私人間効力論について - keio university平成29 年度 小山剛研究会...

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平成 29 年度 小山剛研究会 11 11 日聴講会 メインレジュメ 1 私人間効力論について 法学部法律学科 3 牧野 太希 目次 1 問題の所在 2 学説の動向 5 ()無適用説 ()直接適用説 ()間接適用説 ()ステイト・アクション論 ()基本権保護義務論 10 ()新無適用説 ()小括 3 総括 1問題の所在 15 ある私人が他の人の権利を侵害しているような場面は起こり得る。企業、労働組合、経 済団体のような巨大な力すなわち「社会的権力」を持った私的団体による私人の人権侵害 や、産業の発展に伴う公害問題、マスメディアによる名誉権やプライバシー権の侵害は、 社会問題となってきた。さらに、SNSやインターネットが普及し情報化社会となった現 代においては、私人の名誉権やプライバシー権は侵害されやすくなっている。 20 しかし、憲法の名宛人は国家であり、憲法上の人権規定を守らなければならないものと して想定されるのは国家権力である。つまり、我が国の憲法における基本的人権の規定は、 公権力との関係で国民の権利自由を保護するものと考えられてきた 1 では、私人と私人の人権侵害をどのように調整するか。特に、憲法学との関係で、社会 的権力をもつ私人が行う人権侵害についても、憲法の人権規定を一定の方法で適用するべ 25 きではないか。これがいわゆる人権の私人間効力の問題である 2 私人間効力は、様々な学説が主張されている百家争鳴の「燃える」テーマである 3 。本レ ジュメでは、私人間効力についての主要な学説の動向と、私人間効力についての代表的な 判例である三菱樹脂事件につき検討していく。 30 1 芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法〔第 6 版〕』(岩波書店,2015 年)155 頁参照。 2 川崎政司=小山剛編『判例から学ぶ憲法・行政法〔第 3 版〕』(法学書院、2011 )28 頁参 照〔新井誠執筆〕。 3 宍戸常寿『憲法 解釈論の応用と展開 第2版』(日本評論社、2014 )95 頁。

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平成 29 年度 小山剛研究会 11 月 11 日聴講会 メインレジュメ

1

私人間効力論について

法学部法律学科 3 年 牧野 太希

目次

1 問題の所在

2 学説の動向 5 (1)無適用説

(2)直接適用説

(3)間接適用説

(4)ステイト・アクション論

(5)基本権保護義務論 10 (6)新無適用説

(7)小括

3 総括

1問題の所在 15 ある私人が他の人の権利を侵害しているような場面は起こり得る。企業、労働組合、経

済団体のような巨大な力すなわち「社会的権力」を持った私的団体による私人の人権侵害

や、産業の発展に伴う公害問題、マスメディアによる名誉権やプライバシー権の侵害は、

社会問題となってきた。さらに、SNSやインターネットが普及し情報化社会となった現

代においては、私人の名誉権やプライバシー権は侵害されやすくなっている。 20 しかし、憲法の名宛人は国家であり、憲法上の人権規定を守らなければならないものと

して想定されるのは国家権力である。つまり、我が国の憲法における基本的人権の規定は、

公権力との関係で国民の権利自由を保護するものと考えられてきた 1。

では、私人と私人の人権侵害をどのように調整するか。特に、憲法学との関係で、社会

的権力をもつ私人が行う人権侵害についても、憲法の人権規定を一定の方法で適用するべ25 きではないか。これがいわゆる人権の私人間効力の問題である 2。

私人間効力は、様々な学説が主張されている百家争鳴の「燃える」テーマである 3。本レ

ジュメでは、私人間効力についての主要な学説の動向と、私人間効力についての代表的な

判例である三菱樹脂事件につき検討していく。

30

1 芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法〔第 6 版〕』(岩波書店,2015 年)155 頁参照。 2 川崎政司=小山剛編『判例から学ぶ憲法・行政法〔第 3 版〕』(法学書院、2011 年)28 頁参

照〔新井誠執筆〕。 3 宍戸常寿『憲法 解釈論の応用と展開 第2版』(日本評論社、2014 年)95 頁。

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2学説の動向

(1)無適用説

無適用説は、憲法の名宛人は国家であるという伝統的な憲法観や、私人関係における私

的自治の原則を最重視する。すなわち、私人間を規律する民法の大原則である、当事者の

意思が尊重されつつ、お互いの意思のみで契約が成り立つ関係たる私的自治の原則を制限5 しないようにする 4。

しかし、これでは私人間における人権侵害の救済の必要性に応じることはできないので

あるため妥当でない。そこで、前述の問題意識を解決するべく、様々な学説が登場する。

(2)直接適用説 10 直接適用説は、憲法の人権保障が最高価値のものであると考えて、私人間に憲法が直接

適用されると考える。このように解することで、私人間の人権侵害を憲法が直接救済しよ

うとする。

しかし、直接適用説を徹底してしまえば、憲法上の権利観を根底的に変換し、人権の価

値を相対化させてしまう。また、国家の私人間への過度な介入を呼び起こし、私的自治の15 原則を拘束しすぎるのではないかという批判 5が向けられる。そこで、間接適用説という考

え方が登場する。

現在においてなお直接適用説を主張する者は、あらゆる社会的関係において憲法を適用

させようという考え方ではなく、基本的には私人間においては私的自治の原則が働きつつ

も、私人間の一方に「社会的権力」が存在するときのみ憲法を適用すると考える 6。 20 しかし、「社会的権力」の定義をいかように解するのかという問題を生む 7。憲法の第三

章の表題が「国民の権利及び義務」とあるのに、なぜ「社会的権力」だけが他と異なる憲

法上の義務を負うのかの説明は難しい 8。

(3)間接適用説 25 間接適用説は、私的自治の原則を維持しながらも、憲法的価値を市民秩序に取り込むた

めに、私法の一般条項の中に憲法の価値を読み込むことで、間接的に憲法を適用すると考

える。①憲法の名宛人は国家であるということを維持しつつ、②私的自治の原則が基本的

に尊重され、③まず法律を参照することから、法律上の問題を過剰に憲法問題化しない点

で、間接適用説は実益がある 9。 30

4 川崎=小山編・前掲注 2、29 頁〔新井執筆〕。 5 安西文雄、巻美矢紀、宍戸常寿『憲法学読本 第 2 版』(有斐閣、2014)69 頁〔巻美矢紀

執筆〕。 6 君塚正臣『憲法の私人間効力論』(悠々社、2008)6頁。 7 佐々木惣一『改訂日本国憲法論〔補正版〕』(有斐閣、1954)55-56 頁。 8 君塚前掲注 6、6 頁。 9 小山剛『「憲法上の権利」の作法〔第 3 版〕』(尚学社,2016 年)136-137 頁参照。

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そもそも、間接適用説はドイツの判例学説を参照して提唱されたものであり、ドイツで

は基本権の「照射効」とよばれている。これは、基本権という陽光に照らして私法(一般条

項に限らず解釈の余地のある全ての私法規定が対象となる。解釈の余地のない私法規定が

憲法に抵触するときは、その規定自体が違憲となる 10)を解釈せよという趣旨 11である。か

かる意味では、行政法や刑法の規定の合憲限定解釈と異なるものではない 12。 5 後述の三菱樹脂事件判決が出されてから、判例は間接適用説をとったと解釈されるよう

になり、通説的な地位を占めた。間接適用説の中でも通説とされてきたのは、芦部説であ

る。芦部説は端的にいえば、前述のドイツの間接効力説と後述のアメリカのステイト・ア

クション論を接ぎ木したもの 13であるとされた。芦部説は、私人間の人権侵害を「法令に

基づく法律行為あるいは事実行為」と「純然たる事実行為」とに区別する。前者は、法令10 の解釈にあたって人権規定の趣旨を勘案できるが、後者はできない。そこで、後者のよう

な芦部説の理解では真正面から対応できないものをステイト・アクション論にて補充して

説明する 14。

もっとも、間接適用説は人権規定の内容を実際どの程度民法等に読み込むのかの基準が

不明確 15だと批判される。三菱樹脂事件判決が原告 X の思想良心の自由と被告たる企業の15 契約締結の自由が衝突したのにもかかわらず、X の思想良心の自由の憲法的価値の充填が消

