温暖化にともなうブナ林の適域の変化予測と影響評価 ·...

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165 1.はじめに 環境条件から野生植物種の分布を予測する統計モ デルを作り、生育地を予測する研究が近年進められ ている。環境条件の適した場所に植物種がくまなく 広がっている場合は、モデルから予測される分布確 率は種にとっての生育地条件に対応し、高い確率は 生態的に生育に適している場所(適地、適域)を示す と考えられる。現在の気候条件で植物種の分布する 地域を環境条件から予測する統計モデルを開発する ことにより、将来の気候条件のもとでの潜在的な分 布確率を空間的に予測することができる。また、気 候変化による適域の面積変化だけでなく、将来も適 域である地域、現在は適域であるが将来は外れてし まう地域、現在は適域ではないが将来新たに適域と なりうる地域が特定できる 1)- 3。このような研究は、 受付;2008 12 22 日,受理:2009 5 20 062-8516 北海道札幌市豊平区羊ヶ丘 7 番,e-mail[email protected] 2009 AIRIES 温暖化にともなうブナ林の適域の変化予測と影響評価 Prediction and impact assessment of the changes in suitable habitats for beech (Fagus crenata) forests under climate change scenarios 松井 哲哉 1* ・田中 信行 2 ・八木橋 勉 3 ・小南 裕志 4 ・津山 幾太郎 2 ・高橋 潔 5 Tetsuya MATSUI 1 , Nobuyuki TANAKA 2 , Tsutomu YAGIHASHI 3 , Yuji KOMINAMI 4 , Ikutaro TSUYAMA 2 and Kiyoshi TAKAHASHI 5 1 (独)森林総合研究所 北海道支所・ 2 (独)森林総合研究所 植物生態研究領域・ 3 (独)森林総合研究所 東北支所 4 (独)森林総合研究所 関西支所・ 5 (独)国立環境研究所 地球環境研究センター 1 Hokkaido Research Center, Forestry and Forest Products Research Institute 2 Department of Plant Ecology, Forestry and Forest Products Research Institute 3 Tohoku Research Center, Forestry and Forest Products Research Institute 4 Kansai Research Center, Forestry and Forest Products Research Institute 5 Center for Global Environmental Studies, National Institute for Environmental Studies 摘  要 温暖化がブナ林の分布に与える影響を評価するために、分布予測モデルを用いて、 現在の気候および RCM20 MIROC シナリオによる生態的生育適域(適域)の将来予 測を全国と各地域で行った。また、温度を 1℃ずつ、降水量を 10%ずつ変化させた場 合の適域面積の変化率を温暖化影響関数として算出した。現在ブナ林が分布する地域 における適域面積は、RCM20 MIROC では現在に比べ 2031 2050 年には 47%と 32%に、2081 2100 年には 21%と 4%にそれぞれ減少すると予測された。影響関数 によって、温度上昇だけではなく降水量の減少も適域の面積を低下させることがわか った。気温が 2℃上昇かつ降水量が 40%増加すると全国レベルの適域面積は現在の 9 割程度にとどまるが、気温が 2℃上昇かつ降水量が 40%減少すると 2 割以下になる。 九州、四国、本州太平洋側のブナ林は、分布面積がもともと狭い上に、将来、夏期の 高温にさらされることにより適域面積が狭くなると予測された 。 現在はほとんどが適 域である白神山地世界遺産地域とその周辺では、将来、夏期の高温のために適域が大 幅に縮小すると予測された。北海道では適域が現在の分布北限を越えて北へ広がるが、 ブナの分布拡大速度が遅い上に、分断化された天然林の配置ではブナの移動は困難な ので、温暖化のペースに追いつけないだろう。西日本ではカシ類やモミなどが、また 本州の低標高域ではコナラ、クリ、ミズナラなどが、ブナの衰退後に置き換わる可能 性がある。ブナの寿命は 200 400 年であり、温暖化によりブナ林がすぐに衰退する 可能性は低い。ブナの老齢木の枯死後に高木種の交代が順調に進行するかについて、 ブナ林の大きな変化や衰退が予測される地域を中心に監視していくことが重要である。 キーワード影響関数、温帯林、脆弱性、適応策、分布予測モデル、 メッシュ植生データ Key words: impact function, temperate forest, vulnerability, adaptive management, predictive distribution models, mesh vegetation data

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1.はじめに

環境条件から野生植物種の分布を予測する統計モデルを作り、生育地を予測する研究が近年進められている。環境条件の適した場所に植物種がくまなく広がっている場合は、モデルから予測される分布確率は種にとっての生育地条件に対応し、高い確率は生態的に生育に適している場所(適地、適域)を示す

と考えられる。現在の気候条件で植物種の分布する地域を環境条件から予測する統計モデルを開発することにより、将来の気候条件のもとでの潜在的な分布確率を空間的に予測することができる。また、気候変化による適域の面積変化だけでなく、将来も適域である地域、現在は適域であるが将来は外れてしまう地域、現在は適域ではないが将来新たに適域となりうる地域が特定できる 1)- 3)。このような研究は、

受付;2008 年 12 月 22 日,受理:2009 年 5 月 20 日* 〒 062-8516 北海道札幌市豊平区羊ヶ丘 7 番,e-mail:[email protected]

