仏教から学ぶべきキリスト教»教と...のころ、ドイツの有名な神学者であったromano...

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ヤンヴアン ブラフト(南山大学名誉教揖) 群馬大学北軽井沢研修所 2004 年、 8 月、 19 皆様の前でお話するように誘われましたのは大変光栄に存じます。ただ、誤解を招かな いように、お話に入る前に、二三の点に関しまして前置きしておきたいと思います。 (1) 40 年間勉強してきた私の自には、仏教は確かに人類の偉大な遺産に見えています。 すなわち、歴史的に深く、国際的で、かけがえのない真理を含んでいるような、霊的運動 として現われています。 ( 2) キリスト教が他宗教から学ぶべきだと言えば、それは、先ず第一に、仏教からでなけ ればならないと思います。何故かと言いますと、仏教の論理はキリスト教のそれと最も違 いますので、そのためにこそ、仏教とキリスト教はお互いに補足し合うことができると、 十分に考えられるからです。この点では、私は周辺先生とまったく同意見です。 (3) 私は 40 年前に、京都大学の宗教学講座・回辺先生の弟子であられた武内義範先生の 講座で勉強した関係上、仏教と京都学派の思想を同時に、ある意味で一緒に学んできまし た。それで、宗教である仏教と哲学である京都学派の思想との関わり方に関して、ずっと 疑問を抱きながらも、やはり京都学振の思想を、仏教という土壌に育ったものとして感じ 取ってきました。 以上を前置きとしますが、私の今日の話は次の三つの部分からなっています: I 仏教から学ぶべきキリスト教 E 私の仏教(の普通のイメージの)批判 田辺元先生とキリスト教並びに仏教 I 仏教から学ぶべきキリスト教 第二次世界大戦の前までに、もしあるキリスト教徒が、「キリスト教は仏教から学ぶべき ものがあるJ と主張したとすれば、彼は破門されたに違いありません。しかし、終戦直後 のころ、ドイツの有名な神学者であったRo mano Guardini は、誰よりも早く、仏教がキ リスト教にとってどんなに大切な存在であるかということを“見い出しました'二彼は「仏 教は、キリスト教のその長い歴史において出会った挑発の中で一番大きなものかもしれな い」と書きました。それから、 1962 年から 1965 年にわたってローマで開催された 第二バチカン公会議は、ょうやく他宗教に対して積極的な態度を取って、その存在や価値 を公に認めたわけです。それは、当時まだ他宗教に対して極めて排他的であったキリスト 教にとっては、識に革命的出来事でした。 同じ時期からー否、もう少し前からと言ってもし、いかもしれません一日本でも、仏教に 近づこうとするキリスト教徒がおりました。プロテスタントの側では、西国先生の弟子で ....2 .....

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  • イu攻と~リ Ã ト孝生とEヨ辺Z牙己タ~三

    ヤンヴアン ブラフト(南山大学名誉教揖)

    群馬大学北軽井沢研修所 2004年、 8月、 19日

    皆様の前でお話するように誘われましたのは大変光栄に存じます。ただ、誤解を招かな

    いように、お話に入る前に、二三の点に関しまして前置きしておきたいと思います。

    (1) 40年間勉強してきた私の自には、仏教は確かに人類の偉大な遺産に見えています。

    すなわち、歴史的に深く、国際的で、かけがえのない真理を含んでいるような、霊的運動

    として現われています。

    ( 2) キリスト教が他宗教から学ぶべきだと言えば、それは、先ず第一に、仏教からでなけ

    ればならないと思います。何故かと言いますと、仏教の論理はキリスト教のそれと最も違

    いますので、そのためにこそ、仏教とキリスト教はお互いに補足し合うことができると、

    十分に考えられるからです。この点では、私は周辺先生とまったく同意見です。

    (3) 私は40年前に、京都大学の宗教学講座・回辺先生の弟子であられた武内義範先生の

    講座で勉強した関係上、仏教と京都学派の思想を同時に、ある意味で一緒に学んできまし

    た。それで、宗教である仏教と哲学である京都学派の思想との関わり方に関して、ずっと

    疑問を抱きながらも、やはり京都学振の思想を、仏教という土壌に育ったものとして感じ

    取ってきました。

    以上を前置きとしますが、私の今日の話は次の三つの部分からなっています:

    I 仏教から学ぶべきキリスト教

    E 私の仏教(の普通のイメージの)批判

    直 田辺元先生とキリスト教並びに仏教

    I 仏教から学ぶべきキリスト教

    第二次世界大戦の前までに、もしあるキリスト教徒が、「キリスト教は仏教から学ぶべき

    ものがあるJと主張したとすれば、彼は破門されたに違いありません。しかし、終戦直後

    のころ、ドイツの有名な神学者であったRomano Guardiniは、誰よりも早く、仏教がキ

    リスト教にとってどんなに大切な存在であるかということを“見い出しました'二彼は「仏

    教は、キリスト教のその長い歴史において出会った挑発の中で一番大きなものかもしれな

    い」と書きました。それから、 1962年から 1965年にわたってローマで開催された

    第二バチカン公会議は、ょうやく他宗教に対して積極的な態度を取って、その存在や価値

    を公に認めたわけです。それは、当時まだ他宗教に対して極めて排他的であったキリスト

    教にとっては、識に革命的出来事でした。

    同じ時期からー否、もう少し前からと言ってもし、いかもしれません一日本でも、仏教に

    近づこうとするキリスト教徒がおりました。プロテスタントの側では、西国先生の弟子で

    ,....2.....

