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Meiji University Title Author(s) �,Citation �, 223: 261-310 URL http://hdl.handle.net/10291/12216 Rights Issue Date 1989-03-01 Text version publisher Type Departmental Bulletin Paper DOI https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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Meiji University

 

Title 芥川とチエホフ

Author(s) 佐藤,嗣男

Citation 明治大学教養論集, 223: 261-310

URL http://hdl.handle.net/10291/12216

Rights

Issue Date 1989-03-01

Text version publisher

Type Departmental Bulletin Paper

DOI

                           https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/

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芥川とチエホフ

佐 藤 嗣男

一、

ヘじめに

二、芥川のチエホフ再発見

三、チエホフ文学の摂取  『秋』に即して(一)

四、チエホフ文学の摂取1『秋』に即して(二)

五、おわりに

〔付悔資料〕日本近代文学館・芥川龍之介文庫蔵チエホフ英訳本及び芥川自筆書き込み一覧

一 261 一

一、

ヘじめに

 一九八八年、春、日本はちょっとしたチエホフ・ブームであった。チエホフに材を取った『黒い瞳』の上映、俳優座劇場

での『桜の園』の上演、そして、二〇年振りに来日したモスクワ芸術座による『かもめ』と『ワーニャ伯父さん』の公演で

ある。それらはすべて二月から四月にかけてのことであった。

 いま、なぜ、チエホフなのか?ーそうした問いに肩肘張って答える前に、私は、まず、日本におけるチエホフ受容の歴

史を振り返ってみたいと思う。その際、すぐに名前のあがってくる作家は広津和郎や正宗白鳥、井伏鱒二、等々である。芥

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川龍之介の名はめったに出て来ない。

 が、私はこヒで、どうしても、芥川の存在をみすごして行くことが出来ないのだ。

 「あした叔父ワニヤを見に行きます」と、田端の自宅から岡栄一郎宛に葉書を出した翌日(大正八年六月十六日)、芥川は

雨の中を成瀬正一と連れ立って有楽座まで、いわばいそいそと観劇に出かけている。瀬沼夏葉訳による新劇協会第一回公演

(十六~十八日)の初日である。その十日前、平塚雷鳥を訪問したついでに芥川はその舞台稽古を覗いている(「我鬼窟日

録」)。ついでではあったが、舞台稽古の与えた感動はなかなかのものであったようだ。初日の舞台はさらによいものであっ

たらしい。十八日もあいにくの雨ではあったが、妻や弟、姉たちまでも観劇に行かせている(同前)。

 芥川は舞台の感動を「我鬼窟日録」の六月十六日の項に次のように記している。

「ワニヤ」はチエホフが戯曲と云ふオデイソスの弓を小説の所まで引いて見せた好例なるべし。所々に独白を挾まざる

を得ざりしは畢境やむを得ざるに出つるなり。二幕目、四幕目殊に感に堪へた。柳戯曲が書いて見たくなる。廊下で万

太郎、長江、秀雄、泡鳴、樗陰等の諸先生に遇ふ。

一262一

別稿「我鬼窟日録」ではまた次のようにも記している。

 ワニヤは戯曲国小説郡の産物なり。二幕目四幕目殊に感服した。但し見物の諸先生存外冷静なり。僕と感服したの

は、唯久保田万太朗氏のみ。幕合ひに廊下を歩いてゐると、妙に戯曲が書いてみたくなる。

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 有楽座では文壇のそうそうたるメンバーに出会うわけだが、

万太郎について芥川は、

感服したのは芥川と万太郎の二人だけだったという。後年、

                                              しばしば   なもて

 久保田君の主人公は常に道徳的薄明りに住する間巷無名の男女なり。是等の男女はチエホフの作中にも屡その面を

現せども、チエホフの主人公は我等読者を喚笑せしむること少しとなさず。久保田君の主人公はチエホフのそれよりも

哀娩なること、なほ日本の刻み煙草のロシアの紙巻よりも柔和なるが如し。 (略)久保田君をして一たびあきらしめ

  てこ                                                    いよいよ

よ。桓でも棒でも動くものにあらず。談笑の問もなほ然り。酔うて虎となれば愈然り。久保田君の主人公も、常にこ

の頑固さ加減を失ふ能はず。これ又チエホフの主人公と、面目を異にする所以なり。(大正十三年五月、「久保田万太郎

氏」)

一 263一

と書いている。万太郎が『叔父ワニヤ』に感服する秘密の一端を解き明かしてくれそうな文章である。同時にまた、チエホ

フと万太郎の連続する面とそうでない面とが指摘されていて面白い。とりわけ、チエホフの作品にしばしば登場する主人公

が「常に道徳的薄明りに住する閲巷無名の男女」であって、彼らが「我等読者を供笑せしむること少しとなさ」ぬ存在であ

ることをキャッチしていた芥川の鑑賞眼のありようが注目される。が、ともあれ、ここでは新劇協会の『叔父ワニヤ』に感

動した文壇人がそうはいなかったということと、芥川の感動が久保田万太郎とも異なって独自の意味A口いをもってくるとい

うことに目を向けておきたいと思う。

 いつ手に入れたのかは定かでないが、ガーネット版の日冨琶①ω段↓。げ警。〈の第一巻から第六巻までを、 この公演の

                                      く注V

行なわれた一九一九(大正八)年の夏から秋と、芥川は集中的に読んだものと判断される。そしておそらくは、そのように

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して得られたチエホフ文学の集中的鑑賞体験が、単に「戯曲が書いて見たくなる」といった『叔父ワニヤ』観劇直後の即時

的反応にすぎない想いをさらに発展させ、深め、持続させていくことになるのであろう。観劇での感動体験  鑑賞体験が

バネとなって、チエホフの見直しが行なわれ、芥川自身の新たなる創作への道が切り拓かれていくのである。

 僕はこれからいろんな物を書かうと思ひます滑稽な物も妙に人が書かないから二つ三つ書いて見たい死ぬまでに二百

位短編が書け起くつちや、幅が利かないやうな気がしますがどうですか

 同じ年の九月二十二日に田端から菅忠雄宛に書かれたものである。「滑稽な物」も書いてみたい。「二百位短編」を書けな

くては。どう見てもチエホフを意識しなければ出てこない言葉であろう。

一264一

 なかんつく                                                          かならず

 就中恐る可きものは停滞だ。いや、芸術の境に停滞と云ふ事はない。進歩しなければ必退歩するのだ。芸術家が退

歩する時、常に一種の自動作用が始まる。と云ふ意味は、同じやうな作品ばかり書く事だ。自動作用が始まつたら、そ

                                      あきらか

れは芸術家としての死に瀕したものと思はなければならぬ。僕自身「龍」を書いた時は、 明にこの種の死に瀕してゐ

た。(「芸術その他」/「新潮」大正八年十一月)

 『龍』はこの年「中央公論」五月号に発表されている。この時期、自動作用の死に瀕していた、と芥川は言う。自分自身

に対する過酷なまでの評語である。しかしながら、これは今現在、自動作用の死の中にある人の言葉ではない。自動作用の

死を脱した人の言葉である。脱する道を確実に歩みはじめた人の言葉なのだ。

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 「僕はこれからいろんな物を書かうと思ひます」ー自動作用の死を脱する道を見つけることができた人のみずみずしい

自信に満ち盗れた響きが伝わってくる。チエホフ文学の鑑賞体験を支えとした創作活動への、言いかえれば、チエホフ体験

をバネとして新しい創作の道へのステップを踏み出した芥川の、それは第二の文学宣言とも言えるものであった。チエホフ

への積極的接近がもたらした新しい創作活動への自信に満ちた門出でもあった。

〈注〉 〔付11資料〕の團圖働凶㈲を参照。第五巻には相州金沢で・一九一九年八月三〇日読了の意の書き込みがなされている(圃の

  ⑧)。第五巻中扉に書き込まれた「20」の数字が読みはじめの日付を示すものとすれば、第六巻中扉「21」(と判断される)も同

  様であろう。芥川の読書スピードを老えれば(下島勲『芥川龍之介の回想』参照)、 一九一九年八月二十一日を示す数字と考え

  られる。第一巻には「19」の書き込みがあって問題はない。二ニニ・四巻については不明だが、出版年次等から推して、この時

  期、一九一九年の夏~秋の間に読まれたものと推測される。

二、芥川のチエホフ再発見

一 265 一

 芥川とチエホフ文学の最初の出会いがいつであったのか、それははっきりしない。が、芥川の創作活動に反映されたチエ

ホフ鑑賞の時期は、芥川龍之介文庫(日本近代文学館蔵)に残された芙訳本の鑑賞を中心として見るかぎり、大きく二つの

時期に分けて見ることができよう。

 第一の時期は、↓冨鉱ωω⇔巳o爵窪の8ユ①ω(〔付11資料〕の㈲参照)や〉げ。霞(同6り)、↓プ①匡碧パヨo爵き窪09窪

ω8目δω(同ω)、目冨ω8題Φ節○匪興゜。8ユ①ω(同②)などに接した、 一九一六(大正五)年を中心とするその前後の時期

である。

 一九一六年八月二十八日、芥川は夏目漱石にあてて書いている。

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今日、チエホフの新しく英訳された短編をよんだのですが、

の仕事なんでせう。

あれは容易に軽蔑出来ません。あの位になるのも、一生

 芥川自身が表紙の遊び紙に「㌔」と書き込んだ目げ①窪舞犀ヨo艮簿口匹o夢興゜。8ユ①ωを読んだ上での感想である。強烈

なショックは受けなかったようで、チエホフの短編集を「あの位」と位置づけているにすぎない。この時期、ロシア文学で

はドストエフスキイやトルストイを芥川が高く評価していたことを思えば、これも当然のことであろう。けれども、「あれ

は容易に軽蔑出来ません」とも言っている。心のどこかに響いてくるもののある実感の吐露であろう。チエホフの短編の一

つひとつが忘れがたい何かを残していくのである。

 ヒ        ロ

 例えば、目冨げ冨爵ヨo疑睾山。チ曾゜。8腎ωに収められた作品ではないが、Nヨ。8げ訂(目冨匹ωω窪α。叶げ臼ω8腎゜。所

収。邦題「ジーノチカ」)のべーチャが言う、「愛されるなんてのは大したことじゃないよ。女なんてものは、われわれ男性

を愛するために創られているんだからね。しかしね、君らのうちでだれか、憎まれたことのある人は? 憎悪の喜びを観察

したことのある人は、君らのうちにいないかね? え?」(原卓也訳、中央公論社版『チエホフ全集⑦』)という言葉である。

                                 〈注V

また、 これは日7Φω器薯①俸oチ興ω8ユΦ゜。からだが、↓プΦσqoo°。①げ葭蔓・げ口ω7に登場する獣医のイワン・イワーヌィチの

口にする、「よく世間では、人には三アルシンの土地があれば十分だと言う。しかし、三アルシンの土地で十分なのは死体

であって、生きた人間ではないはずです」(原卓也訳、中公版『チエホフ全集⑪』)という言葉である。こういった言葉のは

しばしから響いてくる懐疑の精神を芥川は読み取り、そして自己の精神の糧としていったのではなかったのだろうか。

一266一

〈注〉 邦題「すぐり」。後出の↓『Φ片β。♂ωo{↓oずo犀o<<o一.<では、Ooo。。oげ①目δωとなっている。

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 日冨ω8署ω俸。チ興ω8ユ。ωが読まれたかもれしぬ一九一七(大正六)年には『蛙』(次の『女体』とともに「帝国文学」

