大量虐殺の過去清算における「合意」に関する研 title 究 : … · 88 高:大...

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Title <論文>大量虐殺の過去清算における「合意」に関する研 究 : 「済州4・3事件真相究明及び犠牲者名誉回復委員会 」の「犠牲者審議・決定」を事例として Author(s) 高, 誠晩 Citation 京都社会学年報 : KJS = Kyoto journal of sociology (2009), 17: 87-111 Issue Date 2009-12-25 URL http://hdl.handle.net/2433/192717 Right Type Departmental Bulletin Paper Textversion publisher Kyoto University

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Page 1: 大量虐殺の過去清算における「合意」に関する研 Title 究 : … · 88 高:大 量虐殺の過去清算における「合意」に関する研究 このような世界的状況を念頭に置き、本論は20世紀冷戦初期の韓国に生じた大量虐殺事

Title<論文>大量虐殺の過去清算における「合意」に関する研究 : 「済州4・3事件真相究明及び犠牲者名誉回復委員会」の「犠牲者審議・決定」を事例として

Author(s) 高, 誠晩

Citation 京都社会学年報 : KJS = Kyoto journal of sociology (2009),17: 87-111

Issue Date 2009-12-25

URL http://hdl.handle.net/2433/192717

Right

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Kyoto University

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大量虐殺の過去清算:における「合意」に関する研究

一 「済州4・3事件真相究明及び犠牲者名誉回復委員会」の

「犠牲者審議 ・決定」 を事例 として

高 誠 晩

1は じめ に

現代世界は、各地で国家が 関与 した大量虐殺や組織的な人権躁躍 を経験 している。こう

した 「悲劇」的経験 によって、社会 は切 り裂かれ内部の憎悪 を増幅 させて きた。その よう

な状況で、紛争以降の共同体の再創造 と個人の癒 しが要請 され、それをめ ぐる学術的議論

も深化 している。 ヨーロ ッパや南アメリカ、南アフリカの場合、民主化 または平和的な政

権交替を経て新体制に転換 して以降、旧体制下で起 こった大量虐殺 と人権躁躍に どの よう

に接近 し清算するのか とい う問題 を社会統合の一つ として論議 して きたが、その ような過

去清算は国家 を加害者 とす る事件を扱 うという点で我 々に重要 な示唆を提示する。

しか しポス ト紛争社会mで 展開される過去清算 においては、「社会的 タブーの克服」 と

い う歴史的意義にもかかわ らず、現実には、多様な形態の 「合意」 または 「妥協」や 「折

衷」 を見せてきた。例えば、 フランコ死後、真相調査委員会の構成や責任者処罰お よび被

害者 に対す る報償 な どが政治的 ・経済的 ・軍事的エ リー トによって行 われなか った70-80

年代のスペ イン社会 における 「沈黙協定」や 「忘却協 定」 がそれ だ(金 ウ ォンジュン

2005:257)。 旧体制の軍部政権で起 きた失踪 と、死 に至 らなか った逮捕や不法監禁な どの

事 件を除外す ることに合意 したウルグアイ(1985年)と アルゼ ンチ ン(1983年)、 チ リ

(1990年)の 過去清算、そ して1995年 南アフリカの 「真実 と和解委員会」(TRC)が 「平和

のために過去の殺人者が 自由に歩 き回ることを許容するしかなかった」 という政治的妥協

(Rigby2001:125-137)も この事例の一つである。

ql本 論 で言及 してい る 「ポス ト紛 争社会」 とは、単に紛争が終決 された以後の社会 だけを意味 しな

い。す なわ ち、紛 争を経験 した集 団あるい は個 人の間 に発生 しうる、紛争 を念頭 においた、 あるいは紛争

に誘 発 され うるすべ ての状況が生 じる社会 を意味 する。 この ような社会 には、紛 争 とい う過去 に対 する集

団 間、当事者間の 「象徴 闘争」が展 開 された り、個 人の領域 では記憶 と忘却が交 差 しなが ら過去 に対する

自分 の経験 と知識が再構成 され た りす る。

京都社会学年報 第17号(2009)

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88 高:大 量虐殺の過去清算における 「合意」に関する研 究

この ような世界的状況を念頭 に置 き、本論は20世 紀冷戦初期の韓国に生 じた大量虐殺事

件である済州4・3事件 の を事例 として、この傷跡に韓国社会がいかに対処 しそれ を癒そ う

と試みているのか を批判的 ・実証的に考察することを目的としている。具体的には、済州

4・3事件に対する韓国政府 の過去清算機構 である 「済州4・3事件真相究明及び犠牲者名誉回

復委員会」(以 下、済州4・3委員会)が 事件 の犠牲者を選別す る、いわゆる 「犠牲者審議 ・

決定」 について論 じる。2000年 以降韓 国社会で、済州4・3委員会が推進 してきた過去清算ソ ジュンソク

は、「過去清算 の模範 的事例」(徐 仲 錫2007:15)と 評価 されている。1万5千 余名に

及ぶ犠牲者 と遺族に対する審議 ・決定、政府 レベル としては最初の過去清算報告書である

『済州4・3事件真相調査報告書』(以 下、済州4・3報告書)の 発刊、二度 にわた る大統領の謝ヤン ゾ フ ン

罪な ど、「大韓民国歴史上初めてであると同時に唯一の」(梁 酢勅2007:67)成 果であっ

た。 しか し、本論ではこれ らの委員会の活動に対する無批判な肯定論 とは距離 を保 ちつつ

考察す る。特 に、大量虐殺の加害経験 を持つ韓国政府の済州4・3事件 に対す る認識 を射程

に入れて、1)過 去精算の過程で合意 し公式化 された済州4・3委 員会の 「犠牲者審議 ・決

定基準」 を再考す る。そ して、2)こ の ような 「基準」によって事件の当時者たちをどの

ように選択 し、あるいは排除 して しまうのかに関 して検討する。3)さ らに過去清算:とい

う構造 とプロセスが被害当事者 たちの事件認識 とどの ように葛藤 または衝突 しているのか

に関 して も考察す る。

このために本論では、大量虐殺での被害者が、後の過去清算 における言説構造において

も依然 として被害者の位置 に置かれて しまうとい う状況を取 り上げ、そのなかで 自由な語

りも保障されない うえに自らを代弁 して もらうこともで きないグループ、いわゆるポス ト

紛争社会でのサバル タンとい うこともで きる被害当事者たちを主に扱お うと考 える。事件

が終結 した後 も、彼 らは、特に軍部独裁政権を経て沈黙を強いられて きた。 しか し、1990

年代の政権交替 と2000年 の過去清算関連法律が制定され、以前の時期 とは異なる 「過去に

対す る接近」が試み られた。これによ り当事者たちは、自由な発話への抑圧から少 しずつ

解放 され過去に対す る 「個人的記憶」 を以前 より自由に表出す ることがで きた。そ して国

家が 公式 に表 明 した 史実や言 説 と衝 突す る場 合 、そ れへの 「対抗記憶 」(Foucault

(ど,これ まで 「4・3」は、「抗 争」 「蜂起 」「暴動」「反乱」 「暴挙」「民衆受 難」 「良民虐殺」 「事態」 「事

件 」な ど、韓 国社会の政治 ・社会的状況 と認識主体の歴 史的観点 によって さまざまに表現 されて きた。 こ

の過程で、多様 な論理 を背景 としてそれぞれが正 しい呼 び方 、すなわち 「正名」であ ることを主張 した り、

闘争を通 じて葛藤 し対 立 した り、時には戦略的 に 「合意」 した りして きた。 したがって 「4・3」を修飾 して

きたそれ ぞれの表現 は、 「4・3」に対す る言説 を形成す る代 表的 な社会 的構 成物であ り、言説が反映 された

結果であ った。「4・3」に対する解釈 も、 もち ろんそ の言葉 を用い る人 々に よって意味 が異 なって きた。 そ

の意味で、 この ような名称 の問題は 「4・3」をめ ぐって繰 り広 げ られる象徴闘争の一部分で もあ る(高 誠 晩

2006)。 本論では、今 まで一番一般的に使われている 「済州4・3事件」 とい う用語 を使用す る。

Kyoto Journal of Sociology XVII / December 2009

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高:大 量虐殺 の過 去清 算における 「合意」 に関す る研 究 89

1977=2003)を 形成 した り、 さらに組織的に対応 した りして きた。 これとともに過去清算

の限界 と矛盾が現実化 され、 自分たちが また被害者 として位置づけ られて しまう状況 を感

知 しつつ、最近では意図的に語る人がいれば、語 らな くなる人 も増えている。 また過去清

算:の多様な局面 に応 じて言葉 を変えて しまう人 もいる。 自分たちを取 り囲んでいる政治 ・

社会的局面に敏感に応 じることで事件経験 と記憶に対する語 りの選択が頻繁に生 じている

のである。 このような個人の記憶は社 会的なこと(Halbwachs1925=1992)で あって、社

会的記憶 は政治的 ・文化的産物 として過去 に対す るイメージ(Fentress,J.&Wickham,C.

1992)を 意味す る。その観点で本論では、過去清算 をめ ぐる言説構造において個人的記憶

と社会的記憶の形成プロセスを概観 し、その中で行 われる相互 間の多様な葛藤あるいは折

衷の様相 も考察 しようと考える。この ように意図的に沈黙 して しまう人々あるいは戦略的

に言葉 を変 える人々の具体的な事例 として、本論では済州4・3事件 当時、1)米 軍政 と韓

国政府 に対抗 し武装抗争 に参与 したが、「アカ」 とみな されて討伐の主要ターゲ ットにな

った、いわば抗争 グループ13}、2)抗 争グループのゲリラ戦 または討伐隊による鎮圧過程

で身体的 ・精神的な負傷 を負 って 「後遺障害者」になった民 間人グループを取 り上げる。

これ らに対す るアプローチ には、長期間の参与観察が必要だった。また調査対象グルー

プの特殊性 によって文献(判 決文、申告書など)調 査 とア ンケー ト調査だけではなく、基

本的にはインタビュー調査 を本論の研究 において主要な方法論 として用いた。その ような

状況で、観察者 として彼 らを観察する と同時 に、時には同 じ立場 に立って過去清算の制度

とプロセスに異議 申し立てをすることもあった。特に後遺障害者 グループの場合、本格的

な参与観察は2003年10月 か ら行 って きたが、「犠牲者(後 遺障害者用)申 告書」の作成

(2004年)か ら済州4・3委員会の再審議 に対す る対応(2007年)と 行政訴訟(2007年12月 以

降)、 そ して場面に よっては記者会見 と声 明書発表にも参与す るな ど、研究者 としての観

察者的位置のみ を固守するには限界 もあった。その点で筆者に とって彼 らは、単純 に 「イ

ンフォーマ ン ト」や 「対象者」だけではな く、よ り積極 的な関係において調査への 「参与

者」 として位置することもあった。

全ての調査 内容 はフィール ドノー トと音声、写真で記録 した。本論で調査 に参与 した

人々の名前 はすべて仮名で表記する。

〔ω韓 国社会 では この 人 々を 「武装 隊」 や 「遊撃隊」 「自衛 隊」「人民軍」 「暴徒」 「共匪」 「山の人」

「ア カ」「怪漢」 など と呼 んで きた。済州4・3委員 会をは じめ一般的に は 「武装隊」 と称 されるが、本論では

分析の客観性 を確保するために 「抗争 グルー プ」 と して表記す る。

京都社会学年報 第17号(2009)

