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ブルノから始まる つの 世界遺産への旅

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UNESCOとは、英語の United Nations Educational, Scientific and Cultural Organizationの略で、日本語では国 際連合教育科学文化機関と呼ばれています。国連にある14の 国際的な組織の一つです。 旧チェコスロバキアは1990年に、現在のチェコは1993年にユ ネスコ憲章を採択しており、チェコはユネスコ憲章にある義務を 遵守しています。 トゥーゲンハット邸 ブルノ 開館時間 水曜日から日曜日を含めて10時~18時まで開館 事前予約が必要 トゥーゲントハット邸は2008年12月31日まで開館していまし たが、現在は修復工事が行われています。 トゥーゲントハット邸へのアクセス(ブルノ市内の交通) トラムのチェスカー駅から3、5、11番でジェツカー・ネモツニ ツエ(Dětská nemocnice) 駅まで。所要時間約5分。 邸宅のインテリア

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Page 1: UNESCO_JAP

ブルノから始まる

7つの世界遺産への旅

Page 2: UNESCO_JAP

チェコにおける世界遺産UNESCOとは、英語の United Nations Educational, Scientific and Cultural Organizationの略で、日本語では国際連合教育科学文化機関と呼ばれています。国連にある14の国際的な組織の一つです。

1972年のユネスコ協議会でユネスコ憲章が採択され、1975年に発効しました。世界中にあるさまざまな文化的、社会的な地域または景観が世界遺産として登録されています。これらの地域はユネスコ本部の採択を経て、世界遺産に登録されます。ユネスコ憲章によると、世界遺産がある国、または地域はそれを保護する義務があります。景観や地域などが世界遺産のリストに登録されれば、その国にとっては非常に名誉であると同時に、それらが価値あるものであると認識されたことになります。

旧チェコスロバキアは1990年に、現在のチェコは1993年にユネスコ憲章を採択しており、チェコはユネスコ憲章にある義務を遵守しています。

現在チェコには、以下にあげる12の地域や建築物などがユネスコ世界文化遺産に登録されています。

プラハ - プラハ歴史地区 テルチ - テルチ歴史地区 チェスキー・クルムロフ - チェスキー・クルムロフ歴史地区 ジャール・ナッド・サーザヴォウ  - ゼレナー・ホラの聖ヤン・

ネポムツキー 巡礼教会クトナー・ホラ - クトナー・ホラ歴史地区レドニツェ・ヴァルチツェ地域 クロムニェジーシュ - 大司教宮殿や花庭園、ポッドザーメ

ツカー庭園群 ホラショヴィツェ - 南部ボヘミアの農村リトミシュル - ルネサンス様式の城と歴史地区オロモウツ - 聖三位一体柱   ブルノ - トゥーゲントハット邸トシェビーチ -ゴシック様式の聖プロコピウスのバジリカ式

聖堂とユダヤ人地区

上に述べた12から7つを次のページで詳しく紹介します。もしブルノあるいは南モラビアを旅行したら、ブルノから非常に近いこれら7つの世界遺産を是非とも訪ねてみてください。

チェコには文化的な価値がある場所以外にも、独特な面白い自然(自然保護区)が数多くあり、それらはユネスコ世界自然遺産にも登録されています。世界自然遺産に登録されているのは、クルコノシェ国立公園、シュマヴァ、シェボニュスコの景観, クシヴォクラート地方、パーラヴァとビーレー・カルパティです。

Page 3: UNESCO_JAP

トゥーゲントハット邸 (ブルノ)トゥーゲントハット邸はルートヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエ(Ludwig Miese van der Rohe)というヨーロッパを代表する建築家の作品です。2001年にUNESCO世界文化遺産に登録されました。第2次世界大戦時、トゥーゲントハット夫婦は自分の邸宅の設計をするために当時一番有名だった建築家ミース・ファン・デル・ローエに邸宅の設計を依頼しました。ミースは設計にあたり夫妻が建築費用の上限をもうけなかったために、当時の最新技術をふんだんに利用しました。建物は鉄筋建築で壁を出来るだけ造らず、周辺の自然環境と邸宅とが融合した自由な空間を可能にしました。この設計は建築学の分野における新しい方向性を示し、今日でも 機能主義的建築を代表する建物として知られています。邸宅は三つの部分に別れて造られ3階建てになっています。2階部分は居住区として使われていました。ローエは「自由空間」として、壁によって空間を区切りませんでした。半円形の木造の壁がダイニングスペースとの空間を仕切り、またユニークなオニキスでできた壁がリビングと仕事のためのスペースとを分けています。このオニキスでできた壁は、太陽光線が当たると室内のインテリアを暖かい色で包みます。リビングスペースは巨大な2枚のガラスのみで庭と仕切られており、これらが上の階と庭に面した階とを上下することによって、庭と建物との一体感をかもし出し

トゥーゲンハット邸

ブルノ

Page 4: UNESCO_JAP

ています。ローエはまた、革新的な方法で居住区の暖房問題を解決しました。暖かい空気が地階から空調パイプとボイラー室の壁を伝わって上階へと流れ込むというシステムです。そのために邸宅の地階は、洗濯室や暗室などがある階となっています。三階部分には夫婦の寝室や、子供部屋、それに乳母のための部屋がありました。ミースは邸宅の設計だけではなく、建具、金物や室内の装飾品や照明器具などもデザインも自ら手がけています。いくつかの家具はこの邸宅のだけために作られました。邸宅で使われていた「ブルノ」という椅子と肘掛け椅子は、今日もなお生産されています。1938年にトゥーゲントハット夫婦はスイスのザンクト・ガレンに移住しました。第二次世界戦争の際にはナチスのゲシュタポがこの邸宅を占拠しました。ブルノがナチスの支配から解放される際に、ナチスによってトゥーゲントハット邸は破壊されました。戦後この邸宅は戦前の姿と同じように再建されました。

