平成25(2013)年度 新潟大学人文学部 西洋言語文 …...山寺翔太朗 on cleft...

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平成 25(2013)年度 新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム 卒業論文概要 <英米言語文化> 亀井祐介 チャールズ・ディケンズ『大いなる遺産』研究 清藤絵里 ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』研究 中川幸子 C.S.ルイス『ナルニア国物語』研究 中村恵理 シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』研究 長谷川優子 カズオ・イシグロ『日の名残り』研究 松井一輝 ロアルド・ダール『チャーリーとチョコレート工場』研究 松原 ストラヴィンスキー『放蕩者の遍歴』研究 赤塚梨絵 ジェイン・オースティン『高慢と偏見』研究 栗原聡史 アガサ・クリスティー『オリエント急行の殺人』研究 藤原 J. D. Salinger, The Catcher in the Rye 研究 <英語学> 伊藤 Remarks on Double Object Constructions in English 杉山裕衣 On Anaphoric Relations in English 津野智美 On Ellipses in English 平沢香菜子 Notes on Ellipses in English 森内麻由 On Comparative Sentences in English 金子将大 On Control in English 中村勇也 On Tough-Constructions in English 拓磨 On Adverbs in English 山寺翔太朗 On Cleft Sentences in English 塚田修介 Gerunds in English <ドイツ言語文化> 眞島 レニ・リーフェンシュタールとナチ・ドイツプロバガンダ 秋葉小百合 グリム童話における兄妹について 井上みち ローテンブルクにおける景観保護の取り組みについて 岡崎香織 鷗外と「学問の自由」 佐々木郁佳 フンデルトヴァッサー絵画のモチーフについて 山際梨沙 ドイツ・北欧の伝承におけるこびとたち 太田絢子 シュタイナー教育の成立過程 佑佳 バッハ声楽作品にみる言葉 力間聡子 グリム童話・伝説集におけるホレ

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Page 1: 平成25(2013)年度 新潟大学人文学部 西洋言語文 …...山寺翔太朗 On Cleft Sentences in English 塚田修介 Gerunds in English <ドイツ言語文化> 眞島

平成 25(2013)年度

新潟大学人文学部 西洋言語文化学主専攻プログラム

卒業論文概要 <英米言語文化> 亀井祐介 チャールズ・ディケンズ『大いなる遺産』研究 清藤絵里 ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』研究 中川幸子 C.S.ルイス『ナルニア国物語』研究 中村恵理 シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』研究 長谷川優子 カズオ・イシグロ『日の名残り』研究 松井一輝 ロアルド・ダール『チャーリーとチョコレート工場』研究 松原 彩 ストラヴィンスキー『放蕩者の遍歴』研究 赤塚梨絵 ジェイン・オースティン『高慢と偏見』研究 栗原聡史 アガサ・クリスティー『オリエント急行の殺人』研究 藤原 舞 J. D. Salinger, The Catcher in the Rye 研究 <英語学> 伊藤 文 Remarks on Double Object Constructions in English 杉山裕衣 On Anaphoric Relations in English 津野智美 On Ellipses in English 平沢香菜子 Notes on Ellipses in English 森内麻由 On Comparative Sentences in English 金子将大 On Control in English 中村勇也 On Tough-Constructions in English 星 拓磨 On Adverbs in English 山寺翔太朗 On Cleft Sentences in English 塚田修介 Gerunds in English <ドイツ言語文化> 眞島 悠 レニ・リーフェンシュタールとナチ・ドイツプロバガンダ 秋葉小百合 グリム童話における兄妹について 井上みち ローテンブルクにおける景観保護の取り組みについて 岡崎香織 鷗外と「学問の自由」 佐々木郁佳 フンデルトヴァッサー絵画のモチーフについて 山際梨沙 ドイツ・北欧の伝承におけるこびとたち 太田絢子 シュタイナー教育の成立過程 原 佑佳 バッハ声楽作品にみる言葉 力間聡子 グリム童話・伝説集におけるホレ

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<フランス言語文化> 井川美優 ペロー童話に関する比較考察 市川 透 映画『天井桟敷の人々』の研究 齊藤菜津美 フランス料理文化の成立 半間麻央 フランス恋愛映画に関する考察 <ロシア言語文化> 会田ひかり ロシアの食文化について 高橋華慧 ソ連時代の児童文学が子供たちに与えた影響について 横山咲子 ゴーゴリ『検察官』について―笑いとその評価をめぐって―

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亀井祐介 チャールズ・ディケンズ『大いなる遺産』研究

チャールズ・ディケンズ (Charles Dickens, 1812-1870)の『大いなる遺産』 (Great Expectations, 1860)は、構造の統一性に加え、手の描写や火や水のイメージの繰り返しによって一貫性を出し、主人公ピップが謎の遺産に翻弄されながら成長していく物語である。

本論文の目的は、その構造や修辞表現の統一性に加え、「『愛』とは何か」という命題がい

かに作品に一貫して描かれているかを詳細に分析することである。そして、その分析を通

じ、本作品に描かれる理想的な愛の形を明らかにした。 第 1 章では、ピップが自分なりの愛の形を形成する上で学ぶ様々な愛の形を明らかにし

た。ピップが学んだのは、介護や看病を通して描かれるジョーの慈悲的な愛の形、他者の

救済を純粋に願うビディの献身的な愛の形、そして失恋による男たちへの復讐のため、冷

酷で美しい娘の養育に尽力するハヴィシャムの投資としての愛の形である。ピップは幼少

期、社会的身分の極めて低い囚人マグウィッチを助けることで慈悲的な愛を垣間見せる。

しかし、彼は最終的に一心不乱に女性を愛することに自らの愛の形を見出す。作中でピッ

プが学んだ愛の形には全て「自己犠牲」が伴い、これは『大いなる遺産』において「愛」

を表現する媒体であると言える。ここでの自己犠牲とは自らの時間及び精神的・身体的労

力を他者に払う行為であり、この章では特定の目的に用いられる「利己的な自己犠牲」と、

他者への純粋な奉仕である「利他的な自己犠牲」の 2 種類の存在を明らかにした。前者はハヴィシャムが施す養育のように、その行為に特定の見返りを要求するものであり、後者

はジョーやビディのように純粋に他者の幸福のみを願う、損得勘定の無いものである。 第 2 章では前章で明らかにした自己犠牲の要素に着目し、それぞれの愛の形における

物語の流れを考察した。作中では見返りを求める行為が滑稽なものとして描かれ、利己的

な自己犠牲に基づく、作為的な愛の形は自己中心的なものとして否定的に描かれている。

反対に、見返りを求めることのない純粋な奉仕、完全な献身である利他的な自己犠牲は、

他者に与えた分だけ感謝と愛情を呼び込む要素として肯定的に描かれている。『大いなる遺

産』では自己犠牲的なキャラクターであるジョーとビディの結婚およびピップが受け取る

マグウィッチの恩返しを通して「何も求めないからこそ与えられる」という構図で利他的

な自己犠牲に基づく愛の形が肯定されており、この章では純粋に他者を思いやる感情から

生まれる自然発生的な愛が、理想の愛の形として描かれていることを明らかにした。 第 3 章では、ディケンズにおける愛の遍歴と作品との関連を考察した。その生涯において彼は社会的身分に格差のある恋愛、そして家庭と地位を賭した浮気によって盲目の愛を

経験し、さらにはキリスト教への信仰を通して利他的な愛の形も学んでいる。彼は辛辣な

恋愛を経験することで盲目な愛の形に失望し、最終的に理想の愛の形をキリスト教に見出

すのである。それは「新約聖書の精神に忠実であれ」と説いた彼の遺書からも見て取るこ

とができ、彼の愛の遍歴は前章で明らかになった作中での理想の愛の形を支持するもので

あることを明らかにした。

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清藤絵里 ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』研究 『サイラス・マーナー』(Silas Marner: A Weaver of Raveloe, 1861)は、ジョージ・エ

リオット(George Eliot, 1819-80)の前期最後の作品として知られる。先行研究では、主人公サイラス・マーナーとゴドフリー・カスという人物を中心としたダブルプロットであ

ることが指摘されている。本論では、サイラスとゴドフリーに注目し、二人の人物像を比

較分析することで、この作品が伝統的な価値観を脱するプロットになっていることを論証

した。また、作者エリオットについても調査し、執筆当時の彼女の価値観と二人の登場人

物や作品のプロットとの関連性を考察した。 第1章では、サイラスを詳細に分析した。元々信仰の篤い青年であったサイラスは、金

貨盗難と殺人の犯人に仕立て上げられ、人間不信に陥り信仰をも破棄するが、真犯人を執

拗に探し出そうとはしない。事件の真相も、最後まで明らかになることはない。物語の後

半では、サイラスはエピーとの生活によって、幼少期に培った愛情深い心を取り戻してい

く。彼は、不遇な境遇を乗り越え大成功を収めたり、正義感が強く美徳を兼ね備えたりし

ている伝統的な主人公とは異なるが、愛情深い心を持ち、自らの経験を糧に信頼に足るも

のを模索する人物であると考察できる。 第2章では、ゴドフリーを考察した。ゴドフリーは、道徳的勇気がなく、思いやりに欠

ける人物として登場する。ゴドフリーは、エピーが実の娘であることを隠しており、ナン

シーとの間に子供が生まれないことを、「因果応報」(retribution)という言葉で表現している。物語の終盤になってエピーを取り戻そうとするが、既に手遅れである、という筋書き

はまさに因果応報に乗っ取ったプロットであると分析できる。しかし、彼が悪い方向へと

流されてしまった背景には、放任主義の父親の存在や、規律を与えてくれるものや、母親

が不在であったことがある。さらに、間接的に語られる“he ought to accept the consequences of his deeds”というゴドフリーの心情からは、ゴドフリーは自分のすべきことを知ってはいても、誤った選択をしてしまう人物であることが分かる。 第3章の前半では、サイラスとゴドフリーを詳しく比較検討した。2人には類似する性

質も見られるが、人生においてどれほど多様な経験をしたかという点で、決定的に異なっ

ている。その経験の違いは、2人の価値観に大きく影響している。特に、ゴドフリー夫妻

がエピーを引き取りにやってくる場面では、血縁関係や家柄を強調するゴドフリーと、長

年築きあげてきた絆や、労働者の生活を大切にするサイラスとエピーが、対照的に描かれ

ている。しかし、2人には決定的な違いこそあるが、最終的には、両者ともそれなりに幸

せな生活を送る。従って、この作品はゴシック・ロマンス小説に見られるような伝統的な

勧善懲悪の物語ではなく、現実社会を強く意識した作品であると言えるであろう。序盤か

ら人間の醜悪な部分が描かれていたり、事件の種明かしがなかったりすることからも、こ

の作品が単に読者の期待に応えるための小説ではないということが考察できる。 第3章の後半では、上記2人の登場人物の造型と、筆者の伝記的背景との関連を考察し

た。激動の時代の最中、エリオットは、知識人たちとの交際や思想の研究を通じて、超自

然的なものの存在を否定し、理論的に証明できるものへの信頼を強めている。執筆当時、

エリオットが伝統的価値観と新しい価値観の間で揺れていたということが、主人公サイラ

スの生き様にも見て取れる。物語において、ゴドフリーは、極端に悪い人物ではなく、善

い面と悪い面を合わせ持つ複雑な人物として登場し、伝統的価値観にとらわれ、自ら殻を

破ることのない人間として描かれる。その一方では、作品全体を通して、血縁関係や家柄

が誰にとっても価値のあるものではないことや、絶対的に信頼できるものはないことが、

サイラスによって示されている。サイラスは、伝統的な価値観にとらわれない、新たな主

人公として捉えることができるだろう。

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中川幸子 C.S.ルイス 『ナルニア国物語』 研究

―『ライオンと魔女』におけるルイスの想像の世界―

『ナルニア国物語』(The Chronicles of Narnia, 1949-1953)は、C.S.ルイス(Clive Staples

Lewis, 1898-1959)が、すでに作家として輝かしい経歴を残していた40歳頃になって着手

した子供向けの作品である。本論文では『ナルニア国物語』について、ルイスの想像力のも

ととなる彼自身の経験をもとに、本作で彼が表現したかったことを分析した。これまで、『ナ

ルニア国物語』はキリスト教あるいは聖書に描かれる物語のアレゴリーとして読まれるこ

とが多かった。しかし、ルイスの想像力が培われた経緯を詳細に調べなおすと、いかにそう

した観点だけでは不十分なのかがわかる。本作品はあくまでルイスの“想像”の産物であり、

そこにキリスト教的な要素が入っているかどうかは我々には知り得ない。というのは、ルイ

スの宗教的遍歴は複雑で、幼い頃から北欧神話やケルト神話、アイルランド神話などキリス

ト教以外の神話にも親しんでおり、それらの神話の中にはキリスト教の聖書と似たエピソ

ードをもつものもあるからだ。そのような場合、“想像”の段階で具体的にどの神話のエピ

ソードを『ナルニア国物語』に用いたのかは断言できない。

上記の問題から第 1章では『ナルニア国物語』の登場人物に焦点を当て、様々な神話の類

似性や相違点を明らかにした。そもそも、本作にはキリスト教と全く関係をもたない登場人

物も多数存在する。例えばフォーンは異教であるローマ神話の登場人物でありキリスト教

の聖書の物語には登場しない。このことから、この登場人物の意味を理解するためにはロー

マ神話などの異教の神話も考慮に入れる必要があると言えるのである。

第 2 章では様々な神話との類似性や相違点を物語の場面と照らし合わせて分析した。例

えば「アスランの犠牲と復活」の場面はこれまでキリスト教の「イエスの犠牲と復活」にな

ぞらえて考えられることが多かったが、北欧神話の「バルドルの犠牲と復活」にも当てはめ

て考えることができるのである。

第 3 章ではルイスの子供時代に目を向け本作誕生の起源を探り、ルイスの作品に大きな

影響を及ぼす「喜び」について研究した。彼は「喜び」とは「手にとることができず、はる

か昔にまた遠い彼方にありながら常に存在せずにやまぬものに対する渇望」であると記し

ている。彼にとっての「喜び」の対象は、幼い頃から親しんでいた神話の数々であり、母親

の死や劣悪な学校環境を体験した失われた子ども時代である。つまり、ルイスは自身が幼い

頃から「喜び」を感じていた様々な神話からその対象となる題材を借りてきていたのだ。そ

して、現実世界で荒んだ子供が別世界でいかに大きな成長を遂げるかを描くことで、別世界

の存在の重要性を示唆し、子どもの内に秘められた力強さや想像力の豊かさを訴えたかっ

たのである。ルイスは様々な宗教的伝統には共通する認識が存在すると考えていたことか

ら、「喜び」は宗教的背景に関係なく人々が共有できるものだと考えられるのである。以上

から、人々の「喜び」を喚起させ心を豊かにするのがこの『ナルニア国物語』であるといえ

る。

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中村恵理 シャーロット・ブロンテ『ジェイン・エア』研究

シャーロット・ブロンテ(Charlotte Brontё,1816-1855)の『ジェイン・エア』(Jane Eyre, 1847)は主人公ジェインが一人称の語りで過去の自分を回想する物語である。この作品は、ゴシック小説的要素が多く非現実的な物語である反面、寄宿学校や家庭教師(ガヴァネス)

