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卒業論文概要 社会・地域文化学主専攻プログラム - 1 - 青木 朋美 地場産業の産業観光化によるまちづくり -新潟県燕三条地域「燕三条 工場の祭典」を事例として- ........ 4 阿部 円香 現代の高齢者における社会参加 ................................ 5 泉 綾乃 学童保育所における担い手の変化がもたらす効果 ................ 6 大森 颯 地域イベント『AKARIBA』をめぐる協働関係についての考察 ....... 7 大給 彩加 純粋な関係性に対するアプローチの性差 ........................ 8 梯 真由美 新潟市における農福連携の現状と展望 .......................... 9 菊地 雛 ディズニー映画にみる男性像と女性像の変遷 .................... 10 栗城 佳子 農山村地域の現状からみる地域再生 -新発田市板山地区を事例として- .............................. 11 甲野 真衣 「ひろば型」地域子育て支援が果たす効果 ........................ 12 小島 佑介 地方都市における多文化共生社会に関する社会学的研究 -外国人住民の生活から見る共生への課題- ...................... 13 斎藤 陸人 スポーツを核とした地域コミュニティについての考察 -エンジョイスポーツクラブ魚沼を例に- ........................ 14 佐藤 凪沙 合併市町村における高齢化問題 -新潟県長岡市越路地域を事例に- .............................. 15 佐藤 亮介 市民による地域遺産の再生 -高田世界館を事例として- .................................... 16 猿子 隼平 協同労働が成立するための諸要因 .............................. 17 島田 悠輝 生涯学習から実践的な地域活動への接続 ........................ 18 島守 一仁 ワーク・ライフ・バランスへ向けての実践活動についての考察 - 管理職育成へ向けて- ................................... 19 菅家 祐太朗 母子避難者の行動選択とその諸要因の考察 -新潟市の母子避難者の事例から- .............................. 20 瀬野 裕佳 メディアに見る男性像 -ファッション誌における現在の男性像- ........................ 21 高嶋 美佳 子ども食堂が担う地域の居場所としての役割に関する考察 ........ 22 南雲 綾子 地域おこし協力隊の定住促進 -十日町地域おこし協力隊経験者へのインタビュー調査を例に- .... 23

