卒業論文 カンボジアにおけるストリートチルドレンの 早期家...

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卒業論文 カンボジアにおけるストリートチルドレンの 早期家庭復帰を目指して 国際学部国際学科 牧田 東一ゼミ 20627224 吉澤 亮介 1

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卒業論文

カンボジアにおけるストリートチルドレンの 早期家庭復帰を目指して

国際学部国際学科

牧田 東一ゼミ

20627224

吉澤 亮介

1

Page 2: 卒業論文 カンボジアにおけるストリートチルドレンの 早期家 …すべての国、特に発展途上国における子どもの生活環境の改善のための国際協力を重要視する

目次 序章・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 第 1 章 子どもの権利条約とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3

第 1 節 子どもの権利条約の概要・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・3 第 2 節 子どもの権利条約設立の背景・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・7 第 3 節 子どもの権利条約からみた世界の国々・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・9 第 2 章 子どもの権利条約からみたストリートチルドレン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・10 第 1 節 世界のストリートチルドレンの現状・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・11 第 2 節 カンボジアの概要と歴史・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・12 第 3 節 カンボジアにおけるストリートチルドレン・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・14 第 3 章 カンボジアにおけるストリートチルドレンに対する NGO の取り組み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16 第 1 節 NGO とは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16 第 2 節 カンボジアにおけるストリートチルドレンに対する NGO の取り組み~CCASVA の活動から~・17 第 4 章 カンボジアにおけるストリートチルドレンに対する政府や国際機関の取り組み・・・・・・・・・・・・・・20 第 1 節 カンボジア憲法における復興と開発の理念と目標…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・20

第 2 節 カンボジア政府の取り組む貧困対策・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・21

第 3 節 カンボジアにおけるソーシャルワーカー養成機関設置について…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・23

第 5 章 アメリカにおける児童虐待に対する取り組み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・25 第 1 節 アメリカにおける児童虐待と家庭外措置(フォスターケア)の現状・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26 第 2 節 アメリカにおける児童虐待防止プログラムの枠組み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・28 第 3 節 アメリカ カリフォルニア州における児童虐待防止の取り組み・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・29

第 4 節 カリフォルニア州 ロサンゼルス郡の NGO の取り組み~子ども国際協会の活動から~・・・・・・・30 終章・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・32 参考文献・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34 参考 HP・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・…・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・34

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序章

筆者は 2008 年の夏、牧田ゼミでのカンボジアスタディツアーに参加し、その中で、ストリートチルドレン

やスラムの子ども達の保護と調査をしている CCASVA という NGO 団体で 2 週間のボランティア活動をさ

せていただいた。始めの 1 週間は子ども達が保護されているセンターで子ども達と触れ合った。 後の 1週間はストリートやスラムへ行き、危険な状況にある子どもがいないか調査を行い、可能であれば子どもを

シェルターへと連れて行き保護をするスタッフの方の活動を見てきた。 センターでの子ども達はとても元気で一見普通の子ども達と何ら変わりないように見えるが、子ども達の

全員が何らかの問題を抱えていることが解った。この NGO 団体は子どものバックグラウンドを公表してく

れるところで、聞いたところ、その多くが子ども自身ではなく、親が無職、麻薬中毒者であるなど問題を抱

え、子どもに対する暴力や差別が頻繁に行われていたことがわかった。また、今回共に活動していたカン

ボジア人のボランティアが子どもに対して暴力を振るっていた場面と遭遇し、「親」というひとつの枠に収ま

らず、親や NGO 職員など全てを含めたカンボジア社会全体が子どもの権利や存在価値をどれだけ理解

し、行動に移せているのかという一つの疑問を感じた。 一人の子どもの将来を決定させる要因はもちろんその子ども自身の能力や才能、努力によるものもある

が、親・学校教員・NGO 職員・地域コミュニティ・政府などカンボジア社会全体が輪になり、お互いの役割

を果たすことによって始めて子どもの成長を保障することができるのではいかという考えがその疑問を生

み出したのである。 さらに、筆者は 2009 年の夏にも再び CCASVA を訪れた。これという調査をすると決めたわけではなく、

単純にもう一度 CCASVA のスタッフや子どもたちに会いたいと思ったことがきっかけの訪問であった。し

かし、1 年という時間の間を置いて CCASVA を 1 年前とは違った見つめ方をすることで、さらに、筆者の

疑問は生まれた。「子ども達はもっと早い段階で家庭復帰することが 善なのでは」という疑問である。な

ぜなら、2008 年にセンターで保護されていた子ども達は、ほぼ全員に近い人数がセンターに保護され続

け 2009 年の夏に再会をしたからだ。実際に、2008 年と 2009 年の間だけではなく、何年にもわたって

CCASVA に保護され続けている子どもが少なくないのが現状であった。当然子どもは親と共に生活を送

れることを願っているはずである。しかし、その願いを閉ざす壁はあまりに厚く、高い。 この論文では「国連子どもの権利条約」をベースに、ストリートチルドレンの権利侵害をあらわにした上

で、彼らに対して活動をしている CCASVA に焦点を当てていく。その中でいかに「ストリートチルドレンの

早期家庭復帰」が大切であり、どのようにそれを実施するべきかをこの論文を手にしている方に納得して

頂けるような論文にしていきたい。

第1章 子どもの権利条約とは

第1節:子どもの権利条約の概要 国連子どもの権利条約は、1989 年 11 月 20 日に第 44 回国連の総会において全会一致で採択された。

「法的な拘束力をもつ」という点で、1959 年の「児童の権利宣言」とは異なり、子どもに関する基本的で、

実行性のある普遍的な法規範となったのである。2009 年の 11 月で「子どもの権利条約」は採択 20 周年

目を向かえる。現在、世界 193 カ国がこの条約の締約国となっており、アメリカ合衆国とソマリアは「子ども

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の権利条約」に署名はしているが、締約国とはなっていない[長谷川 2005:1,12]。

「締約国」とは条約に「批准」、「加入」、もしくは「継承」している国のことで、条約の実行と進行状況の報

告義務が課せられる。ここで批准、加入、継承、署名について詳細を述べたい。批准とは条約を国会で

審議、承認し、国際的に宣言すること。加入とは署名の工程を省きそのまま条約を受け入れること。継承と

はチェコ、スロバキアや旧ソ連などのように、現在は数カ国に分かれているが、当時の国家の条約をその

まま受け継いでいること。署名とは条約の趣旨と内容に基本的に賛同することである。しかし、署名は条

約に法的に拘束されることはなく、実行の義務はない。日本は 1990年 9月 21日に 109番目で署名をし、

1994 年 4 月 22 日に 158 番目に批准し締約国となった。本論文の対象国であるカンボジアは 1992 年 10

月 15 日に加入し、締約国となっている[ユニセフ HP 2008、10、19]。

子どもの権利条約の構成は前文から始まり、第1部から第3部と分けられた全54条からなる条約の形式

となっている。前文を要約すると以下のようになる。

・ 人間の尊厳、人権の承認が世界の平和、自由、正義の基礎である。

・ すべての人の人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的な意見、国民的社会出身、財産、出生など

による差別を禁止する。

・ 家族を社会の も基本的な集団とし、子どもの成長や福祉のための自然的環境として、必要な保護、

援助が与えられるべきである。

・ 子どもは、人格の全面的で調和のとれた発達のために、家庭環境の下で、愛情、幸福、理解のある

環境のなかで成長すべきである。

・ 子どもは、出生前後に適当な保護、ケアを必要とすることに留意するべきである。

・ 子どもの発達のためにそれぞれの国民の伝統、文化的価値の重要性を正当化する。

・ すべての国、特に発展途上国における子どもの生活環境の改善のための国際協力を重要視する

[長谷川 2005:12]。

次いで、全 54 条からなる条約の内容を示したい。次の「表1 子どもの権利条約の概要」で概要を示す

ことにする。またそれぞれの格項目に関しては省略し、必要であればその都度紹介したい。

<表 1> 子どもの権利条約の概要

[第1部]

第 1 条 子どもの定義 第 2 条 差別の禁止 第 3 条 子どもの 善の利益

第 4 条 締約国の実施義務 第 5 条 子どもの権利の行使と親の指導の尊重

第 6 条 生命、生存および発達への権利

第 7 条 名前・国籍を知る権利、親を知り養育される権利

第 8 条 アイデンティティの確保 第 9 条 親からの分離禁止と分離のための手続き

第 10 条 家族再会のための出入国 第 11 条 国外不法移総送・不返還の防止

第 12 条 子どもの意見の尊重 第 13 条 表現・情報の自由

第 14 条 良心・宗教の自由 15 条 結社・集会の自由

第 16 条 プライバシー・通信・名誉の保護 第 17 条 適切な情報へのアクセス

第 18 条 親の第一次的養育責任と国の援助

第 19 条 親による虐待・放任・搾取からの保護

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第 20 条 家庭環境を奪われた子どもの保護 第 21 条 養子縁組

第 22 条 難民の子どもの保護・援助 第 23 条 障害児の権利

第 24 条 健康・医療への権利 第 25 条 医療施設等に設置された子どもの定期的審査

第 26 条 社会保障への権利 第 27 条 生活水準への権利 第 28 条 教育への権利

第 29 条 教育への目的 第 30 条 少数者・先住民の子どもの権利

第 31 条 休息・余暇、遊び、文化的・芸術的生活への参加

第 32 条 経済的搾取・有害労働からの保護 第 33 条 麻薬・向精神薬からの保護

第 34 条 性的搾取・虐待からの保護 第 35 条 誘拐・売春・取引の防止

第 36 条 他のあらゆる形態の搾取からの保護

第 37 死刑・拷問等の禁止、自由を奪われた子どもの適正な取り扱い

第 38 条 武力紛争における子どもの保護

第 39 条 犠牲になった子どもの心身の回復と社会復帰 第 40 条 少年司法

第 41 条 既存の権利の確保

[第 2 部]

第 42 条 情報広報義務 第 43 条 子どもの権利委員会の設置

第 44 条 締約国の広報義務 第 45 条 委員会の作業方法

[第 3 部]

第 46 条 署名 第 47 条 批准 第 48 条 加入 第 49 条 効力発生 第 50 条 改正 第 51 条 留保 第 52 条 廃棄 第 53 条 寄託 第 54 条 正文[鈴木 19907:1-72]

次に、表1を下に条約の各部についての構成を述べることとする。この条約の大半を占めているのが第

1 部であり、内容においても重要視されている。第 1 条から第 41 条にあてはまる。さらに、それぞれを「定

義・基本条項」(第 1 条から第 6 条)、「アイデンティティの権利」(第 7 条と第 8 条)、「親と一緒に暮らす権

利」(第 9 条から 11 条)、「市民的自由権」(第 12 条から 17 条)、「親の地位と親子関係」(第 18 条から 21

条)、「難民・障害児の権利」(第 22 条と第 23 条)、「社会権」(第 24 条から 31 条)、「特別な犠牲者・自由

を奪われた子ども」(第 32 条から 39 条)、「少年司法」(第 40 条と 41 条)と構成することができる[児玉

1995:127-151]。

さらに、子どもの権利条約の特徴を大きく 4 つの柱として見ることができる。第 1 が「生きる権利」で、子ど

もたちは健康に生まれ、安全な水や十分な栄養を得て、健やかに成長できる権利を持つことを意味して

いる。第 2 が「守られる権利」で、子どもたちは、あらゆる種類の差別や虐待、搾取から守られなければな

らない。また紛争下の子ども、障害を持つ子ども、少数民族の子どもなどは特別に守られる権利を持って

いる。第 3 が「育つ権利」で子どもたちは教育を受ける権利を持っている。また、休んだり遊んだりすること、

様々な情報を得、自分の信条が守られることも重要である。第 4 は「参加する権利」で子どもたちは、自分

に関係のある事柄について自由に意見し、グループを作り活動することができる。また活動の際には家族

や地域社会のルールを守る必要が前提となっている[ユニセフ HP2008,10,19]。

この大きな4つの柱に関して、それぞれ詳しく見ていくことにする。まず、「生きる権利」であるが、条約で

はすべての子どもの「生命への固有の権利」を承認している。また、締約国に子どもの「生存と発達」を可

能な限り 大限確保するよう義務づけている(第 6条)。ここで表されている「生命への固有の権利」とは単

純な「生命の剥奪」の禁止という意味だけでなく、より広範に理解され、子どもの生存を確保する経済的、

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社会的条件の創出をめざす国家の積極的措置を要求するものとされている。ユニセフや WHO の立場では、

「生きる権利」を確保するためには、栄養不良や病気に対する問題の解決、乳児死亡率の低下、基礎保

健や予防保健の充実することが重要であるとしている。したがって、保健・医療への権利(第 24 条)は「生

きる権利」と密接な結合関係にあると言える。また、社会保障への権利(第 26 条)や生活水準への権利

(第 27 条)なども、同系列の権利と言える[鈴木 1990:52-53]。

現状として、2009 年 9 月現在において、5 歳未満子どもの死亡率は減少傾向にある。1990 年では、出

生した子ども 1000人に対して 90人であった死亡数が、2008年の時点では、1000人に対して 65人となっ

ている。世界の 5 歳未満子どもの死亡率は、過去 20 年に渡り着実に減少している。1990 年から 2000 年

の間では、減少率が年間 1.4%であり、2000 年から 2008 年の間では、減少率が 2.3%と順調な前進を続

けている[UNICEF HP 2010,1,9]。

次に「守られる権利」だが、子どもは自らが親を選んで生まれることはできない。よって子どもの親または

それに準ずる法的保護者の属する地域社会や政府によって、「人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治

