存在表現とコピュラ文とは、一方では、 存在文・所在文と...

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存在文・所在文とコピュラ文の対応  184 ×稿(『文学史研究』56号 2016. 3)

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存在文・所在文とコピュラ文の対応  184

一 はじめに

 

存在表現とコピュラ文とは、一方では、

 (1)a 

時計は机の上にあります。/b 時計は机の上です。

 (2)a 

彼には不安がある。/b 

彼は不安だ。

のように同義的・類義的に置換可能な場合があり、一方では、

 (3)a 

駅前にコンビニがある。/b 

?駅前はコンビニだ。

 (4)a×順位は三位にある。/b 

順位は三位だ。

のようにどちらかが不自然になる(用いられるとしてもかなり意味が

異なる)場合もある。本稿は、ここにどのような条件があるか、その

概略を考察するものである。以下、二つの文が同義的・類義的に置換

できることを「対応する」ということにする。

 

丹羽(二〇一五ab)と同様、動詞「ある」(「いる」も含む)を用

いる存在表現の中で、「Bに(は)Aがある」型の文を存在文、「AはB

にある」型の文を所在文と呼びわける(Aがガ格名詞、Bが主として

ニ格名詞)。同論では存在文・所在文を、ニ格名詞Bやガ格名詞Aに

どのような名詞が用いられるかによって、「場所型」「時間型」「抽象

場所型」「周辺要素型」「関係基体型」「状況型」「内容型」「上位型」

などに分類している(具体的には後述)。

 

一方、「~は~だ」という形の文の主要なタイプとして、次のよう

なものが挙げられる(丹羽二〇〇六:四章を一部改定)。

 

帰属文:山田は会社の社長だ。

     (「山田」はカテゴリー「会社の社長」の一員である)

 

指定文:この会社の社長は山田だ。

     (

カテゴリー「この会社の社長」の成員が「山田」である

と指定する)

 

同一文:この川は淀川だ。

     (「この川」と「淀川」は同一のものである)

 

ウナギ文:(ご注文は?──)僕はウナギだ。

     (文脈から「注文がウナギだ」という関係が推論される)

 

性質文:これは高品質だ。

     (「これ」が「高品質」という性質を備えている)

 

一時的状態文:社長は多忙だ。

     (「社長」は「多忙」な状態にある)

性質文、一時的状態文の「Bだ」は「状態名詞+だ」とも「形容動

存在文・所在文とコピュラ文の対応

丹 羽 哲 也

(『文学史研究』56号 2016. 3)

185  存在文・所在文とコピュラ文の対応

詞」とも言え、これをコピュラ文と呼ぶか否か問題である。しかし、

本稿は、「BにはAがある」・「AはBにある」という形の文と「Bは

Aだ」・「AはBだ」という形の文の関係を考察するものであるので、

その当否には立ち入らない。

 

上記の、存在文・所在文の分類とコピュラ文の分類とはまったく異

なるものである。ここでは、前者の分類枠に依って、対応・非対応を

見ていくことにする。前者が名詞の種類に依存する分類で、対応関係

を捉えやすいためである。なお、例文は、対応の成否を見やすくする

ために作例を中心とするが、どういう文脈で用いられるかが重要な場

合は実例を用いる。また、名詞に下接する「だ」と「である」、(及び

その丁寧形)を、説明の中ではまとめて「だ」と表示する。例文に付

す「×」は対応する文として不自然であることを、「?」はやや不自

然であることを示す。

二 場所型

 二・一 同一文・帰属文・指定文の場合

 

場所型は(1)aのようにニ格項Bに場所を表す名詞が用いられる

タイプである。コピュラ文の中で、場所型の存在文・所在文に対応す

るものは、(1)bのようにBに場所名詞がくるものであるが、当然な

がら、場所名詞が用いられても、対応しない場合も多い。 

 (5)あの山は槍ヶ岳だ。

 (6)槍ヶ岳はあの山だ。

 (5)a×あの山には槍ヶ岳がある。/b×槍ヶ岳はあの山にある。

 (6)a×槍ヶ岳にはあの山がある。/b×あの山は槍ヶ岳にある。

(5)(6)は同一文で、「あの山」と「槍ヶ岳」とが同一個体である

ことを表す。これらは、AとBとが空間的な関係を表すものではなく、

(5)(6)のように、対応する存在文・所在文を考えても成り立たな

い。仮に例えば(5)aが成り立つとしても、「あの山にあるいくつ

か峰の一つとして槍ヶ岳がある」という意味で、(5)とは意味が異

なる(注1(。

 (7)七号車はグリーン車です。  

 (8)この列車のグリーン車は七号車です。

(7)は帰属文で、「(この列車の)七号車」が「グリーン車」という

カテゴリーに所属することを表し、(8)は指定文で、「この列車のグ

リーン車」というカテゴリーの要素が「七号車」であること表す。こ

れらも、存在文・所在文とは対応しない。(7)で示せば、

 (9)a×七号車にはグリーン車があります。

   

