後期ピアジェと「均衡化」概念(2)ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/r...日下正一:後期ピアジェと「均衡化」概念(2)...

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日下正一:後期ピアジェと「均衡化」概念(2) 67 後期ピアジェと「均衡化」概念(2) 1 すでに見てきたように,青年期ピアジェ(1910 年代)の「均衡」とは,量的なレベルでの力のバ ランスのようなものではなくて,さまざまな形態 の組織体における全体の質と部分の質との均衡を さすものであった。それは,量よりも質を,そし て質と質との関係を重視し,部分の総和を越えた 全体優位の有機体論に支えられたものであった (日下,1992a)。(1) 初期ピアジェ(1920年代)においては,青年期 の均衡論が社会的領域における協働をめぐる個人 間の関係に適用された。それは,協働の中に相互 に保存し合う理想的な均衡形態を見る一方で,そ うした協働の不成立や社会的威圧(一方的な強制) の中に全体と部分とが両立し得ない不完全な均衡 形態を見るものというのであったが,思考の論理 操作の構造の中に均衡を探ろうとしていたピア ジェにとっては,それは不本意なものであった(日 下,1992b)。(2) しかし,中期ピアジェ(1930~1940年代)にな ると,有機体の適応の延長としての知能の理論の 中で彼の均衡理論が展開されることになった。す なわち,有機体論をベースとしながら,生きたシ ステムとしての知能のもつ適応と組織化という2 つの側面に適応概念が適用され,機能レベルでの 均衡論(適応とは同化と調節との均衡であるとす る見方)と,構造レベルでの均衡論(知能の構造 を均衡の観点から見ようとするもので,とくに具 体的操作期の知能構造を群性体と名づけ,それを 完成された均衡形態と見なすもの)が提起された (日下,1992b)。(3) 青年期から初期,中期までのピアジェの均衡論 は,主として生物学的な発想に基づくものあった が,後期ピアジェ(1950年代)になると,1940年 代に現れたフォン・ベルタランフィ(von Berta一 1anffy,L.)の一般システム理論をはじめとして サイバネティックス,情報理論といったいわゆる システム論的な考え方がピアジェの均衡論に多大 な影響を与えることになった。 その結果として,後期ピアジェ以降は,状態と しての均衡(6quilibre)よりもプロセスとしての 均衡化(6quilibration)に重点が置かれるように なった。そして,均衡化が理論構造の発達の第4 の要因,しかも主要なる要因として位置づけられ るようになり,均衡化のプロセスをゲームの理論 や確率論によって説明しようとする試みも見られ るようになった。さらに,サイバネティックスな どの発想が取り入れられて,均衡化はシステムの 補償的な調整作用として特徴づけられるように なった(日下,1993)。(4) このように,1950年代に入って,ピアジェ均衡 論は均衡化論へと大きく発展した。しかし,ピア ジェの均衡化概念がこの時期に,このような形で 完成を見たわけではなかった。1960年代に入って も,ピアジェはこの概念にこだわりつつ,その修 正・発展に努めるのである。本論では,1960年代 のピアジェのそうした試みを追いながら,これま での検討をふまえつつ,この時期の均衡化論の特 徴を明らかにしたいと思う。 1960年代のピアジェの研究とその特色 均衡化概念の検討に入る前に,後期ピアジェの 後半,つまり1960年代のピアジェの研究について 概観し,その大まかな傾向と内容を把握しておく ことにする。この時期のピアジェの研究は,次の 4つの方向によって特徴づけることがぞきるよう に思われる。すなわち,「形象的認識の研究の推 進」,「子どもの心理発達の全体像の描写と説明」 「発生的認識論の立場の確立と強化」,「生物学と 認識論の統合の試み」の4つである。以下,これ らについて順に見ていくことにする。

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Page 1: 後期ピアジェと「均衡化」概念(2)ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R...日下正一:後期ピアジェと「均衡化」概念(2) 69 るからである。子どもの精神発達の全体像の描写と説明

日下正一:後期ピアジェと「均衡化」概念(2) 67

後期ピアジェと「均衡化」概念(2)

日 下 正 一

1 緒 言

 すでに見てきたように,青年期ピアジェ(1910

年代)の「均衡」とは,量的なレベルでの力のバ

ランスのようなものではなくて,さまざまな形態

の組織体における全体の質と部分の質との均衡を

さすものであった。それは,量よりも質を,そし

て質と質との関係を重視し,部分の総和を越えた

全体優位の有機体論に支えられたものであった(日下,1992a)。(1)

 初期ピアジェ(1920年代)においては,青年期

の均衡論が社会的領域における協働をめぐる個人

間の関係に適用された。それは,協働の中に相互

に保存し合う理想的な均衡形態を見る一方で,そ

うした協働の不成立や社会的威圧(一方的な強制)

の中に全体と部分とが両立し得ない不完全な均衡

形態を見るものというのであったが,思考の論理

操作の構造の中に均衡を探ろうとしていたピア

ジェにとっては,それは不本意なものであった(日

下,1992b)。(2)

 しかし,中期ピアジェ(1930~1940年代)にな

ると,有機体の適応の延長としての知能の理論の

中で彼の均衡理論が展開されることになった。す

なわち,有機体論をベースとしながら,生きたシ

ステムとしての知能のもつ適応と組織化という2

つの側面に適応概念が適用され,機能レベルでの

均衡論(適応とは同化と調節との均衡であるとす

る見方)と,構造レベルでの均衡論(知能の構造

を均衡の観点から見ようとするもので,とくに具

体的操作期の知能構造を群性体と名づけ,それを

完成された均衡形態と見なすもの)が提起された(日下,1992b)。(3)

 青年期から初期,中期までのピアジェの均衡論

は,主として生物学的な発想に基づくものあった

が,後期ピアジェ(1950年代)になると,1940年

代に現れたフォン・ベルタランフィ(von Berta一

1anffy,L.)の一般システム理論をはじめとして

サイバネティックス,情報理論といったいわゆる

システム論的な考え方がピアジェの均衡論に多大

な影響を与えることになった。

 その結果として,後期ピアジェ以降は,状態と

しての均衡(6quilibre)よりもプロセスとしての

均衡化(6quilibration)に重点が置かれるように

なった。そして,均衡化が理論構造の発達の第4

の要因,しかも主要なる要因として位置づけられ

るようになり,均衡化のプロセスをゲームの理論

や確率論によって説明しようとする試みも見られ

るようになった。さらに,サイバネティックスな

どの発想が取り入れられて,均衡化はシステムの

補償的な調整作用として特徴づけられるようになった(日下,1993)。(4)

 このように,1950年代に入って,ピアジェ均衡

論は均衡化論へと大きく発展した。しかし,ピア

ジェの均衡化概念がこの時期に,このような形で

完成を見たわけではなかった。1960年代に入って

も,ピアジェはこの概念にこだわりつつ,その修

正・発展に努めるのである。本論では,1960年代

のピアジェのそうした試みを追いながら,これま

での検討をふまえつつ,この時期の均衡化論の特

徴を明らかにしたいと思う。

皿 1960年代のピアジェの研究とその特色

 均衡化概念の検討に入る前に,後期ピアジェの

後半,つまり1960年代のピアジェの研究について

概観し,その大まかな傾向と内容を把握しておく

ことにする。この時期のピアジェの研究は,次の

4つの方向によって特徴づけることがぞきるよう

に思われる。すなわち,「形象的認識の研究の推

進」,「子どもの心理発達の全体像の描写と説明」

「発生的認識論の立場の確立と強化」,「生物学と

認識論の統合の試み」の4つである。以下,これ

らについて順に見ていくことにする。

Page 2: 後期ピアジェと「均衡化」概念(2)ir.lib.fukushima-u.ac.jp/repo/repository/fukuro/R...日下正一:後期ピアジェと「均衡化」概念(2) 69 るからである。子どもの精神発達の全体像の描写と説明

68 福島大学教育学部論集第54号

形象的認識の研究の推進

 この時期におけるピアジェの研究の特徴の1つ

は,知覚,心像,記憶といった認識の形象的側面

に関する研究が強力に推進されたという点にあ

る。これらの研究の成果は,『知覚のメカニズム

(Les m6chanismes perceptifs)』(1961)(5),『子

どもにおける’亡イ象(L’image mentale chez renfant)』

(1966)(6),『記憶と知能(M6moire et intelligence)』

(1968)(7)の3著にまとめられて出版されている。

 これらの研究に関連して,1960年代のピアジェ

に関して特記すべきことは,この時期になってピ

アジェ(1966)は,認識のもつ形象的側面と操作

的側面とをはっきりと区別するようになった,と

いうことである。認識の形象的側面とは,事象の

形態的な面,つまり輪郭をとらえようとするもの

であり,とりわけ実在の「状態」をその対象とす

るもので,「知覚」,「模倣」,「心像」がそれにあ

たる。それに対して,操作的側面は,実在を変換し,

実在を構成するものであり,感覚運動的知能から

前操作的,具体的操作,形式的操作までの認識の

いわば根幹にかかわるものをさしている。(8)