十月号に発表されている)、 『女体』、『黄梁夢』(「中央文学」第一年第七号、十月一日発行)、そして『英雄の器』(「人文」

大正七年一月号∀と、芥川はたてつづけに小品を書いている。作品の出来を云々する前に、執筆当時の芥川の主題的発想が

どういうものであったかを具体的に知ることのできる貴重な資料である。『女体』は風になってみてはじめて女房の体の美

しさを知った男の話である。『蛙』と『黄梁夢』はともに世間に流布した諺の通念をひっくり返して見せている。『英雄の

器』では、逃げのびる機会を持ちながらも敢てその道を選ぶことのなかった項羽を、英雄ではないと断じた俗臭ふんぷんの

漢の武将を前にして、だからこそ項羽は英雄であったとやりこめる劉邦が描き出されている。四つの作品に共通して流れて

いるものは、通念への飽くなき懐疑であり、通俗への徹底した反逆である。

 日常の眼ではとうてい見出すことのできなかった女房にひそむ女体の美しさも、・颪の眼でもって見れば一目瞭然である。

「しかし、芸術の士にとつて、風の如く見る可きものは、独り女体の美しさばかりではない」(『女体』)。視点を、視点的立

場をかえて見るときはじめて今まで見えていなかったものが見えてくる。ましてや通念という既成の枠組みにもたれかかっ

ているかぎり、言い換えれば、通俗性を自己の内側に容認しているかぎり、真実は見えては来ないだろう。通俗に飼い馴ら

された精神の奴隷となってしまうのがオチである。精神の自由を守り維持するためには、絶え間のない検証、視点の組みか

えが必要だ。精神の固定化は退歩にほかならない。まず現状を疑って見ること、ー懐疑の精神が不可欠となってくる。現

在の自己の視点を疑って見ること、1視点の転換が必要となってくる。

 ところで一九一七年といえば、その前々年の十一月には初出『羅生門』(「帝国文学」)が発表され、翌一八年七月には定稿

(第二次改稿)『羅生門』(単行本『鼻』所収)が出るという、その間の年にあたっている。初出と定稿の問に異同のあるこ

                かん

とはよく知られていることだが、その間の改稿過程を見ていると面白いことに気づかされる。

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 作品末尾の一文にしぼって見てみよう。初出では「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急ぎつンあつ

た。」となっていたのが、一七年五月に出された第一次改稿では「下人は、既に、雨を冒して、京都の町へ強盗を働きに急

いでゐた。」(単行本『羅生門』所収)となる。ほとんどかわりはない。ところが前記した小品群の執筆を間において出てく

る定稿では一挙に「下人の行方は、誰も知らない。」と、異質の内容、表現に書きかえられている。下人は老婆から引剥ぎ

                                    あ す

をすることで盗人になってしまった、だから強盗を働きに行くのだ、という下人の“明日”をも含めて“盗人”と一義的に

                                               あ す

レッテルを貼ってしまった第一次改稿までとは打ってかわって、定稿では、下人の行方は、ましてや下人の“明日の姿”は

誰にもわからないのだ、となってくる。熊谷孝氏の指摘を借りれば、「これは、ところで、全く別個の虚構にょる多義的な

別個のイメージの世界である。下人の行方(未来像)に関していえば、陽の当たる場所に彼が立つ日があるかどうかは別と

して、単線コースではないところの、多様な可能性を含んでいる。『下人の行方は、誰も知らない。』とは、そういうことだ

ろう。人間は、一そこでは可能性・可変性を持った存在としてつかみ直されている」ということであろうし、「このようにし

て、%また、その夜の羅生門楼上の老婆や下人の姿からして、人問とは所詮かかる醜悪な存在でしかないのか、という人間不

信の絶望感に駆られる必要も今はもはやなくなったわけである。ぎりぎりの状況に追い込まれれば、人間はかく成り果てる

存在であることは否定しえない。否定しえないからこそ、すべて何らかそのような疎外状況に置かれている自己の主体の確

認において、疎外の人間的・社会的根源をそこに問い続けようとしている点に、実はこの作品の主要なテーマの一つがある

わけだろう。『羅生門』を絶望の文学とする見解があるが、当を失している」(「羅生門」/『芥川文学手帖』)ということに

なる。その点、早くからこの作品に〈自己解放の叫び〉を読み取る関口安義氏の『羅生門』再評価への提唱(『芥川龍之介

実像と虚像』参照)には首肯すべき点が多い。

 ともあれ、初出『羅生門』と定稿のそれとは全く別個のイメージの世界となっている。それでは、初出から定稿へのイメ

一 268一

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iジの転換はいかにして可能となったのか。初出とは異なったイメージを醸成していく芥川自身の視点的立場を形成してい

く道筋には『芋粥』や『楡盗』の創作過程が重要な意味を持ってくる。それは疑いのない事実である。が、ここでは、あえ

てこれらの作品忙はふれないこととして、丁前記の小品群との関連だけをひとまず考えてみたい。先にもふれたように、四つ

の小品はすべてが第一次改稿『羅生門』と定稿とが世に出るちょうどその狭間に脱稿され発表されているからである。

 訓『羅生門』の改稿過程における決定的なイメージの変換は、視点の転換沸懐疑の精神を前面に打ち出した小品群の実作を

経たところで可能となってきたのではなかろうか。『羅生門』・の下人はなんどもなんども思い悩んでいた。「強盗を働きに急

ぎb}あった。」あるいは「急いでゐた。」ではあまりにも決めつけすぎだ。老婆との出会いが下人の人生コースを決定しつ

くしてしまったかのように、芥川もまた結論を急ぎすぎている。下人自身が一義的に結論を裁断しない懐疑の精神の持ち主

であったように、今、芥川は”一つの結論”へ懐疑の眼を向けている。一九一〇入明治四三)年に起こった大逆事件を契機

とする〈冬の時代〉にあって、精神の自由を抑圧され、肉親のエゴイズムにさいなまれた若き芥川忙してみれば、人間不信

の絶望感にとらわれるのもまた当然のことであったろう。しかしながら、今、芥川はそうした”人間とはかかる醜悪な存在

でしかないのか”という一つの帰結に懐疑の眼を向付ていくのである。汰間は一義的な存在ではない、〈可能性・可変性を

持った存在〉なのではないのか。人間像をとらえる〈視点の転換〉である。これはもう、決定的な、人間把握のための〈発

想の転換〉である。

             ヘ  ヘ           ヘ  へ

 なにごとに対しても、いわばこうだからこうだと一義的に結論を下して疑ってみることもしなければ、こんな気楽なこと

はない。懐疑の精神を持たずに世の通説や常識を鵜呑みにしてもの知り顔に渡って行くのなら、なんの苦労もいらぬ。通俗

の奴隷である。けれども、精神の自由を賭して生きようとすれば、大逆事件をとりあげた徳冨藍花の一高講演「謀叛論」二

九=年二月一日。芥川の精神形成にとって決定的な意味を持った)の呼びかけではないが、”人格を磨け、謀叛をおそれ

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てはならぬ”のだ。自他の通俗性への懐疑・反逆である。『羅生門』の第一次改稿から定稿への改稿のバネとなった一つに、

こうした通俗への反逆の姿勢、通俗性への懐疑11視点の転換への積極的な姿勢があったことは否定できない。そして、こう

した姿勢をさらに強く確かなものとしていったのが、前記四小品の創作実践にあったことは、もはや明白であろうし、そこ

にチエホフ文学の鑑賞体験が微妙な形で反映されていることも明らかであろう。

 一九一六(大正五)年前後を最初の一時期としたであろう芥川のチエホフ体験は、彼自身の意識からすれば、「あれ位に

なるのも、一生の仕事なんでせう」というようなものであった。けれども、芥川自身の感想とは別のところで、その鑑賞体

験のもたらした余波は〈懐疑の精神〉をより強固に醸成させていくという、余波どころのものではなかったようである。

 次いで、英訳本を通して集中的に、芥川がチエホフの作品を読み込んで行ったのは、 一九一九 (大正八)年のことであ

る。 一九=ハ年から一九二三年にかけて、 ロンドンから、ガーネット版↓げ①琶①ωo{目。ゴΦゲo〈全十三巻が刊行されて

いる。おそらく芥川はそのほとんどを講入していたのではないかと思われるが、日本近代文学館蔵の芥川龍之介文庫には第

一、二、四、五、六、十巻の六冊しか残されていない(〔付11資料〕参照)。芥川自身の日付の書き込みなどから考えてみる

と、残されたもののうち、一九二一年刊行の第十巻を除く五冊がこの一九一九年に一気に読まれたものと判断される。こう

した芥川のチエホフ傾倒のきっかけは、既に述べたように、新劇協会の『叔父ワニヤ』観劇にあったわけだが、その熱中ぶ

りは注目されてよい。このころが芥川のチエホフ体験の第二の時期となる。

 ちょうどこの一九一九年の三月、芥川は横須賀海軍機関学校を退官し、大阪毎日の嘱託社員となっている。公私ともども

に一つの転機を迎えていたと言える。同年の十一月十一日に、芥川は海軍学校時代の教え子に手紙の返事を次のように書い

ていた。

一270一

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僕に何故冷眼に世の中を見るかと云ふ質問も青年の君としては如何にも発しさうなものと考へますが僕には現在僕の作