  • あった滝沢克巳、有賀鉄太郎、武藤一雄、土井真俊、などで、カトリック側では、禅研究

    で有名な He阻richDumo叫担、いわゆる「カトリック座禅Jの運動を始めた Enomiya-

    L邸 salle、押田神父などです。この人たちは皆明らかに、仏教から学ぽうとし、う態度を取り

    ました。

    A 学ぶ動機

    キリスト教が仏教から学ぶべき動機はおよそ次のようなものでありましょう:

    1)土着という動機。すなわち、キリスト教がその歴史において身につけてきた「西

    洋的衣JG童藤周作の言い方ですが)が日本人としての自分に合わないという感じか

    ら、自分の信仰のより東洋的地盤を見つけたいという動機。

    2)対話という動機。すなわち、自分がそれに固まれて生きている仏教への通路・橋

    渡しを作ろうという願望。

    3)キリスト教の弱点の自覚とも言える動機。この自覚は、キリスト教が現在生きて

    いる危機の自覚と深くつながっていますが、その弱点の多くがキリスト教が一方

    的に西洋の文化の中で育ったということから生じているという自覚にもなります。

    もう少しバランスの取れたキリスト教になるように東洋から学びましようという

    考え方です。

    B. 学ぶべき点

    では、キリスト教が仏教から学ばなければならないと思われるところはどういうもので

    しょうか。一般的にいいますと、それはキリスト教の(今ますます自覚される)弱点に相応す

    る仏教の強い点でしょう。自分なりに、今まで仏教との対話からわかってきた、そういう

    ような点の(一応の)リストを提供しようと思います。時閣の関係でその点を十分に説明でき

    ませんが、皆様のお許しをお顧いしたいと存じます。

    宗掛き哲学の存在と不在

    仏教は、内面的に宗教的である哲学、すなわち、本当の意味での「仏教的哲学」をもっ

    ています。それは、世界の宗教的経験をその出発点として、それを体系的に説明すること

    ができるような適切な論理を作り出した哲学なのです。

    それとは違って、キリスト教には、内的にキリスト教的な哲学はありません。自らの宗

    教的経験や教えを表現・説明するにあたって、キリスト教は自分の独自な哲学を作る代わ

    りに、ギリシア哲学を取り入れたわけです。しかし、顧みるに、本来地上の世俗的現象を

    基礎付けるために出来たギリシア哲学は、宗教的現象(西国先生の言葉を借りると、「心霊

    上の事実J)、つまりキリスト教的経験、を理解・表現・整理するのには余り相応しくない

    と言わざるを得ないのですロ実に、霊的事実になると、仏教的論理の方がはるかに適切で

    qu

    0'

  • あると言えます。

    それで、キリスト教の神学を考え置し、それをいわゆる「ギリシア的とらわれJ(Greek

    Captivity)から開放しようと思えば、仏教のより宗教的な論理や範曙は大いに参考になる

    はずです。

    否定性の積極的な評価

    宗教ー特にいわゆる「世界的宗教Jーにおいては、否定性が大きな役割をしているに違

    いありません。この点では仏教は一番典型的な実例かもしれませんが、キリスト教も例外

    ではなく、深い否定性(さまざまな否定的契機を)含んでいるわけです。たとえば、人聞

    の罪深さ (f原罪J)の大きな役割、 f受肉Jにおける神の子の「空化J(KenosI8;フイリッ

    ポ人への手紙、 2:6-9参照)などを挙げることは出来ますが、特に注目すべきことは、キリ

    スト教の中心的な教えがイエス・キリストの死を通じての復活であるということでしょう。

    しかしギリシア哲学は、否定に対して肯定に絶対的な優越を与えるような、実体(物体)

    を存在のモデルとする「有Jの哲学であって、それで以ってキリスト教の否定性を十分に

    解釈することはできないのではないでしょうか。いわば、ギリシア哲学が様本的に直接肯

    定の論理であるのに対して、キリスト教は否定を媒介とする肯定の教えと言えるでしょう。

    ギリシア哲学とキリスト教との f矛盾jを、たとえばLangdonGilkeyは次のように指摘し

    ています:

    一方で、もっぱら神の「有j を主張して、他方で、神の子の死にその中心を持つ

    キリスト教(神学)の教理は、多少矛盾しているのではないか。純粋な「有」よ

    りも、有と無の弁証法の方が真実のキリスト教にふさわしいのではないでしょう

    か。

    皆様ご存知の通り、仏教の論理においては、肯定(有)よりも、否定(空、無)の方が

    中心的になっています。それで、キリスト教の f教Jと「行Jにおける否定性の内容と構

    造を理論化して説明するに当たっては、キリスト教の神学が仏教における「空Jの論理を

    参考にすべきだと考えても無理ではないと,思われます。

    特に神の本質を考える時に、「有j という範晴が不十分で、同時に「無j という範暗にも

    積極的な役割を与えなければならないのではないでしょうか。ただし、「神即絶対無Jとは

    言えないと思います。

    二元論の克撮

    仏教の思想がキリスト教の神学に対して、もっとも有益な働きを持ちうるのは、従来神

    学において、ギリシア哲学の枠組みの中で、あまりにも二元論的に考えられてきた事柄の

    相互依存を明らかにするところにあると思います。たとえば、「信J(信仰)と「覚J(知恵・

    -4-

  • 理性)、神と人問、神を知ることと自己を知ること、宗教における主観と客観というような

    ことを考える場合においてc ご存知の通り、二元論の突破は、仏教においては多くの場合、

    「即Jとしづ言葉で表現されるわけです。

    たとえば、神という概念にそれを当ててみれば、キリスト教の伝統では、相対立するこ極

    端の聞からただよいと恩われる方だけは神に与えられるわけです。たとえば、善と悪なら、

    神は善といわれる。しかし、仏教的に言えば、その善は悪に対立しない善でなければなら

    なく、神は善即悪と言えるでしょう。同じく、神はただ、無に対立する「有Jではなく、「有

    即無Jであると。

    生活態度にそれを当てはめるなら、キリスト教ではよく、「人生は悪に対する善の戦い

    だ」と言われて来ました。そういう考え方だけでは、ひどい敵対心と排他的態度になりが

    ちでした。仏教徒がよく指摘するように、その考え方は, i天の父は、悪人の上にも善人の

    上にも太陽を上らせるj というイエスの考え方によって補足されなければなりませんc

    人格と無我

    ご存知の通り、キリスト教においては、「人格j というものが非常に大事な概念です。神

    も愛する方、そして愛されるべき方として経験されますし、人間の各個人も、神の自にお

    いてかけがえのない人格と考えられます。「宗教とは何かJという書物において、西谷啓治

    は、「人格としての人聞という観念が、従来現れた最高の人間観念であったということは疑

    いない。j (7 3頁)と書いています。しかし、同じ西谷先生も指摘しているように、西洋

    近代以来、その観念の悪用はひどい自己中心主義とともに、個人の気の毒な孤狙に導いた

    わけです。

    その結果、キリスト教神学では、改めて「人格Jという観念のことを反省する必要が生

    じてきました。神学の中でも、時代の精神に影響されて、人格のことは、自分の中にのみ

    生きて、自分の中から生じてきたものとして見られていたのではないでしょうか。この点

    でも、仏教の教え、つまり無我の教えは反省の一番いい材料と思われます。キリスト教は

    無我の教えをそのままに取り入れることは出来ないと思いますが、人格と無我の一種の総

    合を狙うことは出来るのではないでしょうか。

    顧みると、西洋の近代において、人格という観念に関して、このような動きがあったと

    いうことは、極めて皮肉なことです。と言うのは、「人格jと言う言葉はラテン語の Pe:rsona

    という言葉の訳語で、キリスト教の神学において Personaという概念が始めて明らかに出

    るのは、三位一体という教えが表現された時でした。そして、三位一体の iThree Personsj

    は決して、各々自分の中に閉じこもったものではなしに、かえって相E相入するもの、「回

    互的」なもの (c仕cumince朗 io) として考えられました。先に各自が実態として存在して、

    それからお互いに関係するものではなしに、かえってお互いの関係によって成立するもの

    として考えられました {rela加盟88Ubs羽ten蜘,自存する関係)。つまり、もし西洋の思想

    FO

  • においてpratityasamutpacla (縁起)とし、うような考え方があれば、それはかえって三位

    一体のp世田闘に関してなのです。

    信仰箇条と主観的な宗教体験

    キリスト教が次に学ぶべきところは、「仏に会えば、仏を殺せJとし、う禅宗のスローガン

    からではないかと患います。との禅語の解釈はさまざまあるかも知れませんが、私はそれ

    を次のように理解したいのです。宗教的に言って、自分に対して立って、自分の心(主観)

    とまったく関係のないような信仰の対象は、偶像だと言う意味で。

    神に向かって、冗lOverimme, noverim te" (自分を知り、あなたを知るように)と祈った

    聖アウグスチノはそれと同意で、信仰の対象として神と自己を切り離さなかったわけです。

    しかし、キリスト教の現在の姿を見ますと、それはだ、いたい非常に"dogmatic"な宗教に見え

    ています。すなわち、信仰箇条の客観的な内容とその正しい表現・公式化を過剰に強調す

    るので、信徒の心の中のそれらの内面化や、信仰による人の変化(改心)を忘れるようにさえ

    見えます。それは、人々が宗教の実りを経験したいという現代においては、キリスト教の

    弱点に違いありません。

    仏教は伝統的に内面化を強調して、その実現を禅定に期待して、そのために禅定(止観)

    のさまざまな方法を提供してきました。キリスト教は仏教から禅定・膜想の重要性ととも

    に膜想の具体的な方法を改めて学ばなければならないと恩われます。幸いにもその動きは

    すでに見えて来たように思います。

    ついでに言いますが、キリスト教の伝統は、人間の心の中の悪・煩悩の克服を、主とし

    て意志的努力から期待してきましたが、実際には、その克服が、そういう努力よりも、(禅

    定において得られるような)自分の心の智識によるという仏教の伝統的な知恵の方が正し

    いと思われます。[西洋では、始めてこの洞察を得たのは、 SimoneWeilという今世紀の哲

    学者であったようです。彼女はこの方法を、t旬ntion"(注意)と名づけました。]