やその他の意見、国民的・民族的・社会的出身、財産、障害、出生、その他の地位によるどんな差別も受

けずにこの条約で保障する権利が確保されなければならない」(第 2 条)のである。この第 2 条では、「世

界人権宣言」や日本の憲法にもない「障害(disability」)」による差別否定がされていることで能力によ

る差別禁止に通じることができ注目される[大田 1990:31-32]。

特別な状況下にある子どもに対しては、特に「守られる権利」の保障が行われている。難民の子ども(第

22 条)、障害児(第 23 条)、少数民族・先住民の子ども(第 24 条)、経済的搾取・有害労働を強いられて

いる子ども(第 32 条)、麻薬被害に遭う子ども(第 33 条)性的搾取の被害児(第 34 条)、誘拐・売買・取引

に遭う子ども(第 35 条)、武力紛争下にいる子ども(第 38 条)と困難な状況下における子どものための権

利、保護、防止、救済の条約が多いことがわかる。また、単純に一般原則を示すだけでなく、現実の問題

解決を考慮にいれた具体的対応を規定しており、「条約」という性格が顕著に現れていると言える[鈴木

1990:55]。

子どもの「守られる権利」として、もうひとつ挙げられるものが親・家族に関する事柄である。親は子どもを

養育する第一次的責任を有することは当然であり(第 18 条)、子どもはできる限り「その親を知り親により

教育される権利」を有する(第 7 条 1 項)。そのことからも条約はまずアイデンティティの保全への権利(第

8条)や、親からの分離禁止(第 9条)、家族再会(第 10条)について規定している。しかし一方では、親に

よる虐待・放任からの保護(第 19条)分離を決定する場合の手続き(第 9条 2項)代替的養護(第 20条)、

養子縁組(第 21 条)と規定されている。そのことから親の権利についても規定があるが、子どもの 善の

利益(第 3 条)を考慮することにより、一定の制約を受けることがわかる[鈴木 1990:53-54]。

次に「育つ権利」であるが、教育を受ける権利が主な内容となる。1959 年の国連「子どもの権利宣言」

では、「子どもは教育を受ける権利を有する」とあり、条約での「教育への権利」とは含んでいる意味が異

なる。「教育を受ける権利」に対して「教育への権利」がより積極的であり、与えられたものを受け取るという

ことから、自らが選択して教育を獲得できる権利へと重点が移っていることが言える。第 29 条の 1 項では

「子どもの人格、才能、精神的・身体的な能力を、 大限可能なまで発達させること」と規定し、教育もまた

「子どもの 善の利益」を基本とする考えが生かされている[大田 1990:42-43]。

後に「参加する権利」であるが、条約は基本的に大人と同様に、司法的・行政的手続きにおける聴聞

の保障(第 12 条)、表現・情報の自由(第 13 条)、思想・良心・宗教の自由(第 14 条)、集会・結社の自由

(第 15 条)、プライバシーの保護(第 16 条)といった市民的権利を子どもにも認めている。これらの規定は

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「子どもの権利宣言」において顕著化しなかった理念であり、抽象的な権利主体としての子どもから権利

行使の実質的主体としての子どもへと、子ども観を一歩進めることができるのである[鈴木 1990:54]。

第2節 子どもの権利条約設立の背景

本節では、子どもの権利条約設立にいたる歴史的背景に焦点を当てたい。まずは大まかな歴史的な流

れを述べることにする。世界で始めて「子どもの権利」を掲げたのがフランスのジャン・ジャック・ルソーであ

る。1789 年 8 月 26 日、フランス革命において「人は、自由かつ権利において平等なものとして生まれ、か

つ生きる」と基本的人権の保障に向けた歴史的宣言が出された。また同時期にイギリスにおいて「工場

法」ができ、過酷な年少労働者の長時間労働が禁止された。1924 年、「国際社会」の中で初めて子どもの

権利に言及があった。国際連盟による「児童に権利に関するジュネーブ宣言」である。ジュネーブ宣言は

「人類は児童に対して 善のものを与える義務を負う」と書かれた 5か条からなる人権宣言である。それ以

前にも欧州各国において、1922 年、ドイツのワイマール憲法の下で「児童法」が規定され、イギリスでも同

年に「世界児童憲章」の宣言が注目され「ジュネーブ宣言」は実質それらを追認するかたちで採択された。

「ジュネーブ宣言」は第一次世界大戦で多くの子どもたちを犠牲にしてしまった反省から、すべての大人

が児童の心身の発達、適切な生活環境、保護・育成、将来の可能性に対して負うべき基本的な責任事項

である 5 が以下のように定められた[長谷川 2005:2-3]。

・ 児童は、身体的ならびに精神的の両面における正常な発達に必要な諸手段を与えられなければな

らない。

・ 飢えた児童は食べ物を与えられなければならない。病気の児童は看病されなければならない。発達

の遅れている児童は援助されなければならない。非行を犯した児童は更正させられなければならな

い。孤児および浮浪児は住居を与えられ、かつ、援助されなければならない。

・ 児童は、危難の際には、 初に救済を受ける者でなければならない。

・ 児童は、生計を立てる地位におかれ、かつ、あらゆる形態の搾取から保護されなければならない。

・ 児童は、その才能が人類同胞への奉仕のために捧げられるべきである、という自覚のもとで育成され

なければならない[長谷川 2005:4]。

「ジュネーブ宣言」を採択したときの国際連盟の事務局次長は日本人の新渡戸稲造であり、この宣言

には日本政府代表も署名していた。子どもを人類の存続をかけた将来の社会の担い手として捉え、国境

を越えて彼らの存在と発達の確保がなされなければならないという人々の思いが反映されていたのだ[長

谷川 2005:4-5]。

しかし「子どもの権利条約」と比較するならば、ジュネーブ宣言における子ども観は親や大人から保護

を受けるという概念であって、「参加する権利」など権利を行使する実質的主体であるとは言えることがで

きないことがわかる。

まもなく、第 2 次世界大戦が起こり、又しても世界中の子どもたちが戦争の犠牲となってしまった。戦後

になり、二度と同じ過ちを繰り返さないためにも、1948 年 1948 年新たに結成された国際連合の第 3 回総

会によって前文と 30 条からなる「世界人権宣言」が採択された。この宣言は、子どもだけでなく、すべての

人に保障される人権の国際的な基準を示しており、人権思想を喚起、発展させるものだった。もちろんこ

の宣言の中にも子どもの権利について規定されている箇所があり、母と子の「特別の保護と援助を受ける

権利」が示されていた[長谷川 2005:2,5]。

次いで、1959 年 11 月 20 日、国連総会において「児童権利宣言」が採択された。この宣言は、「世界人

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権宣言」や「ジュネーブ宣言」、また人権や政治的権利に関する国際規約、経済的社会的、文化的権利

に関する国際規約、児童福祉に関係のある専門機関の規定・関連文章などを背景として、児童の権利と

その実現を広く求めたものである。この宣言では、すべての児童における基本的人権が 10 条にわたり定

められている。前文には「人類は子どもに対して与えられるべき 善のものを与えなければならない義務

を負う」と示しており、各国それぞれの社会状況に応じて、どのように子どもの権利のために実践し、実現

されるのかを問うものであった。しかし、この「児童の権利宣言」がいったい何を意味するについて多くの

混乱があり、1979年の国際児童年でも「児童の権利宣言」がうたわれて20年目で、どれほど活かされてい

るのか、調査があったが、児童の権利の意味するところを広く公表し、かつ、知られた内容についてまとめ

ることはほとんどできなかった[長谷川 2005:5]。

このような「子どもの権利条約」以前の国際的な動きがあった中、国連で「条約」を採択するという提案を

公式にしたのがポーランド政府であった。ポーランドは 1959 年の児童権利宣言が討議された時、法的効

果がなく努力目標である「宣言」よりも、効力の強い「条約」にしようと支持を表明し、包括的な条約の草案

作りを始めた。しかし、当時は人権に関する効果的な文章が用意できずにいたことも含め、多くの国が条

約化にあたり、条約の適時性に対して非公式に疑問を示し、大方は無関心であった。また、もっともよく知

られたことはユニセフが無関心であったことである。しかし、現在では先頭に立ち子どもたちのために活動

していることがわかるように、草案作業の終了までにはユニセフも方向を修正した[長谷川 2005:6]。

ポーランドが「子どもの権利条約」を草案した背景には、ロシアを含む他国の長い支配から 1918 年に独

立したことや、ヤヌシュ・コルチャックの思想が広まったことが挙げられる。彼の思想が受け入れられた理

由は、彼が独立後のポーランドでの不安定な政治・経済や、過去の戦争と革命よって、街頭に投げ出さ

れた子どもたちを受け入れ、生死をともにした人物であったことをだれもが知っていたこと。また、彼は医

者や教育者であったが、作家でもあったことから、子どもたちと生活をししながら、子どもに対する関心を

述べた『子どもの権利の尊重』を執筆し、子どもの人権を世に訴えたことなどがある。彼の思想や行動が、

戦後のポーランドに受け継がれ、 大の子どもの犠牲を出したポーランドの歴史の声となり、「子どもの権

利条約」の草案へと繋がった[長谷川 2005:6-7]。

ここでポーランド及びコルチャックについて「子どもの権利条約」に対して大きな影響を与えたことから詳

しく述べていきたい。コルチャックは当時ロシア領であったポーランド、ワルシャワで 1878 年に生まれた

(1879年という説もある)。この時代ポーランドでは、日露戦争を始め、革命運動からの独立戦争や第一次

世界大戦、対戦の末期に起こったロシア 2 月革命、10 月革命、さらに 1918 年にはポーランドは独立を果

たすが、その後もソビエトとの戦争、第二次世界大戦とコルチャックは数々の戦渦に置かれていた[近藤

2005:18]。

当時のヨーロッパ全体でもそうであったが、ロシアでも、ユダヤ人をロシア社会に同化させるために、厳し

い搾取が行われていた[長谷川 2005:8]。

しかし、コルチャックの家庭は当時のユダヤ人の中では珍しく裕福な環境にあり、彼はワルシャワ大学

の医学部に入学した。彼は在学中に慈善協会の有力メンバーとして、非合法の学校、図書館などで活動

し、小児科医の医師になってからも、社会の底辺にある子どもたちに手を差し伸べてきた[近藤

2005:81]。

しかし、医師として貧しい子どもたちの病気を治すことができたとしても、それは一時的なもので根本の

解決にはならないと、医師としての無力感があり、疑いさえも持つようになった。そのため彼は、精神的、

知的健康が必要であると考え、衣食住だけでなく、子どもたちを癒す環境、人権を大切にされる施設の設

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立を考えるようになった[長谷川 2005:9]。

コルチャックは 1911 年に 33 歳でユダヤ人の子どものための孤児院、ドム・シェーロットを設立し、1919

年にはポーランド人孤児のためのナシュ・ドムを設立した。生涯を通じて 2 つの孤児院を運営していった。

コルチャックは孤児院での暮らしにおいて子どもたち自身による「子どもの議会」、「子どもの裁判」、「子ど

もの法典」といわれるものを特に重視した。現実に法典があり も重い罰である第 1000 条では、「該当す

るものは孤児院を出て行くように裁判官に申し渡される」となっている。1000 から位が 100 ずつ下がり 900

条、800 条と続き、罰の具合も軽くなっていく。第 600 条では、「該当するものの罪を、掲示板に知らされ

る。」 も罰が軽い 100 条では、「ただ、裁判官に叱られる」といった構造になっている。

このような孤児院での「きまり」には鞭打ちや、暗い部屋に閉じ込める、食事を与えない、遊ばせないな

どの罰は見当たらない。また、裁判が行われていた間、実際に大きな罰はほとんど使われなかったという。

これに対してコルチャックは「子どもたちは、一度も間違いを起こさないということがどんなに難しいよく知っ

ている。また、罰は罪そのものより大きな悪をもたらすことがある」と述べている。また、コルチャック自身も

子どもにイタズラをし、7歳の男の子に裁判にかけられ、子どもたちから第 100条を申し渡されたことがある。

多いときには半年に 5 回も裁判にかけられたという[近藤 2005:111-125]。

コルチャック自身が裁判にかけられたことからも、施設の子どもがただ守られる環境にあるだけでなく、

一人の人間として権利を与えられていることがわかる。また、裁判においても、子どもを裁くことを目的とし

ているのでなく、あくまで子どもの更正や努力をさせることを目的としていることがわかる。

1940 年に、ワルシャワ中心部近くで「ゲットー」の建設が始められた。約 4 平方キロの広さで、高さ 3 メー

トルの壁が建てられ、上部には、ガラスや有刺鉄線が張り巡らせてあった。約 50 万人のユダヤ人、その中

で 14 歳以下子どもは約 10 万人、がゲットーへ押し込まれ、コルチャックと施設の子どもたちも移動を強い

られた[近藤 2005:210-213]。

ゲットーの中では多くのユダヤ人が物資不足のため餓死したが、コルチャックの活躍により、彼の子ども

たちは一人も餓死せずに済んだ。また、ゲットーの中でも文化活動を行っていたので、ゲットーの人々を

癒していた。しかし、1942年の夏、ゲットーは解体されることになり、ワルシャワのユダヤ人はトレブリンカへ

の輸送が決まった。そこには「虐殺収容所」が建てられ、宿舎、ガス室、死体焼却炉、監視塔などがあった。

コルチャックの友人、支持者たちが「子どもたちは無理だがコルチャックだけでも釈放させる」という申し出

をしたが、彼は全て断った。彼は 後まで子どもを安心させるために「田舎にいくと」嘘をつきとおし、子ど

もたちと元気に歌い、微笑みながら列車へ向かったのである[長谷川 2005:10]。

第 2 次世界大戦後、ワルシャワで生き延びたユダヤ人の子どもたちが「ヤヌシュ・コルチャック協会」を主

催、1970 年にはポーランドが「国際コルチャック協会連合」を結成し「子どもの権利条約」の実現に尽くす

会議をしたのである[長谷川 2005:11]。

これらのことからコルチャックは「子どもの権利条約」に大きく貢献し、影響を及ぼしたといえる。

第 3 節 子どもの権利からみる世界の国々

この第 3 節ではこれまで述べてきた子どもの権利条約の内容や歴史的背景を踏まえ、世界の国々にお

ける子どもの権利について見ていくこととする。国連において子どもの権利条約を採択したことを機に、各

国で条約批准に向けて、国内における子どもの問題に関して議論が起こった。それは、締約国になった

後にも様々な問題を抱えているからである。

本節ではアメリカについて論じていくことにする。アメリカは現在も「子どもの権利条約」を未だに批准を

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していない。筆者はアメリカが子どもの権利条約の批准を推進するべきだと考える側に立った上で、アメリ

