56.多能性幹細胞を用いた新しい免疫制御法の開発...

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56. 多能性幹細胞を用いた新しい免疫制御法の開発 清野 研一郎 Key words:多能性幹細胞,免疫制御 北海道大学 遺伝子病制御研究所 病態研究部門 免疫生物分野 近年,現在の臓器移植の問題点である臓器不足ならびに免疫拒絶反応を克服するべく,ES 細胞や iPS 細胞を利用した再 生医学の臨床応用(再生医療の実現)が期待されている.ES 細胞や iPS 細胞は多能性幹細胞と呼ばれ,試験管内で未分 化状態を維持したまま培養可能かつ様々な組織に分化可能な細胞である.完全に患者本人の細胞から iPS 細胞を誘導し,そ れから移植用臓器(組織,細胞)を作製し移植することができれば免疫拒絶の問題は起きず理想的である.しかし,ES 細胞 を用いた場合,またバンク構想に基づく iPS 細胞を用いた場合は拒絶反応の問題は回避できず,(HLA を適合させれば量を少 なく抑えられる可能性はあるものの)免疫抑制療法が必要となる. 現在行われている臓器移植においては,免疫抑制剤による臓器障害,易感染性,発がん,成長障害等副作用の問題が残 されており,これらの問題を一気に解決する可能性がある手段として免疫寛容の誘導が期待されている.寛容誘導の方法はい くつか報告されているが,我々の研究グループは長年 T 細胞の第 2 シグナル(コスティミュラトリーシグナル,CD28- CD80/86)のブロックに関する研究を行い,これにより誘導される免疫制御性細胞-anergic T cell(麻痺に陥った T 細胞) を用いた比較的簡便な細胞治療により,霊長類において臓器移植後免疫寛容の誘導が可能であることを報告した 1) .よって今 後,これまで臓器移植学が培ってきた免疫抑制療法を再生医療特有の状況に適合させていく作業,また一歩進めて,ES 細胞 や iPS 細胞から免疫制御に役立つような新しい細胞を作製するといった新しい研究開発の推進が必要となってきているといえよ う.すなわち,「再生医学時代にも通用する新しいコンセプトに基づいた免疫制御研究」が必要な状況を現在迎えている. そこで我々は,広く免疫系細胞と多能性幹細胞との関わりについて明らかにする必要があると考え,まず免疫細胞からの iPS 細胞誘導と ES 細胞/iPS 細胞からの免疫細胞の分化について検討を行うこととした.究極的には ES 細胞/iPS 細胞から特定 のリンパ球サブセットの分化を制御する方法を見出し,癌や感染症,そして同種異系の移植に対して有用な細胞を得る方法論 を確立することを一つの目標として研究を開始した. 1.末梢 B 細胞からの iPS 細胞の誘導 マウス脾臓の B 細胞,T 細胞を用い,これらに山中4因子(Oct3/4, Sox2, Klf4, c-Myc)を遺伝子導入し iPS 細胞誘 導を試みた.B 細胞は LPS 及び IL-4 で,T 細胞は抗 CD3 抗体と IL-2 を用いて分裂増殖を促した.遺伝子導入の方法と してはレトロウイルス法,レンチウイルス法,タンパク質導入法など様々な遺伝子導入法を検討した.得られた iPS 細胞コロニ ーをクローニングし,遺伝子発現を RT-PCR 法にて解析した.また,同系マウスに移植し,テラトーマの形成を検討し,また 病理所見を HE 染色法にて行った. 2.iPS 細胞(皮膚由来又は B 細胞由来)からのリンパ球分化誘導 OP9 フィーダー細胞を用い,iPS 細胞からリンパ球系細胞への分化誘導を試みた.T 細胞の分化誘導には OP9 に Notch リガンド δ-like1 を発現させたフィーダー上で Flt3L, IL-7 を用いて培養した.B 細胞の分化誘導には,OP9 をフィーダーとし て用いた.分化した細胞の細胞表面分子を FACS で,遺伝子発現を RT-PCR で解析した. 上原記念生命科学財団研究報告集, 26 (2012) 1