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卒業論文概要

社会・地域文化学主専攻プログラム

- 1 -

青木 朋美 地場産業の産業観光化によるまちづくり

-新潟県燕三条地域「燕三条 工場の祭典」を事例として- ........ 4

阿部 円香 現代の高齢者における社会参加 ................................ 5

泉 綾乃 学童保育所における担い手の変化がもたらす効果 ................ 6

大森 颯 地域イベント『AKARIBA』をめぐる協働関係についての考察 ....... 7

大給 彩加 純粋な関係性に対するアプローチの性差 ........................ 8

梯 真由美 新潟市における農福連携の現状と展望 .......................... 9

菊地 雛 ディズニー映画にみる男性像と女性像の変遷 .................... 10

栗城 佳子 農山村地域の現状からみる地域再生

-新発田市板山地区を事例として- .............................. 11

甲野 真衣 「ひろば型」地域子育て支援が果たす効果 ........................ 12

小島 佑介 地方都市における多文化共生社会に関する社会学的研究

-外国人住民の生活から見る共生への課題- ...................... 13

斎藤 陸人 スポーツを核とした地域コミュニティについての考察

-エンジョイスポーツクラブ魚沼を例に- ........................ 14

佐藤 凪沙 合併市町村における高齢化問題

-新潟県長岡市越路地域を事例に- .............................. 15

佐藤 亮介 市民による地域遺産の再生

-高田世界館を事例として- .................................... 16

猿子 隼平 協同労働が成立するための諸要因 .............................. 17

島田 悠輝 生涯学習から実践的な地域活動への接続 ........................ 18

島守 一仁 ワーク・ライフ・バランスへ向けての実践活動についての考察

- 管理職育成へ向けて- ................................... 19

菅家 祐太朗 母子避難者の行動選択とその諸要因の考察

-新潟市の母子避難者の事例から- .............................. 20

瀬野 裕佳 メディアに見る男性像

-ファッション誌における現在の男性像- ........................ 21

高嶋 美佳 子ども食堂が担う地域の居場所としての役割に関する考察 ........ 22

南雲 綾子 地域おこし協力隊の定住促進

-十日町地域おこし協力隊経験者へのインタビュー調査を例に- .... 23

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社会・地域文化学主専攻プログラム

- 2 -

堀 開人 特別支援学校と富山型デイサービスの連携に関する考察 .......... 24

松木 裕花 日本語教室を通してみた外国人のつながり ...................... 25

丸山 遼大 「伴走型支援」における「居場所」による自立支援の可能性

-『特定非営利活動法人 自立支援ネットにいがた』を事例に- .... 26

海藤 睦樹 日帰り温泉の社会的意義 ...................................... 27

佐久間 勝也 地場産業における分業の変化について .......................... 28

武部 未来 沖縄における『国語』

-教育と歴史の考察から- ...................................... 29

田中 理 地理学から考える高齢者福祉

-新潟県聖籠町における高齢者福祉サービスの地域的公正- ........ 30

中村 葉 まちあるきガイドマップの地理学的考察

-新発田市文化遺産散策マップを事例に- ........................ 31

山田 将和 北九州市におけるインフラツーリズムの現状と今後の展望 ........ 32

阿部 優真 村落の「中心」とその変化 .................................... 33

唐澤 壮淳 ムラにおける共属意識の重層と拡大

-山形県東置賜郡川西町大字朴沢の事例- ........................ 34

菊地 耀 現代を生きる二王子神社 ...................................... 35

解良 知起 七日盆の石積み習俗

-新潟県旧栃尾市金沢を事例に- ................................ 36

佐藤 里穂 出稼ぎ女性の主体的意識 ...................................... 37

嶋野 萌香 十勝地方におけるシンセキのつきあいとその変容

-河西郡芽室町を事例として- .................................. 38

関沢 咲里 都市整備による祭礼の変化 .................................... 39

高杉 佑希 生活の中の大豆

-新潟県新潟市西蒲区巻東町を事例に- ......................... 40

高橋 巧 民俗芸能の「伝承の場」の拡大とその作用

-西馬音内盆踊りの囃子方から- ............................... 41

髙橋 直 地域産業と金山神社 ......................................... 42

星川 沙由里 葬送の変化と相互扶助組織

-山形県最上郡金山町松ノ木の事例から- ........................ 43

星野 七夕穂 新潟県北魚沼地方の十二信仰

-兎畑集落の十二神社祭日に注目して- .......................... 44

茂木 睦充 非稲作村落における複合的生業形態

-群馬県甘楽郡南牧村上底瀬 I家の生業を事例に- ................ 45

吉田 惇二 獅子追の伝承 ................................................ 46

力士 智 資源化する儀礼 .............................................. 47

渡辺 澪子 村落空間における道の諸相 .................................... 48

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社会・地域文化学主専攻プログラム

- 3 -

長谷河 雅司 秩父地方の神楽 .............................................. 49

伊藤 大地 宇都宮市内における戦争遺跡の保存・整備・活用についての研究 .. 50

清野 安祐美 縄文時代後・晩期における植物利用について

-石船戸遺跡を例とした植物利用プロセスの再検討- .............. 51

平形 杏里 群馬県吾妻川流域における縄文時代中期後半の中部高地系土器 .... 52

町田 光 北信地域の栗林式期集落遺跡研究 .............................. 53

山川 博哉 縄文時代における弓の弭ゆはず

について ............................. 54

若井 麻衣子 縄文土器における施文方法について ............................ 55

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- 4 -

地場産業の産業観光化によるまちづくり

―新潟県燕三条地域「燕三条 工場の祭典」を事例として―

青木 朋美

今日、日本は全国的に少子高齢化社会、人口減少社会に突入しており、まちの定住人口を

増やす取り組みだけではなく、外からまちに訪れてもらい、交流人口を促進させるという観

光による地域活性化が重要視されている。そこで注目されているのが観光まちづくりとも

呼ばれる地域主体の観光振興という手法である。この手法においては、外部資本でなく、地

域の固有資源を活用し、その地域の行政・住民が地域における工夫を生かした主体的な取組

みが求められている。しかしながら、これまでの研究では、このような性質を持った観光振

興は、経済的効果が注目され、観光振興がどのような形でまちづくりや地域づくりに繋がっ

ているのかは明らかにされてこなかった。

そこで、本稿では、観光振興の中でも全国の地域で注目される産業観光という観光形態に

焦点を絞り、新潟県燕三条地域において2013年から開催されている「燕三条 工場の祭典」

を事例として取り上げた。実行委員会のメンバー、市役所、事務局といった様々なアクター

へのインタビュー調査をもとに、産業観光がもたらす効果によって地域がどのように変化

したのか、そしてまちづくりにおける、地場産業を活かした産業観光振興が持つ意義の分析

をした。

調査の結果から、地域が主体となり、徹底して地域資源を活用するという燕三条地域が

取り組む「燕三条 工場の祭典」は、単に経済的な効果を地域に波及させるだけではないこ

とがわかった。観光の特徴でもある、他者から「見られる」という行為を通して、地域住民

のアイデンティティを再構成したり、地域資源を活用する活動が地域内で活発化したりす

るという社会的効果も表れるということがわかった。こうした効果を地域に波及させるた

めには、観光の目的を地域資源の発展、保全という地域振興の立場を前提として取り組むこ

とが重要であると考える。また、産業観光振興がまちづくりに繋がるとするならば、他者か

らの視線、他者との交流という視点が必要であり、産業観光振興において生み出される効果

や地域の内発力は、「地場産業・地域社会の持続可能な発展」に繋がる。さらに、地域資源

の魅力を外部の人から評価されることによって地域住民の「誇りと愛着の醸成」へ繋がる可

能性を持ち、地域産業や地域資源を活用した地域活動を活発化させる原動力にもなること

が明らかになった。

産業観光振興が与える効果を長期的に、継続的に地域内に波及させることで、「地場産業・

地域社会の持続可能な発展」と「誇りと愛着の醸成」へ繋がる可能性が生み出される。地場

産業とツーリズムを結合させるという地場産業の産業観光化では、こうした意義がまちづ

くりの原動力となるのではないか。本稿の事例は、地場産業の衰退が懸念される地域にとっ

て、地場産業だけでなく地域社会をも元気にしていく力をつける有効な手段となりえると

考える。

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- 5 -

現代の高齢者における社会参加

阿部 円香

2016年12月1日現在、日本の高齢化率は27.3%を超えた。こんにち、平均寿命は男性79.55

歳、女性86.30歳となっており、余生の過ごし方についてもより深く考える必要がある。

「高齢社会対策大綱」(内閣府、2012)では、高齢者の社会参加について、高齢者と社会

と結びつける効果、さらには高齢者の生きがいを創出する効果が期待されている。そこで本

稿では、実際に活動を行っている人がどのようなプロセスを経てその活動に至ったのかを

明らかにし、高齢者一人ひとりが自分に合った活動に参加することができるよう、高齢者と

活動とをつなげる要因を得ることを目的とする。

高齢者の社会参加活動を4つに分類し、それぞれ異なる社会参加活動に参加している高齢

者にインタビュー調査を行った。結果的には、現在活発に社会参加活動を行っている人は、

過去にも社会活動に参加しており、片桐恵子(2013)の結果をなぞる形となった。片桐はそ

の理由までは考察していないが、今回の事例では次のことが言えるだろう。まず、自身のや

りたいことを探し出すための知識を今までの経験から得ている点である。次に、新しく何か

を始める際の1歩踏み出す場面で、今までの経験が自信となり、後押しとなっている点であ

る。また3人は共通して「とりあえずやってみる」という信念を今までの人生経験から、あ

るいは今までの活動を通して持っている。新たな活動に参加する際に、これらは大きな支え

となるだろう。

以上より、高齢期以前の活動参加が高齢期の活動に影響を与えることが伺えた。高齢期以

前の活動経験のない層へのアプローチの難しさについては片桐も述べている。経験の差を

できるだけ埋められるようなサポートが必要となるだろう。

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- 6 -

学童保育所における担い手の変化がもたらす効果

泉 綾乃

女性の社会進出により、子どもを預ける場所の需要は高まっており、待機児童が出る所も

ある。待機児童の問題の対象として幼稚園や保育園に焦点があてられるが、子どもが小学校

へ入学する際にも同様の問題は生じている。このような状況は「小1の壁」という言葉で表

現され、子どもを安心して預けることのできる場所を確保することなしに働くことは困難

となっている。また、子どもが放課後や長期休暇中、多くの時間を過ごすこととなる学童保

育所は質的・量的に充実させていく必要がある。学童保育にはどのような運営が望まれるの

だろうか。本論文では、運営主体が公営と民営に分かれている点に着目し、一般的な型であ

る公営ではなく、民営型が増加傾向にあることから、民営ならではの特徴が学童保育の環境

にどのような効果をもたらしているのかについて考察していくこととした。

民営型である NPO 法人「ディンプルアイランド」が運営する学童保育所の1つ「きっず

ぽーと」へ訪れ、インタビュー調査を行った。「ディンプルアイランド」は新潟市で初めて

NPO 法人として学童保育所を立ち上げ、なかでも「きっずぽーと」はスーパーのウオエイ

に併設されているという全国的にみても珍しい形態の学童保育所である。

調査により、民営であることの特徴として、柔軟性が大きくみられることが明らかとな

った。柔軟性があることから、学童保育所における取り組みは多様に展開されており、そ

の活動は施設内での遊びにとどまることのない、1年を通して保護者や地域との連携が密

にとられる外に開かれた活動であった。外に開かれた活動が行われることで、学童保育所

は単に子どもを預ける場所として機能するだけでなく、地域と子どもを繋ぐ役割として機

能していた。そして、普段の生活で経験できないような多様な取り組みを通して、成長過

程にある子どもの主体性や社会性が育まれ、子どもが充実した放課後の時間を過ごすこと

が保護者に安心感を生み出していた。担い手が変化することで活動には柔軟性が生まれ、

その活動により、運営主体、保護者、地域、そして子ども同士のつながりがより強固なも

のになるという効果が見出された。充実した学童保育の環境を求める声の多いなか、民営

という運営方法は有効であり、今後ますます浸透していくのではないだろうかと考える。

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- 7 -

地域イベント『AKARIBA』をめぐる協働関係についての考察

大森 颯

近年の日本では少子高齢化とともに、地方で進む人口減少が問題になっている。それに対

し、人口減少の進む地方では多く地域活性化対策が行われている。当然ながら完全に人口減

少を止めるのは不可能であるが、地域活性化政策を行うことで人口減少を少しでも停滞さ

せ、地域に再び活気を与えることは無駄であるのかといえば決してそうではない。なかには

地域の現状からくる課題を明確にしたうえで若者中心とした市民の力で新しいまちづくり

を行った結果、まちに良い影響を及ぼすことができた地域もある。本稿では多くの人々のつ

ながりや協働関係を重視し、こどもや若者を中心として新しいまちづくりを行った地域を

対象に、衰退していく問題を抱えている状況をいかにして乗り越えていくか、良い方向にし

ようとしているかを多くの人々のつながりや協働関係、特にどのような経緯で協働関係に

至ったか、関係が深まったかに着眼する。

対象は、新潟県加茂市とする。加茂市は加茂青年会議所が中心となり地域イベント

「AKARIBA」を、地域を挙げた行事として2007年から開催している。その「AKARIBA」に地域

住民やこどもたち、市内外の大学生など多くの人を巻き込んで地域の活性化を進めている。

その AKARIBA がどのような経緯で成立し、運営に関わる人々をいかにして巻き込んでいっ

たかを現役の加茂 JCの会員であり AKARIBA2009の実行委員長、2015年加茂 JCの理事長を務

めていらっしゃった牛膓一丈氏のインタビュー調査の内容、そして加茂青年会議所から提

供していただいたパンフレット、事業企画書を参照する。

調査分析の結果、AKARIBA開始から十年を通して、年々運営参加団体が増加している要因

には多くの団体が関わることができるような環境づくりがしっかりと行えていたことがま

ず把握できた。まずは加茂市民に受け入れてもらえるようなイベントをつくることに力を

入れることで、次のステップである運営に参加してもらえるような人を多く募集する段階

に移れるようになったのだ。AKARIBAでできたつながりを通して、一丸となって地域活性化

に向かっていくことができた要因等を考察することにもつながった。

現在10年目であり、加茂市の一大イベントと認知され安定しつつある AKARIBAであるが、

まだまだ課題も存在する。これから更に成長させていくためには AKARIBA を経て培った具

体的な経験や教訓を他地域に「経験知」として伝え、自分たちも他地域から学び取っていく

ことである。加茂市だけの認知度だったイベントから、徐々に市の外へ認知させていき地域

活性化につなげていくためには必要なことであり、今加茂青年会議所がやっていく必要の

ある課題なのである。

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純粋な関係性に対するアプローチの性差

大給 彩加

近年、地域コミュニティの衰退が指摘されている。このような中、ギデンズにより「純

粋な関係性」という新しいつながりが提唱され(Giddens、1995)、この関係性は現在の若

者の交友関係、恋愛において重要な役割を果たしつつある。しかしその反面、個人は友人

や恋人を繋ぎとめる手段として、電話や SNS などを通じて連絡を取ること等のきめ細や

かな継続への努力が重要となっており、その点において、純粋な関係性は脆く、崩れやす

い関係であるとも言われている。また一方で、つながりの形成については、性別よって、

同性友人、異性友人そして恋人によって、構築の仕方や付き合い方、関係性自体に期待す

るものに違いがあることが言われている(Chambers,2015)。現代においてつながりの形は

多様化しており、つながりは特徴が異なっていると考えられる。その違いが個人の行動に

どのような影響を与えているのかを考察する。また、男女でのつながり方の違いについて

も比較し、性別でつながり方は差があるのではないか。そこに関しても調査した。

本稿においては、NHK 朝の連続テレビ小説「ごちそうさん」「まれ」の2本において、

主人公と周辺人物がどのように関係を作り、純粋な関係性がどのように機能しているのか

を検討した。また、男女差を見るために、男性視点として主人公の夫となる人物を挙げ、

それに関しても調査を行った。会話の回数、ターニングポイントとなる会話の内容、関係

性を挙げ、その人物が主人公の人生や考え方にどのような影響を与えるか、またその人物

が主人公にとってどのような人物であるのかを考察した。

本稿で論じたかったのは、純粋な関係性と地縁・親族関係でなにか関わりに違いがある

のではないかということであったが、明確な差を見つけることはできなかった。というの

も、2つの朝ドラのテーマは、主に家族であった。故に家族と話す回数は多い。地縁に関

しても、「まれ」の方は、元々地縁や親族ネットワークの濃い場所を舞台としているの

で、純粋な関係自体をみることがほとんどなかった。また、男性と女性で比較するのにも

関わらず、朝ドラ全般が女性の主人公をメインとしており、夫であるとはいえ、登場回数

に偏りが極端に出てしまった。これに関して分かったことは、主人公を取り巻く人間関係

を見たときに、朝ドラはかなりの確率で親族になってしまう。特に「ごちそうさん」の西

門正蔵、諸岡弘士ら。「まれ」の寺岡みのりや紺谷圭太らは顕著である。それゆえ、つな

がりの研究に関して朝ドラは不向きであったと結論づけた。

また、男性と女性でのつながり方の違いについては、先行研究の通りであり、女性の友

情は深く、男性の友情は女性よりも浅く見受けられた。女性は男女問わず話をし、まんべ

んなくターニングポイントとなるような会話をするのに対し、男性は、ほぼ男性との会話

からターニングポイントが生まれ、女性とはその後恋愛関係になる人物にのみ、それが見

られた。内容としても女性は、公や私の深い話までしている印象だが、男性は仕事のこと

や自分の信条に関わることが多く、なんでも話すといった印象ではなかった。

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- 9 -

新潟市における農福連携の現状と展望

梯 真由美

農福連携という言葉をご存じだろうか。農福連携とは、農業分野において障がい者の雇用

創出や、居場所づくりをしていこうとする取り組みである。現在、日本の経済における農業

は弱体化している。これは、耕地面積の縮小や、農業の担い手の高齢化、若年層の参入が限

られているなどの「農業基盤の弱体化」によって引き起こされている。他方、障がい者福祉

における現状も改善が必要である。障がい者の就労における法律は改正されてきている。し

かし、障がい者雇用における賃金の水準はいまだ低いままであるという課題がある。これら

両分野における課題は、農業分野もしくは福祉分野のみでの解決は困難であると考えられ

る。そこで、課題解決の糸口として農福連携がある。農福連携によって、農業サイドには農

作業の計画化や社会貢献、労働力の確保などのメリットがあると考えられ、福祉サイドには

賃金のみならず、体力やコミュニケーション能力の向上ややりがいの創出などのメリット

が考えられる。今後、農福連携のさらなる促進が望まれる。

また、農福連携の促進において重要なことは農家と福祉のマッチングである。農福連携の

初期段階では、農家と福祉が関わりをもつことが重要なためである。そのため本稿では、中

間支援組織とその支援によって結び付いた連携を調査して、課題と解決方法、その展望を述

べた。

そこで、新潟市における農福連携の中間支援組織である新潟市障がい福祉課あぐりサポ

ートセンターと、その支援活動によって結び付いた農福連携6件を対象としてインタビュー

調査を行った。

この結果、農福連携の課題として農家側から挙げられたのは、時間に融通を聞かせられる

ようにしてほしい、メンバーの固定化、今後の賃金に関する課題の3つである。他方、福祉

側から挙げられたのは、お互いがより深い意見を言い合える環境を作ること、障がいの特性

について理解を深めることの2つである。これらの課題が出てくる原因として、連携への見

解を統一することが挙げられる。障がい者の就労においては「雇用」と「福祉的就労」の2

つの側面がある。この齟齬を無くしていくことが解決への1つのアプローチとなるだろう。

また、農福連携の展望として、農福連携を今後地域に開かれた取り組みへと発展させていく

ことが挙げられる。農福連携の今後の動向に期待が高まる。

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- 10 -

ディズニー映画にみる男性像と女性像の変遷

菊地 雛

私たちは日常生活の中で、テレビや新聞、インターネットなど、様々なメディアから情報

を受け取り、そこから得た情報は個々人の生き方や価値観に作用する。幼い頃に見たアニメ

や映画はその価値観の奥底に根付いており、それを覆すことは容易ではない。なかでもディ

ズニー社が製作するプリンセス物語は世界中の女の子に影響を与え、登場するプリンセス

は憧れの対象となっている。ディズニーアニメーション映画は多くの人々に夢を与えてき

た一方で、描かれるプリンセス像には、ストーリーやキャラクターにジェンダー・ステレオ

タイプ化された男女の姿が描かれているとされ、そのことが常に批判の対象となってきた。

批判を受けながらもディズニープリンセス映画は時代に合わせて変化しつつある。2014年

に公開された『アナと雪の女王』は、ディズニープリンセス映画で初めてのダブルヒロイン、

従来のプリンセス―プリンス間に描かれる異性愛ではなく姉妹愛がテーマであったこと、

そして劇中歌が大きな注目の的となった。「愛の形は必ずしも異性愛ではなくてもよい」と

いう現代的なメッセージは革新的に見えるが、本当にそうなのだろうか。

先行研究をふまえ、ディズニープリンセス映画全12作品を調査対象として視聴し、12人

のプリンスと13人のプリンセスの外見の特徴と衣装、プリンス―プリンセス間の関係につ

いて分析を行った。

調査の結果、初期の作品ではプリンスもプリンセスも一目惚れで恋に落ちるが、1990年

代中盤からは好きになっていくプロセスを描くようになり、最新作『アナと雪の女王』では

一目惚れの相手が運命の人であると断定するヒロインを完全否定している。プリンセスの

衣装替えのタイミングが持つ意味は時代ごとに変化しており、外的要因から内的要因へシ

フトしている。それと同時にプリンセスの関心も自己へ向かっていることが明らかになっ

た。近年のプリンセスはもはやプリンスを必要としない自立した女性として描かれるが、日

本におけるプリンセスイメージは、情報を発信する日本公式ディズニーによっても植え付

けられている。未だに日本におけるプリンセスのイメージは「ヨーロッパが舞台で、可愛く

て、愛するプリンスとお城で幸せに暮らす女性」である。「プリンセス=大きな目=可愛い」

という図式が成り立っており、また城は上昇婚願望のシンボルである。

2012年以降の作品ではフェミニズム的配慮がありながら、多様な個を受け入れ共存する

社会を描いている。この流れにのって従来のプリンセス像を打ち壊し、より多様で魅力的な

女性像が描かれ世界中に広まっていくことを今後に期待する。

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- 11 -

農山村地域の現状からみる地域再生

―新発田市板山地区を事例として―

栗城 佳子

今日、農山村地域において過疎化や少子高齢化が進んでいる。総務省による統計によれば、

過疎市町村の数は738市町村(2007年4月時点)あり、全国の市町村の約4割にあたる。この

ように現実は厳しい。したがって、今後の地域再生とは、人口減少や少子高齢化に歯止めが

かからない状況を前提とした上で、住民が安心して充実した暮らしができる環境を確保す

ることであるという考えに変わりつつあるようだ。そこで、地域住民が当事者意識をもち、

自分たちで集落の運営を担い、加えて活性化活動を行っていくことが重要ではないかと考

えた。そのためには人員の確保が必要である。これらを踏まえ、本稿では地域づくりに対し

無関心な層や、比較的参加率の低い若い世代、そして男性の立場が依然として強い集落のな

かで女性をどのように参画させていくかということを課題とする。さらに、取り込んだ人々

を離さない工夫についても明らかにする。

調査対象は新発田市板山地区である。ここは人口減少や高齢化が徐々に進んでおり課題

も抱えているが、地域づくりにおいて人員を集めることに長けている地域である。この板山

地区には多くの村落内集団が存在するが、そのなかでもイベントの開催等を精力的に行う

地域づくりの任意団体「夢づくりいたやま」に所属する方々10名に聞き取り調査を行った。

その結果、以下のことがわかった。

まず、無関心な層に参画してもらうためには、地域づくりを担う組織が活動を充実させる

こと、そして、あの空間に入りたいと思わせるような良い雰囲気づくりが大切であることが

わかった。さらに、板山は声かけを重点的に行っていた。声をかけると「自分は頼りにされ

ている」と感じる人も多いようで、参加につながる可能性が広がるのである。つぎに、若い

世代や女性に参加してもらうためには、子どもを介して親世代を引っ張ることが有用であ

った。板山の事例では PTA に声をかけ、子どものためなら動くという親の心理をつき、一

緒に夏まつりの盆踊りに参加してもらっていた。これが今まで集落の行事に出てこなかっ

た人が出る契機になった例もある。さらに、子どもと一緒に女性が参加するきっかけにもな

るだろう。最後に、取り込んだ人々を離さないためには、ゆるやかな組織づくりを心がける

ことや代表(組織の代表や各班の班長)を交替制にすることが有用であった。なぜなら、何

よりも楽しめて、重荷にならないことが重要だからである。

このように、板山地区は人集めに長けており、その集めた人々を逃がさない仕組みがあっ

たからこそ、地域づくりが続いてきたのだろう。したがって、ここで得られた人集めの工夫

は有用性のあるものといえるのではないだろうか。

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社会・地域文化学主専攻プログラム

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「ひろば型」地域子育て支援が果たす効果

甲野 真衣

労働環境、家庭・子育てに関する意識、家族形態、地域環境の変化等の様々な要因が複雑

に絡み合った結果として、現代の日本社会で少子高齢化が進行し、子育てをめぐる環境が大

きく変化してきた中で、それまで主に母親によって担われてきた子育てに限界が訪れ、子育

ての社会化が推進されていくべきであると指摘されるようになった。その中で、現代社会に

おける子育ての困難さから、育児に対する「不安」が肥大化した結果、子育て家庭の母親当

事者たちが社会と「交流」をする事が可能になる「ひろば」へのニーズが発生した。「ひろ

ば」型支援は、地域子育て支援拠点事業の一画を担うようになり、多様な「ひろば」が誕生す

るに至った。本稿では、主に新潟県上越市において活動を行う認定非営利法人マミーズ・ネ

ットが自主運営を行う子育て応援ひろば「ふぅ」における運営者・スタッフ・そして利用者で

ある母親への聞き取り調査を通し、子育てひろばが果たす効果の内容、また、その効果がど

のような条件の下で発揮されるのかについて明らかにし、今後の地域子育て支援における

「ひろば」型支援の可能性を検討することを目的とする。

対象者への聞き取り調査の結果、「ひろば」は、①ネットワークづくりの場(友達づくり、

些細な悩み相談、情報交換の場)②母親支援の場(母親の社会参画・自己実現を応援する場)

