97. 戦前における内務省地方計画構想の一終着点 -...

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公益社団法人日本都市計画学会 都市計画論文集 Vol.46 No.3 2011年 10月 Journal of the City Planning Institute of Japan, Vol.46 No.3, October, 2011 戦前における内務省地方計画構想の一終着点 - 地方計画法案・関東地方計画要綱案の策定過程に着目して - A Terminal of Regional Planning Idea by Ministry of Home Affairs in Japan before the Second World War - the Instituting Process of Regional Planning Bill and Kanto Regional Planning Draft Outline - 阿部 正隆 * ・西村 幸夫 ** ・窪田亜矢 *** Masataka Abe*,Yukio Nishimura** and Aya Kubota*** The regional planning idea evolved in Britain and was statutorily incorporated in city planning laws in the U.S. and England in the 1920s.Kazumi Iinuma introduced the regional planning idea to Japan after his visit to the U.S. and Europe on 1923.After that regional planning idea were developed in Japan with the influence of foreign countries. Then, there were some committee on regional planning. Central government formed the committee for researching urban planning and regional planning through 1940 to 1941. Finally, they created the regional planning bill. Also there was the committee for the local government in 1941 to 1942. This committee decided the regional planning policy for the Kanto area. In this Paper, I would like to examine the instituting process of these bills and show a terminal of regional planning idea by Ministry of Home Affairs in Japan before the Second World War. Keywords : Regional Planning, Regional Planning Bill, Kanto Regional Planning Draft Outline * 正会員 国土交通省(Ministry of Land,Infrastructure,Transport and Tourism** 正会員 東京大学先端科学技術研究センター(The University of Tokyo*** 正会員 東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻(The University of Tokyo地方計画 , 地方計画法案 , 関東地方計画要綱案 1.序論 (1)研究の背景 地方計画という概念は 1910 年代後半にイギリスで誕生 し、連合都市計画委員会による地方計画がイギリスの都市 計画法制に組み込まれた。さらにこの地方計画はアメリカ へと伝わり、各州計画法に組み込まれた 1) 日本における地方計画は、1923 年内務事務官飯沼一省 により紹介された 2) 。地方計画が日本へと伝わった後、戦 前の日本において地方計画はどのように展開したのか。 1930 年代後半から 1940 年代前半にかけて地方計画は活 発に議論されるようになった。当時、地方計画は都市計画 事務を所掌していた内務省および戦時下における国家総動 員体制の国家を目標とした国土計画の検討を行っていた企 画院の両機関において検討された。内務省による地方計画 は後にみるように都市計画から発展し、過大都市の抑制、 衛星都市的分散等を検討したものであったが、企画院の地 方計画は国土計画の下位計画としてのものであり、戦時体 制下における物資動員計画や産業の配置計画であった。 内務省が空間的に地方をとらえ、都市計画では解決し得 ない諸問題への対応にあたり、地方という計画圏域を捉え たのに対し、企画院は国土計画をより細分具体化するため、 地方計画を検討した。本論文では戦前における内務省が検 討した最後の地方計画構想として、「都市計画及地方計画 ニ関スル調査委員会」による地方計画法案 3) 及び「都市計 画連絡協議会」による関東地方計画要綱案 4) に着目した。 (2)研究の目的及び意義 本論文の目的は内務省の検討した地方計画の戦前におけ る最終的な形態としての地方計画法案及び空間的に地方計 画を適用した場合の一終着点としての関東地方計画要綱案 の策定過程に着目し、戦前における内務省地方計画構想の 最終形態を明らかにすることである。 戦前における内務省地方計画に関する既往研究として は、秋本他(2009) 2) や中島他(2009) 5) 、沼尻(2002) 6) 、石川(2001) 7) 、越澤(1991) 8) 、石田(1987) 9) が存在する。沼尻(2002)においては「都市計画及地方 計画ニ関スル調査委員会」の議事及び地方計画法案の内容 に言及されている (1) が、法案内容の策定過程については詳 細に分析されていない。中島他(2009)においては「都 市計画連絡協議会」による関東地方計画要綱案に言及され ているが石川栄耀の地方計画思想との関連に関して言及さ れている (2) が、その策定過程・内容の詳細には言及されて いない。したがって、両案の策定過程の詳細を明らかにす ることに意義がある。 (3)研究の方法 本論文は前掲の「都市計画及地方計画ニ関スル調査委員 会」資料 3) 及び「都市計画連絡協議会」資料 4) の分析によ り行った。 「地方計画」という用語の使用に関しては、飯沼一省が Regional Planning を「地方計画」と最初に訳し、戦前 においては普及したが、1960 年代以降は「地域計画」が 普及している。本論文中においては一次資料に則り、「地 方計画」と表現することとし、その定義は当時の「都市計 画」の対象とした圏域よりも広い範囲かつ国土全域を対象 とする「国土計画」よりも狭い範囲とした。文献からの引 用に関しては適宜旧字体を新字体に改めた。典拠を示すた めに引用箇所を示すにあたり、「都市計画及地方計画ニ関 スル調査委員会」資料には資料分類番号のみ記載されてお り、また「都市計画連絡協議会」資料には資料分類番号す ら記載されていないことから、引用、参照の際には適宜、 補註において補うこととした。 97. - 727 -

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公益社団法人日本都市計画学会 都市計画論文集 Vol.46 No.3 2011年 10月Journal of the City Planning Institute of Japan, Vol.46 No.3, October, 2011

