市民参加による避難シミュレーションに...

6
643 ミュレ Toward Public Simulation of Emergency Escape Hideyuki Nakanishi Department of Social Informatics, Kyoto University. [email protected], http://www.lab7.kuis.kyoto-u.ac.jp/~nuka/ Satoshi Koizumi JST CREST Digital City Research Center. [email protected], http://www.digitalcity.jst.go.jp/~satoshi/ Hiroshi Ishiguro Department of Adaptive Machine Systems, Osaka University. [email protected], http://www.ed.ams.eng.osaka-u.ac.jp/ Toru Ishida Department of Social Informatics, Kyoto University. [email protected], http://www.lab7.kuis.kyoto-u.ac.jp/~ishida/ keywords: digital city, multi-agent simulation, emergency escape, virtual environments, sensor network. 1. 30 ビル 10 2000 5 ミュレ ャル マル ミュレ [Helbing 00] マル ミュレ ミュレ 2. 避難シミュレータの開発 ャルリ VR ミュレ

Upload: others

Post on 09-Feb-2020

2 views

Category:

Documents


0 download

TRANSCRIPT

Page 1: 市民参加による避難シミュレーションに 向けてai.soc.i.kyoto-u.ac.jp/publications/03/hnp_jsai.pdf市民参加による避難シミュレーションに向けて 645

643

¨§

¥¦特 集

市民参加による避難シミュレーションに向けてToward Public Simulation of Emergency Escape

中西 英之Hideyuki Nakanishi

京都大学情報学研究科社会情報学専攻Department of Social Informatics, Kyoto University.

[email protected], http://www.lab7.kuis.kyoto-u.ac.jp/~nuka/

小泉 智史Satoshi Koizumi

科学技術振興事業団デジタルシティ研究センターJST CREST Digital City Research Center.

[email protected], http://www.digitalcity.jst.go.jp/~satoshi/

石黒 浩Hiroshi Ishiguro

大阪大学工学研究科知能機能創成工学専攻Department of Adaptive Machine Systems, Osaka University.

[email protected], http://www.ed.ams.eng.osaka-u.ac.jp/

石田 亨Toru Ishida

京都大学情報学研究科社会情報学専攻Department of Social Informatics, Kyoto University.

[email protected], http://www.lab7.kuis.kyoto-u.ac.jp/~ishida/

keywords: digital city, multi-agent simulation, emergency escape, virtual environments, sensor network.

1. は じ め に

京都駅は一日の乗降客数が 30万人以上の大ターミナル駅であり,それ以外に駅ビルの利用者が一日に 10万人にもなる.京都を訪れる観光客にとってはもちろんのこと,京都市民の生活にも不可欠となっている施設である.

京都駅のような大勢が訪れる公共施設における危機管理は市民にとって大変重要であるにもかかわらず,市民が参加する機会は提供されていない.例えば,学校やオフィスのように施設の利用者が集まって避難訓練を実施するということはない.我々のデジタルシティプロジェクトでは,京都駅という物理的な公共空間に対応するデジタルな公共空間を設けることによって,市民参加による危機管理を実現しようとしている.

我々の言うデジタルシティとは,人々の住む物理的な都市空間と,インターネット上の情報空間の連動から成る将来の都市を指し示す言葉である.デジタルシティプロジェクトでは,このような都市への万人の参加を促すための基盤技術の開発を行っている.このプロジェクトは,2000年から 5年間の予定で,現在折り返し地点を過ぎたところである.京都駅を舞台とする市民参加型の避難シミュレーションの実現に向けて,以下のような道具立てがそろったところである.

我々はまず,インターネット上でのバーチャルな避難訓練を可能にする仮想空間を構築した.市民が自宅に居ながらネットワーク越しに仮想京都駅に入って訓練に参加できる.さらに,避難群集を再現するためのマルチエー

ジェントシミュレータを組み込み,仮想的な災害現場をつくり出すことができるようにした.

ここで問題となるのが,群集エージェントの行動ルールを設計するのに必要な,災害現場における群集行動がまだ十分解明されていないことである [Helbing 00].だからといって,実際に京都駅で実験を行ってデータを集めることは難しい.そこで,過去に行われた実験で観測された群集行動を我々のマルチエージェントシミュレータで再現する過程を通して,行動ルールの設計を試みた.そして,こうして設計した避難シミュレーションの教育効果を調べる実験を実施した.