 このように,ピアジェは,いわば認識の2本の

柱またはレールを仮定し,それらの相互の関連を

問題とするのであるが,1960年代に出版された

「知覚」や「模倣」,「心像」に関する上記の研究は,

いずれもこうした観点からおこなわれたものであ

る。

 まず,『知覚のメカニズム』(1961)は,1940~1950

年代にランベルシェ(Lambercier,M.)やモル

フ(Morf,A.)らと共同でおこなった,子ども

の知覚の発達に関する一連の研究をまとめたもの

である。この中で,ピアジェは,知覚だけを取り

出すのではなく,知覚と知能とを関係づけて発生

的な観点から知覚の発達を明らかにしょうとして

いる。

 これらの知覚研究によって,幼児期においては,

知覚は知能の働きや記憶,心像,言語など他の精

神機能の影響が比較的少なく,いわば純粋な知覚

を取り出せることができるが,その後はそうした

影響を強く受け,さらに大人になると,知能や他

の精神機能が統制されて,別の意味での純粋な知

覚がおこなわれること,そしてとくに知覚と知能

との関係については,知能が知覚に影響を及ぼす

ことはあっても,知覚が知能の働きを変えてしま

1993-11

うことはないこと,が明らかにされている。(9)

 また,『心像の発達心理学』(1966)では,心像

は対象の模写である,つまり知覚の残滓であると

する認識模写説に対して,ピアジェは,認識は現

実の同化であるとする立場をとり,内面化された

模倣としての心像,シンボル微機能としての心像

に着目しながら,とくに心像と操作(知能)との

関係を問題にしている。

 この研究で注目すべき結果は,前操作的水準に

おいては,ほとんどの心像は静止の心像であって,

運動と変形の心像はまだ成立しておらず,それが

生じるのは具体的操作の水準になってからであ

る,ということである。つまり,そうした心像の

発達を規定しているのは,操作の水準(ここでは,

前操作的水準か操作的水準か)であって,ここで

もまた,心像に及ぼす知能の影響を見ることがで

きる。

 さらに,『記憶と知能』(1968)においても,記

憶そのものが対象となっているというよりも,記

憶と知能との関係,つまり,記憶とは過去の経験

のたんなる保存なのか,それとも構造化や再構成

を引き起こす知能のかかわりがあるのか,という

ことが問題となっている。

 この研究の中で,ピアジェらは,とくに,時間

の経過とともに想起が損なわれていくはずなの

に,実際には1か月後よりも6か月後の方がその

内容が維持されるばかりか,進歩しているケース

が見られたことを重視し,次のような一般的な結

論を導き出している。すなわち,記憶というもの

は,たんに過去の経験をそのまま保存するのでは

なくて,知能(操作)の水準によって規定されて

いる自らのシェムに同化したものを保存するもの

で,その知能の水準が変化すれば,記憶の内容自

体も変化する,というものである。

 こうして,知覚や心像,記憶といった認識の形

象的側面の研究の結果をもとに,ピアジェは,認

識においてはその操作的側面と形象的側面とは当

然,相互に影響を及ぼし合うが,しかしそれらの

発達において主導的な役割を果たすのは操作的側

面(つまり,知能)であることを強調する。ここ

にも,操作性の発達に重きを置くピアジェの認識

発達論の特徴が見られる。ついでにいっておけば,

知覚や心像,記憶といった研究において「均衡化」

概念が登場していないのは,この概念が形象的な

側面ではなくて操作的側面(知能)に関係してい

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日下正一:後期ピアジェと「均衡化」概念(2) 69

るからである。

子どもの精神発達の全体像の描写と説明

 この時期の研究の第2の特徴は,これまでの発

生的研究の成果に基づきながら,子どもの精神発

達の全体像を描き,説明することによって,ピア

ジェ自身の理論的立場をよりいっそう鮮明にした

という点にある。

 この時期に出版された著作の1つである『心理

学の6つの研究(Six6tudes de psychologie)』

(1964)(lo)は,そのタイトルが示すように,「子

どもの精神発達」(原著,1940),「幼児の思考」

(1963),「発達的見地からみた言語と思考」(1954),

「心理学の説明における均衡の概念の役割」

(1959),「発生的心理学の諸問題」(1956),「知

能の心理学における発生と構造」(1964),という

6つの論文を集めた,一種の論文集である。

 これらのうち,1960年代のものは2つあるが,

その1つである「幼児の思考」は,ロンドン大学

教育研究所でおこなった講演で,子どもと大人が

どんな点で異なっているか,を認識構造の面から

明らかにし,次にそうした認識構造がどのように

して形成されるのかを示し,最後に,こうした児

童心理学と発生的認識論とのかかわりについて述

べている。もう1つの「知能の心理学における発

生と構造」も講演であり,知能の構造と発生の問

題を取り上げて,自らの発生的構造主義の立場を

主張し,「均衡」についても説明しているが,内

容は1950年代のものである。

 それに対して,『児童心理学(La psychologie

de renfant)』(1966)(11)1よ,これまでの実験的研

究の成果をも十分に盛り込んでおり,いわばピア

ジェの思想のエッセンスをまとめたものである。

感覚運動的の水準から前操作期を経て具体的操作

期,形式的操作期に至るまでの認識の発達を説明

するとともに,結論の章として,「心的発達の諸

要因」を設け,彼の発達理論をコンパクトにまと

めている。

 その結論の章の中でピアジェは,均衡化につい

て次のように説明している。「さて,このような

内的機構(実際の構成があるのだから,生得的な

ものだけに還元できないし,予定された設計も想

定し得ないもの)は,実際には,おのおのの部分

的構成の生起するたびに,またある段階から次の

段階へと移行が生じるたびに観察され得るもので

ある。そして,それはひとつの均衡化の過程なの

である。もっともそれは力学におけるような諸力

の単純な平衡を意味するものでもなく,あるいは

また,熱力学におけるようなエントロピーの増大

を意味するものでもなく,自己制御という,今日

ではサイバネティックスのおかげで精確にされた

意味での均衡化である。換言すれば,均衡化の意

味するところは,さまざまの外的障害に対応する

主体の能動的な諸修正であり,遡及的である

(フィードバック系)と同時に予見的でもある調

整によってそのようなもろもろの修正をおこなう,永続的体系なのである」。(12)

 これまでの研究のいわば集大成なので,これも

また,1950年代の均衡化論そのものであり(日下,

1993),とくに注目すべき目新しさはないが,こ

の時点でのピアジェの均衡化概念がどんなもので

あるか,を理解するには好都合である。しかし,

1960年代に均衡化概念の実質的な進歩・発展がな

いというわけではない。それは,次に述べる『構

造主義(Le structuralisme)』(1968)(13)や『生物

学と認識(Biologieetconnaissance)』(1967)(14)

