエストバッグからコースノートを出す。しかし、あらら、かんじんのカタビナ付近のコースノートがない。持ってくるのを忘れたのだ。自分のアホぶりにあきれる。恥ずかしい。しかし、こんなに長い時間国道を走るわけがないことだけには自信があるので、さっきのホンダピットに戻ることにする。むなしく国道を走る。走った場所を戻ることほどアホくさいことはないが、しかたない。 戻っていくと、どうやら国道を走っていった僕を彼らも多少は気にしていたのか、コースのほうを

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みんなで指さし、飛び上がりながらこっちだこっちだと言っている。彼らに礼を言ってコースへと飛び込む。さっきまで走っていた国道の快適さを懐かしく思い出しながら、あと少しあと少し、と思いながらコースを走る。コースは時折シルティな路面がでてくるものの、基本的には快適に走れる砂のコースで、前半のようなガレ場もない。

○ 30分ほど走ったころ、再び国道に出た。今度は、火をたいて待っていたオフィシャルがいるので間違いない。誘導されて国道に出る。しかしあるはずのチェックポイントがない? なんで? しばらく国道を走ると、見慣れたカタビナのホテル、ラ・ピンタが見えた。向かいのガソリンスタンドは日中はにぎやかなのだが、夜ということもあってかだれもいない。寂しい。と思うと、サポートカーが見えた。

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 由紀、そしてスミモっちゃんが「チェックポイント通ってきた?」???? れれれ?「なかったぞ?」と言うと、「みんな出てくるところが違うよ」と由紀。西田は寝ていた。 しまった。またミスコースだ。正直言ってうんざりしていたが、再び国道を戻る。コースノートを確認すると、確かにカタビナで再びダートに入る入り口がある。ゆっくり確認してコースへ。しばらく走って正しい出口に出た。そこは、BFG(4輪の有名チーム)のピットなどがあってにぎやかだった。ここで初めてミツビシのワークスマシン(増岡浩のマシンだ)をみた。車種はモンテロ。日本人らしいクルーも見える。 mag7で給油のみ行い、再びサポートカーの元へ走る。今度は西田が起きて待っていた。西田に

「大丈夫か?」とカタチだけ聞いてみる。ここか

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らは、プレランをしていた宮ちゃんにさんざん脅かされていた「五つ星」のセクションだ。 彼のこれまでのバハ経験の中で史上最高と言えるほど、非常にかったるくイヤな区間だそうだ。そこを西田に走ってもらえて、僕としてはちょっと嬉しかった。が、その後僕は、バヒアデロサンゼルスを巡る高速コースを350kmあまり、そして計算どおりだと3時間ほど休んだあと70kmのガレ場を含む450kmのコースを走ることになる。西田は「ここを走れば後はラクになるんですよね」と俺に確認したあと(まあね、と答えておいた)、ササっとコースへと入っていき、夜の闇の中へと消えていった。西田には無事に走ってほしいが、この後のことを考えると、この区間はゆっくり走ってほしい。だってたっぷり休めるからね、そのほうが(笑)。そう思いながらクルマに乗り、僕はすぐに爆睡体制に

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入った。

2日目

 27時間経過。2日目。 夜が明けた9時35分。西田が戻ってきた。カタビナを出たのが深夜1時25分だから、220kmの区間に8時間かかったことになる。アベ30km/hに満たないペースだ。 おかげで僕は夜から朝までたっぷり休むことができたのでありがたかったが……。西田はボロボロだ。戻ってきたバイクをみるとヘッドライトのワイド側が割れている。左側のクランクケースカバーの穴がもう1つ増えている。途中のBAJAPITで応急処置してもらったそうだ。クランクケースを点検していると、日本からハーレー(!)で参戦しに来