の仕事など著者自身の経験が描かれており、現実的な物語であるとも言える。シャーロッ

トが生きたヴィクトリア朝時代は、家父長的な考え方が支配的な男性優位社会であった。

女性は社会的権利など認められず、結婚し家庭内に留まるしかなかった。この物語の主人

公は堂々と女性の権利を主張しているという点で、当時はまだ稀なヒロインであったと言

えよう。本論文では、著者シャーロットがジェインを通してどんな女性像を描き、何を伝

えたかったのかを考察した。 第 1章では、物語に登場する 5つの場所の移動によってジェインがどのように変化したかを検証した。最初の土地ゲイツヘッドでは不器量で無知な孤児であったジェインは、ロ

ーウッドでは教養を身につけ、ソーンフィールドで最愛のロチェスターに出会い、ムーア

では家族を得る。周囲の人々から受ける不当な扱いや困難を乗り越え、最終的に財産を得

て独立した女性へと成長し、盲目となったロチェスターと対等な存在として結婚する。 第 2章では、坂東眞理子の『女性の品格』(2006)を参照し、現代の品格ある女性に必要な要素をジェインがどれほど持ち合わせているかを検証した。ヴィクトリア朝時代に理

想とされていた“家庭内天使”(The Angel in the House)という女性像を全面的に否定したジェインは、当時「女性らしからぬ」ヒロインであると批判されたが、強い人に阿らな

い、身分相応の装いをしている点でジェインは現代の品格ある女性に通ずる要素を持って

いた。ジェインはヴィクトリア朝時代において新しい女性であったが、決して女性らしく

ないのではない。ジェインは物語を通して現代の女性に通ずる生き方を体現していたので

ある。 第 3章では、シャーロットの生涯とその時代背景を概観した。シャーロットの人生は父パトリックを初め、家父長的社会の男性たちに翻弄された人生であった。結婚以外では唯

一独立した女性となれる手段であった家庭教師の職業も、実際は上流階級の人々に蔑まれ

る屈辱的なものであった。シャーロットはそうした当時の社会に反抗心を抱きながらも、

実際にはひれ伏すしかなかった。しかし『ジェイン・エア』では家庭教師となったジェイ

ンは差別を受けることなく、むしろ温かく屋敷に迎えられている。作品中に家庭教師であ

るジェインを蔑む人物は登場するが、ロチェスターはその考えを否定し、最終的にジェイ

ンを選ぶ。このような点で、シャーロットの女性観は現実に打ち克つ形で作品に反映され

ていると言える。 第 4章では、シャーロットとジェインの共通点を探った。シャーロットは家父長的社会の現実から逃れるため、彼女の初期作品である『アングリア』(Tales of Angria, 1838-1839)の幻想世界へと逃避していた。その空想的要素が『ジェイン・エア』にも反映されたこと

により、ゴシック小説的要素やロチェスターとジェインのスピリチュアルな交信という非

現実的な要素が物語中に多く登場した。物語の有名な場面にジェインがソーンフィールド

の景色を眺めながら今の家庭教師の仕事にとらわれず、もっと新しい世界を見てみたいと

願う場面がある。このジェインの姿はまさにシャーロット自身の姿であり、このような点

では『ジェイン・エア』は現実的である。しかしその次の瞬間、ジェインはバーサの不気

味な笑い声を耳にする。この非現実的な要素と現実的な要素の共存によってジェインの語

りは独りよがりにならず、『ジェイン・エア』を多くの女性に共感を呼ぶ一大小説にした。 以上の議論により、本論文では、女性の権利を訴えたジェインはシャーロットの理想を

成し遂げており、シャーロットはジェインを通して男女の平等を願っていたと結論付けた。

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長谷川優子 カズオ・イシグロ『日の名残り』研究 カズオ・イシグロ(Kazuo Ishiguro, 1954-)の長編第三作として出版された『日の名残り』

(The Remains of the Day, 1989)は、1956年イギリスのダーリントン・ホールを舞台としている。執事スティーブンスは、英国の貴族ダーリントン卿に雇われていたが、卿は亡く

なり、現在は政界を引退したアメリカ人ファラディに雇われている。スティーブンスは休

暇をもらい、短い旅に出る。動機は 8 年前に結婚して屋敷を出た女中頭ミス・ケントンが仕事に復帰するよう説得することである。6 日間の旅が日記形式で語られる。本論文では、スティーブンスの語りに注目することで、彼の地理的な旅がアイデンティティの模索とい

う精神的側面をもっているとことを分析し、さらに著者の作品に関するインタビューと合

わせて考察することで、作品に込められたテーマを解き明かした。 第 1章では、まず"I gave my best to Lord Darlington. I gave him the very best I had to

give, and now - well - I find I do not have a great deal more left to give."というスティーブンスの発言などから、彼のこれまでの行動がすべてダーリントン卿にゆだねられており、

旅を始める前は、拠り所を失った彼のアイデンティティが不安定になっていると読み解い

た。次に旅の動機となったミス・ケントンからの一通の手紙の解釈の変化を分析すること

で、彼が旅の経過とともに心境が変化していると考察した。さらに彼が旅で出会う人々に

身分を偽り続けたことに注目することで、旅における彼の行動をアイデンティティの揺ら

ぎと模索と理解し、彼の地理的な旅が精神的な旅とも捉えうることを例証した。 第 2 章では、英国執事スティーブンスという設定を詳細に見ていくことで、彼を取り巻

くダーリントン・ホールでの環境においてプライベートな自分とパブリックな自分との狭

間、新しい主人と慕っていた前の主人との狭間、また執事という立場にあって主人と召使

の狭間、執事という伝統や貴族政治が終わろうとしている時代の狭間という 4点を分析し、彼が「狭間の人」と言い表せることを明らかにした。つまり、不安定な環境において、ア

イデンティティが脅かされる存在であったのである。 第 3 章では、イシグロの作品に関するインタビューと合わせて作品を読み解いていくこ

とで、イシグロが作品との間に保つ距離について分析した。『日の名残り』の舞台設定に関

して、「テーマを表現するのに合えばどこでもいいんです。〈中略〉だから舞台は日本でも

架空の町でもよかったんです」というイシグロ自身の発言を参照し、イシグロが小説の設

定を自らが意図したテーマに適合するものを選んでいることから、人物や舞台の設定は表

面的なものにすぎないと考察した。その上で、「でも僕は人間の弱い部分、人が自分に嘘を

つくに至るその全過程に興味がある」という発言などから、彼がスティーブンスの精神の

旅を通して、人間共通のテーマについて小説を描いていることを示し、『日の名残り』とい

う作品は、アイデンティティの揺らぎから自己欺瞞に至る人間共通の過程という深遠なテ

ーマをもっていると考察した。

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松井一輝 ロアルド・ダール『チャーリーとチョコレート工場』研究 ―物語におけるブラックユーモアの意義―

ロアルド・ダール(Roald Dahl, 1916-1990)は風刺やブラックユーモアに満ちた短編小説

や児童文学が有名である。彼の代表作の一つである『チャーリーとチョコレート工場』

(Charlie and the Chocolate Factory, 1964)は、世界中の子どもたちに愛されている。しかし、大人による彼の作品への評価は賛否両論であり、ブラックユーモアの残虐性について

批判されることが多かった。したがって本論では、ブラックユーモアの意義について考察

する。 第 1章では、物語に出てくるブラックユーモアを抜き出して、それらがどのような種類

のブラックユーモアであるかを考察した。そして、児童向けの作品であるにもかかわらず、

倫理的に避けられるタブーをあえて扱うダールの読者に対するメッセージを読み解いた。

ダールのブラックユーモアの中で、特に批判されている箇所は両親が子どもに対してブラ

ックユーモアを言う場面である。それはチョコレートの川で溺れている息子に対して、そ

の父親が自分の着ているスーツが汚れてしまうことを嫌って飛び込むことを拒否するとい

うものである。このように、息子の命よりも自分のスーツを大切にする発言は子どもにと

って残酷なものである。したがって模範的な児童書としては、子どもにとって残酷な表現

を避ける必要があり、そうした表現を用いることは非難されるべきことだと考えられる。

しかし、ダールが使用するのはブラックユーモアであり、単に残虐的な表現をしているわ

けではない。ブラックユーモアを用いて物語をさらに面白いものにしようとしているのだ。 第 2章では、ブラックユーモアの教育的効果について考察した。ダールはブラックユー

モアを巧みに用いることで、悪さをする子どもたちを彼独自のおもしろい方法で更生させ

ている。チョコレートが大好きで太っていた少年は、周りの人が止めるのも聞かずにチョ

コレートの川から直接チョコレートを飲み続け、誤って転落してしまう。その後チョコレ

ートの川で溺れていたところを、太いパイプに吸い込まれて自分自身がチョコレートにさ

れかける。最終的に彼はチョコレートになることを避けることはできたが、工場から出る

時にはすっかり痩せていた。このように、悪いことをすると罰せられるという流れがチャ

ーリー以外の子どもたちのプロットにも 1つのパターンとして仕組まれており、本作品を読むと自然と教訓を得られると考えた。 第 3章では、ダールの教育観を考察した。ダールは自身の人生においてブラックな、つ

まり悲惨な出来事に遭遇することが多かった。彼の人生は 3歳の時の姉と父親の早すぎる死や、長男の交通事故、長女の死など楽しいことばかりではなかったのだ。こうした複雑

な経験から彼は、児童書においてもブラックな側面を取り入れるようになったと捉えられ

るのである。 以上のことから、ダールは児童小説を書くときに、子どもたちのことを第一に考えてい

たことが分かる。いくら道徳的に素晴らしい物語であろうともその物語自体が面白くなけ

れば子どもたちが惹きつけられることはない。そして、子どもたちを楽しませ、学ばせる

ためにブラックユーモアを使ったのだ。ブラックユーモアは時に残虐であり、インパクト

が強い。その残虐さの悪影響を大人たちは懸念するが、実際に子どもたちは読んで面白い

と感じるのだ。したがって、ブラックユーモアは決して削られてはいけない重要な要素で

あると結論づけた。

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松原 彩 ストラヴィンスキー『放蕩者の遍歴』研究 ―ホガースとの比較から― 『放蕩者の遍歴―3幕によるオペラ、オーデン及びチェスター・コールマンの寓話―』(The Rake’s Progress: An Opera Three Act, Fable by Auden and Chester Kallman, 1951)はストラヴィンスキー(Igor Stravinsky, 1882-1971)によるオペラで、台本はオーデン(W. H. Auden, 1907-1973)とコールマン(Chester Kallman, 1921-1975)によって書かれている。題材はホガース(William Hogarth, 1697-1764)による連作銅版画「放蕩息子一代記」(The Rake’s Progress)である。本論文は先行研究が指摘する2点の問題点、すなわち模倣が多すぎるという点と、原作から大きく乖離していてホガースの社会批判がほとんど抜け落ちて

しまっているという問題点を、本作のオリジナリティを明らかにすることで解き明かした。 第1章は、ホガースの絵画についての考察をし、ストラヴィンスキーが絵画と出会った

事情を精査している。絵画の物語は、ある一人の中産階級の若者が莫大な遺産を手にし、

娼婦館や賭博場で放蕩行為にふけり、逮捕を経て最終的には精神病院に入れられてしまう

というものである。ホガースは 18世紀のイギリス社会の現実を忠実に描くことによってその負の面を鋭く風刺している。ストラヴィンスキーの「放蕩息子一代記」との出会いは偶

