第8章 オーナーシップ、グッド・ガバナンス、選択的援助 ―グ … ·...

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第8章 オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助 ―グローバリゼーションの一側面としての 「ドナーの論理の優越」 下村 恭民 グローバリゼーションには、 豊かな国々のゲームのルールや規範が途上国社会に流入して、 事実上の 基準原則となる側面がある。 途上国への支援の領域では、 同じ現象が、 支援する側の論理や視点の優越 する 「ドナーの論理の優越」 という症状として現れる。 本章は、 「ドナーの論理の優越」 を現実の援助 の場で把握し、 その実態を分析することを目的とする。 そのために、 近年の国際援助コミュニティの論 議における三つのキーワード (オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助) を取り上げ、 それ らが実際にどのように機能しているのか、 どのような問題がそこに見出されるのか、 どのような克服の 可能性があるのかを考察する。 新しい国際援助潮流は、 大きな意義を持つ一方で、 ドナーの立場、 ドナーの利益を濃厚に反映してい ることが確認された。 「ドナーの論理の優越」 を克服するために、 現在の国際援助コミュニティに支配 的な、 「問題の原因が途上国の制度・政策にある」 との前提に基づく 「途上国の欠点を指摘して、 弱点 を是正する」 アプローチではなく、 「途上国の経済社会システムに内在している強みを掘り起こして育 成する」 アプローチを提言したい。 これは、 途上国の 「真のオーナーシップ」 を尊重し、 「それぞれの 社会に内在する独特のグッド・ガバナンス」 を活用する道である。 また、 「選択的援助」 と対極の立場 である。 日本は、 国際援助コミュニティに対して、 この 「内発的処方箋」 を発信するべきである。 1. 本章の目的 本研究会の主題であるグローバリゼーションにはさまざまな側面があるが、 本章では、 UNDP (1999) の指摘にもある、 「文化の統合の過程」 (UNDP [1999] p.1) の進展に焦点を当てたい。 グローバリゼーションの下で、 地球的規模での 「ゲームのルール」 の単一化や、 単一の文化モデル、 行動モデルへの収斂の動きの広がりが指摘されている。 こうした動きが文化的多様性の喪失につながる との懸念もあり、 「反ダボス会議」 に象徴されるような反作用も台頭している。 ゲームのルールの単一化、 単一の規範への収斂の流れは、 基本的に工業国から途上国への一方向とな りがちである。 この点は開発途上国にとっての脅威の一つであろう。 したがって、 途上国に対する支援 の領域でも、 この種の脅威の予防に留意することは重要である。 支援する側 (ドナー) と支援を受ける 途上国側の関係 (donor recipient relationship) においては、 どうしても資金や技術を供与する側が基 本的に優位に立ちやすく、 したがって途上国側の論理が抑圧される可能性があるからである。 ありうべ き 「ドナーの論理の優越」 を検討することは、 その意味で、 グローバリゼーションの全体像を解明する 作業の一部を構成する。 本章では、 こうした視点から援助する側と援助を受ける側との関係を検討する。 とくに、 近年の国際 ― 161 ―

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Page 1: 第8章 オーナーシップ、グッド・ガバナンス、選択的援助 ―グ … · 割を持つとされている「貧困削減戦略文書」(prsp)2や、「新しい援助形態」(「セクター・ワイド・

第8章

オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助

―グローバリゼーションの一側面としての 「ドナーの論理の優越」

下村 恭民

グローバリゼーションには、 豊かな国々のゲームのルールや規範が途上国社会に流入して、 事実上の

基準原則となる側面がある。 途上国への支援の領域では、 同じ現象が、 支援する側の論理や視点の優越

する 「ドナーの論理の優越」 という症状として現れる。 本章は、 「ドナーの論理の優越」 を現実の援助

の場で把握し、 その実態を分析することを目的とする。 そのために、 近年の国際援助コミュニティの論

議における三つのキーワード (オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助) を取り上げ、 それ

らが実際にどのように機能しているのか、 どのような問題がそこに見出されるのか、 どのような克服の

可能性があるのかを考察する。

新しい国際援助潮流は、 大きな意義を持つ一方で、 ドナーの立場、 ドナーの利益を濃厚に反映してい

ることが確認された。 「ドナーの論理の優越」 を克服するために、 現在の国際援助コミュニティに支配

的な、 「問題の原因が途上国の制度・政策にある」 との前提に基づく 「途上国の欠点を指摘して、 弱点

を是正する」 アプローチではなく、 「途上国の経済社会システムに内在している強みを掘り起こして育

成する」 アプローチを提言したい。 これは、 途上国の 「真のオーナーシップ」 を尊重し、 「それぞれの

社会に内在する独特のグッド・ガバナンス」 を活用する道である。 また、 「選択的援助」 と対極の立場

である。 日本は、 国際援助コミュニティに対して、 この 「内発的処方箋」 を発信するべきである。

1. 本章の目的

本研究会の主題であるグローバリゼーションにはさまざまな側面があるが、 本章では、 UNDP

(1999) の指摘にもある、 「文化の統合の過程」 (UNDP [1999] p.1) の進展に焦点を当てたい。

グローバリゼーションの下で、 地球的規模での 「ゲームのルール」 の単一化や、 単一の文化モデル、

行動モデルへの収斂の動きの広がりが指摘されている。 こうした動きが文化的多様性の喪失につながる

との懸念もあり、 「反ダボス会議」 に象徴されるような反作用も台頭している。

ゲームのルールの単一化、 単一の規範への収斂の流れは、 基本的に工業国から途上国への一方向とな

りがちである。 この点は開発途上国にとっての脅威の一つであろう。 したがって、 途上国に対する支援

の領域でも、 この種の脅威の予防に留意することは重要である。 支援する側 (ドナー) と支援を受ける

途上国側の関係 (donor recipient relationship) においては、 どうしても資金や技術を供与する側が基

本的に優位に立ちやすく、 したがって途上国側の論理が抑圧される可能性があるからである。 ありうべ

き 「ドナーの論理の優越」 を検討することは、 その意味で、 グローバリゼーションの全体像を解明する

作業の一部を構成する。

本章では、 こうした視点から援助する側と援助を受ける側との関係を検討する。 とくに、 近年の国際

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援助潮流の中で重要な位置を占めている、 オーナーシップ (ownership)、 グッド・ガバナンス (good