.摺出てゐる以上に世の中を愛する.・とは出来ないのだからやむを得ませんのみならず愛を呼号する人の作品は僕にと

つて好い加減な嘘のや.,な気さへするのです僕は世の中の愚を指摘するけれどもその愚を攻撃しようとは思つてゐない

僕もさう云ふ世の中の一人だから唯その愚(他人の愚であると共に自分の愚である所の)を笑つて見てゐるだけなので

すそれ以上世の中を愛しても或は又憎んでも僕は僕自身を偽る事になるのです官ら偽る位なら小説は書きません要する

に僕は世の中に且2を感ずるがδ〈⑦は感じてゐない同時に又罵o尾を加へるより以上に憎む気にもなれないのです

かう云ふ態度は今の君にとつて物足りないものかも知れませんけれども年齢は早晩君をそこまで導くでせう

 「君の手紙愉快に拝見」ではじめられた一文であるが、私にはそのまま芥川のチエホフ体験が語られているように思われ

てならない。無意識のうちにではあれ、過去の自分の姿を教え子の上に重ね合わせて愉快がっている芥川の姿がイメージ・

アップされてくる。かつてチエホフは「あれ位」にすぎなかった。チエホフは世の中の「愚を笑つて見てゐるだけ」なのだ。

「且曙を感」じ、「腔oξを加へる」だけなのである。それが若い身には「物足りない」。けれども、「年齢は早晩」私をそ

の「物足りない」と思えたチエホフと同じ「かう云ふ態度」にまで導いて来てくれたではないか。「君」もまたそうなのだ

よ、ーとでも芥川が語っているように、私の耳には聴こえてくる。

 アントン・チエホフは、一八六〇年、食糧雑貨店主の子、農奴の孫として生まれている。七〇年代のナロードニキ運動の

中に精神の形成期をもち、八一年のアレクサンドルニ世暗殺を契機とする苛酷な反動政治の時代、いわゆるロシァの八〇年

代の〈たそがれの時代〉にチエホンテ等のペンネームでもってものを書きはじめている。〈たそがれの時代〉とそれにひき

一271一

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続く暗い時代の中でチエホフが見たものは臆抜けにされたロシアの悲惨な現実の姿であつた。けれども、チエホフは絶望的

な現実を前にしながらも絶望の想いにひたることなく実践的に生きて行く。一八九〇年のサハリン“流刑島への生死を賭け

た旅行、その後のコレラ患者救済活動等々と精力的に現実と立ち向うことによって、チエホンテ時代の文学からチエホフの

文学へと脱皮飛翔していく。

 チエホフの文学は確かに暗い。絶望の隣りにいて憂愁をかこつ文学である。けれどもそれは単に”冷眼”をもって”世の

中の愚を指摘”するだけのものではない。井伏鱒二氏が指摘したように、チエホフの作品は「物悲七さと人生への努力との

おびたゴしい点滴なのである」(「物悲しさと人生への努力」)。そしてまた、芥川が言っていたように、「チエホフの主人公は

我等読者を供笑せルむること少しとなさず」(前出「久保田万太郎氏」)であった。そこにはチエホフのべーソスがある。笑

                                                  ママ 

いに支えられたシニシズムがある。時代が暗ければ暗いほど、「その時代に正しく生きようと努力する人には、必す絶望が

訪れるであらう」(井伏、前出)し、「懐疑に対して緊密性を有する」(同「広津和郎」)ようにならざるをえない。そこに、

「アントン・チエホフの懐疑」(同前)の精神が生じて来る。 ロシアの〈たそがれの時代〉が生み出したチエホフ的世代の

精神である。しかしながら、チエホフの〈暗い現実〉への懐疑の眼は、そうした現実への絶対的な否定のもとに投げかけら

れていたわけではない。〈たそがれの時代〉の水面下で地道に続けられていた進歩と革命への歩みを見すえ受けつぐもので

もあったのだ(原卓也「解説」/中央公論社版『チエホフ全集①』)。チエホフ自らが言うように、《作家はありのままの生活

を描きながらあるべき生活を感じさせねばならぬ》のである。いかに生きるに値しないロシア的現実であろうと、チエホフ

はそこに生きるしかない。そうした現実をわが身に受け留めながら、そこに〈あるべき生活〉をチエホフは模索し追い求め

つづける。リアリストであったチエホフの姿がそこにはある。

 「神の創造に悪魔も手伝つてゐると云ふ立場からすれば、チエホフも肯定的精神と云ふ神の仕事を手伝つてゐる」  こ

一 272一

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凱は、一九二四(大正十三)年の「新潮」七月号に掲載された「新潮合評会(三)」での、芥川の発言である。 一九一九年

に芥川の心をとらえたチエホフの姿は、まさに、そうした肯定的精神を支えとした懐疑の眼を持つリアリストとして、大き

くクローズ・アップされて来ていたに違いない。

 〈冬の時代〉につづく大正デモクラシー下の時代-精神の自由が疎外された現実を生きる芥川の、芥川的世代の倦怠の

想いとふれあい共軌するものを、チエホフの文学は感じさせる。そうした心情的同感、共鳴にもとつく、「あれは容易に軽

蔑出来ません」というチエホフ鑑賞の第一期体験をベースにしながら、一九一九年段階の芥川は、新たなるチエホフ像を見

出して行く。あるべき生活をひたすら追い求め続ける肯定的精神1ーロマンティシズムに支えられて、ありのままの生活11現

実に仮借のない〈懐疑の眼〉を、言い換えれば〈批判の眼〉を向けるリアリストーーチエホフの新しい発見である。こうした

チエホフの再発見こそ、芥川のチエホフ鑑賞第二期の最大の収穫であったに違いない。

一273一

 〈チエホフの再発見〉は、芥川自身をしてさらなる億己凝視へと導いていく。‘そして現実把握のための発想をさらに揺る

ぎないものとしていくのである。

 前に引用した海軍学校時代の教え子への手紙である。教え子への手紙であるだけに簡潔明瞭な平易な言葉で書かれてい

る。「僕は」現実あるがままの「世の中の愚を指摘するけれどもその愚を攻撃しようとは思つてゐない」、チエホフがそうで

あったように、「僕もさう云ふ世の中の一人だから唯その愚(他人の愚であると共に自分の愚である所の)を笑つて見てゐ

るだけなのです…:・僕は世の中に営受を感ずるが……躍o身を加へるより以上に憎む気にもなれないのです」と。自己の

外側に現実を置いて愚かなりと攻撃することは実にたやすいことなのかもしれぬ。が、芥川はそうした愚かしい現実の一人

である自己をごまかすことなく凝視している。自分の内側に潜む現実の愚を見すえている。そうした内と外との統一体とし

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てまるごとの自分へ懐疑の眼を向けている。内なる自己へ向けての批判の眼が生きている。そこに冨蔓の感情が生まれて

くる。かわいそうだと思うところから文学がはじまるとは太宰治の言葉だったかと思うが、そうして新たなる創作への意欲

が芥川の身内にあふれてくる。それは菅忠雄宛に「僕はこれからいろんな物を書かうと思ひます」(前出)と書いたゆえん

でもあろう。

 ところで、また、芥川は世の中の愚に対して、「騨。塁を加へるより以上に憎む気にもなれない」と書いているが、それが

単なる現実への”否定”や”皮肉”でないことは、もはや明らかであろう。チエホフ的イロニーであり、チエホフ的シニシ

ズムに通じるものであること、つまり、チエホフの懐疑の精神と共朝する批判精神の一つのあらわれであることは明白だ。

 ともあれ、芥川の〈チエホフ再発見〉が新たな創作活動へと彼自身を駆り立てて行ったことに間違いはない。

 例えば、翌一九二〇(大正九)年の「新小説」一月号に発表された『葱』がその所産の一つである。神田神保町あたりに

あるカフェの若くてきれいな女給、お君さんがデイトのさなか、ためらうことなく安値の葱を買ってしまう話だ。逞しい生

活力を持った”可愛い女”がチエホフ的タッチで巧みにとらえられている。と同時に、チエホフ的。へーソスを通して批判精

神の欠如した庶民のある姿が冷厳に浮き彫りにされている。まさに、チエホフ文学をくぐり摂取した人の文体である。細部

に立ち入って見ても、お君さんの部屋を叙述するところなど、↓冨σq冨。。筈。薯9(邦題「浮気な女」あるいは「蛭」。他の

英訳本ではビ帥Ωσq巴Φとも)のオリガが飾り立てた結婚後の家を叙述した部分をそのまま下敷きにしているのではないか

と思われるほどである。

 しかしながら、ここで留意しておきたいのは、創作に行きづまった芥川がチエホフの小説にその材を求めたのでは決して

ない、ということである。その上で、さらに、同じ年の「中央文学」一月号に発表された小品『尾生の信』を見てみよう。

ある橋の畔で来るあてのない女を待ち続けて水死していった尾生の魂を自己の魂として生きる若い小説家の想いを綴った作

一274一

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品である。わずかでも女の来る可能性が残されているかぎりその可能性を信ずることに命を賭けた尾生のように、世に役立

たずと罵られようと、「昼も夜も漫然と夢みがちな生活を送りながら、唯、何か来るべき不可思議なものばかりを待つてゐ

る」小説家の姿に、芥川自身の姿が二重写しになってくる。

 Oooω①げ①三①ωの獣医イワン・イワーヌィチは言っている。「安心をきめこんでいてはいけない、居眠りをむさぼってはい

けないー.若くって、元気で、力のあるうちに、せいぜいよい事をなさい! 幸福なんかありはしない、あるはずもない。

もし人生に意義や目的があるとしたら、その意義や目的は、決してわれわれの幸福のなかにはなくて、何かもっと賢明な、

偉大なもののなかにあるのです。よい事をなさい!」と。あるがままの現実の生活の中で言われる幸福とは、不幸な連中の

     ア   チ  も

沈黙の上に成り立つでいるエセ幸福でしかない。「世間ぜんたいが催眠術にかかっている」現実にあっては・幸福なんかあ

りはしない。人間に必要なのは、「人間が自分の自由な精神のあらゆる性質や特長をのびのびと発揮できる自然ぜんたい」

なのだ。たしかに、「自由こそ幸福であり、空気のようにそれなしではすまされない」ものであり、今や「辛抱つよく待た

ねばならぬ」ものではある。が、「生きる力はもうない、そのくせ生きねばならぬし生きていたい、そういう時に何かを待

ち受けるなんてー.」「もう一度ききますが、何のために待つのです?」年老いた獣医の問いは痛烈である。

 虚無的にもなりかねないイワーヌィチの問いかけに、芥川は真正面から作品をもって応じている。そうです、あり得べき

幸福は〈何かもっと賢明な、偉大なもの〉のなかにこそあるのです、と。だからこそ、〈何か来るべき不可思議なもの〉ば

かりをく待つVのですと、芥川は若い小説家に語らせたのではなかったか。待つとは、ただ手をこまねいて何かを待ってい

ることではないだろう。尾生のように、己れの信ずることに全身全霊を賭ける真剣勝負なのだ。下手をすれば”死んでしま

う”のである。催眼術にかかった通俗的な世間からはなんだつまらぬと言われるようなことでも命がけである。町道場の木

刀勝負ではない。木刀も真剣もない。森鴎外の言う「遊びの精神」(『あそび』)に支えられた極めて実践的な行動であり、

一 275一

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積極的な行動である。そしてまたそれは、思索し続けることで持続可能となるものである。イワン・イワーヌィチが「思索

