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Monata○rganodeMontakaiNe§aClubo.

凶と雲の

町凸

一一

ノイ了札幌 含義

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次目雛七鋪

■回回■筒口ロロロロ回■■ 函ロ■■■

チヤチャヌブリ

ーーセコアンヌプリ

ド画F

やZ

岡版

跨一言二国命言国言{。シ旨”くくぎ5;5G-八

旨ゴロ】耐の】6旨3胃。刀〕.、⑦蚕一()二[1さ、、怪.○

瑞西川岳曾の蓋川小屋(承前)

海豹皮かワックスか

ゲレンデ・スキー術に就て

全日本選手椎大倉に蹄みて

△雑錐

昭和六年四月蓋行

満巽

'if グス鋲-フ・″ルック若

川崎赤雄課

鈴木重雄

耐橋次郎

アーノルドグブラー

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一凸血"=

チ ヤチヤヌプリ γ-ノルド・グフ・ラー

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局q川11‐や仙心T釦別称印汐。

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挙画

七,アルベルト・ハイム・ヒユッテ

ロー①隆一言尋国の旨‐国言富曽二三ご富扇ぎ鳥

ご角呂醇(ざ冨冒Cご再9-[)》q尻臼.g》属冒5宮。〕・一.

小屋の位遥としてはガレンストックよりベッッスピッッエに連なる多くの岩峰の登蕊に向って蛾も適職なる地熱が決定

せらる上筈であった。此の地域は予の良く識ろ所のものであったに拘らず其の撰定は中々困難であった。就中アルプリゲ

ンリュックの往来瀕繁なるルートを避くることの必要が何よりも肝要であったからである。堆初の計舞ではウィンテルス

グレヅチエル

トックの山腹、頂上の東南に位する岩丘が諜定されてあった。此所よりはチーフエン氷河及びウインープルリュックへ困難

なしに越ゆることが出来るのである。併し最後に予等は其特徴ある地形と勝れたる眺望の偏に、フル力闘道に近過ぎる欠

黙を忍んで、二五四六米地熱の岩峰を建設位置として決定した。ヒュッテの位遥の最後の詳細なる取極めは其の居間の窓

よりフルカ峠を越えてワイスホルンの銀冠の耀言を眺め得られる様との希望に従ってなされたのであった。

小屋への雌近の到達路はレーァルプより良き踏浪により北西に向ひ念傾斜の草地をレーァルプ綾地所の貯水池に達し、

瑞西山岳曾の登山小屋

雄ク

諜著

グスターフ。クル

恥か《ドイイ

(承前)

243

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八年九月以来小径が開かれて居る。

此所より小屋までは一九一

一、ウルゼレン村含(代表者副議長マイエと

~

一かれて居る。此の路は同年七月予が融雲の後に自ら涯測したものである

(赤白の標識)レーァルプ小屋間三時間。冬期スキーに依る畔はエブネ

ーテン及びオクセンァルプを経二四三三米地熱より尾根僻ひに小屋迄。

一一四三三米よりレーァルプ迄は良好なる滑降地である。(二十乃至二十

五分)ヒ

ュッテよりの登饗はガレンストック、(南東尾根及び北尾根より)チ

ーフエンストック、グレッチュホルン、ウインテルストック、ロッホベ

ルグ及び其他の素晴らしき岩登りの山々である。峠越えとしてはチーフ

エンザッテルによりローネ氷河方而に、ウィンテルリュック及びザース

ベルグリュックによりゲッシエネルァルプに越えることが出来る。

敷地

一九一八年一月ウルゼレンの村含に於てプルベルト、ハィムヒュッテ

の偏に八百平方メートルの敷地の無償交附及び通路椎、飲料水利椛が認

められた。帳簿上には敷地の所右椛の代りに借地椎冥唇昌月旨冨として

登記せらる上こと上なった。是れは村含側の希望であって雨者の間に変

際上には何等差述なき故予も之に異議を申立てなかった。登記は種々の

事情により一九一九年二月に至りアンデルマットにて行はれた。其の正

文は次の如くである。

は瑞西山岳命端ト支部(代表者アルベルトハィムヒュッテ建設委員命長

一餌I切壱#6島塞

叩一 244

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塵.》驚鴬錨

↑■今計

盤の際予の目的としたる鮎を畢ぐれば小屋は二階進とし内部を雄大限度に利川し、二階に披床の大部分を配置するこ

グスターフ・クルック)に剥しウルゼレ

ン村特帖地域内ウインテル

インテルストックにアルベルトハィムヒュッテ延設に謝する借

地椎設定を認可するものとす。

木椛利は瑞西民法第七七九係に擁り左の傑坂を含むものと

す。

恥アルベルトハィムヒュッテ延設及び其維管に要する土地の

而稜は約八両平方メートルとす。

hアルベルトハィムヒュッテヘの無係件の通路椎。

Qヒュッテの綴誉に必要なる水利椎。

二、前記の諸椛利はウルゼレン村含より瑞西山岳念ウト支部

に封し無俄にて認可せらる上ものとす。

伍し手数料及び登記料はウト支部の愛推とす。

三、契約者の希望に韮き木登記にはヒュッテ寄附状原本に従

ひ次の義務を記載するものとす。

孔ブルベルトハィムヒュッテの建築上の特性は内外共之を愛

更することを得ず。

hヒュッテに於ては飲食物の販喪をなすことを得ず叉蓋川小

屋としての目的に違反することあるべからず。

設計、椛造及び工事の施行

245

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アルベルト・ハイムヒユッテ(ウインテルストック)

海抜二五川六米

八年惟界大戦巾に平和の躯業として地質製の肴桁アルベルト・ハィム教授の名響の偏に山の友よりウト支部に察

一九一罰

附せらる。

二階は八人分の開放しの渡床と気の利いたカーテンで仕切られた五人分の婦人用推床とに分れて居る。すべての工事、

殊に細部の木工及び術子工率は蓋山小屋としては稀に兄る脚到なる注意を以て施行された。

アルベルトハイムヒュッテの特性は其が「山の友」の寄附による謀である。小屋建設に要したる諸維蟹は全部ウト支部

含貝及び其友人等の寄附によりて支排され支部及び中央愈計よりは全然壷金の支出を仰がないのである。此の撒き覗業の

完成の喜びを現はす歓呼の盤とも云ふくき此の寄附状の昌冨二螺冒.}〈冒号を読む人は此の登山小屋建設の庭壷異と工事の韮

行とを明細に知ることが出来る。

と、猫立せる炊事室を遥くこと、快適なる居間と之に若干の渡床を附属せしむること等を主眼としたのである。他の諸紬

亭Iベルフロニト

は小屋の設逓場所の開係より自然の海玄求として自ら解決せられた。入口は南而の切謹正而に在り外扉と防風扉とを右する

こと他の小屋と同様である。防風扉の左側は炊事場、右側は薪置場となり二階への昇降口も亦此所に設けられた。

居間は十八人分の座席を右し尚疲床五人分を配置してある。居間の窓はフルカ峠とグレッチュホルンの方に而して届

る0ヒ

ュッテの入口の上なる切妻額面に刻まれたろ以上の錨は鼓に完成を告げれるアルベルト・ハィムヒュッテ建設の意義を肌にするもの

である。仙界大戦の波逆巻きて我雑の心を慨ましむろ唯中に此所に空商く氷河の流れ祢かに辿る滞峠の上に、此の耽美すべき山僻の枇界

IN

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ヒュッテ創設の歴史

ウト支部が数年に五り斯くの如き計識か戒施し得ざる財政状態にあり、従って延築黄金は悉くこれを寄附に符つの外なきことは妓初ぶ

り肌白であっ旋○又計識の途中より彼の念頭には近く七十の商齢泌迎ふろウト支部端粋含風及び瑞西山係研究の大家の濡器の偏に小膝を

アルペルト・ハイムヒュッテと命稲する意脇が浮んだのであるO

計謝は一九一七年五月ウト支部の築育に於て始めて溌表せられ熱心なる笠成を得稚。叉支部倉興に封する寄附の糊誘状は擁期以上の好

成績を得犬のであるO謹表の日より十一一日を総て既に支部長ハンス・フリックぼ十一一人の山の友の寄附としてグスダーフ・クルックに封

し金一湖フランを手交し、ウト支部命典より成る所の処投委典衛を組織して此の計識に韮号アルベルト・ハィムヒュッテな先成し、これ

を支部に贈興すべしとの希望を樽へ稚のであみo術寄附券は催件として其氏名を溌表せざることを要求した○五〃一一十五日に至り下に架

名する所の建設委貝が選出され派o但し建築上亜要事攻に就ては支部幹難も協議に参典すべしとの希望あり六月八口の幹事命に於て之恋

氷認すること‐.なったo小雌の命稲に就ては委瓜念はハイム教授の承諾を柵稚O委只稗及び支部幹事の参加の下に延殺地はレーァルプ北

カドリモヒュッテ献蝋式班行の後、彼は戒ちに十八人乃至一一十人の肱奔人災を溌度とする府造識山小腿の新しき計識に読手し一九一六

年九月今日鼓に完成し求ろ設計にまで到逢し誰のであるo設計の細仙催はハィンリヒ、プレームにより、共卓越せる蕊術的意匠を以て仕

上げられこれによりて始めて今日予等を悦ばす所の美なる形を表現することを得龍のである。計識の根本は蕊山蒋をして禰山の染風怒雛

の裡にも何等の不安を感ぜしめざる術納所か作り、快迩なろ室遊巧みに郡碓し、共形は並も単純なる手法により完成せる美な表はすこと

恋眼目としれのである。

一九一六年カドリ毛ヒュッテ完成の喜びは雄設者グス夢-フ、クルックかして其の一一十年来の術望なるワインテルストック地域に於け

る新登山小催建設の希望を存ぴ新に喚起せしむろに至つ茨○ガレンストックよりペッッスビッッェに至る雄大なる溌峰の蕊華は延非とも

登山小雁の設祇によりて開変迂らろべきもので、今側迄閑却せられ少激の人灸にのみ識られ愛されたろ此の勝れ穴ろ山儒地は小雌の建設

により登山家に紹介さるべきものである。

に平和の事業が打建てられれ・これ炭に山編への怖悌と熱愛との捗作であるO此の事業は叉瑞西アルペン研究の審術アルベルト・ハィム

致授の薪器を記念する所のものであって小雄の命箱は共、的を表現するのである。山の友は財を集めて此の建設を完成し今日を以てアル

ペット・ハイムヒュッテを瑞西山儒衡及びウト友部に照典するのである○

盈守

I)247

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方の地域と定められ幾岡かの蛮地踏禿の後、yインテルストックの南二五阿六米地鮎即ち今nの延投地鮎が確定された。一九一七年秋ハ