極的であった 16。この点、ある事例につき人権の価値を積極的に充填させることも、消極

的にすることも、行おうと思えばできるから、間接適用説は結局無適用説と変わらないの

ではという批判 17がある。

そこで、私人間効力論の再検討がさかんとなり、芦部説の古いドイツの判例学説を前提20 とする議論を変えて、後述の、小山剛先生らの主張する基本権保護義務論から説明する考

え方や、高橋和之先生らの主張する新無適用説が主張されていく。

なお、憲法 15 条 4 項、18 条、28 条等は、間接効力説にたったとしても、人権の性質

上私人間に直接適用されることを予定しているものであることに留意すべきである。

25

10 小山同上、139 頁。 11 小山剛「判批」長谷部恭男・石川健治・宍戸常寿編『憲法判例百選Ⅰ[第六版]』(有斐閣、

2013 年)25 頁。 12 小山前掲注 9、139 頁。合憲限定解釈は一見すると規制対象が広い法規にしぼりをかける

ものであるが、基本権の間接適用は、事案に即した「公の秩序又は善良の風俗」(民法 90条)の意味内容の特定や、「他人の権利又は法律上保護される利益」の侵害(民法 709 条)の内

容の拡張を図る。このため、合憲限定解釈ではなく、憲法適合的解釈又は基本権適合的解

釈と呼ぶ方が適切である。 13 宍戸前掲注 3、95 頁。 14 芦部前掲注 1、110 頁以下。 15 川崎=小山編・前掲注 2、30 頁〔新井執筆〕。 16 小山前掲注 9、25 頁。 17 川崎=小山編・前掲注 2、30 頁〔新井執筆〕。

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(4)ステイト・アクション論

ステイト・アクション論は、前述のようにアメリカの判例で採用された議論で、人権規

定が公権力と国民との関係を規律することを前提としつつ①公権力が、私人の行為に「き

わめて重要な程度」にまでかかわり合う場合、又は、②私人が、国の行為に準ずるような

「高度に公的な機能」を行使している場合に、かかる私的行為を国による行為と同視して5 憲法を直接適用するという理論 18である。

①の典型例として公共施設の内部で食堂を経営している私人が黒人差別を行った事例 19、

②の典型例として会社が私有し運営する会社町(company town)が街頭の宗教的文書の頒

布を禁止した行為を違憲とした事例 20が挙げられる。1960 年以降、それまで盛んに議論

されたステイト・アクション論は縮小傾向となったが、一部事例を除いてステイト・アク10 ション論を適用する類型を判例変更したものはない 21。

芦部説はかかる理論構成を応用して、事実行為による人権侵害を違憲として、それを私

法規定に読み込んで救済すると考える。なお芦部教授は、最晩年に同見解を修正している 22。

ステイト・アクション論には次のような批判が向けられる。まず、当初は私法の問題に

過ぎなかったものが、裁判所の判決(国家と同視される決定)があると憲法問題に転じてしま15 うというものである 23。また、州権主義の是正を図ろうとしたステイト・アクション論を、

アメリカと構造の異なる日本に輸入した場合いかなる場合に私的行為を国による行為と同

視できるかが不明である 24というものである。

(5)基本権保護義務論 20 国家の基本権保護義務論とは、もともと刑法や行政法に関する立法不作為の問題を対処

するためにドイツで誕生した理論であるが、憲法における私人間効力の場面でも法的構造

が異ならないと考える 25。

基本権保護義務論によれば、国が国民の基本権を保護する作為義務たる保護義務を負う

と考える。すなわち、国は基本権の潜在的侵害者に加えて、基本権の保護者、という新た25 な性格もまた有すると考える 26。

もっとも、保護義務の内容は立法、行政、司法で異なる。まず、第一次的には立法府が

保護義務を負い、憲法の命じる最低限度の保護を下回らない立法の措置が要請される 27。

18 芦部前掲注 1、117 頁。 19 Burton v. Wilmington Parking Authority, 365 U.S. 7158(1961). 20 Marsh v. Alabama, 326 U.S. 501(1946). 21 榎透「ステイト・アクション法理にみる『国家』」専修法学論集 100 号 212 頁(2007)。 22 芦部信喜「人権論50年を回想して」『宗教・人権・憲法学』(有斐閣、1999 年)226 頁。 23 田中英夫『英米法のことば』(有斐閣、1986)23 頁。 24 木下智史『人権総論の再検討』(日本評論社、2007 年)159 頁。 25 小山前掲注 9、130 頁。1975 年の第 1 次堕胎判決(BVerfGE39,1)で確立した。 26 小山剛『基本権保護の法理』(成文堂、1998 年)136 頁。 27 小山同上、51 頁。

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次に、行政は、法律のもと裁量が認められる範囲において、保護義務を実現していく 28。

さらに、司法府は立法の作為不作為や行政の作為不作為による基本権侵害 29の救済を、裁

判を通して実現していくのである。

そして、司法権の保護義務の実現過程として、私人間で問題となるのが私人間効力の問

題であると考える。1984 年頃からドイツにおける学説でも、私人間効力を基本権保護義5 務という一般問題の下位の事例(Unterfall)として考えられてきた 30。ドイツ連邦憲法裁判

所は、1990 年のいわゆる代理商決定 31で、競業避止条項のある酒造販売の代理商契約を

申立人の職業の自由を制約するものだから、国家は基本権保護のために調整的に介入しな

ければならないとして、契約を許容した商法及び連邦通常裁判所の判決も違憲とした。

つまり、当事者間の対等関係が欠如する私的自治には、憲法が強行法、一般条項の導入10 等を通じて立法に介入し、それがなされない時に立法不作為の保護義務違反が問われるこ

とになる 32。私人と私人の対立関係を、国家・侵害者・被侵害者という三面関係として捉

えて、憲法の間接適用を図るのである 33。

もっとも、基本権保護義務論に対しては、保護義務の内容が曖昧で 34、どちらの権利を

優先的に保護するか分からない結果、社会的権力を持つ側の基本権を公的に保護すること15 になりかねないとの批判 35がある。また、基本権保護義務を承認しなくとも、具体的紛争

の第三者的裁定機関である裁判所が、当事者双方の主張する利益を考慮することは当然で

ある。とすれば、裁判所が当事者の権利について過少保護・過剰保護することのいずれも

許されないという考え方は、結局は「裁判所は利益衡量を十分せよ」という要請であり、

基本権保護義務論をとらずとも三面関係を構成できる 36との批判がある。 20 さらに、ドイツの考え方である基本権保護義務論が、日本国憲法の解釈論として承認さ

れるかも疑問である 37との批判もある。確かに、ドイツでは、ドイツ基本法 1 条 1 項 38が

28 小山同上、55 頁。 29 ドイツの場合、立法不作為については連邦憲法裁判所が、行政の不作為については行政

裁判所が、この任務を担当する。小山同上、同頁。 30 小山同上、221-224 頁。 31 BVerfGE 81, 242, Beschluss v. 7. 2. 1990. 小山同上 225-230 頁も参照。なお、松原光宏は、端的に保護義務違反をもって、ドイツ

商法 90a 条 2 項 2 文の違憲性を基礎付けたわけではないとし、同条同文が競業避止期間の

補償請求を一般的に排除していることが、比例性を欠くことになる点を問題にし、同規定

は、職業の自由を保障する 12 条 1 項に違反すると判断したのであるとしている。松原光宏

「私人間効力論再考(2・完)」(中大)法学新報 106 巻 11=12 号 63 頁、70 頁(2000)。 32 小山同上、242 頁。 33 君塚前掲注 6、202 頁。 34 山本敬三『公序良俗論の再構成』(有斐閣、2000)199 頁。 35 川崎=小山編・前掲注 2、31 頁〔新井執筆〕。 36 木下前掲注 24、48 頁。 37 同上、37 頁。 38 ドイツ基本法 1 条 1 項 人間の尊厳は不可侵である。これを尊重し、および保護すること

は、すべての国家権力の義務である。

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「保護」も国家の責務だとしている中で生まれた議論が基本権保護義務論である 39。また、

