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第6回(平成29年度) 「看護にまつわるエピソード」 公益社団法⼈愛媛県看護協会 看護の⽇実⾏委員会

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Page 1: 「看護にまつわるエピソード」 作 品 集今年で6回⽬を迎えた「看護にまつわるエピソード」の募集には、 県内6市町から20作品の応募がありました。厚くお礼申しあげます。

第6回(平成29年度)

「看護にまつわるエピソード」 作 品 集

公益社団法⼈愛媛県看護協会 看護の⽇実⾏委員会

Page 2: 「看護にまつわるエピソード」 作 品 集今年で6回⽬を迎えた「看護にまつわるエピソード」の募集には、 県内6市町から20作品の応募がありました。厚くお礼申しあげます。
Page 3: 「看護にまつわるエピソード」 作 品 集今年で6回⽬を迎えた「看護にまつわるエピソード」の募集には、 県内6市町から20作品の応募がありました。厚くお礼申しあげます。

はじめに

5 ⽉ 12 ⽇は看護の⽇です。

近代看護を築いたナイチンゲールの誕⽣⽇にちなみ、旧厚⽣省において 1990

年に制定されました。それ以来、「看護の⼼をみんなの⼼に」をメーンテーマ

に、毎年さまざまな事業が全国各地で開催されています。

今年で 6 回⽬を迎えた「看護にまつわるエピソード」の募集には、

県内6市町から 20 作品の応募がありました。厚くお礼申しあげます。

受賞された作品のうち、最優秀賞 1 点、優秀賞 2 点、⼊選3点、

奨励賞 1 点をここに紹介させていただきます。

エピソードに込められたそれぞれの“看護の⼼”が皆さまを通して地域の

⽅々に広がっていくことを願っております。

Page 4: 「看護にまつわるエピソード」 作 品 集今年で6回⽬を迎えた「看護にまつわるエピソード」の募集には、 県内6市町から20作品の応募がありました。厚くお礼申しあげます。

あなたの夢、受け継ぎました

西条市 松まつ

浦うら

友ゆ香か梨り

「もしもし、お母さんいますか」妹が入院していた大学病院の病棟直通電話

に、幼い私はよく電話をかけていた。日常業務で忙しいはずの看護師さんはい

つも優しく母に取り次いでくれた。妹は生まれつきの慢性疾患で入退院を繰り

返し、母もまた妹の付き添いで離れて過ごす日々が多かった。当時は携帯電話

も普及しておらず、この電話が私たち親子を繋ぐ時間であった。

入院生活が長い妹は明るく、病棟看護師や医師、他の入院患者にも可愛がら

れていた。そんな彼女の将来の夢は看護師であり、痛い処置をされることもあ

るが、自分と共に笑ったり、身体的、精神的苦痛に寄り添ってくれた人のよう

に自分も人を癒す存在になりたいと言っていた。しかし病は進行し、確実に彼

女を蝕んでいった。歩行困難となり、失明してもなお、彼女は生きたいと必死

で戦っていた。そんな中、臓器移植のチャンスが巡ってきた。主治医をはじめ

担当看護師は妹本人に移植のメリットと起こりうるリスクをきちんと説明した

上で後押ししてくれた。結果的に拒絶反応が起こり、彼女は意識不明となり痙

攣を起すようになった。そんな危険な状態でも痙攣の合間に洗髪や全身清拭を

し、返答のない会話をしてくれた看護師は生を 期まで諦めなかった彼女と真

剣に向き合ってくれたのだろう。

あれから20年後の今、私は新米ナースとなり、日々奮闘している。若くは

ないが多少の人生経験や、儚くも強く生きた妹の思い、そんな妹を支え癒す看

護を目の当たりにしたことを活かしていきたい。そう思いながら私は墓前に手

を合わせる。

私はあなたの理想とする看護師になっていますか?