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90 高 大量虐殺の過去清算における 「合意」に関する研 究

2済 州4・3事 件 をめぐる言説の推移 と済州4・3委 員会

2-1済 州4・3事 件 と事件 を巡る言説の推移

済州4・3事件は、米軍政期 〔4〕に生起 し韓 国政府の樹立後にも約7年 間続いた、韓国現代

史において朝鮮戦争 に次 ぐ人命被害が大量 に発生 した事件である。

1945年 の植民地解放以降、南朝鮮に対する米軍政の政策上の混乱が続 くなか、左右政治

勢力間の衝突 と貧困、疾病などの多様な社会問題で済州島内の民心は不安定 とな り、1947

年3月1日 に行 われた 「3・1節記念大会」で米軍政 と警察の発砲 によって住民6名 が死ぬ

事件が発生 した。 これに対 して島民たちは米軍政 と警察側の謝罪 を要求 しなが ら総ス トラ

イキ を展開 したが、 ここには公務員や警察 も参加するなど民 ・官 の区別がなかった。こう

した状況 を米軍政は住民騒擾 と把握 し、陸地(5)か ら警察 と右翼団体である 「西北青年会」

を島へ派遣 し、民間人たちを相手にしてテ ロと不法監禁、拷 問を行 った。 このような状況

で結局、南労党済州島党(ω は、米軍政 と警察、西北青年会の強圧に対 して 「弾圧な らば

抗争だ」 という掛 け声を掛け抵抗する とともに、1948年4月3日 には南朝鮮 のみの単独政

府樹立を食い止めるために武装蜂起を決行 した。その後5・10総 選挙(制 憲国会委員選挙)

を無効化 させ、全国で唯一、済州島内の2ヶ 所 の選挙区の投票が無効処理になった。

それにもかかわ らず1948年8月15日 、朝鮮半島内で南側のみの政府が樹立 し、政府は済

州島の事態を本格的に鎮圧するため軍兵力 を増や し強力 な鎮圧政策を展開した。そ して同

年11月17日 済州島全域 に戒厳令(71を 宣布 し、抗争 グループに協力 した とい う理 由、ある

{4)韓国の米軍 政期 は、1945年8月15日 の植民地解放 直後か ら1948年8月15日 の大韓民国政府 の樹 立

まで と区分 されるが、「解放政局」 とも呼ばれる。19本 論で 「陸地」は 「朝鮮半島」 を意味する。〔6)1946年11月南朝鮮の左派政党で ある 「朝鮮共産裳↓

。と 「朝鮮 人民 党」 「南 朝鮮新民党」 が 「南朝鮮

労 働党」 に統合 され ると ともに、済州 島の 「朝鮮共産党全 南道党済州 島委員会」 も 「南 朝鮮労働党 済州島

委員会」、す なわ ち 「南労 党済 州島党」 に改編 され た。韓 国社 会の右翼 集団は、1948年4月3日 の武装蜂起

に対 して事件当時か ら 「南労 堂中央党」の指令 を受けて成 り立ったこ とだ と主張 したが、2003年 済 州4・3委

員会は 「南労堂 中央党 は済州 島の武装闘争に直接的 に介入 しなか った……済州4・3事件 は、済州 島の特 殊な

与件 と3・1節発砲事件以 降に行 われた警察お よび西北青年 会 と済州道民 との葛藤、そ れによって もた らされ

た緊張状 況 を南労 堂済州 島党が5・10単独選挙 を反対す るための 闘争 と組み 合わせ て起 こ した独 自の事件 」

(済州4・3委員会2003:243)と 規定 してい る。〔71当時、宣布 された戒厳令の適法性 に関 して1997年 済州道 の日刊新 聞である 「湾 異月報」は、「済州

4・3事件当時の済州 島民 に対す る大量虐殺の法的根拠 と して知 られた戒厳令は、当時李承晩 大統 領に よって

不法的 に宣布 された ことが 明か された」 と報 道 した。 これに対 して李承 晩前大統領 の養子が訂正報 道及び

3億 ウ ォンの損害賠償請求訴 訟を申 し立てた。2001年 最高裁判所 は、「武装隊 と関係 ない多 くの住 民たちが

裁 判手続 きもな しに殺傷 されるな ど被害 を被 った ことは事 実」 としたが 、戒厳令の不法性 に対 しては明確

な判決 を留保 した。(済 州4・3委員会2003=282-283)

Kyoto Journal of Sociology XVII / December 2009

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高:大 量虐殺の過去清算 にお ける 「合 意」 に関す る研究 91

いは民間人の中で抗争グループを索出す るという理 由で多 くの民間人たちを殺 した。集中

的な鎮圧政策によって、1949年5月10日 再選挙が成功裏に行われ、同年6月 頃抗争グルー

プは事実上壊滅させ られた。そ して1950年 、朝鮮戦争が勃発す るや否や予備検束者(特 に、

「アカ」の疑 いを受けた罪がない民間人たち)及 び陸地部の刑務所 の服役者 などが再び思ハル ラ サン

想検証 によって犠牲者 となった。結局1954年9月21日 になって漢撃山(1950m)の 禁足地オ

域{8)が 全面開放 され、57年4月 漢摯山で活動 した 「最後の武装隊」である 呉 ○○が生け

捕 りにされ事件は公式的に終決を迎える。

この ように世界 的な冷戦状況 と朝鮮半島の分 断体制の固定化の過程で、1947年 の3・1節

発砲事件 と1948年 の武装蜂起 によって起 きた済州4・3事件は、抗争グループと討伐隊 との

武力衝突のみならず、討伐隊、すなわち 「国家公権力」に よる鎮圧で民間人3万 余名、言

い換えれば当時の済州島全体 人口の10%に あたる犠牲者を出 し島の伝統的な共同体(社 会

関係)を 引き裂 き、7年7カ 月で幕を閉 じることになった。 この期間の間、韓国政府の鎮

圧政策 は多様な様相で展開されたが、特に 「ア カを探 し出す」 とい う名 目で自分たちに友

好的な民間人たちを選別 し、彼 らに軍人や警察 に準 じる討伐権限を与 えてしまったことは、

共同体の崩壊をよ り深刻化 させる原因になった。「民保団」や 「自警 団」「郷保 団」 と呼ば

れ る民間人身分の討伐 グループが代表的な事例であった。これによって事件以降60年 が過

ぎた今 日まで も、村 間、あるいは村内で加害 と被害の経験が混在 している住民 の間に違和

感が存在 していることは、大量の人名被害 とともに事件の代表的な後遺症の一つである。

その後この事件に対す る韓国社会内の支配的言説は、時代によって大きく変化 してきた。ま

た、「加害者と被害者」や 「左翼と右翼」「陸地の人 と島の人」「討伐隊と抗争グループ、そして

民間人」「同じ民間人の中でも、討伐に参加 し殺 した側 と討伐の対象になって被害を受けた側」

「中山間村の人と海辺村の人」など多様な経験者カテゴリーがみられるように、事件に対する多

様な認識 と解釈が共存するようになった。そのような状況での記憶の語 られ方は、大量虐殺の

直接的な原因になった1948年4月3日 の蜂起をどのように 「解釈」するのかによって対立する

二つの立場に分岐した。それはおおむね蜂起 を共産主義者に煽動 された暴挙 とみる 「暴動論」

と米軍政 ・韓国政府の暴力的圧政 と抑圧への民衆の異議申立てとみる 「抗争論」 とである。そ

して事件当事から以降の軍部政権時期に圧倒的に支配的であった 「暴動論」は、1980年 代後半

か ら加速化した韓国社会の民主化 とともに 「抗争論」による批判をうけ、「抗争論」が有力な対

抗言説 として認知されるようになったが、それにもかかわらず事件勃発以降から現在まで済州

4・3事件に対する韓国社会内の言説は依然 として 「暴動論」が支配的であるということができる。

181討伐隊の鎮圧作戦 が本格化 され るに連れて、漢撃 山を根拠 地 として ゲ リラ活 動を展開 して きた抗

争 グループを孤 立 させ るために討伐隊が民間人たち を対象 として設定 した出入禁止地域 を意味す る。

京都社 会学年報 第17号(2009)

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92 高:大 量虐 殺の過去清算 における 「合意」に関する研 究

これとともに、軍部独裁政権期には公に語ることさえタブーとなり、「地下に潜った」事件の記

憶は、社会の民主化とともに徐々に自由に語ることができる雰囲気が形成された。キムデジュン

1998年 の金大 中政権期 になると済州4・3事件の真相 を究明 し、犠牲者の名誉 を回復する

ための 「済州4・3事件真相糾明及び犠牲者名誉回復 に関す る特別法」(以 下、済州4・3特 別

法)(9>が 国会で制定 され、政府内に済州4・3委 員会(委 員長=国 務総理)が 設立 される。

このような状況変化 とともに済州4・3事件の言説様相 も既存の葛藤言説 としての 「暴動論」ノムヒョン

と 「抗争論」の折衷言説 として 「民間人虐殺論」〔10)が、続 く盧武鉱政権ではこの折衷言説

の発展 した形態 として 「和解 と共生」 を強調す る言説が強化 され今 日に至 っている。それ

により1948年4月3日 の蜂起に対する認識の差か ら始 まった 「暴動なのか抗争 なのか」 と

い う論争は、国家権力 によって罪あない民 間人が大量 に殺 されたという問題、すなわち人

権躁躍 に焦点 を合 わせ る受難的問題へ と論議の 中心が移 りつつ、2000年 に入 ってか らは

「民 間人虐殺論」 と過去清算への志 向として 「和解 と共生論」が主流言説 として位置す る

ようになったのである。 これ とともに 「暴動論」 と 「抗争論」 も変化 した言説状況内で、

以前の時期 とは異 なる葛藤の様相を示 している。

2-2済 州4・3委 員会の構造 と機能

今 日の言説状 況の形成 と拡張を担った、いわゆる言説主体 の中心 には済州4・3委員会が

ある。済州4・3特別法が制定 されて以降、国家 を主体 とす る過去清算で、大部分の論議 と

意思決定がこの委員会 を中心 に行 われているか らだ。済州4・3委員会は、図1(IPの ように

中央政府領域の4・3中央委q2)と 地方政府領域の 「済州4・3事件真相糾明及び犠牲者名誉 回

復実務委員会」(以 下、4・3実務委)と に大 きく分かれる。4・3中央委の傘下には、「済州4・

19[済州4・3特別法第1条 で はこの法の 目的 を明 らか に しているが 、「済州4・3事件 の真相 を糾 明 してこ

の事件 と係 わる犠牲者 と遺 族た ちの名誉 を回復 させ るこ とで人権伸張 と民主発展、 国民和 合に貢献す るこ

と」に銘記 して いる。 また、第2条 では 「犠牲者」 を 「済州4・3事件 に よって死亡 もし くは行方不 明になっ

た者、後遺障害が残 っている者 または受刑者で、済州4・3委員会の審議 ・議決 によって犠牲者 と して決 定 し

た者を言 う」 と定義 してい る。

qω1948年4月3日 の蜂起の原 因や展 開 よ り、 それ によって生起 した民 間人たちの死 に焦点が 当て ら

れた済州4・3言説の一つで ある。 この ような言説は、1990年 代 中盤か ら民間人たちの罪の ない死 に対す る認

識 を部分的 に共 有す る 「暴動論 」 と 「抗争論」 の一部 によって合意 を通 じて言説化 され た。 これ によって

「抗 争なのか、暴動 なのか」 と代 表 されて きた イデ オロギ ー的対立 と論争 を止揚 する ことに なった。1994年

に行われ た、事 件に対す る認 識 を異 にす る 「暴動論」側 の遺族 会 と 「抗争論 」側の市民 団体 との間の 「合

同慰霊祭」 は、この ような言説 を形成 した代 表的 な要因で あ り、言説が 反映 された結果 であった。それ は

「良民虐殺論」 とも呼ばれる。`m済 州4・3委員会の組織 図(http:〃wwwjeju43 .go.kr)か ら抜粋 した資料 を本論の論議 に合 わせ て再