戦前における内務省地方計画構想の一終着点

- 地方計画法案・関東地方計画要綱案の策定過程に着目して -

A Terminal of Regional Planning Idea by Ministry of Home Affairs in Japan before the Second World War - the Instituting Process of Regional Planning Bill and Kanto Regional Planning Draft Outline -

阿部 正隆 *・西村 幸夫 **・窪田亜矢 ***     

Masataka Abe*,Yukio Nishimura** and Aya Kubota***

The regional planning idea evolved in Britain and was statutorily incorporated in city planning laws in the U.S. and England in the 1920s.Kazumi Iinuma introduced the regional planning idea to Japan after his visit to the U.S. and Europe on 1923.After that regional planning idea were developed in Japan with the influence of foreign countries. Then, there were some committee on regional planning. Central government formed the committee for researching urban planning and regional planning through 1940 to 1941. Finally, they created the regional planning bill. Also there was the committee for the local government in 1941 to 1942. This committee decided the regional planning policy for the Kanto area. In this Paper, I would like to examine the instituting process of these bills and show a terminal of regional planning idea by Ministry of Home Affairs in Japan before the Second World War.Keywords: Regional Planning, Regional Planning Bill, Kanto Regional Planning Draft Outline

* 正会員 国土交通省(Ministry of Land,Infrastructure,Transport and Tourism)

** 正会員 東京大学先端科学技術研究センター(The University of Tokyo)*** 正会員 東京大学大学院工学系研究科都市工学専攻(The University of Tokyo)

 地方計画, 地方計画法案, 関東地方計画要綱案

1.序論

(1)研究の背景

 地方計画という概念は1910年代後半にイギリスで誕生

し、連合都市計画委員会による地方計画がイギリスの都市

計画法制に組み込まれた。さらにこの地方計画はアメリカ

へと伝わり、各州計画法に組み込まれた1)。

 日本における地方計画は、1923年内務事務官飯沼一省

により紹介された2)。地方計画が日本へと伝わった後、戦

前の日本において地方計画はどのように展開したのか。

1930年代後半から1940年代前半にかけて地方計画は活

発に議論されるようになった。当時、地方計画は都市計画

事務を所掌していた内務省および戦時下における国家総動

員体制の国家を目標とした国土計画の検討を行っていた企

画院の両機関において検討された。内務省による地方計画

は後にみるように都市計画から発展し、過大都市の抑制、

衛星都市的分散等を検討したものであったが、企画院の地

方計画は国土計画の下位計画としてのものであり、戦時体

制下における物資動員計画や産業の配置計画であった。

 内務省が空間的に地方をとらえ、都市計画では解決し得

ない諸問題への対応にあたり、地方という計画圏域を捉え

たのに対し、企画院は国土計画をより細分具体化するため、

地方計画を検討した。本論文では戦前における内務省が検

討した最後の地方計画構想として、「都市計画及地方計画

ニ関スル調査委員会」による地方計画法案3)及び「都市計

画連絡協議会」による関東地方計画要綱案4)に着目した。

(2)研究の目的及び意義

 本論文の目的は内務省の検討した地方計画の戦前におけ

る最終的な形態としての地方計画法案及び空間的に地方計

画を適用した場合の一終着点としての関東地方計画要綱案

の策定過程に着目し、戦前における内務省地方計画構想の

最終形態を明らかにすることである。

 戦前における内務省地方計画に関する既往研究として

は、秋本他(2009) 2)や中島他(2009) 5)、沼尻(2002)6)、石川(2001) 7)、越澤(1991) 8)、石田(1987) 9)等

が存在する。沼尻(2002)においては「都市計画及地方

計画ニ関スル調査委員会」の議事及び地方計画法案の内容

に言及されている(1)が、法案内容の策定過程については詳

細に分析されていない。中島他(2009)においては「都

市計画連絡協議会」による関東地方計画要綱案に言及され

ているが石川栄耀の地方計画思想との関連に関して言及さ

れている(2)が、その策定過程・内容の詳細には言及されて

いない。したがって、両案の策定過程の詳細を明らかにす

ることに意義がある。

(3)研究の方法

 本論文は前掲の「都市計画及地方計画ニ関スル調査委員

会」資料3)及び「都市計画連絡協議会」資料4)の分析によ

り行った。

 「地方計画」という用語の使用に関しては、飯沼一省が

Regional Planningを「地方計画」と最初に訳し、戦前

においては普及したが、1960年代以降は「地域計画」が

普及している。本論文中においては一次資料に則り、「地

方計画」と表現することとし、その定義は当時の「都市計

画」の対象とした圏域よりも広い範囲かつ国土全域を対象

とする「国土計画」よりも狭い範囲とした。文献からの引

用に関しては適宜旧字体を新字体に改めた。典拠を示すた

めに引用箇所を示すにあたり、「都市計画及地方計画ニ関

スル調査委員会」資料には資料分類番号のみ記載されてお

り、また「都市計画連絡協議会」資料には資料分類番号す

ら記載されていないことから、引用、参照の際には適宜、

補註において補うこととした。

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公益社団法人日本都市計画学会 都市計画論文集 Vol.46 No.3 2011年 10月Journal of the City Planning Institute of Japan, Vol.46 No.3, October, 2011