ドイツにおいては、憲法裁判所が設置されており、日本とは構造が異なるとの批判 40があ

る。しかし、特定の制度を前提としなくても理論自体が成立し、かつ有益なものであるな

ら、その理論を参考できないわけではない 41。また、日本でもドイツでも、この問題につ

いての終審裁判所が終局的に決定できる点では変わらないはずである 42。さらに、法律に5 よって形成された制度に合わせて憲法論を立て直すのはおかしい 43と反論できよう。

(6)新無適用説

新無適用説は、フランスの自然権理論をもとに主張される説である。すなわち、近代立

憲主義の論理によれば憲法上の人権は、あくまで国家との関係で保障された権利であり、10 私人間で法的効力を持つものではないと直接適用説を明確に拒絶する 44。

そのうえで憲法上の人権規定を私法の一般的抽象的な文言の解釈の中に読み込むために

は、人権規定が私人間を規律する「潜在力」が必要 45だとして、我が国の憲法にはこのよ

うな内容の条文等の根拠が不明であるため、間接適用説を批判する。

そもそも私人間における人権侵害の問題は憲法が直接救済する必要はなく、誰に対して15 でも主張し得た自然権が、私人間に適用される法律によって具体化されるのだから、私人

間の人権の保護調整は法律に委ねられている 46と考えるのである。現に民法 1 条 2 項 47、

90 条 48や 709 条 49が存在するから、個人の尊厳を保障する方向 50で民法を解釈して救

済すれば、憲法観・人権観を変える危険を冒さずに、私人間の権利侵害からの救済に十分

対応できる 51と考える。ここでいう個人の尊厳は憲法 13 条に具体化された人権規定では20 なく、あくまで実定法に先行して存在する理念としての自然権を指し、両者を区別する 52。

つまり間接適用説は一般条項に憲法価値を反映させるのに対して、新無適用説は専ら私

39 君塚前掲注 6、205 頁。 40 山本敬三「憲法と民法の関係」法学教室 171 号(1994)44 頁、48 頁。 41 松原前掲注 31、98 頁。 42 戸波江二「国の基本権保護義務と自己決定のはざまで」法律時報 68 巻 6 号(1996)128頁。 43 君塚前掲注 6、206 頁。 44 高橋和之「人権の私人間効力論」高見勝利ほか編『日本国憲法解釈の再検討』(有斐閣、

2004)1 頁。 45 同上、16 頁。 46 高橋和之「『憲法上の人権』の効力は私人間に及ばない」ジュリスト 1245 号(2003)139頁。高橋前掲注 44、17 頁。 47 民法 1 条 2 項 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。 48 民法 90 条 公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。 49 民法 709 条 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者

は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。 50 民法 2 条参照。民法2条 この法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等を旨として、解

釈しなければならない。 51 高橋前掲注 44、16 頁。 52 小山前掲注 9、138 頁。

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7

法の論理に従って解釈すればよいとする 53。とすれば、人権価値をよりよく実現する方向

で民法を解釈するための理論を、憲法学が私法学と共同構築することが重要となる 54。高

橋先生は、三菱樹脂事件判決は間接効力説も否定した典型的な新無適用説に立った 55とす

る。

これに対して、新無適用説には次の批判がなされる。確かに、民法は恣意的な法秩序で5 はなく、民法の解釈が憲法の価値判断と乖離することは稀である。しかし、憲法と民法に

おいて公序が必ずしも合致するとは限らず、或いは、裁判官が民法の公序を読み誤る結果

憲法上の公序に反する場合があり得る。とすれば、私人間の人権侵害を専ら私法の論理に

より解釈するのではなく、憲法から民法への照射という道具立てを用意する必要がある 56。

10 (7)小括

ここまで私人間の人権侵害をいかに解決するかの学説の対立を検討した。

そもそも、憲法の効力が直接なり、間接なり、何らかの形で私法に効力を及ぼせば、問

題は解決するのだろうか。

この点、無適用説的な発想にたっても、私法規定の解釈の中で公序良俗に反するとして15 私人の人権侵害を調整し得る。妾契約、芸娼妓契約、暴利行為、共同絶交、有害食品の販

売など 57は憲法 13 条、18 条、22 条、24 条などに触れずとも民法 90 条違反とされて

きた。ましてや、所有権の行使が権利濫用とされた 58のは日本国憲法公布以前の判例であ

る。

これに対して憲法の強い「効力」の確保が必要という反論もあり得る。確かに憲法の効20 力を引き合いに出せれば、平等や表現の自由に配慮した結論を出しやすい。しかし、それ

は二重の基準や通説的な人権規定の序列に従う場合のみであり、実際は具体的事案ごとの

価値判断によらざるを得ない 59。

また、直接適用説のうち人権規定の効力が相対化する見解は、実際上は間接適用説と殆

ど異ならない。本レジュメでは、紹介しきれないが間接適用説にもその派生は沢山ある。 25 結局のところは、私人間効力という概念を及ぼすことは形式的には合意があった私人間

の関係に介入することになるから、憲法(あるいは無適用説からは個人の尊厳)の価値充填が

厚いほど望ましいというものではない。あくまで、締結された契約の尊重を原則としたう

53 小山前掲注 11、25 頁。 54 高橋前掲注 44、18-19 頁。星野英一『民法―――財産法』(放送大学教育振興会、1995年)7 頁。 55 高橋前掲注 44、14 頁。 56 小山剛「基本権の私人間効力・再論」法學研究 78 巻 5 号(2005)71 頁。 57 順番に、大判明治 30 年 12 月 4 日民録 3 輯 15 頁、最判昭和 30 年 10 月 7 日民集 9 巻 11号 1616 頁、大判昭和 9 年 5 月 1 日民集 13 巻 875 頁、大判明治 45 年 5 月 9 日民録 18 輯

475 頁、最判昭和 39 年 1 月 23 日民集 18 巻 1 号 37 頁。 58 いわゆる宇奈月温泉事件。大判昭和 10 年 10 月 5 日民集 14 巻 1965 頁。 59 君塚前掲注 6、8 頁。

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平成 29 年度 小山剛研究会 11 月 11 日聴講会 メインレジュメ

8

えで、事案に応じて必要であれば憲法(個人の尊厳)が例外的な修正を加えるべきであろう 60。

3 総括

本レジュメでは繰り返すように、私人間効力に関する通説的な学説の整理や、代表判例

である三菱樹脂事件の意義を考察した。近年の私人間効力論は、通説をしめていた間接適

用説の不明確さを、諸外国の判例法理をもとに構成し直しているように思える。 5 確かに、特に憲法学との関係で、どのように私人間効力論を論じるかのある程度説得的

で明確な基準がなければ、今後起きる私人間の人権侵害をどのように調整するかという問

題は迷走してしまうだろう。

もっとも、どのような理論構成を経るのだとしても、具体的事案に着目した妥当な権利

救済方法をとらなければならない点は変わりないだろう。周知のように、憲法学において10 表現の自由や思想良心の自由はきわめて重要である。だからといって、私人間においてそ

のような人権が絶対的に重要として扱われるとは限らない。

今後、社会情勢はさらに変わっていき、新しい私人間の人権侵害の問題も起こり得るだ

ろう。その時に、私人間効力が私的自治に介入するという性質を持つ以上、それを原則的

に尊重するべきであり、例外的に法が介入するとき、その方法の妥当性を考えるのが私人15 間効力論の本質だと感じる。

60 小山前掲注 11、25 頁。

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平成 29 年度 小山剛研究会 11 月 11 日聴講会 メインレジュメ 補助レジュメ

