北の縄文ランチタイムセミナー 講演概要(第 回)...

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北の縄文ランチタイムセミナー 講演概要(第 1 回) 日 時 :平成25年10月22日(火) 12:10 ~ 12:50 場 所 :道政広報コーナー 道民ホール交流広場 講 師 :北海道教育庁 文化財・博物館課 主査 藤原 秀樹 概 要 1 はじめに 私は、昨年4月から今年3月まで、東日本大震災の復興事業に伴う埋蔵文化財調査の ため岩手県に派遣されていました。本日は、東日本大震災における被害、特に津波被害 の状況、被災地の現在の状況、復興事業に伴う埋蔵文化財の調査等の概要、調査により 改めて見えてくる縄文文化における北海道と北東北の共通性、最後に、縄文遺跡群で世 界遺産登録を目指すことの意味についてお話をさせていただきます。 2 東日本大震災の被害状況 (1) 概要 東日本大震災は平成 23 年 3 月 11 日に発生し、地震の規模を示すマグニチュード は 9.0、日本では最大の地震であり、阪神淡路大震災の約 1,400 倍の規模です。最 大震度は7(宮城県栗原市)でした。津波については、観測機器が第1波でほとん ど破壊されたため、実際には計測不能でしたが、その後の調査により、岩手県の宮 古市で高さ 40 メートル以上、大船渡市では 23 メートル、平坦な土地が多い宮城県 では内陸8キロメートルまで浸水したことが判明しています。死者15,883 名、行方 不明者2,654 名(何れも平成25 年9 月10 日時点)、地震発生後に避難所等で亡くな られるという震災関連死の方は 2,688 名(平成 25 年 3 月時点)でした。被害額は 16~25 兆円とされています。現在でも、2,600 人以上の行方不明者がいますので、 被災地では、最後の一人までご遺体を捜索するべく、月命日である毎月11 日に一斉 捜索を実施しています。 (2) 具体的状況 後にお話ししますが、私が埋蔵文化財調査に従事した野田村では、20 メートル以上 の高さの津波が襲来、防潮堤が完全に破壊され、三陸鉄道のレールが流されるなどの 被害も出ています。岩手県で最も被害を受けた陸前高田市(岩手県南部に所在する街 です)では、「名勝 高田松原」という海岸にある美しい松並木が地震により壊滅的な 被害を受けました。唯一残存した「1本松」と呼ばれる松も、昨年、海水の影響によ り枯れてしまい、現在は松を人工的に再生したモニュメントが立っています。津波に より被災した場所は、津波の直後は瓦礫が散乱し歩く場所もないという状況でしたが、 瓦礫が撤去されると何もなくなり、津波が運んできた砂により砂埃が舞い、また、瓦 礫が撤去された場所に雑草が生えて草原のようになり、そこに家屋があったことも分 からないような状況です。 私は、震災の直後に、北海道職員の派遣チームの一員として、石巻の避難所の運営 支援に従事しました。避難所となっている小学校で避難物資や食料の配給などを行う のですが、我々は教室の床に寝袋で寝泊まりし、水も配給、入浴も不可でした。早朝 の5~6時から夜の11~12 時まで業務に従事し、わずか1週間でしたが、大変に疲労 した記憶があります。避難所に2か月も暮らしている方の苦労は想像もできないもの があります。

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Page 1: 北の縄文ランチタイムセミナー 講演概要(第 回) 12:50北の縄文ランチタイムセミナー 講演概要(第1回) ... 図では、冠水した場所、津波被害を受けた場所を斜線で示していますが、縄文時代晩期

北の縄文ランチタイムセミナー 講演概要(第1回)

日 時:平成25年10月22日(火) 12:10 ~ 12:50

場 所:道政広報コーナー 道民ホール交流広場

講 師:北海道教育庁 文化財・博物館課 主査 藤原 秀樹

概 要:

