平成 26 2014)年度 新潟大学人文学部 西洋言語文 …...平成26(2014)年度...

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平成 262014)年度 新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム 卒業論文概要 <英米言語文化> 伊藤 希美 A.A ミルン『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』研究 金野 遥佳 Joanne Harris, Chocolat 研究 齋藤 真実 Arthur Conan Doyle, The Adventures of Sherlock Holmes 研究 澁木 恵子 George MacDonald,The Light Princess”研究 曽我 圭佑 チャールズ・ディケンズ『ハード・タイムズ』研究 中塚 千晶 J.R.R.トールキン『指輪物語』研究 野村 和寛 W.Somerset Maugham, Of Human Bondage 研究 梶浦 有沙 Jane Austen, Pride and Prejudice 研究 森下 大也 アーネスト・ヘミングウェイ『武器よさらば』研究 伊藤 トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』研究 相馬 久美子 マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』研究 榎本 育実 L.M.モンゴメリ『赤毛のアン』研究 滝沢 諒磨 アーネスト・ヘミングウェイ『日はまた昇る』研究 -主人公ジェイクにとっての嫉妬とは- 河内 琢馬 ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』研究 窪田 采莉 スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』研究 <英語学> 反町 優里 On Some Syntactic Differences between English and French 渋谷 智愛 On Complementation in English 坂下 詩穂 On the Distribution of Noun Phrases in English 萩野 里奈 Notes on NP-Movement in English 樗澤 慎吾 Remarks on WH-Movement in English 丸山 Notes on Wh-movement in English 板垣 陽香 Some Notes on WH-Movement in English 加藤 On Existential Sentences in English 加藤 こはる Notes on Ellipses in English 木村 美紀子 On the Nature of Expletive Constructions

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平成 26(2014)年度

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

卒業論文概要

<英米言語文化> 伊藤 希美 A.A ミルン『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』研究 金野 遥佳 Joanne Harris, Chocolat 研究 齋藤 真実 Arthur Conan Doyle, The Adventures of Sherlock Holmes 研究 澁木 恵子 George MacDonald,“The Light Princess”研究 曽我 圭佑 チャールズ・ディケンズ『ハード・タイムズ』研究 中塚 千晶 J.R.R.トールキン『指輪物語』研究 野村 和寛 W.Somerset Maugham, Of Human Bondage 研究 梶浦 有沙 Jane Austen, Pride and Prejudice 研究 森下 大也 アーネスト・ヘミングウェイ『武器よさらば』研究 伊藤 柊 トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』研究 相馬 久美子 マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』研究 榎本 育実 L.M.モンゴメリ『赤毛のアン』研究 滝沢 諒磨 アーネスト・ヘミングウェイ『日はまた昇る』研究 -主人公ジェイクにとっての嫉妬とは- 河内 琢馬 ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』研究 窪田 采莉 スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャッツビー』研究 <英語学> 反町 優里 On Some Syntactic Differences between English and French 渋谷 智愛 On Complementation in English 坂下 詩穂 On the Distribution of Noun Phrases in English 萩野 里奈 Notes on NP-Movement in English 樗澤 慎吾 Remarks on WH-Movement in English 丸山 碧 Notes on Wh-movement in English 板垣 陽香 Some Notes on WH-Movement in English 加藤 優 On Existential Sentences in English 加藤 こはる Notes on Ellipses in English 木村 美紀子 On the Nature of Expletive Constructions

成田 智己 On Comparative Constructions in English 半田 雄大 A Study of Ellipses in English 高世 あゆ実 On the Interpretation of Deleted Constituents 竹内 春奈 Notes on Adverbs in English <ドイツ言語文化> 稲葉 洋希 ドイツ音楽におけるロマン主義のはじまり 佐藤 れい エーリヒ・ケストナーの「不服従」 田中 沙紀 エーリヒ・ケストナー『ファービアン』研究 松田 瑛里子 グスタフ・ラートブルフの思想 紋谷 穂澄 シュティフター『石さまざま』における子供時代と大人の世界の対比 <フランス言語文化> 石川 千晶 エッフェル塔評価についての考察 小川 美穂 フランスにおけるジブリ映画の受容について 佐々木 彩 工芸におけるジャポニスム 堀 雪乃 ケルトと自然信仰に関する考察 <ロシア言語文化> 須藤 沙織 ロシアの色彩文化 若井 良太 映画監督タルコフスキーについて

卒業論文概要 西洋言語文化学主専攻プログラム

伊藤希美 A.A.ミルン『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』研究 A.A. ミ ル ン (Alan Alexander Milne, 1882-1956) の 小 説 『 ク マ の プ ー さ ん 』

(Winnie-the-Pooh, 1926)と『プー横丁にたった家』(The House at the Pooh Corner, 1928)は息子クリストファー・ロビン(Christopher Robin Milne)が持っていたくまのぬいぐるみ

から着想を得て作られた児童文学作品である。本論では、これら 2 作品を対象とし、読者

を楽しませる様々な仕掛けや著者による児童心理への配慮が巧みに施されていることを明

らかにした。そして、その根本的要因が、著者ミルンの徹底した平和主義に見られること

を自伝的背景より考察した。 第一章では、読者を楽しませる仕掛けを、言葉の間違い、歌、物語の構成という観点か

ら捉えた。言葉の間違いは、プー物語の娯楽的要素の中心として挙げられる。物語におい

てこれらが決して訂正されず、間違われたままである可笑しさは、この作品の魅力である。

大人の読者は子ども特有の解釈の仕方を知ることができ、また子どもへの愛おしさも感じ

ることができる。また、プーが多くの場面で歌う歌には、気持ちを表した歌やその場の状

況を歌った歌などがあり、物語とうまく調和している。そして、シェパードが描く挿絵や

ミルンの表記の工夫によって、読者は視覚的にも楽しむことができると分かった。 第二章では、児童心理への配慮とともになされた文学的工夫を明らかにした。物語には

ユーモラスな失敗が多く描かれている。しかし失敗があっても心温まるエピソードとなっ

ているのは、他人の失敗を責めるキャラクターや、不幸になるキャラクターが存在しない

からである。これによって子どもの読者は失敗に対する恐怖心が無くなり、安心感を持つ

ことができる。ここにミルンの児童心理への配慮が窺える。このように第一章と第二章の

細かな分析から、ミルンは子どもの理解可能な範囲や子どもなりの解釈を適切に捉え、真

の子どもの姿を念頭に置いていると言える。 第三章では、ミルンの生い立ちと作品との関連を考察した。これら 2 作品が第一次世界

大戦後に書かれたことを考慮すると、ミルンが陽気で心温まるプーの世界を創作すること

ができたのは、強く平和を望む気持ちがあったからだと考えられる。プー物語では「騙す」

という行為は全て失敗に終わり、悪意をもった行動をするキャラクターはいない。そのた

め、物語はいつも平和に終わり、穏やかな日常が繰り返される。ここにミルンが理想とす

る世界を見出すことができるのである。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

金野遥佳 Joanne Harris, Chocolat 研究

ジョアン・ハリス(Joanne Harris, 1964-)の『ショコラ』(Chocolat, 1999)は、放浪生活

を送る母子と対立する神父を描いた物語である。本論では、作品中におけるジプシーの男

性ルーの重要性を明らかにした。また、ルーの行動が神父と対照的であることから、この

二人を比較し神父が抱えるジレンマを論証した。 第一章では、ヴィアンヌ母子とルーの出会いに焦点を当てた。ヴィアンヌは村でチョコ

レート店を開き、チョコレートの甘い癒しとそれを媒介とする巧みなコミュニケーション

能力で人々の問題を解決していく。彼女は宗教や伝統にとらわれない自由な考え方をし、

村を統率する神父にとって邪魔な存在であった。中盤から登場するルーはジプシーである

ため村から嫌われるが、ヴィアンヌは彼に親切にする。ルーは彼女に対し、はじめは不信

感を抱いていたが、彼女の誠実さと優しさを知り、心を開いていく。ルーとの関わりによ

ってヴィアンヌはたくましさを増し、神父のジレンマが露呈されることとなった。 第二章ではルーへの村の人々の態度が、ヴィアンヌを介して変化する様子を取り上げた。

人々はジプシーを嫌がり、神父は彼らを拒否するように指示した。だがヴィアンヌはジプ

シーに優しく接し、神父は危機感を覚えるのであるが、相反して彼女と親しい村の人々も

ルーを受け入れていく。ヴィアンヌを介すことで村人たちがもつルーへの偏見や抵抗が消

えていく様子を、それが特に顕著なジョゼフィーヌの例を取り上げて説明した。 第三章では、女性の強さを描く著者が男性の神父とルーに描く男性像を比較した。ヴィ

アンヌは神父にとっては不道徳な邪魔者、ルーにとっては仲間から大切な存在となってい

く。娘アヌークへの接し方では、神父はもともと子どもが好きではないのだが、アヌーク

は母親の特異性を受け継いでおり、嫌悪を増す存在となる。一方でルーは複雑な境遇にあ

るアヌークを気遣いながら遊び相手となり、元気づける。これは母親のヴィアンヌにとっ

て心強いことである。ルーがヴィアンヌを避けてもアヌークとは会う場面では、ヴィアン

ヌを気遣うルーの心境が間接的に伝えられ、彼の優しさとアヌークへの信頼が表れている。

ルーと神父の相違は、老婦人アルマンドが倒れた場面においてさらに決定的なものとなっ

ている。ルーはそれに一番に気づき、懸命に救助しようとした。アルマンドは意識を取り

戻したのだが、後から来た神父はルーに感謝することも、アルマンドの心配もしない。殺

人を疑われかねないルーを信じて守ったヴィアンヌの様子も描かれ、ルーとヴィアンヌの

信頼関係が深められていくことが分かる。

以上よりルーは、主要な登場人物ではないが重要な役割を果たしているといえる。ヴィ

アンヌが敵対者に屈せず、正しいと考えるままに行動する支えとなる男性がルーであり、

アヌークにとっては友達であり父親のような存在でもある。加えて、神父が村の人々の

“Father”(父親/神父)となりきれずにいる苦悩が示唆されている点でもルーは重要な比較

対象である。ルーはヴィアンヌとともに新たな発想を示し、同時に良きパートナーとして

物語の展開を支えている。

卒業論文概要 西洋言語文化主専攻プログラム

齋藤真実 アーサー・コナン・ドイル『シャーロック・ホームズの冒険』研究

アーサー・コナン・ドイル(Arthur Conan Doyle,1859-1930)の『シャーロック・ホームズ

の冒険』(The Adventures of Sherlock Holmes,1892)は、主にホームズの助手ワトスンの一人

称により語られる。本論文では、ワトスンは語り手としてどのような役割を果たしているのか、

ワトスンの語りは信頼できるのかということを明らかにした。

第一章では、ワトスンの語りの問題点として、本作における矛盾や誤りを分析した。物語に

おける矛盾点は推敲上の誤りで、ホームズ物語の正確さに注意を払わなかったために起きた単

なるドイルの誤りであることがわかった。ワトスンの性格は誠実な人物として描かれており、

読者を誤った方向へ導く創作上の意図や役割は見られないことから、ワトスンは信頼できる語

り手であると考えた。

第二章では、ワトスンの語りの特徴を分析し、どのような効果をもたらしているか考察した。

その特徴として、語られざる事件への言及、ホームズへの賞賛の言葉、終盤にホームズのトリ

ックを暴露し驚くような結末を演出する語り口、ホームズとのやりとりにおける疑問のなげか

け、簡潔な表現の仕方を読み取ることができた。これらの特徴から、物語にはよりリアリティ

が生まれ、あたかも読者がホームズと共に冒険へ出かけているような感覚をもたらす効果、軽

快に物語を読み進めることができる効果、ホームズの見事な推理と洞察力を私たちに存分に堪

能させる効果があると考察した。また、ホームズによるワトスンの文章や修辞に対する批判に

より、ワトスンを信頼できない語り手と考えることができるか検討した。第一章の結論や、ホ

ームズの自尊心が高く負けず嫌いで、褒め言葉に弱いという性格をふまえると、批判の言葉は

ワトスンの語りの信頼性を疑うものではなく、ホームズの照れ隠しまたはワトスンの人気に対

する嫉妬から発せられた言葉であると考え、第一章の結論を肉付けする形となった。

シャーロック・ホームズ物語には、ホームズや全知の語り手が語る作品もある。第三章では

それらの物語をワトスンが語る物語と比較した上で、ワトスンは語り手としてどのような働き

をしているのか考察した。ワトスン以外の語り手と比較することで、第二章で論じたワトスン

の語りの特徴と効果が特異で優れていることを論証した。

以上のことから、ワトスンは信頼できる語り手であり、シャーロック・ホームズをヒーロー

に仕立てた名脇役であるということが明らかとなった。シャーロック・ホームズ物語は、ホー

ムズでも、全知の語り手でもなく、ワトスンによって語られたからこそ、シャーロック・ホー

ムズを有名な人物にすることができたのである。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

澁木恵子 George MacDonald, “The Light Princess”研究

George MacDonald(1824-1905)初の子供向け妖精物語となる“The Light Princess” (1864)は、度重なる改編によって刊行物ごとに収録形式や読者層が異なっていた。そのため、

各版の内容や挿絵の違いに着目した先行研究が多く、物語自体に言及したものは少ない。

そこで、本論では作品のテーマである“light(ness)”に焦点を当て、その主題の多義性を明ら

かにした後、登場人物や場面設定などとの関係性を詳細に検討した。 この物語は、王女の呪いで心身共に「軽く」なった姫が「重さ」を取り戻すまでを描い

ている。しかし、事の発端は王と王妃が娘の洗礼式に彼女を招待し忘れたことにある。王

女は父からも忘れられており、親族からの「軽視」に立腹していた。そこで、彼女は弟や

父、義妹らに憤りを覚え、姪の「軽さ」によって相手を翻弄・拘束し、その未来を奪うた

めに復讐を図った。その一方で、王女は自身の代理人である姫には、その精神的「軽さ」

ゆえに、両親の不和や不誠実な態度に悩まなくて良いというメリットを残している。つま

り、王女には復讐者の一面と、姫に情を見せる「母」の一面があるといえるのである。 姫は「軽い」まま成長し、王女の報復は順調に進んでいた。しかし、事態は王が姫を湖

に「落とした」ことで一変する。姫にとって「落ちる」ことは「重さ」の回復を意味する。

王の軽率な行動によって姫が「重さ」を知ってしまったため、王女は湖を含む国中の水源

を枯らし、憤怒して国の壊滅と引き換えに男性の生贄を強請した。彼女の言動は、生贄と

の性交渉を経て「母」となるか、或いは王から奪った「父」の座に就き、姫の純潔を守る

ためだと解釈できる。ここで、王女は私欲に動く、完全な復讐者となっている。そして、

この呪いは王子によって解かれた。彼は初め、森で迷子の状態で登場したが、これは「場

所」による「軽視」の表れである。作中では多くの登場人物から思慮がなく気紛れで、不

真面目であるという様々な精神的「軽さ」が読み取れるが、このことから「軽さ」は場所

にも影響しているといえる。彼は彷徨った末に湖に辿り着き、そこで出会った姫に恋をす

る。以降、舞台は森から湖に移るが、これは、王子が意中の姫と関係の深い湖ほどの価値

を森に見出せず、「軽視」したためであると考えられる。その後、彼は自らの命を犠牲に姫

の愛する湖を復活させた。それを見た彼女は、王女の呪いで汚れた湖を去り、新たな生活

の拠点となる宮殿に戻って懸命な看病を始めた。その際、姫は王子を寝台に寝かせている

が、これは擬似的な性交渉を経ることで、王女から彼を完全に奪還するためであるといえ

る。そして、王子は蘇生し、姫自身もまた「軽さ」の呪いから解放されるのである。 さらに「軽さ」は名前にも関係している。本作の名のない人物には、読者が作品に集中

できる環境を整え、本来持つべき「重さ」がない異常さを強調する機能が備わっている。

また、名を持つ者の呼称の変化は、「非常識」を象徴する名無しの姫が「重さ」(常識)を取

り戻すことで、それまでの「常識=名がある」という価値観が転覆したことを表している。 以上より、本作品の“light(ness)”は、王女の呪具や、姫の身体的・精神的特徴を示すだけ

