オーストラリアにおける「教育革命」とアジア語教育政策 -日本...

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日本言語文化研究会論集 2010 年第 6 【寄稿論文】 オーストラリアにおける「教育革命」とアジア語教育政策 -日本語教育に焦点をあてて- 要旨 2008 年にオーストラリア政府は、「オーストラリア経済の将来」という実利的観点から、「人 的資源革命」としての「教育革命」(Education Revolution)に着手した。本稿では、その「教 育革命」の一環として立案されたアジア語教育政策に関し、とくに日本語教育面に焦点をあ てて分析する。そして、かかる分析を通じて、この新しいアジア語教育政策が、オーストラ リアの言語教育政策史の中で、どのような位置にあるのかを考察する。 〔キーワード〕オーストラリア、アジア語教育、教育革命、NALSASNALSSP 1. はじめに 2007 11 月、オーストラリアでは労働党が連邦総選挙に勝利した。そして、翌年には同 党党首のケビン・ラッド (Kevin Rudd) が首相に選出され、労働党は 11 年ぶりに政権を奪回 した。本稿では、このラッド政権(およびその後継のギラード政権)のアジア語教育政策に ついて、とくに日本語教育面に焦点をあてて分析する。そして、その分析を通じて、この新 しいアジア語教育政策が、オーストラリアの言語教育政策史の中で、どのような位置にある のかを考察したい。 2. オーストラリアの言語教育政策 2.1 「言語教育政策の時代」 はじめに、1980 年代後半から 1990 年代前半にかけての時代におけるオーストラリアの言 語教育政策を振り返っておきたい。この時代は、 20 世紀末において労働党が政権を担ってい た時期(1983 年~1996 年)とほぼ重なるが、それと同時に「言語教育政策の時代」と呼んで 差し支えないほど、数多くの言語教育政策がオーストラリア政府あるいはその関係者・関係 機関によって発表された時期でもあった。 これらの言語教育政策は大きく 2 種類に分類することができる。ひとつは、いわゆる多言 語主義(Multilingualism)の観点から、「英語以外の言語」(LOTE: Languages Other Than English)の教育を推進しようとした政策である。この範疇に括られる言語教育政策は、もと もとは非英語圏からの移住者たちがその母語を維持・継承していくことを「権利」(Language as a Right)として認めようとする立場からの政策だったのだが、1980 年代に入ると、その

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日本言語文化研究会論集 2010 年第 6号 【寄稿論文】

オーストラリアにおける「教育革命」とアジア語教育政策

-日本語教育に焦点をあてて-

嶋 津 拓

要旨

2008年にオーストラリア政府は、「オーストラリア経済の将来」という実利的観点から、「人

的資源革命」としての「教育革命」(Education Revolution)に着手した。本稿では、その「教

育革命」の一環として立案されたアジア語教育政策に関し、とくに日本語教育面に焦点をあ

てて分析する。そして、かかる分析を通じて、この新しいアジア語教育政策が、オーストラ

リアの言語教育政策史の中で、どのような位置にあるのかを考察する。

〔キーワード〕オーストラリア、アジア語教育、教育革命、NALSAS、NALSSP

1. はじめに

2007 年 11 月、オーストラリアでは労働党が連邦総選挙に勝利した。そして、翌年には同

党党首のケビン・ラッド (Kevin Rudd)が首相に選出され、労働党は 11年ぶりに政権を奪回

した。本稿では、このラッド政権(およびその後継のギラード政権)のアジア語教育政策に

ついて、とくに日本語教育面に焦点をあてて分析する。そして、その分析を通じて、この新

しいアジア語教育政策が、オーストラリアの言語教育政策史の中で、どのような位置にある

のかを考察したい。

2. オーストラリアの言語教育政策

2.1 「言語教育政策の時代」

はじめに、1980 年代後半から 1990年代前半にかけての時代におけるオーストラリアの言

語教育政策を振り返っておきたい。この時代は、20世紀末において労働党が政権を担ってい

た時期(1983年~1996年)とほぼ重なるが、それと同時に「言語教育政策の時代」と呼んで

差し支えないほど、数多くの言語教育政策がオーストラリア政府あるいはその関係者・関係

機関によって発表された時期でもあった。

これらの言語教育政策は大きく 2種類に分類することができる。ひとつは、いわゆる多言

語主義(Multilingualism)の観点から、「英語以外の言語」(LOTE: Languages Other Than

English)の教育を推進しようとした政策である。この範疇に括られる言語教育政策は、もと

もとは非英語圏からの移住者たちがその母語を維持・継承していくことを「権利」(Language

as a Right)として認めようとする立場からの政策だったのだが、1980年代に入ると、その

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移住者たちの言語を、主として経済的な「オーストラリアの国益」(Lo Bianco 1987: 7)を