1 はじめに

私は、昨年4月から今年3月まで、東日本大震災の復興事業に伴う埋蔵文化財調査の

ため岩手県に派遣されていました。本日は、東日本大震災における被害、特に津波被害

の状況、被災地の現在の状況、復興事業に伴う埋蔵文化財の調査等の概要、調査により

改めて見えてくる縄文文化における北海道と北東北の共通性、最後に、縄文遺跡群で世

界遺産登録を目指すことの意味についてお話をさせていただきます。

2 東日本大震災の被害状況

(1) 概要

東日本大震災は平成23年3月11日に発生し、地震の規模を示すマグニチュード

は 9.0、日本では最大の地震であり、阪神淡路大震災の約 1,400倍の規模です。最

大震度は7(宮城県栗原市)でした。津波については、観測機器が第1波でほとん

ど破壊されたため、実際には計測不能でしたが、その後の調査により、岩手県の宮

古市で高さ40メートル以上、大船渡市では23メートル、平坦な土地が多い宮城県

では内陸8キロメートルまで浸水したことが判明しています。死者15,883名、行方

不明者2,654名(何れも平成25年9月10日時点)、地震発生後に避難所等で亡くな

られるという震災関連死の方は 2,688名(平成 25 年 3月時点)でした。被害額は

16~25兆円とされています。現在でも、2,600人以上の行方不明者がいますので、

被災地では、最後の一人までご遺体を捜索するべく、月命日である毎月11日に一斉

捜索を実施しています。

(2) 具体的状況

後にお話ししますが、私が埋蔵文化財調査に従事した野田村では、20メートル以上

の高さの津波が襲来、防潮堤が完全に破壊され、三陸鉄道のレールが流されるなどの

被害も出ています。岩手県で最も被害を受けた陸前高田市(岩手県南部に所在する街

です)では、「名勝 高田松原」という海岸にある美しい松並木が地震により壊滅的な

被害を受けました。唯一残存した「1本松」と呼ばれる松も、昨年、海水の影響によ

り枯れてしまい、現在は松を人工的に再生したモニュメントが立っています。津波に

より被災した場所は、津波の直後は瓦礫が散乱し歩く場所もないという状況でしたが、

瓦礫が撤去されると何もなくなり、津波が運んできた砂により砂埃が舞い、また、瓦

礫が撤去された場所に雑草が生えて草原のようになり、そこに家屋があったことも分

からないような状況です。

私は、震災の直後に、北海道職員の派遣チームの一員として、石巻の避難所の運営

支援に従事しました。避難所となっている小学校で避難物資や食料の配給などを行う

のですが、我々は教室の床に寝袋で寝泊まりし、水も配給、入浴も不可でした。早朝

の5~6時から夜の11~12時まで業務に従事し、わずか1週間でしたが、大変に疲労

した記憶があります。避難所に2か月も暮らしている方の苦労は想像もできないもの

があります。

Page 2: 北の縄文ランチタイムセミナー 講演概要(第 回) 12:50北の縄文ランチタイムセミナー 講演概要(第1回) ... 図では、冠水した場所、津波被害を受けた場所を斜線で示していますが、縄文時代晩期

<文化財の被災>

被災した埋蔵文化財収蔵庫からの回収

2 岩手県の文化財被災状況

人的被害も甚大でしたが、文化財も被害を受け

ました。岩手県では、県内の国指定文化財166件、

国指定登録有形文化財80件のうち63件(約25%)