カの子どもの権利の争点の紹介をし、国内の事情、抱える問題を述べたい。

まず、アメリカにおける「子どもの権利条約」の受け止め方だが、「子どもの権利条約」に積極的に参加

をするものの、未だに条約の批准をしていない。この反批准または留保的批准の考え方は、子どもに関

する法制が条約と矛盾、抵触するものを含むことを示している。また、1974 年に国内で有力な子どもの権

利擁護団体である「子どもを守る基金」の掲げた課題は、学校における人種、障がいの有無による差別な

ど、教育を受ける権利の侵害であった。また、批准しない理由として推測的なものとして、条約が妊娠中

絶をはっきり規制していないこと、及び18歳未満の子どもへの死刑を禁止していることが挙げられる。レー

ガン、ブッシュ大統領は共に中絶反対論者であり、死刑廃止にも疑問を持っている。さらに人権の考え方

においても、「経済的、社会的および文化的権利」について「権利」とすべきでないと考えている。また、条

約の批准を検討する時間が不十分であることなどが 1994 年の段階でいわれていた[長谷川

2005:31-33]。

筆者は 1994 年当時であるならばまだ時間の不十分さを理由にすることは可能であるが、2008 年現在

においてもアメリカがこのような態度をとることに疑問を持っている。

アメリカの合衆国憲法は新しい時代に沿って修正条項を付加してきた。しかし、憲法には自由・平等の

原理を保障しているが、社会的生存権・教育権・福祉などの権利に関しては明示的な規定がない。「子ど

もの権利条約」では第24条~26条、28条などの子どもの福祉に関する規定が明示されている。危機にあ

る子どもにどのような法的仕組み、措置をとるのか、といったことでは、子どもに「権利」を拡大し、認めると

いう措置をとってこなかったのである[長谷川 2005:33-34]。

以下のような事例もある。

1989 年、米国において、離婚後、監護権をもった父親から虐待を受けた子どもの監護権を病院からの

通報で病院に移す命令を取り、一時そうしていたが、その後、保育プログラム・カウンセリングを受ける同

意を父親から得て、子どもは父親と同居していた。ケースワーカーが訪問の折に子どもに傷を発見したが

特別な措置を取らなかった。結局、父親の虐待で子どもは脳に大きな損傷を受け病院に運び込まれた。

父親は児童虐待罪で有罪となった。この事件で子どもと母親が監護義務違反を理由に自治体及びケー

スワーカーを損害賠償で訴えた。しかし、連邦控訴裁判所はこの訴えを棄却した。虐待に遭っている子ど

もであっても、公的な病院・施設の中で起きたものではなく、父親からの虐待であり、それを権利として公

的介入の不作為を義務違反として請求することはできないと判断した。さらに、アメリカ合衆国 高裁は、

一般的に政府からの援助を得る積極的な権利を認めていないとして、子どもの請求権を認めなかった

[長谷川 2005:34]。

アメリカが子どもの権利条約を批准していないことを筆者は否定的に捕らえている。しかし、第 4 章に詳

しくアメリカの法律とプログラムに関して触れるが、この事例の子どもの父親は保育プログラム・カウンセリ

ングを受けたため子どもを家庭復帰することができている。だが、父親へのケアが不足していたため安全

な家庭復帰ができないまま、 悪の結果となってしまった。このようなケースが子どもの家庭復帰を否定的

なものとして捕らえてしまうパターンのひとつであることは間違いない。その穴をふさぐためにもアメリカに

は子どもの権利条約が必要なのだ。

第2章 子どもの権利条約からみるストリートチルドレン

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本章ではストリートチルドレンの実態を「子どもの権利条約」の枠組みに当てはめてどのような権利侵害

がされているのか考えていきたい。さらに、カンボジアのストリートチルドレンに関しても詳しく論じるため、

カンボジアを知るうえでは欠かせないポル・ポト時代についても述べたいと思う。 第1節 世界のストリートチルドレンの現状

まず、定義について、筆者の考えを述べると、ストリートチルドレンの定義づけは非常に困難であり、ま

た定義することに重要性はないと考えている。なぜならストリートチルドレンは一人一人違った人間であり、

違った状況のもと、違った問題を抱えているからである。 工藤は主にアジアやアフリカ、ラテンアメリカなどの「第三世界」と呼ばれる国々にはもちろん、アメリカ

などの先進国にもストリートチルドレンは存在し、全世界で少なくとも三千万人、もしくは、一億人近くいる

という見解を持っている。さらに、工藤はストリートチルドレンを大きく二つに分けている。一つが「チルドレ

ン・オン・ザ・ストリート」と呼ばれ、働いているあいだなど、一定時間だけストリートにいる子ども達のことを

指す。もう一つは「チルドレン・オブ・ザ・ストリート」と呼ばれ、完全に家庭を離れてストリートに属した生活

をしている子ども達を指している[工藤 1998:2-3]。 工藤の考える「チルドレン・オン・ザ・ストリート」の定義からもわかるように、非常に曖昧な表現をしている。

多様なストリートチルドレンを包括するには良い定義であるが、「働いているあいだなど、一定時間だけスト

リートにいる子ども」ということだけでは対象者をストリートチルドレンと決定するには安易であると筆者は考

える。どのくらいの時間、どのくらいの労働をどういった経緯、心理状態でしているのかなど、はっきりとし

た線を引くことはするべきではないが、ある程度の基準を設けることによって、より状況が 悪に近いスト

リートチルドレンからアプローチをかけることができるからだ。その際に、「子どもの権利条約」の枠組みに

沿って考え、その上で、権利侵害の度合いを考えることは非常に重要であると考える。 初めに、ブラジルのストリートチルドレンを取り上げ、彼らの現状を元に子どもの権利条約の枠組みに当

てはめていきたい。 ブラジルにおけるストリートチルドレンの現状であるが、推定 2,500 万人の貧困状態の子どものうち、

700 万人から 800 万人は路上で生活している。孤児、捨て子、あるいは親とまったく接触がないという子ど

もは少数で、ほとんどの子どもは細いながら家族とのつながりを保っている。路上生活での「家」は、店舗

の出入り口、広場のベンチ、レストランの外の排気ダクト、駅の階段などである。ストリートチルドレンの頭を

いつも占めているのはサバイバル、つまり食べ物を確保することである。そのために物乞い、すり、万引き、

旅行者からの強奪などの犯罪や、駐車場の車の見張り、靴磨き、ごみあさりなどのわずかな収入につなが

る仕事をする。空腹をまぎらわせるために接着剤(シンナー)を吸うことが多い。シンナーによって一時だ

け夢心地となり、自分たちの境遇を忘れるのである[Dimenstein 1992:18-19]。

子どもたちが「路上で生活をしている状態」を子どもの権利条約の枠組みに当てはめるならば、第 27条

の「生活水準への権利」が侵害されていると考える。第一項では、締約国は、身体的、心理的、精神的、

道徳的および社会的発達のために十分な生活水準に対するすべての子どもの権利を認めると定めてい

る。しかし、ストリートチルドレンは「住居」という生活に欠かせない生活水準への権利が守られていない。

また、「食べ物へのアクセスが不十分」であることに対しては、第 6 条の「生命への権利、生存・発達の確

保」が侵害されている。第一項では、締約国は、すべての子どもが生命への固有の権利を有することを認

めるとあるが、特に栄養不良といった面で第 6 条が満たされていないのである。

ストリートチルドレンにとって、周囲の大人達はどのような存在であるのだろうか。大人達はストリートチル

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ドレンをプロの犯罪者に仕立て利用することがある。サルヴァドール市旧中心街では 8歳から 16歳までの

少年が群をつくり、女性や老人、旅行者を狙って、腕時計、カメラ、鞄などを盗む。窃盗品をある男にもっ

ていくと見返りとして寝床や麻薬、シンナーをもらうのである。また、警官も子どもたちを搾取している。警

官は盗みを働いた子どもたちを見逃す代わりに、金や窃盗品を要求するのである[長谷川 2005:45]。

ブラジルのストリートチルドレンと警官に関する事件で「カンデラリアの大虐殺」と呼ばれるものがある。

1993 年 7 月 23 日、リオデジャネイロの中心街にあるカンデラリア教会の正面で、擦り切れた毛布にくるま

り 50 人のストリートチルドレンが眠っていた。真夜中、車で乗りつけた 6 人の男性が、警告もなしに子ども

たちに向けて銃撃を始めた。子ども 3 人が即死、あとの 2 人が病院で息を引き取り、さらに 2 人は車に引

きずられて死亡した。死体は、海岸沿いにある現代美術館の庭に投げられた。後に逮捕されたのは、私

服警官 3 人と銃前屋11 人であった[長谷川 2005:44]。

ブラジルでは、1 日平均 4 人が殺害されるが、主な犯人は、警察官である。子どもが盗みを働く、また、

物乞いをするので店の売れ行きがよくないと考える商店主たちが警察官を殺し屋として雇っているのであ

る。リオやサンパウロの郊外では、子ども 1 人につき 10 ドルで殺人を請け負う者もいる[長谷川

2005:44-45]。

大人達の経済的利益に利用されていることに関して、ストリートチルドレンは条約第 32 条「経済的搾

取・有害労働からの保護」の権利を侵害されている。第一項では、締約国は、子どもが経済的搾取から保

護される権利、および、危険があり、その教育を妨げ、あるいはその健康または身体的、心理的、精神的、

道徳的もしくは社会的発達にとって有害となるおそれのあるいかなる労働に就くことからも保護される権利

を認めると定められている。子どもの「労働」という観点では、ずれている部分があるが、大人から経済的

利益のために搾取されていることは明らかである。さらに、麻薬やシンナーからの危険に関しては、第 33

条の「麻薬・向精神薬からの保護」の権利侵害が起きている。

警察官の行動に関しても、子どもの犯罪行為やシンナー等の使用を黙認していることは第 3 条の「子ど

もの 善の利益」の点で子どもに対して 善の利益を行使しているとはいえない。また、第 4 条の締約国

の実施義務、第 42 条の条約広報義務、第 43 条の子どもの権利委員会の設置など、国が具体的に条約

に対して取り組まなければならない項目がある。しかし、「カンデラリアの大虐殺」の事例を考えてもわかる

ように警察官という本来秩序を守るべき政府の人間が子どもを搾取している。法だけでは非人道的な行動

を制限することはできず、また、条約に批准しているだけではストリートチルドレンを救うことはできないの

である。

こうした子どもたちの問題が浮き彫りになってきているが、ストリートチルドレンは何も第三世界と呼ばれ

る国々だけにおける問題ではない。アメリカやイギリスのような西側先進諸国にも、ストリートチルドレンが

存在している。しかし、自国内での認識度は低いのである。アメリカでは、毎年 100万人から150万人の子

どもたちが、家出や、施設からの逃亡で、その多くが道端で暮らす家のない人々の間に入って暮らしてい

る。ニューヨークでは、少なく見ても1万人の子どもたちが路上で暮らしていると言われているにもかかわら

ず、街の人々は彼らのことを完全に無視して通り過ぎていくだけである。子どもたちは、暴力や犯罪、麻薬、

性的搾取にあう危険と常に隣り合わせにある[Allsebrook 1990:182-185]。

第 2 節 カンボジアの概要と歴史

この論文のテーマであるカンボジアについての基礎知識と歴史的背景を述べ、現在のストリートチルド

1 銃前屋とは、銃を密輸、改造を営みとしている業者のことである。

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レンへの問題とどういった関連があるのかを考えていきたい。

カンボジアの面積は、18 万平方キロメートルであり、日本の約 2 分の 1 弱、ベトナム・タイ・ラオスと隣国

関係にある。2008 年の 10 月現在での人口は約 1,340 万人である[外務省 HP 2008,12,27]。首都はプ

ノンペンで人口は約 100 万人。政体は立憲君主制で、元首はノロドム・シハモニ国王、首相はフン・セン

首相となっている。民族構成はクメール人が 90%、ベトナム人が 5%、華人が 1%、ほか 20 以上の少数民族

が 4%となっている。国民の 9 割が仏教を信仰している[藤原 2006:8]。

クメール・ルージュの前政権であるロン・ノル政権は腐敗と経済危機で自壊作用を起こしていたこともあ

り、国民に支持される形で、1975 年 4 月 17 日クメール・ルージュ政権(正式には民主カンプチア政権)が

成立した。しかし、政権成立からわずか 5日間の間にすべての市民がプノンペンから強制退去させられた。

このような乱暴な強制退去の命令の背景には都市住民を「米帝国主義と結びついた主たる敵」とみなして

いたこと、その住民を集団合作社の労働力として利用するというものであった[小倉 1993:17-19]。

寺院や学校は廃棄されていった。全国で 1968の寺院と 6000校のうち 5857の学校が放棄された。残さ

れた一部の学校では読み書きの教育をしているといっているが、政治教育だけであった。それはポル・ポ

ト政権の崩壊後、子どもたちがクメール文字をほとんど知らないという事実が判明したことからも判るだろう。

政治教育では、子どもたちは親から引き離され、「おとなたちは社会の害毒を流す存在」「ほんとうの親は

オンカー 2 である」という点が強調され、親たちが話している内容を密告することが奨励された[小倉

1993:25-26]。

集団合作社の生活状況は各地域でばらつきはあったが、1976 年から食糧不足が深刻化した。合作社

の住民は全員が名前を失い、番号化された。番号をもつものだけが一日二回の給食を受けられる。米の

貯蔵、炊事作業に近づくことができない住民たちは生活に耐えられず逃走することもできないのだ。空腹

に耐えかねた子どもがバナナを取って食べたところをポル・ポト派の旧住民に見つかり、その場で殺され

たというような話がいたるところで起きた。栄養失調のため、大勢の人々が餓死した。発育段階であった子

どもたちの成長が止まってしまったことは言うまでもない[小倉 1993:28-31]。

ポル・ポト時代は多くの人間が虐殺され、または死亡していった。しかし、単純に「ポル・ポトの狂気の虐

殺」であったという考え方はできない。ポル・ポト時代の「虐殺」については二つのカテゴリーがある。第 1

に、集団合作社システムを強制収容所とし、無謀な生産増強運動により国民を死に追い込んだこと。第 2

に、政権樹立の後、過激な政策を実施したことに反対する、もしくは反対するであろうと思われる知識人を

はじめ、党・軍事・行政幹部を徹底的に探し出して処刑したことである。集団合作社システムはもともと農

業生産をあげ、国家の自立を目指すということが目的だった。目標に対して、あまりにもその達成方法に

ついての誤りが大きかったのだ。反対派や国民を分類し、「敵対人物」をリストアップして処刑したことも、

階級のない社会現実をかかげていたマニュフェストとは大きくずれてしまっていた[小倉 1993:32-34]。

カンボジアで も衝撃な変化をもたらした期間は、このポル・ポト政権時代の 3 年 8 ヶ月であろう。クメー

ル・ルージュの指導者は「革命組織」を自称して人々を支配した。従来の生活習慣、社会制度、行政組織、

経済活動、都市生活、学校教育、宗教活動を一切否定した。多くの知識人たちや僧侶は虐殺され、一般

の人々は過酷な労働条件の下で酷使され、多くの者が病気や栄養不良で死亡した。この期間、100 万人

におよぶ死者と 30 万人以上の難民が生じた[高橋 1996:172]。

2 オンカーとは「組織」という意味のカンボジア語である。組織という言葉が転じて、ポルポト時代には唯一合法的であった組織が共産党

(クメールルージュ)であったので、 高のオンカーはポル・ポトを指す。また、軍区、省、村、集落のそれぞれのレベルにもオンカーは存在

する。

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次節からカンボジアのストリートチルドレンの問題に焦点をあてて論じていくが、現代における路上生活