連絡先:Vila Tugendhat Černopolní 45, 613 00 Brno 電話/ファックス:545 212 118 Eメール:[email protected] ホームページ:www.tugendhat-villa.cz

開館時間水曜日から日曜日を含めて10時~18時まで開館事前予約が必要トゥーゲントハット邸は2008年12月31日まで開館していましたが、現在は修復工事が行われています。

トゥーゲントハット邸へのアクセス(ブルノ市内の交通)トラムのチェスカー駅から3、5、11番でジェツカー・ネモツニ ツエ(Dětská nemocnice) 駅まで。所要時間約5分。

邸宅のインテリア

トゥーゲントハット邸 (ブルノ)

Page 5: UNESCO_JAP

ブルノ市内のみどころ

ゼマノヴァ・カヴァールナ (Zemanova kavárna)1925年に建てられたこのゼマノヴァ・カヴァールナという喫茶店は公園内に位置し、旧チェコスロヴァキアにおいて最初に機能主義のみを取り入れて建てられた建築です。1964年には完全に取り壊されましたが、この喫茶店を設計した建築家ボフスラヴ・フックス(Bohuslav Fuchs)の生誕100年を記念して、1995年に再建されました。

アヴィオン・ホテル (Hotel Avion)アヴィオン・ホテルはチェスカー通り(Česká)にあり、1928年に完成しました。ボフスラヴ・フックス(Bohuslav Fuchs)という建築家の代表的な機能主義作品だと言われています。かなり狭い一区画の敷地に(幅は8.35メートル、深さは34メートル)建てられていますが、その問題を見事に解決しています。

ブルノ国際展示会場 (Brněnské výstaviště, www.bvv.cz)1928年完成した近代の展覧会のために作られたパビリオン群です。ブルノやプラハでの著名な建築家たちが設計しました。敷地内には代表的な機能主義建築が配置されています。例えば記念碑のような形のパビリオン・Aや、パビリオン・ブルノ、またはモラビアパビリオンです。この展覧会場はチェコの建築技術上、大切な地位を占めていると言われています。

コメルチニー銀行 (Komerční banka)コメルチニー銀行は元々モラビア銀行(Moravská banka)と 呼ばれていました。この建物は自由広場(náměstí Svobody)にあって、ボフスラヴ・フックス(Bohuslav Fuchs)とアルノシュット・ヴィースネル(Arnošt Wiesner)の協力で1929~1930年に建設された機能主義建築の中に一番美しい建物の一つです。

ヤナーチェク劇場 (Janáčkovo divadlo)1957年から1966年のモダニズムへの回帰が叫ばれていたとき、ヤン・ヴィーシェック(Jan Víšek)という建築家の設計により建設された劇場です。当時すでに顧みられなくなっていた社会主義リアリズムとソビエト様式の影響を避けられたので、ヴィーシェックは国立劇場の設計を提案して採用されました。

邸宅のインテリア

トゥーゲントハット邸 (ブルノ)

Page 6: UNESCO_JAP

レドニツェ・ヴァルチツェ地域レドニツェ・ヴァルチツェ地域は、世界で一番大きい人為的に作 られた景観の一つです。自然的・文化的・歴史的な重要性 から、1996年にユネスコ世界遺産に登録されました。レドニツェ・ヴァルチツェ地域の景観の面積は約300平方キロメートルです。南にはオーストリアの国境があり、西はパーラヴァ生物生態保護区(Pálava) に囲まれ、西と東にはディエ川(Dyje)が流れています。 レドニツェ・ヴァルチツェ地域の景観の歴史は13世紀から登場します。当時栄華を誇ったオーストリアのリヒテンシュタイン家が南モラビアに最初の土地を買いました。その後領地を広げながら、この地区の景観を変えていきました。リヒテンシュタイン家は、近郊の河畔や森林、農業地域を人為的に作られた景観と美しく完全に一致させました。そしてこの自然と調和のとれた景観に、自らの壮大な邸宅やさまざまな小建築物を繊細な配置で建てました。この地域の再建が行なわれた時に、リヒテンシュタイン家はイギリス風の庭園からインスピレーションを受けました。バロック様式の建築は、ネオゴシック様式として再建されたレドニツェ城や、19世紀のクラシック様式やロマンチック風の建物と接しています。例えば狩猟のための邸宅、ミナレット、アポロ神殿、池の家、ノヴィー・ドヴゥールあるいは新農場、境界の家、三美神の寺院、ヤン城、オベリスク、ランデブーなど、色々な様式は一つの景観にきれいに並んでいます。

ミナレット

レドニツェ城と庭園

ブルノ

レドニツェヴァルチツェ

Page 7: UNESCO_JAP

レドニツェ城  (Zámek Lednice)もともと建てられていた中世の要塞の代わりに、ルネサンス様式の城が築城され、さらに17世紀にはバロック様式の城として改築されました。現在のネオゴシック様式のレドニツェ城 の外観は1846-1858年からで、チューダー式ゴシック様式の影響を受けています。レドニツェ城のバロック式の正面には、独立して立てられた乗馬学校と馬小屋だけが残っています。ネオゴシック様式やロマンチック式はインテリアによく見られます。木彫品は非常に興味深いです。例えば図書館にある木彫りの木造のらせん 階段や、青の間にあるシナノキの格天井や象牙製の「命の木」 または大理石の暖炉などです。