2009 AIRIES

温暖化にともなうブナ林の適域の変化予測と影響評価Prediction and impact assessment of the changes in suitable habitats for beech (Fagus crenata)

forests under climate change scenarios

松井 哲哉 1 *・田中 信行 2・八木橋 勉 3・小南 裕志 4・津山 幾太郎 2・高橋 潔 5

Tetsuya MATSUI1 * , Nobuyuki TANAKA2, Tsutomu YAGIHASHI3, Yuji KOMINAMI4, Ikutaro TSUYAMA2 and Kiyoshi TAKAHASHI5

1(独)森林総合研究所 北海道支所・2(独)森林総合研究所 植物生態研究領域・3(独)森林総合研究所 東北支所 4(独)森林総合研究所 関西支所・5(独)国立環境研究所 地球環境研究センター

1Hokkaido Research Center, Forestry and Forest Products Research Institute2Department of Plant Ecology, Forestry and Forest Products Research Institute

3Tohoku Research Center, Forestry and Forest Products Research Institute4Kansai Research Center, Forestry and Forest Products Research Institute

5Center for Global Environmental Studies, National Institute for Environmental Studies

摘  要温暖化がブナ林の分布に与える影響を評価するために、分布予測モデルを用いて、

現在の気候および RCM20 と MIROC シナリオによる生態的生育適域(適域)の将来予測を全国と各地域で行った。また、温度を 1℃ずつ、降水量を 10%ずつ変化させた場合の適域面積の変化率を温暖化影響関数として算出した。現在ブナ林が分布する地域における適域面積は、RCM20 と MIROC では現在に比べ 2031 ~ 2050 年には 47%と32%に、2081 ~ 2100 年には 21%と 4%にそれぞれ減少すると予測された。影響関数によって、温度上昇だけではなく降水量の減少も適域の面積を低下させることがわかった。気温が 2℃上昇かつ降水量が 40%増加すると全国レベルの適域面積は現在の 9割程度にとどまるが、気温が 2℃上昇かつ降水量が 40%減少すると 2 割以下になる。九州、四国、本州太平洋側のブナ林は、分布面積がもともと狭い上に、将来、夏期の高温にさらされることにより適域面積が狭くなると予測された 。 現在はほとんどが適域である白神山地世界遺産地域とその周辺では、将来、夏期の高温のために適域が大幅に縮小すると予測された。北海道では適域が現在の分布北限を越えて北へ広がるが、ブナの分布拡大速度が遅い上に、分断化された天然林の配置ではブナの移動は困難なので、温暖化のペースに追いつけないだろう。西日本ではカシ類やモミなどが、また本州の低標高域ではコナラ、クリ、ミズナラなどが、ブナの衰退後に置き換わる可能性がある。ブナの寿命は 200 ~ 400 年であり、温暖化によりブナ林がすぐに衰退する可能性は低い。ブナの老齢木の枯死後に高木種の交代が順調に進行するかについて、ブナ林の大きな変化や衰退が予測される地域を中心に監視していくことが重要である。

キーワード: 影響関数、温帯林、脆弱性、適応策、分布予測モデル、 メッシュ植生データ

Key words: impact function, temperate forest, vulnerability, adaptive management, predictive distribution models, mesh vegetation data

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広域における長期間の変化予測が可能という利点がある。衰退や絶滅の危険性のある脆弱な植物種や群落とその地域が特定できるので、温暖化影響に対する適応的保全計画の策定資料となる。また温暖化影響検出のためのモニタリング地を選定する際の参考になる。

欧米では、地球温暖化の植物分布への影響を予測・評価した研究が多くの種類について行われている 4)- 6)。アメリカ東部では 80 種の樹木種について適域の変化予測が行われ 4)、ヨーロッパでは約 1,400種の植物の多様性の変化予測が行われている 5),6)。

日本においては温暖化が植生帯や個々の植物種(例えばブナ、ハイマツ、ササ類など)の分布に与える影響について、1990 年代以降研究が行われている 1)- 3),7)- 12)。これらのうち日本の代表的天然林タイプの 1 つであるブナ林については、IS92a 温室効果ガス排出シナリオに基づくCCSR/NIES シナリオ 13)

による 2090 年代の分布確率が、分類樹モデルを用いて全国スケールで算出された 10)。この研究によれば、ブナ林の適域(種の生存に適しており、分布頻度または優占度が高くなりうる環境条件を備えた地域)は、九州、四国、本州太平洋側ではほぼ消滅すると予測された。さらに、世界自然遺産地域の白神山地においては SRES-A2 排出シナリオに基づくRCM20 シナリオによる 2081 ~ 2100 年の予測が追加され、同地域のブナ林適域の面積は 0.1%に減少すると予測された 12)。

その後も、SRES 排出シナリオに基づく新しい気候変化モデルが発表されている。一方で、大気循環モデルに基づく気候変化シナリオを用いないで、気温や降水量などの気候因子を感度解析的に変化させた多数回シミュレーションを行う温暖化影響関数 14)の開発も、ブナ林をモデルケースとして進められた 15)。

