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-9- 犯罪社会学における実証主義的思潮 とボンド・セオリー hF 舗寸叫 U MME H . .a d 1 . 伝統的実証主義 Z 社会学的視点にたつアメリカの犯罪 ・非行研究はしばしば実証主義的犯罪 学と呼ばれている。しかし,犯罪学それ自体の潮流からみれば,実証主義的 思湖はアメリカ固有の流れではなく,むしろロンブローゾ (C.Lombrozo) やフェノレリ (E. Ferri) をはじめとする 19C 後半のイタリア学派を鳴矢とす るととができる。その背景には,ケトレ (A. Quetelet) をはじめとする犯 罪学への統計学の援用や当時飛躍的に進展しつつあった自然科学の発達がみ られる。統計学や自然科学的方法論を適用して犯罪現象を実証的に解明しよ うとしたイタリア学派はそのために以降実証学派と呼ばれている o しかし, 実証学派とは, しばしば混同されているようにイタリア学派にのみ冠せられ た名称ではなく,犯罪原因を確定するために,犯罪者とその環境を科学的な 方法によって研究しようとする立場を総称するものである。アメリカにおい ては ζ うした犯罪社会学の発生当初に犯罪社会学が妊胎していた実証主義的 思潮に加え,アメリカ社会学の主要な底流をなしている経験主義的思潮やラ ザプスフェノレト (P. F. Laza eld) らの自然科学的方法論への依拠とがあ いまって,アメリカの犯罪社会学はヨーロッパの犯罪社会学に比べより一層 実証主義的傾向を強めたといえる。 もとより,一口に実証主義的犯罪社会学といっても多様な分析視角を含ん でおり,また何を犯罪の主たる原因とみなすかについてさまざまな立場があ るととは当然である。しかし,それにもかかわらずそこにはいくつかの共通 した理論前提が見られる。 その一つは犯罪社会学の課題を犯罪原因の確定におく乙とによって,人間 の行動は少なくともある程度までは彼の制御の及ばないさまざまな力によ( て決定されているという前提である (Vold 1979:47; Em 1ω98 2: 287 つまり仇,実証主義は,研究者によって幅はあるとしても少なくともある程度 (671 ) f .・ 6

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  • -9-

    犯罪社会学における実証主義的思潮

    とボンド・セオリー• hF

    ・舗寸叫U

    司、‘

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    1 . 伝統的実証主義

    森 洋田 司

    符Z

    社会学的視点にたつアメリカの犯罪 ・非行研究はしばしば実証主義的犯罪

    学と呼ばれている。しかし,犯罪学それ自体の潮流からみれば,実証主義的

    思湖はアメリカ固有の流れではなく,むしろロンブローゾ (C.Lombrozo)

    やフェノレリ (E.Ferri)をはじめとする19C後半のイタリア学派を鳴矢とす

    るととができる。その背景には,ケトレ (A.Quetelet) をはじめとする犯

    罪学への統計学の援用や当時飛躍的に進展しつつあった自然科学の発達がみ

    られる。統計学や自然科学的方法論を適用して犯罪現象を実証的に解明しよ

    うとしたイタリア学派はそのために以降実証学派と呼ばれているo しかし,

    実証学派とは, しばしば混同されているようにイタリア学派にのみ冠せられ

    た名称ではなく,犯罪原因を確定するために,犯罪者とその環境を科学的な

    方法によって研究しようとする立場を総称するものである。アメリカにおい

    ては ζ うした犯罪社会学の発生当初に犯罪社会学が妊胎していた実証主義的

    思潮に加え,アメリカ社会学の主要な底流をなしている経験主義的思潮やラ

    ザプスフェノレト (P. F. Lazaぱ eld) らの自然科学的方法論への依拠とがあ

    いまって,アメリカの犯罪社会学はヨーロッパの犯罪社会学に比べより一層

    実証主義的傾向を強めたといえる。

    もとより,一口に実証主義的犯罪社会学といっても多様な分析視角を含ん

    でおり,また何を犯罪の主たる原因とみなすかについてさまざまな立場があ

    るととは当然である。しかし,それにもかかわらずそこにはいくつかの共通

    した理論前提が見られる。

    その一つは犯罪社会学の課題を犯罪原因の確定におく乙とによって,人間

    の行動は少なくともある程度までは彼の制御の及ばないさまざまな力によ(

    て決定されているという前提である (Vold,1979: 47; Em慨 1ω98幻2:没287

    つまり仇,実証主義は,研究者によって幅はあるとしても少なくともある程度

    (671 )

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    .・6

  • - 10ー

    は決定論に立脚している。その幅はベッカリーア (C.Beccaria)やベンタム

    (J. Bentham)をはじめとする古典的犯罪学が理論前提としていた意,思自由 i

    の問題をどれだけ理論の中に組み込んでいるかによって異なってくる。今日

    の実証主義的犯罪社会学では,乙の問題は法を犯すかどうかを決定するにあ ;

    たって行なう非行少年の選択の問題として扱われている。マッツァ (D.

    Matza)やエンペイ (L.T. Empey)は今日のこうした動向を「柔らかな決 .

    定論J(soft determinism)と表現している (I¥1atza,1964: 7; ,Empey, 1982:

    287)。

    第一の前提は研究が原因の確定を課題としていることから由来したとすれ

    ば,第二の前提はその原因探究が犯罪行動に向けられていることから派生す ・

    るO 犯罪を引き起こす原因を探究するためには犯罪行動が犯罪でない行動と

    対置される。そこには犯罪行動の原因がその他の行動の原因と異なるという

    前提 (Vold,1979: 47)や犯罪者は非犯罪者と基本的に異なるという前提

    (Matza, 1964: 11-12; Empey, 1982: 287)が暗黙のうちに想定されてい

    るO 犯罪原因の研究で犯罪者と非犯罪者との比較研究が行なわれるのは乙う

    した前提があるからである。

    第三は関心の主要な焦点を法ではなく,非行少年とその行動にあてるべき

    であるという前提が想定されていることである (Matza,1964: 3-5 ; Empey,

    1982: 287)。乙の立場は研究の主たる焦点を法にむけているダベリング理論

    と対照的であるO それは法を所与のもの とするか,それとも乙れを対象化す

    るかという立場の違いでもあるO 実証主義では犯罪とは法律に規定されてい

    ることと同義的であり,法にもとる行為として把握されるO つまり法は人々

    のコンセンサスの産物として動かすことの出来ない絶対的な社会的事実と

    みなされている。したがって法自体にたいする検討はおこなわれるとしても

    二義的であって,主たる研究の焦点は法にも とる行為の発生過程や行為の法

    則性へと絞られるO 犯罪という事実を人々や司法執行機関にかかわる人々の

    社会的反作用や統制行動に求めるラベリング論とは著しい対照をなしてい

    るO

    乙れらの諸前提は実証主義が非行原因の確定とその経験的妥当性を目的と

    するところから派生している O しかし,現代のアメリカの実証的主義的犯罪

    社会学が乙れらの諸前提をそのまま組み込んでいるわけではなく,それぞれ

    の理論は乙れらの前提を修正しつつ,そ乙から一定の距離を置いているo そ

    の意味では,これらの前提はイタリア学派の古典的実証主義に典型的なもの

    ( 672)

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  • 犯罪社会学における実証主義的思潮とボンド ・セオリ ー - 11ー

    であり,乙 乙では現代の諸理論を分析する ための理念的要素とみなすべきで

    )7付l!;1 ある。そこで本研究では現代のアメ リカの実証主義的犯罪原因論の中心的なigatt-| 理論の一つであ り, 現代の社会学的 コントローノレ理論を代表する理論である

    'J 'j 1 ffi. I ボンド ・セオリ ーを取り上げ,ボン ド・セオリ ーが固有にもっている前提はをIijthii なにか,また,ボンド・セオリ ーは実証主義の中でどのような位置をしめて

    Rtü~l, !I~' I いるのかを検討する こと によってボ ンド・セオリーの特徴とそこに含まれている環論的諸問題を明らかにする 乙とを目的としている。ボンド ・セオリー

    は,近年その有効性が認められるにつれて コン トロ ーノレ理論以外の理論的ノて

    ースペクティブとの接合が図られている。理論の予測力や説明力を高めるた

    めの理論聞の接合はも とよ り歓迎すべき 乙とであるが,なかには相互の理論

    的前提が矛盾を来すにもかかわらず,一つの整合性をもたされた説明の枠組

    として統合される 乙と もある。そ乙で本研究では単に犯罪学説史上にボンド

    ・セオリ ーを位置付けるだけでなく,乙うした無節操な理論的接介を防ぎ,

    矛盾のない理論との接合を図りつつ,ボンド ・セ オリーによる犯罪 ・非行現

    象への説明力や予測力をより一層高める可能性を探ろうとするものである。

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    'u. 2. アメリカにおける実証主義的原因論の系譜とコントロール理論