連絡先Státní zámek Lednice691 444 Lednice電話: 519 340 128Eメール:[email protected]ホームページ:www.zamek-lednice.info/zamek.php

開館時間4月と10月 週末のみ開館。9~16時まで9月 月曜日を除く毎日9~16時まで5月~8月 月曜日を除く毎日9~17時まで 昼休み 12~13時まで

ヴァルチツェ城 (Zámek Valtice)ヴァルチツェ城は12世紀ごろに築城されました。1387年から1945年にかけてリヒテンシュタイン家が所有していましたが、何度も再建されています。16世紀後半ルネサンス様式に改築

レドニツェ城

レドニツェ・ヴァルチツェ地域

Page 8: UNESCO_JAP

され、三十年戦争が終ってからは今度はバロック様式の城として建て直されました。その時三つの新しい棟が建てられ、庭園も作られました。18世紀にはヴァルチツェ城と庭園は再配置され、19世紀前半にはリヒテンシュタイン家のヤン1世が、ヴァルチツェの郊外にある景観まで含めた庭園を新しく建設しました。

連絡先Státní zámek ValticeZámek 1691 42 Valtice電話: 519 352 423Eメール:[email protected]ホームページ:www.zamek-valtice.cz

開館時間5月~8月 月曜日を除く毎日9~18時まで 9月 月曜日を除く毎日9~17時まで10月 週末のみ開館。9~16時まで

ブルノからのアクセス車で: 高速道路D2でブラチスラヴァ方面に向かい、41番の出口で降り422号線をポヂヴィン(Podivín)やレドニツェ(Lednice)の方向へ曲がる。全部で56キロメートル。バスで:ブルノのズヴォナジュカ(Brno, ÚAN Zvonařka)バスターミナルからバスに乗りレドニツェ広場(Lednice, náměstí) まで。電車: ブルノ中央駅(Brno, hlavní nádraží)から電車でブジェツラフ(Břeclav)まで行き、そこでヴァルチツェ方向の電車に乗り換える。

4月から9月にかけて、ブルノからレドニツェまでクラシックな電車が運行されています。

ヴァルチツェ城

レドニツェ・ヴァルチツェ地域

Page 9: UNESCO_JAP

レドニツェ・ヴァルチツェ地域近隣のみどころ

ミクロフ (Mikulov - www.mikulov.cz)ミクロフには歴史的に重要なみどころがたくさんあり、112もの遺跡が登録されています。最も美しいのはゴシック・ルネサンス様式の聖ヴァーツラフ教会です。また中心部の広場にあるルネサンス、バロック、古典的な住宅群、それからディトリフシュタイン家の墓、ユダヤ人地区やミクロフ城などもあります。ミクロフ城の一番古い部分は13世紀から残されていますが、多くの部分はすでに何回も建て直されました。例えば城にある円筒状の塔には、前期ゴシックや後期ゴシック様式の部分も残されています。今日では後期バロック様式で建てられた城の内部に、ルセッサンス期に建てられた4つの半円形の要塞が隠されています。 ナ・チュロルデゥ洞窟(Jeskyně Na Turoldu - www.caves.cz)ミクロフの市境にある採石場の近くにナ・チュロルデゥ洞窟の入り口があります。この洞窟はジュラ紀の石灰岩から構成されていて 一般の洞窟にある鍾乳石や石筍銅がない世界的に珍しい洞窟 です。洞窟の壁に細かいくぼみがあり、そこに炭酸カルシウムの結晶が入ったためにできた、きれいな飾りのような模様があります。

スヴァティー・コペチェック (Svatý kopeček)ミクロブから続く十字架の道を歩くと聖墓に到着します。一番高い所に聖セバスチャン礼拝堂と鐘楼があります。スヴァティー・コペチェックという地域は、温帯性植物の保護区です。 

ミクルチツェ (Mikulčice - www.mikulcice-valy.info)ミクルチツェ市から南に3キロメートルのところに、モラバ川の近く6世紀から10世紀にかけて作られた要塞化されたスラブ人の集落の遺跡があります。大モラビア王国時代にはもっとも重要な地域でした。現在でもいろいろな遺跡が保存されています。例えば12の教会の土台、貴族宮殿の基礎、大規模な要塞の跡、三つの橋の土台、2.500以上の露出した墓などが残っています。現在そこでは二つの考古学展示会が開かれており訪れることができます。

ポハンスコ (Pohansko)ブジェツラフという町から南に4キロメートルのところにある、大モラビア王国の要塞化された集落の遺跡です。ポハンスコ要塞として知られています。

境界の家

レドニツェ・ヴァルチツェ地域

Page 10: UNESCO_JAP

大司教の宮殿と庭園群(クロムニェジーシュ)クロムニェジーシュにある大司教の宮殿と周辺の広くてうつくしい庭園群は1998年にユネスコ世界遺産のリストに登録されました。司教や大司教の邸宅として使われていた元々の城とそれからの宮殿の起源や発展はオロモウツの大司教の歴史と密接に関連しています。元は大モラヴィア帝国時代に現在ある宮殿の場所に古い集落がありました。このような場所で13世紀にゴシック様式の城が建設されていました。その後16世紀の最初にゴシック様式の城はルネサンス様式風に再建されました。三十年戦争の際に、スウェーデン軍の攻撃で破壊されてから、カレル2世(リヒテンシュタイン・カステルコルン公家)の司教の命令によって再び建て直されて、最後にバロック様式の豪華な宮殿となりました。宮殿のインテリアはとても美しいものです。それぞれの時代の貴重な歴史的な家具や美術収集が現在まで多数保存されています。宮殿の中でもっとも興味深いのは、例えば謁見の間やホールや狩の獲物を陳列してある部屋、また帝王の間や古代図書館などです。宮殿の絵画コレクションの中に15世紀から18世紀までのヨーロッパで最も優れた画家たちの絵を何枚見つけることが出来ます。例えばティツィアーノ、ルーカス・クラナッハ、ハンス・