b×グリーン車は七号車にあります。

これらが成り立つとしたら、7号車の中にグリーン車のエリアがある

ということで、意味が異なる。

 二・二 所在文と性質文の対応

 

対応が成り立つのは、一つは、次のような所在文と性質文とである。

 (10)彼女の家は学校の近く{aにある/bだ}。

′′′

存在文・所在文とコピュラ文の対応  186

このb「学校の近くだ」は「学校に近い」に相当し、「彼女の家」の

性質を表す。もっとも、これはBが「近く」「遠く」「中心」など場所

兼性質を表すという性格を持つ名詞に限られる。

 二・三 所在文と慣用的ウナギ文との対応

 

所在文とコピュラ文が対応する場合の多くは、「AはBだ」がある

種のウナギ文の場合である(以下、丹羽二〇〇六:四章に依る)。

 (1) 

時計は机の上{aにあります/bです}。

 (11) 

私の家は神戸{aにある/bだ}。

これらのbは「時計は{その場所が}机の上です」「私の家は{場所

は}神戸だ」のように補って意味理解がなされる。

 

ウナギ文は、通常、次のような文を指し、ある文脈の中で用いられ

て、中括弧の部分が補って理解される。

 (12)ぼくはウナギだ。(ぼくは{注文が/好きな食べ物が/ペット

が}ウナギだ)

 (13)彼は七時です。(彼は{犬の散歩時間が/起床時間が/朝食の

時間が}七時です)

これらは、

 (12)注文、何にする?──ぼくはうなぎだ。

 (13)ぼくは夕方五時から犬の散歩に行きますが、彼は七時です。

のような文脈で用いられる。ウナギ文には、それだけでなく、次のよ

うな文も含まれる。

′′

 (14)夜のニュースは七時と九時です。(夜のニュースは、{時間が}

七時と九時です)

 (15)太陽系の惑星は九つだ。(太陽系の惑星は、{数が}九つだ)

 (16)彼女は着物だ。(彼女は{着ている物が}着物だ) 

これらも中括弧の部分を補って理解される。(12)(13)と異なるの

は、これらの理解に特別な文脈は必要なく、主語名詞Aと述語名詞B

との関係から推論されることである。(14)で言えば、文脈によって

は、「夜のニュースは、{私が見るのは}七時と九時です」という解釈

もあり得るが、そういう文脈がなければ、常識的に{放映時間が(=

夜のニュースの存在時間が)}ということを言っていると理解される

のである。このようなウナギ文をここでは「慣用的ウナギ文」と呼ぶ。

(1)(11)も、(14)~(16)と同様で、「時計」と「机の上」、「私の

家」と「神戸」との関係において、{場所が/は}を補い(注2((注3(

得る。

 

所在文と慣用的ウナギ文とが対応するといっても、使用条件の違い

はある。次の所在文では、文章の冒頭として見ると、対応するコピュ

ラ文が少し不自然である。(「#」は文章の冒頭または段落の冒頭であ

ることを示す。)

 (17)#「天国にいちばん近い島」といわれるフランス領ニューカ

レドニアは南太平洋にある。(?である)

(97・5・17・夕(注4()

 (18)#祈りは天に昇る。ギリシャ中部テッサリア地方メテオラに、

14世紀から十七世紀にかけて建てられたギリシャ正教の修道

院群は、切り立った岩山の上にある。(?である)

(99・1・1・朝)

この(17)(18)の「AはBだ」は、次の文脈では自然な文になる

187  存在文・所在文とコピュラ文の対応

(「にある」も自然)。

 (17)フランス領ってあちこちにあるの?──うん。例えば、フラ

ンス領ニューカレドニアは南太平洋だ。(にある)