の中に見ることができるのである。

 なお,この時期の著作として,『教育学と心理

学(Psychologieetp6dagogie)』(1969)(15)も挙

げておきたい。この中には「1935年以来の教育と

教授」と「新しい方法一その心理学的基礎」が収

められている。後者は1935年に書かれたものであ

るが,前者は1965年の著作であり,ピアジェ自身

の認識論の立場と研究成果をもとに,教育方法と

教育過程についての問い直しといくつかの提言が

おこなわれている。

 また,アメリカにおいては,1960年代の前半に

フレイベル(Flavell,J.H.)の著した『ピアジェの

発達心理学(The developmental psychology of

Jean Piaget)』(16)が出版された。この本では,ピ

アジェ心理学が体系的に紹介され,教育の現代化

という時代背景もあって,英語圏の心理学に一時

ピァジェ・ブームがまきおこった。ただし,この

中で紹介されているのは,1950年代までの均衡概

念であることを指摘しておきたい。

 さらに,1960年代後半には,同じくアメリカに

おいて,ファース(Furth,H.G.)の『ピアジェと

認識』(1969)(17)も.出版されている。1960年代の

ピアジェの著作をも含み込んでいるので,その内

容もフレイベルよりも新しくなっていると同時

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70 福島大学教育学部論集第54号

に,たんなる紹介を越えたファースのピアジェ理

解となっている。なお,均衡化概念については,

水を蒸発させる熱というような「原因となる要因」

として考えない方がよい,とか,均衡化の概念が

理解しにくいのは,われわれの中に発達過程の外

的または機械的原因を探そうとする根強い傾向が

あるからだ,といった興味深い指摘もなされてい

る。

発生的認識の立場の確立と強化

 第3の特徴は,『哲学の知恵と幻想(Sagess et

illusions de la philosophie)(1965)(18)と『構造

主義』(1968)という2著によって発生的認識論の

立場をより明確にしたということである。

 まず,『哲学の知恵と幻想』(1965)は,ピアジェ

の発生的認識論のとくに方法論的立場を明らかに

し,哲学的な方法との本質的な違いを強調したも

のである。それについてピアジェは,「哲学は,

認識の諸価値とその他の人間的諸価値とを調整す

ることによって,知恵へと導くことができる」が,

「哲学は検証の道具を欠いているので,いささか

も認識に到達することがない」(19)と述べ,哲学

の役割と限界を指摘する。

 さらに,ピアジェは,「哲学は,その反省的方

法のおかげで,問題を提起するが,解決はしない。

なぜなら,反省は,それだけでは立証の道具を含

んでいないからである。科学は,その実験と演繹

の方法によって,ある問題を解決し,絶えず新し

い問題を提起する」(20)と述べて,哲学の反省の

もついわば問題発見的機能と,科学のもつ実験お

よび演繹の立証的機能とをはっきりと区別する。

そして,認識論の問題は,哲学の反省的方法によっ

てではなく,子どもの認識の発展過程を実験的手

法を用いて科学的に研究することによって解明す

べきだ,と説き,発生的認識論の確立のための方

法論を提起しているのである。

 もう1つの著作,『構造主義』(1968)は,当時,

フランスを中心に構造主義が流行する中で,ピア

ジェ自身の認識論を支える構造主義観を明らかに

したもので,当時の思想界に大きな影響を与える

ものであった。後に詳しく述べるように,まず,

ピアジェは,構造を「全体性」,「変換性」,「自己

制御性」という3つの特性によって規定し,とり

わけ変換性によって自らの構成主義(構造的発生

主義)の立場を明確にしている。したがって,そ

1993-11

うしたピアジェの立場は,人文・社会科学に見ら

れる非歴史的・非発生的な静態的傾向の構造主義

と対立することになる。また,構造のもつ自己制

御性または自己調整性は,本論で問題としている

均衡化そのものの性質でもあり,この時期に,均

衡化が「構造主義」という枠組みの中で,「構造」

の問題と結びつけられて論じられることになるの

である。

 最後に,1968年の夏,オーストリアのアルプバッ

ハで開かれたシンポジウムでのピアジェの発言に

ついて触れておきたい。このシンポジウムは,還

元主義に基づく機械論的な世界観を論駁し,それ

に代わる新しい展望をもつ科学の総合をめざすも

のある。

 オルガナイザーであるケストラー(Koestler,

A.)の呼びかけに,ワイス(Weis,P.),フォン・

ベルタランフィ (von Bertalanffy,L.),ハイデ

ン(Hyd6n V.H.),ピアジェ(Piaget,J.),イ

ネルデ(Inhelder,B.),ブルーナー(Brmer,

J.S.),スミシーズ(Smythies,J.R.),マクリー

ン(Maclean,P.D.),マクニール(Mcneil,D.),

フォン・ハイエク(vonHayek、F.A.),ケ

ティー(Kety,S.S.),ウォディントン(Wad-

dington,C.H.),フランクル(Frank1,V.E.),

ソープ(Thorpe,W.H.),といった,遺伝学者

から心理学者に至るまでの当時の生命科学におけ

る指導的な科学者たちが応えて,このシンポジウ

ムに集まって見解を披露した。そのとき全記録は,

『還元主義を超えて(Beyond reductionism)』(21)

となって出版されている。

 ピアジェとイネルデは,「経験主義の欠陥一

発達心理学の観点から」というテーマで発言し,

知能構造や知覚・心像・記憶に関する研究に基づ

いて,「認知メカニズムの機能は,外的現実とで

きるだけ相違しない模写物がつくれるように,可

能なかぎり忠実にその特徴を描写し,現実に従う

ことにある」(22)とする経験主義の基本的な考え

を批判している。

 その根拠として,第1に,有機体とその環境と

の関係は,いわば不断の相互作用であり、認識は

外界の事象の忠実な記録ではないこと,第2に,

人間の認識活動においては,数学など外的現実の

拘束をまぬがれた,本質的に観察不可能なものが

その対象となっていること,第3に,人間は外的

現実に働きかけ,それを修正して自分の世界を変

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日下正一:後期ピアジェと「均衡化」概念(2) 71

えることにより,現実の模写や複写によっては与

えられないもっと深い理解に到達すること,第4

に,一般的な認知構造がいくつか存在していて,

それらが種々の発達レベルの思考過程の基礎となっていること,を挙げているのである。(23)