構 成 した。q2}詳細 な分析 のために本論では、済州4・3委員会 と中央政府領域の4・3中央委 を区分 している。4・3中

Kyoto Journal of Sociology XVII / December 2009

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Il,」 大Ill:虐殺 の 過 去llll算に お け る 合意 に関す る研究 ').3

3事 件 処 理 課 」Illと 「済 州4・3`1≦件 報Ilr、ll:作成 企lllli団」 が あ る.,諮 問 委 員 会 に は 「.4・3犠牲

者審 査小 委 員 会 」 と1済 州4・3犠 牲 者 レミ療 及 び 生 活 支援 分 科 諮 問 委 員 会 」(以 ド、4・3医 療

委)が 構 成 さ れ て い るが 、 こ れ は 別 途 に1占〔門 家 に よ っ て 構 成 さ れ た 諮 問 委 員 会 が 小3委 員

会 で 受 付 さ れ た[犠 牲 者 中II諸:」 を 委 員 会 の 「犠 牲 音 審 議 ・決 定 」 に 先 、ンン)て 検 討 す る た

め で あ る 。 こ の 中 で も4・3医 療 委 は 小3犠 牲 者 のIllで 「後 遺 障 害 者」 とIllし 、ン=てら れ た'1刊r

者 た ち を 対'象 と して い る 諮 問 機 構 で あ る.、 ま た 、 済 州 道 知 事 を 委 員 長 とす る4・3実 務 委 は

済 州 道 庁 内 の 部 署 と して ・.1・3事業所 を 置 い て い る.,11

図1.済 州4・3委 員 会 の 構 造

図1に 見 ら れ る よ う に 、・1・3中央 委 と4・3実 務 委 との 関 係 は 指 示 ・委 任 と処 理 ・報 告 と 規

定 され る.1・3実 務 委 と そ れ ぞ れ の 諮 川 委 員 会 で 検 討'され た 内 容 が 最 高 議 決 機 構 で あ る4・3

中 央 委 に 報 告 され て 、 国 務 総 理 を 委 員 長 とす る 全 体 会 議 で 全 て の 意 思 決 定 が 行 わ れ 、 済 州

・レ3委 員 会 、 す な わ ち 韓 国 政 府 次 ノ亡で そ の 結 果 が 公 表 され る よ う に な る の で あ る,

済 州 小3特 別 法(ノ)第3条 に は 済 州4・3委 員 会 が 、1)済 州 小3嘱 件 に 対 す る 真 相 調 査 の た め

のIIこ1内外 の 関 連 資 料 の 収 集 及 び 分 析 に 関 す る`掬 頁2)犠 牲 者及 び 遺 族 に 対 す る審 議 ・決 定

に 関す る 圏1顧3)犠 牲 者及 び1遺族 の 名誉ll!i復に 関 す る 「拝項 な ど を審 議 し議 決 す る こ とが で

央 委は ・般的にり1川される名称で もある

この紐織 は、行政 白安 くこ部内σ♪機構 と して 、元々の 名称 は 「済州.1・3'塀'[=、ヒ援 団」であ'・たが、最

近の政権交代以降、名称が変わ・・て権限 と機能 も大1隔に綿 ま・・た[1.4・3実務委も済州.;・3特別1去の1'.には明示 されていないが、諮問 委員会を置いている[.済 州.1・3平

和公園助 成諮問 委員会1と 「済州4・3犠埼'tl~?遺骸発掘推進 委員会.1な どがそれだ

京都社会学年報 第17号(2009)

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94 高:大 量虐殺の過去清算 にお ける 「合意」 に関す る研究

きるように規定しているが 〔且5}、その中でも最 も重要なのが犠牲者 と遺族を審議 し決定するこ

とである。「誰が犠牲者で、誰が彼 らの遺族 なのか」 を明確 にしなければ、名誉回復の対象

や糾明 しなければならない 「真相」の内容 と範囲を具体化することがで きないか らだ。

一方、各委員会に参加 している個 々の委員たちの事件 に対す る認識は、全般的 に 「済州

4・3事件 は国家権力の濫用 による民 聞人虐殺」 という見方を持 ってい るに もかかわ らず、

政府の鎮圧政策 とその過程で行 われた大量虐殺の原因 となった1948年4月3日 の蜂起 に対

しては大 きく暴動論的な見方 と抗争論的な見方 に分かれている。すなわち事件終結後か ら

特 別法が制定されるまでの50年 あ まりの間の 「暴動 なのか抗争 なのか」 とい う事件認識の

差が委員会 という公的領域の新 しい枠組みの中で も再び現れることで、認識の違いによる

葛藤を済州4・3委員会が審議 し議決 しようとす るすべての案件 ごとに再演せ ざるをえなか

った。その上済州4・3特別法は過去清算の法的根拠であるだけに(李 ギ ョンジュ2002)、 大

部分の意思決定が委員会に任された状況で、個 々の案件ごとに 「合意」に基づ く意思決定

をとらざるをえない状況になって しまった。

3犠 牲者選別 における 「合意」

大量虐殺の過去清算における事件認識 に対する葛藤 とそこに起因する 「合意」が済州4・3

委員会を中心 として新 しく展開される状況で、最 も尖鋭化 した対立は、「誰を犠牲者 として

見るか」 とい う犠牲者選別における基準 をめ ぐって展開された。 これに関 して、済州4・3委

員会内部の政府側 と民間側委員、また民間側内部における 「暴動論」 と 「抗争論」の代弁者、

そ して済州4・3委員会外部の 「暴動論」 と 「抗争論」の支持者が激 しく対立 しなが ら衝突 と

交渉、妥協を繰 り返 した。同じ時期に、済州警察庁の 『済州警察史』における歪曲記述をめ

ぐる論争(2000年)と 「済州4・3特別法は違憲」 という右翼集団の憲法訴願請求に対する憲

法裁判所の却下(2000年)q6〕 、「『済州4・3報告書』 とこれに基づ いた盧武鉱大統領の謝罪は

違憲」 という右翼集団の憲法訴願請求u7)に 対する却下(2004年)q8)、 国防部の 『6.25戦争史』

q51これ以外 にも済州4・3委員会 は、 「『済州4・3報告書』作成 及び史料館助 成に関する事項」「慰霊墓域

造成及び慰霊塔建立に関する事項」 「済州4・3事件 に関す る政府の立場表 明などに関する建議事項」 「この法で

決めている家族関係登 録部の作成 に関する事 項」 「集団虐殺地、暗埋葬 に対す る調査及び遺骨 の発掘 ・収集 な

どに関する事項」 「犠牲者 の医療支援金 及び生活支援金 の支給決定 に関す る事項」「その他真相究明 と名誉回

復 のために大統領令が 決める事項」 などに関す る審議 ・決定権限 を持 ってい る。一方4・3実務委は、「犠牲者

と遺族の被 害申告受付 に関す る事項」 「被害 申告 に対す る調査 に関す る事項」「医療支援金及び生活支援 金の

執行 に関す る事項」「その他4・3中央委で委任受 けた事項」 を処理す ることがで きる権限 を持っている。q6}2000憲 マ238、2000憲 マ302

u7}憲法 訴願は、 呉○○(建 国遺族 会済州 遺族会長)と 柳 ○○(自 由市民連帯共 同議長)、李 ○○(牧

Kyoto Journal of Sociology XVII / December 2009

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高 大量虐殺の過去清算における 「合意」に関する研究 95

での歪曲記述をめ ぐる論争 と合意(2004年)な ど過去清算下で も事件をめ ぐる認識の差 とそ

れによる攻防は済州4・3委員会の外部でも絶えなかった。qgl

その ような状況で、犠牲者選別 を巡 る問題は、次のように2001年9月 に憲法裁判所が発

表 した 「済州4・3特別法の議決行為な ど取 り消 し」 という題 目の判決文 によって決定的な

影響を受 ける ようになった。 これは、2000年 に済州4・3特別法が制定 され るや いなや右翼

集団が 申し立てた憲法訴願請求の結果であったが、判決文の要旨は次の ようだ。

委員会が将来行う 「犠牲者」の可否についての決定においては……首魁級共産武装兵力指揮官

または中間幹部として軍 ・警の鎭圧に主導的 ・積極的に対抗 した者、冒険的挑発を直 ・間接的に

指導または使吸することによって本格的な済州4・3事件勃発の責任がある南労堂済州島党の核心

幹部、その他主導的 ・積極的に殺人 ・放火などに加わって自由民主的基本秩序の本質を殿損 した

者たちを犠牲者と認めてはならないだろう。⑳

憲法訴願を申し立てた請求人の主要構成員は、事件当時に軍人と警察、右翼団体員の身

分で鎮圧作戦に参与した入々と抗争グループに殺された犠牲者の遺族たちであった。具体ム ン イ

的には、事件当時西北青年会中央本部団長出身の文○○を含め李○○(当 時、全国学生連チェ キム

盟委員長)、 察○○(当 時、国防警備隊9連 隊所属)、 金○○(当 時、国内警備部情報局所パク ベ く

属)、 林○○(当 時、国防警備隊第9連 隊所属)、 白○○(当 時、国防警備隊第9連 隊所属)パクジンギ ョン ジョン

な ど軍 人出身、林○○(当 時、 国防警備隊 第9連 隊長であ る朴 珍景 の遺族)と 鄭 ○○

師、現代 史フ ォー ラム代表〉、サ○○(安 保 と経済 を生か す運動本部代 表)、 鄭○○(大 韓民 国守護連合代

表)が 共 同代表 となってい る 「済州4・3事件 歪曲 を直す ための対 策委員会」 が 申 し立てたが 、この団体 は

2008年1月24日 大統領職 引受委員 会に 「『済 州4・3事件報告書』 は偽 って作 成 され たので直 ちに廃 棄」 と、

「済州市奉蓋 洞の12万 坪 に造成 している暴徒 公園 も偽造 報告書 による もの なので工事 を直 ちに中断」 して

「r済州4・3事件報告書』 を作成 した専 門委員な ど16人 を直 ちに辞任 させ よ」 とい う内容の陳情書 を送 った り

した。q8[2004憲 マ577(済 州4・3事件 関連声明な ど取 り消 し)。q9'2004年 以降現 在 まで も右翼集 団に よる民事訴 訟と行政訴訟、憲法訴願 は続 いている。彼 らはすべ

