刑法における「手続化」論の基礎的考察(1) -...
TRANSCRIPT
論 説
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)――ドイツにおける諸学説の批判的検討を
手がかりとして――
天 田 悠
目 次第1章 はじめに第1節 問題意識と課題の設定第2節 検討素材の選択と分析対象の限定第3節 本稿の構成
第2章 ドイツ刑法における手続化論の解釈論的検討第1節 本章の目的第2節 ドイツ刑法学説にみる「手続化」積極論
(第2款第1項まで,本号)第3節 ドイツ刑法学説にみる「手続化」消極論第4節 手続化論の到達点とそれに対する批判第5節 小 括
第3章 手続化論をめぐる検討視座の具体化第1節 本章の目的第2節 広義の手続化概念と狭義の手続化概念第3節 手続化概念と犯罪論
第4章 おわりに
39(155)
細 目 次第1章 はじめに第1節 問題意識と課題の設定第1款 問題意識第1項 本稿のテーマ:刑法における「手続化」第2項 問題の背景第3項 基礎理論的検討の必要性
第2款 課題の設定第2節 検討素材の選択と分析対象の限定第1款 検討素材の選択:ドイツ法における手続化論学説第2款 分析対象の限定:ドイツ刑法学説の分析とそれに基づく比較
法的知見の獲得第3節 本稿の構成
第2章 ドイツ刑法における手続化論の解釈論的検討第1節 本章の目的第1款 問題の所在第2款 「手続化論」前史―― K.アメルンク=J.ブラウアーの「手続
による正当化」構想第3款 本章における検討の方針と順序
第2節 ドイツ刑法学説にみる「手続化」積極論第1款 刑法における手続化論の萌芽――W.ハッセマーの議論第1項 問題意識第2項 手続化の投入条件:「特殊な不可知」の存在第3項 「手続による法益保護」の基本構想第4項 基本構想の応用
第2款 手続化論の総論的展開―― A.アイッカーと F.ザリガーの議論
第1項 A.アイッカーの手続化論――手続化による「刑法のパラダイムシフト」?
1 基礎法的検討に基づく「手続的法」概念の導出2 手続的法の憲法的・刑法的位置づけ3 批判的検討 (以上,本号)
第2項 F.ザリガーの手続化論――「手続による基本権保護」としての手続化
第3款 手続化論の各論的展開―― A.ポップと R.フランクスキの議論
香川法学39巻3・4号(2020)
40(156)
第4款 「手続化」積極論のまとめと次節への序第3節 ドイツ刑法学説にみる「手続化」消極論第4節 手続化論の到達点とそれに対する批判第5節 小 括
第3章 手続化論をめぐる検討視座の具体化第1節 本章の目的第2節 広義の手続化概念と狭義の手続化概念第3節 手続化概念と犯罪論
第4章 おわりに
第1章 は じ め に
第1節 問題意識と課題の設定第1款 問題意識第1項 本稿のテーマ:刑法における「手続化」
行為者が一定の「手続」を履行することは,犯罪の成否という「実体」にどのような影響を及ぼすか。これが,本稿が扱う刑法解釈論上の問題である。この問題は,「手続化」(Prozeduralisierung, proceduralization
⑴)をキーワ
ードとして,わが国の刑法学に多大な影響を与えてきたドイツのみならず,その近隣諸国でもかねてから論じられてきたテーマである。もっとも,手続化という概念は,「刑法上〔の〕異物(Fremdkörper)
⑵」と呼ばれ,その
� ドイツ刑法における有力説は,「手続化」概念を,「特定の手続を遵守することによって,これに対応する法益侵害行為ないし法益関係的行為を不可罰とすること」などと定義している。Vgl. statt vieler Frank Saliger, Prozedurale Rechtfertigung imStrafrecht, in : Festschrift für Winfried Hassemer,2010, S.599ff.,601f.(以下,Saligerin : FS Hassemerとして引用する。); Detlev Sternberg-Lieben, Gesetzliche Anerkennungder Patientenverfügung : offene Fragen im Strafrecht, insbesondere bei Verstoß gegen dieprozeduralen Vorschriften der §§1901a ff. BGB, in : Festschrift für Claus Roxin zum80.Geburtstag, Bd.1,2011, S.537ff.,549(以下,Sternberg-Lieben in : FS Roxinとして引用する。); Ramona Francuski , Prozeduralisierung im Wirtschaftsstrafrecht,2014, S.120ff.,149ff.,150f.(以下,Francuski , Wirtschaftsstrafrechtとして引用する。).
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
41(157)
本格的な刑法理論的検討は,ドイツにおいてでさえ長らく手つかずの状況にあった
⑶。しかし,現在のドイツに限ってみれば,このような状況は,も
はや克服されたといってよい。ドイツ連邦通常裁判所(BGH)と連邦憲法裁判所(BVerfG)による多くの判例,およびこれに触発された学説による一連の理論的検討は,このテーマを,犯罪論における独立の研究領域にまで発展させた
⑷。ドイツにおけるこのような発展は,「犯罪論における
リサーチ・スペースはほぼなくなった状態にある⑸」といわれるわが国に
とっても,ひときわ興味深い理論的動向といえるだろう。
� Günter Stratenwerth , Prozedurale Regelungen im Strafrecht, in : Festschrift für WinfriedHassemer,2010, S.639ff.,646(以下,Stratenwerth in : FS Hassemerとして引用する。).Vgl. auch Sternberg-Lieben in : FS Roxin, S.550. なお,本文中,亀甲括弧(〔 〕)で囲んだ部分は,読者の理解の助けとなるよう筆者が言葉を挿入した箇所である(以下同じ)。� Vgl. dazu Michael Kubiciel , Die Flexibilisierung des Strafrechts, in : Eric Hilgendorf u.a.(Hrsg.), Handbuch des Strafrechts, Bd.1,2019, S.1083ff.,1088(§24 Rn.9). もっとも,この問題の一端は,1993年9月に東京で開催された,マックス・プランク外国・国際刑法研究所主催のドイツ・東アジア刑法シンポジウム「正当化と免責」(Rechtfertigung und Entschuldigung)において,すでに議論の対象となっていた。このシンポジウムに関する日本語文献として,アルビン・エーザー(西原春夫監修)『違法性と正当化――原則と事例――』(成文堂・1993年)があり,このシンポジウムの報告書として,Karl-Friedrich Lenz, Tagungsbericht : Rechtsvergleichendes Kolloquium.Rechtfertigung und Entschuldigung im Vergleich des deutschen Strafrechts mit demStrafrecht ostasiatischer Länder in Tokio/Japan vom 13. -17.9.1993, ZStW106(1994),676(680)もある。� たとえば,ドイツで現在最も著名な「刑法総論」の教科書の1つである Wessels/Beulke/Satzger, Strafrecht Allgemeiner Teilは,2011年に出版された第41版(Johannes Wessels/Werner Beulke, Strafrecht Allgemeiner Teil,41. Aufl.,2011, Rn.9m. Fn.7)から,「刑法の手続化」に関する記述を追加し,その前年に公表された Saliger in : FS Hassemer,S.599ff. ; Stratenwerth in : FS Hassemer, S.639ff.等をさっそく引用している。さらに,ドイツで最も定評のある刑法注釈書の1つである Schönke/Schröder StrafgesetzbuchKommentarも,2014年に改訂された第29版(Theodor Lenckner/Detlev Sternberg-Liebn ,in : Schönke/Schröder Strafgesetzbuch Kommentar,29. Aufl.,2014, Vorbem. §§32ff. Rn.7a ff.)から,「正当化事由の基本原理」というタイトルのもと,優越的利益原理・利益欠缺原理と並んで,「手続的正当化」(prozedurale Rechtfertigung)という項目を新たに追加し,(批判的にではあるが)これを紹介している。� 比較的近時の指摘として,松澤伸「刑法/刑罰制度の正当化根拠論と犯罪化論/犯罪論」石川正興先生古稀祝賀『刑事政策の新たな潮流』(成文堂・2019年)41頁以下,67頁参照。