 さらに,チョムスキー(Chomsky,N.)らの

生得論に対しても,「一般に,行動主義が無視し

ている内生的要因を呼びさますことが必要だとし

ても,内生的なものがすべて遺伝性であるという

ことではない。内生的であっても,その内実は生

得的ではない自己制御の要因を考慮することがや

はり必要である。遺伝的特性のヒエラルキーのレ

ベルと環境によって獲得される特性のヒエラル

キーのレベルとのあいだには,発達にもっとも重

要な役割を果たす自己制御のレベル,すなわち均

衡化のレベルが存在する」(24)と述べている。

 こうして,ピアジェは,経験主義やチョムスキー

らの生得論を批判しつつ,自らの構成主義,つま

り発生的認識論の立場を擁護し,同時に,発達に

おける自己制御としての均衡化を強調しているの

である。

生物学と認識論の統合の試みと均衡化

 最後に,1960年代のピアジェの研究の特徴とし

て,生物学と認識論の統合の試みを挙げなければ

ならないだろう。それは,彼の著作,『生物学と

認識』(1967)によって実現されているが,この試

みは,後に見るように,均衡化概念の発展にとっ

ても重要な意味をもっているのである。

 ピアジェは,1930年代以降,発生的認識論の研

究を精力的に進め,数多くの成果をおさめてきた

が,生物学者としての経歴を捨てたわけではな

かった。動物学と植物学の研究を続ける一方で,

生物学と認識論とを統合するという青年期から抱

き続けてきた課題を達成するために,そのための

努力を常に重ねてきた。その代表的な成果が,『生

物学と認識一有機体的調整と認知的プロセスとの

関係に関する一試論一』(1967)という著作であり,

このタイトルおよびサブタイトルに彼の研究テー

マがそのまま表されている。

 ピアジェの意図は,たんに有機体と認識とを比

較対照することにあるのではなくて,認識の機能

を有機体の枠組の中に位置づけることにある。つ

まり,有機体の延長上に認知システムを位置づけ,

同時に認知システムの特殊性を明らかにしょうと

しているのである。

 とりわけ,均衡化概念の検討にとって,有機体

の調整や認知的調整がどのような形で論じられて

いるか,は興味深いところである。この著書の中

では,均衡化は,調整のメカニズムとして論究さ

れているが,それについては,後に詳しく述べる

ことになるので,ここでは,これに続く生物学の

分野にかかわるピアジェの著作について紹介して

おきナこいと思う。

 それは,1970年代の著作となるが,「生物学的

適応と知能の心理学一有機体的選択と表現模写一

(Adaptation vitale et psychologie de r intelli・

gence.S61ecti・n・rganiqueetph6n・c・pie)(25)と

いうものである。『生物学と認識』(1967)が有機

体の機能として組織化と適応の2つの側面を取り

扱っているのに対して,『生物学的適応と知能の

心理学』は,そのタイトルが示すように,適応の

問題に関心が向けられている。この著書でのピア

ジェの目的は,新ダーウィニズムを批判し,自ら

の相互作用説の立場を詳述し,遺伝子複合の変化

が有機体の自己調節的活動の延長であるとする仮

説を仕上げることにあるようだ。さらに,『行動,

進化の原動力(Lecomportement,moteurder6volution)』(1976)(26)では,動物の本能から人

間の知的・創造的行為に至るまでの行動を進化の

必要な動因として考える,独自の進化論を展開し

ている。

皿 1960年代の均衡化概念の検討

以上で1960年代のピアジェの著作を概観してき

たが,これらの著作のうち,とくに『構造主義』

(1968)と『生物学と認識』(1967)を取り上げて,

これら2つの著作を中心に,この時期においてピ

アジェの均衡化概念にどのような発展が見られた

か,を明らかにしていきたいと思う。

1.ピアジェの構造主義と均衡化概念

当時の流行思想としての構造主義

 まず,1960年代のフランスの思想状況を押さえ

ておくことが必要であろう。この時期のフランス

は,「構造主義」の思想が各分野に広がり,一種

の流行思想ともなっていた。学際的な視野で認識

論の研究をおこなってきたピアジェが,こうした

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72 福島大学教育学部論集第54号

思潮に無関心であるわけはなく,それに大いに関

心を示し,自ら積極的な発言をおこなってきた。

その代表的なものが,『構造主義』(1968)という

著作である。それゆえ,ピアジェ自身も,こうし

た「構造主義」の流れの中の一人として挙げられ

ることが多い。

 構造主義は,ソシュール(Saussure,F.)の言

語学・記号論からヒントを得たレヴィ・ストロー

ス(L6vi-Strauss,C.)が文化人類学に「構造」

という科学的認識モデルを採用し,未開社会の親

族関係や神話の構造を解明して,大きな成果をあ

げたことに端を発している。レヴィ・ストロース

の著作として,たとえば,『構造人類学(Anth-

ropologie structural)』(1958),『野生の思考(La

pens6esauvage)』(1962)などがよく知られてお

り,これらの研究が,1960年代のフランスで人文・

社会科学のさまざまな分野に波及し,構造主義と

いう1つの大きな潮流を作るきっかけとなった。

 たとえば,言語理論を応用し,精神分析の分野

でフロイトのいう無意識の構造的分析をしたラカ

ン(Lacan.」.)や,マルクス主義を構造の観点

からとらえなおし,社会はそれ固有の時間性に

よって重層的に決定されるとする構造的因果性の

概念を提起したアルテユセール(Althusser,L.),

構造主義的な文芸批評をおこない,またモード(服

飾についての流行)のもつシステムを記号学的方

法で明らかにしたバルト(Barthes,R.),ヨーロッ

パ近代思想の文化的基層の析出を試み,文化史も

たんなる観念や作品の歴史ではなく,無自覚的で

はあれ,明解な「構造」をもっことを明らかにし

たフーコー(Foucault,M.),などが,構造主義

の代表者たちである。(27)

 こうした構造主義の考え方の特質として挙げら

れるのは,次のようなものである。すなわち,(1)

関係論;あるものごとの実体を直接問うのではな

く,社会や文化や歴史といったものを,さまざま

な要因の「関係のあり方」という形で問うこと,

(2)共時論的分析;一社会や一文化の状態を,

その成立ちや経緯(起源や歴史)から問わないで,

現在そのものの総体的関係として問うこと,(3)

無意識の構造論;明らかに目に見え,意識されて

いる制度のあり方ではなく,むしろそれを支えて

いる無意識の構造に注目すること,(4)形式化

;要素を形式化して考えを押し進めていくこと,

の4つの特質である。(28)

1993-11

 この中でも,とくに共時的な見方は,現在を発

展してゆく歴史の一局面としてとらえるヘーゲル

=マルクス主義のいわば通時的な見方へのアン

チ・テーゼとなったし,また,無意識の構造に注

目しそれを分析するということは,まずもって主

体の意識(「純粋意識」)に現れるものから出発す

るフッサール(Husse1,E.)のような現象学と対

立することにもなった。

 なお,ガードナー(Gardner,H.)も,「構造

主義的アプローチの3つの主要な要素」として,

次のようなものを挙げている。上記の4つの特質

と重なるところもあるが,構造主義を理解する上

で重要なので,ここでそのまま引用しておこうと思う。(29)

(1)戦略的様相;この戦略は,領域の表面的な

様相ではなく無意識的な下部構造にその注意を向

け,要素自体でなく要素の関係を見,一般法則に

より支配される統一的システムを探求する。これ

らの指導原理が要請しているもの。すなわち,構

造の有意味な説明が与えられ得ること,構造は分

析者の想像力の産物ではなく,観察されている現

象の根底にはそれが本当に存在すること,などで

ある。

(2)形式的様相;数学およびその関連科学の構

造主義の利用に関するもの。ひとたび構造の要素

が取り出されたならば,分析の目標はなんらかの

論理的モデルないしシステムを用いてあらゆる関

係を定式化すること。そのために,たとえば,ブ

ルバキ派の代数群などが注目された。

(3)有機主義的様相;構造が人間や機械によっ

て作られた気の利いた創作ではなくて,有機体の

生物学的特性に裏付けされたものだとする信念。

生物学的有機体が1つの全体であり,その部分は

階層的な全体に統合されているのと同じように,

構造も静的様相,動的様相をともにそなえた生物

学的全体と見なされている。

 このような特質や要素をもつ「構造主義」は,

積極的な科学的認識の方法として活用され,これ

まで未知の領域を開拓し,多くの成果を挙げた。

そして,構造主義は,科学の方法,また科学的認

識の立場にとどまることなく,さらにそれがひと

つの思想の立場へと転換し始め,現代思想に重大

な転換点をもたらすことになった。

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日下正一:後期ピアジェと「均衡化」概念(2) 73

ピアジェの構造主義

 しかし,ピアジェは,こうした構造主義の流れ

の中に位置づけられながら,彼自身はこれらの構

造主義とは一線を画していた。まず,ピアジェに

とって「構造主義は,学説や哲学ではなく,一も

しそうならそれはとっくに時代おくれになってい

ただろう一,本質的にひとつの方法,技術性,義務,

知的誠実さ,漸近的な進歩など,方法という言葉

のあらゆる意味を含めてひとつの方法だというこ

とである」。(30)つまり,ピアジェは,「構造主義」

というものを思想としてではなく,あくまでも1

つの科学的方法として見ていたのである。

 そして,いわゆる「構造主義」とピアジェとの

決定的な違いは,彼の「構造」観に由来するもの

であった。すでに述べたように,ピアジェは,そ

の著,『構造主義』(1968)において,構造が「全

体性」と「変換性」と「自己制御性」の3つの特

性をもつ,と考えたが,これらがまさに彼の「構

造主義」を構成するキー概念となっているのであ

る。

 まず,「全体性」についてピアジェは,次のよ

うに述べている。「たしかに構造は要素からなる

が,要素はその体系そのものを特徴づけている法

則にしたがっている。そして,この合成と呼ばれ

ている法則は,累積的な連合には帰せられないの

であって,要素の特性とは区別される集合の特性

を全体そのものに付与しているのである」。(31)ま

た,『発生的認識論』(1970)でも,「『構造』とは,

1つの全体である。つまり,それは,体系のなに

か一部の要素にではなく,体系全体に適用する諸

法則によって支配されている体系なのである」(32)と規定している。

 このように,ピアジェのいう構造の「全体性」

とは,要素のいわゆる原子論的合成としての全体

でないことはもちろんのことであるが,だからと

いってゲシュタルト構造のように一種の発出説に

したがって最初からできあがっている全体を仮定

するものでもない。「変換性」という第2の特性

からわかるように,ピアジェのいう構造とは,静

態的な「形態」ではなくて,ダイナミックな「変

換可能な体系」であり,構造それ自体が変換を通

して構成または再構成されるという性質をもって

いる。しかも,その構造が「自己制御」という特

性をも兼ね備えた1つのシステムである,と考え

られているのである。したがって,ピアジェ自身

も強調するように,彼の立場はたんなる構造主義

ではなく,構造の発生,構造の構成を考えるとい

う点で「構成主義(constructivisme)」と呼び得

るものであった。

 こうして,ピアジェは,これら3つの構造の基

本的性格をもとに,彼の構成主義の立場から,諸

科学における構造主義についての,いわば学際的

ともいえるレビューを試みている。そして,『構

造主義』(1968)は,滝沢らが述べているように,「と

くに人文・社会科学における構造主義のある種の

静態的傾向に対する,構成主義の側からの批判と

なっている。……この本のもつさらに大きな意味

は,この批判が,数学,論理学,生物学などの広

い知識にもとづいておこなわれ,しかも,検証し

うるもののみを真の知識とみなす,科学者のきび

しい姿勢に裏づけられている点にある」。(33)

 ピアジェは,まず,数学におけるガロア(Galois)