て済州4・3委員会 を被請求 人に しているが、 まず民事訴訟で は李○○ な ど50名 に よる 「「済州4・3報告書』 配

布 禁止仮処分」(2009カ バ ップ1719)と 李○○ な ど50名 による 「損害賠償 請求 な ど」(2009ガ ダン171562)

が進行 中であ る。 行政 訴訟で は、李○○ など12名 に よる 「済州4・3犠牲 者決定 無効確認」(2009グ ハ ップ

8922)と 李○○な ど200名 による 「犠牲 者決定無効確 認の訴」(2009グ ハ ップ14668)が 係争中であ る。憲法

訴願 では、「国家正体性 回復国民協 議会」に属す る115個 の団体 の146名 が2009年3月6日 「済州4・3特別法

は違 憲であ りこの法に よって権利が侵 害」 された と並べ、 「受刑者 または武装遊撃隊の加担者が含 まれてい

る済州4・3委員 会の犠 牲者決 定を取 り消 しなさい」 とい う内容 の憲法訴願(2009憲 マ146)を 憲法裁判所 に

受 け付け させた。 同年3月9日 には李○○(李 承 晩大統領の養 子)、 察○○(済 州4・3事件 当時、9連 隊 ・

ll連 隊の小隊長)、 李○○(牧 師)な ど12名 の請求 人が 「済州4・3委員会が 認定 した犠牲者13,564名 中1,540

名が南労党幹部 または暴徒、軍法会議の判決受刑者で あるの で違憲」とい う内容の憲法訴願(2009憲 マ147)

を憲法裁判所 に提 出 した。憲法訴願の内容 には、犠牲者1,540名(受 刑者1,503名 と個別指摘者37名)の 名簿

も添付 されてい る。⑳ 憲法裁判所(20021402-404)

京都社会学年報 第17号(2009)

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96 高:大 量虐殺の過去清算 におけ る 「合意」 に関す る研究

(当時、抗争 グループに よる被害者)な どの遺族 たち も含 まれていた。彼 らは済州4・3事

件 に対 してずっと 「暴動論」的認識 を堅持 して きたが、済州4・3特 別法が制定 され政府 に

よる過去清算が本格化す ることによ り 「済州4・3事 件は、 自由民主主義国家である大韓民

国の建設の始発点であった1948年5月10日 の制憲国会委員選挙 を妨害す るための北朝鮮共

産党及び南労党の戦略戦術による済州島一円の共産武装反乱であ り……この事件に関す る

法律条項が共産武装遊撃隊 を警察や軍人、良民 と区別せずに、等 しく慰霊す るように規定

するこ とで この法 で規定 された 自由民主的基本秩序及び平等権 などを侵害 した……済州イチョルスン

4・3特 別法 によって私たちの名誉が殿損 された」(李 哲承他14人2000)と い う要 旨で憲

法訴願を申 し立てたのであ る。

この ような憲法裁判所の判決は、済州4・3委 員会が犠牲者 を選別する基準を用意す る時

点で決定的な外圧 として働 くようになった。憲法裁判所の見解 を重視 しなければ、請求人

である右翼側が済州4・3特別法 自体 に対する違憲訴訟の ような多様 な方法で委員会の活動

を妨げる可能性が高かったか らだった(徐 仲錫2007:21)。 結局済州4・3委員会は、憲法裁 ・

判所の法解釈 を受 け2002年3月 の第4回 全体会議で 「済州4・3犠牲者審議 ・決定基準」 を

合意するに至 る。この 「基準」の中には別途の 「犠牲者か らの除外対象」を言及 している

が、その内容は次のとお りであ る。

憲法の基本理念である自由民主的基本秩序及び大韓民国のアイデンティティを殿損 しないかぎ

り、済州4・3特別法の趣旨をいかして犠牲者の範囲を最大限幅広 く認めるという原則……1)済 州

4・3事 件勃発に直接的な責任がある南労党済州島党の核心幹部2)軍 ・警の鎮圧に主導的 ・積

極的に対抗した武装隊の首魁級などは自由民主的基本秩序に反する者として、現在我々の憲法体

制下では保護することができないので犠牲者の対象から除外するように……。〔2D

結局韓国の憲法体制下で、大量虐殺 を直接的に行った討伐隊 と 「武装隊」 による被害者

の遺族 の名誉殿損 を保護す るための法律 的解釈が、済州4・3委 員会が犠牲者 を選別す る

「基準」 を合意することにおいて外圧 として作用 したのである。これは、「暴動論」側が提

示 した憲法訴願を一部収容 しつつ、委員会の活動 も保障 を受けるための、済州4・3委員会

の委員問の合意の産物 であった。そ して、済州4・3事件 に対する韓国政府の過去清算 はこ

れをベース としてス ター トし、現在まで続 いている。その結果済州4・3委員会は、2002年

11月 から現在まで申し立て られた1万5100名 のうち、次の表1(済 州4・3委員会2008:178)

のように1万3564名 を 「犠牲者」 として 「認定」 し、31名 を 「不認定」 としている。

(2`,済州4・3委 員 会(2008:149-150)

Kyoto Journal of Sociology XVII / December 2009

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高:大 量虐殺の過去清算 にお ける 「合意」 に関す る研究 97

表1.済 州4・3委 員会の4・3犠 牲者審議 ・決定現況(単 位=名)

申告結果

審議 ・決定

結果

重複または撤回

認定

不認定

未審査

済 州4・3犠 牲 者

合計

15,100

778

13,564

31

727

死亡者

10,729

573

9,989

1

166

行方不明者

3,920

202

3,429

1

288

後遺障害者207

3

146

29

29

受刑者

244

244

ここで表1の 「重複 または撤 回」 となった778名 を注意深 く見なければならない。 ここ

には、1名 の犠牲者 を複数の遺族たちが申 し立てた結果、重複 になった数を単一化す るた

め委員会が遺族たちに申 し立てを撤 回するようにしたケースが大部分であるが、その中に

は委員会が 「合意」 した 「犠牲者審議 ・決定基準」で 「犠牲者か らの除外対象」 に該当す

る人々も含 まれているか らだ。実際、委員会が 「犠牲者申告書」 を提出 した遺族 を直接訪

ねて申告を撤回するように説得 ・懐 柔 して、遺族 によ り 「犠牲者 申告撤回書」を出させた

ケースがそれだ。この過程で委員会の申告撤回要求 を最後まで拒否 したある遺族は、結局、

委員会の犠牲者審議で 「不認定」 とされ、再び委員会 に再審議を要請 したが、また 「不認

定」 とされて しまった。表1の ように 「行方不明者」審議 で 「不認定」 となった1名 がそ

の ケースである。彼 らが申 し立 てた人々はすべて済州4・3委 員会が合意 した 「犠牲 者審

議 ・決定基準」の 「犠牲者 からの除外対象」 に当たるケースとして、済州4・3委 員会がい

う 「自由民主的基本秩序及び大韓民 国のアイデ ンテ ィテ ィを殿損」 し 「主導的 ・積極的に

対抗 した武装隊の首魁級」であった人々であった。具体的には1948年4月3日 の蜂起 を主イ キム

導 し、政府に対 して抗争 した南労堂済州島党の組織部長 ・李○○、宣伝部長 ・金○○、総

務部長 ・金○○、農民部長 ・金○○ な どの遺族たちの 申し立てがすべて委員会 によって

「撤 回」されたのである。(22)

筆者は委員会 によって自分の申告が 「撤 回」 あるいは 「不認定」にされた遺族12名 にイ

ンタビューを試みた。聞 き取 りの中で、彼 らはおよそ次の ように語っている。

60年 前 に死 ん だ人 …… 国 を相 手 に(対 抗)し た こ とな ので法 〔23,が勝 手 に しろ。 … …あ の時 息子

は三歳 に もな らない 時で あ ったか ら息 子 に は どん な過 ち もない。1筆 者に 向け て]息子 に は(調 査 に)

行 か ないで くだ さい。榊

㈱ 抗争 グルー プの首脳 部の中で南労 党済州島党の核心幹 部であ った李○○ の場 合は、 日本 に逃避 し

た遺族が生存 しているが 、彼 らは犠牲 者申告を しなかった。⑳ 「国」 を意味す る。

リ ム

⑳2008年1月23日 自宅(済 州道西蹄浦市)で 、林○○ さん インタビュー。

京都社会学年報 第17号(2009)

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98 高;大 量虐殺 の過去清 算における 「合意」 に関す る研 究

「申告 書 を撤 回 しな けれ ば な らな い」 とい う電話 が あ っ たか ら、 「撤 回 して も良 くて しな くて も

良い こ とだ」 と言 った。 そ して、 撤 回 され て いた … …私 は も しか した ら加 害 者 の 息子 で あ り被 害

者 の息 子 で ある か も知 れ な い。 ……[筆 者 に向 けて]私 の お父 さんに対 して関心 を持 って くれ る こ と

は有 り難 い こ とだが 、今 後 は これ 以 上言 い た くな い。 … …私 は4・3の 話 ば か りす れ ば この 身 に戦

傑 が走 る。 まだぞ っ とす る。鴨

名前 を葬 り去 る と言 われ てあ ま りにさ び しか った。(そ の後 済州4・3平 和 公 園 に)行 って 見た ら

本 当 に位 牌 が な か った よ。 尋 ねて 話 で も して見 た いが 、 わ れ らは 力 も な くて… … 自分 だ け生 き残

ろ う と(抗 争 を)し た ので は ない の に、 すべ て国 の ため に したは ず だが … …あ ま り悔 し くて、 そ

の話 を終 え るこ とが で きない。〔26,

うちの 父 は北 朝 鮮 と関 係 あ る人で は ない です 。 と ころが 人 々は皆 「ア カ」 とい う扱 い を し ます。

… … 私 た ちは60年 以 上生 きた か ら どん な 目に あっ て も良 いが 、 うちの 子 た ちに は被 害 が ない よ う

に して くだ さい 。⑳

お父さんの犠牲者審議問題と係わって4・3委員会を相手に何年も行政訴訟をして来たが、最近

最高裁判所から敗訴判決を受けた。結局私たちが負けた。今は何も言いたくない。⑳

人権伸張 と国民統合 ㈱)、真正な和解そ して共存(30)が強調される過去清算の局面で、済

州4・3委 員会が展 開す る犠牲者選別、そ して国家 アイデ ンテ ィティと憲法の基本秩序 に違

反するものとされ 「不認定」 とされて しまう抗争 グループ と彼 らの遺族たちはどの ような

意味を持 っているか。第一に、済州4・3委員会は犠牲者か ら除かれ る当事者たちを加 害者

カテ ゴリー にも入れない。すなわち、「加害者だか ら犠牲者か ら除 く」 と言わないのであ

る。そ こで 「犠牲者」範疇 か ら除外 されて しまう人々は、委員会か ら 「撤回」 あるいは

「不認定」 とされるだけで、被害者で も加害者で もない微妙な ところに位置 してしまうこ

とになる。そこには、済州4・3委員会が犠牲者選別 と同 じような加 害者選別を しない とい

う理 由がある。(3Dし たがって、「加害者が誰なのか」を審議す るための基準 もない。委

員会はひたす ら 「この人を犠牲者 と認めるのか、認めらないのか」について審議 して決定

鮒2008年2月5日 と7月23日 自宅(済 州 道 済 州 市)で 、 金 ○ ○ さん イ ン タ ビ ュー 。〔3612008年2月4日 電 話 で

、 金 ○ ○ さん イ ン タ ビュ ー 。127)2008年4月19日 大 阪 国 際 交 流 セ ン ター で

、 金。Gさん イ ン タ ビ ュー 。【28,証言 者 で あ る 金○ ○ さん との 面 談 を何 回 か 試 み た が 拒 否 さ れ た

。 結 局2009年9月21日 に電 話 で イ

ン タ ビ ュ ーが 行 わ れ た。

㈱)済 州4・3特 別 法 第2条 か ら抜 粋

〔30>「済 州4・3事 件 に対 す る大 統 領 の発 表文 」 か ら抜 粋(済 州4・3委 員 会2008:534)