 (18)ギリシャ正教の修道院群がどこに立っているかというと、切

り立った岩山の上である。(にある)

これらは、次のように{場所が/は}を補って理解できる。

 (17)フランス領ニューカレドニアは{場所は}南太平洋だ。

 (18)ギリシャ正教の修道院群は、{場所が}切り立った岩山の上で

ある。

(17)は、「フランス領ってあちこちにあるの?」という質問によって、

「フランス領ニューカレドニア」の存在場所がどこであるかという関

心が喚起され、(18)も「どこに立っているかというと」にそういう

関心が直接示されている。

 

また、次の例においても「だ」が成り立つ(「にある」も自然)。

 (19)展望は圧巻だった。雲霧のため墨絵のように浮かんだ四国の

山並みに囲まれ、松山市街が一望の下にあった。子規の生家

跡は、城の麓の南側。親友であった秋山真之と兄の好古の生

家跡は、西側にある。(である)

(02・12・22・朝)

 (20)#事故のすさまじい衝撃で正徳さんは失神。気付いた時は病

院のベッドの上だった。(にいた)

(93・10・18・夕)

(19)は「子規の生家跡」との対比で、「秋山真之と兄の好古の生家

跡」の場所に対する関心が喚起されやすく、(20)は意識を取り戻し

た時に「自分の居場所はどこか」という関心が喚起されやすいと言

える。

′′′′′′′

 

以上のように、(17)(18)・(19)(20)の「だ」が自然で、(17)

(18)の「だ」がやや不自然なのは、前者は「その場所はどこか」と

いう関心が喚起されやすい文脈にあり、後者はそうではないというと

ころにある。存在場所に対して関心を抱いていることが明らかな場合

に、慣用的ウナギ文が用いられやすいのである。

 

但し、関心が喚起されやすいか否か、「AはBだ」が自然か否かは、

相当に微妙で、ここでその詳細に立ち入ることはできない。

 二・四 存在文と慣用的ウナギ文との対応

 

他方、存在文「BにはAがある」と「BはAだ」との置換は、所在

文「AはBにある」と「AはBだ」との置換に比べて、次のbのよう

に成り立ちにくい場合が少なくない。

 (21)a 

机の上に花瓶がある。/b?机の上は花瓶だ。

   c 

花瓶は机の上にある。/d 

花瓶は机の上だ。  

 (22)a 

信州には別荘がある。/b?信州は別荘だ。

   c 

別荘は信州にある。 

/d 

別荘は信州だ。

dのコピュラ文は、「花瓶は{場所が}机の上だ」、「別荘は{場所は}

信州だ」のように補い得る慣用的ウナギ文である。bの文は、 (21)

bで言えば、次のような文脈では成り立つ。

 (21)b 床の間に大きな壺があるし、棚には抹茶茶碗がたくさんあ

る。机の上は花瓶だ。

これは「机の上は{そこにあるものが}花瓶だ」と補い得るが、この

存在文・所在文とコピュラ文の対応  188

ような文脈が必要であるというのは、慣用的ウナギ文とは言い難い。

dの{場所が}を補うのとbの{そこにあるものが}を補うのとを比

べれば、前者の方が慣用化しており、それがdとbの許容度の違いと

なっているということであろう。

 

但し、次の例では、bも自然である。

 (23)a 

隣にコンビニがある。/b 

隣はコンビニだ。

   c 

コンビニは隣にある。/d 

コンビニは隣だ。

 (24)a 

二階には控え室がある。/b 

二階は控え室だ。

   c 

控え室は二階にある。/d 

控え室は二階だ。

(23)「隣」は他の並びの建物との対比を、(24)「二階」は他の階との

対比がなされやすく、その中で、そこがどんな所か、何がある所かと

いう関心が喚起されやすいのである。

 

なお、(23)c(24)cのような所在文は「Aはどこにあるかという

とBにある」という選択指定的な性格を持ち、(23)d(24)dのウナ

ギ文も「場所がBだ」という選択指定的な性格があるという点で、同

義的である。これに対して、(23)(24)のaとbを比べると、慣用的

ウナギ文のbは選択指定的だが、aの存在文には特にそういう性格は

なく(文全体が焦点であることも可能)。この点で、意味の違いがあ

る。

三 時間型

 

