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バチカンと国際政治
松本佐保(名古屋市立大学准教授)
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はじめに
• 中世ヨーロッパでは、カノッサの屈辱など、教皇が、国王を屈服されるほどの絶大な権力を誇っていたが、近代以降、教皇の権力は低下、その影響力も見えにくくなっている。特に日本では、キリスト教国でないことから、バチカンの存在感は非常に薄い。本報告では、キリスト教(カトリック)の総本山とされるバチカンが、19世紀~今日に至る国際政治にどのような影響を持ってるかを考察する。
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バチカン市国内
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教皇庁とリソルジメント
• リソルジメントとはイタリアの統一・独立国家形成をめざす民族運動(最中的にサルディーニア王国の主導権→バチカンと対立)
• 19世紀前半のイタリア半島は、オーストリア(ロンバルディアとベネト)とフランス(ナポリ王国)によって支配されていた。
• こうした外国勢力によるイタリア支配には、部分的に教皇に責任があった(ルネサンス時代からの都市国家の伝統)
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覚醒教皇ピウス九世、1846-78年、の登場
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ピウス九世は覚醒教皇?
• 出版法の改正で言論の自由を拡大
• 政治犯の釈放などの恩赦、鉄道敷設許可
• ローマの市民軍の設立を認可
• オーストリア軍の軍事干渉に立ち向かう
↓大人気の教皇となるが、「自由主義的」な政策を認めたために、ローマで市民革命(1848年)が勃発→教皇はローマから追放→ナポリ王国に一時滞在→ローマに復権
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ローマ復権後のピウス九世
• 1850年~1878年
• 「自由主義的」政策への反省で、反動保守
1854年「聖母マリア無原罪の御宿り」
1864年「謬説表」
1870年「教皇不可謬性」
→近代化、自由主義、イタリア民族運動と真っ向から対立→新イタリア王国と国交断絶
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ローマ問題の発生
• 新イタリア王国VSバチカン(カトリック教会)
→95%カトリックであるイタリア市民は、イタリア王国とバチカンどちらに忠誠心を持つのか混乱
→政治や教育などの市民生活に大きく影響
・新イタリア王国はフランス寄り→ドイツ寄りへ
VS 教皇を擁護するフランス
→フランスVSドイツがイタリア国内に存在
→新イタリア王国の不安定要素となる
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親ドイツ派クリスピ首相は、中世に教皇が火あぶりした科学者の像を建設
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政府は初代イタリア国王を人気者、脱カトリックに仕立てあげる政策
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かつての人気教皇ピウス九世の最期
• ローマ市民の大の嫌われ教皇に転落
教皇の葬儀中、その棺桶がローマ市民によって2~3度襲撃:棺桶へ泥の投げつけ、
棺桶を奪ってテベレ川に投入しようとする
→嫌われ者となりバチカンの囚人として生涯を
閉じたピウス九世、自らの苦しみを串焼き殉教した聖ロレンッオに同一視:同教会に埋葬
→怨念の聖人と教皇として、死後も嫌悪される
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レオ13世の政策
• ピウス九世よりはイタリア王国や世俗界と接触
• 労働者の権利を擁護する回勅『レールム・ノヴァールム』を発表。またイタリア王国の植民地拡大への関心から、カトリック教会の世界宣教の情熱が強まり、各種修道会が発足、その規模を拡大、宣教師が世界に派遣され、世界中で多くの司教区が作られる
• ただし、カトリックであるイタリア市民に王国の選挙をボイコットするよう呼びかける→和解成立ならず
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ピウス10世1903~1914年の時代
ピウス9世に類似する立場で、イタリア王国との対立が再び深まる。またバチカンを擁護する立場のフランスとも関係を悪くし、世俗界や国際政治に関わる政策は見られなかった。
イタリア王国は、二代国王ウンベルト一世が1900年に暗殺されるが、三代目国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ三世にようやく王制が安定、工業発展などで経済的「離陸」の時代
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ベネディクト15世、1914~22年
• 第一次大戦の時代だけに、国際政治に関わる。