としての役割を持つ事が示された。特に、今回の調査における利用者の属性に関して、地縁

関係・子育てネットワークが欠如している転勤族の核家族世帯の母親たちが主であること

が明らかになった。しかし、ひろばでは、こうした母親に対しても、利用者をもてなすとい

った意識でひろば運営を行うのではなく、子育て当事者同士の支援を重視した、母親たちが

主体的に繋がりを創り出せるような運営に支援者側が努めていたことが明らかになった。

活性化の傾向にある「ひろば」型支援だが、単に「ひろば」を提供するだけでは、効果は期待で

きない。ひろばを運営する目的を明確にした上で、効果を生み出すために、各運営団体が目

的を達成できるようなしかけを作りながらひろばを運営していく事が今後の課題の1つで

あるといえるだろう。

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地方都市における多文化共生社会に関する社会学的研究

―外国人住民の生活から見る共生への課題―

小島 佑介

グローバル化が進展するにつれ、これまで以上に日本人住民と外国人住民が接する機会

は増え、外国人住民との関係をいかに構築するのかということへの関心が高まっている。

こうした状況に対応するため、政府や各地方自治体は「多文化共生」を目標に、さまざま

な取り組みを行ってきた。一方で、これまでの「多文化共生」に関する施策や研究は、大

都市や集住地域をベースとしたものが多く、地方における研究の蓄積が求められている。

本稿では、新潟県新潟市に住んでいる、あるいは新潟市を仕事の場として生活している

ロシア人住民に聞き取り調査を行い、外国人住民から見た地域社会での共生に向けた課題

を検討する。新潟市は地理的にロシア極東地域と近く、昔からロシア人とのかかわりが深

い地域であった。そのため、現在でも外国人住民の約2.9パーセントを占めるロシア人の

割合は、全国的にも著しく高く、特徴的な数字となっている。

調査対象者への聞き取りを通し、必ずしも自治体や NPO団体のイベントや支援を必要と

せず、選択的にネットワークを形成することで生活の質を高めようとする外国人住民の姿

を見ることができた。また、その姿から日本人住民と外国人住民の間に「国際交流」に対

するズレがあることが同時に明らかとなった。このズレが生まれる要因として、それらの

活動が行政や日本人を中心とする団体の中で完結したもので、外国人住民自身の声が反映

されていない状況が考えられる。このズレを解消するためにも、一時的でその場のみで完

結するようなイベントではなく、外国人住民が気軽に話をできるような、常に開かれた空

間を作り上げることが重要になる。

また、俵希實(2009)が相互理解のきっかけとして挙げた「近所付き合い」について

は、今回の調査からはその効果が確認できなかった。日本人住民同士の近所付き合いが盛

んでない地域では、近所付き合いを外国人住民自身が抑制している様子が見られた。多文

化共生に向けた施策には、こうした地域の特性も反映させなければならない。

日本社会における多文化共生に向けた動きは、今後ますます活発になることが予想され

る。そこでは、住民自身がお互いを理解しようとする姿勢が求められると同時に、国も外

国人に対する政策を改善しなければならない。加えて、多様化し続ける外国人世界を把握

するためにも、より多くの国籍を対象とした研究を進める必要がある。

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スポーツを核とした地域コミュニティについての考察

-エンジョイスポーツクラブ魚沼を例に-

斎藤 陸人

日本社会はかつての姿と比べ、大きく変化してきている。かつては、隣近所の付き合いは

濃く、隣近所で一種のコミュニティが形成されていた。しかし、不可逆的な時代の流れを受

けて、地域のつながりは衰退していると言われる。私たちは近所でのつながりに代替しうる

方向性として、自分の興味や関心に基づいてコミュニティに参加することができる。本稿で

は、スポーツを通したコミュニティとして、地域のスポーツクラブを想定した。特に、高齢

者が地域スポーツクラブに参入する意義は大きい。運動によって健康の維持・増進が図られ、

健康寿命を引き延ばすことができるだけでなく、クラブが楽しみや生きがいとなれば、高齢

者にとっての地域スポーツクラブ活動はより有意義なものとなるだろう。そこで、高齢者に

とって、地域のスポーツクラブは“新しい公共”として地域コミュニティとなっているのか

を明らかにしたいと考えた。

多くの先行研究では総合型クラブの可能性や設立・育成過程に焦点が当てられてきた。

しかし、総合型クラブが利用者にもたらした作用を、具体的な質的調査をすることで明ら

かにした研究は見受けられない。そこで本稿では、地域づくりの観点から、高齢者を対象

に、総合型クラブの質的研究を行った。具体的には、衰退しているとされる近隣コミュニ

ティに替わって、地域スポーツクラブにおいて形成される人間関係が“新しい公共”とし

ての地域コミュニティになり得るのかを考察した。

結論として、地域のスポーツクラブは、高齢者にとっての“新しい公共”として地域コ

ミュニティになっていることが分かった。クラブに通うようになったきっかけとして、定

年後の第二の人生のスタートとなっている例が多く見受けられた。そして、クラブでの交

流が、友達づくりの場となっていたり、普段家に取り残されている高齢者にとっての話し

相手の役割を果たしていた。また、生きがいや知恵の共有の場になっているとの声も聞か

れた。ただし、クラブが運営される上で、様々な条件や課題をクリアしていく必要がある

ことも明らかとなった。地域に密着して運営していく中で、住民の声を聞き、柔軟に対応

していく必要がある。

今回の調査より、今後の地域づくりにおいてカギとなる“公益性”の中心的役割を、地域

のスポーツクラブが担うことができる可能性が窺えた。この分野は全国的にみてもまだま

だ発展途上の段階にあり、理論と実践を踏まえながら今後さらに展開していくことが期待

される。地域のスポーツクラブが地域コミュニティとして包括的に機能する日も近いかも

しれない。

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合併市町村における高齢化問題

-新潟県長岡市越路地域を事例に-

佐藤 凪沙

日本ではこれまでに3度の大きな合併を経験した。特に平成の大合併は、家族とコミュニ

ティが大きく変容してきたことや、人口減少・少子高齢化の進展を機に、複雑多様化する住

民のニーズを提供しなければならないなどと、市町村を取り巻く環境が厳しさを増してき

たことが背景となっている。平成の大合併は、果たしてすべての旧市町村にとって有益であ

ったものなのだろうか。全国町村会によれば、旧市町村のマイナス効果として「行政と住民

相互連帯の弱まり」、「周辺部の衰退の加速」、「財政計画との乖離」という3つを挙げて

いる。介護保険制度の点から述べれば、2015年の制度改定で要支援者向け予防給付の訪問

介護と通所介護が市町村に委託されたことにより、住む地域によって料金や内容に差が出

てしまっている。また、日本は先進国の中でもジニ係数が高く、その原因は高齢者の所得格

差にあると言われている。救貧的な性質を超えて、QOL そのものを対象に地域福祉を実践

すべきとも断言しがたい。本論文では、合併地域が高齢化においてどのような問題を抱えて

いるのかに焦点を当て論じている。そしてその問題点を解決し「地域共同社会」を再生する

ために、住民と行政がどのようなパートナーシップを築いていくべきなのかを検討し、高齢

者福祉施設が、福祉機能を超えて地域活性化機能をもてる可能性を考察した。

調査結果から、越路地域では合併以前より「互助の精神」が培われてきており、健康や介

護に対する意識を高め合ってきたことが分かった。しかし、行政主催の高齢者向け活動では、

交通の不便さから越路地域の中でも参加者の人数にばらつきがあるということが明らかと

なった。コミュニティバスの開始など、高齢者の足をどのように確保するのかが求められる

だろう。また、行政はそのような活動に参加する高齢者の世帯状況について把握していない

という現状も浮き彫りとなった。単身高齢世帯の増加が見込まれるなか、今後行政は、虚弱

老人や引きこもり高齢者に対してどうアプローチをとるのか考えなければならないだろう。

福祉施設について、わらび園では「ふれあい祭り」を通じて地域の人々がつながり持つ機会

や、日頃から様々なボランティア活動の場を提供し、高齢者と地域の人がつながるだけでな

く、多くの人の活躍の場となっていることが明らかとなった。一方、1人暮らし高齢者向け

のケアハウスでは「ケアハウスの高齢化」が進んでいる。単身高齢者が家族以外の社会関係

の持続性・継続性を取り戻すためにはケアハウスの増設が必要となるだろう。

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市民による地域遺産の再生

―高田世界館を事例として―

佐藤亮介

近年、地方を中心に百貨店などの大型商業施設の撤退が全国的に相次いでおり、街なか

の賑わい低下が懸念されている中で、外部の資本に頼るのではなく、地域固有の文化や資源

をまちづくりに活かそうとする市民の営みが求められている。

こうした事例として、新潟県上越市に位置する映画館「高田世界館(以下、世界館)」が

挙げられる。明治44年(1911年)に建てられ、現役で日本最古の映画館という歴史を持つ

世界館は、2007年に取り壊しの危機に陥ったが、市民有志による NPO の保存活動によって

その危機を乗り越え、再生がなされた。このように長年地域に根付いてきた歴史ある建造物

は住民にとって精神的な価値を持っており、他地域との差別化という点からもまちづくり

に有効である。

ところが世界館はかつてポルノ映画を上映する成人映画館だったため、保存活動が起こ

った当時、地域住民からのイメージは決して良いものではなかった。そのため、建物を残し

ていくには、世界館を地域の遺産として読み替えていくことが必要であった。こうした状況

下でどのように価値を発信し、保存・再生へとつなげていったのか。

保存活動開始当初は市や各種財団からの支援を受けるため、世界館が地域活性化に資す

るものであるという経済的な価値が強調されていた。体制が整って以降は商店街との連携

など、独自の企画を数多く行っていくことで、今まで世界館との関わりを持っていなかった

人々も集うようになった。そしてそこで生まれる交流などを通して彼らが世界館の持つ固

有の価値を認識し、特別な場所として意味づけていく様子が見て取れた。成人映画館という

イメージを払拭するうえで表面化しにくかったその歴史も、世界館単体ではなく、まち全体

の歴史の流れの中に位置づけていくことでとらえ返すことが可能となり、世界館の持つ価

値の認識に役立っていた。

ただ、その運営は一部のキーパーソンの働きに頼るところが多く、世界館がその価値をさ

らに発信していくためには、ボランティアスタッフなど、世界館に新たに集うようになった

人々が主体性を発揮し、新たな活動を生み出していくことが今後求められる。

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協同労働が成立するための諸要因

猿子 隼平

今日、高齢者介護や育児、障がい者支援や就労支援など様々な民間営利部門や行政の公的

部門では提供しきれない領域について非営利組織の活動が拡大している。そのような課題

を解決するために事業を行うことを目的として、労働者一人一人が出資・経営・労働をして、

対等な関係として仕事作りを行っていく「協同労働」が注目され始めている。労働者自身が

責任感や自発性を持って仕事に取組み、こうしたいという思いを叶えやすいため、働くこと

への充実感ややりがいを感じることができるようだ。

本稿では、そのような協同労働を理念とする組織として「ささえあい生活コミュニティ新

潟」(以下ささえあい生協)を取り上げた。ささえあい生協は2006年に設立された生活協同組

合で、利用者と労働者が出資した資金を原資に事業を行っており、労働者協同組合の性格も

有している。小規模多機能型介護事業所を中心に様々な事業を展開する生協であり、昨今の

人材不足が厳しい介護業界の中で拡大を続ける注目の団体である。そのような拡大傾向に

ある組織であるが、必ずしも働く職員は協同労働を理解したり、賛成しているわけではない

とのことであった。しかし、資金をつくり、事業を運営するためには組合員の参加と協力が

不可欠だ。本稿では事業所職員の経営参加や出資を促進して協同労働に巻き込むための諸

要因とそのような労働者の参加を促進しつつ事業体として統合するためのガバナンスの在

り方について考察した。

本稿の調査結果によれば、人々を協同労働に巻き込む要因としては、①個性の尊重によっ

て職員自身の考えや仕事のやり方を認めること、②職員が意見を考え、作ることができるよ

うな身の丈にあったレベルから協同労働を実感させること、③他の人との対等性や視点の

共有、④事業所の在り方や働き方への改変可能性としての参加者が意見を言う余地、⑤決定

権力のある役職の人までの物理的、制度的、気持ち的な距離が近いことで意見を言う際の抵

抗を無くすことが挙げられた。また、組織のガバナンスについては、①効率性と民主主義の

バランス感覚、②民主的決定を組織や職員にとって「いい方向」へ方向付けたり、方向修正

するためのある程度の権力、③役職者ぶらないで役職者らしくあろうとする姿勢、④情報を

共有して合意形成をしやすくすることが挙げられた。

先行研究では、人間関係の対等性や、職員の啓蒙によるレベルアップ、職員や利用者との

絆といった特徴が協同労働を可能にするカギとされていた。本稿ではそのような人間関係

や人材などのソフトの観点に加えて上司へのシステム的な近さ、意見を言う余地や必要性

といった構造的な観点を新たに得ることができた。

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生涯学習から実践的な地域活動への接続

島田 悠輝

生涯教育・生涯学習の推進は我が国の重要課題となっている。1999年には、生涯学習審

議会答申「学習の成果を幅広く生かす ―生涯学習の成果を生かすための方策について― 」

において、学習の成果を単なる趣味・余暇的なもので終わらせるのではなく「『地域社会の

発展』に生かす」方針が示された。このように行政は、生涯学習の成果が個人の領域のみに

とどまらず「まちづくり」や「ひとづくり」につながることに期待している。

また近年では、行政側の期待が高いのみならず、学習者自身においても学習の成果を地域

社会に生かしたいというニーズが高まってきている。2012年に内閣府が行った「生涯学習

に関する世論調査」によれば、身につけた知識・技能や経験を地域活動に生かしたいと思っ

ている人は7割を超えていた。しかし同調査で、実際に生かしている学習者は2割程度しか

いないことも明らかとなった。そこで本稿では、このような差が生じている原因と、それを

解消するために必要な要素を考察する。特に、近年重視されてきている学習者のソフト面の

ニーズに注目したい。

調査対象とするのは、新潟県長岡市にある市営の地域交流センター「まちなかキャンパス

長岡」(以下『まちキャン』)である。本施設は生涯学習まちづくりに取り組むうえでのハ

ード面の整備が充実しており、社会教育行政が抱える課題もおおむねクリアしている。その

ため、ソフト面に的を絞って、生涯学習まちづくりの課題や今後の方策等を検討できると考

えられる。また本施設のほかに、学習の成果を生かして地域活動を実践している方々にもお

話を伺い、生涯学習まちづくり達成のためのヒントを得ることとする。

「まちキャン」利用者へのアンケート調査の結果、学習の成果を地域社会に生かせていな

い原因として ①生涯学習に取り組める時間が少ないこと ②相互交流できるような雰囲気

が生まれていないこと ③「学習成果が生かす段階に到達していない」と考えている人が多

いこと ④「どうやって生かせばよいかわからない」人が多いことが挙がった。そしてこれ

らを踏まえて地域活動実践者と「まちキャン」職員への調査結果を検討したところ、学習の

成果を地域社会に生かすためには、学習前・学習中・学習後のそれぞれに必要な要素がある

ことが明らかとなった。学習前に必要な要素は、学習に取り組む時間の創出である。学習中

に必要な要素は、学習を継続するための支援と、地元への帰属意識をもつことである。学習

後に必要な要素は、周りの人からの地域活動への勧誘と、一緒に地域活動をする仲間がいる

ことである。これらを段階的に満たしていくことで、現代的な地域課題に取り組めるように

なるための準備が整った状態となる。

このような状態に到達すれば、あとは実践的な行動に移すだけである。「まちキャン」の

すぐ近くには「ながおか市民協働センター」があり、そこに出向けば地域活動に関する相談

や多種多様な市民団体の紹介に応じてもらえる。そうして学習者が自らの興味・関心をもと

に活動に取り組むことで、生涯学習の成果が実践的な地域活動に接続されていくのである。

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ワーク・ライフ・バランスへ向けての実践活動についての考察

―WLB管理職育成へ向けて―

島守 一仁

近年、少子高齢化が進み、労働人口自体の減少傾向から、国を挙げて女性の活躍を推進し

ている。しかし、女性の活躍を期待するならば、働きやすい職場環境の整備が必要である。

そのために現在推進されているのがワーク・ライフ・バランス(以下 WLB)である。WLB を

推進するために重要な要因となるのが、部下たちに対する理解を持った、WLB を体現でき

る管理職(WLB 管理職)の存在である。

本論では、WLB を推進する企業が管理職に対して実際に行ってきた取り組みの事例を提

示する。先行研究の検討によって明らかになった WLB 管理職像を基準として、実際に、企

業は管理職にどのような役割を求めているのかを確認し、WLB 管理職を増やしていくため

にはこれからどのような方策が必要なのかを課題として考察する。

まず WLB 管理職像を基準としたときに、企業の考えと共通するのは人材育成に対する意

識であった。しかし、WLB 管理職養成のためには WLB に対する意識も高めていく必要が

ある。したがって管理職は限られた時間の中で最大限の業績を上げるための方策をとる必

要がある。つまり生産性の向上が鍵である。WLB 管理職の要件と企業が管理職に求める人

物像を融合した時、利益を上げる意識もしっかり持つ「イクボス」という言葉がそれを表現

する。このイクボスを育てていくためには企業それぞれの取組とともに、NPO 法人ファザ

ーリング・ジャパン(以下 FJ)が進めるイクボスプロジェクトをはじめとした社会からの

働きかけも必要となる。イクボスを啓発していく際に、やはり継続的な働きかけが重要とな

るだろう。FJ だけで全国をまるごと継続してフォローアップしていくことは難しい。した

がって重要になるのは都道府県、さらに市町村単位で官民を超えた取り組みである。同(他)