でなく、他の登場人物や場面、名前など、物語の細部にまで影響を及ぼしているといえる。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

曽我圭佑 チャールズ・ディケンズ『ハード・タイムズ』研究 チャールズ・ディケンズ(Charles Dickens, 1812-1870)の『ハード・タイムズ』(Hard Times,

1854)は、彼が実際に工業都市プレストン(Preston)を調査した後、功利主義思想に影響され

た教育や功利主義者の醜さ、労働者階級の苦しみなどを描いた作品である。この物語では、

グラッドグラインド一家を中心とする感情を無視した教育によって子供たちが間違った人

生を歩んでしまい、その教育の失敗を悟ったグラッドグラインドが葛藤の末、良き父へと

変化していく姿が描かれている。この作品に関しては、「事実」と「空想」の対比など、抽

象的な概念に当てはめる研究が多く行われ、そうした批評の流れから、登場人物たちも類

型化されて解釈されることが多かった。よって、本論では、登場人物たちの性格の複雑さ

をそれぞれ詳細に調査し、その複雑な人間性をもった人物造形の意義を考察した。 第一章では、先行研究において安易に類型化されがちな四人の登場人物たち(グラッド

グラインド、バウンダビー、ブラックプール、ハートハウス)の性格を再検討した。バウ

ンダビーは労働者に対して冷淡である一方で、グラッドグラインドやスパーシット夫人に

は信頼や敬意を見せるなど、人として様々な感情を持っており、また、その他の登場人物

たちも随所で表向きの性格とは別の一面を垣間見せていた。さらに、登場人物たちは後に

性格を変化させる兆候を示していたことも明らかになった。すなわち、登場人物の性格は

複雑かつ深遠であり、これまでの類型化による解釈では不十分であったことが論証された。 第二章においては、ルイーザの精神崩壊により生じる様々な葛藤によって、第一章で取

り上げた登場人物たちの性格が変化していく様子を分析した。高慢なバウンダビーは自ら

の生い立ちと母親に仕送りをしている事実を暴露されたことで、今まで見せなかった弱さ

を示し、従順なブラックプールは銀行強盗の罪を着せられたことへの激しい憤りを見せる

など、彼らの隠された人間性が露見した。その他にも、グラッドグラインドの思いやりや

ハートハウスの羞恥心などの感情が見られた。また、その人間性の中でも他人への思いや

りが特に強調されて表現されて描かれていた。様々な経験を通して登場人物たちが示した

これらの性質は極めて根本的な人間性であり、ディケンズは人々に対して誰もが持ち合わ

せているこの複雑な人間性を理解し、人としてお互いを尊重し合うことを望んだのである。 第三章においては、功利主義と作品との関係を考察した。先行研究においては、ディケ

ンズの労働者階級に対する知識の乏しさが批判の対象となっていた。しかし、彼の主観が

極端に反映された架空の町コークタウンは、功利主義への危機感をより端的に生み出すた

めのものであった。さらに、ディケンズの功利主義に対する考え方が登場人物たちの造形

にどう影響を与えているのかを分析した。Geoffrey Thurley は、グラッドグラインドは事

実教育者としての本当の彼と父親としての彼に二分してしまっているという見解を述べて

いる。この考えはバウンダビーなど他の登場人物にも当てはまる。つまり、功利主義思想

が人物造形に入り込むことで、ディケンズの描く複雑な人間性が見えにくくなってしまっ

ていた、ということであったのである。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

中塚千晶 J. R. R.トールキン『指輪物語』研究

J.R.R.トールキン(John Ronald Reuel Tolkien, 1892-1973)の『指輪物語』(The Lord of the Rings, 1954-1955)は、持つ者を支配し堕落させる魔法の指輪が破壊され、人間の世が

訪れるまでを描いた物語であり、善と悪や個人の内なる欲望との戦いが描かれている。本

論文では、指輪の力が人物によって異なる影響を与えている点に注目し、各登場人物の指

輪の支配に屈する、あるいは耐えうる潜在的資質について論証した。 第一章では種族と指輪の観点から、無力なホビット族が指輪所持者となった理由を考察

した。ホビット族の存在を他の種族が知っていることは稀であり、そのことが指輪を悪の

手から隠すには絶好の条件であった。また、ホビット族が他の種族と決定的に異なるのは

お互いを同等と捉え、主従関係をもたない点である。こうしたホビット族の独自性は、他

の種族に比べ、彼らが権力や支配欲とかけ離れているということを示している。 第二章と第三章では、各登場人物の受ける指輪の影響の違いと、作中での位置づけ、人

格や能力といった潜在性との関わりを分析した。作中では指輪を目の前にした時やその存

在を知った時に個人の内なる欲望が露わになるが、ここに個人の潜在的資質とのつながり

がある。慈悲深いガンダルフは弱き者を救うために、勇敢な戦士ボロミアは祖国を救うた

めに指輪を所有したいと考えており、これらは彼らの生来の人格、能力に結びついている。

指輪は個人が内にもつ何かの目的や欲望に働きかけてそれを顕在化させ、所有の目的を正

当化させている。また、指輪を拒む時の選択にも潜在的資質は関わっており、トールキン

は指輪に抗う者と屈する者を、類似した人物の対比によって描いている。ガンダルフとサ

ルマン、ボロミアとファラミアは互いに対であり、上昇志向が強く高圧的なボロミアやサ

ルマンは堕落するが、他者に対し常に敬意を払い、己の力の限界を知り、その中で何をす

べきかを心得ているガンダルフやファラミアは指輪を拒否する。内なる欲望に対抗できる

潜在的資質とは己の本分を見失わずに自己の使命を果たそうと努める素質であると言える。 第四章ではトールキンが指輪の文化的背景をどのように作品に関わらせたのかを考察し

た。古来より指輪には欲望をかきたてる物としての一面があり、指輪を通し欲望と戦う者

の姿がそれを反映している。また、彼は多くの神話や文学、キリスト教に影響を受けてお

り、彼の創作目的ならびに終末観である“eucatastrophe”(幸せな大詰め)はフロドが故郷を

去るのと同時に平和が保たれる結末に顕著に表れていることを明らかにした。 トールキンは指輪の所有を正当化しようとする登場人物の思考、人格、欲望から善と悪

が一体何であるかを描いている。ボロミアの正義感やガンダルフの慈悲、フロドの使命感

は一見善であるが、見方によっては自己顕示欲にもつながりかねない。また、悪のように

見えたゴラムが結末では善を達成する。トールキンは善や悪の明確な区別をせず、各登場

人物の欲望や結末を通してその境界をスリリングな紙一重の変化にしているのである。善

と悪の二元論で評価されがちな『指輪物語』だが、善と悪の識別は容易ではなく、ほんの

僅かな差によってどちらにもなり得る可能性を秘めていることが示唆されているのである。

新潟大学人文学部 西洋言語文化主専攻プログラム

野村和寛 W. Somerset Maugham Of Human Bondage 研究 モーム(W. Somerset Maugham, 1874-1965)の『人間の絆』(Of Human Bondage, 1915)

は、足に障害を持つ主人公フィリップがドイツやパリ、ロンドンなど各地を転々としなが

ら多くの人と出会い、屈辱的な恋愛を経験したり夢を諦めたりするなどの人生経験を経て

サリーという純朴な女性と結婚する物語である。本論では、この作品においてこれまで人

間を束縛するものとして見られてきた絆(Bondage)を再検討することで、多くの読者が不満

を持ったという結末の必然性について検討した。 第一章では、フィリップの人生を大きくキングズ・スクール時代、ドイツ時代、パリ時

代、ロンドン時代の四つに分け、それぞれの時代で物語に登場する多くの登場人物の中か

らフィリップに特に強い影響を与える人物たちについて検証した。フィリップはこれらの

人物と関わり合い、定説通り絆に束縛される経験も持ちながら多くの人生を見る。またフ

ィリップは、クロンショーを含むフォアネ氏、デュクロ氏という三人の先達に出会う。こ

の三人は同様に若い頃には将来への意欲に燃え、結果として人生に裏切られ、今は不遇な

生活を送っている。これらの人物はフィリップの人生の行く先を暗示する人物たちであり、

人生を情熱に任せた末の悲惨な結末を提示するものである。 第二章では、フィリップの両親や伯父、伯母などの家族、そしてサリーと結婚すること

によって家族となるアセルニー氏について検討した。物語の登場人物は家族の絆が薄く、

またフィリップが貧民街で見る家族たちも子供の誕生を悲観的にとらえるなど絆は強くな

いのであるが、アセルニー一家は貧しく、かつ沢山の子供がいるにも関わらず家族の絆が

非常に強く、その点において物語の中で際立った存在である。この一家と一緒に故郷の原

風景とも言えるホップ畑に出かける事で、フィリップの中に家族への憧憬が生まれるので

ある。 第三章では、物語の中に散見される、結末を自然なものとする要因を検証した。フィリ

ップは両親をはやくに亡くしており、足に障害を持つという特殊な環境に生まれ、愛情を

感じることなく育った。つまりフィリップは幼い時分から他人とは異なった存在だったの

である。いじめにあってその傾向は強まり、各地を放浪している間も強い絆を持つことは

なく、ある種のはみ出し者のまま人生を生きていた。しかし自分の不具を受け入れ、サリ

ーと結婚するという万人と同じような行動をとることによって、万人と異なった存在であ

ることを辞めるのである。そして同時に結婚は、フィリップに新たな家族をもたらし、母

の死以来今まで失っていた強い絆をもたらす。この結末においてフィリップは絆を断ち切

るよりむしろ絆の中へと自らを投じていくのである。 以上述べてきたように、絆は人を束縛するような一面もある一方で、フィリップの場合

は絆の中に幸福を見出している。主人公フィリップの幸福は、あらゆる絆を断ち切る事で

はなく、むしろ絆への回帰であり、平凡さへの回帰であるため、結婚という平凡な結末は

物語の結末としてごく自然であり、ふさわしいのである。体の不具という生まれ持った特

殊性、幼い頃の両親との死別という特異な環境設定から始まるこの物語は、特殊から一般

への回帰の物語なのである。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

梶浦有沙 Jane Austen, Pride and Prejudice 研究 ―作品における結婚の意味―

ジェイン・オースティン(Jane Austen, 1775-1817) による『高慢と偏見』(Pride and Prejudice, 1813) は、主人公エリザベスが結婚をめぐって葛藤を繰り返しながら成長する過程を描いている。

作品では彼女と金持ちの独身男性ダーシーが結婚する以外にも三組のカップルが結婚に至る。こ

れらはメインとなる二人の結婚とは対照的に描かれており、エリザベスの道徳的成長を際立たせ

ている。本論では作品の主題である結婚が、いかに登場人物たちの人間性を暴き、主人公エリザ

ベスの道徳的な成長過程と深く結びついているかを明らかにし、そこに投影された作者の人間観

を考察した。 第一章では、メインキャラクター以外の三組の結婚を分析した。三組の結婚は、人間観察力に

優れていると自負するエリザベスによって批判的な姿勢で受け取られている。それらは、妹リデ

ィアとハンサムな陸軍士官ウィッカムによる情熱の勢いのみによる結婚、友人シャーロットとコ

リンズ牧師による打算的で愛情のない結婚、姉ジェインと隣人ビングリーによる相互理解や成長

の少ない結婚、のことである。これらはメインキャラクターのカップルが、作者の考える理想の

人間の在り方を体現していく過程を前景化する役割を果たしていることが明らかになった。また、

登場人物の人間性がそのまま反映されたような三組のカップルの結婚生活はエリザベスの目には

決して魅力的に映らない。このことから、結婚は登場人物の人間性を描き出すための指標として

用いられていると考察した。 第二章では、エリザベスとその結婚の描かれ方について分析した。エリザベスは作品全体で自

由間接話法によって全知の語り手と視点を共有している場面が多く見られる。これは、単に全知

の語り手が彼女の心情を代弁しているだけでなく、エリザベスが物語世界において冷静で優れた

洞察力を持つ人物であることを意味していると捉えた。また、エリザベスの結婚は、当事者の二

人が互いの偏見や誤りを認め、道徳的成長を経た上で至る幸せとして読めることを論証した。し

たがって、作品を通して、作者が理想の人間像をエリザベスに見出す仕組みがなされており、結

婚に至るまでの彼女の成長が作者の人間観を強く体現していると考察した。 第三章では、エリザベスの道徳的成長とは何かを分析したうえで、作品で示される結婚の意義

について考察した。結婚への過程でエリザベスに大きな変化があったのは、最初に自負していた

人間観察力には偏見があることを認め、他者を理解しようとする試みが生まれた点だと考えられ

る。また、エリザベスの結婚で表されている愛情は、尊敬(respect)や感謝(gratitude)などといっ

た恋人同士に限定されない人と人の間に生まれる根本的で崇高な感情であった。したがって、作

品における作者の主な関心は、自己と他者の交流によってもたらされる主観的認識の変化であり、

結婚はこうした人と人のあるべき関わり合い方を描き出す上で効果的なテーマであったと結論付

けた。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

森下大也 アーネスト・ヘミングウェイ『武器よさらば』研究 本論文の目的はアーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway, 1899-1961)『武