クロムニェジーシュ

大司教の宮殿

ブルノ

Page 11: UNESCO_JAP

フォン・アーヘン、パオロ・ヴェロネーゼ、ヤン・ブリューゲルという有名な画家の絵画も見られます。これはチェコで2番目に貴重なコレクションだと考えられています。宮殿の隣にある美しいポッドザーメツカー庭園(Podzámecká zahrada)と、息を飲むようなフランス風の花庭園(Květná zahrada)があります。花庭園はフランス風に作られていて、歴史庭園建築学上貴重なものです。ポッドザーメツカー庭園の最初の役割は、宮殿の住人に新鮮な野菜と花々を供給するのことでした。当時はルネサンス及びバロック風に作られていました。19世紀に再び改築され、その時に現在見られるようなロマンチックな外観となり、64ヘクタールあるイギリス式庭園として新しく再構築されました。花庭園は幾何学的な規則性があり、円形迷路も建てられました。花庭園で興味深いのはライオン噴水とトリトン噴水です。

連絡先Sněmovní náměstí 1Kroměříž 767 01電話/ファックス:573 502 011Eメール:[email protected]ホームページ:www.azz.cz

花庭園にあるロタンダのインテリア

ポッドザーメツカー庭園からの大司教の宮殿

大司教の宮殿と庭園群(クロムニェジーシュ)

Page 12: UNESCO_JAP

開館時間

大司教の宮殿 (Arcibiskupský zámek)4月と10月 9~16時までの時間で週末だけ開館。 事前予約したグループには時間と曜日を問

わず開館する。5月、6月と9月 毎週月曜日と祝日の翌日は閉館。それ以外は

毎日9~17時まで開館。7月と8月 毎週月曜日と祝日の翌日は閉館。それ以外は

毎日9~18時まで開館。

ポッドザーメツカー庭園 (Podzámecká zahrada)年中無休。夏は7~19時まで、冬は毎日7~16時まで

花庭園 (Květná zahrada)年中無休。夏は7~19時まで、冬は毎日7~16時まで

ブルノからのアクセス 車で: 高速道路D1でオロモウツ方面に向かい、230号線の

ヴィシュコヴ(Vyškov)出口で47号線に入りクロム ニェジーシュ(Kroměříž)方向に。全部で67キロメートル。

バスで: ブルノ、ズヴォナジュカ(Brno, ÚAN Zvonařka)バスターミナルからクロムニェジーシュ(Kroměříž)まで。

電車で: ブルノ中央駅(Brno, hlavní nádraží)からコイェティーン駅(Kojetín)まで行き、クロムニェジーシュ(Kroměříž)方向の電車に乗り換える。

花庭園

花庭園の柱廊

大司教の宮殿と庭園群(クロムニェジーシュ)

Page 13: UNESCO_JAP

ブルノからクロムニェジーシュに向かう途中の みどころ

ブチョヴィツェ城(Bučovický zámek - www.bucovice-zamek.cz)ブチョヴィツェ城はモラビアの貴重なルネサンス様式の建築物の一つです。拱廊の付いた中庭や細やかな装飾のスタッコ仕上げの天井などがあります。

ネソヴィツェ (Nesovice - http://nesovice.cz)ネソヴィツェのノヴェー・ザームキ(Nové Zámky)という地区に未完成のルネサンス様式の城があります。チェコで唯一の特別なイタリア風ルネサンス様式の城として建て始められました。現在閉館中。

プスチミェジュ (Pustiměř - www.pustimer.eu)聖ぺトル・パウロ教会の隣にある、聖パンタレオンの円形ロタンダの遺跡。11世紀に立てられ現存しています。

ストジールキ (Střílky - www.korycansko-zdounecko.cz/strilky)ストジールキという町では色々な像で飾った後期バロック様式の面白い墓地があります。

花庭園の柱廊

花庭園

大司教の宮殿と庭園群(クロムニェジーシュ)

Page 14: UNESCO_JAP

聖三位一体の柱 (オロモウツ)オロモウツの聖三位一体の柱はチェコで一番高いバロック様式の最大の彫刻だと考えられています。高さは35メートルで、高い芸術性と造形的な価値のために、他の似たような種類の柱とは大きく異なっています。そのため2000年にユネスコの世界遺産のリストに登録されました。 聖三位一体の柱をオロモウツで建立するアイデアが1716年、石工ヴァーツラフ・レンダーの頭に浮かびました。当時ペストの流行が終り、人々がその喜びとカトリック信仰を祝うために、ヴァーツラフ・レンダーの指揮のもとで建立が始まりました。最初に一階の円形部分を造り、それから様々な職人たちが参加して、1754年までに建立が続けられました。例えばフランチシェック・トネク、ヤン・ヴァ-ツラフ・ロキツキ-、アウグスティン・シュルツなど著名な建築家も参加しましたが、残念ながら彼らは柱の完成を見ることができませんでした。この柱は、ロキツキーの息子ヤン・イグナーツが父親の意志を継ぎ完成させました。フィリップ・サトレルがいろいろな細かい彫刻や飾りを手がけ、彼の死後オンドジェイ・ザフネルと彼の弟子フランチシェック・シェルハウフその仕事を引き継ぎました。 シモン・フォルスットネルという金細工職人は柱の先端にある聖三位一体と大天使ガブリエルの彫像の制作者です。そしてフォルスットネルは、より小さい聖母マリアの被昇天の像も造りました。この2つは銅めっきや金めっきの彫像です。

