電子の比電荷測定 - 九州大学(kyushu...

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電子の比電荷測定 1.目的 高度情報化社会を支えているコンピュータは、半導体素子内の電子の流れを制御することで情 報を高速処理し動作している。また、火力、原子力、太陽光、風力、地熱等の発電プラントでは、 化石燃料、ウラン燃料、再生可能エネルギーを最終的に電気エネルギーに変換し、配電網を流れ る電流として電気を工場、オフィス、家庭等へ供給している。その電流の正体は電子の流れであ る。このように、私たちは電子をうまく制御することで便利で快適な現代社会を作り上げている。 電子の発見は、19 世紀末の陰極線の研究に端を発する。気体を減圧して封入したガラス管内の 電極に高電圧を印加すると、陰極側からある種の放射線(陰極線)が放出される。図1に示すよ うに、陰極と蛍光面の間に物体をおくと影が映ることが見出された。陰極線の研究を行っていた J.J.トムソンは、1897 年、その正体は負の電荷をもった電子の流れであることを発見する。 今日では、電子は物質を構成している最も基本的な粒子(素粒子)の1つであることが知られ ている。物質を構成している原子は負の電荷をもつ電子と正の電荷をもつ原子核で出来ている。 気体にエネルギーを加えて、電子と原子核間の結合を切ること(電離)で生成されるプラズマ(実 験テーマFを参照)は電子と陽イオンからなり、全体としては電気的に中性な状態にある。さら に、放射性物質から放出される放射線の1つであるベータ線の正体も電子である。 本実験では、これら様々な物理現象に深く関係する電子に注目する。本実験の目的は、電子の 比電荷 e/me:電気素量、m:質量)の測定を通じて、特に電子と磁場との相互作用(ローレンツ 力)についての理解を深めることにある。後述のとおり、具体的にはヘルムホルムコイルによっ て発生した均一な磁場内に入射した電子ビーム(陰極線)を曲げ、可視化された円軌道の曲率半 径を測定することで電子の比電荷を実験的に求める。 この実験を通じて、核融合プラズマ内の電子の挙動や荷電粒子を高エネルギーに加速する装置 である粒子加速器の基本原理を理解する上で必要な基礎知識を学ぶことにもなる。 図1 クルックス管と呼ばれる陰極線を発生させる装置(文献 1 から転載)

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電子の比電荷測定

1.目的

高度情報化社会を支えているコンピュータは、半導体素子内の電子の流れを制御することで情

報を高速処理し動作している。また、火力、原子力、太陽光、風力、地熱等の発電プラントでは、

化石燃料、ウラン燃料、再生可能エネルギーを 終的に電気エネルギーに変換し、配電網を流れ

る電流として電気を工場、オフィス、家庭等へ供給している。その電流の正体は電子の流れであ

る。このように、私たちは電子をうまく制御することで便利で快適な現代社会を作り上げている。

電子の発見は、19 世紀末の陰極線の研究に端を発する。気体を減圧して封入したガラス管内の

電極に高電圧を印加すると、陰極側からある種の放射線(陰極線)が放出される。図1に示すよ

うに、陰極と蛍光面の間に物体をおくと影が映ることが見出された。陰極線の研究を行っていた

J.J.トムソンは、1897 年、その正体は負の電荷をもった電子の流れであることを発見する。

今日では、電子は物質を構成している も基本的な粒子(素粒子)の1つであることが知られ

ている。物質を構成している原子は負の電荷をもつ電子と正の電荷をもつ原子核で出来ている。

気体にエネルギーを加えて、電子と原子核間の結合を切ること(電離)で生成されるプラズマ(実

験テーマFを参照)は電子と陽イオンからなり、全体としては電気的に中性な状態にある。さら

に、放射性物質から放出される放射線の1つであるベータ線の正体も電子である。

本実験では、これら様々な物理現象に深く関係する電子に注目する。本実験の目的は、電子の

比電荷 e/m(e:電気素量、m:質量)の測定を通じて、特に電子と磁場との相互作用(ローレンツ

力)についての理解を深めることにある。後述のとおり、具体的にはヘルムホルムコイルによっ

て発生した均一な磁場内に入射した電子ビーム(陰極線)を曲げ、可視化された円軌道の曲率半

径を測定することで電子の比電荷を実験的に求める。

この実験を通じて、核融合プラズマ内の電子の挙動や荷電粒子を高エネルギーに加速する装置

である粒子加速器の基本原理を理解する上で必要な基礎知識を学ぶことにもなる。

図1 クルックス管と呼ばれる陰極線を発生させる装置(文献 1)から転載)