    Prati砂'lrs.阻 utpada

    最後にキリスト教が学ぶべきところとして挙げたいのは、ほかでもなく仏教の大黒柱、

    又は仏教のもっとも輝かしい宝とも言える「縁起説J(praü抑'samu伊~ada)という教えその

    ものです。自分をも入れて、万物を、各自自分の境目の中に閉じこもった実体として見る

    代わりに、物の間の境目をつぶすような、この[関係主義]の方が宗教的に優れているという

    ことが自明であると思いますので、この点について余り説明を付け加える必要はないでし

    ょう。もし本当にその考え方を内面化して、それを自分のものにすることに成功すれば、

    そのことだけで私は立派なキリスト者、すなわち、もっぱら神と人のために生きたイエス・

    キリストの本当の弟子になるでしょう。

    民U

  • 以上、キリスト教が仏教から学ぶべき点の一応のリストを挙げましたが、このリストは

    もちろん余すところのないものではありません。その印しとして、もう一つの点、すなわ

    ち仏教では[四無量心]と言われる槙想方法を挙げることにしましょう。皆さんよくご存知の

    通り、キリスト教は絶えず愛のことを口にしますけれども、この「四無量心」こそ、自分

    の心の中に愛を育てるための優れた方法と言わざるを得ないので、キリスト教の霊性がそ

    れを取り入れたらいいのではなし、かと思われます。

    E 私の仏教思想の批判

    私は仏教を、人績の歴史における広大な宗教的・量的運動として漂〈尊敬しているに遣

    いありませんが、そうとは言っても、私は仏教(とりあえず仏教の普通の説明の仕方)に

    関して、疑念、疑惑、懸念を抱いていないわけではありません。今、この疑念について少

    し語らしていただきます。

    (1) Ijμ.~1II!éj として普段提供されるものは、およそ「思想史J のように聞こえるの

    ではないでしょうか。それが宗教としての仏教の本当の歴史であるということは、私にと

    って極めて信じがたいのです。

    少し象徴的に言いますと、仏教という宗教は、ただ(やや哲学的な)教え(仏教)では

    なく、むしろ仏道 (Buddhamarga)ではないでしょうか。数年前にアメリカの仏教学者が

    書かれた h 凶sto L伽 'Z'lltion.The Ma伊 andits Tran劫 'Z'mlltionsin Buddhist

    thought1という本はこの点を強調しています。その序論において、編集者は仏教の歴史の

    dynamIBmが一定の"益金・gi吋ng阻 tinomy"1こ存すると主張しています。すなわち、

    「仏教史の原動力は、一種の生かすような二律背反、 すなわち、その宗教の教

    理的発言とそのもっとも独自的な情意的な戒めとの聞の創造的な緊張にある。 j

    (26頁)

    それで、彼らが進めるのは、

    「仏教の情意的なところ並びにその「道j であり、そこには、普段「空Jとか、

    それに類似する概念に与えられる価値と同等な価値を与えるような仏教史の捉え

    方J(27頁)

    なのです。彼らによると、こういう捉え方によって現れるのは:

    「日常の人間的関心ごとから疎外されていないと同時に、世界における超越に一

    層敏感である仏教J(2 7頁)

    です。少し別の角度から言いますと、仏教が "Dh町 ma-yana" (法乗)と同時

    に、 "Bud,品a-yana"(仏陀乗)であるということを十分考慮すべきだと思います。

    1 Robert E. Buswelll Robert M. Gim.el1o, eds., Honolulu: University of Hawaii Pre風1992.

    一7-

  • この点では、田辺元先生の、キリスト教に対する批判が参考になると思われます。とい

    うのは、田辺は「聖パウロに於いてキリスト教はイエスが教えた教えからイエスを教える

    教えになった。Jと批判しました。それを仏教に当てはめるなら、およそ「仏教は釈尊が教

    えた法 (Dharma)から釈尊を中心とする道になったjということになるでしょう。しかし、

    宗教である限り、その両者を切り離すことは出来ないでしょう。たとえば、仏教の歴史に

    おいて「仏陀の現存への憧れJがどんなに大きな役割をしていたかということは、たとえ

    ば法華経から伺えるでしょう。

    そういう立場からしますと、仏教の原点は、単にお釈迦様が教えた「四聖諦j、文は「縁

    起説Jにあったとは言えないと、たとえば曽我量深氏は強調しています。

    「そうし、う釈尊の自証と言うものを例えば四諦とか十二因縁と言うものにおいて

    十分表現されたのでしょうか。単にそれのみに依って仏になる道と言うものが出

    て来るのではないでありましょう。それ等が本当に仏道に相応し、仏道の方法と

    しての菩薩道であるが為には、それ等の法門を裏づける所の釈尊の背景、背景の

    伝統と言うものに照らされ摂取せられて、そうして始めて、なにか知らぬけれど

    も一つの生命、そう言うものがそこにあるのではないか、とう私は思うのであり

    ます。J2

    そしてBernardFaureは次のように書いています:

    「四聖諦の合理的仏陀は、根本的に、彼のインドにおける先駆者に対して、大き

    な独自性をあまり見せない思想家である…仏教というものは、仏陀と、非神話化

    による彼の教えに還元されえない。純粋に合理的な仏教は影のないもの、いつま

    でも理論にとどまるように運命付けられた仏教であろう….すべての後の仏教思

    想は、そのあまりにも単純な見方を脱出するように勤めてきたのである。J3

    世3エPート向き

    仏教と出会った時から、私がなんとなく持ち続けた印象の一つは、仏教(特に大乗仏教)

    が対象とするのは、一般の人ではなく、かえってエリート、すなわち出家であって、従っ

    て説明してくれるのは、完全への途中の道ではなく、もっぱら完全の天辺であるというこ

    とです。

    (3)禅と日本の宗教性

    私の次の懸念は、禅を日本の自然的霊性と同一視する、日本仏教のある代表者に向かっ

    ています。私はその傾向を主として鈴木大拙の『日本の霊性』の中に出合ったのですけれ

    ども、西谷敬治も所々そういう風に考えているようです。しかし、そう考えますと、神道

    2 r曽我量深選集』第五巻、 407頁3 Be:rnaid Faure, Boudd肱:mes,phi1osophies, et reli,訴;ons.Paris: Flammarion, 1998, p. 247.

    只u

  • というものはどうなるのでしょうか。

    (4)独走する否定性

    しかし、私の、仏教の論理に対する最も深い疑惑は、ほかでもなく、その論理の(一方的

    になりがちの)否定性に対してです。というのは、空の思想、空の論理といわれるものは、

    正しく使われた場合においては、宗教的に非常に大事であることは上に言われた通りです

    けれども、その正しい使い方が大変微妙であって、大多数の場合には、それが悪用される

    (乱暴に利用されている)のではないか、というのが私の強い印象ですc 私のこの懸念は、

    駒津大学の松本史郎の次の言葉においてきれいに表現されていると思います:

    「空は、現実の仏教史において、ほぽ例外なく、都合のよい理論として安いに用

    いられてきた。J4

    ちなみに、皆様に微妙な質問をしたいと患います。今言ったように、余り優れていない

    教学者が、空の論理を扱うときに、過ちを抱しでも、不思議と思わないけれども、龍樹菩

    薩の場合はどうでしょうか。大変恐れ入れますが、私にはなんとなく、龍樹ご自身も、縁

    起・空の説を説明して、すべてのsvabhava自性を否定する理論の中に、論理的な間違いを

    犯しているという感じがします。というのは、彼が、中世のスコーラ哲学において盛んに

    でてくる区別、すなわち、nsase"(自分からのもの、他に全然依らないもの)と、nsin se"

    (他によるけれども、自.分において存在を持っているものーたいてい"8ubstantia"と言われ

    るもの)との区別を見逃しているのではないか。龍樹のsvabhavaはスコーラの両概念のど

    ちに当たるでしょうか。彼がe田 aseの非存在を証明したと言えても、 e田 Inseの非存在

    をも証明したわけではないようです。しかも、自分において存在を備えていないものの聞

    に関係(縁起)が成立するのでしょうか。でないと、,絶対的一元論に陥るのではないでしょう

    か。 5

    tも1慈悲は本当に大事にされているのか次に仏教の思想(教学)に対する批判として挙げたいのは、宗教としての仏教(特に大乗の

    理想的姿、すなわち普船においては、慈悲というものが智慧と同等な位置に上げられるに

    もかかわらず、教学は、慈悲とは何かということを余り分析しないで(例えば、慈悲におけ

    る他者のこと)、慈悲を最後的に智慧に還元する傾向を見せるということです。

    (6)利他=1!t1t>>3

    最後に軽く触れたいのは、私が好んで日本仏教徒の「悪い癖Jと言うことです。正直に言

    4 松本史郎、『縁起と空』。東京:大蔵出版、 1989、336頁。一著者もいわく:i空思想を絶対の真理と考えられなくなったJ(問、 1頁)5仏教における空の思想に対する、私の大組な(おろかな)批判には、 13年前に発表した論文、「空の思想と浄土教J (r大乗禅~ 1992年、 7・8号を参照。

    -9-

  • って、私はそれを聞くたびに、少し憤慨します3 すなわち、手IH也の話をするときに日本の

    仏教徒が、ほとんど例外なしに、利他を教化と同一視するということです。そうすると、

    慈悲の範囲は霊的なものに限られてしまうわけです。仏教には一体人間の物体的エーズに

    対する慈悲は存在していないのか。

    E 田辺先生とキリスト教

    皆様ご存知の通り、 1948年に発行された『キリスト教の弁証』という書物の「序」

    の中で、先生はご自分とキリスト教との関係を顧みています。先ず、一高時代の初めての

    キリスト教への関心を思い出しています。すなわち、「精神の自由解放を求めているJ青年

    にとっては、やはりそれは「青年のヒュマニズム的要求に一層よく応ずるものとして、同

    じくヒュマニズムとともに西洋近代精神の産物たるプロテスタント・キリスト教であったJ

    と感じていたわけです。それを思い出してから、次のように書き続けます。

    「この時以来キリスト教をみずからの対決すべき問題として負はされた。爾後

    40年キリスト教との対決は、私の課題であったわけである。J(3頁)