増進するための「資源」(Language as a Resource)と見なす方向に転じ、その対象も、たと

えばイタリア語・ギリシャ語・中国語・ヴェトナム語のように、「継承語」(Heritage Language)

あるいは「コミュニティー語」(Community Language)としての性格が強い言語だけではなく、

日本語やフランス語のように、「外国語」(Foreign Language)としての性格が強い言語にも

拡大されるようになった。そして、「オーストラリアの国益」に貢献しうる言語は、「外国語」

としての性格が強い言語も含めて、「優先言語」(Priority Language)に指定されることにな

った。このため、日本語の場合はそれを母語とする移住者や長期滞在者の数が他言語の場合

に比べて尐なかったが、すなわちオーストラリアで日本語は「継承語」あるいは「コミュニ

ティー語」としての性格をあまり有していなかったのであるが、当時の日本の経済力を背景

に、「オーストラリアの国益」に資する LOTEのひとつと見なされ、オーストラリアの全州で

「優先言語」に指定された。

このような立場からの言語教育政策、換言すれば LOTEを「オーストラリアの国益」に貢献

しうる「資源」と見なす立場から、その教育の振興を図ろうとした言語教育政策としては、

1987年に言語政策研究者のジョゼフ・ロ・ビアンコ(Joseph Lo Bianco)が連邦議会に提出

した報告書『言語に関する国家政策』(National Policy on Languages)や、1991年にオー

ストラリア政府がまとめたレポート『オーストラリアの言語-オーストラリア言語・リテラ

シー政策-』(Australia's Language, The Australian Language and Literacy Policy)な

どを、その代表的なものとしてあげることができる。

もうひとつの範疇に括ることができる言語教育政策とは、LOTEの中でもとくにアジア語教

育の振興を企図したものである。

もともと英国の植民地から国家としてのスタートを切ったオーストラリアは、経済面で英

国に依存していた。しかし、その英国は 1973年にヨーロッパ共同体(EC)に加盟した。これ

により、オーストラリアは英国に対して経済的に依存することが難しくなり、「アジア太平洋

国家」の一員としての道を模索することになった。また、1980年代はアジアの国々や地域が

著しい経済発展を見せた時期でもあった。かかる理由から、1980年代から 1990年代にかけ

ての時代には、アジア語教育を振興するための政策が、オーストラリアであいついで策定さ

れた。その代表的なものとしては、1988年に連邦政府の諮問機関である「アジア教育審議会」

(The Asian Studies Council)が「雇用・教育・訓練省」に提出した報告書『オーストラリ

アにおけるアジア教育のための国家戦略』(A National Strategy for the Study of Asia in

Australia)や、1994年に「オーストラリア政府審議会」(COAG: The Council of Australian

Governments)1 が発表した報告書『アジアの諸言語とオーストラリアの経済的将来』(Asian

Languages and Australia's Economic Future)などをあげることができるが、このうち後者

は、学習優先度の高いアジア語として、中国語・日本語・インドネシア語・韓国語の 4言語

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を指定し 2、「オーストラリアの経済的将来」のために、当該 4言語の教育を 1996年から全

国の小学校教育に導入するとともに、2006年には 12年生(筆者註:日本の高校 3年生に相

当)全体の 15%がこれら 4言語のいずれかひとつを学習しているようにすべきだと勧告して

いた。そして、この COAGの勧告内容を達成するため、連邦政府と各州教育省は 1994年 10

月にタスク・フォースを設け、「オーストラリアの学校におけるアジア語・アジア学習推進計

画」(NALSAS: The National Asian Languages and Studies in Australian Schools Program)

