decade 20081226
TRANSCRIPT
Decade -3 /
一人シリコンバレー男
走る男の7年間
2008.12.28
KUDOU Takuya.
2
自己紹介
�工藤 拓也 / KUDOU Takuya
� 1983年3月5日生まれ。多摩大学経営情報学部卒。
�2001年、矢島小林工業入社、2002年退社。2002年から2006年まで多摩大学経営情報学部で学ぶ。2006年、イーアクセス入社、テクニカ
ルサポート関係の業務を務める。
�2006年よりITmediaオルタナティブブログにて「一人シリコンバレー男」として、Webサービス、
ブログマーケティングなどのイベントに参加し、イベントレポート、Webサービスのレビューなどの記
事を書く。
3
工藤拓也の7年間、東京で働くまでの7年間
�第1期(2001年~2002年)
�ブルーワーカー時代• 僕の知らない常識の世界
�第2期(2002年~2006年)
�大学時代• 僕と東京と多摩の生活
�第3期(2006年~2008年)
�社会人、ブロガー時代• やりたいことに近づき続ける努力
�第4期(2009年~)
�これからの自分と向き合う
4
2001年
�矢島小林工業入社
�高校卒業しての地元企業就職• うちの高校の7割は高卒就職2割が専門短大、1割が大学だった。
�配属部署は、プレハブ小屋の「システム課」• VBAのちっちゃいことをやったり、名刺を刷ったり。
• 看板にカッティングシートも張ったりしてた。
• システム課でありながらシステム触ってない。
�入社後試用期間(3ヶ月)すぎての会社傾き宣言• 退職金2ヶ月の希望退職を募ってた。
• 入社時1000人くらいいたのに人が700人ぐらいになった。
• システム課も解体→積層チップの品質管理部へ移動。
• なんだかよくわからないまま、不景気を知った気がする。
5
インターネットとの出会い
�初めてインターネットにつないだ。
�ドリームキャストは偉大だと思う。
�当時はやった電話代金コミコミプランを自分で払った。
�Googleもあった、Yahooもあった。
�「趣味:ネットサーフィン」って書けるってホントに思ってた。
6
知らない世界への入り口
I'm Feeling LuckyI'm Feeling Lucky
7
当時のメモ~インターネットで視野が広がって
ほんの少し前までパソコンなんてなかった。時間というものはかくも恐ろしいぐらい早く進んでいる。数年前のことが数秒前のようだ。だから、俺は思う。だったら人生をどう生きればいいか。自分のくいのないように、自分のやりたいように自分のことを好きになれるように。俺は今の自分が嫌いだ。夢を語るだけのつまらない男。人と同じ事をして大物になろうとしている、馬鹿だ。
8
2002年
�会社を辞めて大学進学した
�会社を辞めた理由と、大学に行った理由• 東京の給料の水準をインターネットで知った。
• 大卒ってすごいって思った。学校では大学に行けば給料が上がりますなんて教えなかった。
• 12月から入学願書を出せる大学を調べられた。• インターネットは楽チン、2校あった。
�多摩大学に行った訳
�知ってしまったら動きたくなった。• 学費とか仕事とかどうでもよくなったので、一人で取
り寄せ一人で願書を書いて提出。
• 親も通ると思っておらず、ドン引きだった。
9
チャレンジ入試と1年目
�多摩大学であった1年間仮学生で入れる制度
�2001年度募集から初めて一期生だった。
• 応募者僕一人しかいなかった。受験番号70001とか
だった。
�チャレンジ入試生ルール• 1年間通してプロジェクトを立て最終的に教授陣にプ
レゼンするのとともに規定の単位を取る。• ダメならそこでご退場。※入学できなかったになる。
• 普通の学生だったらリスキー過ぎて手は出さない。
• 僕は、まともに学生になろうとしたら後2年は勉強しなきゃな
らなかった。リスクがなかったから出来た。
10
たぶん、ここから人生が変わった
後悔とは、行動する事に
ではなく結果にする事だ
11
2003年
�やっと大学デビュー
�1年間は仮だったので大学2年生でやっと大学生。
• アルバイトをした、京王プラザホテルの宴会ウェイター• 高卒の社会人時代よりも時給が良かった。
• 軽くへこんだ。
�学生っぽいことをした。
• サークル活動に参加したり。
• ふられたり、ふられたり。• 朝まで部屋でお酒を飲んだりカラオケでオールしたり
12
当時のメモ~東京での生活について
どんな人間になりたいのか、いまだに迷う。不器用なくせに、器用に生きてるからなぁ。ガタがきてるんだろう。そもそも生まれも育ちも高級じゃないからなぁ~、友達に才能の差を見せ付けられるときついものがある。ここは俺にとってはアウェーの地だからなぁ。大学に入った時に比べたらずいぶんと洗練されたと思うんだけども、やっぱり、ここは異世界だよ、東京は。人間の性能も、質も秋田に比べて段違いにいい。つまり、俺は挑戦しないとこっちの人に勝つのは一生無理なんだよな。
13
2004年
�あっという間の大学3年生
�インターンしてた• 小さなPR会社で、日当1000円で。
• インターン斡旋は気をつけたほうがいい、中間搾取は良くない。