 

 

最優秀賞

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親子3世代

東温市 藤ふじ

本もと

恵けい

子こ

我が家は、親子3世代、看護の道を歩んでいる。78歳になる母は、デイ

ケア施設で、今も、看護師として、頑張り続けている。そんな頑張り屋の母に、

兄と私。母一人に、育ててもらった。幼い頃は、兄と二人きりの寂しい夜、母

のいない朝。理解すら出来ず、母に当たり、困らせてしまう事も沢山あった。「い

ざという時のために手に職をつけなさい」そう言われ続けてきた私だったが、

寂しい想いが大きく、母と同じ看護師を嫌がってさえいた。しかし、何気ない

日常に、街や、病院で・・。沢山の患者さんが母に、感謝し、声をかけてもら

う姿を何度も、目にしてきた。 初は不思議に思っていたが、大勢の人から感

謝される母の偉大さや人間性を尊敬する自分がいた。そして、私も母のような

人になりたいと願うようになり、いつしか目標になった。看護師になった私は、

希望にあふれ、母と同じ土俵に立てたような気にもなっていた。しかし、毎日

が上手くいくとも限らない。落ち込んだり、悩んだり。簡単にいかないことも

多かったが、不安や苦しみの先にある患者さんの心の本質に近づくことが出来

たとき、それは喜びに変わり、患者さんから感謝される存在になれる事がわか

ってきた。きっと、母が長年、残してきた心の灯が、今も、多くの人から感謝

される存在になっているのだと思う。そして、いつしか自分の娘に、看護師の

素晴らしさを語っていた。今、自分が生きている喜び、何気なく過ぎていく時

間が価値のあるものだと知って欲しかった。「確かに寂しい思いをしてきました

が、看護師である母を誇りに思っています。お母さんのことを聞かれて、そう

答えたからね。」看護学校の試験へ迎えに行った娘から聞かされた言葉。フロン

トガラス越しに見える澄み切った空が溢れた涙で滲んだ。この春から、看護学

校へ進学する娘。母から私。私から娘へ。看護のバトンはきちんと、受け継が

れ、親子3世代。これからも前へ進んでいく。

優秀賞

Page 6: 「看護にまつわるエピソード」 作 品 集今年で6回⽬を迎えた「看護にまつわるエピソード」の募集には、 県内6市町から20作品の応募がありました。厚くお礼申しあげます。