インリヒ、プレーム及びグスダーフ、クルックは峨後の殺計な完成し柾。

然るに之に鋤する描政業者の兄祇佃椛は蝶錬額恋遥に超過し計識の焚行が危ぶまろkに至つ求。此の報が愈只中に仲はろや黍貝愈に謝

して更に寄附の巾込が殺倒し叉一方支部含興に封する寄附勧誘状(ハインリヒ・プンームの原識を復製したる小臆の岡を附せるもの)も

非常なる好成縦を鵬げ、委興倉は識に充分なる碓儒を以て蛮行に落手することを得るに誰つ茨のである。一九一八年一月、設計はワト支

部に正式に拠出されて永認を得、翼にグンフの中央委貝愈に捉川、其の熱心なろ謎伺に迎へられれ○

リト支部含興の計識に封する熱誠は爾後術総縦し、途に二繭五千フランを要し茨ろアルペルト、ハイム』〕ユッテの網羅徴は盃く充分で

あつ求のみならず、支部に向って小催と共に数百フランの魂金が維持蚕余として併せて提供せられ茨のであるO此の敏き命興の窯推は永

久に排附蒋の調饗となるものであるO或は読金の祢附により戎は跡力の提供によりアルペルト・ハイムヒュッテの辿投を変塊すべく努力

せろ所の人為は今Ⅱ蛾に此の耽美すべき山僻地の開謹に役立ち肌又ウト支部及び灸川僻称の舗饗を表彰する所の炎き郡業の完成に夫れ夫

れ童献しれる事を想起して心中愉快に堪えざるものがあるであらう。就中彼等は此の事業により吾人の鯨敬する所の畢者の名が永久に不

朽のものとなれることに蛾大の浦足を感ずるものである○

建築の進行

』も

2218

一九一八年一月十七Ⅱ、ウルゼレン村含の厚意により、yインテルストックの術一一五町六米地鮎に於て約八百平方米の敷地、通路及び

氷利椛ルァルベルト・ハィムヒュッテ延投の蝿に無俄にて縦波せられ龍○一九一八年一一一月初旬、グス参-フ・〃ルック及びハンイリと.

プレームの蝋椅の下に工事は開始され表のであるO駄椅表は金工事及び迩搬作業を一括してカドリモヒュッテの場合と何棟これを一人の

識負宥に摺溌せしめんとし誰のであるが此の場合には事椅が不可能であつ龍○大工、指物及び赫子エ事は支部長ハンス・フリックがアド

リスリィル機織工場の木工場に命じて捕食はせ、工場長リエップエル及び職工の手により模範的の出来柴にて納入され稚○石工瀬はアン

デど、ツトの石工剛体にて手間化郡として請災ひ臓杵考の矩介しれる職人頭ハーゼンフラシシの不断の雌測の下に之亦堅牢、丁率に施工

された。催根柾鎌工事はグッシェネンのウイップリ塗工はアンデルマットのジムメン、彫刻及び室内装飾はチューリヒの一、イステルの手

に成つれ。美事なろ鍛蛾製の釣り燭蕊はツルギのマイエルホーフエル、カーテンはチューリビ、ショープ商店姉人部の符附に係るo設備

肺は粂部チューリヒ、フリッ諾商店の納入、炊郡ストーブはリン荻1ルのフエゲリエ場の製作である○(炊蔀ストーブの詳細は前雅カド

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自三〃一一十五口圭七月六冊アドリスゥィルにて木工及び金物工事、木部組立、指物及び姉子の催級立

尚七川六Ⅱ至七、レーァルプ及びアンデルマットに於て石工、迦搬作業及び伽永玖-ル路付けの契約取枇め、通路及吸地の

礎測、砿人頭に読明

日七月十一Ⅱ至十二日木部、金物及び殻伽の菰込、グッシエネン迄の輪迭

向七月十五刷至一一十日敷地地均し、一一五阿六米地鮎西側堆石より現場迄の路付

、七Ⅲ二十口至什一Ⅱアンデル『ツト及レーァルプに於て打合せ、石工、雌根郊及びチーフエンバハ呪揚側辿搬契約の締詰、現

場に於て読肌

間七〃汁一一脚誰廿九Ⅲセメント、木部、器典及び雌松柾の、鋤車迩搬

自七月廿一一日至廿四日チーフエンパハより魂場まで人夫による迩撤(十日間)

パ穂→諏一

I‐‐‐I・国、

リモヒュッテ設計側参照)工事中雑に剛雌なりし作業は約二万キロを芽するポートランドセメント五百五十袋、建築川村、指物砧子、椛

淡備航の迩擬であった。フルカ剛辿上チーフエンバハ迄の迩搬はゴットハルド守備隊司令部の厚意にfり堆川自動車海使川し、チーフエ

ンパハにては旅舘レグリの物祇を一時材料祇揚として使川することが出来穴。チーフエンパハェリ現場までの迩擬はレーアルプの帝年八

人、ナーゲル、レンネル及びシムメンの兄弟が周到なる注意と忠変なろ義務心を以て此の附雌なる作業に術つ液。共一人なるペーテル、

ナーゲルは小雌芥として雅来アルペルト・ハィムヒュッテに勤務すること、なって勝るO術処錬レーァルプの右偏なろ青年等は九〃の節

二迦に於て他の友人等と協力しレーァルプ護地所の堰堤より、水謀-ルを雑曲する新逝を開い龍のである。此の路は雄将者が七″七、n

ら変測せるもので融響の雌早く露出する山腹に活ひ、なだらかなる曲線を描いて小膝に導くのであるO術アンデルマット要塞刈令部付木

工長、特務暫長エミル、ヘギーは工事中騰惜請を助けて事に常リ大に功絞あることを雑記せねばならぬO

工事進行に開する記録

九九八九

八ノj月七年年

249

t一一

建設地第一u踏壷

節二M踏盗及び決定

a画

[〃’

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自九月八日至十三日レーァルプ小雌間標識

九凡十五口工事維了

現場に於ける工難は八迦問の知時Ⅱ恋以て絡了し淀。二五卿六米の器角の上に雄為しく叱立する此の小さき延築は術蛍なろ形式と並も耶

純なろ表現とを具ふろこと古希蝋の殿堂にも比すべき姿を有ししかも高山の静寂の狸の素朴なろ蕊山家の家である。窓のチューリヒの雛

尚の色素は遮く壱より喜ばしくも認められ、瑞西、チューリヒ、ウリの紋章は旅人を迦へて輝くのであるOすべて此所一卜例ける者、職特務

及び跡伽調はひとしく皆愛情恋以て此の捗作に従郡しれのである。

I:IIfI目、側rII: I自自八八、閲八七MI自口九九九八九八八八八八八七八七

jjjl月肥洲淵jjノjjjj1十五ノjnノj刀ノj世五汁

補補冊W認-1‐廿耐:iIf二 二’’

十具至至至至至至至至至二 至 至 至

iIi八鮒五賊惟八一羊十四五Mi八1--

11n日二日十日三日i:1日pnlFI間IIpnp五日

1.1

路 『 ’ 彫 六 粁 便 床 腰 ア同ノ笹小基韮布同側付永刻ロ蛇禰掛ル 根雌礎礎工け夕及、腹指鞭、べ 柾木石工側

布工開始、瑞布爆破、雌禰訓リ、堆滴より砂採集、現場迄迩搬

韮礎工事開始

基礎石我完成

小雌木部及び雌松上棟、雌根板眼及び雌根紙打付、肝蛇腹取付

指物及び榊子取付内部仕上

軒蛇腹、入口扉、窓外側の塗工、雨戸チューリヒ色章にて途上

六口、九W設伽肺、家共及び潅床川乾*の巡搬(チーフェンバハ塊場Ⅲ〕

彫刻及び室内装飾、設術蕊極、獅除

、ホタール逝付の契約、レーアルプ溌髄所堰堤導標建設

同上

アルベルト・ハイム敬授小雌訪問

腰掛、石段、万嬢及び煙突稜上、石垣築鐙

床禰敷、石卓、外雌、地塗、内雌上塗

臆根柾謙

IilIIリ

上上

戸一

上LL

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γルベルト・ハイムヒュッテはすべての山添愛好新の偏に、叉恥なろ人として山に於て向然に蹄ろことを求むる研の務の筋に役立つべ