ブナは北海道南部から鹿児島県まで分布し、その面積は日本の天然林総面積の約 1 7%にあたる23,000 km2 である。ブナが林冠を優占するブナ林は北海道南部、東北、本州日本海側に広く分布し、本州の太平洋側、四国、九州では山岳上部などに分布が限られる。ブナ林は、野生生物の生息地として生態学的な重要性が認められているばかりでなく 16)、世界遺産の白神山地のように世界的な評価を受ける森林である。したがって、温暖化によるブナ林への影響を予測評価し、適応策について論じることは、生態系の保全管理計画を策定する上で重要である。

本稿では、ブナ林の分布を高い精度で予測できるENVI モデル 10)をベースとして、近年公表されたRCM20 および MIROC 気候変化シナリオに基づくブナ林の適域の予測および、温暖化影響関数の予測結果を紹介し、温暖化が全国と各地域におけるブナ林の分布に与える影響について、既存の研究成果を踏まえながら生態学的な考察を加えることを目的とする。

2.温暖化影響評価の手法

2.1 分布予測モデル本研究で用いたブナ林の分布予測モデルである

ENVI モデルは、統計モデルの一種である分類樹モデル 18)である。分類樹モデルはデータをそれ以上分離しても無意味になるまで、可能な限り等質になるように 2 つに分離していくことによって作成されるモデルである 19)。このモデルは目的変数、説明変数ともに数値変数と因子変数の両方を扱うことが可能な点や、モデルの構築が簡易で頑健な点、説明変数間の交互作用関係を処理できる点、解釈が容易な点で優れている 20)。よって、植生の分布と環境傾度の関係解析にしばしば用いられる 4),21)- 23)。また、ブナ林の日本全国の分布を気候変数から予測する場合では、一般化線形モデル(GLM)や一般化加法モデル(GAM)よりも予測精度が高かった 17)。

ENVI モデルより、ブナ林の分布確率(自然植生域の中でブナ林が出現する確率)が全国 1 km2 解像度で算出可能となった 10)- 12),15),17),23)- 26)。ブナ林の在・不在を分布確率から予測するために、モデルの実際の分布に対する適合度を示す Kappa 係数 27)を、分布確率 0 から 1 の間で 0.01 刻みで変化させながら求めたところ、分布確率が 0.47 の場合に Kappa係数が最大 0.57 となり、当てはまりの良いモデルと判定された 28)。そこで、分布確率 0.5 以上の地域をブナ林の適域と呼称した。

本稿では、生態的な適域を面積として算出するために、Kappa 係数を用いた適合度に基づいて分布確率 0.5 未満を適域外とした。そのために、例えば確率 0.3 でブナ林が分布する地域は適域外になるが、分布確率が閾値以下でも分布可能性がある場所は、分布辺縁域 1)もしくは Marginal habitats3)と呼ばれる。本稿ではブナ林の成立に適している地域が、温暖化によってどの程度変化するのかをわかりやすく示すことを目的とするので、適域についてのみ議論を進める。

分布予測モデルである ENVI モデルの目的変数は、3 次メッシュ植生データベースから抽出した全自然植生データにおけるブナ林の在・不在データである 29)。これは、環境庁第 3 回自然環境保全基礎調査において 1979 ~ 1986 年に作成された 1:50,000植生図を 3 次メッシュセル(緯度 30 秒、経度 45 秒の約 1 km メッシュセル)ごとにデジタル化したデータベースである。このデータベースは、日本全国をカバーする 345,000 以上のメッシュセルの植生タイプデータから構成されている。各メッシュセルの植生タイプは、メッシュセルの中央から半径 125 mの円内に優占する植生タイプで代表させている 29)。これから抽出したブナ林セル 23,432 点を含む自然植生メッシュセル 156,804 点を目的変数として使用した。

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説明変数には、気候変数 4 つと環境変数 5 つを用いた。気候変数には暖かさの指数(WI)30)、最寒月の日最低気温の月平均値(TMC)、夏期降水量(5 ~ 9月)(PRS)、冬期降水量(12 ~ 3 月)(PRW)を用いた。環境変数には、地質、地形、土壌、斜面方位、斜面傾斜度を用いた。このうち地質、地形、土壌データは類型が都道府県間で異なる場合があるので、地質は 21 類型、土壌は 18 類型、大地形は 15 類型に類型を統一したものを利用した 31)。斜面方位と斜面傾斜度は各 3 次メッシュ中心点から半径 125 m 圏内の 50 m デジタル標高データから計算した斜面方位と傾斜角度の値を使用した 10)。

気候変数では、モデル構築と現在のブナ林の分布確率予測のために 3 次メッシュ気候値である気象庁観測平年値 32)を用いた。将来の 2 つの気候変化シナリオには RCM2033)と MIROC34)の 2 期間(2031 ~2050 年と 2081 ~ 2100 年)を用いた。シナリオの年平均気温は気象庁観測平年値 32)と比較すると、2031~ 2050 年の RCM20 と MIROC ではそれぞれ 2.2℃と 2 .3℃の上昇、2081 ~ 2100 年の RCM20 とMIROC ではそれぞれ 2.8℃と 4.4℃の上昇である。