オロモウツ

聖三位一体の柱:東から

ブルノ

Page 15: UNESCO_JAP

等身大より大きい 18人の聖人の彫像が、柱の3つの層それぞれの角に置かれています。一番上にはイエス・キリストが生きていた時代の聖人の彫像です。次にモラビアとチェコの聖人の彫像が並んでいます。例えば、聖キリル、聖メトディオス、聖ヴォイティフ、聖ヤン・ネポムツキーなどの像があります。一番下には聖ヴァ-ツラフ、聖フロリア-ン、聖ヤン・カピストラーンスキ-、聖アロイズ・ゴンザガの彫像と一緒に、12たいまつを持つ像も見られます。さらに聖三位一体の柱を12使徒の彫像が飾ってあります。聖三位一体の柱が完成してすぐ、オロモウツ司教や枢機卿によって献堂式にはマリア・テレジアとその夫のフランツ公が臨席しました。歴史の本によると、聖三位一体の柱には金貨15万枚もの費用がかかったそうです。また柱の建立には、オロモウツ出身の職人や芸術家だけが関わっていたために、市民はいつもこの柱を市の誇りと感じているそうです。

連絡先オロモウツ市情報センターHorní náměstí – radnice 779 11 Olomouc電話: 585 513 385フックス:585 220 843Eメール:[email protected]ホームページ:www.tourism.olomouc.eu  開館時間:聖三位一体の柱の中の礼拝堂: 4月~9月 - 9時~14時まで

ブルノからのアクセス車で: 高速道路D1でオロモウツ方向に、全部で 80キロメートル バスで: ブルノ・ズヴォナジュカバスターミナル(Brno, ÚAN

Zvonařka)から直接オロモウツまで電車で: ブルノ中央駅(Brno, hlavní nádraží)から直接オロ

モウツ中央駅 (Olomouc, hlavní nádraží)まで

ホルニ-広場と聖三位一体の柱、天文時計と市庁舎

聖三位一体の柱 (オロモウツ)

Page 16: UNESCO_JAP

ブルノからオロモウツへ向かう途中にあるみどころ

スラフコフ (Slavkov - www.slavkov.cz)バロック様式のスラフコフ宮殿の以外に、ユダヤ人の史跡も訪問することが出来ます。スラフコフ宮殿の隣にゴルフ場があり ます (www.gca.cz)。

平和記念碑 (Mohyla míru - www.muzeumbrnenska.cz)平和記念碑はプラツェという小さな村の近くで1805年に行なわれた三帝会戦の戦争犠牲者を祭るために1910-1912年に建てられました。古戦場の隣に三帝会戦についての歴史博物館があります。

ジュラ-ニュ (Žuráň)ジュラ-ニュ山からナポレオンが見たのと同じ三帝会戦の戦場や美しい山々の景色が見えます。それから戦場の細かい模型地図もあります。 

サントン (Santon)ツヴァロジュナーという村の近くに小さな山があります。その小さな山はフランス軍隊の陣地でした。山の上に小さな礼拝堂があり、それからフランス軍やロシア軍の将軍たちの名前と記念のプレートがあります。サントンの近くではフランス軍とロシア軍の戦いがありました。

古い郵便局 (Stará Pošta - www.staraposta.cz)昔この郵便局にナポレオン1世が滞在したことがあります。ホテル・レストラン・歴史的な展示物があります。

オロモウツ中心部、飛行機から

聖三位一体の柱 (オロモウツ)

Page 17: UNESCO_JAP

歴史地区 (テルチ)テルチは南西モラビアにあるチェコの一番貴重な歴史遺産の 一つです。このテルチにある歴史地区は、1992年にユネスコの世界遺産として登録されました。テルチの歴史的な中心部は現在でも、フラヅツェのザハリアー シュ(Zachariáš z Hradce)時代と同じような独特な町の雰囲気を何百年にもわたって保っています。  市の中心部は一方は二つの池に、もう一方は城の要塞部分に あった門に囲まれています。王国の交差路を守る義務があった中世の要塞は13世紀に建てられ、その後16世紀に再建されて、現在見られる外観や構成となりました。フラヅツェのザハリアーシュはイタリアのルネサンス様式の建築学を取り入れ、これをもとに城を改築しました。現在のテルチ城はルネサンス様式の建築学の宝庫です。城には例えば「青の間」や「騎士の大広間」などがあり、そこには目を見張るような木製の格天井や年代物の家具等の貴重な収集物は急に注意を引き付けてあります。城の隣にはおもしろい形をしたイギリス庭園があります。絵のように美しい広場には、ユニークで歴史的な建物がきれいに並んでいます。14世紀の火事で失われた木製の建築物の跡地である細長い土地に、現在の建物が建てられました。特殊な形をしたアーチ道は16世紀に築かれましたが、後で何回も再建されました。この建物には、バロック様式から近代の建築様式