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    1) 実証主義的原因論の系譜 F

    ハーシィ (T.Hirschi) は犯罪 ・非行原因論への社会学的なアプローチを

    緊張理論 (straintheory), コン トローノレ理論 (controltheory),文化的逸

    脱理論 (cultural deviance theory) の三つに大別している (Hirschi,

    1969 : chap. 1)。 この区分が妥当かどうかについては議論の余地があろうし,

    全く異なっ た基準か らの分類も可能である。しかし,本稿では コントローノレ

    理論の特質を明らかにするために, コントローノレ理論の立場から提起された

    分類を採用することとする。なお,ハーシィが分類を提唱した1969年時点で

    はラベリ ング理論は組み込まれておらず,分類から漏れている。しかし,乙

    の分類は,その後コーンハウザー (R.R. Kornhauser, 1978)によって詳細

    に検討され,理論的な基礎付けがおこなわれたために広く用いられるように

    なり,わが国でもラベリング理論を組み込みつつ使われている分類法である

    (星野,1975, 1981;大村・ 宝月 ,1979)。

    緊張理論とは社会的に生みだされた欲求不満 (frustration),緊張(strain),

    (673 )

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  • - 12ー

    葛藤 (conftict),社会的不満 (socialdiscontent),相対的欠乏感 (relative

    deprivation) などを減少させたり , 解決するために人々は犯罪へと駆 り

    てられていくと見る考え万であり ,動ぬを強調すると乙ろから動機理論と

    呼ばれているo 文化的に規定された成功目標に到達するための合法的機会が

    その人の社会構造上の位置によって閉ざされているためκ非合法な犯罪と I~

    う手段によって目標を達成する乙とが生しるというマ一 トン (R.K. rVIertoD,

    1938)の「アノミー論 (anomietheory) Jは典型的な緊張理論であ 1る10

    コント ローノレ理論とは犯罪行動が表われるのを抑制している要素を強調

    る立場であり,犯罪とは ζれらの要素が弱まったり ,欠如したり,機能障害

    に陥った場合に発生すると考えるo 緊張理論が「なせ'人々が規範に従わなし

    のか」を説明しようとするものであるとすれば,コントロ ーノレ理論ではζの

    問いが逆転され, iなぜ人々は規範に従っているのか」を説明しようとする

    (Hirschi, 1969: 10)。 つまり少年たちを犯罪へと向かわせる逸脱へのメカ

    ニズムの究明ではなく ,犯罪へと走る乙とを押し留めている向調確保へのメ

    カニズムの究明となると ζ ろに コントローノレ理論の特徴がある。

    乙れらの統制要素は従来の社会化理論や社会的反作用論が着目してきた./~

    ーソナリティ内の内在化された規範意識や相互作用レベノレで行使されるサン

    クシ ョンに求める乙とができょう。また,ハーシィがいうようK個人が他者,

    家族,コ ミュ ニティ ,学校,仕事など,個人が人間関係,集団,制度!ζたい

    してもっている「社会的な粋(socialbond) Jも統l制要宗となるo ハーシィ

    いうコントローノレ理論が一般にボンド ・セオリ ーと呼ばれるのは,乙の理官

    が統制要素としてとりわけ「社会的な幹Jを強調しているからである Q また

    社会構造レベルでは社会解体論が強調した規範,価値,役割などの構造的

    制要素も コントローノレ理論の焦点となると ζ ろであるo 統制要素をいずれの

    レベルに求める としても,統制要系の弛終,欠如,ないしは統制システム

    機能障害を犯罪発生の原肉とするのがコントローノレ理論の立場であるo

    文化的逸脱理論は,社会的に確立され;求ぷされている法規範と矛盾したり

    容認されない逸脱的な文化に同調することが犯罪の原因であるとする考え方

    であるO セリンの「文化高藤論 (cuturalconfiict tlleor)r) J tSel1in_. 1938)

    サザーラン ドの 「分化的搾触論 (differential association theor)r) J

    • 〈SUtherland,1937〉,ミラーの「下流階賠論(lo,ver-classculture theor~y)J (Miller, 1958) などをあげる 乙とができるo つまり,犯罪は社三休系の中

    の下位集団が備えているそれぞれの文化規定や学習経験の産物であり,犯罪

    ( 674)

  • 犯罪社会学における実証主義的思潮とボンド・セオリー - 13-

    者は全体社会の文化と矛盾し,むしろ全体社会からは逸脱文化とみなされて

    いる下位集団の価値に社会化された人々であるとする立場である。

    すべての非行原因論が以上にみてきた理論系列のいずれかに分類されるも

    のではない。たとえば下層階級の少年たちのおかれた地位や彼らの達成欲求

    とその実現可能性との不一致からもたらされる不満, および, ζ うして作

    りあげられた非行少年に特徴的な副次的文化への同調から非行発生を説明す

    るコーエン (A.K. Cohen, 1955)の「非行副次文化論 (delinquentsub-

    culture theory) J は緊張理論と文化的逸脱理論との接合である。また,シ

    ョウとマッケイ (Shaw,C. & H. D. Makay, 1969)による「社会解体論」

    (social disorganization theory) はコントローノレ理論と文化的逸脱理論と

    を接合した理論であり,クラワードとオーリン (Cloward,R. A. & L. E.

    Ohlin, 1960) の「分化的機会構造論J( diff eren tial opportuni ty theory)

    は緊張理論にたちながら文化的逸脱論を組み込んだ理論構成となっている。

    文献によってはとれらの研究は文化的逸脱論とみなされたり,あるいはそれ

    ぞれがもう一方によって立つコントローノレ理論の系列や緊張理論の系列に位

    置付けられたりする。ただし,その分類は怒意的に行なわれるべきではなく,

    コーンハウザーがいうように,逸脱文化を独立変数として扱い,社会化とい

    ?内的メカニズムの中で犯罪行動を説明している限りでは文化的逸脱論とみ

    なす乙とができょうo 逆に逸脱文化を従属変数とみなし,社会解体の過程で

    発生する統制要素の弛緩の結果として逸脱文化を考えればコントローノレ理論

    に位置するとみなせよう (Kornhauser,1978: 26)。

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    的~ r 2) コントロール理論の系譜

    れの , isocial controlJ という用語は「社会統制」と訳され, 社会学ではきわ

    州 めて広い範囲防たって使われ,犯罪コントローノレは社会統制のどく一部の

    引裂をさすにすぎなし'0そのために犯罪社会学の一理論を限定する用語とし:り! て「統制理論」という用語を使う乙とは従来の一般理論のなかの呼称と混同

    3| するおそれがある。したがって,乙乙では用語上の混乱を避けるために「コ

    川 ントロール理論Jをあえて「統制理論」と訳さず,犯罪社会学の一理論を称するときには「コントローノレ理論」としておく。

    J I しかし,乙うして一般理論との混同は防げたとしても,犯罪社会学のなかにある犯罪の「コントローノレ」という語法との混乱は避けられないn コ、ト

    ロールを犯罪の予防,対策への試みのすべてとみなせば,犯罪原因h探究よ(675 )

  • - 14-

    コントローノレに含まれよう。したがって, すべての原因論を コントロール理

    論と呼んでもおかしくはなし、。しかし コントローノレ理論を他の原因論と大き

    く分けると乙ろは,既述のように他の原因論が逸脱のメカ ニズムを説明する

    のにたいして,コントローノレ理論は同調確保のメ カニズム, つまり犯罪を思

    い留まらせる要因の究明を直接意図していると乙ろにある。

    また,犯罪の 「コントローノレ」とか犯罪「統制」 という用語を用いると き

    には,一般に刑事司法運営や刑事司法政策による犯罪抑止政策にあてがう 乙

    とが多し1。しかし これらの刑事政策過程が上からの作用 として「個人にたい

    してJ働きかける過程であるのにたい して, コントローノレ理論における コン

    トローノレとは個人が下から 「社会にたいして」結び付いていく 過程,あ るい

    は「社会と相互にJ働きかけ働きかけられる過程をさす概念であ る。いわば

    コントローノレ理論における コントローノレとは個人を基軸とした概念であり ,

    社会が働きかける作用を意味するも のではなし、。したがって刑事司法運営が

    コントローノレ理論に組み込まれる場合には,逮捕,刑罰,処遇措置などによ

    ってもたらされる個人への直接的,間接的効果を個人がどう見積るかという

    点から考察する ことになる。たとえば,ハーシィ のボ ンド・セオリーやコー

    ヘン (L.E.Cohen)の状況的コントローノレ理論では,個人がこれらの司法執

    行に大きなコストを伴うと判断すれば犯罪を思いとどまることになろうし,

    乙のコス トに くらべて犯罪から得られるも のが大きければ人は犯罪に走る と

    されるO いずれにしても コントローノレと は個人が自らにたいして行なう抑制

    行動ないしは内面の抑止機制を意味してい るO

    コントローノレ理論の コントローノレという用語を乙のように限定したとして

    も,コントローノレ理論には幾つかの異なった系譜にたつ理論群が含まれてい

    るO したがって正確には コントローノレ系理論群と呼ぶべきであろう cしかし,

    乙れまでのと ζ ろこのコン トロール系理論群の範囲について包括的に論議し

    た研究はない。そ乙で以下では コントローノレ系理論群を生物学的コントロー

    ノレ理論,精神力動論的コントローノレ理論,社会学的コン トローノレ理論の三つ

    の系譜に整理し,その特徴を簡単に概説しつつ,コントローノレ理論の全体像

    を概観することとする O また,社会学的コン トロール理論はさらに社会解体

    論,規範過程論, ドリフト論,ボンド・セオリー状況的コントローノレ理論,

    ラベリング理論,自己観念論に分けることができる。

    (A) 生物学的コントローノレ理論

    生物学的 コントローノレ理論は19Cのイタリア学派を中心とした生来性犯罪

    (676 )

  • 犯罪社会学における実証主義的思潮とボンド・セオリー - 15ー

    原肉説にその源流を求める乙とができる。乙の学派の基本的な考えは,人が

    法lζ従うかどうかはその人の反社会的傾向をコントロールする能力・資質を

    生来的に備えているかどうかによって決まるとすると乙ろにある。つまり,

    法規範に従っている人々は自らの攻撃性をコントローノレする能力を遺伝的に

    持っているのにたいして,犯罪・非行を犯す人々の内部には,乙うした抑制

    機序が備わっていないとすると乙ろに乙の立場の特徴があるO 乙の学派には

    アメリカの犯罪学ではゴダード (H.H. Goddard, 1914),フ一トン (E.A.

