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2018.04.23---2020.04.29 Ver.9.8暫定完成版

第1部 現代デザインの矛盾とその歴史的根拠

1. 問題提起

 筆者が十数年前にニューヨークに行った際、MoMAを訪れ、そこで1960〜70年代に登場した日本の家電メーカーの作った家電・音響機器が展示されているのを観たときに、自分の学生時代を思い出した。その頃、工業デザインという世界が新聞や雑誌に紹介されるたびにある種のあこがれを持ち、そういう仕事やってみたと願うようになった。その頃筆者があこがれを抱いたデザイン製品がいまこのMoMAに現代美術の一つの代表的「作品」として展示されている。確かにこれはすばらしいことである。

 しかしそれから半世紀近くの間に筆者は予想もしなかったさまざまな体験を経て、いまこうして現代デザインを批判せざるを得ない立場に立っている。それは人類の生活文化の上で大きな影響力を持ったデザイン行為がその背後に孕む、矛盾と歴史的運命を一人の人間の人生を通じて発現し、私に認識させてきた過程であるといえるのかもしれない。

 1.1. 「デザイン商品」の矛盾

  1.1.1. 「民芸品」と「デザイン商品」の違い

 東京駒場にある日本民芸館は周知の様に柳宗悦氏が設立した民芸品を収集した博物館であるが、そこには柳の「民芸」に対する思いが込められている。

 そこにはまだ資本主義経済が浸透していなかった時代に生み出された無数の匿名の生活用具のもつ優れたデザインに対する驚きと賞賛の気持がある。

 著名な作家の名前が入った作品がそれゆえに「価値」が高いとされ、商業ベースに乗る様になった近代社会の中で、それは逆にある真実を物語っていたからであろう。

 民具のアノニマス性が取り上げられる様になったのは、むしろ工芸作品やデザイン商品などが市場で売買される近代以降になってからのことである。

 つまり普通に用いられる生活用品が、商品として市場で売買されるようになる以前は、ある地域社会の中で、必要とされる生活用具や食料衣類などは、ほとんど自給自足に近い形で生活者自身によって作られ消費されてきた。だからそこには生活用品を誰が作ったかということなど決して問題にはならなかったのである。そこでは、生活資料を生みだすために必要な道具(労働手段)や素材・原料などを含む生産手段は生活者自身の手もとにあり、生活者自身が自分たちに必要な生活資料を必要に応じて作り、小規模な地域社会的分業の中で互いに分担生産し合い需要し合っていた。

 だからそのデザインは誇張や見せかけの華美とは縁はなく、使用の目的に対してウソのない正直な形態のデザインであった。それが今日「民芸品」と呼ばれるものの美しさを生みだしていたのである。

 しかし、商品経済が全面化する資本主義社会が形成される中で、商人たちが単にモノを安く仕入れて高く売る商売だけではなく、商品としてのモノづくり(本書では人工物を「モノ」と表現する)を彼ら自身の手で行うことに目を付け始めてから、それを実行するために、農民の土地や職人組合の工房などの生産手段が彼らに買い取られ、そのためそれを失った人々が賃金労働者として資本家に雇用され、そこで自らの労働力を資本家の目的のために消費させることでその「代償」として受け取る賃金によって生活しなければならなくなった。

 資本家は買い取った労働力を、これもまた自分が獲得し所有する生産手段と結合させることで、生産物を商品として生産することができるようになり、かつての「安く仕入れて高く売る」ことで利益を獲得していた商人資本家は買い入れた生産手段と労働力により自らの支配下で商品を生産する産業資本家へと変貌を遂げたのである。

 こうしてやがてすべての生活資料が資本家の支配のもとで「売るための商品」として生産されるようになったため、自分の労働力つまりモノづくり能力を資本家のために捧げてしまった生活者が自らが資本家の工場で生みだしたモノを含めてあらゆる生活資料を資本家から商品として買い戻さなければ生活できなくなったのである。

 その後、こうした資本家の工場での労働者自身の内発的意図ではない労働(疎外された労働)によって大量に生みだされる「売るための商品」が必然的に持つ粗悪なデザイン、例えば市場性を高めるために本来の機能とは関係のない装飾を施した製品などが世の中にあふれ出し、それに対する反発や批判からさまざまな形のデザイン運動が起きていったのである。

 一方で、先進資本主義国であった西欧の国々では、まず、17〜18世紀頃に、当時経済的主導権を握った資本家や役人、貴族などの富裕な階級のために高級生活用品が登場し、芸術家、工芸作家や建築家はそのような高価な高級生活用品を依頼主に提供する仕事をするようになったと考えられ、その中で自分のデザインした家具や調度品、装飾品などを「作品」として富裕階級のために売る作家として社会的地位を確立していったと考えられる。それが近代的な「デザイナー」の原型である。