が被害を受けています。博物館に展示・収蔵されて

いる文化財も大きな被害を受けており、人命救助

が優先ですが、その後に、文化財の運び出し、砂

に埋没した文化財の回収と洗浄、収納の作業も行

われています。

3 岩手県の沿岸市町村の埋蔵文化財包蔵地(遺跡)の被災状況

沿岸部の埋蔵文化財の津波による被害についてまとめた表、そして岩手県南部に位置

する大船渡市の津波被害の状況を地図で示したものを掲載しています。表から分かると

おり、多くの遺跡も被害を受けていますが、全面冠水した遺跡はありません。また、地

図では、冠水した場所、津波被害を受けた場所を斜線で示していますが、縄文時代晩期

の亀ヶ岡式土器が出土したことで有名な大洞貝塚では、斜面の下にある貝塚は冠水して

いるものの、集落であった部分は冠水していません。

このように、縄文の人々は、自然災害が発生しやすい場所、低地には集落を形成しな

いという傾向があり、これは自然との共生を示すものであると考えられます。縄文遺跡

群の世界遺産登録推薦書原案にも、縄文文化の特徴として「自然と共生し定住を達成し

た特徴的な文化」という記載がありますが、これを示すこととなりました。

4 復興関連事業の急増と支援体制

平成24年度から、様々な復興事業が実施されることとなっていたため、文化庁と総務

省が全国の自治体に打診し、岩手県、宮城県、福島県の3県への復興事業に伴う埋蔵文

化財調査のための職員派遣が実現しました。岩手県には、北海道から九州の熊本県、鹿

児島県まで、10道府県から10名の埋蔵文化財職員が派遣され、この派遣職員10名と岩

手県の職員4名で復興班を結成し、県内の埋蔵文化財調査を実施しました。北海道、青

森県、秋田県の埋蔵文化財職員は、ともに縄文遺跡群の世界遺産登録を目指す岩手県に

<沿岸市町村の埋蔵文化財包蔵地の被災状況>

Page 3: 北の縄文ランチタイムセミナー 講演概要(第 回) 12:50北の縄文ランチタイムセミナー 講演概要(第1回) ... 図では、冠水した場所、津波被害を受けた場所を斜線で示していますが、縄文時代晩期

思案坂橋から谷を望む

<調査地の風景>

派遣され、岩手県の職員とともに調査を実施したのです。

なお、宮城県には9名、福島県には1名の埋蔵文化財職員が派遣されました(今年9

月からは宮城県、福島県ともに増員されています)。3県への埋蔵文化財職員の派遣は現

在も継続されており、北海道からは、岩手県と宮城県に、道職員1名、市町村職員3名

の職員が派遣され、現地で調査への支援活動を続けています。

5 復興関連事業と派遣職員の主な業務

(1) 調査地の概要

派遣先である岩手県は、北海道に次いで2番目に広い県と言われていますが、面積

は北海道の5分の1程度です(北海道は東北地方6県より広い面積を有しています)。

今回の派遣で私が主に調査した場所は、岩手県北部の久慈市と野田村です。久慈市は、

NHKの朝の連続テレビ小説「あまちゃん」という番組の舞台となった街です。主に

野田村の高台移転に伴う遺跡の調査に従事しました。

(2) 調査の具体的な内容

復興事業の内訳ですが、国が実施する事業としては沿岸部における高速道路の建設、

県が実施する事業としては災害公営住宅や学校などの建設、市町村が実施する事業と

しては個人又は集団での高台移転への支援などの事業があり、これらの事業実施予定

地に遺跡がある場合に、事前に調査を実施しました。

① 分布調査

まず、高速道路の建設にあたって、約 100

㎞の建設予定地における遺跡の有無を徒歩に

て調査しています。

右の写真は岩手県北部の田野畑村にある

「思案坂橋」という橋から撮影したものです

が、このような深い谷を徒歩により調査しま

した。田野畑村は岩手県の中でも山奥にあり、

この地に赴任する県職員、教職員はこの坂を

見て「本当に田野畑村に行ってよいのだろうか」と思案するということから「思案

坂」と呼ばれています。この先にはより深い谷があり、そこは「もうこのようなと

ころには行けない」と辞表を書く、ということから「辞職坂」と呼ばれています。

この調査は4月当初から実施しており、県民の関心も高く、報道もされました。

<埋蔵文化財調査を伴う復興関連開発事業>

1 国関係

(1) 三陸沿岸道路(122km 青森県境 ~ 宮城県境の新規区間)

(2) 釜石自動車道( 17km 遠野市内 ~ 住田町までの新規区間)

(3) 宮古盛岡横断道路( 48km 盛岡市 ~ 宮古市の新規区間)

2 県関係

(1) 災害公営住宅

(2) ほ場整備事業(被災した水田・畑地の土壌入替え等を含む)

(3) 公共施設(学校、病院、警察署等)

3 市町村支援

(1) 防災集団移転、漁業集落防災強化機能促進事業(高台移転)

(2) 個人住宅対応(高台移転)