国家

私人 私人 私人

憲法 私法

憲法 私法

私法

侵害者 被侵害者

国家

立 行 司

⑦基本権保護義務論 ⑧新無適用説

⑥ステイトアクション論 ⑤間接適用説

④直接適用説 ③無適用説

②私的自治 ①伝統的憲法観

国家

侵害者

国家

国家 国家

国家

被侵害者 被侵害者

被侵害者 被侵害者

被侵害者

憲法

自然権

憲法

侵害者

侵害者

侵害者

侵害者

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小山研究会 聴講会 サブレジュメ

法学部法律学科 3年 R組 福田 碧

1.概要 5

憲法学において、最近に至るまで、私人間効力論については三菱樹脂事件判決1において打ち

出されたとされる間接適用説が通説・判例として受け止められてきたものの、私人間における

人権が争われた事例について人権が私法の一般規定を通じて私人間で間接的に効力を有する、

という立場を最高裁が一貫して示してきたわけではない2。私人間効力が問題であるはずの判例

で、間接適用説的な言い回しが見当たらなかったり、それにもかかわらず人権条項が言及され10

たり3している。また近年、様々な学説や議論が錯綜しているなかで、私人間における人権をど

のように捉えるべきかを考えるために、以下、私人間効力が明示的あるいは潜在的に問題とな

った判例について述べ、それがどのように機能してきたかについて考察・分析をする。

2.判例 15

2−1 三菱樹脂事件

(1)事実の概要

X は、Y(三菱樹脂株式会社)に3ヶ月の試用期間を設けて採用されたが、入社試験の際に身上

書および面接において学生運動や生協理事としての活動を秘匿する虚偽の申告をしたことを理

由に、試用期間の満期直前に本採用を拒否するとの告知を受けた。このため、X は、労働契約20

1 最大判昭和 48・12・12民集 27巻 11号 1536頁 2 宍戸常寿「私人間効力論の現在と未来―どこへ行くのか」長谷部恭男編『講座 人権論の再定位3 人権の射程』(法律文化社、2010年)29頁 3 宍戸常寿『憲法 解釈論の応用と展開 第 2版』(日本評論社、2014年)95頁

【目次】

1.概要

2.判例

2−1 三菱樹脂事件

2−2 昭和女子大事件

2−3 日産自動車事件(女子若年定年制事件)

3.私人間効力論の機能

4.総括

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関係の確認を求めて出訴した。 1審4は X の請求を大筋認めた。2 審5は①憲法 19 条の思想信

条の自由は、私人間であっても、一方が優越する地位にある場合みだりに侵害されてはならず

②新聞社や学校等と異なり、商社では労働者の思想信条が事業の妨げとならず③採用試験に際

して政治的思想信条に関する事項の申告を求めるのは公序良俗に反するとして X の勝訴を言

い渡した。これにYが憲法 19 条・14条は私人間に直接適用されるものではないことを理由に上5

告。

(2)判旨

破棄差戻し(差戻審である東京高裁にて①本採用拒否の撤回、②Xの職場復帰、③和解金 1500

万円の支払を内容とする和解成立)。 � 10

(1) 憲法 19 条・14 条は「もっぱら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、

私人相互の関係を直接規律することを予定するものではない。...私人間の関係において...各人の

有する自由と平等の権利自体が...相互に矛盾、対立する可能性があり...その調整は...原則として

私的自治に委ねられ...侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超える場合にの

み、法がこれに介入しその間の調整をはかる...建前がとられている」。 15

(2)「私人間の関係においても、相互の社会的力関係の相違から、一方が他方に優越し、事実

上後者が前者の意思に服従せざるをえない場合があ」るが、「このような場合に限り憲法の基

本権保障規定の適用ないしは類推適用を認めるべきであるとする見解もまた、採用することは

できない。何となれば、右のような事実上の支配関係なるものは、その支配力の態様、程度、

規模等においてさまざまであり...一方が権力の法的独占の上に立って行なわれるものであるの20

に対し、他方は...単なる社会的事実としてのカの優劣の関係にすぎず、その間に画然たる性質上

の区別が存するからである」。私的支配関係において個人の自由・ 平等に対する具体的な侵害

やそのおそれがある場合には、「立法措置によってその是正を図ることが可能であるし、また...

民法 1 条、90 条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって...私的自治の原則を尊重し

ながら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し...25

適切な調整を図る方途も存するのである」。

(3) 憲法は、思想、信条の自由や法の下の平等を保障すると同時に、「22 条、29 条等にお

いて、財産権の行使、営業その他広く経済活動の自由をも基本的人権として保障している。そ

れゆえ、企業者は、かような経済活動の一環としてする契約締結の自由を有し、自己の営業の

ために労働者を雇傭するにあたり、いかなる者を雇い入れるか、いかなる条件でこれを雇うか30

について...原則として自由にこれを決定することができるのであって、企業 4 東京地判昭和 42・7・17判時 498号 66頁 5 東京高判昭和 43・6・12判時 523号 19頁

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者が特定の思想、信条を有する者をそのゆえをもって雇い入れることを拒んでも、それを当然

に違法と」したり、直ちに民法上の不法行為とすることはできない。したがって、「企業者が、

労働者の採否決定にあたり、労働者の思想、信条を調査し、そのためその者から これに関連す

る事項についての申告を求めることも」違法ではない。

(4)法は、企業者の雇傭の自由について雇入れの段階と雇入れ後の段階との間に区別を設け、5

雇入れ後については、労働者の既得の地位と利益の保護のために一定の限度で企業者の解 雇の

自由に制約を課している。本件本採用の拒否は、「留保解約権の行使、すなわち雇入れ 後にお

ける解雇にあたる。留保解約権に基づく解雇は、通常の解雇と全く同一に論ずることはできず、

前者については後者の場合よりも広い範囲における解雇の自由が認められるが、「留保解約権

の行使は、解約権留保の趣旨、目的に照らして、客観的に合理的な理由が存し社会通念上相当10

として是認されうる場合にのみ許される」。原審の判断には、法令の解釈、適用を誤り、その

結果審理を尽くさなかった違法がある。

(3)判決の意義

まず本判決は、憲法の人権規定が公権力と個人との関係を規律するものであり、私人間にお15

いて直接適用されるものでないことを確認する。また、私人間における人権侵害の調整を原則

として私的自治に委ねられるものとし、例外的に「侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一

定の限界を超える場合」に法が介入すると宣言した。私法の一般条項による 調整のメルクマー

ルを「社会的許容限度」を超えるかどうかとするのは、国の私法行為の効力が争われる中で自

衛隊の憲法9条適合性が争われた百里基地訴訟6でもとられている。 20

次に(2)部分で、かかる憲法の性格は当事者の一方が他方に優越する地位であったとしても異

ならないとして原審を批判する。(2)後半では、立法措置や私法の一般条項の適切な運 用をもっ

て私人間の人権侵害の調整を図ることを説示して、判例は間接適用説(高橋先生らからは新無適

用説)を採用したとの評価をうける。(3)では、企業者に契約締結の自由が7あることを確認しつつ、

特定の思想信条を理由に雇い入れを拒否することを違法でないとする8。この点、前述のように25

憲法 22 条、29 条 から保障される人権規定を理由に企業者の有する自由を認めつつ、個人の

有する思想信条の自由、思想信条を理由に不合理な差別を受けない自由があまり考慮されなか

った点で批判を浴びる。もっとも、判例は憲法 22 条、29 条と14条、19条を衡量して前者が勝

6 最判平成元・6・20民集 43巻 6号 385頁 7 具体的内容として、①雇い入れ人数決定②募集方法③選択④契約締結⑤調査がある。名古道功「判批」村中孝史・荒木尚史編『労働法判例百選[第九版]』(有斐閣、2016年)19頁 8 下級審判例ではあるが、思想信条等が採否の判断基準の直接的決定的な理由である場合は憲法の諸規定に反し違法であるとしたものがある。東京高判昭和 50・12・22労民集 26巻 6号 1116頁

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るといったような判断をしたわけではなく、私的自治を原則に、原告の思想信条が社会的許容