を強いられる子どもたちにおいて、このポル・ポト時代がいかに深く関係しているかを考察していきたい。

まず、家族観の崩壊、教育の廃止などが挙げられるが、経済が危機的状態に置かれたことも関係してい

ると筆者は考えている。

小倉によると、ポル・ポト政権崩壊後、国民和解を進める重要なカギは、国民生活の向上であったと述

べている。1989 年に全国の農村が一挙に家族経営となり、1990 年には国営企業が私営化され、市場経

済の導入がされた。表面的には経済が活発化されたようであるが、実際には超インフレーションが襲い、

政府職員への給料支払いが滞る事態になった。また、カンボジア国民が抱える精神的な傷も見過ごすわ

けにはいかない。政権崩壊後、集団合作社にしばりつけられていた掟がなくなり、自由になった住民が逃

げ遅れたポル・ポト時代の責任者をリンチにかける事件がいたるところで発生した。カンボジアは、殺した

側と殺された側がいまだに現実に同居している世界だからである。また、大勢の国民が処刑されたが、処

刑の実行行為者は 15、16 歳の少年兵たちであった。政権崩壊後の彼らに共通するのは、「まったく労働

意欲がなく、落ち着きがなく、あきっぽい性格」となり、何かを指示すると、「いきなり泣き出す」という不安

定な精神状態におちいってしまっていることだった。重い精神的負担をもち、彼らもまた犠牲者であった

[小倉 1993:58-59]。

国民和解は容易なことではなく、政治、経済だけでなく、社会、文化、習慣、風俗、あらゆる面でひずみ

が残ったままである[小倉 1993:60]。筆者もカンボジアにおいて、ストリートチルドレンが発生する 大の

要因は「貧困」によるものであると考えているが、単純に「貧困」だけの問題ではなく、ポル・ポト時代に起

きた、あらゆる問題と現代の都市化などの問題が複雑に絡み合っており、他国でみるストリートチルドレン

よりも根絶が難しいと考える。

第 3 節 カンボジアにおけるストリートチルドレン

カンボジアでは、ストリートチルドレンを 3 種類に分類することができる。そのうちの 2 つは工藤の考えと

同様に「チルドレン・オン・ザ・ストリート」と「チルドレン・オブ・ザ・ストリート」のタイプである。それに加え、

第 3 のタイプは、「家族と共に路上で生活している子どもたち」であり、地方の農村から家族そろって首都

のプノンペンに出てくる場合にこうした状況に陥ることがある。2000 年 6 月時点でのプノンペンには、「チ

ルドレン・オン・ザ・ストリート」は約 1 万人から 2 万人いると言われている。また、「チルドレン・オブ・ザ・スト

リート」は 1075 人、第 3 のタイプが 500 人から 1000 人いると言われている。彼らは絶えず動き回っている

のでどの数字も極めて流動的である[藤原 2006:181]。

農村での生活は苦しいため、人々はチャンスを求め、プノンペンに押し寄せる。しかし、それに伴い首

都の人口は飽和状態になり、同時にストリートチルドレンの数も年々増加している。一方プノンペン市は美

化政策の名の下に、市の中心部にあるスラム地域の住民を退去させ、20~30 キロ離れたところに再定住

させている。政府として、首都をできるだけ綺麗にすることで、カンボジアが発展していると内外に知らしめ

たいという考えがあるのだ。再定住者の問題のひとつとして、仕事がないことが挙げられる。仕事をするに

は結局プノンペンに行くしかなく、不便さが増す。また子どもたちの多くもプノンペンで仕事をしており、毎

晩家に帰るには遠いため、場合によっては、プノンペンで宿泊所を借りるか、路上で寝泊りをする者が多

くストリートチルドレンになってしまう[藤原 2006:182]。第 2章の第 1節でアメリカのストリートチルドレンは、

国の「格差問題」が原因のひとつであると述べたが、現在のカンボジアにおいても「格差」が広がっている。

特に都市部と農村部の格差は著しく、人口の 9 割が地方に居住しているので、ほぼほとんどの富を一部

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の人間が握っていることになる。

また、筆者もカンボジアを訪れた時に、プノンペンから少し離れた場所に位置する 低居住区へと足を

運んだが、やはり、彼らは政府により住んでいる場所を退去させられていたことが判った。また、今住んで

いる場所の周辺にも住宅開発の手が進み、いつまた突然に退去命令が下るかわからない状況下であっ

た。

ここで、ひとりの少年の事例を紹介したい。彼はバッタンバンに住んでいたが、母が病気で亡くなり、父

はやがて再婚した。その後、父と新しい母から暴力を受けるようになり、耐えられなくなったその子は家出

を決意した。それは父の再婚から 3 ヶ月後のことであった。電車の屋根の上に乗って、バッタンバンからプ

ノンペンまでやって来た。しばらくは物乞いをして 1 日 1000 リエル(約 25 円)で生活していたが、やがて

NGO に保護されるようになった。ストリートチルドレンの多くは家族からの尋常でない暴力行為を経験して

いるという。例えば、ロープで体を縛り上げられバイクで引きずられ、天井の扇風機にロープで吊り下げら

れたまま扇風機を回されたなどである[藤原 2006:185-186]。

このような家庭内の暴力に対して子どもの権利条約でいうならば、第 18 条の「親の第一次的養育責任

と国の保護」という「守られる権利」が満足に満たされていないことがいえる。第一項では、締約国は、親双

方が子どもの養育および発達に対する共通の責任を有するという原則の承認を確保するために 善の

努力を払う。親または場合によって法定保護者は、子どもの養育および発達に対する第一次的責任を有

する。子どもの 善の利益が、親または法定保護者の基本的関心となると明記されている。

もちろん、第 19条の親による虐待・放任・搾取からの保護の権利も満たされていないが、第 18条にある

ように、まず、親が子どもに対する養育の責任を持ち、次に国が援助やサービスの措置を行うべきだという

考え方は必要不可欠だと筆者は考える。子どもにとって一番近くにいる存在が親であり、その養育の責任

は当然親にある。第 19 条では子どもが親などによって虐待、搾取されているような場合に、国が直接子ど

もを保護しようとする規定であり、カンボジアにとって政府がうまく機能していないことは重要な問題である

が、まずはしっかり親が親としての責任を持つことが、条約の述べる「守られる権利」としての意味を成す

のであると考える。

エイズの問題も、ストリートチルドレンを増加させている一因となっている。父親が売春宿などでエイズに

感染してしまうと、家ではありったけのお金を出して治療を試みるが、やがて父親は死亡、父親からの感

染や、無理がたたるなどして母親が病気になってしまうと、今度は子どもが治療費を稼ぐために売春をす

るようになる。しかし、子どももエイズに感染する可能性が高い。また、母子感染により生まれた時からエイ

ズにかかってしまっている子どももいる。このようなエイズ孤児は 2004 年には 14 万人の子どもがなると言

われていた。エイズ孤児のうち半数は HIV 陽性だと考えられていて、孤児院の数が追いついていない状

況である[藤原 2006:182-183]。

エイズに関して、両親のいずれかがエイズに感染し亡くなった後、生活が苦しくなり働かなくてはいけな

いという子どもに対しては、家庭内暴力で述べたことと同じように条約第 18 条の権利侵害であると考える

ことができる。親がエイズに感染して、亡くなるという事態は、子どもの成長に対しての責任を十分に負っ

ているとは考えられないからである。また、子ども自身が何らかの形でエイズに感染してしまった場合には

第 24 条の「健康・医療への権利」が も当てはまる。第 24 条の第一項には到達可能な 高水準の健康

の享受の権利を与えている。エイズ予防に関しては第二項の中に明記されている予防保健、親に対する

指導、家族計画に関するサービスの発展が当てはまると考える。現在のカンボジアは教育の普及や病院

の数などからいっても、この第 24 条を満たしているとはいえないのである。

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第 3 章 カンボジアにおけるストリートチルドレンに対する NGO の取り組み

第1章、第2章では、ストリートチルドレンがどのような現状を抱え、どのような権利侵害がなされてきたの

を述べてきた。第3章では、カンボジアにおいてストリートチルドレンに対して実際に活動を行っている

ローカル NGO の CCASVA(Cambodian Children Against Starvation & Violence)をピックアップし

たい。しかし、その前に NGO とはそもそも何であるのか。存在意義は何であるのか。という所から話を始

めることによって、CCASVA に対して、子どもの権利条約も含めた上でさらに客観的な目を持ちつつ論じ

ることが可能であると考える。よって本章では、始めに NGO の大まかな誕生の歴史やその役割について

述べることにする。 第 1 節 NGO とは 非政府組織(NGO-Non-governmental organization)という用語が 初に使われたのは、国連憲章第 71条の中である。国連の構成メンバーは加盟各国家政府であるが、国連が発足当時からすでに、政府間だ

けでは山積する世界の諸問題を解決することはできないとの認識に立ち、政府以外の組織で国境を越え

て活動している団体に国連の経済社会理事会(ECOSOC)との協議資格を付与し、それらを「NGO」と表

現した。今日では、経済社会理事会との協議資格がなくても、またその他の国連諸機関と協力関係がなく

ても、開発、人権、ジェンダー、環境、平和、などの諸問題を「非政府」の立場から解決しようと取り組む団

体・組織のことを「NGO」と総称している[若井 2004:25]。 1990 年代に入ってから「グローバル化」が急速に進行したことに伴い、世界規模で貧富の格差が広が

りを見せた。グローバル化の 大の問題点は、一握りの金持ちや強者が経済的・政治的支配を拡大させ

ているところである。まさにそのような状況のもとでNGOの重要性が増大した。その誕生のすがたは、第2次世界大戦後の 1942 年、現在世界 大級の NGO であるイギリスの「OXFAM」に見ることができる。上

からの「グローバル化」に対する、下からの、すなわち民衆側からの様々な動き、それは対人地雷撲滅

キャンペーンなどに見られる、「公正と社会正義のグローバル化」であると言えよう。NGO は”非政府”組織

と呼ばれているが、非政府だからといって私企業や教育機関、経団連などの経営団体、あるいはすべて

の法人組織を含めて NGO と呼ぶことはできない。しかし、NGO と称する際の世界的な統一概念が存在

するかと言えばそうでもない。NGO と同義語ないし、内容的に近しいものとしては、「市民団体」、「民衆組

織」、「地域組織」などがあり、これらも広義の NGO として位置づけられることが多い。すなわち、NGO の

定義を挙げるとするならば、NGO とは「公正と社会正義」を実現しようとする人々による人々のための「運

動体」である、と理念的なものなる[若井 2001:33-35]。 ワールド・ウオッチ研究所によると、1909 年の時点で、数カ国以上に事務所を持ち活動している「国際

NGO」の数は 176 で、その代表的なものとしては赤十字、YMCA などがあげられ主にチャリティーを中心

とした活動を行っていた。約 90 年後の 1996 年には数を 2 万以上に伸ばし、活動内容も現在に見られる

ような開発、保険、人権、環境、平和、ジェンダーなど多様な領域に及んでいる。国内で活動する NGOの数は国際 NGO よりさらに急速に増加している。日本でも数多くの NGO が 1980 年代に誕生している。

その中にはベトナム戦争とカンボジア内戦によって生み出された何十万人もの難民の救援をきっかけとし

て形成された NGO も多い[若井 2001:36]。 また、NGO は常にその「存在意義」を意識しなければならない。NGO であっても、社会の底辺に押しや

られている人々を無視し、自分たちの都合を中心としている NGO の数が少ないとは言えないのだ。(もち

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ろんこれは、政府機関、ODA、研究機関にも共通して言えることである。)NGO に携わる人々は、NGOが政府(なかでも ODA)や国際機関の「下請け」組織と化さないように、常にチェックをする必要がある。

人々の側に立って NGO が発言・行動することは、政府(ODA)や国際機関との連携をともなうと同時に、

双方の間に緊張をも生み出す可能性があるということである[若井 2001:36-38]。 そのような特徴からも、NGO はオルタナティブ性のある団体でなければならないことがわかる。オルタナ

ティブ(Alternative)という言葉にははっきりとした正確な意味はないが、「もうひとつの」、「主流派ではな

い」などの意味が当てはまる。オルタナティブな考えの元に行うオルタナティブな開発は、独占的な富の

蓄積システムへの主たる対抗勢力となりうるのだ。しかし、それは現在する地球規模での富の蓄積システ

ムが地球規模での独占を行っているという事実から逃避するということではない。たとえ現行の世界システ

ムがどんなにダイナミックなものであっても、世界の半分以上の人口にとってほとんど役に立たないような

経済システムは根本的に変革されなければならない。広く言えば、オルタナティブな開発の目的は、これ

まで世界の半分を閉め出してきたこのシステムをより人間らしいものに変革することであり、これまで排除さ

れてきた人々の権利を求め、達成することである[Friedmann 1995:48-49]。 子どもの権利条約などの人権条約を主導するのも NGO の大きな役割の一つである。条約の批准や加

入は、国家の役割であり、責任だが、その文章にどのような価値を盛り込むかという点については、非政

府の立場から NGO が果たすべきところである。政府間で行われる条約の準備会合に NGO 代表らが出

席し、それぞれの立場からの懸念事項を詳細なデータに基づいて述べ、問題を解決するための具体的

な方策提案を行う。その上で、各国政府の代表らと協議の場を持ち、また各 NGO の意見もまとめ、草案

作成に関与する。そのようにして出来上った国際条約や国際文章は、政府の利害に左右されずに、人権

という普遍的な価値を表すものとしての性格を強く持つことができるのだ[寺中 2004:97]。 筆者が 2008 年、2009 年とボランティアをする機会を頂いた CCASVA は、寺中が発言しているような国