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56. 多能性幹細胞を用いた新しい免疫制御法の開発

清野 研一郎

Key words:多能性幹細胞,免疫制御   北海道大学 遺伝子病制御研究所  病態研究部門 免疫生物分野

緒 言

 近年,現在の臓器移植の問題点である臓器不足ならびに免疫拒絶反応を克服するべく,ES 細胞や iPS 細胞を利用した再生医学の臨床応用(再生医療の実現)が期待されている.ES 細胞や iPS 細胞は多能性幹細胞と呼ばれ,試験管内で未分化状態を維持したまま培養可能かつ様々な組織に分化可能な細胞である.完全に患者本人の細胞から iPS 細胞を誘導し,それから移植用臓器(組織,細胞)を作製し移植することができれば免疫拒絶の問題は起きず理想的である.しかし,ES細胞を用いた場合,またバンク構想に基づく iPS 細胞を用いた場合は拒絶反応の問題は回避できず,(HLA を適合させれば量を少なく抑えられる可能性はあるものの)免疫抑制療法が必要となる. 現在行われている臓器移植においては,免疫抑制剤による臓器障害,易感染性,発がん,成長障害等副作用の問題が残されており,これらの問題を一気に解決する可能性がある手段として免疫寛容の誘導が期待されている.寛容誘導の方法はいくつか報告されているが,我々の研究グループは長年 T 細胞の第 2 シグナル(コスティミュラトリーシグナル,CD28-CD80/86)のブロックに関する研究を行い,これにより誘導される免疫制御性細胞-anergic T cell(麻痺に陥った T 細胞)を用いた比較的簡便な細胞治療により,霊長類において臓器移植後免疫寛容の誘導が可能であることを報告した1).よって今後,これまで臓器移植学が培ってきた免疫抑制療法を再生医療特有の状況に適合させていく作業,また一歩進めて,ES細胞や iPS 細胞から免疫制御に役立つような新しい細胞を作製するといった新しい研究開発の推進が必要となってきているといえよう.すなわち,「再生医学時代にも通用する新しいコンセプトに基づいた免疫制御研究」が必要な状況を現在迎えている. そこで我々は,広く免疫系細胞と多能性幹細胞との関わりについて明らかにする必要があると考え,まず免疫細胞からの iPS細胞誘導と ES細胞/iPS 細胞からの免疫細胞の分化について検討を行うこととした.究極的には ES細胞/iPS 細胞から特定のリンパ球サブセットの分化を制御する方法を見出し,癌や感染症,そして同種異系の移植に対して有用な細胞を得る方法論を確立することを一つの目標として研究を開始した.

方 法

1.末梢B細胞からの iPS 細胞の誘導 マウス脾臓の B 細胞,T 細胞を用い,これらに山中4因子(Oct3/4, Sox2, Klf4, c-Myc)を遺伝子導入し iPS 細胞誘導を試みた.B 細胞は LPS 及び IL-4 で,T 細胞は抗 CD3 抗体と IL-2 を用いて分裂増殖を促した.遺伝子導入の方法としてはレトロウイルス法,レンチウイルス法,タンパク質導入法など様々な遺伝子導入法を検討した.得られた iPS 細胞コロニーをクローニングし,遺伝子発現を RT-PCR 法にて解析した.また,同系マウスに移植し,テラトーマの形成を検討し,また病理所見をHE染色法にて行った. 2.iPS 細胞(皮膚由来又は B細胞由来)からのリンパ球分化誘導  OP9 フィーダー細胞を用い,iPS 細胞からリンパ球系細胞への分化誘導を試みた.T 細胞の分化誘導には OP9 に Notchリガンド δ-like1 を発現させたフィーダー上で Flt3L, IL-7 を用いて培養した.B 細胞の分化誘導には,OP9 をフィーダーとして用いた.分化した細胞の細胞表面分子を FACS で,遺伝子発現をRT-PCRで解析した. 

