日本合繊産業の現段階 - osaka city...

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15 日本合 繊 産 業 の 現 段 階 現代日本繊維産業論(Ⅲ) は じめに 第二次大戟後 日本の合繊産業 1 概観 2 海外生産強化の影響 合繊 メーカーの視点か ら 1 新繊維生産 システムとLPU 2 企画開発 システム 3 技能 北陸合繊長繊維織物産地の視点か ら 1 崩壊 しっっある従来型 システムと新型 システムの模索 (1) 産地生産 システム (2) 産地 としての企画開発力、営業力、技能 (3) 共同化 2 企業類型 むすび は じめに 現在、 日本の繊維産業 は構造調整の真 っ只中にある1) 。従来,原糸メーカー (紡績系 と合繊 系) と総合商社 を中心 に川上 ・川 中が組織 されて きたが, これ ら二者 の国内生産関連事業 の縮 小 によ り,各工程間 の結 びっ さが不安定 にな った り, 切断 されて い る各工程 を担 う企業 は, この調整過程を生 き残 るために,独 自な発想が求 め られている。 その中心が繊維工業審議会 ・ 産業構造審議会 「新繊維 ビジョン (1993 12 月)におけるクリエーションの強調である方,実需に裏付けられたQRS (クイ ック ・レスポ ンス ・システム) の構築 によ り各工程 を一 気通貫するシステムが模索 されている2) 。 その中心が同上 ビジ ョンにお けるマーケ ッ トイ ンの 強調であり,その手段 としての標準化 と連携の強調である 各工程企業 のオ リジナル主張 と全 体 としての一気通貫性 は,主導的企業の もとでのグループ化 により同時満足 されようが,主導 キーワー ド: Textile , Industry , Adjustment , Japan ,調整,繊維産業

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日本合繊産業の現段階

現代日本繊維産業論 (Ⅲ)

富 揮 修 身

Ⅰ はじめに

Ⅱ 第二次大戟後日本の合繊産業

1 概観

2 海外生産強化の影響

Ⅲ 合繊メーカーの視点から

1 新繊維生産システムとLPU

2 企画開発システム

3 技能

Ⅳ 北陸合繊長繊維織物産地の視点から

1 崩壊 しっっある従来型システムと新型システムの模索

(1) 産地生産システム

(2)産地としての企画開発力、営業力、技能

(3) 共同化

2 企業類型

Ⅴ むすび

Ⅰ はじめに

現在、日本の繊維産業は構造調整の真っ只中にある1)。従来,原糸メーカー (紡績系 と合繊

系)と総合商社を中心に川上 ・川中が組織されてきたが,これら二者の国内生産関連事業の縮

小により,各工程間の結びっさが不安定になったり,切断されている。 各工程を担う企業は,

この調整過程を生き残るために,独自な発想が求められている。その中心が繊維工業審議会 ・

産業構造審議会 「新繊維 ビジョン」(1993年12月)におけるクリエーションの強調である。 他

方,実需に裏付けられたQRS (クイック・レスポンス ・システム)の構築により各工程を一

気通貫するシステムが模索されている2)。その中心が同上 ビジョンにおけるマーケットインの

強調であり,その手段としての標準化と連携の強調である。 各工程企業のオリジナル主張と全

体としての一気通貫性は,主導的企業のもとでのグループ化により同時満足されようが,主導

キーワー ド:Textile,Industry,Adjustment,Japan,調整,繊維産業

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16 経営研究 第47巻 第 3号

的企業不在のまま各企業がオリジナルを主張 し合う混沌とした状況や,オリジナルす ら打ち出

せないまま,多くの企業が取引連関から弾き出され縮小 ・廃業する事態も生 じている。

こうした現状認識を踏まえて,本稿では合繊産業における従来型生産システムの少数精鋭化

と新システムを模索する産地の現状について分析する。

Ⅱ 第二次大戦後日本の合繊産業

1 概 観

アメリカでは,第一次大戦後急成長 した化学企業が新素材である再生 ・合成繊維 (ファイバー)

を開発生産 した。テキスタイル分野では1930年代以降のテキスタイル ・メーカーによる前方統

合ないしコンバーターによる後方統合によって,総合テキスタイル大企業が登場しつつあった。

レーヨン製織から出発 したバーリントン・インダス トリーズ社は,テキスタイル分野での企業

買収と設備投資によって,世界最大のテキスタイル・メーカーの一つに成長した3)。ファイバー・

メーカー (化学企業) もテキスタイル ・メーカーも大企業であった。

日本の化学繊維 (ファイバー)工業は,第二次大戦前 レーヨン生産か ら出発 した4)。戦後の

合繊事業の復元 ・再開時には,戦前 ・戦中の研究を踏まえっっも,欧米化学企業 (デュポン,

ICI,バイエルン等)からポリマー製造技術を,タイヤメーカー等から紡糸技術を導入した。

1951年にナイロンの本格生産 (東洋 レーヨン,後の東 レ)が,58年にポリエステル繊維の生産

(東洋 レーヨン,後の東 レ,帝人)が開始 した。当時のテキスタイル素材は綿 ・レーヨン中心

で,製織は各産地の中小専業織布企業 (機屋)に大きく依存 していた。 しかも綿 ・レーヨンは

1950年代半ばから設備制限 ・廃棄を開始 しており,綿の競合素材である合繊への綿紡大企業の

対応は当初冷淡であった。合繊ファイバー企業は,未熟な石油化学工業の育成 (粗原料確保),

さらに綿紡大企業の協力も得 られないまま素材の加工利用法の開拓も行わなければならなかっ

た。ファイバーを安心 して売 りっ放せるテキスタイル ・メーカーもなかった。ファイバー・メー

カーがテキスタイル生産まで関与 し- 但 しこの場合でも製織 ・染色加工は北陸の長繊維織物

産地に委託された (賃加工)- ,テキスタイルメーカーとしても化合繊 (長繊維)に特化す

る事業構造が形成された。

1960年代に後発 ・後々発メーカーが新規参入することによって,68年には現在のナイロン

(長)6社,ポリエステル (長)8社,ポリエステル (短)5社,アクリル (短)7社体制が確立

し,60年代半ば以降海外進出が開始 した。 しかし,1973年のオイルショック以降の不況の影響

は著 しく,生産調整 (1977年10月~78年3月に減産指導,1978年4月~79年3月に不況カルテル)

と設備規制 (1978年5月~83年5月に特定不況産業安定臨時措置法,1983年5月~86年6月に特定

産業構造改善臨時措置法)が10年間行われた。この間人員削減 ・設備集約化 ・海外からの工場

撤退が行われるとともに関連 ・非関連多角化が行われた。人員削減 は特に著 しく1974-85年度

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日本合繊産業の現段階(富津) 17

に合繊9社で131,837人から51,961人へ6割減少 した5)。また,専門商社 (1975年3月蝶理),北陸

の産元商社 (1976年6月新名,77年10月一村産業)の経営行き詰まりの影響は大きく,合繊メー

カーは産地と一体となって産元商社の再建を図った。合繊ファイバー ・メーカーはファイバー

の消化先を確保するにとどまらず,製品に付加価値をっけるためにも,テキスタイル部門を強

化 しようとしたのである。 生産量では1979年がそれまでの増加傾向の到達点となり,以降微増

に変わる。

表 1 合繊長繊維織物の動向

1995年 2000年

規 模 (構成%) 規模 (平均) (構成%)

新合繊 .複合織物といった特殊品 30 (30) 30-25(28) (38)

付加価値定番 40 (40) 36-30(34) (46)

汎用定番 30 (30) 14-10(12) (16)

合 計 100 (100 ) 810-65(74) (100)