資本主義社会は、やがて過剰化した資本を海外に輸出する形で労働力や資源の獲得競争が激しくなり、それが要因となってヨーロッパ大国間の戦争を引き起こすことになった。この第一次世界大戦では何百万もの労働者や農民が戦場に駆り出され、犠牲となった。その後、この反省から労働者階級の社会的力が増し、労働者の生活向上を目指す運動が盛んになり、いわゆるモダン・デザイン運動が交流した。しかしこの時代に登場したバウハウス運動などにおいても、その成果としての建築やデザインは高価で多くの平均的水準の生活者にとってそれらは高嶺の花であった。

 やがて第二次世界大戦をはさんで20世紀中葉になって、アメリカを中心としていわゆる「消費主導型資本主義社会」が登場し、労働者の賃金が相対的に引き上げられ、生活消費財商品をどんどん購入できるようになると労働者階級が、「消費者」(実は商品購買者)として位置づけられるようになり、彼らの消費が経済を牽引するという資本主義経済の新たな仕組みが出来上がっていった。そのため、ほとんどの生活用品が資本家企業に雇用されたデザイナーによって購買欲をそそるようにデザインされた商品となり、マスコミを使った大規模な宣伝広告に踊らされて、それらを買って生活資料として用いることが人々の生きがいのようになってしまったのである。この時代になって初めて、いわゆる大衆文化の流れとしてデザインという領域が認知されるようになったのである。

 しかし、それは本質的に「売るため」の手段としてのデザインであって、本当の意味で生活に必要なモノとして生活者自身が自らの必要から生みだしたものではなかったといえる。売る側にとってみれば、商品は買われてしまえば後はどうなっても構わないというのが本音なのである。

 こうして「使うため」と「売るため」の間で生じる落差と矛盾の中で、それに気づいた人々から見ると、初めてそこに、かつての「民芸品」が、つくる人と使う人が同じ目的のもとに置かれている、輝かしい匿名デザインの世界であったということに気づき始めたのであろう。

  1.1.2. 100円ショップとグッドデザイン・ショップ

 20世紀末から今世紀初頭にかけて、「価格破壊」といわれる現象が市場に現れ、生活資料商品の市場に大きな変化があった。21世紀に入る直前から、日本ではいわゆる100円ショップ(百均)が街に登場しだした。そこに並べられている商品は、これも100円で買えるのか!と驚かされるモノが多い。

 100円ショップでは、品質やデザインを問わなければ最低限必要な生活用具はほとんどすべてそろうのである。これは収入の少ない人々にとってはまことにありがたい存在である。いわゆるワーキング・プアーの人たちや乏しい年金で生活する人々の多くは日々の暮らしに必要な生活用品を100円ショップで求めざるを得なくなっているのである。

 一方、お金に余裕のある人々は、品質やデザインのよい商品を有名ブランド店やいわゆるグッドデザイン商品として買うことが多いであろう。そして我が国での「モノづくり」はそうした「付加価値」の高い商品にシフトしていったのである。

 この100円ショップが街に登場しはじめた頃から、実は世の中の「格差」が目立ち始めたのである。つまり格差社会の進展にしたがって100円ショップの持つ社会的意味が大きくなってきたのである。

 なぜこのように安い商品が出回るようになったかといえば、それはグローバル化した市場で、労働力の安い国で作られた商品が、大量に商品市場に進出しだしたからである。これら100円ショップで販売されている商品を生産している国の労働者たちは、驚くほど低い賃金で長時間働かされているのである。彼らがなぜそのような低賃金で暮らしていけるのかといえば、生活に最低限必要なモノ(食物・衣料費や住居費など)が彼らの国では驚くほど安く入手でき、また質素な生活なので、われわれのようにモノを次から次へと買い替えることもないからであろう。

 あらゆるモノが商品として売られる現代の社会では、人間の労働力までもが商品として労働市場で売買されるのである。この労働市場における雇用者側の需要と求職者側の供給という関係で労働賃金は決まるが、その基本となる労働力(すなわち労働者の能力)の価値は、労働力を日々の生活の中で生み出すのに必要な生活消費財(衣食住など)の価値によって決まるのである。