このような,過去の実験を参考にする方法を補完する方法として,実際に京都駅において旅客の行動を分析しようとしている.我々は,旅客群集の歩行を観測するための視覚センサを京都駅の地下鉄改札周辺の天井に設置した.群集歩行記録システムによる歩行軌跡の記録と,天井からの映像の録画を現在行っている.

このシステムを,分析用データの収集だけではなく災害発生時の避難誘導にも用いようとしている.視覚センサから送信されてくる位置データを仮想京都駅内に可視化し,それを見ながら避難者を誘導できるシステムを開発した.

2. 避難シミュレータの開発

バーチャルリアリティ(VR)型のシミュレーション空間は,その場にいるような体験だけでなく,能動的な空

Page 2: 市民参加による避難シミュレーションに 向けてai.soc.i.kyoto-u.ac.jp/publications/03/hnp_jsai.pdf市民参加による避難シミュレーションに向けて 645

644 人工知能学会論文誌 18 巻 6 号 a(2003 年)

間探索による学習や [Wilson 97],仮想世界の中で行動することによる意志決定の訓練などを可能にする.そのため,VR 型の災害シミュレーターの研究が盛んに行われてきており [Tate 97],京都市市民防災センター∗1のように,市民の体験用としてシミュレータを展示する事例も出てきている.これらのシミュレータはほとんどすべて個人用であるが,日常で行われている避難訓練では,施設の利用者が集まって集団行動を体験するのが通例である.集団行動の訓練を行うためのマルチユーザ型 VR シミュレータの研究も行われており [Singhal 99],これらを用いた仮想的な集団訓練が,将来行われるようになるであろう.そこで我々は,ゲーム感覚に留まらない,よりシミュレーションという側面を重視した避難訓練を実現するために,集団行動の研究と,VRシミュレータの研究を融合することを試みた.

2・1 避難シミュレータ FreeWalk/Q我々は,マルチエージェントシミュレーションと,そ

こに人間が参加するための VRインタフェースである仮想都市空間を接続するというアプローチで,マルチユーザ型の避難シミュレータを実現した.仮想都市空間 FreeWalkは,音声対話が可能なマルチユーザ型の仮想空間である [Nakanishi 99].ネットワークを介して,多数のユーザがアバターとなって,同じ仮想空間に集ることができ,近くにいる他のアバターと音声で会話ができる.FreeWalkを含む避難シミュレータの構成図を図 1 に示す.この基本機能に加えて,街の 3次元モデルを表示する仮想都市機能,アバターの現実感を増すための歩行アニメーション機能 [Tsutsuguchi 00],物理的インタラクションのための衝突回避モデル [Okazaki93],非言語的コミュニケーションのためのジェスチャー機能などを備えている.これだけの機能があれば,学校やオフィスで行われている従来の避難訓練をネットワーク上で行うことが可能である.京都駅の VRMLモデル

Q

FreeWalk

図 1 避難シミュレータ FreeWalk/Q

∗1 http://web.kyoto-inet.or.jp/org/bousai s/

が作成済みであり,仮想京都駅の中で避難訓練イベントを開くことができる.しかしながら,京都駅は普段,大勢の旅客や買物客で溢れかえっている.参加者を数十人集めたとしても,現実味のある避難訓練にはならない.数百人規模の避難訓練を,それよりずっと少ない参加者で実施するには,群集エージェントが必要になる.また,パニックに陥いった群集を再現することで,災害現場の状況をよりリアルに再現することができる.FreeWalkは,アバターとの集団行動に参加可能な群集エージェントを備えている.歩行やジェスチャーなどのアニメーションはエージェントもアバターも全く同じであり,見た目には区別がない.アバターとのコミュニケーションのために,エージェントは音声認識・音声合成機能を持っている.我々は,このような,人間集団の中で社会的インタラクションに従事するエージェントを社会的エージェントと呼び,その社会的影響の解明を試みている [Nakanishi 03].多数の群集エージェントを効率良く表示したり [Tecchia02],動かしたり [Musse 01]する研究が行われている一方,人間(アバター)との社会的インタラクションに関する研究は皆無である.FreeWalkの最大の特徴は,エージェント・アバター間の社会的インタラクションのプラットフォームである点である.我々の避難シミュレータで避難訓練を行う場合は,まず群集の避難行動をマルチエージェントシミュレーションとして設計し,その後,一部のエージェントをアバターに置き換える.FreeWalk は,この「置き換え」を可能にする.一方,図 1に示すように,マルチエージェントシミュレーションの設計を可能にするのが,シナリオ記述言語 Qである.