きものである○噸くぼ小雌がリト支部並びに瑞西山僻倉の杵理の下に、n曲を愛するワルゼレン村民の守謹の下に、共所に術ろもの、す

べての毒び龍ちん事を○又小臆が其誇りなるアルペルト・ハィムの箱を我群を以て永久に職かん難かO

アルペルトメイムヒュッテ処設委貝

委瓜長グス荻-7.クルック

黍貝ハィンリヒ・プレーム

刑ハンス・フリック

同へルー、ン・ハゥスヘール

向し升・ウェールリ教授

アルベルト、ハイムヒュッテの献堂式はすべての琴含者に取て終生忘れ得ざる所の印象を残した。献堂式の前夜ヴルゼ

レンの察は姉くばかり暗れ渡り、染含考の大多数はレーァルプにて賑かに前祁ひの要に打興じた。少数の人為はハィム教

授を先頭に新しき小陸に集り、こ上に静なる初秋の夜を過した。

此夜の美しさは驚くばかりであった。満月の光は岐炎として我等の周附のⅢ形を夢幻の暁地に化し、フルヵ峠の彼方に

は月光に照されたるワイスホルンの尖頂が光耀くばかりに浮出でた。早朝参含者の列は新廼停ひに小屋に集まり、儀式の

開かるょ頃は山上には珍らしき大群集が小屋を園んだのである。ハィム教授、シュレーープル教授及び中央委興含長の祝辞

の外に殊に献堂式の牧師の淡読は列席者に非術なる感動を典へた。予に取ってはおよそ川岳に閲して、何物が吾人を山に

誘ひ存するかに閲して人の語るを聞きたる言莱の中、かくまで立派なものを未だ耳にしなかったのである。こ上に演考の

小屋の引渡

一九一八年九月一一十一一口、蚊に献堂式の朕洲なろ催九一執行するnに於て蒋人は襟附考の薪に於てアルベルト・ハィムヒュッテを此の群

附脈と共にワト支部及び瑞西山僻愈に照るものである。

符附蒋はウト支部及び山僑蒋が小雌の建築上の特性を内外共之を錘史することなく、飲食物の販立をなさず典Ⅱ的に述反せざることの

Fザ

825】

義務を負ふことを希望するものである。

γルベルト・ハイムヒュッテはすべ一

念ものである。願くぼ小雌がリト支部¥

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許可を得て之を卿戦する所以である。

商のn棟と

国喜習呉の一⑦旨(一

アルベ

蓋高行

岸冒琴一]の。『堂一二{の雪

ルトハイムヒュッテ献雛式に於ける演説

来含者諸飛、レーァルプ並びにウルゼレンの親愛なる村人達よ。

山は背より祁の選び給へる土地であります。ダピデ王は其瀞席に於て幾十度となく水の山々、机祁されたる川々、主が

災の民を聴き総ふ所の山々、主が民に其の批厳を示し給ふ所の光栄ある川だと云はれて居ります。王は其脊券と喜悦の心

を以て山々をたづね、老衰と悲哀とに身を脈めながらも山だの上に其身を運んだのであります。我は我眼を山々の上に築

けん。救けは其所より来ればなり。

山は昔より洲の聖なる場所でありました。モーゼスは川上より北〈十誠をもたらしエリアは藤煮粁の役冊を器峰の上より

受けたのであります。此の誰約の雨雄群はクボールの山上に救惟主の光輝に満ちたる啓示に於て示頴せられました、祁の

子は山々の上に其祇禰を麓言せられました。モリァの川上にては我堺畢んぬと示され、倣髄川の頑よりして昇天されたの

であります。カルヴァリァ、シオン及び撒瀧川の橘に全基将時代の雌も崇禰なる紀念が結合してゐるのであります。

彼の浦意山為の姿は幾惟の背よりいかなる雌揃の理想的感化を人生に及ぼしたでありませうか。庇い、然の内に於て人

フィル・》

が俗惟に遠ざかり、祁に近づくことを感ずる一)と資に川膜に於けるに加くものはないのであります。アルプスの氷雪が紅

に燃ゆる所其所に敬虚なる嬢魂は祁をわが美しき覗剛に於て感するのであります。

諸君。かよる襲境の郡に述築委員諸氏はフルベルト・ハィムヒュッテを処てられたのであります。此の崇禰なる川岳の

アウレリアン・ロスハル

( 252

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惟界に諸瀦は変に巧みに小屋を付加へられ、其調和に於て、其の怖趣に於て恰も小屋は此の片胤岩の川硬と共に生れ冊で

共に生育ちたるが如きものがあります。

小屋も亦祁のものであります。我為がこの賛物を刺に擁ぐることをこ上に明言するに非ざれば只今巾した所の調和も未

だ完全とは云はれないと信じます。それが偏に我為は小屋の奉献の縦を行ふのであります。私は今拡にレープルプの愈敬

する牧師の名と其委任に於て此の献堂式を執行することを光築ある義務と老ふきのであります。

登山小屋の献堂式は我々すべてに取りて甚だ意義深いものがあります。多言を蜜す迄もなく教含が奉献の催式を執行す

る韮なる、的は司含譜の力狸き祇禰に存するのであります。叉其の郡められたる手によりて之を媒するにあるのでありま

す。我等の雑ぐる所赫、祁禰の偏に切る我等の十字、凹壁に注ぎかける聖水の珠玉、これらすべての儀瀧は要するに皆唯

・一の目的に集注するのであります。即ち我等はこれにより登商者の新しき家の上に祁の力の守護を下し給はんことを所る

のであります。誰かこの小屋と其桁泊粁との上に天よりの庇誰なくてはならぬことを疑ふものがありませうか。山々の上

に於ては笹に蒋事が無限の大きさに縦大さる上のであります。俗仙を超越せしむる所の印象もさうであります。叉すべて

の危険もさうであります。風化の偉大なる力、墜落の勢、嵐の迅速さ、電光の火、夕立の激しさ、雲の鼓、これらの自然

の宜大なる力は弱き人間の作れるものに襲ひか上り、怖ろしき戯れを以てこれを弄び、人の力の如何に小さくいかに不充

事業であります。

委員長クルック氏がレーァルプの教含に封し、アルベルトハィムヒュッテの献堂式の執行を依頼せられたるは誠に深き

思慮よりせられたることであり、且又我等加特力住民の感情に深く共鳴する所のものであります。此の地方に於ては如何

なる日も必ず牧人と鰹夫との敬膜なる斬りと共に明け、同じ所りと共に群れ行くのであります。かよる地方に建てられた

る此の深き意義ある家を同じく教含の帆禰によりて刺の加護の下におかんとするはこれ即ち簸満、蛙良なる郷土愛護の一

分なるかを感ぜしむるのであります。

253

ー一一

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来含者諸飛、私はこ上に自ら蓉ね度いと思ひます、登山者の家は其の特右なる意味深き象徴を持たないでせうか。元来

自然に於ける登術の感捕と粘祁界に於ける術きを求むる情緒との間に何等かの因縁は存しないのでありませうか。

如何にも不思議なるは聖審に於て幾度となくことに明かに記さるL如く、刺の子が未だ地上を漂泊ひ船へる時、彼は折

りの婦に山々に登り給へりとの事蛮であります。叉不思議なるは四世紀の昔、アルプス南麓なる羅馬領地の守護職、後の

教父アムブロジウスの銘記したる言葉であります。すべての偉大なる人々、すべての澗溌なる心を緋てる人為は川“の上

に登れり。利を求むる希、祁の使者、大事業の成就肴即ちこれなり。

我炎は何を山々の上に琴ぬるのでありませうか。我々は静けさを求むるのであります。我々は市井の騒音より逃れ出で

んと獄するのであります。我々は工業と交通との不安より逃れて川の大なる静寂に入らんと微するのであります。俗生活

の底に沈んでは人は雑沓の間に亡びて仕舞ふ外はないのであります。人はそこに機械の車輪の如くに衝き動かされて居る

のであります。この山上に於て人ははじめて漸く己れに蹄り、再び自身の思想と親しみを持つのであります。この無限の

、静けさの祁に、流水の喬も絶え、氷河は獣然として縦はり、岩稜は無言に天に饗ゆろの所に人は自らを一人絡として感ず

るのであります。雛魂に取りても恐らくはそれが安息と、樹との雌なのではないでせうか。此の川上に於て我等の職業に

封する喜びがよみがへり、日為の戦ひと勢苦に鋤する生命の職なる忍耐と克己の力が養成されるのではないでせうか。

我灸が川々の上に求むる所のものは展望であります、然谷の狭き障壁に妨けられずに眼を無限のひろきに放つことであ

ります。我々がこの川旗に蕊登るならば世界は脚下に沈んでしまふのであります。庇い芥も小さく兄えます。大都愈も小

さく兄えます。自分自身は雌も小さく思はれるのであります。これに代って我々の蕊の眼の前に祁の偉大なることL力と

がますノー明かに感ぜらる上のであります。

我々が山々の上に求むる所のものは満らかなる新鮮なる推筑であります。天の色の深く澱みわたれること、山々の形の鍵

化とその挫寓なる線の美、花の美しさ、陽光の輝き、氷野の光、詩人コンラード・フェルヂナンド・マィェルが典の山岳の歌の

254叩』

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、ノイムヒ

中に歌へる大なる静けき光輝であります。我々はこの和り除る現仙の黄金の澱きに眼を他かしむることが出来るのであり

ます。鋭き眼光を以てすればⅢ大の凄まじき戦ひをも乃至は人と夫等との戦ひをも槻することが出来るだらうと忠ひます

このプル・ブスの硬き土くれの惟界にてはいかなる僅少の牧礎たりとも皆牧人たちの烈しき鍔働により己が手の力にてかも

梓たるものであります。かょる土地に於て我等ははじめて彼のハルレルの言葉の丘理をさとるのであります。人は自然と

の戦ひに於て蓮徳的に力磁く箪慨となり、満足と幸禰とは殊に好んで狭き凹確の秘に居心地よき住家を求むるものなり。

此の盗術と其目標の偏に登川群は其の根携地、災策源地を必要とするのであります。これ即ち登山小屋であります。こ

上に彼等は簡素なる食班に他満ち、こ上に彼等は危険なる登梁の前に息ふのであります。こ上より彼等は終生忘る能はざ

る印象を其鋳力に封する何物にも換え難き報酬として谷へと繕ひ飾るのであります。

倫私の述べ度いと忠ふ一の特別の事柄はこの小屋の入口の石而に刻まる上アルペン地礎畢の誉宿アルベルト・ハィム敷

授に献すの銘であります。この銘の荷ふ所の名は川岳の歴史の奥秘を探りたること他に比而すべき人なき登川家の夫れで

あります。彼は川の錐の坑髄をきわめ、或は苓述家として、或は敷師として其の恕奥を除す所なく後進に僻へたのであり

ます。瓶くは此所アルペンが北海と地中海の分水紺として天に朝するの所に彼の名に於てこの絶好の紀念碑が不朽に僻は

ます。願くい

らんことを。

ゲンフの中奥一》

物舘に寄贈した。

願くはアルベルト・ハイ・

Fを執行するものであります。

フの中央委員含の希望によりウト支部はアルベルト・ハィヒムュッテの二十分一校型を製作しベルンのアルプス岬

建築

ユッテが嬢術及び道徳の推一歩の浅き一殿堂たらんことを。この意味に於て私は献堂の儀式

255

貯一

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準・伽没、薮犯料

布エ

職将料(職人頭ハーゼンフラッシ)