的な生ける人間」であったように、〈何か来るべき不可思議なもの〉のために思索し続ける行為なのである。世間からはた

しかに「昼も夜も漫然と夢みがちな生活を送」っているにすぎぬではないかと糾弾されるであろう。たしかに夢なのだ。け

れども、これこそが夢の名に値するく夢Vなのではないだろうか。『尾生の信』の向うに、O。。ωΦげ①巳窃を置いて見たと

き、そこに作品同士を介在させての、芥川とチエホフの真剣な討論を耳にすることができよう。そこに、私たちは二人の作

家の真の〈対話〉のプロセスを垣間見ることができる。

 芥川のチエホフ受容は、単なる創作材料の探索のためのものでもなければ、単なる表現技法上の先駆的指標を求めてのも

のでもない。それぞれに、自己の生きねばならぬ現実を前にして、倦怠を感じざるを得なかった二人の作家の真剣な対話を

通してはじめて実現したものである。そうした対話  鑑賞を通してつかみ得たチエホフ的懐疑の精神をわが血肉と化した

ところに、芥川の新たな創作活動が生きいきと開始されたのである。

三、チエホフ文学の摂取1『秋』に即して(一)

 一九二〇(大正九)年、芥川は、「中央公論」の四月号に『秋』という作品を発表した。芥川文学の転機をなした作品と

して巷間に知られているものである。

 たしかに『秋』は芥川文学の転機を示す作品であった。同じ年の三月十三日から二十二日にかけて滝田哲太郎宛に出され

た数通の書簡を見ても、『秋』にかけた作者芥川のなみなみならぬ熱意が伝わってくる。けれどもそれは、材に貧した芥川が

歴史小説から現在小説へ転じたのだというような代物ではない。前章までに見てきたように、それは、〈チエホフ再発見〉

がもたらした新創作活動への情熱が生みだした一つの成果であり、,転機だったのである。

一 276一

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 「我鬼窟日録」の一九一九(大正八)年十月一日の項に、芥川は「黄梁夢、英雄の器、蛙、女体。」と記している。出版

予定の単行本(『影燈籠』、一九二〇年一月刊)へ収録予定の作品覚え書きと思われる。この時期、こうしたメモがとられて

いたことは見逃せない。チエホフ体験第一期が生み出した小品群である。それがチエホフの再発見を可能にしたこの時期に

改めて思い出されているのである。なおかつ、それらが発表順に思い起こされているのではなく配列し直されて、である。

執筆時点とは異なった主題的発想の深まりがなせる技であったのだろう。主題的発想の深まりは実際に『影燈籠』に収録す

るにあたって『蛙』をカットし新たに『尾生の信』を採用するということになってあらわれてくる。「小品四種」と題して、

二、黄梁夢 二、英雄の器 三、女体 四、尾生の信」の順になるのである。

 第一期におけるチエホフの懐疑の発見は芥川に視点の転換の重要性への認識をもたらしている。そうした認識は、『羅生

門』の第二次改稿の過程において、下人像をとおして〈人間の可能性と可変性〉を、言い換えれば〈現実の多義性〉を発見

することを可能にした。一義的に現実を見つめるところから現実の多義性に眼を向けた芥川が、再びチエホフにふれて見出

したものは、人生の意義や目的をありのままの現実のなかにではなく<何かもっと賢明な、偉大なもののなかに〉求め続け

た真のリアリストの姿である。懐疑の精神に支えられた視点の転換とは、r利益主義11実益主義に見られるような目先きの利

益を求めてくるくる変わるといったようなものではない。一貫して行なわれる徹底した自他への批判をとおして〈何か来る

べき不可思議なものばかり〉を待ち見得る視点を獲得するということに他ならない。芥川がチエホフの再発見をとおしてつ

かみ得たものはまさにそうした意味での〈転換された視点〉であり、懐疑の精神である。四つの小品の配列メモから『影燈

籠』の「小品四種」に落ち着くまでの過程は、『尾生の信』の誕生を必至的な不可欠のものとしながら、チエホフ摂取のプ

ロセスが必然的に生み出していったものであった。

 チエホフ文学の再鑑賞が単なる再鑑賞にとどまらずに、同時に、芥川の創作意欲をかきたてる。旧来の鑑賞体験を変革

一277一

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し、自己の内面の組みかえを可能にする。そうした変革巨組みかえのエネルギーが新しい創造、創作へのエネルギーとして

内在的展開を見せる。つまりρ鑑賞体験の変革が新たなる主題的発想を喚起し新たなる表現への意欲をかきたてるというこ

とだ。まさに、「鑑賞体験が創作体験に先行する」(熊谷孝『芸術とことば』)のである。

 ・王として歴史に材を取ることで、「現在を過去の曲面に投影し、逆にそのことで現在的現実像の持つひずみを、的確な遠

近法と適切な距離感において自意識にもたらす」(熊谷孝「羅生門」/前出)という〈(現代小説としての)歴史小説の方法〉

を駆使して来た芥川が、チエホフ体験を媒介として、大正的現実の〈ありのままの生活〉を直接凝視するところへその主眼

を切りかえていく。市井の可愛い女、お君さんをとらえてみせた『葱』はそうしたプロセスへの第一歩でもあった。ーーこ

うして、チエホフ文学の鑑賞を先行体験として、『葱』の実験的創作を経ながら、芥川は、 いよいよ『秋』の創作へと踏み

出したのである。

一278 一

 『秋』の素材が女流歌人秀しげ子との関係から得られたのだとは、既に小穴隆一や葛巻義敏らが説くところである。そし

て、その素材が作品化されるにあたって夏目漱石の『それから』が下敷きにされていたのだとは、和田繁二郎氏や三好行雄

氏らが指摘している。さらには、関口安義氏が「が、わたしはより直接的には、豊島与志雄の初期短編小説『恩人』が『秋』

の下敷きにされたとの説を懐く」(前出『芥川龍之介』)とも述べている。

 先学たちによっていろいろに指摘されてきたように、『秋』の具体的な「素材」や「下敷き」は何も特定のもの一つに限

定されることではないのであろう。けれども、このことは十分に承知した上でなおかつ私は『秋』創作の主要ベースはチエ

ホフだったと思っている。『秋』という作品は、チエホフの文学  ことに一八八〇年代後半から一入九〇年代のチエホフの

文学の方法を摂取し、日本的現実の中で組みかえられた方法に基づいて生み出されたものだったと言ってみたいのである。

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チエホフの諸作品と、『秋』との問には多くの共軌点が見出されるからだ。けれども、チエホフ文学の『秋』への反映が(直

接的な反映ではなく」深く内在化され主体化されていたために、容易に判明t得なかつたのも無理はない。

 それでは、なかなかとらえることのできなかった『秋』とチエホフとの関係を具体的にさぐっていってみたいと思う。

 まずハ『秋』における個々の場面設定(シチはエ!ション)を考えてみよう。

ω 俊吉が信子と照子を揃にして警句を投げかける場面と、その夜泊るこ之になった信子が寝る前に俊吉に呼ばれて庭に出

 る場面である。

 話は食後の果物を荒した後竜尽きな、かつた。微酔を帯びた俊吉は、夜長の電灯の下にあぐらをか」いて、盛に彼一流の

誰弁を弄した。その談論風発が、もう一度信子を若返らせた。彼女は熱のある眼つきをして、「私も小説を書き出さう

かしら。」と云つた。すると従兄は返事をする代りに、グゥルモンの警句を批りつけた。それは「ミユウズたちは女だ

から、彼等を自由に虜にするものは、男だけだ。」と云ふ言葉であつた。信子と照子とは同盟して、グゥルモンの権威

を認めなかつた。「ぢや女でなけりや、音楽家になれなくつて? アポロは男ぢやありませんか。」1照子は真面目に

こんな事まで云つた。

 (略)

 暫く沈黙が続いた後、俊吉は静に眼を返して、「鶏小屋へ行つて見ようか。」と云つた。信子は黙つて頷いた。鶏小屋

は丁度桧とは反対の庭の隅にあつた。二人は肩を並べながら、ゆつくり其処まで歩いて行つた。しかし薦囲ひの内には、

唯鶏の匂のする、朧げな光と影ばかりがあつた。俊吉はその小屋を覗いて見て、殆独り言かと思ふやうに、「寝てゐる。」

と彼女に囁いた。「玉子を人に取られた鶏が。」1信子は草の中に停んだ儘、さう考へずにはゐられなかつた。……

一 279 一

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�lが庭から返つて来ると、照子は夫の机の前に、ぼんやり電灯を眺めてゐた。青い.横ばひがたつた一つ、笠に這っ

てゐる電灯を。         (『秋』三章/岩波・新書版全集、以下『秋』引用同じ。但し新字体に改めた。)

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騨昌α亘昌雷ωど署げ①口昏①80にδ昌9ヨ岳①げΦ昌ウo¢ω①゜

(円げ①山㊤匡貯αq)