 しかしその「労働力」とは、誰かが工場で作り出したモノではなく、人間自身が生活の中で育んだ能力であり、食料や衣類などを消費しながら日々の生活の中で維持され、教育による学習などを通じて獲得される人間としての能力なのである。しかもそれに必要な生活資料は、実際には日々それらの生活資料商品生産の現場で働いている労働者たちの労働が生み出しているのである。

 雇用者である資本家にとっては「生産費用」の一部でしかない労働者の賃金に決して無駄な出費はしない。つまり、安い生活資料でも生活できる人々には安い労働賃金しか支払われない。したがって労働市場で供給が需要を上回るような時には最低労働賃金は低下し、労働者はぎりぎりの賃金で生活しなければならない。そういう労働者にとって100円ショップはなくてはならない存在となる。 おそらく100円ショップに並んでいる商品は、デザインなどに時間をかけていわゆる生産費用を高くしては市場での価格競争に勝てないため、デザインにはあまり時間や手間をかけないであろう。だからお世辞にもグッドデザインとは言いがたい。しかし生活に困っている人々は、背に腹は代えられないため、こうした商品で我慢せざるを得ないのである。

 こうした視点からいわゆる「開発途上諸国」と「先進諸国」との関係を見直すと、一方では、かつて「モノづくり立国」を誇ったわが国で生産される生活資料商品がアジアなどの低賃金労働国の労働に基づく安い商品によって市場から駆逐され、わが国の多くの生活資料生産企業が倒産したり生産拠点を低賃金国に求めて海外に移し、業務内容の大幅な変更を迫られ、その現場で働いていた多くの労働者が転職や失業に追い込まれたりしたと考えられる。その結果生みだされた「新貧困層」の人々にとっては、逆にアジアの低賃金労働者の労働によってもたらされる100円ショップの商品が、いまや生活上必要不可欠になりつつあるという結果を生じているともいえる。

 そしてこのような形でアジア諸国の低賃金労働者とわが国の「新貧困層」が実生活の上で実は密接な結びつきの元に置かれていることが見えてくる。つまり一見「敵対的競争相手国」と見える国々の人々が実は互いに同じ様な立場に置かれていることが見えてくるのではないだろうか。

 アジアの低賃金労働者も、わが国の「新貧困層」も、ともに自分たちの生活に必要な生活資料を直接自分たち自身の手で生みだすことができず、生産設備(生産手段)を所有する資本家企業に労働者として雇用され、そこで資本家に売り渡した労働力によって生みだされる商品が市場に出され、それを生みだした労働者はその労働と引き替えに受け取った賃金によってそれらの商品を買い戻して生活しているのである。一部の有名デザイナーを除いて普通のデザイナーも同様に企業に雇用され、そのデザイン能力という「頭脳労働力」を商品のデザインで発揮することと引き替えに受け取った賃金で自分たちのデザインした商品を買い戻して生活しているといえる。

 一方 グッドデザイン・ショップに並ぶ商品を購買できるのは比較的高賃金の頭脳労働者や、自営業者、医者、法律家、公務員などのいわゆる「中間層」、そして企業経営者や投資家など「富裕層」の人々であろう。このような商品は市場での「差別化」のため、実際にそれを作るのに投入された労働量(デザインに要した時間も含めて)をはるかに超えた基準で市場価格が決められ、実際の価値よりはるかに高い価格で売られる、いわゆる「付加価値商品」なのである。

 この「付加価値」の経済学的分析は別の章で行うが、これは市場の需要と供給の関係を意図的に操作し、宣伝などで恣意的に高められた需要とそれより遙かに少なく設定された供給の関係を生み出すことによって、市場価格を実際の価値より遙かに高く設定して売る価格である。例えば同じ労働時間を費やして生産された商品であっても、有名デザイナーのブランドが付けば驚くほど高価格で売れる、などというのがその典型的な例である。実際に「ルイヴィトン」のブランドで市場で高値で売られている高級バッグ類などはヨーロッパで最も賃金の安いブルガリアの工場で生産されているのである。

 こうしていま世の中は「新富裕層」といわれる競争社会の勝者たちと、その「おこぼれ」を頂戴して比較的リッチな生活をしている人々と、「ワーキング・プアー」、「ニート」、年金すらもらえない高齢者、路上生活者など競争社会から脱落した人々による「新貧困層」に二極化されつつあるように見える。そしてデザイン商品もこれに対応して二極化されつつあり、それが100円ショップとグッドデザイン・ショップとの関係に象徴的に現われているように思えるのである。 

  1.1.3. いつの間にか生活必需品化される高額家電やクルマ

 東日本大震災直後の2011年5月2日、朝日新聞「声」欄に、Tさんという当時74歳の方が「私は原発造らせた覚えない」という投書をしている。その内容は、4月23日に同欄に掲載された「事故の一因、我々の生活にも」への批判として書かれている。