器よさらば』(A Farewell to Arms, 1929)における主人公フレデリックの愛情の変化、

ヒロインのキャサリンとの婚約から死別までの恋愛の変化を、本文の分析やヘミング

ウェイの他の作品との比較、彼の人生と思想をもとに考察するものである。 第 1 章ではフレデリックとキャサリンの恋愛がなぜ短期間で始まるのかという疑問

について、『武器よさらば』の背景を物語る作品として論じられることが多い『日は

また昇る』と、ヘミングウェイの恋愛観からアプローチした。『日はまた昇る』のジ

ェイクとブレットの恋愛を分析してみると『武器よさらば』同様に 2 人の恋愛が出会

って間もなく始まるという類似点が見出される。またヘミングウェイは作品に自らの

人生や体験を描くことが多く、彼の作品の主人公は彼自身であるという先行研究を参

考に、ヘミングウェイの恋愛観を彼のインタビューや伝記的事実から分析し、主人公

フレデリックの恋愛観との比較分析を行った。その結果、ヘミングウェイが若い頃、

女性と関係を持つことを非常にライトに考えており、このことがフレデリックの恋愛

に対する考えの軽さと一致すると主張した。 第 2 章ではフレデリックの恋愛がなぜ遊戯的なものから純粋なものへと変化したの

かという疑問について考察した。まずは彼の愛がどのように遊戯的であるのかをフレ

デリックとキャサリンの会話や彼が語ったことから分析した。その結果、2 人の愛に

は「軽い」愛と「重い」愛という対比が見られる、つまり、フレデリックの遊戯的な

愛に対し、キャサリンの愛は純粋なのである。次にフレデリックが遊戯的な愛から純

粋な愛へと移行する過程の分析を行った。ヘミングウェイとキリスト教との関係を彼

の人生や『日はまた昇る』から考察した。そして『武器よさらば』で語られているキ

リスト教の役割について本文をもとに分析した結果、フレデリックのキャサリンに対

する愛情の変化とフレデリックのキリスト信仰の始まりという 2 つの出来事に関係性

を見出し、キリスト信仰の始まりを愛情の変化の要因の一つと結論付けた。また風景

を象徴とみて、風景と神父が語る「神の愛」がフレデリックの心情に変化をもたらし

たという先行研究との相違点についても言及した。 第 3 章ではフレデリックとキャサリンとの婚約から死別に至る筋立てが作品にどの

ような効果を与えるかを分析した。夫婦をテーマにしているヘミングウェイの先行作

品には悲劇性が存在し、ヘミングウェイ自身も男女の恋愛の結末には幸福はあり得な

いという考えの持ち主であったことから、『武器よさらば』におけるフレデリックと

キャサリンの恋愛と悲劇性との関連を分析した。また作品内におけるキリスト教の役

割に注目し 2 人の恋愛の悲劇性とキリスト教との間に相関関係を読みとった。そこで

キリスト信仰の有無が 2 人の悲劇的な結末を導く一つの要因であるという結論に達し

た。また『武器よさらば』が生と死の繰り返しであるという先行研究を参考に、婚約

と妊娠、出産、死別をそれぞれ生と死の役割に分類し、加えて、生と死の繰り返しの

要因についても分析、そこにも宗教的思想が関係していることについて言及した。 以上のように、主人公フレデリックの愛情の変化、ヒロインのキャサリンとの婚約

から死別までの恋愛の変化について分析を行った結果、『武器よさらば』はヘミング

ウェイの先行する作品や彼の人生経験、思想が大きく影響している作品であるという

結論に達した。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

伊藤 柊 トルーマン・カポーティ『ティファニーで朝食を』研究 トルーマン・カポーティ(Truman Capote, 1924-1984)の中編小説、『ティファニーで朝食

を』(Breakfast at Tiffany’s, 1958)は、ニューヨークで自由奔放に暮らすホリーとの思い出

を、語り手である「私」が回想する形で描かれている。ホリーは自分に正直で、自由気まま

に生きているという強さが感じられるが、兄であるフレッドの死を知り悲しみに暮れるよう

に、ホリーには人間としての弱さも持っていると考えられる。そこで本論文では、ホリーの

魅力を「強さ」、彼女が見せる悲しみや嫌悪感を「弱さ」と仮定した上で、その二面性に着

目し、カポーティはホリーに二面性を持たせることで、読者に彼女をどのような存在として

印象付けたのかを明らかにしようとした。 第 1 章では、ホリーの「強さ」について分析し、その意義を考察した。「強さ」を構成す

る一つ目の要素は自由性である。ホリーの名刺には”Miss Holiday Golightly, Traveling.”と書かれており、1つの場所には留まっていないことが読み取れる。また誰かに所有されるこ

とを嫌い、ホセとの結婚が破談になりブラジルに逃亡するという結末は、彼女の永続的な自

由性を表していると捉えられる。読者にとって自由は何らかの代償をなくしては手に入れら

れないものであり、それを体現しているホリーに魅力を感じるのである。そしてもう一つの

要素は逞しさである。ホリーは両親を早くに亡くし、生きるため、そして兄のフレッドを助

けるために 14 歳の時に獣医のドックと結婚するという根性を持っているのである。また、

ホリーが生きているのは夢でもファンタジーでもなく、読者と同じ厳しい現実社会であるこ

とから、彼女の逞しさが読者を惹きつけるのだと結論付けた。 第 2 章では、ホリーの「弱さ」について分析し、それが「強さ」とどう関係しているか

を考察した。ホリーは獣医ドックと再会した時に嫌悪感を見せたことから、彼女にとって過

去は「弱さ」を暗示するものであると考えられる。また、兄のフレッドはホリーにとって心

休まる唯一の人物であり、彼の死を知り悲しみで錯乱状態になることから、愛への欲求と孤

独も「弱さ」であると捉えられる。以上を踏まえ、ホリーの「強さ」と「弱さ」の関係性を

考えると、彼女の「強さ」である自由性と逞しさは「弱さ」である過去からの脱却・克服に

起因していることが分かり、まさに表裏一体な関係であることがわかった。 第 3 章では、カポーティとホリーの類似点を挙げ、彼自身も二面性を持っていたことか

ら、ホリーはカポーティの分身である可能性を指摘した。そして二面性を持つことで、内面

が非常に複雑化され、それによって不安定さをイメージさせることで、ホリーの存在がいか

にもろく儚いものであるかという印象を与えていると結論付けた。 以上より、ホリーの二面性である「強さ」と「弱さ」が表裏一体の関係であること、この

二面性がホリーの内面を非常に複雑にし、作品全体で「強さ」を描くことで「弱さ」を強調

し、それによって彼女に不安定な存在というイメージを与えていることから、作者カポーテ

ィは、ホリーがもろく儚い存在であると読者に印象付けようとしたことを明らかにした。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

相馬久美子 マーク・トウェイン『ハックルベリー・フィンの冒険』研究 ―冒険の意義と結末―

本論文の目的は、マーク・トウェイン(Mark Twain, 1835-1910)の『ハックルベリー・フ

ィンの冒険』(Adventures of Huckleberry Finn, 1885)について、賛否両論のあるその結末

部分が、ミシシッピー川を筏で下る白人少年の冒険の意義にふさわしいものであることを

証明することにある。 トウェインは『ハックルベリー・フィンの冒険』で 19 世紀の奴隷社会における少年の葛

藤を描いている。社会的良心と人間的良心との間で葛藤し、精神的成長をするというこの

物語のテーマは高い評価を得ているものの、結末に対しては批判の声が上がっている。そ

れはハックがトムと共にジムの救出を図る場面で、トムによる派手な演出の救出劇が、そ

れまでに展開されていたハックの葛藤やジムとの友情といった冒険の意義を台無しにする

ものであるという主張である。しかし現実のアメリカ社会に対する作者の考えや彼の人生

などを考慮すると、この結末は冒険の意義を守るものであると考えられる。 第 1 章では、ハックが初めて登場する『トム・ソーヤーの冒険』(The Adventures of Tom Sawyer, 1876)を含む作品中の描写から、ハックの人物像を分析した。浮浪児の頃の貧しく

も自由な生活と未亡人の養子になってからの「文明的な」生活、放浪している酒乱の父親

との「無秩序な」生活など様々な環境に身を置きながらも、慣習にとらわれず自分の信じ

たことをするハックには、ロマンティシストのトムとは対照的なリアリスト性があること

を明らかにした。 第 2 章では、第 1 章で明らかにしたハックの人物像を踏まえ、冒険の意義をとらえるた

めに、彼の行動やジムとの会話を分析した。ジムが捕まることで葛藤への決断を迫られる

ハックは、この難題に対し、「文明社会」や「無秩序」から脱走したときとは違い、逃げる

ことなく向き合い、地獄に落ちる覚悟でジムを救出することを決意した。この時点で冒険

の意義は満たされており、その後続くトムの茶番劇はハックの成長を台無しにするような

ものではないと主張した。 第 3 章では、第 2 章で分析したハックの言動は、物語の中だけでなく、現実社会にとっ

ても変革的な出来事であり、トウェインの奴隷社会に対する考えを強く反映したものだと

想定し、作者自身の人生や社会に対する考えを分析し、上述のような結末を書いた意図に

ついて論じた。ハックやトムの性格には作者の幼少期が投影されており、ユーモリストと

しての作者を代表するのがトム、非人間的な社会やそこに残る奴隷制度という難題に挑む

作者をハックが代表していることを明らかにし、正しい答えの出ない問題に立ち向かうハ

ックに対しトムの茶番劇を用意することで、あくまでハックの性格やその成長を守ろうと

いう意図があったのだと結論づけた。 以上のように、本論文では、『ハックルベリー・フィンの冒険』の結末はハックの性格や

精神的成長を文明社会の中に埋没させることなく、冒険の意義を守ることができるもので

あることを論証した。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

榎本育実 L. M. モンゴメリ『赤毛のアン』研究

―マリラに焦点を合わせて―

L. M. モンゴメリ(Lucy Maud Montgomery, 1874-1942)の『赤毛のアン』(Anne of Green Gables, 1908)は、日本をはじめ世界中で読み継がれ、カナダを代表する文学作品として定

着している。本論文の目的は、主人公アン(Anne)を引き取り養母となるマリラ(Marilla)の

重要性を明らかにし、またマリラとモンゴメリの関係性について考察することである。本

作品を虚心に読めば、アンよりもマリラの心情が鮮明に描写されていることに気が付く。

なぜこのように描写されているのか、マリラに焦点を合わせて読み解き、『赤毛のアン』の

受容のされ方についても言及しながら、モンゴメリの考えを分析した。

第 1 章では、作品におけるマリラの重要性を述べた。マリラの視点から語られる部分も

多く、彼女はアンより成長性がある人物として描かれている。彼女の変化を詳細に分析す

ると、作品には「成長」という一貫したテーマも存在することから、彼女は重要な人物で

あり、第二の主人公であると言えることを主張した。

第 2 章では、マリラに影響を与える周辺人物に注目し、主に兄マシュー(Matthew)と村の

友人リンド夫人(Mrs. Lynde)を取り上げた。2 人はマリラにとって良き理解者であり、彼女

に様々な影響を及ぼす人物である。彼らはマリラにアンに対する愛情を認識させるための

補助的な役割として、心の変化を生じさせ、成長の後押しをする。これはマリラ個人で成

長できるのではなく、彼らがマリラの思考に影響を与えるのに不可欠な存在であることを

示しており、またマリラの意見と対比して描かれている部分などから、彼らはマリラの重

要性をさらに高める存在としても読み取れることが分かった。

第 3 章では、マリラとモンゴメリの関係性について考察した。これまで『赤毛のアン』

は児童文学として読まれ、またフェミニズム的観点から、ジェンダー論争の題材として扱

われることが多かった。アンに着目してこれらの問題を考えようとすると、アンの言動が

非常にあいまいであるため、明確な答えを求めるのには無理があった。しかしマリラはア

ンのようなあいまいなジェンダー観などは語らず、またモンゴメリの日記や書簡と照らし

合わせると、両者の意見は一致することが明らかとなった。女性の立場が低かった当時の

社会なども考慮すると、モンゴメリは『赤毛のアン』を子ども向けに書いたのではなく、

また自身の抱くジェンダー観をマリラを通して語らせていたことが分かり、マリラの成長

の過程を通じてモンゴメリが自らの意見を表明していたと思われる。

以上の考察より、マリラを焦点化することはモンゴメリの訴えに耳を傾けることでなり、

モンゴメリがマリラを中心に描写したのは自らの考えをマリラに代弁させるためである、

という結論に達した。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

滝沢諒磨 アーネスト・ヘミングウェイ『日はまた昇る』研究 —主人公ジェイクにとっての嫉妬とは—

アーネスト・ヘミングウェイ(Ernest Hemingway, 1899-1961)の『日はまた昇る』(The Sun Also Rises, 1926)は第 1 次世界大戦後のフランスのパリで暮らす登場人物たちの退

廃的な生活をスペインのパンプローナで開催される闘牛祭の様子とともに描いている。本

作では男性登場人物は皆、物語の中で紅一点の存在であるブレットに恋しているが、誰一

人として恋が完璧には成就していない。それどころか男たちは互いに嫉妬し合うのである。

そこで本論文では男たちの恋愛における嫉妬の感情に迫り、とりわけ主人公のジェイクに

とって嫉妬という感情にはどのような意味があるのかを明らかにした。 第 1 章では、なぜ本作において嫉妬という感情が生まれるのかについて考察したうえで、

嫉妬する男たちに注目し、マイクとコーンの嫉妬が罵倒し殴るといった実際行動を伴う「外

に発散する嫉妬」であり、ジェイクの嫉妬が実際行動を伴わない「内に秘めた嫉妬」であ

ることを分析した。ブレットの婚約者であるマイクは一見他の男たちより優位な立場にい

るように思われるが、アルコール中毒者であり破産者である。いつ婚約者としての地位を

奪われるか分からない不安感を常に感じ、嫉妬相手を罵倒する。ブレットの恋の虜となる

コーンはユダヤ人としての劣等感に由来する執念深さを備えている。一度は自分を受け入

れてくれたブレットを獲得することは彼にとって至上命題であり、それゆえ嫉妬相手を殺

す寸前まで殴り続ける。一方、ジェイクの場合、他の男たちと大きく異なるのは戦傷によ

って性的不能な身体になったということである。男たちの中でたった一人ブレットと肉体

的に愛を成就することができないのである。自己のことを“funny”だと自嘲し、ただ静

かに「内に秘めた嫉妬」を抱くしか為す術がないジェイクの深い虚無感が明らかになった。 第 2 章では、前章とは反対に嫉妬の念に苛まれない二人の男について考察した。パリに