香川法学39巻3・4号(2020)
42(158)
第2項 問題の背景こうした動向の先駆けとなったのは,ヴィンフリート・ハッセマーに
よる一連の研究である。すなわち,ハッセマーは,1994年に公刊されたエルンスト・ゴットフリート・マーレンホルツ裁判官古稀祝賀論文集において,1993年の連邦憲法裁判所第2次堕胎判決
⑹が提起した諸問題を解決
するためのキーワードとして「手続化」を掲げ,これをもとに「手続的正当化」(prozedurale Rechtfertigung)という概念を提唱した
⑺。そしてハッセ
マーは,この概念にまつわる種々の現代的課題を取り上げ,これに徹底した理論的検討を加えることによって,今日までつづく手続化論の礎を築き上げた
⑻。さらにそれ以降,ハッセマーの研究から影響を受けた刑法上の諸
学説は,治療の中止・差控え,臓器移植,臨床試験,および着床前診断(Präimplantationsdiagnostik : PID)をはじめとした,医事刑法における複数の問題領域にまで,手続化論の射程範囲を広げようとしている。しかも近時に至っては,医事刑法の分野にとどまらず,環境刑法(特に行政従属性の問題
⑼)および経済刑法(とりわけ背任罪
⑽と汚職の罪)の各分野におい
� BVerfGE88,203. 連邦憲法裁判所第2次堕胎判決については,後出・注39~41およびそこで引用する文献を参照。� Winfried Hassemer, Prozedurale Rechtfertigungen, in : Festschrift für Ernst GottfriedMahrenholz, S.731ff.,735ff.[in : ders., Strafen im Rechtsstaat,2000, S.109ff.](以下,Hassemer in : FS Mahrenholzとして引用する。).� この点につき,詳細は,後出・第2章第2節第1款参照。� Vgl. bspw. Frank Saliger, Umweltstrafrecht, 2012, Rn.67ff., 146ff.(以下,Saliger,Umweltstrafrechtとして引用する。); Francuski , Wirtschaftsstrafrecht, S.201ff. ; LisaBorrmann , Akzessorietät des Strafrechts zu den betreuungsrechtlichen (Verfahrens-)Regelungen die Patientenverfügung betreffend(§§1901a ff. BGB),2016, S.199ff.(以下,Borrmann , Akzessorietät des Strafrechtsとして引用する。).� Vgl. z. B. Andreas Ransiek, Risiko, Pflichtwidrigkeit und Vermögensnachteil bei derUntreue, ZStW116(2004), 634(674ff.); Markus Adick, Organuntreue(§266 StGB)und Business Judgement. Die strafrechtliche Bewertung unternehmerischen Handelns unterBerücksichtigung von Verfahrensregeln, 2010, S.85ff. ; Francuski , Wirtschaftsstrafrecht,S.292ff.,312ff.,364ff. 以上のうち,A.ランジークの見解については,品田智史「背任罪における任務違背(背任行為)に関する一考察(二・完)」阪大法学59巻2号(2009年)41頁以下,61頁以下に詳細な紹介がある。
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
43(159)
ても同様の傾向がみてとれる⑾。
もっとも,詳しくは後述するように⑿,ドイツの刑法学説のなかには,こ
うした手続化の流れに対して慎重な見方を示す見解が少なくない。学説においては,むしろ,こうした見解のほうが一般的であるとさえいえる。このように,学説が手続化に対して慎重な反応を示している理由は,次章以降の考察をつうじて徐々に明らかにしていくが
⒀,ここでは,手続化を強
調・徹底する傾向が,刑法上の基本原則とされる罪刑法定主義や法益保護主義を掘り崩す危険性を孕んでいる,という点だけを予告するにとどめたい。
第3項 基礎理論的検討の必要性それでは,このような危険性があるにもかかわらず,「手続化」という
テーマが今日一段と脚光を浴びているのは,一体なぜか。その理由は,このテーマが,一方で,現代のリスク刑法・予防刑法と密接に関連し,他方で,普遍的法益(universales Rechtsgut)の保護のあり方・抽象的危殆化犯(abstraktes Gefährdungsdelikt)・処罰の早期化といった,刑法が直面する種々の現代的課題に対して,説得的な解答を与えることができるかもしれないとの期待が寄せられているからにほかならない
⒁。もっとも,そうし
� 医事刑法・環境刑法・経済刑法における「手続化」に概観を与える文献として,Kubiciel(Fn.3), S.1088f.(§24Rn.10)がある。
� この点については,後出・第2章第3節第1款第1項~第3項参照。� 「手続化」に対する批判のまとめとして,後出・第2章第4節第2款参照。� Vgl. dazu Frank Saliger, Prozeduralisierung im(Straf-)Recht, in : Winfried Hassemer/Ulfrid Neumann/Frank Saliger(Hrsg.), Einführung in die Rechtsphilosophie undRechtstheorie der Gegenwart,9. Aufl.,2016, S.434ff.,439〔紹介として,天田悠「フランク・ザリガー『(刑)法における手続化』」早稲田法学94巻2号(2019年)247頁以下〕(以下,Saliger in : Rechtsphilosophie und Rechtstheorieとして引用する。).また,詳しくは後述するが,Andreas Eicker, Die Prozeduralisierung des Strafrechts. ZurEntstehung, Bedeutung und Zukunft eines Paradigmenwechsels,2010, S.54ff., insb.309(以下,Eicker, Prozeduralisierungとして引用する。)は,こうした動きを,刑法における「パラダイムシフト」(Paradigmenwechsel)と呼ぶ。
香川法学39巻3・4号(2020)
44(160)
た期待とは裏腹に,「手続・方式の履践ないし違背は,犯罪の成否という実体にとっていかなる意味をもつのか」という問題は,わが国では,これまでほとんど取り上げられてこなかった。しかし,このような未開拓の問題に対して基礎理論的な検討を加えることの意味は,決して少なくないと考えられる。果たして,手続化論は,現代刑法が対峙する種々の問題を解決するため
の「道しるべ」(Wegweiser⒂)となりうるのか,それとも,心して味わうべ
き「甘い毒」(süßes Gift⒃)にすぎないのか。その帰趨を見極めることが,
今まさに求められているように思われるのである。
第2款 課題の設定以上のような問題意識のもとに,本研究は,「行為者が一定の『手続』
を履行ないし遵守することが,犯罪の成否という『実体』に,どの範囲で,そしていかなる理由から影響を及ぼすのか」という問題を取り扱うものである。もっとも,手続化に関連する問題領域は多岐にわたるため,この小稿だけで,これらの問題領域すべてをカバーすることは不可能であろう。そこで本稿は,「手続化」という,われわれにとって未知の問題領域か
ら真に取り組むべき課題を特定し,今後この課題をどのような視座のもとで検討していくべきか,その見通しを具体的に提示するところまでを課題とする。
� Theresa F. Schweiger , Prozedurales Strafrecht. Zur Bedeutung von Verfahren undForm im Strafrecht,2018, S.25f.(以下,Schweiger, Prozedurales Strafrechtとして引用する。).� Winfried Hassemer, Ein gefährliches, ja frivoles Spiel, 14.01.2011 FAZ(Eicker,Prozeduralisierungの書評である。https : / /www. faz. net / aktuell / feuilleton / buecher / rezensionen / sachbuch / andreas-eicker-die-prozeduralisierung-des-strafrechts-ein-gefaehrliches-ja-frivoles-spiel-1572829.html,2019年12月20日最終閲覧).
