ベクトルポテンシャルの古典 力学的意味と、ベクト...
TRANSCRIPT
ベクトルポテンシャルの古典力学的意味と、ベクトルポテンシャルを用いない量子力学
谷村 省吾 名古屋大学 大学院 情報学研究科
2019年5月8日 日本大学にてセミナー
参考文献: 「幾何学的な電磁気学」数理科学2018年5月号 pp.60-67 「力学系の簡約とゲージ対称性」2019年1月号 pp.57-64 「幾何学から物理学へ」数理科学SGCライブラリ,2019年6月下旬発売予定
古典力学における磁場 • ローレンツ力
𝑭 = 𝑒𝒗 × 𝑩 • ガウスの法則(磁気単極子はない)
div 𝑩 = 0 • ベクトル解析の定理 (トポロジーの自明な空間,単連結空間,で成り立つ)
div 𝑩 = 0 ⇔ ∃𝑨 such that 𝑩 = rot 𝑨 微分形式で書くと 𝐵 は2-form, 𝐴 は1-formで
d𝐵 = dd𝐴 = 0 ⇔ ∃𝐴,𝐵 = d𝐴
2
ベクトルポテンシャルの導入 𝑩 = rot 𝑨
• ゲージ変換:任意のスカラー場 𝜆で 𝑨 ⟶ 𝑨′ = 𝑨 + grad 𝜆
rot grad 𝜆 = 0 なので rot 𝑨′ = rot 𝑨 微分形式で書くと 𝜆 は0-formで dd𝜆=0 なので
𝐵 = d𝐴 = d(𝐴 + d𝜆) • 与えられた磁場に対してベクトルポテンシャルは一意的に決まらない.
3
ベクトルポテンシャルの意味? • 磁場は力学的な方法で定義と測定ができる.
• ゲージ変換という不定性を持つベクトルポテンシャルを物理的実在とみなしてよいか?
• ベクトルポテンシャルは,数学的措定概念か?それとも観測可能な物理量か?
4
ベクトルポテンシャルの意味? • Maxwell は 𝑨 をelectromagnetic
momentum と呼んだ(1865年の論文)
• electrokinetic momentum とも呼んだ(1873年の本).
• Maxwell は電磁場をエーテルの力学的変化と捉えていた.
• この立場を J. J. Thomsonも支持. 参考文献:Griffiths "Electromagnetic momentum" Am. J. Phys. 80, 7-18 (2012)
5
ベクトルポテンシャルの意味? • Heviside と Hertz,𝑨 は purely
mathematics devise と捉えた. • Yang, Mills, 内山(1954,1956年)
非可換ゲージ理論.場の理論では 𝑨が主役,𝑩 が脇役.でも,𝑨 そのものは観測可能量ではない.
• Aharonov-Bohm効果(1959年)
量子論では(とくに相互作用の局所性を保とうとすると) 𝑨 が主役.
6
現代の物理学者の常識 ベクトルポテンシャルの位置づけ: • 古典物理の文脈では,数学的措定 • 量子物理の文脈では,観測可能量ではないが,磁場よりも本質的 とみなされることが多いようである.
でも,これだけか?
7
こういうことを言う人もいる Vaidman: 量子物理の文脈で,ベクトルポテンシャルを使わずに磁場だけでAB効果を説明できる. Vaidman "Role of potentials in the Aharonov-Bohm effect" Phys. Rev. A 86, 040101 (2012)
8
今回の私の話 • 古典物理の文脈でベクトルポテンシャルの力学的・幾何学的意味付けを与える.
• あとで少し量子論のことも議論する.
9
ベクトルポテンシャルの再解釈
スカラーポテンシャル(静電ポテンシャル,電位)のアナロジーで考える.