    Hooton, 1931), シェノレドン (w.H. Sheldon, 1949), らの「アメリカ・ロ

    ンブローゾ学派」と呼ばれる人々が含まれている。現代の犯罪学ではロンブ

    ローゾの主張するような「生来的犯罪者」や「先祖返り遺伝 (atavism)Jの

    仮説は科学的根拠が稀薄なために全く否定されているO

    しかし,人間の行動に与える生物学的要因の影響は否定できないために,

    乙れを犯罪原因論に組み込もうとする研究が試みられている。近年の生物・

    社会的犯罪学 (biosocialcriminology)は生物学,心理学,社会学の視点を

    統合し,同一環境条件化における個体の差異的反応を説明しようとする試み

    斗ド| であるO たとえばジェファリィは悩生理作用による人間の学習の生物学的制

    約性を考慮しつつ,社会的強化理論とサザーランドの学習系伝達理論とを接

    tbjL1 合し,さらに環境工学的視点を導入して生物 ・社会的コントローノレ理論

    (biosocial con trol theory)を提唱している (c.R. Jeffery, 1977, 1979)。また,ウィノレソンとヘノレンシュタインによる研究も従来の犯罪学で蓄積されて

    いる生物学的要因に焦点をあてた知見を社会学的視点から再構成したもので

    ある (J.Q. Wilson and R. J. Herrnstein, 1985)。乙の研究は多元的複合

    原因論の立場にたっているが異なった理論をただ束ねただけのモザイク理論

    というきらいもないではない。しかし,接合の柱にボンド・セオリーを大幅

    に導入している乙とから社会学的コントローノレ系理論群に含めて考えた。

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    1YV, (B) 精神力動論的コントローノレ理論

    !告の27: 「アメリカ ・ロンブローゾ学派」の凋落とともにアメリカ犯罪学の一つの

    ot僻 主要な理論的潮流をなしたのが1930年代にあらわれた精神力動論的コントロ世間 ール理論であるo 乙の学派は次のような特徴によってコントローノレ理論とみ~~~I なすことができる。

    (1) 非行行動は統制されない情緒や衝動によっておこる。

    (2) 乙の情緒や衝動をコントローノレするのが超自我の作用であり,非行行

    illbはこの作用の弱まりないしは未形成による。

    (677 )

  • - 16ー•

    (3) 犯罪人格は犯罪行動に対応した異常類型を忽定するのではなく,すべ

    ての人間が逸脱へのポテンシャリティをもった存在とみなされ,非行を

    正常な人格の異常な反応として把握している。

    (4) 情緒障害などの異常反応は少年と家族成員ないしは社会的場面におけ

    る他者との紐おの障害からもたらされる O

    乙れらの特徴にみられるように,精神力動論的コントローノレ理論は逸脱へ

    のメカ ニズムを説明する理論というよりも,むしろ同調へのメカニズムを説

    明する理論であるところにコントローノレ理論としての性格を有しているO こ

    の理論では逸脱への傾向性は人聞に遍く存在し,超自我は個人のなかに埋め

    込まれた逸脱統制装置であり,非行にはしるかどうかはその統制機能の関数

    とされている。乙の説明の ロジ ックは後述するボンド ・セオリーと共通した

    点もみられるが,ボンド ・セオリ ーでは個の外への繋りに統制要系を設定し

    ているのにたいして,精神力動論的コントローノレ理論では個の内部(ζζ れを

    求めている点で両者は基本的に異なっているO したがって, ボンド ・セオリ

    ーでは社会化のプロ セスは理論に組み込もうとするが,超自我や規範の内在

    化という概念の使用は否定するO それは規範が具体的な,あるいは一般化さ

    れた他者の期待の束から成るものであり,規範の内在化とはこうした他者の

    期待という社会との繋りを持つこと にほかならないからである (Hirschi,

    1969: 18-19)。また,ボンド・セオリーが超自我の概念を否定するのは,こ

    うしたメカニズムの働きを経験的に実証することが困難であ るという点にも

    あるO しかし,乙の点に関する批判はボンド・セオリーからだけではなく経

    験主義にたつ非行理論から常に問題とされると乙ろであるO

    精神力動論的コントローノレ理論にふくまれる主要な研究としては,主とし

    て幼児期の家族問の情緒体験に焦点をあて,これに根ざす情動障害を非行原

    因論として強調した ヒーリー (w.Healy, 1956),超自我の統制機能{ζ焦点

    をあ てたフリードランダー (K.Friedlander, 1953),精神分析学的非行理

    論に実証性を導入したジェンキンス (R.L. Jenkins, ; 1964)らがあるo

    (c) 社会学的コントローノレ理論

    ア)社会解体論的コントローノレ理論一一コーンハウザーは社会解体論に緊

    張理論と社会学的コントローノレ理論の両者を含めて考えている(Kornllauser,

    1978) 0 そのためここでは社会解体論から緊張理論を除き社会学的コントロ

    ーノレ理論の視点に立つ社会解体論に限定するという意味で社会解体論的コン

    トローノレ理論 とする。 この理論系譜にはスラ ッシャー (F.M. Thrasher,

    (678 )

  • • 1

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    犯罪社会学における実証主義的思潮とボンド・セオリ一 一17-

    1927)やショウとマッケィ (c.Shaw & H. D. McKay, 1969)の研究がある。しかし,既述のようにショウとマッケィの研究は文化的逸脱論との懐合

    がみられるため,ここではコーンハウザーの主張吋拠しスラ ッシャーを社

    会解体論的コントローノレ理論の純型とみなす乙ととするほo川 mef,1978: 51)。

    彼の研究はシカコーにおける1300以上におよぶ少年ギャングの研究であり,

    乙れらの少年ギャングがなぜスラムに集中しているのかを説明しようと試み

    たものである。彼によれば都市スラムは急激な経済変動にともなう激しい住

    民移動,社会的な地位移動,環境の劣悪化などを特徴とし,青少年はとの中

    で社会的にも地域環境のうえでも弱いコントローノレにさらされている。 i社

    会解体」とはスラッシャーによれば既存の諸制度が弱化ないしは崩壊するこ

    とであり, ζ れらの制度が担っている社会秩序を維持する機能や規範を人々

    に指示する機能が効果的に作用しなくなったことを意味している (Thrasher,

    1927: 22)。 少年ギャングは乙うしたコントローノレの弱まったと乙ろに形成

    される集団である。また,少年がギヤンク+集団から離脱するのは結婚などに

    よって家族へと再編成されたり,職業,宗教,娯楽などの関係の中に組み込

    まれていくときであるとしている (Thrasher,1927: 3仏つま り,少年達

    が非行集団やギャング集団へ加入する乙とを抑止しているのは, 彼らの家

    族,宗教などへの粋であり, ζ の紳の弱まりをコントローノレの弱まりと考え

    るのである。 l'

    スラッシャーはギャング集団所属が非行を促進させはするが直接的な非行

    原因であるといっているわけではない。ギャング集団に属していない少年で

    もスラム地域では非行に走る少年は多く,乙れらの背後にはギャング集団所

    属の少年と非所属の少年に共通した要因として社会解体による地域社会のコ

    ントローノレ機能の欠如,弛緩がみられる (Thrasher,1927: chap. 5)0

    とのように社会解体論的コントローノレ理論はコミュニティ全体なり,特定

    の社会の制度体や,規範,役割などの構造的要素の機能が有する犯罪抑制作

    用に着目した理論であり,後述するボンド・セオリーに比べ,マクロな分析

    観点、にfr.っているといえる。

    イ)規範過程論一一サンクションの行使によって人々 の向調の機会を高め

    逸脱を抑止する規範過程は大きく分けて二様の形態がある。一つは規範の内

    在化の過程であり,個人の内側から行為をコントローノレする。もう一つの過

    程は逸脱が現われたときに否定的なサンクションを加えることによって行為

    (679 )

  • を商接外から抑止したり,あるいは否定的サンクションの行使を予期させる

    乙とによって逸脱行動を防止する過程である O 規範過程論は乙の規範過程に

    対応してさらに「規範の内在化理論Jと「抑止理論 (deterrencetheorY)J

    の二つの下位カテゴ リーに分けることができる。既述の精神力動論的コント

    ローノレ理論における超自我の働きは前者に含めて考えることができる。また,

    文化伝達系学習理論における規範意識の内在化に関する理論も乙れに含まれ

    る。サザーランド (E.H. Sutherland, 1959)の学習理論は通常は文化的逸 :