出所)日本化学繊維協会 〔1996A〕12ページ。

バブル期に重なる1988-92年は新合繊6)に牽引されたが,東アジアでの設備大増設, ポス ト

バブル不況と円高を受けての競争力低下 (表 1)と企業のグローバル化急展開のなかで,特に

北陸産地との関連で,不採算部門 (特に輸出)からの撤退,取引の集約化 ・拠点工場主義化に

よって,産地の生き残り策と合繊メーカーの生き残り策とがかみ合わない状況が生 じた。合繊

メーカーと産地企業とは国内では川上と川中の関係であり,相互依存的であるが,グローバル

視点からみると合繊メーカーは海外ではテキスタイル ・メーカーであり,競合する。 グローバ

ル競争激化の中で,定番量産品については海外にシフトしつつあり,従来の不況と異なり,景

気が回復すれば賃仕事も回復するという状況にはない。定番ファイバー生産からの撤退は,産

地の各工程を支えてきた量産定番品加工の消滅を意味するからである。 合繊メーカーにとって

は資源のグローバルな再分配であるが,産地企業にとっては死活に関わる賃加工仕事の空洞化

である。このことは,現代の合繊産業理解には,合繊メーカーの視点からの分析と産地中小零

細企業の視点からの分析とが不可欠であることを意味する。注意すべきは,前者の分析の際に

も,産地企業と同様に合繊メーカー間にさまざまな動きが出てきている点である。 上述の10年

間続いた現状固定的競争制限が解除され,1993年以降の不況期にこの条件下で脱協調路線,企

業戦略の個性化が明確になってくるからである7)。もともと各企業の繊維事業の売上額構成比

(1996年3月期)は,東洋紡69%,帝人54%,ユニチカ51%,東 レ48%,三菱 レイヨン47%,鍾

紡45%,クラレ37%,旭化成15%と大きく異なっており,この状況下での協調路線自体かなり

無理があったといえるが,1992年3月期-96年3月期の生産実績 ・操業率の推移は企業間の相違

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18 経営研究 第47巻 第 3号

を明確にしている (表 2)。特に東 レとユニチカは対照的である。また,鐘紡は綿事業,羊毛

事業,合繊事業を各別子会社に営業譲渡 した (1996月9月30日)。

合繊ファイバー産業の産業組織は大きく変化 しつつあるのである。

表 2 操業率 (%)と生産実績 (百万円)

1992年3月期 93年3月期 94年3月期 95年3月期 96年3月期

操莱率 秦 レl) 90 91 92 94 95

帝 人 1) 87 88 85 86 89

ユニチカ 2) 82 69 56 52 52

東洋紡績 3) 83.0,74.0 77.0,72.0 68.0,64.0 74.0,72.0 75.0,70.0

坐産莱績 東 レ1) 73,637 71,317 61,885 57,739 59,935

帝 人 1) 86,402 83,630 67,650 64,466 64,779

ユニチカ 4) 24,128 21,626 14,359 13,263 12,022

東洋紡績 5) 17,899 17,567 13,724 13,808 14,238

注 1)テ トロン糸 ・綿 2)産業 ポ リエステル 3)ェステルフィラメン ト, エステルステープル

4)ェステルフィラメン ト 5)上段がェステルフィラメン ト, 下段がエステルステープル

出所)各社の 『有価証券報告書』より作成。

2 海外生産強化の影響

海外生産強化は,日本の合繊産業競争力の源泉である 「高次加工との強い連携」と 「繊維機

械メーカーとの連携」にいかなる影響を及ぼすのであろうか8)。

①合繊メーカーの国内での拠点工場主義化と海外生産強化 (その結果としての逆輸入増)は,

それまで合繊メーカーの経営と技術を支えてきた産地条件を自ら掘り崩すことにならないであ

ろうか。今日重視されている試験加工 (試織 ・試色)はこれだけでは企業経営は成立せず,高

操業率と工賃水準によって日常の生産を維持 してはじめて可能になるのである。 しかも合繊メー

カーにしても,自社のプロダクション・チームさえよければ安泰であるのではなく,繊維産業

以外でもみられるように生産システムがオープン化の方向 (自家中毒回避)で柔軟になりつつ

ある今日,産地全体がどうなるかが,産業基盤の滴養として重視されなければならない点であ

る。 特に設備集約的であり量産を一定せざるを得ない染色加工企業の採算割れによる縮小が深

刻にならないか9)。

②繊維機械メーカーへの影響も大きいだろう。 繊維機械メーカーは国内投資が減少するなか

で,当然輸出を指向する (表 3)。これによって海外のライバル企業は新設備 と運転 ノウハウ

を入手 し,量産部門で製品の低コスト化 ・高品質化を行 うので,国内メーカーはこうした部門

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日本合繊産業の現段階(富津)

表 3 韓国WJ織機の機械メーカ一別台数推移 (登録ベース)

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日 産 津 田 駒 韓国製品 合 計

1988年 9,154(56%) 5,965(37%) 468(3%) 16,242(100%)

1994年 20,434(50%) 14,858(37%) 5,289(13%) 40,581(100%)

出所)『フクイ織協 ニュース』185号,1996年,14ページ。

からの撤退を迫 られる。 しかし,新機械が機械メーカーと国内ユーザー企業との協力- 前者

は現場の改善アイデアを入手 し,後者は早 く安 く新機械を入手できる- によって開発改善さ

れてきたことを考えれば,以上のような機械メーカーの行動はまわりまわって国内の開発協力

企業の力を弱め,ひいては自らの開発能力に打撃を与えることになろう。また,機械メーカー

としても仕事量の少ない高付加価値品だけで,国内にどれだけ開発体制を確保できるかという

問題に直面 している。

③海外市場は決 して金城湯池ではない。東南アジアでは,台湾,韓国系企業が川中 (織布)

に大規模に進出しており,品種を絞って量産定番品を集中生産する。 これに日系 (合弁)企業

どうしの競争が加わる。 東南アジアに進出すれば大丈夫という状況ではないのである10)。設備

競争の一つのはけ口が中国市場になるが,中国はインフレ抑制のために1995年5月か ら輸入を

抑制 している。 余ったものはクオータのない日本に向かう。 逆輸入すると国内産地が影響を受

ける。

以上のように合繊メーカーの海外進出は,本体の研究開発体制の空洞化を学みつつ,従来の

競争力源であった二つの連携に悪影響を及ぼしっつある。 しかも,こうした影響を補 うほどの

利点を東南アジア市場で得るかというとその保障はないのである。

Ⅲ 合繊メーカーの視点から

まず,本節 (Ⅲ)で合繊メーカーの視点から分析 し,次節 (Ⅳ)で産地中小零細企業の視点

から分析する。

以下では,T株式会社 (以下,T社と略)の国内ポリエステル事業をみよう11)。

同社は,日本を代表する合繊メーカーであり,クラレと並ぶ高い売上高利益率を誇っている。

また,現在西欧と東アジアでグローバル ・オペレーションを積極的に展開 している。同社の部

門別売上高構成比 (1994年度)は,単独ベースでは繊維事業50.8% (内訳はポ リエステル29.0

%,ナイロン12.3%,アクリル2.6%),化成品事業30.7% (内訳 はフイルム14.5%,樹脂10.3

%,ケミカル5.9%)で,連結ベースではそれぞれ46.3%,25.8%である (『概要』)12)。

衣料用ポリエステル ・フィラメントの量産品を 1工場で,合成繊維事業の基幹工場として新

合繊など高付加価値品をM工場で生産 しているし,資材用ポリエステル ・フィラメント (タイ

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20 経営研究 第47巻 第 3号

ヤコー ド,漁網用)を0工場で生産 している13)。衣料用量産品も産業資材もあり,少ない品種 ・

用途に特化 した結果,良いときはよいが,悪 くなるとまったくだめという状況からは自由であ

ることがわかる。 但 し,産業資材はユーザー企業からJIT納入を厳格に要求されるとともに,

採算 も厳 しくかっデータ交換のフォーマットが取引先企業毎に異なるという標準化の時代にあっ

て根本問題を抱えている。

1 新繊維生産システムとLPU

まず,どのような生産システム構築を目指 してきたかをみよう。

T社の新繊維生産システム (1990年着手,94年完了)は図 1のように顧客,営業,工場,プ

ロダクション・チーム14)から構成されている。

図 1 T社の新繊維生産システム

荏)Al~A3は製造管理システム 。 Bl~B5は受発注 ・外部連携システム

C1、C2はデータベースによる支援システム。

く- は情報の流れ。- は物の流れ。

出所)公開授業 「ファッション産業論」。

新繊維生産システム開発の目的は後引生産方式,日単位の納期管理,計画情報の重視,予定

情報の次工程への転送,モノの動きと情報の動きとの一致,オンライン伝送によるペーパーレ

ス,データベースの拡充である。つまり後引生産方式,実需対応型生産システムの向上により

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日本合繊産業の現段階(富津)