限度を超える形で侵害されており、公序良俗を発動すべきかを検討し、本件はそれには及ばな

いと判断したのである9。 (4)部分では、労働法事件としてどのように処理するかの指針を示す。

すなわち、労働基準法3条10は雇い入れ後における差別的な労働条件を禁止するものであり、雇

い入れその ものを規制する規定ではないとする。もっとも、原告と被告との間に三か月の試用5

期間を 付した雇傭契約が締結され、期間満了直前に被告が原告に対して本採用の拒否を告知し

たものである本件は、通常の雇い入れと異なり、雇い入れ後の解雇に相当すると説示する。 こ

の点、採否決定の時点では、職員としての適格を持つかの判定資料を十分に集めることができ

ないため、後日の調査・観察に基づく最終的決定を留保する趣旨11で試用期間が設けられている。

とすれば、解雇しうる客観的に合理的な理由となるかどうかを諸般の事情から慎重に検討すべ10

きであり、かかる検討を尽くさなかった原審に違法があるとする。かかる判断は、差し戻し後、

学生に有利な和解ができるようにしたものである。本判決以降、私人間における人権侵害を調

整する判例はたくさん登場するが、大きく分けて①契約関係と私人間効力、②不法行為と私人

間効力、③団体と個人の私人間効力と分類できそうである。本判決は①にあたるが、②と③の

類型が必ずしも私人間効力の問題として処理されているわけではない。 �②はエホバの証人輸血15

拒否事件12に代表されるように、個人の尊厳に関わる利益が私法上の権利として確立している場

合はあえて私人間効力の問題とせず、「宗教的人格権」といった確立していない自由を問題と

するとき13は、判例は三菱樹脂事件を引用するようである14。③の問題として昭和女子大事件15で

は、大学の広汎な裁量を覆すべきかどうかの判断として三菱樹脂事件を引用する。他方、南九

州税理士会事件16で代表される団体とその構成員の人権については私人間効力を論じることを20

しない。これは私人間効力を問題としなくても、 団体の性質の総合的判断により人権価値を斟

酌することができるからである1718。

9 宍戸・前掲注 3、96—97頁 10 労働基準法3条 使用者は、労働者の国籍、信条又は社会的身分を理由として、賃金、労働時間その他労働条件について、差別的取扱をしてはならない。 11 なお、日本においては調査・観察としての機能よりは、本採用後の職務に連続する教育訓練期間としての性格のほうが強い。阿部未央「判批」村中孝史・荒木尚志編『労働法判例百選[第

九版]』(有斐閣、2016年)22頁 12 最判平成 12・2・29民集 54巻 2号 582頁 13 自衛官合祀事件。最判昭和 63・6・1民集 42巻 5号 277頁 14 宍戸・前掲注 3、97—98頁 15 最三小判昭和 49・7・19民集 28巻 5号 790頁 16 最判平成 4・3・19民集 50巻 3号 615頁 17 小山剛『「憲法上の権利」の作法[第 3版]』(尚学社、2016年)143頁 18 宍戸・前掲注 3、100—101頁

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2−2 昭和女子大事件19

(1)事実の概要

被上告人 Y は、保守的校風をもって教育の指導精神とする私立大学であるが、その指導精神

にもとづき「生活要録」を定めていた。上告人 X1と X2がこの規定に反して署名活動を行った

り外部政治団体に加入申し込み・加入をしていたりしたことに気づいた Y は同政治団体からの5

離脱を求めたが X らは対決姿勢を明らかにした。そのため Y は、学校教育法施行規則 13 条 3

項 4 号に基づく同大学学則 36 条 4 号「学校の秩序を乱し、その他学生としての本分に反した」

に当たるとして、退学処分に付した。Xらはこれに対して身分確認訴訟を起こした。

第 1審判決20は、まず私立学校も公の性質を持つ21ことを主張し、そこから国公立大学と同様

に、私立大学も憲法 19 条・14 条、教育基本法 3 条に基づく「寛容の基準」にのっとる必要を10

提唱し、Y による X の退学処分はそれを満たしておらず、X らの請求を認容した。Y の控訴を

受けた控訴審22はこれを取り消したため Xは上告した。

(2)判旨

上告棄却。 15

憲法 19条、21条、23条等のいわゆる自由権的基本権の保障規定は、国又は公共団体の統治

行動に対して個人の基本的な自由や平等を保障することを目的とした規定であって、専ら国又

は公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間の関係について当然に適用ない

し類推適用されるものでないことは、三菱樹脂事件最高裁判決が示すとおりである。したがっ

てその趣旨に徴すれば、私立学校である Y の学則の細則としての性質を持つ前記生活要録の規20

定について直接憲法の右基本権保障規定に違反するかどうかを論じる余地はない。

実社会の政治的社会的活動に当たる行為を理由として退学処分を行うことが、直ちに学生の学

問の自由及び教育を受ける権利を侵害し公序良俗に違反するものでないことはポポロ事件判決

23の趣旨に徴して明らかである。大学当局が、Xらに同大学の教育方針に従った改善を期待しえ

ず教育目的を達成する見込が失われたとして、一連の行為を「学内の秩序を乱し、その他学生25

としての本分に反した」ものと認めた判断は、社会通念上合理性を欠くものであるとはいいが

たく、本件退学処分は、懲戒権者に認められた裁量権の範囲内にあるものとして、その効力を

是認すべきである。 19 木下智史「判批」長谷部恭男・石川健治・宍戸常寿編『憲法判例百選[第 6版]』(有斐閣、2013年)26頁 20 東京地判昭和 38・11・20行集 14巻 11号 2039頁 21 教育基本法 6 条(学校教育)法律に定める学校は、公の性質を有するものであって、国、地方公共団体及び法律に定める法人のみが、これを設置することができる。 22 東京高判昭和 42・4・10行集 18巻 4号 389頁 23 最判昭和 38・5・22刑集 17巻 4号 370頁

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(3)要約

・どのような結論がどのように導かれたのか

先述の判旨の下線部の箇所が示すように三菱樹脂事件判決を引用し、本件について憲法の規

定を適用することはないとして人権規定の直接的効力を否定し、「学生の学問の自由及び教育を

受ける権利を侵害し公序良俗に違反するものでない」といった。その上で大学側に学生の政治5

活動の自由を制限する広い裁量があることを認め、退学処分を Y の合理的裁量の範囲内にある

ものであると判断した。

(4)判決における私人間効力

昭和女子大事件判決は、私立大学における学則等による学生の懲戒を正面から扱った初めて10

の最高裁判例である。またリーディング・ケースである三菱樹脂事件判決の中で「基本的人権

がどの程度私人間関係に影響を及ぼしうるものか」が明らかにされなかったことから、基本的

人権の第三者効力との関係について関心を抱かれた。

この判決は、私人間の紛争における憲法上の権利主張を遮断するという三菱樹脂事件最高裁

判決を踏襲した24ものである。三菱樹脂事件判決では「『個人の自由や平等』は国家権力に対し15

ては『各人の有する自由と平等の権利自体が具体的場合に相互に矛盾、対立する可能性があり、

このような場合におけるその対立の調整は、近代自由社会においては、原則として私的自治に

委ねられ、ただ、一方の他方に対する侵害の態様、程度が社会的に許容しうる一定の限界を超

える場合にのみ、法がこれに介入しその間の調整を図るという建前がとられている』ため、人

権規定の『適用ないし類推適用』はできない」という部分を引用し、私立女子大学の校則が憲20

法 19条・21条等に違反するかを論じる余地はないとする25。その上で最高裁は、大学に在学生

を規律する包括的権能があるとして広汎な裁量を認めた上で、処分が学長の合理的裁量の範囲

内に収まるものかどうか、という観点から処理した。

2−3 日産自動車事件(女子若年定年制事件)2627 25

(1)事実の概要

被上告人女性 Xが勤務する A社は昭和 41年 8月、上告人 Y社に吸収合併された。A社の定

年は男女共に 55歳であったが、Y社の就業規則は男子満 55歳、女子満 50歳と定めていた。合

併の際 A社労働組合は、労働条件は原則として Y社の就業規則によるとの労働協約を A社と締 24 木下智史『人権総論の再検討—私人間における人権保障と裁判所』(日本評論社、2007年)17頁 25 宍戸・前掲注 2、29頁 26 最高裁昭和 56・3・24民集 35巻 2号 300頁 27 春名麻季「判批」長谷部ほか・前掲注 4、28—29頁

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結し、当時非組合員であった X についても右協約の一般的拘束力が及ぼされた。そのため昭和