本研究では本州を太平洋側と日本海側に区分して統計値の算出を試みたが、この場合の両地域の区分は吉野(1981)35)によった。2.2 ブナ林の温暖化影響関数の開発

全国と各県のブナ林適域面積率が多様な気候変化シナリオで予測できるように、現時点で利用が可能な複数の気候シナリオが予測する気温と降水量の変化幅(図 1)におけるブナ林の温暖化影響関数 14)を作成した 15)。温暖化影響関数とは、ブナ林の分布予測

モデル(詳細モデル)を用いて、平均気温を 1℃ずつ、降水量を 10%ずつ変化させ、感度解析的に多数回シミュレーションを行い、その出力を全国、または県別に集計することで得られる数表の集合体(データベース)である。すなわち、詳細モデルの出力を近似的に得るための簡易影響評価モデルと考えることができる 15)。ブナ林の影響関数の場合は、分布確率 0.5 以上を有する 3 次メッシュセル面積合計の全面積に占める割合(ブナ林適域面積率)を県別に計算し、それを影響関数の出力変数とした。

3.ブナ林適域の予測と温暖化影響評価

3.1 ブナ林の成立を阻害する要因ENVI モデルは説明変数の 87 通りの組み合わせ

で成り立つ分類樹モデルである 10)。これらの組み合わせのうちブナ林の分布確率が低い地域において、ブナ林の分布を主要に制限する要因とその閾値は以下のとおりであった(図 2)。分布確率の低い北海道の大半は、冬期の寒冷と乾燥(TMC <-12.45、PRW < 498.5)(図 2a)が、新潟県以南の日本海側沿岸域では夏期の高温(WI > 95.15)(図 2b)が、本州内陸部や東北の阿武隈や北上山地では冬期と夏期の乾燥(PRW < 330.5、PRS < 794.5)(図 2c)が、宮城県以南の本州太平洋側地域と四国および九州では夏期の高温と冬期の乾燥(W I > 8 9 . 5 5、P R W <498.5)(図 2d)が、それぞれブナ林の成立を阻害する要因と考えられる。3.2 全国のブナ林適域の将来変化

ENVI モデルに基づき分布予測を行った結果、ブナ林の適域の面積は、3 次メッシュセル 1 つの面積を 1 km2 とすると、現在の気候下では 26,220 km2 であった(表 1 下段)。このうち、実際にブナ林である地域は 56%にあたる 14 ,579 km 2 であった。RCM20 と MIROC シナリオによる将来予測では、適域全体の面積は、現在の 26,220 km2 から 2031 ~2050 年には RCM20 と MIROC ではそれぞれ 86%

(22,637 km2)と 56%(14,744 km2)に、2081 ~ 2100年にはそれぞれ 37%(9,618 km2)と 21%(5,427 km2)に減少すると予測された(表 1、図 3)。これらの適域のうち、ブナ林が実際に分布している地域だけを対象とすると、現在(14,579 km2)に比べて 2031 ~2050 年には RCM20 と MIROC ではそれぞれ 47%

(6,821 km2)と 32%(4,637 km2)に、2081 ~ 2100 年にはそれぞれ 21%(3,117 km2)と 4%(544 km2)に減少すると予測された(表 1、図 3)。2081 ~ 2100 年の適域の分布は、現在の気候に比べ、本州太平洋側や西日本でほとんどなくなり、本州日本海側でも大きく縮小すると予測された(図 3)。

温暖化影響関数に基づく分析によれば、気温が現状より 2℃上昇する場合、同時に降水量が 40%増加すると、全国レベルでの適域の面積合計は現状の 9

図 1  年平均気温変化および年平均降水量変化率の県別・年別プロット.□: SRES-B1 シナリオでの 2001 ~ 2010 年の 20 個の

GCM の予測値×: SRES-B1 シナリオでの 2081 ~ 2090 年の 20 個の

GCM の予測値△: SRES-A2 シナリオでの 2001 ~ 2010 年の 18 個の

GCM の予測値○: SRES-A2 シナリオでの 2081 ~ 2090 年の 18 個の

GCM の予測値

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松井ほか:温暖化にともなうブナ林の適域の変化予測と影響評価

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図 2  ENVI モデルにおける,ブナ林の分布確率が低く面積の広い 4 つのターミナルノードを規定する条件と対応する地域.

(a)ターミナルノード 1 分布確率 0.0024 メッシュ数 56,676 PRW<498.5 WI<89.55 TMC<-12.45

(c)ターミナルノード 2 分布確率 0.0082 メッシュ数 15,146 PRW<330.5 WI<89.55 TMC>-12.45 PRS<794.5

(d)ターミナルノード 32 分布確率 0.0009 メッシュ数 121,154 PRW<498.5 WI>89.55

(b)ターミナルノード 87 分布確率 0.0040 メッシュ数 27,195 PRW>498.5 WI>95.15

表 1 地域別・気候シナリオ別の適域(確率 0.5 以上)の変化.