と総称する事業計画に着手した。なお、COAGが『アジアの諸言語とオーストラリアの経済的

将来』と題するレポートを取りまとめるに際しては、当時、クィーンズランド州の首相府長

官を務めていたケビン・ラッドが主導的な役割を果たした。

2.2 ハワード政権の言語教育政策

前記のように、1980年代から 1990年代にかけての時期におけるオーストラリアの言語教

育政策は、大きく 2種類に分類することができる。すなわち、主として経済的な「オースト

ラリアの国益」のために、「資源」としての LOTEを積極的に活用していくべきとの観点に立

って、「継承語」あるいは「コミュニティー語」としての性格が強い言語のみならず、「外国

語」としての性格が強い言語も含めた LOTE教育全体の推進を企図したものと、1994年に COAG

が発表した報告書の『アジアの諸言語とオーストラリアの経済的将来』という標題に端的に

表現されているように、アジア太平洋地域に存在するオーストラリアの「経済的将来」とい

う観点に立って、とくにアジア語の教育を推進しようとしたものの 2種類に分類することが

できるのだが、そのいずれの言語教育政策においても、日本語は日本の経済力を背景に重視

された。オーストラリアの日本語学習者数は、1970年代末から 1998年までの約 20年間に、

40倍以上に増加している 3。

20世紀末において労働党が政権の座についたのは 1983年のことであるが、この時期はオ

ーストラリア経済が低迷していた時期であり、労働党政権の最重要課題はそれを再建するこ

とにあった。したがって、1980年代後半から 1990年代前半にかけての時代における労働党

政権下の言語教育政策が LOTEを「資源」として重視していたこと、また、その LOTEの中で

もとくにアジア語を重視していたことは、労働党政権にとって諸外国、なかでもアジア諸国

との関係を強化することでオーストラリア経済を立て直し、さらにはそれを発展させるため

の政策の一環だったと言うことができる。

しかし、1996年 3月に実施された連邦総選挙の結果、労働党に代わって、ジョン・ハワー

ド(John Howard)が率いる自由党と国民党の連立政権が誕生した。このハワード政権は、そ

れまでの労働党政権に比べて、LOTE教育にはあまり熱心でなかった。労働党政権下で開始さ

れた NALSAS計画は、当初の予定よりも 4年早く2003年 1月に中止されている。

ただし、ハワード政権も LOTE 教育に全く無関心だったというわけではない。2005 年には

連邦政府の「雇用・教育・訓練・青尐年問題に関する閣僚諮問委員会」(Ministerial Council

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on Education, Employment, Training and Youth Affairs)が、『オーストラリアの学校にお

ける言語教育に関する国家声明:2005年~2008年におけるオーストラリアの学校の言語教育

に関する国家計画』(National Statement for Languages Education in Australian Schools:

National Plan for Languages Education in Australian Schools 2005-2008)と題する新た

な言語教育政策を発表している。オーストラリア政府が包括的な言語教育政策を発表したの

は約 10年ぶりのことだった。

このハワード政権下における言語教育政策は、労働党政権下のそれと異なり、LOTE教育の

意義として「国益」を前面に押し出すことをしなかった。また、「国益」の観点からしたアジ

ア語教育の重要性を強調することもしなかった。それよりもむしろ、先住民族諸語や、「世界

中の人々の渡豪」(MCEETYA 2005: 3)がオーストラリアにもたらしたところの「150 以上の

言語」(同上)を、「継承語」あるいは「コミュニティー語」として学習することの方が重視

されていた。逆の言い方をすれば、オーストラリアにおいて「国益」と密接な関係を有し、

さらには「外国語」としての性格が強い日本語の教育については、それまでの時代と違って

特段には重視されなかったのである。

国際交流基金が 2006年に実施した「海外日本語教育機関調査」の結果によれば、同年のオ

ーストラリアにおける日本語学習者数は 366,165人であるが、これは 2003年調査(381,954

人)に比べて約 4.1%のマイナスとなっている。オーストラリアで日本語学習者数が減尐し

たのは、1970年代に国際交流基金が統計をとりはじめてから初めてのことだったが、かかる

現象が生じた要因のひとつとしては、上記のようなハワード政権下における言語教育政策の

転換を指摘することができるだろう。

3. ラッド政権の「教育革命」

2007年 11月に予定されていた連邦総選挙に向けて、ケビン・ラッドが率いる労働党は、「教

育革命」(Education Revolution)を公約のひとつに掲げた。2007 年 1 月、ラッドと労働党

の「陰の教育・訓練大臣」を務めていたステファン・スミス(Stephen Smith)は、『オース

トラリア経済は教育革命を必要としている-長期的な繁栄および生産性の向上と人的資源へ

の投資との関連性に関する新しい方針-』(The Australian economy needs an education

revolution, New Direction Paper on the critical link between long term prosperity,

productivity growth and human capital investment)という題名の政策文書を発表してい

る。この政策文書は、「オーストラリアの永続的な繁栄は長期的な生産性の向上によってしか

保証されないもの」(Rudd, Kevin, Smith, Stephen 2007: 3)であるが、近年、「オーストラ

リアの生産性は下落している」(同上)との現状認識を示している。そして、その原因のひと

つとして、「生産性の向上は人的資源への大規模かつ持続的な投資によってもたらされる」(同

上)はずのものなのだが、「オーストラリアの教育に対する国家投資は世界の水準を維持して

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いない」(同上)ことをあげている。また、次のようにも述べている。