10
スカラーポテンシャル 静電場𝑬の中で点電荷𝑒を曲線𝐶に沿ってゆっくり運ぶのに要する仕事:
𝑊 = −𝑒� 𝑬 ⋅ 𝑑𝒓𝐶
仕事𝑊が始点と終点を結ぶ経路𝐶の採り方に依存しないことから,基準点𝑝0を決めれば任意の点𝑝における電位 𝜑 𝑝 が決まる:
𝜑 𝑝 = −� 𝑬 ⋅ 𝑑𝒓𝑝
𝑝0
𝑊 𝑝1 ⟶ 𝑝2 = 𝑒𝜑 𝑝2 − 𝑒𝜑 𝑝1
𝐶
𝑝0
𝑝
11
ローレンツ力に抗してする仕事 一様な静磁場𝑩の中で閉電流の長方形回路の辺を移動するのに要する力𝐹と仕事率𝑃と仕事𝑊
𝐹 = 𝐼𝐵𝐼
𝑃 = 𝐹𝐹 = 𝐼𝐵𝐼𝐹 = 𝐼𝐵𝑑Σ𝑑𝑑
= 𝐼𝜕𝜕𝑑� 𝑩 ⋅ 𝑑𝝈𝑆
𝑊 = � 𝑃𝑑𝑑𝑡2
𝑡1= 𝐼 � 𝑩 ⋅ 𝑑𝝈
𝑆2− 𝐼 � 𝑩 ⋅ 𝑑𝝈
𝑆1
Σ は回路が囲む面積.
仕事が最初と最後の差で与えられた. (ポテンシャルぽい)
𝐼
𝐼 𝐵
𝐹 12
ローレンツ力に抗してする仕事 静磁場𝑩内で,定電流が流れる閉回路𝐶が受けるローレンツ力𝑭𝐿に抗して閉回路を変形・移動するのに要する仕事𝑊
曲面𝑆:閉回路を𝐶1から𝐶2へ変形移動するときに掃く面
𝑭𝐿 = 𝐼 � 𝑑𝒔 × 𝑩𝐶
𝑊 = −𝐼� 𝑑𝒔 × 𝑩 ⋅ 𝑑𝒓𝑆
𝑑𝒔
𝑑𝒓 𝐶1
𝐶2
𝑆 𝑑𝝈
= −𝐼� 𝑑𝒓 × 𝑑𝒔 ⋅ 𝑩𝑆
= −𝐼� 𝑩 ⋅ 𝒏𝑑𝜎𝑆
13
ローレンツ力に抗してする仕事 磁場に抗して環電流を変形・移動するのに要する仕事𝑊は,始環𝐶1と終環𝐶2の間を掃く曲面𝑆 の選び方に依らない.
𝑊 𝑆 = −𝐼� 𝑩 ⋅ 𝒏𝑑𝜎𝑆
𝑊 𝑆2 −𝑊 𝑆1
= −𝐼� 𝑩 ⋅ 𝒏𝑑𝜎𝑆2
+ 𝐼� 𝑩 ⋅ 𝒏𝑑𝜎𝑆1
= −𝐼� 𝑩 ⋅ 𝒏𝑑𝜎𝜕𝑉
= −𝐼� div𝑩 𝑑𝐹𝑉
= 0
𝐶1
𝐶2
𝑆1 𝑆2 𝑉
14
環電流に対するポテンシャル “基準となる環”𝐶0を定めれば,任意の環 𝐶 の “ポテンシャル”エネルギーが定まる:
cf: 静電場では,“基準点”𝑝0を決めれば,任意の 点𝑝におけるポテンシャルエネルギーの値が定まった:
𝑈 𝐶 = −𝐼� 𝑩 ⋅ 𝒏𝑑𝜎𝑆
𝑊 𝐶1 ⟶ 𝐶2 = 𝑈 𝐶2 − 𝑈 𝐶1
𝑆 は 𝜕𝑆 = 𝐶 − 𝐶0となる任意の曲面 𝐶1
𝐶2
𝐶0
𝑒𝜑 𝑝 = −𝑒� 𝑬 ⋅ 𝑑𝒓𝑝
𝑝0, 𝑊 𝑝1 ⟶ 𝑝2 = 𝑒𝜑 𝑝2 − 𝑒𝜑 𝑝1
𝑆2
𝑆1
15
環電流に対するポテンシャル とくに基準環として𝐶0 = 0(一点につぶれた環)を選ぶと,環電流の“ポテンシャル”エネルギーは
𝑈 𝐶 = −𝐼� 𝑩 ⋅ 𝒏𝑑𝜎𝑆
= −𝐼� rot 𝑨 ⋅ 𝒏𝑑𝜎𝑆
= −𝐼� 𝑨 ⋅ 𝑑𝒔𝐶
𝑆 は 𝜕𝑆 = 𝐶となる任意の曲面
𝐶0
𝐶
16
ゲージ不変性 環電流の“ポテンシャル”エネルギーはゲージ不変である:
𝑈 𝐶 = −𝐼� 𝑨′ ⋅ 𝑑𝒔𝐶
= −𝐼� 𝑨 ⋅ 𝑑𝒔𝐶
− 𝐼 � grad 𝜆 ⋅ 𝑑𝒔𝐶
= −𝐼� 𝑨 ⋅ 𝑑𝒔𝐶
なぜなら 𝐶は閉曲線だから.