現在の気候(1952 ~ 1983 年)

RCM20(2031 ~ 2050 年)

RCM20(2081 ~ 2100 年)

MIROC(2031 ~ 2050 年)

MIROC(2081 ~ 2100 年)

北海道(3,089*1/81,497*2) 1,695*3/3,348*4 1,484/11,716 413/4,062 1082/7,888 193/3,297

本州日本海側*5

(17,885/92,378) 12,424/21,677 4,948/9,100 2,601/5,137 3,384/6,254 346/1,910

本州太平洋側*5

(1,995/122,082) 456/1,181 384/1,809 103/419 171 /602 5/220

四 国(223/16,415) 0/5 3/7 0/0 0/0 0/0

九 州(240/32,741) 4/9 2/5 0/0 0/0 0/0

合 計 14,579/26,220 6,821/22,637 3,117/9,618 4,637/14,744 544/5,427*1 ブナ林の 3 次メッシュセル数. *2 対象地域の 3 次メッシュセル数. *3 ブナ林かつ適域である 3 次メッシュセル数.*4 ブナ林適域の 3 次メッシュセル数. *5 本州太平洋側と日本海側の区分は吉野 35)による.

図 3  ブナ林の分布(a)と,各気候条件において予測されたブナ林分布確率の分布(b~f).ブナ林の適域は,分布確率 0.5 以上(赤色)の地域である.

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割となるが、降水量が 40%減少すると現状の 2 割以下に減少する予測となった(図 4)。また気温が 4℃上昇すると、降水量が 40%増加しても適域面積は現状の 3 割となる。このように、温度上昇だけでなく、降水量の減少がブナ林の分布確率を低下させることが今回の解析で判明した。3.3 北海道への影響

ブナ林の天然分布北限は、北海道の渡島半島にある黒松内町、寿都町や蘭越町周辺にある。しかし、十勝地方の虫類村の更新世中期頃(約 78 万年前~12 万年前)の地層からは、ナウマン象の化石とともにブナの殻斗や種子が出土している 36)。この時代は現在よりもやや温暖であったと考えられている。一方、現在よりも 5℃程度寒冷であったとされる約 2万年前の最終氷期の最寒冷期には、ブナ林の分布の中心は本州の新潟県から福島県以南にあったと考えられている 37),38)。そして、過去 1 万年間の温暖化にともない、ブナ林は分布を北に拡大し、約 1,000 年前に現在の北限域に到達したとされる 39)。このように、ブナは過去の気候変動に対応して分布拡大縮小を繰り返してきた。現在のブナ林の北限は夏期降水量で分布が制限されている可能性が指摘されている 26)。

現在の気候における適域の面積は 3,348 km2 である。 2 0 8 1 ~ 2 1 0 0 年の M I R O C シナリオでは3,297 km2 に減少するものの、それ以外は 120%

(4,062 km2)~ 350%(11,716 km2)に増加する(表 1)。適域は、ブナ林の分布北限を越えて北東に拡大するが、2081 ~ 2100 年には縮小に向かい断片化する

(図 3e、f)。温暖化影響関数の結果も、気温上昇と同時に降水量が増加すれば適域の面積は増加する可能性を示した(図 5a)。温暖化にともなう適域の拡大は、北海道のブナ林の分布を制約している冬期の寒冷と乾燥(図 2a)が温暖化によって緩和されるた

めと考えられる。現在の温暖化の水平移動速度は、花粉分析から推

定された過去のブナ林の移動速度よりも速い。花粉分析の研究から推定される最終氷期以降のブナ林の推定北進速度は北海道で 1.1 ~ 2.0 km/100 年 40),41)である。RCM20 と MIROC シナリオの将来の北海道における最寒月最低気温(TMC)の北進距離は、例えば-1 2 . 2 5 ℃の等温線を例とすると約 1 0 ~50 km/100 年である(図 6)。ブナの移動速度を本州の推定値である 23.3 km/100 年 38)と仮定しても、温暖化による等温線の移動速度に追いつけない可能性が高い。

ブナがスムースに移動するためには天然林が連続している必要があるが、現在の土地利用は人工林、農耕地、都市などが天然林を分断しているため、将来のブナの移動は阻害されると予想される。さらに将来は、適域面積は増加しても断片化するため、ブナの分布移動は一層困難となるだろう。ブナ林の変化をより正確に予測するためには、ブナの移動速度や天然林の分断化を考慮した予測モデルを開発する必要がある。

(%)

図 4  気温と年間降水量を一定割合ずつ変化させた場合の,ブナ林適域(確率 0.5 以上)の全国面積に対する割合(%)の等値線図(温暖化影響関数).現状は座標(0,0)である.

図 5  気温と年間降水量を一定割合ずつ変化させた場合の,ブナ林適域(確率 0.5 以上)の県別面積割合(%)の等値線図(県別温暖化影響関数)の例.

(a)北海道,(b)富山県,(c)静岡県,(d)鹿児島県

-12.25(温暖化シナリオ)-12.25(現在の気候 32))-12.25(現在の気候 32))

(A)RCM20(2081 ~ 2100 年) (B)MIRCO(2081 ~ 2100 年)

図 6  北海道における,最寒月最低気温(TMC)が -12.25℃以上と未満の地域の変化予測.