然だったのだが、オペラ化にふさわしい演劇的な性格を感じ取ったことからこの作品を英

語オペラの題材として決定したのであった。 第2章では、原作からの大まかな変更点を挙げ、ストラヴィンスキーの台本に対する評

価を述べている。オーデンの台本は、プロットと人物の面でホガースの物語とは大きな差

があったが、ストラヴィンスキーはオーデンの創作したリブレットを高く評価していた。

また音楽と台本が高く融合することができた理由として、美と善の本質についての二人の

考えが一致していたことをストラヴィンスキーは述べている。 第3章では作品分析を行った。主人公トム・レイクウェルの従者、ニック・シャドウは

悪魔であると同時にトムのもう一人の自我を表している。このことは悪魔の意味を持つニ

ック、影という意味を持つシャドウという名前からも明らかである。シャドウはプロット

を動かす重要な存在であり、このシャドウによって物語は悪役に滅ぼされるアンチ・ヒー

ローという構図に仕上がっている。 終章では本作の重要なテーマについて考察を深めている。冒頭で提示した二つの問題は、

このオペラのアイデンティティの一つであると捉えることも可能である。しかし研究を進

めるにつれて浮上してきたのは、このオペラは道徳的な教訓を伝えるための物語であるは

ずなのに、人間を超越した邪悪な力によって滅ぼされる弱い主人公の物語になってしまっ

ているという問題であった。ホガースが絵画の中で示した鋭い風刺は、このおとぎ話の物

語の展開によってかなり弱くなってしまっていると言えるが、オーデンとストラヴィンス

キーにとって、ホガースの物語をそのままなぞることには意味がなかったのだと考えられ

る。絵画が伝える教訓を彼らなりに解釈した上で、彼ら独自のまったく新しい物語を目指

し、独創的な作品という今日における評価を得るに至ったと理解できるのである。

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赤塚梨絵 ジェイン・オースティン『高慢と偏見』研究 ジェイン・オースティン(Jane Austen, 1775-1817)の『高慢と偏見』(Pride and Prejudice, 1813)は、ヒロインのエリザベスとダーシー氏を含む 4組の結婚や、その周囲の出来事を喜劇的に描いた長編小説であり、今まで「結婚」に焦点を当てた研究が多くされてきた。し

かし、当時の結婚事情が描き出されている中には、オールドミス(英語:old maid)の実態や彼女たちが直面する問題もまた如実に描かれている。オールドミスは婚期を逃した独

身女性を指し、結婚でのみ女性が独立することができなかった当時、彼女たちは周りから

秘かに疎んじられたり、劣悪な環境で家庭教師をしたりして、過酷な状況に置かれていた。

本論文では作品中に描かれているオールドミスの実情と、それらが登場人物たちの結婚観

に与える影響を読み解き、本作品の「結婚」というテーマがいかにこうした問題と深くか

かわっているかを論証した。 第 1 章では、作品中に直接的な表現で描かれているオールドミスを考察した。シャーロットの結婚観とコリンズ氏との愛のない結婚は、オールドミスになりたくないという考え

が根底にあることを明らかにした。作品中では他にも、オールドミスの存在がプロポーズ

を受けさせるための脅し文句として使われたり、娘をオールドミスにさせないために必死

に画策する親の姿も描かれたりしている。また、シャーロットの結婚は当時の女性たちの

間に「オールドミスになるくらいなら不幸せな結婚をしても良い」という考えが存在して

いたため、とても現実的なものであったことを明らかにした。 第 2章では、作品中の女性登場人物を、『コンダクト・ブック』と、それには批判的であったオースティンのそれぞれの理想の女性像と照らし合わせ考察した。エリザベスとジェ

インはそれぞれ、前者はオースティン、後者は当時の社会の理想の女性像に合うため、物

語の結末に結婚が用意されていたと考察した。また、ジョージアナは、当時の理想の女性

像に当てはまるだけではなく、ダーシーと結婚したエリザベスの影響を受けて、著者だけ

でなく世間からも好まれる女性となり、将来的に幸せな結婚をするであろうことが強く予

想される。一方、作品中で結婚できなかったメアリ、キティ、ビングリー嬢には性格の欠

点、ダ・バーグ嬢には体調不良の問題があり、どちらの理想像にも当てはまらない。これ

らの人物には物語の終盤まで成長が見られないため、オースティンは結婚という結末を用

意しなかったと考えられるのである。 第 3章では、オースティンの晩年の作品である『エマ』(Emma, 1815)と『説得』(Persuasion, 1818)に描かれるオールドミスや、独身で生涯を終えたオースティンの人生を参照した。『エマ』で、オールドミスが決して悪い存在として描かれていないことやエマの「結婚しなく

ても良い」という考えは晩年を迎えたオースティンの結婚やオールドミスに関する考えが

反映されていると考察した。また、『説得』ではアンとエリザベスの二人がオールドミスで

あるが、前者は結婚し、後者は独身のまま物語が終わる。この 2 人の結末も成長の有無や理想の女性像に当てはまるか否かという問題に依ると明らかにした。晩年の作品にオール

ドミスの問題が描かれているのは当然であるが、若き頃の『高慢と偏見』にもオールドミ

スの問題を描き出したオースティンの観察眼は非常に鋭く、早熟したものであると理解で

きた。 以上の議論から、「結婚」がメインテーマになっている『高慢と偏見』にもオースティン

は当時のオールドミスの実情を描き出し、それらが主題をも左右する問題となっているこ

とを洞察していた、と結論付けた。

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栗原聡史 アガサ・クリスティー『オリエント急行の殺人』研究 『オリエント急行の殺人』(The Murder on the Orient Express ,1934)はミステリーの女王と呼ばれたアガサ・クリスティー(Agatha Christie, 1890-1976)によって書かれた小説である。アメリカのアームストロング家で起こった誘拐事件の犯人、カセッティことラチェ

ットを殺害するため、事件当時そのアームストロング家で働いていた 12人が数年後に国際列車オリエント急行で共謀し、その殺人事件を名探偵ポアロが解決するという物語である。

非常に人気の高い作品でありながら本作が文学的に研究されることは少なく、物語を詳し

く調査した論考はとても少ない。この『オリエント急行の殺人』はクリスティーの他の小

説と比較すると、実に様々な国籍の登場人物が出てくる。このため本論ではこのような設

定の意義や文学的効果を作品の内外から考察した。 この物語の中では幅広い階級の様々な職業を持つ人々が登場するが、第 1章では登場

人物たちの国籍と職業のつながりに着目した。特に物語の重要人物である、イギリス人家

庭教師のメアリ・デブナム、フランス人車掌ピエール・ミシェルの二人には意義深い設定

を読み取ることができる。メアリ・デブナムの職業が家庭教師であったのは当時のイギリ

スで起こっていた、女性家庭教師が大量に発生してしまった問題、いわゆるガヴァネス問

題と深く関係していた。フランス人のミシェルについては、一般的にフランス人はプライ

ドが高い、高慢であるというステレオタイプを利用した、文学的なミスディレクションだ

と考えられる。つまり、ミシェルは列車の中では常に弱い立場として描かれ、それゆえ読

者はイメージするフランス人像との乖離に戸惑い、娘を思いがけない形で失ってしまった

彼の不幸に同情を寄せるよう仕向けられているのである。 第 2章では、イタリア人が作品の中で良い印象で描かれていない理由を考えた。カセッ

ティことラチェットと、アントーニオ・フォスカレッリはそれぞれイタリア系の外国人で

ある。カセッティはアームストロング事件の犯人であり、また、アントーニオはイタリア

系という理由でカセッティ殺しの犯人ではないかと終始疑われていた。イタリア系の外国

人の二人が良い印象で描かれていなかったのは、クリスティー自身の戦争体験が深く関係

していると考えられ、本作品執筆当時イタリアで生まれたファシズムに対する警告だった

と読めるのである。他の作品では、殺人については断固として許容したことがないポアロ

であったが、この作品の中でポアロは、イタリア系外国人のカセッティを殺害した乗客の

ことを許している。ポアロがこの事件のみ殺人を許容したことは、残忍なイタリア人に対

するクリスティーの姿勢とパラレルに捉えられ、ムッソリーニの排斥ひいてはファシズム

に対する警告だったのではないかという考えを裏付けている。 第 3章ではイギリスとアメリカの表象ついて考えた。アメリカ人のハバード夫人は、最

新の家電製品に囲まれ、何不自由なく暮らすというアメリカ的生活様式を他国でも求める

発言をする。一方イギリス人のアーバスノット大佐は陪審員制度に倣ったカセッティの殺

害方法に拘り、冷静さが強調される一方で、外国人を見下すイギリス人のステレオタイプ

通りに描かれている。これらを通じクリスティーは、歴史が浅いアメリカに対する皮肉と、

長い歴史と伝統を持つイギリスを強調させたかったと読み取ることができるのである。 ポアロと一緒に事件のトリックを暴くだけでなく、クリスティー自身が体験したこと、

当時の世界の世相、気質やステレオタイプが巧みに利用されていることに気付くことも本

作の楽しみ方なのである。

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藤原 舞 J. D. Salinger, The Catcher in the Rye 研究

J. D. サリンジャー(J. D. Salinger,1919-2010)の『ライ麦畑でつかまえて』(The Catcher in the Rye,1951)は、16歳の少年、ホールデン・コールフィールドがクリスマス休暇中の土曜の夜から月曜の午後までの 3日間、通っていた学校を退学になりニューヨークを放浪して家に戻るまでの話を、後に彼自身が回想する形で語る物語である。作中ホールデンは

「ライ麦畑のキャッチャー」になりたいという自身の夢について語るが、実際その夢を叶

えたかどうかについては曖昧なまま作品は終わる。そこで、本論ではこの作品において、

ホールデンは「ライ麦畑のキャッチャー」になれたのかどうかについて論証した。 第 1章では、「ライ麦畑のキャッチャー」になれたかどうかについて検証することの重要性を確認した。まず、ホールデンとサリンジャーの関係から 2人を重ねて考え、作品が単なる普通の少年の通過儀礼としての経験を綴っただけのものではなく、サリンジャー自

身の精神的告白を含んだ作品であることを明らかにした。そして、サリンジャーの自伝か

ら、彼が自己不信に陥っても決して夢を捨てなかったことを踏まえ、作中で精神的苦痛を

何度も体験したホールデンは「ライ麦のキャッチャー」という夢を捨てないであろうと仮

定し、この点が作品の主題になることを解き明かした。 第 2章では、「ライ麦畑のキャッチャー」の役割について明らかにした。ホールデンは無垢であることを好み、大人の社会をインチキとして嫌悪する少年として描かれている。

そこで、彼の言う「ライ麦畑のキャッチャー」は無垢であるものを見守り、インチキなも

のに汚されたら救済する役割だと捉えた。また、ホールデンは一度落下し壊れたレコード

を拾い上げた妹のフィービィーや、過去に飛び降り自殺をした生徒を拾い上げ、公衆の面

前から救った先生を尊敬している。そのことから、ホールデンの言う「キャッチする」と

は、無垢なものが一旦インチキな社会に落下した時、落下後に拾い上げることであること

を明らかにした。 第 3章では、ホールデンが守りたい無垢について考察した。まず、ホールデンにとって無垢とは 10歳の時亡くなった弟のアリーであり、ホールデンはアリーが亡くなってから彼を模倣し無垢であることを守ろうとしたことを指摘した。そして作中で無垢であり続け

るのは弟のアリーと妹のフィービィーだけであること、さらには、2人の共通点からアリーとフィービィーが一致することに注目し、「ライ麦畑のキャッチャー」の守る無垢なもの

がフィービィーであることを読み解いた。 第 4章では、作品終盤の回転木馬の場面を中心に、ホールデンが「ライ麦畑のキャッチャー」になれたことを例証した。回転木馬の場面では、フィービィーはホールデンの赤い

ハンチング帽を被り、彼と同じくスーツケースを持ち、彼と同じく放浪に出ると言い出す。

ここではフィービィーがホールデンを模倣することで一度無垢ではなくなっている点に注

目した。そしてその後、フィービィーが放浪に出るのをやめている事、ハンチング帽とス

ーツケースをホールデンに手渡す場面から、一度無垢でなくなったフィービィーが、ホー

ルデンによって再び無垢な存在に戻っていることを指摘した。つまり、ホールデンは第 2章で述べた「ライ麦畑のキャッチャー」の役割において重要な、無垢なものを一旦インチ

キな社会に落下した後に拾い上げることに成功している。ホールデンは守るべき無垢なも

のであるフィービィーを守ることができたのである。以上のことから、『ライ麦畑でつかま

えて』において、ホールデンは自身の夢である「ライ麦畑のキャッチャー」になれたと結

論付けた。

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伊藤 文 Remarks on Double Object Constructions in English 本論文は、英語における二重目的語構文について述べたものである。特に、同構文にお

ける構造的特質と、格付与のメカニズムについて焦点を当て、議論を進めていく。 Barss and Lasnik(1986)によって指摘された、二重目的語構文における二つの目的語の

非対称性は次のような例文で顕著に現れる。 (1) a. I showed John himself (in the mirror). b. *I showed himself John (in the mirror).

Barss and Lasnikが二つの目的語の非対称性を C統御と線形順序の概念に基づいて説明したのに対し、Larson (1988)は C統御の概念のみでそれを説明した。彼は、与格構文から受動化のプロセスを経て二重目的語構文が派生されるという“Dative Shift”を提案した。本論文では、この過程で行われる動詞の繰り上げによって引き起こされる問題点を指

摘し、その解決法を Koizumi (1995)によって提案された「多重指定部」を用いて説明する。 Larsonの与格構文から二重目的語構文が派生されるという主張に対して、二重目的語構

文から与格構文が派生されると主張したのは Aoun and Li (1989)である。彼らは二つの目的語間における非対称性に加えて、所有関係を統語構造に反映させるべきとし、小節(small clause)を用いた分析を行った。この分析に基づくと、二重目的語構文において間接目的語のみが受け身の形をとれるという事実は、NPに付与される格の違いによって説明できる。

(2) a. Mary was given a book. b.?? A book was given Mary.