時間型の存在文・所在文は、Bに時間を表す名詞が用いられるタイ

プである。まず、場所型の(5)~(8)と同様、コピュラ文が同一

文・帰属文・指定文である場合には、存在文・所在文に対応しない。

次は帰属文の例。

 (25)四月一日は入学式の日だ。

 (25)a  

×四月一日には入学式の日がある。/b×入学式の日は四

月一日にある。

 

時間型のAは次の「入学式」「阪神淡路大震災」のように出来事を

表す名詞が用いられる。

 (26)a 

四月一日には入学式がある。/b 

四月一日は入学式だ。

   c 

入学式は四月一日にある。/d 

入学式は四月一日だ。

 (27)a 

小学生の時に阪神淡路大震災があった。

   

b?小学生の時は阪神淡路大震災だった。

   c 

阪神淡路大震災は小学生の時にあった。

   

d 

阪神淡路大震災は小学生の時だった。

(26)のコピュラ文は、bは「四月一日は{その日の行事は}入学式

だ」、dは「入学式は{時期が}四月一日だ」のように補って解釈で

きる。(27)も同様に、b「小学生の時は{起きた出来事が}阪神淡

路大震災だった」、d「阪神淡路大震災は{時期が}小学生の時だっ

た」のように補うことができるが、bは単独ではやや不自然で、

 (27)b 

社会人一年目は東日本大震災があったし、小学生の時は阪

′′

189  存在文・所在文とコピュラ文の対応

神淡路大震災だった。

のような対比文脈が必要である(注5(。二・四節の場所型と同様で、dとb

の差は、{時期が}を補う方が{起きた出来事が}を補うより慣用化

しているということであろう。その一方で、(26)bは{その日の行事

が}と出来事を補う文だが、(27)のような対比文脈を必要としない。

このようなスケジュールの叙述は、月日と出来事の組み合わせに対す

る関心(いついつに何があるかという関心)が高いためだと考えられ

る。

 

他方、次の(28)(29)は、コピュラ文bは成り立つが、所在文a

は自然ではない。 

 (28)彼女の結婚は六月{a×にある/bだ}。

 (29)選挙の実施は来夏{a×にある/bだ}。

これが「結婚」「選挙の実施」でなく、次のように「結婚式」「選挙」

であるならば自然である。

 (30)彼女の結婚式は六月{aにある/bだ}。

 (31)選挙は来夏{aにある/bだ}。

次も同様である。

 (32)国会の解散は予算案成立後{aにある/bだ}。

 (33)機器の更新は三月頃{aにある/bだ}。

これは、存在文の場合も同じで、「結婚式がある」「選挙がある」「国会

の解散がある」「機器の更新がある」は自然だが、「×結婚がある」「×

選挙の実施がある」、あるいは、「×開店がある」「×開始がある」「×

入場がある」「×出発がある」「×実用化がある」などは成り立ちにく

い。所在文・存在文が成り立たないのはどれも動作性名詞だが、「選

挙」のように動作性名詞でも成り立つものがあって、詳細は明らかで

はない。

 

なお、Aが動作性名詞の存在文の場合、

 (34)a×六月に彼女の結婚がある。/b?六月は彼女の結婚だ。

 (35)a 

六月に彼女の結婚式がある。/b 

六月は彼女の結婚式だ。

(34)bのように「結婚」では対応するコピュラ文も成り立ちにくい。

(35)bならば「六月は{行事が}彼女の結婚式だ」というように補っ

て理解できる(「行事」という言葉がぴったりではないにせよ)が、

(34)bはそのように補って理解することが相対的に難しいためであ

ろう(注6(。

四 周辺要素型

 

周辺要素型の所在文は、「AはBある」の形でBが副詞的要素であ

るものである(他と異なりBは無助詞が多い)。

 (36)お饅頭はちょうど百個{aあります/bです}。

 (37)定年後の人生は二・三十年ほど{aある/bだ}。

 (38)全国に信用金庫は二百八十二行{aある/b×だ}。

(36)(37)はそれぞれbのようにコピュラ文に対応する。これは、

「お饅頭は{数が}ちょうど百個です」「定年後の人生は{年数が}

二・三十年ほどだ」のように補う慣用的ウナギ文として成り立ってい

る。(38)のbが成り立たないのは、「全国に」という場所要素があっ

て、「AはBだ」という構文にならないからである。また、

存在文・所在文とコピュラ文の対応  190

 (39)商品はたくさん{aある/b×だ}。

 (40)わが党は国民とともに{aある/b×だ}。 

(39)は(36)(37)と同様に{数が}を補って理解できるが、「たく

さん」が「だ」を伴わないために成り立たない。(40)bも「ととも

に」が「だ」を伴わず、かつ、慣用的ウナギ文として補う要素も想定

しにくいために成り立たない(注7(。

 