 姉妹を前にして警句を投げつける俊吉と、妻と娘を前にじてグネッゲルに皮肉を浴びせかける》爵①霞団ω8q(邦題

「わびしい話」)の大学教授と。さらには本稿末の〔付11資料〕の圖の⑨に紹介した目鐸8饗胃ω(邦題「三年間」)の芥川

が二重線を引いた箇所ー次々、と幼い姉妹をおそってくる不幸を前にしておびえながら身じろぎもせずに火を見つめている

妹娘を描いたところと、照子が嫉妬と不安のなかでぼんやり電灯を眺めているとこ.うと、その共範性を見てとることができ

                                       ひと

る。また、信子が自分を鶏に見立てる心的場面にしても、円ゲ①号島ロαq(邦題「可愛い女」)のオーレンカの雌鶏にひきく

らべてみるところがイメージのべースにあったのだろうし、 オーレンカの心の鶏小屋が、『秋』 にあっては、実際の鶏小屋

となって設定されてきている。

一281一

吻 作品の末尾は次のようになっている。

 二三時間の後、信子は電車の終点に急ぐべく、幌悼の上に揺られてゐた。彼女の眼にはひる外の世界は、前部の幌を

切りぬいた、四角なセルロイドの窓だけであつた。其処には場末らしい家々と色づいた雑木の梢とが、徐にしかも絶え

間なく、後へ後へと流れて行つた。もしその中に一つでも動かないものがあれば、それは薄雲を漂はせた、冷やかな秋

の空だけであつた。

 彼女の心は静かであつた。が、その静かさを支配するものは、寂しい締めに外ならなかつた。照子の発作が終つた

            たやす                      きやうだい

後、和解は新しい涙と共に、容易く二人を元の通り仲の好い姉妹に返してゐた。しかし事実は事実として、今でも信子

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の心を離れなかつた。彼女は従兄の帰りも待たずこの悼上に身を託した時、既に妹とは永久に他人になつたやうな心も

ちが、意地悪く彼女の胸の中に氷を張らせてゐたのであつた。ー

 信子はふと眼を挙げた。その時セルロイドの窓の中には、ごみごみした町を歩いて来る、杖を抱へた従兄の姿が見え

た。彼女の心は動揺した。値を止めようか。それともこの儘行き違はうか。彼女は動悸を抑へながら、暫くは唯幌の下

に、空しい逡巡を重ねてゐた。が、俊吉と彼女との距離は、見る見る内に近くなつて来た。彼は薄日の光を浴びて、水

溜りの多い往来にゆつくりと靴を運んでゐた。

 「俊さん。」1さう云ふ声が一瞬間、信子の唇から洩れようとした。実際俊吉はその時もう、彼女の倖のすぐ側に、

見慣れた姿を現してゐた。が、彼女は又ためらつた。その暇に何も知らない彼は、とうとうこの幌悼とすれ違つた。薄

濁つた空、疎らな屋並、高い木々の黄ばんだ梢、1後には不相変人通りの少い場末の町があるばかりであつた。

 「秋ー」

 信子はうすら寒い幌の下に、全身で寂しさを感じながら、しみじみかう思はずにはゐられなかつた。 (『秋』四章)

一282 一

こヶした作品末尾の情景は、ぬかる道のあちこちに水溜りが光り、

「重苦しい人々」)の次のような一場面を思い起こさせる。

冷い秋が顔をのぞかせているU議。巳叶冨o覧①(邦題

 Oo言αqo暮oh臣①ケ8のρ叶げΦω叶&Φ葺芝巴冨山巴o品け7①ヨ巳身δ巴8≦薗a°。チΦo冨ロ88辞q°目冨偉。マ≦窃

ぴ=o{㊤冨器窪簿言αq㊤β叶口日ロ富ヨ℃器ωω゜月冨8巴≦螢のヨ自儀山ど唱‘匹巳①ωσq♂㊤ヨ①ユ冨冨o口山 爵角ρ⇔ロユ言昏①

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 9由。巳け需Ooδには、さらに、信子の乗った悼と俊吉とがすれ違う場面のべースとなったであろう次のような箇所も見

られる。        °                     ・

  

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@°三゜出冨Φ喜αq鼠ひ謬σq一8量暑。阜芝冨話島匠け8ヨΦぎ日竃訂尋。δ冨母叶壽。。{ロ=。h〈①×匿8§餌

  

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 そして、情景の共通性だけでなく、最後に「秋  」と一言思わずにはいられなかった信子像造型のきっかけを思わせる

描写もある。画家のリヤボフスキイが人妻であるオリガと旅に出ながらふさぎの虫にとりつかれていく、そのヴォルガ河畔

で秋の訪れをしみじみと感じる↓ず①αq鑓ω号o℃娼霞の一場面である。

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一284一

 私は、つい先程、『秋』とU蚤。巳什需o営Φと単に情景だけが共通しているかのように書き記した。が、目冨σq鼠の跨o署9

の一場面が意のままにならない心情に秋を感じる信子のメンタリティー造型のきっかけとなっていたであろうように、そこ

に俊吉や信子のメンタリティー造型にかかわる重要な契機を見落としてはならないだろう。倦怠の想いや悲しみにとらわれ

ている大学生と俊吉とに、あるいは、懐疑のかけらすら持ちあわせぬような馬車の乗り手と信子とに、ある心的共範性を私

は感じるからである。

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そうした登場人物のキャラクターの造型」人物形象の枠組みに関するところを、さらに次にとりあげてみよう。

ω 信子や世間の目には「冷笑的」(本稿蹴。へ弓ジ引用を参照)で、「社会主義じ.みた理窟」を並」べ

 て周りを笑いに誘う.(同脚、蹴ぺージ)と見られている俊吉の態度、一.実はシニシズムを身に

 う七た俊吉の姿は、・前出の〉紆$曼゜。8qの老大学教授や、次に紹介する文献学者ミハイル

 のキャラクターと共範するものからイメージ・アップされてきたものであるに違いない。

〔彼一流の読弁」、を弄し

つけた態度なのだが、そ

・フヨードロヴィチなど

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 ところで、圧巻は、

② 信子像に関し.てである。信子は当時流行のトルストイズムなどに興味を示す、キリスト教の匂いのする女子大学趣味の

一 285 一

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人生観を持った“インテリ女性”である。小説を書こうと思いながらもなかなか書かない (いや、書けない),女性であ

る。生活に根ざすことができずに、いつまでも、妹に恋人を譲った悲劇のヒロインとして仮構の世界に生きている。けれ

ども憎むことのできない“可愛い女”である。  こうした信子のキャラクターは、亭主の職業や趣味、考えなどをその

まま自分のものと錯覚して生きる目冨量島口αqのオーレンカ、だから亭主が亡くなれば空白の自分になってしまうオー

レンカのキャラクターと酷似している。そうしたキャラクターの類似は生理的反応の上にも現われてくる。

 照子と俊吉とは、師走の中旬に式を挙げた。当日は午少し前から、ちらちら白い物が落ち始めた。信子は独り午の食

事をすませた後、何時までもその時の魚の匂が、口について離れなかつた。「東京も雪が降つてゐるかしら。」  こん

な事を考へながら、信子はじつとうす暗い茶の間の長火鉢にもたれてゐた。雪が愈烈しくなつた。が、口中の生臭さ

は、やはり執念く消えなかつた。…:・                          (『秋』二章)

一 286一

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(目げo匹碧躍昌σq)

 魚の生臭さとにがよもぎの後味と、その違いはあれど、心の内部に空洞ができたときに感じる二人の生理的反応の基本は

全く同質のものだと言ってもよい。

 さらに眼を転じて見れば、」夫であり医者であるドイモフの偉大さもわからずに空虚な芸術家もどきの人々の間を浮遊する

日冨αq目塁跨。薯角のオリガ (本稿㎜。へージ引用参照)が浮かんでくる。女子大学趣味の考えを述べることで自分をどこか

ら見ても退屈な、ほんの添え物みたいな女だと、あたしほど不仕合わせな女はいないのだときめつける『叔父ワニヤ』のエ

レ!ナが思い出されてくる、等々とー要は、可愛い女としての信子像を造型していくイメージのもととなったのは、チエ

ホフが描き出すところの一群の〈可愛い女〉にあったのだと言えよう。チエホフの7連の作品の中に、信子像の原像を見出

すことが出来るのである。

 四、チエホフ文学の摂取一『秋』に即して(二)

 転機を成したと言われる『秋』の創作がいかにチエホフの鑑賞体験にあずかるところ大であったか、前章まででだいぶ明

らかになったのではないかと思われる。チエホフのある一つの作品がそのまま『秋』につながっているわけではない。まし

てや一つひとつの語句や文のレベルで云々というものでもない。文章や発想、構成、構想のレベルで、チエホフ文学のエッ

センスが日本的現実の中に移調されて見事に摂取されていたのである。

 ところで、既に話題にして来たように、芥川は教え子だった小田寿雄宛に、僕は世の中の〈自他の愚〉をただ笑って見て

いるだけなのだ、と書いていた。ただ笑って見ている、月」が、それは世の中(現実)との対応関係を拒否して無関心を装

一 287 一

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う傍観者の態度を意味しはしない。それが芥川のシニシズムであったことは前に見てきたとおりである。全く主体を抜きに

してΨただ見ズいる4ことなど何人にも出来はしない⑩さらに言えば、ただ見て書くこと、生全く己れなしの客観的表現

などというものもありはしない。

 それは、チエホフにとってもまた然りである。-彼は料理を出して一緒に食べながら料理の途中で席を立つ人だと言われる

が、チエホフ自身が言うように、作家は裁判官ではない。判断の材料を提示しておいて、最終的な判断は読者にゆだねるの

である。例えば、日冨畠p島品のオーレンカに対してチエホフは、作品の末尾で、「ようし覚えてろー.あっちへ行けった

ら⊥と、彼汝が世話をしている少年缶ばせている(〔付養料〕の圖の⑧参照。芥川ぶチェ。クしている箇所である)。

これをどう受けとめるかは読者の問題だ。が、《伶家はありのままの生活を描きながらあるべき生活を感じさせなければな

らぬ》のである。ロシアの〈たそがれの時代〉に頻出した〈可愛い女〉の生活に反撃を加えはじめた少年の眼を通して《あ

るべき生活》の何たるかが、その一端が垣間見えてくる。ロシア民衆の奥底に流れている新しい時代への胎動に対する信頼

と希望  チ゜エホフの夢、言い換えれば、民衆の側に立っての、ロマンティシズムに支えられたリアリスティックな眼を通

して凝視された世界である。

 作家はやみくもに判断の材料を読者の前に投げだしているわけではない。作品を媒介とした読者との対話を実現し保障す

るために、作家は読者のよ゜って立ち得る視座を、つまり〈読者の視座〉を用意する。

 例えば、Ω。。ω①げ9ユΦωである。金儲けに一生を費してきた弟とは違って、思索しつづけながら真剣に生きてきた老獣医、

倦怠し切ったイワン・イワーヌィチの話を中心に展開される作品である。読者はイワーヌィチの話にひき込まれ共に思索し

ながら読みすすめる。けれども彼の話が終わったところで、ということは作品の末尾に至って愕然とする。イワーヌィチの

話はその聞き手であった他の登場人物たちによって否定されてしまう。宿の亭主などにいたっては、そんな話は自分の生活

一 288 一

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には全く無縁なものだと思う。そしてそれが気のきいたことなのか噛正しいことなのか、深く、考えてみようともしない。そ