(311これ は 、 南 ア フ リ カ の 「真 実 と和 解 委 員 会」 の 恩 赦 にお い て 犯 罪 を犯 した 人 が 、 あ くまで 個 人 レ

Kyoto Journal of Sociology XVII / December 2009

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高:大 量虐殺の過去清算 にお ける 「合意」 に関す る研究 99

するだけで、蜂起を鎮圧 し抗争 グループを無力化 させるために罪のない民間人犠牲者 をも

た らした大量虐殺の背後に誰がいたかについてや、虐殺指揮 の命令系統を明 らかにす る加

害者領域 に対す るアプローチは犠牲者 を一人ずつ選別する作業ほど集中的に行われたわけ

ではない。〔32}

実際、済州4・3委員会の 「加害者」領域に対する真相糾明は大 きく二つに分け られるが、

一つは 『済州4・3報告書』上の 「集団的人命被害に対する指揮体系 を見 る時、中山間村 に

対する焦土化 などの強硬作戦 を展 開 した9連 隊長 と2連 隊長に1次 的な責任 を問 うしかな

い…… しか しなが ら最終的な責任 は李承晩大統領に帰するしか ない……米軍政 と在韓米軍

事顧 問団 も責任か ら自由ではない」(済 州4・3委員会2003:538-539)と いう記述 と、犠

牲者審議を受けるために当事者あるいは遺族が提出 した 「犠牲者(遺 族)申 告書」上の文

脈 を通 じて集計 した 「加害者 は軍 ・警 などの討伐隊が86.1%、 武装隊が13.9%で ある」 とい

う統計(済 州4・3委員会2003:373)が それだ。一方、表2で 示 したように、委員会の犠

牲者審議で 「犠牲者」 となった人の うち、事件当時 に軍人や警察 として討伐作戦に参加 し

た人々は113名 と集計 された ⑳。 また西北青年会や大同青年団、大韓青年 団、民保団など

民 間人身分の討伐 グループで軍 ・警 と一緒に討伐作戦に参与 して大量虐殺に加担 し、その

後国家あるいは地方の有功者になった人々の うち、委員会の審議を経て 「犠牲者」 とされ

た者 も734名 に至る(済 州4・3委員会2003:537)。 彼 らはすべ て委員会の 「犠牲者審議 ・

決定基準」の 「犠牲者か らの除外対象」に反 しない、いわば 「大韓民国の憲法体制下で保

護することができる」 グループであるか らだ。過去清算下で このように 「殺 した者」 と彼

らによって 「殺 された者」は大部分、 「犠牲者」の領域 として選別されている一方で、委

員会の 「犠牲者審議 ・決定基準」 で除外 される人々は犠牲者 とも加害者 ともされない、

「撤回」 あるいは 「不認定」の対象になって しまった。す なわち、大量虐殺に対する過去

清算において加害者の存在は曖昧化 され、犠牲者 と、その犠牲者か ら除外されるべ き人々

のみが存在するようになったのである。

ベルで公聴 会に出頭 し、証言 しなければな らない方式(Boraine2001=2008:175)と 大 さ参、導いがある。

132;韓国の過去清算 におけ る、加害 者に対する選別 は済州4・3委員会のみ な らず、「老斤里事件犠牲 者ゴチヤン

審査及び名誉回復委員会」 と 「居 昌 事件な ど関連者名誉 回復審議 委員会 「5・18民主化運動 関連者補償 支援

委員会」 「民 主化 運動関連者 に対す る名誉 回復及び補償 審議委員会」 「真 実 ・和解 をための過去史整理委 員

会」な どで もしない。1詔}済州4・3委員会の行政文書で ある 「済州4・3事件犠牲者 及び遺族審議 ・決定現 況(2007年3月14日

現在)」 か ら抜粋。

京都社会学年報 第17号(2009)

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iiia51

1L・1 左硅虐 殺の過 去言占算にお ける 合意: に関 す る研'先

写真1.済 州4・3平 和公園の中にある位牌奉安所の内部。ここには4・3犠 牲者 と認定 とさ

れた約1万3千 名の位牌が設置 されている(左)。 真ん中の空いた部分が2006年 頃済

州4・3委 員会 が撤去 した、除外対象者 の位牌があった ところ(右)(2008年2月8

日筆者撮影)

第 二に 、 過 去 清 算 を 通 じた 犠 牲.音 選 別 は 「名 誉 回 復 対 象 に 対 す る 選 別 」、 言 い 換 え れ ば

「記 念 対 象 の 選 別 」 に 具 体 化 さ れ る 、、 こ の よ う な 状 況 は 、2001年 か ら現 在 まで 韓 国 政 府 が

建 ・k中で あ る 済 州4・3平 和 公 陳1とい う 記 念 空 間 に 具 体ri勺に 反1映 さ れ て い る,,委 員 会 に よ る

犠 牲 者 審 議 で 「撤 回 」 あ る い は 「不 認 定 」 と され た 犠 牲 者 た ち の 位 牌 が 撤 去 され て し ま っ

た 事例 が 代 表 的 で あ る..そ の 他 の 慰 霊 施 設 で あ る 刻 銘 碑 や 独 碑 な ど に も彼 ら の 名 前 は 記 録

さ れ る こ とが な い,,こ の た め 毎 年4月3目 に この 場 所 で 開 か れ る 政 府iこ催 の 慰 霊 祭 で もお

の ず か ら 慰 霊 対 象 か ら除 か れ て し ま う 、 こ れ は 済 州4・3犠 牲 者 に 対 す る 国 家 儀 礼 に お い て

慰 霊 ・哀悼 す べ き追 慕 の 対 象 か ら排 除 さ れ て し ま う こ と を 意 味 す る,:"

この よ う な 選 別 の 政 治 は 、 「真 相 糾 明 対 象 の 選 別 」 す な わ ち 、 明 か さ れ な け れ ば な ら な

い 史 実 の 範 疇 を 選 別 す る こ と に もつ な が る,,な ぜ な ら、犠 牲 者 を選 別 して 認 定/不 認 定 と し、

あ る い は 撤 回 させ る こ と で'1得 堵'個 人 に あ っ て 経 験 ・記 憶 さ れ た 」黍件 の 個 別 的 史 実 さ え 選

択 あ る い は 排 除 して 、 そ のlllで 選 択 され た 史 実 の み を 公 式 化 さ れ た 目11史 」 と して 流 布 さ

せ て し ま うか ら だ 、そ の 点 で 過 去 清 算 は 、 い わ ば 「史 実 の 序 列 化 構 造 」 の ノk成 プ ロ セ ス の

側 面 と して も分 析 す る こ と が で き 惹,こ の よ う に 、 「殺 した 者 」 と 「殺 さ れ た 者」 が 共 存

三`1実際、f・11:牌は4・311喋1り1の公務 員によ・・て撤去 されたが 、この ような'ji=実は撤去された位牌の遺族の

み ならず、・1・3遺族 会や関連団体に も分か らない まま秘密 裡に進 行された 遺族たちは翌年である2007年 ・1月3

111第59周 年済41'1..1・3犠牲 者慰∵,;1祭.1に参IJIIして初めて 自分た ちの家 族のf・1:牌が捨虻去 され たことが分か った 旨

これに関 して、・1・3`lil裳所の関係 渚幽は 「敏感 な問}1璽は ノ〈部分.4・3中央委で決 まるか ら私た ちは よく分からない、1

位牌はやは り、il⊂i家が決めた犠牲 昔」,蝋i~に従わなければな らないか ら不認定1にな・・た りlll告撤1【Iiした りした

〃々の位牌 は撤去 した1(2〔X〕8年2】15日 電話で、.1・3'1喋所の関係 苔である 幽}G・ さん インタビュー.〉

Kyoto Journal of Sociology XVII / December 2009

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高:大 量虐殺の過去清算における 「合意」に関する研究 101

す る 「犠牲者」の領域のみが存在するだけであ り、犠牲者の中で再び抗争グループは排除

され、加害者は相対的に具体的ではな くなる。結局、大量虐殺の直接 の原因になった 「住

民たちの武装蜂起に関する史実」 と 「大量虐殺の加害者は誰か」の具体的な史実について

は周辺化 されて しまう可能性が高 くなる。(351

4「 後遺障害者」審議における 「合意」・

済州4・3委 員会が合意 した 「犠牲者審議 ・決定基準」の 「犠牲者か らの除外対象」 に該

当させ られて しまった当事者の遺族の申し立てが 「撤 回」された り 「不認定」 とされて し

まうように、大量虐殺の過程で傷 を負い現在 まで後遺症 を抱 えている、いわゆる 「後遺障

害者」 もやは り委員会が 「合意」 した別途の基準 によって 「認定」あるいは 「不認定」 と

され る選別の対象 となっている。表1の ように現在済州4・3委 員会に 「後遺障害者」 とし

て申 し立てた人々は207名 で、委員会はそれぞれ審議 を通 じて146名 を 「認定」、29名 を

「不認定」 とした。

「不認定」になって しまった人々は、2007年1月 に改定された済州4・3特別法の第12条(再

審議)に よって同年7月 、済州4・3委員会の 「不認定」決定に対 して再審議を要請 した。⑯

しか し委員会は同年10月8日 に行われた第14次 全体会議で再審議 された57件 の中で37件 の

み再審議を 「認定」 し、残 りの20件 は棄却 させた(済 州4・3委員会2008:53)。 委員会は

すでに 「後遺障害者」 として 「認定」された37名 の医療支援金を新規 または追加支給す る

ように決定 しただけで、最初に 「不認定」 とされた19名 が 「後遺障害者」 として 「認定」

となるための再審議要請に対 しては再び 「不認定」 と決めて しまった。結局、同年12月10

日の再審議で も 「不認定」 と決 まった19名 のうち13名 が委員会を相手 として行政訴訟を申

し立てた。

済州4・3委 員会 はなぜ彼 らの後遺症を 「不認定」 とし続けているのか。 まず 「不認定」

になった19名 の中で行政訴訟 を申 し立てた人々を中心に見てみ よう。

(お}「済州4・3報告書』の限界の一つ と して 「済州4・3事件 を 『抗 争の歴史』で復元す るには足 りなか っ

た」(梁 酢動2007:77)と い う指摘が され ているが、現 在で もこの限界は克服 されていない。2003年3月

の済州4・3委員会第7次 全 体会議で発 表 された 「対 政府 建議事項」(済 州道民 と被 害者た ちに対す る政府の

謝罪、4・3事件 追慕記念 日の指定、 「済州4・3報告書 』の教育資料活用 、済州4・3平和 公園造成支援 、遺族た

ちに対す る実 質的生計 費支援 、集団埋葬 地及び遺跡地 に対す る発掘事 業支援、真相糾 明及 び記念事 業にた

いする長期的な支援)で も言及 しなかった。

聞 再審議には、「不認定」 とされた人の ほか に も犠牲者 としては 「認 定」になったが政府か らの医療

支援 金が支給 されなかった り、少額支給 と決 まった りした28人 も参与 した。

京都社会学年報 第17号(2009)

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ioz 高:大 量虐殺の過去清算:にお ける 「合意」 に関す る研究

表2.「 申告書」の主要内容及び済州4・3委 員会からの 「不認定」決定事由 〔37)

No.