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3.4 本州日本海側への影響本州の日本海側では、ブナ林が 17,885 km2 と広

く分布する(表 1)。この地域の適域の面積は現在の気候下では 21,677 km2 あるが、RCM20 と MIROC両シナリオ下で 9%(1,910 km2)~ 42%(9,100 km2)に減少する(表 1)。また、実際にブナ林かつ適域である地域は、現在の 12,424 km2 から将来は 3%

(346 km2)~ 40%(4,948 km2)に減少する。山陰、北陸地方では実際にブナ林かつ適域である地域はほとんど消失し、新潟から青森県にかけての地域でも縮小する(図 3)。これは、日本海側沿岸の低標高域でブナ林の成立阻害要因となっている夏期の高温(図 2b)が、将来は高標高域にも到達するためと考えられる。一方で、富山県の温暖化影響関数は、適域面積の減少率が比較的小さく、降水量の変動にもあまり左右されない結果となった(図 5b)。これは、温暖化後に適域が移動できる高山があることと、現在の降水量が多いことが原因と考えられる。

世界遺産で青森県と秋田県にまたがる白神山地では、適域が現在の気候下では世界遺産地域の 95%を占めるが、2031 ~ 2050 年には RCM20 で 30%、MIROC で 2%に減少し、2081 ~ 2100 年には RCM20で 0.6 %、MIROC では消滅する(図 7)。RCM20 シナリオの 2081 ~ 2100 年には、白神岳(1,232 m)周辺の狭い地域が適域として残るだけとなる 12)。

自然遺産地域の施業管理計画図によると、約 8 割が林齢 150 ~ 200 年生であるので、2100 年頃には多くのブナが壮齢期から老齢期を迎える 12)。このため、将来は適域でなくなることを考慮すると、ブナ林下限域から、風倒等により発生する林冠ギャップの形成を契機として他樹種との競争によりブナが排除され、ブナの立木密度の低下が起こると考えられ

る。その場合、この地域の競合種としては、ミズナラ、コナラ、クリ、アカシデ、トチノキ、ケヤキ、ハリギリ、シナノキなどの落葉広葉樹種が考えられる 12)。

白 神 岳 に お け る ブ ナ 優 占 林 分 の 上 限 は 標 高1,070 m(WI≈44)であるが、ブナ単木の上限は標高1,120 m(WI≈42)で、ミヤマナラ、ダケカンバ、ミネカエデ、ナナカマド等の低木類とチシマザサが混生する偽高山帯群落に侵入している 12)。温暖化によりブナ林の適域が高標高域へシフトすると(図 8)、積雪期間の減少、生育期間の長期化、WI の上昇にともない、現在は標高 900 m 以上に分布している偽高山帯群落へブナの侵入が活発になる可能性がある 12)。

32)

図 7  白神山地世界遺産地域とその周辺におけるブナ林の分布確率の変化予測.(a)現在の気候下での分布確率,(b)RCM20 シナリオ(2031-2050 年),(c)RCM20 シナリオ(2081-2100 年),(d)MIROC シナリオ(2031-2050 年),(e)MIROC シナリオ

(2081-2100 年).ブナ林の適域は,分布確率 0.5 以上(赤色)の地域である.

図 8  白神山地世界遺産地域とその周辺における現在の気候と気候変化シナリオ下での適域の垂直分布変化予測.標高値は図 7 に表示された地域に含まれる 2,470 個の 3次メッシュの標高値を用いた.「現在」は気象庁 32),「R31」は RCM20 シナリオ 2031-2050 年,「R81」は RCM20 シナリオ 2081-2100 年,「M31」は MIROC シナリオ 2031-2050 年,「M81」は MIROC シナリオ 2081-2100 年を示す.各気候シナリオごとに適域と判定された 3 次メッシュセルの数を「n = 」で示す.箱ヒゲは,最小値,下四分位値,中央値,上四分位値,最大値,および外れ値(黒丸)を表示.

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一方で、自然遺産地域の外側で、今回予測に用いた 4 通りの気候変化のいずれにおいても適域が存在するのは岩木山(1,625 m)のみである(図 7)。過去に使用された CCSR/NIES シナリオ(2091 ~ 2100 年)においても岩木山の一部は適域と判定された 12)。したがって岩木山は、この地域のブナ林の逃避地としての保全価値が比較的高いといえる。3.5 本州太平洋側への影響

この地域のブナ林適域の面積は現在の気候下では1,181 km2 と予測された(表 1)。RCM20 と MIROC 両シナリオ下で 19% (220 km2)~ 153% (1,809 km2)に変化する(表 1)。また、実際にブナ林かつ適域である地域は、現在の 456 km2 から将来は 1%(5 km2)~84%(384 km2)に減少する。

RCM20 シナリオの 2031 ~ 2050 年では、適域の面積が 2031 ~ 2051 年に現状の約 1.5 倍(1,809 km2)に増加するが、それらの地域のほとんどは新規に適域となる地域で、長野県と岐阜県にまたがる飛騨山脈南部、富士山、北関東の一部分が該当する(図 3c)。これは、RCM20 シナリオの 2031 ~ 2050 年において、本州太平洋側の降水量が増加することに起因すると考えられる。静岡県の温暖化影響関数においても、気温が 2℃上昇かつ年平均降水量が 20%増加すれば、適域の面積はわずかながら増加することと矛盾しない(図 5c)。

それ以外の気候シナリオでは、適域は現状の 19%~ 51%(220 ~ 602 km2)に減少すると予測された(表 1、図 3)。これは、宮城県以南の本州太平洋側地域でブナ林の成立阻害要因となっている夏期の高温と冬期の乾燥(図 2d)が、ブナ林の分布する高標高域に到達するためと考えられる。本州内陸部や東北の阿武隈や北上山地においては夏期・冬期の乾燥がブナ林の分布を制限していると考えられるが