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
45(161)
第2節 検討素材の選択と分析対象の限定第1款 検討素材の選択:ドイツ法における手続化論学説以上で設定した課題に取り組むにあたって,本稿は,検討の素材を得る
ために比較法的考察を試み,そのための対象国としてドイツを選択する。比較法的考察の対象国としてドイツを選択する理由は,先述のように
⒄,ド
イツ法学説が判例を契機としてこの問題に取り組み,現在に至るまで持続的に議論を積み重ねてきたからにほかならない。したがって,手続化をめぐる問題を考察するためには,まず,手続化論がどのような要請のもとで登場したのかを押さえ,次いで,これに解釈論的検討を加えることによって,ドイツ法における現在までの理論的到達点を特定する必要がある。このような作業に取り組んではじめて,今後われわれがこのテーマに臨む上で必要な視座を,よりクリアな形で提示することができるようになるだろう。もっとも,本稿の検討手法に対しては,「ドイツ法の手続化論に関して
は,すでに議論の多くが紹介されており,本稿が付け加えられるスペースなど,ほとんどないのではないか」という疑問が向けられるかもしれない。たしかに,ドイツ刑法上の手続化論に関しては,とりわけ終末期医療の分野⒅を中心として,すでに一定程度の蓄積が存在する
⒆。しかし,本研究が最
終的に目標とするのは,終末期医療の分野(だけ)ではなく,医事刑法⒇・
環境刑法・経済刑法におけるその他の問題領域からも「手続化」の思考方法を掘り起こし,その理論的妥当性を批判的に検証・吟味することにある。このような観点から先行研究を改めて見渡してみると,わが国には,このテーマを主題として取り扱った業績は見当たらない。この点に,わが国におけるドイツ刑法研究の空隙が存在する。本稿は,将来における包括的検討を期しつつも,まずはそのための第一歩として,基礎資料の提供および整理という見地から,以上のような先行研究上の空隙を埋めようとする試
� 前出・第1章第1節第1款第1項~2項参照。
香川法学39巻3・4号(2020)
46(162)
みである。
� 具体的には,まず,山本紘之による一連の業績(山本紘之「治療中止の不可罰性の根拠について」大東法学23巻1号(2013年)97頁以下,特に101頁以下,同「ドイツ刑事判例研究(91) 生命維持措置の中止に関する世話裁判所の許可が不要となる要件および覚醒昏睡にある患者の推定的意思を探知するための要件」比較法雑誌50巻1号(2016年)275頁以下,特に295頁,同「治療中止における手続履践の刑法的意義」長井圓先生古稀記念『刑事法学の未来』(信山社・2017年)251頁以下,同「治療中止における自己決定権の機能について」いほうの会編『医と法の邂逅 第3集』(尚学社・2018年)101頁以下,特に123頁以下等)が挙げられる。そのなかでも,特に,同・前出『長井古稀』253頁以下は,Borrmann , Akzessorietät des Strafrechtsを随所で引用している。また,井田良「治療中止をめぐって――立法による問題解決は可能か」判例時報2374号(2018年)108頁以下,112頁,113頁注29も,治療中止が適法となる実体的・手続的要件を法定したときに,その違背がただちに殺人罪の刑法的違法性を具備することになるのか,という問題との関連で,Horst Schlehofer, in :Münchener Kommentar zum StGB,3. Aufl.,2017, Vorbem. §§32ff. Rn.158を引用している。さらに,Eicker, Prozeduralisierung, S.203ff.を参照するのは,神馬幸一「安楽死・尊厳死」法学教室418号(2015年)9頁以下,15頁である。� 基礎法分野の先行研究として,たとえば,後出・注21,22および24で引用する文献を参照されたい。� たとえば,医事(刑)法の問題領域において,甲斐克則は,「メディカル・デュープロセスの法理」を提唱している。甲斐の説明によれば,メディカル・デュープロセスの法理とは,医療,とりわけ人体実験・臨床研究・臨床試験・実験的治療のような先進的医療については,社会的観点も加味して,適正手続による保障がなければ,当該医療行為は違法である,とする法理をいう。具体的には,この法理は,実体法的要件として実験段階から個々の被験者・患者に対するインフォームド・コンセントを確保していることはもとより,その前段階として彼らに熟考期間があったか,リスクとベネフィットの衡量に基づき安全性等について倫理委員会の適正な審査を受けているか,人類に多大な影響を与えうる医療(たとえば,遺伝子関係のもの)については,プライバシーを侵害しない必要な範囲で情報公開をし,社会的合意・承認を得ているか等をチェックして,そのいずれかでも欠けていれば,当該医療行為は違法であり,必要に応じて行政処分,悪質な行為については民事責任,場合によっては刑事責任を負わせようとする法理である,という。本稿は,この「法理」の批判的検討をも見据えた,「手続化」論研究序説である。メディカル・デュープロセスの法理につき,詳細は,甲斐克則「医事法『徒然草』
――その三」書斎の窓458号(1996年)33頁以下,特に35頁以下,同『被験者保護と刑法』(成文堂・2005年)7-8頁,30頁,同「医事法の基本原理――刑法の立場から」同責任編集『医事法研究 創刊第1号』(信山社・2019年)1頁以下,13-14頁等参照。
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
47(163)
第2款 分析対象の限定:ドイツ刑法学説の分析とそれに基づく比較法的知見の獲得
以上の問題状況を受けて,本稿は,ドイツ法との比較法的考察をつうじて,「手続化」をめぐる問題の所在を見極め,理論的に解明すべき課題を可能なかぎり具体化するところまでを課題とするが,それでもなお,本稿における分析の対象を,さらにいくつかの視角のもとで限定せざるをえない。その理由は,以下のとおりである。手続化という概念は,そもそも刑法学発祥の概念ではない。詳しくは次
章以降くり返し述べることになるが,「手続化21」論は,もともと法哲学と
法社会学上の学説に由来し,マックス・ウェーバーの形式的合理性・実質的合理性の概念
22のほか,ニクラス・ルーマンの社会システム理論,ユルゲ
ン・ハーバーマスの討議理論,および,ジョン・ロールズの正議論等に依拠しながら
23,公法学・私法学・経済法学をはじめとするさまざまな法学分
野のもと,具体的な法実務の観察をつうじて構築された理論である24。それ
ゆえに,手続化の問題を考察しようとするのであれば,本来なら,こういった法哲学や法社会学上の議論はもちろん,その他の実定法分野の研究動向
� 先述のように,「手続化」の原語は,„Prozeduralisierung“であるが,その訳出にあたっては,法社会学・法哲学をはじめとする基礎法学の先行研究から多くを学ばせていただいた。„Prozeduralisierung“という言葉を「手続化」と訳出する先行研究として,楜澤能生「法化とポスト介入主義法モデル」法の科学16号(1988年)159頁以下,161頁,同「オートポイエシスと法理論――西ドイツにおける『ポスト福祉国家の法理論』の一潮流――」早稲田法学66巻2号(1991年)1頁以下,81頁,山口聡「現代法の自己産出と自律性――ハーバマスとトイプナーの『法化』論を手がかりとして――」阪大法学40巻1号(1990年)103頁以下,106頁等があり,刑法学の分野でも,神馬・前出注⒅15頁等がこの訳語を用いている。これに対して,„Prozeduralisierung“を「プロセス化」と訳出するのは,村上淳一「現代法分析の視角――西ドイツ法学におけるシステム理論の展開――」法学協会雑誌107巻1号(1990年)1頁以下,5頁〔同『ドイツ現代法の基層』(東京大学出版会・1990年)67頁以下所収〕である。� Vgl. dazu Francuski , Wirtschaftsstrafrecht, S.120ff.(126ff.); Schweiger, ProzeduralesStrafrecht, S.66ff.(99ff.). 形式的合理性と実質的合理性の対比については,マックス・ウェーバー(世良晃志郎訳)『法社会学』(創文社・1974年)104-105頁を,また,実質的合理性の強化につき,同書512頁以下を参照。
香川法学39巻3・4号(2020)
48(164)
にも目を配りながら,隣接諸科学の知見を広く参照・吟味しつつ検討を進めていくべきであろう。しかしながら,筆者には,これらの学問領域全体を俯瞰し,そこから真に重要な知見を特定・検証できるだけの能力はない。たとえこうした作業に付け焼き刃的に取り組んだとしても,結局は中途半端な分析に終始する公算が高い。したがって,本稿では,以上のような学際的・法分野横断的な検討を断念し,法学上の,それも刑法学上の議論に主眼を置いて分析を進めざるをえない。もっとも,「刑法学上の議論に分析の主眼を置く」といっても,その範
囲はいまだ広汎である。もしかりに手続化論が,終末期医療を超えて,医事刑法におけるその他の問題領域,さらには,環境刑法・経済刑法の各分野にまで影響を及ぼしうる,起爆力を秘めた理論であるとしても,この小稿だけでこれらの問題点をすべて扱うことなど,もとより不可能であろう。したがって,本稿は,医事刑法・環境刑法・経済刑法における個別の問題点には必要以上に立ち入らずに,あくまでも本稿での目的達成に必要な範囲に限定した上で,これら医事刑法・環境刑法・経済刑法上の議論をフォローするにとどめたい。
� たとえば,A.アイッカーは,ルーマンの社会システム理論に立脚した上で自説を展開しているし(後出・第2章第2節第2款第1項参照),また,F.ザリガーは,ハーバーマスの討議理論を基礎として手続化論の構築を試みている(後出・第2章第2節第2款第2項参照)。さらに,ロールズによる「手続的正義」の分類を手がかりに,「手続的正当化」という範疇を解釈論的に基礎づけようとするのは,A.ポップである(後出・第2章第2節第3款第1項参照)。� 具体的には,公法学者 K. -H.ラデーアの手続化論,私法学者 G.トイプナーの自省的法(reflexives Recht),経済法学者 R.ヴィートヘルターの手続化論がこれにあたる。これらの理論を扱うわが国の先行研究は数多いが,たとえば,楜澤・前出注21「法化とポスト介入主義法モデル」161頁以下,樫沢秀木「西ドイツにおける『法化』論の展開」黒木三郎編『現代法社会学』(青林書院・1989年)79頁以下,同「介入主義法の限界とその手続化――『法化』研究序説――」『法の理論10』(成文堂・1990年)117頁以下,村上・前出注21『ドイツ現代法の基層』71頁以下,89頁以下参照。また,この点に概観を与えるドイツ語文献として,Eicker, Prozeduralisierung, S.86ff.,131ff. ; Francuski , Wirtschaftsstrafrecht, S.151ff. ; Saliger in : Rechtsphilosophie undRechtstheorie, S.437ff.も参照。