によって発見された「群」の構造やブルバキ派の

「母構造」(つまり,代数学的構造,順序の構造,

位相数学的構造)や,記号論理学におけるブール

(Boole,G.)代数の「束」の構造やクライン

(Klein,F.)の「4元群」,生物学におけるフォ

ン・ベルタランフィの有機体のシステム的構造,

などを取り上げて,これらの構造に彼のいう構造

の3つの特性を見いだす。しかし,心理学や言語

学,社会学,文化人類学,哲学などの人文・社会

科学に見られる構造主義については,そこに見ら

れるとりわけ静態的な傾向をきびしく批判してい

るのである。

 ピアジェによれば,たとえば,ゲシュタルト心

理学のいう構造は,あらかじめ決定されており,

しかも瞬時のうちに形成されるもので,そこには

発生的視点というものが見られないという。また,

ソシュール学派の流れを汲む言語学も,その共時

的な方法論が構造主義を静態的なものとしてい

る。そうしたものへの反動として登場したチョム

スキー(Chomsky,N.)の変換的構造主義も,

統辞の構造の生成を問題としていながら,その構

造の生得性を仮定している。されに,構造主義の

もとを作ったレヴィ・ストロースについては,集

団の成員には意識されない構造を想定し,それを

数学的モデルによって表そうとする手続きを評価

しつつも,構造が永続的なものとみなし,その変

換の側面を軽視している,とピアジェは批判する

のである。

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74 福島大学教育学部論集第54号

 こうして,ピアジェは,1960年代の「構造主義」

の風潮の中で,それに刺激されながら,「構造」

のもつ3つの基本的性格を明らかにすることに

よって自らの「構成主義」的な構造主義の立場を

明確にし,当時のこうした思想的状況に強力な発

言をしていたことがわかる。いうまでもなく,そ

れは,彼の発生的認識論と,それまでの子どもを

対象とした実証的な認識発達研究の成果に支えら

れたものであった。

構造の自己制釦としての均衡化

 さて,本論で問題となっている均衡化とは,ピ

アジェの挙げた構造の3つの特性のうちの「自己

制御性」に関係している,というよりも,自己制

御性そのものであるといってよいだろう。この自

己制御性についてピアジェは,次のように述べて

いる。

 「構造の第3の基本的性格は,自分自身を制御

するということだ。この自己制御は,その構造の

保存とある種の閉鎖性とを引き起こす。……した

がって,新しい要素が無限に作られるにもかかわ

らず,境界の安定性を伴う保存というこの性格は,

構造の自己制御を前提としている。おそらく,こ

の本質的特性こそ,この構造概念の重要性と,そ

の概念があらゆる領域で引き起こしている希望と

を保証している。なぜなら,ある種の認識領域を,

自己制御の構造に帰することができるときには,

体系の内的原動力を所有するような印象をもつか

らだ。その上,この自己制御は,さまざまな方法

や過程にしたがっておこなわれる。このことは,

複雑さの段階的な順序を考察させるに至るし,し

たがって,構成の問題,ひいては形成の問題に帰

着するのである」。(鈎)

 この引用から,システムとしての構造の「変換

性」が構成や開放性にかかわっているとすれば,

「自己制御性」はシステムの保存と閉鎖性に関係

していることがわかる。しかし,重要なことは,

自己制御性,つまり均衡化が構造の変換,つまり

構成と別々のものではなくて,それらが密接な関

係にある,ということだ。このことを念頭に置い

て,ピアジェの自己調整の考え方をさらに見てい

くことにする。

 ピアジェは,「リズムと調整と操作とは,構造

の自己制御ないし自己保存の3つの本質的な手続

きである」(35)と述べ,それら3つの水準を区別

1993-11

し,とりわけ調整と操作との違いを強調している。

 まず,あらゆる生物学的現象ならびに人間の現

象にわたって見いだされる「リズム」,つまり,

生物学的リズムと周期(きわめて一般的なのは,

循環的リズム,つまり24時間のリズムなど)は,

対称と反復に基づくもっとも基本的な手段によっ

て,その自動調整を確保しているという。『構造

主義』では,リズムについてのこれ以上の説明は

ないが,『知能の心理学』(1947)では,飢えや渇き,

制欲などの器質的欲求や本能的欲求などにかかわ

る反射のメカニズム,両足動物,とくに四足動物

の移動,新生児のほ乳作用にかかわる複雑な反射,

赤ん坊の特徴となっている衝動的運動などが,そ

の具体的な事例として挙げられている。(36)

 次の「調整」とは,言語学的構造,社会学的構造,

心理学的構造などに見られる調整のことであり,

これらの調整は,サイバネティックス的な意味で

制御を前提としているが,「この制御は,厳密な

操作に,つまり(逆や相反による)完全な可逆的

な操作に基づいているのではなくて,予測と遡及

(フィードバック)の働きに基づいている」(37)

という。

 それに対して,論理数学的構造に基づく「操作」

は,サイバネティックスの観点からすると,完全

な調整である。「このことは,操作は,行為の結

果の観点から過ちを修正することだけでにとどま

らず,可逆性(たとえば,+n-n=0)一つま

り矛盾律の起源一のような統制の内的手段のおか

げで,行為のくあらかじめの修正》をなしている

ということを意味する」(38),とピアジェは述べ

ている。

 こうした調整の3つの水準の区別は,すでに中

期ピアジェの代表的な著作の1つ,『知能の心理

学(Lapsychologiederintelligence)」(1947)に

見られるが,そこでは均衡の形態を区別するもの

にすぎなかった。それに対して,1960年代の『構

造主義」でのこのような区分は,均衡化に直接,

通じる自己制御のレベルとして登場しているとこ

ろに目新しさがある。

 そしてまた,操作のレベルでの自己制御は,構

造はほとんど完成されてしまっているので新しい

構造の構成には関与しないが,調整のレベルでの

自己制御(均衡化)は,まさに新しい構造の構成

にかかわることになる。それが,1950年代に提起

された発達の第4の要因としての均衡化概念と直

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日下正一:後期ピアジェと「均衡化」概念(2) 75

接の接点をもつことになるのである。そして,こ

の問題は,次の『生物学と認識』(1967)について

の検討のところでももっと詳しく論じられるであ

ろう。

 このように,1960年代のピアジェの均衡化論は,

当時フランスにおいて流行していた構造主義の風

潮の中で提起された彼独自の「構造主義」の中で

展開されている。すなわち,均衡化は,「全体性」,

「変換性」,「自己制御性」という構造の3つの基

本的特性のうちの1つのである「自己制御」とし

て,もっというならば,「構造」の概念と結びつ

けられて論じられているのである。

 しかも,それは,とくに人間の行動や認識(心

理学)にとどまらずに,生物学はもちろんのこと,

数学,物理学などの自然科学,そして言語学,社

会学,文化人類学,哲学などの人文・社会科学に

至るまでの当時の「構造主義」を射程に入れたも

のであった。

2.『生物学と認識』における均衡化概念

『生物学と認誉』のめざすもの

 すでに述べたように,この時期になっても,ピ

アジェは生物学への関心を捨てたわけではなかっ

た。というよりも,ピアジェにとっての生物学は,

生物学として独立に存在しているのではなくて,

彼の認識論の中に組み込まれていて,それを支え

る重要な支柱となっている,と見た方がよいよう

に思われる。

 実際,「自伝」(1952)にも書いているように,

初期,つまり1920年代に,ピアジェが自らの課題

としていたものは,子どもの知能や思考の客観的,

実証的データをもとに認識一般の問題に挑戦し

て,心理学的認識論を構築することであったから

である。また,『ピアジェとの対話』(1973)にお

いても,「私は認識の問題に,生物学者のように,

科学的に取り組むことに興味をもっていました。

生物学と認識の理論の間に橋をかけるためには,

精神発達,知能の発達,諸概念の発生を研究する

ことが必要でした」(39)とピアジェは述べている。

 さて,均衡化概念にも関係するこの時期のピア

ジェの重要な著作,「生物学と認識』(1967)は,

何をめざすものであったのだろうか。ピアジェに

よると,「問題は,認識と生物体の行動とを比較

対照することにあるのではなくて,むしろ前者の

機能を後者の枠組みの中に位置づけることにある」(40)という。また,『哲学の知恵と幻想』(1965)

でも,次のように述べている。すなわち,『生物

学と認識』の中心命題は,「有機体の調整作用と

認知過程,つまり認識過程との相似です。有機体

の構造と知能の構造とがあります。私が示そうと

しているのは,一方が他方から生じていること,

たとえば,論理は活動の一般的協応から生まれ,

活動の一般的協応は神経の協応に依っており,神

経の協応はというと,有機体の協応に依っている

ことです」(41)と。つまり,ピアジェは,有機体

の延長上に認知システムを位置づけると同時に,

有機体と認知システムとの類似性と差異性,とり

わけ認知システムの働きの特殊性を明らかにしょ

うとしたのである。

 まず,ピアジェは,「生命は,本質的には自己

調整(autor6gulation)である。」(42)と述べて,認

知システムと有機体との関係についての次のよう

な指導的仮説を提起する。それは,「認知的プロ

セスは,有機体的な自己調整の結果として現れる

一認知的プロセスは有機体的調整の本質的なメカ

ニズムを反映する一と同時に,外界との相互作用

におけるこうした調整のうちで最も分化した器官

として現れる」(43)。いいかえれば,「認知的な調

整は,外界との相互作用の領域における特殊化さ

れた器官であると同時に,有機体的な調整の延長

物である」(44),というものである。

 このような仮説を検証することがこの著書での

ピアジェの目的ではあるが,均衡化概念に直接的

に関連してくるのは,この仮説の中心的概念と

なっているまさに「調整(r6gulation)」そのもの

なのである。以下では,ピアジェがこの調整につ

いてどのように考えているのか,を見ていくこと

にしよう。

認知システムと有機体における自己調整

 まず,認識レベルでの自己調整の事例として,

ピアジェはまず第1に,知覚の水準における大き

さや形の恒常性を保証するプロセスを挙げてい

る。そして,知覚におけるこのような調整が遺伝

的なものではなくて,獲得されたものであること

を示している。

 第2の事例は,試行錯誤(または手探り)によ

る学習である。この学習は,フィードバックによ

る調整を前提としている。つまり,「各試行の結

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76 福島大学教育学部論集第54号

果は,最初の点に逆に作用する代わりに,行為に

よってその後に続く試行に影響を及ぼす」(45〉の

である。

 第3の事例は,思考操作である。ピアジェは,

これについて次のようにいう。「思考操作の集合,

とくにとくに基本的な論理数学的操作(クラスの

加法的,乗法的操作,関係や数の操作,空間的測定,

対応,同型性などの操作)は,思考に対してその

自律性と整合性を保証する大きな調整システムで

あると考えることができる」(46)と。

 次に,有機体に内在する代表的な自己調整につ

いては,3つの事例が挙げられている。まず,生

理学的な水準においては,かの有名な「ホメオス

タシス(homeostasis)」である。ホメオスタシス

とは,以前にも取り上げたように,アメリカの生

理学者キャノン(Cannon,W.B.)の命名によ

るものであり,体内環境(体温や血液成分など)