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荒野の夜が明ける。

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たチームのスタッフがやってきて、様子を訪ねてきた。彼らは自分たちのピットに戻り、しばらくして、デブコンのような充填剤をもってきてくれた。「いいんですか?」「OKOK! お互い様だから、使ってよ!」 本当にいい人たちだ。これだからBAJAは面白い。レースも中盤を過ぎると、こうした互助会的な雰囲気になってくる。みんな目的は1つ、ゴールにたどりつくことだ。そういう同じ目的をもって走っている限り、チームや乗り物は違っても、みんな仲間になる。だからといって、お互いにキズをなめあっているような気持ち悪い連帯感ではない。できることは手伝おう。そしてカボサンルーカスで会おう! これだからBAJA1000はやめられない。でも同時に、本当はそこから抜け出したい(つまり、そういう互助会的雰囲気とは無縁なミドルグループ以上で走りきりたい)気持ちもあるんだけど

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ね……。○

 「五つ星、ハンパじゃなかったすよー」。西田は、コースに入ってすぐに始まる長距離のガレ場、そしてそれに続くシルティな区間に相当苦労したようだ。「エンジンが吹けなくなって、エアクリーナーはずして叩いたり、超大変でした」。寝起きということもあって、軽く聞き流していたのだが、後で自分も同じような目に遭うことはこの時点では想像すらしてなかった。大変な区間を走ってくれてラッキー、くらいにしか思っていなかったのだ、そのころは。 「五つ星の場所では4輪がスタックしててもう大変です。ラインも選べないし。それが10マイルも続くんですよ。あー大変だった」と、ほとほと疲れているようだ。「でも、そこを抜けて休んでたら、

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4輪のオッサンがリンゴをくれて、大丈夫かって聞いてくれて....涙出ちゃいそうになっちゃいましたよ」。 後で宮ちゃんに聞いたら、シルトだけでなくガレ場も相当なもんだったらしい。夜は単純に暗いというだけで走行の難度は増すし、プレランしていないのでは先の展開も読めない。正直言ってバハの経験の浅い西田が苦労したことはおおいに想像できる。 でも明るい表情で帰ってきたので本当によかった。距離に対して時間がかかりすぎているので、これが昼間の出来事だったら全員相当心配していただろう。ところがちょうどお休みタイムだったので(つまり寝ていたので)、みんななにも心配しなかったわけだ。考えてみれば、オレも含めてみんな、脳天気と言えるかもしれない。

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 スミモっちゃんがヘッドライトをはずしている。エアクリーナーを交換し、チェーンを給油してとりあえずokだ。ヘッドライトを片方失ったのは気がかりだが、それはまた今夜考えればいいだろう。それよりも早く、次の350kmを明るいうちに走ってしまいたい。 そうこうしているうちに、ハーレーチームのライダーがやってきた。到着するなり地面に倒れ込みそうになる。ライダーはほうほうのていでイスに座ると「報告します! プライマリー、折れました! クラッチ効きません! ブレーキ、ききません!」とトラブルの箇所を報告する。すごい。バリバリ体育会系だ。しっかし、ブレーキなし、クラッチなしで走ってきたわけ? 信じられないマンパワー。すごいじゃん。 着替えて、なんだかんだ1時間半もバイクのセッ

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トアップなどにかかって11時にピットアウト。いつも毎回反省するんだけど、ピットにいる時間がとても長い。もっと急げばいいのに、こればっかは本当、毎回あとで嘆く原因になる。次回こそ、ピットタイムを短縮したいものだ(と、いっつも思ってるんだよなぁ)。 さておき、バヒア・デ・ロサンゼルスに向かって走り始めた。350km。高速区間なので、アベ70km/hは キープしたい。この区間を走るのはこれでもう4回目くらいだろうか。決してナメていけるコースではないが、気持ちは明るかった。 とは言っても、バヒア・デ・ロサンゼルスへと続く国道にぶつかるまでの100km弱は新ルートだ。もちろん僕にも経験はない。そう言えば、国道からダートに入るところにMag7のピットがあるはず。ガスはまだ十分にあるが、念のため入れておこう

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と寄ってみるが、Mag7のサインボードは出ているのに人がいない。探していると、1人のアメリカ人がやってきた。 「Mag7ならだれもいないよ。クルマも人も来ないんだ。どうなってんだかなあ。カンバンはあるんだけど。昨日の夜からいっぱいライダーがきて、みんな困っているんだ」と、ワイドオープンバハ(※16)のスタッフらしき人が言った。確かに、空のチャージャーがMag7のサインボードの下に転がっているがスタッフはいない。 「ガスなら入れてやるよ。そのかわり、ステッカー貼ってくれよ」ともう1人の男がガスをもってきて入れてくれた。なんてことだ。礼を言って走り出す。 赤土の路面の左右にサボテンが立ち並ぶワインディングが続く。ガレている、というほど荒れてはいないが、気の抜けないコースだ。スピードは