• 教皇としてバチカンの戦中の不偏中立を宣言、平和実現のため、仲介者となろうとさまざまな外交努力を行う。35年近い教会と国家の断絶に阻まれる。
• 戦後、世俗国家の仲介者としてのバチカンを目指した彼の継続的な努力がようやく実り始めたが、その成果をみることなく1922年冬に死去。
• 正教会との対話の再開を意図した
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バチカン市国設立の父、ピウス11世
• 1929年2月にラテラノ条約をイタリア王国と締結し、ピウス9世以来のイタリア王国と断絶状態、ローマ問題を約60年ぶりに解決。バチカンがイタリア王国を承認、同時にイタリア政府もバチカンを独立国、主権国家として承認。ここに世界最小国家バチカン市国が成立。バチカンは返還を求めていた広大な教皇領を諦め、代償として7億リラが支払われ、以後のバチカンの財源となった。
• ムッソリーニは、バチカン(カトリック教会)のバック・アップを受け、そのファシズム政権の基盤を固める
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ラテラノ条約の意義
バチカン(カトリック教会)は、イタリア王国内の教育や様々な社会的活動、そして政治の場での影響力を正式に回復。また、主権国家となったことで、世界中の国々、特にキリスト教国との正式な国交や外交関係を再開させる。
↓イタリア国内及びキリスト教国では、キリスト教民主党などの政治活動に影響。外交官の交換や、国際組織へ支援など国際政治に関与
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ナチス・ドイツとの政教条約
• ナチス台頭後、ナチ党とドイツのカトリック教会は対立していたが、ドイツ中央党党首フランツ・フォン・パーペンがナチスに接近、33年にナチスが政権を握った後、同氏は副首相に就任して、ドイツ中央党はいわゆる全権委任法に賛成し、ナチスとカトリックの協力関係が築かれた。
• 1933年7月にはドイツとピウス11世の間に政教条約が結ばれ、ナチス政権はカトリックの保護を約束し、教会は司教・信者のナチスへの忠誠を誓った。カトリック教会がナチスを容認した理由は反共産主義で一致したこと、ドイツ領内のカトリック教徒の保護とバチカンの保護のためであった。
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ピウス11世とファシズム、ナチズム政権との関係
• ラテラノ条約締結後のイタリア王国とバチカンの関係は悪化、ピウス11世は1931年には回勅『ノン・アビアモ・ビゾーニョ』で公式にファシスト党を非難
• ナチスは36年ごろから政教条約を無視、カトリック教会の青年運動などを弾圧、カトリック教会との対決姿勢を見せた。教皇は1937年の回勅『ミット・ブレネンデル・ソルゲ』で、ナチスが人種・民族・国家を神格化していると非難、その非人道的行動を非難し、ナチスのユダヤ人の取り扱いについても、改宗する限りキリスト教徒と同じであると主張、糾弾している。
• 1937年の回勅『ディヴィニ・レデンプトーリス』(『聖なるあがない主』)では共産主義を糾弾。
• 労働者の尊厳を訴えた回勅も1931年発表
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ピウス12世:ピウス11世下の国務長官:ナチスとの政教条約の立役者
• バチカン銀行であるローマ銀行頭取の家柄、パチェッリ家出身。ドイツのババリアやワイマール共和国の教皇使節(外交官)をつとめた。1917年にピウス11世によって枢機卿になり、バチカンの国務長官となる。ピウス11世時代に締結された、プロイセンやオーストリア、ドイツとの政教条約締結に大きな貢献し、ヨーロッパやアメリカを頻繁に訪問した。
• 特に1933年7月20日にパチェッリ枢機卿の主導で教皇庁がヒトラー総統率いるナチス党政権下のドイツと結んだ政教条約は、ナチス党政権下のドイツにお墨付きを与えたものとして後に大きな非難を招く。
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ピウス12世:「ヒットラーの教皇」の仇名をめぐる論争
• 第二次大戦目前1939年3月2日、パチェッリ枢機卿は教皇ピウス12世として選出される。戦争が始まると、第一次世界大戦時のバチカンは「不偏」の立場に倣った。しかしピウス12世がナチス政権下のドイツのユダヤ人虐殺に対して明確に非難しなかったとして、戦後激しく糾弾される。
• バチカンの戦争中のユダヤ人への対応については現在も大論争が展開されている。1943年ドイツ軍がローマを占領すると、多くのユダヤ人がバチカンでかくまわれ、バチカンの市民権を得たので、戦後イスラエル政府は「諸国民の中の正義の人」賞をピウス12世に贈っている。しかし、批判者によれば、バチカンがはっきりとユダヤ人迫害を非難すれば、ドイツ軍も決して思い通りにはできなかったと主張している。
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ヒットラーの教皇論争
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ピウス12世の立場