(図 2c)、将来、降水量が増加しても、気温も同時に上昇するために適域は減少すると考えられる

(表 1、図 3)。将来、WI が 90 を超えて上昇し適域から外れると、

ブナ優占林はほとんど成立しなくなる。このような気候におけるブナの存在形態としては、ブナ個体の分布密度に地形の影響が明確になることや、ブナが他樹種と混交して低密度で生存することがある。前者の例では、栃木県の低地に成立するブナ小林分

(WI 103 ~ 105)で、コナラ林の中で北斜面にのみブナが生育していることが報告されている 42)。後者の例では、阿武隈山地における WI が 100 以上の温暖な地域のブナは、モミ、イヌブナ、コナラ、シデ類などと混交することが報告されている 43)。このように適域から外れたブナは個体密度が徐々に低くなり、WI が 105 ~ 110 以上となる地域では出現頻度が著しく低くなると考えられている 44)。

低山の山頂にのみブナ林が孤立して存在する場合は、高標高への逃げ場がないので、温暖化影響によ

るブナ林の消失が起こりやすいだろう 45)。例えば茨城県の筑波山(877 m)では、ブナ林は頂上周辺にのみ分布しており、分布下限でアカガシと混交している。そのため、ブナ林内へのアカガシの侵入にともないブナの密度が低下する可能性がある。3.6 四国、九州への影響

四国、九州地方のブナ林の分布下限標高は高く、例えば九州北部で約 700 m より上部が、南部では約1,000 m より上部がブナの主要な分布域である 46)。そのためブナ林の面積は小さく、現状では四国で223 km2、九州では 240 km2 である(表 1、図 3a)。これら現存するブナ林の多くは適域からはずれており、適域内に成立するブナ林は四国では存在せず、九州で 4 km2 であった(表 1)。とはいえ四国や九州でも、ブナ林が存在するエリアは存在しないエリアに比較して、分布確率は高くなっている。例えば、四国と九州のブナ林約 463 km2 のうち、確率 0.3 以上の場所が 290 km2 ある。四国や九州のブナ林は人為影響によって減少した可能性があり、このようなブナ林の在データの不足によって ENVI モデルが地域的に予測精度の低下を引き起こした可能性があるので 10)、結果の解釈には注意が必要である。

温暖化後は、RCM と MIROC いずれのシナリオにおいても四国と九州ではブナ林の適域はほぼ消滅すると予測されたので、温暖化に対して脆弱と考えられる。これは、本州太平洋側と同様に、四国や九州でブナ林の成立阻害要因となっている夏期の高温と冬期の乾燥(図 2d)が、ブナ林の分布する高標高域に到達するためと考えられる。ブナの南限が位置する鹿児島県の温暖化影響関数は、降水量変化の影響は少なく、気温の上昇によって適域が減少するという結果を示した(図 5d)。

温暖化にともない、現在ブナ林が広がる標高域にまで WI 90 以上の高温域が上昇すると、アカガシやウラジロガシなどの常緑広葉樹のブナ林内への侵入が起きて、ブナの密度が減少する可能性がある。この地域のブナは、アカガシなどの常緑広葉樹やモミ類などの針葉樹としばしば混生する 47)。九州西南部にそびえる紫尾山(1,067 m)はブナの分布南西限に位置する山で、WI は約 89 であるが、頂部の北西斜面ではブナの密度が高く、反対側の斜面ではアカガシ、ウラジロガシが成立する 48)。一方、分布南限の鹿児島県高隅山系(大蓑柄岳 1,236 m)においてもブナは尾根の北西側で個体数密度が比較的高く、南東側では低いことが報告されている 49)。この半世紀で高隅山系の WI は 15 ~ 20 上昇したと見積もられており、ブナの年輪成長幅は減少傾向にあり、近年の温暖化との関連が示唆されている 50)。

4.温暖化対策としての植生管理と適応策

温暖化により、森林の構成種に消失、移動、加入

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といった変化が起こる。ブナ林保全のための適応策としては、ブナの移動経路を確保するための生態的回廊の設定が挙げられる。温暖化により適域から外れてブナが衰退する地域では、温暖な気候に適するコナラやモミ・カシ類などがブナに置き換われば、森林としての一定の生態系サービスを享受することができるだろう。衰退が進行するブナ林では、変化をそのまま受け入れるのか、ブナ林を維持するための対策を行うかどうかの判断が各地で求められるようになるだろう。どうしてもブナ林として維持しなければならない理由がなければ、植栽等の人為を加えず、森林の変化を見守るためモニタリングしていくほうが賢い選択だろう。モニタリングの場所としては、大きな変化が予測される感受性の高い地域や衰退が予測される脆弱な地域を中心に選定することが望ましい。長期間にわたるモニタリングにより実際の植生の変化を把握しながら、具体的な適応策を検討していくことが重要である。いずれにしても地域の実情に合わせた保全管理計画が必要である。