 上原記念生命科学財団研究報告集, 26 (2012)

1

3.iPS 細胞または ES細胞由来 T細胞の機能解析  iPS 細胞または ES 細胞から上記のように試験管内で誘導した T 細胞を IL-2 で増殖させた後 PMA/ionomycin で刺激し,サイトカインや各種遺伝子の発現を検討した.iPS 細胞から誘導した T 細胞をマウス生体に移入し抗腫瘍効果を持つかどうか検討した. 4.ES細胞からの抗原提示細胞の誘導と制御性細胞の誘導 OP9 フォーダー細胞を用い,胚様体形成を経てGM−CSF を用いES 細胞から樹状細胞様細胞の誘導を行った.得られた抗原提示細胞の発現分子を FACS で解析した.この ES 細胞由来抗原提示細胞(ES-APC)とアロの T 細胞を共培養し,その際に CD80/86 の阻害抗体を添加した.

結 果

1.末梢B細胞からの iPS 細胞の誘導 マウス脾臓の B 細胞,T 細胞を用い,これらに山中4因子(Oct3/4, Sox2, Klf4, c-Myc)を遺伝子導入し iPS 細胞誘導を試みた.当初は遺伝子導入そのものに難渋し,レトロウイルス法,レンチウイルス法,タンパク質導入法など様々な遺伝子導入法を検討したが,最終的にレトロウイルス法により脾臓 B細胞から iPS 細胞様のコロニーを得ることができた.同コロニーをクローニングし,遺伝子発現を検討したところ,B細胞特異的な Pax5 の発現は失われ,ES細胞マーカーであるNannog, Ecatなどの発現が確認できた.また,VDJ組み換えを検討したところ,これらのコロニーは皮膚細胞などと異なり B細胞抗原受容体部分が遺伝子再構成していることが示され,真に B細胞由来の iPS 細胞であることが判明した(図1).この B細胞由来 iPS細胞を同系マウスに移植するとテラトーマを形成し,またキメラマウスの作製が可能であった(図1)2). 

 図 1. B細胞からの iPS 細胞の誘導.

A, ES 細胞に似た形.B, ES マーカーの発現.C, BCR のパターン.

    

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2.iPS 細胞(皮膚由来又は B細胞由来)からのリンパ球分化誘導 次に,OP9 フィーダー細胞を用い,iPS 細胞からリンパ球系細胞への分化誘導を試みた.OP9 に Notch リガンド δ-like1 を発現させたフィーダー上で Flt3L, IL-7 を用いて培養すると,T 細胞の特徴を持った(遺伝子発現,細胞表面分子発現)細胞の分化誘導が可能であった(図2).これは,iPS 細胞の由来細胞(皮膚または B 細胞)に関わらず可能であった.生成された T細胞の抗原受容体ベータ鎖の発現を見ると偏りはなく,多様な T細胞が生成されているようであった2). 一方,OP9 をフィーダーとして用いた B細胞の分化誘導の条件では,ES細胞からのB 細胞の誘導は可能であったが,iPS細胞からのそれは非常に困難であった.それは,iPS 細胞の由来が B 細胞である場合でも同様であった.遺伝子発現を検討すると,分化初期から B細胞の分化誘導に必須の Pax5 の発現が見られなかった. 

 図 2. B細胞由来 iPS 細胞の分化能.

上,テラトーマ形成.下,キメラマウスへの寄与.  3.iPS 細胞または ES細胞由 T細胞の機能解析  iPS 細胞または ES 細胞から上記のように試験管内で誘導した T 細胞を IL-2 で増殖させた後 PMA/ionomycin で刺激し,IFN-γ を産生することを見出した.また,TGF-β で刺激し,Foxp3 陽性の細胞が得られることを見出した.この Foxp3陽性細胞を含む分画は他に調製した T 細胞の増殖を抑制した.さらに,iPS 細胞から誘導した T 細胞をマウス生体に移入し機能するかどうか検討した.ヒトにおける donor lymphocyte infusion を想定し,マウスで白血病再発モデルを作製した.ここにドナーと同系の iPS 細胞から誘導した T細胞を移入したところ,生存期間の延長が見られた. 4.ES細胞からの抗原提示細胞の誘導と制御性細胞の誘導 次に我々は,OP9 フォーダー細胞を用い,胚様体形成を経てGM−CSF を用いES 細胞から樹状細胞様細胞の誘導を行った.このようにして誘導した細胞にはコスティミュラトリー分子である CD80, CD86 が発現していることが FACS で確認された.この ES 細胞由来抗原提示細胞(ES-APC)とアロの T 細胞を共培養し,その際に CD80/86 の阻害抗体を添加した.このことにより,アロのT細胞の増殖反応は有意に抑制された.この細胞が制御性細胞となるかどうか検討するため,新たに組み直したアロのMLR に添加したところ,その増殖反応を抑制した. 