• ナチス党政権下のドイツに対しても単に言いなりになっていたわけでなく、政教条約を結んだ立場として、さまざまな苦言を呈し、(ラテン語でなく)ドイツ語で正式版が書かれた珍しい回勅『ミット・ブレネンダー・ゾルゲ』(Mit brennender Sorge(深い不安と共に):1937年)でもナチス党政権下のドイツに対する憂慮を公式に表明している。
• 宗教を否定する共産主義に対する防壁としてのナチス党政権下のドイツへの期待、同じ理由で日本の満州国への承認も行う。ナチス党政権下のドイツの暴力から無防備なカトリック教会を守ることも意図。
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ヨハネ23世、1958~63年
教皇としてエキュメニズム(教会一致)を図った。1500年代以来、初めて英国教会大主教をバチカンに迎え、正教会へも公式メッセージを送った。正教会との和解はキリスト教弾圧を行うソ連や東欧の共産主義に対抗したもの。また東西冷戦の解決を模索し、キューバ危機においても米ソ双方の仲介に尽力。カトリック教会の近代化を意図し、誰もが予期しなかった公会議の開催を指示した。彼は準備委員会を発足させ、ついに1962年10月、第2バチカン公会議の開催にこぎつけた。しかし1963年6月3日、会議の終了を待たずに死去。
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パウロ6世、1963~1978年
ヨハネ23世が、第2バチカン公会議会期途中で死去すると、パウロ6世がこれを引き継ぎ、全うさせ、この理念に基づく教会改革を行った。また、パウロ6世のもとでシノドス(司教会議)が初めて行われ、現代にいたっている。ただ教皇として発布した回勅「フマーネ・ヴィテ」はカトリック教会が人工的な産児制限を否定したため、大きな議論を呼んだ。教皇としてはじめて5大陸をめぐり、初めて飛行機を利用した教皇となり、はじめて聖地エルサレムに足を踏み入れた教皇にもなった。エキュメニズム(教会の一致)にも心を注ぎ、教皇として初めて英国国教会のカンタベリー大主教や、東方教会の総主教たちを訪問した。
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ヨハネ・パウロ1世、1978年
• マフィアやフリー・メイソンと繋がりがあると言われたバチカン銀行の頭取であったアメリカのポール・マルチンクス大司教を更迭する直前に在位数ヶ月で死去したことで、殺害説が絶えない教皇。南米の貧困問題(解放の神学はマルクス主義的としてバチカンから承認されていない)や産児制限にも理解を示したことで、型破りであった。
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ヨハネ・パウロ二世、1978~2005年
• 他宗教との交流に積極的、プロテスタント諸派との会合や東方正教会との和解への努力を行い、大きな成果を上げた。天台宗の酒井雄哉とも会っている。1986年には教皇として初めてローマのシナゴーグ
を訪れてユダヤ人への親近感を示しことなどでも知られる。さらに1980年代後半以降の共産圏諸国の
民主化運動において、宗教的・政治的支援を行った。南米の「解放の神学」に対しても、マルクス主義的な側面は糾弾したが、一定の理解を示した。
• 空飛ぶ正座と言われ、世界100カ国を歴訪。
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冷戦の終焉に貢献したヨハネ・パウロ2世
• 冷戦下で共産主義政権下の母国ポーランドの民主化運動には大きな影響を与えた。ポーランドは国民の98%がカトリック信者であり、教皇が着任8ヶ月後に初めての母国を訪問をしたが、熱狂的歓迎をもって迎えられた。教皇はワルシャワのピウスツキ広場に集まった人々に「(共産主義政権を)恐れるな」と訴えた。その4ヶ月後のストライキなどを経て政権は妥協路線を走り始め、1980年代後半には民意に押されて政権が民主路線へ転換している。このような民主化運動への後援の姿勢がソ連を始めとする東側諸国の政府に脅威を感じさせ、後の暗殺事件につながったとされている。
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ヨハネ・パウロ2世と米レーガン大統領の協力関係
• 冷戦の終焉にむけての両者の協力関係が強化→バチカンの外交官が「大使」に昇格
• ポーランドにおける民主化運動、連帯へのバチカンによる支援とCIAの関与
• 両者の人的な強い繋がりと、頻繁なやり取り
• 中東問題への共通の関心。特にイスラエル・パレスティナ問題と関係が深いレバノン内戦。
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冷戦とヨハネ・パウロ2世暗殺未遂事件
• 1981年5月13日、ヨハネ・パウロ2世はサンピエトロ広場にて、トルコ人のメフメト・アリ・アジャに銃撃された。銃弾は2発命中し、重傷を負ったが、奇跡的に内臓の損傷を免れ、一命を取り留めた
• 2005年2月、教皇自身が著書で犯行は共産党員によると発表。2005年3月、証拠書類が東ドイツで発見されていたとバチカン紙が報道。それによると、事件はKGBが計画し、トドル・ジフコフ率いるブルガリアや東ドイツなどが協力していたという。動機は、当時の共産・社会主義圏における反体制運動、民主化運動を精神的に支えたローマ教皇の絶大な影響力を取り除くためであったとされる。
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冷戦終焉後の民族・宗教紛争調停への関与?