governance)、 選択的援助 (selective aid) の三つのキーワードを検討対象とする。 具体的には、 これ

らのキーワードを巡るドナーと途上国の関係の考察を通じて、 「ドナーの論理の優越」 についての検証

を行い、 その作業結果を踏まえて、 事態を改善するための提言を試みたい。

以下では、 オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助の三つのキーワードのそれぞれの現状

について検討する。

2. オーナーシップ概念とドナーの論理の優越

2.1. オーナーシップ重視の潮流

日本の 「政府開発援助大綱」 は、 その 「基本方針」 に 「開発途上国の自主性 (オーナーシップ)」 の

尊重を明記している。 これは日本の伝統的な援助姿勢を反映しているが、 同時に、 近年の国際援助コミュ

ニティ (ここでは、 開発途上国への援助に中心的な役割を占め、 援助のあり方に関する国際的な論議を

主導してきた、 国際機関、 先進諸国の政府、 開発問題研究者、 オピニオン・リーダー、 国際 NGOなど

を指す1) の思潮とも合致している。

国際援助コミュニティの指導者たちは、 さまざまな機会に 「パートナーシップ」 と 「オーナーシップ」

の重要性を強調してきた。 世界銀行のウォルフェンソン前総裁は、 「包括的開発フレームワーク (CDF)」

を提案した文書の中で、 「オーナーシップは不可欠である。 途上国の国々が運転席に座って方向を定め

なければならない」 と述べた (Wolfenshohn [1999] p.9)。 類似の表現は、 指導者たちの発言に再三

登場している。 また DAC (OECDの開発援助委員会) も、 その2000年の上級会合ステートメントにお

いて、 「オーナーシップを有する途上国とのパートナーシップが、 われわれの協力の基礎である」 こと

を強調し、 「途上国側がリードする協力調整 (partner-led coordination)」 を主張している (OECD

[2001], p.24)。

オーナーシップ重視の発言が途上国の主体性の尊重を推進することは、 非常に望ましい方向といえる。

本章では、 こうして表明されている理念が、 ドナーと途上国の関係の現実の中で、 どのように実現して

いるか検証したい。 二つの視点から検証を行う。 第一は、 「途上国の国々が運転席に座って方向を定め

る」 原則が、 途上国世界の現実にどの程度根付いているか、 第二は、 オーナーシップ実現に中心的な役

割を持つとされている 「貧困削減戦略文書」 (PRSP)2や、 「新しい援助形態」 ( 「セクター・ワイド・

アプローチ」 「財政支援」 など) の援助アプローチが、 どのように所期の成果を上げているかである。

2.2. 「真のオーナーシップ」 確認のためのテスト

国際援助コミュニティの助言を参照しながら、 運転席の途上国 (政府と市民社会) が車の方向を決め

る原則がどの程度実現しているかは、 比較的簡単なテストで確認できる。 もし、 途上国側が国際援助コ

ミュニティの望まない選択をしても、 受け入れられるだろうか。 また、 国際援助コミュニティの 「確立

したベスト・プラクティス」 と異なる選択を望んだらどうなるだろうか。

この設問に対する国際援助コミュニティの明確な回答を見出すことは難しいが、 否定的な感触の材料

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

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1国際援助コミュニティは広範なアクターを含んでいるが、 その中の途上国援助を行う機関を本章では 「ドナー」

と呼ぶ。2 「貧困削減戦略」 (PRS) の用語が使われることも多い。

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は見出される。 まず、 4.で確認するように、 選択的援助の潮流が有力となっている事実に注目したい。

選択的援助の基本的発想は、 「適切な政策」 を採用する途上国を優遇し、 「不適切な政策」 を追求する途

上国への支援の優先順位を引き下げるものである。“適切かどうか”の判断はドナー側にあるが、 国際

援助コミュニティの掲げる原則やベスト・プラクティスと合致しているかどうかは、 重要な判断材料で

あろう。

実際に発生した事例を観察することも有用である。 代表的な事例として、 東アジア金融危機が深刻化

していた1998年9月にマレーシアが採用した危機管理政策がある。 為替相場の固定化と通貨取引や非居

住者投資の管理強化を軸とした政策パッケージは、 国際援助コミュニティとくに IMFの厳しい批判を

受けた。 格付け機関は国際金融市場におけるマレーシアの格付けを引き下げ、 マレーシアの債券スプレッ

ドは、 IMF の方針に沿った政策を取った韓国やタイに比べて不利な形で推移した (Meesok et al

[2001] p.13)。

それから5年後、 クアラルンプールを訪問した IMFのケーラー専務理事 (当時) は、 「経済を (外部

のリスクから) 遮断した決定は正しかった」 と述べ、 現地紙の一面に 「マレーシアは正しかった

(‶Malaysia was right")」 の大見出しが踊った (New Straits Times, September 4, 2003)。 ただ、 マ

レーシアに比べて援助に対する依存度の高い途上国の場合には、 国際援助コミュニティの意向に反する

“異端の”政策を持続することは困難であろう。

国際援助コミュニティの掲げる 「オーナーシップ」 を 「主体性」 とか 「自主性」 と理解すること自体、

必ずしも適切といえない。 世界銀行の Assessing Aid報告書は、 「オーナーシップ」 の概念を 「(国際

援助コミュニティが支援の条件として求める) 改革に対する国内の強い支持」 と規定している (World

Bank [1998] p.52)。 国際援助コミュニティにとっての 「オーナーシップ」 とは、 国際援助コミュニティ

の期待する路線を、 途上国が自らの意思で強くコミットし、 忠実に実行することにほかならないのでは

ないか。

国際援助コミュニティの標準的な考え方を知るうえで貴重な材料は、 ドナーのあり方に関する 『フィ

ナンシャル・タイムス』 の論説である (‶Jakarta's Mission", Financial Times, August 21, 2001)。 同

紙は、 東アジア危機の際の IMFが、 「インドネシアの政策の変更を外部から強制した」 と批判したうえ

で、 あるべき姿を次のように述べている。 「IMFは、 ハンドルを握ろうとしてはならない。 車が正しい

方向に向かっている場合に燃料を供給すればよいのだ」 このストレートな表現は、 世界銀行、 IMF、

OECDなどが“正しい方向”と認めない選択に対して、 支援が続けられないことを示唆している。

このように考えると、 国際援助コミュニティの唱えるオーナーシップが、 実はドナーの立場から見た

オーナーシップにすぎないのではないかという認識に到達する。 そして、 「真のオーナーシップ」 の追

求が重要な検討課題として浮かび上がる。

2.3. 「貧困削減戦略文書」 (PRSP) に見るオーナーシップの現実

2.3.1. オーナーシップ育成の仕組み

PRSP はセクター・ワイド・アプローチ、 財政支援など、 いわゆる 「新しい援助形態 (モダリティ)」

とともに、 オーナーシップ育成に有効な仕組みであるとされている (World Bank [1999] pp.13-15,

Harrold [2003], 木原 [2003] pp.42-46)。

この主張の核心は、 「途上国政府がドナーを指揮 (direct) する」 という前提である。 途上国政府が、

第8章 「オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助」

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ドナーの専門家の協力をえながら自らの責任で開発戦略、 貧困削減戦略などを作成し、 ドナー会合に提

示し、 議長としてドナー間の論議の調整を主導する仕組みが機能するとの想定である。

この前提はどの程度現実的なのだろうか。 途上国主導で作成されたとされる2カ国の PRSP の具体例

を概観してみよう。 ラオス (IMF [2004])、 タンザニア (The United Republic of Tanzania [2005]3)

の2カ国である。

2.3.2. 具体例で見る PRSP

ラオスの PRSP の下で実施される政策手段のリストは二つの部分から構成されている。 第一は 「マ

クロ経済とガバナンス」 で、 以下の5つの領域に分かれている。

①国家開発フレームワーク (37項目の目標と47項目のパフォーマンス・インディケーターを含む)