住むミッピポポラス伯爵は老齢であるがゆえに、それまでの長い人生で得た豊富な知識と

経験をもとに確固たる信念を持ち、人生を達観している。いわば悟りの境地に至る伯爵は

嫉妬という感情に悩まされることはない。他方、20 歳にも満たない美少年闘牛士のロメロ

はそれまでの人生の大半を闘牛に捧げてきたことから、恋愛において他の男たちが持ち得

ない純真さというものを備えており、それゆえ嫉妬に走ることがないのである。 第 3 章では、作者自身がジェイクのモデルであるという事実からヘミングウェイに注目

し、性的不能者ではないヘミングウェイがジェイクと同じ「内に秘めた嫉妬」を抱いた理

由を探った。ヘミングウェイの中にもジェイク同様に愛する人と結ばれ得ない虚無感が宿

っていると分析し、妻ハドリーの存在に論を発展させた。愛妻ハドリーがいながら他の女

性との愛の成就を願うヘミングウェイの罪悪感と虚無感が作者にジェイクと同じ「内に秘

めた嫉妬」を抱かせたのである。 以上の考察により、性的不能者としての虚無感を抱えたジェイクの嫉妬が、他の男たち

のとは異質で壮絶なものであることが明らかにされた。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

河内琢馬 ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』研究

ダニエル・キイス(Daniel Keyes, 1927~2014)の『アルジャーノンに花束を』(Flowers

for Algernon, 1966)では、チャーリイの知能が手術により高まった後、最終的には元の知

能へと退行してしまうため、彼が手術前と同じ姿に戻ってしまうと読まれることが多い。

しかし、チャーリイは元に戻ってしまうのではなく、彼には成長した面があり、それは知

能低下後にも彼に残っていると考えられる。また、本作品ではチャーリイの知能が変化す

ることにより、チャーリイ自身はもちろん、周囲の人々にも様々な変化が生じることとな

る。このことを論証するために、本稿ではチャーリイを中心に登場人物の変化を考察した。

第 1 章では、チャーリイの知能や感情の変化をまとめた。本作品は、チャーリイが書い

た経過報告という形式で物語が語られるため、彼の変化をそこから読み取ることができる。

感情の面では、チャーリイは急激に成長することで多くの不具合が生じることになる。特

に恋愛の面においては、心の中のチャーリイが障害となった。それはチャーリイが情緒的

に遅れていたことと、心の中のチャーリイが女性を怖がっていたことが原因であった。結

果的には、チャーリイ自身が情緒的に成長したこと、そして家族と会ったことで女性への

恐怖が取り除かれ障害を乗り越えることができたことを考察した。

第 2 章では、チャーリイ以外の登場人物の変化を考察した。パン屋の人々は、チャーリ

イを憎み店から追い出したが、知能が元に戻った彼が再び帰ってきた時には、チャーリイ

を友達だと認めていた。それは、チャーリイがいなくなったことで彼の存在の重要性に気

づき、彼が本当に友達と言うべき存在であったことを知ったからである。チャーリイの家

族に関しては、母であるローズと父であるマットがいたが、天才に変貌したチャーリイに

ローズは気づき、マットは気づかなかった。この差が生まれた理由は、チャーリイに対す

る愛情の差とともに、チャーリイの声であると分析される。

第 3 章では、岩淵瑠衣子(2008)の指摘に示唆を得て、チャーリイと EQ の関連についてま

とめた。EQ はキイスが重要視していた empathy と通じるものであり、empathy は EQ の

1 つと言えるものである。ただ、天才になったチャーリイにはその empathy が欠けていた

ため人間関係をうまく築くことができなかったのだ。しかし、最終的にチャーリイはその

重要性に気づくことができたのであった。また、知能が元に戻ったチャーリイには、手術

前と同じように戻った面と手術前にはなかった成長した面があった。元に戻った面として

笑顔と謙虚さを考察した。一方、成長した面としては、他人のことを考えること、1 人の人

間になったことを考察した。つまり、チャーリイは empathy を手にすることができ、また

自分という人間を理解することができたと言えるのである。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

窪田采莉 スコット・フィッツジェラルド『グレート・ギャツビー』研究 スコット・フィッツジェラルド(F. Scott Fitzgerald, 1896-1940)の『グレート・ギャ

ツビー』(The Great Gatsby, 1925)は、主人公ギャツビーがかつての恋人デイジーと再会

し破滅の道へと進む姿を、ギャツビーの隣人であるニックの一人称の語りによって、過去

を回想する形で進む物語である。完璧な文章構成と当時の時代背景を巧みに描いた本作品

は、批評家たちの間で絶賛され、フィッツジェラルドの代表作となった。本論文では、本

作品最大の特徴である登場人物兼一人称の語り手でもあるニックに着目し、そこから見え

てくるギャツビー像を明らかにした。また、フィッツジェラルドの経験が色濃く反映され

ている作品であるという点から、作者の人生を考察することで作品の新たな見方が可能に

なることを主張した。 第 1 章では、語り手ニックを通して見るギャツビーに注目し考察を進めた。まず、ニッ

クがどのような性格であるのか、またギャツビーとの関わり合いの中で見えてくるニック

の特徴を明らかにした。また、一般的に指摘されるニックの語り手としての信憑性や、ギ

ャツビーと彼の間にはどのような関係性があったのかを考察した。また、ギャツビーとニ

ックの会話や、それぞれの言動を細かく分析していくことにより、一見冷静で客観的な判

断を下すように見えるニックの感情的な一面を明らかにした。その結果、豪華で派手な生

活を送り謎の多いギャツビーがニックにのみ見せる弱い部分を見出すことが出来た。 第 2 章では、ニック以外の登場人物との関係を通して読み取ることが出来るギャツビー

の姿について考察した。作品中ではギャツビーとニックのやりとりに関する描写が非常に

多く、ギャツビーとニック以外の登場人物とが関わる場面が少ない。しかし、数少ない場

面を詳細に分析することで、ニックに対するギャツビーとは異なる、新たなギャツビー像

が明らかになった。 第 3 章では、作者フィッツジェラルドの人生を考察することで、彼の生い立ちや実生活

での体験が、本作品にどのような影響や効果を与えているかを分析した。フィッツジェラ

ルドの小説は自伝的要素が強く、彼自身も私生活での体験こそが小説を構成する様々な場

面を作るための格好の材料になると考えていた。特に彼は妻ゼルダを登場人物のモデルに

することが多く、ここではギャツビーとデイジー、トムとデイジー、ニックとジョーダン

という男女の関係に特に注目し、フィッツジェラルドがどのようにそれぞれの登場人物に

自己を投影しているのかを分析した。これまでの先行研究ではギャツビーをフィッツジェ

ラルドと捉える例が多く見られたが、本論ではギャツビー以外の登場人物にもフィッツジ

ェラルドの感情が表れていることを明らかにした。 ギャツビーという人物は謎が多く、彼の考えや感情は他の登場人物を通してのみ見るこ

とができる。しかし、確実でない不安定なギャツビー像こそが本作品最大の魅力であり、

世界中で多くの読者を魅了し続ける理由でもあるのだ。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム 反町 優里 On Some Syntactic Differences between English and French 本論文は、英語と仏語の Verb Movement の特徴と動詞の位置を考察するものである。

第 2 章では、それら 2 つの言語における Verb Movement の特徴を概観する。 (1) *John kisses often Mary. / Jean embrasse souvent Marie. (2) *To seem not happy… / *Ne comprendre pas l’italien… (3) He is seldom satisfied. / Il est rarement sastisfait. (4) (?)To have not had a happy childhood… / N’avoir pas eu d’enfance heureuse…

第 3 章は、Pollock(1989)と Chomsky(1991)の分析を概観する。Pollock は、Verb Movement の特徴が主題役割の付与に関連付けて説明されると指摘した。 ・Agr in English is not “rich” enough morphologically ⇒ “opaque” to θ-role assignment ・Agr in French is “rich” enough morphologically ⇒ “transparent” to θ-role assignment ・“Short Verb Movement” ⇒Verb Movement out of VP over adverb, and into Agr Chomsky は、仏語の非定形節における Verb Movement の任意性を“least effort”の概念に

よって説明した。 ・[-finite] Infl is deletable ⇒ ECP is satisfied

(5) “N’être pas heure” and “ne pas être heureux” ⇒ equally costly (6) “Souvent paraître triste” and “paraître souvent triste” ⇒ equally costly

第 4 章は、Iatridou(1990)と Williams(1994)の分析で構成される。Iatridou は、それぞ

れの言語における副詞の生成可能位置に着目し、Agr(P)の存在を否定した。 (7) John is believed to (frequently) have (frequently) criticized Bill. (8) Mary is believed to (*completely) be (completely) revising her dissertation. (9) Pierre a (à peine) vu (à peine) Marie.

Williams は、否定辞 not は主要部の機能を、pas は主要部と副詞の機能をもつとし、両言

語の語順の違いは Verb Movement ではなく、lexicon のレベルで決定されると主張した。 ・Neither not nor pas can precede the tensed verb since they are –tense.

(10) *John not left / *Jean pas est arrivé 第 5 章では、Heageman and Guéron (1999)の分析に沿って、否定辞が NegP の Spec に位置づけられる可能性を示唆した。

(11) N’a-t-elle pas mange / *A-t-elle ne pas mangé? (12) I wonder whether or not they will come. / *I wonder if or not they will come.

第 6 章では、同じく Heageman and Guéron の提案を基に、IP 分離仮説において AgrP

が TP を支配するという立場の妥当性を議論した。 ・parler > parlais ( parl( root/語根 ) + ai( Tense/時制 ) + s( Agreement/一致 ) ) ・When AgrP dominates TP ⇒ V+T+Agr ・When TP dominates AgrP ⇒ V+Agr+T

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム 渋谷 智愛 On Complementation in English

本論文では補文の中でも特に I believe John to have convinced Bill のような、対格名詞

の後ろに不定詞句を持つ構文 (accusative plus infinitive construction、以下 A+I 構文 )につ

いて研究した。 この構文には主に二つの分析がある。Postal (1974)らに代表される、挿入されている名詞

句が主動詞の目的語の位置に繰り上げられる (raising to object)とする分析と、Chomsky (1981)らに代表される例外的格表示 (ECM)分析である。

Chomsky (1981a)の統率束縛理論の登場により、θ 基準に反する繰り上げ分析よりも例外

的格表示分析が主流にとられてきた。それに対し Johnson (1991)は、他動詞文での直接目的

語の VP 指定部への移動を主張した。また VP の外側に機能的範疇を設け、その指定部に動

詞を移動させる操作によってできる動詞と目的語の階層的構造を提案し、A+I 構文の繰り上

げ操作の問題点を回避した。 (1) Bobby [FP watchi [VP Billj ti tj]]

さらに、Lasnik and Saito (1991)は Chomsky (1989)の AGRP 構造を A+I 構文の繰り上げ

操作に適用させた。埋め込み節の名詞を顕在的に (overtly)移動させることで、繰り上げ分析

においても格付与が指定部と主要部の関係 (Spec-head relation)で行われるようにした。 Koizumi (1993)は、Lasnik and Saito (1991)の提案を修正し、TP と AGRoP の間の範疇を

VP であるとした。 (2) [AGRsP John [TP [VP considersi [AGRoP Maryj [VP ti [IP to be tj clever]]]]]] これにより埋め込まれている名詞句は、格をもらうために AGRoP の指定部に移動できるよ

うになった。一方で、例外的格表示分析でも移動操作が必要である。 (3) a. John considers [Maryi to be ti clever] b. *John considers to be Mary clever

以上のような繰り上げ操作の議論の変遷から、また、束縛原理に従う照応形、相互代名詞

や指示表現の例、否定極性表現の例、副詞の構成素テスト、不変化詞構文の例などが例外的

格表示分析よりも繰り上げ操作分析を支持することから、A+I 構文の研究においては目的語

への繰り上げ分析の方がより妥当性があると結論づけた。 最後に、Lasnik and Saito (1991)らによって再提案された目的語への繰り上げ分析は、

Want タイプと Believe タイプに分けられる動詞のうち、Believe タイプの動詞に限ってその

操作が観察されることを確認した。 (4) a. ?Joan wants himi to be successful even more fervently than Bobi’s mother does.

b. ?*Joan believes himi to be a genius even more fervently than Bobi’s mother does.

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム 坂下 詩穂 On the Distribution of Noun Phrases in English

本論文は、英語における名詞句の分布に関する研究である。英語では、表面上は全く同じ構造を成してい

るように見える文でも、根本的に構造が異なっている場合がある。

(1) a. John seems to win.

b. John tries to win.

(2) a. Louise believed Mary to be honest.

b. Louise persuaded Mary to come to the party.

(1)では主語+動詞+to 不定詞の形式を、(2)では主語+動詞+目的語+to 不定詞の形式をそれぞれの文

がとっている。この論文では、各文の派生と構造の違いを議論し、次のような分析が可能であると結論付け

る。

(1) a′ [ seems [ John to win ]]

b′ [ Johni tries [ PROi to win ]]

(2) a′John believed [ Mary to be honest ]

b′ Louise persuaded Maryi [ PROi to come to the party ]

第2章では、例文の書き換えや虚辞の挿入から、(1a)と(2a)が上昇構文であり、また(1b)と(2b)がコ

ントロール構文であるという分析を提示する。

第3章では(1)の構造について詳細に議論していく。2節では、Haegeman and Guéron (1999)に基

づいて名詞 Johnの移動を観察し、上昇現象を説明する。名詞 Johnはもともと不定詞主語位置にあり、格

付与のために文頭の主語位置へ移動したことを示す。3節では、Control に対する定義を記し、(1b)と

(2b)の派生について説明する。そして4節では(1)の違いを裏付ける為に樹形図を用いてその基底構造と

表層構造を比較し、議論する。ここで名詞 John は(1a)では上昇操作を経て文頭の主語位置に生じている

が、(1b)ではもとからその位置に生じているという違いに着目する。

第4章では、(2)の構造の違いについて言及する。2節では、Runner(2006)を基に(2a)の構造に対す

る目的語上昇アプローチと例外的格標示アプローチの2つのアプローチを示し、それぞれの分析を支持する

証拠について議論する。ここでは目的語上昇アプローチを(2a)に適用することで、(1a)の名詞の上昇との

平行性を見ることができる。そして3節では、3章4節と同様に比較を行い、名詞 Maryの派生に着目し根

本的な違いを議論する。

以上の分析により、(1)と(2)のペアの文は上昇とコントロールの操作を経て、それぞれ全く異なる派生

と構造を成していると結論付ける。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム 萩野 里奈 On NP-Movement in English 本論文では、英語における NP 移動について考察した。NP 移動とは名詞句に作用する移

動変形のことであり、主要な具体例として受動化(passivization)や(主語への)繰り上げ

(raising (to subject))が挙げられる。 第 2 章の第 1 節では、Haegeman and Guéron (1999)に基づいて受動化と繰り上げそれ

ぞれの構造を考察し、また NP 移動に課される制約や NP 移動が起こる理由を示した。第 2節では Jaeggli (1986)に基づいて NP 移動におけるθ役割の吸収(θ-role absorption)と格の

吸収(case absorption)について言及した。

(1) a. Thelma will invite Louise. b. Louise will be invited (by Thelma). (2) a. It seems that Louise is a suitable candidate. b. Louise seems to be a suitable candidate.

(1b)において Louise は意味的には目的語であるが、統語的には主語である。(2b)における

Louise は、繰り上げによって不定詞節の主語位置から主節主語位置へ移動している。

第 3 章では、再び Haegeman and Guéron (1999)に基づいて非対格仮説(unaccusative hypothesis)について論じた。外項を欠く自動詞を非対格動詞(unaccusative)と呼び、非対

格動詞の D 構造における目的語位置から主語位置への移動は受動化においても観察された

NP 移動であることに注目した。フランス語における en 交替(en-extraction) を用いて、目

的語からの抜き出しは可能だが、主語からの抜き出しは不可能であることを示し、非対格

動詞の表面上の主語は目的語位置に生成していると結論づけた。 (3) a. Three new students arrived at the office.

b. [[NP e ] [VP arrived [NP three new students] [PP at the office.]] (3b)は(3a)の派生を示しており、表面上の主語がもともと目的語位置に生じていることがわ

かる。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム 樗澤慎吾 Remarks on WH-Movement in English 本論文では英語における WH 移動について議論する。WH 移動は疑問文、感嘆文、関係

文において見ることができる。各構文における WH 移動の例を次に挙げる。それぞれ t の位置から WH 句が移動して構文が構成されている。

(1) What have you bought t? (2) What a beautiful house you bought t? (3) This is the man who t bought the rug.