    「対決すべきj という言葉は非常に大事な言葉でしょう。その言葉から、田辺先生も、

    西田幾多郎と同じく、キリスト教をまじめに、大切な挑発として、受け取ったということ

    が伺えます。しかし、対決の雰囲気が感じられない西国の場合と違って、田辺先生の場合

    には、ある程度の対立、反抗という意味合いも入っているように感じられるのではないで

    しょうか。それに関連して、武藤一雄の文章を引用する上回閑照氏の次の言葉が意味深い

    と思われます。

    [西田の哲学において、「キリスト教的有神論に対する批判を見出し得ないわけ

    ではないが、しかもキリスト教信仰のありのままの本質・真理というものに対し

    て、田辺先生以上に深く肯定的であるのは不思議なほどであるs 例えば、西国先

    生においては、キリスト教信仰の核心ともいうべき神人のパラドックスも、非神

    話化さるべき対象などとしては考えられておらず、むしろそういうパラドックス

    こそ、実在そのものの根本的事実をあらわしていると考えられていると,思う」と、

    キリスト教の立場からも言われ得るような仕方でキリスト教の真理、キリスト教

    信仰の事実がとらえられているのは、どういうことであろうかという問題であ

    る0]6

    それと違って、田辺先生は、哲学者として、キリスト教の神話的なところに強く醸きま

    した。

    「キリスト教の復活救済の教えは、それを無媒介なる形而上的事実と解する外な

    きものであったために、到底信ずべからざる神話として映ずるより外なかったoj

    6 W上回開照集』第十一巻、 95頁。

    -10-

  • 7

    そのためでしょうか、大学生時代でも教授時代でも、田辺先生がキリスト教のことをあ

    まり考えなかったようです。ご自身があとから認めるように、 f長い間キリスト教をほんと

    に見る立場はなかった」が、『繊悔道としての哲学』とともに、「キリスト教の真理に、始

    めて目を開かれるような感をいだいたJ8と。顧みて、田辺先生は f年来私を牽引すると共

    に反援したキリスト教j と告白しました。

    (A) 伺辺先生が反援したキPスト教

    田辺先生はそのことを次のようにも表現しました。「私のキリスト教に対する反援の

    因由となり、私を蹟かせたパウロの信仰と神学J9 すなわち、イエスご自身が教えた神の

    国の代わりに、その死・復活によって救い主となったイエスを信仰の中心的対象とする宗

    教。田辺先生によると、キリスト教は、いわば第二宗教改革として、そういう信仰からイ

    エスが教えた神の国の福音へ婦らなければなりません。

    一言で言えば、田辺先生が反援するのは、キリスト教において理性と両立できないと思

    われるような、神話的なところです。例えば、「キリスト復活の信仰は、従来教会正統的

    信条に規定せられたごとき内容のままでは、科学と歴史とが到底それを承認すること能わ

    ざる、奇跡的神話伝統に過ぎないのであって、之を洗い清めて、理性の媒介を容れるもの

    たらしめるためにこそ、弁証が必要とせられる。J10

    または、「私が哲学の立場を守るかぎり、規制的キリスト教者たる能わざる。J11

    そして、キリスト教の神概念に関して、「キリスト教が、ユデヤ教に従い、有なる人格神を、

    直接無媒介なる意志の発動行為者として思念する。J12または、「神を弁証法的媒介以上の無

    媒介なる有として見る。J13

    それで、田辺先生は次のようにキリスト教に要求します。「科学と相容れない神話的要素

    を完全に払いすでるのでなければならないcJ 14; r人格神の内容も哲学的にあくまで否定媒

    介的なるものとして、無の象徴でなければならない。J15; r愛の自己否定的なる媒介に徹底

    する。J

    一種の結論として、田辺先生は付け加える:rその限りでは、キリスト教の傍教化が必要

    7 rキリスト教の弁証』、 4頁08 問、 10頁。自問、 14-15頁。10 問、 55頁。11 問、 418頁。12問、 48頁。13 問、 49頁。14問、 14頁。15問、 435頁。

    -ll-

  • であるcJ 16又は、「傍教の原理たる無の弁証法的論理を徹底すること。J17それにも拘らず、

    田辺先生は、自分なりにキリスト教徒になりたかったようです。『キリスト教の弁証』にお

    ける有名な文章では、先生は自分を「あいにく eingewordener Christになりえない ein

    werdender ChristJ 18と名づけています。あいにく、[キリスト教そのものの哲学的難点、の

    ためJr哲学の徒たる限り、私は永久にこれ (einwerdender Christ)に止まり、 ein

    gewordener Christたることはないであろう。J19

    田辺先生の『キリスト教の弁証』の主なテ}マは、疑いもなく、 f(到底科学と両立し得ざ

    る)パウロの神学から、(何人にむ開かれた門)としてのイエスの神の国の福音へ帰れJ20とし、

    う(第二宗教改革への)呼びかけでした。回辺先生はその中に、キリスト教の最も根本的

    な対立契機を見て、そのうえに自分の弁証法を建てたわけです。

    しかし、正直に言って、その弁証よりも、同じ書物における、神の概念の弁証の方が興味

    深く、キリスト教神学にとって大いに役に立つものではなし、かと思います。 例えば、田辺

    先生の次の文章は、神学者にとって反省の種になるはずでしょう:

    「キリスト教が有神論として、自発的なる意志の主体たる人格神の存在を、その

    根本信条とする限り、それは弁証の絶対媒介を制限し、無媒介なる神の超越存在

    とその神意の直接発動とを主張するものであることを免れないであろう。[....]その

    結果、それは科学と衝突することを免れないのであるs 之を脱却するためには、

    神は絶対無となり、直接存在たる絶対有の自発性としての神意の無媒介的超越性

    を捨でなければならぬ。すなわち之「神は愛であるJゆえんである。このように

    してキリスト教の神が、L...]どこまでも愛の自己否定的なる媒介に徹底する….J21

    つまり、大乗仏教が f慈悲とは何かJをほとんど分析しないとよく似ているよう

    に、キリスト神学は「神は愛であるj という聖書の言葉をほとんど反省のテーマ

    にしていません。そして、愛において、肯定的有と同時に、否定的無も大きな役

    割をすることは明らかでしょう。田辺先生が指摘するように、「愛は自己犠牲にお

    いて、あくまで自己を無に帰する。J22

    B 田辺先生を牽引したキリスト教

    一言で言えば、キリスト教に牽引されたのは、「種の論理」などによって、抽象的概念の

    16問、 14頁。17問、 496頁。18問、 410頁。19 同、 410頁。20 問、 61-63頁。21問、 80-81頁。私がこの文章が反省の種になると言っても、この文章の各言葉に賛成するという意味ではありません。先生は「有神論の直接性を仏教の無の立場に転じなけ

    ればならなしリ (147頁)と書きますが、私はそれを、 f無の立場に媒介されなければならない」と書き直したいと思います。

    -12ー

  • 領域を突破して、生の現実に届こうとした、哲学者たる田辺元先生でした。そのことを明

    らかにするのは、次の文章ではなし、かと思われます。

    または:

    「私はその意味に於いて、社会民主主義が宗教的根底を要求するものであると信

    ずる。しかしそのような、社会革新の根底たり得る宗教として、宗教的解放即社

    会的解放たる意味を持っところの宗教が、キリスト教を措いて外に存在しないこ

    とは、争いがたき歴史的事実であるといわねばならぬ。連帯髄悔に於ける愛の闘

    争を教え愛敵を命ずる宗教は、キリスト教以外にはない。現世否定の寂静主義的

    傾向をその本来性とする仏教には、たとい右の如き現実への還相をもはや妨げる

    ところなき大乗空無の立場に至っても、なお歴史的種的社会の倫理と政治とを媒

    介することがない結果として、政治革新社会解放を即宗教的解放に転ずる論理が

    欠けるのである。とこに具体的なる歴史的社会的基盤の上に立つキリスト教に比

    し、それの抽象的なることを免れざる制限がある。J23

    「無の普遍と愛の個別とを媒介する、特殊としての歴史性に相応する宗教形態が

    必要となることは、論理の必然に属する。私はこれがキリスト教に於いて提供せ

    られると思惟する。J24

    同じことは、書物のさまざま文章からも伺えます。例えば、

    r(イエスの福音は}倫理と宗教とを統ーする宗教(である)J(2 3頁); rキリスト教

    に特有なる具体性J(4 2頁); iキリスト教に偶有なる種的特殊の構造J(4 9 4頁);

    r(キリスト教は)真に歴史的媒介を含む具体的普遍の宗教、…無を歴史化した宗教

    (である)J (5 2頁)