    脱理論に位置付けられているが,ボンド・セオリーと近接性を持っていると

    いわれるのは,乙の理論が規範的社会化に関わっている 乙と,また学習過程

    にはボンド・セオリーが前提とするコスト=ベ、ネフィットによる合理的選択

    過程が想定されている乙とによる。

    乙れにたいして「抑止理論」は刑罰の威嚇によって犯罪・非行を直接的に

    あるいは間接的に抑止する過程を理論化したものであり,刑罰の機能論にみ

    られる一般予防論と特殊予防論とが含まれるo i抑止理論」は当初は主とし

    て刑罰の軽重,規定の明確さ,刑罰適用の迅速性,正確性など,司法執行過

    程に集中していた。しかし,後述するハーシィのボンド・セオリーでは刑罰

    によるコストを単に刑罰によって直接生じる経済的,身体的,権利的弱j奪に

    限定せず,社会生活へと間援に広く及んでくる社会的なコストに拡大してい

    るO ボンド・セオリーが「社会的」コントローノレ理論と呼ばれているのは,

    乙うしたコストの社会性から由来している。

    ウ〉 ドリフト論一一マッツァは非行少年が従来考えられていたように特定

    の価値規範体系に支配されているわけではなく,また常に逸脱した行動をと

    っているわけでもなく,非行と無非行との閣を揺れうどきドリフトしている

    のだと主張する O 彼によれば,一般の青少年が非行にはしらないのは罰の恐

    れとともに規範に同調しようとする意思を内在化している乙とによると考

    え,非行行動は逸脱的規範を内在化したためというよりは,むしろ内在化さ

    れた同調への意思が中和され弱められることによって発生すると考えるべき

    だとしているO いわば規範にたいする「向調への意思Jと「犯罪への意思」

    との接点の中に非行にたいする コントローノレを弱め非行行動へと導く態度を

    とらえようとしている O マッツァでは態度要因を「中和の技術J(D. Matza, 1957)や「潜在価値J(Matza, 1961)に求めている。

    エ〉ボンド ・セオリ一一一ハーシィ自身は自らの理論を「社会的コントロ

    ーノレ理論 (socialcontrol theory) Jと呼んでいる O また, 社会的コントロ

    ( 680)

    .

  • 犯罪社会学における実証主義的思潮とボンド・セオリ一 一19一

    ーノレ理論というとき,通例はハーシィの理論をさすととが多いが,乙 ζでは

    「社会学的コントローノレ理論」を総称として使用し,その下位カテゴリーの

    理論にたいしてはコントローノレという語を避け,むしろハーシィが「社会的

    コントローノレ理論jの別称として掲げた「ボンド・セオリー」を ζ 乙では用

    いる乙ととする (Hirschi,1969: 3)。

    elt

    07jaj

    -e

    s&円す伶悩

    U'h

    'nuH ハーシィはホップス,デュノレケムから強い影響を受け,人間性に関しでも

    性悪説を踏襲し, iすべての人は生れつき犯罪を犯す可能性があるJという

    前艇に立って理論構成している (Hirschi,1969: 31)。乙の前提に立てば,

    なぜ人が逸脱にはしるのかについては問いかける必要は全くなく ,既述のよ

    うに,むしろ「なぜ人が規範に従ってい るのか」という 問題の立てかたの7Iがふさわしくなる。ハーシィはこ の間いにたいして, 規範iζ従うかどうかを

    決めるのは,その人の社会への粋の強弱のいかんにかかっていると答えてい

    るが,彼の発想はデュノレケムに負うと乙ろが大きい。彼は「個人の属してい

    る集団が弱まれば弱まるほど個人はそれに依存しなくなり, したがってます

    ます自己自身のみに依拠し,私的関心にもとづく行為準則以外の準則をみと

    めなくなるJ(E. Durkheim, 1968:訳156)というデュノレケムの表現を引用

    し,彼の社会的な粋という考え方を説明している (Hirschi,1969: 16)。

    lu| ハーシィは社会的粋がアタ ッチメン ト (attachment),コミットメント

    。;111 (commitment),インボノレブメント (involvement), 信念 (belief)の内要業から成っているとし,その要素は実証主義の理論的要誌にそって観察可能

    な形で定義されるべきだと考えるのである (Hirschi,1969: 16-26)。

    アタ ッチメントとは両親, 教師,友人など子供にとって大切なキイ ・パー

    ソンにたいして抱く愛情や尊敬の念によってできあがる繋りを定、味する。後

    述するレックリスの自己観念の概念はアタッチメントのメカニズムを強調し

    たものである。

    コミットメントとは犯罪に伴うコスト=ベネフィッ トと規範への向調から

    もたらされる利害得失のバランス・シート のなかで, i向調への賭jを大きく

    見ることを窓味する。これは少年として期待される理惣像へのコミットメン

    トと関連しており,教育をうけ,飲酒,喫煙は大人になるまで我慢し,将来

    の目標にむかつて努力する乙とである。少年が乙れらの活動にコミットした

    というととは,犯罪 ・非行を損失とみなし同調への賭を支払っている乙とを

    意味している。また,乙の同調への賭は「投資J~ζ見合うだけの利益が得られているからこそ同調への賭が持続し,かつ犯罪も抑制されているといえる。

    (681 )

  • - 20-

    インボノレブメントとは少年が合法的な活動にどれだけ多くの時間とエネノレ

    ギーとをかけてかかわっているかを意味する。いいかえれば,もし少年が合

    法的な生活にかかわる機会や時間が多くなれば,それだけ逸脱行動にはしる

    チャンスや時聞が少なくなるO 乙の場合に少年は合法的世界によくインボノレ

    ブされているというのであるO 乙の要素は非行少年の生活構造に着目したも

    のであり,少年の置かれた社会的位置によって規定されつつ資源をどのよう

    に配分するかという生活過程にかかわる要素である。

    ビリーフとは法の威信ないレ法の正当性にたいする信念や信頼性を意味す

    るO 乙れは単に法を破る乙とがよくないことだという信念を意味するだけで

    なく,法を執行する警察や裁判所,校則を適用する教師が正当な執行を行な

    っているのかどうかについての信念をも意味しているO また,法の正当性へ

    の信念は特定の場面で法を守らなければならないという道徳的義務の感情を

    人に引き起こすが,乙の感情の背景に法を遵守することのその人なりの有益

    性を認める場合にかぎってその人は順法的世界に留まるという乙とが想定さ

    れている。

    オ)状況的コントロ ーノレ理論一一この理論は コーヘン (L.E. Cohen)に

    よって提唱された理論であり, i犯罪機会の理論 (criminal opportuni ty

    theory)J と名付けられている O しかし,乙乙で使われている「機会」とい

    う概念はクラワ ー ドとオー リンが「分化的機会構造論」のなかで用いた概念

    とは異なった語法である。クラ ワー ドらの「機会」 とは社会構造上の位置に

    よって規定された犯罪を学習するチャンスおよび犯罪を遂行するチャンスを

    意味している O 乙乙でいうチャンスとは個人が目標を達成しようとするとき

    に合法的手段をとるか非合法な手段をとるかのチャンスであり,それはその

    人が置かれた社会構造の中でどちらの手段をより利用できる位置にあるかに

    よるというのである。これにたいして コーヘンの「機会Jという概念は犯罪

    が現象化する状況に作用し,犯罪の実現を阻むチャンスを意味している。

    「犯罪機会の理論」は「生活運行理論 (routineactivity theory) Jを骨

    子とした理論であるが,乙れに「ボンド ・セオリ ー」に含まれているコスト

    =べ不フィットへの配慮、のメカ ニズムと 「抑止理論」 の刑罰による威嚇効果

    を接合した理論である (Cohen and Land, 1983)0 乙の三者の理論的接合

    を可能にしているのは,これらの理論がそれぞれ人間の合理的選択仮定を基

    礎概念として理論化を図っていることにあるo コーヘ ンが接合の中核に据え

    た「生活運行理論」と は,わけでも窃盗犯に説明力の高い理論であり,犯罪

    ( 682)

  • , •

    犯罪社会学-2・ー

    ohen and Fe]son, 1979: 17-23)。

    カ)抑制理論一一「抑制班愉 (contaIn,rnenttheory) Jとはレ

    自分たちの考え方にたいして使った名称であり("¥1¥1,.C,. Reckl

    ニッツとレックリスによる「自己観念の理論J(8. Di:泊:1口I口1iHtzz1~J制1J加1HIバ川"制lLM川jA辺!リ~J'周1理町EιU;;論;3冶f命tの拙j成i主2車紫の一つであるo ポンド . セオオ.リリ1........ 同綴F 抑制

    比凡.コントロ一 Jルレの R問~5日題として捉えているが' とζでは犯

    クリ

    fに住みながらもなお非行少年にならないのはなぜかを同国fC:iし

    ョカ

    思い閉まらせている嬰紫つ主り犯~Jiへの免疫牲を見付けだそうとしてb ・'0) 0 これらの車訟は部分的にはポンド l・セオリーと置なると乙ろもあるが改lの

    1・「の指邸からなり,個人の内的抑制要采として位置付げられている。 3_

    1ごな1'1己飢念(自他の社会関係の中で自らを順法的t

    ージを形成できているのかどうか)1. b.