続く第三章では WH 移動が連続循環的な操作であることを示すとともに、WH 移動にお

ける 3 つの制約について議論した。3 つの制約とは、島の制約、複合名詞句制約、指定主語

の条件である。以下にそれぞれの例を挙げる。 <島の制約>

(4) What did you say [that Susana thought [that Mary suggested [that John bought t]]]?

(5) *What did Susan buy the BMW [before John saw t]? <複合名詞句制約>

(6) Who did Mary believe that Bill wanted her to see? (7) *Who did Mary believe the claim that John saw?

<指定主語の条件> (8) Who did you see picture of (9) *Who did you see John’s picture of

しかし、いくつかの制約は特殊なものであり、より自然な形の原理を探し求め、その原理

によってそれらの制約が導き出されていると考えていっても良いように思われる。そして

その考えに基づいて第四章では「下接の条件」について考察していく。 句構造標識 P において X が Y より上位にあるならば、Y は X に下接しているという。た

だしこのとき、Y は支配するが X は支配しないような循環範疇 C≠Y の介在が多くとも一つ

とする。 (10) COMP he believes [NP the claim [SCOMP John saw who]] (11) COMP he believes [S COMP John saw [NP a picture of who]]

上記の例を見ると、(11)では WH 移動を繰り返して who を外側の COMP へと移動させる

ことができるが、(10)では NP に COMP を持たないため、WH 移動は内側の COMP に限

られる。島の制約や複合名詞句制約はこの条件を用いて説明することができる。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム 丸山 碧 Notes on WH-Movement in English 本論文では、英語における wh 句の移動について議論した。特に、疑問文における wh 移動、関係節における

wh 移動、多重 wh 疑問文における wh 移動について論じた。 まず第2章では、疑問文において wh 移動が起きるとき、wh 句は元の位置から[Spec,CP]に移動することを指

摘した。この時、wh 句は局所的な[Spec,CP]に段階的に移動しなければならず、その際、他の wh 句によって占

められている[Spec,CP]を飛び越えることはできない。 (1) a. Whomi did you think [CP ti that [IP John invited ti at the party]]?

b.?? Whomi did you ask [CP whether [IP John invited ti at the party]]?

上の例文のように wh 移動には局所性条件が課されるが、目的語、主語、付加部の位置からの抜き出しを考察し、

それぞれの位置での抜き出し条件を見た。加えて、抜き出し不可能な island の条件についても考察した。 次に第3章では、関係節における wh 移動を考察し、疑問文における wh 移動の局所性条件が適用できること

を指摘した。 (2)a. I ask the man [CP whomi [IP they think [CP ti that [IP John will meet ti]]]]. b.?? I ask the man [CP whomi [IP they ask [CP whether [IP John will meet ti]]]]. 両者の wh 移動の局所性には類似性が見られ、また抜き出し位置や island の条件にも同じ特性があることを示し

た。加えて、関係節における非顕在的な関係代名詞 empty category を導入し、同じように局所的な移動が起こ

り、抜き出しや island の条件に従って[Spec,CP]に移動することを確認した。 最後に第4章では、一つの疑問文に2つwh 句が含まれる多重wh疑問文におけるwh移動について考察した。

S 構造で移動していない wh-in-situ について Baker(1970)と Chomsky(1976)の分析を比較した。その際、不定

性と数量詞について Heim と Russell の分析を考察し、wh-in-situ についての分析との類似性を見た。加えて

Chomsky の Superiority Condition を提示し、Pesetsky による D-linking と Non-D-linking という概念に基づ

き、Superiority effect の詳細な記述を試みた。 (3)a. Which mani ti bought which book? (The trace of which man in Comp c-commands which book.) b. Which booki which man bought ti? (The trace of which book in Comp does not c-command which man.)

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム 板垣 陽香 Some Notes on WH-Movement in English 本論文では、wh 句を含む英語の疑問文の派生とメカニズム、そしてその特徴について研

究した。 (1) Whati did you buy ti?

Wh 句は元々は動詞の目的語位置にあった。移動は wh 句の元位置と最終的な位置を結びつ

ける操作といえる。 また、主語と動詞や時制の一致も観察できる。 (2) a. Which student do you believe [_ likes math]?

b. Which students do you believe [_like math]? 文が疑問文であることを示唆するために屈折接辞が INFL から C の位置へ移動する

(Affix-hopping)。これに伴い、この屈折接辞が結びつける要素を見つけられない場合、助動

詞 do が挿入される(do-support)。この一連の操作により[+Q]素性が照合される。Wh 句が

[Spec CP]へ移動することで[+wh]素性も照合される。 さらに、一見 wh 句が自由に移動できるように思える例も存在する。 (3) What do you think John believes Mary thinks Bill got yesterday?

しかし実際はいくつか制約が課されている。 ・Subjacency condition ・一番近いものから順に[Spec CP]をそれぞれ経由して最終的な位置まで移動する。

(Successive cyclic movement) ・島の条件(Island effect) ・whether, if を超えての移動はできない。 ・他の wh 句をも越えて移動することはできない。 さらに、主語と目的語、目的語と付加部の、抜出しに関しての非対称性も観察できる。 (4) a. I wonder [CP whomi John believes [CP ti that [IP we will meet ti]]]]. b. *I wonder [CP whoi [IP John believes [CP ti that [IP ti will meet Susan]]]]. (5) a. Whomi do you wonder [CP whether they will visit ti]?

b. *Whyi do you wonder [CP whether they will visit me ti]?

最後に、Wh 句と名詞句の移動について考察し、この二つの共通点と相違点を分析し、 さらに、否定要素が wh 移動にどう影響するかについても観察を行った。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

加藤 優 On Existential Sentences in English

本論文は、英語の there 構文に関する研究である。there 構文とは以下のような文である。 (1) there is a man in the room 本論文では there 構文を 3 つの視点から考察する。

まず、第 2 章では Stowell(1983), Williams(1983), Kikuchi and Takahashi(1991)に基づき、there 構文

の be 動詞の後ろの要素について考える。Stowell により提唱された Small Clause 分析では、(1)で主述関

係にある a man と in the room はひとつの節、つまり小節を成していると考える。一方、Williams は(1)の a man と in the room は主述関係にあるものの、ひとまとまりの要素ではなく単純に一続きの別個の要

素だと考える。さらに、Kikuchi and Takahashi は言語の Agreement の有無に着目し、英語の小節は Agrを主要部とする AgrP であり、日本語の小節は述部を主要部とする最大投射だと提案する。これら 3 つの分

析についてそれぞれの分析の違いや問題点等について考える。

次に、第 3 章では Williams(1984)に基づき、there を scope marker として考える。there が、there と

関係する要素を統率することにより、解釈の曖昧さをなくすことができると仮定する。 (2) a. John thinks that there is someone in his house b. John thinks that [someonei [there is xi in his house]] c. John [someonei [thinks that there is xi in his house]] d. [someonei [John thinks that there is xi in his house]] (2a)では there が someone を統率しており、(2b-d)では there が someone を統率していない。there が

someone を統率する(2a)のみを正しい表示と考えることで、意味解釈も(2a)のみが正しと言うことができ、

他の(2b-d)の可能性を排除することができる。

第 4 章では、there と be 動詞の後ろの要素の関係について Chomsky(1986)に基づいて考察する。彼は

thereとbe動詞の後ろの要素は chainによってリンクされるという考えを提唱している。また彼はvisibility condition(可視性の条件)を提案した。(1)において Case-marked position である there から chain でリン

クした a man へと Case が移ることによって、a man はθ-marking にとって可視的になる。

以上の 3 つの視点から there 構文を分析することにより、一見単純に見える there 構文の構造を明らかに

していく。

卒業論文概要 西洋言語文化プログラム

加藤こはる Notes on Ellipses in English

本論文は英語における省略現象についての研究である。まず 2章では NP 削除、間接疑問文縮約、VP削除について順に説明する。 Jackendoff (1971)によると、NPにおける省略は Nとその補部を直接支配する投射を含まなければならない。したがって(1b)のように補部 of poems を残して Nが省略されることは許されない:

(1) a. Although she might order [these [e]], Mary won’t buy those books on Egyptian art. b. *Although she might order [these [e] of poems] Mary won’t order any collections of short stories.

(2)のような間接疑問文縮約は Ross(1967,1969)によって初めて指摘されたもので、WH句によって導入される空の構成素に関わる。WH 句によって省略された構成素が導入され

ることは可能だが、if, whether, for, that 等の補文標識は省略を認可できない: (2) Even though Mary’s not sure [who [e]], she knows someone is speaking tonight. VP 省略は中間投射 V’を含まなければならず、Jackendoff (1971)は NP における省略やSluicingのような VP省略は中間投射に作用すると提案する: (3) Because she shouldn’t [[e] (*cigars)], Mary doesn’t smoke them. Lobeck (1995)の省略に関する分析と Saito and Murasugi(1990)による DP仮説の議論から、(4)に示した樹形図を用いることで、INFL、COMP、DET を機能的範疇とみなし、X’理論を採用することでこれら 3つの省略を統一的に分析することができると結論づけた: (4) XP … X’ X … 3章ではこの分析を日本語における省略について応用し、議論を展開する。

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木村 美紀子 On the Nature of Expletive Constructions 本論文では、英語における There構文について議論した。There構文とは、それ自体では意味をもたない要素、虚辞(expletive)の thereを含む構文である。まず、第 2章では There構文に関する先行研究を紹介した。初めに、Stowell (1978)による論理的主語である名詞句とそれに後続する要素が、D構造において小節をなすという分析について考察した。小節とは、定形動詞を欠いているが、文と同等の内容を表す句である。この場合の論理的主

語と後続する要素はそれぞれ、(1)における a manと in the roomのようなものである。

(1) There is a man in the room. 次に Arimoto (1989)の分析である。彼は先述した Stowell (1978)とは反対に、論理的主語である名詞句とそれに後続する要素は、小節をなさないという考えを示している。彼は

there もその痕跡も S 構造において小節の主語の位置に生じることはできないという、There構文に課される制約を提示して、自身の分析を説明している。 そして、 後に紹介するのが Milsark (1974)である。第 2章の第 3節においては、彼の分析をもとに There構文の基本構造について考察した。このことによって、(2)で表したように、There 構文はいくつかのパターンに分類できることが分かった。さらに、この分類によって beあるいは Vの右側に生じる名詞句(NP)、また be動詞にも特徴があることが分かった。

a) be NP ___ b) be NP Locative c) be NP V-ing (NP) (PP)

(2) there T (M) (have-en) d) be NP V-en (by NP) (PP) e) be NP AP f) V NP g) VP NP 第 3.4 章では、この Milsark (1974)の分析に基づいて、there の性質、そして there 挿入(There-Insertion, TI)について考察を深めた。具体的には、NP-preposingの移動規則の適用や、付加疑問文の派生方法において、there は一般的な名詞句と多くの共通点をもつことを述べた。また、それらは類似している一方で、thereのみに課される制約(目的語としての機能をもたない等)があるということが分かった。There挿入については、初めに標準的な分析について説明し、その人称複製(a number-copying)に関する問題点を取り上げた。これに関しては、先行研究に準じて、Kuno (1971)の分析を導入し、代替案を提示した。 そして、第 5章では thereはそれ自体では意味をもたない要素、虚辞であるが、特別な

性質をもつ要素であるということを再確認した。以上のような分析をふまえて、there は非常に興味深い、固有の性質をもつ要素であると結論づけた。

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成田智己 On Comparative Constructions in English この論文では、主に比較の構文で見られる現象である比較削除(Comparative Deletion)と比較小削除(Comparative Subdeletion)について、Chomskyと Bresnanの二人の解釈とその問題点についてまとめた。比較削除とは、たとえば(1)のように比較対象を表す要素が削除されていることである。また、比較小削除は(2)のように文の比較対象を表す要素の一部が削除されていることをいう。 (1) John met more linguists than I met. (2) John met more linguists than I met biologists. 上のような二種類の文について、Bresnan (1975, 1976a, 1976b)は Relativized A-over-A Condition (RAOAC)を用いて、二つの文は同一の規則に従って生成されたものであり、比較された要素の共通部分が削除されると主張した。そのため、移動の特徴(diagnostics for movement)と考えられていた移動制約(movement constraints)は削除にも適用されるとした。この Bresnan の RAOAC による説明では以下のような文を「誤って」正しいとしてしまうことが指摘されている(Pinkham 1982)。 (3) a. *John has [a longer desk] than Sue has [a table].

b. *John has a longer desk than Sue has [a [_____ wide] table]. 一方で Chomsky (1977)は、wh移動を用いた比較削除の説明を試みている。wh移動による説明の場合、thanの後ろの節にある比較の要素は一度whに置き換えられた後に thanのすぐ後ろまで移動し、削除されることになる。 (4) a. John met more linguists [than we thought [you said [Bill believed [Sue met

x-many linguists]]]]. b. John met more linguists than [wh-many linguists we thought [e you said [e Bill believed [e Sue met e]]]].

Chomskyはこの他にも wh移動の特徴(diagnosis of wh-movement)を挙げ、比較削除の構文に関してもこれらが当てはまると述べている。しかし、Chomskyの分析では Rossの左枝分かれ条件(the Left-Branch Condition)に反するため、比較小削除については論理的な説明を行うことができなかった。 論文中では、Chomsky の wh 移動による分析を支持する Kikuchi(1987)を取り上げた。その分析によれば、日本語の比較削除と英語の wh 移動にもいくつかの共通する特性がある。そのうちの一つに、島(island)に関する制約への影響の受けやすさ(sensitivity)があげられる。 (5) *[[sono tukue-de ei e yonde ita] hito-oi John-ga nagutta yorimo] Paul-wa takusan hon-o yonde ita. たとえば、(5)のような文では関係節の島を越える移動が起きているため非文法的である。 以上のことから、比較削除と比較小削除が同じ統語的なプロセスによって生成されたも

のとは言い切れず、Chomskyと Bresnanの説明では比較小削除に関する解釈に問題が残ると結論付けた。

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半田雄大 A Study of Ellipses in English

本論文は、英語における削除現象についての研究である。英語では、動詞句削除、名詞

句内削除、間接疑問縮約と、以下 3つのような削除が観察される。

1, 動詞句削除: Because [IP John didn’t [VP e ]], Mary ate a piece of cake.

2, 名詞句内削除: This book is [NP John’s [N’ e ]].

3, 間接疑問縮約: Jack bought something, but I don’t know [CP what [IP e]].