②歳入増加のためのポリシー・マトリクス

③公共支出マネジメント改善のためのポリシー・プログラム・マトリクス

④金融部門のポリシー・プログラム・マトリクス

⑤ガバナンス改善のための手段

第二の部分は、 セクターとクロス・カッティング・イシューに関する国家プログラムのマトリクスで、

下記の10領域に、 詳細で厖大な目標、 政策手段、 モニタリング・インディケーターが示されている。

①農業・林業

②教育

③保健

④交通

⑤ジェンダー

⑥環境保全

⑦麻薬コントロール

⑧ 「非爆発性軍事物資」 汚染 (UXO Contamination)

⑨HIV/エイズ予防

⑩貿易

このリストの詳細な内容を見て、 その巨大な規模と業務処理量に圧倒されない人は少ないだろう。 同

時にまた、 ラオスの政府機関の建物に入った経験のある人で、 ラオスの公的部門の処理能力との間のギャッ

プに強い違和感を覚えない人はいないだろう。

「このリストを、 だれが、 どのように作成したのか」 という基本的な疑問が生じることは避けられな

い。 外部から大量の専門家が投入されないと作成不可能な内容だからである。 「オーナーシップの不在」

を物語る状況といえる。

タンザニアの PRSP (2005年、 正式名称はNational Strategy for Growth and Reduction of Poverty)

の場合には、 マトリクスが3つのクラスターに分かれており (①成長と所得面の貧困削減、 ②生活の質

と社会的厚生、 ③がバナンスと説明責任)、 それぞれのクラスターについて、 目標と政策手段の厖大で

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

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3本件を含む資料入手に関して大野泉教授 (政策研究大学院大学) の貴重なご助力をいただいた。 記して深謝し

たい。

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詳細なリストが記載されている。 基本的な状況はラオスの場合と同じであり、 外部から投入された多数

の専門家の介在なしには成立しえない規模といえる。

2005年6月の時点で、 世界の49カ国が PRSP を作成している (World Bank [2005] p.1)。 途上国側

の能力に見合っていない (‶身の丈にあっていない") 文書作成負担が広がっていることから、 PRSP が

開発専門家の世界ではたしている国際的な雇用創出効果の大きさが推測できる。

2.4. 検証の結果

国際援助コミュニティによるオーナーシップ重視の発言や途上国の主体性の尊重が、 ドナーと途上国

の関係の現実の中で、 どのように実現しているか検証してきた。

「途上国の国々が運転席に座って方向を定める」 原則の現実性について、 簡単なテストを行った。 も

し、 途上国側が国際援助コミュニティの望まない選択をしても、 受け入れられるだろうか。 また、 国際

援助コミュニティの 「確立したベスト・プラクティス」 と異なる選択を望んだらどうなるだろうか。 そ

の結果かなり否定的な材料が見出され、 国際援助コミュニティの唱えるオーナーシップが、 実はドナー

の立場から見たオーナーシップなのではないかという疑問に到達した。

また、 ラオスやタンザニアの PRSP の厖大な内容をレビューし、 これを 「だれが、 どのように作成

したのか」 という基本的な疑問が生じた。 外部から大量の専門家が投入されないと作成不可能な、“途

上国の身の丈に合致していない”PRSP は、 「オーナーシップの不在」 を物語る。 このような検討を通

じて、 「真のオーナーシップ」 の追求が重要な課題として浮上した。

3. グッド・ガバナンス概念とドナーの論理の優越

3.1. 問題の所在

国際援助コミュニティには、 一つの基本的な共通認識がある。 途上国の経済発展にとってガバナンス

(統治、 governance) の改善、 あるいは 「グッド・ガバナンス」 (良い統治、 good governance) がき

わめて重要という認識である。

それでは、 グッド・ガバナンスは実際にどのような形で経済発展に影響を与えるのだろうか。 グッド・

ガバナンスが経済発展にとって不可欠という認識は途上国の経験にどの程度まで合致し、 現実の世界を

どの程度説明できるだろうか。 とくに、 掲げられているグッド・ガバナンスの内容は、 途上国の実情を

的確に反映したものだろうか。

国際潮流から距離をおいて、 途上国のガバナンスの問題を白紙の視点から眺め直してみると、 やや違っ

た光景が目に入ってくる。 そして、 「途上国の現実を説明するためには、 ガバナンスに関する国際援助

コミュニティの従来の論議では必ずしも十分でないのではないか、 従来の論議を補強する新しい視点が

必要ではないか」 という疑問が浮かび上がる。 この状況は、 国際援助コミュニティでの標準的なガバナ

ンス論議に 「ドナーの論理の優越」 のあることを示唆している。

3.2. 標準的なグッド・ガバナンス概念

標準的な論議で中心的な位置を占める 「グッド・ガバナンス」 の概念については、 多くの論者が様々

な見解を提示しているが、 これらの見解の間には共通の要素も見られるので、 共通項目を抽出して整理

すると、“最大公約数的なグッド・ガバナンス像”を描くことができる。 最大公約数的なグッド・ガバ

ナンスの構成要素は、 以下のとおりである (下村 [1999]、 p.63)。

第8章 「オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助」

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a) 民主化 (ただし、 ブレトン・ウッズ体制の特徴である 「非政治的理念」 の原則に従って、 世界銀行

や国際通貨基金 (IMF) はこれを“明示的には”主張していない)