    1,'た自邸へのコミットメントの有無) C. 連成的欲求水部lの

    1,'た自探や地位連成にたいする欲求をどれだけ自升にとって

    眺め点又よのとみなしているのか) d.欲求不満へlの許容性〈

    のが得られなかった場合,敢えて欲求を達成しようとしたり

    の地担感に陥る ζ とをさける欲求不満耐性をどの程度持っているか)

    三との同一化(法にたいする態度ともいうべきもので,法の正当性を

    , rlらlの行為を法規範にそった行為と同一化できるかどうか)の。

    ところで,ζlの五堕紫の一つである「自己観念の理論J 主会的反作用2 間的|自我形成の問題としてその後ラベリング

    l壊で嵐広o また:t 刑罰の戚噛効果iζ焦点をあてた抑 11 11 ...

    ( 683)

  • - 22一

    社会的反作用によろ統制機能を取り扱う理論であり,ポンド ・セオリ ーでl

    フォーマノレ ・インフオ?マノルレを合めた社公的反f杓作iド:用を社会的コストと しア L

    ;論G命}の巾iにζ組み込んでいるo 乙のように社会学的コントローノレ理論にとって

    ラペリンク、、毘論問機社会的反作用過程は重要な分析課題となってい 1るo そ乙

    で社会学的コントローノレ理論の諸系譜の考-察を終えるにあたって, 社会学的

    コン トqーノレ理論,わけでも本研究の対象であるポンド ・セオ リーとラベ リ

    ング理論との関係について触れておく必要があろう。

    ボンド・セオリーもラベ1}ング理論 も共に逸脱への社会的反作用を社会の

    重要な統制要ぶとみなし,理論の中心lζ組み込んでいるという点で|は両者を

    広義のコン トローノレ理論と呼ぶ乙とができょう。しかし, ラベ リング理論は

    いくつかの点で乙乙で限定した社会学的コントローノレ理論の枠組を超えると

    乙ろがあるO その迩いは両者が社会的反作用を理論の構成要素とみるのか,

    それとも本質的規定要点とみなすかにあるo ボンド ・セオリーでは逸脱への

    社会的反作用は犯罪が行動化される ζ とを抑制するー要素であ り,社会的酔

    の一つの働きであり,個人の選択過程{ζ作用する判断の準拠枠の一つKす M

    ない。乙れにたいしてラベリング理論における社会的反作用は犯罪の存在を

    基礎づける本質的要ぷであり,もし社会的反作用が発動されなければ犯罪は

    存在しないと主張されるほどに本質的な規定要素となっているo

    乙の相違は新たに説明のロジックの迷いとなってあらわれるo つまり,ポ

    ンド ・セオリ ーでは社会的反作用の存在が向調をもたらす要素とされるの}

    たいして,ラベリング理論では犯罪をもたらすという主張となってあらわれ

    る乙とになるO 大村は統制という 1語を広義に解釈し,両理論を広く 社会学的

    コン トローノレ理論lζ含めて考えているが,両理論の持つパラドキシカノレな説

    明のロジックに着目して,ボンド ・セオリーをとし

    ラベリング理論をと呼び峻別している (大村・ 宝月

    1979 : 1-13)。

    乙の相違は両者の理論展開の中でも,犯罪抑止のメカ ニズムの説明と犯罪

    形成のメカニズムの説明という全く対照的な違いとなってあらわれる。たと

    えばボンド ・セオリ ーが社会的反作用を犯罪に伴うコストとみなし犯罪抑制

    要因と考えるのにたいして,ラベリング理論では社会的反作用が犯罪の現向

    化にあずかるだけでなく ,逸脱的自我を形成したり,累犯行動を引き起ζ す

    要凶であるとみなすのであるO あるいは r~l 己観念の形成過程で、は抑制理論カ健全な臼己観念の形成に焦点をあてるとすれば, ラベリング理論では逸脱的

    (684 )

  • '......

    、子

    犯罪社会学における実証主接的思潮とポンド ・セオリー -23ー

    な自己観念の形成を問題とする。

    このように,本研究でいう狭義のコントローノレに限定して社会学的コント

    3. 実証主義におけるボンド・セオリーの位

    1) 原因論としてのポンド・セオリー

    吋町:主義が説明のロジックとして依拠している原因論の枠組からみれん,

    !ま|巣関係というロジックは, 一九,緊張理論に適しているように比え tるo1!Dl

    Uや動機は行為への原動力であり, ζれを行動の原因とみなすロジ ックは自

    然なポジティブな発泡{であり税得的であるからである。 ζれにたいして非行

    行動を抑制する喪蜘ζ着目する社会学白コントロー峨拾では,行動の防Eiさ

    となるものを原因として取り扱うというネガティプな発想をとっている。て

    のために社会学的コン トロ ーノレ理論は「なぜ非行が起とるか」ではなく,rどうしてとれを防ぐかJを示すにすぎないといわれ,原因論ではなく抑止理r(deterrence theory) J(位置付けられる ζ ともあるo たとえばウィルソン

    (J. Q. 'VVilson)は犯罪社会学における原因という考え方には欠陥があり,犯

    罪行動は「それを可能にする機会ととれを抑制するものとの競合の中でおと

    なわれる自由な選択の所産Jであるという考えに立っととを提唱している

    Wilson, 1975: 62)。とれは従来の犯罪原因論が犯罪を引き起とすメカニズ

    ムの兜切に狭く限定されていた ζ とを批判し,抑制要因をも原因論とし

    るζ とによって社会学的コントローノレ理論的視点を犯罪原因論に導入す

    べき ζ とを強く主張したものである。 ζ のよう K社会学的コントローノレ理f

    -Rは非行を生みだすカとなるものが非行原因であると同時K非行の出現を妨

    げるものが欠けたり弱まってもそれは非行の原因となりうると考えるのであ

    (685 )

  • -24-

    ろD

    ところで,科学的な用語法での原因とは疑似的でない相闘をむ味する1"':すぎない。つまり ,統計法則はあろ事象ω先生が必ず他の事象の発生を伴うという乙とそ主張するものではなく,それらが十分永く繰り返されたならμ,

    一定不変の頗度をもって,ある事象の発生が第二の事叡の発生を伴う,とし

    うことを主張するにすぎない。また,非行がある先行する事象から引き

    されたと仮定するととは,それが単一の状態から起乙ると仮定する乙とでは

    なく ,その時点、であらわれているすべての状態や事象の結び付き IR:ょっア作

    乙っているo いわば非行原因は非行行動に独立して先行し,非行行動と叫ー

    イ、j-きを示している悶系にすぎない。 乙れを確定する手続は統計的なものであ

    る。したがって,我々はその結び付きが「どのようにしてJ,ま た「なぜJ起乙ろのかを知らなく とも我々は二つの事象の結び付きを統計的手続だけKよ

    って明らかにできる。そしてひとたび統計的に ζ の関係が設定されたなら

    乙の二つの事象をつなぐ要[司が推測され,仮説が新た 1("と構成され, ζ のより

    深められた仮北が証拠と一致しているかどうかを決定する調査が行なわれる

    とと Kなる O しばしば経験的調査研究が潰末な調査主義として非難されるの

    は,こうしたステップが踏まれ知見が累積的K発展しない乙とと,乙のステ

    ッフ。そ締噂する理論的ノマースベクティプを欠いているからである。

    ところが仮に鰐導理論を持っていたとしても,統計的{ζ確認された変

    よろ二つの事象のお!;びイすきを緊張理論によって非行への動機を与えるものと

    しても読めるし,ボンド ・セオリー {ζよって抑止的要因から解釈する ζ と

    できるという乙とが起こりうるのであるo われわれがデータ lの中か|ら引き出

    してくる相関関係、は,たとえば性,年令,職業,学校の成績,両親の状態

    居住地の性絡などと非行との関係であるo 仏内暴力の原因として常K取り上

    げられている学校でのアンダーアテー プメン トという変l数をここで取り上げ

    てみよう。いま,データ解析の結果この変散と以内;込/]との間!と統計的結げ

    付きがあり,疑似相関ではないことがl児らかにされたとする。しかし乙の

    係の存,在については, 緊猿理論に依拠したわけでもなく , ボンド ・セオリ

    ーによったわけでもなく統計的な手続によったまでであるo 弘三長理論では恐

    らく二つの変数の結び付きを学級内の評価配分体系での少年。位置やひレーー

    はその少年の将来の社会枯造内での位ii!1への予期がもたらすストレスやフラ

    ストレーションとして悦Iy~するであろう。つまり,アンダーアチーブメント

    の少年にとって学校で、の攻撃行動が,こうした』情動のはけ口の子段となっ♂

    (686 )