の恒常性を維持している状態またはその働きをさ

す。

 第2に,個体発生的な水準では,「ホメオレシ

ス(homeorhesis)」がまさに調整のメカニズムに

基づくものである。ホメオレシスとは,ウォディ

ントンによって示唆されたもので,クレオード,

つまり胚発生の過程において胚の各部がたどる必

然的な道筋に対する逸脱が生じると,正規の道筋

によって多少とも補償されるような動的均衡をいう。

 最後に,遺伝のシステムの水準においては,ゲ

ノム(1つの細胞の中にある半数染色体とその中

にある遺伝子とを合わせたものをいう)が調整を

含むものである。なぜなら,「ゲノムは,今日で

はもはや分離された原子的な要素のモザイクとし

てではなくて,構造的な遺伝子と調整的な遺伝子

を含み,全体構造を保存する内的な新陳代謝に

よってたえず新しくなっていく組織的なシステム

と考えられている」(47)からである。

 このように,さまざまな水準の事例を挙げるこ

とによって,ピアジェは,自己調整が認知のレベ

ルでも有機体のレベルでも存在していることを示

し,それが有機体と認知システムに共通する一般

的なメカニズムであることを強調しているのであ

る。

遡向的コントロールとしての調整

 それでは,「調整」とはどんなもので,どんな

1993-11

特性をもっているのだろうか。ピアジェは,認知

システムにも有機体にも見られる上記の調整とい

うものの一般的特性について,次のように述べる。

「もっとも一般的な形式の調整は,組織化された

構造や構成中の組織体の相対的な均衡を維持する

遡向的なコントロールである」(48)と。そしてま

た,「有機体的な調整とふつうの意味でのサイバ

ネティックスの調整の一般的な特徴は,遡向的な

コントロールによって誤りを訂正したり軽減した

りすることである」(49)とも述べている。

 さらに,ピアジェは,「調整とは,プロセスの

結果に関係して,ふつうのまたは成功した方法を

受け入れたり,ずれを補償し誤りを訂正したりす

ることであるか,あるいは,調整とは,今起こっ

ているプロセスや,行為の結果と対置される行為

それ自体に関係して,予期的な次元を含んでいて,

よい方向を強化したり,誤った方向を正したりす

ることであるか,そのどちらかである」(50)と説

明している。要するに,調整とは,遡向的コント

ロールのことであるが,それには行為やプロセス

の結果に基づいておこなわれるものと,行為やプ

ロセスそのものにかかわって予期的におこなわれ

るものとがある,と考えられているのである。

 こうした調整の一般的特徴は,有機体のレベル

では,たとえば胚発生における調整やゲノムの調

整において見いだすことができる。認知的なレベ

ルにおいても,同様な一般的特徴が見いだされる。

その例として,手探りまたは試行錯誤による学習

を挙げることができる。このような学習において

は,行為の結果が次の行為の方向に影響を与える

というような形での継続的な調整が起こってい

る。また,ミューラー・リヤーの錯視における知

覚的学習の場合にも,こうした調整の働きがみら

れるという。

 このように,有機体と認知システムとの問には,

遡向的制御(コントロール)としての調整という

点で共通している。しかしその一方で,ピアジェ

は認知システムにおける高次の認識を特徴づける

「操作」の調整に言及し,その特殊性を強調して

いる。ピアジェによれば,「操作」は,それらと

は別の形式の調整である,という。すなわち,操

作とは,「高次のタイプの調整」であり,しかも「ふ

つうの調整が到達する極限の状態」(51)である。

それはまさに,確率論的な帰納的推理から必然的

な演繹的な推理への移行に匹敵する。

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日下正一:後期ピアジェと「均衡化」概念(2) 77

 なお,「調整と操作」の関係について書くにあ

たって,ピアジェは次の2人の研究者の論文を参

考にしている。1つは,セレリエ(Cel16rier,G)

の「サイバネティックスのモデルと適応(Mod色ls

cybem6tiques et adaptation)(52)であり,「サイバ

ネティックスと認識論(Cybem6tique et急pist

6mologie)」(「発生的認識論研究」第22巻,(1968)

に収められているものである。もう1つは,アシュ

ビー(Ashby,A.R.)の『サイバネティックス入門(An introduction tocybemetics)』(53)であ

る。このことからも,「調整」,とりわけ高次の調

整としての「操作」を特徴づけるために,当時の

サイバネティックスの考え方を積極的に取り入れ

ながら,均衡化にかかわるこの調整のメカニズム

を明らかにしていったことがわかる。

調整から高次の調整(操作)への移行

 ふつうの調整から高次の調整,つまり操作への

移行の事例として,ピアジェは,「量の保存」の

形成を挙げている。たとえば,5-6歳の子ども

は,粘土ボールがソーセージ状に変形されると,

長くなったから粘土の量が多くなったという。し

かし,それを伸ばし続けると,今度は細くなった

から少なくなったという。このような判断は,非

保存の段階の子どもに一般的なものであるが,調

整という観点からすれば,ふつうの「調整」によっ

て生じると考えられる。

 しかし,こうした子どもでも,最終的には,長

くなること細くなることとは相互依存的なもので

ある,とわかるようになる。つまり,《より長い

×より細い=同じ量〉という操作的補償が成立す

るようになるのである。このような段階に達した

ときの操作,つまり,具体的操作に基づく判断は,

高次の調整に基づくものである,とピアジェは考

えているのである。(54)

 ところで,『発生的認識論』(1970)の中でピア

ジェは,操作を次の4つの特徴をもつものとして

定義している。すなわち,(1)操作とは内面化さ

れた行為であること,(2)操作とは可逆性をもっ

た行為であること,(3)操作はある種の保存,つ

まり不変性を前提としていること,(4)孤立して

保存する操作はなく,どの操作も諸操作の体系,

つまり全体構造の中で相互に結びあっていること,の4つを挙げている。(55)

  『生物学と認識』(1967)では,このうちの「可

逆性」をとくに強調していて,操作というものを,

「高次の形式の調整一つまり,遡向的なコントロー

ルが完全かつ正確な可逆性をもった調整」(56)で

ある,と表現している。そのような特性は,先述

の「(量の)保存」に関する操作の場合にも,「ク

ラス包含」の場合にも見られるという。「保存」

においては,関係の乗法という意味での相互性に

基づく「可逆性」が問題となっており,また「ク

ラス包含」においては,A+A’=Bが逆の操作

B-A’=Aをも内包しているからである。

 調整とそのレベルに関するピアジェの考えは,

次の文章の中に集約されていると思われるので,

多少長くなるが,そのまま引用することにしよう。

「生物体は,均衡の保たれたシステムである(そ

ういうことばを用いずに,ベルタランフィのいう

ように,開放系における安定状態である,といっ

てもよい)。しかし,有機体的な均衡は,それが

最も保護された領域においてさえも,相対的な安

定性を示すにすぎない。ゲノムは,(完全にとい

うわけではないが,)最大限,環境から隔離され

ている。しかしその均衡は,このように最適な状

況にありながら,突然変異などによってかき乱さ

れる。後成的なシステムは,それだけすでにより

開放的であるが,ホメオレシスをはじめとする多

種多様なプロセスによって,その均衡が保たれて

いる。生理学的なシステムは,なおいっそう《開

放されている〉が,動物学的に見て進化し,分化

していればいるほど,きわめて安定した内的環境

のホメオスタシスによって反応する。神経系の(少

なくとも2つある主要な役割のうちの1つの)役

割は,外的な刺激に自らを開放し,その効果器に

よってその刺激に反応することである。その場合

にもやはり,その可動性の増大には,反応全体の

驚くべき可動的な均衡が伴っているのである。最

後に,行動は,際限のない,しかも勝手気ままに

揺れ動く環境につねに依存しているので,あらゆ

る不均衡にさらされることになる。そこで,認知

的メカニズムの自己調整機能は,生物体には見ら

れないような最も安定した均衡の形式に到達す

る。すなわち,それは知能の構造であり,その構

造の論理数学的操作は,人間の文明がそれを反省

的に意識化するようになって以来,不可欠なもの

として重視されるようになっている」。(57)