Qは,マルチエージェントシミュレーションを構成する各エージェントの行動ルールを記述するための言語である [Ishida 02a].シミュレーションを,その流れに沿って複数の場面に分割し,場面ごとに「現象Aを知覚した場合は行動 Bを実行せよ」という if-thenルールの集合を記述するようになっている.図 2に記述例を示す.避難シミュレータ FreeWalk/Q におけるシミュレーションの実施手順をまとめると次のようになる.まず,シミュレーション設計者(避難訓練主催者)がシナリオを書く.このシナリオはシミュレータの起動時に読み込まれる.Q処理系はシナリオを解釈し,各エージェントが実行すべき知覚や行動のリストを FreeWalkに送信する.FreeWalkは仮想都市空間の状態をすべて管理しており,Qから受(defscenario Kaoru

(scene1 (!walk :route ’(PLACE_A PLACE_B))

(!turn :to Yoko)))

(defscenario Yoko

(scene1 (!walk :route ’(PLACE_B)

(?position :name Kaoru :distance 2)

(go scene2))

(scene2 (!turn :to Kaoru)

(!speak :to Kaoru :sentence "こんにちは")))

図 2 シナリオ記述例:2 人のエージェントの待ち合わせ

Page 3: 市民参加による避難シミュレーションに 向けてai.soc.i.kyoto-u.ac.jp/publications/03/hnp_jsai.pdf市民参加による避難シミュレーションに向けて 645

市民参加による避難シミュレーションに向けて 645

信したリストに従って,この状態の読出しと改変を実行する.これと並行して FreeWalk は,アバターの操作入力も処理する.このような仕組みによって,マルチユーザ・マルチエージェントシミュレーションが可能となっている.

2・2 避難シミュレーション実験

シナリオ,すなわち群集エージェントの行動ルールを適切に設計しないと,避難シミュレーションは妥当性を失い,訓練を行うことができなくなる.そこで我々は,過去に避難誘導法の研究として行われた実験 [Sugiman 88]を再現できるように,群集エージェントの行動ルールをつくることを試みた.一般的に群集のシミュレーションでは人間の行動を粒子の振舞いによってモデル化する手法が取られる.だが,人間を含むマルチエージェントシミュレーションでは,エージェント間のインタラクションを,粒子どうしの力学的インタラクションに限定することはできない.この避難誘導実験を選択したのは,誘導という一種の社会的インタラクションの違いが避難効率に及ぼす影響を調べたものだったためである.この実験は,図 3(a)に示すように,左右に仕切られ

た部屋の左側に集まっている 16 名の避難者を,4 名の誘導者が右側にある正しい出口まで誘導するという内容である.左側の出口は間違いであり,ここから避難者が出るのを,誘導者は防がなければならない.最初に我々は,誘導者の指示に気付いた場合はそれに従い,それまでは自分の判断で行動するよう,避難者エージェントの

(a)超越型

(b)内在型

図 3 避難シミュレーションの教育効果比較実験

行動ルールを設計した.そうしたシミュレーションの結果は,避難に要する時間が実験結果と食い違うものであった.そこで,誘導者の指示に気付くまでは,自分で行動するのではなく,他人の行動をまねるように行動ルールを書き変えた.そうすると,実験結果とだいたい一致するシミュレーション結果が得られた.これは,パニック状態の群集が一斉に同じ出口に殺到する現象と共通の行動ルールである [Helbing 00].このように,パニック群集と共通の行動ルールが必要であることが判明したことは,現実空間で行われた実験の再現というアプローチが,仮想空間で行われるシミュレーションの設計に有効であることを示している.