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人力での調査

重機が通れる場所を探し誘導

<試掘調査>

<発掘調査>

作業員の方々とともに作業

冬季における調査

② 試掘調査

さらに、遺跡が存在しそうな箇所は、遺跡の

有無及び範囲について試掘調査を実施するこ

ととなります。この調査は、ほぼ1年をとおし

て、岩手県の沿岸部全域で実施していました。

調査地の多くは高台移転地ですが、津波が襲

来した場所を調査する場合には、最初に黙祷を

してから作業を始めていました。通常、このよ

うな調査を行う場合は用地を買収し、伐木して

から調査を開始しますが、今回は調査を迅速に

行い、早期に状況を把握するということで、ま

だ用地を買収しておらず、立木がある状況でも

調査を実施しました。そのため、写真のような

小さい重機で、樹間を縫うように移動し作業を

行い、重機が入れないような山中では人力で作

業しました。

③ 発掘調査

発掘調査は、個人の住宅移転や集団での高台

移転において、移転地に遺跡が存在し、しかも

発掘調査をしなくてはならない内容の遺跡で

ある場合に実施しました。調査には作業員の

方々が必要ですが、仮設住宅に入居しているお

年寄りの方々を雇用して調査を実施していま

す。被災地では、多くの復興事業が実施されて

いますが、力仕事が多く、お年寄りの方々の雇

用の場がないという状況です。発掘調査のよう

に、地面に向かって地道に探し求めるという作

業はお年寄りの方々に適した作業であり、また、

外出せず仮設住宅で過ごすよりも、外で体を動

かし、そして新たな発見をするということは、

心の健康にも良い効果があると思います。また、

この作業をされた方が、発掘調査について仮設

住宅等でお友達等に話すことで、調査について

広く宣伝してもらうという効果もありました。

なお、野田村の中平遺跡における発掘調査では、20名ほどの作業員を雇用してい

ますが、この中には北海道で生活したことのある方が多くいました。野田村は漁村

ですので、漁業関係の交流があるのかなと思いました。

そして、通常は、冬は調査を行いませんが、今回は、冬の積雪やマイナス10度の

ような気温の中でも調査を実施しました。地面が凍り重機でも掘削が難しい場所も

あります。このように冬季の調査は、調査環境も効率もよくありませんが、調査を

進めるということには、復興が進んでいることを目で感じる、実感する効果がある、

ということから冬季も調査を実施しました。

6 調査成果の積極的な公開

多くはありませんが、埋蔵文化財調査は復興の妨げとなるのではないか、という報道

Page 5: 北の縄文ランチタイムセミナー 講演概要(第 回) 12:50北の縄文ランチタイムセミナー 講演概要(第1回) ... 図では、冠水した場所、津波被害を受けた場所を斜線で示していますが、縄文時代晩期

<調査成果の普及公開活動>

小学生の発掘体験

一般住民の方々への説明会

<遺跡から分かる過去の災害>

沓形遺跡の津波の痕跡

もありました。それに対しては、調査成果の積極的な普及・公開活動の実施により対応し

ていました。阪神淡路大震災の際にも、埋蔵文化財調査は復興の障害となるのではない

か、という論調がありましたが、現地での調査成果の説明会や公開活動をすることによ

って、地域の歴史を再認識し、誇りを取り戻す端緒となった、という報道がなされてい

ます。それと同じように、今回も調査成果の積極的な普及公開活動を実施しました。

(1) 地域の文化・文化財を大切にする心の醸成(気候風土・郷土芸能等も含む)