2.原理

図2の様に、ある均一な磁束密度( 方向)

の領域に電荷 の粒子(電荷が負である事に

注意。電流は逆方向に流れる。)が、磁場に対

して垂直な方向( 方向)に、速度 で入射し

た場合、その粒子は磁場と進行方向の両者に垂

直な方向( 方向)に一定の大きさの力 を受

ける。これがいわゆるローレンツ力であり、そ

の大きさは以下の式で表される。

……………… (1)

この粒子として電子(電荷 (ただし は電気素量とする))を考える。一定の磁束密度の領

域で、磁場に垂直な方向に速度 で電子を入射すると、ローレンツ力によりその軌道が曲げら

れる。電子には軌道が曲がることによって遠心力が働くようになる。電子の質量を とし、そ

の軌道の半径を とすると、電子に働く遠心力は

/ と書ける。磁場が一定であれば、ローレ

ンツ力の絶対値は常に一定となるため、この遠

心力とローレンツ力が釣り合った状態で電子は

図3の様に磁場に垂直な平面内で円運動をする。

両者の釣り合いの式は以下の様に書ける。

/ ……………… (2)

電子の比電荷とは、1章で述べたとおり /

で定義される値である。(2)式を整理することに

よって、電子の比電荷は以下の様に書ける。

/ / ……………… (3)

この式からわかるとおり、電子の速度、磁束密度、および電子の軌道半径を測定することで、

電子の比電荷を得ることができる。

固体中の電子を高熱や高電場によって取り出し、それをさらに電場で加速して電子を打ち出

す電子銃と呼ばれる装置がある。電子銃から放出される電子のエネルギーは加速部の印加電圧

を としたとき、 となる。電子銃の印加電圧は一般的に低いため、相対論は考慮せず、運動

図2 ローレンツ力の働く向き

図3 磁場内における電子の運動

エネルギーの式から、

/2 ……………… (4)

を導くことが出来る。(4)式を用いて、(3)式中の を消去すると次の式が得られる。

/ 2 / ……………… (5)

本実験テーマでは、この(5)式中の 、 および を実験によって求め、 / を測定する。

3.実験装置

実験装置は以下の5点からなる。

① 電子の比電荷測定器(EM-30N)

まず、図4に測定器の概要図と各部の名称

を示す。

・ヘルムホルツコイル

本器にはヘルムホルツコイルが内蔵さ

れている。ヘルムホルツコイルとは、図

5のように、半径 の円形のコイル2つを

平行に距離 だけ離して同じ軸上に置い

た物をいう。この2つのコイルの同方向

に電流 を流すと、中央部(図5の灰色で

示した空間付近)にほぼ均一な磁場を発生させることができる。本装置では、図中の各々

のコイルに反時計回りに電流が流れる。その場合、図中の太実線で示した矢印の向きに

磁場がかかる。コイル間の中心ではかなり均質な磁場を作ることができ、その中心での

磁束密度 は次の式で与えられる。

この時、 は真空中の透磁率(4 10 (H/m))、 はコイルの巻数、 はコイルに流

す電流(A)、 は図4に示すとおりコイルの半径である。なお、本器のコイルの巻数は

130、半径は 0.15m である。

45

/

……………… (6)

図4 本装置の概観と各部の名称

・管球

ヘリウムガスを減圧して封入した放

電管である。このような減圧したガス

の内部では、電子の流れ(陰極線)は

蛍光を発するため、目視確認すること

ができる。

また、本管球は内部に電子銃が装備

されている。電子銃にかける印加電圧

は比電荷測定装置前面の「加速電圧可

変つまみ」で調節する。

この管球は寿命が概ね動作時間で決

まっている。寿命をもたせるため、不

必要な放電は行わないこと。さらに、

管球自体が割れやすいため、取り扱い

には注意すること。

② 直流安定化電源(PMC-18-3)