[IP Maryi [I´INFL[VP1 gave[sc [NP1 ti] [VP2 e [NP2 a book]]]]]] nominative Case inherent Case accusative Case

このような分析に対して、本論文では二つの目的語に付与される格の種類は統一される

べきであると主張する。そして、(2b)に示した許容されない受動文を格の違いによってではなく、移動に課される相対的最小性(relativized minimality)によって説明できることを明らかにする。ここでは、Koizumi(1995)の分離動詞句仮説(Split VP Hypothesis)を採用する。

Fujita(1996)は(3)に示した構造を提案することで、VP内逆行束縛、使役主語解釈という二つの観点で与格構文と二重目的語構文の違いを示した。 (3) 動作主-使役主構造(Agent-Causer structure) [VP1 Subj1(Agent)[V´V1[AGRoP[AGRo´[VP2 Subj2(Causer)[V´V2[VP3 Subj3[V´V3…]]]]]]]] 本論文では、Fujitaの研究においてもなお格付与の不均一性があることを指摘し、Fujita

によって提案された構造に Koizumi(1995)が提案した構造を組み入れることで一貫した格付与のメカニズムを説明できると結論づける。 (4) John gave Mary a book. a. 主語が動作主(Agentive subject)の場合 [VP1 John(Agent)[V´gavek[AGRioP Maryi[AGRio´tk[AGRoP a bookj[AGRo´tk[VP2 ti[V´tk [VP3 ti [V´tk tj]]]]]]]]]]

b. 主語が非動作主(Nonagentive subject)の場合 [VP1 [V´gavek[AGRioP Maryi[AGRio´tk[AGRoP a bookj[AGRo´tk [VP2 John(Causer)[v´tk[VP3 ti [v´tk tj]]]]]]]]]]

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杉山裕衣 On Anaphoric Relations in English

本論文では、英語における照応関係について研究した。以下の文では、ふたつの名詞句

sheと Lolaについて、同一指示関係である場合と非同一指示関係である場合がある。

(1) a. Lola likes the people she works with.

b. *She likes the people Lola works with.

c. *Lola likes the people Lola works with.

d. She likes the people she works with. (Reinhart (1981))

(1)のように、同一指示または非同一指示関係が生じる条件として、Reinhart(1981)の先行

統御規則と構成素( C )統御、Lasnik(1986)による K統御、Wasow(1972)の他動性条件につ

いて考察した。

まず、Reinhartの先行統御規則を用いて、ふたつの名詞句 NP1、NP2の構造的関係から

同一指示性を示した。しかし、先行統御規則では、(2)のような前置が生じる文が反例とな

ってしまうことを指摘し、それを C統御規則へと発展させた。

(2) Near him, Dan saw a snake. (Lakoff (1968))

次に、二つ以上の名詞句を含む文における指示関係について、他動性条件を提示したが、

これは C 統御が適用されるときには不必要になってしまう。そこで、C 統御が同一指示性

を示すことに対して、Lasnikの分析において、「NP1が NP2に先行しそれを K統御すると

き、そして NP2が代名詞ではないとき、NP1と NP2は非同一指示関係である」という K統

御の概念を用いることで、名詞句の非同一指示性を示した。それによって、以下のような

文における指示対象の重複を排除できることを説明した。

(3) They assume that Bob will talk to Tom.

(4) Their parents told Mary to play with Susan. (Lasnik (1986))

また、照応関係を示す条件として、代名詞と先行詞は束縛関係にある必要があることを

提示した。ここでは、Chomsky(1980, 1981)と Riemsdijk and Williams(1986)の分析を考

察した。Chomskyは、照応関係にある名詞句には、それぞれ指示対象のインデックスと前

方照応のインデックスが付与されるとしたが、それは、非同一指示規則にもとづいて付与

されると説明することが可能であることを示した。

以上の分析から、名詞句と代名詞句を含む文が適確な指示対象をもつためには、同一指

示規則もしくは非同一指示規則による制約が必要であり、それは束縛によるインデックス

の付与とも関連付けられると結論付けた。

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津野智美 On Ellipses in English 本論文では英語の削除現象について研究した。英語には様々な削除現象があり、まず、

NP削除、VP削除、Sluicingの削除現象について統一的に論じた Lobeck (1991) を概観し、削除現象が構造的に平行性をもつと示した。各削除現象の例を以下に挙げる。 (1) NP削除: John’s computer is a Mac but [DP Tom’s [NP e]] is a Sony.

VP削除: Because [IP John might [VP e]], Chris will not eat natto. Sluicing: Mary was reading, but nobody knows [CP what [IP e]].

さらに、この主張を機能範疇の観点から裏付ける Saito and Murasugi (1990)の DP仮説について第3章で論じた。ここでは名詞句を機能範疇 DPと考えることで、NP削除は最大投射であるNPの省略とみなすことができる。上で示した(1)の NP削除は、DP仮説を取り入れることで(2)のように表される。 (2) [DP [DP Tom] [D’ [D’ s][NP e]]] 次に、VP削除の現象に焦点を当て考察を深めた。第 4章では、特殊な VP削除である先行詞内包型削除(Antecedent Contained Deletion)について分析した。先行詞内包型削除とは、削除された動詞句の中に先行詞が含まれている削除である。 (3) John kissed everyone that Sally did [VP e]. この削除は、削除部分を復元するときに退行問題(regress problem)が起きる場合があり、その解決法としてMay (1985)の Quantifier Raising (QR)を使った分析がある。QRとは、数量詞 NPが LFの段階で移動して IPに付加されるという考えで、(3)の LFでの構造は QRの考えを取り入れることで(4)のようになる。 (4) [IP [everyone [that [Sally did [VP e]]]]i [IP John kissed ti]] (4)における kissed ti を空の VPに写すことで(3)の正確な意味を得ることができ、退行問題を回避できる。 (5) [IP [everyone [that [Sally did [VP kissed ti]]]]i [IP John kissed ti]] そして、この章のまとめとして、格付与の考えを取り入れて先行詞内包型削除の解釈を試

みた Hornstein (1994) に基づき、先行詞内包型削除の理論をまとめた。 最後に第5章において、VP削除の認可条件について論じた Johnson (2001)を考察した。Johnsonは、不定詞節内での認可条件について、VP削除は動詞句話題化によって認可されるべきだと主張する。しかし、話題化のような移動現象として削除現象を扱うには、NP削除や Sluicing において適用できない例が生じるため、削除と移動の関係性にはまだ解決するべき問題があると結論付けた。

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平沢香菜子 Notes on Ellipses in English 本論文では英語における削除現象について議論する。特に NP削除、VP削除、間接疑問縮約に注目する。各現象の例は以下のようなものである。

NP削除: Although John’s friends were late for the rally, [NP Mary’s [N’ e]] come on time.

VP削除: Because [S Mary might not [VP e]], John will attend the rally. 間接疑問縮約: Even though she doesn’t know exactly [CP who [IP e]], Mary thinks that

someone interesting is speaking tonight. 初期の研究(Chomsky (1970)の X バー図式の考え方に基づいた、Ross (1967)や

Jackendoff (1971)など)においては VP 削除と NP 削除は中間投射範疇に作用し、間接疑問縮約では S に作用するとされていたが、問題は3つの削除現象がそれぞれ異なったバーレベルに作用するため統一的な説明をすることが出来ないということである。 これに関して、Chomsky (1986b)の提案した句構造を採用することで、機能範疇 INFL /

COMP/ DET が、その補部にあたる要素の削除を認可するという統一的な分析が可能になった。 <問題点> ・なぜ機能範疇の中の特定の要素のみが削除を認可することができるのか →Lobeck (1991)は [+Kase]を付与する要素と削除を認可することのできる要素との関係性を示し、削除される範疇は必ず適正統率されなければならないと結論づけた。

・なぜ冠詞 a / theは削除を導くことができないのか →冠詞 a / the を接辞として捉え、冠詞が名詞句以下を削除した場合、その冠詞の hostが無くなってしまう。接辞は単独では存在出来ないので、冠詞が削除を導くというこ

とは不適である。 第 4章では間接疑問縮約に関連する Island effectの欠如等の問題を2つの方法で分析し

た。 <Lobeck (1995)らによる non-movement approachesの例> →移動ではなく、LFにおいて削除される要素がコピーされると考えるため、Island effectを回避することができる。コピーされた要素と残された wh句は同じ指標と格を持ち、同じ範疇(NP)であるため文法的な文が得られる。

<Lasnik (2001)らによる movement approaches> →Chomsky(1972a)は、Islandを横切る際に素性*(CP*/ IP*など)を残していて、後に行われる削除の操作によって、素性*をもつ要素が取り除かれる(修正される)と主張。

以上により、3つの削除現象は統語的に統一な分析をすることが可能であり、自然類を

成すと結論付ける。

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森内麻由 On Comparative Sentences in English 本論文は英語における比較構文に関する研究である。thanや asによって導かれる埋め込み文を比較節(comparative clause)と呼ぶ。比較構文の中における比較節には省略されている要素があり、その省略に対して Bresnan と Chomsky が異なる分析を行っている。本論文は比較構文において Bresnan と Chomsky のどちらの分析がより適当かを検討することを目的とする。

(1) a. John met more linguists than I met. (Norbert 2005)

b. John is taller than what Mary is. (Chomsky 1977)

Bresnan (1972, 1973, 1975, 1976a, 1976b, 1977) は(1a)のような比較構文における省略は、比較削除 (Comparative Deletion) と呼ばれる削除変形が関わっていると分析している。非有界的変形と島制約の観点からも Bresnanの比較削除の分析を確認する。Bresnanとは異なり、Chomsky (1977) は(1a)のような比較構文における省略は wh移動が関わっていると主張する。Chomsky は(1b)のような顕在的な wh 移動の特徴を持つアメリカ英語の方言が容認され、Bresnanの分析では(1b)の派生を説明することができないと述べている。有界的変形の観点からも Chomsky の分析を確認する。また、Chomsky の分析を支持するものとして、Kikuchi (1987) の日本語における比較削除の分析を紹介する。Kikuchiは Op(空演算子)を用いる移動規則(Op-movement)を用いて日本語の比較構文を分析している。一見すると日本語と英語は異なる統語特性を持つが、両方の比較構文に Op-movement を適用できると主張している。

(2) John met more linguists than I met biologists. (Norbert 2005)

Bresnan (1973, 1977) は (2)のような比較構文における省略は、比較小削除 (Comparative Subdeletion) と呼ばれる削除変形が関わっていると分析している。島制約と容認性の崩壊の観点からも Bresnan の比較小削除の分析を確認する。一方、Chomsky (1977) は比較削除構文と同様に、(2)のような比較構文にも wh移動が関わっていると主張する。Bresnan は Chomsky の分析は左枝分かれ条件 (Left Branch Condition) とRelativized A-over-A Condition (RAOAC) (1975, 1976a, 1976b) に違反するとして、Chomskyの分析に疑問を投げかけている。しかしロシア語やラテン語など、左枝分かれ条件に違反しない言語が存在することから、左枝分かれ条件と Bresnanの RAOACが全ての言語に効果があるといえないことが分かる。

Bresnan は比較構文における省略の構造や派生に対して、比較削除構文と比較小削除構文に一定の分析を提案するが、Bresnan の分析には問題が残る。その問題とは、Bresnanの分析では wh 移動の特徴を持つアメリカ英語の方言の派生を説明することができないことである。Chomskyは比較構文には wh移動が関わっていると主張する。比較削除の場合、Chomskyの分析で上手く説明できるが、(2)のような比較削除構文においては具体的な解決策が見つからないことからまだ問題が残る。 以上から、(1)のような比較削除構文では Chomsky の理論の妥当性が支持されるが、(2)のような比較小削除構文では Bresnan と Chomsky の両方の理論に問題が残り、どちらがより適当かを判断することはできないと結論付けた。

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金子将大 On Control in English

本論文では、英語におけるコントロール現象について議論する。不定詞節では表面的に

主語は現れないことがあるが、その場合、主語の位置に音声化されない空の主語 PROが存

在すると考えることにより、不定詞節と時制節の構造を統一的に捉えることができる。こ

の論文では、特に、主語コントロールと目的語コントロールに重点を置き、両者の構造の

違いについて議論していく。

第二章では、主語コントロールと目的語コントロールを説明する。また、コントローラ

ーを決定するうえで重要な「最短距離の原理(Minimal Distance Principle)」について

Chomsky (1980)を基にして説明する。

(1) Takumai promised Shoutarou [PROi to leave]

(2) Takuma persuaded Shoutaroui [PROi to leave]

この 2文はどちらも一見構造的に同じであるが、実際は(1)が主語コントロール、(2)が目的

語コントロールとなる。

第三章では、まず、議論を進めていく上での基本事項となる Reinhart (1976) , Aoun and

Sportiche (1981), Chomsky (1981,1982)の定義を記す。第三章一節ではManzini (1983)を

基にして目的語コントロールについて、そして PROの恣意的解釈について議論する。

(3) John asked Billi [PROi to shave himself]

(4) John promised Billi [PROi to be allowed to shave himself] 目的語コントロールについては、これを受動態にすることが可能である。なぜなら、受動