 4月23日の投稿には、「電力会社に原発を造らせたのは誰か、自販機もネオンも高速道路の電灯もみな、私たちが要求し続けた結果だ」と書かれているが、Tさんはこれに反発して、以下のように言う。

 「私たちはエアコンなしでは暮らせぬ都会の家に住まざるを得なくてエアコンを買わされました。地デジテレビも要求したことはありません。私は布団カバーやシーツ以外は手洗いですから、二槽式洗濯機で充分。それが壊れて買い換えようとしたら、店頭にあるのは、ほとんどが全自動式で乾燥機付きです。業界の思惑で、ぜいたくな家電だらけの生活に追い込まれていると痛感しました。原発をなくすために、どのような生活をしなければならないか、よく考えようという意見には賛成です。しかし、もっと深く考えてもらいたいのは、原発を国策として推進してきた政官財で、私たちは二度とその口車に乗らないように心すべきです。」

 私は、このTさんの投書を読んで、まったくその通りだと痛感した。

 戦後間もない頃は、食うや食わずの耐乏生活だった人々が、やがて食料が出回り、小さなアパート暮らしで狭い台所で食事を作らねばならなかったとき、電気釜の登場は「革命」であった。やがて、トースターやオーブン、そして電気冷蔵庫が登場して食事作りは一変し、電気洗濯機が登場して洗濯時間も激減し、家事労働の負担は縮小した。その後、高度経済成長期にはルームクーラーとTVが登場、やがてクルマが家庭に入ってきた。それによって生活形態そのものが激変した。

 この時代、産業界の要請のもとで、こうした高額家電製品やクルマといった「耐久生活消費財商品」のデザインを受け持たされるようになったのが工業デザイナーである。

 賃金の上昇が続く中で、高額商品を次々に購入することが「夢の実現」とみなされ、こうした生活形態の変化を促進させるとともに、それがやがて生活必需品化されていった。人々はこうして産業界や政府の政策によって「夢」を上から与えられ、その結果それを欲しがるようになったことを「社会的ニーズ」としてあたかも生活者側からの要求が最初にあってそれをデザイナーの力を借りて実現させるのが産業界や企業の役割であるかのように思わされてきたのである。

 その過程で電気やガス水道は必須のインフラとなり、資源やエネルギー消費量もうなぎ登りに上がっていった。そして2011年3月11日、まるで大自然からの警告のような突然の大震災によって 原発は突然動かなくなり、放射能の恐怖が襲いかかり、電力供給が絶たれ、家庭生活はおろか企業の生産活動も医療活動もストップしてしまうという事態を生んでしまったのである。

多くの人々の命が奪われるとともに、大量の家電製品やクルマなどがあっというまに巨大な瓦礫の山と化してしまった。

個人的な話になってしまうが、筆者が十数年前、退職金をはたいて我が家を建て替えた時に、家族が少なくなり、お金もないのでコンパクトな設計の家にせざるを得なかったため、多くの家財道具を廃棄せざるを得なくなったのである。

 そのとき、古い家の物置小屋に入っていた15〜30年以上も前に買ったさまざまな古い使わなくなったモノの処分をした。壊れた家具類、使わなくなったアウトドア用品、古いビデオカメラ、何台もの古いパソコン類、古いストーブ、子供が小さかった頃に買ったおもちゃ類、そしてそれらが入っていた箱などなど。その膨大な量の「ゴミ」を処分しながら、つくづく、自分の人生はただ、まだ使えるモノを使わなくなり、捨てては、新しいモノに買い換える、という小市民的地位に甘んじた「モノを買う生活」を繰り返してきたのだと思い知らされた。この社会で生み出され、寿命を全うできずに捨てられていくモノたちはさぞかし無念であったろうし、同時にそうしたことが「ゆたかな生活」と思わされてきた自分が情けなくなったのである。

  1.1.4. 誰のためのデザインなのか?