本節までの範囲において対応が成り立つのは、主として、(ア)所

在文・存在文のBが場所・時間・数量であり、コピュラ文が慣用的ウ

ナギ文という特別な構文で場所・時間・存在物・出来事・数量を補っ

て理解される場合であった(慣用化の度合いの違いもあった)が、一

方で、(イ)所在文のBが場所兼性質を表し、コピュラ文が性質文

の場合というものもあった。次節以降は、慣用的ウナギ文に依らず、

(イ)のようなBまたはAの名詞の性質に依存するものが多くなる。

五 抽象場所型

 

これは、場所項Bの名詞が抽象的な場所を表すものに転用されたタ

イプである。所在文の例を挙げると、

 (41)山田は社長の地位{aにある/b×である}。

 (42)この試合は、ファンの記憶の中{aにある/b×である}。

(41)(42)は「社長の地位」「ファンの記憶の中」という抽象的な場

所に「山田」「この試合」が存在することを表す。これに対して、

 (43)芸能界は浮き沈みが激しい世界{a×にある/bである}。

 (44)太郎は次郎より二歳年上{a×にある/b 

だ}。

(43)は帰属文で、「芸能界」が「浮き沈みの激しい世界」というカテ

ゴリーの要素であることを表し、(44)は性質文で、「太郎」が「次郎

より二歳年上」という性質を持つことを表す。このように一方のみが

成り立つ場合とともに、両方とも成り立つ場合も少なくない。

 (45)実態は闇の中{aにある/bである}。

 (46)血圧は正常の範囲内{aにある/bである}。

 (47)彼は私とは正反対の立場{aにある/bである}。

いずれもAがBという抽象的な場所内にあるという把握も、AがBと

いう性質を持つという把握も可能である。

 

存在文についても同様に、一方のみのことも両方のこともある。

 (48)a 

紛争の背景には貧困がある。/b 

紛争の背景は貧困だ。

 (49)a 

彼女の心には深い傷がある。/b×彼女の心は深い傷だ。

どのような名詞が性質を表すことができるか、詳細は不明であり、ま

た、所在文・存在文の示す抽象的な場所という概念も内実は漠然とし

たままである(注8(。

 

このタイプは、場所型と異なり、慣用的ウナギ文とは対応しにくい。

次の(50)は場所型、(51)は抽象場所型の例。

 (50)私の家は路地の奥{aにある/bだ}。

 (51)彼女のことは心の奥{aにある/b×だ}。

(50)は「私の家は{場所が}路地の奥だ」という関係に把握できる

が、(51)はそのように補うことが難しい。

191  存在文・所在文とコピュラ文の対応

六 関係基体型

 

関係基体型は、Aが関係名詞で、Bがそれを補充するというタイプ

である。次のaは存在文、cは所在文。

 (52)a 

私には責任がある。/b×私は責任だ。

   c 

責任は私にある。 

/d×責任は私だ。

 (53)a 

太郎にはそういう欠点がある。/b×太郎はそういう欠点

だ。

   c?

そういう欠点は太郎にある。/d×そういう欠点は太郎だ。

   c 

そういう欠点は太郎にもある。/d 

そういう欠点があるの

は太郎だ。

(52)acで言えば、「責任」は必ず誰かの責任であり、それを「私」

が補充する関係にある。(53)cが少し不自然なのは、「そういう欠点」

について、それを誰が持つかを問うて選択するということがあまりな

いからで、cのように「も」があればより自然になる。これらに対応

する(52)(53)のbdは、帰属文・指定文・同一文・性質文として

捉えられる関係になく、かつ、慣用的ウナギ文としての理解もできな

いため、成り立たな(注9(い(ただし、dの代わりに、aに対応するdが可

能である)。

 「BはAだ」が性質文として自然な場合もある。

 (54)a 

彼には問題がある。 

/b 

彼は問題だ。

   c 

問題は彼にある。  

/d 

問題は彼だ。

 (55)a 

妻の方には不満があった。/b 

妻の方は不満だった。

   c 

不満は妻の方にあった。/d?不満は妻の方だった。

   