態の主語は能動態の文の目的語に当たるため、コントロールされる名詞が消えないからで

ある。一方、主語コントロール文を受動態にすることは不可能である。これは、受動態に

なるとコントロールされる名詞が存在しなくなってしまうからである。また、PRO の恣意

的解釈に関しては、基本的に不可であるが、例外として

(5) John said [PRO to behave oneself] のように、間接目的語の部分が音韻的に空であれば恣意的に解釈することも可能となる。

第三章二節では、Larson (1991)に基づいて promise(主語コントロール)の特殊性につい

て議論する。

第四章では promise (主語コントロール)と persuade (目的語コントロール)の構造の違い

を、表面的に同じ V-NP-PRO-to-Vの形を持つ例文を使って議論する。樹形図と最短距離の

原理を用いて promise (主語コントロール)と persuade (目的語コントロール)の補部構造を

Larson (1991)に基づいて議論すれば、persuadeの目的語コントロール現象はもちろん、一

見例外的な promise の主語コントロール現象も、最短距離の原理によって説明することが

できると結論付ける。

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中村勇也 On Tough-Constructions in English ・Postal (1971)によるNon-Thematic Hypothesisにもとづく伝統的 tough構文の分析は、(1a)の主節主語は補部述語のpleaseからθ-roleを与えられ、(1a)は(1b)の外置バージョンであるというもの。 (1) a. John is easy to please. TMC (tough-movement construction) b. It is easy to please John. NTMC (non-tough-movement construction) ・Non-Thematic HypothesisをもとにしたChomsky (1977)のNO移動を用いた分析。 (2) [IP Johni is easy [CP NOi [IP PRO to please ti]]] 問題点1 tough構文は様々な A’現象を示すが、Postalの分析では、A’-chainが形成されないため、様々なA’現象を説明出来ない 問題点2 主節主語導入に関して、θ-criterionに違反する/主節主語がどのようにして object gapに関わるのか 問題点2における後者の解決策としてNanni (1980)の複合的形容詞形成を用いて、受動文のように適切なA-chainを形成することで、主節主語と gapの関わりを説明し、Chomsky (1981)は、tough構文は(2)と(3)の二つの構造を持つと提案した。 (3) [IP Johni is [AP [A easy-to-please] ti]]] しかしこれは規定に過ぎず、またこれらの問題点を引き起こす要因であるNon-Thematic Hypothesisの妥当性を不確かなものと結論づけた。 ・ Thematic Hypothesisをもとにした新たな提案

まず始めにTMCとNTMCにおいて、不定詞節が形容詞節内に存在するか、外部に存在するかを、削除規則と前置テストを使って証明し、二つは構造的に違うものであるとした。その上で、新たな仮説

を提案した。 Thematic Hypothesis:tough構文の主節主語は tough述語の項である。 UAS仮説:Argument Structure < Theme, (Benefactive), (Domain)>

またKaneko (1996)は、Split Infl仮説とVP内主語仮説をもとに、新たな機能範疇Fを使用した tough構文の不定詞節内構造を提案した。 (4)a. [IP Johni is [AP easy for me [FP NOi [TP to [VP PRO please ti]]]]]

b. [IP It [I-bar [I-bar is [AP easy]] [CP [C-bar for [IP me [I-bar to [VP please John]]]]]]

問題点 (4a)において、主節主語はどのようにしてobject gapと関係付けられるのか 解決策 関係代名詞と先行詞との関係性の援用 (5) a. I met a dogi whichi you saw ti. b. [X= a thing, you saw X] 疑問詞とは異なり、[for which X]の要素が欠如している。この要素を満たすために、先行詞と関係代名詞は coindexされる。tough構文におけるNOはwhとパラレルな要素なので、音声を持たない関係代名詞として考えることができ、この先行詞と関係代名詞の関係性を tough構文にも当てはめる。

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星 拓磨 On Adverbs in English

本論文は英語の副詞について論じたものである。特に、裸名詞句副詞(Bare-NP Adverbs)の分布に関する研究を概観し、分析の妥当性を検討したものである。裸名詞句副詞とは、

名詞句の構造を持ちながらも副詞のように振る舞うことのできる副詞表現で、以下のよう

な例がある。 1) a. Mary will see John [one day].

b. You have lived [few places that I cared for]. 角括弧内の day および place は名詞でありながら、文中では副詞として働いている。生成文法では、名詞句は格を持たなければならない(格フィルター)が、(1a, 1b)のそれは文中に

おいていかなる要素からも格を与えられていないように見える。 Larson(1985)は、(2)のように、同じような意味を持つ名詞でも裸名詞句副詞として許されない名詞が存在することから、認可される特定の名詞にはそれ自身に格を与えることの

できる素性が備わっていると仮定することで格の問題を解決している。 2) a. John arrived [that moment/*that occasion].

b. You have lived [someplace warm/*some location near here]. また、Stroik(1990)は、副詞が D構造において動詞の補部に位置していると主張する。

3) a. Peter worded the letter [that way]. b. [VP[V′ ev [VP the letter [V′ word [that way]]]]] (ev位置への動詞繰り上げにより(3a)を派生)

この構造のもとでは、副詞が動詞と隣接しているため、動詞が裸名詞句副詞に格を与える

ことができるとし、格の問題を解決している。 さらに Stroik(1992)は、Larson(1985)が主張した素性による格付与では(4a)のような時を表す裸名詞句副詞と場所を表すそれの分布の違いを説明できないと指摘する。 4) a. Mary will see John [one day/Monday/*one place/*Madison].

b. I consider him [s fool/someone wonderful]. 時を表す裸名詞句副詞の分布が、(4b)のような述語として機能する名詞句の分布に類似していることから、Stroik は時を表す裸名詞句副詞は述語であり、場所を表すそれは述語ではないと仮定してこの分布の違いを説明している。時の裸名詞句副詞は述語として認可さ

れることで格は不要となり、格を与えられなくとも文中に生起することができる一方、場

所の裸名詞句副詞は述語として認可されないため、適当な前置詞を伴わなければ文中に生

起できない。 Stroik(1992)は(5)に示す名詞句内副詞の構造にもこの分析が適用できると主張した。 5) [The music-scene [that day/*that place]] was terrible. 時の裸名詞句副詞は述語として生起できるため格を持たなくても(5)の that dayは文法的である。 しかしながら、Stroik の分析のもとでは、以下の例の非文法性を説明することが出来ないため、本論文の結論として、D 構造において動詞と副詞が姉妹関係にあり、時の裸名詞句副詞は述語であるとする分析には問題があり、十分な妥当性がないことを示す。 6) *This morning I solved [the problems [yesterday]].

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山寺翔太朗 On Cleft Sentences in English

本論文では、英語において強調の意味を表す分裂文の一種である疑似分裂文について

考察する。疑似分裂文における基本的な構造は、次のような例文がそれにあてはまる。

(1) What I need is alcoholic drinks. しかしこの疑似分裂文とは異なって、関係詞節を用いた自由関係節構文も存在する。両

者の区別は意味的な部分で判断されるが、その他にも様々な差異が見られる。本論文で

は、この 2つの構文の性質や、両者の統語的な振る舞いの違いについて注目する。

第 2 章では、再帰代名詞などを用いたこの 2 つの構文をそれぞれ否定文にした際、(2)

のように両者の文法性に違いが出るという Pinkham and Hankamer (1974)の主張に対

し、Kuno (1977) は、(3)のような対比や、(4)のような会話においては、多少なりとも容

認度が上がることを指摘した。

(2) a. What he is is important to himself.

b. What he is is important to him.

c. *What he is isn’t important to himself.

d. What he is isn’t important to him. (Pinkham and Hankamer 1974)

(3) What he is isn’t important to himself, but proud of himself. (Kuno 1977)

(4) Speaker A: What are you going to do now? Are you going to turn yourself in to the

police?

Speaker B: I don’t what to do. But one is clear: (?) what I’m going to do won’t be to

turn myself in to the police. (Kuno 1977)

第 3章では、Culicover (1977)による様々な疑問詞を持つ疑似分裂文の派生から、焦点

からの抜き出しの制約について考察し、強調や話題化のために、焦点内の構成素全体が

移動することの許容性を提示した。また第 4章では、Kaisse (1979)によって示された、

助動詞を縮小することができるかという考察において、holesを用いた助動詞の縮小の許

容性を分析し、助動詞の後ろの holes が助動詞の縮小を妨げ、助動詞の前の holes がそ

れを妨げないことから、この許容性が 2 つの構文の区別に役立つということを明らかに

した。そして第 5章では、Williams (1983)の考察に基づき、これら 2つの構文を図式化

し、疑似分裂文を指定的解釈で捉え、自由関係節構文を叙述的解釈で捉えることで、be

動詞による語順転換による派生などについて言及した。

以上のような分析において、疑似分裂文と自由関係節構文がそれぞれ適用される条件

や共通性を考慮することにより、両者の性質をより明確に示すことができると結論付け

た。

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塚田修介 Gerunds in English

本論は、英語における動名詞に関する研究である。動名詞とは以下のような,”V-ing” の形を持つ語である。

(1) a. John’s kissing Mary

b. John kissing Mary

上述の(1)aの動名詞は、kissing Maryの主語Johnが所有格で表されているために、所有格動名詞と呼ばれている。一方で、(1b)の動名詞では、Johnが対格で表されているために、対格動名詞と呼ばれている。この2つの動名詞の違いを明らかにするために、Horn (1974)のthe Noun Phrase Constraint (NPC)を利用して、所有格動名詞と対格動名詞の振る舞いの違いを明らかにしていく。NPCとは、名詞句内の要素からの抜き出し(Extraction)はできないという制約である。この制約を利用することで、構成素の名詞性をテストする。

つまり、ある構成素から抜き出しが不可能であれば、その構成素は名詞に似た振る舞いを

すると推測できる。逆の場合もまた同様で、ある構成素から抜き出しが可能であれば、そ

の構成素は名詞とは違った振る舞いをすると推測できる。またこの推測をより確実にする

ために、名詞において許される、TopicalizationやCleft Movementなどの操作も用いた。これらの名詞性を検査するテストを用いて、所有格動名詞が名詞と似た振る舞いをし、対格

動名詞がto不定詞節やthat節といった補文と似た振る舞いをすることを観察する。 (2)所有格動名詞

a. We can imagine John’s passing the test b. *Which test could you imagine John’s passing (Extraction) c. It was John’s passing the test that we could imagine (Cleft Movement)

(3)対格動名詞

a. John imagined Bill kissing Mary b. Who did John imagine Bill kissing (Extraction)

c.*Bill hitting Mary John imagined (Topicalization) (2)の所有格動名詞において、Extractionが許されず、Cleft Movementは許されている。

これは名詞においても同様である。一方、(3)の対格動名詞においては、Extractionが許され、Topicalizationが許されない。これは補文においても同様である。しかし、対格動名詞が名詞と似た振る舞いをすることもある。それは、対格動名詞が主語位置や前置詞の目的

語の位置などに生じる場合である。また所有格動名詞と対格動名詞の間には、多様な分布

の違いがあり、それらが動名詞の名詞性や補文性だけでは説明できないという事実を観察

する。

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Yu MASHIMA Leni Riefenstahl und die Propaganda im Nazi-Deutschland

Leni Riefenstahl (1902-2003) war sowohl Schauspielerin als auch Filmregisseurin. Sie

drehte während des Zweiten Weltkriegs Propagandafilme für die Nazis. „Triumph des

Willens“ ist einer ihrer umstrittenen Werke. Das ist ein Dokumentarfilm, der den

Zustand des Sechsten Parteitags der NSDAP in Nürnberg (1934) aufzeichnet. Aufgrund

des Filmes wurde sie als Kriegsverbrecherin gebrandmarkt. Aber sie hat ihre Beziehung

mit der NSDAP geleugnet. In meiner Abhandlung betrachte ich den Einfluss von „

Triumph des Willens“ auf das deutsche Volk und das Verhältnis zwischen der NSDAP

und Leni Riefenstahl.

In Kapitel 1 erkläre ich das Leben und die Produktionen von Leni Riefenstahl.

Sie arbeitete zunächst als Schauspielerin, dann als Tänzerin, bevor sie Filmregisseurin

wurde. Adolf Hitler (1889-1945) schätzte ihr filmerisches Werk sehr, und stellte sie an,

für ihn Dokmentarfilme zu drehen. In Kapitel 2 erkläre ich den Film „Triumph des

Willens“. Ich werde die Hintergründe seiner Entstehung, seine Struktur, die Technik

sowie seine Wirkung genauer erklären. In Kapitel 3 erkläre ich das Verhältnis zwischen

der NSDAP und Leni Riefenstahl. Ich untersuche die Beziehung zwischen Hitler und

ihr sowie zu Joseph Goebbels (1897-1945). In Kapitel 4 betrachte ich ihr Schaffen nach

dem Zweiten Weltkrieg bis zu ihrem Tod im Jahr 2003. Sie war arrogant und

egozentrisch bezüglich ihrer Filme.

„Triumph des Willens“ ist eine wundervolle Arbeit nicht nur als bloßer Film,

sondern auch als Propaganda-Film. Sie war sich nicht bewusst, dass dieser Film als

Propagandafilm verwendet werden sollte. Auch ohne ihre ausdrückliche Absicht,

wirkte dieser Film auf die Zuschauer wie eine Gehirnwäsche. Die Menschen

hatten die einseitigen Informationen zu akzeptieren. Dies kann auch in der

modernen Informationsgesellschaft auftreten. Die Verbreitung des Internets ist

stark, und manchmal erhält man oder schickt man Informationen, die so

nicht beabsichtigt waren. Ich denke, dass es für die Menschen heute wichtig

ist, die richtige Auswahl von Informationen für ihr Leben zu treffen.

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Sayuri AKIBA Bruder und Schwester in Grimms Märchen Die Grimms Märchen nennt man volkstümlich die berühmte Sammlung der Kinder- und Hausmärchen, die Jacob Grimm (1785 - 1863) und Wilhelm Grimm (1786 - 1859), genannt die Brüder Grimm, von 1812 bis 1858 herausgaben. Die auftretenden Geschwister bei Grimms Märchen kämpfen häufig mit Autorität und um ihre Stellung und sind sich ganz oft spinnefeind. Nur in einigen Ausnahmen haben Bruder und Schwester in Grimms Märchen eine besondere Beziehung. In diesem Beitrag betrachte ich die unterschiedlichen Beziehungen zwischen Bruder und Schwester und ihre jeweiligen Rollen. Es gibt zehn Geschichten bei den Grimms Märchen, in denen Bruder und Schwester auftreten. Ich beschreibe in dieser Arbeit diese zehn Geschichten zum Thema “Bruder und Schwester”. Dabei liegt mein Schwerpunkt auf dem Märchen „Brüderchen und Schwesterchen“ (KHM 11).