2.地方計画法案の策定

(1)都市計画及地方計画ニ関スル調査委員会

 本論文でいう地方計画法案とは「地方計画法案」及び「地

方計画法施行勅令案要綱」のことであり、内務省に設置さ

れた「都市計画及地方計画ニ関スル委員会」により策定さ

れた。同委員会は1940~41年にかけて全16回の会議が

開催された。委員の構成は委員長内田祥三、幹事伊東五郎、

高山英華をはじめとして建築分野出身者に偏っており、内

務事務官を含まない点が特徴的である(表-1)。

(2)高山英華幹事による地方計画の概念

 高山英華は都市計画及地方計画に関する調査委員会幹事

として、1940年5月30日(木)に開催された第2回会

議までの意見をまとめ、地方計画の定義及び概念に関して

草案として「議題参考資料」を作成した(3)。この中で、高

山英華幹事による地方計画の概念の草案が示され、国土計

画と地方計画を統一的にとらえ、国土全体を構成する計画

の中で地方計画を扱うという道が示された。また、第一に

土地に関して言及されていることから、都市計画及地方計

画に関する調査委員会における地方計画法に関するあり方

として後にみるように、土地利用規制、すなわち地域制が

中心として扱われることとなったのである(4)。また、この

中には注意書きとして「一般の政策、政治との区別」が指

摘されており、あくまでも都市計画及地方計画に関する調

査委員会において扱われる計画が空間に対する計画である

という点を強調している。地方計画の概念、範囲としては、

a.数府県に跨るが必ずしも行政区画に左右されない、b.府

県単位程度であるが必ずしも行政区画に左右されない、

c.既成大都市の外郊や新設都市、農山漁村の3つのパター

ンを提示した(5)。

(3)地方計画法案の策定

 都市計画及地方計画に関する調査委員会における「地方

計画法案」の策定過程について整理する。地方計画法案に

ついては委員会資料中に3編の条文項目の体裁が整えられ

た資料が確認出来た(6)。

 これら3編の資料を古い順に、A案、B案、C案とし、

A案及びB案は伊東五郎幹事が提示していることが、「伊

東幹事ヨリ」、「伊東君ヨリ」という書き込みから明らかで

ある(6)。またB案には標題に「第五案」とあるが、委員会

資料中には他に「第◯案」とある資料は他に存在しないた

め、内務省計画局内部における、もしくは伊東五郎幹事自

身による検討が事前になされたことが考えられる。

 以上より、地方計画法案の条文変遷をA案、B案、C案

を基にその異同を整理した。その結果を図-1に示す。

なお、変遷における異同は凡例に示すように、a.同一(但

し送り仮名等の相違、明白な誤字脱字等の場合は無視した。

また内容上影響のない句読点等も無視した。)、b.ほぼ同

一(条文全体の内容上は同一であるが、用語等に異同のあ

るもの。但し条文中において「第◯条ノ規定ニ依リ」とあっ

て参照すべき条文が変更された場合は当該条文に関しては

ほぼ同一とした。)、c.変更(内容上変更のあるもの)、d.新

設(その段階で条文が新設されたもの)、e.削除(その段

階で条文が削除されたもの)の5つを用いた。

 また違反罰則管理者責任に関して説明を付しておくと、

違反罰則Aは地方計画法又は同法に基づいて発する命令に

違反した場合の罰則、Bは地域制の規定又は同規定に基づ

いて発する命令に違反した場合の罰則(B’は同様にして

条文項目 A案

地方計画の定義 01

訴願 21

違反罰則C 18

管理者責任B 20

管理者責任A 19

違反罰則B 17

違反罰則A 16

地方計画調査 15

地域制変更手続 14

損失補償 13

土地収用法の適用 11

事業の見做し 12

開発地域の特例 10

土地標準価格審査会 09

土地の標準価格 08

開発補助 07

開発地域 06

地域制 05

調整権限 04

地方計画委員会 03

大臣の決定 02

出訴 22

町村制外の効力 23

附則

27 調整権限

附則

条文項目C案

01 地方計画の定義

26 町村制外の効力

21 管理者責任A

22 管理者責任B

24 訴願

23 管理者罰則

25 出訴

18 違反罰則B’

20 違反罰則 C ’

19 違反罰則B”

17 違反罰則A’

16 調査の実施等

15 地方計画調査

14 地方計画区域外

13 土地の管理・処分等

11 土地収用法の適用

12 事業の見做し

10 開発地域の特例

09 開発地域の土地売買等

08 土地価格

07 農林地域

06 緑地地域

05 規制地域

04 地方計画区域

03 地方計画委員会

02 内閣の認可

B案

01

附則

21

22

24

23

25

18

20

19

17

16

15

14

13

11

12

10

09

08

07

06

05

04

03

02

新設

削除

凡例

変更ほぼ同一同一

図 -1.地方計画法案条文項目の変遷(7)

表 -1.都市計画及地方計画に関する調査委員会(7)

表 -2.各段階における地方計画法案(7)

氏名 役職 期間備考

(1940 〜 1941 年における主な役職等)

内田 祥三 委員長 1940.5.21 〜 東京帝国大学工学部建築学科教授都市計画東京地方委員会委員

伊東 五郎 幹事 1940.5.21 〜 内務省計画局技師

高山 英華 幹事 1940.5.21 〜 東京帝国大学工学部建築学科助教授

小宮 賢一 委員 1940.5.21 〜 内務省防空研究所技師

中澤誠一郎 委員 1940.5.21 〜 内務省計画局第二技術課長・技師都市計画中央委員会幹事

吉村 辰夫 委員 1940.5.21 〜 都市計画東京地方委員会技師神奈川県建築課長

小林 隆徳 委員 1941.1.17 〜 警視庁建築課長

早川 文夫 委員 1941.1.17 〜 都市計画東京地方委員会技手厚生省生活局住宅課技師

吉田安三郎 委員 1941.1.17 〜 都市計画東京地方委員会技師

石井 桂  委員 (1941.1.17 〜)内務省計画局技師

法案 条文数 資料標題 配布回 配布日

A 案 23 条 地方計画法案要綱 第6回 昭和 15 年 6 月 26 日

B 案 25 条 地方計画法案要綱(第五案)第 10 回 昭和 15 年 7 月 26 日

C 案 27 条 地方計画法案 第 16 回 昭和 16 年 1 月 17 日

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公益社団法人日本都市計画学会 都市計画論文集 Vol.46 No.3 2011年 10月Journal of the City Planning Institute of Japan, Vol.46 No.3, October, 2011