T社

21

プロダクションチーム

図 2 グループ関連図

注)- は物の流れ。- は情報の流れ。

⊂⊃ は生産進捗把握システム。

出所)公開授業 「ファッション産業論」。

顧客

(商社・アパレル)

見切りロス,機会ロスの低減を狙ったのである。10のサブシステムのうち7が完成 しており,

これによりT社本体で在庫は トータルで30%減,納期遵守率は全体で約80%改善 した。しかし,

QRSの中心となるアパレル ・小売 りとの連携ができていない。 これを含む未完成の3サブシ

ステム (自社工場での先進配台システム,PTでの高次加工工場内生産進捗把握システム,特

にアパ レルとの顧客連携システム)の構築と設備の近代化が,新 しいLPU (リンケージ・プ

ロダクション・システム)の狙いであり (図2),「T社 ・テキスタイル生産QR推進グループ」

が95年6月1日設立され,7月11日繊維産業構造改善臨時措置法に基づ く構造改善事業計画 とし

て通産大臣の承認を受けた。 これにはT社を含む福井県 (7社),石川県 (8社),富山県 (1社),

福島県 (1社)の繊維企業18社が参加 している。

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22 経営研究 第47巻 第 3号

以上のような繊維生産システムの出発点となる原糸生産と生産計画プロセスの現状は以下の

通りである。 マクロの生産量は予算計画量として年間 (または年間を12で割った月平均)で計

画するが,個別の品種毎の生産計画は月単位で作成する。 月次生産計画の作成プロセスでは,

まず,①販売各部の希望量を集約 し,在庫等を考慮 し,品種毎の希望量,納期を生産技術部/

企画管理部が工場に連絡する。 ②この希望量,納期を生産機に割り付ける (半自動のTEF-

MS15)による配台計画の作成主体は工場である)。③ しかし,ポリマーの制約,生産機の制約

等から販売部の希望との間に量的なプラス,マイナスの差異,納期の差異を生 じる。 この差異

調整のため営業と生産とで協議 (調整会議)を月1回行ったうえで,修正 し月次計画を決定す

る。これにより日々の品種毎の出来高が決まる。 ④但 し,当該月度生産計画中に販売部の希望

量の変更のため当初計画を変更することはありうる。

月次計画のなかで当該月の各 1日の品種 ・量が決定され実行される。 従って旬,週 レベルま

で引き付けた計画ではない。顧客が多岐にわたること,営業形態が様々 (糸売り,賃加工)で

あることにより品種毎の集約が必要であり,受注 リードのQR生産対応をしているとは言えな

い。『有価証券報告書 平成7年』でも 「当社は受注生産は殆ど行わず,主として見込み生産で

ある」との記述があり,これを裏付けている。 高付加価値品を見込み生産できることは,メー

カーにとっては極めて好都合といえよう。

現在のM工場全体の品種数は300である (1986年387品種,91年321品種)。確かに開発ファイ

バーの割り込み生産があるとはいえ,第四製糸工場の月100品種という数は,織布専業者の現

状と比べると現場が大混乱 して大変という状況にはない。事実,現場では要員 (オペレーター,

主任クラス)をほとんど見かけない。

2 企画開発システム

はじめにで述べた各企業のオリジナル主張と関わって企画開発システムをみよう (図 3)0

企画にはニーズがはっきりしているものとシーズが先のものとがある。後者の場合,こういう

ものができたが,こうしたものに使えないだろうか,と提案することになる。営業ニーズから

でる営業企画新製品,高次技術からでる高次技術企画新製品,工場 (技術部)開発新製品,研

究開発新製品があり,以上の企画を受けてポリマー ・原糸の試作,試験加工を行 う (開発)。

その後の評価によって取捨選択される。OKの場合,展示会 ・プレス発表 ・見本配布 ・テスト

セールスをし,拡大評価化後,受注開始 (営業 ・本生産)ということになる。

ここでは,①研究本部に属する研究所,②生産本部に属する技術部 (現場直結),③北陸の

最先端のプロダクション・チームとっながっているテキスタイル開発センター,加工技術部,

④営業力,からなる総合力が重要である。糸売りっ放 しのアメリカと異なり,原糸から高次加

工までの 「一貫競争力強化」である。ファイバー,糸の能力を生かすためにも,プロダクショ

ン・チームとしての競争力が重要であり,これをどう育成 し,技術力を高めるかが必須になっ

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日本合繊産業の現段階(富津)

高次技術

II_AI__

ニーズ

シーズ

企画

(営業、技術、研究の協議)

営業ニーズ→ 営業企画新製品ll

高次技術=-ズ→ 高次技術

企画新製品

研究開発新製品

r> 工場シーズ >l

工場 l

l

(技術部) l

l

研究

ポリマー

l> 研究シーズ

ポリマー

原糸

開発

図3 製品の企画開発 (T社)

出所)聞取り調査。

23

テストセール 営業・生産

ている。 図2はその試みである。 しか し,グローバル ・オペレーションは国内縮小を結果 して

おり,北陸では拠点工場主義化により,系列企業の選別が進行 している。 これが,企画開発力

の空洞化にならぬという保障はない。

3 技 能

合繊生産 (ファイバーと糸)工程は,熟練で説明しなければならない部分はほとんど感 じら

れない 。工程管理は自動化されており,異常時には機械を停止 して (月1,2回ほど),原因を究

明し対応する。 エンジニアリングでほぼ対応できる水準と内容になっており,例外管理のため

の手介入がぜひ必要であるとの印象は受けない。だが,オペレーションとは異なる生産計画作

成の次元では,機械 (例えば紡糸機)に個性があるために公称生産能力だけから配台計画を立

ててもうまくいかない。計画の90%ほどはコンピュータで立案 して,残 りは多様な制約条件

(機械の個性 も一つ)を入れながら人手で完成 していく。技能の活躍の余地がまだあるのであ

る。

これまでの筆者の調査で製織の高次加工工程では素材の複合化 ・複雑化により技術と並んで

熟練がますます必要であることは既に確認 している。 したがって,合繊メーカーは,社外にあ

る高次加工工程の熟練を,プロダクション・チーム内に囲い込むことによって内部資源化 し,

一貫競争力を維持強化 しようとする16)。ポリマー開発と並ぶ重要な工程である紡糸口金 (ノ

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24 経営研究 第47巻 第 3号

ズル)の製作加工でも社内外の仕上げ加工技能に依存 している。

Ⅳ 北陸合繊長繊稚織物産地の視点から

1 崩壊 しつつある従来型システムと新型システムの模索

化合繊織物産地としては栃尾 ・見附 (新潟県),桐生 (群馬県),富士吉田 (山梨県)等の小

規模ながら特徴ある産地があるが,本節では北陸産地を取り上げる。 規模が大きいだけでなく,

合繊メーカーで生産されたファイバーを高次加工 (織染加工)する基地として,合繊メーカー

と運命共同体できた量産産地であるからである。この産地が1993年以降の戦後10回目の不況の

中でいかなる状況に直面 し,何を模索 しているのか,を確認することが重要と考える。 以下,

北陸産地の生産システム,企画開発力,共同化について分析する17)。

(1) 産地生産システム

まず,産地生産システムの基軸である合繊メーカー ・商社と織布企業との関係の変化につい

てみよう18)。

表 4 外注生産の動向 (百万円)