勢働者災害保険

セメント

ァンデルマット守備隊器具借入

エミル、ヘギ-族挫

血動車辿搬

チーフェンパハ小雌間人夫変

大工

桁物納手工

木部迩撤

収付工挫

催根鎌

彫刻及塗工

設備諦入

右逆職

迦付及標識

製側復鰯、雄備考旅没、溺愛、肌雌蝶

献坐式

雑持茨金

細榊

ヘ ー一二-一三二-一一五、 、 、 、 、 、 、 、、 、 、、

三四四九二六六○三九六二五PLI一二三五五七○○二八脚九五七六三○五一四○四四五八脚六五○○九五五七五五九九八○○○○四一九九七一一

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(未完)

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逸詞。

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鈴木菰

海豹皮かワックスか

洲 ・ない恐|~Iのごと此更に/_、いがし術にだろ皮(まに海北 縛、い一取◎ごと海短豹大だ短もつは第ろの豹所皮ス o所の蓋づ二し間皮もはキ先 をだりしにての向な非1づ術o下の取非雰身い溌部取一併り時付術がのでに、-ノは屑し の は け に あ 垂 は おの づ少、瀧全取不るさな利研しく長111くは愉◎がいな究 のす所あ泣づ快此加。スで合 ろ と るかしな(戎は第キ何理率短尾さの叉或ムーlれ化 が所根れう疲凝るに登詳で出と歩るるれ度のそIiI細あ来加み、 ‘ 砿 さ を 迄 盈 の にIこるれ殺のがい増はな重は誰。ばし時あ率す防らさ必表此是てのるだ一止すの振さ のにも下00閃は、聡品れ 雅越備り殊子出更加でるはし長はにと染にが(ま畠‘僻宇た所非吹なろスああで都:‘IFは 術雲 るが キろ るせ穐一は多にのも、ICが

盗米が軽築もれなど数いりを護減に殆始が全年oス得登表さ上んめらて来海キるりされへどて、のと豹Iと得れた上浦か峰ス云皮登のるたoへ線らヘキつがIIljlfがの此と’'1勺はI峰I・て特に叩、1二の登に何ヘヤもに後ち 海よ’味 ら 、 回 と ’ よ 北 滑一豹る間れ叉も努はい海り11,f皮と的、ひキカ(位逆位間付、に時どツをうゐにゐにけ 海維間くク綾フ新於不一て豹桝的ブタけイしてI愉○は皮化にツ1たンい一快○一なさ同シン《)をも般な米 時しれ時ユをの塗の的叉の間でたにI こ 除 だ つ だ に 疲差には事肉排儀がて。使捺が三一は僻しな、後数川を出○|咋伊的めく海洲年さ靖来○間藤にらさ豹り前れする 米に秀それれ皮を迄たもoを二五のたたが我はのの斯楽○郎荷所斜・使慢殆はは様に○氏がも而はしん、な

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一一ー一一一アや■

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うが、ワックスで海豹皮をスキーにはる、皮とスキーの間

の雲を取除くと同時に取はづしの紬が非備に簡駆で、且下

りも普通の海豹皮程不安定でなく且スピード的であるし、

又軽い躯も長所の一つである。

雌近ボー、-ドをスキーに付けてシュクィグに効くとの*

だが此は筆者には経駿はないが、下りにはポマードを藩さ

ねばならぬ洲だ。此も吹罫の時は老へものだらう。さてワ

ックスの使方のみで海豹皮同様な登り方が出来て下りもス

ピード的に出来るとしたら海豹皮の短所を完全に取除き得

る事となる。重さの問題、取はづしの問題もなくなり更に

一寸した休心叉は班食の時も戒ちに楽しめるわけだから。

此の問題は猫逸・スウヰスでも論議されて居るらしい。或

る本に若しワックスのみで海豹皮位ゐの結果をもたらす郡

が出来ればワックスに秀れるものはないが、悲しいかな現

今は左様なワック『〈が鍍見されぬから海豹皮の方がよい、

と結論されて居るO此虚に云ふ「ワックス」とは登りは海

豹皮同様に後滞りを防ぎ下りはスピードを出し得るワック

スの躯である。既にノールウエーでは海豹皮は歴史的な存

在の一つとなり、蓮動具屋には影を見せずにスキー博物舘

二ざ=禿一一一写~ーー

壷1111、兄I、厚使ル比へ躯事で名るイ存に柄でにるはきつ此ワ較もははあながグ在標老ワイ、l・ 事少 加て のツ 的失し非るオ、ワの木ヘツいはく 減 見 代 ク 温 敗 1常・ス此ツ-とつクて不ととた表ス度はスに一トはクつしい久 居可も零が的花のあで悶日(喪スとてたをる能前変 、な登菱る成難一イ蕊はせ飾事塗黒で晩と蓋も’'’化o功な杯製の溌んらはるいあに一りの川に吾失事を0)効111とれ同率 ワる塗致はとと左々敗で気ワ能に努て性はツ・らし成しし右がとあ温ツ調:あ力あ礎 いク併ねな程ててさ捲聞るのクとるをるの や ス し ぱいよテ使れにくo愛スよそ綾と蕊なを若な限くンjilな成l昨此りさくのけかを躯途しらり効l、しい功にの易へ似効て。配のれ下ぬスくがたワすワワいもて能ルキ吾合一ばりかピがあらツるツツ111好居森る々すつスがらl‐lくる如クとククでくるはももるでピ淵、ドリoイIリスはスス、使様没の亦l昨あ|らそ的は此力、即|断導の充ひだにだ抑はる ドなのでそのOち言門使分切○卜O豹亡 八

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261 9

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つの8のを使ふ時よりも分並少くて然も作川の覗くなると

云ふ原則である。ワックスにも同様な事が云へないか、テ

ントにオストバイ製ワックスを配合して俄然成功した。即

ち前晩にテントの液体の方を塗り翌日の雲礎を見てオスト

バィ製のワックスの迩営なものをその上に塗るのである。

即ちテントをグルンドワックスとするわけだ。此で登りは

テントとオストバィの例へばミックスと共川して後洲りを

防ぎ下りは二つが共にそのスピードを加へる躯になる。丁

度薬理作用の法則に一致する。叉同時にオストバイ製のワ

ックスの馨変に開する原則とも一致して使川出来る。此も

今シーズンのみの浅い溌雌ではあるが、他の海豹皮を付け

た同行者と同じに綴り得て下りも決して彼等に画けないス

ピードである事は錐者と共に一緒に行った人々がその讃明

して下さる率でせう。併し未だ春のザラメ堺クラスト等に

封して最も能率的に海豹皮なしに封抗し得るか此は充分に

経験してない。

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=、亀壁ニ#ーーーー~=一q一 函

一旬函 ---.。

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262

今後も小さいながらも筒春の雲に封して努力を続けるが

スキー登山愛好者の御研究御溌表を御願する次第である。

.(一九一一二・一一一・一一○中山小屋にて)