こうして設計した避難シミュレーションの教育効果を調べる実験を,被験者約 96人を集めて行った.訓練効果ではなく,教育効果を調べたのは,実際に現地で行う避難訓練とは異なる避難シミュレーションの価値を測るためである.現地での避難訓練では,マニュアルに書いてあるような内容を,実践を通して修得することができる.避難シミュレーションを,同じ目的に用いることは可能であるが,その価値を最大限に発揮するのは,多様な条件で仮想的な災害現場をつくり出したいときである.状況設定を変更して繰り返し行うことができるのが避難シミュレーションの強みであり,群集の避難行動に対する理解が深まるという教育効果が期待できる.

訓練効果を全く無視して,単に教育目的で使用するのであれば,仮想空間のインタフェースは必要ないかもしれない.そこで,避難のようすを上から眺める超越型のシミュレーション(図 3(a))と,仮想空間の中に入って避難を体験する内在型のシミュレーション(図 3(b))を比較した.被験者を,超越型のみ使用するグループ,内在型のみ使用するグループ,併用するグループに分け,内在型体験の持つ教育効果を観測した.併用するグループはさらに,超越型を先に見るグループと内在型を先に体験するグループに分け,順番の違いが及ぼす影響を調べた.

その結果,併用する場合が一番教育効果が高く,誘導者の振舞いや避難現場の状況に関する小テストにおいて最も高い得点を出した.次に良いのが超越型のみの場合であった.ただし,内在型を体験した後に超越型を見る場合は,超越型のみの場合との間に,ほとんど違いが見られなかった.一方興味深いことに,超越型を見た後に内在型を体験する場合は,超越型のみの場合でも内在型のみの場合でも得点が改善されていない項目を学習できており,最も教育効果が高かった.

3. 群集歩行の記録と分析

3・1 群集歩行記録システム

現実空間における人間の歩行行動を把握するシステムを地下鉄京都駅舎に導入した.このシステムは,図 4左のような視覚センサ 28 台から構成されるセンサネット

Page 4: 市民参加による避難シミュレーションに 向けてai.soc.i.kyoto-u.ac.jp/publications/03/hnp_jsai.pdf市民参加による避難シミュレーションに向けて 645

646 人工知能学会論文誌 18 巻 6 号 a(2003 年)

ワークシステムである.今回,設置した視覚センサは,特殊な形状を持つ反射鏡と CCDカラーカメラで構成されている.反射鏡は,カメラ光軸に直交する平面を画面上に等比に表示するように設計されており,これにより,通常のカメラより撮影画角を広げるとともに,通常の広角カメラに現れるマイナスの歪曲(樽型ひずみ)がない映像での撮影が可能になっている.この視覚センサを天井に設置すると,図 4右のように撮影された映像となり,容易に床面上の位置を把握することができる.

地下鉄京都駅舎には,図 5 中の黒丸で示したように,コンコースエリアに 12台,ホームエリアに 16台を天井に設置した.図 6は,実際に設置されているようすを写したものである.これにより,地下鉄車両の乗降口と改札口の間の人間の流れを把握することができる.本システムは,視覚センサの他に,7台の 4画面入力装置 7台の画像処理用計算機,1台の解析用計算機,そして 7台の映像記録用 HDD レコーダにより構成されており,駅舎内にある一室に設置されている.4画面入力装置は,4台の視覚センサから送られてくる映像を一本のビデオ信号に変換し,画像処理用計算機へ出力している.入力されたビデオ信号に対し,背景差分処理を行うことにより移動物体の領域を抽出し,その領域情報を解析用計算機

図 4 視覚センサとその映像

�R���R�[�X�G���A

���F�k�Ú�C�K�ª�K�”�Ì�˚�u�Ö�W�˝���v

�@�Þ�Ý�u�”

�z�[���G���A���o�Z���T

図 5 地下鉄京都駅舎内における視覚センサ配置図

図 6 設置された視覚センサのようす(左上:ホームエリア,右上:コンコースエリア)

に送る.7台の画像処理用計算機から送られてきた情報をもとに,解析用計算機は,視覚センサの設置位置および地図情報と整合することにより,移動物体の位置を検出するとともに,検出位置ごとに IDを振り分け,それぞれの IDについて追跡を行う.ログとして保存される追跡結果と,HDDレコーダにより記録された映像は,群集歩行の解析や認識に利用される.