3 つの削除の統語的説明をするために、Ross (1969)や Chomsky (1970)、 Jackendoff

(1971)の初期の削除理論を概観した。それらによると、動詞句削除、間接疑問縮約はそれ

ぞれ、最大投射 VP、IP に作用するのに対して、名詞句内削除においては、中間投射 N’

に作用する。また、削除が成立するためには、動詞句削除では、助動詞で占められた主要

部 INFL、間接疑問縮約では、指定部のWH-句、名詞句内削除では、指定部が、それぞれ

必要となる。

これらの削除は、(1)それぞれ異なる投射範疇で行われており、(2)削除を認可できる要素

が均一でない、という問題がある。そこで、Saito and Murasugi (1990)は DP仮説を名詞

句内削除に適用し、動詞句削除と名詞句内削除の一般化を図った。これにより 動詞句削

除、名詞句内削除、間接疑問縮約はすべて、最大投射に作用することが示され、(1)の問題

は解決された。また、二つ目の問題点に対しては、Lobeck (1995)は、すべての削除は主要

部と指定部間の素性照合を伴い、主要部や指定部ではなく、機能素性を与える機能範疇が

削除を導入できる、という説明を与えた。

第 5 章では、間接疑問縮約の問題を分析した。間接疑問縮約は、「移動操作は 2 つ以上

の節点を越えない」という Island effects に反する。Lasnik (2001)らによる movement

approachesは間接疑問縮約を wh移動と考え、残置される wh句が、先行詞と同様の格を

有すると主張する。しかし、IP要素が削除されるため、間接疑問縮約が Island effectsを

回避する説明ができない。

そこで、Lobeck (1995)らによる non-movement approachesを適用した。IPの削除を

認可する wh 句は、CP の指定部に規定生成され、LF で削除される IP 要素が文脈により

もたらされる。よって、Island effectsを回避し、間接疑問縮約は適切な文となる。

よって、動詞句削除、名詞句内削除、間接疑問縮約はそれぞれ、最大投射に作用し、素

性照合された機能範疇により削除が認可されることによって、自然類を成すことを結論付

ける。

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高世あゆ実 On the Interpretation of the Deleted Constituents

日常会話において「省略」という現象がしばしば見られる。例えば(b)では「春の訪れ」が省

略されているが、その意味内容は先行の文(a)から復元される。 (a) 草花は春の訪れを待っている。

(b) 動物たちも 待っている。

人は省略された要素をどのような方法で復元しているのだろうか。そのメカニズムがわかれ

ば人間の言語習得過程を解明する糸口をつかめるかもしれない。Sato (2014) の論文からその

先行研究が 3 つに分けられるとわかった。そこで本論では、特に日本語の省略現象に注目し、

2章で Nakamura (1987)、3章で Otani & Whitman (1991)、4章で Oku (1998) の分析を取

り上げる。

Nakamura (1987) は、Hasegawa (1984, 1984-1985) に省略された構成素位置には目に見

えない代名詞 ”pro” が存在していると主張する。(スペイン語やイタリア語のように文の主語

が代名詞である場合、それが目に見えないことがある。そのような言語(pro-drop language)

において、その主語の位置に生じていると考えられる空範疇のことを“pro”という。)

Otani & Whitman (1991) は、省略現象は動詞句削除現象と同じ分析方法で説明できると提

案している:

IP IP

NP I’ NP I’

VP I VP I

NP V NP tV V

V-to-I raising Ellipsis site

しかしこの解釈には幾人かの研究者から反対意見が述べられている。その中の 1人である Oku

(1998) が挙げている 3つのデータを示しながら、Otani & Whitman の分析について検討する。

Oku (1998) は、Otani & Whitman の分析に反論を述べたうえで、省略現象は動詞句削

除現象(VP-ellipsis)ではなく、句削除現象(Argument Ellipsis)として扱うべきである

と主張する。

論文では以上 3つの仮説による省略現象の分析方法について検討し、5章 Conclusion で

さらに深く研究を進める上で必要となる観点を挙げる。

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竹内春奈 Notes on Adverbs in English

本論文では英語における副詞の生起順序の制約について研究する。英語において副詞は

単文中に複数生起することが可能だが、その位置を交換することができない場合がある。 (1) Happily, Max cleverly was climbing the walls of the garden. (2)*Cleverly, Max happily was climbing the walls of the garden. 第 2章では、Jackendoff (1972)に基づいて副詞の分類や統語的性質について触れ、第 3

章では、この事実に対するいくつかの分析を概観する。 Jackendoff (1972)は、文副詞の生起順序に関して意味的観点から分析し、この制限には

副詞の解釈と項の埋め込みが関係していると指摘する。projection ruleを用いて副詞の解釈と項の埋め込みを説明し、話者志向の副詞は主語志向の副詞に先行しなければならない

と主張する。 (3) a. Probably Max carefully was climbing the walls. b. *Carefully Max probably was climbing the walls. (4) a. PROBABLE (CAREFUL (MAX, CLIMB (MAX, THE WALLS)))

b. *CAREFUL (MAX, PROBABLE (CLIMB (MAX, THE WALLS))) Travis (1988)は、意味的観点からこの事実を分析する。彼女はこの制約には副詞の作用

域が関係していると仮定し、作用域の割り当て方に関していくつかの提案をする。そのう

ちの 1 つが「作用域を決定する特性の浸透は他の特性を超えて浸透することはできない」というものである。(5a)は可能な浸透構造を、(5b)は不可能な浸透構造をそれぞれ示している。

(5) a. F1 ←F1 scope b.* F2 ←F2 scope

F1 F1,F2 ←F1 scope

Adv1 F2 ←F2 scope Adv1 F2

F2 Adv2

Adv2

Bowers (1993)は統語的観点からこの事実を分析する。彼は単文中に共起する副詞が交換できないのは異なる主要部に認可されているからだとし、副詞を認可することができる

新しい機能範疇 Prを用いて副詞の生起順序について説明する。 (6) John learned French perfectly quickly. (7) [VP[VP[V’[V’[V learn][NP French]][AdvP perfectly]]][AdvP quickly]] (8) [PrP[Pr’[Pr learnj][VP[NP French][V’[AdvP perfectly][V’[V tj]]][AdvP quickly]]]] このように、「単文中に副詞が複数生起するとき、それらは交換できない場合がある」

という事実には意味的、統語的要素が関係していることが分かる。そのため、この事実を

説明するにはどちらか1つの観点からだけで説明するのは難しく不十分であり、意味的、

統語的の両方の観点から分析する必要があると結論付ける。

ドイツ音楽におけるロマン主義のはじまり ――ワーグナーにみるドイツ的精神とロマン主義――

稲葉洋希

本論文においては、音楽におけるドイツロマン主義の中心的人物であるワー

グナー(Wilhelm Richard Wagner, 1813 - 1883)の思想について考察し、ワーグナ

ーのロマン主義芸術論の理念とその成り立ちについて、ドイツ音楽におけるロ

マン主義思想の一つの流れとして捉え、分析する。 第一章ではワーグナーの生い立ちや時代背景を概観した。ワーグナーは作曲

家や指揮者として各地を転々とする。また、ドイツ 3 月革命に参加してチュー

リッヒに亡命するなど、革命家としての側面も持っている。 第二章ではワーグナーによるベートーヴェン解釈について考察した。ワーグ

ナーは幼い頃よりベートーヴェンに傾倒していた。彼が新たな音楽について構

想するようになるにあたり、ベートーヴェンからの影響は非常に大きい。その

ため、第二章ではワーグナーの著した論文『ベートーヴェン』(,,Beethoven”, 1870)と、小説『ベートーヴェン詣で』(,,Eine Pilgerfahrt zu Beethoven”, 1840)を扱い、

ワーグナーが自身の音楽思想の源泉として、どのようにベートーヴェンを解釈

していたのか考察した。ワーグナーはベートーヴェンを古典派音楽に対抗し、

第九交響曲によりロマン派音楽の地平を拓いた存在と解釈しており、フランス

の文明とフランス中心の音楽界に対抗し、新たな楽劇を作ろうとする自分自身

と重ね合わせていた。また第九交響曲においては、絶対音楽と詩芸術の共同が

なされており、ワーグナーは自身の構想する「未来の芸術作品」のさきがけと

してベートーヴェンを位置づけている。 第三章では、ワーグナーのチューリッヒ時代の 3 つの芸術論文である『芸術

と革命』(,,Die Kunst und die Revolution”, 1849)、『未来の芸術作品』(,,Das Kunstwerk der Zukunft”, 1849)、『オペラとドラマ』(,,Oper und Drama”, 1851)を

中心に、ワーグナーの考える「未来の芸術作品」である「劇(ドラマ)」の理念

について考察した。「劇(ドラマ)」においてはあらゆる芸術が根源的共同をな

しており、それぞれの芸術は「劇(ドラマ)」の中で自らの最も充実した力を発

揮する。彼は未来の芸術作品の担い手にも言及し、「劇(ドラマ)」の担い手は

「民衆(Volk)」であると論じる。「民衆」とは、ドイツ精神をもって共通普遍の

劇を創造または理解し、芸術により社会を改革することができる存在である。

そして、この「民衆」の存在こそが、「未来の芸術作品」の創造において必要条

件なのである。「民衆」と「劇(ドラマ)」とは、ワーグナーがロマン派音楽の

始祖たるベートーヴェンに見出し、ロマン主義芸術思想における一つの理想形

として掲げたものにほかならないのである。

Beginn der Musik der Romantik in Deutschland Romantik und der ,,deutsche Geist“ bei Wagner

Hiroki INABA

In dieser Arbeit behandele ich, das Denken von Richard Wagner (1813-1883), der eine zentrale Figur in der Musik der Romantik in Deutschland war. Dabei analysiere ich Wagners Kunsttheorie und Philosophie al eine Strömung der Musik der Romantik in Deutschland.

Im ersten Kapitel gebe ich einen Überblick über Wagners Biographie und den historischen Hintergrund. Wagner war an verschiedenen Orten als Komponist und Dirigent tätig. Er hat an der Märzrevolution teilgenommen. Danach ist er ins Exil nach Zürich gegangen. Er hatte also auch eine revolutionäre Seite.

Im zweiten Kapitel betrachte ich Wagners Interpretation der Musik von Ludwig van Beethoven(1770-1827). Er war ein Bewunderer von Beethoven in jungen Jahren. Bei der Komposition von neuer Musik stand er unter sehr großem Einfluss von Beethovens Werken. Daher behandele ich hier Wagners Schriften ,,Beethoven" (1870) und seinen Roman ,,Eine Pilgerfahrt zu Beethoven" (1840). Ich beleuchte hier, wie er Beethoven als Quelle für eigene Ideen in seiner Musik interpretierte. Wagner verstand Beethovens Werk, der sich der damalagen klassischen Musik entgegenstellte, und sah in der Komposition der Neunten Sinfonie eine Erweiterung des Horisonts der Musik der Romantik. Auch Wagner hat Schaffen von neuen musikalischen Dramen gegen die Französisch Zivilisation und Französisch Musik beabsichtigt. In der Neunten Symphonie, in der das Zusammenspiel von absoluter Musik und Poesie verwirklicht ist, hat Wagner Beethoven als Pionier in der ,,Das Kunstwerk der Zukunft" angesehen.

Im dritten Kapitel behandele ich drei Schriften von Wagner aus seiner Züricher Zeit: ,,Die Kunst und die Revolution“(1849) ,,Das Kunstwerk der Zukunft“(1849) und ,,Oper und Drama“(1851). Im ,,Drama“ arbeiten alle Künste gleichberechtigt zusammen. So entfaltet jede Kunst im ,,Drama“ ihre eigenen Kräfte. Als Träger eines Kunstwerkes der Zukunft versteht Wagner laut ,,Drama“ das ,,Volk“. Nur ,,das Volk“ kann ein allgemeines Drama im ,,deutschen Geist“ schaffen und verstehen, und nur das ,,Volk“ kann die Gesellschaft durch eine Kunstrevolution der Kunst reformieren. Die Existenz dieses ,,Volk“ ist eine notwendige Bedingung bei der Schöpfung eines Kunstwerk der Zukunft. Wagner sieht in der Verbindung von ,,Volk“ und ,,Drama“ bei Beethoven, dem Begründer der Musik der Romantik in Deutschland, die ideale Form des romantischen Gedankens.

ケストナーの「不服従」

佐藤れい

エーリヒ・ケストナー(Erich Kästner,1899-1975)は著名な児童文学作品を数

多く発表し、反戦論者としても知られる作家である。彼は第二次世界大戦下で

反ナチスとして執筆を禁じられながらも亡命することなく 12 年間ドイツに留ま

り、ナチスに対し「不服従」を貫いた。 戦時下のドイツでひそかに生活する中で彼は周囲のドイツ国民を分析した。

ナチスの積極的賛同者や消極的賛同者、反ナチス派様々だが、ドイツ国民には

上の権力に服従する従属性が秘められており、その原因はドイツの教育にある

とケストナーは述べている。ドイツの学校では厳格な規則の遵守、教師や上級

生への絶対服従が強いられる。ケストナーは教員養成学校と兵営で理不尽な体

罰を受け、病気になった経験があり、そうした教育現場の風潮をひどく嫌悪し

た。何らかの権力を行使する立場にある者は、罰を与える厳格さと共に人の苦

しみを理解する寛大さを有しなければならならず、これは権威者としての規範

だと言える。 教員養成学校以前の子ども時代をケストナーは鮮明に覚えている。子ども時

代は大人になった後でも物事を正しく判断する手立てになると、「子どもでない

者」達に対し子ども時代を思い出すように求めている。幼いケストナーは非常

に勤勉な子どもであった。こうした自身の幼少期とは異なる、勤勉であれども

活発な「子どもらしい子ども」を理想的な子ども像として作品に描き出してい

る。また、ケストナーは子どもには子どもの苦しみがあると理解し、それは大

人の苦しみに劣らないと考えていた。彼の描く子ども達は賢く、悪に立ち向か

う勇気と強さを持つ。悪い大人に挑み、権威を恐れず不正を断罪する子ども達

には、ケストナー自身の「不服従」の姿勢が表れている。 ケストナーは、自身の自由主義を持ち続け、規則と指導者に対して盲目的に

従順な周囲の学生を反面教師としながら、理不尽な命令や暴力に対する「不服

従」の精神の基礎を築いた。戦時下においてもナチスに対して「不服従」が可

能であったのはケストナーが「子ども時代を忘れていない大人」だったからで

ある。彼は子どもの素直さと正直さを持ち、悪を疑問視する姿勢を失っていな

い。独裁政権下で彼を精神的に導いたのは幼い頃に形作られた「子どもの感性」

である。それは彼の作品の子ども達の描写に反映されている。 また、ケストナーの「不服従」は、そうした感性を失わせ、学生に臣下の様

な服従を強いるドイツの教育に対する痛烈な批判でもあった。

Kästners ,,Ungehorsam“

Rei SATO Erich Kästner(1899-1975)hat viele berühmte Bucher für Kinder veröffentlicht. Und er

ist berühmt als Pazifist. Im Zweiten Weltkrieg haben die Nazis ihm verboten zu schreiben. Trotzdem ist er in Deutschland geblieben. So hat er einen ,,Ungehorsam“ durchgesetzt. Im Zweiten Weltkrieg hat er die Deutschen analysiert. In dieser Zeit gab es in Deutsch-

land Gegner und Befürworter der Nazis und ihrer Ideologie. Kästner glaubte, dass die Deutschen der Regierung und ihrer Macht gegenüber gehorsam waren. In der damaligen Schulerziehung wurden die Schüler zu Gehorsam gezwungen, und

sie mussten sich an strenge Vorschriften halten. In Kästners Lehrerseminar und auch in der Kaserne wurden er von seinen Vorgesetzten körperlich gezüchtigt. Davon wurde er krank. Er hat diese Tradition des deutschen Erziehungssystem gehasst. Kästner hatte viele deutliche Erinnerungen an seine Kindheit. Nachdem Erwachsen-

werden, waren die Erfahrungen der Kindheit nützlich. Kästner war ein sehr fleißiges Kind. Aber er hat zu viel studiert. In seinen Werken hat er fleißige und lebhafte Kinder als ideale Kinder geschildert. Kästner hatte ausserdem großes Verständnis für kindliches Leiden. Kästner zeichnete

die Kinder in seinem Werk als mutig, klug und hart im Nehmen. Die Kinder in Kästners Werk traten schlechten Menschen entschlossen entgegen, und bemühten sich um deren gerechte Strafe ohne Angst vor Autoritäten zu haben. In dieser Haltung manifestiert sich Kästners ,,Ungehorsam“. In seinem Beruf als Lehrer war er ein abschreckendes Beispiel für alle Schüler, die

sich blind Regeln und autoritären Figuren unterordneten, und er legte somit die Grund- für einen Geist von ,,Ungehorsam‘‘ gegenüber Gewalt und ungerechten Befehlen. Ich glaube, dass Kästner nur deshalb seinen ,,Ungehorsam“ durchhalten konnte, weil er ein Erwachsener war, der seine Kindheit nicht vergessen hat. Seine Folgsamkeit und Ehrlichkeit hatten etwas kindliches, gleichzeitig hat er während der ganzen Zeit der Nazi-Herrschaft seine zweiflerische Haltung gegenüber dem Bösen nie verloren. In der Zeit der Nazi-Herrschaft, hat ihn seine kindliche Sensibilität geistig unterstützt. Die in seinen Werken dargestellten Kinder, haben das widergespiegelt. Somit war Kästners ,,Ungehorsam‘‘ eine scharfe Kritik an der damaligen deutschen

Erziehung.

