古代エジプトと中世日本の比較に見る採石過程復元 …...17-...

17- 1 1. 研究の背景と目的 エジプト、日本に関わらず、石材の採取には坑内掘 りと露天掘りの2つの方法があるとされ、先行研究や 概説書を見る限り、地域、気候、時代などが異なって も採石法に大きな違いは見られない。 そこで本稿では、2008,9 年に行ったエジプトと日 本における採石場調査で得たデータをもとに実際の採 石過程を詳細に復元した上で、古代エジプトと中世末 期の日本の採石技術の共通点について、実証的に再考 を加える。2章では一般的な採石方法を確認した上で エジプト、萩における実際の採石方法を比較し、3章 で、復元考察をもとに、それぞれの採石法の特徴を抽 出する。4 章で採石方法の共通点の再考を行い、5 章 で再考の結果をふまえ、問題点を提示し採石方法の相 違点についても言及し、6 章において、以上を総括と して結論とする。 2. 一般的な採石方法を通じた日本とエジプトの比較 2-1. 一般的なエジプトでの採石方法 一般に古代エジプトでは始め に、切り出すブロックの幅で長 く並行なトレンチを掘り、次に それに直交するようにブロック の短手となるトレンチを掘り、 ブロックを母岩から独立させる 参 1) 。そして、ブロックの下端に 矢穴を掘り、楔で亀裂を入れ、木のレバーによって運 び出す。そして1つの石材を切り出してはまた同じ作 業繰り返し、直後の石材を切り出して行く。エジプト では切り出す石材は大きく、腕の力のみで運び出せな いので木のレバーを用いて、てこの原理で運び出すが、 てこの原理を利用するためには支点と石材の下部に作 用点が必要であり、そのためにトレンチを掘ると考え られる ( 図 3)。このとき作用点はトレンチの底面、支 点は次に切り出されるブロックの角なので、先に切り 出す予定のブロックが切り出されないと、次のブロッ クは矢穴を掘ることも、楔をうちこむこともでず、切 り出せない。したがってエジプトでは、トレンチを掘 り、矢穴を彫成し、楔で亀裂を入れ、運び出すという ように、4つの作業工程を何度も繰り返しながら、そ の都度石材の切り出しを行う。 2-1-1. ザウィヤト・スルタン採石場 本採石場はアコリス都市址 註 1) よりさらに約 20km 南下し たナイル川東岸の石灰岩の河岸 段丘上にある広大な採石場で ある。復原を行う地域では、ま ず始めに作業区域を決定する深 いトレンチを整然と岩盤全体に 渡って堀り、岩盤から深いトレ ンチで独立された範囲でブロッ クの採石を行う。その範囲でブ ロックの高さのトレンチを掘 り、ブロックの長辺下部に水平 方向に楔を打ち込んで、亀裂を 入れ、背面のトレンチに木のレ バーを差しこみ、前方に運び出 す ( 図 4)。 そ し て、 随 時 下 に 切り出し作業が進んで行く。こ の過程は始めの深いトレンチが 一般的な採石方法と異なるだけ で、トレンチとブロックの角を 利用しながら随時ブロックを切 り出して行く方針は同様で、トレンチを掘る作業に並 行して、矢穴の形成、楔の打ち込み、石材の運び出し が行われていたと考えられる。この地域は自然亀裂が 存在しないため、深いトレンチは整然と計画されて遺 る。また、作業区域内で作業が完結するようにブロッ クの切り出し方向が計画されている。 2-1-2. ナズラ・スサィン・アリ東採石場 本採石場はアコリス都市址から南に続く段丘上に 南北 6km に渡って続く石灰岩採石場群の南端部にあ 亀裂 既に切り出したブロック 次に切り出すブロック 支点 力点 作用点 切り出すブロック 作業の進行方向 木のレバー 図2 木のレバーによる切り出し 図3 木のレバーによる切り出しの模式図 図1 一般的なエジプトの採石方法 図4 採石過程の模式図 写真 1 ザウィヤト・スルタン全景 古代エジプトと中世日本の比較に見る採石過程復元の技術論的考察 大磯 祐子

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Page 1: 古代エジプトと中世日本の比較に見る採石過程復元 …...17- 作業の進め方の違いがあると言える。3.エジプトと日本を結ぶ外観がよく似た2つの遺構