In Kapitel 1 erkläre ich die Beziehung zwischen Bruder und Schwester, und die Bedeutung der Transformation des Bruders in den gesamten Grimms Märchen. In diesen Geschichten gibt es fast immer eine Szene, wie sie sich gegenseitig helfen. Man könnte darin auch Elemente der Liebe sehen. In Grimms Märchen verwandelt sich der Bruder in ein Tier, um seine Schwester auch nach ihrer Hochzeit zu unterstützen, und für immer mit ihr leben zu können.

In Kapitel 2 betrachte ich eingehend nur das Märchen „Brüderchen und Schwesterchen“. Laut des Psychologen Bruno Bettelheim (1903-1990), symbolisieren Brüderchen und Schwesterchen die beiden Gesichter der menschlichen Seele. Das Brüderchen symbolisiert das "Es". Das Schwesterchen symbolisiert das "Ich" und das "Über-Ich". Brüderchen und Schwesterchen zeigen eigentlich die verschiedenen Aspekte und die psychischen Struktur einer einzigen Person. Ein wichtiger Punkt in dem Märchen „Brüderchen und Schwesterchen“ ist, dass das Brüderchen und Schwesterchen ihre antisozialen Instinkte und ihre animalische Natur verleugnen, um ein Mensch mit einem höherstehenden Charakter zu werden.

In Kapitel 3 erkläre ich die Abbildung über die zweite Auflage in „Brüderchen und Schwesterchen“. Der Engel, der hinter dem Brüderchen und dem Schwesterchen dargestellt ist, ist ihr Schutzengel.

Die Geschichte von Bruder und Schwester in "Grimms Märchen" zeigt häufig ihre Entwicklung und ihre starke emotionale Verbindung. Insbesondere markiert die Schwester den die Wendepunkte des Lebens wie Ehe und Geburt. Während der Geschichte, wächst sie physisch und innerlich. Diese Märchen lehren uns die innere Entwicklung eines Menschen mit den verschiedenen Aspekten der psychischen Struktur.

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Michi INOUE Über den Landschaftsschutz in Rothenburg ob der Tauber

Ich studiere den Landschaftsschutz in der Stadt Rothenburg ob der Tauber. In Kapitel

1 erläutere ich die Geschichte des Landschaftsschutzes. Landschaftsschutz bedeutet ,

dass man eine Landschaft - auch die einer Stadt - mit Hilfe von Baumaßnahmen und

anderer Maßnahmen kontrolliert und schützt. Die Baumaßnahmen begannen bereits im

Mittelalter, um die Sicherheit einer Stadt zu gewährleisten. Im 17. und 18. Jahrhundert

bezweckte man mit Hilfe der Stadtplanung die Macht des Lehnsherrn zu demonstrieren.

Im 19. Jahrhundert wurde Deutschland ein industrialisiertes Land und die Zerstörung

vieler alter Stadt- und Naturlandschaften nahm ihren Anfang. Damals entstand die

Bewegung, um die schöne Landschaft oder eine schönes Stadtbild zu schützen. In

Deutschland sind heutzutage nicht nur einzelne Bauten, sondern auch ganze

Landschaften der Gegenstand des Landschaftsschutzes bzw. Denkmalschutzes. In

Rothenburg ob der Tauber existiert seit dem Mittelalter ein charakteristisches Stadtbild.

Viele Touristen besuchen Rothenburg. Rothenburg wurde oft durch Kriege und so

weiter zerstört. Aber das ursprüngliche, mittelalterliche Stadtbild existiert auch heute

noch.

In Kapitel 2 lese ich „Ein Gang durch‘s Tauberthal“. 1865 veröffentlicht, beschrieb

der Folklorist Wilhelm Heinrich Riehl (1823-1897), hier auch die Stadt Rothenburg in

der Zeitung. Er reiste zu Fuß, und beobachtete die Landschaft und Leute der Städte des

Taubertals. Seitdem besuchten viele Touristen Rothenburg. Er schrieb, dass Rothenburg

eine ganze gotische Stadt sei, und bezeichnete sie als Fossil des Mittelalters.

In Kapitel 3 erläutere ich die konkreten Vorschriften des Landschaftsschutzes in

Rothenburg. Aus dieser Zeit stammen die Vorschriften zum Erhalt der Stadt. Die

Bauten und ihre Erhaltung in Rothenburg sind in diesen Vorschriften eingehend

bestimmt.

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Kaori OKAZAKI

Mori Ogai und der Begriff der „Akademischen Freiheit“

Zu seiner Argumentation in seiner Schrift

„Über die Freiheit der Universität“ und deren Entstehung

Mori Ogai (1862-1922) war ein japanischer Militärarzt, Dichter, Übersetzer und

Kritiker. 1881 graduierte er an der medizinischen Fakultät der Universität Tokyo, und

von 1884 bis 1888 studierte er in Deutschland als Militärarzt. In Leipzip, Dresden,

Berlin und München studierte er Hygiene und beschäftigte sich auch mit Ästhetik und

Kunst.

Ogai schrieb viele literarische Werke, die auf sein Studentenleben in Deutschland

gründeten, besonders fallen die Beschreibungen über Wissenschaft oder Universitäten

auf. Zum Beispiel in seinem Roman „Die Tänzerin“(jap. Maihime, 1890) ist der

Wendepunkt des Lebens des Heldens im Zusammenhang mit einer Universität

beschrieben, und auch in „Als ob“ (jap. Ka no you ni, 1912) ist der Held, der sich mit

der Seinsart einer Geschichtswissenschaft quält, beschrieben. Während seines ganzen

Lebens interessierte Ogai sich für die Themen „Wissenschaft“ und „Universität“.

Besonders in seiner Abhandlung „Über die Freiheit der Universität“, die unmittelbar

nach seine Heimkehr veröffentlicht worden war, schildert er auf Grund seiner eigenen

Erfahrungen, wie „Akademische Freiheit“ in Deutschland gewährleistet ist, und

vergleicht sie mit französischen und englischen Universitäten. So ist diese Abhandlung

eine wichtige Quelle, um seine Wissenschaftsanschauung zu verstehen.

In Japan ist die sogenannte „Akademische Freiheit“ eines der Grundrechte, die in

Artikel 23 der japanischen Verfassung festgeschrieben ist. Aber die Universitäten

wurden oft von der Regierung bedroht, weil die Meiji-Verfassung eine solche

akademische Freiheit nicht garantierte. In Gegensatz hierzu wurde in Deutschland die

„Akademische Freiheit“ sehr früh etabliert. Im frühen 19. Jahrhundert, als die

Universität Berlin gegründet wurde, wurde die „ Akademische Freiheit“ von den

Philosophen des Deutschen Idealismus systematisiert. Ich glaube, dass der Grund,

warum Ogai sich für „Wissenschaft“ oder „Universität“ interessierte, mit seinen

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Erfahrungen in Deutschland zu tun hatte.

In Kapitel 1 analysiere ich Mori Ogais Schrift „Über die Freiheit der Universität“.

Dabei stellte ich fest, dass seine Behauptungen und die Wirklichkeit teilweise nicht

übereinstimmen. In Kapitel 2 betrachtete ich den historischen Prozess des Begriffes der

„Akademischen Freiheit“ und deren ausführlichen Inhalt, um die Ursachen dieser

Nichtübereinstimmung zu klären. Die deutschen Idealisten erklärten, dass die

Universität ein Ort der Erforschung der Wahrheit ist, und verteidigten die Universitäten

mit Hilfe des Begriffs der „Akademischen Freiheit“ vor dem Pragmatismus Sie dachten

auch, dass die Universitäten Menschen mit Bildung erziehen sollten.

In Kapitel 3 betrachtete ich, wie die Wissenschaftsanschauung von Ogai entstehen

konnte. In Deutschland erfuhr Ogai die „Akademische Freiheit“ am eigenen Leibe.

Aber das allein war nicht, was seine Wissenschaftsanschauung formte. In seiner

Heimatstadt Tsuwano, im Westen der heutigen Präfektur Shimane gelegen, herrschten

fortschrittliche Erziehungsideale, und viele Wissenschaftler stammten von dort. Deshalb

wollte auch Ogai eigentlich eine akademische Laufbahn einschlagen, musste dies aber

aus familiären Grunden aufgeben. Ich glaube, dass er deshalb in „Über die Freiheit der

Universität“ die deutsche Universität stark idealisierte.

Es ist schwer, Ogais Anschauungen zur Universität auf die Gegenwart anzuwenden.

Aber ich meine, dass man viel aus seiner Argumentation über den Sinn der

Wissenschaft und der Universität lernen kann.

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Ayaka SASAKI Das Motiv des “Menschen” in Hundertwassers bildnerischem Werk

Am Ende des 19. Jahrhunderts spielte Friedensreich Hundertwasser Regenstag

(1928-2000) sowohl in Österreich als auch in Japan durch seine Bilder und seine

Architekturen eine bedeutende Rolle. Seine Kunst ist insofern besonders, da sie den

Tachismus, der damals in großer Mode war, kritisierte. Er engagierte sich aber nicht

nur in Kunst und Architektur, sondern hielt viele Reden, wie zum Beispiel

„Verschimmelungsmanifest gegen den Rationalismus in der Architektur“ (1958) und

„Humustoilette“ (1975), in denen er sich für den Unweltschutz einsetzte.

Ordne ich die Motive in den Bildern von Hundertwasser. In seinen Bildern häufig

drei Motive: Spiralen, Architektur und Mensch. Für ihn, der Ekel vor der geraden Linie

empfand, war das Motiv der Spirale die ideale Form und bedeutete das Leben und den Tod. Das Motiv der Architektur zog sich durch sein ganzes Leben, seit seiner

Begegnung mit Egon Schiele (1890-1918) die einen starken Eindruck bei ihm

hinterlassen hatte. Bereits in den Gemälden seiner Jugendzeit findet sich das Motiv des

Menschen. Die Menschen werden sehr unterschiedlich dargestellt. Weil Hundertwasser

die Porträts und auch Teile des Körpers malte, ähneln sie einigen Arbeiten von Egon

Schiele und Paul Klee (1879-1940).

Diese Bilder stützen sich auf auf Hundetwassers Gedanken der „Die Fünf Häute“. In

dieser Schrift erklärt er, dass der Mensch fünf Häute hat, die ihn umschliessen. Er

sagte, die erste Haut, ist die Menschenhaut, die zweite Haut ist seine Bekleidng, die

dritte Haut ist das Haus, die vierte Haut sind Familie, Freunde und das Land des

Menschen, und die fünfte Haut ist die gesamte Umwelt. Diese fünf Häute treten in

Beziehung zueinander und üben Einfluss auf den Menschen aus. Als analysiere ich die erste Haut und die dritte Haut. In „ Anrecht auf die Dritte Haut”, behauptete

Hundertwasser, dass das Haus der Organismus ist, der blutet und Tränen vergießt. Für

ihn bedeutet die Hauswand die Haut, und die Fenster sieht er als Augen.

Es existieren einige Bilder von Hundertwasser, die nur Häuser darstellen. Aber in

diesen Bildern sind die erste und die dritte Haut dargestellt, in denen der Mensch

verborgen ist. So betrachte ich im zweiten Kapitel „Die fünf Häute“ ausführlich, um

dann im dritten Kapitel durch die konkreten Beispiele auf den Menschen einzugehen,

der sich in den Häusern verstecket.

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Risa YAMAGIWA

Zwerge in deutschen und nordischen Überlieferungen

Zwerge treten in deutschen und nordischen Überlieferungen als Unterstützer auf, die oft

den Hauptfiguren nötige Information oder mit Zauberkraft versehene Gegenstände

geben. Sie sind weise, mystisch, freundlich oder teuflisch.

In Kapitel 1 erkläre ich, dass Zwerge ursprünglich Schmiede waren. Zwerge

haben Elfen ähnliche Eigenschaften, und die beiden haben denselben Ursprung. Der

große Unterschied zwischen ihnen ist, ob sie Schmiede sind oder nicht. In Kapitel 2

bearbeite ich die Zwerge als Hersteller. In nordischen Mythen stellten sie mit

Zauberkraft versehene Gegenstände her, und halfen den Göttern mit Riesen zu kämpfen.

Gegenstände wie zum Beispiel der Kriegshammer des Gottes Thor sind Symbole der

Veränderung von Jäger- und Sammlergemeinschaften hin zu Agrargesellschaften, und

das bedeutet, dass Schmiede zu dem Fortschritt der Zivilisation beitrugen.

In Kapitel 3 befassse ich mich mit der Veränderung der Schmiede. Durch ihre

mystischen und hoch entwickelten Techniken waren die Zwerge am Anfang sehr

geachtet. Aber einige Schmiede, welche als Außenseiter von Gemeinschaften betrachtet

waren, wurden allmählich immer geringer geachtet, desgleichen wurden Zwerge als

Schmiede nicht mehr gebraucht. In Sagen und Volksmärchen verändert sich die Rolle

der Zwerge sich vom Hersteller zum Geber.

In Kapitel 4 betrachte ich Zwerge als Geber. In vielen Sagen geben Zwerge den

Helden Waffen, die mit Zauberkraft versehen sind, und mit denen sie Drachen

unterwerfen gehen. Die Veränderungen der Unterwerfungsmethoden zeigen die

Entwicklung der Zivilisation. Drachen oder Riesenschlangen sind Symbole der Natur;

sie sind einerseits zerstörerisch. Andererseits sind sie sehr reich, weil sie Gold oder

andere Wertgegenstände besitzen. Deshalb symbolisieren auch Unterwerfungen der

Drachen die weitere Entwicklung der Zivilisation. Zwerge tragen dazu mittelbar auch

als Geber bei.