  • 犯罪社会学における実証主義的思潮とボンド・セオリ 一 一25-

    いると考えるのである。仮説として考えれば乙の説明で問題は生じない。

    しかし,二変数の中に統計的相関が見出された乙とが,そのまま緊張理論

    による説明の真か偽かを肯定するものでも否定するものでもない。とのこつ

    の変数連関はボ ンド・セオ リーによ っても解釈する乙とができる。ボンド ・

    セオリーでは,低アチー ブメ ント の少年は高アチーフツン トの少年に比べて

    教育11;IJ皮や受験競争から有益な見返りを期待できないと考える。つまり,同

    調する乙とが高アチーブメ ント の少年にくらべて相対的に報われないため

    に,逸脱への妨げとなる 乙とも少ないという説明となる。乙うしたボンド ・

    セオリ ーによる説明は低いアチーブメン トが校内暴力と統計的に強い結び付

    きを示している とい う当初の知見と何らの不一致や矛盾を示すものでもな

    い。•

    とのように,因果関係という考え方をとる 乙とが特定の犯罪理論の立場に

    十l 立つことを意味するわけではなく ,また原因論のロジ ックには,ボンド ・セ

    オリ ーよりも緊張理論が適合的であるというわけでもない。要するに伝統的

    実証主義がもっていた因果関係の究明という枠組はボンド ・セオリーにとっ

    て何等の矛盾や不整合を生じさせるものではない。理論の優劣を決定するの

    川 は閃果究切による説明力と予測力の向上という実証主義のロジックからすれ

    ば,特定の理論による説明がどれだけ現実的妥当性を持っかにかかっている

    刺 といえる。緊張理論もボンド ・セオリ ーもともに理論と呼ばれてはいるが厳

    密には社会学的分析の指針ないしはアプローチの方法を意味しているO いわ

    ltl ば現実から切り取るべき変数を指示するにすぎない。切り取られた変数は仮

    託| 説化され,現実の中で関係が検証され確定され妥当性のあるアプロ ーチとな

    る乙とができる。つまり,特定の理論の有効性は,その理論の経験的内実が

    どれだけ豊かに蓄積されているかによる。乙の点についてボンド ・セオリ ー

    は緊張理論や文化的逸脱理論に比べて経験的妥当性の高い理論であるといわ

    れている (Jensen & Rojek, 1980: 179;西村, 1986; Cohen & Land,

    1983: 6; Ernpey, 1982: 276-277)。経験主義的色彩の強いアメリカ社会学

    の巾でボンド ・セオ リーが高い.評価を得ている要因は乙の理論の命題を立証

    するさまざまな角度からのデータが蓄積され,理論の経験的妥当性がきわめ

    て高い ζ とにある。

    2) soft-determinism

    犯罪社会学における実証主義はイタリア学派の原因論の影響を強く受けて

    (687 )

    .

  • いるため,実証主義という名称、を人間の窓思臼由を排除したハードな決定論

    に限定して使われることがあるO しかし,ハードな決定論はイタリア学派だ

    けでなく,その後の社会学的犯罪原因論にも凡られ,環境要因決定説の什栴

    をなしていた。生得的原因論が人間性の社会的「動物Jとしての側面を強制

    したのにたいして環境要因説では人聞の「社会的」存在を強調している O ハ

    ードな決定論では環境因,生得因のいずれをとるとしても人間の行動がとれ

    らのいずれかの要因あるいは双方によってすべて規定されてしずると考えられ

    ているO それゆえに犯罪行動は乙れを規定しているすべての原因を確定する

    乙とによって説明できるとともに予測も可能であるという可知論にたってい

    るo ハードな実証主義的犯罪社会学が科学主義的オプティミズムとか系朴実

    証主義といわれる所以である O

    と乙ろが乙うしたハードな決定論は単に因果関係の究明という分析の指針

    を指示するだけでなく,そ乙には同時に人間行動の性質に関する言明をも暗

    黙のうちに含み乙んでいる。それは人聞が自らの理性や意思のおもむくまま

    に自由に選択し行動できる能力を備えているものではないという前提であ

    る。乙れにたいしてマッツァはソフトな決定論に立つ乙とを主張している。

    彼はソフ トな決定論を「研究のための指針としての普遍的な因果性の原理を

    維持し,人間性に関する普遍的な前提を捨て去る乙 とJと規定してい るが,

    それは「分析者への指示と研究対象の性質との接合を断ち切るととJを窓味している (~atza, 1964: 7)。

    ?ッツァが因果の確定と人閣の行為の性質とを区別したのは,因果関係を

    追及するという実証主義の方針の中には何ら人間性に関する前提を含むもの

    ではない乙とを強調するためであり,人間の自由な窓思の働きや選択過程を

    因果範鴎でとらえる乙とができる乙とを強調するためであるO 乙うして分析

    者の研究の指針としての肉果性と行為の性質としての窓思や選択とが識別さ

    れれば,定;思や選択の問題を経験的に確認可能な変数として分析枠組に組み

    込む乙とができるのである。乙の場合,選択過程はドリフ ト論やボンド・セ

    オリーでは単なる犯罪発生要因の中の一変数ではなく ,具体的な現象から見

    出された統計的結果でしか芯い変数連関に窓味を与え,コントローノレ理論と

    いう説明モデノレへとリンクさせていく中心的な概念となっているO とれらは

    具体的な事実に基づいてはいるが,具体的な事実関連よりも概念、の水準とし

    ては抽象度の高い構成概念であり,かつ説明モデノレの前提仮説となってモデ

    ノレを締動する概念であるo

    ( 688)

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    〆長

    犯罪社会学における実証主義的思潮とボンド・セオリ一 一27-

    既述のようにマッツァの「ドリフト論」では「犯罪への意思Jと「向調へ

    の窓恩jとが想定され,向調と逸脱との聞をドリフトする過程で選び取られ

    る少年の選択が非行を説明し理論構成する中心的概念、となっている。また,

    「ドリフト論Jへの発展の基礎となった彼の「中和の理論Jは社会規範にた

    いする同調への意思がいかにして中和されるかを検討する乙とによって非行

    発生を説明しようとしたものである。(1Aatza,1957: 664-670)。 マッツァ

    はコーヘンの「非行副次文化論」に反対して,乙れらの理論を提唱したが,

    それはコーヘンらの「文化的逸脱論」が想定しているような社会規範の強制

    力によって人間の行動が決定されるという文化決定論を批判し,文化的規範

    からの強制力があるにもかかわらず,あえて規範に背いていく過程として非

    行行動を把えようとするものである。もし全体文化の慣習的規範を内在化し

    同調への圧力にさらされていても,マッツァの「潜在価値の理論Jにみられ

    るように,全体社会の他の文化的要素に潜在的に含まれている価値が屈折し

    て「犯罪への意思」を形成し,乙の両圧力の中で人は非行に走ったり乙れを

    思い留まったりするのである。かりにコーへンのいうように逸脱的文化を内

    在化していたとしても非行少年は同時に同調的文化を内在化しており,非行

    行動は少年の意思決定の結果とみなされる。このようにマッツァの理論では

    jgl和の理論Jj~潜在価値の理論J jドリフト理論」の三者を理論的に接合する行為過程として選択的意思決定が考えられている。

    ハーシィのボンドーセオリーでも行為者の選択的意思決定過程が理論の中

    核的な位置を占めている。彼のボンド・セオリーでは行為者が合法,違法い

    ずれの行為系列を選ぶかによってコストと利益がどうなるかを評価し,そ

    の人の快価値を最大化する可能性を選択するという行為モデノレが取られてい

    る。それは,コーンハウザーが指摘するように人聞が一般的に行なうコスト

    =ベネフィット比への配慮、という要素を強調(Kornhauser,1978: 2めしたも

    のであり,犯罪原因論の中に合理的選択過程を導入した理論といえる。既

    泌のハーシィのボンド・セオリーにおける四要素は行為者が合理的選択過程

    の中で怠思決定するにあたって考慮にいれている要素のリストと解釈する乙

    とができる。いいかえれば,人や制度へのアタッチメント,慣習的な行為系

    列へのコミットメント,非犯罪的活動へのインボノレブメント,規範の道徳的

    な妥当性を信じるビリーフという四要素は,犯罪を犯す乙とによって生じる

    釘得勘定のバランスシートの判断材料である。

    たとえばアタッチメントの局面を例にとってみよう。個々人は対人関係を

    ( 689)

  • - 28-

    維持するために他者にたいして社会的交換関係、の中で報酬的でなければなら

    ない。愛情や信頼を傷つけたり,摘したりすればたちまち関係は解消してし

    まおう。したがって,人が特定の他者にアタッチメントがあるとき,すなわ

    ちその関係の中に何らかのプラス価値を見出したときには,その人はいかに

    ふるまうべきかについてその他者が抱いている期待に同調的行動をとらせる

    ことになるO それは彼にとって関係を守り,維持してい くためのコストであ

    る。人が犯罪を思いとどまるかどうかは,その他者にたいするプラス価値と

    アタッチメントを維持するために逸脱から得られる快価値を思い留まる乙と

    によって生じるコストとのバランスシート の選択の結果である。

    このように,逮捕の可能性や犯罪から得られるもの失うものを差-引勘定 し

    てみて,そこで支払われる代償が適切な範囲であった り,非合法行、包によっ

    てプラスが生じれば, 人は犯罪へのポテンシャリティをもつことになる。反

    対に乙れらの四要素に含まれる代償が大きければ乙れらの要素は犯罪を思い

    とどまらせる抑制要因となるというのがハーシィのボンド・セオリーの主張

    であるO

    ボンド・セオリーにみられる合理的選択過程 という考え方には,人は与え

    られた状況の中でその個人の利益を最大化するのに最も良い選択を行なう と

    いう過程が含まれている。そのためにその人に利用できる選択肢を調へるこ

    とによってその人間の行動を予測する乙とができると考えるのである。いい

    かえれば,人間の自己の利益に合理的にあろうとするというルーノレを意思決

    定の選択にあたって持っていないならば,つまり行為がランダムに行なわれ

    るならば,社会科学は不可能となるという認識が含まれているO このよう K

    して当初はハードな実証主義的決定論に対立するものとして位置付けられて

    いた選択的意思決定の問題は犯罪原因のマトリックスに組み込まれること γ

    よって, 実証主義の方法論と矛盾のないかたちで理論化されているのであ

    るO

    それではすべての犯罪類型にこうした合理的選択過程があらわれるのであ

    ろうか。犯罪行動を計算可能性の観点からみれば (1)意図的に行なう犯罪行

    動, (2)衝動的に行なう犯罪行動 (3)犯罪である乙とに気付かず行なう犯罪行

    動に分けることができるo (1)に属する意図的な犯罪行動には明らかにコスト

    =ベ不フ ィットによる計算が含まれており, 自らの行為が犯罪にあ千こること

    も意識されたうえで行為がとられているとみてよく,ボンド・セオリーの説

    明力の高い犯罪で、ある O

    (690 )