44年 1月に満 50歳となる Xに対し、前年 12月 Y社は右就業規則により翌年 1月末日をもっ

て退職を命ずる旨の予告をしたのでこれに対して Xは地位保全の仮処分を申請した。

第 1審28、2審29とも右男女別定年制の合理性を認めて申請を退けたが、本訴 1審30、2審31は

ともにその合理性を否定し、右定年制は公序違反で民法 90条により無効とした。Y社は本訴 25

審敗訴後男女とも 60歳定年に改めたが、2審判決の憲法 14条、民法 90条32解釈の誤りを主張

して上告した。

(2)判旨

上告棄却。 10

右の男女別定年制に合理性があるか否かにつき、原審は、Yにおける女子従業員の担当職種、

男女従業員の勤続年数、高齢女子労働者の労働能力、定年制の一般的現状等諸般の事情を検討

したうえ、Y においては女子従業員各個人の能力等の評価を離れて、その全体を Y に対する貢

献度の上がらない従業員と断定する根拠はないこと、しかも、女子従業員について労働の質量

が向上しないのに実質賃金が上昇するという不均衡が生じていると認めるべき根拠はないこと、15

少なくとも 60歳前後までは、男女とも通常の職務であれば企業経営上要求される職務遂行能力

に欠けるところはなく、各個人の労働能力の差異に応じた取扱がされるのは格別、一律に従業

員として不適格と見て企業外へ排除するまでの理由はないことなど、Yの企業経営上の観点から

定年年齢において女子を差別しなければならない合理的理由は認められない旨認定判断したも

のであり、右認定判断は、原判決挙示の証拠関係及びその説示に照らし、正当として是認する20

ことが出来る。そうすると、原審の確定した事実関係のもとにおいて、Yの就業規則中女子の定

年年齢を男子より低く定めた部分は、専ら女子であることのみを理由として差別したことに帰

着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法 90条の規定により無

効であると解するのが相当である(憲法 14条 1項、民法 1条の 233参照)。

25

(3)要約

・どのような結論がどのように導かれたのか

28 東京地判昭和 46・4・8判時 644号 92頁 29 東京高判昭和 48・3・12判時 698号 31頁 30 東京地判昭和 48・3・23判時 698号 36頁 31 東京高判昭和 54・3・12判時 918号 24頁 32 民法 90条(公序良俗)公の秩序又は善良の風俗に反する事項を目的とする法律行為は、無効とする。 33 民法 1条の 2(基本原則)権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。

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「定年制における男女差別は、企業経営上の観点から合理性が認められない場合、あるいは合

理性がないとはいえないが社会的見地において到底許容しうるものでないときは、公序良俗に

反し無効であると解するのが相当である。」と判例中に示されているように、男女別定年制の合

理性の判断を「企業経営上の観点」から検討し、慎重で限定的な公序良俗違反の有無の審査を

行った。本件について、男女別定年制は諸般の事情を考慮しても合理的理由は認められず専ら5

女子であることのみを理由とした差別であると判断され、民法 90条の規定により無効とされた。

(4)私人間効力に関する考察

日産自動車事件判決は、人権の私人間効力を積極的に認める判例の 1 つであり、三菱樹脂事

件判決の延長線上で理解されるものとされている34。 10

この判決は、三菱樹脂事件判決を引用してはいないが、公序良俗規定を適用する際に括弧書

きで憲法 14 条に言及したところから、三菱樹脂事件判決の判旨の「私的支配関係においては、

個人の基本的な自由や平等に対する具体的な侵害又はそのおそれがあり、その態様、程度が社

会的に許容しうる限度を超えるときは、これに対する立法措置によってその是正を図ることが

可能であるとし、また、場合によっては、私的自治に対する一般的制限規定である民法 1 条、15

90 条や不法行為に関する諸規定等の適切な運用によって、一面で私的自治の原則を尊重しなが

ら、他面で社会的許容性の限度を超える侵害に対し基本的な自由や平等の利益を保護し、その

間の適切な調整を図る方途も存する」35という文言を継いだものであり、したがって間接効力説

を採用したものと理解されてきた36。また、百里基地訴訟最高裁判決37における伊藤正己裁判官

の補足意見においてこの判決が引用されて「憲法は国の基本的秩序を定めているものであるか20

ら、それは当然に民法 90条にいう公序のなすものといえる」と述べられているように、憲法 14

条 1項が参照されていることは、憲法上の公序が民法 90条における民法上の公序を充填してい

ることを意味していると解される38。

3.私人間効力論の機能 25

三菱樹脂事件判決以降、私人間で人権侵害が争われた事例は少なからず存在するが、その中

において私人間効力論が果たした機能・役割は大きく4つに分類することが出来る。

1つ目は、憲法上の権利主張を遮断する機能である39。「いわゆる自由権的基本権の保障規定

34 憲法判例研究会編『判例プラクティス憲法』(信山社、2012年)20頁[執筆者:宍戸常寿] 35 この文言が間接適用説を採用したものと理解できる。 36 長谷部・前掲注 2、29頁[執筆者:宍戸常寿] 37 最判平成元・6・20民集 43巻 6号 385頁 38 春名麻季「判批」長谷部ほか・前掲注 5、29頁 39 木下・前掲注 24、23頁

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は、国または公共団体の統治行動に対して個人の基本的な自由と平等を保障することを目的と

した規定であって、専ら国または公共団体と個人との関係を規律するものであり、私人相互間

の関係について当然に適用ないし類推適用されるものではない」という三菱樹脂事件判決を引

用して効力を否定した。このパターンの具体例として昭和女子大事件最高裁判決や目黒電報電

話局事件判決40を挙げることが出来る。 5

2つ目は、制定法解釈の中に憲法上の人権保障の意義を積極的に組み込む機能である41。これ

は憲法の人権保障の趣旨を私人間に読み込んでいく、それによって私人間に効力を及ぼし、相

手方の利益を乗り越えた強い法的保護を獲得しようという原告の試みを認めるものである。具

体例として日産自動車事件判決が挙げられる。

3つ目は、憲法上の規定の効力を私法的な価値によって相対化する機能42であり、上記の 2つ10

のパターンとは区別される。具体例としては自衛官合祀事件43が挙げられる。この事件は、未だ

確立していない「宗教的人格権」という権利を、憲法上明文で保障された信教の自由を媒介に

して取り扱おうとしたもので、最高裁はこれにあたり三菱樹脂事件判決を引用している44。この

引用は、私人間における憲法上の人権規定の効力の問題が両当事者の利益衡量を必要とし、ま

た公序良俗違反や不法行為として法的保護が与えられるのは「態様、程度が社会的に許容しう15

る限度を超える」場合に限られることを示している。

4つ目は、私人間効力論に全く言及せずに事件が処理される45場合である。これは私人間にお

ける人権の衝突が問題となっているのに私人間効力論が全く問題にされないケースである。こ

れは私的団体の行為が構成員の人権を制限するものと主張される事例や、表現の自由と名誉・

プライバシーの調整事例においてよく見られるものである。前者の具体例として八幡製鉄献金20

事件判決46や南九州税理士会事件判決47を挙げることが出来る。私法人等と構成員の関係につい

ては、私人間効力論の対象となりうるが、対立する諸利益の具体的調整基準として当該団体の

性質が論証の焦点となり、私人間効力論という一般的枠組みが決め手となることはない48。一方、

後者の具体例としては北方ジャーナル事件49を挙げることが出来るが、これらの判決において私

40 最三小判昭和 52・12・13民集 31巻 7号 974頁 職場における従業員の政治活動に対する規制が問題となった。 41 木下・前掲注 24、19頁 42 木下・前掲注 24、20頁 43 最判昭和 63・6・1民集 42巻 5号 277頁 44 宍戸・前掲注 3、98頁 45 木下・前掲注 24、22頁 46 最大判昭和 45・6・24民集 24巻 6号 625頁 47 最三小判平成 8・3・19民集 50巻 3号 615頁 政治献金を行う目的のために特別会費を徴収する旨の税理士会の総会決議の効力を争った。 48 小山・前掲注 17、143頁 49 最大判昭和 61・6・11民集 40巻 4号 872頁

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人間効力論には触れられていないのは、私人間効力が議論されるよりも前から判例の蓄積があ