緑地、建築、規制・緑地・農林地域の規定、B”は同様に

して開発地域則)、Cは地方計画調査に関する規定に違反

した場合の罰則であり、管理者責任Aは違反行為者が法人

又は人の代理人、使用人その他の従業者であった場合の使

用者責任による処罰の対象となること、管理者責任Bは違

反行為者が法人の理事、役員等だった場合や未成年者、禁

治産者等だった場合に関する条文であることを表してい

る。

 図-1に明らかなように地域制に関する条文や地方計画

に関する事項に対する調整権限に関する条文が特に大きな

変動をしていることが分かる。

 地方計画法案の策定過程を見ていくと、3編の条文項

目のまとまった資料が存在し、条文項目の変遷は図-1に

示す通りである。法案条文は大きく分けてa.地方計画の

定義・運用方法、b.地方計画地域制、c.地方計画法にお

ける罰則及び法的効力の3種の内容で構成されており、事

業や施設整備計画ではなく、実質的に地域制による規制に

よって地方計画を実現しようとしていたことが明らかと

なった。

(4)地方計画法案の内容

 地方計画法案の内容をみていくと、目的は「・・・地方

計画ト称スルハ国土計画ニ即応シ主務大臣ノ定ムル一定

地域(之ヲ地方計画区域ト称ス)内ニ於ケル人口、産業、

文化等ノ合理的配備ヲ図リ以テ当該地方ノ秩序アル発展ヲ

期スルガ為ニスル土地ノ利用、開発及保全並ニ重要施設ノ

配置ニ関スル綜合計画ヲ謂フ」(8)と定められた。但し地方

計画区域に関して具体的な言及はなかった。

 運用方法としては内務省に設置する地方計画委員会によ

るものとし、権限は関係省庁の諮問に応じ調査審議を行い、

建議するものとされ、積極的な調整権限、優越権は付与さ

れなかった。

 地方計画地域制の主眼は都市膨張の規制におかれ、全区

域に対して設けることが出来る緑地保持のため建築の禁

止・制限を定めた緑地地域、地方計画区域内に関しては規

制地域、農林地域、開発地域を設定することが出来た。規

制地域は都市膨張規制のため工場等の施設の設置を禁止・

制限し、農林地域は農業、林業、原始産業の利益を害する

おそれのある用途を禁止し、開発地域は大都市から適当な

距離を隔て、工業地、住宅地等として開発することが定め

られた。

 目的中には重要施設の配置に関する総合計画であること

が明記されたが、重要施設計画そのものに関して言及した

条文項目はなく、あくまで地方計画地域制により都市計画

によって対象とする圏域よりも広い圏域を捉えることで、

都市計画では解決出来ない問題を解決しようとしていたと

考えられる。

3.関東地方計画要綱案の策定

(1).都市計画連絡協議会

 関東地方計画要綱案は都市計画東京地方委員会内に

1941~42年にかけて設置された「都市計画連絡協議会」

により作成された。但し実質的には小委員会により策定さ

れたと考えられ、委員は東京、神奈川、埼玉、千葉の1府

3県の関係者によって構成された。全17回の会議が開催

されたが、具体的な開催日は不明であった。

(2)関東地方計画要綱案の策定

 関東地方計画要綱案項目の変遷をみると、資料中に項目

に関してまとまった全7編の資料が確認でき、図-3に示

す通りとなった。分析の方法は前章においてみた地方計画

法案条文項目の変遷(図-1)と同様である。

 要綱案の名称は「総合計画」、「帝都地方計画」、「関東地

方計画」という変遷を辿っており、帝都地方計画という名

称を辿ったことから帝都東京を中心とした首都圏の広域計

画であったと考えられる。

 地方計画地域制としては前章においてみた地方計画法案

の4つの地域制(規制地域・農林地域・開発地域・緑地地

域)とはいささか異なり、規制地域を疎開地区、特別地区、

表 -4.各段階における関東地方計画要綱案(9)

図 -2.各段階における関東地方計画要綱案の関係(9)

表 -3.都市計画連絡協議会小委員会委員一覧(9)

法案 資料標題 日付

A 案 綜合計画樹立方針(昭和 16 年 7 月 22 日) 昭和 16 年 7 月 22 日

B 案 綜合計画樹立方針(案) 不明

B' 案 総合計画樹立方針(案)(昭和 16 年 7 月 24 日) 昭和 16 年 7 月 24 日

C 案 帝都地方計画樹立方針(試案) 不明

C' 案 帝都地方計画樹立方針(試案) 不明

D 案帝都地方計画要綱案(昭和 16 年 10 月 27 日)(都市計画連絡協議会特別委員会決定)

昭和 16 年 10 月 27 日

E 案帝都地方計画要綱案(昭和 16 年 11 月 4 日)(都市計画連絡協議会特別委員会決定)

昭和 16 年 11 月 4 日

E' 案 地方計画行政機構案要綱 東京地方委員会案 不明

F 案関東地方計画要綱案(都市計画連絡協議会特別委員会決定)

不明

G 案関東地方計画要綱案(昭和 17 年 5 月 26 日、30 日)(都市計画連絡協議会特別委員会決定)