d 

不満があったのは妻の方だった。

名詞Aが「ある」のガ格に立つ(acが成り立つ)か、「Aだ」で性

質を表す(bが成り立つ)かは、個々の語に依る。

 (56)a 

彼にはそうする{必要/必要性}がある。

   

b 

彼はそうすることが{必要/×必要性}だ。

   c 

そうする{必要/必要性}は彼にこそある。

   

d 

そうする{×必要/×必要性}は彼だ。

   

d 

そうする必要があるのは彼だ。

 (57)a 

彼女には{×柔軟/柔軟性}がある。

   

b 

彼女は{柔軟/×柔軟性}だ。

   c{×柔軟/柔軟性}は彼女にこそある。

   

d{×柔軟/×柔軟性}は彼女だ。

   

d 

柔軟性があるのは彼女だ。

(54)「問題」と(55)「不満」と(56)「必要」とは、「ある」のガ格

にも立ち「だ」を伴って性質述語にもなるのに対して、(57)の「柔

軟」は「ある」のガ格には立たないが性質述語にはなり、(56)「必要

性」と(57)「柔軟性」は「ある」のガ格には立つが性質述語にはな

らない。

 (57)「柔軟」のように、性質述語にはなるが「ある」のガ格に立た

ないものは、形容動詞も含め、数多くある。

 (58)a×彼には優秀がある。/b 

彼は優秀だ。

 (59)a×この製品には高品質がある。/b 

この製品は高品質だ。

 (60)a×この壁には真っ白がある。/b 

この壁は真っ白だ。

′′′

存在文・所在文とコピュラ文の対応  192

七 状況型

 

状況型所在文は、BがAの一時的状況を表すタイプである。次のよ

うに、この「にある」は「だ」に置換できることが多い。

 (61)人口は減少傾向{aにある/bだ}。

 (62)日本の社会は今、過渡期{aにある/bである}。

 (63)アホウドリは絶滅の危機{aにある/bだ}。 

 (64)彼は、かなり不利な条件{aにあります/bです}。

このタイプは、これら「減少傾向」「過渡期」「絶滅の危機」「不利な

条件」のように変化や動作のある方向・局面を表す名詞において成り

立つことが多い。

 

次のような状態を表すものは、「だ」の文が成り立つが「にある」

に置き換えられない(((

(注

 (65)彼は強気{×にある/だ}。

 (66)僕はショック{×にあった/だった}。

 (67)社長は多忙{×にある/だ}。

 (68)妹はご機嫌{×にあった/だった}。

 (69)バターは品薄{×にあります/です}。

但し、

 (70) 

学力は高いレベル{aにある/bだ}。

 (71) 

僕はショック状態{aにあった/bだった}。

という例では所在文も成り立ち、個々の語に依るところも大きい(((

(注

 

 八 内容型

 

内容型の所在文は、Aの内容がBで示される関係にあるものである。

 (72)この作品の独自性は、色の使い方{aにある/bだ}。

 (73)彼の心配は妻の健康{aにあった/bだった}。

 (74)就職の際の大きな壁は日本語{aにある/bである}。

 (75)学生時代の思い出は、何と言っても部活{aにある/bだ}。

BがAの内容であることは、「色の使い方というこの作品の独自性」

「妻の健康という彼の心配」のように「BというA」の形が可能であ

ることに現れる。これらの例で所在文とコピュラ文とが置換可能なの

は、Aの内容がBであるという指定的性格が両者に共通するからで

ある。

 

ただ、次のように、所在文が不自然な場合もある。

 (76)周りの感想は、「まさか」{a×にあった/bであった}。

 (77)デジタルの元の意味は指{a×にある/bである}。

 (78)お返しは家で取れたサツマイモ{a×にあった/bだった}。

 (79)このペットボトルの中身は水道水{a×にある/bだ}。 

「AはBにある」も「AはBだ」も、Aの内容をBで指定するのは同

じである。しかし、「にある」の場合、Aの内容は、Bそのものとい

うより、「Bに含まれるあるもの」と言い得るものである。(72)aで

いえば、「この作品の独自性」の内容は「色の使い方」なのであるが、

実際には何らかの具体的な使い方があるのであり、「色の使い方にあ

る」は、そういう関係を表現している。したがって、指定されるも

193  存在文・所在文とコピュラ文の対応

のが、Bに含まれるのでなく、Bそのものでしかない場合は、(76)