テルチ

歴史遺産の地区

ブルノ

Page 18: UNESCO_JAP

までの様々な影響が見てとれます。広場にもまた、二つの噴水や1720年に造られた聖母マリア柱があります。テルチの一番古い遺跡は13世紀に造られた49メートルの高さを誇るロマネスク様式の塔です。そして、そのそばには15世紀に再建された教会があります。町の南東の端には後期ゴシック様式の要塞や大小の門があります。最後に、もう一つ面白い建物をテルチでは訪問することができます。それは昔のイエズス会の居住地域や教会、それから14世紀の土台がある聖ヤクブ教会です。

連絡先:Informační středisko Městského úřadu Telčnáměstí Zachariáše z Hradce 10588 56 Telč電話: 567 112 407, 567 112 408ファクス: 567 112 403Eメール: [email protected]ホームページ:www.telc-etc.cz

テルチ城の開館時間 ルネサンス大広間 宮殿4月と10月 9-16時 閉館5月~9月 9-17時 9-17時11月~3月 閉館 閉館昼休み 11:45~13:00この期間以外にも、予約をすれば見学することができます。

特別な家、聖マルケータ像と噴水

聖霊の塔

歴史地区 (テルチ)

Page 19: UNESCO_JAP

ブルノからのアクセス車で: 高速道路D1をプラハ(Praha)方面に向かい、Brno-

Kývalkaという182番 の出口で降り、23号線をテルチ(Telč) 方向に。全部で95キロメートル。

バスで: ブルノのベネショヴァ通りにある、ホテル・グランド(Brno, Benešova tř., Hotel Grand)の前のバス ターミナルからイフラヴァ(Jihlava)まで行き、そこで乗り換えてテルチへ。

電車で: ブルノ中央駅(Brno, hlavní nádraží)から出発し、コ ステレツ・ウ・イフラヴィ(Kostelec u Jihlavy)で乗り 換え、テルチへ。

ブルノからテルチへ行くと途中のみどころ

アウトモトドローム・ブルノ(Automotodrom - www.automotodrombrno.cz)アウトモトドロームはブルノから西にある森の中にあります。 このサーキットは毎年8月にMotoGPを開催します。

ロシツェ城 (Rosický zámek -http://zamek.rosice.cz)ロシツェにある貴重なルネサンス様式の城です。美しいルネサンス様式のアーケードやきれいな「帝王の門」などが残されてい ます。

鉄道博物館 (Muzeum průmyslových železnic - www.mpz.cz)バビツェ(Babice)からズビーチョヴ(Zbýšov)までの道路の近く、「インドジフ2世」という名の昔の鉱山の隣に、新しく建設された鉄道博物館があります。

テルチ城の庭園

歴史地区 (テルチ)

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ユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカ式聖堂(トシェビーチ)聖プロコピウスのバシリカ式聖堂とユダヤ人地区にあるユダヤ墓地などの建築物群は、世界遺産に2003年から登録されています。トシェビーチのユダヤ人地区は、ユネスコの遺産リストに登録された、イスラエル以外にある唯一のユダヤ歴史遺産です。トシェビーチは昔、モラビアの重要なユダヤ文化の中心地の一つでした。現在まで残されているユダヤ人地区は、ユダヤ人とキリスト教徒の共同生活についてよく物語っています。13世紀ごろ最初のユダヤ移民がトシェビーチに来ましたが、その後17世紀には大量のユダヤ移住がこの地を訪れています。ユダヤ人地区の曲がりくねった細い道、暗い隠れ家、アーチ形の門、ロマンッチな小広場などが訪れる人々の注意を引きます。現在120もの住宅がユダヤ人地区にあります。そこには、例えば歴史的なユダヤ役所・学校・ラビの家・救貧院などが見られます。ザドニ-・シナゴーグというユダヤ人の礼拝堂は修復が完了しているので、内部の天井や壁に18世紀の美しくユニークなフレスコ画を見ることができます。17世紀にフラーデック丘の中腹の北方にユダヤ墓地が造成されました。墓地の公園には現在3000もの墓があります。1903年に建設された公民館もあり、現在でも古いユダヤ教の規則と習慣に基づいた、さまざまな儀式や葬式などが行なわれています。

聖プロコピウスのバジリカとベネディクト会修道院

ブルノトシェビーチ

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聖プロコピウスのバジリカ式聖堂の起源は、トシェビーチのベネディクト会修道院の歴史とつながっています。もともとは聖母 マリアの被昇天の聖堂として建設され、18世紀の最初の修復後、聖プロコピウスというチェコの聖人が祭っています。聖プロコピウスのバジリカ式聖堂はおそらく1240-1260年の間に一気に建てられました。外見は一般的にはロマネスク様式を取り入れていますが、その後新しく流行したゴシック様式の部分も見られます。最も大切なものは、13世紀後半に作られた北門です。1468年のハンガリー軍の包囲と攻撃で聖堂が破壊された後、何回も修復されました。その後16世紀の半ばに特に宗教的でない出来事と関連しました。チェコの建築家のフランチシェック・マクシミリアン・カンカが1725-1733年に修復をしました。 半分破壊されたボールトをバロック様式のボールトと交換して、西に新しい塔を二つ建設しました。最後の改築は1924-1935年にカミル・ヒルベルットによって行なわれました。

連絡先Informační a turistické centrum Malovaný důmKarlovo nám. 53, 674 01 Třebíč 電話: 568 847 070, 568 610 021 Eメール: [email protected]ホームページ:www.trebic.cz/unesco

ロマネスク様式の教会堂の地下室

ユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカ式聖堂(トシェビーチ)