 いったいあの高度経済成長で築かれてきた私たちの生活とは何だったのだろう?いったい自分たちが行ってきた仕事とは何だったのだろうか、と疑問を抱いたデザイナーもいるに違いない。

 この事態に対して、これほど危険な原発を「必要化」させるような社会経済システムを生み出してきた本当の原因を明らかにし、その誤りを正そうとする意見が出てくるのは当然である。

 これに対して「原発を全廃せよというのは非現実的だ」とか「ニッポン経済をもとのように元気にするには原発は必要だ」などという主張を掲げる人々が現実主義者の様に振る舞いながら、いかにトータルな視点での生活者の現実や社会の全体像を見ようとしない人々であるかが分かる。彼らは、「経済成長」という名の下に資本を成長させ、「経済成長により豊かな生活が実現される」という幻想をばらまいて、原発政策の旗を振ってきたことへの反省の色がまったく見られないのである。

 われわれの社会では、モノは本当に必要だから作り出されるのではなく、むしろ恣意的に所有欲や消費欲が喚起され煽動された需要のもとで「売るために」作られるのであり、新しいデザインの商品が「消費者の立場で」「使用者の目線で」というフレーズが宣伝に用いられて売りまくられていても、実際には、この社会で生み出されるモノの大半は購入されたのち、メンテもされずに「消費」あるいは「使用」されつくされないうちに大量に廃棄されている。そのため一方で気候変動をもたらすような大規模な環境汚染が進み、他方で莫大な資源とエネルギーの無駄使いをすることによって地球全体の限られた資源の枯渇をもたらしながら成り立つ社会なのである。 

 いまの社会は「消費社会」ではなく実は「購買欲煽動型経済」によって成り立つ社会なのであって、モノを生産する企業側は売ってしまえばそのあとのモノの行方は買ったものが勝手に決めればいいのであって基本的には自分たちの責任ではないという社会である。彼らは自分達の獲得する利益が増えればよいのであって、膨大な量の廃棄物が地球環境を悪化させてもその社会的責任すら取ろうとしないのである。一方でこうした状況に対して企業の社会的責任が叫ばれながら、市場での競争に勝ち続けるためには、まず利益を挙げねばならないという「経済法則」のため、この状況は根本的には解決され得ない。

 デザインはいったい誰のためのものなのか?100円ショップの商品をデザインしている名もない多くのデザイナーたちは頭脳労働者として、雇用されている企業のためにいかに安く作っても、そこそこ売れる商品を考え出すかにその労働時間のすべてを費やされており、わが国や欧米諸国のデザイナーは、一握りの新富裕層によって惜しみなくお金が動くグッドデザイン商品やいわゆる「付加価値」のあるデザインのために能力を捧げているのではないだろうか? 生活者は自分たちに必要なデザインを自分達自身で行うことができず、もっぱら商品市場でこうした「売るためのデザイン」の中から選択して買うことでしか生活環境をつくることができなくなっているのである。

 1.2. 誰が社会全体のデザインをするのか?

  1.2.1.  無秩序な大量消費がもたらしたもの

 日本の経済は「消費拡大が成長を支える」という謳い文句で生活者に膨大な浪費を生み出させ、浪費することこそが生活の意味であるかのような人々を生み出すことによって「成長」してきたのである。

 その中で、新しいデザインのクルマが出れば、多少無理をしても貯金を下ろすかローンを組んでそれを買い、ボーナスが出れば、それで新しいビデオカメラを買って子供の映像を記録した。新しいモノを買うことによって自分の生活になにか新たな可能性が生み出せるという生活感覚が形成され、もらった給料の大半をそれらに消費してきたのである。筆者の生活もまさにそれであった。

 「高度成長期」に生きた人々のほとんどがこのような生活感覚の中で次々と購入した製品は、しかし充分にその寿命を全うせずに次々と廃棄されゴミの山を築いて行った。

 こうして一方で大衆の購買欲を掻き立て、他方で大量の新製品をデザイナーの力を借りて次々とつくらせては「便利さ」や「かっこよさ」を売り物として大量に売りさばいてきた企業・産業界は、結局われわれの給料をそういう形で吸い上げることで、莫大な利益をあげてきたのである。これを人は「経済成長」という。

 そしてその結果、大量の廃棄物を世の中に生み出し、生産においても消費においても莫大なエネルギーを消費し、電気が足りないからといってどんどん火力発電所や石油基地を作り、限られた地球の資源を際限なく食い尽くしていったのである。

 すでに述べた様に廃棄物の処理は本来ならば製品を無秩序に生みだした企業が責任を持って処理すべきなのに、それを商品の購買者一人一人の倫理観や責任に負わせることがほとんどであった。しかし公害問題などが大きな社会問題となってからは、法人税などを含む自治体の税金を使って処理場を建設させるような形になっていった。

 また40年ほど前に企業へのクルマの有害排気ガスを減らすための法的規制が実施され排気ガス処理装置が組み込まれたクルマでないと売れないことになった際、メーカーはこぞってコスト高になって市場での競争力が落ちるという理由でこれに猛反発した。