そのような普及公開活動として、小学生への

現地説明会及び発掘体験を実施しました。多数

の児童生徒が約6,000年前の土器を発見したり

していました。発掘体験に目を輝かせ、まさに

自らの足元の歴史を実感しているという状況で、

「まだ帰りたくない」「もっと発掘したい」とい

う声が多数あがりました。

さらに一般住民の方々を対象にした遺跡の説

明会も実施しました。多数の方々に参加してい

ただき、熱心に説明を聞いて、多くの質問を寄

せていただきました。あのような大きな津波の

来襲にも拘らず、その土地に居住し続けると決

意した人々は、自らが居住する地域はどのよう

な場所なのか、地域の歴史について高い関心を

持っているようです。また、現地では被災の後

に、郷土芸能や祭りはすぐに再開するのですが、

これも、自らが居住する地域はどのような場所

なのか、という意識が強くなったことによるも

のではないかと思われます。そして、郷土を愛する心が復興の力になるということで、

「郷土を愛する心を育てる」ということが復興教育の柱の一つとなっていますが、こ

のような普及公開活動を通じて、地域の文化財を大切にする心が育つと考えられます。

(2) 過去の災害を伝える遺跡

埋蔵文化財の調査から過去の災害に関する事実

が判明することがあります。例えば、海岸部から

4.3km内陸に所在する仙台市の沓形遺跡では、弥

生時代(約2,000年前)の水田跡を覆う津波の痕

跡が確認されています。

写真の四角は水田跡で、この中に白いものがあ

りますが、これは津波で運ばれてきた砂です。こ

れにより約2,000年前に津波が来襲したというこ

とが判明しました。東日本大震災は千年に一度の

地震と言われています。869年には貞観地震が発生していますが、「千年に一度の地震」

と言うためには、そのさらに千年前にも地震が発生していなければならないところ、

この遺跡の調査から、約2,000年前にも大規模な津波が来襲していることが判明しま

した。

また、既述のとおり、縄文文化の人々は津波被害を受けたところに集落を形成しな

いということも、遺跡から分かることの一つです。

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<過去の災害を伝えるもの>

津波記念碑の位置

津波記念碑

大津波記念碑

高き住居は児孫の和楽

想え惨禍の大津波

此処より下に家を建てるな

さらに、岩手県沿岸部では、千年前の平安時

代に貞観地震が起きますが、その後には、通常

は居住しないような、狭い尾根上にも集落が形

成されることが判明しています。これを平安時

代の高台移転ではないかという研究者もいます。

私が調査した野田村では、奈良時代には沿岸部

に集落が形成されており、集落の裾が津波で洗

掘されましたが、平安時代になると少し内陸に

移転していることが判明しています。貞観地震

は869年に起きていますが、火山灰の状況から、

900 年より少し前くらいに建てられたのではないかとされる住居、つまり、この場所

に居住していた人は貞観地震による津波を見ていた可能性がある、そのような住居を

調査したこともあります。このようなことは未だ仮説であり、なお検証が必要ですが、

今後の調査によりこのようなことが判明する可能性があります。

また、過去のことを知ることは大切ですが、

それを伝えることは非常に難しい、ということ

を示す実例があります。下の写真は岩手県宮古

市の姉帯地区にある津波の碑です。昭和8年の

大津波の際に建てられました。それまで住民は

沿岸部に居住していましたが、大津波の来襲に

より大きな被害を受けました。そのため、この

場所に「此処より下に家を建てるな」という石

碑を建てました。この地区では、漁業を営むに

あたっては沿岸部に居住する方が便利なのです

が、この石碑より高い場所に集落を形成し、低

い場所には住居を建設しませんでした。今回の

津波はこの石碑より少し下まで来ていることが

判明しています。

このように過去の災害における教訓を後世に

伝えることができた集落もありますが、このよ

うな例は少数です。このような津波記念碑はい

ろいろな場所に建てられましたが、道路拡幅へ

の支障から、建てられた場所より低い場所に集

められた例もあるなど、碑が教訓として生かさ

れない事例もあり、過去の災害を伝承すること

の難しさを感じました。

7 岩手県での調査で感じたこと

岩手県の埋蔵文化財調査を通して感じたことは、縄文文化における北海道と北東北の

共通性です。津軽海峡を挟んで活発な交流をしており、ヒスイ、アスファルト、黒曜石

などの交易品、類似した土器、石器、住居跡、墓が出土するということで、これは、北

海道と北東北が共通の文化圏に属していたということを示すものです。このように、岩

手県での調査においても北海道と類似したものが出土しますので、まさに即戦力として

復興事業の調査にあたることができ、復興事業の調査にかかる第一号の報告書を、私と

その仲間で作成することができました。

<遺跡から分かる過去の災害>

野田村における平安時代の集落の移動

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(1) 住居跡(具体的な共通性その1)

具体的な共通性ですが、例えば、岩手県野田村の中平遺跡から出土の約6,000年前

の住居跡は少し四角形ですが、函館市の中野A遺跡から発見された同時期の住居跡も

長方形に近い形状です。この時期は東日本全体で四角形の住居が建てられますが、炉

や焚火の痕が存在しないということが、北海道や東北における特徴の一つです。

中平遺跡においては、その後の約5,500年前の住居跡は円形又は楕円形になります

が、道南の北斗市館野6遺跡においても、同様に楕円の住居跡が発見されています。

柱穴の痕は二本ほどしかなく、炉(焚火の痕)が出現するようになります。炉跡は複

数の例もあります。この後、両地域では円形の住居が建てられるようになります。

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(2) お墓(具体的な共通性その2)