連議会において発言ができるような大きな NGO ではない。しかし、ローカルで活動しているため、人々の

ための側に立つ公正と社会正義の団体という性格には近い位置にある団体であると言える。 第 2 節 カンボジアにおけるストリートチルドレンに対する NGO の取り組み ~CCASVA の活動から~ では、具体的にストリートチルドレンの侵害されている権利に対して NGO 団体は子ども達に対してどの

ような権利の保障を行っているのか、また逆に NGO 団体が介入することによって子どもの権利が侵害さ

れてしまうこと、または保障できない権利はないのか、カンボジアのローカル NGO である CCASVA を取り

上げ考察していきたい。まず、初めに CCASVA の簡単な概要の説明から述べていきたい。CCASVA は

1996 年に設立された、非宗教かつ非営利な非政府組織である。特にストリートで働いている子ども、孤児、

人身売買や性的搾取などの被害を高い可能性で受けるかもしれない子ども達に特化して活動している。

「すべてのカンボジアの子ども達、特にストリートで働く子ども達が質の良い教育を受け、生活水準の向上

が図れるように」というビジョンを掲げている。また、活動に関するステートメントとして下記のものが示され

ている。 (1)カンボジア内において子ども達の伝染病、HIV/AIDS、犯罪、薬物、暴力、経済的搾取を減らすため

の予防と保護を行う。 (2)子どもが医療サービス、カウンセリング、教育サービス、職業訓練、居住権の改善を行う。

また、CCASVAが行うプログラムを2つに大きく分けてそれぞれ下記に示したい[CCASVA 2007:3]。 ・ストリート・ベース・プログラム: CCASVA のストリート・ベース・プログラムは、プノンペンの路上やスラム街に

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住む子どもたちを対象としているが、この子どもたちは毎晩帰る家(あるいはなんらかの避難場所)があり、

「リスクが高い」とはみなされず、1 日 24 時間週 7 日でのセーフハウスでのケアは必要としない子どもたち

の中から CCASVA のソーシャル・ワーカーたちが毎日対象となる子どもたちをモニターする。その際は、指

定した場所で会い、その場でカウンセリングを行う。子どもたちが危険に晒されている、あるいは不当な扱

いを受けるようなリスクに晒されていると判断した場合は当局に警告を出す。

また、ストリート・ベース・プログラムでは応急処置、健康管理、教育、読み書きのクラス、移動図書館、

素行教育、法律的支援、学校へ戻る時の紹介、職業訓練、小規模ビジネスを立ち上げるための支援、家

族・コミュニティの中への再復帰などを行う。トウル・タンポン、オリンピック、ドエウムコ、ラッキー・マーケット、

ワット・サンプーミース、サンプーミース・パゴダの 6 箇所にいるストリートチルドレンたちを中心にフォロー・

アップとカウンセリングを行う。

ストリートチルドレンの中で、コミュニティのリーダーや CCASVAのスタッフによって「リスクが高い」と査定さ

れた子どもたち、つまり現在の状況下で暮らすのは危険すぎると判断された場合は、コミュニティのリー

ダーもしくは、その子どもの親の許可があれば、CCASVA が保有しているセンターに送られ、そこで一日 24

時間週7日体制のケアを行う。医療検査を受け、ワクチンを投与され、カウンセリングを受け、他の子ども

たちと出会い、センターでの教育や職業プログラムに参加する[CCASVA HP 2009,10,31]。

・センター・ベース・プログラム: CCASVA は 24 時間体制で 50 人の子どもをケアできるセーフハウス(セン

ター)を運営している。 センターにやってくる子どもたちは、リスクが高いと判断された子どもたちであり、そのほとんどが、何ら

かの形で虐待を経験した子どもたちである。肉体的な虐待、性的な虐待を受けたり、物乞いを強制された

り、危険な場所での仕事を強制されたり、教育を取り上げられたり、栄養失調でひどい病気にかかってい

る子どももいる。人身売買の対象であった子ども、カラオケ・バーや売春宿から救われてきた子どももい

る。

センターは安全な家であり、避難所であり、子どもたちが自分の持っている精神的、身体的な力を取り

戻すことができる場所である。世話をしてもらうことができ、愛情を注がれ、しつけも受ける。[CCASVA HP

2009,10,31]

具体的にセンターでどのようなプログラムの下、子どもたちが過ごしているのかを下記にまとめた。

*スタッフによる健康診断と、病院へのアクセス *子どもへの身体的、および精神的なカウンセリング *12 歳までに学ぶべき学習事項と英語の授業 *バイク修理、美容師、農業などの職業訓練 *カンボジアの伝統的な音楽、ダンス、アートなどの文化の教育 *バイク操縦の向上、チームスポーツやゲーム *人生における目標の計画

以上が、CCASAVA が掲げている基本的な行動指針とそのプログラムである。CCASVA は子どもにど

のような権利を保障するのであろうか。 まず、「ストリート・ベース・プログラム」ではどのような権利を守ることができるだろうか。ストリート・ベー

ス・プログラムは子どもに対しては、重度に権利を侵害されている子どもの「発見」とセンターで暮らすこと

の「奨励」を行うにすぎない。よってこの段階では子どもに対してなんらかの権利の保障を満たすという段

階には至らないことがわかる。しかし、家族と共に暮らしている子どもと接触する場合、親に対する様々な

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啓発活動を行うことから、条約第 18 条である「親の第一次的養育責任と国の援助」を満たそうとしているこ

とが伺える。 また、特に既存の暮らしでは子どもにとって何らかの危険があり、リスクが高いと判断された場合、セン

ターへ子どもを送り、保護することができるが、その時には子どもの権利条約第 9 条の「親からの分離禁止

と分離のための手段」という部分には気をつける必要がある。この第 9 条は、子どもが親の意見に反して

親から分離されないことを確保するものだが、このような分離が子どもの 善の利益のために必要である

と決定する場合はこの限りではない。しかし、権限のある機関が司法審査に服することを条件として、適応

可能な法律および手続きをとる必要があるとされている。筆者は 2008 年に CCASVA を訪れ、このスト

リート・ベース・プログラムを実際に行っているスタッフと共にいくつかのスラムを巡回する機会があった。

筆者が CCASVA にいる間、2 名の子どもたちが、カウンセリングを経てセンターへと移る様子を実際に見

ることができたのでその1人を紹介したい。 スレイモン(仮名)は 15 歳の女の子で、ボリギュラースラムという場所で生活をしていた。筆者が初めて

彼女と出会ったのはそのボリギュラースラム付近の寺院で、彼女の他に 17 歳の女の子、16 歳の男の子と

3 人でスタッフの方と話しをしているところであった。スレイモンは母が亡くなり、父親からは暴力を受けて

いるとスタッフから彼女の簡単なバックグラウンドを聞いた。子どもたち 3 人はそれぞれセンターで生活を

送ることを希望していたが 30 分ほど話をしているうちに、子どもたち 3 人の中からスレイモンだけセンター

で保護をしたほうがいいとスタッフは判断をし、彼女と共にコミュニティリーダーからの許可を書面でもらう

ためリーダーの家を訪れた。その手続きにその日と翌日の 2 日間かけてスレイモンはようやくセンターで

保護されることになった。センターに移ったばかりのスレイモンは誰とも打ちとけることができない様子で、

顔見知りであった筆者とコミュニケーションをとる他なかったが、数日経つとセンターとの子ども達とも打ち

解け、共に勉強や遊びをしている様子が伺えた。 「センター・ベース・プログラム」では子どもたちにどのような権利保障がなされているのか。センターでは

その名の通り、何らかの権利侵害が起こり、傷ついている子どもたちを保護している施設であることから第

19条「親による虐待・放任・搾取からの保護」、第 20条「家庭環境を奪われた子どもの保護」、第 24条「健

康・医療への権利」、第 27 条 生活水準への権利、第 28 条「教育への権利」(一部)、第 31 条「休息・余

暇、遊び、文化的・芸術的生活への参加」、第 32 条「経済的搾取・有害労働からの保護」、第 33 条「麻

薬・向精神薬からの保護」、第 34 条「性的搾取・虐待からの保護」など多くが挙げられることができる。当

然子ども一人ひとりが抱えている問題やバックグラウンドは異なる。よって子どもによって、カウンセリング

を行い、それに相応しい対応をするスタッフによって、また、そのスタッフの集合体である団体によって、

一口に子どもに権利が保証できるといっても、その「質」には差が生じてくる。

例えば、2008 年に CCASVA センターでボランティアをしている 中、カンボジア人のボランティアがイタ

ズラをする子どもに対して手を上げ叱っている所を何度か目撃したこと。しつけが十分に行き渡ってない

のか子ども同士のイザコザも多いこと。何人かの子ども達は同じ服を何日も着続けていることなど、とても

細かいことになるが、筆者の視点から見ると子ども達の生活環境に改善すべき点がいくつか挙げられた。

このような細かい点に関してスタッフを含めたミーティングの際に意見交換を交わす機会があったが、その

ほとんどが国の違いや文化の違いによって正当化されてしまった。確かに筆者の視点というのは日本人

的感覚で物を言っているのに過ぎないかもしれない。また、子どもの権利条約にはひとつの行動に対して

明確な基準や行動指針が設けられているわけではない。一見共通の考え方が持てそうな子どもの権利条

約であるが、その解釈の度合いによって同じ出来事であっても違った捕らえ方ができてしまうという難しい

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一面も持っているのである。

第 4 章 カンボジアにおけるストリートチルドレンに対する政府や国際機関の取り組み

第 3 章までを通じて、カンボジアにおけるストリートチルドレンがどのような権利侵害をされ、NGO 団体が

どのように権利保障をしているかがわかった。しかし、まだまだ不足している部分が多いと思われる。だが、

忘れてはいけないのは、カンボジア政府がこの問題に対してしっかりと向き合い、行動をしているかという

ことである。この問題は NGO だけでなく、カンボジア政府とも協力を得て始めて解決への道を辿るものだと

筆者は考えているからである。

第 1 節 カンボジア憲法における復興と開発の理念と目標

カンボジアの憲法(1993 年)では、編成上「主権」(第 1 章)、「国王」(第 2 章)に続く第 3 章に「クメール

市民の権利および義務」をおき、それらの総則的規定である第 31 条は「世界人権宣言、ならびに人権、

女性の権利、子どもの権利に関する条約および協定が定める人権」の承認と保障を規定し、個人をその

享有主体とする広範な人権カタログを提示し、身体的自由、精神的自由及び経済的権利を認めている

[四木 2001:124]。

これらの国際人権文章に規定された権利郡には、第 1 に、それ自体として貧困や差別など開発によっ

てもたらされる劣悪な環境からの解放をめざすものが多く含まれていることに加え、第2に、児童の搾取的

労働の禁止や女性の地位向上などこれらの権利の尊重が開発のあり方に対して一定の方向付けをする

機能を有する、という意味でカンボジアにおける復興と開発の過程と目標とを密接に関連する意義を有し

ている[四木 2001:124]。

経済開発において、1993 年憲法は、市場経済体制の導入(第 56 条)の枠組みのもとで進め、生産物

を私的に処分することを公認(第 60 条)して、経済活動の主要な側面を市場に委ね、国土利用と国家的

所有の範囲を限定(第 58 条)する反面、経済分野での国家の役割として、「あらゆる部門および遠隔地に

おける経済発展、とくに、農業、手工芸産業の経済発展を促進」(第 61 条)をすることを規定し、さらに国

家の責務として環境保護のための資源管理計画の策定(第 59 条)、生物物価価格保護における国家の

責任(第 60 条)、消費者保護(第 64 条)を規定している[四木 2001:124-125]。

社会開発において 1993年憲法は、第 6章「教育、文化および社会」を設け、教育の権利の保障と教育

機会の向上(第 65 条)および、そのための教育制度の拡充(第 66 条)、教育計画の策定と公立・私立学

校の管理(第 67条)を教育に関わる国家の義務と位置づけ、初等・中等教育を無償化(第 68条)して、市

民に 9 年間の義務教育を受けることを課している[四木 2001:125]。

憲法の中における公衆衛生に関して、国民の健康を保障し、そのため、国家が疾病予防および医療

に 大限の考慮を払うこと、経済的困窮度に応じて無償で医療を受けられることを規定し、とくに農村地

域における医療機関の充実を促す(第 72 条)。さらに、国家が子どもと女性の福祉に「 大限の考慮を払

う」(第 73 条)ことを定め、「適切な支援を受けられない子どもと女性」に対して、国家が援助を提供するこ

とを定めている[四木 2001:125]。

1993 年憲法における「自由な民主主義」の導入と結社の自由および表現の自由の保障は、それまで潜

在的であった国民の政府への不満を一気に顕著化させることとなった。それらは、新憲法のもとで設立さ

れた報道機関による政府批判、従来は存在しなかった野党の登場、人権や開発に関わる NGO の設立な

どカンボジアにおける市民社会形成の萌芽ともいえる事態となって現れ、政府はそれらの対応を余儀なく

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された。カンボジアにおいて、プレスによる自由な政府批判を容認することも、1960 年代末のごく短い時