3・2 群集歩行の解析

センサネットワークシステムが獲得する追跡結果をもとに,人間の歩行軌跡を地図と重ね合わせ,人の流れ,すなわち動線を把握することが可能になる.周囲の環境(柱の存在や,階段など)により,動線は合流・分岐する.また,人間どうしの回避行動によっても動線は変化する.これらの解析を進め,避難シミュレーションに必要となる行動ルールを生成すれば,より現実に近い状況を仮想空間内でシミュレートすることが可能になると考えている.図 7は,現在,我々が取り組んでいる動線検出システムから得られた一場面である.これは,記録した映像を地図上に配置し合成したものである.我々は,これを動

図 7 地図上に重ねあわせた映像と動線

Page 5: 市民参加による避難シミュレーションに 向けてai.soc.i.kyoto-u.ac.jp/publications/03/hnp_jsai.pdf市民参加による避難シミュレーションに向けて 645

市民参加による避難シミュレーションに向けて 647

画地図と呼んでいる.図 7では,旅客の軌跡を白抜きの線として示している.現在,この動線検出システムを行動解析に利用中である.

4. 避難誘導システムの開発

避難シミュレータを,災害発生前の防災教育ツールとしてだけでなく,災害発生時の救援システムとしても利用する方法を模索している.それに向けてまず,視覚センサネットワークと避難シミュレータを組み合わせて,避難誘導システムを開発した.このシステムは,以下に述べる超越型コミュニケーションを支援する.

4・1 超越型コミュニケーション

避難誘導の際,1か所の出口に全員が殺到するのを避けたい場合,いくつかの集団に分割して誘導する必要が生じる.だが,そのような誘導が可能なだけの人数の誘導者が現場にいるとは限らない.一斉アナウンスのような遠隔からの誘導手段では,集団ごとに個別の誘導指示を出すのは困難である.よって,遠隔から集団ごとに指示ができるコミュニケーション支援システムがあれば有用と思われる.そこで我々は,避難シミュレーション実験の結果に基づき,そのようなシステムが支援すべきコミュニケーション様式として超越型コミュニケーションを提案する.

超越型コミュニケーションとは,コミュニケーション環境を超越的に見下ろすユーザを含むコミュニケーションである.超越的な立場のユーザは,環境を見下ろしながら話しかける相手を自由自在に選択することができる.超越型コミュニケーションが可能なシステムによって,誘導者は避難現場を見下ろしながら,特定の場所にいる集団だけに向かってアナウンスすることが可能になる.誘導者は,現場にいる場合よりも避難群集の行動をより効率的に把握しながら,集団ごとに的確な指示を出すことができる.

従来のコミュニケーション環境はすべて,基本的に内在型コミュニケーションを想定して設計されてきた.すなわちユーザどうしは,テキスト・音声・映像・仮想空間等の共通のメディアによって相互接続され,同じコミュニケーション環境の中にいた.超越型コミュニケーションでは,コミュニケーション環境の外側から環境全体を観察するユーザが存在する.超越型コミュニケーションを仮想空間内で実現するのは容易であり,多少のソフトウェアの変更だけで済むかもしれないが,現実空間で実現するためには新しいコミュニケーション支援システムが必要となる.

超越型コミュニケーションを支援するシステムは,従来の指令システムではユーザインタフェースが分かれている監視機能と交信機能を一体化したものになる.実装にはまず,コミュニケーション環境を可視化して交信相

手を選択させるユーザインタフェースが必要である.そして,可視化に必要な位置情報を取得するセンサが必要である.今現在で最も一般的なユーザインタフェースと考えられるのは地図とマウスであり,最も一般的な位置情報を取得できるセンサと考えられるのはGPSである.これらを組み合わせて,例えば次のようなシステムを実装できる.まず,街中を歩く人々の電話番号と,GPSから得られるそれらの人々の座標がシステムに送られてくる.そして,それらの人々がアイコンとして地図上に表示される.ユーザがアイコンをクリックすると,システムはその番号に電話をかけて通話が開始される.駅構内の場合は街中とは異なり,より詳細なコミュニケーション環境の可視化が必要となる.そこで我々は,視覚センサネットワークで検出した位置情報をもとに 3次元空間を構成するアプローチ [Kelly 95]をとった.