1

2

3

氏名

高 ○ ○

(女、1926年 生)

カン

姜○ ○

(女、1942年 に生

まれたが、戸籍

上には1945年 に

登載されている)

キム

金 ○ ○

(勇、1939年 生)

「申告書」の主要内容

1948年2月 頃夜に、家を襲った武装隊2-3

人にわ き腹 を竹槍で突かれて頭 と耳、脊

椎 など全身を殴られた。時間が経つとと

もに聴力が低下 して現在聴覚障害3級 の

状態だ。

1948年4月 頃涯 月面光令里 で、討伐 隊

に連行 され消息不明となった母方の祖父バク

(朴Og、4・3犠 牲者)を探 しに出た母方の

祖母(申 ○○ 、4・3犠牲者)の 背中 に背負

われていた際、山で転 んで落ちて脊椎 に

けが をした後、気を失って しまう。気 を

取 り戻 した後か ら脊椎骨が突 き出し始め、

現在 まで 「くる」のように背中が曲が っ

ている。

1951年3月 南元邑水望里で、討伐隊 を避け

て母 と一緒 に身を避ける中見つか って右

側太 ももに銃傷 を負い、実弾が足 にめ り

こんだまま血を流 しなが ら母 に背負われ

て野山で6日 間過ごしてか らやっと病院

治療を受けることがで きた。59年 前の銃

傷 による痛症はむか しのままで、現在は

足がひどく痺れる症状がある。

委員会からの 「不認定」事由

年齢増加による自然発生的疾

患 と判断されるので済州4・

3事 件の犠牲者(後 遺障害者)

として認定しない。

当時小児(7歳)に は発生 し

ない疾病 と判断されるので済

州4・3事 件の犠牲者(後 遺

障害者)と して認定 しない。

軍服務の満期除隊後発生 した

負傷 とみ られ、済州4・3事

件の犠牲者(後 遺障害者)と

して認定しない。

表2の 事例1の ように高○○ さんは、「後遺障害者」 申 し立てのために2004年 に申告書

と自分の障害 を証明す る根 拠 として委員会が指定 した病 院で発給 をうけた 「診断書」 と

「今後治療 費推定書」 を添付 して済州4・3委員会に提出 した。当時病院側 の所見では、「約

52年 前腰 を痛 めた後……痛症 及び神経学的症状が誘発 され る場合、治療 を持続 しなければ

な らないとみ られ る」 とい う診断と 「期待寿命一8.46年」「今後の治療費一1215万9046ウ ォン」

という今後治療費(推 定)が 出 されたが、委員会の審議 で 「不認定」 となって しまった。

そ して 「年齢増加 による自然発生的疾患 と判断されるので済州4・3事件 の犠牲 者(後 遺障

害者)と して認定 しない」 という内容の 「不認定」事由が通達 された。

`37;この表 は、個 々の当事者たちが済州4・3委員会に提出 した 「済州4・3犠牲者(後 遺 障害者)申 告 書」

の作成(2000年 ・2004年)と そ れによる委員会の審議 ・決定(2004年 ・2005年)、 委員会か ら 「不認 定」 さ

れ た後 申 し立て た再 審議(2007年7月)と 行政訴 訟(2007年12月 以 降)な ど一連の過程 を参与観察 しなが

ら収合 した資料 を整理 したものである。

Kyoto Journal of Sociology XVII / December 2009

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高 ノく{ll:虐殺 の 過 去 清 算 に お ける 合意 に関す るω「究 103

写真2.事 件当時、竹槍で突かれた高OOさ んの腹部(左)と 殴打 に

よって突 き出 して しまった脊椎骨(右)。(2006年7月30日 と9

月13日 筆者撮影)

肇例2の 姜○⊂)さんは、事件 当時の7歳 の時 に怪我 を したが、委眞会か ら 「'11時小児

(7歳)に は発生 しない疾病 と判断されるので済州4・3`拝件の犠牲 者(後 遺障害 ~Dと して

認定 しない」 とい う匡1油で 「不認定」とされて しまった,,8拝例30)金 ○○ さんの 「不認定」

は、`1`件当時済州,[1るで負傷 を負')た 後に軍 に人隊 した経歴のためだった,,2004年 委員会に

申ll諸二を提出 したが、「軍服務の満期除隊後発ノkした負傷とみ られ、済州4・3塞拝件の糊1三者

(後遺障害 者)と して認定 しない」 とい う通達 を受け取った。彼の場合、負傷直後に治療

を受けることがで きなかったので現在で も負傷 部分の痛みは続 き、全身に麻痺 と痺れが転

移する状況である、,

「不認定」通達を受け、彼 らは筆者におよそ次のように語った、,

そ の 時 、 竹 創 で 突 か れ て 殴 ら れ た 事実 が 不 認 定 に な っ た と思 っ た ら… … 私 の 障 害 は 肖 然 に 発 生

し た の で は な い 竹 槍 で 突 か れ た 腹 部 は 天 気 が 曇 る とか 雨 が 降 れ ば 相 変 らず す ぎす ぎ して 痺 れ る 、,

… …1服 を 捲 り ヒげ て 脊椎 骨 を 見せ て くれ な が ら1こ れ を 児せ る の が 恥 ず か しい が、 脊 椎 什 が 突 き 川

て し まい 、 今 目 ま で ち ゃ ん と 横 に な る こ とが で き な い 、、死 ぬ 前 に 願 う こ と は 、 他 の 人 た ちの よ う

に ち ゃ ん と横 に な っ て み る こ とだ 弥

.{」2{}06{ド7113011と91113[1に ド「亡三G斉 り噛lij芭済 州ll∫)て 〒、2(〕07{1三6Jlに 済 州 ・董・3fりFラ毫,りF(済 州1直1斉州

IIPと121jlHlに 済州 道 議 会{済 州 道 済 州liDで 高 い ⇔ さん イン タ ビュ ー

京 都社 会 学 年 報 第17号(2009)

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104 高 大量虐殺の過去清算 にお ける 「合意」 に関す る研究

国家 は私 を疑 ってい る ね。確 か に4・3の 時受 けた障 害 なの に …… それ を証 明 しうる こ とはすべ て

や っ て見 た が …… もうお 見せ す る こ とは な いの に。 私 の障 害 を証 明 しよ う とす るの は難 しい です

ね 。私 が4・3当 時 に けが を した とい った の に国 家で は、 その 方 々 は直接 目で 見 たの で もない の に

… … しか し言葉 だ け 聞い て簡 単 に信 じて くれて信 頼 して くれ る こ と を期 待 した こ とが 間違 っ てい

た ようです 。〔39,

12歳 の 頃 、軍 人 た ちが 私 た ちの村 を討伐 す る 時、 軍 人が 撃 っ た鉄 砲 に右 足 を打 た れ た。 … …幼

い 時代 友 達 か ら弾 き出 され る こ とがた くさ んあ った 。 この 頃 人 々が 口 にす る言 葉 で 「ワ ン タ」〔4ω

だ っ た。 …… 事件 が終 わ って 鉄砲 に当 たっ た身 に もかか わ らず 軍隊 に行 か な けれ ばな らな か った。

私 が 「ア カ」 では な い とい うこ とを証 明 す る にはそ の 時 そ れ しか なか っ たか らだ。 とこ ろが 、委

員 会 は私 の負傷 を軍 服務 以後 にで きた こ とだ と言 う。 あの時 確 か に鉄 砲 に当 た ったが ……。(4P

このように 「不認定」 にされて しまった当事者たちは、 自分の負傷経験 と現在まで続 い

てい る後遺症 を委員会に申し立てたが、委員会は 「年齢増加 による自然発生的疾患」す な

わち、特別 な負傷が なくとも年を取れば 自然に発生する疾病であると決定 して しまった。

または事件 と障害 との連関 よりは軍服務などの事由を提示 しなが ら 「不認定」 とした。 当

事者たちが持 っている負傷経験 と後遺症 という個 人次元の事実が否認 され、過去の事件 と

どの ような連関性 も持っていない とい うのだ。当事者たちの申し立て内容 と委員会の判断

のいずれが事実なのだろうか。 この ような食い違いはどの ようにして起 こったのだろうか。

2001年12月 済州4・3委員会は犠牲者審議の中で、特 に後遺障害者に対す る専門的な審議の

たあに4・3医療委を構成 した(済 州4・3委員会2008:153)。4・3医 療委は申告者、すなわち負

傷後遺症を持っている被害者か ら申 し立て られた 「4・3犠牲者(後 遺障害者用)申 告書」 と

指定病院で発行 された 「診断書」「今後治療 費推定書」を検討 し最終意見 を4・3中央委に報

告 したが、この過程で4・3医療委の判断が後遺障害者 に対する審議 ・決定の当落を決めるの

であ る。4・3医療委は 「効率的で客観的な審議」のために2002年9月 の第1次 会議で 「後遺

障害者審議における運営基準」 を合意 したが、次はその 「基準」の一部である。

個人別 「今後治療費推定書」が適正か、後遺障害者の発病要因及び 「診断書」上の病名と4・3

事件との関連性があるのかなどを検討……その結果、「退行性疾患者」幽 や 「精神疾患者」、その

(39)2006年9月8日 に 自宅(済 州道済州市)で 、2007年6月 に済州4・3研究所 と12月11日 に済州道議会

で、2008年1月22日 と3月21日 に自宅で、2009年9月24日 に自宅 で姜○○ さん インタビュー。

㈹ 隠語 として韓国語 で 「暫叫 」 と表記 し、 日本語 で 「い じめ」 と翻 訳するこ とが で きる。

("1[2004年2月21日 に村会館(済 州道西蹄浦市)で 、2007年6月 に済州4・3研究所 と12月11日 に済州道

議 会で金○○ さんイ ンタビュー。働 韓国語で 「退 行性疾 患者」 は、加齢 に よって身体の機 能が退化 ・衰退す るこ とに よる病状 を意味

す る。

Kyoto Journal of Sociology XVII / December 2009

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高:大 量虐殺の過去清算における 「合意」に関す る研究 105