    ついでに、注呂に値する文章を指摘したいと思います:

    i(道元が要求するように)自己を忘れることは、具体的に自己をささげる愛に於いてのみ成

    立する。J26

    IV 田辺先生の仏教に関する評価

    キリスト教の場合と違って、仏教になりますと、田辺先生は(私の知っている隈り) r仏

    教との対決Jという言い方を使いませんし、情熱を苧む態度もあまり見せていないようで

    す。ほとんどの日本人と同じように、先生も仏教的雰閤気の中に生きているので、それは

    当たり前と思ってもいいかもしれません。

    しかし、先生の仏教に関する(いわば客観的な)判断になりますと、それを大雑把に次

    n 問、 83-84頁。23問、 13頁。24問、 53頁。

    25問、 470頁)。

    -13-

  • のようにまとめることが出来ると思われます。まず肯定的な判断ですが、「仏教は理性と両

    立しやすしV と先生は繰り返して指摘しています.例えば、「神話性の完全離脱として、大

    乗仏教の無化なる伝統を黄ばざるを得ない.J (4 6 5頁); i仏教は主として論理的で、あって、

    神話的要素を含むこと極めて少ない.j (47 2頁); [特に禅に関して]は「全く神話性から開

    放せられた立場j(48 2頁)である。

    他方、田辺先生の仏教批判は次のように纏めることが出来ると思われます r仏教は観念

    的領域にとどまって、具体性を欠く j e:o 例えば、「観念性対実在性の対立は、現在に至るまで仏教とキリスト教との区別対立の根底をなすものであるoj(491頁); r従来単なる観

    念論に傾く仏教J(4 9 8頁); r現世否定の蜜静主義をその傾向とする仏教には歴史的種的

    社会の倫理と政治とを媒介することがない.J ¥.l 3頁〉

    V 仏教とキリスト教の棺互媒介

    田辺先生によりますと、キリスト教は、その不合理を突破するためには、仏教とわ媒介

    を必要とします.例えば、「キリスト教の傍教化が必要であるj (1 4頁); [禅を媒介するキ

    リスト教の弁証](52頁); r傍教の原理たる無の弁証法的論理を徹底することJ(4 96頁)

    はキリスト教に要求されます,

    しかし、その要求は一方的ではありません.仏教もまた、自分の「抽象性]を乗り越えるた

    めに、キリスト教と媒介しなければなりません. r悌教は、キリスト教のもつ具体性と媒介

    せられなければならない.j (4 8 3頁)

    fかくてキリスト教の神話からの開放、無の論理への徹底は、まさに傍教をキジ

    スト教の中に活かし働かせることになる。しかしてその様に、キリスト教の中に

    自らを具体化することによって始めて、従来単なる観念論に傾く傍教が、今や生

    きた歴史の原動力として実在化せられるのではないかと思う.J 26

    fここに宗教の神話性を洗清めて絶対無の立場に徹して、中道空援の宗教哲学を

    展開しようとした大乗仏教の長所がある.社会科学と媒介せられ得るためには、

    し、かなる宗教も先ずここまで自ら弁証法的に否定媒介しなければならぬ. しかし

    それは悌教そのものに於ける如く、却って歴史的媒介を否定し直接に永遠の空を

    覚するために、現実的具体性を喪失するものであってはならない.その結果は寂

    静主義独善主義の抽象を免れなし、からである.反対にキリスト教の歴史的媒介性

    は、宗教の具体化のために飽くまで維持されなければならぬ.J 27

    26 問、 498頁.27問、 423頁.

    _. 14 .