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
49(165)
第3節 本稿の構成本稿の構成は,以下のとおりである。まず,第2章では,ドイツ刑法学説による手続化論への対応を概観する
とともに,各学説の理論構造を解明し,これによって刑法学説の理論的到達点を特定する。ここでは,まず,手続化という理論構想を承認し,これを発展させようとする「積極論」の陣営と,これに対して懐疑的ないし批判的な態度をとる「消極論」の陣営とに刑法学説を二分する。その上で,積極論・消極論の両陣営に属する諸学説の基本的主張を確認する。これによって,「手続化」をめぐるドイツ法学説の理論的到達点を正確に把握することが,この第2章の目的である。その際のキーマンとなるのが,ハッセマーである。たしかに,当初ハッセマーは,妊娠中絶の適法化にその問題関心を向けており,「手続化」構想の個別具体的な応用を,はじめから明確に意図していたわけではない。しかし,ハッセマーの所説は,その後の諸学説に大きな影響を与え,現在では,刑法全体に影響を与える可能性が論じられるまでに至っている。もっともその一方で,ドイツの刑法学説においては,手続化論に対して看過できない批判も浴びせられている。そのため,これらの批判の妥当性を,刑法の基本原則と関連づけながらあわせて検討する必要もある。これらの検討をつうじて,今後わが国で「手続化」を論じる上で留意すべき,あるいは克服すべきポイントも明らかになるだろう。つづく第3章では,前章で明らかにするドイツ刑法学説の到達点を念頭
に置きながら,「手続化」をめぐる問題の所在を吟味し,手続化論を今後どのような視座のもとで検討していくべきか,その見通しを可能なかぎり具体化していく。この点につき,ドイツの刑法学説においては,手続化概念を精緻化し,その共通理解を確立するための2つのアプローチが見受けられる。1つが,手続化概念を広義と狭義に分けて明確化を試みるアプローチであり,もう1つが,犯罪論体系のなかで手続化概念がどのように位置づけられるかを探るアプローチである。しかし,結論からいえば,これ
香川法学39巻3・4号(2020)
50(166)
らのアプローチはいずれも,明確な手続化概念を導出することに成功しておらず,その結果,当該概念に関する学説上の共通理解は得られていない。本稿の見立てによると,その理由は,刑法学説がす
�
べ�
て�
の�
問題領域・法規定に共通する,手続化論の「総論的」枠組みの構築に固執するがあまり,各々の問題領域・法規定の特殊性を十分に考慮できていない点にある。この第3章では,以上のようなドイツ刑法学説の問題性を浮き彫りにし,こうした事態を克服するためには,手続化に関連して取り上げられている個
�
別�
の�
問題領域・法規定に着目し,これに「各論的」検討を加える必要がある,ということを示す。今後は,このような各論的検討が,「手続化」というテーマに臨む上での基本的姿勢となる。そして第4章では,以上の考察から得られる成果を総括的に要約し,あ
わせて残された課題を示す。
第2章 ドイツ刑法における手続化論の解釈論的検討
第1節 本章の目的第1款 問題の所在本章は,ドイツ刑法学説における手続化論への対応を概観するとともに,
これに解釈論的検討を加えることによって,ドイツ刑法学説の理論的到達点を特定することを目的とする。先述のように
25,ドイツ刑法における手続化論は,当初は医事刑法,それ
も妊娠中絶や治療中止・差控えといった,ごく一部の問題領域を念頭に置いて展開された理論構想である。しかし,この構想は,医事刑法における妊娠中絶や治療中止・差控え以外の問題領域,さらには,環境刑法・経済刑法の各分野にまで射程範囲を広げつつある。もっとも,そうした積極的な展開の一方で,手続化という理論構想に対
� 前出・第1章第1節第1款第2項参照。
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
51(167)
しては,近時特に厳しい批判が存在し,この構想は,刑法学説上いまだ大多数の支持を得るには至っていない。そのため,本稿におけるテーマ設定の手法に対しては,「ドイツにおいて学説から厳しい批判にさらされている手続化論を,なぜ,わが国にあえて紹介し,検討しようとするのか」という,疑問の声を向けることもできるかもしれない。しかし,このような疑問の声に対しては,次のように答えることができるだろう。すなわち,ドイツ刑法における諸学説が,これまでどのような問題意識のもとで手続化論を提唱してきたのか,そして,この理論がどのような思考枠組みに司られているのかを正確に把握せずして,手続化論に対して生産的な批判を浴びせることはできない,と。もっとも,本稿のみるところ,わが国の学界においては,そのような生産的な批判のための「場」さえ,いまだ整っていないといわざるをえない。本稿が,わが国固有の議論から分析を開始するのではなく,まずドイツ刑法に検討の素材を求める理由も,このような事情による制約があるためである。
第2款 「手続化論」前史――K. アメルンク=J. ブラウアーの「手続による正当化」構想
もとより,比較法的検討の素材をドイツ刑法に求めるとしても,ドイツ刑法のうち,具体的には,いつの議論から検討を加えればよいのか,つまり,本稿における検討の時間的出発点をどこに設定するのかが先決問題となる。この点につき,詳しくは後述するが
26,刑法における「手続化」という構
想を最初に提唱した業績は,ヴィンフリート・ハッセマーの寄稿論文「手続的正当化」(1994年
27)である,といわれている。しかし,注目すべきこ
とに,そのハッセマー論文に先立つ1985年に,クヌート・アメルンク=ユルゲン・ブラウアーは,その原初形態とでも呼ぶべき「手続による正当
� 後出・第2章第1節第2款,同第2節第1款参照。� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.731ff.
香川法学39巻3・4号(2020)
52(168)
化」(Rechtfertigung durch Verfahren)という理論構想をすでに打ち出していた。すなわち,アメルンク=ブラウアーは,医師でない者が患者を精神病院へ強制的に収容した行為につき自由剝奪罪の成否が争われた事案に関する,シュレースヴィヒ上級地方裁判所決定の評釈において
28,本決定を,
「『手�
続�
に�
よ�
る�
正�
当�
化�
』という……問題領域29」に取り組んだ裁判例として位
置づけていた。その評釈のなかで,アメルンク=ブラウアーは,大要以下のように述べている。
「手続による正当化」という問題領域のもとでは,行為の適法性は,もっぱら,重要な手続規定の遵守から導かれる。つまり,ここで肝要となるのは,市民がこういった手続規定を遵守して行為したかどうか,である
30。たとえば,「環境刑法・経済刑法における認可手続,あるい
は,合法的な妊娠中絶(刑法218a条以下)や去勢(去勢法(KastrG)5条以下)に対する手続規制
31」がそうした例として挙げられる
32。
以上要約したアメルンク=ブラウアーの記述は,手続化をめぐる諸問題に切り込んでいこうとする本稿の視点に立ってみるならば,たしかに,興味深い内容が含まれている。しかし,以上の記述内容はあまりに簡素であり,「手続による正当化」という構想の根拠や機能にも,むろん限界にも特段の言及はない。もっとも,こういった記述の簡素さを理由に,アメルンク=ブラウアーの議論をただちに切り捨てるのは早計であろう。なぜな
� Knut Amelung/Jürgen Brauer, Anmerkung zum Beschluss des OLG Schleswig v.15.6.1984-1Ws366/84, JR1985,474.� Amelung/Brauer(Fn.28),474(474). 圏点は原文でイタリック体である。� Vgl. Amelung/Brauer(Fn.28),474(476).� Amelung/Brauer(Fn.28),474(474).� 以下,ドイツ刑法典の訳出にあたっては,法務省大臣官房司法法制部編『ドイツ刑法典』(法曹会・2007年)を参照したが,各条文の理解に沿う形で適宜修正を施している。また,本章で条文のみを挙げるときは,特に断りのないかぎり,ドイツ現行刑法典の条文を指す。
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
53(169)
ら,アメルンク=ブラウアーの分析は,その後これにつづく手続化論の嚆矢をなしたと評価できるからであり,この点に,彼らの議論の先駆的意義が認められるからである
33。このような,アメルンク=ブラウアーからの問
題提起を受けて,手続化論という問題領域が自覚的に議論されるにようになったのは,後述のように
34,上記のハッセマー論文が上梓されて以降のこ
とである。
第3款 本章における検討の方針と順序そこで以下では,このハッセマー論文以降の議論を検討の中心とし,そ
れらの議論の基本的骨格をまず析出した上で,本稿の目的達成のために必要な範囲に限定しながら検討を試みる。以上のような目的意識のもとにドイツ法を見渡してみると,刑法学説に
は,大きく分けて,以下の2つの陣営が存在するように見受けられる。すなわち,一方で,「手続化」という理論構想の主張を基本的に承認し,これを刑法解釈論として積極的に展開しようとする陣営(以下「積極論」という。)と,他方で,手続化という思考方法に対して批判的ないし消極的な姿勢をとる陣営(以下「消極論」という。)がこれである。そのため,ドイツ法上の諸学説を純時系列的に羅列するよりかは,積極論と消極論という2つの陣営に刑法学説を振り分けた上で検討を試みるほうが,各学説の共通点や相違点を,よりきめ細やかに把握することができると考えられる。そこで本章では,ドイツ刑法学における手続化論の理論的到達点を把握
する,という目的意識に基づいて,まずは,刑法学説を,「手続化」積極論(第2節)と消極論(第3節)という2つの陣営に区分した上で,両陣営に属する諸学説の基本的主張を明らかにする。次いで,この作業により