 ところが、現実に地球規模での自然環境破壊が進んでいる事実が徐々に人々の認識するところとなった後は、逆にそれが、商品イメージを高める要素と判断され市場での競争に有利であると判断されるようになり、たちまち「地球にやさしい商品」が宣伝広告での「売り文句」となったのである。

 そしていわゆるオイルショックが起きると、今度は資源の乏しい日本にとって石油に頼るのは危険であるとして原発建設へ推進力が増した。さらにガソリンの消費量を減らすクルマのエンジンが開発され、燃費の良さが「売り」になっていった。

   この流れが世の中で大きくなるにつれて多くの業種の企業もいわゆる「エコ商品」を売り出すようになっていった。これ自体は大変結構なことなのであるが、その反面で環境汚染による地球温暖化問題が社会全体で深刻な事態と受け止められるようになれば、今度は「地球温暖化を防ぐため一人一人の心がけを」とか「消費者の意識革命こそが必要だ」などと言ってあたかも一人一人の心がけ次第で地球温暖化問題が解決されるかのように、消費者に責任を負わせ、それを逆手にとって消費者に対し「地球にやさしいエコ・デザイン製品」を次々と買わせる商法が一般化した。ほとんどの人々は、こうした世の中の流れの中で、「エコ製品」に買い換えることで自分は地球環境を大切にするために役立つ買い物をしたという自負を感じるだろう。

  1.2.2. 「エコ・デザイン」はサステイナブルなのか?

 しかし現実には、こうして省エネのために「エコ商品」に買い換える人が増えれば、社会的生産全体から見ればモノの消費量や生産量は決して減らず、むしろ増えるだろう。そのため「エコ商品」を作るために用いられるエネルギーや原材料は少しも減らずむしろ増え続けるのである。たとえ「消費大国」の人々がすべてエコ製品を使ったとしても、地球全体としてのモノの生産量が減らない限り石油やレアメタルなどの地下資源はいつかは枯渇するだろう。地球全体での資源エネルギーの量はほとんど不変であるのに対して、それを消費する量が増加して行けばいつかは資源が枯渇するのは誰の目にも明らかである。

 「持続可能な経済発展」”SDGs”といえば聞こえはいいが、いまの資本主義経済システム下においては「経済発展」とサステイナブル社会の両立は不可能であるといえる。s

 つくる人と使う人が本来の目的意識を共有し、ひとつの道具や生活用品を大切に使い、流行に追われて次々と買い換える必要もなく、それらの道具や生活用品を大切にメンテし、修理しながら出来うる限り長いこと使い切り、最小限の資源消費でも精神的にはゆたかな生活ができる。そういう当たり前の経済観や生活態度はいったいどこに行ってしまったのだろう。

 本来の「サステイナブル・デザイン」実現の基本にはそうした生活が可能になるような経済の仕組みの変革が前提であろう。

  1.2.3. 本質的にサステイナブル社会を実現できない現在の経済システム

 しかし、オイルショックを経て、また東日本大震災の悲惨な結果を経て、そしていま世界中で”SDGs”などのスローガンでサステイナブル社会の必要性が叫ばれているにも拘わらず、世界の経済をリードする「先進諸国」の政権は、相変わらず「消費が拡大すれば経済が活性化され企業の収益も上がって労働者の賃金も上がり経済の好循環が生まれる」という「経済成長神話」を信奉し、驚くべき事にほとんどの国の人々がそれに何の疑問も持たないのが現実である。

 人口14億以上の中国や13億ともいわれるインドや3億以上のインドネシアなどの国々が「経済成長」の結果、アメリカやヨーロッパそして日本と同様かそれ以上の「消費大国」になった場合、地球はどうなるか、結果はすぐに想像できるし、事実そういった国々で危機は高まりつつある。

 要は全地球でのトータルな資源やエネルギーの消費量を減らさねばならないのであって、それが本当の意味での「エコ」であり「サステイナブル」のはずなのだが、今のいわばアンコントローラブルな市場競争を前提とした資本主義経済体制は消費を増やすことこそが経済を、したがって資本を潤すという構造になってしまっており、基本的にそれができない仕組みになっているのである。

 消費拡大による「経済成長」がなければ、経済的に成り立たない社会。そしてその消費拡大が一方で資源や環境をどんどん破壊していくと同時に、他方で社会はまずます経済的な格差を増大させていく。この資本主義経済体制の「絶対的矛盾」に直面しながらそれに目をつむり人々を欺き続けているのが現代のグローバル資本主義のイデオロギーなのである。