�社長に怒りのメールを送ったりしてた。• 給料が人間のモチベーションに半分ぐらいダイレクト
につながるとおもった。
• いい経験だった。お仕事は裏切るものだもの。
�父が死んだ
�葬式でみんなが「しょうがない人だった」と笑った。そんな生き方も悪くない。
14
ブログデビューの話
�一人シリコンバレー男@ITmedia以前のブログ
�日常のことをライブドアブログで書いていた。
• あと就職活動の情報を書いてた。
• 自分の頭の整理のために書いていたと思う。
�ココログとライブドアブログとエキサイトブログぐらいしかメジャーなサービスが無かった。
�友達の何人かが日記ブログを持っていた。
• エキサイトやらライブドアやら、• みんな今ではミクシィに移っていった。
15
2005年
�怒涛の就職活動
�リクナビってすごい。
• でも履歴書は手書きじゃないと駄目らしい。• 効率化しなきゃならない部分としちゃ駄目な部分がある。
�紆余曲折を経て、イーアクセスに内定を頂いた。• 5月ぐらいに決まった、それなりに早いほうだったと思
う。
�ドリームゲートインターンをした。
�本作りを手伝った。
• 本の体裁やら内容を考えた• 著者挨拶で名前が出た
16
母の教え
「つぶしのきく男になりなさい」
17
2006年
�イーアクセス入社
�Webに関わりたかったのでコンテンツ部志望
• ものの見事にADSLのテクサポへ
�自分の知らない適正があると知る。
• 実際何とかなっている。
�ITmediaオルタナティブブログ
「一人シリコンバレー男」連載開始
�どうしてもWebに関わりたかった
18
当時の記事より
私がこのblog(一人シリコンバレー男)を通して行い
たいことは「自分を成長させること」です。
そして「自分を成長させること」の目的は、「起業家としての第一歩を踏み出すためのさまざまな意味での体力づくり」です。
19
サンキュー・スモーキングより
「ラクな仕事は退屈だ」
20
2007年
�社会人生活2年目
�振り返ると迷走していた感がある。
• 仕事とブログの両立。
• 私生活もうまく行かず・・・
�なんだかんだ札幌へ軽く飛ばされる。
�真冬の3ヶ月間札幌暮らし
• 大学時代から数えて6年目にしてまた違う場所での
生活。慣れない暮らしに四苦八苦。
• いやいやだったが、サラリーマンだって自覚が持てた。• お金をもらっている以上がんばるしかない。
21
当時のメモより~迷走時
自分に正直に、自分に負けるな、甘やかすな。
男らしい男になるために必死で努力しなければならないだろ。
がんばれ俺、親父に笑われたくないだろ。
一回しかない人生だ、色々やってみよう。
落ち着くには、若すぎるよ。
22
Decadeとの出会い、当時の記事より
僕は、最初このプレゼン(厳密にいうとpdf)を読んだ
ときに、一瞬「すごいな〜」と言うただの感想だけで終わってしまいそうになったが、実際に、僕ら(自分と同世代)は、河野さんの人生並みの、挑戦をしてこないと、少なくとも河野さんには追いつけない。
河野さんよりもすごい人は、世の中にたくさんいるけれども、こうして、自分のリアルな11年間をまとめて、提示してくれた大人(あまり使いたくない表現だけど)はいただろうか。
23
2008年
�河野さんとの出会い
�縁があって河野さんのアシスタントへ
• なんとなくと言うのは禁止!考えるのを停止させるな。
• 仕事というよりは遊びから色々学ばされる
• 世界はインターネットを中心に回ってない。
• スピード!人より多くをやり、失敗をする。• たくさん学んだ上に結構怒られた。
�ユニークな生き方• 会社員、アシスタント、ブロガー3足のわらじ
• 今は変かもしれないけど、常識になる世界が来る。
24
2周年目の記事
進んできた道を振り返ると、結局のところ、webは媒
体や、ツールでしか無く、そこに関わる人々に対面したときに多くのことを学ばせていただきました。
よって、僕の2年間の得た物の結論はコレです。「発信するだけでは足りない!」
僕はこれからも、フットワーク軽く、いろんな物を見に行きながら、発信を重ねて行きたいと思います。
25
河野さんの言葉
人の評価は人が決める。絶対評価で自分を測るから、つらくなる。
26
これからのこと
�まだ社会へなにかを還元できるレベルじゃない
�スピード!スピード!スピード!• 10を失敗して100を学ぶ
�自分の価値を作る
�ブログの発信、自分ポータルを作る
• 自分が自分で売りたい時給はいくらなんだろう?
�スタイルの追求
�河野さんでもなければ他の誰かでもない仕事のスタイル
• 個人として仕事をしたときになんて名乗りたいか?
27
ぼくが学んだこと
�チャンスとタイミングを間違えないこと
�失敗したときに最低限の損失で済ませる技術
�大きな欲のために無欲であること
�評価を決めるのは数字ではなく人
�発信し続けるのは重要
�最後まで笑顔でがんばれ
28
ぼくが好きな言葉
答えは日常の中にある
29
Thank you!
�ご清聴ありがとうございました。
�興味のある方はぜひご連絡ください。
�http://blogs.itmedia.co.jp/kudou/
�検索してもOKです