オーストラリア経済は、成長と繁栄を長期間にわたって享受している。しかし、経済

状況は常に変化するものである。このため、われわれが近年享受しているところの繁栄

を作り出している諸条件が、今後も長期的な繁栄を保証するとは限らない。将来的にも

高い生活水準を維持していくために、われわれは地球規模の変化に適合していく必要が

ある。

近年オーストラリアに繁栄をもたらしているところの資源ブームは、いずれ終焉する。

中国やインドの経済超大国としての台頭は、オーストラリアの輸出業界に好機をもたら

した。しかし、それらの国々の台頭は、世界経済に競争の激化ももたらしている。それ

は工業分野においてだけではなく、サービス業や知識産業の分野においても同様である。

われわれはオーストラリアを、中国人にとっての単なる採石場と、日本人観光客にとっ

ての美しいビーチにのみとどまらせておくわけにはいかない。われわれは多様な経済的

基盤を持たなければならない。(Rudd, Kevin, Smith, Stephen 2007: 4)

ラッドとスミスが上記の政策文書を発表した 2007年 1月に、ラッドはメルボルン大学で、

「オーストラリア経済の将来のための教育革命」(An Education Revolution for Australia's

Economic Future)と題する講演を行っている。この講演の中でもラッドは、「オーストラリ

アの長期的な繁栄は危険にさらされている」(Rudd, Kevin 2007: 1)との認識の下に、「教育

革命」の必要性を訴えている。ラッドによれば、「教育革命」が必要なのは、近年では「1990

年代に伸びていた生産性の向上が劇的に低下している」(同上)のと同時に、オーストラリア

が現在享受しているところの「資源ブームは永続的なものではない」(同上)からである。ま

た、「教育革命」によってオーストラリア経済の生産性を高めていかなければ、「われわれは

中国人にとっての採石場(China’s quarry)と日本人観光客にとっての美しいビーチ(Japan’s

beach)にのみとどまることになろう」(Rudd, Kevin 2007: 4)からでもある。そしてラッド

は、教育を「国家の安全保障と繁栄、さらには生き残りのための長期戦略の核になるもの」

(Rudd, Kevin 2007: 2)と見なすとともに、「われわれの最も重要な資源、すなわち人的資

源への一層の投資」(同上)であると位置づけた。

このように、ラッドにとっての「教育革命」とは、オーストラリアの学校で実際に教育を

受ける児童や生徒たちのためのものというよりは、むしろ「オーストラリア経済の将来」を

見据えてのものだった。ラッドがクィーンズランド州の首相府長官だった時にその取りまと

めを主導した COAGの報告書が、「オーストラリアの経済的将来」のためにアジア語教育を重

視していたのと同様に、彼が労働党党首として公約した「教育革命」は、「オーストラリア経

済の将来」のためのものだったのである。

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しかし、このような政策はラッドに特有のものというわけではなかった。1989年に当時の

労働党政権は、『オーストラリアの学校教育を強化することについて-学校教育の焦点と内容

に関する検討-』(Strengthening Australia’s Schools: Consideration of the Focus and

Content of Schooling)という標題の教育政策を発表しているが、そこではオーストラリア

の経済的発展のために学校教育の質を改善することが重要だと主張されていた。いわば、21

世紀におけるラッド政権の「教育革命」は、1980年代に当時の労働党政権が提唱した教育政

策を焼き直したものと位置づけることができるのである。

4. 「教育革命」の一環としてのアジア語教育政策

ケビン・ラッドは、彼が労働党の党首として公約した「教育革命」、すなわち「オーストラ

リア経済の将来」に備えての「人的資源革命」(Human Capital Revolution)あるいは「技能

革命」(Skills Revolution)の一環として、アジア語教育を重視した。それは次のような認

識に基づいていた。

2002年にハワード政権は NALSAS計画の中止を発表し、同計画は 2003年 1月に終了

した。それ以後、オーストラリアにはアジア語政策が存在しない。

わが国では 12年生の 13.4%しか外国語を選択していない。また学齢期にある生徒の

半分しか言語科目を履修していない。それに対して、フィンランドでは 3言語を学ぶこ

とを生徒に課している。また、オランダでは 12年生の 99%が第二言語を学んでいる。

オーストラリアでは 2004年の段階で 25,000名以上の 12年生が言語科目を履修して

いる。しかし、アジア語を学んでいる者は、12年生全体の 6%に過ぎない。そのうちの

21%は北京語・広東語を、19%は日本語を、7%はインドネシア語を学んでいるが、わ

れわれはアジア語科目の履修者数を増やす必要がある。(Australian Labor Party 2007)