  1.2.4. 「便利さ」や「快適さ」を売り物にすることよって失われるもの

 他方でまた、現代の生活者は、企業のデザイナーがデザインする商品を買うことでしか自分たちの生活をデザインすることができなくなっている。そしてその商品市場では、「便利さ」や「快適さ」が売り文句となり、次々に売り出されるニューモデルはそれ以前のモデルに比べるといかに便利になりさまざまな新機能が付き、生活に快適さと目新しさをもたらすかが商品開発競争の目標となる。

 さらに最近では、いわゆるAI(人工知能)が人間の認知や判断に代わってそれを行うような製品が増えてきている。

 こうして将来的にはモノづくりの現場でも人間に代わりAI装備付きの機械がデザインも含めてモノづくりを行うようになり、生活では人々はただAI装備の生活用具にすべてを任せて、人間は働きもせず、生活維持活動もせず、ただコンピュータの生みだすヴァーチャルな世界に浸り込んで生涯を送るということになるかもしれないという見方もある。いわゆる「シンギュラリティ」の世界である。

 これを「良し」とする識者もいるが、これはまったく惨めな人類の「なれの果て」の姿であり、こうなれば人類は、自らの存立を護るための主体的判断や行動を放棄することになり、それにもとづく生活行動や繁殖行動もできなくなり、その生物学的な存続能力を失うことになるだろう。もしこのまま行けば人類はそれほど遠くない将来に絶滅することになるだろうと筆者は考えている。

 なぜ、本来人間が生みだした「道具」に過ぎない人工知能などが人間の生活までも支配してしまうと思われるのか?そうした思想が生まれてくるいまの社会システムの矛盾をまず明らかにすることこそが必要である。

  1.2.5. 私たちの社会の未来像はだれがデザインするのか?

いま私たちに問われている最大の課題は、この人類社会の危機的状況において、「これからの社会はこうあるべきだ」という形で科学的・論理的な根拠に基づいて次世代社会のデザインを行うのはいったい誰なのかということであろう。決して自由競争市場の「神の手」に任せる資本家たちではあり得ず、その状況に業を煮やした強権的独裁政治家の手に任せるのでもなく、社会全体の維持発展のためにそれぞれの現場でそれに必要な労働を現実に行っている生活者自身がそれを行うのでなければならないはずだ。

そのためには、私たち生活者自身の手に自分たちの生活をデザインする能力を取り戻さねばならず、私たち自身が私たちの社会の在るべき姿をデザインすることができなければならないはずだ。そしてそこに向かって一歩一歩その実現に向けて歩み出して行ける社会システムを創りださねばならないはずだ。

 では私たちはいったいどうすればよいのだろうか?これを考えるための手がかりを探ることが本書の趣旨であるが、そのためにはまず、なぜこのような社会、特にその土台を支える「モノづくり」の在り方がこのような歪められた形になってしまったのか、その歴史的根拠を検討してみよう。「存在の理由は発生の過程にある」のだから。

 注:本書では「モノ」は人工物を、「モノづくり」は生産的労働を意味し、「デザイン行為」は職能としてのデザイナーの仕事ではなく「モノづくり」一般に含まれる人間の思考や行為の中核的な部分として、その歴史を超えた普遍的な在り方を示す。

2. 職能としてのデザインの発生とその歴史的形態変化

 このようないまのモノづくりとデザインの矛盾と、その背景となっている社会のさらに大きな矛盾を考えるに当たっては、歴史の中でどのようにして人類のモノづくりが始まり、それがどのように発展し、やがて現代社会に至ってデザイナーという職業が生まれてきたのかを知る必要があるだろう。上述した「存在の理由は発生の過程にある」という生物進化における事実は人類の「モノづくり」の進化においても当てはまると考えられ、その人類の進化を間違った方向に向けないようにすることが必須であるからだ。

 そこでます、職能としてのデザイナー「誕生の秘密」までの歴史的背景を考えてみよう。

 2.1. 共同体におけるモノづくリのもたらしたもの

  2.1.1. 共同体内分業によるモノづくりと階級社会の登場

 数十万年という長い歴史の中で、人類が獲得してきたモノづくりの技(わざ)は当然、共同体でのさまざまな形での共同作業(労働の分担)がなくては成立しえない。

 例えば、山で使用目的に適した木を見つけ切ってくる土地勘のよい人、切った重い木を運んでくる力の強い人、その木を削って槍を作る器用な人、動物を槍で突く勇気のある人、殺した動物を料理する腕のよい人、そしてそれらの仲間たちをまとめる統率力や包容力のある人などなどのように、それぞれの個体的特質をもつ人々が作業分担をして、協力し合う共同生活が前提となる。