1992年3月期 93年3月期 94年3月期 95年3月期 96年3月期

東 レ1) 144,819 138,327 121,570 116,548 112,429

帝 人 2) 127,413 121,222 118,831 115,687 97,569

ユニチカ3) 29,887 25,769 21,382 22,546 18,510

東洋紡績 4) 33,520 34,781 23,078 20,930 17,696

注 1)合繊織編物 2)合繊紡績糸、加工糸、織編物

3)ェステル織物、ニット 4)フィラメント織物

出所)各社の 『有価証券報告書』より作成。

糸支給と売買賃織を合わせると実質賃繊 (受託加工)比率は9割強である。この賃織数量が

1992-95年に29%減少 し,そのうち94%が商社賃織減であった。商社賃織りには,メーカーチョッ

プとアンブランドとがあるが,この3年間に特に商社のアンブランドものが減った。1972,73年

の調査では45-50%であったメーカーチョップは,現在7,8割であり,産地生産の根幹になっ

ているが19),メーカーチョップも量的に減少 している。表 4は各社の外注内容が異なるので企

業間の比較はできないが,各社の1992年3月期-96年3月期の推移は理解できる。例えば,東洋

紡のフィラメント織物の外注生産額はほぼ半減 した。

合繊メーカーは織布企業に直接発注ないし商社を介 して間接発注 しているが,新合繊のテキ

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日本合繊産業の現段階(富滞) 25

スタイル化で注目された合繊メーカーのプロダクションチームに入っている織布企業は数で2,

3%,多くても4%である (石川産地)。従って,合繊メーカーのプロダクションチ-ムは企

業数からみると産地の一部の話である20)。合繊メーカーはアジアとの国際分業推進を大前提に,

若手の経営者がいて,財務内容がしっかりしていることに加えて,他社との差別化 ・アジアと

の棲み分け能力があるか,多品種少量短納期ができるか,川上 ・川下とトータル連携できる技

術があるか,を基準に織布企業を絞っている。技術力があっても品種的にマッチングしないと

プロダクションチームから外される。 このような輸出品に基盤を置いてきた商社の取引縮小と

メーカーの下請企業絞り込み- 産地の目には商社もメーカーも撤退と映る- が,産地縮小

の原因である。

上述の様に合繊メーカーと直で結びついている企業は産地の数% (企業数で)にとどまる。

合繊メーカーがLPUの形成に見 られる囲い込み強化策たる拠点工場主義をとるなかで産地と

合繊メーカーが対立することになる。 従来,新合繊のテキスタイル化で注目されたように共存

しながら力を合わせて何とかしようとしたが (1992年の 『石川県繊維産業 産地ビジョン21』),

93年以降合繊メーカーと産地との運命共同関係が大きく変わるなかで,合繊メーカ-とは違う

産地主体の生き方- 合繊メーカーの戦略に左右されない生き方- を産地としても模索 しな

いと産地がもたない,大企業中心のプロダクションチームだけが残るのではだめだというよう

に産地側の考えが変わる状況になっている (95年の 『石川県繊維産業の再構築戦略』)。この変

化をビジョンで見よう。

『産地ビジョン21』の認識をあげる。

「合繊長繊維織物が強力な国際競争力を持っに至ったのは,川上の合繊メーカーと川

中の撚糸,織物,染色等との垂直的な技術的連携プレー,ユニークな系列システムに

負うところが大きい。/合繊メーカーの高分子化学技術,新素材開発機能,川中の高

度加工技術,また,この両者を リンケージする中核企業 ・産元商社,大手商社の機能

は,いずれかがかけても産地が機能 しない三位一体の関係にある」(26ページ)。

『再構築戦略』の認識をあげる。

「原糸メーカーと産地,あるいは商社と製造業者は,これまで強力なスクラムを組ん

で現在の産地における生産システムを構築 してきたところである。 しかし,今回の不

況局面におけるそれぞれのリストラの過程で,従来の運命共同体的な相互依存の関係

の見直しを図る傾向が顕著に現れてきている。 すなわち,原糸メーカー及び商社は,

自社の商圏維持の観点から,グローバルオペレーション--,得意品種への特化と不

採算部門の整理,産地企業の集約化等の リストラを強化 しつつあり,川中部門との関

係についても各社のリストラ方針に沿った形での再構築を求めるようになっている。 - -

産地としては,原糸供給の停止,原糸メーカーの再構築,系列からの排除をも含めた

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26 経営研究 第47巻 第 3号

あらゆる可能性を視野にいれ,産地生産システムにおける各企業の役割を根本的に見

直すべきであろう」(3ページ)。

実際にはどうかというと,織布企業の取引先数をみると,合繊メーカーの拠点企業 (工場)

は,取引先を極力絞り込んでいる。 1社オンリーという具合である。 こうしないと拠点工場か

ら外されるからである。 一方,福井産地の中小機屋は,取引先数はさまざまだが,機屋の方か

らメインは維持 しつつそれ以外の取引先 (商社)を頻繁にかえる。 石川産地ではこうした状況

にないが,スペースを埋めるのに汲々としている。スポット発注が多 くなり,こうなると希望

である1品種WJL10台も難 しい。納期も以前の3カ月から月決めが出てきている。取引先の

集中と分散が生 じているのである。 『再構築戦略』で提起された産地主体の方向に一致 して動

いているわけではない。

表5 福井産地の織布業

1950年 1955年 1973年 1975年 1985年 1992年 1995年

企莱数 1,969 2,534 2,970 3,060 2,082 1,480(1,400)1) 1,266(1,000)3)

織機台数 41,352 63,834 86,227 87,348 59,387 42,820(36,680)2) 35,274(27,300)4)

内、WJL 0 03,500 4,375 14,295 13,743(13,400)2) ll,400(10,500)4)

AJL 0 0 0 01,305 2,194(2,130)2) 2,133(2,000)4)

織物生産数 (Tm2) 161,348 337,766 894,212 679,520 860,531 920,948 664,839

内、合繊織物 0 7,990 494,555 730,369 790,082 592,445

人絹織物 146,450 290,755 68,789 24,911 20,800 10,591アセテート織物 34,817 44,861 48,803 24,323

注 1)92年12月操業工場数 2)92年12月稼働台数

3)94年12月操業工場数 4)94年12月稼働台数

出所)小山 〔1996〕15,17ページ及び 『フクイ繊協 ニュース』No.189,1996年より作成。

産地内の変化は,以上のような基本的関係における変化が増幅されて一層激 しい。

北陸産地の戦後50年はこうである (表 5)。戦後の10年間の復興期に次 ぐ,20年間 (1950年

代半ばから1973年まで)が高成長期である。企業数,従業員数,設備数ともに増加し,生産額 ・

生産数量 も増加 した。1973-1992年の時期が成熟段階で,新機械によって企業数,従業員数,

織機台数が減るが,生産量は横這い,額は増大である21)。この時期までは量産定番品生産 (婦

人物 ・裏地中心でアパ レル向けが8割)できており,タイイング・マシンで経糸を繋げばよかっ

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日本合繊産業の現段階(富滞) 27

た。高速化 ・ラージパッケージ化による同一品種の連続生産,単品量産のコス ト競争の時代で

あった。新機械の代表例であるWJL(ウォータ・ジェット・ルーム :水噴射式織機)は1970

年代前半から導入され始め,80年代に入 り本格化 し (但 し,石川産地では1995年1月現在,

JLを有する企業は,全体の8%に留まる),80年代後半以降AJL (ェア・ジェット・ルーム :

