第三回ディレクタートークショー -decade(+2-

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DECADE+2(2000-2012) アヨハタ(ブクログ事業部 ディレクター) こんな仕事とかしてました+本で振り返る

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DECADE+2(2000-2012)アヨハタ(ブクログ事業部 ディレクター)

こんな仕事とかしてました+本で振り返る

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Decadeとは?

10年を振り返る、という企画で、元々はsmashmediaというブログをやってる河野さんが毎年末にやっているもの。

2008年に一度つくったものをベースに付け加えてみました

聞きたいことあったら途中で挙手してください。

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では、はじめます

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自己紹介

大西隆幸 / Takayuki Onishi(通称アヨハタ)1979年1月13日生まれ。大阪府立工業高等専門学校電子情報工学科卒業後、デジタルハリウッド大阪校 専科クリエイティブ卒業

AKB48チームA松原夏海さん推し(JUGEMでブログもやってます)

2000年 大阪の制作会社に入社後、翌年退社。その後、2001年から2002年まで派遣社員でシステム会社などでウェブ担当者として働く。2003年よりフリーランス活動開始、ウェブ制作、開発とともにウェブ、Flashアニメのグッズ販売ニュースサイトの運営。

2005年に上京、大手ブログサービスでコーダ-を担当、2006年10月には自身の会社を設立したが、2009年4月会社をたたみ編集プロダクションのメディア部門に入社。2011年5月に退社、2011年6月にpaperboy&co.入社。

「インターネット&Webの必須常識100(ワークスコーポレーション、共著)」でHTMLの章を担当

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アヨハタの10(+2)年

第一期(AKBでいうとチームBが出来るまで)●大阪時代のフリーランスとアニメ⇒自由きままに仕事しながら、いろいろなドリームを叶えるお手伝いをする

第二期(AKBでいうとひまわり公演から武道館での組閣まで)●上京そして起業⇒大手の仕事をやる楽しさと、今後のキャリアに悩む

第三期(AKBでいうと組閣後新公演がはじまらない時期)●編集プロダクション時代⇒精神的にもきつかった時代だが、これがあるから今の自分がある

第四期(AKBでいうと新公演開始から初ミリオンのEveryday,カチューシャまで)●paperboy&co.入社から株式会社ブクログへ⇒サービスに企画側として初めて関わる

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2000年

デジハリ在学中に3DCGとか映像を勉強していた。しかし、映像関係就職は無理だと挫折。ウェブ制作の勉強をはじめる。

在学中に知り合った、人が一緒にお仕事する人を募集してて声をかける。一晩明かして、つくったサイトだったが公開されず..この時、初めて「TABLEレイアウト」という存在を知る

卒業後、株式会社ディーネットという会社に入社。FlashアニメーションとかHTMLやJavaScriptを書くお仕事をさせてもらう。入社3ヶ月で大手家電メーカーのECサイト立ち上げに関わり、毎日終電帰りになる。この業界の大変さを身にしみる。#ちなみに、そのサイトは2年ぐらいで潰れました。

同期入社の子が半年で辞める。軽く凹む。

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2001年

順調に仕事を覚えるが、なんとなく違和感を感じる。ふとした事で、社長と喧嘩になって、辞める#これに関しては、今考えれば自分は若かったと思うけど、色々とおかしいと思う所は多かったので、辞めた事は間違えでは無かったと思う

派遣で、システム会社にウェブ担当者として働く一から立ち上げの会社であったので、会社のロゴデザインとか色々やることに

並行して、あるスポーツ用品のメーカーにも派遣に行くが、なんか先方都合でクビにされる。未だにその会社の商品は買わないようにしている。

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2002年

年初に、SIAM SHADEの解散ライブに参戦する。号泣する

派遣も終了して、フリーランスとして活動開始する。すぐに、お仕事はボチボチくる。知り合い経由よりもマッチングサイトでの獲得が多かった

ある電気屋さんのECの構築をする。PHPで一からECサイトを作った(PHP+MySQL)実は本片手に初めて書いたPHPプログラムだった。#高専でC言語やってて良かったと思った。

この年から、大阪の天六という場所で一人暮らしをはじめる

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参考:天六(日本一長い商店街)

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2003年

この年、Flashクリエイターの人たちとの飲み会とかによく参加することになる。その中で、情報発信サイトやECとか作りたいねって話になって、アーチストグッズコムを立ち上げたら、言い出しっぺの人に「本当にやっちゃたのかよ」と言われる。

なんとなく、この年はダラダラしてたと思う。

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このとき読んでた本

秋山晶の仕事と周辺⇒コピーライターの本とかを何故か読んでた

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2004年

この年にアーチストグッズコム発売した、CDがすごい売れ行きで、事務所に発送の封筒が転がりまくる。

何故かデジハリの京都校の卒業生の人たちと仲良くなる。その流れで、TAをはじめる(そのときに健吾さん(今の上司)と知り合う)

結果的には半年ぐらいしかやらなかったけど、そのときの生徒何人かとは未だにやりとりはある。

mixiに参加する

家の事情で色々とあって、一人暮らしを辞めて実家に戻った

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アーチストグッズコムをやってわかったこと

個人制作のアニメーションの可能性、市場性結果的に、その後すごいクリエーターが出て来て証明されたと思っているしかし、自分はチャンスを物にできなかった

YouTubeやニコ動、そしてpixivなどの登場で作品の発表の場は沢山できた。しかし、クリエイターに還元される仕組みがあまり無いと思った(2008年当時)この問題が解決されない限り、ネット上の表現活動はずっと続かないと思っている。