『二

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廿宮■

一般に、スポートとしてのスキーには、Ⅲ岳スキーと競

技スキーとの二つがあると言はれて届る。私の雷ふグレン

・デ・スキーは略を前者に該磯する。「ゲレンデ」犀]営号と

は「土地」叉は「地帯」を意味し、スキー.・ゲレンデと言

ふ時には旗義ではスキーをやる所全休を縄稲するものであ

シュゾル・一グう・ろグラウゾ

るが、狭義に於いては現行の飛縦及び長距離競走等の競技

スキー・を除外せるスボートとしての一切のスキーを包含せ

るものである。故に、練習錫、丘陵、商山等に於けるスキ

ー術を縄稲せるものをゲレンデ・スキー術と謂ふ。

樋く妓近まで、満山に於いては、スキーは登川と言ふ目

的のための軍なる手段に過ぎない、と一般に老へられて居

た。そして、商川に於いて杖に頼らすに洲降したり、シュ

ヴングしたりする事は、全然不可能であると考へる人が可

ゲレンデ。ス主i術に就いて

成り多かった。然しヨーロッパに於けるゲレンデ・スキー

術の護達は、最近十五ク年の間に四○○○米級の商川を幾

回となくシュナイグー、シャウッフエンベルガi、ローデ

ー等の優秀なるスキー家が「杖乗り」せずにn曲にシュヴ

ングして(胃旨響胃冒一賑)踏破した班憧を提供した。即ち

これは、スキーが登山の蝿めの手段であると・一・・いふ従たる地

位から脱却じて、商伽に於けるスキー自身が目的となり主

役となって来た事を明らかに物語るものに外ならない。だ

げじニヅク

が、ス争千-の大登川には、スキー術と蓋山の経験とが雨々

加侯って届なければならない。溌山の訓練及び維駿を挫揃

に右して居るが併しそのスキー術が未熟であると言ふ様な

人は、冬の満山から離れて、先づ彼のスキーを正しく安全

に操縦する技術を望ばなければならない。同様に叉、雪崩

ーー-

たかはし・じろう

263 2

一一画

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ゲレンデ・スキー家が閑暇を見出して仲間だけの小さな競

技を試みる森は、誠に望ましい事であって,斯かる過漉か

ら優秀なるスキー家の生れ出づるのは必然的な蹄結である

と煮はなければならないであらう。

××

次に、ゲレンデ・スキー術に就いて二三の説明を試みる

純理論的に言ふと、淵降方法としてはホックのシュス・

ファーレン、廻稗叉は停止法としてはクリスチャニア・シ

ュヴングが、最も安定な最も理想的なものである。然し、

惟むらくは、之をゲレンデに於いて賛地に行ふに際しては

躯程左様に龍純に理論迦りには行かない。色々の附雌に辿

辿する。それは

仰傾斜角度

1・僧

力向

側雲の賊態

閏速力

⑤ゲレンデの不均整

の五要素である。疫際には、此の五要紫が祁々入り剛れ

て生ずるから、佃公の場合に於いて如何なる技術を川ふ可

■.---

の符識や方向測定法等に就いて何等の能力もない人は、暇

令如何にそのスキー術が上手でも、冬の揃山に近付かぬ様

にした方が良い。そして、夏の間に仲間から盗川的訓練を

うけなければならない。

籾て、此のゲレンデ・スキーと競技スキーとの二粁の開

係に就いて兄ると、雨考を全く綴も曲りもないものL様に

老へるのは、誤りである。ゲレンデ・スキー家は、競技の

方而に於ける技術や蝋の研究、忍耐心、闘争心、軽快迅迩

なる動作を援用する躯によって、その努力と時間とを大い

に節約してスキーの合理化をはかる躯が出来るであらう。

叉、競技スキー家は、海山のゲレンデに於いて派養せられ

た確乎不携の粘祁、遡催なる肉体、確滋なるスキー術によ

って、崎の舞蕊に於いて築冠をいただくに至るであらう。

人は名々その職業を異にし、その趣味性怖を災にし、そ

の住居を異にするが故に、器為その事補に脈じて、或は主

としてゲレンデ・スキーに志す人が出たり、或は競技に全

生命を打ち込む人が出たりするのは誠に自然の理である。

決して、お互ひに樺蔑したり反目したりすべき性質のもの

ではない。競技スキー家が時折祁秘なる辱の川々と親しみ

ゥ戸画一一一一一--罰一再卓哩国一国=一=ー

26‘。41.〕一二一』

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正親の淵降姿勢と呼ぶに五易は一‐メディゥム・ホッケ」

嵩の(一言二国CO一sなる術語を以ってする。即ち

側雨足を揃へて均等に荷龍する。

ホッケ

②膝及び腰を屈して跳身国○.一gし、身総の重心を低くす

ずのO

フー1了ザーグ

側身鴨が斜而と垂直になる様に前傾ぐ9.一窒娠oする。

閏順腕が膝の商さに於いて、その横に在る様にして、被

杖の先端を野而と水平に外後方に開いて保持する。

⑩傾斜角度が綾になるに従って、身僻を起して頂立婆

勢に近付き、前傾を少くする。之に反して念傾斜になるに

従って、段々ホッケ及び前傾の度を大にして行って「最深

ホッケ」の姿勢でシュス・ファーレンする。

②戒洲降の場合には、斜滑降よりも迩力が大であるか

ら、一屑深いホッケ姿勢をとらなければならない。

側雲の状態の彩騨をのべるに先立って理質の分類表を

示す。 b■

Iゲレンデ砿於ける滑降

263 、61ヨロ】

一■■一一

言かと言ふ事を振示する事は州難である。かるが故に数十

年の永い歴史を右するゲレンデ・スキー術が今円筒確定的

理論を右せすに、一はテレマーク・テクニックを叩へ、他

はクリスチャーーァ・テクーーックを力説し、叉或るものは今

日満ほりリエンフエルド式シュトック・テクーーックさへ口

にして居る様な状態を呈して居る。

然し、他方、是等の五梱の要素に像件付けられて届る無

限の可能性の中に、ゲレンデ・スキー術の主要なるスポー

ト的な魅力が存する。斯様に無限に愛化する要素の存在す

る事によって、スキーには他のスポーツに兄るが如き無味

麗調がなくなる。ゲレンデを滑降するスキーの技術は斯様

に複雑して居るにも拘らず、シュナィ変l一派のアールベ

ルグ式スキー術は、それに鋤して略確定的なる一般的詣示

を典へる事に成功して届る。

次に、是等の五要素が「ゲレンデ・ファーレン」(五言号

辱旨昌(「山野滑走」に近い意味を右する)即ち

側ゲレンデに於ける淵降

②ゲレンデに於ける停止及び方向愛換

に及ぼす作川を、時間の許す限り研究して行く眼にする。

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、I新雪

以昌弘呂旨の

I燕鋤一

帖〆][ぬ○一芦戸一○○

人濃性新雪(撫雲、新雪)

B乾燥粉毒(乾導、粉琴)

C融解軟押(融諜)

-Ⅱ射及びD融解梁葬(堅諜)

0蕪淑の作川

必凍粒撫罫(ザラメ群)

一r風雌硬罫(硬雲)

G鱗状硬雲(鱗舞)