4・2 京都駅における実装

我々は,京都駅に設置された視覚センサネットワークと避難シミュレータを結合して,超越型コミュニケーションによる避難誘導が可能なプロトタイプシステムを実装した.このシステムでは,センサネットワークから一定間隔で送られてくる現地の人間の座標データに基づいて,仮想京都駅内で群集エージェントを歩行させる.画面には上方から見た仮想京都駅が描かれ,群集のようすが一望できる.ユーザが,話しかけたい群集をマウス等で選択すると,京都駅に実際にいる該当者の携帯電話にシステムが電話をかけ,ユーザのマイクと携帯電話の間に音声接続が確立される.

京都駅の視覚センサネットワークでは個人同定ができないため,どの位置にいる人間の電話番号が何番なのか事前に登録済であることが,プロトタイプシステムが動作する前提である.将来は RFIDなどのデバイスの発達によって,この対応関係を位置情報とともに自動取得できるようになるかもしれない.指向性のあるスピーカーを天井に並べれば,特定の場所にいる相手だけに自分の声を伝えることが可能になり,携帯電話を用いずとも超越型コミュニケーションが可能となる.このように,デバイスの発達とユビキタス環境の普及によって,超越型コミュニケーションは容易に実現可能になってゆくであろう.

5. お わ り に

我々の避難シミュレーションは,災害調査研究の道具というよりも,訓練の場や,災害発生時の救援機能といった,地域コミュニティにおける危機管理を指向したものである.デジタルシティプロジェクトの前身として,1998年から 3 年間続いたデジタルシティ京都 [Ishida 02b]では,地域コミュニティを指向したWeb サイトが,市民のための公共的な情報空間として構築された.同じく避

Page 6: 市民参加による避難シミュレーションに 向けてai.soc.i.kyoto-u.ac.jp/publications/03/hnp_jsai.pdf市民参加による避難シミュレーションに向けて 645

648 人工知能学会論文誌 18 巻 6 号 a(2003 年)

難シミュレーション開発においても公共的な情報空間を提供しようとしているが,それは情報発信のためのWeb空間ではなく,インタラクションのための仮想空間である.今後,避難シミュレーションにおける市民参加に向けて,本稿で紹介したシステムの開発と実験を行っていく予定である.

謝 辞

日頃よりお世話になっている京都市交通局,京都市総合企画局情報化推進室に感謝致します.また,避難シミュレーション構築における京都大学総合人間学部の杉万俊夫教授,京都大学工学研究科の岡崎甚幸教授(現在は武庫川女子大学),NTTサイバーソリューション研究所の筒口 拳氏の御協力に感謝致します.そして,システム開発および実験実施を担当していただいた,京都大学の菱山玲子,伊藤英明,河添智幸,板倉豊和の各氏,(株)CRCソリューションズ,(株) 数理システム,(株)キャドセンターに感謝します.

♦ 参 考 文 献 ♦[Helbing 00] Helbing, D., Farkas, I. J. and Vicsek, T.:

Simulating Dynamical Features of Escape Panic, Nature,Vol. 407, No. 6803, pp. 487-490 (2000)

[Ishida 02a] Ishida, T.: Q: A Scenario Description Languagefor Interactive Agents, IEEE Computer, Vol. 35, No. 11,pp. 42-47 (2002)

[Ishida 02b] Ishida, T.: Digital City Kyoto: Social Informa-tion Infrastructure for Everyday Life, Communications ofthe ACM, Vol. 45, No. 7, pp. 76-81 (2002)

[Kelly 95] Kelly, P. H., Katkere, A., Kuramura, D. Y.,Moezzi, S. and Chatterjee, S.: An Architecture for MultiplePerspective Interactive Video, International Conference onMultimedia, (Multimedia95), pp. 201-212 (1995)

[Musse 01] Musse, S. R. and Thalmann, D.: HierarchicalModel for Real Time Simulation of Virtual Human Crowds,IEEE Transactions on Visualization and Computer Graph-ics, Vol. 7, No. 2, pp. 152-164 (2001)