5.結論

気候と土地的変数を組み込んだブナ林の分布予測モデルである ENVI モデルに、近年公表された温暖化シナリオである RCM20 と MIROC のいずれかをあてはめると、将来のブナ林適域の総面積は減少し、2081 ~ 2100 年には RCM20 では現状の 37%、MIROC では 21%になる。このうち、ブナ林が実際に分布している地域の適域の変化をみると、現在に比べて RCM20 で 21%、MIROC で 4%に減少する。

北海道ではブナ林の分布を制約している冬期の寒さと乾燥が緩和されることから、適域は北方へ移動しながら面積が 120%~ 350%増加するが、同時に断片化する。また、人為的土地利用による天然林の断片化の影響があるため、新たな適域へのブナの移動は困難だろう。本州の日本海側では夏期の高温によってブナ林の分布が制限され、適域が高標高地域へ上昇しながら 9%~ 42%に減少する。実際にブナ林かつ適域である地域は、3%~ 40%に減少する。世界遺産の白神山地周辺では適域面積の著しい減少が予測された。本州太平洋側では主に夏期の高温と冬期の乾燥がブナ林の分布を制限しているが、RCM20 シナリオでは一時的に適域が増加するものの、2081 ~ 2100 年には現状の 19%~ 35%に減少し、実際にブナ林かつ適域である地域は、1%~ 23%に減少する。四国や九州でも主に夏期の高温と冬期の乾燥がブナ林の分布を制限している。ブナ林は高標高地域にのみ分布するため、現状でも適域面積は狭いが、将来はほぼ消滅すると予測された。しかし、ENVI モデルの地域的な予測精度不足に起因している可能性もあるため、結果の解釈には注意を要する。

温暖化により適域から外れて衰退が進行するブナ林では、変化をそのまま受け入れるのか、ブナ林を維持するための適応策を行うかどうかの判断が必要である。どうしてもブナ林を維持しなければならない理由がなければ、植栽等の人為を加えず、森林の変化をモニタリングすることが有効である。

謝 辞

本稿を作成するにあたり、査読者の方々から大変有益なご意見をいただいた。ここに御礼申し上げます。本研究は、環境省地球環境研究総合推進費(S-4)

「温暖化の危険な水準及び温室効果ガス安定化レベル検討のための温暖化影響の総合的評価に関する研究」で行った。

引 用 文 献

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専門は森林植生学、植物地理学、景観生態学。筑波大学大学院生命環境科学研究科博士課程単位取得満期退学後、森林総合研究所にて、地球温暖化の森林への影響評価に関する研究に従事。現在、日本の森林の林床優占種であるササ類を

対象として、その分布を規定する気候要因の解明と、地球温暖化による影響評価の研究を行っている。博士(農学)。

津山 幾太郎Ikutaro TSUYAMA

専門は森林水文学。森林総合研究所関西支所森林環境グループ主任研究官。アメダスと衛星データを用いた積雪の広域分布の推定、粘性圧縮モデルを用いた積雪層の圧密過程の評価、京都府南部の山城試験地において森林の全炭素交

換量の評価、等に関する研究を行っている。

小南 裕志Yuji KOMINAMI

1973 年山形県鶴岡市生まれ。博士(工学)。専門は、環境システム工学、地球環境モデリング。大学在学中より地球温暖化の影響対策に関する統合評価モデルの開発の研究プロジェクトに携わり、地理情報システムを活用した全球規

模の農業・水資源分野の温暖化影響評価手法の開発を担当してきた。最近では、影響予測の不確実性の定量化及びその伝達に焦点を当てて影響評価手法の高度化に取り組むとともに、予期される悪影響を軽減するための適応策の評価についても重要な研究事項と認識している。

高橋 潔Kiyoshi TAKAHASHI

東京都出身。専門は植物生態学・植生学。東京農工大学在学中にブナ林に興味を持つ。環境コンサルタント会社を経て、ニュージーランド・オタゴ大学にて森林生態学を学ぶ。その後、森林総合研究所にて地球温暖化がブナ林に与

える影響についての研究を開始。分布予測モデルによるブナ林の生態的分布適域予測のほか、北限域のブナ林の動態についても研究中。現在、森林総合研究所 北海道支所 森林育成研究グループ主任研究員。博士(農学)。

松井 哲哉Tetsuya MATSUI

専門は森林生態学、農学博士。東京農工大学・東京大学大学院で学ぶ。学生時代に、樹木の分布と気候・土地要因の関係を研究テーマの一つとしていた。森林総合研究所では、1993 年に温暖化影響評価に関する研究プロジェクトに

参加して以来、温暖化影響研究に関わってきた。IPCC 第 3次(2001)と第 4 次(2007)の報告書 WG2 のレビューワー。現在、温暖化影響総合予測プロジェクト(S-4、2005 ~ 2009 年度、環境省)の森林生態系部門の責任者。森林総合研究所主任研究員。

田中 信行Nobuyuki TANAKA

専門は森林生態学、造林学。農学博士。北海道大学大学院農学研究科博士後期課程終了。農林水産省森林総合研究所、国際農林水産業研究センターを経て、現在は森林総合研究所東北支所に勤務。鳥散布種子の発芽など天然更新に関

わる課題と、温暖化の影響を評価する際の土台ともなる植物の分布と気候要因の関係解析などが主な研究テーマ。

八木橋 勉Tsutomu YAGIHASHI