側風の作川

命己侭の旨

H雪、。言航急。言

雲が深くなるに従ってホック海濃くして行って遂には碗

立して一本の狭いシュプールで滑降し得る様になる。

之に反して、雲が堅硬になるに従って、幅臓いシュプー

ルを以って深くホッケしてシュス・ファーレンする。

極めて深い雲の中ではスキーが左右に揺れて角が付き始

めて不安定であるから、ホックを深くして膝を密藩させる

此の方法は叉融雰、表府堅雰時にも右効である。

平滑に凍った曜雰の上では、雨足を揃へてスキーを並行

に、幅庇く開き、深いホックで治れ。

硬雲、賊雲、シュプールで堅められた斜而、硬く凍れる

森林小途等に於いては、雨足を淡く開いて深くホックして

滑れ。然し斯様な場合には多くシュス・フブーレンが出来

ないのが常であるから、プルーグ叉はシュープムの姿勢をと

って滑降し何時でも券易に方向愛換を行ひ得る様に準備し

て瞳かなければならない。斯うして滑降する躯によって、

此の呪叩すべき雪礎も除り恐怖するに足らなくなるo・けだ

し、スキー滑降の瞳の幸禰感は、粉雲中の寒易なるシユス

フアーレンのみに存するのではなく、叉出来るだけ冷静な

る安易なる動作によって諸稚の雌開にうちかつ聯にも存す

るのである。

従って、蒋々は斯かる悪賀の窯をも郷蕊する張なく、そ

こでも亦スキーをなし得る様に線押して掻く可きである。

斯様な場合に、速かに、確賛にしかも而白く滞り得る可能

性は、ホックと言ふ新しいテクニックの中にひそんで届る

しかも、此の新しいテクニックは商山に於いて壷生したも

のである。と言ふは、禰山には悪い呪岨すべき雰、苦手と

する雲が多く存するからである。

㈱迩力が小となるに従って身鵠を起し、速力が大とな

るに従って次第にホックの度を深くせよ。

垂662.1

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是の事に就いては、時間がないから名略する。た堂その

結論の輪廓に就いて述べる。

万龍なる方法は、クリスチャニア・シュヴングである。

クリスチャニアは唯一種類あるのみであって、身撹の振動

を利用して足の力によって廻樽する。而して摩擦が大なる

時にはシュテム(制動)を加味し、摩擦が小なる時にはシ

エーレン・フォルム(鉄形)のみで間に合ふ率になる。

前述の五要素の形雑を左に概括して澄くに止める。

籾て、笹地に於いて、是等の五要素は机互に校合して作

で受ける。

山〃可》一J

平地から念斜而への凸接地通過の時には、一瞬間身鵠を

少し起して前傾の度を輔すと同時に深いホックを探りさへ

すれば良い。

ゲレンデの雪波の符の前では一方の足を少し前出して深

いネックで行き、谷の中では最深のホックをとる。そして

逆斜而を登る時には極端に身磯秘1鈎鱒し,雲波の峯を乗

グーグ・入・テグ

リ越える時には秤ぴ身鵠を前傾させて斜而,と垂臓にする。

此の迅迩にして極めて狸い前傾及び後傾、磯重の前方及び

後方への移動はゲレンデ・ファーレン中で雌も難しいもの

・である。特に逆斜而から峯に移る瞬間には雨足を以ってゲ

ドル胆トレーチ・》

レンデの雪波を極めて弧く『踏み附け』る。此の時身鵠が

幾分伸びる傾向がある。

所が、速力が大になると此の踏み附けが不可能となり、

察中に投出されるより外に致方がなくなる。その時には、

空中に於いて出来る丈け前傾を弧くして、粁雌時に身柵が

斜而と垂直になる様にして置かなければならない。

粉雪時の最大速力の時には、一方の足を少し前出するが

柵重は絶勤に雨足にのせ、膝を密若し、ホッケを深くし、

前傾を充分に弧くしなければならない。

⑤ゲレンデが均等であり障碍物がなければ直立してでも

滑れる。之哩反してゲレンデが凸Ⅲし障碍が多ければ多い

礎ホッケを深くしなければならない。

クニ鋤ク

念斜而と平地とを接続する凹接地通過の時には、、唯も深

くホッケして身磯が前方へ投け出されるのを防ぐ。此の畔

ドルヅク

一方の足を少し前出させる事も↑のるが、しかし衝繋は雨足

Iゲレンデ脆於ける停止及び

方向愛換

267 25

ーー■

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罰ててⅥ.行津冥が求閏信雲第寓這』いs誌堂

川して、.前述の規準を強めたり弱めたりする。例へば、念

斜而に就いて述べた規準は、堅雲によって盆々弧められ、

深い粉雪によって盆々弱められる鞭となる。

26

園詞剰wII他偲帽催一言筆毒涛一号喜一膳号一鴫e涛嬬一議く、Ⅷ.識

営洲騨ぐき・診一#綴鵜箪一悩貝汁鏡置一(辱く溌一漢誰)霧課聡瀞訟一輔州舗鍾

塗蕪満割一翰一仙舛齢罵淵寧謝渉郭蕊碩一》’二鱈ご豊)一M冨津蝉蝿柳蕊酔一一増ァ玲一一一竜蝋涯

卜冒熟考4|嘩一卿舗“繍耕蝕一瀧蕊獄淡一砦言季蝕恥許一渉》素蝋蒜一語薄s毒、詔

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輪》樗輯)一蝉一洲請電需

謙一噸舜一似酎瀞一専一肌診一L』一輩.m誠一奉一誤悩誌忠一氷詳蝿駄峠一癖尋噌琴罵季

雪 鳶簿意翠

富I

26s

零週憲一蝿一繁蕊

此の無限の多様性の中に一方ゲレンデ・スキー家の難開

が存する。が、それは他方スキーの諜営ざる魅力の源泉を

.なして届るのである。(札幌放迭肋に於て放巻

く#唾、、|蕪蕊S舜亨罵汁

制革勢い箪劃

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、妻ニダー

蚕=…、苧夢一一昌一巷)』

灘洲営前スロープより太郎ス11-プ南而を望む

『■

雲董雲雲塞鍵雲雲

雪参差二雪雲畠茎一、こ

一》》

深浦

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一・繁

熟息蕊蕊

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一一月十七側午後六時札幌商工愈談所含誌室に於て、蝋陳に開仙の釜Ⅱ木ス評1選手椎大倉剛席の諸氏を淵じスキー座

談稗か催しまし従O徹夜の川席者は北海通進出の選手共他大倉剛席の

繁輪正流、秋野武夫、水間四郎、小野寺勝、村井延雄、開側勇、愛川光男、鞠両俊四郎、商橘次郎(小糠商商教授)

南留三郎〔札幌商業教諭)、釧戸善一一一郎(札幌第一中教論)、間野亜一(北海道礎員)

此の外に逆腿の鴬下利三の諸氏並に本倉の

大野教授、栃内教授、隣田戸七郎、揃橋昂、長野蒐

全濁本選手権大曾に臨みて

串.

して到底蝋え得られないと一言ふ噸で腹刊してしまひ、其後

形式が全然愛りまして「山と雪の含」と言ふ念が組織され

まして昨年十一月の初旬から山と雲と言ふ雑誌を綾行して

ゐる次第であります。

其塵で狂隙スキー王閣と詔はれる北海逆と致しましても

徳ふ言った雑誌がどうしてもあらねばならぬと思って届る

次第であります。

北海逆は人口三百蕗に近いのでありますが、近年非稚に

スキーが盛大になって参りまして、唯今では何商人スキー

l詞

260 27

大野敷授一寸御挨拶申し上けます。今般山と雲の倉で

一夜スキー仲間のお集りを種きたいと忠ひまして殊に先般

の樺太の大倉に御出張なさった方炎を中心と致しまして或

は其の開係の方ゐのお出を願ひました庭が御多忙にも拘ら

ず、或は叉小穂方而から態盈仙橋先生を肯として御落命下

さいまして連に右難う存じます。

川と雪の合は御承知と恩ひますが恰度先年迄川とスキー

の倉が北大のスキー部が中心になりまして「伽とスキー」

と云ふ雑誌を装行して居ったのでありますが畢生の仕泰と

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を峡いでしまふのでありまして、スパルタの時代からこの

スポートといふものは絶えずに盆々雄大になって参ったと

云ふことは畢党この所以に塞ぐものであるからであります

スキーに於きましても軍にスキーで走る、或は山を芋梁

すると云ふことだけではスキースボーッとしての嵐の意義

に於て完全してゐるものでないと思ふのであります。

それ故に山方而の享楽中心のスキーと共にこのスキー競

技と云ふものを護展させなければならぬと痛感してゐる次

第でありまして、札揮に居りまするスキー競技界の第一人

者である諸君を今晩この席に御参倉を願ひまして、或は樺

太に於ける全日本大倉を中心に、或は木逝に於ける僻来の

スキー競技といふやうな方而の事業に就て色々と御読を邦

聴することを得ましたならば本迩のスキー護展のみならず

日本のスキー界のため幸ひの事と忠ひます。

私共は近き僻来に於て、日本でオリムピック大含が開か

れると云ふ本を切望して居るものでありますが、簸近の紙

上でも其の資現運動を聞いて居ります。さうなった場合に

於ては一肘木通に於けるスキーの仲間は蝿慨せねばならぬ

事と思ふのであります。

28 27C

に乗ってゐる人があるか正確な数字は解りませんけれ共、

どうしても、近き僻来に於て五十徳或は百高近くもスキー

を穿く人が出るだらうと恩ふのであります。

それは云ふ迄もなく北海通が位置的捌係から致しまして

スキーに雌も適篭して居るからでありまして、伽と言ひ雲

磁と雷ひ、雑し本邦に於て理想的の所であると一般が認め

てゐる虚であるばかりでなく、吾々が名地のスキー場を凡

て参りましても賛隙左様であると忠ふのであります。

で私共スキーの奨卿家と致しまして、どうしてもスキー

を奨励するには先づ一般にスキー術を弘めなければならぬ

と云ふ考へからして先年来川小陰、即ちヒュッテを深川造

りまして変際の奨働もし自分達も滞ってゐるやうな次第で

あります。

御承知の如く近甑スキーヤーの多くなったことは蜜に鯵

しいものでありまして、同慶に燃えぬ次第であります。

今後私共は一般川方而ばかりでなく競技スキーを藤太に

しなければならぬと忠ふのであります。

凡そ人間の生活に於きまして、この競投といふやうなこ

とがなかったならば精祁的にも叉肉体の組織に於ても緊張

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どうか今晩はスポーツマン的に、御馳走はありませんけ

れ共、其の紬は御容赦下さいましてゆるノ、スキーのため

に御撤談あらんことを切にお願ひ叩します。笹は私風邪を

ひいて蚊術して鵬りますが、押して本夕の倉に挨拶をしな

ければならぬと忠ひまして出席致し、特にストーブの傍で

喚中に入れさせて頂きましたやうな次第であります。

従って徹底しない黙は零赦下さる様お願ひ致します。

之を以て開含の挨拶と致します。(拍手)

旗Ⅲ一寸今晩の座談命の進行方法に就いて簡雅に申上

たいと忠ひますが、将迩に兄るやうな座談令の形式を探ら

ないで党り座長とかさういふものなしに側壁からでも変間

を出して、そしてそれに封して皆さんの御意兄をお互に述

べて硬くといふ方法で進行したいと思って辰ります。

例へぱ先達の樺太でのワックス問題が出たとしますと、

それに一時間も二畔間も笠すことになると一寸困りますか

ら適職な時間でその遥を私の方で似酌して話題を稗摸した

いと恩ひます。

併しなるべく退屈しても可なり深刻な問題に迄私共の立

場として全日木のスキー界を動すといふやうな立場に於て

序⑨。’