~(79)のように「AはBにある」になじまない。「感想」は「まさ

か」という言葉そのもの、「お返し」は「サツマイモ」そのものであ

る。これに対して、「AはBだ」の方は、Aの内容がBの中にあるか

Bそのものかということには関与しないので、上のどの例も成り立つ。

九 上位型

 

次の(80)のように、内容型所在文「AはBにある」は対応する存

在文は成り立たず、その一方で、上位型所在文と上位型存在文とが成

り立つ(丹羽二〇一五a:9)。

 (80)a 

内容型所在文「上位項Aは下位項Bにある」

     

将来の懸念はインフレにある。

   

b×内容型存在文「下位項Bには上位項Aがある」

     

×インフレには将来の懸念がある。

   c 

上位型所在文「下位項Aは上位項Bとしてある」

     

インフレは将来の懸念としてある。

   

d 

上位型存在文「上位項B{としては/には}下位項Aがある」

     

将来の懸念{としては/には}インフレがある。

内容型所在文の(80)aは、指定文(81)と同義的に対応するが、

 (81)将来の懸念はインフレである。

それとともに、上位型存在文(80)dが(81)と類義的に対応すると

も言える(存在文の方に指定性がないという点で類義的)。(72)~

(75)に対しても次のような上位型存在文が成り立つ。

 (82)この作品の独自性としては、色の使い方がある。

 (83)彼の心配としては、妻の健康ということがあった。

 (84)就職の際の大きな壁としては日本語がある。

 (85)学生時代の思い出としては、何と言っても部活がある。

他方、上位型所在文(80)cの対応するコピュラ文は(86)である。

 (86)インフレは将来の懸念である。

これは「下位項Aは上位項Bである」という通常の帰属文である。次

も同様の例。

 (87)言葉は民族の基盤{aとしてある/bである}。

 (88)戦争は外交の延長{aとしてある/bである}。

 (89)鬼ごっこはスポーツの原点{aとしてある/bである}。

この所在文「AはBとしてある」は、AをBの一員として特に位置づ

けるという意味合いが強い。それ故、単純にAがBに属することを表

す文には用いられにくい。

 (90)これは僕の時計{a?としてある/bだ}。

 (91)明日は日曜日{a?としてある/bである}。

十 まとめ

 

以上のことをまとめれば、次の二つに大別される。

(ア)

場所型・時間型・周辺要素型の所在文・存在文は、コピュラ文

の中で、{場所が・時間が・存在物が・出来事が・数量が}と

存在文・所在文とコピュラ文の対応  194

いった要素を補って理解できる慣用的ウナギ文に対応し得る

(慣用性の度合いに差もある)。

(イ) その他の所在文・存在文、および場所型所在文の一部は、Bま

たはAの名詞の性質によって、帰属・性質・一時的状態・指定

という意味関係を表すコピュラ文に対応し得る。

(ア)はコピュラ文が慣用的ウナギ文という特殊な構文によって所在

文・存在文に接近したもの、(イ)は所在文・存在文がBやAの名詞

の性質によってコピュラ文に接近したものと言うことができる。

 

コピュラ文の方を基準に整理すると、次のようになる(対応する場

合のみを代表例とともに示す)。

(ア)

慣用的ウナギ文/場所型・時間型・周辺要素型の所在文・存在

 

  (24)二階は控え室だ。/二階には控え室がある。

     

控え室は二階{だ/にある}。

 

  (26)四月一日は入学式だ。/四月一日には入学式がある。

     

入学式は四月一日{だ/にある}。

 

  (36)お饅頭はちょうど百個{です/あります}。

(イ1)

性質文/場所型所在文、抽象場所型所在文・存在文、関係基    

体型存在文

 

  (10)彼女の家は学校の近く{だ/にある}。

 

  (45)実態は闇の中{である/にある}。

 

  (48)紛争の背景は貧困だ。/紛争の背景には貧困がある。

 

  (54)彼は問題だ。/彼には問題がある。

(イ2)一時的状態文/状況的所在文

 

  (61)人口は減少傾向{だ/にある}。

(イ3)指定文/内容型所在文・上位型存在文

 

  (81)将来の懸念はインフレである。

          

/(80)将来の懸念はインフレにある。

              

将来の懸念としてはインフレがある。 

(イ4)帰属文/上位型所在文

 