この認識に基づいて、2007年 5月、ラッドはアジア語(日本語・インドネシア語・中国語・

韓国語)の教育を学校教育の場で振興するために、かつての NALSAS計画を実質的に復活させ、

それに 68,600,000ドルの予算を投入すると発表した。また、このプログラムの一環として、

(a)学校教育におけるアジア語クラスの増加、(b)アジア語教師研修・アジア語教師支援の

強化、(c)アジア語学習・アジア学習で優れた才能を発揮した生徒のための「専門家カリキ

ュラム」(specialist curriculum)の開発を図るとした。

2007年 11月に行われた連邦総選挙の結果、労働党は 11年ぶりに政権を奪回した。首相に

就任したラッドは、ただちに教育関係省庁の再編成を行い、それまでの「教育・科学・訓練

省」(Department of Education, Science and Training)、「雇用・職場関係省」(Department

of Employment and Workplace Relations)、「家庭・コミュニティー・先住民族関係省」

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(Department of Family, Housing, Community Services and Indigenous Affairs)の青尐

年担当部門を統合し、あらたに「教育・雇用・職場関係省」(Department of Education,

Employment and Workplace Relations)を設置した。「教育」と「雇用」をひとつの省にまと

めたことは、ラッドの「教育革命」が「人的資源革命」あるいは「技能革命」であることを

如実に物語っているが、この官庁再編成も、1980年代の労働党政権下における官庁再編成に

倣ったものだった。1987年に当時の労働党政権は、政府の教育行政部門と雇用・職業訓練政

策部門を統合し、「雇用・教育・訓練省」(Department of Employment, Education and Training)

を設置している。

言語教育の面では、2008年に入ってからラッド政権は公約どおり、アジア語教育を振興す

るための政策を発表した。同年 5月、副首相のジュリア・ギラード(Julia Gillard)は、「学

校教育におけるアジア語・アジア学習推進計画」(NALSSP: National Asian Languages and

Studies in Schools Program)という名の施策を 2009年 1月から実施すると発表した。また、

2008 年 8 月に労働党政権は、『質の高い教育-学校教育における教育革命のために-』

(Quality Education: The Case for an Education Revolution in our Schools)と題する

教育政策を発表したが、そこには言語教育に関して、次のように記述されている。

生徒がアジア語能力を獲得する機会を拡大するために、「学校教育におけるアジア

語・アジア学習推進計画」(NALSSP)の枠内で、2008/2009 年度から 3 年以上にわたっ

て、合計 62,400,000ドルを支出する。アジア語能力はオーストラリアのビジネス・パ

ーソンや労働者にとってますます価値ある技能となっている。この計画は、ハイスクー

ルにおけるアジア語講座の増設や教師研修・教師支援の拡充を通じて、日本語・インド

ネシア語・中国語(北京語)・韓国語の学習を支援するものである。(Rudd, Kevin, Gillard,

Julia 2008: 28)

この『質の高い教育-学校教育における教育革命のために-』と題された教育政策には、

ヨーロッパ語や先住民族諸語の教育に関して、何も記述されていない。このことはラッド政

権がヨーロッパ語や先住民諸語の能力を、「オーストラリア経済の将来」にとって、アジア

語能力ほどには「価値ある技能」と見なしていないことをあらわしてもいる。

1994 年に COAG が『アジアの諸言語とオーストラリアの経済的将来』と題する言語教育政

策を発表し、当時の労働党政権がそれに基づいて翌年の1995年にNALSAS計画を開始した時、

その政府の姿勢をアジア語を偏重しヨーロッパ語を軽視するものだとして非難する意見が、

オーストラリア国内ではしばしば聞かれた。たとえば、オーストラリアの全国紙『The

Australian』は、1995 年 5 月 19 日の紙面に、「学生たちは間違った言語を話している」

(Students speak wrong language)と題する、次のような論説記事を掲載している。

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かつて英国の週刊誌『Spectator』は、オーストラリアはヨーロッパの一員なのだか

ら、EU(ヨーロッパ連合)に統合されるべきだと主張した。この主張は一見非常識な提

案のように思われるが、尐なくともヨーロッパでは、オーストラリアがヨーロッパ国家

の一員と見なされていることを示している。(中略)