そして日本のスキー界を論する意味に於て皆さんの御商説

を邦雛したいと忍ひます。

で先づ除りその話が先に入りますと解らなくなりますか

ら蒜口が六ヶ鰍いので御座いますが、その蒜口を何塵から

か御出し下さいまして、そして追食花を咲かせて参りたい

と忠ぴます。どうぞ左様お含みを願ひます。

宮下それでは先づ第一に全日本スキー大含を開催する

に勝って樺太で行ふといふことは全休的に考へてどう云ふ

ものです。行って来た方の感想を先づ承りたいですな。

変り非常によいとか非常に悪いとかいふ感想から一つ。

庇Ⅲ樺太は大念地としては北方に偏してゐるといふ嫌

ひがあります、殊に今度も内地から来た選手が、あの宗容

海峡で兎に角船で二nも三日も悩されたといふ事などもそ

の弊として梁ぐべき鮎で、之は要するに交通不便の結果と

恩ひます。

この鮎からして恐らく何虚の人に聞いても嘩太を良いと

いふ人はない様です。

栃内党り紀封的否定といふ課ですね。

術野左様な交通不便な樺太を選んだことに封しては聯

271 29

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服の査任を間ふくきだと思ふ。さういふことは初めから解

ってゐ乍ら樺太を選んだといふことは問題だと忠ふ。

臓川さうなると去年の十月の代表委員含の問題に自然

及んで来ることになるが代表委興念の棋様は商橋飛が一群

精しい。

商橋さん、論、どうですc

禰橋代表委旦命の内癖といふことになると成る稚私は

代表委員含に出まして今回の第九回の全日本スキー選手椎

大含は佃木のォiル選手椎を決定する重要な大倉であるか

らして、それで非常に交通不便なⅢつ不安を榊びる雛太は

第一に不可ない、それから幾用の紬からしても全日本の選

手を出すに就いて冊易い所として札幌を架けたのです、尤

も持廻りする前例からすると樺太の順序であるが、さうい

ふ前例を破る偏に殊に軍要な大倉でもあるから、今年は札

幌でやって茂って来年は樺太でやって災はれないかといふ

のです、虚が樺太側は頑として聞かない。結局多勢で樺太

に定つたのです。

一体この餐地の代表委員なるものは正痘の虚去勢された

やうな感じがするといってもよい位である(笑喋起る)だ

,I

から、逓一にスキー其のものに就いて琴へる方が少ないのは

迩憾です。

併し青森の吉岡さんなどは極力札幌説を主張されたので

すが、今迄はさういふ例になってゐるといふので結脇樺太

になった。

それならばといふのでオリムピック大含への橡選含を大

鰐か札幌で行ってはといふ案を出した虚が、それぢや樺太

といふことが分れば誰れも行く者はない、可愛想だから商

橋洲職認して呉れといふから私は獣認し、樺太に決った課

です。さて樺太に決ったが大油と豊原と何れにするかとい

ふことが其の場合に非常に問題になった、結局大泊と豊原

南方を命揚候補にして投票するといふ郡になった。虚が南

方共手前味噌を並べる一方地方的観念の薄い人もあって知

りもしない蝦原に投票した。

そしてその差といふものは僅か五、六栗に過ぎなかった

そこで蜜際豊原に行った人は、行って兄て豊原よりも樺太

としては大泊の方が競技場としてよいとい・″〈ことが初めて

眼に付いた課です。

さういった課で含揚が走ったのです。

屍と〃

弧 272

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錦戸さうですc

符下それぢや惜しいことをしたね。

栃内どれ位大泊には毒がありました。

錦戸一尺位です。

商橋次郎何せ地形が全然蓮ふ。

大野開催の場所を定むる場合は命長から土地の解って

ゐるl久等lの解ってゐる人を託衡委員にするやうにす

れば一番正確に行くんですな、専門委員倉ですね。

今後さういふやうな方針で若し例年さういふ瓜になれば

否さういふ風にした方が公平ですね、さうでなく唯票数な

んかで定めるといふことは、おかしなことです。党り椎威

ある人に詮術して決めて黄ひ夫を票によって定めるといふ

風にしたいものです。

常下さういっては悪いかも知らぬが全日本の競技とし

てスポーツは娯楽としての程度のスキーをやった人が多い

から本職に競技的スキーの出身が少い。

僕等も畢生時代に合議に行っても具合が悪かった、そし

て祭り上けられた人が多い。

術怖昂今のお話で僕はこういふことを老へます、代表

31273

た がもとにれすが北め.器畢、

/Ef

oi繭がなあ 宮 あ い つ 満 股 る る 多海てン関iI.;i橋るいれ ‐ ' く ら ふ い 野 Ⅲののく迩居デ体聯合のと(ますやてでを入でる1は3で仕自イだう.併そす 嫌没札、シ北一

あ率分ンとなンしいがつす幌殊ヨ海寸兎るが自タ忠こデ岡つ、てるかにン逝間にが出身Iふと’くはそゐだ或1:11もを)廻角、来で力oをシ虚僕んるらは勝よ無に同そな開し耳ヨにはなのう小径し祇鯛じれい催ヂにン依な嫌で と樽秀スすれ樺と、すとすがるいひはいでなキるな太之そるオる札ととがなふ開進lやいでれれ力IがI幌イ思あいや催手にうかもとでが ル、 がン ひく )かうさも通にも盤はnなジさよタままとなれ多し思知原話然いヤういIすせいルlたいてふれよ(ま後か (い と力 oんふ係なのゐ、まり逃援らンふ認しか風 からでる併せ大ふの和とこめヂoに らぱあとしん泊と多儲はとノi臭も僕北北るい北がが思い大述(まら札等 海海かふ海一よふ庭きひな他幌(ま 迩 遁 ら こ 遁 休い・へなまきでで感で の 、 と は 内で行後すにややぜ開 選 若 を 雪 地すき援oしるるら催手し認のの

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ql

う を らくなしこで命な南考ぬ商で宮火いさねと南は商商禰庇の勢へが橋せ下聯、うOに何野橋野川終力さな、昂うさししだに昂つとうけ他か終さうなたかも本さそたいなれのそ。来てしいららな部併うい流ふるば各れど今なとよこらかしなつぐ意と な 地をん後い代いのなら代る{ま後味唯 ら 力如なのの表と次い役表と僕でで今ぬの イiリ風開は役忠かと興委ルがシ決でと閲に‘に惟不員ひら思が貝I今I定は . 思休すな地思合まはふ来がル迄ズさ利ふがるつの議なす大oなii1i[の主ンれ害0段 か て こ と ん o含いぐ不張はる開々と、と忠かさのo集術し‐'一

琴管継|侭泰;誓 帯経蕊雛に 力、 しこ今うすのる 打 誰 よ な で こ承投てとのでo代と合といんす回り票もはやす表涛含胴iが力、oあま椎つ別う・委んを 生 ね 瞳 りしととにな員なや誰oぐまたかよ決成含出る位解すがいいつ行にらと出る。,ふ力.てでなれいたoさや法勝行らるふん

”] 274

垂典含は十月十七nに定つたが十月十七nに集って小樽と

か札幌に開くといふことに決定されてその以後に於て全日

本に於ける準備花附くといふことは時期が通い。

その懲味に於て代表委興念は全H本のスキー大愈の終っ

た翌日開催されるのが本職でないかと忠ふ。

この代表委員衝の含議は大含の後に、何を意味するか、

折角多額の旅斐を冊して名代表を送り出して牧礎を得ない

秋よりもレースを兄て牧礎を得た後がよいと思ふ。

秋に附いた場合は競技の内癖の不備その他気付く鮎も多

い自分が痛感した時に直ぐその翌、忘れない中に開くがよ

いと忠ふ、夫から今の代表委員命の席に出た人であっても

競技命を絶掛兄ないといってもよいので折角さういふ倉を

催し乍ら役員をしないといふことは自分の倉を育てること

Lか非常に全日本を可愛がる鋪持がないと忍ふ、どうして

もこの命識は大命の終った翌日やるといふことは競技の内

癖理解の上に雌も必要なことです。

来年は是非さうやって黄ひたいと忠ひます。

大野それでよいと忠ひます。

悔下今のやうな命識は私達が側係して二画あった。火

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純峨から北海通の走る選手で非常に右望な人達が将んな樺

太で失敗したといふことは日本中で帯不思議に思ったと思

ふが、今晩此庭に出場された選手の方がおいでになるから

どういふ塵でもって本職に誉しんで、そして失敗したかと

いふことを少しづLでもよいからお聞きしたいと思ふ。

臓川南先生はコースを逆にお巡りになったさうですが

御感想遊1.

南偶然私はその前の日に巡ったのですが、

向ふの知人に聞くと前年は南北のコースであったのを今

年は東西に探った。併し地側を兄ると偶然南北にコースを

取ってゐる。五十キロを六時間半ばかりで歩いて来たが、

何といはうか雲の少ない開係も御座いませうが、人工的に

造ったコースは非常に長い間であったといふことは十何年

来大含毎に、人工的に造ったコースもあらうけれ共、今度

のコース秘非備な金をかけて五十キロの中間に幅二間位長

さ約二キロ位の商い所の樹を伐り開いて殊に一尺から二尺

位の材木を伐り放してコースを作ったといふことは恐らく

今迄にないことA忠ひます。随って選手の方は非術に苦心

1J275

うすると煙う云った私共は悪まれた本迩の名剛体はもう少

し何と詔はふか熱を上けて右力な勢力を完全につけるより

方法はないかと忠ふ。此塵に大倉を開くとしたならばその

地方の剛体に勢力がなければいかぬといふことになります

ね。

礎Ⅲそれは勢力といふかl投票椎といふか代表委員

命に出席しなければ駄nだといふことです。

肴ひ換へれば聯盟に瀧川金を納めなければ駄日だといふ

ことです。

錦戸結局金の力ですね。

樹下貧乏では泣推入ですね。

(笑蝶起る)