期を除いて初めてのことである。しかも、カンボジアのプレスは伝統的に政党や政治勢力との結びつきが

深く、プレスの自由を容認することは、自由な政府批判を容認することであり、プレスの規制は政党活動

への規制を意味する[四木 2001:127-129]。

急速な市場経済化など、社会の変動にともなって引き起こされた社会問題に対応する法の領域はど

うなっているだろうか。グローバル化に伴い、カンボジア国内の商品や人々の移動を促すこととなり、カン

ボジア社会は従来の閉鎖された農村社会から富と人とが急速に流動する社会への変動にさらされている。

とりわけ、労働の分野では、安価な非熟練労働力を求める外国企業の投資にともなって、労働問題の発

生する環境が創出されるようになった。1993年の憲法では、第 1に、労働者としての国民の権利を保障す

べく、性別を問わず同一労働に対する同一賃金の原則(第 36条第 2項)、団結権の保障(同条第 5項)、

ストライキ権の保障(第 37 条)、女性差別の禁止(第 45 条)、人身売買および売春の禁止(第 46 条)、妊

娠を理由とする解雇の禁止及び、有給の出産休暇の権利(同条第 2 項)、子どもの権利(第 48 条)などの

諸権利を認め、とくに女性と子どもの生活に配慮する現代的規定を多く盛り込まれている[四木

2001:131]。

また、都市と農村の間の貧富の格差が拡大するにつれ、人身売買と児童買春が深刻な社会問題と

なっている。カンボジアでは、刑法・刑事訴訟法が未整備であるという状況をうけて、1996 年に誘拐・人身

売買禁止法が制定され、2000 年 4 月には、誘拐・人身売買の禁止に関する 5 年計画とその実施に関す

る大臣会議が交付され、上記の問題に対する強化が打ち出されるとともに、関係省庁に対して法令の整

備が支持された[四木 2001:132]。

第 2 節 カンボジア政府の取り組む貧困対策

カンボジアにおけるストリートチルドレン発生の原因のひとつとして、家庭の「貧困」が挙げられた。しか

し、筆者はこの論文を通じてこれまで、具体的な貧困削減の必要性を訴えてはこなかった。なぜなら、NGO

が貧困削減や経済問題について取り組むには規模が大きすぎるからである。そこで、第 4 章の第 2 節で

は、政府が早急に取り組むべき貧困削減について、特にストリートチルドレン発生に関していうならば、地

方での仕事がないために、首都に出稼ぎに行くが、そのまま持続可能で安定した仕事を得ることができな

いため、スラムが発生し、子どもたちがストリートへ出るケースが多い。そこで、前半は国が行っている貧困

削減戦略に触れ、後半では、出稼ぎそのものの必要性をなくすための地方の貧困解消にアプローチして

いく。

カンボジア政府は、貧困問題の解決を国の 重要課題として位置づけている。それを支援する外国政

府、国際機関、NGO の活動の多くも、貧困緩和を 重要目的としている。カンボジア政府が打ち出した

2003年から 2005年の 3年間の貧困削減戦略を見ると、貧困削減のために政府が取り組もうとする対象は

多岐にわたっている[矢倉 2008:7]。

その中でも、農村の貧困問題により密接にかかわる課題や戦略として以下のものが挙げられる。第 1 に

は、農村開発で、中でも生産性向上に貢献するような技術の開発と知識の普及、集約化と多角化を課題

として指摘している。第 2 には、農業加工産業の振興で、カンボジアは農業国でありながら、その農産物

を加工するという川下の産業はほとんど発達していないためである。第 3 には、農村家計への低金利ロー

ン(マイクロクレジット)の提供である。第 4には、労働集約的工業の発展である。資本や技術に乏しいカン

ボジアでは、その比較的豊富で賃金の安い労働力を生かした労働集約的工業が適していると考えられて

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いる。第 5には、道路整備であるが、カンボジア農村の道路事情は劣悪である。道路の整備によって農村

家計の市場アクセスの改善を図る必要がある。第 6 には、保健医療サービスの質と量の向上である。これ

は国民の健康水準そのものの改善を図るだけでなく、高い医療費負担が貧困家計を圧迫しているという

問題を緩和するための取り組みでもある。 後に、学校教育の供給と質の向上である。教育によって、子

どもの将来や社会全体の将来に投資することができるからだ[矢倉 2008:7-8]。

これらの取り組みはいずれも異論の余地のないものである。しかし、あらゆる分野にわたり問題があると考

えられるので、それらすべてに対処しなければならない。しかし政府が持つ資源、ODA や NGO の支援は限

られているのが現状である[矢倉 2008:8]。

つづいて、地方の行政がどのように運営されているかの現状であるが、2002 年より、行政区には比例

代表制選挙で住民によって選出された行政区評議委員会(クロム・プルクサー・クム:krom proeksa

khum)が設置されている。同委員会は、その委員の中から区長を選出するとともに、行政区内の行政の執

行と意思決定を行っている。しかし、州・郡レベルにはこのような評議会はなく、また州知事と郡長は任命

制である。2002年までは区長ですら、任命制であった。村には村長 1人に、副村長 2人が置かれている。

村長は村人が選ぶのではなく、内務省が任命する。しかし、村人からの信望の厚い人物が任命される傾

向にある。警察の詰所や保健所は、行政区レベルまでにしか設置されていない。村レベルにはこうした行

政の出先機関はなく、村長がいるだけである。村の役場というものもなく、村長は自宅で仕事を行う[矢倉

2008:62]。

行政区レベルでおこなわれる開発事業とは、道路の補修、池の掘削といった土木事業が中心である。

2003年度の事業としてある道路補修を計画していた T村の属するプレイスラック行政区では、事業のため

の資金として、各行政区にはその人口などに応じて国から決まった額の予算が割り当てられる。また、事

業実施の際には、事業費の一定割合以上を住民が負担することを義務付けられている。ただし、国の予

算が限られており、また所得の低い住民に大きな負担を強いることはできないので、1 年間に実施できる

事業は規模の小さいものに限られてしまう[矢倉 2008:62]。

ここまで、カンボジア政府が取り組みをしている活動について大まかに触れてきた。先ほども述べたよう

に、カンボジアでは解決すべき問題が多すぎるため、ひとつひとつに割り当てられる予算が不足している。

その上、その予算の殆どが、「外国からの援助」でまかなわれており、一番のカンボジアの抱える課題は

「外国への依存」を解消することにある。では、いったいどれほどの資金を外国に依存しているのかを述べ

ていきたい。

1980 年代には、ソ連がカンボジアの大部分の財政を援助していた。しかし、90 年代のソ連解体から援

助停止がされ、カンボジア王国の国家財政は瓦解した。1993 年の歳出にたいして、国内税収はその 6 割

をカバーするにすぎず、その残りは外国からの国際援助によって補修された。それに伴い、国連事務総

長の要請に応じて、東京でカンボジア復興閣僚会議が開催された。この会議で合計 8 億 8000 万ドルの

援助が約束された。それ以来いくつもの追加会議が開催され、1991 年以来、供与を約束された資金総額

は 17 億ドルとなる。1993 年当時の財政赤字の 大の要因は、社会主義体制のもとで水ぶくれした公務

員と内戦で肥大化した軍人に対する給与の支払いにあった。当時、適正であるとされる水準の二倍に達

する 14万 2000人の公務員と、14万 7000人の軍人がおり、公務員と軍人に対する給与は歳出の約 60%

を占めていた。この傾向は著者の調査がされた 2000 年現在も解消されていない。財政経済省によれば、

文民公務員 16 万人、軍人 15 万人、警察官 5 万人という過剰な人員が依然として雇用されている。また、

数千人の幽霊員も発見されている。だだし、1994 年以降財政収入は財政支出を若干上回っている[駒井

22

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2001:210-212]。

1997 年には、フン・センの武力行使が国際社会の反発を招き、国際援助が停止された。それに伴い、

カンボジアの国家財政は危機に陥ったが、情勢の安定化をうけて、1999 年に、カンボジア支援国会合が

東京で開かれた。24 の参加国・国際機関が約 4 億 7000 万ドルを支援することを合意した。日本は、その

うちの約 1 億ドルを支援している[駒井 2001:212]。

外国からの投資の状況であるが、カンボジア政府は、94 年に投資法を制定して各種の優遇措置をとも

なう外資歓迎の態度を明確にするとともに、カンボジア開発評議会の下に投資委員会を措置して、外国

からの投資申請の受付を行っている。1994 年から 2000 年 8 月の投資認可額の累計は総額 57 億 4200

万ドルに達した。国と地域ごとに多い順で並べると、マレーシアが 18 億 1800 万ドル、カンボジアが 14 億

6700 万ドル、台湾が 4 億 4800 万ドル、アメリカが 4 億 2500 万ドル、中国が 2 億 4600 万ドル、香港が 2

億 4100 万ドル、シンガポールが 2 億 3200 万ドル、韓国が 2 億ドル、フランスが 1 億 9200 万ドル、タイが

1 億 5800 万ドルとなる。このように国内資本による投資は全体のわずか 25.5%しか占めていない[駒井

2001:213]。

このように、政府の資金や国の投資の多くが外国によってもたらされていることがわかった。当然これは

NGO もあてはまることでもある。外国の団体や人材は、持続的にカンボジアで活動するとは限らない。状況

や団体の都合によって、いずれはカンボジアを離れることになる。しかし、運営のノウハウは外国人が持っ

ており、カンボジア人は指示に従って活動をし、運営に関する決定権は限定されている場合が多い。これ

は、CCASVAについても当てはまることである。実際に 2009年に CCASVAを訪問した際に、CCASVAを援助し

ていたドナーの一部が援助を打ち切ったという話をスタッフから聞いた。経営破綻とまではならなかったが、

2010 年現在も世界的な不況の下いつ援助が打ち切られてもおかしくない環境にあることは間違いない。

第 3 節 カンボジアおけるソーシャルワーカー養成機関設置について

第 4 章の第 2 節の 後に述べたような、外国人主導の NGO 団体の持続性の問題に関して、外国人運

営者が抜ける事態となった場合、カンボジア人自身が、独力で、組織やサービスを引き継ぎ運営してきく

ことが可能であるかという問題がある。そのことを考えた時には、カンボジア人に対する人材育成が急務

であると日本社会事業大学、社会事業研究所の山下は述べている。

第 3章において NGOのサービスの「質」について筆者が問うような場面がいくつかあった。その質を高め

るものとして教育が挙げられるが、実際のところニーズが高いにもかかわらず、ソーシャルワーカーを養成

する教育機関は皆無であると山下は述べている。こうした状況に対応して、カンボジア国内に人材養成機

関を作ろうとする動きが高まり、NGO を中心として行政機関の職員が参加し、設立のための具体的な手続

きを模索するための作業委員会が 2003 年 4 月からスタートした。

1990 年代中期の頃から、ソーシャルワークの短期研究計画が、さまざまな目的と対象者および、技量

や課題を抱えつつもいくつかの組織によって取り組まれてきた。しかし、ソーシャルワークの訓練校はなく、

大学にはソーシャルワークの授業、単位は存在しない。社会サービスに関わる全ての活動家たちは、ソー

シャルワークの専門家の要求に応じて、正式な研修と学位を設けることが必要であると認識している。実

際これが実現すれば、カンボジアのソーシャルワーカーの質は向上し、さらに職業という枠組みで、実質

的な認知がえられるであろう。この問題に関心を持つ少数のグループが、問題に対処するための作業委

員会を設立することを試み、この件に関心を持つ人物を作業委員会に参加するように要請した[Ben

2004:1]。

23

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まず、第 1 に、ソーシャルワーカー養成検討委員会の目標から触れていきたい。明確な基準を有する

ソーシャルワークの修士課程と準専門訓練教育機関を設けることができた際の目標である。それらを下記

に示したい。

・単位制度。

・技能を獲得したことを示すための試験に受験し「合格」するための能力。

・資源の調達(基金、教員など)。

・授業料。

・人や土地、建物などの資源を分配するための政府の財政投資。

・国外の大学との協力。

・オンラインでの援助と手引きの検討をする。

・共通の用語と定義を収録した用語集をつくる。

・ソーシャルワーカー養成法を標準化する。

・ソーシャルワークの質を発展、促進させる。

・NGO および、国内、国外の組織間での共同作業を強化する[Ben 2004:1-2]。

ソーシャルワーカー養成委員会は 5 つの小委員会に分けられており、それぞれの小委員会の議長が

全ての、そして個々の議会目標の達成をする手助けをし、その責任を負っている。今までどのような活動

をしたか、その上でどのような発見があったかをいくつか示したい。

1)カンボジア語の定義と用語集には、ソーシャルワーク教育の基礎知識は皆無で、カリキュラムの中に

取り入れられる言葉は外国語から翻訳されたものである。したがって、委員会は用語の定義や用語

集、その他の関連した翻訳をもとに、政府の王立文芸局と密に協力している。

2)同じような過程を経験した他国及び、援助を受けることが可能な外国の大学との関係者は、殆どの場

合、自らこの作業委員会に加わり、意見を交換するなどして、情報が得やすい出身国や世界各国の

大学と接触をしている。その上で、カンボジアのソーシャルワーク教育と関係設立を目指してさらなる

支援、援助を求めている。ソーシャルワーカー養成検討委員会は旧知の大学と接触を図り、今まで

に、ニュージーランドとオーストラリアのいくつかの大学が同委員会と関係を持つことができた。

3)将来の学生に関しては、始めのステップはソーシャルワークの専門家が学生に対してどのカテゴリに

入れるかを判断することであり、二番目のステップは業務の内容に関連した研修の必要事項を決め

ることである。この作業委員会はその必要事項に関してのアドバイスを NGO、国際 NGO、政府機関の

ソーシャルワーク教育に関わる出資者に求めた。2004 年現在では、殆どの返答がなく、返答を受け

取った際に、作業委員会は、カンボジアのソーシャルワーク教育に関する要求・資格など、将来のカ

ンボジアのソーシャルワーク教育の展望の分析を行う予定である。

4)教育をする上で、特定の基準を満たす教育レベルを有する学校への、団体や機関による認可が必

要となってくる。しかし、まだ大きな成果がない限り、同委員会はより多くの支持と正当な評価を求め

る活動と責任を負うことにより、認可獲得をするしかないのである[Ben 2004:3-4]。

ソーシャルワーカー養成委員会は NGOと国連機関(UNICEFカンボジア事務局)によって創出されている

が、周囲からは発展性がないように思われ、同委員会参加者も各自が担当している NGO などに積極的に

参加をしていた。同委員会は、関連している政府関係者に委員会に興味を持たせ、参加させる一番良い

方法を見つけ出さねばならない。また、同委員会の会員は特定の団体の定期的な業務にそれぞれ関

わっており、一般的に委員会には、優先順位が設定されていないため、委員会の問題全体をまとめ、協

24

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力するのを実際に主導する核となる責任者がいないのも問題のひとつである。しかし、委員会の業務を持