空気噴射式織機)とレピア織機が増加 した。

表6 石川産地の織機台数規模別企業数とその割合 (%)

10台以下 ll-20台 21-30台 31-50台 51-100台 100台以上 合計

1975年 846(24.9%) 1,734(50.9%) 422(12.4%) 218(6.4%) 114(3.3%) 70(2.1%) 3,404

80年 535(18.6) 1,511(52.5) 471(16.4) 221(7.7) 87(3.0) 53(1.8) 2,878

85年 439(16.6) 1,440(54.5) 431(16.3) 192(7.3) 93(3.5) 48(1.8) 2,643

90年 240(13.3) 964(53.5) 334(18.5) 156(8.6) 68(3.8) 41(2.3) 1,803

92年 267(15.5) 946(54.8) 293(17.0) 126(7.3) 52(3.0) 43(2.5) 1,727

出所)石川県織物構造改善工業組合資料。

産地内に撚糸,整経 ・糊付,経通 し,製織,染色加工工程を有するが,企業数 ・従業員数か

らみてその中心は織布企業である。 1994年末の織布企業の平均織機台数は石川県25台,福井28

台であり,表 6からほとんどの企業が他産地同様,家族経営規模の零細企業であることを示 し

ているが,二つの傾向を看取できる。 一つは,織機51台以上の企業数の比率の上昇である。

1975-95年,92-95年のいずれをみてもあてはまる。 二つは,50台以下の企業が家族経営でやっ

ていける最適規模に収赦 しつつあり22),それ以上の企業,以下の企業 ともに比率を低めている

ことである。 家族経営規模の企業もほぼ織布専業であり,石川産地の織布企業1,120のうち農

業兼業は76企業 (6.8%)にすぎず,織物専業は992企業 (88.6%)であった (95年1月現在)0

一方,大手織布企業は撚糸,整経 ・糊付,織りの全工程を有 しているが,こうした企業は少数

である (福井産地では5-10%,石川産地では15,16企業という)。中小規模企業は各工程の設

備 しか有 しておらず,諸工程の企業をコーディネートするのが商社 (産元,総合商社)である。

上述のように合繊メーカー直取引の織布企業は全体の数%であり,従って商社が管理 してきた

産地である。北陸産地の生産 ・流通機構は図4の通りである。

このシステムが深刻な事態に陥いるのが1993年以降の戦後10回目の不況期である。

福井産地の織物の国際競争力の推計 (1993年の生産量ベース)によれば,全織物では26%が

国際競争力を喪失 し (表 7),北陸産地の輸出比率 (概算)も10年前の60%弱, 5年前の50%

弱から現在 (1995年)の35%まで減った (持ち帰り分を含めると45%)23)。 また,表 5のよう

に3年間で操業工場数,生産量ともに約 3割減少 した。有梓織機の比率が高い石川産地で企業

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28

メーカーIb稚拝抱

経営研究 第47巻 第3号

ノーか-チョ・ソプ

特 約 店有力産元商社株外商杜

大規模枚星

l ll II・. :◆ l

I____.ン●●_

.ド.Lノア

へアン7ラ)〓

大・中規快槻星

化 合 繊メーカー

⇒ 糸の流れ

一一-+織物の流れ

ノーカーチョップ(糸売り)

(完だ-1)+------(アンプラ)十一一一・一一一

、、Jアンプラ)、、ヽヽ lヽ

ノーカー

A-II-

I

(7,i・7'5 日

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、、(アンプラ)ヽ lヽゝ 斗

riu-J--

l(アンプラ)l↓

集散地商社輸 出 商そ の 他

図4 北陸産地の生産 ・流通機構

出所)北陸経済研究所編 〔1995〕37ページ。

J

I

J

I

t

llllll

-1

表 7 福井産地織物の国際競争力 (1993年の生産量ベース、 1ドル100円で)

匡=祭競争力の強い「高度技術商品群」 国際競争力をまずまず 東アジア諸国と直接マ- 国際競争力

有する ケツ卜で競合しない を喪失

「後加工および品質優位商品群」 「内需専用商品群」 した商品群

(新複合織物、 (機能性加工、 (内需裏地、資材用、 (輸出量産新合繊織物) 感性加工) 隙間商品) 定番織物)