17- 1

1. 研究の背景と目的

 エジプト、日本に関わらず、石材の採取には坑内掘

りと露天掘りの2つの方法があるとされ、先行研究や

概説書を見る限り、地域、気候、時代などが異なって

も採石法に大きな違いは見られない。  

 そこで本稿では、2008,9 年に行ったエジプトと日

本における採石場調査で得たデータをもとに実際の採

石過程を詳細に復元した上で、古代エジプトと中世末

期の日本の採石技術の共通点について、実証的に再考

を加える。2章では一般的な採石方法を確認した上で

エジプト、萩における実際の採石方法を比較し、3章

で、復元考察をもとに、それぞれの採石法の特徴を抽

出する。4章で採石方法の共通点の再考を行い、5章

で再考の結果をふまえ、問題点を提示し採石方法の相

違点についても言及し、6章において、以上を総括と

して結論とする。

2. 一般的な採石方法を通じた日本とエジプトの比較

2-1. 一般的なエジプトでの採石方法

 一般に古代エジプトでは始め

に、切り出すブロックの幅で長

く並行なトレンチを掘り、次に

それに直交するようにブロック

の短手となるトレンチを掘り、

ブロックを母岩から独立させる参1)

。そして、ブロックの下端に

矢穴を掘り、楔で亀裂を入れ、木のレバーによって運

び出す。そして1つの石材を切り出してはまた同じ作

業繰り返し、直後の石材を切り出して行く。エジプト

では切り出す石材は大きく、腕の力のみで運び出せな

いので木のレバーを用いて、てこの原理で運び出すが、

てこの原理を利用するためには支点と石材の下部に作

用点が必要であり、そのためにトレンチを掘ると考え

られる ( 図 3)。このとき作用点はトレンチの底面、支

点は次に切り出されるブロックの角なので、先に切り

出す予定のブロックが切り出されないと、次のブロッ

クは矢穴を掘ることも、楔をうちこむこともでず、切

り出せない。したがってエジプトでは、トレンチを掘

り、矢穴を彫成し、楔で亀裂を入れ、運び出すという

ように、4つの作業工程を何度も繰り返しながら、そ

の都度石材の切り出しを行う。

2-1-1. ザウィヤト・スルタン採石場

 本採石場はアコリス都市址註1)

よりさらに約 20km 南下し

たナイル川東岸の石灰岩の河岸

段丘上にある広大な採石場で

ある。復原を行う地域では、ま

ず始めに作業区域を決定する深

いトレンチを整然と岩盤全体に

渡って堀り、岩盤から深いトレ

ンチで独立された範囲でブロッ

クの採石を行う。その範囲でブ

ロックの高さのトレンチを掘

り、ブロックの長辺下部に水平

方向に楔を打ち込んで、亀裂を

入れ、背面のトレンチに木のレ

バーを差しこみ、前方に運び出

す ( 図 4)。そして、随時下に

切り出し作業が進んで行く。こ

の過程は始めの深いトレンチが

一般的な採石方法と異なるだけ

で、トレンチとブロックの角を

利用しながら随時ブロックを切

り出して行く方針は同様で、トレンチを掘る作業に並

行して、矢穴の形成、楔の打ち込み、石材の運び出し

が行われていたと考えられる。この地域は自然亀裂が

存在しないため、深いトレンチは整然と計画されて遺

る。また、作業区域内で作業が完結するようにブロッ

クの切り出し方向が計画されている。

2-1-2. ナズラ・スサィン・アリ東採石場

 本採石場はアコリス都市址から南に続く段丘上に

南北 6kmに渡って続く石灰岩採石場群の南端部にあ

亀裂

既に切り出したブロック次に切り出すブロック

→支点

力点

作用点

切り出すブロック

作業の進行方向

木のレバー

図 2 木のレバーによる切り出し 図 3 木のレバーによる切り出しの模式図

図 1 一般的なエジプトの採石方法

図 4 採石過程の模式図

写真 1 ザウィヤト・スルタン全景

古代エジプトと中世日本の比較に見る採石過程復元の技術論的考察

大磯 祐子

Page 2: 古代エジプトと中世日本の比較に見る採石過程復元 …...17- 作業の進め方の違いがあると言える。3.エジプトと日本を結ぶ外観がよく似た2つの遺構