る問題については、対立する諸利益の具体的調整の基準のみに関心を向ければよいためであり、

先例のない新しい問題に限り、私人間効力という枠組みの確認から論証することに実践的意味

が生じるためである50。

5

4.総括

通説とされてきた間接適用説は、消去法のような形で消極的に多くの学説の支持を受けてき

たものの、法秩序の最高価値であるはずの基本権が私人相互関係において相対化されるという

問題が生じており、憲法条文は単なる一般条項程度の認識しかなく最高法規として適用してい

ない51という指摘がある52。また、先述の判例についての分析から、間接適用説という一つの法10

理論が、憲法上保障されている権利の効力を別の様々なベクトルに機能させているというのが

現状であるということを理解することが出来る。このことからも、間接適用説の定義の消極性

故の広汎さやわかりづらさを読み取ることができる。私人間効力論を議論するためには、憲法

の条文上で保障された様々な人権が各々どのような場合に、どのようにして、私人間において

も効力を有するのかということについての分析や検討をすることがますます重要になってくる15

だろう。

50 小山・前掲注 17、141頁 51 君塚正臣「民法学における『公序良俗』論の憲法学的検討」東海大行動科学研究 50号(1998年)63頁 52 君塚正臣「伝統的第三者効力論・再考(1) 日本の憲法学は憲法の私人間効力をどう考えてきた のか」関西大学法学論集 49巻 5号(2000年)699—700頁

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1

職業の自由 ディベート 問題

通販株式会社 Dakuten(X)は事業の拡大を図り、インターネットを通じた郵便販売サー

ビスをつくり、購入者が医薬品を注文する際①注意事項のチェック欄を設け、チェックに応

じて自社所属の薬剤師によるアドバイスを表示し、禁忌事項にチェックされた場合には販

売しないようにする②販売前に必要な注意事項が記載された画面を必ず表示し、注文者が

同画面を確認した旨のボタンを押して注文を受ける③注文者に対し、注文した医薬品の使

用時の注意事項を記載した電子メールを送信する④必要に応じてテレビ電話を介して上記

手続きを行うという仕組みによることにした。

X の医薬品インターネット販売事業開始後、薬剤師による対面での情報提供及び指導を通

じて、要指導医薬品(医療用から一般用に移行して5年以内のもので、一般用としてのリス

クが確定していない薬)の適正な使用を確保し、健康被害等の発生を防止するという目的で、

国(Y)は「医薬品の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」(以下新薬事法とす

る。)を設け、要指導医薬品の郵便等販売を全面的に禁止した。

このような立法がなされた背景としては、一般用医薬品において重篤な副作用が報告さ

れており、報告された症例の中には死亡の転帰をたどるものや後遺症を残すような症例も

含まれている現状があるものの、このような現状に対する社会的認知が進んでいないこと

から、薬剤師や登録販売者による情報提供・早期発見が必要とされていた事情がある。

立法過程においては、郵便等販売の安全性に懐疑的な意見が多く出されたが、郵便等販売

に従事する者の意見は付されておらず、郵便等販売による具体的な危険性は指摘されてい

なかった。

新薬事法により、X の医薬品販売部門における利益の70%であった要指導医薬品のイン

ターネット販売を中止せざるを得なくなった。X は新薬事法が違憲であると考え、なおイン

ターネット販売を行っていたところ、新薬事法 84 条の罰則規定により起訴された。

本件における X 及び Y の主張を論ぜよ。

【医薬品の品質、有効性及び安全性等確保等に関する法律】

第一条 この法律は、医薬品、医薬部外品(以下「医薬品等」という。)の品質、有効性及

び安全性の確保並びにこれらの使用による保健衛生上の危害の発生及び拡大の防止のため

に必要な規制を行うとともに、指定薬物の規制に関する措置を講ずるほか、医療上特にその

必要性が高い医薬品、医療機器及び再生医療等製品の研究開発の促進のために必要な措置

を講ずることにより、保健衛生の向上を図ることを目的とする。

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2

第三十六条 薬局開設者又は店舗販売業者は、要指導医薬品の適正な使用のため、要指導医

薬品を販売し、又は授与する場合には、その薬局又は店舗において医薬品の販売又は授与に

従事する薬剤師に、対面により、厚生労働省令で定める事項を記載した書面(当該事項が電

磁的記録に記録されているときは、当該電磁的記録に記録された事項を厚生労働省令で定

める方法により表示したものを含む。)を用いて必要な情報を提供させ、及び必要な薬学的

知見に基づく指導を行わせなければならない。ただし、薬剤師等に販売し、又は授与すると

きは、この限りでない。

2 薬局開設者又は店舗販売業者は、前項の規定による情報の提供及び指導を行わせるに当

たっては、当該薬剤師に、あらかじめ、要指導医薬品を使用しようとする者の年齢、他の薬

剤又は医薬品の使用の状況その他の厚生労働省令で定める事項を確認させなければならな

い。

3 薬局開設者又は店舗販売業者は、第一項本文に規定する場合において、同項の規定によ

る情報の提供又は指導ができないとき、その他要指導医薬品の適正な使用を確保すること

ができないと認められるときは、要指導医薬品を販売し、又は授与してはならない。

第八四条 第三六条に従わない者は、三年以下の懲役若しくは三百万円以下の罰金に処し、

又はこれを併科する。

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原告側立論 法令違憲編

1.本件規定は、憲法 22 条1項の保障する職業選択の自由を侵害しており、法令として違

憲であると主張する。

5

2.まず、要指導医薬品をインターネットで販売する自由は、憲法22条 1 項により保障さ

れる。⑴職業とは、人が自己の生計を維持するためにする継続的活動であるとともに、分業

社会においては重要な機能を果たすこと、個人の人格的価値と不可分の関係を有すること

から、職業選択の自由には、狭義の職業の選択の自由だけではなく職業活動の自由も含まれ

る。 10

⑵そして、X はインターネットを通じて販売する事業形態を選択して医薬品販売をなす事

業者であり、そのような事業は職業にあたる。

⑶よって、上記自由は憲法22条1項により保障される。

3.本件対面販売規制は,インターネット販売を行う事業者に「要指導医薬品」の販売の一15

般的な禁止を課すものであり,X は本件規制により要指導医薬品のインターネット販売を

中止せざるを得なくなっており、上記自由が制約されている。そして、本件規制による制約

は以下に述べるように X の職業選択の自由に対する不当な制約であり、正当化されない。

⑴ア.インターネット販売インターネットという形態による事業が一般化している今日,イ

ンターネット販売はそれ自体が一つの業態であり、本件規制は、インターネット販売を対面20

販売から区別して、情報提供方法のいかんを問わず、これまで許されていたインターネット

販売の方法による第1類・第2類医薬品の販売を禁止しようとしているのであるから、許可

制を超える厳しい規制である。そのため本件規制はその法的性質としては職業活動の態様

に対する規制ではあるものの、上記の態様の業者に関する限り、規制の事実上の効果として

は、かなり強度なものであるといえる。 25

イ.また、本件規制の目的は、「社会的認知が進んでいない」一般用医薬品の不適切な利用か

ら国民の生命・身体を保護するという消極目的であり、立法府の裁量が尊重されるべきであ

る積極目的の場合と異なり、司法審査になじむと考えることができる。

ウ.以上のことから、本件規制の合憲性を肯定するためには、重要な公共利益のための必要

かつ合理的な措置であり、より緩やかな制限では目的を十分に達成することができないと30

判断される必要がある。具体的には、当該規制が単に国民の健康上の必要性がないとは言え

ない、というような観念上の想定では足りず、このような制限を施さなければ国民の保健に

対する重大な危険を生じさせるおそれのあることが実証的な証拠に基づいて合理的に認め

られることが必要とされる。

⑵ これを本件ついて検討する 35

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ア.まず、「社会的認知が進んでいない」一般用医薬品の不適切な利用から国民の生命・身体