b) 政府の権力の使用のあり方:説明責任 (accountability)、 透明性 (transparency)、 公開性 (open-

ness) など

c) 法の支配、 独立した信頼できる司法部門の存在

d) 有効に機能する公的部門

e) 汚職・腐敗の抑制

f) 過度の軍事支出の抑制

これまでに、 多くの研究がグッド・ガバナンスの経済発展に対する貢献を検証してきた。 そこで採用

されている基本的な分析手法は計量経済分析である。 経済発展の指標 (たとえば一人当たり所得) を非

説明変数とし、 ガバナンス指標などを説明変数とする方程式を作成し、 世界の国々のデータを使って、

この関係が統計的にどの程度成立するかを検討する分析手法 (クロス・カントリー分析) である。 非常

に多くの研究が発表されているが、 たとえば世界銀行のエコノミスト・グループは、 一人当たり所得水

準がガバナンス指標の水準によって説明できるという結論を提示している (Kaufmann and Kraay

[2002], Kaufmann, Kraay, and Zoido-Lobaton [2000] など)。

計量手法による厖大な数の検証作業は、 グッド・ガバナンスと経済発展の関係について必ずしも一致

した結論を示しているわけではないが、 全体としてみると、 グッド・ガバナンスが経済発展にプラスの

影響を与えるとする研究が多い。 ただこれらの検討が、 両者の間の 「相関関係」 にとどまらず、 「因果

関係」 をどの程度立証できているかについては、 なお課題が残っている。

ただ、 ここでの主題はこうした計量分析の技術的側面ではない。 「従来型のアプローチには、 ガバナ

ンスと経済発展の関係の最も本質的な部分に迫るうえで、 基本的な限界があるのではないか」 という疑

問である。 ここでは二つの問題に焦点を絞って、 ガバナンスに関する国際援助コミュニティの標準的な

アプローチの問題点を考えてみたい。

3.3. 標準的なガバナンス論議の限界

3.3.1. ガバナンスはどのような 「経路」 で影響を与えるのか

前項で紹介したような計量分析によって、 グッド・ガバナンスが経済発展に寄与するという基本命題

が検証できたと仮定しよう (実際には、 ガバナンスと経済発展の間の相関関係にも因果関係にも未確認

の部分が残っており、 検証できたとはいえないが)。 これらの検証の結果、 われわれの知識はどの程度

増加しただろうか。

グッド・ガバナンスのどのような側面 (たとえば 「法の支配」) が、 経済発展に対して具体的にどの

ような経路で影響を与えているかを知ろうと思っても、 計量分析からは必要な情報は浮かび上がってこ

ない。 計量分析で確認できるのは、 「グッド・ガバナンスが経済発展にプラスの影響を与えるという基

本命題が正しい (らしい)」 という点にとどまっている。

国際援助社会でも、 この状況を越えるための実証分析の試みが進められている。 近年の多くの文献が、

「ガバナンスの欠陥がなぜ経済発展にマイナスの影響をもたらすか」 を論じている。 そこでは、 ガバナ

ンスに問題がある場合に、 多様な形で経済発展にとっての障害が発生することが示されている。 幾つか

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

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Page 7: 第8章 オーナーシップ、グッド・ガバナンス、選択的援助 ―グ … · 割を持つとされている「貧困削減戦略文書」(prsp)2や、「新しい援助形態」(「セクター・ワイド・

の典型的な例を挙げよう。

①市場メカニズムが円滑に機能しないために資源配分に歪みが発生する

②取引を行うために必要な金銭、 時間、 労力などの 「取引費用」 が増加する

③経済活動を行ううえでの不確実性が増大し、 その結果として国家や社会に対する信頼性が低下する。

さらには人々が国家の正統性に疑問を抱くようになる。

このような状況の下では、 その国に対する内外の投資家の投資意欲は低下するから、 結果として投資

が低迷し、 生産性が低下し、 経済全体の活力が失われる。

以上のような検討に基づいて、 グッド・ガバナンスは経済発展に貢献すると説明されている (たとえ

ば国際協力事業団 [2002] pp.2-3, Bardhan [1997], Gray and Kaufmann [1998], Mauro [1997]

など)。

これらを論証するためには、 つまりグッド・ガバナンスあるいはガバナンスの改善の経済発展に対す

る貢献を具体的に確認するためには、 このような検討をさらに進めて、 ガバナンスに生じた変化が、 途

上国の複雑に入り組んだ経済社会システムの、 どの部分にどのような影響を与え、 その結果、 どのよう

にして最終的に経済発展パフォーマンスの改善につながるかの検証が必要である。

一つの例として、 国際援助社会が精力的に進めている 「ガバナンス支援」 の効果について考えてみた

い。 国際援助社会は、 民主化推進、 人権尊重、 法の支配の確立、 公的部門の透明性・説明責任の強化、

地方分権、 汚職防止、 軍事費削減などの広範な課題について、 途上国の現状を改善するための援助を行っ

ている (国際協力事業団 [2002] pp.84-85)。 東アジア危機後には世界銀行などによる司法改革支援が

強化され、 司法行政の独立、 司法事務の効率化、 裁判官の能力向上を中心として、 幅広いテーマについ

ての改善支援が実施されてきた (金子 [2004])。

これら個別のガバナンス支援事業の目標が、 全体としてはかなり達成されたと仮定しよう。 その場合

でも、 援助対象事業の直接の目標 (たとえば 「公務員に対する研修」 の完了) が達成されただけである。

直接の目標と最終的に達成すべき目標 (「上位目標」) である経済発展の間には大きな距離があるのが通

常であろう。 ガバナンス改善の手段として、 地方分権実施に関する法律の導入、 汚職防止に関するセミ

ナーの開催、 司法行政の一般行政からの分離などが行われるが、 順調に実施され直接の目標が達成され

たとしても、 それによる効果が経済発展への貢献に直接つながる保証はない。 個別事業と経済発展とい

う二つの効果の間には大きな距離があり、 二つの効果は別の次元にあると考えるのが現実的であろう。

いぜんとして残された研究課題は、 二つの異なった次元をつなぐ経路を具体的に把握することである。

この作業は、 まだ十分に行われていないと考えるべきである。

このように、 ガバナンス改善が経済発展に貢献する具体的な経路について、 十分な情報を手にしてい

ない現状では、 ガバナンスと経済発展の関係についてわれわれが持っている知見は、 依然として 「規範

的」 なものに止まっている。 「ガバナンスが優れていれば取引費用が少なく、 投資の不確実性が少ない

から投資が誘発される」 などは、 典型的な規範的主張である。 規範的主張にも一定の意義が認められる

が、 それだけでは 「グッド・ガバナンスの効用」 を説くうえでの説得力には不十分ではないか。

3.3.2. 途上国の現実を説明できるか ―東アジアとアフリカの比較

かつてD.ノースは、 「われわれは、 異なった経済の長期間にわたる著しいパフォーマンスの差を、 ど

のように説明できるか」 と問題提起した (North [1990], p.7)。 グッド・ガバナンスの経済発展に対

第8章 「オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助」

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Page 8: 第8章 オーナーシップ、グッド・ガバナンス、選択的援助 ―グ … · 割を持つとされている「貧困削減戦略文書」(prsp)2や、「新しい援助形態」(「セクター・ワイド・