� Vgl. Saliger in : FS Hassemer, S.599 m. Fn.1; Francuski , Wirtschaftsstrafrecht, S.169.� この点については,特に,第2章第2節第1款第1項参照。
香川法学39巻3・4号(2020)
54(170)
明らかとなる両陣営の基本的主張に対して,刑法解釈論の視点から批判的検討を加え(第4節),これによってドイツ刑法学説の総括を試みる(第5節)。
第2節 ドイツ刑法学説にみる「手続化」積極論以上のような検討方針に基づいて,本節ではまず,ドイツ刑法学説にお
ける「手続化」積極論の陣営のうち,W.ハッセマーの議論から取り上げる。詳しくは後述するように,ハッセマーは,今日までつづく手続化論の先
鞭をつけたといわれている35。そのため,ハッセマーの存在を抜きにして,
このテーマを論じることはできない。もっとも,ハッセマーの当初の問題関心は,もっぱら,妊娠中絶の適法化に向けられていた。そのため,ハッセマーは,妊娠中絶以外の医事刑法・環境刑法・経済刑法の各領域において,「手続化」の構想をはじめから具体的に展開していたわけではない。しかし,その後ハッセマーは,このテーマに恒常的に取り組みつづけることによって,手続化論の適用範囲を徐々に拡大していったのである。とはいえ,まず以下では,ハッセマーが抱いていた当初の問題関心を掘
り起こし,彼が構想する手続化論の基本的骨格を丁寧に描き出すことから,分析作業を開始したい。この作業をつうじて,ハッセマーの学説史的功績とともに,今後この問題を論じる上で留意すべきポイントも明らかになるだろう(第1款)。以上のような分析作業を踏まえて,次に,ハッセマー理論から影響を受
けた諸学説を,順次紹介・検討する。具体的には,まず,医事刑法・環境刑法・経済刑法といった各分野に共通する理論枠組みの構築を目指す,いわば「総論的な」手続化論を(第2款),次いで,各問題領域に焦点を当てて,刑法における手続的要素の意義を個別具体的に明らかにしようとす
� このような評価を与える先行研究として,たとえば,Saliger in : FS Hassemer, S.599f.がある。
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
55(171)
る「各論的な」手続化論をそれぞれ概観し(第3款),各々の手続化論に批判的検討を加える。これらの基礎文献を丹念に整理・検討することによって,ドイツ刑法学説における手続化論の理論的到達点を特定する(第4款)。
第1款 刑法における手続化論の萌芽――W. ハッセマーの議論ヴィンフリート・ハッセマーは,その論文「手続的正当化」(1994年
36)
において,手続化論の原初形態を披歴した。また,ハッセマーは,この1994年論文の公表以降も,「手続化・真理・正義」(2006年
37),および「経
済刑法の基礎」(2009年38)等をはじめとして,複数の文献にまたがりなが
ら,手続化論の基本構想を提唱している。ハッセマーによる考察の出発点は,1993年の連邦憲法裁判所第2次堕
胎判決39であり,そこで検討が加えられた内容の一部は,その後,現在の刑
法218条ないし219b条として結実している。ハッセマーがこういった判
� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.731ff.� Winfried Hassemer, Prozeduralisierung, Wahrheit und Gerechtigkeit. Eine Skizze, in :Mark Pieth/Kurt Seelmann(Hrsg.), Prozessuales Denken als Innovationsanreiz für dasmaterielle Strafrecht,2006, S.9ff.[in : ders., Erscheinungsformen des modernen Rechts,2007, S.153ff.](以下,Hassemer in : Prozessuales Denkenとして引用する。).� Winfried Hassemer, Die Basis des Wirtschaftsstrafrechts, in : Eberhard Kempf u. a.(Hrsg.), Die Handlungsfreiheit des Unternehmers-Wirtschaftliche Perspektiven,strafrechtliche und ethische Schranken, 2009, S.29 ff.(以 下,Hassemer in :Handlungsfreiheitとして引用する。).
� BVerfGE88,203. 連邦憲法裁判所第2次堕胎判決の判示事項は多岐にわたるが,その要諦は,基本法が国家に対し,未出生の生命をも保護するよう義務づけており,人間の尊厳は生まれる前の人の生命にも内在している,という点にある。本判決を扱う先行研究は膨大な数に上るが,このうち刑法学の視点に基づく検討と
して,上田健二=浅田和茂訳・要約「ドイツ連邦憲法裁判所第二次妊娠中絶判決の概要」同志社法学45巻4号(1993年)158頁以下,山中敬一「ヒトに関する生殖医療,遺伝子治療および胚研究の法的規制――日独の刑法の観点から――(1)」関西大学法学論集69巻2号(2019年)1頁以下,30頁以下等があり,また,憲法学の立場からの評釈として,小山剛「第2次堕胎判決」ドイツ憲法判例研究会編『ドイツの憲法判例Ⅱ(第2版)』(信山社・2006年)61頁以下等がある。さらに,法哲学的検討として,西野基継『人間の尊厳と人間の生命』(成文堂・2016年)62頁以下等も参照。
香川法学39巻3・4号(2020)
56(172)
例・立法の動きを少なからず意識していたという点は,同判決の少数意見を執筆したマーレンホルツ裁判官の古稀祝賀論文集に,上記の1994年論文を寄稿したという史実からも読み取れる。以下では,この1994年論文を導きの糸としながら,まず,ハッセマー
の当初の問題意識を確認した上で(第1項),手続化の投入が要請される「特殊な不可知」の含意を簡潔に解説する(第2項)。次に,ハッセマーが提唱する「手続による法益保護」の基本構想とともに,その構想に対して想定される批判と,ハッセマーによるそれへの反論を押さえる(第3項)。そして最後に,ハッセマーが導出する「手続化」の概念と,それに基づく手続化論の基本的枠組みを提示する(第4項)。
第1項 問題意識まず,ハッセマーは,1992年7月27日に公布された「妊婦および家族
援助法」(Schwangeren- und Familienhilfegesetz : SFHG40)が採用した理論構
成に注目する。妊婦および家族援助法は,刑法旧218a条1項に基づいて,一定の手続的要件を遵守した上で実施された妊娠中絶を不可罰とするための法律である。その際の具体的要件としては,妊娠中絶が受胎後12週以内に,証明された相談により,妊婦の要請に基づき医師によって行われた場合,この中絶は,当
�
時�
の�
刑法218a条1項により,「違法でない」とされていた
41。
ここで問題とされた点は,相談に基づく妊娠中絶が,どのような理論構成のもとで適法化されるか,という点であった。この点をめぐって,学説
� BGBl.1992 I, S.1398. 「妊婦および家族援助法」の条文訳は,アルビン・エーザー(上田健二=浅田和茂編訳)『医事刑法から統合的医事法へ』(成文堂・2011年)305頁以下に掲載されている。なお,「妊婦および家族援助法」の制定をめぐる議論につき,詳細は,アルビン・エーザー(今井猛嘉訳)「ドイツにおける妊娠中絶法の改革――国際的比較法的観点において――」北大法学論集44巻6号(1994年)339頁以下,上田健二=浅田和茂訳「ドイツ新妊娠中絶法――『妊婦および家族援助法改正法』とその理由書――〔翻訳〕」同志社法学47巻6号(1996年)473頁以下等参照。
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
57(173)
においては,構成要件阻却アプローチと違法阻却アプローチの2つが主張されてきたところ,ハッセマーは,後者の違法阻却アプローチに立脚し,このアプローチを,「法政策的・法解釈論的に新たな地平
42」を切り拓く,
「手続的正当化43」の適用例として位置づけている。
第2項 手続化の投入条件:「特殊な不可知」の存在まずハッセマーは,手続的正当化の根拠を(法)哲学上の価値論と認識
論に見いだし,それらの「1つの中心的なメルクマール44」が手続化である,
と理解する。その上で,ハッセマーは,このような手続化理解を刑法学の領域に応用し,手続化が刑法上効果を発揮する条件を,大要次のように総括する。すなわち,手続化の投入条件とは,裁判官が,当該判断に必要な(あらかじめ知っておくべき)特定の情報にアクセスできない状況,いいかえれば,「特殊な不可知」(spezifisches Nichtwissen
45)という状況が存在
する点にある,と。しかし,この種の「特殊な不可知」という状況のもとでは,真理と正義に直接到達するための途は遮断されてしまっているため,手続という「迂回路
46」を経て,それらの真理と正義を探求しなければ
ならない。
� 連邦憲法裁判所第2次堕胎判決は,未出生の人の「生命権」を認め,当時の刑法218a条1項が妊娠中絶を「違法でない」と規定した点を違憲としている。この第2次堕胎判決を受けて,妊娠中絶は,所定の要件が満たされたときに「違法性が阻却される」のではなく,妊婦が,中絶の少なくとも3日前に妊娠葛藤相談所に相談を行い,医師の手によって,妊娠12週を超えていない場合に許容される根拠は,「第218条の構成要件〔が〕実現していない」からである,と解釈されるようになった。その後,この解釈は,現行刑法の規定に反映されている(ただし,刑法218a条2項・3項は,医学的・社会的または刑事学的適応がある場合,妊娠中絶は「違法でない」と規定する)。� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.731.� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.735f.� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.747.� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.747,749. Vgl. auch ders. in : Prozessuales Denken,S.19f.� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.749.