ポリエステル 25.0% 28.2% 17.9% 28.9%

ナ イ ロ ン 18.5% 37.0% 24.7% 18.8%

レーヨン、アセテー ト - 22.7% 50.0% 27.3%

出所)福井県繊維産業振興協議会 『海外繊維事情調査報告書』56ページ;小山 〔1996〕18ページ。

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日本合繊産業の現段階(富滞) 29

数,織機台数の減少率が高かった。数量減では合繊が大きいが,減少率では再生繊維 (レーヨ

ン,アセテー ト,キュプラ)が大きい。 これらは合繊メーカーの不採算部門の削減であるリス

トラと関わっており,合繊メーカーとの運命共同体 (ゆるやかなタテ割取引)が多 くの企業で

崩壊 した。

工賃は1992年7月末から95年1月末にかけて著減 している。その特徴は,WJLの定番品 (E

タフタ30%滅,Nタフタ28%減,Eポンジー23%減)より差別化品 (Eデシン32%滅,Eパ レ

ス本32%滅)の方が僅かとはいえ低下率が大きいことである。 高付加価値品への転換が産業調

整の目標にス トレー トにならないことを示 している。この加工賃3割減 と上述の仕事量3割減だ

けで試算すれば収入は半減 していることになる。

以上のように輸出指向型の 「賃加工と分業による単品量産型の生産システム」が大きく動揺

したのである24)。

さらに二つの工程間アンバランス問題が生 じている。一つは,品種の変化にともなう準備機

とのアンバランス問題である。 従来型 もの作 りのバランスが通用 しなくなった。つまり生産品

種が韓国 ・インドネシアと競合する薄地量産品 (経サイジング,緯強撚糸で,品種としてはパ

レス ・デシン・ファイユ)から経緯強撚糸使いの中肉 ・厚地品種に向かっており,ノーサイジ

ングのため糊付機が余り,撚糸機が不足 している。 二つは,採算悪化による経通,染色加工の

縮小である。 周辺のバランスが崩れるなかで白生地だけが生き残れる筈がないとの認識を織布

業者は有 しており,背後には限界企業のみならず,力があると考えられていた企業の廃業があ

る。

小ロット化や複合繊維を織るためにAJL (W幅で2ないし4ピック), レピアが5,6年前のバ

ブル不況前に導入されたが25),現在償却できていない 。そればか りでな く,老朽化が深刻な状

況で,1995年1月現在,10年以上使用 している織機の割合は,AJL28%, レピア33%,WJ

L41%,自動織機87%,普通織機92%である。 前二者の台数は1,178台であるが,後三者の台

数は18,301台である。 石川産地の1ピック比率は,WJL72.4%,AJLで79.9%である (95年

2月調査)。量産システムは設備面からも崩壊 しっつある。

(2)産地としての企画開発力,営葉力,技能

新 しい生産システムにとって重要な機能である製品企画開発力,営業,技能についてはどう

か。

産地で開発を行うのは,大手織布企業,生産設備を持っている大手産元商社である26)。但し,

開発の際には,産地自身で情報の収集と分析をするのではなく,合繊メーカーやアパ レルが産

地に流 してくるヨーロッパの素材ファッションの間接情報 (感性ないしイメージ情報)がもと

になる。そして,試織能力のある企業- 上位層の企業でありプロダクションチームとして合

繊メーカーの開発に関与 しうる27)- は10%未満であり (石川産地), この場合にも重要な変

化がある。 新合繊の高次加工時に示された各工程企業の独自技術 ・ノウ-ウは,他工程企業と

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30 経営研究 第47巻 第 3号

連携することによって意味をもっ し,その開発力は一定の仕事量 と加工賃水準が確保されるこ

とによって維持ないし高められてきた。現在,その条件が多 くの企業にとって揺 らいでいるの

である。 また,産地の企画力と販売力を代表する産元サイ ドでは自己 リスク負担のアンブラン

ド品- これが産地のバ リエーションを広げてきた- が減少 しており,産元の力が低下 して

いる。これを補うために (秩)繊維 リソースいしかわが1990年に設立されたが,産地主導型生

産システム作りに一歩を印 したにとどまる。 赤字経営の織布企業にとっては自社の経営の中に

どう位置づけたらよいかを考えるゆとりさえないし,「過去何十年,(合繊-富津) メーカーは

北陸に対 して賃織 りさえきちんとしておればいいという姿勢だった。今になって手のひらを返

したように開発力だ,企画力だと言われても--」(『繊維ニュース』1996年9月4日付)という

織布業者の現実がある。

また,日々の生産と開発を支える産地に蓄積されてきた技能が継承されることなく消滅 しつ

つある。『再構築戦略』で提案された技能の確保 ・継承のための人材バンクは実現 されていな

い。

一次情報収集の他人任せ,産元のテキスタイル開発力の低下,開発力を支える試作力の弱さ

など,克服すべき課題は多い。 これを打開 しない限り,圧倒的多数の企業の見通 しは暗い。

(3)共同化

「他人と一緒に生き残るつもりはない」,準備機を持たない 「素人は早 くやめて欲 しい」,親

機 ・子機のグループ化については,うまくいかなくなると仕事を打ち切らざるをえなくなり,

狭い地域社会での生活に支障となると織布業者は言 う。 他人と協力することのメリットがある

といってもリスクがあるし,一緒になったとしてもうまくいくかどうかわからないといったと

ころが平均的な認識である28)。

共同化のまず一歩である情報交換についても合繊メーカーは,守秘義務を織布企業に課 し,

技術 ・工賃水準 ・品種情報はクローズ ドにされ,織布企業間の共同化,情報の共有化 は難 し

い29)。生き残りの方向である差別化を行えば行う程,情報は閉鎖的になる。 商社ないし合繊メー

カーを中心とするゆるいタテ割企業間関係が大きく崩れるなかで,産地再生の手がかりとして

産地内にある技術 ・熟練の糾合が求められるが,核となる企業の閉鎖性が強化されているので

ある (波及効果力の低下)。産地の集積メリットは発注者のものであったのであり,受注者 は

厳 しい同業者競争にさらされてきたのである。

こういう中でも,若手経営者からなるFTT (フクイ ・テキスタイル ・トゥモロー),石川

テキスタイルフォーラムが生まれた。 こうした小グループが生まれる背景は,他社の模倣では

生き残れないのであり,他社について知っても,自社について知 られても,企業経営が左右さ

れない以上,協力 して将来のあり方を模索 しようということである30)。

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日本合繊産業の現段階(富滞) 31

2 企業類型

共同化が経営者の意識か らも,そして産地生産システムのあり方からも,なかなか難 しいこ

とは上述の通りであるが,共同化の前提となるはずの産地企業は,省人化による量産追求型企

業と人手をかけて多品種小ロット生産でいく企業に類型分けできる。前者の場合,合理化工場

である丸井織物 (樵)のように1品種何百台, 1人台持ち100台の企業 もある31)。 1人台持ち

がWJL50台の場合,多品種化は無理といわれている。後者の場合,WJLで 1品種 1, 2台