昭和 17 年 5 月 26 日30 日

H 案関東地方計画要綱案(都市計画連絡協議会小委員会決定)

不明

A 案 B案 D案 E案

E’ 案

F 案 G案 H案

B’ 案 C案

C’ 案

府県 役職 氏名 期間

東京

内務省都市計画課長 重成 格  1941.7. 4 〜

警視庁建築課長 小林 隆徳 1941.7. 4 〜

東京府経理課長 徳田 茂  1941.7. 4 〜

東京府道路課長 目黒 清雄 1941.7. 4 〜

都市計画地方委員会事務官 高橋 登一 1941.7. 4 〜

都市計画地方委員会技師

田中 清彦 1941.7. 4 〜

石川 栄耀 1941.7. 4 〜

太田 謙吉 1941.7. 4 〜

吉田安三郎 1941.7. 4 〜

永瀬 肇  1941.8.25 〜

奥田 教朝 1941.8.25 〜

神奈川

都市計画地方委員会事務官 中田 武男 1941.7. 4 〜

都市計画地方委員会技師

野坂 相如 1941.7. 4 〜

村井 進  1941.7. 4 〜

浅井 英  1941.7. 4 〜

神奈川県建築課長 内藤 亮一 1941.8.25 〜

埼玉 都市計画地方委員会技師森 幸太郎 1941.7. 4 〜

工藤 延雄 1941.8.25 〜

千葉 都市計画地方委員会技師 塩沢 弘  1941.7. 4 〜

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公益社団法人日本都市計画学会 都市計画論文集 Vol.46 No.3 2011年 10月Journal of the City Planning Institute of Japan, Vol.46 No.3, October, 2011

市を包含する区域に収容人口20~30万人、人口密度

5000人/km 2として計画された。

 開発地域内は現在の市街地及び将来市街地として開発す

べき市街地区と予想市街地の外周に幅員2km以上の緑地

地区が設定された。

 また規制区域内も特別地区、緑地地区を同様にして定め、

衛星都市自体の膨張抑制も図った。

 図-4の中心部、規制地域に対しては図-5に示す通り

となる。規制地域は東京駅を中心として半径40km、収容

人口1000万人として計画され、疎開地区は東京、横浜、

川崎の旧市域及び密住市街地において工場・学校の制限・

移設、市街地整備を図るものとされた。

 特別地区は工場適地にして人口1万人以上の小都市を包

含する市街地区域に収容人口8~15万人、人口密度5000

人 /km 2の衛星都市を選定し、規制区域外に移設困難な工

場の設置を許可した。

 緑地地区は予想市街地の外周に幅員2km以上の区域を

担保し、膨張抑制と都市農業地の確保を図った。

 普通地区は規制地域中上記地区以外であり、工場・学校

の建築を禁止・制限した。

(4)関東地方計画要綱案の重要施設計画

 関東地方計画要綱案(H案)の目的に「本地方計画ハ・・・

土地ノ用途並ニ重要施設ノ綜合計画ナリ」 (11)とあるよう

に、重要施設計画が掲げられているが、最終的には継続協

議事項となり、未定のままに終わった。

 しかしながら、前節においてみたように重要施設計画の

内容に関しては前節のH案に至る前のG案まで協議がな

されていた。

 「前項ノ地域計画ト相俟チテ本地方計画ノ目的遂行ヲ図

緑地地区、普通地区に、開発地域を市街地区、緑地地区に、

その他未指定地域を設定することが可能となっていた。と

くに農業地区から緑地地区への変更が見られ、農業と緑地

を一体的に扱っていた。

 法制・行政機構や重要施設計画に関して緑地計画、鉄道

軌道計画、港湾計画、電力計画、住宅計画といった具体的

な項目立てが行なわれたが、継続審議扱いとなり決定され

ることはなかった。

 「本地方計画ハ高度国防国家ノ建設ヲ目標トシ、特ニ過

大都市ノ規制ニ重点ヲ置クモノニシテ、帝都ヲ中心トシ関

東地方(東京府、神奈川県、埼玉県、千葉県、茨城県、栃

木県、群馬県及山梨県)ニ於ケル土地ノ用途並ニ重要施設

ノ綜合計画ナリ」(10)と定められ、目的は高度国防国家の

建設を目標とし、過大都市の規制に重点を置いたもので

あった。地方計画区域は関東地方を行政区域に沿った1府

7県としていた(但し協議会の委員は1府3県であった)。

 主な内容はa.地域計画(地方計画地域制)、b.重要施

設計画、c.行政機構の3種で構成されていた。しかしな

がら重要施設計画、行政機構に関しては決定されることな

く、地域計画が実質的な内容であった。以下でこれらの内

容の詳細をみていく。

(3)関東地方計画要綱案の地方計画地域制

 地域計画の詳細をみていくと、まず関東地方計画一般に

関して図-4に示す通りとなる。内側の円が示す東京駅を

中心として半径50km圏、外側の円が示す同100km圏に対

し、東京、横浜、川崎の連坦した密住市街地から人口、工

場を衛星都市的に分散させようとしていることが分かる。

 これらの開発地域として設定された衛星都市は相互に

30km以上を隔て、工場適地にして人口1万人以上の小都

A 案 1941.7.22

綜合計画樹立方針

計画区域・目的

第一 地域計画

 一 規制地域

  1 規制地域

  2 疎開地域

  3 特別区域

 二 農林地域

 三 開発地域

第二 重要施設計画

 一 空地地区計画

 二 緑地計画

 三 用途地域制定及再検討

 四 交通統制計画

 五 高速度道路計画

 六 綜合道路計画

 七 港湾計画

 八 飛行場計画

 九 治水・利水計画

 一〇 動力計画

 一一 住宅計画

 一二 其の他土地の利用に

    関する重要施設計画

B―B’ 案 1941.7.24

綜合計画樹立方針(案)