香川法学39巻3・4号(2020)
58(174)
ハッセマーによると,あらゆる規制は手続的性質を帯びている。こうした手続的性質を伴う規制のもとで,立法者はもはや,当該結論それ自体ではなく,むしろ,その結論に至るまでのプロセスを規律しているにすぎない。そうだとすると,そのような手続の遵守が,「正法」(richtiges Recht)に,つまり,法的にみて正しい内容に「合致した判断を保障
47」し,そのよ
うな手続を踏んだ上で得られた結論であれば,それは,おしなべて受け入れられなければならない
48,というのである。
このような,手続による正当化の「典型例49」として,ハッセマーは,た
とえば,「法的に自由な領域」(rechtsfreier Raum)の(あるいは,「法的に空虚な領域」(rechtsleerer Raum)とも呼ばれる)事例群,極限状況下の諸事例(いわゆる「カルネアデスの板」事例
50における緊急避難等),行為者
による予測に不確実性が伴う事例(公務担当者による錯誤,無辜の者に対する手続上瑕疵のない勾留,具体的には,〔当時の〕刑事訴訟法(StPO)127条2項にいう身柄の仮拘束(vorläufige Festnahme
51)等),および,行為
者による評価に不確実性を伴う事例(たとえば,助言に基づく妊娠中絶52,
臨死介助が不可罰となるか否かの判断53)といった例外的事例を挙げてい
る54。
� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.747.� Vgl. Hassemer in : FS Mahrenholz, S.749.� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.735f.,738ff.� 手続化論からみた「カルネアデスの板」事例の意義については,後出・第2章第2節第3款第1項3参照。� 現在のドイツ刑事訴訟法127条(仮拘束)は,「①現に罪を行い,若しくは行った直後である者,又はその後に追跡されている者について,逃亡のおそれがあるとき,又はその身元が直ちに確認できないときは,何人も,裁判官の命令なしに,その身柄を仮に拘束することができる。検察官又は警察職員による身元の確認は,第163条第1項〔捜査手続における警察の責務〕の定めるところによる。②警察官及び警察職員は,(前項の場合のほか)勾留状又は収容状の要件が存する場合で,緊急を要するときも,仮拘束の権限を有する。③④〔省略〕」と規定する。なお,ドイツ刑事訴訟法典の訳出にあたっては,法務省大臣官房司法法制部編『ドイツ刑事訴訟法典』(法曹会・2001年),法務省刑事局『刑事法制資料 ドイツ刑事訴訟法』(法務省・2018年)等を参考にした。� この点に関する解釈論的検討として,後出・第3章第3節第1款第1項参照。
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
59(175)
第3項 「手続による法益保護」の基本構想以上概観したように,ハッセマーは,刑法をつうじて,もはや,個々の
事案における直接的な法益保護ではなく,手続の履行をつうじた間接的な法益保護(手続による法益保護)を構想している。この点に,ハッセマーによる法益保護構想の特色がある。もっとも,ハッセマーによると,こういった法益保護構想は,もはや,刑法の領域だけに限定されない
55。この種
の「手続による法益保護」は,刑罰威嚇に効果がないと判明した場合や,刑罰威嚇の法益保護効果が非生産的であると思われる場合に有益である,とされている。それらの場合に,刑法は,手続を保障するために,もっぱら補助的に投入されるにすぎない,というのである
56。
このように,ハッセマーは,刑法の補充性という観点から「手続化」に一定のメリットが認められる,と評価する。それゆえに,ハッセマーは,テクノロジーの発展が今後ますます加速していくに伴い,手続的要素を投入する状況もいっそう増加していくだろう
57,との見通しを立てている。
もっとも,ハッセマーは,手続化が刑法上投入されるに伴い,次のよう
� Vgl. dazu Hassemer in : Prozessuales Denken, S.13ff. ハッセマーは,当時この問題の立法的解決にヨリ慎重であったドイツの状況を念頭に置きながら,臨死介助が不可罰性となるか否かの判断を医師と倫理委員会に委ねる,オランダモデルへの転向を提案している。ハッセマー曰く,これによって「実体的な空虚さ(substantielle Leere)が手続的な熱意(prozeduraler Eifer)によって満たされることになる」(Ebd., S.14)。オランダにおける議論の経緯と現在の法的状況に関しては,たとえば,ペーター・
タック(甲斐克則編訳)『オランダ医事刑法の展開――安楽死・妊娠中絶・臓器移植』(慶應義塾大学出版会・2009年)49頁以下,特に58頁,平野美紀「オランダにおける安楽死論議」甲斐克則編『医事法講座 第4巻 終末期医療と医事法』(信山社・2013年)47頁以下,特に57頁以下,75頁,甲斐克則「オランダの安楽死の現状と課題」理想692号(2014年)18頁以下〔同『終末期医療と刑法』(成文堂・2017年)187頁以下所収〕,ペーター J. P.タック(平野美紀訳)「オランダにおける安楽死届出制度について」香川法学37巻1・2号(2017年)163頁以下,特に167頁参照。� Vgl. dazu Hassemer in : FS Mahrenholz, S.739ff.� Hassemer in : Prozessuales Denken, S.16f. ハッセマーによれば,実体的規制が個々の事案における「犯罪」(Verbrechen)に焦点を当てるのに対し,手続的規制は,行為の「犯罪性」(Kriminalität)に注目している,という。� Hassemer in : Prozessuales Denken, S.17.� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.750f.
香川法学39巻3・4号(2020)
60(176)
な批判もあわせて想定している58。すなわち,このような,「手続による法
益保護」という構想を強調・徹底するならば,その結果,「手続的正当化」のほうが,むしろ刑法的正当化の原則になってしまうのではないか,という批判がこれである。この批判に対して,ハッセマーは,手続的正当化ではなく「実体的正当化」(substantielle Rechtfertigung)こそが,刑法的正当化の原則でありつづける,と反論する。ハッセマーによると,刑事不法に関する「より良き法」(besseres Recht
59)を実現するという意味のもとでは,
実体的正当化こそが,最終的に,その行為を処罰するか否かという判断を下すことができるからである,というのである。それでも,手続的正当化は,「判断のための有益な知をもたずに,これ
を下す必要のある状況60」のもとで,すなわち,裁判官が,判断に必要な特
定の情報にアクセスできない「特殊な不可知」という状況のもとで,「むしろ,その状況にふさわしい注意義務,検討義務または相談義務」を確定し,これらの義務の履行が法益保護に資するときは,つねに重要になる,という
61。そのため,ハッセマーの見立てによると,刑法は,法益を実体的
に保護するツールから,実体的規制の「前段階と周辺段階で行為義務を補助する
62」手続的ツールへと変容していくだろう,というのである。
第4項 基本構想の応用以上のような「手続による法益保護」構想に立脚した上で,ハッセマー
はさらに,この構想を,医事刑法と経済刑法の各分野において展開しようと試みる
63。
� 以下の点については,特に,Hassemer in : FS Mahrenholz, S.750f.に詳しい。� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.750.� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.750.� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.751. さらに,ders. in : Prozessuales Denken, S.16は,手続は「具体的なケースにおいて,法益保護に関する判断を主導する」とする。� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.751.� この点につき,より詳しくは,Hassemer in : Prozessuales Denken, S.23ff.参照。
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
61(177)
ハッセマーによれば,たとえば,医事刑法の分野,特に妊娠中絶においては,「手続により規制された,妊婦の自己答責的決断」こそが,法益保護のための最善の方策である,という
64。また,経済刑法の分野においては,
予測判断の必要性,および,判断されるべき事実関係の複雑性にかんがみ,行為者が規範的にみて難しい判断を下す際に,所定の手続を踏んだという事実をもって,その判断の正しさを法的に保障することができる,という
65。
以上のようなハッセマーの試みからは,以下のような考慮を読み取ることができよう。すなわち,「特殊な不可知」という状況,いいかえれば,判断のために必要な特定の情報にアクセスできない状況のもとで,当該状況にふさわしい判断を下せる者というのは,(およそ裁判官ではなく)問題となっている法益に直接関係するそ
�
の�
行為者にほかならない。そうであるとすれば,既存の規範に依拠しながら,上位の決定権(Entscheidungshoheit)を当該行為者に委ねることこそが,法益保護にとって最善の対応なのである66,と。かくして,ハッセマーは,手続化を,「法/正(Recht)・不法/不正
(Unrecht)という,本来の区別から離れて,その区別を否定するわけではないが,しかし,(現時点では)この区別に従わず,これを用いない
67」こ
と,と定義する。ハッセマー曰く,手続化概念をこのように理解すること
� Hassemer in : FS Mahrenholz, S.751. これと関連して,A.エーザーの「窮迫状況に方向づけられた討議モデル」(notlagenorientiertes Diskursmodell)も,ハッセマーの手続化理解と同質とみられる。エーザーによれば,妊娠中絶において所定の相談手続を履行することは,胎児の生命を可能なかぎり保護するために,妊婦の自己答責的決断を支える要素として位置づけられる。Vgl. Albin Eser, Sanktionierung und Rechtfertigungdurch Verfahren. Eine Problemskizze, in : Winfried Hassemer zum sechzigsten Geburtstag,2000, S.43ff.,45(以下,Eser in : FS Hassemerとして引用する。). エーザーの理論モデルを日本語で紹介する業績として,エーザー(今井訳)・前出注40346頁以下,アルビン・エーザー=ハンス-G・コッホ「国際的に比較した妊娠中絶 所見-認識-提案」エーザー(上田=浅田編訳)・前出注40『医事刑法から統合的医事法へ』153頁以下,173頁以下も参照。� Vgl. Hassemer in : Handlungsfreiheit, S.42.� このような評価を与えるのは,Eser in : FS Hassemer, S.45である。� Hassemer in : Prozessuales Denken, S.21.