れでは、この作品がイワーヌィチの否定ということで終わっ・てしまうのかというと、・そうではない。否定されてしまうよう

な形でチエホフの表現は完了して.いない。・「彼(宿の亭主)は深くも考えなかった」という言語表現自体が、イワーヌィチ

とともに思索してきた読者に対しては、すぐれて、〈深く考えてみる〉ことを喚起する描写と・なっている。世間の〈ありの

ままの生活〉に見られ.る多くの人間の典型像が宿の亭主め姿に顕在化されている。が、∵イ・ワーヌ・イチの側に立って〈ありの・

ままの生活〉を見たとき、読者は〈あるべき生活〉について深く考えてみざるを得なくなるであろう。 (付言すればいこう

したチエホフの小説の構成法を芥川倣『六の宮の姫君』」で見事に摂取して見せている。・)

 登場人物や場面の説明に堕することなく読者の思索を喚起する、それを保障する描写という・ことでは、次の円げ①σqBω玲♀

b℃o同の作品冒頭を見ても全く同様である。長い引用となってしまうがh割愛できないのでやむをえないの

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 表現の方法i表現原理はOoo器げ①ヨ塁と全く同じである。“芸術家気質”の自由気ままな連中にとっては病気にでもな

らない限りドイモフの存在はあってなきがごとくなのである。新妻のオリガにしてからが、「どことなく見どころがあるで

しょう?」と言いながらも、あごでしゃくって見せるにすぎない。誰も彼の真価を認めようとはしないし、わかろうとさえ

もしない。そんなドイモフだが、「もっとも、かりに彼が作家か画家だったら、この顎ひげはさしずめゾラを思い起させる

と言えようか。」(池田健太郎訳/中央公論社版『チエホフ全集⑨』)ー実は、立場をかえて見ると、ドイモフは“ゾラ”

なのだ。ドイモフの人間性をとおして読みすすめて行ったとき、読者は最後に、トルストイではないけれど、ドイモフの死

後いちどは自戒の言葉を吐いたオリガではあっても再び彼女が元通りになっていくような気がしてくるだろう。チエホフは

オリガの日常生活を描きながら、ドイモフの存在をとおして、人間らしく生きるとは何か、あるべき生活とは何かを探って

いる。〈あるべき生活〉を〈読者の視座〉を保障する表現腫文体でもって読者に〈感じさせる〉のである。

 芥川はこうしたチエホフの表現の方法を見事に自分のものとしている。次に書き写した『秋』の冒頭と、↓ゲ⑦σq量鴇げoマ

噂曾の冒頭とを対照して見れば、一目瞭然であろう。

一 291一

 信子は女子大学にゐた時から、才媛の名声を担つてゐた。彼女が早晩作家として文壇に打つて出る事は、殆誰も疑は

なかつた。中には彼女が在学中、既に三百何枚かの自叙伝体小説を書き上げたなどと吹聴して歩くものもあつた。が、

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学校を卒業して見ると、まだ女学校も出てゐない妹の照子と彼女とを抱へて、後家を立て通して来た母の手前も、さう

は我儘を云はれない、複雑な事情もないではなかつた。そこで彼女は創作を始める前に、まつ世間の習慣通り、縁談か

らきめてかかるべく余儀なくされた。

.彼女には俊吉と云ふ従兄があつた。彼は当時まだ大学の文科に籍を置いてゐたが、やはり将来は作家仲間に身を投ず

る意志があるらしかつた。信子はこの従兄の大学生と、昔から親しく往来してゐた。それが互に文学と云ふ共通の話題

が出来てからは、愈親しみが増したやうであつた。唯、彼は信子と違つて、当世流行のトルストイズムなどには一向敬

意を表さなかつた。さうして始終フランス仕込みの皮肉や警句ばかり並べてゐた。かう云ふ俊吉の冷笑的な態度は、時

時万事真面目な信子を怒らせてしまふ事があつた。が、彼女は怒りながらも俊吉の皮肉や警句の中に、何か軽蔑出来な

いものを感じない訳には行かなかつた。

 だから彼女は在学中も、彼と一しよに展覧会や音楽会へ行く事が稀ではなかつた。尤も大抵そんな時には、妹の照子

 いつしよ

も同伴であつた。(略)その癖まつ照子を忘れるものは、何時も信子自身であつた。俊吉はすべてに無頓着なのか、不

相変気の利いた冗談ばかり投げつけながら、目まぐるしい往来の人通りの中を、大股にゆつくり歩いて行つた。……

 信子と従兄との間がらは、勿論誰の眼に見ても、来るべき彼等の結婚を予想させるのに十分であつた。同窓たちは彼

女の未来をてんでに羨んだり妬んだりした。殊に俊吉を知らないものは、(滑稽と云ふより外はないが、)一層これが甚

しかつた。信子も亦一方では彼等の推測を打ち消しながら、他方ではその確な事をそれとなく故意に灰かせたりした。

従つて同窓たちの頭の中には、彼等が学校を出るまでの間に、何時か彼女と俊吉との姿が、恰も新婦新郎の写真の如

く、.、.マしよにはつぎり焼きつけられてゐた。u

 所が学校を卒業すると、.信子は彼等の予期に反して、大阪の或商事会社へ近頃勤務する事になつた、高商出身の青年

一292 一

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と、突然結婚してしまつた。さうして式後二三日してから、新夫と一しよに勤め先きの大阪へ向けて立つてしまつた。

(略)

 「御姉様。もう明日は大阪へいらしつて御しまひなさるでせう。けれどもどうか何時までも、御姉様の照子を見捨て

ずに頂戴、照子は毎朝鶏に餌をやりながら、御姉様の事を思ひ出して、誰にも知れず泣いてゐます。……」

 信子はこの少女らしい手紙を読む毎に、必涙が滲んで来た。殊に中央停車場から汽車に乗らうとする間際、そつとこ

の手紙を彼女に渡した照子の姿を思ひ出すと、何とも云はれずにいちらしかつた。が、彼女の結婚は果して妹の想像通

り、全然犠牲的なそれであらうか。さう疑を挾む事は、涙の後の彼女の心へ、重苦しい気持ちを拡げ勝ちであつた。信

子はこの重苦しさを避ける為に、大抵はじつと快い感傷の中に浸つてゐた。そのうちに外の松林へ一面に当つた日の光

が、だんだん黄ばんだ暮方の色に変つて行くのを眺めながら。                  (『秋』一章)

一 293一

 オリガの才能を語るのがその夫でも彼女自身でもなく、ある意味では彼女との人間関係に責任をとる必要のない、その限

り無責任な取り巻き連中であったように、信子に才媛のレッテルを貼ったのも、女子大生趣味の同窓たち、やはり取り巻き

連であった。

 オリガも信子も取り巻き連に持ち上げられて自己を見失って行くわけだが、そうしたプロセスが複数の人間の眼を通して

語られている。そして、そうした複眼による表現の方法をとりながらチエホフは、いわばくさびを打ち込むように読者の意

識(i批判精神)をより喚起する表現をさしはさむ。読者の読みの方向を補強し或いは修正する言表をさしはさむ。『秋』

もまた同様の表現法をとっている。信子と従兄との結婚は誰の眼にも明らかだという。が、「誰の眼にも」にごまかされて

はならない。「殊に俊吉を知らないものは、(滑稽と云ふより外はないが、)一層これが甚しかつた」のだから。読者の眼は自

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然と〈俊吉〉にむかわざるをえない。目ヶ①αq門pωωげo薯臼の読者の眼がドイ、モフにむかっていったように、である。 ここに

『秋』の〈読者の視座〉が用意されている。                    ,

 人は信子を才媛だと言う。が、俊吉の眼をとおして信子を見れば彼女の姿はどんなものとして見えてくるのだろうか。最

終的判断は読者一人ひとりに委ねられているわけだが、そこへむけて綿密な言表がなされていることもチエホフと同様であ

る。妹のために俊吉への想いをたち切って恋譲りをした信子だと姉妹そろって考えているそのこと自体、はたして真実なの

かどうか。信子自身が懐いた、「が、彼女の結婚は果して妹の想像通り、全然犠牲的なそれであらうか」という疑いは、彼

女にとっては快い感傷の中に消え去っていくものであっても、読者にとってはいつまでも消えずに残っていくものなのだ。

 縷々こうして見てくれば、『秋』という作品がチエホフ文学のエッセンスを芥川的に摂取したところで存分に展開されて

いたのだということは、もはや、疑うことの出来ない事実であろう。

五、おわりに

一294一

 ところが、賛否は別として『秋』の俊吉はよくわからないとか、信子の物寂しさとあきらめとに芥川自身の心象を重ね合

わせて芥川の挫折の姿が描かれているのだとか、世はまさに様ざまだと思うような声もないわけではない。けれども、『秋』

にしぼって言えば、そこにはくありのままの日本の生活Vが描き出されているだけである。信子の姿に典型的に見られる、

大正期の中流階級者の空虚な生活が赤裸々に描かれている。しかしながら、同時に、そうした中流階級者の中に、俊吉の姿

を通して〈あるべき生活〉が探られている。芥川は、『秋』においてはっきりと自己の属する階級にわが文学の焦点をすえ

たのである。自己の階級における〈自他の愚〉をありのままに凝視しあるべき姿を追求する。それは冷徹なリアリストの営

みである。信子のようなセンチメンタリズムの入り込む余地は微塵もない。

Page 36: 芥川とチエホフ URL DOI - 明治大学一 261 一 一、 ヘじめに 史を振り返ってみたいと思う。その際、すぐに名前のあがってくる作家は広津和郎や正宗白鳥、井伏鱒二、等々である。芥