しかし、サラリーマンをしながらも、素晴らしい作品を作り続ける人は居る。インターネットってすばらしと思う。

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2005年

JAWACON2005を夏に開催する協賛でペパボの家入さんと健吾さんにすごくお世話になるこのイベントから、やわらか戦車のラレコさんや蛙男商会さんが出て来た。ただ、色々とあって終了後、運営からは離れる。

思う所があって、上京する気持ちが出てくるこのタイミングくらいから、会社を作ることが頭にあった

この年、あこがれの元SIAM SHADEのDAITAさんのサイトに関わることになる。

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JAWACON2005

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このとき読んでた本

スタイルシートスタイルブック⇒この本がなかったらCSS好きにならなかったと思う。

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2006年

2月に上京する。すぐに、サイバーエージェントで働き始める(また派遣社員)ブログのコーディングがメイン業務であったが、コーディングルールなどがそろっておらずマジ切れして、自分で作る。一時期はそれが社内のコーダーの標準的な資料となったらしい。

Ameba Visionという動画共有サイトの立ち上げに関わる。サービスの立ち上げの大変さを感じる

そんなに当時は詳しくないのに、アイドル関係の企画の会議に呼ばれる(グラビアは詳しかった)

10月に、会社を立ち上げる

夏ぐらいに藤田社長と初めて対面する。運良く、短期間に3回も会食に参加できるアヨハタの名前を覚えられる。本名は覚えられてないと思う。

3月に今の妻(北海道在住)とコトノハというサービスのオフ会で出会う

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このとき読んでた本

渋谷ではたらく社長の告白⇒入社前に読んでて、藤田社長の印象が変わった一冊。人間味のある人だって思った。

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2007年

1月17日に入籍する。(いわゆるスピード婚)

春前に、サイバーエージェントを退職する(正しくは契約終了か)なんだかんだ言って、楽い会社だった。押■学先生のブログに関わらせてもらえた。(けど、実績のブログが事情により数年後消滅する)

夏に大手SNSのリニューアルのプロジェクトのコンペに参加無事獲得、怒濤の進行で地獄を見る終了後すぐに結婚式で準備が全然できず、色々と迷惑をかける….

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このとき読んでた本

マーケティング⇒ひたすら基本だけ書いてる本。地味だけど、基礎は重要だと思った。

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2008年

大型案件も落ち着き、春に初社員が入る。制作の仕事に対して行き詰まりも感じ、マーケティングや企画のお仕事をやりたいと思うようになる。

初めて、雑誌で執筆をする。動画マーケティングについて書く。自分の文章書く能力のなさに凹む。

マーケティングの勉強に励む。この当時は、リスペクトしていて人がいてずっと背中を追いかけていた

AKB48にはまる。人生において、たぶん一番はまってるものだと思う。

子供が産まれる。その前々日に、妻の推しメンの卒コンだったので代理で行くが、産まれないか戦々恐々としていた。

ニコ動で人気があった「護法少女ソワカちゃん」というアニメのイベントをロフトプラスワンで開始する。当時のチケット最速売り切れ記録を作ったらしい(と支配人さんに言われた)

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このとき読んでた本

色々読んでた、マーケティングの本とかWeb制作、UXの本とか。ゲリラマーケティングの本はフリーランスの人にお勧めの1冊。

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2009年

骨折と同時に、色々とあって精神的に凹む。社員も辞める予定だったので会社をたたむことを決める

紆余曲折あり編集プロダクションに入る

仕事も前の会社から引きついだものや、知り合いからの相談もあり、順調に受託仕事を増やす

2008年にやったイベントの2回目をまたやることに。この年、そのアニメはDVDも発売された。

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このとき読んでた本

あんまりこの年は本読んでなかったきがする。。。

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2010年

会社で新プロジェクトが立ち上がり責任者になる中国にオフショア開発で行い、スケジュール管理などをやっていた言語の壁や、システムの設計関係、いろいろな人に挟まれつつの要件定義などで精神的におかしくなる

本の企画から編集とかをやる。

サービスができあがらない、オフショア開発の難しさを痛感する「出来ない」というのを言うことの難しさにぶつかる(俗に言う30歳の壁だと思う)

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編集した本

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このとき読んでた本

そんなマーケティングなら、やめてしまえ!⇒ペプシコ、コカコーラにいたセルジオジーマンって人。

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2011年

3月に会社を辞める決心をする 退職の旨を伝えたあと、大震災が起きる会社は昼で解散になり、新宿から阿佐ヶ谷まで歩きながら帰る。もしかしたら世界の終わりだと思い、一人で焼肉を食べツタヤで「アウトレイジ」を借りて見る

地震の影響で会社が社員数名を残して全員放出することになる。そのことをFacebookに書いたら、健吾さんから声がかかる。

6月20日にpaperboy&co.入社 6月22、AKB48チームA 松原夏海さんの生誕祭(委員長だった)

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このとき読んでた本

イシューからはじめよう⇒問題解決とかそういう本。難しい本で3回ぐらい読んでる。

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2012年

6月から株式会社ブクログですね。

僕がやりたいこと-本屋などの接点を大事にしたい(本が好きな人は本屋にいる)-パブーって「セルフパブリッシング」のデファクトスタンダードにしたい!他ね!色々とやりんたんですよ!

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まとめ

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僕がこの10(+2)年で学んだこと 自分の考えや相手にどうしてほしいかを伝えること やりたい、って思ったことは人に話す(案外かなう) 適当なこと、社交辞令はなるべく言わない 1人で出来ることは大したことはできない、みんなが

いるから大きなことができる

起こした「コト」を批判するのは良いと思う。ただし「人」は批判しないほうが良い

発信することの大切さ 考えると悩むは違う 個人のクリエイティブには可能性がある AKB48握手券はあんまり買わない(家族から怒られ

る)

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ありがとうございました