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    犯罪社会学における実証主義的思潮とボンド・ セオ リー - 29ー

    しかし,ボンド・セオ リーは(3)の類型にたいする説明力は弱く ,なかでも

    過失犯にたい して不適切である。 また,乙 の類型中,法iζ無知な人や精神的

    iζ有責性のない人の犯罪行動についてはボ ンド・セオリ ーは説明力をもたな

    い (Glaser,1979: 218) 0 それは との類型の行為の場合には合理的選択肢の

    バランスシートに犯罪の コス トが組み込まれていないからである。

    乙れにたいして(2)に含まれる衝動的な犯罪とは,まさしく コントローノレの

    欠如を意味しており,ボンド ・セオリ ーによる犯罪規定の本質的構成要素を

    なしている。ボ ンド・セオリ ーによれば,犯罪とは既述の四要素への配慮,

    つまり社会的コス トへの配慮を低く見積る行為である。その意味では長期的

    な結果への配慮を欠いた短絡的あるいは直接的な衝動の充足による犯罪はボ

    ンド ・セオリ ーの一つの重要な研究対象となる。

    なお,乙乙で注意 しておくべきこ とはボ ンド・セオ リーの想定する犯罪原

    因の時間的持続性は幅を含んでいるが緊張理論や文化的逸脱論の原因の持続

    性よりは短い乙 とである。緊張理論ではス トレスやフ ラス トレーションなど

    の動機が,文化的逸脱理論では内在化された逸脱的規範が原因とされている

    だけに原因の持続性は暗黙のうちに前提とされている。そのため状況の中で

    暴発的に起きる犯罪行動にたいしては説明力が低くなる。これにたいしてボ

    ンド ・セオリ ーは行動として具体化される状況の中で起こる意思決定過程に

    着目するだけに原因の持続性に乏しい状況的な衝動性をも理論の中に組み込

    むととが可能である。それは合理的選択過程という一見理性的な人閣の営み

    の中に衝動性という非合理的な要素を見出そうとするボンド ・セオリーの基

    礎的発惣にもかかわるととろである。

    3) 犯罪人格

    イタリ ア学派や精神力動学派などの古典的な コン トローノレ理論では犯罪者

    の人絡に何らかの負因や欠陥を想定していた。イタリア学派では人類学的特

    徴にあらわれた人間としての原始性が逃れられない要因として犯罪者に埋め

    込まれていると想定されているム精神力動学派ではパーソナ リティ構造の欠

    陥として犯罪者が描かれている。乙れらに共通しているのは非行少年は非行

    を犯さない少年と基本的に異なっていると考えている乙とである。乙の考え

    方はそれが環境因に向けられた場合でも同様であり,とりわけ実証主義の犯

    罪人格の考え方に一貫して見られた特徴である。環境的負因によって形成さ

    れたノマーソナリテ ィの異常性,歪んだ動機,反社会的な規範の内在化など,

    (691 )

  • - 30-

    tJ_公学的犯罪原因論にみられる犯罪人格は非行を犯さない少年とは違 1った側面iか強調されてきたo したがって,従来のそれぞれの実証主義的理論は非行

    列とそうでない少年とを分化させる理論が求められてきお原因論として

    生来説がとられようとも,パーソナリティや社会 ・文化的な原因がとられよ

    うとも,その説明の中では非行少年とそうでない少年とが基本的K異なっT

    別個の要因群によって規制されていると考・えていたのであるo

    乙れにたいしてマッツァやハーシィでは非行少年とそうマない少年との差

    異性よりも共通性を強調するo マッツァによれば, i非行少年を含むほとん

    どの少年は,完全に自由でも完全に拘束されているのでもなく,両者の問K

    あるJo伺々の少年は, いわば「自由から拘束に至る連続体上H:そってさまさまな位置」をしめている(1Aatza,1964: 27)0 乙の乙とは非行少年とて

    同級であり,逸脱への方、思と規範への向調の窓思 lとをともにもち,両者の問

    を揺れ動く存在と考えるドリフト論の基礎となってい 4るO

    自由と拘束とを両極とする連続体上に人間は位置し, i両者をともK具有す

    るというマッツァの犯罪人格論が文化的逸脱論の想定している集団規範K拘

    束された犯罪人絡論に対立して提唱されたものであるとすれば,ハーシィの

    犯罪人倍論は緊張理論に対立する人間性のイメージとして提起されている。

    既辿のようにポンド ・セオリーで、は人間の合理的選択過程を基本概念として

    理論が構成されているO 乙の選択過程は当然、の乙とながらさまざまな欲求の

    取捨選択の過程でもあるo 最終的に選び取られた欲求は,たとえ当人|の状況

    の中で最適化が図られたうえでのものだとしても,他方でほ切り捨てられ満

    たされなかった欲求が常に存在する。 コーンハウザーはボンド・セオリーと

    緊張用論とを峻別する理論モデノレ上の相違の一つをこの点i乙見出しているo

    緊張理論ではフラストレーションやストレスは個人やそれぞれの社会構造上

    の位置によって異なっているとされていたが.ボンド ・セオリーでは乙れら

    は欲求充足過程に必然的な産物であり,誰しもが抱くものであるとされてい

    る。そのために,ボンド ・セオリーではこれらの宵無によって個人が非行!と

    陥りやすいかどうかを決定することはできないという緊張理論?と批判的な立

    場をとる乙とになる (Kornhauser,1978: 24)。

    ところが,ボンド ・セオリーはフラストレーションやストレスが5巴罪

    とな る乙とを完全に否定したわけではなし、。欲求の法適化。中で発生したフ

    ラストレーションを解消するために非合法な手段を選択するチャンスはす J

    ての人に与えられている。いいかえれば,ボンド ・セオリ ーで はす-~.. ~

    (692 )

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    犯罪社会学における実証主義的思潮とボンド ・セオリ一 一 31ー

    が犯罪へのポテンシャリティを持っと想定されているのである。乙の点では

    「イドJという潜在的な逸脱への傾向性の存在を仮定した精神分析学的コントローノレ理論と共通した前提がみられるO ただフロイディアンが超自我によ

    る抑制機序を想定したようにボンド ・セオリ ーにおいても社会的な粋を仮定

    している。したがって,犯罪へのポテンシャリティがあるからといって常に

    行動に移されるというわけではなく, 社会的幹を断ち切るととがコスト=ベ

    ネフィットのバランスにみあうものだと判断された場合にのみ犯罪として行

    動化されるにすぎない。緊張理論では個人の動機の中に非行少年とそうでな

    い少年とを分化させる要因があるとみなし,両者は犯罪人格上違いがあると

    考えていた。これにたいしてボンド ・セオリ ーでは両者には犯罪人格上の差

    異はなく,等しくき巴罪へのポテンシャリティを備え,両者の差はそのポテン

    シャリティがいかに抑制されるかという社会的な コントローノレの強さの関数

    として位置付けられている。なお,との点を説明のロジックだけからみれば,

    緊張理論が変数とみなしたストレスやフラストレーションをボンド ・セオリ

    ーでは定数として理論の中に組み込み同ーの方程式の中でコントロ ーノレと動

    機とを処理しているように見受けられる。そのために, しばしば両理論は統

    合可能なように考えられる乙とがある。ただし,それはあくまでも両者を単

    なる変数群とみなし,統計的な変数連関構造の発見だけに関心の焦点を絞っ

    た窃合に限定されよう。もし,それを超えて両者を一つの理論枠で統合的に

    矛盾なく説明するためには両理論が前提としている人間性についてのイメ ー

    ジないしは犯罪人格の相違についても検討したうえで理論的接合を図るべき

    である。

    ととろで,非行少年とそうでない少年とは基本的に異なるものではないと

    hいう視点はボンド ・セオリーに固有のものではない。それはアメリカの犯罪

    社会学の中ではラベリング理論にも共通して見られる視点であり, しかもラ

    ペリンク。理論の理論的ノマースペクティブの基礎的前提の一つをなしている。

    アメリカにおけるラベリング理論の最初の提唱者であるタンネンパウムは従

    来の犯罪学の歴史の中の大きな論点は「犯罪者の性質と非犯罪者のそれとの

    間には質的な相違があるという前提Jにあったとのべ, 乙れを批判しつつ(F. Tannenbaum, 1938: 3-6),逮捕,処罰,処遇といった社会統制が犯罪を