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り、コプト時代に操業してい

たと考えられる大規模な採石

場である。本採石場では露天

掘りで採掘坑を掘り進める方

法がとられ、まず、岩盤に走

る自然亀裂を確認した後、自

然亀裂を避けるように沿って、

採掘坑の大きさを決定する。

そして、採掘坑の側面に沿っ

てブロックの高さ分の側溝を

堀り、次に側溝に直交する長

手方向の溝を並行に長く掘り、

さらにそれに直交するように

短手方向の溝を掘り、最後に、

各石材の下端に楔を打ち込み

切り離す。そして、作業が進

むに連れて、下層へと深度を

深めて行く ( 図 5)。この採石

場もトレンチとブロックの角を利用しながら随時ブ

ロックを切り出して行く方針は一般的な採石方法と同

様である。そして、いくつもの採掘坑が隣接し合い、

同時に操業していたので、採掘坑の向きや大きさは搬

出経路を考慮して決定され、切り出す向きもそれによ

り決まっていた。

2-2. 日本における採石方法

 日本において一般的な

採石方法を記述した文献

ほとんどなく、特定の採

石場での採石方法を記し

た報告書や概説書が主で

ある。しかし、中世日本

の石材利用は石垣が大半

であり、厳密な形を要求するものではなく、石垣の中

込石として採石時に生じる破材も多く必要とされたの

で、主に岩盤ではなく転石を対象としていた。その一

例として徳川大坂城東六甲採石場での採石方法を示

し、萩城・詰城部と合わせて日本での採石方法を述べ

る。東六甲採石場は西宮市の仁川右岸から芦屋市、神

戸東灘区の東端に至る東西約 6.5km の山地や台地に

立地する花崗岩の採石場である。ここでは、まず始め

に石周辺の自然礫や土、樹木等を除去し、作業空間を

確保する。そして、石目に則して石の割り付け線を計

画し、矢穴を彫成して、矢穴に矢を打ちながら石材を

分割して行く参2)