In Kapitel 5 erläutere ich Zwerge als Führer. In vielen Volkmärchen helfen

Zwerge den Hauptfiguren und strafen andere Personen. Das ist eine Art Initiation, und

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Zwerge agieren dabei als Führer. Tatsächlich hatten Schmiede mit Initiationen in

einigen deutschen und nordischen Gegenden zu tun.

Zwerge verloren mit der Zeit also ihre Eigenschaft als Hersteller und in vielen

Überlieferungen gibt es keinen Beschreibungen, in denen Zwerge etwas herstellen. Aber

in den Volksmärchen haben sie häufig noch andere Eigenschaften: sie treten da als

Weise, Zauberer, dämonische Wesen, Vermittler und Führer auf. Dies kommt daher,

dass Schmiede über mystische und hoch entwickelte Techniken verfügten, die sie den

Entscheidungsträgern zur Verfügung stellten, und so die Gemeinschaften dazu brachten,

sich weiterzuentwickeln. In Volksmärchen treten Zwerge mit unterschiedlichen

Eigenschaften und in verschiedenen Rollen auf. Dies nimmt seinen Ursprung darin, dass

sie in den frühen Texten als Schmiede dargestellt waren.

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Ayako OTA Über den Prozess von Bildung in der Waldorfpädagogik in Deutschland

Das Thema meiner Arbeit ist der BildungsProzess der Waldorfpädagogik in Deutschland. Diese Waldorfpädagogik wurde von dem Gründer der Anthroposophie, Rudolf Steiner (1861-1925) im Jahr 1919 entwickelt, Auch heute existiert Waldorfschule. Die Waldorfpädagogik ist eine Erziehungs-Philosophie mit einer Sicht des Menschen, die auf den Grundlagen der Anthroposophie beruht. Hier untersuche ich wie Steiner die Waldorfpädagogik während seines Lebens vor welchem historischen Hintergrund entwickelte, und untersuche auch die Erziehung der Zeit, in der er lebte.

Im ersten Kapitel betrachte ich die Geschichte der Mittelschulbildung, besonders des Gymnasiums, weil das Ziel der Waldorfpädagogik die Ausbildung von 7 bis 18 Jahren ist. Bis zum Anfang des 18. Jahrhundert gab es keine gesetzlich festgelegte Mittleren und Höhere schulen. Also führte der Staat das Abitur und die Regelungen des Gymnasiums ein. Diese Bildungsreform in Deutschland bildete viele Angehörige der Elite aus und erregte auch im Ausland große Aufmerksamkeit. Aber diese Reform übte auf die Scüler einen schlechten Einfluss aus. Zum Beispiel entwickelten die Schüler, die im Gymnasium durchgefallen waren, ein großes Minderwertigkeitsgefühl. Auch der volle Lehrplan lastet auf den schülern im Gymnasium. Gegen die Bildungsreform des Staates erscheinen mit der Reformpädagogik neue Bildungsreformen, die Kunst und Kreativität für wichtig halten. Die Waldorfpädagogik ist eine von ihnen.

Im zweiten Kapitel betrachte ich Rudolf Steiners Leben seine Tätigkeiten und Denken. Als Kind schloß er sich in seine Innernwelt ein und suchte eine geistige Welt, die Man nicht sehen kann. Also las er die Bücher verschiedener Denker und strebte nach geistiger Erkenntnis. Mit Hilfe von Goethes Naturanschauung, erkennt er seine Innere Welt. Auch bildte er seinen Gedanken der „Anthroposophy.“

Er wollte seine Gedanken vielen Menschen verbreiten. Also beschäftigte er sich später mit der äußeren Welt, zum Beispiel tauschte er sich mit anderen Kulturschaffenden seiner Zeit aus, und trat auch in eine teosophische Gesellschaft ein. Im Jahr 1913 gründete er „die anthroposophische Gesellschaft.“ Dort ermöglichte er für alle Menschen anthroposophische Erfahrungen, mit Hilfe von geistigen Aktivititäten, „Kunst“ und „Bildung.“

Im dritten Kapitel untersuche ich die Charakteristika der Waldorfpädagogik, und wie sie seine Gedanken widerspiegelt. Zum Beispiel gibt es die sogenannte Erziehungskunst, die in alle Unterrichtsfächer den Bestandteil der Kunst einführte, und bei der Zensuren nicht sehr wichtig genommen werden. Daran erkannt man nicht nur anthroposophische Elemente, sondern auch sein Leben.

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Hier konnte ich nicht verstehen, welche Einflüsse die Waldorfpädagogik heute in Deutschland ausübt. Aber Waldorfschulen verbreiten sich nicht nur innerhalb Deutschlands sondern auch außerhalb des Landes. Konkret wurden bereits vor dem 2.Weltkriege 16 schulen in Deutschland, England und Holland gegründet. Auch nach dem Kriege wurde Schulen auf der ganzen Welt, in der Schweiz, in Frankreich, in Amerika und so weiter gegründet. Im Jahr 1984 gab es insgesamt 300 Schulen in 25 Ländern. Auch wurde die Gründung des Waldorfkindergartens, den Steiner sich sehr erhofft hatte, im Jahr 1925 verwirklicht. Waldorfpädagogik, die eine neuzeitliche erziehungsmethode ist, wurde von vielen Leuten angenommen. Diese Erziehungsmethode bietet auch heute noch eine Alternative zu Konventionellen Erziehung.

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Yuka HARA Zur Beziehung von Text und Musik in Bachs Vokalmusikwerk

In meiner Abschlussarbeit, betrachte ich die Motette „Jesu, meine

Freude“ von Johann Sebastian Bach (1685-1750). Dieses Werk setzt sich aus elf

Einzelsätzen zusammen und sein Text setzt sich aus dem gleichnamigen Choral Johann Franks und dem „Brief des Paulus an die Römer“ aus dem Neuen Testament zusammen. Das Charakteristische an dieser Motette ist, dass sie alternierende Texte hat.

Im ersten Kapitel untersuche ich, wie sich die Beziehung von Melodie und Wort ändert. Welcher der beiden Texte als besonders wichtig anzusehen ist, wurde über eine lange Zeit in der Forschung untersucht und in der Aufführungspraxis

ausprobiert. Im zweiten Kapitel untersuche ich den Text von „Jesu, meine Freude“. Beide

Texte unterscheiden sich inhaltlich voneinander. Der Text Franks ist ein Anruf für Jesus Christus und alle Irdischen, und der Text aus dem „Brief des Paulus an die

Römer“ ist eine Ansprache für die Gläubigen. So entsteht der Eindruck, dass beide Textteile miteinander in einem Dialog stehen. Auch wenn beide Teile von der Erlösung sprechen, unterschieden sie sich inhaltlich voneinander. Bei Frank setzt diese

Erlösung den Tod voraus, im „Brief des Paulus an die Römer“ schließt das Leben mit dem Tod an sich. Bach glaubte, dass der Tod nicht das Ende sondern die Erlösung ist. Diesen Gedanken drückte er durch die Struktur des Textes aus.

Im dritten Kapitel untersuche ich wie Bach den Text mit der Melodie verknüpft. Bei der Komposition spielt bei Bach die Melodie in jedem Stück eine besondere Rolle. Jede Melodie passt zur Intonation des jeweiligen Liedtextes in der einen oder anderen Weise. Außerdem zeigt die Struktur des Werkes ein weites

Spektrum von drückenden Melodien zu friedlichen Melodien, wie etwa im neunten Satz. Mit dieser Struktur wird die Erlösung des Menschen von irdischen Schmerzen durch den Tod ausgedrückt.

Bach unterstreicht die Bedeutung des Werkes mit Hilfe seiner Strukturierung und der Gegenüberstellung zweier Stücke. Auf diese Weise erreicht Bach durch seine Kompositionsmethode eine große Ausdruckskraft zu Hintergrund und emotionaler Bedeutung des Stückes, die der Text so allein nie erreicht hätte. In dieser Motette

beschränkt sich Bach nicht auf die Vertonung des Textes, sondern schafft ein Musikwerk, das weit über die Bedeutung des Textes hinausgeht.

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Satoko RIKIMA Frau Holle in den Kinder-und Hausmärchen sowie in Deutsche Sagen

Es gibt einige Erzählungen, in denen die Frau genannt “Holle” in Kinder-und

Hausmärchen und Deutschen Sagen erscheint. In den Kinder-und Hausmärchen wohnt sie in der unterirdischen Welt in einem Brunnen und schenkt Schnee der menschlichen Welt. Und sie wird dargestellt als eine geheimnisvolle alte Dame, die einen Segen oder eine Strafe gibt.

Andererseits lebt sie in den Deutschen Sagen in Bergen oder Seen, die es wirklich in Deutschland gibt. Frau Holle in den Sagen schenkt die Fruchtbarkeit und tadelt die Faulenzerin. Sie erschreckt die Menschen manchmal als das Mitglied von dem wütenden Heer, das aus Geistern oder Monstern besteht.

Deshalb ist das Ziel dieser Abhandlung aufzuklären, was für eine Existenz Frau Holle eigentlich ist.

Im ersten Kapitel erkläre ich die Struktur von der Erzählung “Frau Holle” in den Kinder-und Hausmärchen. Sie gehört zu dem Typ Erzählungen, die einen Besuch in der Unterwelt schildern.Daraus schließe ich, dass Frau Holle die Kraft hat, Tod und Auferstehung zu verleihen.

Im zweiten Kapitel analysiere ich Frau Holle im Märchen ausführlicher und im dritten Kapitel untersuche ich Frau Holle in den Sagen. So kann man den Unterschied des Charakters zwischen Frau Holle im Märchen und in den Sagen feststellen. Doch beide Figuren der Frau Holle tragen Elemente der Göttin Mutter Erde. Die Göttin der Mutter Erde heißt Holda. Holda regiert über Spinnen, Fruchtbarkeit, Tod und Leben. Sie ist die Inkarnation der Erde und der Natur. Im vierten Kapitel schreibe ich Folgendes. Die Merkmale der Göttin Frau Holle stimmt mit denen der Großen Mutter in der Psychologie von Carl Gustav Jung(26. Juli 1875 – 6. Juni 1961) überein. Elemente der Großen Mutter werden nicht nur in Hexen oder Göttinnen in den Mythen oder Märchen und Sagen, sondern auch im Wesen der Natur, wie die Erde, dem Meer oder Seen gefunden. Die Eigenschaften der Großen Mutter sind, Segen zu verleihen und Leben zu ernähren, manchmal auch zu wüten und das Leben zu nehmen. So denke ich, dass Frau Holle sowohl die Göttin der Mutter Erde als auch die Große Mutter in sich vereinigt. Die Erde zieht die Pflanzen auf und gibt die Fruchtbarkeit, doch lässt sie Pflanzen verdorren und tobt, deshalb hat die Erde die Seiten von Leben und Tod. Daraus schließe ich, dass Frau Holle die personifizierte Naturkraft ist.

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Miyu IGAWA

Étude comparative au sujet des Contes de Perrault

―Le rôle des fées en comparaison avec les contes des frères Grimm―

Charles Perrault (1628-1703) est un poète français qui est bien connu pour

ses Contes de Perrault. Il est né dans une famille bourgeoise en 1628. Plus tard,

il fut au service de Louis XIV et conta ses histoires aux dames de la cour et à ses

propres enfants. C'est ainsi qu'il a légué ses précieuses œuvres aux générations

futures. Parmi ces œuvres, la plus essentielle est les Contes de Perrault. Cet

ouvrage qui est une étude sur les contes pour les enfants, est situé comme

l'ancêtre du conte de fées.

Tout en considérant cela, j'ai analysé dans mon étude le rôle et l'influence

des fées dans les Contes de Perrault. Dans le premier chapitre, j'ai d'abord

exposé la biographie de Perrault et les Contes de Perrault, puis la carrière des

Frères Grimm et leur œuvre Les Contes de fées des Grimm, et enfin, je

présenterai un conte de fées. Dans le second chapitre, j'ai comparé les Contes de

Perrault aux Contes des frères Grimm. Dans cette comparaison, j'ai traité de La

Belle au Bois Dormant et de Cendrillon ou la Petite Pantoufle de verre. Sur La

Belle au Bois Dormant, j'ai remarqué la vieille fée indignée de ne pas avoir été

invitée à la cérémonie du baptême et la jeune fée ayant atténué la terrible

malédiction. Sur Cendrillon ou la Petite Pantoufle de verre, j'ai dit que les

pantoufles de verre, que la fée a donnés à Cendrillon, ont changé son destin.

Enfin j'ai examiné le rôle et l'influence des fées dans les contes.

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Toru ICHIKAWA Étude sur Les Enfants du Paradis

-Considérations sur le rôle du spectateur dans le déroulement du film-

Les Enfants du Paradis (1945) est connu pour un des meilleurs chefs-d'œuvre des films français. Dans le premier chapitre de mon mémoire, en guise d'introduction, j'ai cherché à comprendre la caractéristique des œuvres de coproduction du réalisateur Marcel Carné (1906-1996) et du poète Jacques Prévert (1900-1977). J'ai confirmé comment les films au réalisme poétique se positionnaient à cette époque. Ensuite, j'ai envisagé le contexte de production de ce film et considéré ses liens avec la Résistance. D'après l'étude précédente, cette œuvre rappelle l'ambiance de Paris Libéré après la Révolution et elle fait reprendre courage maintenant en tissant différentes périodes historiques. Tou-tefois, en rédigeant ce mémoire, j'ai remarqué le rôle prépondérant des specta-teurs. Dans la deuxième partie, j'analyse comment la présence des spectateurs influe sur le cours du scénario.