揃橋次郎併しスポーツが金で左右されるやうでは駄目

ですね、モウ少し椛威あるものにしなければならぬ。

南それでは北海蓮がコンデーションがよいといふこと

花堂僻するより方法がないと忠ふ。

商橋昂併し現在は先刻言ったやうに利己的といふこと

が頭に入って居って日本全休といふことを孝へない。

符下私非常に不思議に思ったのは、私は走って脈つた

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した。ほんとうに雲がないといってよいのです。そのない

ところを瑳・するので遮一垂Tそれに雛太特布のロ

スヶワラが邪魔するそれと根株です。それから風この三つ

が樺太のコースを荒らす、風は泥を蓮ぴ、障碍物はロスク

ワラと木の株です。それがスウィング出来ないやうな間隔

にある。殊にロスクワラは性質が悪い。

此の上を走ると、ワラにスキーが抜って、なかに入ると

雁まで鯛って絶識廷らない。

・レースコースはカンジキで踏んであり、ろブックを突け

ばツルノーとロスクワラの中に這入って終ふ仕末であった

それと今一つは走路委員の人の中にはディスタンス》-

スをやったことのない人がコースをつけたと兄える。賛に

無理なコースを探ったのであります。ですから南さんも仰

右つたやうな三十度とか二十五度の連続的傾斜を作った。

その下が而向いことにはそれだけのスピードで行けば約

四百米位向ふへ行けるのです。それを行かすに折角のスピ

ードを全部殺すやうなコースに出来て居った。それと唯今

自然の雲が少ないために杖がつかれないといふことでした

宮下ロスクワラをいふのは一体どれ位のものです。

34 276

されたと忍ふ。コースを通るには困難と見えて例へば中間

から後にあった上りは私達素人に非捲に時間と距離を磯す

のに比べて折角長い時間降りて上ったのをいきなり念に斜

而を淵降させてしまってゐる。

あ上いったコースを作るといふことは没際私達川に行く

ものは全く反封意見を持つ。

それから選手の方に走りましたお話を承りましたが何で

も五十キロのコースを一通も兄ないといふことを聞いた。

結届兄た人はよい記録を出せないといふ而口い話を聞い

た。それでコースは難コースで一迦通ると障碍物が鋪にな

って忠ひ切って通れない不自然なコースで一言にして云へ

ばコースに適してゐないといふことを思はせると忠ふ。

術コースはひどい木の株があったり上から兄てシャンツ

ェが出来てゐたりした。

茄橋昂私は班原なら帯さんより比較的知ってゐるから

といふんで豊原へ行ってから念にディスタンス係長に祭り

上けられた。それから案内されたのでなく一人で歩きまし

た。

私の困ったことは今年は樺太は例年にない雲のない年で

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揃橋雌とても頑丈なものです。渋の幅の庇いやぅなも

のです。

秋野標識が少かつたやうですね。

商橋昂その前にキャラメルの旗を使ふといふのでした

が、それもよいが樺太は非粥に瓜が弧い、それに称も全n

本であるから布の旗を使ってあった、一反を横切れに切っ

た、その布はとても庇く地が厚い、そのために幅が庇くて

短かい。しばると遠い地熱から見ると黒く見える。

太陽の光線の淵係で畑が全部禍色‐そのなかに稲色があ

るため標色が見えない。走路委員といふものがレースの内

癖を知らぬ梼躍生だから、今一つは標識の位瞳に気をつけ

られないものか、コースから約四米突か、五米突離れたあ

さっての方に枕ゑられてそれも肝心の線に澄いてない、削

合に上の方に置いてゐたのです。

錦戸標色が弊の中に赤い布であると兄えるのですが、

さうでないから兄えないので行き過ぎてしまふ。あの溌時

は行き過ぎてしまった方が多かったです。

笈輪登りは少し位時間がかよっても探すが下りは探す

暇がない。

11書

秋野上を兄ては、返られないから

宮下標識だけは下へすべってゐる時にも絶封的に必要

だ。

栃内すると絶勤的に悪いコースでしたね。

錦戸そこへ行くと椛太の選手だけはよく知ってゐるか

らヒョイノ、と曲って行く。

而橋次郎樺太の選手は地形を知ってゐるからですよ。

秋野火防線を飛ばして念にバツと曲って行くあたりは

倣れてゐた。

錦戸それと僕の気のついたのは中畢生を走路監察員に

したことは非常に選手に不安を典えたと忠ふ。そしてそれ

が訓練されてゐない。

術橋次郎標識を使ってつまらない虚に人を遥かないで

もよいと思ふ。そして肝心の曲り所に居らない。そして曲

ってから呼ぶのだ。

錦戸だから僕は怒った。

袷度小糠の火防線のやうな庭に交通巡査のやうにして手

をあけて居られるととても気持がよい。

南それから慌察員の立つポイントの位避が悪い、下に

277 稲

凸〃

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I標識l騰染貝といふやうなことは是非維峨群がやって膜

きたい。

之蝶は素人に任せべ言ものでないといふことを泌み人、

感じて来ました。鵬来若しも煙ういふやうな意義ある大命

を催す際にはさういふことにしたらよいと思ふ。随って徳

ういふやうな椛威ある大含に優秀な選手が逆を迷ったとい

ふことは濁り本人の不注意ばかりでもない、役風にも責が

かなり多いと忍ふ。

商橋昂夫から伐等が見物してゐて慨慨したのは妓後の

遮話のあるポイントから雌初の青森の山川、法政の川口の

二人が坑面ぐに曲る所で下って了った。

後で聞けば監察員が、二人が見えたので報告するため遮

蔽nに行った。

丘直に下るべきでない庭を艮直に下りた、その後を器崎

荊が艦奈良が戊演にといふたので間進はすに》コールに入っ

た。

あれなんか主催粁側に文句つけたら問題になると忠ふ。

併しあそこの地形から判断すれば選手も悪いと忠ふ。距

離は五十キロで標識が兇えないといふことがないと忠ふ。

§

278I

立ってゐる奴が上の愛な腿に立つてゐたりする。

瓶野何せ懸援のために役員になって居るのだからさ。

宮下知らないためにやったのだらう、態々やったので

はないでせう。

南地元の選手の雌援のつもりで案内を些つともしない

んだ、だから袴んな仙慨してゐた。

錦戸大泊の薪藤なんて下からシャンツェの下まで代る

ノー後でみんなついて居った。

揃野だから地元の選手は右利と思ふ。

錦戸前に栗谷川がゐるから抜けノ、と叫びながら雌援

して居た。栗杯川は標識を兄失って蓮を間述つた。あれが

十八キロであょいふことをした人だから五分位は進つた。

難そんなことをして途中で肱を立て上は駄目になる。

商野早稲爪の岩崎飛は、ブッシュの中で稗んだ。

南私はこんなことを考へた。向ふへ行ってコースの選

定の善悪といふことは選手の技価を溌輝出来るか出来ない

かといふ躯ともう一つはスキーの僻来の雄達に非惟に重大

の窓義あると忠ふ。之等のコースの選定といふことは役且

面接コースの選定だけはその蓮の椛威者で、筒夫等の設備

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279戸I

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皇萎重善麦芸雲;責至。↑韓雌'。:ふのひ是分きあOたの党思こあOふO五と非ら た つ な 一りふとるそO‐ | ・いやないたら位地oにんれ

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手が大部ある。

禰橋昂岩崎選手もその一人だ。

焚輪上りはバンノー下りはとても風が弧くて媒かつた

水間山ぢや蛮際継験した。

栃内さうなると汗を出せないことになりますね。

災輪私達は競走の畔に胸の所に紙を勝てた。

商野大部腹を減らした選手があった。叉腹派を起した

とかO

錦戸懐脳を入れて走った選手もある。

栃内かいろを入れて走るのは一寸州るだらうね。

(以下次擁)

28 z8o

秋野考へやうによってはこんどはパラフィンが上り川

をなすほどには寒くなかったやうです。

悔下礎際あの何の鋪洲は

笠輪本間とても暑くて州つた。

宮下みんな厚着して参ったんだねe

栃内ワックスはどんなものを使ったか。

秋野私達はテントを蕊にしてパラフィンを少し使った

メルクなんかを持って行って。

梅下何度位です。

秋野川十二座位です。

栃内それより低い三十座ならば、どうです。

宮下中村に三十二度パラフィンを持たしたさうです。

栃内スキーのパラフィンは洲皮を群いて変らなければ

駄同だね。

高橋昂それは科畢パラフィンでなければ駄目です。

栃内上りを利かせるといふことは蒋捗しないでせう。

某噛日はとても雲がとけた。北海タイムスに出てゐた

やうに氷がとけた。うすく塗ったのは利かない。

南五十キロの選手は途中で寒くなって粘力を失った選

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◇チャチャヌブリ

本鰯填に就ては近く渡遜成三・佐を保雄雨氏の記難が掲

げられることになってゐます○

(アーノルド・グプラー氏搬影)

◆竹耶

大雪原の反中の脊平ホテル蕊から兄龍猟岳(二、一九五

米〕左と四阿山(一一、三三一一・九米〕右とですO小間の

器は大皿抑郡です、部落ば束組ですO

(三澱瀧氏撮影)

e桝前スロープより太郎スロープ南而を望む

伽斜而の上部、木の枝の中から兄える黒黙ほ此の三月オ

リムピック行きの選手韮が練習し龍ジャンッヱです。

.(三雛瀧氏搬影)

③一一セコァンヌブリ

画何回何回画風風回国皿固同n回ロ岡n口回回回画面同回幽岡目鷺■ロロ■

。■ロ肘営周回■■■画n日目目固眉目回回固属ロロロロNp回回個固固■

$篇員②説明

(佐藤傭義氏撮影〕

△榊撫獣岬群スキー術

全》誰秘鑑郵著聞解スキー

△特叩千触苓雌新スキー術

今東幸太郎箸趣味のスキー

今川岳第六年I、Ⅱ、Ⅲ、日本山儒含

〈北大スキー部創立十五年紀念雅

△山岳創刊銃戸畑伽岳含

ムァルカウ趣味第十八年第二、三、四雛日本アルカゥ含

今ペデスッリァン第二十九雛第三○銃祁戸徒歩曾

傘合い

報第川雅日本川僑含

△山幸第三雛阪祁山岳含

△Ⅲと渓秤第六雛

△山と旅第百雛

△蝦夷往来創刊雛札幌尚古堂

△啓の胃園。。拝群馬○四Hz異一○畠]m画隆協。。旨画o巨昌怪冒のユ2

呼■

今寄贈並雁購入園書雑誌

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謝唖

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御希望の方は「振替口座小樽x四九五番」へ

山・さ雲の倫画

40

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山とスキーの倉義行

山ごスキー

炭Ⅲ戸七郎砦

〃、J、J一、グ魁ノ、J、J、J、〃、〃、〃、ノ、〃、ノ、〃、ノ、ノ、ノ、ノ、〃、ノ、ノ、ノ、〃、〃、〃、J、〃、〃、〃、〃、』

一部金参拾錐

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、ご《ー.

金壷側五拾銭

金拾八銭

スキージヤムピング

幸溌》・蕊

第二雛限り第六雛迄一部金参拾銭

、くくくく~、~、~、くくく~、

送定料慨

急ゆじ I

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完5寮衝詞F-T

◆一‐スキー」を研究せられる人、登川に趣味を

持たれる方が一人でも多くお読み下さること

を御願ひいたします。

◇「川岳」と「スキー」に開する御寄砿と篤嵐

の御悪迭をお願ひします。

原砺紙は御巾越次第お送り致します。

◆原稿は、・を一宇とし、行を更めるときは

G、

字下げること。

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峨州一一》州皿蹄ユ耶鋤跡(毎月一M一、溌行〕

部金参姶錐

六部金一側八十銭

十一一部金参側六十銭

*前金御巾込か、魂金でなければお錘りい能

しませんO

*御送金はなるべく振群にてお願致し裳す○

北海遡札幌市北一僚西二丁、

印刷所札幌印刷株式衡祇

北海通札幌市北二催西十一一一丁、

裟行所山と雪の念昌

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獅訓評長

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