計画区域・目的

第一 地域計画

 一 規制地域

  (一)疎開地区

  (二)特別地区

  (三)農業地区

 二 開発地域

  (一)市街地区

  (二)農業地区

  (三)未指定地域

第二 重要施設計画

 一 緑地計画

 二 交通統制計画

 三 高速度道路計画

 四 綜合道路計画

 五 港湾計画

 六 飛行場計画

 七 治水・利水計画

 八 動力計画

 九 住宅計画

 一〇 其の他土地の利用に

    関する重要施設計画

C―C’ 案

帝都地方計画樹立方針(試案)

計画区域・目的

第一 地域計画

 一 規制地域

  (一)疎開地区

  (二)特別地区

  (三)農業地区

 二 開発地域

  (一)市街地区

  (二)農業地区

 三 未指定地域

第二 重要施設計画

 一 緑地計画

 二 交通統制計画

 三 高速度道路計画

 四 綜合道路計画

 五 港湾計画

 六 飛行場計画

 七 治水・利水計画

 八 動力計画

 九 住宅計画

 一〇 其の他土地の利用に

    関する重要施設計画

備考

防空施設

用途地域の再検討

空地地区

D案 1941.10.27

帝都地方計画要綱案

計画区域・目的

第一 地域計画

 一 規制地域

  1 通則

  2 疎開地区

  3 特別地区

  4 農業地区

  5 普通地区

 二 開発地域

  1 通則

  2 市街地区

  3 農業地区

 三 未指定地域

 四 法制 組織

第二 重要施設計画

 一 緑地計画

 二 交通統制計画

 三 高速度道路計画

 四 綜合道路計画

 五 港湾計画

 六 飛行場計画

 七 治水・利水計画

 八 動力計画

 九 住宅計画

 一〇 其他土地の利用に

    関する重要施設計画

備考

防空施設

用途地域の再検討

空地地区

E―E’ 案 1941.11.4

関東地方計画要綱案

計画の区域・目的

第一 地域計画

 一 規制地域

  1 通則

  2 疎開地区

  3 特別地区

  4 緑地地区

  5 普通地区

 二 開発地域

  1 通則

  2 市街地区

  3 緑地地区

 三 未指定地域

 四 法制 組織

第二 重要施設計画

 一 緑地計画

 二 鉄道軌道計画

 三 高速度道路計画

 四 主要幹線道路計画

 五 港湾計画

 六 飛行場計画

 七 治水利水計画

 八 住宅計画

F案

関東地方計画要綱案

計画の区域・目的

第一 地域計画

 一 規制地域

  1 通則

  2 疎開地区

  3 特別地区

  4 緑地地区

  5 普通地区

 二 開発地域

  1 通則

  2 市街地区

  3 緑地地区

 三 未指定地域

第二 重要施設計画

 一 緑地計画

 二 鉄道軌道計画

 三 高速度道路計画

 四 一般幹線道路計画

 五 港湾計画

 六 飛行場計画

 七 利水治水計画

 八 電力計画

 九 住宅計画

第三 法制・行政機構

 一 法制

 二 行政機構

備考

G案 1942.5.26,30

関東地方計画要綱案

計画の区域・目的

第一 地域計画

 一 規制地域

  区域

  収容人口

  1 疎開地区

  2 特別地区

  3 緑地地区

  4 普通地区

 二 開発地域

  人口

  位置及区域

  1 市街地区

  2 緑地地区

 三 未指定地域

第二 重要施設計画

 一 緑地計画

 二 鉄道軌道計画

 三 高速度道路計画

 四 一般幹線道路計画

 五 港湾計画

 六 飛行場計画

 七 利水治水計画

 八 電力計画

 九 住宅計画

H案

関東地方計画要綱案

計画の区域・目的

第一 地域計画

 一 規制地域

  区域

  収容人口

  1 疎開地区

  2 特別地区

  3 緑地地区

  4 普通地区

 二 開発地域

  人口

  位置及区域

  1 市街地区

  2 緑地地区

 三 未指定地域

第二 重要施設計画

 未定

新設

削除

凡例

変更ほぼ同一同一

図 -3.関東地方計画要綱案条文項目の変遷(9)

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公益社団法人日本都市計画学会 都市計画論文集 Vol.46 No.3 2011年 10月Journal of the City Planning Institute of Japan, Vol.46 No.3, October, 2011

ル為各重要施設ニ付綜合的ニ計画ヲナシ其ノ実現ヲ期スル

モノトス」(12)