𝐶 𝑨 ⟶ 𝑨′ = 𝑨 + grad 𝜆
17
電場と磁場のパラレル構造 静電場𝑬中の点電荷𝑒に対しては位置エネルギーが定まり,点電荷の移動の仕事は位置エネルギーの差に等しい:
静磁場𝑩中の環電流𝐼に対しては配置エネルギーが定まり,環電流の変形・移動の仕事は配置エネルギーの差に等しい:
div 𝑩 = 0なので 積分値は𝐶0と𝐶を結ぶ経路曲面に依存しない.
𝑈 𝑝 = −𝑒� 𝑬 ⋅ 𝑑𝒓𝑝
𝑝0
𝑊 𝑝1 ⟶ 𝑝2 = 𝑈 𝑝2 − 𝑈 𝑝1
𝑈 𝐶 = −𝐼� 𝑩 ⋅ 𝒏𝑑𝜎𝐶
𝐶0= −𝐼� 𝑨 ⋅ 𝑑𝒔
𝐶+ 𝐼 � 𝑨 ⋅ 𝑑𝒔
𝐶0
𝑊 𝐶1 ⟶ 𝐶2 = 𝑈 𝐶2 − 𝑈 𝐶1
rot 𝑬 = 0なので 積分値は𝑝0と𝑝を結ぶ経路に依存しない.
18
ベクトルポテンシャルの解釈 • ベクトルポテンシャルは,単位電流あたり,単位長さあたりの,位置エネルギーである,と解釈できる(J/A⋅m):
𝑈 𝐶 = −𝐼� 𝑨 ⋅ 𝑑𝒔𝐶
• 環電流のポテンシャルはゲージ不変であり,その差は仕事で測ることができるので,差は観測可能量と言える:
𝑊 𝐶1 ⟶ 𝐶2 = 𝑈 𝐶2 − 𝑈 𝐶1 19
電荷と環電流のパラレル性 • 電磁気学の教科書では「電流素片」という理想概念が導入されるが,電荷保存則に反するものを基本要素とするのはやめた方がよい.
• 点電荷と環電流の方が,電荷保存則にのっとった基本要素.
𝐼 𝑑𝒔
20
電荷保存則に反する, または,定常ではない
ここまでのまとめと,次の話 • 古典物理の文脈でベクトルポテンシャルに力学的・幾何学的意味付けを与えた.
• 今回説明しなかったが,任意の多様体上でも微分形式を用いて同様の構成ができている.
• 「仕事」の計算に見落としがないか(定電流源に対する仕事,環電流同士の相互作用)という疑問は,決着がついていない.
• じつは磁場だけを用いて(少なくとも質点荷電粒子の)古典力学も量子力学も定式化できる.