( 図 6)。石材の全面を整形する場合

には、割った石材に矢穴を彫成し、さらに細かな整形

を進めるが、基本的には最初に計画した矢穴列に沿っ

て割ることで求める石材が切り出される。1つの工程

が一度に作業されるので、石を割る工程を終えると石

の原型が全く遺らなくなるが、作業が中断されると原

型を留めた状態で石が遺る。

2-2-1. 萩城詰城部に遺る矢穴石 A および矢穴石 B

 萩城の詰城に遺る矢穴石は表面に多くの矢穴列が遺

り、さらに亀裂が全く入っていない状態で遺るので、

これらは、矢穴列を彫成し終えた工程、つまり楔で割

られる前に作業が中断し、捨て置かれたと考えられる。

この矢穴石のように遺構が遺るには、始めに石割り線

を計画し、それに沿って一斉に矢穴列を彫成しなけれ

ばならない。さらに、2つの矢穴石はともに転石や岩

塊を採石対象としたものなので、六甲採石場と同様に、

1つの工程を全て終えた後に、次の工程に移るように

作業が進められていたと考えられる ( 図 7-10)。

2-3. 小結

 以上より比較行うと、エジプトは日本に比べ大きく、

正確な規格性をもった石材が大量に求められたため、

比較例からも分かるように、豊かな岩層を母岩とし、

採石場が大規模にシステマチックに操業されていた。

そのため採石過程の初期に、自然亀裂などの地形条件

を踏まえて、作業範囲を区画した後は、運搬経路を踏

まえた切り出し方向に、順々に切り出して行き、その

都度石材の切り出しを行うように一般的には暫時的な

採石方法が行われていた。

 それに対して日本は、主に転石を対象とするのでエ

ジプトのように岩盤全体を区画する必要がなく、始め

から石全体に割り付けを計画し、矢穴を掘り、楔で割

るように、一斉に1つの作業工程を済ませ、次の過程

に進むように全体的な作業が行われたと考えられる。

したがって、日本とエジプトでは求められる石材の大

きさや採石場の規模によって、暫時的と全体的という

写真 2 ナズラ・スサィン・アリ全景

図 5 採石過程の模式図

図 6 採石過程の模式図

図 10 矢穴石 B 切り出し過程の模式図

→ → →

→ → →

図 9 矢穴石 B 割り付け過程の模式図

→ → →

→ → →図 8 矢穴石 A 切り出し過程の模式図

図 7 矢穴石 A 割り付け過程の模式図

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作業の進め方の違いがあると言える。

3. エジプトと日本を結ぶ外観がよく似た2つの遺構

3-1. アコリス南方採石場に遺る母岩 A について

 本採石場はアコリス都市址の 2km南、ナイル川東

岸の石灰岩段丘上に位置する、露天掘りによる採石場

である。その一部に遺構全体がトレンチによって6つ

の母岩 (A~F) に分けられ、母岩それぞれで採石が行

われていた遺構がある。その中で母岩 Aだけが他の

母岩と異なる遺り方をしている ( 図 11)。

 まず、母岩 Cの西側の地形が整然と遺るので母岩

Cは既に切り出された後の一部で、母岩 Cの南北両

側のトレンチは現存の母岩 Cよりさらに西側から掘

られたと考えられる。さらに母岩 Cの東側を見ると

並行するトレンチと同じ深さ 900mm程度で掘り出し

途中のトレンチがあることから、母岩 Cでは、先に

長く並行なトレンチを掘り、それに直交するトレンチ

をその都度掘りながら、石材を切り出していったと考

えられる。同様に母岩 Dも東に向かうにつれて段状

にが遺り、段幅ごとに採石が行われ、作業が進むに連

れて西から東へ作業範囲が移っていたと考えられる。

母岩 C、Dともに段階的に掘り進められ、トレンチで

分けられた当初の母岩の全形を留めていない。つまり

母岩 C、Dは一般的なエジプトの採石方法と同様に作

業が進められたと考えられる。

 それに対し母岩 Aはトレンチで区切られた全形が

遺り、表面には石材の大きさを割り付けた矢穴列が遺

る点で他の母岩と大きく異なる。他の母岩のように暫

時的に作業をする場合、矢穴を掘る度に割って石材を

切り出すので、遺る矢穴は少なくなる。よって母岩 A

は、矢穴を掘るという作業を一度に作業し、終わり次

第、次の過程に移っていたと考えられる。つまり、母

岩 Aのみ全体的に採石を行っていた。これは 2 章述

べた日本の採石方法とよく似ている。

3-2. 母岩 A と矢穴石 A

 3-2 で述べたように母岩 Aは全体的な作業がされ

ており、表面に遺る矢穴列から、これから切り出そう

とする石材の大きさやその採石過程が分かり、矢穴石

Aとよく似た外観である。条件が大きく違う対象地に

おいて、なぜこのように似た外観を持つのか、2つの

遺構についてその採石過程について復元考察を行う。

4. 採石過程の復元にみる共通点

4-1. 割り付け順の復元

 2つの対象遺構はと

もに表面に遺る矢穴列

に列の勝ち負けがあ

り、順序をもって割り

付けられたと考えられ

る。列の勝ち負けを元

に割り付け順を復原す

ると、先立って割り付

けられた矢穴列を基準

に 1/2 分割し、それを

繰り返して割付けてい

ると分かる ( 図 12)。

4-2. 切出し過程の復原

 復原に際して「計画

された矢穴列を有効に

利用し、楔の打ち込み

回数が最も少ない採石

過程」という視点で、

現状からの切り出し過程を復元した ( 図 13)。という

のは、亀裂は石の中を伝わって走り、止めるものが無

い限り広範囲に渡って走る性質があり、それにより割

り順によって亀裂が走る範囲が大きく変わり、全体で

の石の割り回数が変わるからである。 

 まず、母岩 Aはこれから石を切り出す範囲の輪郭

を2つの亀裂により母岩から切り離す ( 図 12)。その

際に、自然亀裂を越えて、打ち込んだ亀裂が伝わらな

いことを利用している。そして先立って入れた亀裂に

対して垂直方向に楔を入れ、亀裂が走る範囲を限定し

ながら作業が行われた。以降も同様に進められたと考

Bedrock C

Bedrock B

Bedrock A

Bedrock D Bedrock E

Bedrock F

Bedrock G

Crack

943

977

900

221

201

502

613

410

1,944 304

図 11 アコリス南方採石場・母岩 A~F 周辺 平面図

写真 4 萩城詰城丁場跡・矢穴石 A写真 3 アコリス南方採石場・母岩 A

図 12 割付け順の復原図 ( 右 : 母岩 A 左 : 矢穴石 A)

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えられる。次に、矢穴石 A( 図 13) では石全体を縦に