 『秋』が発表されて間もない一九二〇(大正九)年の四月二八日、芥川は恒藤恭に「『秋』と云ふ小説を読んでくれ給へ

この方は五六行を除いてあとは大抵書けてゐると云ふ自信がある」と手紙を書き送っている。それに先立つ九日には、南部

修太郎にあてて「実際僕は一つ難関を透過したよ」と書いていた。作家として”自動作用”に陥っていたところから脱する

ことのできた手応えを十分に感じ取った上での発言である。また、同じ九日には、瀧井孝作にあてて次のようにも書いてい

る。

秋は大して悪くなささうだ

になりさうだ

案ずるよりうむが易かつたと云ふ気がする 僕はだんくあ》云ふ傾向の小説を書くやう

 チエホフ的表現の方法をわがものとし自信を得た芥川は、再び、次々と作品を発表していく。確固とした読者の視座を設

定しつつ登場人物の一人ひとりにそのままに語らせていく『藪の中』、帰らぬ恋人を待つことに一生を賭けた姫君をふがい

ない女だとしか言えない高僧の姿を終章に示すことで〈この現実とは何か〉を厳しく問うた『六の宮の姫君』、などなどで

ある。

 ところで、芥川龍之介文庫のチエホフ英訳本に芥川自身による書き込みがあることをはやくに紹介したのは三好行雄氏で

ある(「芥川龍之介旧蔵書」/「日本近代文学館 図書・資料委員会ニュース」一九七〇年七月一日)。が、書き込みの一つ

ひとつを丹念に見て行くと、そこに芥川のチエホフへの傾倒のなみなみならぬものを感じとることが出来る。ことに、一九

一九(大正八)年に読まれた目ゲΦ仲巴窃o{日筈筈o〈の五巻、六巻に見える各作品末尾に書き込まれた寸評が、チエホフの

どんなところに芥川がひかれていったのか、それを語っていて興味はつきない。が、それはともあれ、書き込みの度合いか

一295一

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ら見て、芥川の興味は一、五、六の三巻によりむけられていたようだ(〔付11資料〕の1参照)。『秋』の重要なべースとし

て措定した目プΦ畠岳口σq(HQQ㊤O)”O臣。巳叶娼8琶①(目。。。。①後大幅改稿)”》時Φ陣蔓ω8曙(H。。。。㊤)冒日『①σq富ωωげo窓興P。。Φb。)冒

08ω①げΦ巳①ω(HOO㊤Qo)などの作品も、一巻と五巻に収められていたものである。チエホフのサハリン旅行をはさんでの一八

八〇年代後半から一八九〇年代の作品に集中しているところが面白い。

 チエホフには主義主張がないという人がいるが、作家はアジテーターでもなければ裁判官でもない。〈サハリン旅行前後〉

以降のチエホフ文学の素晴しさは、〈ありのままの生活を描きながらあるべき生活を感じさせる〉ところにある。暗い現実

に真正面から立ち向った真のリアリストの眼にある。芥川がチエホフに感動し、チエホフから摂取したものもまたそうした

リァリストの眼であったと言える。後年、芥川は「僕は」二九二六年)の中で、「僕はいつも僕一人ではない。……人生観

上の現実主義者、気質上のロマン主義者、哲学上の懐疑主義者」と語っているが、こうした感懐も源を辿ればその一つにチ

エホフの鑑賞体験があげられるに違いない。現実主義とロマン主義と懐疑主義と、それらは相対立してあるものではない

し、チエホフの文学がそうであったようにそれらは一つのそれぞれの側面として相互に支え合い統一的にあるものであろ

う。そして、そうしたものこそが真のリアリストの姿なのではないだろうか。チエホフの受けつぎである。特に、「懐疑主

義者」と自己を呼ぶところなどは、チエホフの懐疑をくぐった人でなければ出てこない言葉なのであろうから。

 現に見えないもの・とらえることのできないものをとらえて見せる、いや、そこまで行かなくとも、感じることができた

ら、感じさせることができたら、  リアリズムとはそうした願いに支えられてあるものではないのか。「未来の展望(実

践的展望)を用意するリアリズム」(熊谷孝「言文一致と近代散文の可能性」/「文学と教育」一九八三年十一月)というこ

とである。チエホフのリアリズムとはそういうものであった。そしてまた、芥川が摂取し培っていったのも、そういう意味

でのリアリズムであった。

一 296 一

Page 38: 芥川とチエホフ URL DOI - 明治大学一 261 一 一、 ヘじめに 史を振り返ってみたいと思う。その際、すぐに名前のあがってくる作家は広津和郎や正宗白鳥、井伏鱒二、等々である。芥

 チエホフの短編を読みながら、芥川はなんども「タッチがよい」とか「ウマイ」とか、「好短編」とか、同じ言葉を重ね

て寸評を書いている。鑑賞者であると同時に創作者の眼が働いている。リアリストであるチエホフの短編小説の方法へも眼

が行っている。書き込みをしながら集中的に読んでいった一九一九年段階のチエホフの鑑賞体験を契機として、芥川は、創

作上の一つの転機を迎えて行ったのである。

                                                    〔了〕

〔付1ー資料〕 日本近代文学館・芥川龍之介文庫蔵チエホフ英訳本及び芥川自筆書き込み一覧

- 芥川自筆書き込み一覧

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  ※○印は芥川の書き込み。

  ※表紙遊び紙に「即〉犀三四σq餌≦缶.μ①」の書き込み。

① Oβ匪⑦ミ亀の作品末(や謬)に書き込み。

  

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②・目≦o貢薗σq①象窃に赤のアンダー・ラインを引いた箇所(や同露~目①卜。)。

                                        〈注〉

  

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  〈注〉 原文は≦9σQ葺から行替え。前行末臣。の右脇空間に、「O。o衛げ暮口9①口oロσqどと、芥川の書き込みがある。

③ 日≦o件屋αq魯冨゜・の頁左側に赤の縦・棒線が引かれた箇所(ΨH①戯)。

  

@=。壽゜・8量帥巳団゜。ぢ8『2げ自二け器゜・お屋巴冨三①臣鉾8ヨ葺震7暑≦。=。げ。ω①ロゲ一の冨弱Φ゜。」冨鴫゜・①。ヨ巴け。8ヨ⑦蹄。ヨ

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④ 日毛o嘗餌σq①感①゜。に赤のアンダー・ラインを引いた箇所(ワ嵩Φ)。

                                                                     〈注〉

  

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一 298 一一

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@ 〈注〉原文は尋・から行替え。次行は謬二…から。・の二行の冒頭の書゜とr§一①゜・ωの左脇空間に・「°8ξと・圭日き

  

@ 

@込みがなされている。

  

D目毛。言pαq巴冨゜・の頁左側に赤の縦・棒線が引かれた箇所(や目ミ~嵩。。)。

  

@ 

@〉ロユロ=夢①≦餌二。日①察Hp。中昏。邑言。・。;陣・・鼠・。・。こ・巴〉巳邑”げ葺。;げ㊨:巳゜=ヶε①旦①斗雲<a

  

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香r 原文は8ロ,で切れ、ユ①ヨロ①匹から行替え。この山①ヨo巴辺の赤棒線外側の空白に「冒器8二団」と書き込みがなされている。

  

E 目≦。耳。σq巴δ。。の作品末(ワミo。)に書き込み。

  

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@日募冨8ヨ舅2壽珪・犀8塁廼冨。び『日・;・三畷・°・8蔓邑け雪げま暴。・け①H°

  

F ω一Φ。℃旨①巴の作品末(写H。。。。)に書き込み。

    <①qω窪開巳”げ葺匪卑、ω9三

 ⑧ 諺ロΦ<①耳の作品末(喝。b。嵩)に書き込み。

  

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   ↓冨σq。8⑦げ頸q・宮゜。『

   O臣一〇<①

   ※表紙遊び紙に「函.〉犀三9σq卑≦帥」、裏表紙遊び紙に「芥川蔵書」の書き込み。

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   ※一.ページ扉に「、6」の書き込み。

   ※三ページ中扉に「我鬼」の印。

  ① 日『①ユ霞ぎαQの頁左側に斜め棒線の引かれた箇所(や。。)。

     。『巴pm巳ざ。犀巴ヨ。H巴一犀。p。8葺蔓σQ8二①日碧\一『き⇔ヨ雪冒冨島ρ\、.国く①曙島品訂署⑦塁霧詫帥゜。。乙巴β。倉9σq印

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②↓『①餌帥島口σqの九ページ三行、ω①α舞①ぼの右上に「。巴日」と書さ込み。

③ ↓ゲ①畠島霞σqの頁右側に傍線の引かれた箇所(ウH㎝)°

  

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④ 日『①留島ロσqの頁左側に縦・棒線の引かれた箇所(℃.Ho。)。

   Q。9.■冨びΦαq目σq。ぎαq8臣①ゲ同αqずω。『。。ド匹ωヨ。チ段匹・冨「け巴8=費ぎく8げ9ω一こ・§.ω9巳ユこ詳g門g日三謀゜・{9爵。円

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⑤ 目『。山貰一すσqの頁右側に縦・棒線の引かれた箇所(℃°H㊤)  ④の続き。

                                        〈注V

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 〈注〉 原文はロ℃から行替え。σq①”の上部余白に「QD巨℃ξげ耳oo≦。躍三ζ匹霧。「ま①斜」と書き込みがある。

⑥ 目冨畠弩躍ロσqの頁左側に縦・棒線の引かれた箇所6°卜。O)  ⑤の続き。

8掌゜・冨ぎ島冨く。α・ぎ昌7霞書。♂転ρω冨≦。巳亀匿く・αq冨三け葺ゲ亘雪α蕾房。{け①巳①ヨ。・・。・・芝ず団つ≦8。き

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⑦ 目冨岳島⇒σqの頁左側に縦・棒線の引かれた箇所(7卜。O)。

  

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⑧ 目げΦ号臣ロαqの頁右側に縦・棒線の引かれた箇所(つb。ド)  ⑦の続き/作品末尾部分。

  

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  ⑨ 目ぼ。⑦岩胃ωの頁右側に二重線の引かれた箇所戸やH。。刈)。

  

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   〉σo暮8<o

   ↓冨巨8蔓§寄什

   ※一.へージ扉に「20」の書き込み。

一303一

Page 45: 芥川とチエホフ URL DOI - 明治大学一 261 一 一、 ヘじめに 史を振り返ってみたいと思う。その際、すぐに名前のあがってくる作家は広津和郎や正宗白鳥、井伏鱒二、等々である。芥

 ※三ページ中扉に「我鬼」の印。.