• 国連においては「恒久的オブザーバー」での代表派遣であったが、2004年7月に投票以外のすべての
権利を持った代表となった。投票権を行使しないのは政治的に中立であるため。国連におけるバチカン代表はミリオーレ大司教。
• ロシアとは外交関係がソ連時代から長らく不在、メドベージェフ大統領は2009年12月3日、バチカンを訪れ、法王ベネディクト16世と初会談した。会談後バチカンは、両者が1917年のロシア革命以来なかった外交関係樹立に合意したと発表した。
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冷戦終焉後の民族・宗教紛争調停への関与?
• 旧ユーゴスラビアの民族・宗教紛争、特にコソボ紛争について、キリスト教徒であるカトリックや正教会への加担、ムスリム女性への集団的レイプ事件についての、妊娠中絶への反対表明は、激しい非難となった。国連へのコミットも投票権を拒否していることから、中途半端との批判もあるが、宗教や民族紛争については仲介的役割を模索し、間接的に国際NGOなどの活動を通じて、紛争調停や開発国への援助に関与している事実もある。
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バチカンは反イスラム?
• 冷戦時代においては、イスラムより、共産主義の方が、バチカンの最大の敵であった。
• 冷戦時代、ソ連寄りの政策を行うイスラム国に対してはむしろ、国内のイスラム教団とコンタクトさえ取っていた。
• バチカンの最大の敵は、あくまで無神論である共産主義。ユダヤやイスラムは親戚宗教という見方さえある。ただ、ピウス12世への批判もあり、ヨハネ23世からユダヤとの和解に本格的に取り組んだ。ただ、イスラエルを国家として承認せず、国交もないのは、反ユダヤだと言われるが、実は中東のイスラム国への配慮のためである。
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バチカンと中東
• ヨハネ・パウロ二世は、パレスティナ暫定政府、PLOの指導者、アラハト議長と会談した初めての教皇である。パレスティナの周辺国、シリアやレバノンには、古くから存在するキリスト教徒が少数派ではあるが居住していることも、その理由であろう。特にレバノン内戦の和平交渉には、レーガンとの協力関係のもとに仲介的役割を果たす。ただイスラム国との必要以上の接近は、イスラエル、その後ろにいるアメリカとの関係を損ねるので、配慮している。
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現在のバチカン
• 共産主義政党の一党独裁国家である中華人民共和国とは建国以来国交は不在。一方、中華人民共和国と対立関係にあり、宗教活動の自由が保障されている上に「反共主義」という共通姿勢を持つ中華民国とは国交を維持。中華民国との外交関係は中華民国が中国大陸を支配していた第二次世界大戦中の1942年に確立されている。
• 中華人民共和国と同様、共産主義政党の一党独裁国家のベトナムとも外交関係がない。
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ヨハネ・パウロ2世葬儀の主要参列者
コフィー・アナン国連事務総長
カルロ・アツェリオ・チャンピ、イタリア大統領
シルヴィオ・ベルルスコーニ イタリア首相
ジャック・シラク フランス大統領
ゲアハルト・シュレーダー ドイツ首相
チャールズ・フィリップ・ウィンザー イギリス皇太子
トニー・ブレア イギリス首相
グロリア・アロヨフィリピン大統領
陳水扁 中華民国総統
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ヨハネ・パウロ2世葬儀の主要参列者
• モハンマド・セイエド・ハータミー イラン大統領• アブドラ2世 ヨルダン国王• ハーミド・カルザイ アフガニスタン大統領• バッシャール・アル=アサド シリア大統領• モシェ・カツァブ イスラエル大統領• ジョージ・W・ブッシュ アメリカ合衆国大統領• ローラ・ブッシュ アメリカ合衆国大統領夫人• ジョージ・H・W・ブッシュ 元アメリカ合衆国大統領• ウィリアム・J・クリントン 元アメリカ合衆国大統領• ネルソン・マンデラ 南アフリカ元大統領
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まとめ
• 19世紀~今日までバチカンは国際政治に関与。特に第二次大戦~冷戦終焉までは顕著
• 世俗的な近代化に比べる大変遅れて見えるが、バチカンなりの近代化の動きがある
• 19世紀~今日まで一貫して、反共産主義。
戦前は、ファシズムとの条約で非難されるが、戦後は冷戦終焉への貢献として評価される。
・国際関係への影響とともに、国際情勢に敏感に反応し、相互的で不可分的関係が見える。