香川法学39巻3・4号(2020)
62(178)
によって,法(正)・不法(不正)という2項対立的な判断は排除される。また,それとともに,当該法益に直接関係する行為者が一定の手続を履行したかどうかを考慮することによって,われわれは,妥当な結論を獲得することができる,というのである
68。
第2款 手続化論の総論的展開――A. アイッカーと F. ザリガーの議論以上,ハッセマーの所説を概観し,彼が手続化論をどのような目的意識
のもとで主張し,これをいかなる形で展開してきたのかを確認してきた。ハッセマーの1994年論文以降に主張された「手続化」積極論の諸学説はすべて,ハッセマー理論の影響下にあるといっても過言ではない。そのなかでも特筆すべき理論が,アンドレアス・アイッカーとフランク・ザリガーの手続化論である。なぜなら,アイッカーもザリガーも,ハッセマー理論から大きく影響を受けつつも,手続化の思考方法を,医事刑法・環境刑法・経済刑法の各分野で広く応用しようと試みているからである。その意味で,アイッカーとザリガーの目指すところは,手続化論の「総論的」枠組みの究明にあるといえよう。とりわけ,この問題領域において現在最も影響力を有しているのが,ザリガーである。ザリガーは,研究歴の長さという点でも,検討対象の幅広さという点でも,現代刑法における手続化論のオピニオン・リーダーとしての地位を築き上げつつある
69。
そこで以下では,ポスト・ハッセマーとでもいうべきアイッカー(第1項)とザリガー(第2項)の「総論的な」手続化論を取り上げ,それらの基本的理論枠組みを抽出・検討することによって,ドイツ刑法学説における手続化論の現在地を特定する。
� Vgl. Hassemer in : Prozessuales Denken, S.21f.� ザリガー理論の位置づけについては,Andreas Popp , Patientenverfügung, mutmaßlicheEinwilligung und prozedurale Rechtfertigung, ZStW118(2006),639(664); Schweiger,Prozedurales Strafrecht, S.159参照。
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
63(179)
第1項 A. アイッカーの手続化論――手続化による「刑法のパラダイムシフト」?
その教授資格請求論文『刑法の手続化』(2010年70)によって,手続化論
に横断的・包括的な検討を加えたのが,アンドレアス・アイッカーである。かつてハッセマーが,妊娠中絶という,ごく限定された領域から手続化論という構想を提唱したのに対し
71,アイッカーは,その適用範囲を大幅
に拡張しようと試みる。以下では,この2010年のモノグラフィーおよびこれと同時期に公表された文献を参照しながら
72,まず,アイッカーが基礎
法的検討に基づいて導出する「手続的法」の概念を確認し(後出・1),次いで,彼がこの概念を憲法的・刑法的にどのように基礎づけたのかを観察する(後出・2)。その上で,これに批判的検討を加え,それにつづきアイッカー理論を理解する際の留意点をあわせて示す(後出・3)。
1 基礎法的検討に基づく「手続的法」概念の導出まず,アイッカーは,ルーマンの社会システム理論に立脚した上で,自
身の手続化論を以下のように根拠づける。アイッカーの認識によると,国家による統御の名宛人は,社会システム
理論的には,ゲゼルシャフト(Gesellschaft),すなわち,自己規制・自己算出する社会的統一体(soziale Einheit)である
73。このような社会的統一体
のもとでは,刑法は,統御危機に直面しており,こうした危機を克服するためには,より有効な法的統御の道具を獲得するための「パラダイムシフト
74」が必要となる。というのも,伝統的な規制刑法(regulatives Strafrecht)
� Eicker, Prozeduralisierung. なお,このモノグラフィーの書評として,Hans Theile,ZIS10/2010, 632; Hassemer(Fn.16), 14.01.2011FAZ ; Wolfgang Wohlers, ZStrR129(2011),109等があり,同書の要約に際しても,これらの書評によるまとめを参考にしている。� ハッセマーの手続化論については,前出・第2章第2節第2款参照。� Vgl. Andreas Eicker, NK2016,100(Francuski , Wirtschaftsstrafrechtの書評である。).� Vgl. Eicker, Prozeduralisierung, S.57f.
香川法学39巻3・4号(2020)
64(180)
は,命令・禁止の形をとる条件プログラムによって機能しているが,複雑化する現代社会の状況にかんがみると,そうした刑法の統御能力には,疑問が投じられることになるからである。結論からいえば,こういった伝統的な規制刑法は,「システム間の『機能障害』(Funktionsstörung)を補整しようと試みる
75」法,すなわち,「手続的法」(prozedurales Recht)によって
代替されなければならない。このような,「手続的法」という概念が,アイッカー理論およびこれと同時期に展開された諸学説(特に,F.ザリガーおよび R.フランクスキの議論
76)にとって,重要なキーワードとなる。
ここでアイッカーは,手続的法を統御する道具として,「自己情報収集(Selbst-Information)手続(知識の蓄積〔Wissenakkumulation〕)
77」,「実験的な
自己診断(Selbst-Erprobung)手続(シミュレーション)78」,「自己関与(Selbst-
Beteiligung)手続(参加〔Partizipation〕)79」,「自己観察(Selbst-Beobachtung)
手続(モニタリング/査定〔Evaluation〕)80」,および「自己修正(Selbst-
Korrektur)手続(改訂〔Revision〕)81」といった各種手続を挙げている。ア
イッカーによると,これらの手続は,法をフレキシブルに,つまり柔軟にする手続であり,このようにして柔軟化された手続的法が,学習能力を有する形で(lernfähig),すなわち,社会の変動に柔軟に対応しながら
82規制
� Eicker, Prozeduralisierung, S.60ff.(60). さらに,Ebd., S.49ff.は,刑法が「法執行の危機」(S.49ff.),「法治国家の危機」(S.51ff.)および「統御危機」(S.54ff.)という「3重の危機」に陥っている,とする。� Eicker, Prozeduralisierung, S.73ff.(76).� ザリガーの議論については,後出・第2章第2節第2款第2項を,フランクスキの議論については,後出・同第3款第2項を参照。� Eicker, Prozeduralisierung, S.121.� Eicker, Prozeduralisierung, S.122.� Eicker, Prozeduralisierung, S.123.� Eicker, Prozeduralisierung, S.124. Eicker, Prozeduralisierung, S.124. ここにいう「学習」(lernen)概念,およびこれを基礎とする「学習する法」(lernendesRecht)という法様式については,山口聡「『法化』論における法思考枠組の転換――G・トイプナーの一般条項論を手がかりとして――」阪大法学41巻4号(1992年)367頁以下,382頁,389頁注41等を参照。
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
65(181)
を敷くことができる,という83。このかぎりで,アイッカーは,手続的法の
概念を,「その構�
造�
と暫�
定�
性�
において柔軟化された法(flexibilisiertes Recht)84」
ととらえる。さらにその上で,アイッカーは,手続的法という概念の含意と狙いを次のように総括する。
手続的法,すなわち,柔軟化された法「に含まれるのは,……学�
習�
能�
力�
に焦点を当てる法規範である。それは,人�
または物�
に�
力�
点�
を�
置�
く�
法規定として,――目�
的�
基�
準�
と自�
己�
規�
制�
プ�
ロ�
セ�
ス�
を構造上制限する際に――手
�
続�
の�
形�
を�
と�
る�
個�
々�
の�
制�
度�
をつうじて,法の内�
容�
に影響を与えることを目指している
85。」
もっとも,アイッカーによると,以上のように理解された「手続的法」の概念は,結論の合理性を担保しうる点に限定されており,その結論の正しさまで保障するわけではない
86。その意味では,得られる結論の正しさを
裏づけるためには「討議」(Diskurs87)が不可欠であり,アイッカー曰く,
こういった討議こそが,手続的法の重要な構成要素となる。
2 手続的法の憲法的・刑法的位置づけ次に,アイッカーは,自身の手続化論を,憲法と刑法の観点から再度検
証する。まず,憲法的観点からの検討として,アイッカーは,次項で詳しくみる
ザリガーの議論を参考にしながら88,手続的法を,「手続による基本権保護」
� Vgl. Eicker, Prozeduralisierung, S.131.� Eicker, Prozeduralisierung, S.131. 圏点は原文でイタリック体である。� Eicker, Prozeduralisierung, S.131, vgl. auch S.347(圏点は原文でイタリック体である). アイッカーによると,「人に力点を置く」手続的法とは,情報提供手続や参加手続を整備するための法規定をいい,「物に力点を置く」手続的法とは,法の観察手続や修正手続のうち,刑事立法者の管轄に含まれる法規定をいう。Vgl. Ebd., S.128f.� Vgl. Eicker, Prozeduralisierung, S.131ff.(154).� Eicker, Prozeduralisierung, S.143ff.(146).