する貢献を示すためには、 このテストに合格する必要があるだろう。

ノースが述べた 「長期間にわたる著しいパフォーマンスの差」 の好例として挙げられるのが、 東アジ

アとサハラ以南のアフリカ (アフリカ) の間に見られる、 長期的成長率の著しい差である。 国連開発計

画 (UNDP) の統計によると、 1975年から2001年までの期間に、 東アジア・太平洋が5.9%の一人当た

り GDP 成長率 (年平均) を記録したのに対して、 アフリカではマイナス0.9%であった (「人間開発報

告書」 2003年版)。 また表1が示すように、 1980年代に入ってから二つの地域の成長率の差が大きく広

がった。 この二つの地域の発展に見られる顕著な違いは、 様々な形で研究者や実務家の関心を呼んでき

たが、 この 「長期間にわたる著しいパフォーマンスの差」 を、 国際援助コミュニティの標準的なガバナ

ンス論議はどのように説明できるだろうか。

1980年代に入ってから、 東アジア諸国は急速な輸出の伸びをエンジンとして経済成長のペースを加速

したが、 国際援助コミュニティが、 この時期の東アジアのガバナンスについて、 決して高い評価を与え

ていなかった事実に留意したい。 これはASEAN諸国についてとくに顕著な現象である。

表2は、 OECD とフリーダム・ハウス (Freedom House、 民主化に関する米国の有力なシンクタン

ク型 NGO) の報告書に基づいて、 ASEAN とアフリカの幾つかの国々に与えられた1980年代初期のガ

バナンス評価と、 二つの地域の1980年代を通した成長パフォーマンスを比較したものである。 発展が一

段と加速される前夜のASEAN 諸国のガバナンス水準が、 国際的にアフリカ諸国よりむしろ劣後する

と見られていたことが注目される。 いいかえれば、 経済停滞と社会的混乱が次第に深刻化していった時

期のアフリカと比較しても、 国際援助コミュニティにおけるASEAN 諸国のガバナンス評価は低かっ

た。 この事実は、 標準的な視点で1980年代のASEANとアフリカの差を説明すること制約している。

現在の中国やベトナムとアフリカ諸国についても似たような状況が見出される。 国際援助コミュニティ

は中国やベトナムのガバナンス状況に関して厳しい評価を与えており (その評価自体については十分な

論拠が見出されるであろう)、 両国のガバナンス指標はボツワナ、 ガーナ、 ケニア、 タンザニアなどの

アフリカ諸国と同等あるいはそれを下回る低水準である (表3)。 このようなガバナンス指標を前提と

するかぎり、 中国やベトナムとアフリカ諸国との経済発展パフォーマンスの差をガバナンスによって説

明することは難しい。 したがって、 両者の差は経済的要因によって説明される傾向がある。 たとえば、

国際通貨基金 (IMF) の研究所長であるM.カーンは、 中国の持続的な経済成長の原因を分析した IMF

エコノミストの Z.フーとの共著論文の中で、 ガバナンスには言及せず、 もっぱら資本蓄積率の高さと

投資の生産性に注目している (Kahn and Hu [1997] p.8)。

ひとくちに東アジアといっても多様であるが、 東アジアのガバナンスに様々な問題点が見られること

は否定できない。 とくに1990年代後半の東アジア危機の発生後には、 東アジアのガバナンスの負の側面

に焦点を当てた大量の研究が発表されてきた。 これらの考察には十分な意義が認められるが、 同時に重

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

― 168 ―

表1 東アジアとアフリカの経済成長率の推移

出所:World Bank, World Development Report 1992

Page 9: 第8章 オーナーシップ、グッド・ガバナンス、選択的援助 ―グ … · 割を持つとされている「貧困削減戦略文書」(prsp)2や、「新しい援助形態」(「セクター・ワイド・

要な研究課題が見過ごされがちであることも事実である。 一貫して深刻なガバナンスの欠陥を指摘され

ながら、 なぜ東アジアが40年以上の長期間にわたって高成長を持続し、 東アジア危機の後遺症からも比

較的短時間に抜け出すことができたのだろうか。 ガバナンスと経済発展の関係を分析する枠組には、 こ

の点に関する的確な説明能力が求められる。

東アジアとアフリカの比較分析は、 この基本課題を考える重要なポイントといえるが、 標準的なガバ

ナンス論議には限界があることが分かった。 この事実は、 ガバナンスと経済発展の関係が、 国際援助コ

ミュニティが想定するよりも複雑であることを示唆している。 それでは、 標準的なアプローチの限界を

超えるために、 どのような工夫の可能性があるだろうか。

第8章 「オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助」

― 169 ―

表2 東アジアとアフリカ:1980年代初期のガバナンス指標と1980年代の経済成長率

*:高い方が優れている。 なお政治的自由度の原データは“低い方がより自由”となっていたが、

他の指標との対比の観点から [10.0マイナス原データ] の数字に変換した。

出所:Bardhan, Pranab, The Role of Governance in Economic Development, Organisation for

Economic Co-operation and Development, 1997, Freedom House, Freedom in the World

Country Ratings 1972-72 to 2001-2002, World Bank, World Development Report

1992

表3 東アジアとアフリカ:21世紀初頭のガバナンス指標と1990年代の経済成長率

*1990-2003年平均

注:ガバナンス指標はいずれも高い数字が優れている

出所:UNDP, Human Development Report, 2002, 2005

Page 10: 第8章 オーナーシップ、グッド・ガバナンス、選択的援助 ―グ … · 割を持つとされている「貧困削減戦略文書」(prsp)2や、「新しい援助形態」(「セクター・ワイド・

3.4. 新しいアプローチの模索

3.4.1. 二つの現実的な仮説

ここでは、 ガバナンスと経済発展に関する途上国の現実をより有効に説明する目的で、 以下のような

二つの現実的な仮説の導入を提案したい。 二つの仮説は相互に排除しあうものではなく、 並立しうる性

格のものである。

第一の仮説は、 「全般的なガバナンス水準が満足すべきものでなくとも、 少数の重要なガバナンス項

目が高い水準にあれば、 持続的な経済発展は不可能でない」 という仮説である。

特定のガバナンス項目の強みを推進力にして他の項目の欠点を補い、 持続的発展を達成する可能性で

ある。 ここで中心的な役割をはたすガバナンス項目は、 国や時代が異なれば、 また発展段階が違えば、

それに応じて異なるであろう。 国、 時代、 発展段階などによって構成される特定の条件の下で、 非常に

重要な役割をはたすガバナンス項目がありうると想定し、 それらの項目を 「戦略的ガバナンス項目」 と

呼ぶこととしたい。

第二の仮説は、 「国際援助社会の標準的なガバナンス論議が、 途上国社会のガバナンスの重要な側面

を見落としており、 かりに標準的な意味でのガバナンスに問題があっても、 見逃されているグッド・ガ

バナンス要因がその不足面を補えば、 良好な経済発展パフォーマンスをもたらすことは不可能でない」

という仮説である。 この仮説に立てば、 「途上国の経済社会システムのガバナンスに大きな貢献をしな

がら、 標準的なガバナンス論議の枠組では考慮されていない要素を追求すること」 が重要な研究課題に

なる。

この観点から、 標準的なグッド・ガバナンス項目のリストの再検討が必要になる。 その際、 以下の二

つの点に留意する必要がある。

第一に、 「どのような制度があるか」 という側面だけでなく、 「制度がどのように機能しているか」 と

いう機能面にも留意するべきである。

第二に、 考察の対象を公的部門に限定せず、 民間企業やコミュニティなど広範なアクターの活動にも

目を向けるべきである。

以下では、 提示した二つの仮説について検討したい。

3.4.2. 「戦略的ガバナンス項目」 の模索

仮説1:特定の戦略的ガバナンス項目の高水準が、 全般的ガバナンス水準の低さを補って、 発展を可

能にする可能性

国際援助コミュニティの標準的なガバナンス論議が提示しているグッド・ガバナンス項目は非常に包

括的であるが、 それらの広範な項目がどのような水準になれば持続的な経済発展が可能になるのだろう

か。 「 (ほとんど) すべての項目で満足すべき水準を達成する必要がある」 との暗黙の前提があるのだ

ろうか。 この前提を図の形にすると図1のようになる。

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

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Page 11: 第8章 オーナーシップ、グッド・ガバナンス、選択的援助 ―グ … · 割を持つとされている「貧困削減戦略文書」(prsp)2や、「新しい援助形態」(「セクター・ワイド・

前述のように、 1980年代初頭のASEAN 諸国について、 国際援助コミュニティは 「多くの国々が、

かなりのガバナンス項目について不満足な状況」 と判断していた。 近年の中国やベトナムについても同

様の認識のあることが確認された。 いいかえれば、 国際援助コミュニティの視点で見た東アジア (1980

年代初頭のASEAN および最近の中国、 ベトナム) の状況は、 図2のようなものである。 一部のガバ

ナンス項目については満足できる水準にあるが、 多くの項目で国際援助コミュニティが期待する水準に

は達していない。

かりに図2に示したような状況下にあるA国が長期にわたって高成長を続けたと仮定しよう。 国際

援助コミュニティの基本命題に従えば、 A国の優れた発展パフォーマンスに対してA国のガバナンス

が貢献したはずである。 A 国では3つのガバナンス指標だけが満足すべき水準に達しているから、 こ

の3つのガバナンス項目の一部あるいはすべてが、 「他の項目の欠点を克服して優れた発展パフォーマ

ンスを支える役割」 を担った項目であったと考えられる。 前述のように、 このような項目を 「戦略的ガ

第8章 「オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助」

― 171 ―

図1 ガバナンス要件の 「完全な達成」 の例

(筆者作成)