① 目ず①三{⑦の作品末(や①㊤)に書き込み(横書)。

   コンナ女モロシア、ニハヰルダラウナ

② U亜。巳け需。鳳①の作品末(や。。㎝)に書き込み(横書)。

   ウマイ/親父殊ニヨシ/二度目二腹ヲ立テル所/澱辣トシテヰル

③ 日冨oqH霧ωげo署霞の作品末(℃・旨刈)に書き込み(横書)。

   ○°。首∪団ヨ。くノ号/これによる乎/好短篇/女主人公が亭主ヲ人ノ/前デ大ツピラニ褒メルノ/ハ日本デ見ラレナイ図ダ

④ 》酔雷曼。。8蔓の作品末(℃・卜⊃お)に書き込み(横書)。

   勺Hoh窃゜。。H最もよく描か/れたり国象旨は穂物足らず/主人公の心境を描いて霊/活なる事↓。げ魯oくの独壇場/なり

⑤ 目『。暇ぞ矯8ロロ。旨。㎏の作品末(℃・謹O)に書き込み(横書)。

   好短篇/伯父O旨〈σQ雪来訪を十分に描れてゐるハ/どこかでd琴♂≦餌昌麟。の句がする

⑥ 目『o目卑ロぎ螢8。・。の作品末(やb。鳶)に書き込み(横書)。.

   ウマイ 末節殊ニヨロシ℃p浮o。。ガノコ/リゲロヨ。弩二満チテヰル

⑦ 〉げ09一。<。の作品末(娼゜。。O。。)に書き込み(横書)。

   ウマイ 独立した短篇ナラ最后ノ/一パラグラフ ハ 不用ダラウ

 ⑧ 目『。一98q膏犀①けの作品末(℃°撃Q。)に書き込み(横書)。

   巧ヲ極ムト云フベシ/ロシアノ宮島新三郎/評ロシテ生小咄デアル云々

   〈注V

   >ロoq目ωけト⇒Oチリお

      閑酋昌餌NP≦φ

  〈注〉 以下二行は大き目の字でぺージ下よりに記入されている。.

5 目『°巨窃゜{↓冨ゲ゜<”蹄゜ヨ暮゜図口里貴ぼ08°・け§。。Og昌舞゜い。巳。pO冨け8・<。ド≦6冨三g『餌巳。チ。『暮。H一。。。・

  HO目oQ.

   OO口けO口け昌a

一304一

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 一門げ①≦謬Oげ

 勺⑦印qゆ騨昌け≦凶く①ω

 目言宕゜。け

 目『①昌Φ≦〈一=角

 UH窪ヨω

 目冨℃な①

 》αq畦冨

 〉けOゲユω叶日90ゆ゜昏ヨO

  」一

 Ω塁①〈

     .一

 ]り『①しoけロ畠Oロ叶

 一ロけ『O門僧く一昌O

 日ず①汁偉昌δヨ餌ロ

   }

 =卑喝忌昌①ωω

 〉日9①{螢O齢OH

 勺㊦蝉ω餌口けoo

 ※一ぺージ扉に「21」(?)の書き.込み。

 ※三。へージ中扉に「我鬼」の印。

① 勺雷超巨乱く窃の作品末「(℃°戯①)に書き込み(横書)。

  急言ヴン評

    コンナモノダラウナ/作品トシテハ全クヨイ出来ト/モ思ハン

  ℃Φ器pg≦ぞ窃ノ評         ゜

   話シヲスル婦人ノ/下等サガヨク書ケテヰル

② 日『Φ娼。曾の行末右脇に「×」印の書き込まれた箇所(やお)。

 口9爵⑦肖チ①吻母H°・讐oh≦げ一〇げ昏oδ毛震①ヨ9口ざロo円

一305一

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③ 目冨唱oi■什の作品末(や切。。)に書き込み(横書)。

   気ノ利イタ小品

④ 】)【8日のの作品末(o°りり)に書き込み(横書)。

  

@ウマイ ガモウ少シ日島①げo<ナ/ラウマクモ書ケサウナ気ガスル

⑤ ↓ザ。且℃。の作品末6°H昌)に書き込み(横書)。       」

   】)帥ロ島9ヲ想ハシム

⑥ 〉ぴq鉱旨の作品末(℃°お心)に書き込み(横書)。

        -」

   八分ノ出来

⑦ 〉叶。冨同ω旦p。ω-昏日①の作品末(掌H忘)に書き込み(横書)。

   ウマイ 一字ヲ増減スベカラ/ズダ

⑧ Ω口器くの作品末(℃°鵠刈)に書き込み(横書)。

   大手腕 敬服二堪ヘン

⑨ 目『①曾巳①艮の作品末(℃°嵩0)に書き込み(横書)。

          (マこ

   ω件巳①三カヨク書ケテル

                            〈注V

⑩写ひo犀く言①の頁右側に縦・棒線が引かれた箇所戸℃°鵠刈)。

    、.犀、ω8巳ヨ匹品v.、ω匿=冨」8鉱品讐チ。ぎ羅・

  

q注V 棒線右脇に、「ウマイく」と書き込みがある。

⑪宣憂釜①の頁左側に縦叡鵬が引かれた箇所・”.卜・§ 作品末尾部分.

  

@ 

Z三゜訂巳.寄パ゜〈蓄艮8{巨耳8亀8託ω巳;・ぎa琶犀冨穿魯=■ぽ二冨日話。H。註≦帥・。

彦ぴ長:巳量①舞゜・四゜・§・・冨゜・げ゜ピ膏且℃鉾。暮甕畠・§巴=巳。げ・三コ号ロ山書。昌チ。。匡

  

?@琶鼠辞ぼ冨β目冨σ睾巴傷。毒δ≦・巳ω巴兜

    ..O°°餌゜①<。巳品》O話。q勺①ぎ葺。ゲ゜..

  

@ c円§件ゲ゜二゜9ぴ゜琶山゜毒゜↓冨。匡爵窮ρ§・含・負゜・畳品8什ぎσ・冒。犀。自=冨ヨ。陣コ・。苛コ。①い

ρ三曇品9巳募馨h・ま{雪゜・°ξ署。ぎ・・。;・;・岳.--げ・集畳§・ζ・。β目コロ『口。<①『即昌匹

ヨ①けξ。匡

ヨO口 ≦9ーー O口

ま巴凶窃毒①冨

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一 306 一一

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    工。80犀#導傷げ。σqき。巴ロσq°

  

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@臣①。。巨ゲ巴9ロ睾。。①訂騨。・αqぎ≦畠窪睾畠8渉①δ醇儀菩。〈ρ摩αqお≦紆蒔国巳8。[い言四巳℃霧ぎく巻乏餌貯a

  

@。:巳h。H・.。藷爵£冨二睾。§・冨旨巳・・。ぎ…

  

@ q〉棒線にすぐ続けて、「§・げ昌/ウマイ/所々スキガアルガ」と書き込みがある・

  

K目『①ゲ巨冨ヨ§の頁左側に縦・棒線が引かれた箇所(やト。お) 作品末尾部分。

  

@ °国£舘冨・§居配・。邑g°8註乱琶旦゜ξ゜蓄圃゜

     、.08争9p団①σqg≦鎖゜・臨け。7、、°。冨゜・既負日8冨巳。⇔ξ一舞8σq件冨昌ロ三p

  

@ 

@=ρ壽蒙匹ξ≧8σqH。巴”ωけ邑。qゲ冨吻茸。三゜・欝唱゜Q。亘旦①。巳馨ま三⑦ω゜・9。q。麟゜・け函εΦ》°・8。匹レ臼。矯①゜・ω。巨品①巻q

  

@ω8℃冨8。『しug臣。H巴。{募゜・=昌ヨ昏巴巨。けげ①留蒔8ざ5。h巨゜。ぎ口゜・①3ぼ゜・°・8蕩8巳傷ロgげ。°・①①pm巳チ。

  

@ユ。αq8巳飢ぎpげ。ユ暮品⊆導巴ぎヨ匪。げ。g」■°2。仲露品8巳山げ。°・。撃げg臣。8㍗僧巳…°・巳仙巴鴫嘱①σQg耳昌巴島

  

@゜・冨琶矯巨。臣①号巴昌αq印民匪①。巷話巳ωゲ巴言け冨σQ「8自①ωω゜

  

@ 

@..O。。供9ρ<・α。9≦薗ω巴け。互、、毛募唱興巴℃①冨①。》印巳゜・冨゜・8a898。8m8酔冨≦露。。昌88目自p

  

L日ゲσゲロ三mヨ磐の作品末(℃.卜oお)に書き込み(横書)。

     末段可憐ナリ ≦o昌ξ8ロ跨/ト云ウベシ

  

M、=巷豆ロ。ω。・の作品末(Ψ卜。零)に書き込み(横書)。

     ウマイ山暮冨日餌ロヨリ/遙ニョイ出来ダ

  

N〉日巴①貯99の作品末(℃°卜。蕊)に書き込み(横書)。

     莫迦野郎ガ或冨30°・ヲ以テヨク/書カレテヰル

ー1

@無書き込み本一覧

㈲目冨野゜。u貰仙。ひ曾吻§一。ρ只ヰ。ヨ仲冨寄路きび団菊』°い。品゜ピ。巳。pUロ。犀毛。嵩『おO°。°

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一308 一

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働目冨巨。°。o{目。冨8<猟H。ヨ

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》山。践ぴ。量

.〉ゲ昌塁①巳首σq

目げ。80鉦ロσq-σq野゜。

O=品⑦

∪勢蒔口o°。ω

↓冨げ。σQσQ母

》。。8q三9。耳帥叶三①

【口け8仁三〇

喝昌ωけ

》q。「畢畠臼

】≦ヨ偶-■言{臼ヨ①見

08①oω貢翅

↓冨甘§o窟。巳臼

》臨①{8°巴σ゜。砿②①舞日゜

〉昌〇三典ヨo瓜。嵜言屋

〉冨O冨日き

》件昌.ロ窪霧oヨ①忌゜。ぎ「

》ロ碧8「.-曜①旨亀

以上

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