続させるために永続的なスタッフを就職させるべきであるが、給料を支払うための資金源が解決していな

ため困難である[Ben 2004:5]。

この第 4章の第 3節では、『カンボジアの福祉サービス-人材養成計画とプログラム開発』という論文か

ら一部を紹介する形となった。この節でいうところの「ソーシャルワーカー」とは、障がい者に対するソー

シャルワーカーという使い方をされているが、当然その一部には、明確な基準の下で訓練を積み、スト

リートチルドレンの家庭へのケアをするようなソーシャルワーカーを目指す人々も現れると筆者は考えてい

る。

第 5 章 アメリカにおける児童虐待に対する取り組み

第 4 章までの結論として、子どもの権利条約を用いてカンボジアにおけるストリートチルドレンたちがど

のような権利侵害があり、それに対してNGOがどのような権利を保障しているのかがわかった。しかし、子ど

もの 善の利益をさらに追求し、現状の環境をより良くするためには子どもの権利条約だけでは不十分で

あると筆者は考える。また、2度のカンボジア訪問を通して、CCASVAのようにセンターに保護されているスト

リートチルドレンの筆者の考える 善の利益は「家族の元にできるだけ早い段階で帰ること」であり、また、

この論文で筆者が も論じていきたいことであると序章の中で述べた。当然センターにいる子どもの全員

が家庭に帰れるわけではない。しかし、本来家庭復帰してもおかしくない子どもも中にはいるだろうと筆者

は推測している。CCASVA でボランティアをさせて頂いた、2008 年では、2 週間お世話になっていた間で、

30 人前後を行ったり来たりしていた子ども達の数がほんの 1 年間だけで 20 人以上増え、2009 年の 8 月

現在では 53 人であった。この数字は何を意味しているのだろうか。1人分の食事や就寝のスペースなど

が狭くなっていたということから、センターの受け入れ可能な人数に対してほとんど限界に近いラインで運

営されているのではないだろうか。

そのようなことから、NGO 側にも問題や解決するべき課題はあるが、あまりにも NGO がカンボジアの人々

にとって必要不可欠な存在になりすぎて、NGO に対する依存が大きくなってしまっているのではないかとい

うことも筆者の疑問として挙がらざるを得ない。カンボジアにおいて NGO の職員になるということはエリート

の証でもあり、子ども達が将来なりたい職業にもよく挙がる人気の職業でもある。それはカンボジアの子ど

も達にとって NGO が自分の生活に密着している証拠でもある。そして、子どもを持つ親の視点からたって

みても NGO は日本のそれと比較しても、より近しい存在であると筆者は考えている。

そのようなことからも、家庭において何かしらの問題が起こった場合、それは間接的要因(貧困など)、

直接的要因(児童虐待など)どちらを問わず、その家庭の子どもの本来満たされるべき権利が保障できな

いとなった時、CCASVA のようなセンターを持つ NGO に保護を依頼する親が、本来では家庭内やコミュニ

ティの力で解決すべき、または解決に向けて努力をしたほうが望ましい問題も多く含まれているのではな

いかと筆者は考えている。つまり、親と子ども、またはコミュニティと子どもとの間にある関係性が希薄に

なっていると筆者は考えている。これは、第 2 章の第 2 節でも触れた、ポル・ポトの政治体制によって引き

起こされたカンボジアの悲劇の歴史もこれを裏付ける要因と言える。実際に、同政権は家族という存在そ

のものを否定し、多くの家族が崩壊させられたのである。

CCASVAのセンターには、家庭に戻ることなく何年もセンターで共同生活をしている子どもが少なくない。

そんな子ども達は将来、職業訓練を積み、職業を見つけ、年齢が 18 歳に達したと共に、センターを離れ

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るだろう。そのプロセスは、子ども達にとって一種の成功例として捕らえてもおかしくはない。しかし、筆者

は子ども達を早く親元に帰させる環境を作ることが第一であり、CCASVA のような子ども達にとってセーフ

ティネット的な NGO にも、優先して取り組んで頂きたい課題のひとつでもあると考える。もちろん、子どもの

権利条約にも、第 5 条子どもの権利の行使と親の指導の尊重、第 9 条親からの分離禁止と分離のための

手続き、第 18 条 親の第一次的養育責任と国の援助など、親に対して子どもを育てることへの権利や義

務に関することが記載されている。

しかし、第 3 章の第 2 節で述べた通り、子どもの権利条約だけを並べるだけでは権利を満たす「手段」

にはなり得ない。そこで、親そのものが子どもをストリートチルドレンにさせる直接的要因だった場合、今回

は児童虐待のケースに絞り、NGO などが介入する対処法はどのようなものが望ましいのかということを追求

していきたい。なぜ「児童虐待」なのかと述べると、当然「貧困」に関してもストリートチルドレン発生の重要

な要因ではある。しかし、第 4章で述べたように貧困を解決するのは政府が中心となって行う必要がある。

また、貧困そのものがストリートチルドレンを生み出すというよりも、貧困がストリートチルドレンを生み出し

てしまうような事態(児童虐待など)を作り出すという表現が正しいと筆者は考える。貧困であるとしても、幸

せな家庭を築くことも可能であるはずなのだ。しかし、児童虐待を受けたことによってストリートチルドレン

になってしまった子どもやその家庭は、いくら貧困が解決されたとしても、その子どもが家庭に復帰できる

環境になったとは言い切れないのである。

第 5 章では『子どもの虐待防止と NGO』という文献を元に、アメリカ・イギリス・香港で実際に行われている

児童虐待に対するプログラムの中から、アメリカの行政と NGOのパートナーシップについて紹介し、CCASVA

のようなカンボジアのローカル NGO やカンボジア政府が学べることはないか、発展の可能性があることをさ

ぐっていきたい。

第 1 節 アメリカにおける児童虐待と家庭外措置(フォスターケア)の現状

児童虐待(child abuse and neglect)という用語が生まれたのがアメリカであり、防止活動・児童保護

システムにおいて、おそらく、世界で も NGO が活躍している国がアメリカといえる。1974 年に児童虐待防

止関連のアメリカ連邦法として「児童虐待防止および治療法(the Child Abuse Prevention and

Treatment Act:以下 CAPTA と略す)が成立した。CAPTA は、CAPTA による連邦補助金を受理する全州に

児童虐待の通告を義務づけると同時に、虐待通告の調査に関する必要条件を設定した。各州はその補

助金を下部組織(NGO も含む)に与えることができる。この補助金の用途は、①地域のニーズを見極めるた

めの調査実施、②虐待ケースへのより効果的介入方法の開発、③地域の児童保護システムの改善など

である[桐野 2005:56-57]。

第 2 の児童虐待防止関連の連邦法は、1980 年に成立した「養子縁組援助と児童福祉法(the

Adoption Assistance and Child Welfare Act:以下 AACWA と略す)」で、子どもの永続的計画に関する

下記の 4 点を盛り込んでいる。

1.子どもを安全に家庭維持することが可能な際、子どものフォスターケア措置(家庭外措置)を避け

る。

2.安全の確保ができしだい、子どもを速やかに家庭復帰させる。

3.可能な限り、家庭的環境に子どもを措置(委託)する。

4.フォスターケアの子どもが安全に家庭復帰できない場合、子どもを安全な永続的家庭に新たに措置

し、くり返し措置変更することを防ぐ[桐野 2005:57]。

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第 3の連邦法は、1993年に成立し、1997年に改訂された「安全安定家庭促進法(Promoting Safe and

Stable Families Act:以下 PSSF と略す)」である。この PSSF は州対象連邦補助金予算を設定し、各州

に対して、家庭維持・地域基盤ファミリーサポートサービス・実施機関制限つきの家庭再統合(家庭復帰)

プログラム・養子縁組成立後フォローアップサービスにより一層力を入れるよう要請されている。この他に

も、アメリカには児童虐待に関する多数の連邦法が存在している[桐野 2005:57-58]。

数字の上での、児童虐待の具体的な現状であるが、2002 年度にアメリカ全土の全州および全郡の児

童保護機関では、約 180 万件の児童虐待ケースの通告を受けた。同年、スクリーニングの後に調査・アセ

スメントが行われた結果、そのうち約 89万 6000人の子どもが実際に虐待を受けていたことが確証された。

また、同年の虐待により死亡した子どもは約1400人であった。アメリカの虐待される子どもの割合に関して、

1990 年度では 1000 人の子どものうち 13.4 人、2002 年度では 12.3 人であり、減少の傾向はあるものの、

課題は残されている[桐野 2005:58]。

2002 年度にアメリカ全体で虐待が認証された子どものうち、約 30 万 3000 人の子どもがフォスターケア

システムに入った。また、同年にフォスターケアから解除された子どもは 28 万 1000 人であった。

2001 年にフォスターケアにいた子どもは 54 万 2000 人で、彼らの措置先は<表 2>に示すが、アメリカ

では概して約 7 割のフォスターケアの子どもが里親家庭に住んでいるといえる[桐野 2005:58]。

<表 2>アメリカにおけるフォスターケアの子どもたちの措置先(2001 年)

フォスターケアの子どもの措置先 割合(%) 人数(人)

養子縁組成立準備中の養親家庭 4 20,289

親戚里親家庭 24 130,869

(非親戚)里親家庭 48 260,384

グループホーム 8 43,084

施設 10 56,509

逃亡 2 9,112

試験的家庭復帰 3 16,685

合計 100 54,200

([桐野 2005:59])

<表 3>アメリカにおけるフォスターケア解除後の子どもの行き先(2001 年)

フォスターケア解除後の子どもの行き先 割合(%) 人数(人)

親/保護者のもとに家庭復帰 57 148,606

親戚委託 10 26,084

養子縁組 18 46,668

社会自立 7 19,008

ガーディアンシップ(後見人) 3 8,969

他機関に移管 3 7,918

逃亡 2 5,219

死亡 0 528

合計 100 263,000

([桐野 2005:59])

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次に、2001 年度におけるフォスターケア解除後の子どもの行き先として<表 3>に集約した。 も高い

割合になっているのが親/保護者のもとへの家庭復帰(57%)であった。約 6 割近くの家庭外措置の子ども

が家庭復帰するのは、桐野がアメリカ・イギリス・香港と調査を行った中ではアメリカのみであった。アメリカ

では 1980 年ころから、親へのケアに力を入れ、親の回復後にできるだけ迅速に子どもを家庭復帰させる

ことに専念している。また、2001 年度において、子どものフォスターケア滞在期間の平均値は 22.1 ヶ月、

中央値は 11.8 ヶ月であった[桐野 2005:60]。

日本では、施設や養育里親おける子どもの滞在期間の統計は公表されていない。これは、日本の児童

保護システムが未熟であるため、いまだに「子どもの救済」のみに力を入れ、親へのケアに労力と資金を

投資することをしていない実情の表れであると桐野は主張している。現在家庭外措置される子どものほと

んどのプランは「家庭復帰」ではなく、「成人後の社会自立」であるのが日本の現状であり、日本の今後の

課題は、親へのケアを通して、いかに速やかに、かつ安全に子どもを家庭復帰させることができるかを検

討し、それを実施することにある[桐野 2005:60]。

第 2 節 アメリカにおける児童虐待防止プログラムの枠組み

児童虐待防止のための活動・サービスの枠組みの組み方は多種あるが、その目的別に「第1次

(primary)・第 2 次(secondly)・第 3 次防止(tertiary prevention)」に分類することができる。アメリカ

厚生省の定義では、第1次予防プログラムはユニバーサルなもので、その対象は市民全体である。第2次

予防プログラムはマルトリートメント(児童虐待)が起きる可能性の高い「ハイリスク家族」を標的にしており、

第3次予防プログラムは虐待がすでに起こった家族、つまり調査の結果、虐待が確証されたケースを対象

としている。アメリカ厚生省による第1次・第2次・第3次予防の説明は次のとおりである[桐野 2005:20]。

(1)第1次予防

第1次予防では地域の全住民がそのプログラムを利用して利益を得ることが可能である。児童虐待問

題とその解決策に関する知識を高めることに焦点を置く。次のようなプログラムがその一例である。

・肯定的子育てを奨励する啓発サービス。

・子どもの発達・子どもの年齢に応じて期待される子どもの行動・親の役割と子育ての責任に焦点をお

いた親教育と支援グループ

・家族が既存のサービス・資源を利用し、家族のメンバーが互いに助け合う能力を促進する家族支援

プログラム

・どこに、どのように虐待の疑いのあるケースを通告するかに関する啓発プログラム

(2)第 2 次予防

第 2 次予防は、虐待要因、例えば貧困や親の薬物乱用、親の精神保健問題、親あるいは子どもの障

害などを持つハイリスク家族を焦点にしたプログラムで、これらの虐待リスク要因の一つ、あるいはそれ以

上を持つ家族が密集している地域を選び、その地域の全住民を対象に提供される場合もある。次のよう

なプログラムがその一例である。

・親が日々のストレスと子育てに関する問題に対処できるよう支援するための親教育

・出産前後の支援提供を目標とする家庭訪問事業

・障害児を持つ家庭へのレスパイトケア(息抜きプログラム)

・貧困家族が密集した地域に住む家族に情報提供やサービス照会をする家族資源センター

(3)第 3 次予防

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第3次予防は、児童虐待がすでに起きたことが確証されたケース対象のプログラムで、虐待からの悪影

響の軽減、また、虐待の再発防止を目標とする。プログラムとして4つの例がある。

・6~8 週間ほどの短期間にわたり精神保健カウンセラーが 24 時間体制で対応する「集中家族サービ

ス」。

・虐待の傾向がなく安定した家族がロールモデルとして、危機に直面している家族を支援する「親メント

ル(良き指導者)・プログラム」

・親の否定的行動や態度を、肯定的なものに変容するよう手助けをする支援グループ

・家族のコミュニケーション機能の改善を目標とする子どもと家族への精神保健サービス

この「第 1 次・第 2 次・第 3 次予防」の枠組みを、香港・アメリカ・イギリスで児童虐待防止に関わる専門

職が広く認識し、活用していることがわかった。また、1 つのプログラムが上記の第 1 次・第 2 次・第 3 次予

防のうち、2 つないしは 3 つの分野にまたがった機能を持っている場合もあった[桐野 2005:22]。

この第 1 次・第 2 次・第 3 次予防の枠組みを通じて、筆者はまず第 3 次予防に注目をした。このプログ

ラムでは、家庭内で児童虐待が発覚した後でも容易に親と子どもの分離は行わずに、親子関係の修復を

目的としたプログラムが多く含まれていることがわかる。CCASVA の場合、センターを運営している NGO なの

でハイリスクな立場にある子どもをセンターに入れるのは当然のようにも思える。しかし、極力子どもの保

護者に対してのケアを行うことにより、家庭の形が崩れることなく、虐待の問題解決をするという方針は、子

どもの権利条約の第 9 条にもある、「親からの分離禁止と分離のための手続き」に則っているプログラムで

あると言える。

第 3 節 アメリカ カリフォルニア州における児童虐待防止の取り組み

カリフォルニア州全体では、年間約 65 万件の虐待の疑いがあるケースが通告され、年間約 17 万 5000

人の子どもの虐待が確証されている。その結果、フォスターケア(家庭外措置)に入っている子どもはカリ

フォルニア州全体で 9 万 1000 人以上いる。これは日本の児童養護施設・乳児院にいる子どもの人数の 3

倍弱にあたる。フォスターケアに入っている子どもの 77%はネグレクト(放置・養育拒否)によるものであった。

この問題にアメリカ政府の行政機関で取り組んでいるのがロサンゼルス群子ども家族サービス局(Los

Angeles County Department of Children & Family Services:以下 DCFS と略す)で、ロサンゼルス

群 DCFS は年間予算 12 億ドルを持つ巨大な組織である。ロサンゼルス群が NGO との連携プレイで行って

いるのが「家族支援(Family support)」・「家族維持(Family preservation)」のプログラムである。また、

2003 年度にロサンゼルス群の子どもの人口約 268 万 8000 人のうち 16 万 2361 人が虐待の疑いがあると

して通告された。つまり、ロサンゼルス群の子どもの 100人のうち 6名が通告されたことになり、高い数字で

ある。さらに、通告された子どものうち8915人が家庭外措置されずに家庭維持サービスのみを受けていた

[桐野 2005:75-76]。

DCFS の中で、日常的に虐待防止活動を担う NGO として も関わりがあるのは地域基礎支援課

(Community-Based Support Division:以下 CBSD と略す)である。CBSD では、次の 5 種類の仕事を担っ

ている。

1)家庭維持プログラム(family preservation)

