栃木市中根八幡遺跡...中根八幡 後藤 寺野東 長竹 雅楽谷 小林八束...
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現地説明会
www.facebook.com/nakanehachiman/
このリーフレットは、平成28年度栃木県大学・地域連携プロジェクト「とちぎの古代遺産新発見」の一環として、作成したものです。 2017.3.1
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中根八幡遺跡学術発掘調査団
栃木市中根八幡遺跡Nakanehachiman Research Project
現場公開・情報発信
子 発掘
創作音楽
会告会会会会告会告告告告告告告現現現 報告告報報報告告告報報報地地地地地報報報報報報報報報現地現現地報地地
学園祭展現 説 会会
小中学生向けの発掘体験講座を開催しています。
発掘調査の現場を地元の皆さんや研究者に見てもらいます。
学生による手作りパネルで調査の成果を速報しました。
國學院大學栃木短期大学人間教育学科の協力で、縄文時代をイメージしながら音楽を創作しました。
1年間の活動を地元の方々向けに報告しました。
〒328-8588 栃木県栃木市平井町608編集:國學院大學栃木短期大学考古学研究会空中写真撮影:國學院大學考古学研究室
中根八幡遺跡学術発掘調査団(國學院大學栃木短期大学・奈良大学)
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中根八幡● 寺野東後藤
長竹
雅楽谷小林八束
氷川神社馬場小室山
井野長割曲輪ノ内
三直
三輪野山
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築地
刈沼
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本上●●宮岡氷川神社前後谷
●石神
●加曽利
●●藤岡神社
●山野
● 上宮田台
●中沢
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曽谷
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遺跡の直下には豊富な湧き水があり、これに向かって開いたドーナツ状の高まりが環状盛土遺構です。一部削平されていますが、縄文人が築いた盛土の姿をよく残しています。この高まりの部分に家を設けて暮らしていたものと推定されます。
この調査では、幅50cm、長さ1m、深さ10cmの範囲を1つの単位と
して、縄文人の道具がどこから見つかったのかを記録
しながら掘り進めて行きます。移植ゴテや両刃鎌を使って丁寧に掘り下
げていきました。少し掘っていくだけでたくさんの縄文
土器や石器がみつかります。大きい破片や小さい破片、古いもの新しい
ものが混じっていることが分かります。
よく土の断面を確認すると色や硬さや、混じっている炭や骨の量が異な
ることに気づき
ます。縄文人が長い時間をかけて土を盛ったことがわかります。これら
を測量の道具
を用いて図面として記録することも大切な調査の1つです。
、長さ1m、
とに気づきき
台付鉢後期に使用されたもので、高台をつけることで載せるものの重要性を表したものだと思われます。
だ い つ き ば ち
縄目文様以外にも色々な方法で飾られます。時代や地方ごとの独特な器形や文様が遺跡の年代を探る手がかりになります。中期のものは器壁が厚く、粘土紐を張り付けて文様をつける特徴があり、後期では丁寧に磨いた薄い器面に沈線で文様を描きます。晩期では入り組み文様が特徴です。底には回転台代わりに敷いた編みものの痕跡が残っていることがあります。縄文土器
じ ょ う も ん ど き
注口土器土瓶のように液体を注ぎだすための注ぎ口の部分。特有の形態と丁寧に付けられた文様が特徴で、数も少なく儀礼において特別な液体を入れたものと考えられています。
ち ゅ う こ う ど き
石皿・磨石石皿を下に置き、磨石を用いて木の実をすりつぶした道具です。縄文時代は植物食に支えられていました。
い し ざ ら ・ す り い し
石鏃弓矢の先端に取り付けるもので、ガラス質の石材を割って作られました。
せ き ぞ く
磨製石斧磨きあげて仕上げた石斧であり木を伐採するために使用しました。刃のみ磨けばよいのですが全面を美しく磨いたものが多くあります。
ま せ い せ き ふ
打製土掘具打製石斧とも呼ばれますが、柄をつけて土を掘る道具と考えられています。竪穴住居を掘ったり、イモなどの食料を掘ったり、環状盛土遺構を作るために使ったと思われます。
だ せ い つ ち ほ り ぐ
石錐石製のドリルと推定されます。
い し き り
石材石器等を作る材料の石です。黒曜石は長野から持ち込まれたと考えられ、チャートは近くの川から拾ってきたと思われます。
せ き ざ い
耳飾ピアスのように耳たぶに孔をあけてつけるものです。模様の無いものもありますが、中には非常に精巧な透かし彫りをしたものもみられます。
みみかざり
突起縄文土器の装飾の一部。縄文土器の口縁部にしばしば見受けられます。実用性からみて不便ですが、デザインを凝らしたものも多く、縄文人の精神世界に大きく関わる造形です。
と っ き
発掘調査の様子
出土品の紹介
遺跡遺跡の直の直下に下には豊は豊富な富な湧き湧き水が水があり、こ、これに向か向かって開い開いたドーナツ状の高まりが環状盛土遺構です 部削平されていますが
A区 B区
凹地
湧水
中根八幡遺跡とはな か ね は ち ま ん い せ き
STEP
1
STEP
2
栃木市南部の渡良瀬遊水地に連なる湿地に面した直径約160mの環状盛土遺構をもったムラの跡です。環状盛土遺構は、小山市寺野東遺跡で初めて発見され、国指定史跡として保護・整備されていますが、その後は埼玉県や千葉県を中心に発見がつづいています。この遺構が構築された当時、関東の縄文文化は洗練された加曽利B式・安行式とよばれる土器、山形土偶やミミズク土偶、精緻な透かしの入った耳飾などをもった最盛期を迎えますが、やがて終焉を迎え、北関東は独自の弥生文化へと変化していきます。中根八幡遺跡の環状盛土遺構の始まりから終りを調べることで、この地域の大きな変化の様子を探りたいと、國學院大學栃木短期大学と奈良大学が共同で2015年から学術調査を行っています。
かんじょうもりつちいこう
てらのひがし
か そ り あんぎょう
中期(5000年前) 後期(4000年前) 晩期(3000年前)
底部
石錘水中で網を垂らす錘です。網漁のあったことがわかります。
せ き す い
おもり
〈環状盛土遺構の分布〉〈遺跡の構造〉