[Nakanishi 99] Nakanishi, H., Yoshida, C., Nishimura, T. andIshida, T.: FreeWalk: A 3D Virtual Space for Casual Meet-ings, IEEE MultiMedia, Vol. 6, No. 2, pp. 20-28 (1999)

[Nakanishi 03] Nakanishi, H., Nakazawa, S., Ishida, T.,Takanashi, K. and Isbister, K.: Can Software Agents In-fluence Human Relations? - Balance Theory in Agent-mediated Communities -, International Joint Conferenceon Autonomous Agents and Multiagent Systems (AA-MAS2003), pp. 717-724 (2003)

[Okazaki 93] Okazaki, S. and Matsushita, S.: A Study ofSimulation Model for Pedestrian Movement with Evacua-tion and Queuing, International Conference on Engineeringfor Crowd Safety, pp. 271-280 (1993)

[Singhal 99] Singhal, S. and Zyda, M.: Networked Vir-tual Environments: Design and Implementation, Addison-Wesley (1999)

[Sugiman 88] Sugiman, T. and Misumi, J.: Development ofa New Evacuation Method for Emergencies: Control of Col-lective Behavior by Emergent Small Groups, Journal of Ap-plied Psychology, Vol. 73, No. 1, pp. 3-10 (1988)

[Tate 97] Tate, D. L., Sibert, L. and King, T.: Using Vir-tual Environments to Train Firefighters, IEEE ComputerGraphics and Applications, pp. 23-29 (1997)

[Tecchia 02] Tecchia, F., Loscos, C. and Chrysanthou, Y.:

Image Based Crowd Rendering, IEEE Computer Graphicsand Applications, Vol. 22, No. 2 (2002)

[Tsutsuguchi 00] Tsutsuguchi, K., Shimada, S., Suenaga, Y.,Sonehara, N. and Ohtsuka, S.: Human Walking Animationbased on Foot Reaction Force in the Three-dimensional Vir-tual World, Journal of Visualization and Computer Anima-tion, Vol. 11, No. 1, pp. 3-16 (2000)

[Wilson 97] Wilson, P. N.: Use of Virtual Reality Com-puting in Spatial Learning Research, N. Foreman and R.Gillett Ed., A Handbook of Spatial Research Paradigms andMethodologies, Psychology Press, pp. 181-206 (1997)

〔担当委員:××○○〕

19YY年MM月 DD日 受理

2003年 8月 19日 受理

著 者 紹 介

中西 英之(正会員)

1996 年京都大学工学部情報工学科卒業,1998 年同大学院工学研究科情報工学専攻修士課程修了.2001 年同大学院情報学研究科社会情報学専攻博士課程修了.同年同専攻助手となり現在に至る.博士 (情報学).コミュニケーション環境に興味をもつ.2002 年度情報処理学会坂井記念特別賞受賞.

小泉 智史

2000 年東京工業大学大学院総合理工学研究科知能システム科学専攻修了.工学博士.同年より科学技術振興事業団戦略的基礎研究推進事業「デジタルシティのユニバーサルデザイン」プロジェクト研究員.人工知能,画像処理,全方位視覚に興味をもつ.

石黒 浩(正会員)

1991 年大阪大学大学院基礎工学研究科物理系専攻修了.工学博士.同年山梨大学工学部情報工学科助手.1992 年大阪大学基礎工学部システム工学科助手.1994 年京都大学大学院工学研究科情報工学専攻助教授,この間,1998年より 1 年間,カリフォルニア大学サンディエゴ校客員研究員.2000 年和歌山大学システム工学部情報通信システム学科助教授.2001 年より同大学教授.2002 年 10 月より大阪大学大学院工学研究科知能機能創成工学専攻教授.

ATR 知能ロボティクス研究所客員室長.知能ロボット,能動視覚,全方位視覚,分散視覚に興味を持つ.

石田 亨(正会員)

1976 年京都大学工学部情報工学科卒業,1978 年同大学院修士課程修了.同年日本電信電話公社電気通信研究所入所.現在,京都大学大学院情報学研究科社会情報学専攻教授.人工知能,コミュニケーション,社会情報システムに興味を持つ.工学博士.IEEE Fellow.