 ここからも,外界に対してオープン(開放的)

でありながら,同時に自己の体系の安定性,均衡

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78 福島大学教育学部論集第54号

を維持しようとする有機体と認知システムの調整

の働きが強調されていることを読み取ることがで

きる。そして,ピアジェが主張したいのは,認知

的調整が有機体の調整の延長上に位置し,しかも

最終的には「操作」という高次の調整を獲得し,

それによって最も安定した均衡形式に達するとい

うことなのである。

調整と構成との関係について

 最後に,「調整」と「構成(construction)」とは

どんな関係にあるのか,という問題が残されてい

る。それは,ピアジェ自身の有機体論やシステム

論そのものにかかわる問題であり,当然,それは

自己調整,つまり,「すでに影響を及ぼした,あ

るいは予期された外的な撹乱に対する主体による

反対向きの能動的な補償作用」(58)としての「均

衡化」の概念にも関係してくる問題である。

 フォン・ベルタランフィのことばを引用し,

「オープン・システム(開放系)における安定し

た状態」というとき,ピアジェは外界と相互作用

をおこなう有機体や認知システムの中に相反する

2つの傾向や機能を見ているようである。1つは,

開放系としての傾向,機能であり,もう1つは閉

鎖系としてのそれである。つまり,有機体や認知

システムとは,開放系と閉鎖系の両方の傾向や機

能を合わせもつ1つのシステムである。しかも,

これら2つの機能はシステムの中で,というより

もシステムとして統一,統合されている。つまり,

自己を拡張させながらも同時に自己保存という意

味での安定性を常に保っている,と考えられてい

るのである。

 自己拡張はここでいう「構成」にあたり,自己

保存は「調整」に相当する。そして,構成(組織化,

肺の形態発生など)と調整または矯正とは作用の

方向が逆である。つまり,構成は順向的であり,

コントロールとしての調整は遡向的であるが,こ

こではそれらの関係がとくに問題となっている。

これについて,ピアジェは次のように述べている。

「調整は,形式や交換の構成にさらに付け加えら

れるのではなくて,主要な道具としてこの構成に

参加する。それは,この構成がたんに調整から生

じるだけでなく,この構成それ自体が自己調整で

もあるという意味において,である」(59)と。つ

まり,調整のメカニズムと構成のメカニズムとが

別々に存在しているのではなくて,構成メカニズ

1993-11

ムが調整メカニズムの一部をなしている,という

ことである。

 それというのも,ピアジェによれば,「その構

成のメカニズムの機能化のための不可欠な条件

は,自己調整的であるということであり,それが

なければ,構成のメカニズムはその同一性と連続

性を損なう。すなわち,自動保存のない,つまり,

〈生命〉のない数多くの変化となって散らばって

しまう」(60)からである。つまり,調整というも

のが構成のプロセスの中に組み込まれていて,そ

れがないと構成そのものが起こり得ない,と考え

ているのである。

 そしてまた,同様のことを均衡と均衡化という

観点から,「保存のない構成はもはや有機体の発

達ではなくて,ある変化にすぎないからである。

さらに新しい形式の構成は,……新しい均衡とし

てしか,すなわち環境の圧力に対する反応を作り

上げる再均衡化の産物としてしか理解することが

できない」(61)とし,「以前の機能の連続的で必然

的な保存があるかぎり,再均衡化というのは調整

ということである」(62)と述べている。

 このように,システムにおける自己保存として

の調整は,システムの組織化としての構成といわ

ば表裏一体の関係にある。このことによって,有

機体や認知システムが開放系の両方の性質をもつ

システムとして存続することができるのである。

そしてまた,自己調整としての「均衡化」が発達

をもたらす第4の要因としてシステムの構成にか

かわってくるのは,調整と構成とがこのように不

可分の関係にあるからである。

五1結 語

 1940年代までのピアジェの均衡論は,1950年代

に一般システム理論や情報理論,そしてサイバネ

ティックスなど当時のシステム論的な発想の影響

を受けて,プロセスに重点をおいた均衡化論へと

脱皮した。それは,均衡化を発達の主たる要因と

して位置づけ,認知システムの補償的調整作用と

定義するもので,部分に対する全体優位の有機体

論に基づく「均衡」概念から,システム論をベー

スとした「均衡化」概念への質的転換を思わせる

ものであった。そして,この「均衡化」概念は,1960

年代になってまた新たな展開を見せることになっ

た。それは,次の2つの試みの中に見てとること

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日下正一:後期ピアジェと「均衡化」概念(2) 79

ができる。

 1つには,言語学や文化人類学など当時のフラ

ンスの人文・社会諸科学に広がった構造主義の風

潮の中で,ピアジェは,まず「構造」の3つの基

本的特性,つまり全体性・変換性・自己制御性を

明らかにし,それによって人文・社会諸科学の構

造主義とは一線を画する彼独自の構造主義(つま

り,構成主義)の立場を明確にしょうとした。そ

こでは,均衡化は,構造のもつ基本的性格の1つ

のとしての「自己制御」として位置づけられてい

るばかりか,それがさまざまな分野で発見されて

きた「構造」に共通する,きわめて一般的な特性

または概念として提起されているのである。

 もう1つは,ピアジェは,長い間の念願であっ

た生物学と認識論との統合の試みにおいて,有機

体と認知システムとの連続性を主張しつつ,しか

も認知的調整が有機体の自己調整の延長物である

と同時に,その最終形態としての調整(つまり,

操作)は高次のタイプの特殊な調整であることを

示そうとした。そこでは,調整は「遡向的コント

ロール」と定義されて,それが均衡化の働きに相

当するもので,しかも有機体,認知システムの双

方のさまざまな水準に見られる一般的な機能であ

ることが明らかにされている。

 これら2つから,まず第1に,1960年代のピア

ジェが着目したのは,1950年代に到達した均衡化

概念,つまり,さまざまな外的攪乱に対するシス

テムの補償的調整の,まさに「調整」そのもので

あったことがわかる。すなわち,それは,まず,「構

造」概念との関係で,その基本的特性の1つとし

て挙げられている「自己制御」であり,また,有

機体と認知システムとをつなぎ,それらに共通す

る機能としての「(自己または自動)調整」であっ

た。

 そして第2に,自己制御や自己調整が,認知シ

ステムに固有のものとしてではなくて,自然科学

や人文・社会諸科学で見いだされる「構造」や有

機体にも認知システムにも見られる,きわめて一

般的な特性またはプロセスとして提示されてい

る,ということである。1930~1940年代には,生

物学(有機体)との類推で知能における均衡が問

題にされたものの,1950年代の均衡化概念は主と

して認識論(または心理学)に限られたものであっ

た。しかし,1960年代にはそれがさまざまな分野

に拡張され,より一般的なものとして仕上げられ

ていることがわかる。それは,ピアジェが若い頃,

「均衡」のアイディアをさまざまな分野にあては

めて,青年期のさまざまな難題を解決していった

のとよく似ている,といえるかもしれない。

 さらに,「調整」については,次のことを述べて

おかねばならない。ピアジェによれば,(広義の)

調整には「リズム」,「調整」,「操作」の3種類が

あると述べ,「操作」をとくに「高次の形式の調整,

つまり,遡向的的なコントロールが完全かつ正確

な可逆性をもった調整」と特徴づけて,「調整」

とはっきり区別している。そして,彼の叙述から

は読み取りにくいが,実はこの「調整」こそがま

さに「均衡化」にあたるものである。 「リズム」,

「調整」,「操作」といったことばは,1940年代の

著作にもすでに見られるが,それは均衡形態を区

別するためのものであった。それに対して,この

時期にはむしろ自己「調整」という機能と関連づ

けて論じられているのである。

 最後に,「調整」と「構成」との関係についても,

当然,触れておかなければならない。この問題は

1950年代に提起された発達の第4の要因としての

均衡化論と直接に結びついてくることになるから

である。「調整」とはいわば自己保存にあたり,

適応にかかわる。それに対して,「構成」は自己

拡張であって,システムの組織化や発生・発達を

意味するといってよい。ピアジェは,調整と構成

は相反する2つの機能・傾向であるが,これらは

1つのシステムの中では統一,統合されているい

う。調整なき構成はあり得ず,構成には調整が必

ず組み込まれている,というのだ。これは,シス

テムが開放系と閉鎖系の両方の性質を合わせもっ

ていることによる。したがって,調整としての均

衡化は,当然,こうした構成,つまり発達にも関

係することになるのである。

 このように,1960年代のピアジェは,1950年代

に到達した,外的撹乱に対する補償的調整として

の均衡化に目を向けた。そして,一方では,この

調整が諸科学に見られる「構造」がもつ基本的特

性の1つであること,他方では,調整が有機体と

認知システムのどのレベルにも存在しており,そ

うした調整が認識の分野にとどまらないきわめて

一般的なものであること,を示してきた。

 これらのことから,1960年代のピアジェの均衡

化論は,いわばシステムの「自己調整」論であり,

しかもそれは,さまざまな領域のシステムや構造

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80 福島大学教育学部論集第54号

に適用されたという意味でのかなり一般的な「自

己調整」論である,と特徴づけることができるだ

ろう。そして,このような均衡化論は,当時の流

行思想であった「構造主義」の時代精神の中で,

また,かねてより抱いていた生物学と認識論との

統合の試みの中で構築されたものであった。

 しかし,ピアジェの,均衡化概念への執拗なま

でのこだわりは,1960年代で解消したわけではな

かった。『認知構造の均衡化』(1975)(63)の著作

のタイトルが示すように,晩年にあたる1970年代

以降も,均衡化概念をより洗練されたものに仕上

げようとする彼の試みは,まだまだ続くことにな

るのである。これを辿ることが,次の課題として

残されている。

          (註)

(1) 日下正一 1992a青年ピアジェの思想形成と

 「均衡」概念 福島大学教育学部論集(教育・心

理部門) 51,39-54.