香川法学39巻3・4号(2020)
66(182)
(Grundrechtsschutz durch Verfahren)が具現化した法様式とみる89。そのため,
アイッカーがいう「手続による基本権保護」の含意については,ザリガーの手続化論を紹介する際に詳しく扱うことにする。つづく刑法的検討として,アイッカーは,手続的法概念の位置づけを明
確化しようと試みる。アイッカーによると,手続的法は,形式法(formellesRecht)ないし手続法(Verfahrensrecht)と実体法(materielles Recht)の中間に分類されうる。すなわち,手続法が,法的判断の内容に直接影響を及ぼさずに,実体法の貫徹と実現に資する法様式であるのに対し,実体法は,法的判断の内容を直接規定し,これによって処罰の要件と犯罪結果を規範化する法様式である。そして,それらの一方で,手続的法は,特定の手続様式(Verfahrensmodi)を介して法的判断の内容を間接的に規律する法様式にすぎない。この意味で,手続的法は,手続法とも実体法とも似て非なる概念である,というのである
90。
3 批判的検討以上のように,アイッカーの手続化論は,ルーマンの社会システム論に
立脚した上で,スイスの資金洗浄規制91やドイツの臨死介助規制
92を手がかり
に,自身の構想を具体化しようと試みる,意欲的なものである。ただし,アイッカーが手続化論をルーマン的構想の延長線上で展開している点に関
� 後出・第2章第2節第2款第2項2⑴参照。� Vgl. dazu Eicker, Prozeduralisierung, S.159ff.� Vgl. Eicker, Prozeduralisierung, S.126ff. 手続法と実体法の概念については,兼子一『實體法と訴訟法』(有斐閣・1957年)3頁以下,42頁以下,60頁以下,団藤重光『法学の基礎〔第2版〕』(有斐閣・2007年)106頁以下等参照。形式法と「形式的法」(formales Recht),実体法と「実質的法」(materiales Recht)の各概念およびそれらの関係性については,広渡清吾「M.ウェーバーの『法の形式的合理性』概念の位置について」専修法学論集123号(2015年)153頁以下参照。さらに,形式的刑法(formales Strafrecht)と実質的刑法(materiales Strafrecht)の概念に関しては,Saligerin : Rechtsphilosophie und Rechtstheorie, S.439も参照。� Vgl. dazu Eicker, Prozeduralisierung, S.168ff.� Vgl. dazu Eicker, Prozeduralisierung, S.203ff.
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
67(183)
しては,疑問もなくはない。なぜなら,ほかならぬルーマン自身が,すでに次のように明言していたからである。
「……同書〔ルーマン著『手続を通しての正統化』93〕のテーゼがもつ
射程については,それが過大評価されてきたということを指摘しておかなければならない。同書で扱っていたのは,法の《手続化》というよく知られたテーゼではない。つまり,手続の条件を用いて《真理の発見》が……,あるいは理性的な妥当請求の承認が,達成されるべきなのかどうか,またそれはいかにしてかが,問われていたわけではないのである。
9495」
もっとも,それ以外にもアイッカーの手続化論には,刑法理論との関係でも検討を要する点が多々みられる。そのなかでも特に注意を要するのが,「刑法のパラダイムシフト」というスローガンである。すなわち,アイッカーは,手続化が,刑法の「パラダイムシフト」をもたらす法的枠組みであり,これによって刑法の重点は,当事者間の合意に基づく協同的・コミュニケーション的な意思決定プロセスのもとで,「種々の課題をいかに『柔
� Niklas Luhmann , Legitimation durch Verfahren,1969(Neudruck,1983). なお,1983年版の日本語訳として,N.ルーマン(今井弘道訳)『手続を通しての正統化』(風行社・1990年)がある。� ニクラス・ルーマン(馬場靖雄ほか訳)『社会の法 2』(法政大学出版局・2003年)750-751頁注73。さらに,ルーマン(今井訳)・前出注93『手続を通しての正統化』33頁も参照。なお,ルーマンの手続化理解につき,詳細は,山口節郎「支配の正当性とその基礎づけの問題――ウェーバー,ルーマン,ハーバーマス――」見田宗介=宮島喬編『文化と現代社会』(東京大学出版会・1987年)81頁以下,特に89頁以下,村上・前出注21『ドイツ現代法の基層』74頁以下等も参照。� 正当にも,この点を指摘するのは,Popp(Fn.69),639(664)である。また,これとほぼ同様の認識を示す先行研究として,アルトゥール・カウフマン(上田健二訳)「正義の手続き理論」カウフマン(上田ほか編訳)『法・人格・正義』(昭和堂・1996年)139頁以下,145頁がある。さらに,上田健二「A・カウフマンの『正義の手続理論』」恒藤武二先生古稀祝賀『法をめぐる人と思想』(ミネルヴァ書房・1991年)229頁以下,234頁も参照。
香川法学39巻3・4号(2020)
68(184)
軟に』統御するか」に移行していくことになる,とする96。
しかし,このような,「『柔軟な』刑法へのパラダイムシフト97」というス
ローガンは,現在われわれが共有している刑法の一般的理解を前提とするかぎり,ただちには賛同しえない内容を含んでいる。なぜなら,一般に刑法は,明確性,原理・形式の厳格性,および,規制の拘束性を前提としているからである
98。しかも,ハッセマーのような「手続化」積極論者でさえ,
「パラダイムシフト」という意味での「刑法全体」の変革まで提唱しているわけではない。アイッカー以外の「手続化」積極論者は,(詳しくは,次項でみるザリガーが総括的に述べているように)刑法の規範的・認知的・時間的な問題を,「手続」という間接的な統御形態をつうじて解決しようとしているにすぎない
99。その一方で,アイッカーは,手続化による刑
法の「パラダイムシフト」をひとり強弁しているが,そのことがかえって,「手続化」消極論者からの「誤解に基づく異議
100」を呼び寄せる一因となっ
ているように思われる。(未完)
【付記】本稿は,平成31年度/令和元年度科学研究費基金(若手研究:課題番号18K
12665)に基づく研究成果の一部である。
(あまだ・ゆう 法学部准教授)
� Vgl. Eicker, Prozeduralisierung, S.79.� Vgl. Eicker, Prozeduralisierung, S.60ff.,69ff.� Bspw. Winfried Hassemer, Kennzeichen und Krisen des modernen Strafrechts, ZRP1992,378(380)(以下,Hassemer ZRP1992として引用する。). Vgl. auch Francuski ,Wirtschaftsstrafrecht, S.212f.� Saliger in : Rechtsphilosophie und Rechtstheorie, S.450は,「刑法全体」の変革に賛成するのは,管見のかぎりでは,Eicker, Prozeduralisierungのみである,とする。
� Saliger in : Rechtsphilosophie und Rechtstheorie, S.450.
刑法における「手続化」論の基礎的考察(1)(天田)
69(185)