21
古典力学における磁場 • ニュートン流儀の力学は,ベクトルポテンシャル不要:
𝑚𝑑𝒗𝑑𝑑
= 𝑒𝑬 + 𝑒𝒗 × 𝑩
22
ハミルトン形式の力学 • 正準変数 (𝑥1, 𝑥2, 𝑥3, 𝑝1, 𝑝2,𝑝3)のポアソン括弧
𝑥𝑟 , 𝑥𝑠 = 0, 𝑝𝑟 , 𝑝𝑠 = 0, 𝑥𝑟 , 𝑝𝑠 = 𝛿𝑟𝑠 • ハミルトニアン
𝐻 =12𝑚
𝒑 − 𝑒𝑨 𝒙 2 + 𝑒𝜑 𝒙
• 運動方程式 𝑑𝐴𝑑𝑑
= 𝐴,𝐻
• 𝑝𝑟はゲージ変換を受ける:𝜆(𝑥1, 𝑥2, 𝑥3) 𝑝𝑟 ⟶ 𝑝𝑟 + 𝑒𝜕𝑟𝜆, 𝐴𝑟 ⟶ 𝐴𝑟 + 𝜕𝑟𝜆
23
ゲージ不変量だけで書かれたハミルトン力学
𝜋𝑟 ≔ 𝑝𝑟 − 𝑒𝐴𝑟 , 𝜀𝑟𝑠𝑟𝐵𝑟 ≔ 𝜕𝑟𝐴𝑠 − 𝜕𝑠𝐴𝑟
• 正準変数 (𝑥1, 𝑥2, 𝑥3,𝜋1,𝜋2,𝜋3)のポアソン括弧 𝑥𝑟 , 𝑥𝑠 = 0, 𝜋𝑟 ,𝜋𝑠 = 𝑒𝜀𝑟𝑠𝑟𝐵𝑟 , 𝑥𝑟 ,𝑝𝑠 = 𝛿𝑟𝑠
• ハミルトニアン
𝐻 =12𝑚
𝝅2 + 𝑒𝜑 𝒙
• 運動方程式 𝑑𝐴𝑑𝑑
= 𝐴,𝐻
24
ゲージ不変量だけで書かれた量子力学
• 自己共役演算子 (𝑥�1, 𝑥�2, 𝑥�3,𝜋�1,𝜋�2,𝜋�3)の交換関係
• ハミルトニアン 𝐻� = 12𝑚
𝝅�2 + 𝑒𝜑 𝒙�
• 運動方程式 𝑑𝐴�𝑑𝑡
= 1𝑖ℏ�̂�,𝐻�
• 波動関数表現にはベクトルポテンシャルが現れる: 𝜋�𝑟𝜓 𝒙 = −𝑖ℏ𝜕𝑟 − 𝑒𝐴𝑟 𝜓 𝒙
• 代数だけで解ける問題はゲージ不変性を保ったまま扱える.
25
𝑥�𝑟 , 𝑥�𝑠 = 0 𝜋�𝑟 ,𝜋�𝑠 = 𝑖ℏ𝑒𝜀𝑟𝑠𝑟𝐵𝑟 𝒙�
𝑥�𝑟 ,𝜋�𝑠 = 𝑖ℏ𝛿𝑟𝑠
Vaidman流の,ベクトルポテンシャルを用いないAB効果の説明 (Phys Rev A 2012)
• 荷電粒子とソレノイド電流との複合系を扱う. • ソレノイドは一定電流𝑚の固有状態. • 荷電粒子が左か右を通ると,電子がもたらす磁場𝐵がソレノイドにフェイズシフトを与える.
• シフトの符号の違いがAB効果.
26
初期状態 |𝑒⟩⨂|𝑠𝑠𝑠𝑒𝑠𝑠𝑖𝑑⟩
中間状態 |𝐼⟩⨂𝑒𝑖𝑚𝑖|𝑠𝑠𝑠⟩ + |𝑅⟩⨂𝑒−𝑖𝑚𝑖|𝑠𝑠𝑠⟩
終状態 (𝑒𝑖𝑚𝑖 + 𝑒−𝑖𝑚𝑖)|𝑒′⟩⨂|𝑠𝑠𝑠⟩
ソレノイド
電子
ベクトルポテンシャルの要不要論争 • 磁場だけを用いて(少なくとも質点荷電粒子の)古典力学も量子力学も定式化できた.
• AB効果も(非局所相互作用を使ってよければ)ベクトルポテンシャルなしで説明できた.
• ベクトルポテンシャルは必要・有意味なのか,不要・無意味なのか,どちらなのか!?
• ベクトルポテンシャルは「まったくの数学的虚構」ではないと言いたい.ベクトルポテンシャルは,あったら便利で意味づけもできるし,なければなしでも済ませられる.
27
今後の課題 • (古典場としての)非可換ゲージ場に位置エネルギーのような古典力学的意味を与えることはできるか?
• 場の量子化はどうなる? ゲージ不変量だけを用いてゲージ場の量子論を定式化できるか?
• 相対論との整合性
28
ご清聴ありがとうございました
29