エーリヒ・ケストナー『ファービアン』研究 ――その時代背景と大都市描写――

田中沙紀 本論文では、エーリヒ・ケストナーの小説『ファービアン』を取り上げ、そ

の時代背景および舞台である大都市ベルリンの描写手法から、ケストナーが読

者に伝達しようと試みたものは何であるかを考察する。 第一章では『ファービアン』が執筆された1930年ごろの時代背景を政治、経

済、社会面から振り返る。その時代は、大衆文化が花開く一方で政治面・経済

面ともに安定しているとは言いがたかった。またその状況のなかにあって国民

感情も不安定で複雑なものであった。そのような時代背景のなかでケストナー

は、文化や機械の発達により生まれでた決して美しいとは言えない新しい現実

から逃避することなく客観的な姿勢でありのままを表現し、伝えた。『ファー

ビアン』では、失業と貧困、人々の生活態度、右翼と左翼の対立、第一次世界

大戦の影響、機械化と労働者、売春の横行、交通網の発達が時代背景を踏まえ

て描かれている。また、類似する特徴を持つ同時代の作品としてブレヒトのオ

ペラ『マハゴニー市の興亡』が挙げられる。このように客観的にありのままの

現実を描いた作品は文学史上で新即物主義として位置づけられている。 第二章では大都市を描くさまざまな手法に注目した。『ファービアン』では

モンタージュ、各章の見出し、語り手の介入とさまざまな手法が駆使されてい

る。大都会に住む若者ファービアンを通してモンタージュ的に組み合わされた

大都市ベルリンのさまざまな場所、人々が描かれる。そこで見えてくる大都市

の状況は第一章で詳細に確認したように決して美しいものではなく、生々しい

現実を読者に突きつける。そして、ケストナーは各章の見出し、語り手の介入

によって感情移入してしまいがちな主人公から読者に距離を取らせることを試

みた。この試みにより、物語世界に浸っている読者を立ち止まらせ、思考を促

すことができるのである。このようにケストナーは不安定な社会状況の中で、

大都市ベルリンの現実を一人の若者を通して描き、技法を駆使することで小説

に描かれた事柄を物語の中で完結させるのではなく、読者自身の生活、人生に

関わる現実として捉え、思考させることを意図していたと私は結論づける。

Eine Studie zu Erich Kästners „Fabian“: historischer Hintergrund und die Darstellung der Großstadt

Saki TANAKA

Erich Kästner (1899-1974) war Schriftsteller und schrieb viel Lyrik und Romane. Diese Abhandlung behandelt seinen Roman „Fabian“ (1931), und ich analysiere, was Kästner seinen Lesern vermitteln wollte, anhand des geschichtlichen Hintergrunds und der Darstellung der Großstadt Berlin. Im ersten Kapitel behandele ich den geschichtlichen Hintergrund, vor dem „Fabian“ geschrieben wurde. Dabei setze ich drei Schwerpunkte: Politik, Wirtschaft und Gesellschaft. Der Schauplatz von „Fabian“ ist das Berlin der Weimarer Republik im Sommer 1930. In den 1920er und 30er Jahren entwickelte sich in Deutschland die Volkskultur. Aber Politik und Wirtschaft waren in dieser Zeit sehr instabil. Das vorherrschende Gefühl in der Bevölkerung war auch instabil und kompliziert. In dieser Situation stellte Kästner objektiv die unschöne und harte soziale Wirklichkeit in „Fabian“ dar: Arbeitslosigkeit, Armut, Kämpfe von Rechten und Linken, das Erbe des Ersten Weltkriegs, Probleme im maschinierten Arbeitsalltag der Arbeiterschaft, Prostitution und Verkehrsentwicklung. Bereits Bertolt Brecht behandelte diese Motive in seinem Theaterstück „Aufstieg und Fall der Stadt Mahagonny“ (1929). Diese Werke, in denen die Wirklichkeit objektiv beschrieben wird, gehören zur sogenannten Neuen Sachlichkeit in der Literaturgeschichte. Im zweiten Kapitel betrachte ich drei Darstellungstechniken in „Fabian“. In diesem Roman benutzte Kästner drei Techniken: die Montage, die Überschriften für jedes Kapitel und die Intervention des Erzählers. Durch die Hauptfigur Fabian stellte Kästner verschiedene Orte und Menschen in der Großstadt Berlin dar und fügte alle wie eine Montage zusammen. Deren beschriebene Situation war nicht schön, und Kästner zeigt dem Leser eine klare und harte Wirklichkeit. Mit Hilfe der Überschriften für jedes Kapitel und der Intervention des Erzählers versuchte er, eine gewisse Distanz zwischen dem Leser und der Hauptfigur Fabian zu schaffen. Auf diese Weise gelingt es Kästner, den Leser zum Nachdenken zu bringen, in dem er ihn auch formal zum Innehalten zwingt. Kästner lebte in einer unsicheren Zeit und die Wirklichkeit der Großstadt Berlin stellte er aus der Sicht Fabians dar. Überdies schrieb er den Roman mit verschiedenen Darstellungstechniken. Auf diese Weise brachte Kästner nicht nur den Roman zu Ende, sondern versuchte damit auch, seinen Leser zum Nachdenken anzuregen, damit er die in „Fabian“ geschilderte Problematik auch auf sein eigenes Leben in Bezug konnte.

グスタフ・ラートブルフの思想 ――動物保護における人種差別への抵抗理論――

松田瑛里子 本論文では、ドイツの法哲学者・政治家であるグスタフ・ラートブルフ(Gustav

Radbruch, 1878-1949)を取り上げた。ワイマール時代に司法大臣を務めたラート

ブルフは、1922 年に刑法改正草案を起草した。この草案における動物保護の規

定は、1933 年の動物保護法に受け継がれた。1933 年の動物保護法においては、

ドイツ全土に効力を及ぼす法としては初めて、それまでのドイツの各領邦での

動物保護規定において見られていたような、人間の保護に焦点を当てた動物保

護思想ではなく、動物自体を保護することを目的とした動物保護思想が、法文

中に明確に表現された。 1933 年からは、ユダヤ人や精神障害者・ジプシーなどがナチスによって大量

虐殺された一方で、動物は法律によって手厚く保護されるようになった。ナチ

ス時代の動物保護は、純粋な動物愛護的意図から由来した部分も認められる一

方、民族至上主義的イデオロギーを国中に浸透させ、ユダヤ人に対する人種差

別を行うための手段としても用いられた。このナチスの動物保護法に関しては、

純粋な動物保護の面においても、民族至上主義イデオロギーとしての面におい

ても、ナチス以前、特にワイマール時代からの思想的連続性が存在していた。 ラートブルフは、動物保護思想と結びついたユダヤ人排斥の風潮に対し、明

確に反対する姿勢を示した。本論文では、ドイツ社会のマイノリティであるユ

ダヤ人が、人間の基本的権利の一部である宗教の自由を、ユダヤ教の儀礼畜殺

を動物保護法によって禁止される形で侵害されたという歴史的事実を確認し、

ユダヤ人に対する人種差別に反対しユダヤ人擁護を行ったラートブルフの主張

および思想的背景を分析することで、ラートブルフの思想の現代的意義を考察

した。結果的に、ドイツの動物保護分野における反ユダヤの傾向は時代が下る

につれ強くなっていき、ナチスが政権を取った後の動物保護法は露骨なユダヤ

人迫害の根拠として使われた。しかし、人間の権利の保護が、他の何物にも勝

って重要であるとするラートブルフの主張は、現代の動物保護の観点からも注

目する価値がある。

Gustav Radbruch -Zur Theorie seines Widerstandes gegen Rassendiskriminierung in seinen

Schriften zum Tierschutz-

Eriko MATSUDA Meine Abschlussarbeit behandelt Gustav Radbruch (1878-1949), der in Deutschland

Rechtsphilosoph und Politiker war. Im Jahr1922 verfasste Radbruch, der in der Weimarer (1918-1933) Justizminister war, den Entwurf der Verbesserung des Strafrechts. Die Bestimmungen zum Tierschutz aus diesem Entwurf flossen in die Bestimmungen zum Tierschutz von 1933 mit ein. Im Tierschutzgesetz von 1933 wurde der Gedanke des Tierschutzes, dass das Tier um seiner selbst willen zu schützen sei, und nicht wie bisher wegen der Menschen geschützt werden müsse, zum ersten Mal ausdrücklich formuliert, und wurde in ganz Deutschland juristisch wirksam. Somit wurden seit dem Jahr 1933 Tiere im Tierschutzgesetz liebevoll geschützt,

während zur gleichen Zeit Juden, psychisch kranke Menschen oder Sinti und Roma von den Nazis verfolgt und ermordet wurden. Der Tierschutz in der Nazi-Zeit fußte also zunächst auf dem einfachen Gedanken, dass Tiere schüztenswertes Leben waren. Gleichzeitig wurde dieses Gesetz aber auch als Mittel zur Diskriminierung der jüdischen Bevölkerung im Sinne der nationalsozialistischen Ideologie missbraucht. Im Tierschutzgesetz von 1933 wurden also sowohl der Gedanken des reinen Tierschutzes aus der Weimarer Republik als auch Teile der nationalsozialistischen Ideologie fortgeführt. Radbruch hat seinen Widerstand gegen den Antisemitismus, den die Nazis mit dem Gedanken des Tierschutzes verknüpft hatten, klar zum Ausdruck gebracht. In dieser Arbeit beleuchte ich die historischen Tatsachen, dass das Verbot rituelles

Schächtens von koscheren Tieren gegenüber der jüdischen Minderheit in Deutschland durch die Nazis aufgrund des Tierschutzgesetzes eine Einschränkung ihres Rechts auf freie Ausübung der Religion darstellte, das eines der grundlegenden Menschenrechte ist. Durch meine Analyse von Radbruchs Aussagen und seiner Geisteshaltung wird deutlich, dass sich Radbruch in seinen Schriften gegen die Diskriminierung der Juden gestellt und sich für ihre Unterstützung eingesetzt hat.

シュティフター『石さまざま』における子供時代と大人の世界の対比

――『白雲母』を中心として―― 紋谷穂澄

本論文ではシュティフター(Adalbert Stifter, 1805-1868)の作品、『石さまざま』

(„Bunte Steine”, 1852)に収められている『白雲母』( „Katzensilber”, 1852)を

主に取り上げ、その物語の中に登場するとび色の女の子がどういった存在か、

そして物語の最後で突然去ってしまう理由を考察する。 第 1 章「『白雲母』は昔話か」ではリュティ(Max Lüthi, 1909-1991)による昔

話の様式論、プロップ(Vladimir Iakovlevich Propp, 1895-1970)による昔話の構

造論に『白雲母』を当てはめ、『白雲母』における主人公はとび色の女の子か 3人姉弟の末っ子ジギスムントであるかを論じる。とび色の女の子とジギスムン

トは昔話の様式、構造から考えてどちらも主人公と捉えることができる。2 人は

互いの存在を補い合う。 第 2 章「子供時代と大人世界の対比」では『石さまざま』(„Bunte Steine”, 1852)に視野を広げシュティフター作品における子供と大人の違いを述べる。子供は

自然に親しみ、死や滅びを認識しないながらも免れる存在である。一方大人は

死や滅びに怯え、実際に亡くなる。また大人は自然の力を利用する一方で子供

はありのままの自然を楽しみ、遊ぶ。子供は自然に親しい存在である。大人の

他の特徴として、良い大人は子供に対して教育を与えたり、子供の出自を明ら

かにしようとする。 『白雲母』に登場するとび色の女の子には謎が多く、生活感や現実味が薄い。

彼女は森から来て森へ帰る、自然界の存在である。大人を避け、子供たちと祖

母に親しむ。彼女は子供たちの命を救い、成長を促す存在である。とび色の女

の子が農園を立ち去った理由としては、1 つには大人が子供からの贈り物を受け

取らなかったこと、2 つ目は農園の両親が与える幸福がとび色の女の子にはふさ

わしいものではなかったこと、3 つ目にはとび色の女の子は成長できない存在で

あるからだとした。 シュティフター作品の特徴には、「子供はよく導かれるべき」というものがあ

る。とび色の女の子は異界からの救い手であり、未来への導き手である。彼女

は人間の知恵と自然の力が調和した存在でもある。

Der Kontrast von Kindheit und Erwachsenenwelt in Adalbert Stifters Werk "Bunte Steine"

Mit Schwerpunkt auf die Erzählung “Katzensilber” Hozumi MONYA

In dieser Arbeit betrachte ich Adalbert Stifters Erzählung „Katzensilber“ (1852), die in „Bunte Steine (1852) veröffentlicht wurde. Insbesondere betrachte ich, was für eine Figur das braune Mädchen ist, und den Grund warum sie plötzlich am Ende die Geschichte verlässt.

Im ersten Kapitel wende ich die Stiltheorie der Volksmärchen von Max Lüthi (1909-1991) sowie die Strukturtheorie von Vladimir Iakovlevich Propp (1895-1970) auf „Katzensilber“ an. Und ich argumentiere, wer der Held von „Katzensilber“ ist, das braune Mädchen oder Sigismunt. Ich glaube, dass beide Figuren, das braune Mädchen und Sigismunt die Hauptfiguren der Geschichte sind. Die beiden Figuren ergänzen sich also gegenseitig.