手のぬくもり 松山市 匿 名 希 望

4月のある日、私はがん患者になった。

1年半前から身体の異常に気が付いていたが、がんかもしれないという怖さ

と、がんではないかもしれないという思いが交差し受診しなかった。

その後も身体からSOSは出ていたが、迷いと恐怖を感じながらも受診とい

う決断には至らず、とうとう身体が 終警告を出し、自ら受診しようと思い専

門病院に行った。

検査が行われ、「良いものではないです」と医師から告げられた。

「やっぱりな」という気持ちと「嘘だ」という気持ちで目の前が真っ暗にな

ったのを覚えている。事実を伝えられると「死」という恐怖に襲われた。

一通りの説明のあと、診察室から出て待合所で呆然としたが不思議と涙は出

なかった。

後日、精密検査の結果を聞き愕然とした。転移していたからだ。予想してい

なかった展開について行けず、医師の説明を必死に聞くことに集中した。手術

する話がホルモン療法の話に変わり根治できない事を知った。

治療までの待ち時間ぼんやりしていたその時、診察に同席していた看護師さ

んが「冷静に話を聞いていましたね、大丈夫ですか」と声をかけてくれ、一気

に心境を語った。

おそらく30分は経過していたが、気持ちが落ち着くまで傍にいてずっと背

中を摩ってくれていた。満杯のコップから水が溢れ出したかのように私は泣き

崩れた。

看護師だから気丈にというプライドから、診断を受けてこの時まで、こんな

に泣けた記憶はなかった。

そして、カチンコチンになっていた気持ちを溶かしてくれたあの手のぬくも

りを今も忘れない。

私も、生きて、生きて誰かの固くなった心を溶かせるような人になりたいと

思う。

優秀賞

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母は太陽

西条市 越お

智ち

敏とし

子こ

台所の勝手口の鍵を開け静かな家の中へ。「ガラガラー」っと居間のガラス

戸を引く。とたん、「ウッウーッ」っと鼻をつく便の臭い。朝日が差し込まない

部屋の壁際に、横向きになった小さく丸い母がいる。すぐ電気を付け、窓を開

け放す。早く始末をと耳の遠い母に大声を出す。が、一向に応じようとせず、

何度も繰り返すと理屈っぽく言い返される。立て続けに私は、怒鳴り口調で甲

高い声になる。が、増々の逆効果。30分もの押問答の後、やっと気持ち良い

紙パンツに履き替えさせられた。

父が他界してもう30年になる。以来一人暮らしを余儀なくされた母は、寂

しさを紛らわす様に畑仕事に精出した。脚、腰に痛みを抱え高齢となるにつれ、

日常の生活から一つ一つと出来ない事が増え、比例して見事だった畑が荒れて

いった。あれ程気丈だった母の老いを1年、1年と目の当たりに痛感する。

近距離に住んでいるお陰で頻繁に実家に通える。が、「ああ、今日も荒らげた

言い方をしてしまって」と、反省しながらミニバイクを走らせる。

時折だが、すんなりと紙パンツの履き替えが出来ると、「ありがとう」とお礼

を言われる日がある。そんな母の言葉にフッと気付かされた。私が自分のイラ

イラした感情を押さえられず、ついつい弱い母にぶっつけている。そんな私の

胸の奥底を母は感じ取っている。世話をしているつもりが実は、顔を見に来ら

れるだけで私の方がどんなにか癒されていると。少ない会話で過ごすひととき

の時間に、無限大で無償の計り知れない愛をもらっていた。母の眼差しは太陽

だ。と、自分の愚かさを悔いる。

93歳の今、一人で出来ている事まだまだあるものね。1分、1秒でも長く

母との時を共存出来ます様にと父の遺影に合掌し、実家を後にする今日の私で

す。

⼊選

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患者の夜と看護師の夜

今治市 阿あ

部べ

喬たか

子こ

夜がこんなに長くて、暗くて、寂しいものだと生まれて初めて知った。明日

の朝が遠すぎる。

看護師になって一年目の冬。初めて入院することになった。手術で切った右

の下腹部が燃えているのかと思うくらい痛くて熱い。寝返りすらままならず、

傷口を上にして見たくもない暗い窓の方を向いて横になった。

「今晩は付き添おうか?」気遣って母がこう言ってくれた時はまだ麻酔が効い

ていて、「大丈夫よ。大手術やないんやけん。」笑顔まで見せて、帰してしまっ

た数時間前の自分を恨んだ。

人生で初めての手術。とは言っても難しいものではない。短時間で終わり、

数日で退院できるようなものだ。大したことないだろうと甘い考えでいた。た

かが数センチ、身体にメスを入れるということはこんなにも苦痛を伴うもので

あると身を持って経験した。

社会人になり、これまであっという間に毎日が過ぎていった。三交代の勤務

にも少しずつ慣れてはきたものの、新しく出合う疾患や処置の学習や勉強会の

参加に追い立てられるように毎日を過ごしていた。「患者の立場に立って」とか、

「患者の個性を大切にして」とか、大事にしている看護観は心にくすぶっては

いたが、忘れそうになるくらい疲弊していた。

術後初めて迎えた夜、目を閉じると不思議と職場の病棟が浮かんで、しばら

く消えなかった。夜勤で眠れない患者の対応をしたことを思い出す。複数の患