道南の北斗市の館野6遺跡で発見されている約5,500年前のお墓では、円筒形の土

器が横倒しになっていました。岩手県野田村の中平遺跡でも、同様に円筒形の土器が

横倒しになっている土坑が発見され、「これはお墓ではないか」とすぐに考えました。

(3) 落とし穴(具体的な共通性その3)

「落とし穴」とは、鹿などを捕えるためのものですが、北海道の厚真町厚幌1遺跡

で出土したものと岩手県野田村の中平遺跡で発見されたものを比較しますと、類似し

ていますが相違点もあり、岩手県のものの方が長いことが分かります。函館近辺を中

心とする北海道南部と東北北部は、「落とし穴」が集中して存在する地域の一つです。

特に函館から青森、岩手県海岸部には、細長くて狭い落とし穴が密集するという共通

した特徴があります。津軽海峡を挟んで、北海道にはエゾシカ、本州にはニホンジカ

が棲息していますが、どちらも雪に弱く、冬季には群れで太平洋側の雪のない場所に

移動し越冬する習性があります。このような同様の習性に対応するために同様の「落

とし穴」が掘られた、というように考えられます。

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(4) 土器及び石器(具体的な共通性その4)

また、出土している土器を比較しても、岩手県野田村の中平遺跡と函館市高屋敷川

1遺跡出土の約6,000年前の土器は、ともに尖底土器であり、同様の文様が施されて

いることがわかります。また、北海道指定の有形文化財である椴法華村出土の尖底土

器、これは有名な土器であり函館市立博物館で見学できますが、まさにこれと同様の

土器が岩手県の遺跡からも出土し、椴法華村出土のトドホッケ式土器と全く同じ時期

のものであるということがすぐに分かりました。

また、約5,500年前には、北海道と北東北は「円筒土器文化圏」に属していますが、

例えば道南の函館市八木A遺跡や木古内町釜谷遺跡から出土している土器と岩手県野

田村の中平遺跡から出土している土器は、やはり同様の形状(円筒形・バケツ状)をし

ており、同様の文様が施されていることが分かります。

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また、石器の形状についても、一例として石鏃を比較しますと、岩手県野田村の中

平遺跡では三角形で、基部が少し丸くなっているか平らなものが出土していますが、

伊達市北黄金貝塚でも函館市八木B遺跡でも、同じ時期に作成された同様の形状の石

鏃が出土しています。

このように、縄文文化における北海道と北東北の共通性につきまして、当然知識と

して知ってはいましたが、実際に岩手県で調査を実施して実感してきました。このよ

うな共通性により、現地で即戦力として復興に寄与することができたのではないかと

思います。

8 世界文化遺産登録を目指す「北海道・北東北の縄文遺跡群」

最後に「北海道・北東北の縄

文遺跡群」についてですが、

縄文文化は世界的に見ても普

遍的な価値を持っていると考

えられます。世界遺産推薦書

の原案では「狩猟・採集・漁

労を生業の基盤としながら定

住を達成した」とあり「世界

の同時期の他の地域とは異な

る稀有な存在である」とされ

ています。縄文文化というの

は、世界的に見てもかなり独

特でユニークな文化であると

いうように考えられます。さ

らに、北海道と北東北の縄文

文化には、先述のとおり共通

性があり、日本の縄文文化の核となる地域、あるいは代表する地域と考えられるため、

この4道県の縄文遺跡群で世界遺産の登録を目指した各種の活動を行っています。この

ように世界遺産への登録を目指すこと、また登録を目指した様々な活動を実施すること

<北海道・北東北の縄文遺跡群 位置図>

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によって、地域の価値を再発見することになるのではないかと考えています。これが、

特に岩手県などの被災地では、地域の誇りとなることによって復興の心の拠りどころに、

そして復興の力にもなるのではないかと考えられます。縄文遺跡群のホームページも開

設されましたので、こちらもご覧になっていただければと思います。

本日は、平日のご多忙の中ご来場いただきありがとうございました。以上で私からの説

明は終わらせていただきます。

(了)