他4・3事 件 に よる後遺 症 と連 関が ない と判 断 され る疾 患 は不 認定 とす る。`431

その後、このような 「基準」 は後遺障害者審議における不変の原則 になって しまった。

そのため指定 された病院が発行す る 「診断書」 と 「今後治療費推定書」が後遺症を立証す

ることがで きる最 も有力 な根拠資料 とされ、それ を土台 とした4・3医療委の審議が公認 さ

れた 「後遺障害者」の可否を決定して しまったか らだ。

しか しなが ら、 このような 「基準」をはじめ として、委員会の後遺障害者審議にはい く

つ かの間題が見 られ る。 第一に、「基準」 は結局、当事者たちの個別的な事件経験 と障害

事実を無視 した、すなわち当事者 を考慮 しない基準設定であると言わ ざるを得ない。具体

的な事例は、指定病院で 「診断書」 と 「今後治療費推定書」が発給 される過程を通 じて確

認す ることがで きる。4・3実務委の傘下機 関であ る4・3事業所が 「申告者の 『診断書』 と

『今後治療費推定書』を発給する過程で医療保険が適用 される項 目のみを除いたすべ ての

費用は申告者が負担す る」 とい う条項 を新設 したことによって、当事者 に対する検査が一

回のみの肉眼検査やX線 検査だけに限定 されて しまったか らだ。その ような状況で大多数

の当事者たちは経済的な理 由に よって医療保険が適用 される範囲内、すなわちX線 検査の

水準の基礎的な診断のみ に依拠 して、「診断書」 と 「今後治療 費推 定書」の発給 を受 けて

申 し立てる しかなかった。結局、そのような水準の制限された検査 と診断の結果だけで当

事 者の後遺 障害が審議 されて きたのだ。 済州4・3委 員会の外部の多 くの専 門家 たちは、

「個 々の当事者 たちの後遺症が事件当時の負傷 によるのか、委員会がい う 『自然発生的』

であるのか、あるいはそれ以外の他の原因のためなのかを判別す るために、委員会は個々

の当事者たちに最小限の医学的判断の機会を提供 しなければな らない。身体的負傷者の場

合、MRIやCT撮 影が必須で、精神的負傷者の場合PTSD(外 傷後ス トレス障害)検 査 を含

めた多様な心理学的検査が伴わ なければな らない」 と説明 したが、4・3医療委で合意 され

た 「基準」は現在 も変 わっていない。

第二 に、 もう一つの重大 な問題は、審議の全過程が書類 によってだけ行われるという事

実だ。 申告者が自分の障害状態 を正確 に認知することがで きな くて手違いが生 じた り指定

病院での診断上の手違いで障害状態を事実 に基づいて検診することがで きない場合の よう

な欠陥が頻繁 に発生 して きたに もかかわ らず、4・3医療委は申し立 てられた書類 だけで審

議 しているのである。その ような審議構造 によって当事者たちの多様 な被害事実がそのま

ま認め られることが不可能な状況になって しまうのである。

ゆ 済 州4・3委 員 会(2008:154-158)

京都社会学年報 第17号(2009)

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106 高:大 量 虐殺 の過去清算 における 「合意」に関する研 究

第三 に、「退行性疾患者や精神疾患者のケースは不認定 とす る」 とい う基準に も問題が

ある。 まず、退行性疾患者 を 「不認定」 とすることに合意するの は、事件の発生時期、す

なわち当事者たちの負傷 時期 との時間差を考慮 しなか ったという問題がある。討伐隊によ

る鎭圧作戦が1948年 後半か ら1949年 中盤 まで集中され、 この時期 に民 間人被害が集中 した

という事実 を念頭にお く時、 ここには現在の時点 を基準 とすれば50年 を超過 して しまう時

間差が存在する。負傷経験者の身体は当然 同 じ年齢の負傷 にあわなかった人々に比べ ても

っと衰えているはずだとい う現実が看過 されて しまったのだ。委員会の基準 には、 また負

傷直後 に応急治療がで きなかった当時の状況の特殊性 に対す る理解 も反映 されていない。

2007年 「済州4・3犠牲者後遺障害人協会」(以 下、済州4・3後遺協)が 実施 した 「4・3負傷生

存者の後遺障害及び生活実態 に関する調査」幽 の結果によれば、調査対象者50名 中32名 が

「負傷直後に家で民間療法で治療 した り、治療す ることができなかった」 と応え、「経済的

な難 しさ」「戒厳令状況下で通行が 自由ではなくて」 「医療状況が劣悪 で」などの理由を示

した。結局委員会の 「基準」は、負傷時期 と診断時期 との間の時間差が50年 を超過 してい

るという事実、そ して負傷直後の即刻的な治療が不可能だった当時の状況 を考慮 しない、

事件 と当事者の特殊性 を反映 しない ものである とい う批判 を免れない。精神疾患 ケースを

除外 させ た委員会の 「基準」 も、次の調査結果を通 じて当事者たちの現実 と多 くのギャッ

プがあることが分か る。㈲

㈲ 筆者 は済州4・3後遺協 の依頼 を受けて済州4・3研究所の研究員2名 と2007年5月 か ら12月 まで調査

を実施 した。 この調査 には、済州4・3委員会 に申 し込んだ207名 の後遺障害者 の審議対象者 の中で、面接調

査が可能 な人 を性別、地域 別、年齢別 で分類 した後、 最終50名 で 選別 して実施 した。面接調査 には、委員

会の後遺障害者審議で 「否認定」 になった29名 の中で15名 も参与 している。(45}2008年4月 済州CBSと 済州大学 病院(精 神科)の 金 ・ム ン ドゥ教授は、4・3後遺障害者70名 を対象

としたPTSD症 状 と精神健康実態 を調査 したが、その結果、対象者の68.6%がPTSD症 状有病率 をみせ た。

Kyoto Journal of Sociology XVII / December 2009

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高:大 量虐殺の過去清算 におけ る 「合意」 に関す る研究 ion

表3.4・3負 傷生存者の後遺障害及び生活実態調査結果(単 位=名)

No

1

2

3

4

5

6

7

8

9

調査内容

身体的 ・精神的負傷 を両方持 っている。

負傷によって性格や生活態度に変化があった。

気力が劣って健康がす ぐに悪 くなると感 じる。

負傷部分を他人にみせることが嫌である。

4・3事 件と関わるニュースを見れば当時の状況を思い出す。

ささいな事にも心が乱れるとか心細い感情を感 じる。

周囲の人々に神経質的で暴力的な言行をする。

対人関係 を結ぶとか社会活動をするのに消極的だ。

4・3後 遺障害者であることを明かすのが恥ずかしい。

回答結果

はい

23

4?

49

39

50

47

33

40

35

い い え

27

3

1

11

0

3

17

10

15

ソン

調査 に参与 した負傷経験者たちの中で、宋○○ さんの場合は、身体的 ・精神的負傷が混

ざっている代表的なケースであった。

4・3、 思 い 出す の もいや …… 日本へ 密航 して しまった夫 のた め 「逃 避者 家族 」 の烙印 を押 され て

済州警 察署 に連 行 され て拷 問 を受 け た。夫 の行 方 を問 う取調 で 目 と腰 に ひ どいけが を した。 その 時

私の背 に背 負 われ てい た5ヶ 月 に なった娘 が その場 所で 死 んで しまった。 後遺 症で 身体 がつ らか っ

た りす るが そ の時死 ん で しま った赤 ち ゃんの こ とを考 え ると、眠 る こ とが で きない とか悪 夢 に うな

され る ことが多か った。 今 もそ うい う時が あ るか ら、4・3は 思 い出す の も嫌 い だ。㈹

負傷によって 「性格や生活態度に変化があった」 と応答 した人々は 「負傷の前 と後の身

体的変化 に適応するのに数十年がかかった」 または 「負傷 によって労動能力をなくして し

まってそれによってス トレスが ひどい」 と語った。負傷部分を見せ ることに対 しては 「公

衆風呂場 に行 くのが恥ずか しい」や 「4・3に係わる人には可能だが他人には見せた くない」

「竹窓 で突かれて胸 に傷跡があるか ら赤ちゃんに添 え乳をす ることがで きなかった」など

の語 りがあった。一方で、「生 まれ る時代 を誤ってけがをしたことだか ら恥ずか しい思い

はない」 という語 りもあった。 また 「周囲の人々に神経質的で暴力的な言行 をする」の場

合 は男性応答者の数が多か ったが、「身体 を思い どお り動かす ことがで きないか らしたい

ことが自由にで きなくて、心 をな ぐさめるためにお酒をよく飲むようになったが、酒に酔

えば家族たちに大声 を出 した り暴力を加えた りしたことがあ る」な どという回答が多かっヤン

た。次の梁○○ さん も類似の語 りをした。

(46〕2007年1月9日 と2008年1月20日 に 自宅 で、 宋00(女 、1927年 生)さ ん イ ンタ ビ ュー 。

京 都社 会 学 年 報 第17号(2009)

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108 高:大 量虐殺 の過去清算 にお ける 「合意」 に関す る研究

ハンリム

4・3の 時 、 お母 さん と一 緒 に村 の近 くの 洞窟 に 隠れ て い た途 中、 討 伐隊 にば れて 翰林 支 署 に引

か れ て行 った 。警 察 が お母 さんの 取調 べ をす るた め に背 負 われ て い た私 を横 へ投 げつ け て し まっ

た。 私 はあ の 時4歳 だ った が、 左 足 関節 に 負傷 を負 い現 在 まで そ の後 遺症 で ちゃ ん と歩 くこ とが

で きな い。 … …足 も問題 だが 、心 気症 が あ る よ うだ。 … … あの 時 の こ とを思 い 出す 時 は お酒 を飲

んで きた。 … …2005年 に は4ヶ 月 間精 神科 治療 を受 け た事 が あ って、 今 も4週 に一 回ずつ 精 神科

の 薬 を飲 む。 ……家 族 の 中で も特 に家内 に神 経質 に なる。`471

このように事件 と負傷経験者 に対す る委員会の認識は、当事者の現実、特に後遺障害者

の状況 を反映 しない審議基準に もそのまま映 し出され、当事者たちが認識 している事件経

験や負傷程度 と大 きなギャップを見せ ている。当事者たちを含めた委員会の外部の専 門家

や4・3関係団体が委員会の後遺障害者審議 ・決定方式に抗議 して何度 も意見を提示 したが、

2002年 に合意された 「基準」 と 「審議 ・決定」の方式は現在 まで相変わらず適用されてい

る。それによって事件 当時の負傷事実と現在 まで続いている後遺症 との関係 を立証するた

めの当事者たちの試みが委員会で合意 した 「基準」 と方式に遮 られ、 「不認定者」 を生み

出 し続 けるのである。 当事者の経験 と現実が反映されない審議 ・決定によって彼 らは再び

「制度による犠牲者」 となって しまっている。

5終 わりに

ここまで、済州4・3事件 に対する韓国政府の過去清算にあたって済州4・3委員会が犠牲者

を審議 して決定する実例 を検討 した。事件の解釈 と認識 を巡る葛藤 と妥協が数十年 間続い

ている状況で、民間人 に対する加害経験 を持っている国家の過去清算は事件認識をめ ぐる

葛藤の核心であった 「誰を犠牲者 と見 るか」に対する基準 を決める問題に対 して合意点を

提供 した。

特 に本論で扱った抗争 グループは、済州4・3委員会の 「犠牲者審議 ・決定基準」 によっ

て大 き く影響を受け、現在 まで委員会が排除 しなければならない対象の中心に位置づけ ら

れてい る。彼 らは 「自由民主的基本秩序」 と 「大韓民国のアイデンティティ」 を殿損 して

はいけないとした委員会が合意 した基準によって公式的な審議以前に 「撤 回」 を強いられ

た り、それに応 じなければ 「不認定」 にされた りした。 しか し、済州4・3委員会は彼 らが

「加害者であ るか ら犠牲者か ら除外する」 とは言わない。委員会の過去清算 には犠牲者を

「認定」あるいは 「不認定」 にする選別 と同様の加害者選別をは じめから排除 したか らだ。

〔47,2007年8月20日 に 自宅(済 州 道 済 州 市)と2007年12月11日 に済 州 道議 会 で 、 梁 ○ ○(男 、1944年

生)さ ん イ ン タ ビ ュ ー。

Kyoto Journal of Sociology XVII / December 2009

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高:大 量虐殺の過去清算 にお ける 「合意」 に関す る研究 109