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開館時間

ザドニ-・シナゴーグ (Zadní synagoga)月曜日~日曜日 9時から12時、13-17時まで

ユダヤ人墓地 (Židovský hřbitov) 日曜日から金曜日までに毎日開館。ただし金曜日の夜から土曜日の夜にかけて閉館5月~9月: 8-20時まで10月・3月・4月: 8-18時まで

聖プロコピウスのバジリカ式聖堂(Bazilika svatého Prokopa)年中:土曜日~月曜日: 13-17時、 火曜日~金曜日:9-12時と13-17時6月~8月: 土曜日~月曜日: 13-18時、 火曜日~金曜日:9-12時と13-17時 

ブルノからのアクセス車で: 高速道路D1プラハ(Praha)方向、Brno-Kývalkaと

いう182番 の出口で降り、23号線をトシェビーチ(Třebíč) 方向に。全部で60キロメートル。

バスで: ブルノ・ズヴォナジュカ(Brno, ÚAN Zvonařka)バスターミナルから直接トシェビーチ(Třebíč)まで。

電車で: ブルノ中央駅(Brno, hlavní nádraží)から直接 トシェビーチ(Třebíč)駅まで

聖プロコピウスのバジリカにある天井

ユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカ式聖堂(トシェビーチ)

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トシェビーチからブルノへ向かう途中のみどころ

ドルニー・コウニツェ城 (Dolnokounický zámek - www.zamekkounice.cz)ルネサンス様式のカバーの下に特有の修道院のような城があります。後期ゴシックやルネサンス様式の外観がよく保存されています。

ロサ・ツォエリ (Rosa Coeli - www.dolnikounice.cz)ロサ・ツォエリというのはドルニー・コウニツェにある、1181~1183年間に建設された今もう廃墟と化したプレモントレ修道院です。またドルニー・コウニツェには修復されたユダヤ教会堂やユダヤ墓地、イフラヴァ川のそばの坂に位置した美しい聖アントニ-ン・パヅアン教会があります。

イヴァンチツェ (Ivančice - www.ivancice.cz)イヴァンチツェ市の重要な建築物は16世紀-17世紀に建てられた塔がある、ゴシック様式の聖母マリアの被昇天教会です。市の中央の広場には歴史的な建物がありますが、最も興味深いのはゴシック・ルネサンス様式の役所です。この役所にはアルフォンス・ミュシャというイヴァンチツェ出身の最も有名な画家についての展示があります。

ジェッズノヴィツェ (Řeznovice - www.kostel-reznovice.isidorus.net)ジェッズノヴィツェでも興味深い建築は、12世紀後半のロマネスク様式の聖ペトル・パウロ教会です。

ザドニ-・シナゴーグのインテリア

ユダヤ人墓地

ユダヤ人地区と聖プロコピウスのバシリカ式聖堂(トシェビーチ)

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聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会 (ジャール・ナッド・サーザヴォウ)

ゼレナー・ホラという丘にある聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会は、建築家ヤン・サンティニ・アイヘル(Jan Santini-Aichel)の代表的建築物です。教会は回廊に囲まれていて、バロック様式とゴシック様式の融合した特別な建築様式で建てられました。教会の建設はヤン・ネポムツキーの列聖式にあわせて1719~1722年に行われました。教会は上から見ると五角の星形になっています。この教会では数字の5が象徴として何回も繰り返し使われています。例えば、教会には五つの門や五つの小礼拝堂があり、主祭壇を5人の天使で飾ってあります。数字の5は聖ヤン・ネポムツキーの象徴の1つです。伝説によるとネポムツキーは、国王ヴァ-ツラヴ2世の后だったジョフィエ妃の告解の内容を知らせるよう迫った国王に対し、その秘密を守るためにヴルタヴァ川に投げられて殉教しました。ネポムツキーが川に投げられたとき、空に五つの星が輝いたと伝えられています。主祭壇には「tacui」と5文字で書かれていますが、これはラテン語で「私は黙った」という意味です。 そして数字の5はまた、キリストの聖痕の数も象徴しています。サ ン テ ィ ニ の 建 築 に と っ て 陰 と 光 は 重 要 な 意 味が あ り ま す。ア ー チ 形 窓 か ら 教 会 の 中 心 ま で 光 がさ す の で 、教 会 内 の 空 間 は 明 るく 風 通 し が と て も

上から見た聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会

ブルノ

ジャールナッド

サーザヴォウ

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よ い た め に 、飾 りとして バ ロ ッ ク 様 式 の 建 築 物 に よく見られるフレスコ画が必要ありません。このような単純で明るい雰囲気の空間が、この教会の美しさを表しています。教会の小さな墓地は10角形の星形の回廊に囲まれています。回廊は天候が悪いときには旅人のシェルターとして使われていました。10角形の星形と5角形の星形は、昔の火事で失われたネポムク修道院と、火事での避難先となったジャール修道院を表しています。その後ネポムク修道院の僧が、避難先となった ジャール修道院を「ゼレナー・ホラ」と改名しました。ヤン・サンティニ作ゼレナー・ホラの聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会は1994年にユネスコの世界遺産に登録されました。

連絡先:Zelená Hora – památkový areál 591 02 Žďár nad Sázavou 2 電話: 566 622 855 教会内の案内所: 724 758 993Eメール: [email protected] ホームページ: www.npu.cz

開館時間5月~9月 月曜日以外毎日9-17時まで4月と10月 土日と祝日の9-17時まで この時期以外でも10人以上のグループで、事

前予約をしてある場合は入場可能

聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会の丸屋根

聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会 (ジャール・ナッド・サーザヴォウ)

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ブルノからのアクセス車で: 高速道路D1でプラハ(Praha)方面へ向かい、162番