その地理的位置と国際経済のブロック化を背景に、オーストラリアがアジアに安住の

地を求めたがるのはやむをえないことだ。しかし、それはわれわれの文化的未熟さを露

呈するだけだ。

われわれのアジアに対する熱いまなざしは、大学や学校で日本語教育が重視されてい

ることの中にはっきりとあらわれている。オーストラリア人が日本語を学ぶのは、日本

がアジアの巨人だからであるが、現在、大学での日本語履修者数は 2,670名で、この数

字はどの言語の履修者数よりも大きい。また、ハイスクールの 12年生で日本語を学ん

でいる者は、1993年に 4,671名と過去最高を記録した。一方、フランス語を学ぶ 12年

生の数は、1990年の 5,000名から 1993年には 4,334名へと、下落の一途をたどってい

る。(中略)

ここで注目すべきことは、日本語は日本からの移民が多いから重視されるようになっ

たわけではないということである。日本語教育をヨーロッパ語教育の犠牲の上に拡大す

ることは、方向性が間違っているのみならず、われわれの文化的アイデンティティーを

混乱させる要因にもなりかねない。

私のことを悪くとらないで欲しい。自分は決して反日家ではない。しかし、私は日本

語教育への傾斜の中に、自分自身の国に対する不安からの安易な逃避を見ないわけには

いかないのである。(中略)

現在の政府や個々の学校におけるアジア語重視の風潮は、直ちに是正されるべきであ

る。ある政治家は次のように述べている。「長いこと日本語に無関心だったことを思え

ば、政府が日本語教育を重視するのはいいことだ。しかし、誰も彼もが甲板の片方にの

み走っていってしまったら、船は沈んでしまう。」(中略)

われわれは次のことを明確にしておく必要がある。それは、オーストラリアがヨーロ

ッパ文化を継承した国であるということ、そして、われわれの存在基盤がヨーロッパ文

化にあるということだ。したがって、われわれに必要なのは、アジアになろうと努力す

ることではなく、アジアを理解しようと努めることだ。(中略)オーストラリアは文化

的にはヨーロッパだが、地理的にはそうでない。オーストラリアにはバランスのとれた

外国語教育が必要である。(Slattery, Luke 1995)

ここでは、当時の労働党政権の姿勢、すなわちアジア語教育を重視する姿勢が、オースト

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ラリアの国家としてのアイデンティティーをめぐる問題とからめて論じられているのである

が、この 1990年代の場合と同様、2007年に労働党党首のケビン・ラッドがその「教育革命」

の一環としてアジア語教育を重視する姿勢を鮮明にした時にも、それによってヨーロッパ語

教育が疎かになるのではないかと危惧する意見が表明されるようになった。たとえば、メル

ボルン大学のイタリア研究者は、2008年 4月 2日の『The Australian』に「自分の言語を気

にするな」(Stop minding your language)と題する論説を寄稿し、「すべての卵をひとつの

籠に入れるべきではない」(Absalom, Matthew 2008)との立場から、アジア語とともにヨー

ロッパ語の教育も振興すべきだと主張した。また同年 5月 5日の『The Age』(ヴィクトリア

州の日刊紙)には、メルボルン大学多文化・異文化間コミュニケーション研究センターの研

究者が、「世界の人々にメッセージを送ろう。彼らの言語で・・・」(Let's send a message to the

world … in their languages)と題する意見書を寄稿しているが、この意見書は、「政府が

ヨーロッパ語について沈黙を保っていることには気まずいものがある」(Hajek, John,

Slaughter I, Yvette 2008)とした上で、「多様性が鍵である」(同上)との認識から、アジ

ア語とともにヨーロッパ語の教育も振興すべきだと主張していた。

このような主張は、前述のように、1990年代にもしばしば聞かれた意見であり、とくに目

新しいものではない。と言うよりも、ラッド政権のNALSSP計画そのものが1990年代のNALSAS

計画を実質的に復活させたものであり、その内容にとくに特筆すべきものがあるわけではな

いのである。さらに言えば、NALSSP計画も NALSAS計画も、「オーストラリア経済の将来」あ

るいは経済的な「国益」のための言語教育政策であり、政策目的という観点でも、前者は後

者の焼き直しに過ぎないと言うことができるだろう 4。

5. オーストラリアのアジア語教育政策と日本語

1994 年に COAG の報告書『アジアの諸言語とオーストラリアの経済的将来』が発表された

時、すでに日本ではバブル経済が崩壊しており、日本経済は長期的な低迷期に入っていた。

その一方で、1990年代は中国語圏(とくに中華人民共和国)が目覚ましい経済成長を見せは

じめた時期でもあった。このため、すでに 1990年代の前半期には、オーストラリアの教育関

係者の間で、「過去 30年の言語は日本語だったが、今後 30年の言語を探すとしたら、それ

は中国語だろう」(Farmer, Monique 1994)との声も聞かれるようになっていた。しかし、

たとえばニューサウスウェールズ州の後期中等教育修了試験(Higher School Certificate)