図2 「戦略的ガバナンス要因の達成」 の例

(筆者作成)

Page 12: 第8章 オーナーシップ、グッド・ガバナンス、選択的援助 ―グ … · 割を持つとされている「貧困削減戦略文書」(prsp)2や、「新しい援助形態」(「セクター・ワイド・

バナンス項目」 と呼ぶこととしたい。 図1よりも図2の方がA国の現実を有効に説明できる。

戦略的に重要な役割を担うガバナンス項目は国によって異なるであろう。 また同じ国でも、 経済社会

の発展段階によって項目が変化すると考えられる。 たとえば、 A国の経済が長く停滞していた場合に、

それを持続的な成長軌道に乗せるために最低限求められるガバナンス要因と、 A 国が高成長を続けて

エマージング・マーケット (新興市場) と呼ばれるようになった後、 さらに先行する国々の水準に近づ

くために求められるガバナンス要因とは異なるであろう。 後者の要件の方が厳しくなる。

東アジアの幾つかの社会が、 あるガバナンスの側面において途上国間で優位性を持つことは、 多くの

専門家によって指摘されてきた。 それはテクノクラートの機能である。 村上泰亮は、 マックス・ウェー

バーの理論的枠組みに基づいて、 一定の合理性と中立性を備えた 「近代的官僚制」 が 「合法的支配」 に

とって不可欠であることを強調した (村上 [1992] 下、 第8章)。 この文脈で村上は、 「公平で有能でネ

ポティズムを超えた近代的官僚制」 が東アジア (村上は日本、 韓国、 台湾、 香港、 シンガポールを想定

している) に見いだされることを指摘し、 「近代的官僚制」 が東アジアの経済発展に寄与した可能性を

示唆したが、 この問題意識は多くの文献に共有されており、 世界銀行の 『東アジアの奇跡』 報告書も一

定の範囲で同様の見解を示した。 ただし世銀は、 シンガポールを除くASEAN 諸国の官僚機構の能力

については、 控えめな評価を与えるにとどめている (World Bank [1993] p.174)。

東アジアの 「戦略的ガバナンス項目」 を考える際に、 「近代的官僚制」 の存在は有力な候補といえる。

ただ 「近代的官僚制」 の果たした役割についての検証は、 なお今後の研究課題である。 また、 シンガポー

ルを除くASEAN 諸国の官僚機構が 「戦略的ガバナンス項目」 としての条件を充たさないという見方

に立つ場合には、 たとえば仮説2に沿って、 それに代わる要因を模索することも必要になる。

「戦略的ガバナンス項目」 の仮説を受け入れるかどうかは別としても、 他のガバナンス項目の欠点を

補って高成長を実現させるガバナンス項目の可能性について考察することは、 ガバナンスと経済発展の

関係について、 これまでになかった新しい視点を導入し、 とくに東アジアの経済発展パフォーマンスと

ガバナンス指標との顕著な乖離を、 これまでよりも有効に説明できると期待される。 東アジアのガバナ

ンス水準に関する標準的な評価は、 その経済発展パフォーマンスとは不釣合いに低いものだった。 この

現象は 「東アジアのパズル」 と呼ばれることがあるが、 これをいつまでもパズルで終わらせないために

は、 日本で蓄積されてきた豊富な地域研究の成果を活用して、 東アジアの発展に貢献した可能性のある

項目について、 その役割を詳細に掘り下げる事例研究作業が重要となろう。

3.4.3. 「国際社会が見落としたもの」 の模索

仮説2:国際援助コミュニティが見落としている途上国社会のグッド・ガバナンス要因が、 標準的な

グッド・ガバナンスの不足を補足して、 経済発展に寄与する可能性がある

人間の作る社会的集団は、 それぞれの独自の方法で意思決定や利害調整を行っている。 ノースの表現

に従えば、 それぞれの社会は人間の相互関連のあり方を規定する 「制度」 (institution) を持っている

が、 その中には規則のようにフォーマルなものと、 暗黙に了解されている行動準則のようにインフォー

マルなものが並存している (North [1990] p.4)。

こうしたインフォーマルな制度には、 それぞれの社会の歴史や文化に埋め込まれている部分が多いた

め、 その全体像を把握することが容易ではないが、 これを国際的に共通のモデルを適用して単一の視点

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

― 172 ―

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から把握しようとすると、 掬い上げられずに見落とされる部分が大きくなろう。

残念ながら、 国際援助コミュニティの標準的なガバナンス論議はもっぱら単一の視点から検討する姿

勢が濃厚で、 それぞれの途上国社会に固有のインフォーマルな制度のきめこまかい把握には適していな

い。 ガバナンスのあり方はインフォーマルな制度と深く関わっているから、 標準的なガバナンス論議の

この性格は、 途上国の経済社会システムに内在する可能性を考察する能力を制約している。

3.4.4. 正統的な制度の機能を代替する仕組み

国際援助コミュニティは、 途上国のガバナンスを見るうえで 「どのような制度か」 の側面を重視し、

行政、 司法、 立法、 財政など広い範囲にわたって、 問題点を改善するための制度変更や新たな制度の導

入を助言してきた。 世界銀行などが進めている PRSP の内容を見ると、 多くの国での融資条件として、

法案、 組織、 規則など多様な新制度の導入が条件づけられていることが分かる。

ただ、 本来求められているのはガバナンスであって制度自体ではない。 「現在の社会システムの中に、

求められる制度がなくとも、 その機能を代行できる仕組みがないか」 という視点から考えてみてはどう

だろうか。

標準的なグッド・ガバナンス項目の役割と機能を考えてみよう。 民主主義的政治体制と独立した司法

部門の組み合わせは、 相互牽制 (チェック・アンド・バランス) の有効な機能を可能にし、 政府への信

頼性を高めて投資家の意欲を引き出すと期待されている。 また、 政府権力の行使における説明責任、 透

明性、 公開性の徹底や法の支配は、 汚職・腐敗の抑制に貢献して、 取引費用を軽減する役割を担ってい

るとされる。

多くの途上国では三権分立が実現していないが、 実現に至っていなくとも、 同じような役割や機能が、

それぞれの社会に存在する仕組みの活用によって (ある程度) 達成できないだろうか。 もし答えがイエ

スとすると、 これらの仕組みは重要なグッド・ガバナンス要因であり、 国際援助コミュニティの標準的

なガバナンス論議の網の目からは容易に漏れてしまう仕組みといえる。

1980年代タイの経験は、 この点で示唆にとむ事例である。 当時タイ政府は、 経済活動や人口のバンコ

ク首都圏からの地方分散と輸出競争力の強化を図るために、 バンコク東南の 「東部臨海地域」 に二つの

巨大な工業基地を建設した (図3)。 この 「東部臨海開発計画」 は、 第5次5カ年計画の中の“旗艦プ

ロジェクト”で、 1300億円を越える日本の援助が投入された大型事業だった。

この種の巨大事業には汚職やスキャンダルが発生しやすい。 代表的な例として、 イラクの戦後復興事

業に関連して、 米国などで発生した幾つかの大型スキャンダルを想起することができよう。 当時のタイ

では三権分立が確立しておらず、 表2に見たように、 そのガバナンス水準は国際援助コミュニティから

見て非常に評価が低かった。 それにもかかわらず、 「東部臨海開発計画」 は大きな問題を回避すること

ができた。 その理由として、 当時のタイの多極システム的な政治社会で機能していた、 (多様なアクター

が互いを牽制する) 独特のチェック・アンド・バランスの仕組みを挙げることができる (下村 [2000]