    創り出すという考え方を示し (Tannenbaum,1938: 19-20),犯罪が社会的

    な定義過程によって創出された社会的産物であるという考え方を提示してい

    るo タンネンパウムは,この論議の中では「犯罪者と非犯罪者に差異がない」

    (693 )

  • 犯罪社会学における実証主義的思潮とボンド・セオリ一 一33一

    不分明で, (3)被害が特定の個人に明確にあらわれず拡散しており, (4)罪障感

    も稀薄であり, (4)犯人には乙れまで一般市民といわれ犯罪を起乙しそうにな

    い層だとされていた社会的カテゴリーの人々が含まれているからである(藤

    木, 1974)。また,非行現象では(1)非行の一般化の進行, (2)薬物,性非行,

    暴走行動など現代型犯罪と共通した特徴を持った非行形態や(3)成人では問題

    にならないが未成年であるがゆえに非行と定義される乙とへの説得力の喪失

    などにたいしては,従来のような非行少年とそうでない少年との区別を前提

    とした理論構成では説明的妥当性が確保できなくなっている。ボンド・セオ

    リーの現代的意義の一つはこの点にあるといえる。

    4. おわりに

    1960年から70年代にかけての時代がラベリング理論の優勢な時代であった

    とすれば, 70年代後半から80年代にかけてはハーシィを中心としたボンド・

    セオリーがアメリカの犯罪社会学会で注目された時代であった。それは一つ

    にはアメリカの犯罪社会学の動向を反映したものであるが,加えてアメリカ

    の刑事思潮や刑事政策の動向を背景としている乙とにもよる。さらにはこれ

    らの背景には現代のアメリカ社会の抱えている問題や人々の犯罪をも含めた

    とれらの社会問題への意識も影響を与えているものと思われる。ここではそ

    の背景について論じる乙とが本題ではなく,また紙幅の制約もあるため,詳

    細については稿を改めて検討したいが,以下ではとりあえずボンド・セオリ

    ーの理論的性格を明らかにするにあたって必要な点だけにとどめ,加えて,

    そ乙 lζ含まれているボンド・セオリーの問題点について若干の検討を加えて

    おく。

    ア〉理論的接合の可能性一一ボンド・セオリーは従来のパースペクティブ

    にはない新たな視点をもってはいるが,ラベリング理論のようなパラダイム

    の変革を含む革新性はない。その意味ではコーンハウザーがいうように文化

    的逸脱論と対置される社会解体論の系譜に位置する (Kornhauser,1978:

    chap.2)。 そのためにボンド・セオリーはとの系譜の伝統が累積してきた知

    見の上に新たな理論構成を行なう乙とに大きな矛盾を来さず,ボンド・セオ

    リーの経験的内実を豊かにすることが可能となっている。

    乙の事実は,一見ボンド・セオリーと社会解体論に含まれるさまざまなノマ

    ースぺクティプとの接合が可能になることを意味しているように受け取れ

    (695 )

  • - 34-

    る。事実,エンペイとノレーベ ックのように緊張理論とボ ンド・セオリーとを

    接介する試みがなされたり (Empey& Lubeck, 1971: 49),ときにはグレ

    イザーのような文化的逸脱理論,緊強理論,ボンド・セオリ 一三者の接合が

    試みられたりする (D.Glaser,1979)。あるいは コノレビンと ポーリイのよう

    にマノレキシズムの視点の中にホンド ・セオリーを組み込もうとする試みもあ

    る (M.Colvin and J. Pauly, 1983)。

    他のパースペクティブとのこうした巾広い接合を可能にしているのは,ひ

    とつにはボンド ・セオリーが徹底した経験主義に立脚しているからであるo

    乙の特徴は,一方ではボンド ・セオリ ーの経験的な内容を豊にするという長

    所を持ち,アメリカの犯罪社会学の中でボンド ・セオリ ーの有効性を高める

    要素となっている O しかし,徹底した経験主義は他方ではさまざまなノマース

    ペクティブとの接合を可能にさせ,そのために説明モデノレ相互が矛盾をきた

    しているにもかかわらず,乙れを変数と同義的に解釈し理論的ノマースペクテ

    ィブ相互の連関構造が成り立っているかのように思い込む悪しき経験主義

    や,なんらの理論的検討をも行なわないままモザイク的に接合する瑛末な調

    査至上主義や教条的な多元的原因論に堕する危険性を匪胎しているo

    したがって,それぞれのパースペクティブの接合はその説明モデノレK含ま

    れている理論的前提や仮定が矛盾しない部分において行なわれるべきであ

    り,安易な接合は避けられるべきであるo たとえばボンド ・セオリーでホヴ

    ンズらの交換理論や抑止理論との接合は本稿でも検討した乙とから明らかf-

    ように,ともに self-seekingbehaviorを前提とした理論構成を行なってお

    り,その共通項に立った理論構成を試みる限りは接合可能な理論群で、あるO

    また,コントローノレ理論は社会学のみならず生物学,心理学からのアプロー

    チを広く含んでいるO したがってボンド ・セオリ ーとこれらのアプローチγ

    ついても今後検討する必要のあるととろである。

    イ)刑事司法違営への関心の移行一一ラベリング理論が登場し注目をあぜ晶

    たのは,従来の犯罪社会学が比較的等閑視し手薄であった刑事司法運営の領

    域にたいして正面から乙れを問題として扱った乙とにあるo 以降,犯罪社一

    学の主たる関心事は一つは従来の犯罪行動の原因の究明であり,もう一つは

    犯罪を コントローノレする乙とであり,前者から後者への関心の移行がみられ

    るO ボンド ・セオ リーは基本的には行動の原因諭にたちつつも,抑止理論を

    組み込むことによって刑事司法運営や刑事政策への廻論的カパリッジを備え

    ていることは大きな特徴である O

    ( 696)

  • 犯罪社会学における実証主義的思潮とボンド・セオリー - 35ー

    ウ〉アメリカ社会の危機感情に対応した原因論一一ボンド・セオリーはそ

    の要素のーっとして家族や友人などとの幹を強調している。その点では現代

    のアメリカ社会が抱える深刻な家族危機の状況にたいする提言を含んだ理論

    といえよう。しかし,これを過度に強調する乙とは他方では犯罪予防対策を

    家族関係や精神論あるいは 家族道徳の問題へと解消してしまう危険性があ

    る。また,ボンド・セオリーが強調している社会的幹や集団,制度などへの

    繋りの弱化はアメリカ社会のみならず現代の日本社会の中でも進行している

    現象である。したがって,非行問題をとうした個人がもっている社会,集団,

    あるいは他者への関係性の変化から把握していこうとする視点はきわめて今

    日的状況を組み込んだパースペクティブといえようし,現象の発生因として

    は妥当性のある説明となろう。しかし,乙うした社会的幹の弱化の背景にあ

    る個人化 (individuation) ないしは私事化~(privatization) の動向が現代

    社会の変化の中で不可逆な流れだとすれば,粋の弱化によって発生した問題

    を単に粋の回復によって解決することはできなし、。いうなれば失われた社会

    的粋の修復は過去の状態へ戻る乙とを意味するものではない。しかし,ボン

    ド・セオリーは説明モデノレの背後仮説として, 自己の利害関心の探究とそれ

    にむかつての合理的選択過程とを組み込んでいる。それは人聞が他者や自己

    を取り巻く社会,制度,行為状況との繋りの中で自己の欲求を再組織化する

    過程でもある。個人化し私事化する状況の中で個人がどのようなネットワー

    クや粋を編み上げて共同性を確保し,自己を機軸とした社会過程をどのよう

    に展開していくかという問題をいかに理論化するかは犯罪社会学のみなら

    ず,社会学の今後の大きな課題でもある。ボンド・セオリーは単なる犯罪原

    因を説明する理論にとどまらず,こうした現代社会論への広がりをも内包し

    ている。ボンド・セオリーが単なる心理学主義に陥らないためにも,また,

    過去の社会的な粋へのノスタノレジアと回帰をめざす保守主義という誹りを免

    れるためにも,乙うした作業が今後とも必要である。

    エ〉社会復帰理念と応報理念の緊張一一ボンド・セオリーにおいては自己

    の利害関心の合理的選択過程が仮定されている。しかし,もし人が自分を怠

    識的に内側から統制できないとすれば,外的な力によって乙れを統制しよう

    とする作用を否定できなし、。そのためにボンド・セオリーは,応報理念に立

    ち,厳罰化傾向に街担する立場であるという誤解を生じることがある。しか

    し,外的なノJによる統制は刑罰による威嚇効果のみを意味するものではな

    い。既述のハーシィによるボンド・セオリーの要素から容易に理解されるよ

    (697 )

  • - 36ー

    うに,非行矯正は少年の家族関係・社会関係への粋の回復,長期的目標への

    コミ ットメント,建設的な活動への関わり,法規範への信念の啓発などを主

    軸としているO 乙れらの方策はいわゆる再社会化と少年の環境調整を含んだ

    社会復帰理念にもとづいている O ラベリング理論もボンド・セオリーもがと

    もに人聞に潜む逸脱へのポテ ンシャ リティを認めていながらも,ラベリング

    理論がペシミスティックに 「人間の矯正はきわめて困難である」という