  • 「スペイン・サンチャゴ巡礼路Jひとり歩る記 塚本勝弘

    このたび中世以来のヨーロッパに於ける伝統的巡礼路のうち、スペイ

    ン北東部の都市バンプローナを起点として、西北端に近い最終地サンチヤ

    ゴ・デ・コンポステーラまでの約 750キロを、 33日かけての単独徒歩

    行試みた。

    キリスト教徒でもないお前が、一体なぜそんなことに挑戦する気にな

    ったのか、大方は奇異に感じられることだろう。もちろん、なんら宗教的

    な動機がないことは言うまでもないが、実はこの企てには次のような裏話

    がある。

    今を去ることちょうど 10年前、 1991年春にさかのぼる。その頃、

    私の勤めていた会社の関係会社がバルセロナにあり、経営乱脈で倒産の危

    機に瀕していた。形式上は現地資本との合弁会社であったが、実質経営は

    スペイン側パートナーにまかせっきりになっていた。問題が発覚したのは、

    連結決算の対象であったにも拘わらず、決算期を過ぎても必要な財務諸表

    類が一向に提出されなかったからだ。監査を依頼していた公認会計士に問

    い合わせても、意見の表明もしょうがないほど滅茶苦茶な内容だとのこと、

    本社の担当部門は恐慌を来たしていた。

    一方、私の方は 1年ほど前から、今考えても腹立たしい、バカバカし

    い出来事のとばっちりを受けて、まことに不名誉な不本意な地位に置かれ

    ていささか腐っており、なにか転機を求めている最中であった。そこに、

    この事件の発生である。当時、直接にはなんの関係もない立場にあったに

    も拘わらず、これぞ天啓と受け止めて即座に問題の処理役を買って出るこ

    とにした。関係者も一体どうしたらよいか、頭を抱え手を扶いているばか

    りの所だったので,ーもこもなく社内的同意が得られた。

    さて、時は湾岸戦争の只中、すこしでも戦火から離れたノレートの方が

    可 1'0-

  • よかろうと、その頃は普通滅多に使われなくなった北回りのコベンハーゲ

    ン経由で、ピレネ山脈を越えてバルセロナ入りした。それから日々朝から

    晩まで、帳簿をひっくり返し現地スタッフから事情を聴取し、実情の把握

    に努めた。分かれば分かるほどひどい。多額の売掛金は長期滞留、多数の

    在摩品は行方不明、期限超過の未払い金は堆積、資本金は食いつぶし、お

    まけにスペイン側出資者との訴訟合戦。事前に予想していた以上の惨憎た

    るありさま。

    ここで、その存続は私の判断と本社に対する報告如何に係っていた。

    私が一言もう駄目だといえば、直ちに解散手続きに入れとの指令が出され

    たであろう。しかし、それでは現地従業員を路頭に迷わせることになるし、

    私自身の居場所もほどなくして失うことになってしまう。そこで、なんと

    してでも再建の道を探ろうと腹を括ったのである。

    それまでもう大分長年月にわたり、正直のところ圏内でも海外でも随

    分ど楽をさせて貰い、ほとんど自ら汗を流すこともなく過ごしてきたが、

    この時ばかりは、率先垂範ひさしぶりに本当に働いたなあ!との感触であ

    った。現地従業員にも実情を正しく伝え、万全の協力を要請した。そして、

    ある日成り行きで f諸君が頑張って、この会社が黒字転換したら、その暁

    には私はスペインの端から端まで歩いてみせるJと広言してしまったので

    ある。とは言うものの、全くの出任せであった訳でもない。

    バルセロナ入り後、ほぽ毎日昼食後、スペイン人ならばシエスタ(昼

    寝)の時間だろうが、私は健康維持のためと市内の地理に一日も早く習熟

    すべく、 1.......2時間足の向くまま歩き回っていた。それが休みの日には郊

    外の町々にまで及んでおり、いずれ機会が得られれば、スペイン全土にま

    で探索の道を広げたいものだと薄々考えていたのだろう。

    さりとて、この段階ではまだまだその考えは単純かつ漠然たるものに

    過ぎなかったことは言うをまたない。その後、今でも手元に残っているが

    -16-

  • 199 1年 11月21日付の日経新聞文化欄に斉藤勝春さんが投稿され

    た f五十路の発心スペイン巡礼Jを拝見するに至り、ここで始めて私自身

    の単なる思い付きではなく、中世の昔から最盛期の 12........13世紀には年

    間50万人にも及ぶ巡礼者が、ヨーロッパ各地から聖地を目指して歩いて

    いた歴史を知り、これぞいつの日にか私の現地従業員に対する公約として

    歩くべき道に他ならないと、明確に意識されたのである。

    それから数年、現状はまだまだ黒字には遠かったが、経営状態は確実

    に改善の方向に向かったので、多少の心残りがなかったと言えばウソにな

    るが、こんどは一緒に仕事をしてきて十分信頼できると判断した現地スタ

    ッフにその任を委ね帰国することにした。さらに数年、ようやくバルセロ

    ナから待ちに待った「黒字化達成j の朗報が届いた。残念ながら、その時

    はまだ現役しかも新任地のジャカルタ滞在中とあっては動きが取れない。

    そして、今年初め偶々女流俳人の黛まどかさんが f星の巡礼・スペイ

    ン奥の細道Jの題名で、近年におけるご自分の体験記を出版されたことを

    新聞紙上で自にし、同好の士がおられたことを知り、大いに感銘を受け又

    発奮するところがありました。加えて、たしか2月のFLS会席上だった

    と記憶していますが、今年の母校同窓会主催の海外訪問親善ツアーの目的

    地がスペインに決定したとの情報を耳にしました。これらの事実は、今こ

    そお前の長年の公約を果たすべき時が到来したことの啓示であると受け

    止めました。

    6月 1日夜バルセロナのホテルでツアー参加の同窓生各位の激励を

    受け、翌2日出発地のパンプロ}ナに移動、 1日の準備期間をおいて、 4

    日いよいよスタート。総行程33日、連日抜けるような青空の快晴に恵ま

    れ、多少雨もよいの日も 2""3日あったが、それも歩行中ほとんど雨具を

    必要としない程度、実質的に雨天なしで終わったのはまことに幸運という

    ほかなし。気温は季節柄それなりの高温であったが、何分スペイン全体の

    空気が乾燥しており、歩いたコースも平均海抜400........500メートルの

    -17-

  • かなり高原と言ってよい土地で、すこし汗ばんでも一寸微風があればすぐ

    にサラリと乾いてしまう快適さであった。

    こうして、当初計画どおりの 7月6日午前11時 17分 30秒,最終

    目的地サンチャゴ・デ・コンポステ}ラの大伽藍正面入り口に到着した。

    早速、巡礼事務所に出頭、道中の通過地または宿泊地で確認のスタンプを

    押してもらった巡礼手帳を提示して、ラテン語で書かれた「巡礼完了証明

    書Jを授与された。その直後、 12時から行われたミサの初頭において、

    その日到着した巡礼者の概要発表があり、スペイン語ゆえ私の耳ではほと

    んど理解しかねたが、 fバンプローナからの到着者X 玄名中、 ]apon

    e s 1名j とだけは辛うじて聞き取れた。ほかに該当する日本人がいた

    とは考えられないので、これは正しく私のことに違いあるまいと感激した。

    総歩数 1,004,542. これは私自身の予測値とほぼ一致している。

    人間の行動の正確さを改めて認識した。道中の見聞には、大変面白いこと、

    興味深いこと、多々あるが紙面の制約もあり、そのご紹介はまた別の機会

    に譲りたい。

    以上

    筆者注:

    文中、時期に関する記載は実行時 (2001年夏)を基準としているが、

    あえてそのままにしてある。

    -18-