pp.67-69)。

標準的なガバナンス論議が要求する正統的な制度が未整備でも、 ほかの仕組みが機能して、 その制度

の目的を実現した例である。

上記の事例だけでなく、 標準的なガバナンス論議が見落としている仕組みが標準的なグッド・ガバナ

第8章 「オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助」

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ンス要因と類似した機能、 たとえばチェック・アンド・バランスの機能を担うことができれば、 当該国

の“実質的な”ガバナンス水準は、 標準的なガバナンス指標を上回った水準となり、 優れた経済発展パ

フォーマンスを可能にするであろう。

3.4.5. インフォーマルな社会関係の 「公」

国際援助コミュニティの標準的なガバナンス論議は、 考察の対象を基本的に公的部門のパブリック・

ガバナンスに置いている。 民主化に象徴される政治体制、 行政のあり方 (透明性、 説明責任、 公開性な

ど) と効率、 司法、 腐敗・汚職、 軍事費などの要素は、 基本的に公的部門のガバナンスの問題である。

それに対して、 より広い視野に立ったガバナンス概念が考えられる。 宮川公男と山本清が主張する、

ガバナンスを 「人間のつくる社会的集団 (国家だけでなく、 地方自治体、 企業、 コミュニティなどを含

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

― 174 ―

図3 東部臨海開発計画の主要プロジェクト地図

(出所) 国際協力銀行

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む) における進路の決定、 秩序の維持、 および異なる意見や利害の対立の調整に関わる多様な活動」 と

考える立場である (宮川・山本 [2002]、 pp.15-16)。

ガバナンスの範囲が拡がれば、 ガバナンス水準に影響を与えるアクターも多様化する。 村落などのコ

ミュニティの水準で優れた利害調整や意思決定の機能が働いていれば、 標準的なパブリック・ガバナン

スの水準が不満足でも、 その欠点に制約されずに、 優れた経済発展が実現できるかもしれない。 「ソー

シャル・キャピタル」 (social capital) は、 この観点から重要な概念であり、 多くの研究者が実証研究

とそれに基づく政策提言に努めている。

また、 民間の経済活動の中に 「公」 を代行する機能があれば、 「法の支配」 が不足しているといった

パブリック・ガバナンスの欠陥を克服することができ、 持続的発展を支える要因になりうるだろう。 原

洋之介が生き生きと描くように、 華人のネットワークは、 「固有名詞にこだわって、 排他的・選択的に

取引相手を維持しようとする」 「ヒトとヒトの相互作用」 であり、 そうした濃密なネットワークの中に、

特定個人の間だけに機能する 「公」 の要素がある。 原は、 このような関係が、 華人の間で法や貨幣に相

当する機能を果たしているとみている。 (原 [2001] p.9、 p.53、 p.205)

ここまで検討してきた要素は、 基本的に途上国の経済社会の伝統的な仕組みの中に内在する要素と想

定される。 この観点から、 「国際援助コミュニティが見落としている途上国社会のグッド・ガバナンス

要因が、 標準的なグッド・ガバナンスの不足を補足して、 経済発展に寄与する可能性がある」 という

「仮説2」 は、 途上国の 「内発的なグッド・ガバナンス」 を模索するアプローチともいえよう。

それぞれの途上国の経済社会に内在するグッド・ガバナンスの潜在力を掘り起こして活用するアプロー

チを、 東アジアに限らず多くの途上国に適用することによって、 ガバナンス論議を途上国の実態に近づ

けることができるのではないか。

3.5. 検証の結果

標準的なガバナンス論議では説明できない途上国の現実が多いことを確認した。 それぞれの途上国社

会には特有の仕組みが内在し、 その機能が独特のグッド・ガバナンス要因となっている場合もある。 国

際援助コミュニティの普遍的で単一の視点では、 それらのきめこまかい把握は困難である。 途上国の経

済社会システムが独自のグッド・ガバナンス要因を内在する場合でも、 ドナーの視点が優越すると的確

に把握できない。

途上国のガバナンスの正確な姿にわれわれを導くためには、 ドナーの論理を克服して、 経済社会に内

在する様々な仕組みを、 ありのままの姿で把握しなければならない。 そのための地道な実証研究の蓄積

が望まれる。

4. 選択的援助とドナーの論理の優越

4.1. 「G8アフリカ行動計画」 と 「ミレニアム挑戦会計」

2002年6月のカナナスキス・サミットで 「G8アフリカ行動計画」 が発表された。 「G8アフリカ行動

計画」 は、 アフリカ諸国が採択した 「アフリカ開発のための新パートナーシップ (NEPAD)」 を支持

し、 支援するドナー側の行動計画である。 「アフリカ行動計画」 で G8は、 「我々は、 良い統治及び法の

支配、 国民への投資、 経済成長に拍車をかけ貧困を軽減する政策の追求に対して政治的財政的なコミッ

トメントを示している国に努力を傾注する」 意思を表明した。 こうして支援対象国の 「選択と集中」 の

第8章 「オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助」

― 175 ―

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方針が打ち出され、 選択の基準として

①良い統治と法の支配

②教育・トレーニングの重視

③適切な政策 (市場原理の推進を意味する) の3項目が明示された。

カナナスキス・サミットに先立って、 2002年の3月に、 米国のブッシュ政権は 「ミレニアム挑戦会計」

(Millennium Challenge Account) を発表した。 「ミレニアム挑戦会計」 の本質は、 「良いパフォーマン

スを示している途上国に対して“報酬”を提示する仕組み」 であり、 選択を左右するパフォーマンスの

評価基準は、 以下の3項目であった (Applegarth [2003])。

①良い統治:民主的政治体制、 法の支配、 人権、 透明性、 説明責任」

②経済的自由

③人間への投資:初等教育や保健衛生への予算配分

カナナスキス・サミットの 「G8アフリカ行動計画」 と米国の 「ミレニアム挑戦会計」 は、 基本的に

共通の思想と行動基準を有することが分かる。

援助対象国を選別する発想は、 これに先立って、 「選択と集中」 を掲げるオランダの 「新援助政策」

や、 世界銀行の報告書 Assessing Aid (1998年) でも提示されており、 「選択的援助」 は、 有力な国際

潮流となっている。

4.2. 二つの背景要因: 「新公共管理」 と 「援助疲れ」

「選択的援助」 の考え方が有力となった背景には、 二つの主要な要因が見出される。 一つは1980年代

にOECD諸国で公的部門改革の基本理論として導入された 「新公共管理」 (New Public Management)