 したがって、地域計画だけでなく、地方計画の目的を達

成するために重要施設計画も綜合的に計画する必要があ

り、地域計画が規制を中心としていたのに対し、重要施設

計画を通じた事業によっても地方計画を実現しようとして

いた。

 重要施設計画の内容としては、a.緑地計画、b.鉄道軌

道計画、c.高速度道路計画、d.一般幹線道路計画、e.港

湾計画、f.飛行場計画、g.利水治水計画、h.電力計画、i.住

宅計画の9種が挙げられた。

 関東地方計画要綱案(G案)においては前項においてみ

た地域計画とは異なり、十分に協議がなされたわけではな

く、重要施設計画として必要な計画の項目出し程度に留

まっていた。続いて資料中に登場する関東地方計画要綱案

(H案)においては未定となったが、「追テ関東地方計画要

綱案中重要施設計画ニ付テハ引続キ小委員会ニ於テ協議可

致候間申添候」(9)とあるように、十分な協議がなされなかっ

たために重要施設計画は継続協議となったと考えられる。

しかしながら、資料中には関東地方計画要綱案(H案)以

降に重要施設計画に関して言及した資料が1編も存在しな

いため、その後の取り扱いに関しては不明である。

(5)関東地方計画要綱案の法制と行政機構

 関東地方計画要綱案(H案)においては項目すら記載さ

れていなかったが、関東地方計画要綱案(F案)までは「第

一 地域計画」、「第二 重要施設計画」に次ぐ「第三 法

制・行政機構」として項目が存在していた。しかしながら、

関東地方計画要綱案(F案)以降の資料中には法制及び行

政機構に関する項目は登場していない。したがって、本項

においては関東地方計画要綱案(F案)に基づいて、関東

地方計画要綱案において協議された法制と行政機構の内容

を整理する。

 まず、法制に関しては「地方計画法ヲ制定スルコトトシ、

緊急事項ニ付イテハ国家総動員法ニ基ク勅令ヲ公布スルモ

ノトス」(14)とあるように、この時点においては未だ前章

においてみた「地方計画法案」は地方計画法として制定さ

れてはいなかった。また戦時下特有の状況を活用し、緊急

事項に関しては国家総動員法に基づく勅令により公布が可

能とされたことが分かる。

 次いで、行政機構に関してはかなり詳細に言及されてい

た。地方計画を所管する行政機構の内容としては以下のよ

うに述べられた。

「地方計画ノ調査立案ノ為新ニ内務省直属ノ機関ヲ設クル

ノ必要アリ又現在ノ都市計画ハ地方計画ト密接不離ノ関係

ニアルヲ以テ地方計画ト同一ノ機関ニ於テ之ヲ管掌スル必

要アルニ依リ各地方計画ブロツク毎ニ「地方計画局」ヲ設

置シ地方計画及都市計画ノ調査立案ヲ管掌セシメント」(11)

 したがって、内務省の直属の機関として各地方計画ブ

ロック毎に「地方計画局」を設置し、地方計画と都市計画

が不可分の関係にあることから地方計画と共に管掌し、そ

の計画の調査・立案にあたることとされた。しかしながら、

国土計画の所管は内務省ではなかったことから国土計画を

管掌する機関との関係に関しては言及されなかった。

 具体的な名称は「地方計画局」の前に各地方計画ブロッ

クの名称を冠することとされ、各地方計画ブロックの中心

となる都市に設置することとされた。職員は現状の都市計

画地方委員会の職員の大部分を各地方計画ブロック毎に統

合し、内務省の職員として地方計画局に移管することとし

た。現状の都市計画地方委員会の職員のうち、前述の通り

移管された以外の職員は府県職員として、各府県において

地方計画及び都市計画の事務に従事することとされた。

 城

 縣

 葉

 縣

 奈

 川

 縣平塚

相模原

八王子

立川

川越

大宮

千葉

茂原

茅ヶ崎

埼 玉 縣

東 京 府

縮尺二十万分之一

関東地方計畫

規制地域圖

凡例規

制地域

疎開地區

特別地區

緑地地區

普通地區

長野縣

静岡縣

山梨縣

群馬縣

新潟縣

髙崎

前橋

宇都宮

小田原

横須賀

館山

地方計畫區域界

水戸

土浦

清水

熱海

相模原

甲府

大宮 柏

川越

伊勢崎

桐生 足

熊谷

八王子

立川

平塚

茅ヶ崎

栃木縣

茨城縣

縣島福

子銚葉千

原茂

木栃

100粁

50粁

津沼

岡静

府京東

千葉縣

縮尺五十万分之一

関東地方計畫地域一般圖

神奈川縣

規制地域

疎開地區

開發地域

特別地區

市街地區

凡例

図 -5.関東地方計画規制地域図(15)図 -4.関東地方計画地域一般図(13)

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公益社団法人日本都市計画学会 都市計画論文集 Vol.46 No.3 2011年 10月Journal of the City Planning Institute of Japan, Vol.46 No.3, October, 2011

【補注】(1)参考文献6)のpp.176-180,205を参照。(2)参考文献5)のpp.178-183を参照。(3)参考文献3)の3678-6(1/3)を参照。(4)参考文献3)の3678-20(2/2)を参照。また都市計画及び地方計画に関する調査委員会において参考資料として配布された雑誌『都市問題』Vol.30 NO.3 pp.1-18の松村光麿著の記事抜粋であるが、地方計畫の内容」と題する項に、「地方計畫の法的内容として重要なものは、地域制度である。」とあることから、その影響も考えられる。(5)参考文献3)の3678-19(3/3)を参照。(6)参考文献3)の3678-4(1/3)(C案)、11(3/3)(B案)、16(2/4)(A案)を参照。(7)参考文献3)を基に筆者作成。(8)参考文献3)の3678-4(1/3)より引用。(9)参考文献4)を基に筆者作成。(10)参考文献4)の「関東地方計画要綱案(都市計画連絡協議会小委員会決定)」より引用。(11)参考文献4)の「関東地方計画要綱案(都市計画連絡協議会小委員会決定)」より引用。(12)参考文献4)の関東地方計画要綱案(昭和17年5月26日、30日)(都市計画連絡協議会特別委員会決定)より引用。(13)参考文献4)の関東地方計画地域一般図を基に筆者作成。(14)参考文献4)の関東地方計画要綱案(都市計画連絡協議会特別委員会決定)より引用。(15)参考文献4)の関東地方計画規制地域図を基に筆者作成。(16)参考文献4)の地方計画行政機構案要綱 東京地方委員会案より引用。【参考文献】1)秋本福雄(2006),「イギリス及びアメリカにおける地域計画の誕生:都市計画家の交流に着目して」,都市計画論文集 No41-3,pp.887-892,日本都市計画学会2)秋本福雄・阿部正隆・梶田佳孝(2009),「飯沼一省の米欧外遊と地域計画との遭遇」,都市計画論文集No.44-3,pp.887-892,日本都市計画学会3) 「都市計画及地方計画ニ関スル調査委員会」資料,東京都公文書館内田祥三資料所蔵4) 「都市計画連絡協議会」資料,東京大学工学部都市工学科奥田教朝文庫所蔵5)中島直人・西成典久・初田香成・佐野浩祥・津々見崇(2009),『都市計画家 石川栄耀』,鹿島出版会6)沼尻晃伸(2002),『工場立地と都市計画〜日本都市形成の特質1905-1954〜』,東京大学出版会7)石川幹子(2001),『都市と緑地』,岩波書店8)越澤明(1991),『東京の都市計画』,岩波書店9)石田頼房(1987),『日本近代都市計画史研究』,柏書房10)高橋登一(1941),「関東地方に於ける地方計画的考察」,『都市公論』Vol.24 No.1,pp.68-77,都市研究会