の出口で37号線をジャール・ナ ッ ド・サーザヴォウ方面へ。全部で77キロメートル。

バスで: ブルノ、ズヴォナジュカバスターミナル(Brno, ÚAN Zvonařka)からジャード・ナッド・サーザヴォウまで

 電車で: ブルノ中央駅(Brno, hlavní nádraží)からジャール・

ナッド・サーザヴォウ駅まで

ブルノからジャール・ナッド・サーザヴォウへ行く途中のみどころ

ポルタ・ツォエリ (Porta Coeli - www.muzeumbrnenska.cz/predklasteri.htm)ティシュノフ(Tišnov)の近くあるプジェドクラーシュテジー(Předklášteří)という町に面白い建物があります。ロマネスクやゴシック様式の教会ですが、もっとも美しい部分は細かい彫刻で飾られた門です。ポルタ・ツォエリ(Porta Coeli)というのは

「天国の門」という意味です。

騎士ブラニツキ-の洞窟 (Jeskyně Blanických rytířů - www.rudka.cz)スタニスラヴ・ロリーネックが掘った人工的な洞窟です。中には様々な騎士の像があります。ロリーネックは1931年に亡く なったために未完成です。観光ツアーもあります。

コジェネッツ (Kořenec - www.korenec.cz)コジェネッツという村がドラハンスカー・ヴルホヴィナ山脈にあります。そこにはゴルフ場と風車の他、昔の田舎の生活や消防の技術を展示した博物館があります。(www.sokrates-golf.cz)

クンシュタット (Kunštát - www.kunstat-mesto.cz)イジー・ズ・ポディブラッド(Jiří z Poděbrad)はクンシュタット 出身の貴族で、後に1458年から1471年までチェコの国王として君臨しました。チェコの有名な詩人のフランチシェック・ハラス(František Halas)もまたクンシュタット出身で、彼を記念して建てられたホールを訪れることができます。さらに クンシュタット焼きも有名です。(www.kunstatskakeramika.cz).

ペルンシュテイン (Pernštejn - www.hrad-pernstejn.cz)ゴシック様式の大きな城がネドヴェヂツェ(Nedvědice)という町の近くにあります。城はペルンシュテイン家のもので、15世紀と16世紀に建設されました。

聖ヤン・ネポムツキー巡礼教会 (ジャール・ナッド・サーザヴォウ)

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ミクルチツェ・コプチャニ考古学公園ユネスコ世界遺産の候補(ウェブページ:www.mikulcice-valy.info)

ミクルチツェ市から南に3キロメートルのところモラバ川の近くに、6世紀から10世紀にかけて要塞化されたスラブの集落がありました。大モラビア王国時代にもっとも重要な地区の一つでおそらく大モラビア王国の首都だったと考えられています。現在はいろいろな遺跡が保存されています。ここは主要な権力、文化と精神の中心地として知られていました。おそらく聖キリルと聖メトディオス両宣教師が活躍した場所の一つだったかもしれません。ここは10ヘクタールの面積がある、チェコで最大のスラブ遺跡発掘現場です。12の教会の土台、貴族宮殿の基礎、大規模な要塞の基盤、三つの橋の土台、2.500以上の露出した墓などを含めて、そして二つの7~9世紀の考古学的な遺跡についての展示会も訪問することが出来ます。要塞された集落の史跡はミクルチツェ・ヴァリに関する文化的な記念碑(Národní kulturní památka Mikulčice-Valy)として保護されています。1963年に大モラビア王国の記念建造物が建設されました。 ミクルチツェに要塞化された集落が建設されたのと同じ時期に、モラヴァ川の向こうのスロバキアにある河辺では、コプ チャニという村の近くに聖アンティオキアのマルガリタ教会(kostel sv. Markéty Antiochijské)が建てられました。聖マルガリタ教会は大モラビア王国時代から残っている唯一の建物として知られています。ほかの場所では遺跡や土台だけが保存されています。 さらに聖マルガリタ教会も中央ヨーロッパに残された教会の地所の中で最も古いものであると思われて

います。現在南モラビア遺跡保護局がミクルチツェ・コプチャニ遺跡公園を、ユネスコの世界遺産リストに登録する運動をしています。登録に必要な手続きはパリですべて完了しており、2009年の夏ごろにこの遺跡公園がユネスコ世界遺産の一つになるかどうかの結果がでます。

ミクルチツェの 教会の土台

ブルノ

ミクルチツェホドニーン

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D1D1

D2

D5

52

D8ドイツ

ポーランド

スロバキア

オーストリア

ハンブルグまで827キロメートルベルリンまで560キロメートル

ミュンヘンまで590キロメートル

フランクフルトまで734キロメートル

ポズナニまで440キロメートル

ヴロツラフまで245キロメートル

ブラチスラヴァまで120キロメートルブダペストまで355キロメートル

ウイーンまで110キロメートルリンツまで300キロメートルベニスまで850キロメートルローマまで1225キロメートル

プラハ

ピルセン

イフラヴァ

ブルノ

ブルノ

オロモウツ

オロモウツ

オストラヴァ

ジャール ナッドサーザヴォウ

テルチ

トシェビーチ

クロムニェジーシュ

ミクルチツェレドニツェ

ヴァルチツェ

www.jizni-morava.cz

発行元:Centrála cestovního ruchu – Jižní Morava, Radnická 2, 602 00 Brno, 編集:s použitím textů Sdružení České dědictví UNESCO, 写真:© Sdružení České

dědictví UNESCO, 製作:Propag servis Brno, Advertum, 出版:2008年