業種による働き方についての管理職による意見交流の場を設けるなど、より多く自らの働

き方、WLB について考える機会・イン(アウト)プットを増やしていくことは効果がある。

WLB 管理職・イクボスの必要性が社会により認識されるようになれば、WLB はより大き

な広がりを見せるだろう。

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母子避難者の行動選択とその諸要因の考察

―新潟市の母子避難者の事例から―

菅家 祐太朗

2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに伴う福島第一原子力発電所事故の被害

は、大量の避難者を生み出した。避難者の中には、父親は福島に残り、母親と子どもは他地

域へと避難するという二重生活を余儀なくされている母子避難者が多い。母子避難者は二

重生活による経済的困難に加え、家族や避難元地域での人間関係からの分断、避難先地域で

の孤立などの諸問題に同時に直面しており、このような母子避難者の生活再建は社会的課

題である。また、2017年3月には自主避難者の「命綱」であった民間借り上げ仮設住宅制度

の一部終了が予定されており、母子避難者は避難か帰還かという選択を迫られている状況

にある。

以上の問題意識のもと本稿では、第一に、民間借り上げ仮設住宅制度の終了を前に、母子

避難者がどのような諸問題に直面しているのかを明らかにすること。第二に、明らかとなっ

た諸問題を踏まえ、母子避難者の選択の幅を広げるために必要な条件を考察すること。第三

に、新潟市の母子避難者が展開してきたすぐれた当事者支援活動を事例に、それを可能とし

た諸要因を考察することを課題とし、質的調査を行った。調査は、全国的にも多くの自主避

難者が居住している新潟県新潟市の母子避難者を対象として行った。

調査の結果、母子避難者が直面する諸問題は「①住居選択と経済的不安」「②子育ての不

安」「③母子の健康不安」「④父親との関係性」「⑤避難先での生活の不安」「⑥福島との

関係性」の6つに大別できるが、これら6分類に当てはめられない問題も存在していること、

諸問題が複雑な連関を持っており、多面的な視点での解決が必要であることが明らかとな

った。

また、新潟市の母子避難者による当事者支援活動は、原発事故により「人生」や「暮らし」

を奪われた避難者たちが、自らの行動によって「生きがい」を再形成するために重要な役割

を果たしてきた。さらに、それらの活動が避難者と地域社会の間に「相利共生」の関係性を

構築しはじめている様子がみられた。

このようなすぐれた当事者支援活動を展開できた諸要因として、第一に、母子避難者によ

る強力なリーダシップと避難者同士のコミュニケーションへの創意工夫があったこと。第

二に、迅速で柔軟な対応のもと避難者を受け入れた、新潟の行政や地域社会があったこと。

第三に、地域に根差して活動してきた子育て支援の市民団体が、母子避難者に長期的に寄り

添ってきた姿勢があったことがわかった。

結論として、将来的な母子避難者の生活再建に向けては、避難者の声を傾聴し、正しい「理

解」をもって避難者支援にあたる社会的仕組みの構築が必須である。避難の当事者たちに一

様な提案を押し付けるのではなく、当事者ニーズにもとづき、多様な選択を尊重する体制を

行政や地域社会が備えていかなければならない。新潟市の母子避難者の事例は、そのような

体制づくりの可能性を示しているといえる。

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メディアに見る男性像

―ファッション誌における現在の男性像―

瀬野 裕佳

2009年にユーキャン新語・流行語大賞トップテンに「草食男子」が選ばれ、これまでの

「男らしさ」とは異なる新しい男性像に注目が集まった。男女の関係性が変化しつつある現

在の社会において、男性像や女性像も変化している。しかしその一方で性別役割分業意識な

ど、従来の「男らしさ」、「女らしさ」が根強く残っていることもまた確かである。これま

で女性向けファッション誌を対象とした研究は様々行われてきたのに対し、男性向けファ

ッション誌を対象とした研究は未だ数が少ない。そこで、歴史の転換点とも言える現在の男

性像を、男性向けファッション誌を主とした分析によって明らかにしていきたい。

先行研究を参考にしつつ、系統や発行部数に配慮し、『MEN’S NON-NO』、『POPEYE』、

『Men’s JOKER』、『UOMO』といった男性ファッション誌4誌と、女性向け雑誌との比

較のため、『an・an』、『CanCam』の2誌、合計6誌を調査対象とし、広告の割合や言

及分野の分類のカウントといった計量的な分析と、記事内容に着目する質的分析を行った。

結論としてファッション誌から読み取れた現在の男性像は、1990年代前半から、あまり

大きな変化はなかったといえる。仕事中心のライフスタイルや、知的で仕事のデキる男が好

まれること、家事にあまり関心がないことなど、先行研究と共通していた。「生き方」に関

する記事が少ないことも、古典的な「弱いところを他人に見せてはならない」という意識が

関係しているとすると、男性ファッション誌における男性像は従来の「男らしさ」を色濃く

残したものであると言わざるを得ない。

一方で、若い男性を読者に持つ『MEN’S NON-NO』において、女性ファッション誌に近

い構成で、「美容」や「料理」といった「女性的なもの」を積極的に取り込もうという姿勢

が見られたことは、今後の男性像の変化を追っていく上で注目すべき点であろう。

男性がジェンダー規範に縛られず、それぞれの望むライフスタイルを選択できるような多

様な男性像の在り方を、今後、男性ファッション誌は提供していく必要がある。その先駆け

として、『MEN’S NON-NO』のような新しいものを積極的に取り込もうとする若者向けの

雑誌は、今後新たな男性像を模索していくうえで重要な役割を担うだろう。

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子ども食堂が担う地域の居場所としての役割に関する考察

高嶋 美佳

生活様式の変化により、家族そろって食卓を囲み、食事をするというスタイルが当たり

前ではなくなってきている。「孤食」という一人での食事が増加していることにくわえ、

「貧困」が子どもの食にとって大きな問題となっている。厚生労働省の調査によると、平

均的所得の半分未満で暮らす18歳未満の子どもの割合は、1985年で10.9%であったもの

の、2003年から上昇し続け、2014年には16.3%となっている。今や18歳未満の6人に1人

が貧困とされている。家計は子どもの食生活に大きく影響し、標準的な所得の半分を下回

る世帯の子どもは、一般世帯よりも野菜をとる頻度が少なかったり、インスタント麺など

を食べる頻度が多かったりと、発育の一番重要な時期に十分な栄養を摂取できないという

問題がある。

そうした中で、近年「子ども食堂」という取り組みが全国的に見られるようになってい

る。これは、孤食や貧困に苦しむ子どもたちを救う目的で、無料もしくは低価格で食事を

提供する取り組みである。現代の子どもを取り巻く問題の解決に貢献するものとして子ど

も食堂には大きな意義があると考え、新潟市西区にある子ども食堂にインタビュー調査を

行なった。

調査から、子ども食堂には主に7つの役割があることが明らかとなった。まず子どもに

対する役割としては「孤食の防止」「健康サポート」「食の興味・関心の向上」の3つが

あり、親も含めた家庭に対する役割としては「SOS の発見」「友達づくり」の2つがあ

る。そして、地域に果たす役割には「高齢者の生きがいづくり」「交流による地域の活性

化」の2つがある。放課後に子どもが集まって、栄養バランスの整った夕食を食べられる

場所があることは、孤食や貧困によって生じる問題を解消するための大事な一要素となっ

ている。

そして、地域交流の機会が減り、つながりが希薄化している現代において、「食」を中心

に様々な活動を組み合わせることで、人が集まる場所となっている子ども食堂は、子どもの

心身の健康を支えることのみならず、交流の場としても大きな効果を発揮する。

子ども食堂は地域の居場所として、普段接することのない人たちをつなげる役割を果た

しており、子どもと高齢者のように世代が異なる者同士が交流することで、子どもたちが社

会で生きるうえで必要な上下関係や協調性などを学べる場所となっている。

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地域おこし協力隊の定住促進

-十日町地域おこし協力隊経験者へのインタビュー調査を例に-

南雲 綾子

かねてからの都市への人口流出等により中山間地での過疎・少子高齢化による諸問題が

深刻なものとなっている。その対策の一環として総務省は、地域おこし協力隊制度を設け、

田舎暮らしにあこがれている人たちを各地に派遣している。地域に派遣されている協力隊・

協力隊を受け入れる自治体ともに増えている。

そのような外部から移住してきた人の活動・視点はいったい何をもたらすのだろうか。ま

た、地域おこし協力隊に最大3年という任期が定められている中で、その活動が地域にもた

らしたものはどの程度継続されているのか。地域おこし協力隊の活動を経て彼らがそのま

まその地に定住するとしたら、彼らはどのような地域の担い手になっていくのだろうか。移

住した人の視点を十分に生かし共存していくことによる地域再生の可能性を考える。

本稿では、十日町市で地域おこし協力隊として活動していて、その後も地域に定住し違う

形でも地域おこし活動に関わっている人に対しインタビュー調査を行った。

インタビュー調査により、地域おこし協力隊の活動を経てその地域が抱える課題を認識

してぶつかっていこうとする様子、着実に地域に愛着を持っていく様子をはっきりと認識

することができた。また地域住民との付き合いも良好である。インタビューに応じてくれた

二人も、地方でのスローライフを楽しみつつ、地域の抱える課題の解決のために動いたり、

集落が掲げる夢を応援したりしている。

地域おこし協力隊の活動は、直接地域の住民とかかわれるような仕事も多いことから、地

域の信頼も得やすい。そしてその任期を終えると一市民となるが、そのころには地域にも溶

け込めている。このように地域の厚い信頼を得ながら働き、地域の住民となっていった彼ら

は、今後も地域に十分に貢献していく可能性を秘めている。

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卒業論文概要

社会・地域文化学主専攻プログラム

- 24 -

特別支援学校と富山型デイサービスの連携に関する考察

堀 開人

近年、特別支援学校および特別支援学級へ通う子どもたちの余暇支援の場としてデイサ

ービスの利用が増えている。特に富山県で始まった富山型デイサービスは、障害の有無に関

わらず乳幼児から高齢者まで利用者を限定せずに受け入れており、全国では1400事業所に

も広がりを見せている。

特有の問題行動が見られたり、就労ができなかったりする障害をもつ子どもたちの放課

後生活、さらに学校卒業後の生活を充実させるには、主な生活の場である学校、デイサービ

ス、家庭の三者間の連携が必要不可欠である。しかし、学校とは質的に過ごし方や環境が異

なるため、学校からのアドバイスが回善につながることは少なく、連携に消極的な事業所も

見られる。そこで、よりよい連携をとるには、富山型デイサービスの特質を踏まえた上での、

特別支援学校の専門性を生かした連携方法の開発が必要である。

本論文では、富山型デイサービスを行う「小規模共生ホームひらすま」を対象に参与観察

および聞き取り調査を行い、富山型デイサービスと学校との間でとられている連携を調査

し、理想的な連携のあり方を示す。

調査の結果から、ひらすまと特別支援学校との連携には「富山型デイサービス・特別支援

学校連携協議会」、「連絡会」、「送迎時の会話」、「教員のひらすまでのボランティア」

が確認できた。教員からのアドバイスについては、確かに効果の期待できないものもあった。

だが、それを理由に連携に消極的になっていては、特別支援学校の専門性を生かすことはで

きない。ひらすまでは、教員からのアドバイスをそのまま取り入れるのではなく、参考程度

に、ひらすまの環境やその子に合うように取り入れたり取り入れなかったりと柔軟に対応

していた。こうした柔軟性が重要な要素となるだろう。

また、ひらすまは「送迎時の会話」を大切にし、日頃から教員とのコミュニケーションを

図っているようである。これは、お互いを知ることにつながり、教員も富山型デイサービス

に合った形でアドバイスを考えるきっかけとなるだろう。ひらすまは、教員と「気軽に何で

も聞きたいことを聞ける仲のよい関係」を理想としている。こうした「気軽さ」が、事業所、

保護者、学校のひとつひとつの団体では対応しきれない状態に陥ったいざという時に、気軽

に必要に応じた連携をとりやすくするものだと期待できる。だが、連携方法については、ひ

らすまだけでの調査では具体的に指し示すことは難しく、今後、他の富山型デイサービスお

よび特別支援学校の教員に対する調査を行っていく必要があるだろう。

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卒業論文概要

社会・地域文化学主専攻プログラム

- 25 -

日本語教室を通してみた外国人のつながり

松木 裕花

現在、グローバリゼーションの進んだ世界の中で、日本においても急速に国際化が進

み、地域住民としての外国人の存在が大きくなってきている。外国人住民と日本人住民と

の間ではトラブルも発生しやすく、日本社会側からの「同化」への圧力も小さくない。こ

うした状況下で、受け入れ態勢の整備はもとより、外国人自身が自らの居場所づくりや人

とのつながりの形成をしていくことで、社会に馴染み、自らを発揮できるようになってい

くだろう。特に地方においては、地域のボランティアによる日本語教室が外国人住民の集

まる一つの場になっており、外国人住民にとって重要な意味をもつ場であると考えられ

る。

本稿では、日本語教室が外国人と地域社会とを繋ぐつながりを形成する力によって、多

文化共生社会を目指していく上でどのような意味をもちうるのかを具体的な事例を通して

考察し、それを踏まえて、将来に向けた外国人のつながりと日本語教室のあり方について

論じたものである。調査は、新潟市内で活動している地域のボランティアによる日本語教

室のうち7ヵ所を対象として質問紙調査を行い、その後、質問紙調査の回答者の中からさ

らに調査協力を得られた6名の新潟市在住の外国人学習者に対してインタビュー調査を行

った。

調査の結果から、日本語教室が外国人の一つの重要なコミュニケーション行動の場とし

て機能し、日本語教室での自由なコミュニケーション行動や自己表現が、つながりの形成

につながっていくことが明らかになった。同じ境遇を持った外国人参加者や、親身になっ

て接してくれる日本語ボランティアとの顔の見える交流は、外国人参加者に安心感を与

え、より心を開いた関係が形成されうるといえる。

また、日本語教室はその参加の自由さや、教室の進行に融通が利くこと、そこから生ま

れる教室内の自由な雰囲気等の要因から、ゆるやかかつ流動的なつながりの形成の場とな

っていた。日本語教室での人と人のつながり方も、教室全体の雰囲気もゆるやかだからこ

そ、誰もが気軽に参加できる仕組みと雰囲気ができあがり、外国人の自由なつながりの形

成の場として働くのだといえるだろう。

日本語教室におけるつながり形成の方向は、外国人学習者同士と日本語ボランティアの

日本人という2つの方向に広がっている。日本語教室を「日本語を学習する場」として考

えると、教える者と教えられる者、或いは教えられる者同士というつながりしかつくられ

ない。しかし、「コミュニケーション行動を学ぶ場」としてとらえるならば、より一般に

開かれた教室づくりを考えることも重要だろう。特に、地域住民の参加によって、地域と

外国人を繋ぐ、地域に開かれたつながり形成の場として機能するようになれば、日本語教

室の地域社会での意義はより大きくなる。ゆるやかにつながりをつくることができる日本

語教室という場だからこそ、外国人がより多くの人と気軽に距離を縮められる場となって

いくことが期待される。

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「伴走型支援」における「居場所」による自立支援の可能性

―『特定非営利活動法人 自立支援ネットにいがた』を事例に―

丸山 遼大

日本における「ホームレス」の数は2003年から2015年の間に4分の1程度となっており、

大幅な減少を見せている。しかし、その数は減少傾向にあるにすぎず、いまだ一定数の野宿

者が存在している。かねてより、こうした人々に対する自立支援は施されているものの、そ

の支援体制が就労を押し付けるあまりに、「ホームレス」である人々を、社会から再び排除

する仕組みを持つことが指摘されてきた。そのような中で、「伴走型支援」という新たな支

援のシステムが立ち現われてきている。その実践からは、一定の効果とともに、「居場所」

を設定することで当事者の持つニーズの把握や、支援プラン策定が可能になることが示唆

されている。そこで、本論文では伴走型支援の実践における「居場所」そのものの定義、ま

たその役割、効果、および課題を明らかにしていく。

新潟県内で、居住困窮者となった人々が安心した暮らしを取り戻すことを目的とし、伴走

型の自立支援を行う「特定非営利活動法人支援ネットにいがた」に調査を依頼した。ボラン

ティアとして支援活動に参加しながら、寺尾知香子理事長、常勤職員5名、実際に支援を受

けている当事者4名への聞き取り調査を行った。

調査の結果、支援活動における複数の「居場所」からは、住居として安心して暮らせる場、

職員が入居者を見守る場、話をする・聞く・聞いてもらう場、個々にさまざまな問題を抱え

た人々が一緒に働く場、地域での役割を果たしていく場、という一定の定義がみられた。こ

れらの「居場所」の存在は当事者それぞれに、思考・行動面で好影響を及ぼしていた。その

うえで、主な課題となるのは適正な人材の確保である。職員は活動理念や当事者の事情を深

く理解するという、繊細さが必要となっている。こうした適性を欠くことは、当事者の成長

を妨げることにつながりかねないのである。

また、「居場所」を設定していくうえでは、当事者に対し直接的に変化や問題解決を促す

「支援」的なものではなく、当事者が充実感を得ながら、出会い、コミュニティづくりがで

きる場としていくことが基本とされていた。そのため、「居場所」のもつ効果は、結果的に

生じたものという位置づけになっている。あくまでも、人とのつながりをコーディネートす

ることが、「自立」へと導く条件となる。さらに「自立」そのものについても考察した。支

援ネットにいがたでは、「自分で生きていけるものを掴む」という多様な「自立像」を想定

している。そうすることで、「居場所」のもつ多様でありながら不確定ともいえる効果と、

変化していく入居者に幅広く対応し、方向付けを行うことができると考えられる。本論文で

は「居場所」を自立支援の中に機能的に設定していくうえでは、同時に多様な「自立」の姿

を想定する必要性を示すことできたと思われる。

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日帰り温泉の社会的意義

海藤 睦樹

日本の入浴文化の要ともいえるものに温泉と銭湯がある。温泉は古代から人々の注目を

集め、現代でもマスメディアで頻繁に取り上げられ、宿泊観光旅行の目的としても上位を維

持している。また、銭湯は常に人々のコミュニケーションの場として語られてきた。文献で

は、温泉の泉質や利用法、宗教観、銭湯の起源や浴槽の変遷、その外観や内装がもつ人々を

集める役割など、様々なことが考察されてきた。

現在、「安・近・短」の余暇活動、自家風呂による銭湯の減少などで、日帰り温泉の利用

者数は増えている。それにも関わらず、温泉や銭湯のように様々な考察の対象となることは

ない。ガイドブックで施設の情報と内部の雰囲気について簡単に紹介されるだけである。

そこで本稿では、日帰り温泉が人々を集める仕組みは何か、そこでの行動がどのような要

素にどう影響され形成されるか、その場が現在、どのような意義をもつのかを考察するため

に、新潟県燕市の日帰り温泉施設である「ふれあいパークてまりの湯」での聴き取り調査を

行った。それをもとに、日本人の生活の一部であり娯楽であった温泉と日帰りの公衆浴場の

先駆けである銭湯を比較しつつ日帰り温泉の社会的意義について検討した。

てまりの湯の利用者は、何か特別のきっかけや時間がなければ温泉宿への宿泊旅行はし

ない。「体が温まるから」「癒しを得られるから」温泉に入ると言う。かつての入浴手段は

銭湯か温泉地での湯治であり、そこで入浴するしかなかった。しかし、今は家庭に風呂があ

る。だから、日常的に外に出かけて入浴する必要はない。だが、沸かし湯よりも「何となく

温まるから」家でも銭湯でもなく、わざわざ日帰り温泉施設を訪れる。

かつて温泉は、治療の意味が大きかったが、移動手段の発達による短期滞在化、温泉の観

光地化などにより湯治が廃れるにつれて、治療の意味もかなり薄れた。ただ、温泉の特別感

は変わらず、それは「何となく」という形で残ったのである。

さらに、銭湯に無い広い休憩所は行動に影響を与える。てまりの湯の広間には長机が定位

置にある。そこでは、手荷物、長机、また、衣服が自身のなわばりとして機能する。反対に

浴室では、裸の状態、浴槽内の距離の近さ、安心感を示すため息がなわばりや緊張感を緩和

し、個人を守る境界が無くなるか曖昧になり、会話が発生しやすい。日帰り温泉は、銭湯に

ついてよく言われるように、常に人々の活発な交流の場として存在するわけではない。寧ろ、

混浴の禁止やなわばりの形成の影響で関わりは制限されているかもしれない。しかし、関わ

りを制限する規則のなかで、関わりを求める行動に移行しやすい空間としての役割をもっ

ているのである。

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地場産業における分業の変化について

佐久間 勝也

地場産業とはある地域の中で培われてきた技術によって生み出され営まれている産業で

ある。新潟県燕市の地場産業である金属製品の工業(以下、金属産業と呼ぶ)では、生産の

上で複数の企業がそれぞれ細かく分けられた工程を行う分業が行われてきたが、一部の有

力な企業の中にはそれまで分業により他の企業に行ってもらっていた工程を自社で行うよ

うにし分業を減らす企業があり、また燕地域外の企業との分業を行う企業も現れ、燕市内で

の分業が減少するかもしれないという。このように燕の金属産業における分業は変化して

きているが、本稿では、燕の金属産業と分業がどのような関係にあるのかを、金属産業にお

ける分業の様々な様子を見ていくことにより考察した。

燕の金属産業における分業の状況を捉えるため、分業は経済的・社会的にどのような特徴

を持っているのか、燕市でこれまでにどのような分業が行われてきたのかを先行研究を参

照し、さらに、私自身の調査から現在の燕の金属産業における分業の様子の一例を示した。

分業とは、製造業における製品の企画・製造・流通・販売などの様々な分野での複数の企業

の連携のことであり、複数の企業が協力して製品を製造することや、製品の企画を行う企業

と製造を行う企業の分担がある。分業は金属産業の企業の業種転換を助けそのため金属産

業の発展の支えとなった一方、製品の生産の注文を行う企業や製品の販売を行う企業が製

品の生産を行う企業を支配するという関係を生み、そこから生産を行う企業が自由に生産

できない状況が生まれるとともに低賃金が推進され金属産業を衰えさせることにもなった。

近年では様々な理由から金属産業において燕市内での分業が減少するかもしれないとい

うことであるが、燕市内での分業も、企業の付き合う企業の範囲の拡大から、昔に比べより

多くの企業間で分業が行われうるようになっていると思われる。さらに、燕三条地場産業振

興センターなど企業を支援する団体が企業の技術開発などを助けて分業を生み出すことに

貢献するようになっている。また、燕地域内の企業を利用して分業を組織し企画者と製作者

のよりよい分業を助ける企業も現れており、燕市内での分業も今後さらに発展していくの

ではないかとも思われる。

今後も燕の金属産業において、資金の少ない企業が他の企業との分業を活用することや

相手の技術力を求めることから企業間で分業が行われることや企業を支援する団体の支援

に企業が頼ることのように複数の主体による連携に価値が見いだされるとともに、製品の

企画・分業の組織役や企業の生産の支援役など金属産業の生産を強化する主体が増え加え

て各主体間の連携能力が高められるなど連携の内容が強化されていくならば、分業が行わ

れ続けるとともに発展していくのではないかと思われる。

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沖縄における『国語』

―教育と歴史の考察から―

武部 未来

沖縄県は19世紀まで琉球王国として独自の文化を持ったひとつの国であった。1879年の

琉球処分によって明治政府の支配下に入り、沖縄県として47都道府県のひとつとして日本

の支配下に置かれた。沖縄では琉球王国時代から「琉球語」という日本本土で話されている

日本語とは大きく異なる独自の言語が日常生活で使われていた。琉球処分後、沖縄では近代

的な教育制度が本土にあわせて施行され、日本語の授業が小学校などの学校教育の課程に

加えられた。

当時の沖縄に住む人びとにとって日本語は後天的に身に付けるものであり、決して母語

ではなかった。琉球語は沖縄本島を含む琉球諸島で話されていた言語だが、島間や地域間の

差異が大変大きく、通訳を介してのコミュニケーションが必要なほどであった。辺境の島の

子どもは島内でその島の言葉を身に付け、小学校に上がる際はその小学校のある島の言葉

を学び、師範学校に行くときは首里方言を学び、そして授業のなかで日本語を学習する、と

いうようにいくつもの言語を習得しなくてはならなかった。

このように沖縄人は複雑な言語環境のなかで暮らしてきた。さらに日清戦争、日露戦争後

には沖縄人の日本本土や海外への移住が増加した。移住先で差別問題が生じ、また海外では

沖縄からの移住者と本土からの移住者が区別されていた。これらの体験から、沖縄への帰郷

者を中心として沖縄で日本語習得熱が高まっていくこととなる。

日本語習得熱の高まりにつれて沖縄では「方言札」が登場する。方言札は主に学校で使用

され、方言を話した生徒への罰として次の違反者が出るまで首から下げさせられた。決して

公式なものでなく、あくまで非公式に学校のなかで生まれ、村落共同体的性格を持っていた。

近代以降、沖縄では政府の指導による近代的教育政策が施行され、沖縄の人びとの生活や

言語に対する意識は大きく変化していった。しかし、上からの政策だけでなく、沖縄人自身

が主体となっている点に注目する。ひとつの言語を話すことのできる人口の割合が増加す

ることでコミュニケーションはより円滑に行える。誰にでも通じる標準語の存在は大きい。

それと同様に、地域で長い時間をかけて育まれてきた方言も、その文化の象徴として受け継

がれるべきである。方言と標準語が存在し続けることが、文化を守ること、様々な人びとと

関わっていくことにつながっていくのではないだろうか。

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地理学から考える高齢者福祉

-新潟県聖籠町における高齢者福祉サービスの地域的公正-

田中 理

高齢者人口の増加に比例して、行政や民間が提供する高齢者福祉サービスは私たちの暮

らしに必要不可欠なものとなり、その需要は増す一方である。政策によって高齢者福祉サー

ビスが整備されていく中で、日本における高齢者福祉サービスに関する地理学的考察も行

われてきた。高齢者の移動に注目した研究では、高齢者福祉サービスを住み慣れた地域に整

備する必要性が明らかにされた。その一方、サービスの地域格差の問題も指摘されている。

平成17年に改正された介護保険法で創設された、地域密着型サービスへの指定の主体は

各市町村であるため、施設の利用はその市町村の住民に限られる。市町村ごとの地域特性に

適応したサービス提供が求められる現在、市町村間でのサービス格差が大きな問題となる

ことが予想される。

そこで本稿では新潟東港からの豊富な税収があり、平成の大合併の際には周辺市町村と

合併しなかったため、より地域に密着した独自の政策を実施しやすいと考えられる聖籠町

を対象地とし、地域的公正に焦点をあてて高齢者福祉サービスの需要と供給の現状につい

て明らかにした。自治体によって行われたアンケートの分析や、住民への聞き取り調査、自

治体の公表している各サービスの利用率のデータの分析を行った結果以下のことがわかっ

た。

まず聖籠町において、現在最も需要が高いサービスは介護予防事業に関するサービスで

ある。しかし、聖籠町ではまだ準備段階の事業もあり、早急な整備が求められている。そし

て次に求められているのが、在宅ケアサービスである。在宅ケアサービスは介護予防事業と

同じく、増大する介護保険料の抑制として事業が推進されているが、その利用は増えていな

い。聖籠町では中度・重度の要介護認定者の在宅ケアシステムの構築を目指しているが、そ

れと同時に軽度の要介護・要支援認定者がより利用しやくなる政策上の工夫が求められて

いる。聖籠町では介護保険料の増大を抑えるためにも在宅ケアへの転換を進めているが、今

後高齢化がさらに進み、入所への需要が高まった際に対応が求められることが予想された。

聖籠町のサービス供給状態は現在良好であると考えられるが、聖籠町の域内にない福祉

サービスの利用者は周辺市町村のサービスを利用しなければならない場合もある。地域密

着型サービスが登場し、サービスの利用が自分の住む自治体に限定される場合も出てきた

現在、聖籠町のような区域が狭い自治体が多種多様なサービスを確保することは困難にな

ることも考えられる。聖籠町の場合は、豊富な税収を得られているが、安定した財源のない

自治体では、福祉サービスの整備が進まないという事態も考えられる。サービスの地域格差

を明らかにするためにも、今後より多くの対象地を調査し、比較していくことが必要である。

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まちあるきガイドマップの地理学的考察

―新発田市文化遺産散策マップを事例に―

中村 葉

現在まちあるきは個人的にあるいは団体により行われている。まちあるきが盛んに行

われるようになった理由には、1980年代以降、オルタナティブ・ツーリズムが旅行の形態

として一般的になったことが挙げられ、町並み観光としてまちあるきが行なわれるように

なったと考えられる。

まちあるきに関する研究には、まちあるきガイドマップの特徴やまちあるきガイドにつ

いての研究といった、まちあるきの一要素に着目したものが多く、まちあるきガイドマッ

プが作成されてから活用に至るまでの研究はない。しかしガイドマップを効率的に活用す

るためには、ガイドマップの作成過程とマップ分析、そしてマップ活用の現状について、

統合的に研究を行なうことが必要である。そこで本稿では、「新発田市文化遺産散策マッ

プ」を事例として、その作成過程と散策マップ活用について調査し、散策マップの課題に

ついて考察した。また併せて散策マップを分析することによりその特徴を明らかにした。

散策マップの分析は、まちあるきコースの設定についての研究を行なった松本(2009)