者を担当する看護師の夜はあっという間に明ける。しかし、苦痛を感じている

患者の夜は、本当に新しい朝が数時間後にやってくるとは思えないくらい長い

ことをようやく知って、何だか泣けてきた。

患者になった夜が、たくさんのことを教えてくれた。仕事に復帰したら、患

者に掛けたい言葉が自然とたくさん湧いてきた。

⼊選

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看護について

松山市 井い

関せき

理り

彩さ

看護とは何か、看護の定義・イギリスの看護学者フローレンス・ナイチンゲ

ールの教え「看護はすべての患者に対して生命力の消耗を 小限度にするよう

に働きかけることを意味する」と述べられています。アメリカの看護理論家

ヴァージニア・ヘンダーソンは「さまざまな諸活動において、健康不健康問わ

ず、患者の健康維持または健康回復後に役立つ諸活動である」と述べています。

「患者が元の生活レベルにまで戻っていけるように援助する」ということが看

護の包括的な定義であり、看護に対する考えであると思います。患者の体・心

身の状態や病状は一人一人違うため各患者の体調や病室環境の調整も考慮した

看護を行うことだと思います。

2016年2月中旬頃、母が通院中の病院から県立中央病院の循環器内科に

大動脈解離の疑いで救急搬送されました。私が病院の処置室で母の姿を見たと

き、酸素マスクや心電図のアラーム音を聞いているうちに不安になり過呼吸に

なりました。そのとき担当だった看護師が私に呼吸法を教えてくれました。私

の気持ちに手をさしのべてくれたことで落ち着くことができ、優しく的確に接

する看護師さんの姿を見て私の中で看護師になりたいと強く思うようになりま

した。

誠実な看護をするためには積極的に話を聞くコミュニケーション力が必要だ

と実感しました。患者さんの疑問や不安を言いやすい環境をつくることで精神

的なケアにもつながると思います。日々進歩する医療技術を把握し適切なケア

をしていくことで患者さんの不安を安心に変えることが大切だと思いました。

看護師の専門的な知識だけでなく、社会人としての知識を広く身につけ会話

力を身につけながら医療の現場で明確な判断ができる冷静さも必要です。私も

看護師になるために幅広い知識と技術を大学で学びたいです。

⼊選

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将来の夢

南宇和郡愛南町 山やま

下した

日菜乃ひ な の

私が小学生の時、大好きだった祖母が癌で入院しました。とても元気だっ

た祖母が会いにいくたび痩せていき、喋ることも辛くなっていき、体調が悪い

時には数分しか会えない事も何回かありました。毎回会いに行くたびに、とて

も不安な気持ちになった事を覚えています。薬の効果が効いていて話す事がで

きた時には看護師さんも交えてお喋りをしたり、祖母が食べたい物を一緒に食

べたり楽しい時間を過ごした事もありました。看護師さんが祖母の状態に合わ

せて優しく接してくれたり、お見舞いに来た私達にもいろいろと配慮をしてい

ただいている姿を見て、看護師という職業に憧れを抱くようになりました。

祖母が病気で苦しんでいた時、祖母の為に何かできることがないか。どうし

たら祖母は元気になってくれるのか。と、いつも考えていました。でも、小さ

な私は見守ることしかできませんでした。世の中には病気で闘っている人がた

くさんいます。祖母にしてあげられなかった分、患者さんの気持ちが分かって

あげられるような看護をしてみたいという気持ちが大きくなり、私の夢となり

ました。

看護師という仕事は、患者さんとのコミュニケーション以外にも、身の回り

の世話など体力面できついこともたくさんあると思います。でも、いつも思い

出すのは、祖母が嬉しそうに看護師さんと話をしていた姿です。しかし、夢を

叶えるためには、多くの事を学ばなければいけません。私は、看護学校への進

学を目標に勉強をしています。私の理想は、患者さんが安らげる看護ができる

看護師になることです。そのために目標の一つ一つを達成しながら夢に向かっ

て頑張りたいです。

奨励賞

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【資料】

第6回「看護にまつわるエピソード」応募者の状況

1.性別 男性 ⼥性 総計

3 17 20

2.年齢 10 才代 20 才代 30 才代 40 才代 50 才代 60 才代 総計

8 0 4 4 2 2 20

3.住所 新居浜市 ⻄条市 今治市 松⼭市 東温市 ⻄予市 宇和島市 愛南町 総計

1 2 2 3 1 3 1 7 20

(東予)5 (中予)4 (南予)11

4.職業 ⾼校⽣ 看護師 看護教員 介護職員 無職 総計

8 8 1

1 2 20 (看護職)9

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平成 29 年度「看護の⽇・看護週間」記念⾏事 第 6 回「看護にまつわるエピソード」作品集

平成29 年 5 ⽉

編 集︓公益社団法⼈愛媛県看護協会、看護の⽇実⾏委員会 住 所︓松⼭市道後町2丁⽬11-14 T E L ︓089-923-1287