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乗るが全開には至らない、楽しいけど疲れるコースだ。ところが、勢いに乗りすぎて、案の定またコースアウトしてしまった。サボテンが、右足のブーツと、右のフォークブーツに突き刺さった。右足のほうは手で払うことができたがブーツの中でトゲが折れたらしくチクチクする。 フォークブーツに刺さったほうは1kmくらい走っても落ちず、刺さったままだったので、下手に落ちてリヤタイヤで踏むとパンクしたら……と思い、一度止まってウエストバッグからペンチを取り出し、引き抜いて捨てた。面倒くさいがしかたない。本当にバハのサボテンのトゲは強力だ。釘に使えるくらい太くて鋭くて硬い。 コーナーと岩にいい加減うんざりしてきたころ、スカっとハイウエイに出た。バヒアデロサンゼルスへと続く国道だ。とこどころ穴はあるものの、快適

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な舗装路を海へと向かう。本当はこういうなにも苦労しなくて稼げる区間でアベレージをあげたいが、しかし開けすぎてリヤタイヤのブロックを傷めるのも怖い。今回、僕らにはスペアタイヤはない。最後まで1組のミシュラン・バハで走らなければいけないのだ。根拠はないが、なんとなく120km/hくらいにおさえて走る。 道は海へと向かっている。道が大きく何回かカーブし、下り坂への入り口にきた瞬間、コルテス湾が見えた。バヒア・デ・ロサンゼルスだ。天使の湾、と呼ばれるこの街は本当にきれいな場所だ。エメラルドグリーンの海が眼下に大きく広がる。海に面して民家がぽつぽつと並ぶ。海の向こうには、対岸に浮かぶ小さな島々が見える。バハカリフォルニアならではの本当に美しい海だ。こういう海を見るたびに、レースでしかBAJAを訪れてい

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ないことが本当にもったいなく感じられてくる。 いつか本当にここをゆっくり旅してみたい。そう思うようになってから、はや10年が過ぎてしまった。 ここから先は全開コースだ。92年の時点ではそれなりに苦労するウオッシュなどもあった道は、95年にはほぼ完璧な全開コースになっていた。ゴンザガ・ベイまで全開のルートが続き、その先エル・アルコまでは狭いウオッシュあり、サンドありのワインディングになる。後半がややかったるいコースだ。 バヒア・デ・ロサンゼルスからしばらくは、砂利混じりの硬い路面のコースが続く。ハンドルに振動は来るものの、開けっ放しでいける。また、このあたりから左右に巨大なサボテンがみられるようになる。バハらしいコースだ。相当に距離はあるが、海に出るまでは何も考えずにアクセルを開け

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ていける。しかし、何も考えていなかったら案の定ウオッシュアウトに突っ込みそうになって急ブレーキをかけるはめになった。ハハハ。考えないとダメだね。 再び海に出る直前で、道は山を駆け上がるようにその高度を上げていく。スカイラインという表現がふさわしい気持ちのいい道だ。ところどころ大きなウオッシュアウトがあることをのぞけば、比較的ペースを上げやすい道だ。この先で道は右に曲がり、狭くかったるい道になる……はずなのだが、ところがこの先がすごかった。 幅広く、スムースなほぼ直線の全開ロード。路面は柔らかい砂。だからハンドルに来る振動もない。しかも道のほとんどが下り坂気味。速い速い! おーこれは早いぞ〜! スピードメータの針が面白いくらい簡単に右へとふれていく。周りの景色

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が凄い勢いで後ろに飛んでいく。 ここでなにか遭ったら飛ぶな、という緊張感とともに、しかし、トリップメーターの数字が明らかに早い勢いで回転している。これがBAJAだ! 西田にこの区間を走らせることができなくてかわいそうだ、とちょっと思いながらアクセルをさらに開けていった。

以下、次号へ続く