を保護する目的はたしかに重要な公共の利益のためのものであることは認められる。

しかし、本件規制がその立法目的のために、必要かつ合理的な措置であるということはでき

ない。

イ.まず、事案に付された立法過程について見ると、郵便等販売従事者による意見がなく、40

郵便等販売による具体的な危険性が実証されていない、とされている。このことは郵便等販

売によって発生しうるとされている具体的な危険がそもそも実証されていない、というこ

とを意味している。郵便等販売の安全性に対する懐疑的な意見が想定している危険という

のも、観念上の想定に過ぎない。よって本件規制は必要性・合理性を肯定することができな

い。 45

さらに、対面販売を行う目的とはそもそも、薬剤師が患者の健康状況を把握したうえで情報

提供を行うことの必要性が根拠として挙げられている。そして、それらはインターネット販

売に関して詳細な許可条件を設けるといった方法を用いても十分に達成することができる

と考えられる。

50

以上より、本件規定は憲法 22 条1項に反し違憲である。

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原告側立論 適用違憲編

1. X に対し、新薬事法(以下、「法」とする。)84条を適用し罰則を科すこと(以下、

「本件処罰」とする。)は、X の要指導医薬品をインターネットで販売する自由を不当に侵

害し、その適用において違憲である。

2. まず、通信販売事業者たる X が要指導医薬品をインターネットで販売する自由は、5

実質的に職業選択の自由に匹敵する自由であると解される。よって、上記自由は憲法 22 条

1項の保障する職業選択の自由により保障される。

3. 本件処罰は、X が要指導医薬品のインターネット販売をすることに対し、法 84 条の

構成要件に当たるとして処罰するものであり、上記自由に対して制約がある。そして、本件

処罰は以下に述べるように、X の職業選択の自由に対する不当な制約であり違憲である。 10

(1) まず、いかなる審査基準が妥当するかについて検討する。

ア. 確かに、職業選択の自由は社会的相互関連性の強い権利であるから、ある程度の制約

を受けざるを得ない。

イ. しかし、22条1項の保障する職業選択の自由は自己の人格的価値と不可分の関連を

有する重要な権利であり、最大限に保障されるべき第一級の権利であると解される。 15

ウ. よって、職業の自由に対する制約は、規制の対象となる具体的行為が、規制目的を阻

害する場合に、必要最小限度の制裁として機能されなければならないと解される。そこで、

㋐規制の目的㋑X の具体的行為が規制目的を阻害するか㋒必要最小限度の制裁として機能

しているかについて以下検討する。

(2)ア. まず、㋐本件規制の目的は、「社会的認知が進んでいない」一般用医薬品の不20

適切な利用から国民の生命・身体を保護する目的であり、この目的のために法は「一般用と

してのリスクが確定していない」要指導医薬品の対面販売を義務づけている。

イ. 次に、㋑X の具体的行為が規制目的を阻害するかについて検討する。

X は、ネットにおいて購入者が医薬品を注文する際、①注意事項のチェック欄を設け、チ

ェックに応じて自社所属の薬剤師によるアドバイスを表示し、禁忌事項にチェックされた25

場合には販売しないようにする②販売前に必要な注意事項が記載された画面を必ず表示し、

注文者が同画面を確認した旨のボタンを押して注文を受ける③注文者に対し、注文した医

薬品の使用時の注意事項を記載した電子メールを送信するという仕組みをとっている。X は

これらの仕組により、「社会的認知が進んでいない」一般用医薬品の副作用を周知し、予防

する機会を設けているといえる。 30

また、X は④必要に応じてテレビ電話を介して上記手続きを行うという仕組みによるイン

ターネット販売を行っており、これにより画面を通じて購入者へ直接指導すること、購入者

から直接質問を受けること、及び購入者の状態を把握することが可能であるため、その販売

形態は事実上対面販売の実質を有している。

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2

以上のことを鑑みると、X の販売行為は、「社会的認知が進んでいない」一般用医薬品の35

不適切な利用から国民の生命・身体を保護する目的を充足している。

ウ. 次に、㋒必要最小限度の制裁として機能しているかについて検討する。まず、要指導

医薬品は、X の医薬品販売部門における利益の70%であった。そして、X は通信販売会社

であるから、本件規制は X の医薬品販売事業そのものを禁止するに等しい規制であること

がいえる。このような X の事業形態、X の被る不利益に鑑みれば、規制目的を阻害してい40

るとはいえない X の販売行為に対して法 84 条のような処罰規定を適用することは、必要最

小限度の制裁として機能しているとはいえない。

(3) よって、本件処罰は、規制の対象となる具体的行為が、規制目的を阻害する場合に、

必要最小限度の制裁として機能されているとはいえない。

4. 以上より、X に対する本件処罰行為は、X の要指導医薬品をインターネットで販売す45

る自由を不当に侵害し、その適用において憲法 22 条 1 項に違反し違憲である。

以上

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被告側立論 1 新薬事法の対面販売を義務付ける規定(以下、本件規定という)は、Xの要指導医薬品をイン

ターネットで販売する自由を侵害せず合憲であると主張する。

2 まず、憲法22条1項は、狭義における職業選択の自由のみならず、職業活動の自由の保障

をも包含している。Xの行う要指導医薬品のインターネット販売は、職業活動の一態様とし5 て、憲法22条1項により保障される。そして、本件規定は、要指導医薬品の販売を対面販売に

限定しており、Xの上記自由を制約する。

3 もっとも、かかる制約は以下の通り正当化される。

1) 職業の自由は、個人の人格的価値とも不可分の関連を有する重要な権利であるが、職業の

社会的相互関連性から、精神的自由に比較して公権力による規制の要請がつよい。 10 そして、職業の自由に対する規制は、各種各様の形をとるため、具体的な規制措置の検討と

考量は、第一次的には立法府の合理的裁量に委ねるべきである。

そこで、裁判所は、規制の目的が公共の福祉に合致するものであると認められる以上、規制

措置の必要性、合理性については、立法府の合理的裁量の範囲にとどまる限り、その判断を尊

重すべきである。そして、合理的裁量の範囲については、規制の目的、方法、対象、手段等に15 より判断すべきであるが、これらの要素は、当該立法の合憲性を推定しつつも、司法がどの程

度立法事実に立ち入った判断をすべきかを決する要素であるというべきである。

これを本件規定についてみると、(ア)規制の目的は、重篤な副作用のリスクを有する要指導

医薬品について、その不適切な使用による国民の生命及び健康に対する危害を防止するという

消極目的にあるものの、(イ)対象が、既存業者にもこれから販売しようとするものにも等しく20 及ぶもので、旧薬事法の適正配置規制のような新規参入規制とその性質を異にすること、(ウ)

方法が、要指導医薬品のインターネットでの販売という一つの販売方法を規制するに過ぎない

から、職業の開始・存続にかかわる狭義の職業選択の自由の制約と同視できず、職業活動の自

由を相当程度制約するともいい難いこと、(エ)手段が、要指導医薬品の販売を薬剤師が対面で

行うことを義務付けるもので、上記目的に直結することからすると、本件規定は、立法府にお25 ける判断が合理的に図られた結果であるといえるから、裁判所はその判断を十分に尊重すべき

である。

そこで、①規制の目的が公共の福祉に合致するものであるとともに、②その目的を達成する

ための手段として、その規制の必要性が認められ、かつ、③規制内容につき合理性が認められ

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るのであれば、立法府の判断はその合理的裁量の範囲にとどまるものとして合憲であると解す30 る。

2) まず、本件規定の規制目的は、上記のリスクを有する要指導医薬品について、その不適切

な使用による国民の生命及び健康に対する危害を防止し、もって保健衛生の向上を図ることに

ある。かかる目的が公共の福祉に合致することは明らかである(①)。

また、要指導医薬品に後遺症や死亡などの重篤な副作用のリスクがあることに鑑みると、そ35 の販売にあたっては可能な限りリスクの軽減が求められる。そこで、要指導医薬品の販売にお

いては、薬剤師の判断のもと、使用者に関して収集され得る最大限の情報を収集した上で、薬

学的知見に基づく適切な指導を必要とすることには、相応の必要性が認められる(②)。

さらに、対面販売では、薬剤師と使用者との間で、双方向での柔軟かつ臨機応変なやりとり

が可能となり、情報提供や指導の実効性の確保が可能である。また、立法過程においては、郵40 便等販売による具体的な危険性が指摘されていないが、薬剤師による対面による情報収集に基

づいた情報提供及び薬学的知見に基づく指導を対面により行わせることとしなかった場合に、

その不適正な使用が生じる場合が増加すると評価することは、不合理ではない。

そして、本件規定は、国民の保健衛生の向上という重要な利益の獲得を目的とする一方、開

業又は事業の存続を困難とするような大きな不利益を課すものでなく、職業活動を相当程度制45 約するものでもない。

そこで、対面販売という手段を採用することには、相応の合理性がある(③)。

3) したがって、上記自由に対する制約は、公共の福祉に合致する正当な目的を達成するため

の手段として、その規制の必要性が認められ、かつ、規制内容につき合理性が認められる。

4 よって、本件規定が、立法府の合理的裁量の範囲を逸脱するものとして、憲法 22 条 1 項に50 違反するということはできない。