ヘルムホルツコイルで均一な磁場を得るためには、安定した直流電流が必要である。本

電源は、交流電源を整流し、安定した直流の電源を供給する装置である。PMC シリーズ

は、シリーズレギュレータ方式の定電圧、定電流自動移行型となっている。図6に各部の

概観図と各部の名称を記す。

③ 電流計

ヘルムホルツコイルに流れる電流の値

を読むのに用いる。レンジ(測定する電

流の範囲)が自動で調節される機能がつ

いている。電池式なので、使用後はスイ

ッチをオフにしておくこと。

④ 電圧計

式(4)中の印加電圧を読むのに用いる。

本器は③とは異なりレンジを自動調節す

る機能がない。今回用いる電圧は150

~300V の範囲なので、「300V」の

端子を用いること。

図6 直流安定化電源の概観と各部の名称

図5 ヘルムホルツコイルの概要図

⑤テスラメータ

磁束密度を直接測定出来る装置。式(6)を用いて導出した磁場を計算だけでなく、テスラ

メータも用いて測定する。電池式なので、使用時以外はスイッチをオフにしておくこと。

4.実験手順

(1)準備

まず、全ての装置の主電源がオフになっていることを確認する。次に、用意されたバ

ナナチップのリード線で図7の様に配線を行う。実験装置本体前面に記載されている回

路を各自レポート用紙に手書きで写し、どこに何が配線されているのかを理解しながら

行うこと。リード線は配線ミスを防ぐため、陽極側には赤、陰極側には黒のものを用い

る。

実験装置本体の加速電圧可変つまみと、直流安定化電源の電流および電圧つまみが

小になっていることを確認する。また、直流安定化電源については、出力オン/オフスイ

ッチがオフ(凸)になっている事も確認する。

(2)ヘルムホルツコイルの中心部磁場

A)式(6)を用いて、それぞれコイル電流が 1.0、1.2、1.4、1.6、1.8、2.0 A の時の磁束密

度を求めよ。

図7 実験装置の配線図

コイル電流 (A) 1.0 1.2 1.4 1.6 1.8 2.0 磁束密度 (T)

B)直流安定化電源の主電源をオンにし、定電圧/定電流切り替えスイッチを電流モードに

設定する(「A」の LED が点灯した状態)。また、電流計のスイッチもオンにする。再

度、直流安定化電源の電流調整つまみが 小になっている事を確認して、出力オン/オ

フスイッチをオンにする。

徐々に電流調整つまみを時計回りに回していき、ヘル

ムホルツコイルに電流を流す。電流がA)で求めたのと

同じ条件で、テスラメータを用いてヘルムホルツコイル

のつくる磁束密度を測定する。なお、このとき電流値は

直流安定化電源の LED ディスプレイではなく、電流計

の値を読むこと。また、テスラメータはプローブを磁場

に垂直に向けること。また、測定レンジを調整し、mT

単位で小数点以下第二位まで測定すること。測定位置は

コイルの中心部だけでなくコイル付近も含め右図のA、

Bの点も測定する。

コイル電流 (A) 1.0 1.2 1.4 1.6 1.8 2.0

磁束密度

(mT)