に準拠した。分析により明らかとなったことは、散策マップが歴史や文化に着目してお

り,地域を知ることに重きを置いていること、また松本光永(2009)が明らかにした特徴

と比較すると、散策マップのコースは回遊するルートが少なく、コース外に点在している

文化遺産にも目を向けてもらえるようにルートが設定されている点が大きく異なっていた

ことであった。

散策マップの作成過程及び活用の現状については、新発田市役所をはじめとした関係機

関に聞き取り調査を行なった。散策マップは地元デザイン事務所による制作チームが作成

を行ない、必要に応じて地元住民との意見交換を行なうなど、住民の目線で行なわれたこ

とが明らかになった。また散策マップ作成以後、市民有志による新発田市まち遺産の会が

まちあるきを通して市内の歴史的建造物調査を行なっており、まちあるきを会のメンバー

だけではなく、他の市民にまちあるきを普及している。一方で作成後のまちあるきイベン

ト等では広く参加者にまちあるきを促すために散策マップを配布するといったことはない

まま、散策マップが品薄状態に陥ってしまっている。

以上より散策マップの課題は活用がうまくなされていないことである。そこで本稿で

は、散策マップの効率的な活用の方法として、新発田市が児童・生徒などに散策マップを

配布し、子どもに実際にまちあるきを行なってもらい地域の文化遺産に興味・関心を持つ

ように促すことを提言した。しかし散策マップが品薄状態であることは、行政主導のまち

あるきの限界を示していると考えられる。新発田市まち遺産の会をはじめとした、市民主

導のまちあるきの体制を徐々に整えることが、新発田市のまちあるきには求められてい

る。

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北九州市におけるインフラツーリズムの現状と今後の展望

山田 将和

本稿では、北九州市を事例としてインフラツーリズムの現状を踏まえたうえで、主として

インフラツーリズムのツアーやクルーズといった個別の事例について調査を行ない、北九

州におけるインフラツーリズムの現状や問題点、改善点を明らかにした。

北九州市は、明治維新後の近代国家形成から高度経済成長期にかけて日本の産業の主軸

を担い、工場の閉鎖・移転が行なわれていく過程で徐々に衰退しつつある自治体である。北

九州市としても、第二次産業に代わる産業を模索しており、観光業も積極的に取り組みを行

なっている。今回は、北九州産業観光センターへの聞き取りを主として行なった。また、現

地で実際に開催されているツアーへ参加したり、図書資料を分析したりすることで、北九州

市におけるインフラツーリズムの歴史についても調査を行なった。

北九州市では1960年代に産業観光が盛んになり、その後一時衰退したものの、近年はイ

ンフラツーリズムに積極的に取り組んでいる。2014年に北九州市と北九州商工会議所、北

九州市観光協会のインフラツーリズムに関する部署が「北九州産業観光センター」に集約さ

れ、効率的にインフラツーリズムを推進するようになった。現在、北九州市のインフラツー

リズムは、ものづくりの現場視察、工場夜景、環境産業の現場、近代化産業遺産、歴史史料

館(資料館)の5つに分類することができる。数多く取り組まれているものは、工場などを

めぐるツアー(ものづくりの現場視察、環境産業の現場)である。また、民間企業の取り組

みとして、工場夜景を海上からめぐるツアー、夜景を山の上から望むツアー、八幡製鉄所構

内の世界遺産登録施設を見学できるツアー(近代化産業遺産)、が商品として販売されてい

る。

北九州市におけるインフラツーリズムは、1960年代からの取り組みと、2010年以降の取

り組みの2つに分けることができることが今回の研究で判明した。似た内容であっても、前

者は企業が環境対策に取り組んでいることのアピールや自社の宣伝が主であったのに対し、

後者は地域振興のために取り組まれたように目的が異なっていた。また、今後北九州市観光

振興プランに掲載された計画の見直しが必要であること、現在の工場見学ツアーをさらに

充実させること、夜景ツアーをさらに拡充することの3点を改善すべきであることが、調査

により明らかになった。特に、工場見学の分野については、観光振興プランの計画通りに進

行しているのに対し、それ以外の分野では計画開始から2年が経過した現在でも計画が進

展してないものも存在する。北九州市には日本でも有数のインフラストラクチャー施設が

数多く存在しているため、これら施設の観光整備が急務である。

最後に、現在の北九州市のインフラツーリズムは、旧来の概念である産業観光にとどまっ

ていることが明らかとなった。その概念から、幅広い分野の概念であるインフラツーリズム

へと観光の転換を推し進めることで、北九州市における観光業のさらなる発展が見込まれ

る。

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村落の「中心」とその変化

阿部 優真

これまでの村落空間に関する論考では、村境や村落の領域などの問題に多くの注目が注

がれてきた。原田敏明と桜田勝徳によって人々が集まる場所についての言及があったもの

の、その後の村落空間論が盛行した時期には研究が行われることはなかった。近年では福

田アジオや市川秀之の広場としての論考があるが、都市形成の前提としての農村における

広場といった視点が大きく、ムラの中の人々が集まる場所の一部のみが取り上げられてき

た。また、両者のフィールドは西日本に偏っている。西日本、特に近畿地方では近世から

ムラに会所や惣堂といった特定の集会施設が見られるのに対し、東日本の村落では集会施

設の多くは第二次世界大戦後の建築である。西日本と東日本とでは村落空間が異なるた

め、東日本の村落において人々の集まる場所を総合的に分析することには大きな意義があ

る。

ムラの人々が集まるような社会的に重要な場所を「中心」として扱った。原田や桜田は

村の中心もしくは中心的位置という語句を使用しており、福田や市川は広場を使用してい

る。広場はオープンスペースを有する場所に限っているので、室内に集まる場合に使用す

るのは適切でない。通常中心は1ヶ所のみを指すが、機会ごとに分析すれば人々の集まる

場所は1ヶ所に限定できるので、中心を用いることが可能である。また、景観的に見た村

落の真ん中といった誤解を与えないようカギカッコ付きで「中心」と表した。具体的に

「中心」の位置と性格の変化、「中心」と「中心」の関係性などについて分析した。

山形県東置賜郡高畠町大字船橋での調査を基に分析を行った。近世初期において家数10

戸のみのムラで狭い範囲の集落であったが、その後家々の多くが集落の北側に建てられる

ようになり現在は39戸となっている。船橋における役員会や総会は総代や部落長といった

役職者の家で行われていたが、1952(昭和27)年からは公民館で行われるようになった。昭

和後期の圃場整備事業では「中心」となる石祠が移動し、最近は2代目の公民館が別の場

所に建設された。事例から見て「中心」の位置が大きく変化していったことが分かった。

分析を進めるにあたり、人々が集まる目的について総会や青年団などの集まりを日常的

集まり、神社や石祠などの祭祀や直会に関する集まりを祭祀的集まりとして分類した。ま

たその規模についてもムラ単位、講・会単位、組単位に分けた。その結果、船橋の中の至

る所の家々が「中心」となっており、それらの「中心」の位置はそれぞれの目的・単位に

応じて互いに一定の区別があり、「中心」の1つ1つが独立していたことが分かった。と

ころが、総会や役員会の目的で公民館が建てられた後は日常的集まりのほとんどが公民館

に集合し、しだいに祭祀的集まりも公民館に集合するようになり、「中心」の公民館への

一体化が進んでいる。最近では公民館が信仰対象物の機能の一部を有するようになってい

る。その一方で、新部落長の就任という重要な場合には、今なお新部落長の家で引き継ぎ

が行われており、公民館への「中心」の一体化の例外も見られた。また、信仰対象物同士

がそれぞれ「中心」として独立しているのにも関わらず、一方の信仰対象物の祭日におい

てもう一方が一体化されていることも見られた。

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ムラにおける共属意識の重層と拡大

-山形県東置賜郡川西町大字朴沢の事例-

唐澤 壮淳

人々が生活や生産を行う上での基本的単位として機能する区域を、民俗学では「ムラ」と

表現する。長らくムラは主に社会構造の分析を通してその性質について論じられてきたが、

後に住民の意識に迫ることでムラの概念を把握する動きも盛んになった。だがその中にあ

っても、現実にムラを構成する個人の属性はあまり加味されずに論じられる場合が多かっ

た。本稿では山形県東置賜郡川西町の大字朴沢内部に存在する諸集団を事例に、他者と共に

自己がそこに所属・帰属していると感じる「共属意識」が社会構造と相まってどのように重

層し、かつ拡大してきたかについて個人の属性に留意しながら考察する。

朴沢は大字としてまとまりを持った1つの地域であり、その自治運営は自治会が行って

いる。またムラの鎮守である熊野神社では氏子からなる護持会が組織されている。他にも祭

礼の準備や獅子舞を担う青年団や、消防団、愛護会(子供会)といった多くの機能集団が大

字を単位として組織される。朴沢という社会の持つ重層性は、大字単位での組織が見られる

ことやその内部で「組」と呼ばれる6つの近隣組織が活動していること、また、組とは別に、

地縁に基づいて「クミ」を3つ編成していることからも明白である。

組は朴沢の下支えとして自治会の役員や護持会の役員を各組から選出し、会費の徴収も

まずはこれら役員を通して組ごとに行われる。また、熊野神社祭礼で昭和48年から舞われて

いる獅子舞はムラ中を巡行し、組ごとに1ヶ所ずつ設けられた「宿」で組の住民からの饗応

を受ける。同時に組は独自性も備え、それぞれの会計が存在していたり年中行事・祭祀の執

行単位となっていたりするほか、葬式の手伝いや契約、嫁回しもこの単位で行われる。契約

は昭和40年代頃まで行われていた若い男子の集まりで、酒宴と共に冠婚葬祭での振る舞い

を身につける教育の場であり、嫁回しは嫁入り後に行う組の家々への挨拶回りである。また

組内に子供が大勢いた昭和40~50年頃までは、子供同士での寝泊まりや火の用心の巡回と

いった子供が主体の組で完結した習俗も見られた。クミは自治会や護持会とは関係なく活

動し、古峰ヶ原講や観音講といった信仰的講集団の結合範囲となっている。

こうした複数の社会集団に対する住民の参画状況を見ると、朴沢の社会集団には「同一の

地理的範域を以って異なる目的のために編成されたもの」と「異なる地理的範域を以って同

一・類似の目的のために編成されたもの」の2種類を見出せる。前者は主に大字を単位とし、

後者は組やクミを単位としている。これらは地理的条件と、性や年齢といった個人の属性と

いう条件の上に成立していると言える。以上を踏まえて女性に焦点を当てると、嫁回しを通

じ半ば自動的に組への帰属が認識される一方で観音講への参加に際しては参加するか否か

の意思決定を要する。すなわち社会構造の重層性に伴い、共属意識もまた重層していること

が分かる。他方で、組内の教育的な活動を通して共属意識が醸成されていた子供層や青年層

は、民俗の変容を受けてその紐帯が希薄化し、結合規模・活動機会がそれぞれ愛護会や青年

団といった大字単位の集団へ拡大を見せた。そしてその結合核となる集団の機能も、子供の

娯楽や青年による祭礼の実行といったものに変容を遂げたのである。

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現代を生きる二王子神社

菊地 耀

本論文では現代において地域社会と関わる宗教者の一例として、新潟県新発田市田貝の

二王子神社の宮司および管理人をとりあげ、彼らやその周辺の人々がどのように神社に関

わっているのかを時代による変化などとともに明らかにし、現代社会に生きる神社の姿を

描き出すと同時に、神社が存続していくために持つべき今後の課題を見出すことを目的と

して考察を行った。

二王子神社では先代まで同じ人間が行っていた宮司と管理人の役を平成4年に代替わり

をしてから別々の人間が行うようになった。宮司は佐々木氏で、管理人は髙鴨氏である。神

職を専業として行っていた先代と違って、二人とも仕事を任された当時は会社員として働

いていたため、仕事と神職の両立が困難で管理人と宮司の仕事を分業しなければ二王子神

社を継ぐことは難しかった。かといって神職を専業で行うことは経済的な面から見ても難

しく会社を辞めるわけにはいかなかった。ここに現代の神職の、神職を継いでも元々勤めて

いた会社の仕事との兼ね合いが困難であり、という一面が示されている。このほかにも参拝

客の減少や祭礼の簡略化などの変化もみられる。このことから神社の衰退がうかがえ、現代

において神職を続けることが困難なことであるのが見てとれる。

氏子などの信者についても、信仰が盛んであった頃は山麓から多くの人が祭りに参加し、

祭りの際に参拝者を泊める家があったり、訪れた参拝者に食べ物を提供したりするなど、積

極的に二王子神社と関わっていた。しかし会社に勤めるために集落を出ていった人も多く、

集落に住む人々の高齢化も進んだことから、かつては神社の祭りに参加できた人も年々減

ってきているという。

一方で、大太神楽や滝行が氏子や外部の企業によって復活しているという事例もみられ

る。大太神楽は文化的価値があるという理由から、滝行は経済的価値があるという理由から

それぞれ復活がなされた。このことから二王子神社が文化的価値と経済的価値を持つこと

がわかり、それらの価値がかつて途絶えてしまった行事を復活させるほどの高いものであ

ることがうかがえる。本論文で取り上げた事例から、これらの価値にはそれぞれ人を動かす

力があるといえる。大太神楽の例のように文化的価値は氏子や周辺地域の住民、つまり内部

の人間を動かす力があり、滝行の例のように経済的価値には企業、つまり外部の人間を動か

す力があるといえるのである。

かつて神社を信仰し、その活動に積極的に取り組んでいた世代が高齢化とともに少なく

なっていることで神社がその存在を維持することが困難になってきている今、神社の衰退

を止め、なおかつ以前のような多くの信者が信仰するような姿に戻すことはとても困難な

ことである。しかしながら今回取り上げた二王子神社のように、その価値に気付き、さらに

そのことを多くの人々に広めていこうとする人がいる限り盛り上げることは難しくとも衰

退に歯止めをかけることは可能であると私は考える。そのために神社は文化的価値と経済

的価値の両方をより広く伝えていくことを今後の課題とするべきなのではないだろうか。

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七日盆の石積み習俗

―新潟県旧栃尾市金沢を事例に―

解良 知起

七日盆や七夕と呼ばれる8月7日(旧7月7日)の行事は、これまでの民俗学では「盆を

前にした準備」などといった説明がなされてきた。新潟県の一部の地域においては、七日盆

に川原で石を積むという習俗がみられる。また、この行事の意味について、現地では賽の河

原で石を積む幼児の霊のためと説明される。本論文では、新潟県旧栃尾市金沢で8月7日の

早朝に行われる「石積み」と呼ばれる行事についての調査を行い、調査地において石積み行

事を行う意味と、それが継承されてきた要因を論ずる。また加えて、一度は廃れた石積み行

事を復活させる取り組みの中での、行事の現代における変化を論ずる。

第3章は、市町村史からの引用と調査地における聞き書きの報告である。調査地の金沢に

おける、かつての石積み習俗の様子やそれに付随する石積みの崩しあい、金沢のあんにゃ会

による石積み行事復活の取り組み、その後、旧栃尾市の予算の元で行われた行事復活の取り

組みについて記述した。

第4章第1節では、新潟県内における行事の分布から石積み習俗について考察した。七日

盆前後の1日や盆を含めると、石積み行事は市町村史によって確認した75か所のうち、旧栃

尾市、長岡市、旧山古志村、見附市の4か所においてみられる。

第4章第2節では、石積み習俗の発生と継承について考察した。石積み習俗の「賽の河原

信仰」「水にまつわる七日盆の行事」という2つの要素について、前者がごく限られた地域

にしかみられないのに対し、後者の方が全国的に広範に分布していることから、より古い要

素であると考えられる。すなわち、川で顔や髪を洗う行事が先に行われていて、そこへ賽の

河原信仰から「石を積む」という要素が加わったのではないだろうか。七日盆に賽の河原信

仰が結びついたのは、盆に供養される先祖には幼児の霊が含まれないこと、また、盆を妨害

しかねない霊をあらかじめ慰撫するという側面を七日盆が持つことが理由として考えられ

る。また、石積み行事は子どもによって価値を認められ、継承されてきたと考える。石積み

行事とそれに付随する石積みの崩しあいは、普段の遊び仲間で団結し、他の子どもの集団と

競争する貴重な機会である。それ自体が遊びのバリエーションとして貴重なうえ、仲間同士

の連帯感を強めるために必要な行事であったと考えられる。

第4章第3節では、一度廃れた石積み行事を復活させる取り組みについて論じた。このよ

うな取り組みの動機について、調査地である金沢のあんにゃ会においてはメンバーの誰も

が郷愁を共有する行事であったこと、旧栃尾市の観光課においては珍しい行事である石積

みに市のPRの効果を期待したことが考えられる。また、いずれにおいても、旧栃尾市の主

産業であった織物業の衰退などによって、地域の活気が失われつつあった背景が影響して

いたと考えられる。このような取り組みが結果的に失敗した原因については、衰退以前のよ

うに行事の主体となることを期待された子どもたちが、石積み行事に価値を見いださず、参

加しようとしなかったためであると考察した。

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出稼ぎ女性の主体的意識

佐藤 里穂

本論文では、島見町を調査地として女性の出稼ぎの中でみられる主体性について考察す

る。本論で焦点を当てる主体性とは、女性が他に強制されることなく、自分の意志、判断

に基づいて行動することであり、戦後の女性の働き方に多様性がみられ始める中、女性た

ちがどのような意志から出稼ぎを選び、出稼ぎ先でどういった行動をとったのかを考え

る。そのうえで、女性自身が出稼ぎに出る意味、目的についてどのように捉えているの

か、その主体的意識をみていく。時代の変遷による出稼ぎの意味の変化に注意しながら、

出稼ぎの中でみられる主体性について考察する。

調査地である新潟市北区島見町は、半農半漁の生活が営まれてきた。人々は砂丘や自然

堤防の微高地に住み、漁業と畑作を主としていた。他方、農業は稲作と畑作であった。し

かし、冬は農作業も終わり、漁はできずに余裕をもって暮らせないため出稼ぎに出る家が

増える。農家や漁家の子弟は口減らしのため北海道のサケ・マス漁へ出稼ぎに行かされ

た。また、親が元気なうちは長男でも出稼ぎに行けと言われ、1年から3年出稼ぎする人

もいた。一方、女性は戦前には新潟の商家へ女衆として奉公へ行っていたが、戦後には出

稼ぎへ行く女性も見られるようになる。

今回の聞き取り調査から、戦後になると島見町の若い女性のほとんどが、静岡県のミカ

ンもぎの出稼ぎへ行きたがきたがっていたことが分かった。これは彼女たちにとって出稼