2)家庭支援プログラム(family support)

3)児童虐待介入・治療プログラム(child abuse intervention and treatment program)

4)犯罪被害者対象プログラム(victims of crime)

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5)チャイルドケア(保護事業)

これらの中から特に家庭維持プログラムと家庭支援プログラムに絞っていきたい。

まず、家庭維持プログラムだが、年間約 3200 万ドルという莫大な予算を使うプログラムで全米でも評価

は高い。プログラムの対象となる家族のひとつのタイプは、児童保護局(CPS)が通告の調査後にソーシャ

ルワーカーが配属されなかったが、比較的ハイリスクである家族である。もうひつつのタイプは、現在子ど

もがフォスターケアにいて、その子どもを速やかに、かつ安全に家庭復帰させる段階にいる家族である。

家庭維持プログラムは、この 2 つのタイプの家族に集中的住宅サービスを提供している。

この家庭維持プログラムの第 1 の特徴は「地域・家庭維持ネットワーク(community family

preservation network:以下 CFPN と略す)」形成による地域の NGO とのパートナーシップにある。CFPN に

参加する NGO には「インホーム・アウトリーチ・カウンセラー(Inhome Outreach Counselor:以下 IOC と略

す)」がおり、IOC はロサンゼルス郡 DCFS のソーシャルワーカーと綿密な連絡を取り合いながら、対象家族

の家庭を週 1回訪問してサービスを提供する。CBSDはこのような家庭維持プログラムを提供してもらうため

に、40 のリーダーとなる NGO と契約を交わし、その NGO が約 500 の共同機関として副契約を交わす。これ

らが共にサービスを行う。さらに、CBSD は他の公的機関(精神保健局・生活保護局・学校)ともパートナー

シップを結んで家庭維持プログラムを行っている。

第2の特徴として、「多職種ケースプランニング(multidisciplinary case planning:以下MCPと略す)

があげられる。MCP に地域の関連 NGO ならびに公的機関が参加すると同時に、当事者である家族と、親

戚・知人・隣人などのインフォーマルな支援を提供する者を招待し、皆で共に家庭維持プログラムの計画

を作成する。

第 3 の特徴は、家庭維持プログラム対象の「混合予算(blended funding)」にある。1 つの家族に多種

のサービスを提供する際に、それぞれの補助金の出所が異なることから不必要な問題が起こることがあり。

ゆえにロサンゼルス群 DCFS は統合的サービスを実施する目標で、メンタルヘルス局など他の行政機関か

らの補助金をすべて 1 つにまとめて、家庭維持プログラム混合補助金として使用している[桐野

2005:79]。

CBSD の第 2 の仕事である「家族支援(family support)」は、第 2 次予防プログラムであり、その他外か

らの機関からの照会は必要なく、家族自らがサービス提供を依頼するかたちをとっている。サービスを受

理する者に関する条件は、「その地域の住民」であることのみで、だれもが受けることのできるプログラムで

ある。その例として、子どものカウンセリング・レクリエーション・放課後プログラム・親対象の職業斡旋プロ

グラムなどがある。2002 年度の時点で CBSD は、これらの家庭支援プログラムを提供してもらうために、リー

ダーとなる 26 の NGO と契約を交わし、その NGO が約 600 の共同機関と副契約を結んでいた[桐野 2005:

80]。

さらに、アメリカ全土の児童虐待防止に関連している NGOは何十種類とある連邦補助金を州からの経由、

あるいは直接連邦政府から受理することができる。同時に NGO は、各州の「State Children’s Trust

and Prevention Funds(子どもトラスト/虐待防止基金)」と民間財団からも助成金を受理することがで

きる。2002 年度には約同基金から約 1 億ドル、約 45 億ドルの民間財団助成金が給付された。ロサンゼ

ルス郡も当然この補助金や助成金を受け取ることができる[桐野 2005:61]。

今までロサンゼルス群の行政側から、NGO とのパートナーシップを論じた。次に同郡の 1 つの NGO の実

情の紹介を通して、NGO 側の観点からこのパートナーシップの実態を見ていきたい。

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第 4 節 カリフォルニア州 ロサンゼルス郡の NGO の取り組み~子ども国際教会の活動から~

子ども国際協会は 100 年弱の歴史を持つロサンゼルス市内にある地域基盤型 NGO である。子ども国

際協会は時代のニーズに合わせた 13 種類の事業を行っている。

(1)連邦政府とカリフォルニア州からの助成金を受理する「中央ロサンゼルス子どもトラウマ(心的外傷)

治療センター」事業

(2)多種類のドメスティック・バイオレンス対応

(3)性的虐待を受けたヒスパニック系の 10 代女性対象の治療プログラムである「青少年性的虐待治療」

プログラム

(4)バイリンガルのクリニックで、「ファミリー・ケア・センター」事業

(5)児童虐待の第 2 次・第 3 次予防を担い、6 ヶ月~3 歳児対象の保育所と 3~5 歳児対象の幼稚園を

運営する「治療型デイケア」事業

(6)州の補助金で運営され、年間約 120 人の妊婦と乳幼児を対象に家庭訪問サービスを行う「早期ヘッ

ドスタート」プログラム

(7)父親にカウンセリング・グループワーク・裁判所手続きにおける援助などを提供する「父親プロジェク

ト」

(8)アルコール/薬物依存の母親への治療と自助グループを提供する「薬物依存症の親の新しい門プロ

グラム

(9)里親家庭の斡旋/認可・里親家庭への支援・子どもの実親家庭への復帰あるいは養子縁組成立に

向けてのサービスを行う「フォスターケア・パートナー」プログラム

(10)家庭訪問による「インホーム・家庭維持サービス」

(11)薬物依存症の親とその子ども対象の入所型治療サービスである「安定した家族プロジェクト」

(12)気軽に訪れる親戚里親・後見親と子どもたちにレクリエーション・自助グループ・相談を提供する「グ

ランマの家」

(13)1982 年に開始された性的虐待介入/治療などに関する専門職(医師・ソーシャルワーカー・臨床

心理士・警察・教師など)を対象とした研修ならびに調査研究(連邦政府補助金受理)

上記の 2 番目のプログラム「ドメスティック・バイオレンス対応」プログラムでは、たとえば地域でドメティッ

ク・バイオレンスの緊急事態が発生した場合、子ども国際協会のスタッフは警察の車に同乗し、現場での

被害者とその子どもの危機介入を行っているなど果敢な積極性があることがわかる[桐野 2005:80-82]。

子ども国際協会の家庭維持サービスであるが、上記の 10 番目にあたる「インホーム・家庭維持サービ

ス」がそれにあたる。まず、ロサンゼルス郡 DCFS のソーシャルワーカー、子ども国際協会のインホーム・カ

ウンセラー、その他関連機関のスタッフと会議を持ち、サービスプランを決定する。そのサービス内容とし

て、家庭訪問とカウンセリングのみではなく、ドメスティック・バイオレンスや薬物依存対象のプログラム受

講なども含まれることが多い。その後、子ども国際協会は照会された家族のもとに「インホーム・カウンセ

ラー」を派遣する。6 人の「インホーム・カウンセラー」は経験豊かな修士レベルのソーシャルワーカーで、

子ども国際協会がさらに契約を交わしている他の共同機関のワーカと合わせて、100 件強の家族、つまり

約 500 人の子どもと家族のメンバーにサービスを提供している。それぞれのインホーム・カウンセラーの取

り扱いができる家族の数は 12 件までと規定されており、毎週 1 回、原則として 6 ヶ月間それらの家庭を訪

問する。また、子ども国際協会のインホーム・カウンセラーの他に準専門職である「ティーチング・デモンス

トレーション・ワーカー」と称する準専門職がおり、親の子育てや家事の援助にあたる。必要であれば、対

31

Page 32: 卒業論文 カンボジアにおけるストリートチルドレンの 早期家 …すべての国、特に発展途上国における子どもの生活環境の改善のための国際協力を重要視する

象家族は子どものために子ども国際協会の保育所や幼稚園を利用することができる。なお、インホーム・

カウンセラーは、対象家族に 善のサービスを提供するために、週 3 時間のクリニカル・スーパービジョン

と、毎週 1 回のプログラム・スーパービジョンを受けなければならない[桐野 2005:83]。

子ども国際協会が提供するサービスは短期集中であり、DCFS はその提供期間を原則として 6 ヶ月、例

外として 1 年まで延長できると規定している。しかし、サービス提供対象の家族は往々にして慢性的問題

を長い間抱えていることから、定期の 1 年が過ぎても、子ども国際協会を中心とした地域の人々がその家

族を支援できる体制を整えている[桐野 2005:84]。

終章

第5章で述べたようにアメリカでは、児童虐待に対する法律から実際に行われているプログラムまで、そ

のほとんどが、「子どもは家庭にいることが 善だ」という考えが基本中の基本となっているのがわかった。

そこから読み取れる CCASVA やカンボジア政府などに見られる課題はいったい何であろうか。なぜ、アメリ

カには可能で、カンボジアでは困難なのだろうか。それらに関して、カンボジアがアメリカから学べることは

ないだろうか。筆者なりに論じていきたい。

まず、アメリカ政府は第 1 章に述べたように「子どもの権利条約」には批准をしていない。条約を批准し

ていないこと自体は否定的に捕らえたい。筆者がこの論文を書き始めた頃も、ただ単純に条約に批准し

ていないことでアメリカには批判的な感情を抱いていた。しかし、その穴を埋めるように児童虐待に関する

細かな連邦法がいくつも存在していることもわかった。よくハリウッドスターが外国の孤児を養子縁組として

迎え入れているニュースが見られるように、すでにアメリカ国民の間でも子どもの権利条約に筆頭する何

かが慣習として備わっているのかもしれない。一方カンボジア政府は子どもの権利条約には批准をしてい

る。また、第 4章の第 1節にあるように、カンボジア憲法にもいくつか子どもの権利を守る文章があるが、そ

れに対する具体的なプログラムが、それを必要としている人々にしっかりと届いているか考えると定かでは

ない。

NGO の立ち位置も両国では大分違っている。アメリカでは、行政のサービスが中心となっており、それを

補うように NGO がパートナーシップを組む。するとその NGO の下にもいくつかの NGO がパートナーシップを

組むという組織図が出来上がっている。しかし、カンボジアの他の NGO のことはわからないが、CCASVA に

おいて筆者は政府や他の NGO との交流があるような情報を得ることができなかった。そこで、<表 4>に

CCASVA と子ども国際協会の立ち位置を示し比較してみることにした。CCASVA のようなローカル NGO でも複

数集まることによって大きなプログラムに対して役割を分け、協力することで一つのサービスを良質に行う

ことができるが、他の機関との交流がないと CCASVA のみでいくつもの仕事を抱えなければならない。実際

に CCASVA ではストリート・ベース・プログラムとセンター・ベース・プログラムと性格の異なるプログラムを並

行して行っている。それに伴い、ストリート・ベース・プログラムで高リスクと判断した子どもをセンターへと

送ることで精一杯になり、ひとつひとつの仕事の質を気にしている場合ではない状態に陥っている可能性

も考えられる。

カンボジア政府や国連機関自体も、第 4 章の第 2 節、第 3 節に述べたように、政府で取り組むべき課

題が多すぎることや、福祉サービスについても、人材育成をしようという試みにやっと動き出した程度であ

るのでストリートチルドレンの問題に対しては、まだまだ NGO が主導をしていることが伺える。その NGO 団体

も多くは外国人が主導権を握っている団体が多く、国籍の違う NGO 団体同士が簡単に協力する環境とは

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いいにくいのである。

<表 4>国別の行政と NGO のパートナーシップの組織図

アメリカの行政

サービス カンボジアの行

政サービス(そ

もそも存在する

のか?)

子ども国際協会 NGO

NGO NGO NGO CCASVA

NGO

?

?

NGO

さらに、 も両国での違いの差を感じたのが「考え方」である。アメリカの場合、初めから「子どもを早期

家庭復帰させる」という前提のもと、様々なプログラムが組まれているが、カンボジアにはそれがない。しか

し、カンボジアはアメリカと違い、救済するべきハイリスクな子ども達が多いため、早期家庭復帰をするた

めの「親へのケア」にベクトルを向けることは大変難しい。また、ストリートチルドレンの家庭はスラムにある

ことが殆どであり、仕事がないための貧困、衛生環境の悪さ、麻薬からの誘惑など様々な危険がまとわり

ついている。これも家庭復帰が難しいことのひとつであるが、これらの問題解決には、やはり政府という大

きな組織が動かない限り難しいことであるように思える。

後に、今回の論文の争点である「ストリートチルドレンの家庭復帰」について肝心のカンボジアでの詳

しいデータをうまく集めることができなかった。筆者が 2 度目の CCASVA 訪問の際、子ども達と接しているこ

とで浮かび上がった疑問であり、その後の本格的な調査を行うことができなかった。代わりに、やむなくア

メリカの取り組みを取り挙げることによって、CCASVA やカンボジア政府がそこから学べるものがないかを調

べてみた。アメリカでも多くの虐待児が発生し、施設などに入る子どもが多いことから、カンボジアでも国

単位で経済が発展しても尚、ストリートチルドレンが発生することは止められそうにないだろう。しかし、アメ

リカが可能にしているように、行政にこの問題に対して明確な行動を起こさせ、NGO とのパートナーシップ

を組み、協力することで、現在よりも、望んだ上でセンターから家庭復帰をする子どもの人数が、一人でも

多くなる可能性は十分にあると筆者は考えている。

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