A地点 B地点 中心

(3)磁場による電子の軌跡の観測

まず、直流安定化電源の電流調整つまみを

小にし、出力オン/オフスイッチをオフに

する。その後、主電源もオフにする。

次に、実験装置本体の主電源もオフになっ

ている事を確認してから、目盛板を取り外し、

装置に管球を取り付ける。この際、電子銃か

らの射出電子の向きがほぼ鉛直上向きにな

るようにセットする(図8参照)。割れやす

いため注意して取り付けること。管球の取り

付けがおわったら、目盛板を元の位置に設置する。

図8 管球内の電子銃

次に、実験装置本体の印加電圧可変つまみが 小値であることを確認して、主電源を入

れる。電圧計の値を見ながら、印加電圧可変つまみを時計回りに動かし、印加電圧を 150V

かける。この時、電子銃から電子の軌跡が蛍光として目視できるので、その軌跡がほぼ鉛

直上向きである事を確認する。

A)電子の速度(つまり電子銃への印加電圧)を一定にして、磁場の強度(つまりヘルム

ホルツホイルに流す電流の量)を変化させて、電子の軌跡を観測する。

※電子の軌跡の半径を測定する方法

ア) まず、実験装置本体に取り付けられている目盛板の指標を0に合わせる。

イ) 図9のように眼と指標と電子銃が一直線になる所で、締付ネジで目盛板を固定

する。

ウ) 次に電子の軌跡が円になった時点で、指標を電子銃と反対側に移動させ、眼と

指標と電子の軌跡が一直線になるところの値を読みそれを2 として記録する。

エ) 2 の値は目盛板の 小目盛りの 10 分の 1 単位で読み取ること。

図9 電子の軌跡の直径の測定方法

なお、磁束密度 の値として、(6)式で得られた値と、テスラメータで測定した値の両方

を用いて電子の比電荷も導出せよ。※電子の軌跡がらせん状になっている場合、電子

銃が鉛直上向きになっていない。なるべく正しい値を出すためにこの時点で微調整し、

ほぼ正円とすること。

印加電圧 (V) コイル電流 (A)電子の軌跡の

半径 (m)

電子の比電荷 /

(C/kg)

(6)式 実測値

150

1.0 1.2 1.4 1.6 1.8 2.0

200

1.0 1.2 1.4 1.6 1.8 2.0

250

1.0 1.2 1.4 1.6 1.8 2.0

300

1.0 1.2 1.4 1.6 1.8 2.0

B)磁場の強度(つまりヘルムホルツホイルに流す電流の量)を一定にして、電子の速度

(つまり電子銃への印加電圧)を変化させて、電子の軌跡を観測する。

コイル電流 (A) 印加電圧 (V)電子の軌跡の

半径 (m)

電子の比電荷 /

(C/kg)

(6)式 実測値

1.0

150 200 250 300

1.2

150 200 250 300

1.4

150 200 250 300

1.6

150 200 250 300

1.8

150 200 250 300

2.0

150 200 250 300

課題:測定A)と、測定B)について、現在わかっている電子の比電荷 1.7588×1011(C/kg)

との差について考察せよ。また、磁束密度の値として、(6)式を用いた場合と実測値

を用いた場合についての違いについても考察せよ。

C)電子銃の射出向きを鉛直より少し角度をつけた状態でA)およびB)の実験を行うと、

電子の軌跡はらせん運動となる。このことを確認するため、まず印加電圧を 小にし、

管球を少し回転させる。この条件でA)と同じ実験を印加電圧 150V についてのみ行

う。ただし、比電荷は計算しなくてよい。なお、らせん運動は実験装置本体の正面か

ら見れば円に見えるため、それを電子の軌跡の半径として記録すること。

印加電圧 (V) コイル電流 (A) 電子の軌跡の半径

(m)

A)で求めた半径

との比(C/A)

150

1.0 1.2 1.4 1.6 1.8 2.0

課題:上記の結果を整理すると、電子の軌跡の半径は、A)で行った実験に比べて、磁場

の強さが同じ条件でも、ほぼ一様に小さくなっているはずである。この減少した割

合から、電子銃の射出角度が鉛直上向きから何度傾いたか求めよ。

5.レポート課題

(1)今回行った実験で電子の比電荷を測定する事ができた。電気素量を測定する事が出来れば、

電子の質量を決定できることになる。そこで電気素量を測定する代表的な実験について調

べ、手法を簡潔にまとめよ。

(2)電子は極めて質量が軽いため、比較的低いエネルギーでも相対論の効果が現れる。そこで、

電子の静止質量を 9.1093×10-31kg として、①今回の 高印加電圧300V における電子

の速度および質量を古典論、相対論の両方で求めよ。さらに②加速電圧が20万 V の場合

も同様に求めよ。

(3) 方向の速度をもつ電子が 方向の磁場 と 方向の電場 の共存する場所に入射した。

電子が方向を変えずに直進するときの電子の速さはいくらか。

(発展問題) 電子を磁場で制御する装置に、SPring-8(http://www.spring8.or.jp/ja/)や SAGA-LS

(http://www.saga-ls.jp/)の様な電子ストレージリングがある。これらの施設では、シン

クロトロン放射で得られる「放射光」を利用した実験が行われている。この放射光の応用

例をいくつか調べよ。※発展問題のみ加点式である。解答しなくても減点しない。

参考文献

1) 高田健次郎、わかりやすい量子力学入門、丸善(2003).