二分した後、優先的に石上面から垂直に亀裂を入れ、

背面を切り離した後、水平に亀裂を入れて小割りにし

た。というのは、先に水平に割ると後から入れる垂直

の亀裂は先立つ水平亀裂の位置で止まり、下部まで行

き渡らず、再び上面から矢穴を穿つ必要が生じるため

による。以上から、母岩 A、矢穴石 Aともに楔を打

ち込む矢穴列の順番を選ぶことで亀裂の範囲を限定し

ながら作業を進め、最も合理的で効率よく採石作業が

行われていたと考えられる。

4-3. 共通する採石過程の決定要因

 4-1、4-2 から矢穴列の割り付け順 ( 図 12) と亀裂

を入れる切り出し順(図13)が一致することが分かる。

4-2 の復原より、切り離したい石の長さや位置に対し

て、求めるように亀裂を入れるために亀裂の性質を踏

まえ、亀裂の走る範囲を限定して作業を行うことが指

摘された。つまり石工たちは矢穴列を割り付ける段階

で、その次の石を切り出す作業のために「限定的に亀

裂を入れる」ということを考えて割り付けを行ってい

る。したがって、2つの対象遺構の採石過程の決定要

因は「亀裂が走る範囲のコントロール」と言える。 

5. エジプトと日本の採石場に関する考察

 4章で明らかにしたように、全体的に作業が行われ

る遺構は「亀裂のコントロール」を要因に、割り付け

段階から、先の過程を見越して計画的に作業していた。

つまり暫時的な作業と全体的な作業の大きな違いは、

どれだけ先の工程を計画して作業を行っているかと言

える。2章で述べたように、エジプトでは先に作業範

囲を区画した後は、順に切り出すだけで作業が進めら

れる。エジプトでは大量の石材が要求され、豊かな岩

層を母岩に大規模に採石場が操業されたため、始めに

全体を管理し、後は大人数の石工たちが徐々に切り出

していくことで成立するようなシステマチックな採石

方法が必要とされたためと考えられる。それに対して

日本では、不整形の転石を対象に、数人の腕のある石

工たちが、石目を読みながら作業していたために、1

つの石を完全に切り出し終える最後の過程までを計画

して採石が行われていた。そのような背景の違いを踏

まえて見てみると、4章で考察した2つの遺稿はとも

に、先の工程を計画して全体的な作業が行われいるも

のの、やはり矢穴石 A( 日本 ) の方が複雑で、先の工

程を計画していると分かる。

6. 結

 本稿ではエジプトと日本の一般的な採石方法の比較

を通じて、その作業の進め方の違いを、同じ特徴をも

つ2つの遺構の復元考察を通じて、共通する採石過程

の決定要因を明らかにし、さらに、背景の違いによっ

て作業の進め方に違いが出てくることを指摘した。

図 13 切り出し過程の復原模式図 ( 右 : 母岩 A 左 : 矢穴石 A)

【参考文献】参 1)Jean-Claude GOYON, La constraction PharaoniquE, Paris, 2004, pp150 参 2) 芦屋市教育委員会 , 徳川大坂城東六甲採石場Ⅴ 岩ヶ平刻印群 ( 第 85 地点 ) 発掘調査報告書 , 兵庫 , 2006, pp130

【註釈】註 1) アコリス都市址について カイロより約 230km 南、ナイル川東岸に遺るアコリス都市址付近には王朝期やプトレマイオス期、古代ローマ期、コプト期に操業していたとされる採石場跡が多く確認される。採石場群とアコリス都市址との関係は、神殿域の南にある切り通しの採石場において、切り出された石材がアコリス神殿域に利用された可能性を唯一松沢が指摘した (2006) ものの、他の採石場同様、直接的な証拠は未だ見つかっていない。さらにアコリスからもっとも離れた採石場では距離約 20km と各採石場がアコリス付近に広範囲に及んで位置していることから、その関連性は実際には分からないが、大規模に操業されていた採石場での労働者の生活の場として、もっとも近傍に位置するアコリス都市址が関係していた可能性は十分に考えられる。註 2) 萩城の石垣、詰城に遺る採石場跡について  山口県萩市堀内にある萩城跡の背後の指月山頂に遺る詰丸内には採石途中で打ち捨てられた無数の割石と矢穴が掘られた巨石が遺る。萩城は関ヶ原の役後毛利輝元が慶長9年 (1604) 築城に着手し4年後の同13年 (1608) に至って完成したもので、萩市内の西北隅、指月山 ( 標高 143m) の麓に位置し山名をとって指月城とも呼ばれた。山麓の平城と頂上の山城とを併せた平山城であり、本遺構は山頂にある山城の本丸と二の丸からなる詰丸に遺る。

【図版出典】図 1) 前掲 , La constraction PharaoniquE, pp151 より図 2) 同 , pp151 より  図 3),4),7),8),9),10),12),13) 筆者作成図 5) 堀賀貴 , 中部エジプト アズバ村付近古代末期採石場に関する技術史的研究 , 日本建築学会計画系論文集 第 611 号 , 東京 , 2007, pp214 より図 6) 前掲 , 岩ヶ平刻印群発掘調査報告書 , pp9 より 図 11)PRELIMINARY REPORT AKORIS 2001, pp10,11 より

【写真出典】写真 1),2),4) 筆者撮影写真 3)PRELIMINARY REPORT AKORIS 2001, pp15 より