ぎは唯一社会を知ることのできる貴重な経験であり、だからこそ女性は出稼ぎに出たいと

思い、多くの女性が出稼ぎに行ったのである。そして、女性たちの出稼ぎへの意識を戦後

の生活の変化が支えていたこともわかった。島見町は昭和30年頃になると農地の整備や栽

培する農作物の変化により、暮らし向きがよくなり、生活に余裕がでてきた。そして、こ

の頃集団就職が始まり、女学生の4人に1人が集団就職で関東の工場へ働きに出ていくよう

になった。こうした状況にあって、女性たちは紡績工場へ集団就職するか、奉公をするの

か、家を手伝って農閑期にミカンもぎの出稼ぎをするのかを選択することができた。つま

り、女性たち自身に選択肢がありそれを自ら選んだ結果の出稼ぎであった。

また、出稼ぎ先では夜に遊びに出歩く女性もいる中で島見町の女性たちは同郷者同士で

話をしながら夜を過ごしていた。それは出稼ぎ先の若者たちに嫁候補としてみなされなか

ったからかもしれないが、他方で周囲の若い女性たちに流されることなく、自分の身の振

りを考えた結果の行為であったともいえよう。さらに、自分で稼いだ給料は自分の好きな

ように使うため服や靴を買い、家族の生活の足しにすることもなかった。出稼ぎから帰っ

てきた女性はおしゃれできることが嬉しかったという。

女性の出稼ぎは、男性に比べてムラの外へ出る機会の少ない女性が、外の世界を体験で

きる貴重な機会であったために、他に強制されたものでなく、女性自身が行きたいという

意志のもとで行われたものであった。

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十勝地方におけるシンセキのつきあいとその変容

―河西郡芽室町を事例として―

嶋野 萌香

北海道の和人社会に関する先行研究では、多様な地域から異なる時代ごとに移住者が流

入したことや居住歴の浅さから、道外の親族関係とは異なる特徴が見られると指摘されて

きた。本論文の目的は、北海道に移住した人々が、入植から現在に至るまでどのように関

係を構築し、それを変容させながら生活を送ってきたのかを、シンセキに焦点を絞りつつ

地域全体のつきあいとその変容から明らかにすることにある。その目的のため、生業にお

ける協同と葬式でのつきあいという2つの事例に着目し、シンセキの範囲や社会関係の変

化を先行研究と比較しつつ考察を行った。調査地は北海道河西郡芽室町の新生・美生地区

である。両地区は明治30年頃から入地が始まり、地区内は複数の部落に分かれている。

事例として着目したのは、農作業において協同と呼ばれる互助関係である。調査の結

果、当初は部落内で形成されていた協同が近隣の家数軒と行うように変化したこと、現在

は協同の機会は減少し、仕事の効率化を考慮して都合の良いシンセキや友人と行うなど、

個人が柔軟に関係を選択するように変化している実態が明らかになった。その変化の要因

として、大型機械の導入、ならびに離農者の増加で農家の耕地面積が増加したことで協同

の維持が困難となり、農業経営に対する考え方の変化が生じた点を指摘した。

同様に着目したのは葬式でのつきあいである。両地区とも通夜・葬式までは部落主体の

手伝いのもと執り行われ、繰上げ法要以後はシンセキが行い、喪家は手伝いをしてくれた

部落の人々に返礼をした。戸数の減少により手伝いが簡素化した近年も、部落の手伝いや

法要の際の返礼は残り、部落の住民同士のつきあいを法要への参加に見出す意識が強く残

っている。香典帳の分析からは、部落・地区やシンセキで持参する香典に一定の規則性が

見られる一方、日常のつきあいの多寡による影響も見られること、また、葬儀には喪家が

直接シンセキとは意識しない「遠いと感じる」関係の家も参列していることがわかった。

以上の事例を通じて、次の4点を結論として導いた。第一に、調査地では先行研究同様

に同郷・同宗性による関係の契機が見られ、系譜関係と合わせ父方・母方の双方のシンセ

キを認識していること。第二に、本家と分家の間には協同や訪問の場面が少なくなり、世

代を経ることで「先祖が同じ」シンセキとしての認識が強くなり、同族としての機能は薄

く、また本家分家間の上下意識も希薄化していること。第三に、シンセキは「血のつなが

りのあるところ」と考えられ、自分・配偶者の兄弟やいとこなどを近いと考えているが、

地理的な距離や生業がつきあいの濃淡に影響しており、世帯主の交代や親が亡くなるとい

った契機でシンセキの範囲が変更されること。第四に、血縁関係を含まない社会関係とし

て地縁結合があり、生業を営む上では地縁を通じた協力が不可欠であったが、農業経営の

発展に伴い、婚姻関係といった新たな社会関係の取り結びに替わっていることが導かれ

た。

血縁・姻戚・地縁、生業など、様々な社会関係の中から柔軟に関係性を選択・構築し、

日常のつきあいを維持してきた北海道和人社会の人々の生活が明らかになったといえる。

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都市整備による祭礼の変化

関沢 咲里

これまで民俗学では祭礼の担い手間に生ずる葛藤や協力などの相互作用に焦点が当てら

れてきたが、都市空間の変化による祭礼の変遷過程に焦点を当てた研究は少ないように思

われる。そこで、本論文では新潟県上越市の直江津地区で7月26日から29日にかけて行わ

れる直江津祇園祭を調査の対象とし、土地区画整理事業や河川改修、港の整備といった外

的要因に伴って祭礼の在り方や担い手がどのように変化したのか明らかにすることを目的

とした。第一章では、研究史と問題の所在、第二章では、調査地の概要を記述した。な

お、調査地の直江津は江戸時代、今町と呼ばれていた。

第三章では、都市整備と八坂神社氏子区域の拡大の関係性について考察した。本論文で

は氏子町内と準氏子町内を合わせた地域を氏子区域とした。直江津祇園祭は元来、八坂神

社の氏子町内である旧直江津地区の人々によって執り行われていた。一方、準氏子町内で

ある地域は氏子町内と比べ、比較的近年になって氏子区域となったことで祭に参加するよ

うになった。この背景には直江津港の整備と並行した工場の建設やそれに伴う社宅の建

設、昭和57(1982)年から昭和62(1987)年にかけて実施された関川激甚災害対策特別緊

急事業(激甚事業)による準氏子町内への住民の移動があったといえる。第四章では、7

月26日の夜に神輿が高田地区の稲田から御座船に乗せられ関川を下る「神輿の川下り」の

変遷や担い手の変化を文献や聞き書き調査から分析し、併せて行事の意味について考察し

た。その結果、江戸時代から現在に至るまで一貫して唯一寄町(現住吉町)が神輿を迎え

るための迎え船を出していることが明らかとなった。これには城が福島から高田に移った

際に城下町の大部分は高田へ移ったが、寄町は渡世の都合上、今町に残って渡船に従事し

ていたこと、さらに江戸時代に荷役が寄町の者に限られていたことが関係すると思われ

る。神輿を陸に水揚げする役目は艀はしけ

衆と呼ばれた艀業を生業とする人々が担っていたが、

直江津港の整備に伴い、艀業が必要とされなくなったことで彼らは姿を消し、代わって鳶

職人が担うようになった。また、「神輿の川下り」には江戸時代の舟運の在り方を存続す

ることや高田商人と今町商人の対抗関係を克服する意味があったと捉えた。さらに、古く

は「川祇園」と呼ばれており、神輿が川を下ることで疫病の蔓延を防ぐ意味もあっただろ

うと考察した。第五章では、御旅所が江戸時代に旧片原町(のち天王町)に置かれた理

由、昭和41(1966)年に荒川町に移転した背景について分析した。旧片原町には、江戸時

代に海防を司る今町陣屋が置かれ、海産物問屋や廻船問屋といった海に関係する生業を営

む人々が多く住んでいた。したがって、直江津の中心であり、財力に富んでいたことから

御旅所が置かれたと考えた。御旅所の移転については港の移転による天王町の衰微や定期

市の移転による荒川町の興隆が関係するといえるだろう。

以上のように、都市整備に伴って担い手たちの生業形態も変化し、その都度、祇園祭も

変化してきた。しかし、変化しつつも伝統の要素を守り続けることで、直江津祇園祭は発

展し、港町としての繁栄を象徴するものとして現在も行われているといえよう。

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生活の中の大豆

―新潟県新潟市西蒲区巻東町を事例に―

高杉 佑希

民俗学における食に関する研究としては、米・餅を中心としてはじまり、米や餅と同様

に私たちの食生活を支えてきた食品である大豆に関する研究はあまり多くは見られない。

これまでの研究においては、大豆の生活における重要性や山間地域における生産方法につ

いて述べられてきてはいるが、その生産方法から利用方法について連関させた研究は見ら

れない。食研究を行う上では、その生産・入手方法がどうであったか、その他の生業との

関わりを考察していく必要があるのではないかと考える。そこで、本論文では新潟県新潟

市西蒲区巻東町を調査地として、大豆の生産とその利用方法について調査を行い、大豆の

生活における実態やその変遷を明らかにすることを目的とした。

東町の主たる生業は水田稲作である。多くの家が田植えや稲刈りなど農繁期には、別の

部落から日雇いを雇い、またオトコショ・オンナショと呼ばれる奉公人が1人2人いた。

調査の結果、東町における大豆の生産はこのような農繁期を避けるように行われ、主たる

生業であった稲作の合間を埋めるようにして生産されてきたことがわかった。そして、そ

の生産場所も、稲作によって生じる空いた土地である、水田の畔や、ハザ木を植えるハザ

場を利用して行われてきたのである。

しかし、1959(昭和34)年に始まった圃場整備事業を境に、それまで水田の畔、ハザ

場、自宅付近にある畑の3カ所に分けて行われてきた生産が、畑でのみの栽培となった。

それは、耕地整理によって導入されるようになった農業機械による人手不足の解消に加

え、近隣の町や村において農家以外の働き先が増加したといった社会状況の変化によって

一世帯あたりの人数が減少し、大豆の消費量が減少したことが要因であると考えられる。

また、生産がこのように小規模化した理由はそれだけではなく、大豆の利用法の減少もま

た影響を及ぼしていると考える。昭和20年代頃までは、大豆は味噌をはじめ、煮豆、打ち

豆、炒り豆、エダマメ、豆腐、納豆、きな粉とその利用の幅も広かった。それが昭和30年

代になると、自家製の豆腐や納豆はなくなり、必要な時に購入するといった形に変化し

た。これは、作る際に手間がかかることや、ハレの日の食事により美味しいものを食べよ

うという心情が働いたことが理由であると考えられる。以上のような変化に伴い、自家製

大豆の需要が少しずつ減少していった。また、煮豆や打ち豆といった日々のおかずとして

食されてきた食品も同様に、食べる頻度や量は時代とともに減少している。このように食

生活における大豆の消費量の減少が次いでおこっていき、生活における大豆の重要性が薄

れていったのではないかと考えられる。しかし、畑での栽培を続けている家も多くあり、

主たる目的がエダマメに移り変わったといっても、「マメを切らさないようにする」と言

われるように、大豆が生活において必要な食品であるという認識が生きていることが推測

される。このように、大豆は昔に比べ、その生産量もてその重要性は薄れてきてはいる

が、現在も変わらず人々の食生活を支える食品の一つとして日々食されているのである。

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民俗芸能の「伝承の場」の拡大とその作用

―西馬音内盆踊りの囃子方から―

高橋 巧

本稿では、秋田県雄勝郡羽後町西馬音内地区において今日まで行われている西馬音内盆

踊りの囃子方の伝承過程と、その伝承が行われる場に注目し、囃子方の伝承が行われる場が

新たに設けられたという事実を踏まえ、民俗芸能の「伝承の場」の拡大が民俗芸能やそれに

関わる人や組織、伝承そのものにどう作用するのかについて考察した。

囃子方の伝承は従来、盆踊り当日などに囃子方が一緒に演奏し行われてきた。近年、盆踊

りの保存・継承・振興を目的とする西馬音内盆踊り保存会によって、後継者育成と盆踊りの

振興を目的とし、保存会主催の練習会や、中学校高校における指導などを行うようになった。

このように囃子方が一緒に演奏する場が新たに設けられたことは、囃子方の人数の増加な

ど、盆踊りの保存・継承・振興に一役買っている。だが中学生や高校生の囃子方の技術が低

下してきたという認識も同時に生じている。この認識は、保存・継承・振興に一役買ってい

るはずの羽後町立羽後中学校の盆踊りクラブ(2016年度より郷土芸能部に改名)や秋田県

立羽後高等学校の郷土芸能部が創部された後から次第に生じ始めた。

前述したように囃子方の伝承は、囃子方が一緒に演奏することによって行われている。そ

れらは自身の技術と他人の技術との差異への気付きや指導などを、自身の技術に反映させ

ることを繰り返し、熟練していくことによって行われてきた。そうした差異は、自身と技術

水準の異なる人、熟練の段階が違う人と一緒に演奏することによって生ずる。創部当初は部

員にも経験者が多く、自身と他人の技術の差異に気付きそれを反映させ繰り返し、身につけ

ていくことが容易であった。だが年を経るにつれて部活としてのまとまりを重視するよう

になり、盆踊り当日に来なくなったり、来ても早く帰ってしまったりするようになった。そ

のため近年では、創部当初に比べ多様な熟練の段階を経験する機会がほとんどなく、むしろ

部員のみでの練習などの、自身との技術の差異があまりない人と演奏する機会の方が圧倒

的に多くなっている。つまり自身と他人との差異に気付けずに演奏し続けることによって、

熟練の段階がほぼ一定のまま演奏し続けてしまうのである。そして自身の演奏方法に何も

反映させずに技術を身につけて行ってしまい、その後も自身と他人との差異に気付く機会

も少ないままであるために、熟練の段階が上がっていかないのである。

また囃子方の伝承に関わる保存会の人々は、会員が一緒に演奏する機会が増えたことに

より、熟練の段階が従来よりも上がりやすくなっていると考えられる。囃子方が一緒になっ

て演奏するという「伝承の場」の拡大以後、保存会の熟練は従来に増して進むが、同時に中

学生や高校生の熟練が進みにくい状況となり、両者の熟練の段階の開きが大きくなったこ

とが、前述のような認識を生み出したとも考えられる。囃子方の「伝承の場」の拡大は、囃

子方の伝承過程内の人員の参加の仕方を変化させ、その結果、中学生や高校生の囃子方の熟

練の段階が固定化するという事態と囃子方の熟練の格差の発生がもたらされたのである。

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地域産業と金山神社

髙橋 直

同一の信仰や職、目的を持つ社会集団である講の研究は、櫻井徳太郎をはじめ多くの研

究者によって行われており、同業者により構成された信仰的機能を持つ講についてはその

機能や構成、組織の変遷などに焦点を当てた研究がなされている。しかしこれらの研究で

は、講集団の発生についての視点が不足している。そこで、本論では新潟県三条市の金山

神社を対象に同業者による信仰集団の発生と変化について調査し、その役割を考察した。

新潟県三条市は全国有数の金物産地であり、金物業の起源は江戸時代までさかのぼる。

明治に入ると三条での金物業の発展とともに「三条金物同業組合」をはじめ、多くの同業

者集団が形成された。戦時中には三条商工会議所が発足し、一度は解散したものの戦後再

建され三条市の商工業を支えている。

金山神社は三条八幡宮境内に存在する神社で、1915年頃に金物業者が自分たちの祀るべ

き神を調べ、祭日を11月8日に設定することを決めた。1923年にその神を祀る神社建立の

提案が業者の中から出て、金物業者たちから寄付を募り資金を集め、1925年に本殿を建立

した。その後、拝殿造営の議が起き、金物業者たちは再び寄付金を積み立て1930年に拝殿

が完成した。これらの金物業者たちの協議は、三条金物同業組合において行われた。

金山神社の運営に携わる役員は宮司を除くと5名であり、その5名は三条八幡宮の役員

と総代の中から選ばれる。そして八幡宮の役員と総代は三条市の各種産業の有力者から選

ばれる。平成以前はどちらの神社の役員も金物業者ばかりであったが平成に入ると金物業

者以外からも選ばれるようになった。その頃は金山神社が金物業者の神社であるという意

識は薄く、非金物業の役員も摩擦もなく受け入れられた。

金山神社での祭礼は11月に行われる金山神社秋季大祭である。7日に宵宮祭、8日に大

祭を行う。金山神社の氏子・役員が参加し修祓・祝詞奏上・玉串奉納を行う。昭和中期頃

までは賑わっていたが業界が不況になるとともに祭礼の参加者も減少していった。その中

で1998年から秋季例祭と共に産業振興祈願祭を行うようになった。産業振興祈願祭は商工

会議所の主導で三条市内の業界団体が協賛して行われる祭礼で、秋季大祭の行事に加えて

神楽や参拝者への祈願餅ふるまいなどを行い、信仰的要素とともに、地域のレクリエーシ

ョン的要素を持つようにしたものである。産業振興祈願祭を始めるために最初に動いたの

は当時の金山神社の役員たちであった。その中には非金物業者もおり、全員が金山神社の

祭りの再興を商工会議所に働きかけ、三条市の業界全体で祭礼を行うこととなった。

金山神社は三条の金物業者たちが精神的にまとまるために祀りはじめたことが起源であ

り、その信仰集団成立の背景には金物業者による経済集団が大きな役割を持っていた。そ

して時代の流れとともに金物業の神社であるという意識が薄れ、産業全体の趨勢の変化と

ともに金物業以外からも信仰する人が現れたことでより広い範囲の産業から信仰されるこ

ととなった。そのような中で祭礼を商工会議所の主導で再編できたことにより、現在では

金山神社は三条の産業全体の結束の場としての役割を持つようになったのである。

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葬送の変化と相互扶助組織

―山形県最上郡金山町松ノ木の事例から―

星川 沙由里

葬儀における相互扶助に触れる従来の研究は、得てして地域社会、同族・親類関係の意識

やあり方を明らかにすることを目的としている。葬制の変化に伴う研究も葬儀の主体であ

る地域社会、同族・親類関係の相互扶助に触れざるを得ず、この二つは切っても切り離せな

い関係にありながら、これらが相互に与え合う影響を明確に実証した研究はない。そこで、

本稿では山形県最上郡金山町の松ノ木地区の葬儀を取り上げ、その変化に地区の相互扶助

がどのように関わってきたのか、人々の普段のムラヅキアイや他地区から受けた影響にも

触れながら明らかにすることを目的とした。第1章では研究史と課題を述べている。

第2章では、第1節で調査地概要を、第2節で松ノ木地区の葬儀の具体的な流れを、その

変化とともに記述した。松ノ木は現在でも八割の家が農家を営む農村だが、近年は世代交代

とともに兼業農家が増え、これに伴い相互扶助組織が破綻しつつある。

第3章では、葬送の相互扶助の変化について、テツダイと香典の2点から考察した。相互

扶助を地理的要素、血縁的要素のもとに分類することで、松ノ木では「家がムラの近くにあ

る」という地理的要素が時に親類関係と同等以上に重視されていると推察した。

親類組織での相互扶助は、昭和42年の町営火葬場設置に伴う葬儀委託サービスの開始、及

び兼業農家世代への世代交代とともに消滅していくが、ムラとしての相互扶助は「お返し」