Im zweiten Kapitel betrachte ich diesen Aspekt in allen Erzählungen von „Bunte Steine”. Dort arbeite ich die wichtigsten Unterschiede in der Darstellung von Kindern und Erwachsenen heraus. Kinder können sich mit Natur befreunden. Sie können zwar Tod und Zerstörung nicht erkennen, aber sie können ihnen entgehen. Auf der einen Seite fürchten sich Erwachsene vor Tod und Zerstörung und sterben am Ende. Andererseits nutzen Erwachsene die Kräfte der Natur, während Kinder sie als solche erkennen und mit ihr spielerisch umgehen. Kinder sind in der Nähe von Natur. Ein weiteres Merkmal von guten Erwachsenen bei Stifter ist, dass sie die Kinder erziehen, indem sie ihnen zum Beispiel deren Geburt und Herkunft erklären.

Das braune Mädchen in „Katzensilber“ hat viele Rätsel. Sie hat wenig Sinn für Alltag und Realität. Sie ist ein Wesen der Natur. Sie kommt aus dem Wald und kehrt in ihn zurück. Sie flieht vor den Erwachsenen. Sie ist mit anderen Kindern und der Großmutter gut befreundet. Sie rettet den Kindern und der Großmutter das Leben, und fördert ihre Entwicklung. Der erste Grund, warum das braune Mädchen den Bauernhof verlässt, ist dass die Erwachsenen die Geschenke der Kinder nicht annehmen. Der zweite Grund ist, dass das Glück der Eltern, nicht für das braune Mädchen geeignet ist. Der dritte Grund, warum sie den Bauernhof verlässt, ist, dass das braune Mädchen dort sich nicht entwickeln kann. Eine Besonderheit von Stifter ist überdies, dass er glaubte, „Kinder müssten gut angeleitet werden." Das braune Mädchen kam als Retterin aus einer anderen Welt, und ist eine Art Führerin der Kinder in die Zukunft. Außerdem ist sie eine Figur, in der menschliche Weisheit und Naturgewalten im Gleichklang sind.

新潟大学人文学部 西洋言語文化主専攻プログラム

Chiaki ISHIKAWA

Considérations sur l’estimation de la Tour Eiffel

La Tour Eiffel est une tour qui a été construite sous la direction de

Gustave Eiffel(1832-1923) à Paris en 1889. C’était le monument de

l’exposition universelle et c’est célèbre comme un des attractions de Paris et

beaucoup de touristes y visitent jusqu’à présent. Aujourd’hui la Tour est

aimé de tout le monde mais elle avait été critiquée par une partie des artistes

lors de sa construction. Et la Tour a été également apparue comme œuvre

d’art.

Mon étude a traité de l’influence de la Tour sur l’histoire de France à

travers les analyses de cette critique. Par la suite, j’ai trouvé que la Tour a

apporté un grand changement dans l’art français du XIXe siècle et l’histoire

de France.

Dans le premier chapitre, j’ai écrit l’histoire de fer en tant que

matériau de construction, avec la vie de Gustave Eiffel, et le rôle pratique de

la Tour. Dans ce chapitre, J’ai trouvé que la Tour n’était pas seulement le

monument mais un établissement très utile.

Et dans le deuxième chapitre, j’ai analysé la protestation écrite par

les artistes contre la construction de la Tour. Ils avaient été opposés à ce que

la Tour a été construite par le fer. Et par les analyses des œuves d’autres

artistes par exemple Apollinaire et Seurat, j’ai compris que la naissance de la

Tour a donné une grande influence pour l’art contemprain.

J’ai conclu que la Tour Eiffel a dirigé la France pour l’avenir. C’était

naturel puisque la tour de fer incarnait le progrès de la science à cette

époque . A la fin de XIXe siècle la plupart des constructions avaient été en

pierre mais la Tour a été construit avec le fer. La Tour Eiffel faite de fer est

devenue le bâtiment spécial pour la France.

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

Miho OGAWA La Réception des films du Studio Ghibli en France ―Une réflexion sur Le Voyage de Chihiro ―

Le Voyage de Chihiro (2001) est l’ œuvre qui a obtenu un Ours d'or lors du Festival

International du Film de Berlin en 2002, et qui a rendu Hayao Miyazaki mondialement célèbre. En France, ce film est sorti dans les salles en 2002 et a reçu des critiques très positives. Dans cet essai, je vais mettre en évidence la façon dont les Français perçoivent le monde tel qu’il est retranscrit à travers ce film. Dans un premier chapitre, je résumerai sur ce qui concerne le film d’animation japonais en France en m’appuyant sur la filmographie de Miyazaki. Selon les critiques français de l’animation japonaise, à l’origine ses films n’étaient pas tellement mise en avant. Cependant, la sortie de Porco Rosso (1992) va peu à peu attirer l’attention et lui accorder de plus en plus de crédit dans le milieu . C’est avec Le Voyage de Chihiro qu’il marque un tournant dans sa carrière de cinéaste et se hisse au rang des réalisateurs les plus prometteurs de cette époque. D’autre oeuvres qu’il avait réalisé auparavant (Mon voisin Totoro, Kiki la petite sorcière, etc...) vont également être présentées officiellement dans les cinémas. C’est ainsi que Miyazaki et ses films gagnent la popularité et séduisent un large public en France. Dans le deuxième chapitre, j’analyserai le point de vue des Français concernant

l’univers dépeint dans Le Voyage de Chihiro. Ce film est en effet grandement influencé par le shintoïsme et la culture Kotodama. Ceux-ci y sont représentés grâce à l’imaginaire débordant de Miyazaki comme belle illustration merveilleuse qui se laisse contempler. Par la comparasion des dialogues entre la version japonaise et française du film, et d’après les résultats de l’enquête réalisées auprès des Français, j’en suis venu à constater que ceux-ci étaient bel et bien réceptifs à la belle image dégagée par cette œuvre sublime. Je pense aussi que la croissance de Chihiro tout au long du film et son gain en maturité sont aussi bien ressentit par les spectateurs. En conclusion, je dirais que les Français se voient fascinés par l’évolution de Chihiro dans cet univers fantastique et sont subjugués par un charme illusoire omniprésent. La culture japonaise est encrée et enfouie dans ce mirage, et c’est de cette manière qu’elle arrive dans le cœur des Français.

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

Aya SASAKI Le Japonisme dans les arts décoratifs

De la fin du XIXe siècle au début XXe siècle, l’art français a pris du

développement innovant. C’est l’Art Nouveau. Dans ce mémoire, j’ai envisagé sur le

Japonisme qui l’a influencé avec son domaine des art décoratifs.

Le Japonisme, dans un sens large, signifie des phénomènes autour de

l’influence que l’art japonais du XIXe siècle a donné sur l’art occidental. Il contient

non seulement l’élément de la Japonaiserie qui est considéré comme un de

l’exotisme, mais son effet s’étend jusqu’au principe de la modélisation, au style

structural et aux valeurs.

Le Japonisme s’est produit dans tous les domaines artistiques. En

particulier, le domaine de l’art decoratif a beaucoup ébranlé la phase de l’art

traditionnel dans la société occidentale. À cette époque en France, était à la mode le

mouvement des arts décoratifs qui s’est destiné à éliminer la distinction entre l’art

majeur et l’art mineur. Les arts artisanaux japonais étaient considérés comme

fusion entre la vie et l’art, et ils ont été acceptés comme modèles de réalisation de la

conception artistique qui ne présente pas la séparation entre l’art majeur et l’art

mineur.

Puis, le mouvement a eu pour objectif d’une création de l’art nouveau, et l’a

atteint. L’art japonais a aussi influencé des traits de modélisation dans les

artisanaux de l’Art Nouveau ; par exemple, utilization des motifs naturels de

végétations au insectes, petits animaux, arrangement de motifs et forme

asymétrique. Cependant, les artisans d’art francais n’ont pas imité l’art japonais

purement et simplement. Ils l’ont adopté en laissant leur propres noyaux comme

tradition français, valeurs français etc. Enfin, ils ont réussi à produire la création

toute nouvelle.

En conséquence, je considére que le Japonisme fut l’un des tendances qui

composent l’Art Nouveau, et en plus une clé de la création nouvelle chez les artisans

d’Art Nouveau. D’ailleurs, il vas sans dire que enthousiasme du Japonisme était

énorme. L’art japonais n’a pas seulement été utilisé par les gens Européans, mais il

peut avoir laissé l’influence plastique dans leurs âmes.

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

Yukino HORI Réflexion sur la culture celte et les croyances de la nature

-Arbres et croyances-

Autour de 700 avant Jésus-Christ, les Celtes sont une nation qui est

apparue en Europe centrale et a dominé un vaste territoire. Ils se sont déplacés

depuis le continent jusqu’aux îles Britanniques, et les Celtes ont développé leur

propre culture en fusionnant leurs croyances avec celles des populations indigènes.

Ce mémoire tentera de décrire sommairement les croyances celtes. Car les

croyances sont à la base de cette culture que je voudrais mieux comprendre.

Les croyances celtes faisaient grand cas de la nature environnante. Les

Celtes étaient appelés <le peuple de la forêt>, les croyances portant sur les arbres se

sont trouvées çà et là. Je pense qu’elles étaient importantes et je les traite ici .

Tout d’abord, dans la première partie, je donnerai un apercu de ce qu’était

le peuple Celte. La première section, traitera de l’histoire des Celtes et la deuxième

partie présentera les caractéristiques des croyances celtes relatives aux arbres.

Dans la deuxième partie, je détaillerai quelques exemples concrets des

croyances sur la base de la première partie . Je m’attarderai sur le cas des reliques

sculptées Esusu, le dieu des arbres ainsi que celles gravées Cernunnos, le dieu

maître de la nature. Je parlerai également des druides qui avaient une position

importante dans la société celte.

Sur la base de ces exemples concrets je conclurai sur l’importance des

arbres pour les Celtes. Pour les Celtes les arbres symbolisaient la <renaissance>

et l’ <abondance>. Le terme de <Renaissance> signifie ici le cycle des naissances

L’idée d’<Abondance> vient des fruits que portent les arbres et dont bénéficient les

hommes. Les arbres étaient considérés et respectés comme source de vie. On peut

conclure les Celtes était un peuple qui honorait la nature.

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

須藤沙織 ロシアの色彩文化 ~慶弔色の日本・ロシア比較~

<はじめに> 色に対するイメージは国によって異なりなおかつ時代によって変遷する、共通の定義が

存在しないものである。このように広い概念である色の中でも、本論文では白と黒を取り

上げて考察を行った。日本においては慶弔色として浸透しているこの二色であるが、ロシ

アでもそれは同じであるのか、異なる場合はどういった点が異なるのかを考察することで、

祝いと弔いという二つの観点からロシアを理解することを目的とした。 <内容> 第一章では、日本とロシアにおける白と黒に対するイメージの差異について述べている。 イメージの差異を探るうえで、本論文では両国の代表的な辞典に加え、色から連想する単

語を取りまとめたアンケートを二次資料として使用した。 第二章では、日本とロシアにおける慶弔色について述べている。古代から現代にいたる

まで、両国における慶弔色はどのような変遷を辿ったのかを両国における婚礼の服装と葬

儀の服装としてまとめ、その変遷の要因について第一章で得られた結果を用いながら考察

した。 <おわりに> 今回、主題として「ロシアの色彩文化」を掲げ、その中でも慶弔色について日本とロシ

アを比較しながら考察したが、ひとつに慶弔色といってもアプローチの方法は様々にある

べきだと感じた。慶弔色の変遷とその背景にある要因を探ることはもちろん、その色がそ

の国の文化圏内でどのような役割を果たしてきたのか・果たしているのかといったより多

角的な視野が必要である。 本論文で得られた結果から、他文化における色について考える際には単なる現在の主流

な色づかいや色へのイメージだけでなく、それが成立するまでの経緯や歴史をたどること

が必要であると考えた。日本とロシアにおける白と黒の歴史にはそれぞれの変遷があり、

たとえ同じ色が用いられているとしてもそこに込められている意味が異なっていたり、そ

もそも同じ白や黒といっても当時の資料を読み比べてみると色に若干の差があったりする

ほか、慶弔色については白と黒のみでは論じられない特徴が日本とロシアの両方に存在す

ることが明らかになるなど、色という概念の広がりを改めて認識した。特に視認した際の

色の違いは資料の読解だけでなく実物に当たることが必要であり、前述したように、色に

ついては実に多くのアプローチを試みるべきだと感じた。

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

若井良太 映画監督タルコフスキーについて ソ連を代表する映画監督であるアンドレイ・タルコフスキーは、ソヴィエト当局との対

立や軋轢に苦しみながら、短い人生の中で 8 つの映画作品を制作した。父親のいない家庭

で幼年期を過ごし、冷戦の雪解けの中で成長していったタルコフスキーの作品には、彼の

独特な特徴が表れている。そして時に、その特徴ゆえタルコフスキーの映画は難解で理解

できないと評されることがある。本論文では、その原因となる特徴はどういったものであ

るかについて考察した。 第一章ではアンドレイ・タルコフスキーの生涯と彼が制作した作品について紹介し、故

郷、父親、詩など彼の作品に影響を与えていると考えられる重要な出来事などを確認した。 第二章では 8 つの作品の内、原作があり、SF 作品である『惑星ソラリス』と『ストーカ

ー』に特に注目して原作との違いを考察することで、タルコフスキー作品の特徴を探る手

がかりにした。『惑星ソラリス』ではスタニスワフ・レムの原作に新たに地球でのシーンや

主人公の幼少期のイメージを加えることで、舞台、主題、結末に違いを生み出した。その

ため『惑星ソラリス』は、作品の舞台などの表面的な部分においては類似する点を見せる

ものの、その本質においては原作とは全く異なる作品であるといえる。また『ストーカー』

においても三一致の法則を用いることや、主人公の性格の変更などにより、いくつかの点

で共通点があるものの、構成や舞台において違いの多い作品になった。これらの違いが生

まれた原因はタルコフスキーが人間の心理状態の変化を作品の主題にしようとしていたか

らであると考えられる。またタルコフスキーは観客に対して芸術家の思想を感じ、理解す

ることを求めていたため、作中における SF 的な要素とそれに関する情報を極力排除した。

なぜならばタルコフスキーは SF 的な要素に関する作中での説明は、観客が物語を理解する

うえでは役に立つかもしれないが、それに従い映画の思想を分かりにくくしていくと考え

ていたからである。しかしこのことが観客に作品への集中を強いているということから、

タルコフスキー作品の難解さの一つの原因であると判断した。 第三章では、タルコフスキーの映画に共通する特徴を考察した。タルコフスキーの作品

には子供や詩など、彼の実際の人生に重要なテーマが用いられていた。つまりタルコフス

キーは映画を制作する際、自分の人生の経験や思想を切り離すことができなかったのであ

る。またタルコフスキーは、映画は時間を切り取る新しい芸術だと考え、モンタージュに

よって監督の個性を表すのだと考えていた。このような映画は時間を切り取る新しい芸術

であるという考えと、第二章で述べたタルコフスキーが人間の心理状態の変化を作品の主

題の一つに挙げているということが、タルコフスキー映画全体のカット数の少なさをもた

らしているのであり、そのことが観客に作品を見る際、スクリーンに集中することを強い、

タルコフスキーの作品は難解だという印象を与えているのだと結論付けた。