  (86)インフレは将来の懸念である。

          

/(80)インフレは将来の懸念としてある。

 

対応すると言っても、場所型の二・三節などで見たように、微妙な

文脈に依存する場合があり、また、(イ)は個々の名詞の語彙的性質

に依存する面が強く、具体的には不明な点が多く残っている。

〈注〉

(注1)同一個体であることと空間的に重なることとは同じではない。

  「シネマ名画座」はこのビルの八階{aだ/bにある}。

この映画館がビルの八階を占有して空間的に一致するという場合

でも、コピュラ文のaは、同一個体であることを表すわけではな

い。これは二・三節の慣用的コピュラ文であり、

  「シネマ名画座」は{場所が}このビルの八階だ。

のように補って理解できる。

(注2)もともと{ 

}の成分があって、それが省略されているとい

うのではなく、これらの「AはBだ」の意味解釈において補って

理解されるということである。それ故、補った文が多少ぎこちな

195  存在文・所在文とコピュラ文の対応

い文になっても問題はない。{~が}と{~は}でどちらがより自

然かということも問題ではない。

(注3)慣用的ウナギ文は、意味解釈のために{ 

}という成分を補

う必要がある文だが、逆は成り立たない。

  a 

彼は銀行員だ。/b 

彼は{職業が}銀行員だ。

aは帰属文だが、bのように補って理解することもできる(詳し

くは丹羽二〇〇六:四章)。(8)の指定文でも、

 (8) 

この列車のグリーン車は{場所が/車両が}7号車だ。

のように補うこともできる。

(注4)実例は『CD-

毎日新聞(データ版)』による。

(注5)次のbは不自然である。

  a 

小学生の時にある事件があった。

  

b×小学生の時はある事件だった。

これは、「ある事件」では「小学生の時」と他の時との対比が成り

立たないためである。

(注6)動作性名詞について言えば、次のように主体の動作や変化を

表すコピュラ文もある。

 [1]

彼女は六月に結婚です。(×彼女は六月に結婚がありま

す。)

 [2]

太郎はいま休憩です。(×太郎はいま休憩にあります。)

 [3]

計画は成功だ。(×計画は成功にある。)

これらは存在文・所在文には対応せず、それぞれ、「結婚します」

「いま休憩しています」「成功した」のように動詞述語に対応する。

(注7)周辺要素型の所在文に対応する存在文は、場所型などの存在

文に吸収され、周辺要素型の存在文というものはない(丹羽二

〇一五a:8)。なお、存在文と所在文が対応しないものとして、

「百花繚乱という言葉がある。」のような無表示型存在文というも

のもあり(丹羽二〇一五b:263)、これは「Aがある」という構文

で、Bがないため、コピュラ文に対応しない。

(注8)丹羽(二〇一五a:2)では、心理的領域、表現領域、現実

領域と分けているが、不十分である。

(注9)文脈に依存するウナギ文としてなら、どれも成り立つ。例え

ば(52)b「君は何を重んじる?」──「私は責任だ。」

(注10)一節でこの種のコピュラ文を「一時的状態文」と名づけ、こ

の節の所在文を「状況型所在文」と名づけているのは、後者が動

作性を持つものが多いことを反映させている。

(注11)状況型の存在文は、

(63)a×絶滅の危機にはアホウドリがある。

  

b 

ホロホロ鳥ではない。アホウドリが絶滅の危機にある。

のように、「BにはAがある」という形では成り立たず、「AがB

にある」の「A」が焦点になる場合に成り立つ(丹羽二〇一五

a:11)。これは「アホウドリが絶滅の危機だ」のように対応する。

′′

存在文・所在文とコピュラ文の対応  196

〈参照文献〉

西山佑司(二〇〇三)『日本語名詞句の意味論と語用論』(ひつじ書

房)

丹羽哲也(二〇〇六)『日本語の題目文』(和泉書院)

丹羽哲也(二〇一五a)「所在文の広がり─存在文との対応─」『文学

史研究』五五号

丹羽哲也(二〇一五b)「存在文の分類をめぐって」『国語国文』八四

巻四号(臨川書店)

〈付記〉

本稿は、日本学術振興会科学研究費補助金(基盤研究(C)、課題番

号24520504

)の研究成果{である/としてある}。

(にわ 

てつや・大阪市立大学大学院文学研究科教授)