の LOTE科目別応募者数において、1994年に日本語科目の選択者数が、それまで常に第 1位

の座を維持してきたフランス語の選択者数を抜き去ったことに象徴されていたように、1990

年代の前半期は、オーストラリアで日本語学習者数が急激に増加した時期でもあった。

このことからは、1990年代前半期の場合、オーストラリアにおける日本のイメージは、ま

だバブル経済の余韻の中にあったと解することもできるだろう。しかし、日本で大手金融機

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関の経営破綻があいついだ 1990年代の後半期にも、オーストラリアでは日本語学習者数が増

加している。

それに対して、オーストラリアで日本語学習者数が減尐したのは、日本経済が回復傾向に

あった 2003年から 2006年にかけてのことである(下記【表】を参照)。

【表】1990~2000年代における日本語学習者数の推移 (単位:人)

調査年 海 外 オーストラリア オーストラリアの増減率

1990 981,407 62,023 -

1993 1,623,455 179,241 188.9%

1998 2,102,103 307,760 71.7%

2003 2,356,745 381,954 24.1%

2006 2,979,820 366,165 -4.1%

(国際交流基金「海外日本語教育機関調査」報告書 1990年版~2006年版より引用)

これらのことは、日本経済の状況とオーストラリアにおける日本語学習者数の動向が必ず

しも比例するものではないことを示している。しかし、それと同時に、(a)日本経済が危機

に直面していた 1990 年代後半期の場合は、NALSAS 計画の存在が日本語学習者数の下支えを

していた、(b)それに対して、日本経済が回復傾向にあった 21世紀初頭の場合は、NALSAS

計画が中止されたため、日本語学習者数も減尐したと考えることもできるだろう。むろん、

言語教育政策の存在を過大評価するのは適切でないし、また、NALSAS計画の対象言語のひと

つだった中国語の場合は、その学習者数がむしろ同計画の中止後に急増しているという事実

を勘案するならば、松田(2009)が指摘しているように、たしかに「日本語学習者数の大幅

減尐というのは、NALSASの打ち切りによる現象だけとは言い切れ」(松田 2009: 127)ない

のであるが、NALSAS計画の存否が、オーストラリアにおける日本語教育の量的動向に、尐な

からざる影響を与えたことだけは間違いなかろう。

しかし、NALSAS計画の最終的な目標は、オーストラリアで日本語(あるいはアジア語)の

学習者数を増加せしめること、それ自体にあったわけではない。あくまでも、オーストラリ

アに経済的な利益をもたらすことが目的だった。換言すれば、日本語学習者数(あるいはア

ジア語学習者数)が増加することは、そのための手段に過ぎなかったのであるが、NALSAS計

画による日本語学習者数(アジア語学習者数)の増加という現象が、オーストラリアに経済

的な利益を本当にもたらしたのか、もたらしたとしたらどのくらいもたらしたのかという点

に関しては、オーストラリア政府によっても、あるいはその関係者・関係機関によっても、

検証されることがなかった。

また、NALSAS計画は、アジア語学習者の量的拡大のみならず、彼らの言語能力の向上もめ

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ざしていた。しかし、その成果が点検されることはなかった。したがって、オーストラリア