このような選別の政治は 「慰霊対象の選別」、そ して糾 明 しなければな らない 「史実の選

別」につなが る。結局、過去清算:における当事者の選別とい う手続 きを通 じてある社会の

紛争時期 に生起 した大量虐殺が、加害の主体であった国家 によって時代を経て再評価 され

る過程で、国家の理解 と一致す るか しないかによって、特定の史実が特定な選択あるいは

排除のメカニズムを通 じて 「事実」として再構成 されて しまう点を確認することができた。

済州4・3事件の場合、韓国政府が固守する 「国家アイデ ンティテ ィ」が、過去清算 という

「過去への接近」 にその まま反映 されて しまうことになって、過去清算が扱 う事件 と当事

者、特 に被害者たちを選別する方式 を通 じて最終的には個人の領域 にまで反映されて しま

っている。後遺障害者の場合 も 「診断書上の病名 と4・3事件 との関連性 ……退行性疾患者

や精神疾患者は不認定」の ような基準が当事者たちの現実 と乖離 して合意 された まま施行

され、多 くの 「不認定者」を出 してしまった。そ して委員会の 「基準」 によっては じめて

「公認 された犠牲者」 とな りうる現在の システム下で、この ような不認定者たちは非常 に

あいまいな位置 に立た されて しまう。

このように誰かが排除 されなければならないような過去清算は、ポス ト紛争社会で もう

一つの葛藤構造 と紛 争再現の可能性 を生み出すが、済州4・3委 員会 と当事者、そ して当事

者 と当事者との間の新 しい葛藤がそれだ。特 に加害者 と被害者が共同体(村 単位 の地域社

会)内 で発生 して、事件以後現在 まで共存 して きている済州4・3事件の特性上 「殺 した人」

と 「殺 された人」、あるいは 「傍観者」 との間の違和感が持続す る中で、今 日政府か ら犠

牲者 として 「認定」 となった人 と 「不認定」 となった人との間に生み出される新 しい形の

違和感は共同体の和解 と個人の癒 しへの可能性 を損なっている。この ように当事者の間に

違和感が依然 として交錯する構造では、再び語 らなくなる、すなわち意図的に黙 って しま

う当事者たちが増えている状況を確 認することがで きる。大量虐殺 を経験 した当事者がポ

ス ト紛争社会でも語 らない状況は、過去を記憶 し語ろ うとす る当事者を巡って有形無形の

抑圧が存在するとい う点で、事件当時や過去清算以前の軍部独裁政権時期 と同 じであると

言えるが、その原因と様相は異なる ものになっているといえる。

最後に、以上の分析 を通 じてい くつかの限界があるにもかかわ らず、本論の今後の課題

として次の三つの方向性を模索することができる。

第一に、ダイナ ミックに展 開される当事者の語 りの変容に対する研究を試みることが きる。

す なわち、本論の3章 と4章 で言及 している当事者たちの 「およそ」の語 りを局面によって、

より詳細 に分析 し、当事者たちが過去 を想起する時点ごとに形成あるいは変容 される個人的

記憶が、彼 らを取 り囲んで展開される政治 ・社会的環境 とあい まって、 どのように社会化 さ

れ集合化 されるのか、その過程で過去に対する当事者の記憶 と語 りはどのように変容す るか

京都社会学年報 第17号(2009)

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110 高:大 量 虐殺の過去清 算における 「合意」に関する研究

についての研究がそれだ。特に、ポス ト紛争社会での新 しい様相の紛争構図とその中で展開

される当事者の間の多様な違和感の構図は、当事者が過去を想起 して語る際多 くの混乱を与

える。 これにより当事者は、時々過去 と現実の問で自分の語 りの位置や戦略 を見失って しま

った りする。3章 で提示 したある遺族の場合、「公認 される犠牲者」 になるために済州4・3委

員会に申し込んだ 「犠牲者申告書」上の叙述 と自らの家族の名誉を回復させ るための他の活

動 との間にはギ ャップが見 られる。「申告書」上の全般的な叙述は、受難的な文脈 または人

権に訴えるような内容が主 となっている。 しか しそこには、彼 らの家族の闘争や抗争に関す

る史実は見えない。最 も積極的な叙述の水準が 「山に上がった」 という表現 に過 ぎない。す

なわち 「犠牲者 として罪のない死」だけが強調 され、他の公認 された犠牲者の類型 と異なら

ないような平凡な死のみが記述 された。 しか しながら、済州4・3委員会か ら 「犠牲者不認定」

という通知を受けた直後からは、国家(済 州4・3委員会)を 相手 として再審議請求や行政訴

訟などを進めている。そ して、以前には積極的に行わないで きた 「個人的な体験を打ち明け

ること」 も証言会への参加やインタビュー調査への参与のような方法を通 じて積極的に行う

傾向を見せている。アルヴァックスが言った 「個人の記憶は社会的なこと」 という論理の延

長で、今後の研究では、この 「社会的」 ということの具体的様相とこれが持つ 「個人」 との

力学関係、そうした構図の中で展 開される 「個人」 と 「個人」、あるいは 「個人」内部で展

開 される語 りの動学に対するアプローチを試みることができる。

第二 に、本論を土台 に、近年保守回帰化 している韓 国社会の過去清算 に対する分析 を試

み ることがで きる。す なわち、本論で扱った金大中 ・盧武鉱大統領の民主政権期 に進展 し

た過去清算 に対す る分析 をもとに、今後展 開される韓国社会の過去清算の様相に対する分

析がで きると考える。(48〕これは、ポス ト紛争社会で過去への接近 における変容 とい う側

面で、ポス ト紛争構造の下での新 しい紛争の様相が深刻化するか、あるいは第三の他の様

相 を見せるか、についての研究に具体化することができると考える。

第三に、紛争 とその後の状況展開が済州4・3事件 を経験 した済州島 とよ く似 た他の社会

との比較研究 を試みることがで きる。特 に、太平洋戦争以後の沖縄社会 と1948年 の2・28事

件で数万余名の民 間人死亡者が発生 した台湾社会 との比較研究 を射程に入れることがで き

〔48}2008年の政権交代 に よって民主政権期 に制 定 され た過去清 算法 とそれ に基づ いて活動 して きた大

部分の過去清算 政府機構 は、2010年 を 目処 にすべ て統合 ・廃止 され ることになる。「親 日反民族行為真相糾

明委員会」 な ど特別法 に存続期 間が 明示 されて いる四つの過去清算 委員会 は、2010年 とい う存続 期 間が終

了す れば延 長 され るこ とな く廃止 され、済州4・3委員会 を含め て 「5・18民主化 運動関連者補償 支援委員会」

と 「民主化運動 関連者に対す る名誉 回復及 び補償審 議委員会」 など8個の過去清算:委員会は2010年 に時限が

満了 となる 「真実 ・和解 をための過去 史整理委員会」 に統廃合 される。結局、2010年4月 になれば韓国社

会で過去清算委員会の活動 はすべて終結 され る予定であ る。

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高:大 量虐殺の過去清算 にお ける 「合意」 に関す る研究 111

る。本論 を土台に して、沖縄戦下の民間人犠牲者の中で日本政府が 「戦傷病者戦没者遺族

等援護法」を適用 させる、す なわち 「日本軍隊 に協力 した」 と申し込んだ民 間人たちを審

査 して 「準軍属」 として選定 した後、靖 国神社 に合祀 させ る一連の沖縄戦の戦後処理 と、

「2・28事件処理お よび補償条例」によって2・28事 件の犠牲者 を選別する紛争後の台湾社会

の過去へ の接近 との比較研究は、本論で扱 った済州4・3事件の過去清算、言い換えればポ

ス ト紛争社会で展 開されるもう一つの紛争の可能性 という点で比較研究 を試みることがで

きると考える。

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197

The Development of Social Agreement' in Contemporary Korea Concerning the Jeju April 3rd Massacre: A Study on the Special

Committee for Investigation of the Truth about the Jeju Uprising and the Decision Maldng Process for Determining ̀ Who is a Victim?

KOH Sung-man

The April 3rd Massacre of civilian people which constitutes the background of

the present study took place in the Jeju Island, South Korea, between 1947 and 1953.

As Jeju civilians started an armed uprising against the establishment of the two

Koreas, the South Korean government dispatched a suppressing force to the Jeju

Island, and in the process of subduing the uprising, about thirty thousand civilians

were killed. For the following fifty years, the Jeju April 3rd Massacre was treated as a `social taboo' in Korean society . However, at the end of the 1990s, when South Korea

changed to a democratic system, the public became more and more open to talk about

the April 3rd Massacre. In the year 2000, after the acceptance of the Jeju April 3rd

Special Act in the National Assembly, the government initiated activities to promote a `social agreement' concerning the past . With these historical facts in the background, I

focus on how the government attempted to promote the necessary social agreement.

Although there were definitely positive aspects in this attempt, I point out several

problems in this process. The first problem pertains to the fact that the `politics of

agreement' is being operated by the government. Firstly, I analyze the `social

agreement' process involving both the work of the Committee itself and the social

reaction to it in terms of deciding who can be regarded as a victim of the April 3rd

Massacre. Secondly, I focus on the `negotiation' between the government as an actor

who once did harm, and the victim as a subject who suffered. `The criteria used to

identify `victims' in these "negotiations" have in fact led to a distinction between

recognized and unrecognized victims (a sort of screening of victims), selecting those

who are eligible to the national memorial project, and among these, also `specifying

things to be investigated' concerning historical facts. The second problem refers to the

fact that the (civilian) victims have actually been split by the government into so-called `accepted' and `denied' victims . This causes disharmony among people, and some of

them returned to silence.

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