の企業がある。 但 し,多品種小ロット生産をすればうまくいくかというとそうではない。むし

ろ,これを追求 している企業の方が財務上厳 しい。いずれにせよ,メーカーは得意 (オンリー

ワン)を追求する傾向を強めており,それが生産面を強調するか,製品面を強調するかで,企

業のあり方が異なってくる。

以下で,量産型企業と多品種小ロット生産型企業をみよう32)。

量産型企業であるA織布 (樵)について (1995年11月8日代表取締役より聞取 り)。

1948年創業で,現在資本金1000万円,従業員35人 (男20人,女15人) ・平均年齢46ないし47で,月23,0

00疋 (1疋は50m)生産 している。10年間生産量は変わっていないが,工賃は低下 している。100%糸支給

の賃織で,子機はない。合繊メーカーC社の発注100%工場であったが,現在はC社か らの受注が80%,

総合商社であるD社からの受注が20%である。C社からは今まで浮気をする力を持っのはよいが,浮気は

駄目だといわれてきたが,今年 (1995年)に入ってから体力がつくなら浮気を優先 してもよいといわれて

いる。 大きな転機といえる。企業としての将来 ビジョンを描 くにしてら,合繊メーカーがどう動 くか不明

な今,作成 しにくいという。

設備はWJL184台,準備機2セットで,遠州織機 (ユニフル付)を入れた1964年以降今日まで24時間操

業である。1974年に初めてWJLを入れ,引続き1977,78,79,82,84年にWJLを導入 している。 準備機は

1983,91年に入れた。1983年までは,機屋が準備工程をもつと一人歩きしだすということで,産元からは

よく思われなかったが,現在,準備は同社の財産となっており,製織効率を上げるために効果を発揮 して

いる。 準備機能力の90%を自社で使い,10%分は2社から受注している。織機は幅150センチのタフタ専用

機であり,製織品種の拡大には限界がある。3,4年前まで量産追求できた。品種数はひと桁を考えてきた

が,現在は15品種であるという。 単純に割り算をすると1品種12.3台になる。試織は月に数点という。

同社の ドル箱であるメンズの裏地が15%,定番タフタが43%で,これ以外が変化 してきている。 定番タ

フタは生産のリズムを維持するのに重要だが,これだけでは採算に乗らない。これは,織機の回転数にも

現れており,WJLは毎分400から700回転 しているが,700回転で織る注文品では稼いではいない。 採算

に乗っている受注は50%である。

人口6,000人の町で,以前は119軒の機屋があったが,現在は30軒に減少 した。来春(1996年)にはひと桁

になるかもしれない。残るかどうかではなく,伝染病によって枯れてしまいそうだという。 産地のバラン

スも崩れている (零細茂屋の廃業)。産地の精肉店もっぶれており,末期症状だ。企業数が多いか ら産地

といわれているだけであって,戦意喪失する産地になるのではないかと心配している。準備設備をもたな

い,アマチュアは早 くやめて欲 しい。同社としては,同業者とともに生き残ろうとは考えていない。

産元に対する見方は厳 しい 。親方日の丸のままできており, リストラで身軽になったが,提案力 も削い

でおり,事務職ばかりになった。同社からの提案について自己責任で判断できる人がいない。その点,総

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32

合商社はまだましという 。

経営研究 第47巻 第3号

多品種小ロット生産型企業であるB (秩)について (1995年11月8日専務取締役より聞取り)0

1900年創業で,資本金11,960万円 (グループ合計),従業員数148人 (男73人,女75人),平均年齢44歳。

グループ内に撚糸,整経 ・糊付,織布 (WJL152台, レピア40台)の設備,製品開発センターを有する。

オート・ドローイング・マシン1台を有している。

糸支給100%である。子機は1軒 (WJL15台)のみである。撚糸,整経では外注も利用 している。

織機は,自家で192台で,うち150cm幅WJLの30,40台が休機 している。 これは幅の狭い織物が近隣諸

国製品とバッティングしたためである。 これ以外は3シフトで稼働 している。WJLは1979,82,83年に入

れた。4,5年前にダブル幅WJLを,2,3年前にレピア織機を入れた。

1991,92年には月18,000反 (1反は50m)から20,000反生産していた。現在は約 2割減の月15,000反生産

し (但し,加工賃は約3割低下 している),常時80から100品種作る。単純計算では1品種織機1.5か ら2台で

ある。生産量の75-80%は衣料向けで,婦人服向けが全体の56%である。品種が増加 したのは1988,89年

からで,受注の9割 を占める合繊メーカーE社の多品種化を反映 したものである。それ以前の昭和40,50年

代には20,30マークであった。毎日10-15本の機仕掛けを行っている。そのため稼働率は82,83%という

(定番品をやれば90数%にはできる)。配台面での多品種小ロット対応は,コンピュータそっちのけで人手

で行っている。 ボリュームゾーンは2,3割である。

製品構成は春夏ものが53%,秋冬ものが1割,フルシーズンものが三分の一である。4-9月はオフシー

ズンであるが,輸出でカバーしている。輸出比率は三分の一である。

製織は難しくなっている。織工も熟練が必要になってきた。8,9割 は糊をつけないので織の工程通過を

悪くしている。また,減量加工して初めて欠点がわかることがあるため,製織開始直後の織物の一部を染

色加工してみて問題のないことを確認 してから製織を続ける。また,織機の調整が頻繁になっており,開

口遅れや糸の撚りが強いための対応が大変になっている。素材の複合化は,量産定番品とは異なりたえず

新しい加工を考えることを要求 している。撚糸であるために縮んでしまい,支給される糸の範囲内で長さ

を合わせることやデリバ リーにも神経を使う。WJLは毎分500回転以上, レピア織機は毎分360回転であ

る。布の不合格率は,7,8年前は0.5%であったが,現在は2-2.5%である。かなりの悪化である。

試織は月80点,年間1000点で,設備の充実 した商品開発センターで行っている。 このうち当たるのは5

%ほどという。9割がE社からの要請であり,1割が産元商社F社と自社の試織である。同センターは設備

が揃っており,試織のためシャトル織機2台が動いていた。試織は生機で8-10万円かかるが,この7割 は

支払われる (3割 は自己負担)。試織の基本的な考え方は新 しい素材に基づいてE社からのものであり,新

潟産地に比べて商品開発のソフトが遅れていると自己診断している。

A社のケースでは,量産品でやってきた企業が合繊メーカーからの賃加工が減少するなかで,

初めて発注先を探すことになり,その日に映った産元商社の頼 りなさが興味深い。また, この

企業の設備と人員数ではB社型の企業にはなれない。B社は合繊メーカーの開発に深 く関与 し

ているが,それに伴 う混乱を示 している。多品種小ロット・短納期化はこれほどの企業でも大

変なのである。

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日本合繊産業の現段階(富津)