考 察

1.末梢B細胞からの iPS 細胞の誘導と試験管内でのリンパ球分化誘導 我々は本研究の中で, マウス末梢 B 細胞から山中4因子のみで iPS 細胞を誘導することに成功した. これより以前, 山中4因子に C/EBPa などを加えることでマウス B 細胞から iPS 細胞誘導が可能であることは米国の研究グループから報告があった

3

が, 山中4因子のみで誘導できることを報告したのは初めてであった. 一方, T細胞からは iPS 細胞の誘導は我々の手では困難であった. 同時期, p53 を欠失した T細胞からは iPS 細胞は誘導できたが正常 T細胞からはできないとする報告があった3). また,試験管内でのリンパ球誘導であるが,T細胞は Notch のリガンドを発現させた OP9細胞をフィーダーに用いた場合は誘導可能であった.一方,B 細胞は ES細胞などと異なり分化誘導させることは困難であった.それは B細胞由来 iPS 細胞を用いた場合でも同様であった.このことは,現在確立されている試験管内の B 細胞分化誘導系はマウス iPS 細胞にとっては不十分であることを示している. 2.iPS 細胞または ES細胞由 T細胞の機能解析 本研究で我々が抗腫瘍効果を判定したのは,ヒトの donor lymphocyte infusion (DLI) を模したモデルであった.この系を用いて iPS 細胞由来 T 細胞を移入させたところ,有意に生存期間の延長が見られた.即ち,iPS 細胞由来リンパ球を治療目的に応用する可能性が示された. 3.ES細胞からの抗原提示細胞の誘導と制御性細胞の誘導  ES 細胞由来抗原提示細胞(ES-APC)とアロの T 細胞を共培養し,その際に CD80/86 の阻害抗体を添加したところ,アロの T 細胞の増殖反応は有意に抑制された.つまり,アナジー状態が誘導されたと考えられた.このアナジー細胞を制御性細胞と考え,新たに組み直したアロの MLR に添加したところ,その増殖反応を抑制した.つまり,ドナーを ES 細胞と考えると,このドナー由来の細胞を用いレシピエントの T細胞免疫系を抑制する細胞が誘導しうる可能性が示された. 4.おわりに  ES細胞や iPS 細胞と言った多能性幹細胞からリンパ球などの免疫細胞の分化誘導について検討して来た.iPS 細胞からはB 細胞が分化させにくいなど,ES 細胞と iPS 細胞の間でも違いがあることが判明した.また,リンパ球からの iPS 細胞の誘導法については今後さらに検討する必要がある.これらのように多能性幹細胞と免疫細胞との関係をさらに明らかにして行くことによって,培養効率の改善,有用細胞の分化方法の確立などに発展することが望まれる.  最後になりましたが,研究を支えてくださいました上原記念生命科学財団に厚く御礼申し上げます.

文 献

1) Bashuda, H., Kimikawa, M., Seino, K., Kato, Y., Ono, F., Shimizu, A., Yagita, H., Teraoka, S. &Okumura, K.:Renal allograft rejection is prevented by adoptive transfer of anergic T cells innonhuman primates. J. Clin. Invest., 115:1896-1902, 2005.

2) Wada, H., Kojo, S., Kusama, C., Okamoto, N., Sato, Y., Ishizuka, B. & Seino, K.:Successfuldifferentiation to T cells, but unsuccessful B-cell generation, from B-cell-derived induced pluripotentstem cells. Int. Immunol., 23:65-74, 2011.

3) Hong, H., Takahashi, K., Ichisaka, T., Aoi, T., Kanagawa, O., Nakagawa, M., Okita, K. & Yamanaka,S.:Suppression of induced pluripotent stem cell generation by the p53-p21 pathway. Nature, 460:1132-1135, 2009.

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