人のアジア語能力の向上度と、それのオーストラリア経済に対する貢献度との相関について

も、検証されることはなかったのである。すなわち NALSAS計画は、その前提であるところの、

主として経済的な「国益」の観点から言語教育を振興するという考え方が本当に妥当なもの

だったか否かという点についての確認がなされないまま終了したのである。

6. おわりに

2010年 6月、ケビン・ラッドは支持率の低迷から首相を辞任した。後継首相には、ラッド

に代わって労働党の党首に選出された副首相のジュリア・ギラードが就任したが、彼女はラ

ッド政権の教育担当大臣として NALSSP計画の策定にも関わっていただけに、同計画はギラー

ド政権下においても継続されるものと思われる。

しかし、この NALSSP 計画においても、NALSAS 計画の場合と同様に、言語学習者の増加率

や彼らの言語能力向上度と、それらのオーストラリア経済に対する貢献度との相関について

の検証は、その実施が予定されていない。

青木(2009)は、1980年代から 1990 年代にかけての時期におけるオーストラリアの言語

教育政策について、「言語教育から得られる成果が国の経済発展に貢献するかどうかに関し

て、具体的な根拠が示されること」(青木 2009: 197)がなかったと指摘するとともに、「言

語教育と国家の経済発展との関係は、政策自体が作り出し、追い求めてきた、一つの幻想だ

ったといえるのかもしれない」(同上)と述べている。2009年に開始された NALSSP計画も、

その政策効果が測定されないままでは、労働党が1980年代から一貫して堅持してきた考え方、

すなわち LOTE教育を主として経済的な「国益」の観点から振興するという考え方が「幻想」

に過ぎなかったということを、証明するだけの場になりかねない。

謝辞

この研究は、日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究 C:課題番号 19520460)の交付

を受けて行ったものです。また、国際交流基金シドニー日本文化センターのスペルマン赤羽

三千江先生からは各種情報をご教示いただくとともに、有益なご助言を頂戴しました。さら

に、日本言語文化研究会運営委員会の先生方からは的確なご指摘をいただきました。ここに

記して、感謝申し上げます。

注 1 COAGは連邦政府および各州・準州政府から構成されている。 2 この 4 言語は、当時のオーストラリア政府が行った、アジア諸国の経済成長率予想調査を

基礎資料として選定された。

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3 国際交流基金の調査によれば、オーストラリアの日本語学習者数は、1979/1980年が 7,535

人、1998年が 307,760人である。 4 ただし、NALSASと NALSSPの予算規模は大幅に異なる。NALSASでは 1995年から 2002年ま

での 7年間に、A$208,000,000が支出されたのに対して、NALSSPでは 2009年から 2020年ま

での 11年間で、A$62,400,000の支出が予定されているに過ぎない。すなわち、1年あたりの

予算は 1/5程度まで縮小されているのである。

参考文献

(1) 青木麻衣子(2009)『オーストラリアの言語教育政策-多文化主義における「多様性」

と「統一性」の揺らぎと共存-』東信堂

(2) 嶋津拓(2008)『オーストラリアにおける日本語教育の位置-その 100 年の変遷-』

凡人社

(3) 松田陽子(2009)『多文化社会オーストラリアの言語教育政策』ひつじ書房

(4) Absalom, Matthew (2008) Stop minding your language, The Australian, April 2. (5) Australian Labor Party (2007) Media Statement - 10th May 2007, Federal Labor's

National Asian Language and Studies in Schools Program - Preparing Australia for the Future, Australian Labor Party.

(6) Farmer, Monique (1994) Mandarin a must in kindy of the future, Sydney Morning

Herald, June 27.

(7) J Hajek, John, Slaughter I, Yvette (2008) Let's send a message to the world … in their languages, The Age, May 5.

(8) Lo Bianco, Joseph (1987) National Policy on Languages, Australian Government

Publishing Service.

(9) Ministerial Council on Education, Employment, Training and Youth Affairs

[MCEETYA] (2005) National Statement for Languages Education in Australian

Schools: National Plan for Languages Education in Australian Schools 2005-2008,

DECS Publishing.

(10) Rudd, Kevin (2007) An Education Revolution for Australia's Economic Future.

<http://www.alp.org.au/media/0107/spe230.php> 2008年 9月 9日参照

(11) Rudd, Kevin, Smith, Stephen (2007) The Australian economy needs an education

revolution, New Direction Paper on the critical link between long term

prosperity, productivity growth and human capital investment, Australian Labor

Party.

(12) Rudd, Kevin, Gillard, Julia (2008) Quality Education: The Case for an Education

Revolution in our Schools, Commonwealth of Australia.

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(13) Slattery, Luke (1995) Students speak the wrong language, The Australian, May

19.

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Australia’s “Education Revolution” and Asian language education policy

-A study focusing on Japanese language education-

SHIMAZU Taku

In 2008, the Australian government launched the “Education Revolution” as part of

the “Human Capital Revolution”, within the context of the pragmatic perspective of

“Australia’s Economic Future”. This paper analyzes the planning of Asian language

education policy, which was carried out as part of the “Education Revolution”, with

a particular focus on Japanese language education. This analysis provides the basis

for discussion of how to place the new Asian language education policy within the

historical context of Australian language education policy as a whole.

【Keywords】 Australia, Asian Language Education, Education Revolution, NALSAS, NALSSP