(2) 日下正一 1992b初期および中期ピアジェと

 「均衡」概念 福島大学教育学部論集(教育・心

理部門) 52,49-66.

(3) 日下正一 1992b 前掲書(2)

(4) 日下正一 1993後期ピアジェと「均衡化」概

念(1)福島大学教育学部論集(教育・心理部門)52,

 65-82.

(5) Piaget,J.1961 Les m6canismes perceptifs.

 Paris:P.U.F.

(6) Piaget,J.&lnhelder,B.1966 L’image mentale

chez renfant.Paris二P.U.F.久米博・岸田 秀

訳 1975 心像の発達心理学 国土社

(7) Piaget,」.&Inhelder,B.1968M6moire et in-

telligence.Paris:P.U.F.岸田 秀・久米 博訳

 1972 記憶と知能 国土社

(8)Piaget,」.&Inhelder,B.1966前掲書(6)

(9) 入谷敏男 1965 知覚論 波多野完治編 ピア

 ジェの認識心理学 国土社 160-186.

(10) Piaget,J.1964  Six 6tudes de psychologie.

Paris:Denoe1-Gonthier.滝沢武久訳 1966思考

 の心理学 みすず書房

(11)Piaget,J.&Inhelder、B.1966 La psycho玉ogie

de renfant.Paris:P.U.F.波多野完治・須賀哲

夫・周郷 博訳 1969新しい児童心理学 白水

(12)Piaget,J.&Inhelder,B.1966前掲書(10)訳

1993-11

 P.58.

(13)Piaget,J.1968 Le structuralisme.Paris二P.U.

 F.滝沢武久・佐々木明訳 1970構造主義 白

水社

(14) Piaget,」,1967 Biologie et connaissance.Paris:

 Gallimard.

(15) Piaget,」.1969Psychologie et p6dagogie.Paris:

Denoe1-Gonthier.竹内良知・吉田和夫訳1975

教育学と心理学 明治図書

(16)Flavell,J、H.1963 The developmental psycholo・

                      ル gy of Jean Piaget.Princeton,Van Nostrand、 斥:

 本弘・岸本紀子,植田郁朗訳 1969・1970 ピア

 ジェ心理学入門(上・下) 明治図書

(17)Furth,H.G.1969 Piaget and Knowledge.

 Prentice-Ha11.

(18) Piaget,J.1965Sagesse et illusion de la phiIo・

sophie.Paris=P.U.F.岸田秀・滝沢武久訳

 1971哲学の知恵と幻想 みすず書房

(19)Piaget,J.1965前掲書(18)訳 p.257.

(20)Piaget,J.1965前掲書(18)訳 p.274.

(21)Koestler,A.&Smythies,J.R、(eds.)1969

 Beyond reductionism、The Hutchinson Publishing

 Group.池田善昭監訳 1984 還元主義を超えて

工作舎

(22)Koestler、A.&Smythies,J.R.(eds.) 1969

前掲書(21)訳p.179.

(23)Koestler,A.&Smythies,J.R.(eds.) 1969

前掲書(21)訳pp.179-180.

(24)Koestler,A.&Smythies,J.R.(eds.) 1969

前掲書(21)訳 pp.184-185.

(25)Piaget,」.1974 Adaptation vitale et psycholo-

 gie de rintelligence.S61ection organique et pheno-

 copie.Paris二Hermann.

(26)Piaget,J.1976 Le comportement,moteur de

 r6volution.Paris:Gallimard.

(27)以下の文献を参照。北沢方邦 1968 構造主義

講談社現代新書,山崎正一・市川浩編 1970 現

代哲学事典 講談社現代新書,哲学事典 1985

平凡社,Piaget,J.1968前掲書(13)など。

(28)竹田青嗣 1984 構造主義からポスト構造主義

 へ 現代思想入門 J I C C出版局 pp.192-193.

(29) Gardner,H.1972The quest for mind.Piaget,

 L6vi-Strauss,and the structsturalist movement.

New York:Alfred A.Knopf Inc.波多野完治・入

江良平訳 1975 ピアジェとレヴィ=ストロース

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日下正一 後期ピアジェと「均衡化」概念(2) 81

一社会科学と精神の探求一誠信書房訳 pp.147

 -149.

(30)Piaget,J.1968前掲書(13)訳p.139.

(31)Piaget,J.1968前掲書(13)訳p.16.

(32)Piaget,」.1970 Genetic epistemology.Co1・

umbia University Press.芳賀 純訳 発生的認

識論 評論社 p27.

(33)Piaget,J.1968前掲書(13)訳p.8、

(34)Piaget,」.1968前掲書(13)訳 p.25.

(36) Piaget,」.1947  La psychologie de l’intelligence、

 Armand Colin.波多野完治・滝沢武久訳 1960知

 能の心理学みすず書房訳 pp.314.一316.

(37)Piaget,」.1968前掲書(13)訳 p.24.

(39)Evans,R・1.1973Jean Piaget;The man and

 his ideas.New York:E.P.Dutton Co.,Inc.宇津

 木保訳 ピアジェとの対話 誠信書房 p.18.

(40)Piaget,」.1966BioLogy and cognition.Diogenes,

 No.54遠藤幸孝訳 1967生物学と認識 ディオ

 ゲネス 第2号河出書房p.52.

(41)Piaget,」.1965前掲書(18)p.13.

(42)Piaget、J.1967前掲書(13)p.48.

(43)Piaget、J.1967前掲書(13)p.4g.

(44)Piaget,J.1967前掲書(13)P.283.

(45)Piaget,」.1967

(46) Piaget,J.1967

(47)Piaget,J.1967

(48) Piaget,J.1967

(49) Piaget,」.1967

(50)Piaget、J.1967

(51)Cel16rier,G.

 adaptation.

 (EEG-XXH)

(52)Asyby,W.R.

 netics.Chaoman &

(53)Piaget,J.1970

(55)Piaget,J.1967

(56)Piaget,J.1967

(57)Piaget,」.1967

(58)Piaget,J.1967

(59)Piaget,J.1967

(60)Piaget,」.1967

(61)Piaget,」.1967

(62)Piaget,J.1967

(63)Piaget,J.1975

 cognitives,P.U.F.

前掲書(13)

前掲書(13)

前掲書(13)

前掲書(13)

前掲書(13)

前掲書(13〉

  1968Modds cybemetiques et

Cybern6tiques et epistemologie・

P.42.

pp.29-30.

P.30。

p.288.

p.288.

P.294.

    ’

 ”

1958An introduction to cyber-

Ha11.

前掲書(32)訳 pp.26-27.

前掲書(13)

前掲書(13)

前掲書(13)

前掲書(13)

前掲書(13)

前掲書(13)

前掲書(13)

前掲書(13)

P.63、

p.284。

p.284、

p.285.

p.285。

p.284。

p.285、

p.285.

L’equilibration des structures

Piaget’s Idea of“Equilibration”during the1960’s

KUSAKA Shoichi

  Firstly,Piaget extracted three basic properties,i.e.wholeness,transformation and

self-regulation,from structures which were found in various fields of science,and he

tried to establish his own constructivism against structiralisms which had become

popular in France during the l960’s。

  Secon〔ily,Piaget showed that autoregulations were the general mechanisms which

existed at any level in both organisms and cognitive systems,and he emphasized that

cognitive regulations were an extension of organic regulations・

  Thus it was found that Piaget applied the concept of equilibration as compensatory

regulation of systems to structures in various fields of science,as well as organisms

and cognitive systems.So Piaget’s equilibration duringthe l960’s was able to be

characterized as general functions of autoregulation or self・regulation of systems.