Ⅴ むすび

33

企業経営にとっての合理的選択が,雇用 ・地域経済 ・地球環境にとっての合理的選択と衝突

しながらも,前者が貫徹されるのが過去及び現在のよくみられる力関係である。 しかし,合繊

産業の場合はそうではない。企業を支えてきた条件と矛盾する方向を選択せざるを得ないので

ある。 しかもこの選択が将来的にも企業にとって最善である保障はない。ここでいう企業とは

量産システムのグローバル展開が可能な原糸メーカー,総合商社のことである。

一方,海外進出の不可能な産地企業はどうであろうか。ここでも生産基盤を産地においたま

までのグローバル展開とそれを支える新産地生産システムが求められているが,末だLである。

根本原因は,主体的な共同化- さまざまなレベルがあろうが- への信頼がほとんどないこ

と,産地に強い影響力をもっ原糸メーカーが製品差別化と囲い込みを強化すればするほど,産

地内で先端情報がクローズ ドになることにある。産地調査をすると企業間工程分業に伴う工程

分断の非効率が必ずや強調されるが,タテ割構造による情報漏出度の低さと生産諸要素の組み

合わせの硬直化とが,産地の柔軟な対応を妨げてきている。 しかも集積のメリットは原糸メー

カーと大手商社に帰属 し,賃加工企業は同業者との協調無さ競争に駆 られる。 そして利用価値

がなくなれば,海外に生産シフトする (埋没コストの低い総合商社に顕著)。各工業組合 も同

一工程企業の組織のままであり,産地の主体的な垂直連携を支援できる態勢にない 。さらに万

能薬と強調される高付加価値路線,多品種小ロット・短納期路線が目に見えた成果を生んでお

らず,副作用ばかりが露になっている33)。これは単に生産上の問題であるだけでなく,工賃水

準にみられる分配上の問題でもある。

本稿で分析 した原糸メーカー賃織りを中心とする北陸産地の生産システムは,産地生産シス

テムの一形態である。 全国には,自己リスクで糸貫 ・布売りを行う産元商社を中心とする西脇 ・

遠州産地もあれば,織布企業が中心になって企画開発生産販売を行う桐生 ・新潟産地もあるし,

泉州 ・大阪南部産地のように産地の垣根を越えた取引の中で高度な生機生産能力を発揮 しつつ

ある産地もある。北陸産地は,1970年代半ばに紡績メーカー賃織 りの削減に直面 した短繊維産

地 (遠州 ・西脇産地)の軌跡を辿ることになるのであろうか。それとも合繊メーカー系列もあ

り,産元系列もあり,機屋系列もある,多様な取引系列をもっ柔軟で開放的なグローバル産地

に生まれ変わるのであろうか。

1)産業調整については大田 [1995],富揮 [1994][1995],平井 [1995],福井県繊維協会調査部 [1996],

細川 [1995],水口 [1996],森 [1995]を参照されたい。

2)日本化学繊維協会 [1996AB]は,川上から川下に至るトータル競争力の強化の必要性を強調する。

また,QRS構築はアメリカ追随であるが,この10年間の日本の動きは,量産は海外で,多品種小ロッ

ト・短納期は国内で行おうとしており,そもそも量産を前提に開始されたアメリカのQRSが多品種小

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34 経営研究 第47巻 第3号

ロット・短納期の世界に導入されようとしている点がアメリカと大きく異なる。

3)1920,30年代のアメリカ南部でのレーヨン生産については富津 [1991A]を,ニューディール以前の

アメリカ南部綿業の部分的工業化については富津 [1991]を,バーリントン・インダス トリーズ社につ

いては富滞 [1993]をみよ。

4)日本の合繊産業についての最近の文献としては鈴木 [1991],佐古田 [1994],平井 [1994]がある。

5)平井 [1994]26ページ。特安法,産構法については松井 [1995]も参照。

6)「新合繊は風合い,感性上の特徴により, "ニューシルキー", "ピーチ調", `̀ドライタッチ ・-イ ド

レープ", "ニュー杭毛 タイプ"の4タイプに分けられ,その製造は--高度な技術に支えられている。--

ポリマー技術としては "高収縮ポリマー'', "多溝 ・多孔ポリマー", `̀無機物質添加 ポ リマー"などで

あり,紡糸技術は "極細化", "コンジュゲー ト", "異型断面", "自己伸長化技術"など, ---延伸 ・

糸加工技術においては "特殊混繊", "シックアンドシン", "特殊かさ高加工"など--,後加工技術

においては "極細糸やかさ高糸に対する製織技術", "高収縮糸に対応する染色加工技術'', "薄起毛技

術", "特殊減量技術"などがあげられる」(『第2版 繊維便覧』丸善株式会社,1994年,513,515ページ)。

7) 『フクイ繊協ニュース』187号,1996年6月,8-9ページ ;「東 レ」[1995]。

8) 「日本の合繊長繊維織物が世界に冠たる地位を占めるのは,①高品質 ・高品位或いは海外にない特殊

な織物の生産に不可欠な素材 (原糸や加工糸)の開発力と供給力,及び,② これらの素材を用い高度な

織物や染色機を駆使 し,織 り上げ染色 し商品に仕上げる技術力にある。即ち,素材,高次加工,生産設

備が相互不可分に結びっいており,どれ一つ欠いても日本特有の高付加価値織物 は生産できない」(化

繊協会 [1996A]12ページ)。

9) 「繊維産業のキーインダス トリーと呼ばれる染色加工業界は,業界の川中に位置するにもかかわらず,

マーケット情報に取 り残される傾向があり,目まぐるしく変化するテキスタイル トレンドについてい く

ことに疲れ始めている。/そのため弱小企業では戦線離脱するところも出るほどの厳 しさとなっている。

--・/繊維業界全体が利益が薄 くなる傾向の中で,立場の弱い染工場にはそのしわ寄せが強 く表れるよ

うになっており,加工賃が低 く抑えられる状態がここ1,2年続いている」(『繊維ニュース』1996年5月28

日付)。

10)伊藤忠,東 レは,タイのポリエステル織物合弁企業SSTIから資本を引き揚げた (『繊維ニュース』

1996年8月12日付)。

ll)ポリエステル,ナイロン,アクリルを三大合繊と呼ぶが,ナイロン長繊維,アクリル短繊維のポ リエ

ステルへの転換が進んでいる。

本節は,聞取 り調査 (1996年2月29日)と大阪市立大学商学部公開授業 「ファッション産業論」(1996

年前期)を参照。

12)1975年度T社売上高の内訳は,ポリエステル38.8%,ナイロン24.4%,アクリル9.3%であった (『T

社50年史』188ページ)。

13)ポリエステル ・フィラメントの月生産能力は,M工場4400トン, Ⅰ工場2780トン, 0工場2470トン

(『T社概要』34ページ)。

14)企業系列のことである。T社の場合, これを経由する原糸 ・原綿は約37%であり,PTは,染色,織

編,紡績 ・糸加工合わせて約70企業からなる。

15)TEF-MSの目的は,①生産計画作成期間の短縮 (10日から5日-短縮),②顧客に対する出荷予告

期間の早期化と入庫精度アップ (計画通 りに生産するシステム作 り),③生産進捗の状況 ・仕掛品ポジ

ションのリアルアイム把握。 これらを実現するための配台の自動化システム,生産進捗の把握 システム

作 りである。

16)この点は,複合素材化が急速に進んでいる短繊維の場合でも,外部の織 ・染工企業に大きく依存 して

おり,同じである。

17)福井 ・石川 ・富山の北陸三県の合繊長繊維織物生産量は全国の約8割 (1995年,福井県が42.3%,石

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日本合繊産業の現段階(富揮) 35

川県が31.9%,富山県が6.5%)をしめた (『フクイ織協ニュース』189号,1996年, 4ページ)。合繊長

繊維織物輸出の97,98%が北陸産織物である。

Ⅳ執筆の際,福井県繊維協会調査部長 ・小山英之氏からの聞き取 り (1995年12月22日)と石川県繊維

協会での聞き取 り (1995年11月7日)が大変参考になった。改めてお礼申し上げたい。

18)染色企業については別の機会に取 り上げたい。現在の大きな変化が生 じる前の合繊メーカーと織布 ・

染色企業の企業間関係については,山口 [1995]が好論文である。但 し,産地分析が目的でないため,

PTに入れない企業は念頭にないし,主テーマである受注側企業の自主性についても,賃加工量が維持

されている条件下のものであった。現在問題になっているのは,賃加工の急減下で囲い込み強化 と切 り

捨てが進行する中での産地自主性問題である。賃織 りについて簡単に補足 しよう。

「賃織生産は,原糸購入の資力が無 くなった織布業界が人絹メーカーに強 く働 きかけ28年 (1953年 :

補足)頃より開始された。合成繊維が登場すると機屋救済の後向き対策からプロダクションチームとし

ての前向きな対策へと変化 し,品質管理 ・技術管理の必要性からサイジング,染色加工部門にも賃加工

生産方式が拡大され,合繊メーカー (商社)を核とする系列生産体制が構築されていった」(『40年のあ

ゆみ』3ページ)0

19)1990年に発行された 『40年のあゆみ』では,織物生産量のうちメーカーチ ョップ比率を約6割 とした

(7ページ)0

20)新合繊を扱っている機屋は,石川県では1割位であろう。 糸の強弱 ・クレームからみて機屋泣かせの

糸という。 新合繊をこなすにはダブル幅で2ピックのWJLが必要になる。

1991年10,11月に実施された 『(石川)県繊維産業実態調査』によれば,織機引当て台数でみた取引

先は,商社75.6% (うち,県内商社は46.2%),親企業15.2%,原糸メーカー4.7%,その他4.5%,染色

取引金額でみた取引先は同上各々61.3% (3.0%),0%,28.6%,10.1%であった (『産地 ビジョン21』

4ページ)。

21)イタリア製ダブルツイスター (準備機),WJLに代表される無梓織機,液流染色 ・ジェッ ト染色機

の導入。

22)黒木 [1991.8]54ページ。

23)生機での推計。織物染色加工高でのポリエステル長織物の輸出比率は,1984年60%,90年37%である。

24) 「発注者の指示に従ってひたすら生産に従事 し,量産に寄与するだけの企業は,今次の環境変化の中

にあって,歴史的使命を終えたものといえる」(『再構築戦略』15ページ)。

25)しかし, レピア織機は扱いにくいとの織布業者の指摘がある。

26) 「これまでは,主としてメーカー,商社の主導による商品開発や差別化素材により産地の発展が支え

られてきた。 しかし,メーカー,商社の リス トラの中で,産地全体による浮揚を図るためには,産学官

の総力を挙げて新品種 ・新用途のテキスタイル製品を開発 し,産地のオ リジナル商品に高める取 り組み

が必要である」(『再構築戦略』29ページ)。

27)LLI口 [1995]45-48ページも参照のこと。

28)四半世紀にわたり,産地を観察 してきたある調査マンも共同化について 「本能に反することはいって

も無駄だ」と述壊 した。

構造改善事業のLPUについては,北陛は-ー ド中心 ・賃加工方式であるために制度に乗りにくかっ

た。構造改善工業組合の円滑化事業についても,組合役員の連帯保証があって難 しかったという 。

29) 「各業界では,商社等の取引先に対応 した縦の系列関係の影響力が強 く,産地を横断 した横の連携関

係,情報交流は比較的弱い」(『産地 ビジョン21』25ページ)0

30) 『92'テキスタイル産地フォーラム 開催記録』65-73ページ。 FTTは1990年5月15日に行動宣言

「面白く,夢あふれる繊維産業にしよう !」を発表 した (『化繊月報』1990年6月号に掲載)。大阪府の泉

州地域で1995年1月に組織されたSSS(泉州繊維サクセッション)グループの背景 も同 じである。

31)丸井織物は,「FA化,OA化の進んだ先進的工場運営で知 られ,東 レPTの一翼を担 う北陸産地の

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36 経営研究 第47巻 第 3号

雄でもある。 ---同社の特徴は,とにかくあらゆる局面で徹底 した無人化を進めていることだ。織 り

子一人当たりの織機担当台数は,百台。協力工場を含め同社は1320台の織機で月産16万匹を生産---」

(「工場見学 丸井織物」『日本繊維新聞』1995年10月9日付)。

32) 『再構築戦略』では,高付加価値追求型,新分野追求型,コス ト競争力追求型,高サービス追求型の

四つを今後の企業のあり方として挙げる (15ページ)。

33) 「産業の基盤は多品種 ・小ロット品のみでは成り立ち得ず,やはり量産分野の競争力が問われている」

(日本化学繊維協会 [1996B]30ページ)。

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