と称し近年まで続いた。これは、世代が変われば交流が途絶える親類関係に対しムラの付き

合いは地理的に永久であり、また松ノ木では普段からムラヅキアイや農機具の貸し借りが

頻繁に行われていることが理由と考えた。

以上の事を整理し、第3章・第3節では松ノ木の葬儀の変化に深く関与したと思われる出

来事を6つ挙げ、それぞれ考察した。委託サービスの利用を発端に松ノ木では相互扶助から

の脱却の流れが出来、それを後押ししてきた兼業農家の新世代が、平成16年に扶助の負担を

以前の半分とすることで一旦の解決を見た。この平成16年の決定は、相互扶助組織を公的な

場で初めて不要のものと認めるものであった。その後、相互扶助を表立って断る家が急激に

増えている。今後の松ノ木では人々のさらなる職業形態の変化や過疎化に伴い、再び、相互

扶助組織の消滅に向かう公的な話し合いが行われるだろうと推察する。

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新潟県北魚沼地方の十二信仰

―兎畑集落の十二神社祭日に注目して―

星野 七夕穂

東日本において山の神を十二という数字にちなんで信仰する地域が見られる中で、新潟

県魚沼地方はその十二山の神信仰の中心とも言われる地域である。これまで十二山の神に

関する研究は、なぜ十二という数字が山の神と関連するのかという問題や、十二講と呼ばれ

る山の神祭りの内容やその意味を検討するものが多く行われてきた。

本論文では十二様や十二山の神と呼ばれる山の神信仰と併せて、魚沼地方に数多く存在

する十二神社に注目し、相互の関係やその信仰の姿を考察することを目的とした。また十二

信仰がムラの生活の中でどのようなものであったのかについて、人々の生業暦や暮らしと

あわせて検討した。

調査地である新潟県北魚沼郡広神村兎畑集落では、ムラの鎮守として十二神社を祀って

いた。3月12日、9月12日は十二神社の祭日であり、それぞれにおいて「十二講」と「秋祭

り」と呼ばれる行事が行われた。十二神社をめぐって信仰される十二山の神の存在が二つの

祭日においてどのように位置づけられるかという点について、十二山の神が山と里を行き

来するのではないかという考えを提示する。これまでの山の神研究において、農民の信仰す

る山の神は春に田に下りて田の神となり、秋には山に戻って山の神になるなど、山の神と田

の神が同一神であるという見立てがある。これに基づき兎畑の十二講において用いられる

絵馬や、十二山の神の農耕神的な性格を考えると、3月に行われる十二講は、山の神を山か

ら里に招く行事だということが出来る。一方で9月の秋祭りでは、実りと収穫を山の神に感

謝することをもって、半年間の農仕事を見守って来た十二山の神は里での役目を終える。ま

たこの日にムラ境に注連縄を下げるということが行われる。これはムラに厄災が入らない

ようにと願いが込められたものであるが、山の神が山へ戻るための道標のような役割を持

つものではないかという見方もできる。この祭日の時期を見ても、各地で行われる田の神送

りの事例と共通するところがあるため、秋祭りにおいて十二山の神が山に帰るということ

を示していると考えられるのである。この春と秋の十二神社の祭日において、十二山の神は

里に迎えられ、春から秋にかけての農仕事を見守り、収穫を見届けると山に戻るという姿を

推測することができる。

また人々の生業と暮らしは、兎畑の十二信仰を考える上で重要な位置を占める。雪消えと

ともに山に入って仕事をする、農仕事の準備をするという人々にとって3月12日に行われる

十二講は、これから始まる一年の節目として捉えられる。そして秋祭りには作物の実りと無

事の収穫を感謝するとともに、秋から始まる山でのボイ切りといった薪を切る仕事のため

に山に入ることとなる。この時期には里から山に戻った十二山の神が、山に入る人々を見守

ることが出来る位置に存在している。季節が移り、山が雪で閉ざされる冬は、十二山の神の

休息期間であるとともに、同じく雪で閉ざされた里を山から見守り、厄災から守るというよ

うな役割が期待されていたのではないだろうか。

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非稲作村落における複合的生業形態

―群馬県甘楽郡南牧村上底瀬 I 家の生業を事例に―

茂木 睦充

生業研究は個々の技術や系譜の研究が盛んになされ、それも古態の記述が中心であっ

た。そんな中、生業は複合して成り立つというという視点からも研究がなされるようにな

り、それを体系化したのが安室知の複合生業論である。安室は稲作の機能に着目した複合

の様子を研究成果として示した〔安室1985、1997〕。同じく非稲作地である山村において

も、その環境の特徴から生業の複合性が指摘されていた〔千葉1987〕。このような複合生

業に対する研究のほとんどは一地域を対象とした調査であり、その地域における平均的な

生業を示すことに留まっていた。そのため、そうした生業により生計を立てている家族員

の姿が見えてこなかった。

そこで本稿では、複合的生業形態が顕著である山村を取り上げ、そこに住む一世帯を調

査対象とすることで、非稲作地での生業の特徴や、その世帯においての生業選択の分析を

試みる。調査対象である南牧村上底瀬在住の I 家は昭和37年に T さんとⅯさんが結婚し、

その後5人の子供が生まれた7人家族である。まず、昭和37年から現在までの I 家の生業変

遷を聞書きから確認し、生業の複合の違いが見られた、分家直後の昭和40年前後の生業と

その後の昭和50年代の生業を時代別に記述した。

分析の結果、昭和40年前後の I 家では「こんにゃく栽培+多彩な生業」で一年の生業が

組み合わされていたことが分かった。稲作を行なえなかったこの地では、こんにゃくが生

業の中心として成り立っていた。主食としての米の代わりに麦を栽培したり、小豆を長野

から来る米と交換したりするなど非稲作地での特徴が見られた。農閑期には多彩な生業が

営まれ、道づくりや炭焼きなどその時代に需要が高く現金収入源となる生業に取り組んで

いた。また、この当時南牧村において盛んであった養蚕を I 家では選択しなかったことは

大きな特徴と言える。子供の頃に養蚕の手伝いで苦労したことから、「やりたくなかっ

た」と述べているが、ちょうどこの時期が山村における養蚕の減退期であったことも原因

と考えられる。

昭和50年代には I 家の生業は「こんにゃく栽培+木伐り」へ変化してきた。農閑期の薪

炭生産の需要が減ったことで、山域の利用が少なくなり、それに伴い、たまたま機会に恵

まれた T さんは道路や避暑地の整備のための木伐りを行うようになった。これにより1年

を通し、その都度収入が得られるようになった。また、この頃、品種改良や機械の導入な

どから、こんにゃくの栽培地が平地へと移り、大規模化したことで価格が低下してきた。

しかし、I 家の耕地利用の変遷を見ると、この時期に一番多くの土地を利用しており、そ

のほとんどにこんにゃくを栽培していたという。これは、ちょうど子供たちが高校に通い

始めた時期と重なっており、学費捻出のためと思われる。また、離農者が増えたこともあ

り、空いている土地が多かったとも考えられる。

家族の事情という個人的な理由と、社会状況などが生業に反映されていることが分か

る。

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獅子追の伝承

吉田 惇二

柳田國男は現在日本で見られる獅子は食用の獣を指す「シシ」と、外来の想像上の動物

である「獅子」が混交していることを述べている。しかしながら獅子の研究史では、その

二つが混交していることは認めているが、それは獅子舞を始めとした外来の「獅子」に在

来の「シシ」の要素が含まれている事例に対してであり、それぞれがそのままの姿を留め

ている事例については言及していない。福島県大沼郡会津美里町の伊佐須美神社の御田植

え祭り、その中の一行事である獅子追は、「獅子」と「シシ」それぞれを表す動物の面が

同時に用いられる神事の事例になる。本論では2015年7月11日から13日までの調査と資料

をもとに御田植え祭りの一連の流れを示し、その中で獅子追の儀礼をいくつかの要素に分

けて考察することで、獅子追全体の儀礼の意味と構造を明らかにした。

伊佐須美神社御田植え祭は毎年7月12日を祭日として行われる祭りであり、獅子追神事

及びその後に行われる神輿渡御行列が祭りの中心となっている。獅子追は獅子頭と呼ばれ

る馬、牛、鹿、獅子を模した8つの仮面を持った児童を先頭とした行列が、伊佐須美神社

を出発し、町内を練り歩く。この際町内の家々を巡り裏手から表へ抜けてゆくのが慣わし

とされた。行列は神田のある御田神社へ向かい、児童は神田に踏み入り、素足で泥をかき

混ぜ、その後伊佐須美神社へと戻り、獅子追の行列は解散となる。この獅子追の後に同じ

順路で神輿渡御が行われ、獅子追の児童と同じように神田に踏み入る。神田をならした

後、早乙女が神田に稲を植えてゆき、この早乙女とは別の早乙女に扮する青年による舞い

が行われ、伊佐須美神社に戻り神輿渡御は終了となる。

御田植え祭りの内容を踏まえて、その動きを分類し、考察した。結果として町内を練り

歩く動きには悪魔祓いの意味、神田を踏みならす動きには代搔きを模倣する意味をそれぞ

れ持っているだろう事がわかった。また、用いられる獅子頭の表す動物についても、馬、

牛は稲作に強いかかわりを持っていることから神田に、獅子は悪魔祓いの意味を持つこと

から神輿渡御行列に、それぞれ対応しているであろう事を考察した。加えて獅子頭のそれ

ぞれの由来の違いから、獅子頭の成立年代に違いがあることも提示した。

結論では、獅子頭の年代の違いや、考察した獅子追の儀式の意味を踏まえて、獅子追の

儀礼の捉え方には混乱が生じており、それは「獅子」と「シシ」の要素が交わったことで

生じたものであろうとした。

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資源化する儀礼

力士 智

本論文では氏子儀礼をイベントのように読み替え、非氏子に対して儀礼を執り行うとこ

ろを見せる、あるいは体験させることによって最終的には氏子の獲得を目指すようになっ

た京都市左京区岩倉木野町の愛宕神社烏帽子着を調査し、現代における氏子入りに際する

諸問題及び氏子組織の拡大についての地域住民の葛藤を明らかにすることを目的とした。

今回調査の対象地としたのは京都府京都市左京区にある木野自治会区域である岩倉木野

町、岩倉南木野町、岩倉幡枝町である。かつて木野集落の耕地として利用されてきた旧小

字枝ヶ前、長尾の2地域は1949年に木野集落が含まれる岩倉木野町と分離し、岩倉木野町

と隣接する岩倉幡枝町の一部となり、1990年後半以降の開発により新興住宅地となり現在

も人口数を伸ばしている。一方木野集落は、人口の減少と過疎化が進み、2014年の町名町

界変更で岩倉木野町が旧岩倉幡枝町の一部を取り込んだことにより人口は増加したもの

の、集落内の木野愛宕神社の氏子の減少は食い止められず、氏子の減少による氏子一人一

人の負担の増加が原因となり、住民が氏子組織から脱退するという負の連鎖が続いてい

た。その負の連鎖を食い止めるべく、木野の人々は本来氏子のみが参加の権利を持ってい

た地域の氏神社である愛宕神社の成人儀礼である烏帽子着を木野自治会内に住んでいるこ

と、あるいは氏子の親戚であることを条件に参加者の範囲を拡大した。この参加者範囲拡

大の意図は、氏子儀礼である烏帽子着の参加者の門戸を氏子に限らず同じ自治会への関係

者まで開くことによって、「非氏子にも氏子儀礼への興味を持ってもらうこと」そして最

終的には「非氏子が氏子組織に加入すること」を目的としている。この参加者の範囲拡大

に併せて非氏子に対する氏子の募集ポスターや、烏帽子着の紹介ポスターの配布など、今

まで行ってこなかった非氏子に対する木野愛宕神社氏子の活動の広報活動を積極的に行う

ようになった。これらの広報活動により、かつて非氏子から「秘密の祭り」と形容されて

いた烏帽子着は、「氏子の活動をアピールする一つの場」として氏子たちに捉えられるよ

うになったといえる。この変更を主導した氏子総代たちは「自治会区内はもともとすべて

木野集落の住人のものであった」ことと、「今まで名目上は存在していたものの、具体的

な活動が行われてこなかった非氏子による神社の支援組織である奉賛会を非氏子の烏帽子

着参加者に当てはめる」ことで、地域的な面で烏帽子着の参加者範囲を拡大することと、

氏子以外にも烏帽子着参加者の門戸を広げることの二つの変革を説明している。「伝統」

として維持されてきた烏帽子着を変革するにあたって地域で用いられてきた言説とのすり

合わせが行われたため、多くの住人に支持されることとなった。

現状、氏子と非氏子との負担格差や、奉賛会員の扱いについてなど、制度面で氏子入り

をサポートする体制が整っておらず、非氏子を儀礼に参加させることには成功したが、そ

の先にある目標の氏子入りに関しては結果を残すことはできていない。今後は氏子と非氏

子が同じ儀礼の担い手として一つになることが求められるだろう。

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村落空間における道の諸相

渡辺 澪子

民俗学では村落空間についての研究が多くなされてきた。村落と村落の境である村境の

研究などは特に盛んになり、そこから村落の領域研究へも発展していった。しかし村落空

間を研究していく上で、屋敷地や耕作地、山地、さらに村境や辻についての研究視点は多

く見られるが、村落内を網羅し村落生活にとって必要不可欠な村落内の道についての研究

視点は不十分であった。本論文では、村落空間において道はどのような姿で存在している

のか、住民にどう認識されているのか、村落内の道の諸相について探ることを目的とし

た。

調査対象地には山形県西置賜郡白鷹町大字中山を選択した。調査では中山全体で行なわ

れている道普請である「村道つくり」と「道草刈り」に注目し、中山内の道の分類を試み

た。村落全体で行なっている道普請の範囲から、まず中山にとっての「公の道」と「私の

道」があることを導き出すことができた。さらに「公の道」は村道・作場道・山道・信仰

の道という4つの異なる姿で構成されていることがわかった。さらに、婚姻儀礼と葬送儀

礼の際に、上記で現れた公の道である村道の一部が、村道とは異なる認識で捉えられてい

ることも判明した。公の道は儀礼の際には普段と異なる姿で現れてくることもあるとし、

その際現れる道をハレの道と称して、村道・作場道・山道・信仰の道・ハレの道について

それぞれ考察を加えた。さらに中山内を区画しているという道の機能にも注目し考察し

た。

考察の結果、公の道である村道・作場道・山道・信仰の道は、村道と作場道・山道・信

仰の道の2つに分けることができると考えられた。作場道・山道・信仰の道はそれぞれ耕

作地や山といった特定の目的地が想定された道である。目的地あってこそ村落内で存在し

得る道であり、「目的地に付随」している道であると考えられ、独立して村落内に存在す

る道ではないと考えることができる。しかし村道は、特定の目的地と結びついた道ではな

く、村落生活の基盤となる道であり、道として独立して存在している。村落を構成する要

素として独立し存在し得るのは村道であり、その他の作場道・山道・信仰の道は、その目

的地に吸収された形で村落の中に現れるだろう。ハレの道に関しては、ハレの道にはその

道を通ることで村落内にある状態を知らせるという顕示的な機能もあることが分かり、そ

して村落内でも中心的な位置にある、本道などと呼ばれる道がハレの道になり得るという

ことが分かった。最後に、中山という村落は中田・原・堀の内・北原・上原かみはら

という5つの

町内に分かれており、この町内の区切りに道が利用されている。このことから道には場所

と場所をつなぐ機能だけでなく、村落を区画するという線的な機能も備わっていることが

わかった。この機能は中山においては、町内という村落を形成する1つの社会組織の成立

に欠かせないものであり、道は村落社会の形成の一端を担っていると結論づけた。

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秩父地方の神楽

長谷河 雅司

埼玉県秩父地方には現在でも数多くの神楽が存在しており、その数は20数カ所、神楽団は

10数団体の活動が確認されている。秩父地方の神楽はその特徴から5つの系統に分類され

ている。しかし、その系統が分類されたのは今から100年ほど前であり、その系統が現在に

も適用できるかどうかは疑問である。そこで、秩父地方に存在する3つの神楽の比較から系

統を再検討すると共に、秩父地方では最も古い神楽と言われている秩父神社神楽であるが

江戸神楽的演目の起源については記録が失われており起源がはっきりとわかっていない。

そこで、秩父神社神楽の江戸神楽的演目の起源の可能性についても検討を試みた。

今回、比較の対象とした神楽は、秩父神社神楽、白久神明社神楽、貴布祢神社神楽である。

それぞれの神楽の演目及び囃子、登場神を整理し、それぞれの神楽における演目の特徴を整

理した結果、3つの神楽にすべて共通して「男神による四方堅の演目」と名付けた演目群の

際には共通して「出」「四方堅」「鎌倉」と言う囃子が用いられていることが分かった。そ

れに加え、演目群の全体に占める割合や、用いられる囃子、演目の共通性などから秩父神社

神楽と貴布祢神社神楽について元来別の系統とされていた神楽であるが、演目から見ると

同系統の神楽であると言うことができ、その特徴から「伊勢神楽と物語風演目の混在した神

楽」と名付けた。一方の白久神明社神楽は演劇的演目が神楽のほとんどを占め、更に、歌舞

伎の見栄などを取り入れたいかにも江戸神楽的な娯楽的側面の強い神楽であった。

秩父神社神楽の演劇的演目に目を向けると、演目において白久神明社神楽と特徴が共通

するものは無く同じ秩父地域から伝播したと考えることは難しかった。そこで、江戸神楽的

演目が取り入れられたと考えられる同時期に発展した秩父夜祭の屋台曳き廻し行事と関連

づけて見てみると、延宝5年(1677)の『秩父神社文書』に記される御神楽奉勤の記述があ

り屋台曳き廻し行事が伝わったのは寛文年間(1661-1672)である。多少の前後があるもの

の、祭の行事と共に江戸神楽的演目が取り入れられたと考えることが出来るのではないだ

ろうか。加えて、この屋台曳き廻し行事には「猿田彦命」が登場し、神社から御旅所への道

のりを先導する役目を果たしている。このことは神楽が本来、神楽殿あるいはそれに準ずる

場所で行われていたことを考えると特異なことであり、祭の流入と共に取り入れられたも

のであると言える。白久地方においても御輿の先導役として「猿田彦命」が登場すると言う

演出がある。江戸神楽的性格の強い神楽であることを考えるならこの様な演出は当時から

のものと考えられる。これらの事を考えるなら、祭の流入と共に江戸神楽的演目を取り入れ

たと考えることが出来るのではないだろうか。

秩父地方の神楽の系統の再検討については演目群の比較のみでなく他の地域との関係に

まで目を向けたより広範な系統の再編成を行う必要がある。その様に、広範に目を向けると

共に神楽が伝わったとされる時期の当時の目線に経ち、道路や地理的関係も踏まえて考え

ることで秩父神社神楽の江戸神楽的演目の起源に迫ることが出来ると考える。

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宇都宮市内における戦争遺跡の保存・整備・活用についての研究