Dans la deuxième partie, je me suis tout d'abord attardé sur le rôle symbolique des personnages du film, Baptiste, Frédérick, Lacenaire et le Comte Montray. J'ai ainsi mieux compris la typologie des personnages. Je me suis ef-forcé de comparer les trois premiers aux personnages historiques dont ils sont inspirés. Et, j'ai envisagé de Montray en analysant la vie des aristocrates d'alors. J'ai alors compris tout ce qui opposait des personnages aussi incompatibles que Baptiste et Frédérick, ou Lacenaire et Montray. Baptiste représente le silence et Frédérick le bavardage ; ils s'opposent. Lacenaire et Montray incarnent à leur tour la justice et l'injustice.

Ensuite, dans la troisième partie, j’ai conclu sur l’importance du regard des spectateurs dans l’agencement de ce rôle symbolique. Dans mon analyse je montre comment le silence de Baptiste et le bavardage de Frédérick s’opposent en raison même de l'existence des spectateurs, composée par le peuple de Paris. Les spectateurs dans ce film, particulièrement au spectacle des Enfants du pa-radis par les Funambules, apprécient les personnages avec le regard docile et pur. Comme les spectateurs font face à ces personnages, ils subissent les regards et s’opposent radicalement.

Sur cette base on comprend mieux le rôle joué par les spectateurs dont Garance fait elle aussi partie. En effet, Garance a la particularité d'assister elle aussi aux spectacles. Elle décide aussi de l'opposition des personnages de l'his-toire. Mais quand elle perd sa particularité, ses traits de caractère s'effacent et la conclusion du film est admirable : dans la scène finale, quel contraste entre la foule qui s'excite sur le boulevard et Garance qui fuit. L'arrière-goût à cette der-nière scène est produit par la mise en scène suggérant leurs différentes fins, bien qu'ils aient la même caractéristique.

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Natsumi SAITO

Au sujet de la formation de la culture de la cuisine française

La cuisine française est célèbre et elle fait partie intégrante de la culture

du pays ; elle est appréciée non seulement en France, mais aussi dans le monde

entier. J'ai choisi de traiter de ce sujet, car j'aimais savoir comment la cuisine

française de nos jours a pu connaître un tel succès. Dans cet article, j'explore

l'histoire de la France afin de découvrir ce qui a conduit la cuisine française à la

réussite.

Dans le premier chapitre, j'explore l'histoire de la cuisine française et les

particularités de celle‐ci à travers ces quatre époques : le Moyen-âge, la

Renaissance, le XVIIème siècle et le XVIIIème siècle.

Dans le second chapitre, je me focalise sur la culture des restaurants.

J'envisage la culture des restaurants tout en réfléchissant à la situation de ceux‐

ci au fil de l'histoire.

Dans le troisième chapitre, j'examine le rôle des restaurants à travers

trois perspectives : de la position, de la vie en ville et de la culture. Je montre

aussi comment la culture des restaurants a influencé les Français et je mets au

clair la relation entre la culture des restaurants et la culture française.

En conclusion, j'ai remarqué que la culture des restaurants a fait la

culture de la cuisine française. Elle a fait une époque dans l'histoire de la cuisine

française et elle a donné l'influence profonde à la postérité. La cuisine française

existe depuis longtemps, mais c'est grâce à l'apparition des restaurants qu'elle se

propage largement et elle commence à avoir la généralité

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Mao HANMA

Une réflexion sur les films d’amour français

-L'image féminine chez Demy et Jeunet-

Mon étude a pour but de mettre en évidence l'image féminine dans les

films d'amour français. Les œuvres que j'ai choisies sont Les Parapluies de

Cherbourg et Les Demoiselles de Rochefort de Jacques Demy, ainsi que Le

Fabuleux Destin d'Amélie Poulain et Un long dimanche de fiançailles de

Jean-Pierre Jeunet.

Il y a les différences de l'image féminine sur divers points chez Demy et

chez Jeunet. Cependant, tous les deux ont réalisé des films populaires. Leurs

films ont été bien accueillis par tout le monde. En d'autres termes, il y a

probablement un certain nombre de similitudes entre l'image féminine dans

les films et celle de l'époque contemporaine. Par conséquent, en comparant les

films d'amour de Demy et ceux de Jeunet, nous pouvons mieux comprendre

ces similitudes.

Mon étude se compose de deux chapitres. Le premier chapitre présente

les deux réalisateurs et leurs films. Le moyen de comédie musicale caractérise

Demy. Il exprime la joie de vivre et la belle émotion par cette manière. D'autre

part, la caractéristique de Jeunet consiste à utiliser la technologie numérique

de l'art dans la description de la vie et de tous les jours. Il s'intéresse à la

circonstance où les faibles doivent devenir forts, donc il fait de ces personnages

la héroïne. Le deuxième chapitre analyse les films et décrit l'image de la femme

chez chaque cinéaste. Et je traite la position des femmes existantes pour

comprendre mieux les femmes dans le film. Je compare leurs œuvres, puis

recherche la relation entre l'image féminine dans les années 1960 et celle du

21e siècle.

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会田ひかり ロシアの食文化について <はじめに>

ロシアの食文化は社会情勢の激変と共に大きく変化しており、領土が広大なために地域差

も激しい。その複雑な状況下で発達した食は、食べるためだけのものではなく、地域、繁栄、

安全といったものの象徴として重要視され、人びとの生活に密接に関わってきた。さらに、

食はロシアの文学作品や絵画にも頻繁に用いられている。そこで本論文では、ロシアの食文

化を知る手段として主に文学作品を用いることで、食文化と文学の関わりについて言及しつ

つ、ロシアの食文化を考察していく。

<内容> 第一章(ロシアの料理と食材)では、第一節でパンと塩について、第二節で代表的なロシ

アの食材であるチョウザメ・ジャガイモ・キュウリ・香草・ビーツについて述べている。第

三節ではロシアの代表的な料理について、前菜(ザクースカ)、スープ、メイン・ディッシ

ュ、サイド・ディッシュ、デザート、飲み物に分けて述べている。

第二章(ソ連崩壊前後の時代背景)では、第一節で、ソ連時代を「スターリン時代」・「内

戦や飢饉による社会の混乱と疲弊」・「女性の社会進出」というテーマに絞って述べている。

また、第二節ではソ連崩壊後のロシアに焦点を当て、食文化の変化について述べている。

第三章(食文化の形成要因とその影響)では、第一節で西欧派とスラブ派、第二節で農民

と貴族等の上流階級・食の二極化について述べている。第三節ではロシア正教について取り

上げ、その中でも特に食文化に与えた影響が大きいと思われる斎戒(精進と非精進)、代表

的な祝祭日、菜食主義や禁欲主義について考察した。

<おわりに>

文学作品の食に関する描写を見ていくことで、ロシア人がどのような食事をしていたか、

民族や階級の違いなど、当時の生活を読み取ることができる。また、主人公の感情の流れや

社会情勢の諷刺、禁欲等の考えを、食を通して描写したりしている個所も多く、作品をより

魅力的にしていると改めて感じた。また、ロシアの食文化は、倹約と贅沢・貴族と農民・聖

と俗・都市と地方・東と西など様々な二項対立の中で、複雑かつ魅力的に発達してきた。そ

の変化の中でも、伝統料理やしきたりなどの変わらずに受け継がれているものもあり、改め

て食文化の面白さや奥深さを感じた。最近は、ロシアでも伝統が再評価されており、今後は

復活した伝統文化と新しい文化が融合して更なる発展を遂げていくことが期待される。なお、

本論では、ゴーゴリ『死せる魂』、チェーホフ『おろかなフランス人』、ブーニン『パリで』・

『日射病』、ゴンチャロフ『オブローモフ』、プーシキン『エヴゲーニイ・オネーギン』、オ

レーシャ『羨望』、A.K.トルストイ『セレーブリャヌィ公』・『アンナ・カレーニナ』、

ソルジェニーツイン『マトリョーナの家』等の作品の描写を用いた。

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高橋華慧 ソ連時代の児童文学が子供たちに与えた影響について

本論文では、1917年の革命を機にソ連にもたらされた「絵本の黄金時代」を見ていくことで、それら児童文学が当時の子供たちにどのような影響を与えたのかを考察していく。

そしてこれより、当時のソ連における児童文学の社会的役割を明らかにすることを目的と

している。 ロシアの歴史をみると 1917年に十月革命が起こったことで、ソビエト政権の誕生、それに続いて内戦が勃発するなど、当時は激動の時代であったことが分かる。それに伴い市民の

生活は、常に犯罪や伝染病の恐怖、飢えなど不満材料が満ちていた。このような社会の動き

や、劣悪な生活環境は、勿論子供たちにも影響を与えており、政府は児童保護や児童教育に

も力を入れようとしていた。その一環として作られたのが、児童絵本である。1920-1930年代にかけての絵本革命によって、ロシア・アヴァンギャルドの作家たちが生み出した多く

の素晴らしい作品は、作りこそ粗野であったものの、その見た目や内容から大変な人気を博

した。この時、絵本に与えられた役割は①世の中の仕組み、②ものの作り方・作られ方、③

労働の役割や重要性、④多民族共生、⑤自然や動物について、⑥ソ連の敵となり得る国への

対抗心、などを子供達に教えることであった。しかし、このような目覚しい時代も長くは続

かず、1932年にスターリンが芸術団体を解散させたことで、アヴァンギャルドの芸術活動も禁止され、黄金時代は終焉を迎える。 では当時の作品は、なぜ「黄金時代」と呼ばれるほど高い評価を受けたのか。これには子

供たちの発達の過程をよく分析した上で、詩や挿絵に施された様々な作家たちの工夫が関係

している。 まず詩について述べると、子供が好むようなリズム感のある、韻を踏んだ文章が多く用いら

れている。内容の面白さはもちろんのこと、さらに韻文を用いて表現することで、より子供

が読みたがる作品作りを目指したのだ。次に、絵本において特に重要となる挿絵については、

それぞれ画風が異なる作品であっても、どれも紙面構成や色使いが効果的であることが挙げ

られる。具体的には、読み手の視線をうまく誘導するような挿絵の配置、子供が好むとされ

る鮮やかな色使い、また逆に注意をひくためにアクセントカラーを取り入れるなどである。

このような工夫により、絵本は先に挙げたテーマを子供たちに分かりやすく伝えることがで

き、さらに当時問題になっていた識字率の低さを改善するためにも優れていたと言える。 ソ連時代の児童文学は、時代背景や当時の児童教育を踏まえると、子供達を国の政策に

取り込むために利用されたようにも思える。しかし、確かにプロパガンダ的要素はあるに

しても、優れた作品を通して言語や道徳を学んでいくことができた点では、当時の子供た

ちは恵まれた教育環境にあったのではないか。子供達の教育を託されたソ連の児童文学は、

今もなお評価されている。このことは当時が「絵本の黄金時代」であったことを確かなも

のにしているといえよう。

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横山咲子 ゴーゴリ『検察官』について―笑いとその評価をめぐって―

19 世紀ロシアを代表する作家ニコライ・ワシーリエヴィチ・ゴーゴリは、ドストエフスキーが「我々は皆ゴーゴリの『外套』から出てきた」と語ったとされるように、ロシア

文学にとって欠かせない存在である。そのゴーゴリ作品の特徴として挙げられるのが笑い

である。ゴーゴリの笑いは当時から諷刺であるのかないのか、その社会的側面をめぐって

様々な議論がなされてきた。そこで、本稿では上演当時に賛否両論の議論を巻き起こして

大きな社会的影響を与えたドタバタ喜劇『検察官』において、そこに現れるゴーゴリの笑

いがどういったものであるのか、これまでの評価をもとに考察した。 第1章ではゴーゴリ作品が主に批評家ベリンスキーによって社会批判を目的とした諷刺

作品であると位置づけられ、ゴーゴリ評価の基盤がつくられたが、近年の研究ではそうし

た社会的側面はゴーゴリ作品の解釈にとって重要ではないとする論が対立していること

を確認した。したがって、諷刺一辺倒の視点からではゴーゴリ作品を論じることはできな

いとした。 第 2章では『検察官』のあらすじと上演当時の社会背景・演劇界について整理し、役人

たちの不正行為を描き出した『検察官』が必然的に諷刺作品と捉えられたと考えた。そこ

から保守派による非難、進歩派による称賛といったゴーゴリに対する二分化された評価が

生まれた。これらの反応に対してゴーゴリ自身がこの喜劇における笑いの弁護をしており、

体制批判の意図は全くないことを強調して社会全体における悪しきものを笑うことが目

的であったと正当化した。しかし、これは創作当初の意図とは明らかにずれが生じており、

晩年作品に教訓的な意義を強調したゴーゴリによるこじつけであると考えられる。 第 3章ではゴーゴリについて論じた批評家エイヘンバウム、バフチン、マンの論をもと

にゴーゴリの笑いの特徴と社会的側面の有無を考察した。それぞれ語りや民衆の笑いの文

化などにゴーゴリの笑いを見出そうとしたが、それらは完全にゴーゴリに当てはめること

はできない。諷刺性を完全に否定するエイヘンバウムやバフチンに対して、マンは役人た

ちの不正行為を暴きだした社会的意義のある作品であると主張している。3者共にゴーゴリの笑いにおいて陽気で明るい面と見る者に訴えかけるような否定的側面が同時に現れ

ていることを指摘している。 ゴーゴリの笑いは自信が晩年に正当化したことで解釈が複雑になった。『検察官』が与

えた社会的影響力は否定できないが、役人たちの贈賄・収賄行為といった不正は当時のロ

シア社会では日常的に行われており、ゴーゴリがわざわざ暴きだす必要はなかった。その

ため、役人の不正の暴露を目的とした諷刺作品と位置付けることはできない。両面的な笑

いの否定的側面が強調されたことで諷刺作品とみなされてしまったと考えられる。『検察

官』におけるゴーゴリの笑いは本来何らかの社会的意義をもったものではなく純粋な笑い

であり、階級や立場といったものに縛られずに見るべき作品であると結論付けた。