であり、 他は1990年代から主要ドナーが直面してきた 「援助疲れ」 である。 二つの要因が相互に関連し

あう中で 「選択的援助」 の思想が影響力を増したと考えられる。

財政赤字や公的債務負担に悩む主要国が、 公的部門を再生し、 「よりよく機能し、 よりコストのかか

らない体制」 を指向するようになったが、 公的部門の規模と役割を縮小し、 効率的・効果的に機能しう

るシステムを構築するための前提として、 分権化、 権限委譲、 民営化などとならんで、 「成果重視」 が

強調されている。 成果重視の実現のために、 目的を明確にし、 達成目標を設定し、 達成のための責任と

インセンティブを付与し、 モニタリングを行う一連の枠組が提案されている (宮川・山本 [2002] 第

1章)。

その一方で、 主要国の苦しい財政事情は国民の間に援助持続に対する懐疑的な見方を広げていた。

「援助は所期の効果を達成していない」 とのさまざまな調査結果が相次いで発表されるにつれて、 ドナー

諸国の政府が納税者を、 国際機関が出資国を説得して援助プログラムを維持することは容易でなくなっ

た。 このような変化の中で、 国際援助コミュニティでも 「成果」 は従来以上に重要な要素となったので

ある。

援助効果を確保するうえで有効な方法の一つが、 「成果の上がらない事業」 や 「成果の期待できない

事業」 の見直しである。 これらの事業の見直しの過程で、 「成果の上がりにくい国」 や 「成果の期待し

にくい国」 のあることが明らかにならざるをえないから、 援助対象国を選別し、 効果の見込まれる国に

援助予算を集中的に配分することが、 援助効果発現のための課題となる。 納税者や出資者に対する責任

「グローバリゼーション下のアジアと日本の役割」 研究会報告書

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は、 援助対象国の選別につながるのである。

4.3. 「選択的援助」 と 「人間の危機」

援助の成果を重視する潮流には、 上述のような意義があるが、 同時に深刻な負の影響を持つことも否

定できない。

前述のように、 支配的となっている途上国選別基準の一つがガバナンス (統治) である。 「統治に問

題のある途上国に対する援助の効果は、 他の途上国の場合に比較して劣後する」 との前提が成立すると

仮定しよう。 この前提に従って援助を削減され、 停止されるのはどのような途上国だろうか。 表4は、

国際援助コミュニティによって非常に低いガバナンス水準にあると見られている国々が、 同時に人口に

占める貧困層の比率の高い国々であることを示唆している。 いいかえれば、 多くの最貧国あるいは後発

途上国、 いいかえれば 「脆弱な国々」 では、 「人間の安全保障への脅威」 と 「ガバナンスの欠陥」 が隣

り合わせなのである。 このような国々が、 ガバナンスの欠陥を理由として援助を削減または停止される

と、 最貧層の生活条件は致命的なダメージを受け、 「人間の危機」 が発生する可能性が高いと予想され

る。

「選択的援助」 の追及は、 援助効果を最貧層の深刻な犠牲よりも優先することを意味するが、 この姿

勢はドナーの視点の優越を代表するものといえよう。

4.4. 「人間の危機」 の巨大な費用

「選択的援助」 の追及は、 「人間の危機」 という巨大な費用を伴う恐れがある。 しかしながら、 先進

国の政府や国際機関が、 援助効果を確保し納税者・出資者への責任を達成するために、 「成果の上がり

にくい国」 や 「成果の期待しにくい国」 への支援を制限せざるをえない立場に追い込まれていることも

第8章 「オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助」

― 177 ―

表4 ガバナンス指標下位国*の貧困比率と人間開発指標

(*「人間開発報告2002」 の①法の支配、 ②政府の有効性、 ③汚職のいずれかの項目で最下位5カ国

と評価された12カ国を指す)

(出所) UNDP, Human Development Report, 2002 and 2004

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事実である。 ドナーが直面しているジレンマを打開するうえでのひとつのカギは、 「援助効果」 の概念

の再検討にある。

「成果の上がりにくい国」 や 「成果の期待しにくい国」 への支援が、 脆弱な国々の破綻による、 最貧

層の 「人間の安全保障」 の破壊という深刻な費用を少しでも足止めする場合には、 重要な効果を秘めて

いると見るべきであろう。 脆弱な国々の破綻による 「人間の危機」 は地球社会に巨大な費用をもたらす

が、 これを少しでも足止めすることを便益とすれば、 これらの国々への支援の大きな意義がある。 この

視点に立つと、 ドナーの論理への埋没を脱却する道が見えてくるのではないか。

4.5. 検証の結果

先進国の政府や国際機関は、 援助効果を確保し納税者・出資者への責任を達成するために、 「成果の

上がりにくい国」 や 「成果の期待しにくい国」 への支援を制限せざるをえない立場に追い込まれている。

援助対象国を選別し、 効果の見込まれる国に援助予算を集中的に配分することが、 援助効果の発現、 納

税者や出資者に対する責任の達成につながると考えられている。

こうしてドナーの論理は 「選択的援助」 を指向するが、 これは 「人間の危機」 という巨大な費用を伴

う恐れがある。 いいかえれば、 「選択的援助」 の追及は最貧層の深刻な犠牲よりも援助効果を優先する

ことを意味する。

ドナーの論理の優越を防ぎ、 ドナーの論理への埋没を脱却するために何が必要だろうか。

脆弱な国々の破綻が巨大な社会的費用であることを再認識し、 この費用の発生を足止めすることを便

益として、 援助アプローチを再構築する試みが必要である。

5. 結論と提言: 「弱点の指摘」 より 「強みの発見と育成」

本章では、 国際援助コミュニティと途上国の関係を、 「ゲームのルール」 の単一化や、 単一の規範へ

の収斂などのグローバリゼーションの一側面として考察した。

地球的規模での 「文化的統合」 の流れは、 基本的に工業国から途上国への一方向となりがちであるが、

途上国に対する支援の領域でも、 同様の傾向が見出される。 本章では、 それを一括して 「ドナーの論理

の優越」 と呼び、 オーナーシップ、 グッド・ガバナンス、 選択的援助などの概念に現れている 「ドナー

の論理の優越」 の症状を分析した。

考察の結果から一つの示唆がえられる。 国際援助コミュニティの標準的なアプローチは、 「問題の原

因が途上国の制度・政策にある」 との前提で、 うまくいかない原因を追究するアプローチであり、 その

本質は 「弱点を是正するための処方箋」 の提示である。 しかしながら、 本章で確認したように、 「途上

国の経済社会システムに内在する強みを掘り起こして活用する」 アプローチは、 大きな可能性を秘めて

いる。 そこには、 「真のオーナーシップ」 の可能性が潜んでおり、 「独特のグッド・ガバナンス」 が埋め

込まれている。

日本が国際援助コミュニティに対して主張すべき代替的アプローチは、 「弱点の指摘より強みの発見

と育成」 であり、 このような 「内発的処方箋」 の発信が、 われわれの基本メッセージとなるべきである。

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