伊藤 大地

戦争遺跡とは、近代日本の国内・対外(侵略)戦争とその遂行過程で形成された遺跡であ

る。従来の考古学では近現代の遺跡には関心が寄せられなかったため、戦争遺跡は調査され

ないまま消滅していくことが多かった。終戦から70年が経ち、戦争の語り部が減少しつつあ

る今、現存している戦争遺跡を平和学習のために活用していくべきだろう。そこで本稿では、

空襲の被害を受けた都市のうち、私の郷里である宇都宮市を対象とし、市内に現存する戦争

遺跡の保存・整備・活用の現状を調査した。

その結果、宇都宮市内における戦争遺跡は活用の段階に至っているものが少なく、多くは

保存や整備の段階で止まっていることがわかった。一方で、他地域に目を向けると平和学習

に活用されている戦争遺跡も存在する。それらと宇都宮市内の戦争遺跡との差異を検討す

ると、戦争遺跡が活用に至った背景には、行政と市民団体のそれぞれが積極的に活用に向け

た動きを展開していることが挙げられる。

その点を踏まえ、宇都宮市教育委員会文化課と宇都宮市内の戦争遺跡保存に向けて活動

をしている団体「ピースうつのみや」を訪ね、それぞれの戦争遺跡の活用に向けた取り組み

を調査した。宇都宮市教育委員会文化課の取り組みとして挙げられるのは、2年間に及ぶ戦

災記録保存事業である。この事業によって宇都宮空襲の状況把握や戦争遺物の収集などが

行われ、市はその成果を『戦災記録保存事業報告書 うつのみやの空襲~平和への願いと犠

牲者への鎮魂の意をこめて~』として発行した。宇都宮市によれば、戦災記録保存事業でこ

れほどの冊子を作る市は珍しいという。また、市が所有している戦争遺物を市内の小中学校

に貸し出し、市の職員が説明を行っている。実際に遺物を用いて戦争を語ることで、リアリ

ティーをもって戦争の悲劇を伝えることができるだろう。これらの取り組みについては評

価ができる。しかしながらピースうつのみやとの連携不足という課題も見つかった。ピース

うつのみやは、戦争遺跡の調査や戦争遺跡巡りの活動を行う団体である。昨年にピースうつ

のみやが発見した戦争遺跡の調査を市へ要望しているが、市には受け入れられなかった。戦

争遺跡を保存したいという両者の思いは同じはずである。今後は、両者が連携し、戦争遺跡

が平和学習の教材として活用されることが望まれる。

【主要参考文献】

・宇都宮市教育委員会 2001 『戦災記録保存事業報告書 うつのみやの空襲~平和への

願いと犠牲者への鎮魂の意をこめて~』宇都宮市教育委員会

・菊池実・菊池誠一 2015 「アジアの戦争遺跡調査と保存の現状」『季刊考古学・別冊23

アジアの戦争遺跡と活用』17頁、雄山閣

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縄文時代後・晩期における植物利用について

―石船戸遺跡を例とした植物利用プロセスの再検討―

清野 安祐美

縄文時代においては狩猟・採集・漁労を主とする生業が行われており、なかでも植物利用

に関しては地域や植物の種類によって加工法や利用植物に違いが見られたり、植物を栽培

していたりと、当時の人々は非常に高度な技術を持っていたことが明らかとなっている。

当時の植物利用については考古学分野において一般的に「栽培(自生)→採集→加工→食事→

廃棄・貯蔵」というような一連の流れで表されている。このような利用過程については考古

学の分野だけではなく、自然科学・民俗学・文化人類学など、各方面の分野から研究が進め

られており、それにより、植物の加工法や貯蔵法といった植物利用の各段階については実験

や事例等の分析から導き出された結論を基に多様な議論が繰り広げられている。

しかし、植物利用全体として見ると、上述したような単に「栽培(自生)→採集→加工→食

事→廃棄・貯蔵」という一連の流れだけではなく、その中でもさらに細かな段階があること

が考えられる。しかし、このように植物利用全体を通しての研究はあまり進められていない。

そのため、本稿においては遺跡から出土した植物遺体であるクリ・クルミ・トチノミ・ドン

グリの状態や出土状況から、これらが植物利用においてどのような段階であったのかを推

察し、さらに詳細な植物利用プロセスを作成することを目的として研究を進めた。

対象遺跡は新潟県阿賀野市に所在する石船戸遺跡である。遺跡は縄文時代晩期頃の集落

遺跡であり、良好な状態の植物遺体が大量に出土したことで知られる(古澤 2016)。

分析方法としては、まず本遺跡から出土した植物遺体について種実ごと、形状ごとに分類

し、重量比を割り出した。また可能な個体は長さ・幅の計測を行った。その後、この計測結

果および出土状況から植物利用プロセスのどの段階にあたるか推察した。

また、比較遺跡として青田遺跡、野地遺跡、山口野中遺跡、元屋敷遺跡を挙げた。これら

の遺跡には石船戸遺跡同様、遺構ごとに異なった植物遺体が出土している地点があり、縄文

時代後~晩期に属し、阿賀北地域に所在しているという共通点がある。これらの遺跡から出

土した植物遺体についても同様に出土状態・状況の分析を行った。その結果、縄文時代にお

ける植物利用プロセスには従来のような一連したものだけではなく、加工・食事・廃棄の各

段階においてより詳細な段階できることが明らかとなった。

今後の課題としては、本稿では遺跡から出土した一部の植物遺体について、遺物との関連

性などについて分析を行ったが、より多くの植物遺体についての分析を行うこと、さらに、

関連遺物については植物利用に関連する石器や祭祀道具に絞ったため、土器や他の石器に

も着目することなどして多面的に分析することが挙げられる。

【主要参考文献】

古澤妥史2016「阿賀野市 石船戸遺跡」『第21回 遺跡発掘調査報告会』pp.6-7、阿賀野市

教育委員会。

名久井文明2004「乾燥堅果類備蓄の歴史的展開」『日本考古学』第17号、pp.1-24。

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- 52 -

群馬県吾妻川流域における縄文時代中期後半の中部高地系土器

平形 杏里

縄文時代を研究するうえで土器文化圏というものが重視されてきた。中部高地と関東は

それぞれ異なる土器文化圏であったが、中期後半(約4500年前)になると中部高地系土器

が関東圏でみられることがわかっている。

本論文では、長野県と群馬県の県境を水源とする吾妻川に沿った地域を対象とし、土器

文化圏の交流の様相を明らかにすることを目的とした。対象遺跡は、上流域の今井東平遺

跡、中流域の勘場木遺跡、坪井遺跡、長野原一本松遺跡、横壁中村遺跡、下流域の久森環

状列石遺跡、四万遺跡の7遺跡とした。

出土した中部高地系土器には曽利式土器、唐草文系土器、郷土式土器の3型式がみら

れ、時期ごとに分類し検討をおこなった。その結果、加曽利 E1式段階では中部高地系土

器の存在は薄く、以降の加曽利 E2式、3式段階において隆盛し、加曽利 E4式段階では衰

退するという様相を確認した。

当地域の出土土器には加曽利 E 式土器の特徴である縄文を地文とした中部高地系土器が

みられ、中部高地系土器が加曽利 E 式土器の影響を受けていたと考えられた。特に縄文を

地文としつつ、曽利式土器の特徴を示す土器が流入の早い段階で出現する。中部高地系土

器のうち唐草文系土器の出土が最も顕著であった。中でも腕骨文と呼ばれる両端が渦巻で

縦位隆線の文様が多く採用されていた。この腕骨文は東北系の大木式土器や大木式土器か

ら派生した新潟県南部・長野県北部の在地土器である栃倉式土器を初源とし、吾妻川流域

でも出土しているこれらの土器から直接的な影響を受けた可能性を考察した。また、唐草

文系土器の口縁部に特徴的な撚紐状隆帯が当地域では頸部に施文される傾向にあることを

明らかにした。郷土式土器は他の中部高地系土器とは異なり、郷土式土器の発生段階にみ

られる土器が当該地域からも出土していることから関根愼二が提唱した浅間山周辺を郷土

式土器の中核地とする説を裏付けるものとした(関根 2008)。

さらに使用用途に言及し、長野県域において多くみられる埋設土器を対象に検討をおこ

なった。その結果、長野県とは使用する土器の部位が異なることが明らかとなった。

【主要参考文献】

関根愼二2008「浅間山を廻る縄文土器―群馬県における郷土式土器について―」『研究紀

要』26、1-18頁、群馬県埋蔵文化財調査事業団。

山口逸弘2015「吾妻川中流域における縄文土器後葉の土器様相―加曽利 E1式古段階を中心

として―」『研究紀要』31、1-16頁、群馬県埋蔵文化財調査事業団。

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北信地域の栗林式期集落遺跡研究

町田 光

1960年代後半以降、大規模な土地開発に伴って遺跡全面におよぶ広い面積の発掘調査が

実施されるようになり、良好な資料が蓄積されていった。1980年代以降、北信地域の弥生

中期栗林式期の集落遺跡研究においても、広域調査によって大規模集落の存在が明らかに

なり、新たな知見をもたらした。栗林式期に集落が拡大することについては多くの研究者が

言及しており、その背景の解明が試みられてきた。また、これまでの研究では大規模集落成

立や集落拡大の背景については多く論じられてきたが、集落が栗林3式期に急激に縮小化

する背景について詳しく言及するものは少なかった。

本稿では、北信地域の栗林式期の集落遺跡を対象に資料集成、分析を行い、栗林式期の大

規模集落の縮小化の背景や、社会変化の変遷など栗林式期の社会の解明を目的とした。

36遺跡を対象に、各遺跡の立地と主な出土遺物、遺構を確認した。石川日出志氏の編年

(石川 2002・2012)に準拠して、栗林式期のなかでもどの時期に各集落が帰属するのか分

析し、栗林式期の遺跡動態を点検した結果、栗林1式期を境に遺跡数が増加し、栗林2式(新

段階)期に遺跡数がピークを迎え、栗林3式期に減少することを確認した。

また、時期ごとに竪穴住居址の形態の比較検討を行った結果、栗林式期に隅丸長方形(方

形)の住居がみられるようになり、増加していくことがわかった。栗林式期に円形から隅丸

長方形(方形)住居への変化が行われていったと考える。ただし、同時期に各地域で一斉に

住居形態が変化していったというわけではない。この変化は、時間的問題や地域的問題から

のみ説明されるものではなく、集落の成立時期・過程や集落を構成する集団の分析など多面

的にアプローチする必要性を指摘した。

さらに、集落が栗林3式期に縮小する背景について、鉄器の普及による石器の需要の低下

の可能性について検討した。すなわち、石器の需要の高まりに伴って、より石材の得やすい

地に労働力が結集したことで栗林2式期に松原遺跡や榎田遺跡のような大規模集落が形成

され、3式期に石器に代わって鉄器の普及が進んだことで集落が縮小化したのではないか

と考えた。安藤広道氏は、集落の縮小化の背景には新たな石材産地の発見による競合する集

落の出現や、鉄器の普及による太形蛤刃石斧、扁平片刃石斧等の需要の減少が絡んでいる可

能性を想定し、とくに前者の要因が大きかったと考えている(安藤2011)が、本稿では栗林

式期における鉄器の出土例と南大原遺跡の鍛冶関連遺構についてふれ、栗林2式(新段階)

期に鉄器が普及し始め、栗林3式期に鉄器の普及が進んだ可能性を改めて示し、後者の要因

のより大きかったことを示した。

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縄文時代における弓の弭ゆはず

について

山川 博哉

縄文時代の弓に関する研究は、これまで多くの研究者によって論じられてきた。弓におけ

る弦を装着する部位である「弭(ゆはず)」もその一例である。弭については形態を分類する

研究が主に行われてきたが未だ統一的な見解は示されておらず、加えて近年に弓の出土が

増加したため、従来の分類は懐疑的となった。また弭に関連して示された弦の装着方法は実

証に基づいておらず(松木 1984:6-10)、弭の効力の実証例は1例のみである(石井 2009:

60-61)。本論では縄文時代に属する全国25遺跡を対象とし、近年新たな分類基準を提示した

谷口 明(2010:157-160)の方法を援用した上で、弭の形態分類を再考する。加えて、弓を構

成する他の要素にも注目し、要素別に変遷を示した上で先行研究との比較を行う。また今回

の分類で示した弭の各形態を用いた実験によって装着時間や弓を用いた際の弦の緩み具合

を検証することで、装着方法や今回の分類で示した弭の各形態における効力の実証を試み

た。

分類では弭の構造を各要素に細分化した後に再統合させる手法を用いた。弭の外形・先端

形状・溝の位置・溝の有無の観点から細分化することにより詳細な分類が可能となり、弭の

分類における統一的な見解を示すに至った。変遷において弭以外の弓の各要素は先行研究

を再確認するに止まったが、弭については新たな見解を示した。弭の構成要素自体に大きな

変化はみられないが、弭の形態や弭同士の組み合わせは時期を経るにつれて多様化・複雑化

する傾向がある。また弦の装着方法において、現代弓道にもみられる「弦輪法」を用いる弭

の形態が縄文時代晩期から確認されており、弦を巻き付けるのみの「緊縛法」から弦輪法へ

過渡期が晩期であると示唆される。

弦の装着方法に関する分析では、装着時間、弦の緩み具合共に弦輪法が優れており、変

遷において示した緊縛法から弦輪法への移行が効力の観点から必然的であったことが示さ

れた。また弭の効力に関する分析では、造り出しや溝が緊縛を容易にし、加えて弦の緩み

を抑える効果がある点が証明された。しかし、造り出しの形状、溝の位置や本数の違いに

よる緩み具合の差は確認できず、弭の構造や弭同士の組み合わせが複雑化した場合に緩み

が抑制される結果が出た。変遷において弭の構成要素に変化がみられない点、弭の構造や

組み合わせが複雑化する点を指摘したが、今回の実験結果から変遷と効力の関連性が実証

されたと考える。

【主要参考文献】

石井 良 2009「2006年度復元弓矢を用いた射出実験」石井良・岡本康則・亀井翼・橋本望・

山田昌久 編『人類誌集報2006・2007』首都大東京人類誌調査グループ、50-77頁。

谷口 明 2010「第3節 弓」金沢市 編『中屋サワ遺跡5-縄文時代編-』金沢市文化財紀要

262、金沢市埋蔵文化財センター、157-160頁。

松木武彦 1984「原始~古代における弓の発達-とくに弭の形態を中心に-」『待兼山論叢

(史学篇)』第18号、大阪大学文学部、1-22頁。

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縄文土器における施文方法について

若井 麻衣子

私たちが「縄文土器」と呼ぶ名称は、その名の通り縄を土器面に転がして文様をつけたこ

とが由来である。土器に文様を施した縄は縄文原体と呼ばれ、縄文原体以外にも竹の先端を

半分に割ったり、へら状に加工したりした竹管状工具、製作者自身の指の爪など多くの施文

具が文様を施すために使われてきた。こうした縄文土器の施文研究は、施文具を復元し実際

に粘土に施文してみる実験的な研究が行われてきた。従来までの研究では文様の復元にと

どまっていたが、平面的な土器面から視点を広げ、土器製作者を含めた立体的な視点の施文

方法の復元が必要であると考えた。

そこで本研究では、実物資料の詳細な観察によってわかる文様の特徴、拓本、実測、施文

パターン、土器面に対する施文具の押し付け方などの情報を集め、施文実験と実物資料、集

積した情報を比較することを繰り返し、施文方法の復元を試みた。実物資料は、新潟大学考

古学研究室に保管されている新潟市西蒲区(旧巻町)布目遺跡の出土土器84点を対象とし

た。布目遺跡出土土器は、縄文時代前期にみられる文様の羽状縄文が主に確認される。本研

究で復元する文様は、布目遺跡にみられる文様の①結束羽状縄文(3種類)②非結束羽状縄

文③結節回転文④結節斜行縄文⑤結束斜行縄文⑥ループ文⑦付加条文⑧網目状撚糸文⑨爪

形文の9種類を対象とした。縄文原体の素材は、鳥浜貝塚の縄の分析結果を参考にしてタイ

マとカラムシを素材に使って復元した〔布目 1992〕。竹管状工具には、直径1.0cm 前後の

細い竹を使って製作した。文様を施す粘土は油粘土とオーブン粘土を使用した。

施文実験の結果、結束羽状縄文の文様を表現するためには、縄文原体の撚り方だけでなく、

土器面と縄文原体が接する部分の調整によって表現されることが確認された。結節回転文

では、今回の施文実験の結果と過去の発掘調査報告〔小野・小熊 1987〕と比較したところ、

報告書で想定されていた縄文原体の撚り方と、実物資料の結節回転文がやや異なる可能性

があった。爪形文は、人の爪による施文と竹管状工具による施文を比較したところ、人の爪

による爪形文の圧痕は幅が狭く縦に細長い形になり、竹管状工具による施文は幅が広く、や

や丸みを帯びた三日月状の形の文様になることが確認された。また、土器口唇部への爪形文

の施文を再現したところ、口唇部上部が内側に内傾することや爪形文の圧痕の形から、親指

を使って施文されたと考えられる。

縄文土器の施文方法の復元には縄文原体の撚り方、施文具の加工の条件以外にも、製作者

自身も含めた施文方法の復元が必要であると考える。

【主要参考文献】

布目順郎 1992『目で見る繊維の考古学』132∼143、208、231∼237頁、染織と生活社。

小野昭、小熊博史 1987「巻町布目遺跡の調査」『巻町史研究』第3号、1∼33頁。

山内清男 1997『日本先史土器の縄紋』3∼6、11∼29、33∼62頁、示人社(初出は先史考古学

会刊、1979年)。