 地方計画局の具体的な管掌事項としては、a.地方計画

及び都市計画に関する調査・立案、b.内務大臣の執行す

る地方計画事業及び都市計画事業の工事執行、c.地方計

画及び都市計画に関する地方行政庁に於ける事務の監督が

挙げられた。a.地方計画及び都市計画に関する調査・立

案に関して、地方計画と都市計画の管掌住み分けは次の通

りであった。地方計画局が地方計画の調査・立案の全てを

担当し、都市計画に関しては、重要なものは地方計画局が

処理し内務大臣が決定、軽易なものは都市計画法を改正し

地方長官が決定することとされた。したがって、従来より

も地方に対し都市計画の決定権が移譲されたと言える。

 諮問機関として各地方計画局の下に地方計画委員会を設

置し、さらに都市計画地方委員会は議決機関ではなく、諮

問機関として各府県に設置することとされた。なお地方計

画局に関する費用については国庫の負担とされた。地方計

画局と内務省及び府県の関係に関して、関東地方計画要綱

案(F案)においては地方計画及び都市計画に関する事柄

について内務省―地方計画局―府県という関係であった。

 しかしながら、関東地方計画要綱案(F案)の「第三 

法制・行政機構」に至る前に、東京地方委員会案として「地

方計画行政機構案要綱」(E'案)が提示されていた。この

中において示された内容は上記の関東地方計画要綱案(前

節のF案)の「第三 法制・行政機構」における行政機

構とほぼ同一であるが、備考において内務省―地方計画局

―府県という枠組みを超えた行政機構の将来像が言及され

ていた。その内容は以下の通りである。

「将来地方計画ニ関スル機構ノ整備ニ伴ヒ内務省土木出張

所ヲ地方計画局ニ統合シ尚逓信局及鉄道局等ニ於ケル計画

及建設部門ヲ之ニ属セシメ更ニ国ト府県トノ中間機関トシ

テ「道」ノ設置ノ場合ハ地方計画局ヲ之ニ統合セシムルヲ

適当トス」(16)

 地方計画局に内務省土木出張所や逓信局及び鉄道局等に

おける計画及び建設部門を統合し、国と府県との中間機関

として「道」を設置し、地方計画局を統合することを提案

していた。したがって、国―道―府県という関係を提示し、

「道」に現状の内務省土木出張所や逓信局及び鉄道局等に

おける計画及び建設部門や地方計画局を統合することで行

政の効率化を図ろうとしていた。

 東京地方委員会案として提示された「地方計画行政機構

案要綱」(E'案)は、『都市公論』Vol.24 No.1に掲載さ

れた、当時都市計画東京地方委員会事務官であった高橋登

一による「関東地方に於ける地方計画的考察」 9)において

主張された「四、地方計画行政機構試案」と同一内容であ

ることから、本資料の都市計画連絡協議会にも都市計画東

京地方委員会事務官として参画していた高橋登一の私案で

あったと推察される。

4.結論

 1941年に策定された地方計画法案により地域制による

地方計画制度の基盤が形成され、1942年に関東地方計画

要綱案が策定され、目的は高度国防国家の建設であるが、

内容中規制地域内の疎開地区において「防空」という用語

が1度登場する以外は言及されておらず、その他地区制に

関しても大都市の膨張抑制や地域振興を目的としており、

内務省は重要施設計画や法制、行政機構よりも地域制を重

視し、地方計画を実現しようとした。内務省による関東地

方計画では東京を中心とした関東地方に衛星都市論を適用

し、現状の都市計画の問題を解決する上で捉えるべき計画

圏域として「地方」を求めていた。その際に関東地方の範

囲を1府7県としたことから、戦後の首都圏整備計画圏域

の認識の基調を成したと推察される。

 今後の課題として、本論文においては地方計画仮法案及

び関東地方計画要綱案に着目したが、これは内務省計画局

の地方計画構想のもとに策定されたものであるが、近畿地

方計画をはじめとして、他の都市圏や植民地統治下におい

ても計画が策定されていた。また同時期に企画院において

検討されていた国土計画法案の中においても地方計画が構

想されていたことから、戦前における地方計画を評価する

上ではこれらの計画との比較検討が必要である。

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