 結果的に共同体における固定化された分業体制ができあがりそれぞれの分業の中でその技術が伝承され洗練される。こうして共同体全体としては、バラバラな個人がそれぞれ生みだすモノよりはるかに優れたモノをより多く生みだすことができるようになっていく。

 目的が大きければ大きいほど大規模な共同作業が必要になる。したがって、モノづくりの発展によって人間は「あるモノをつくるためにはその手段として別のモノが必要であり、その手段をつくるためにはまたさらにその手段として別の手段が必要である」、という具合に「目的・手段関係の階層化」をどんどん拡げていったと考えられる。それにしたがって共同体の範囲を「ムラ」や「クニ」といった大きなレベルに拡大させ、その「ムラ」や「クニ」全体の目的意識を代表する人と、それに従ってその全体の目的をそれぞれの持ち場で手段として達成させていく人たちのグループが構成されることになったと考えられる。

 この社会共同体がある程度の大きさで限定されているときは、全体が見渡せるから、共同作業の分担形態も全体像が分かりやすかったであろう。しかし、だんだん大きくなるにつれて、一方では、モノづくりの集団的能力も高まり、社会的生産力が増大していくことにより他方では剰余生産物(共同体構成員がその労働力を日々生みだすのに必要最小限の消費財となる生産物を超えて生みだされる生産物)が生みだされるようになり、同時にモノづくりの目的・手段連関の階層も高度化し間接性を高め、上位階層ではほとんど直接モノづくりに関係がない一握りの人々がそれらの分業を社会全体として統括する役割も果たすようになっていったと考えられる。

 社会全体の生産力が高まれば、剰余生産物も増え、それまで、毎日生きて行くのが精一杯であった状態から、多少余裕ができて、災害や飢饉、略奪などに備えて食料など生活資料の備蓄を管理し護る人たちが必要になる。共同体が大きくなれば、全体を統制するために、規則やおきてのようなものも必要になりそれを管理運営する人たち、さらには、病気治癒や豊作を祈願するため神に祈りを捧げることを役割にする人も登場することになる。

 このようにして長い時間をかけて、人類は、共同体全体に必要な生産物の生産(つまり「モノづくり」)に直接関係のない人々が特定の権威を持つようになり、上位階層を占め、直接それぞれの持ち場で必要な生産物を作っている多くの人々を統治しコントロールして行くという支配・被支配関係を生み出しながら、文明社会を形成して行ったと考えられる。

 古代社会では、王や貴族が、剰余生産物の備蓄や管理運用の権利を得ることによって政治的・社会的な支配権や軍事的指揮権を確立し、その支配のもとで農民や、工人たちが自分たちの生活を支えるための労働とともにそれを超える剰余労働を支配者に提供することを含めて社会的に必要な労働を行っていたと考えられる。

 もっとも危険で厳しい労働は、戦争によって奪った地域の人々が奴隷として連行され、彼らに与えられた仕事として行っていたと考えられ、低い階級の人々ほど、自分の生活を維持するために必要な労働量を超えて行われる剰余労働に多くの時間と労力を支出させられていたであろうと考えられる。

  2.1.2. 私的所有形態の登場

   2.1.2.1. 生活消費財消費者と剰余生産物所有者

 階級社会化した共同体では、実際に労働によって生産物を生みだしている階級の人々(農民や工人)は、その労働力を維持し、日々労働を続けられるに十分な生活資料を消費しなければならないのでそれに必要な生産物はつねに確保しなければならない。これを生活消費財と呼べば、共同体で生産される生産物のうちこの部分は彼らが所有し消費することになるが、これは「私的所有」ではない。

 階級社会化した共同体は、分業化が進み、生産力が高まることで剰余生産物が常時生みだされるようになり、支配階級の人々は、それを管理支配し、自分たちの采配によってそれを使える立場にあり、いわばそれらを私有化出来る立場になったと考えられる。

 そのような人たちの中に、他の共同体との接触の際に、自分たちの共同体にないものを自分たちの共同体で余ったモノ(剰余生産物)と交換して獲得することが行われる様になったと考えられる。

 階級社会が発展すると、彼らの求めに応じて他の共同体社会からこの共同体にないモノを獲得してくることを生業とする人たちが登場するようになったと考えられ、それが商人の原型になったと考えられる。

 支配階級とともにこうした人々が、私的所有の原型を生みだしていったのではないかと考えられる。

   2.1.2.2. 私的所有者によるモノの交換が生みだした商業と貨幣

 このような私的所有者の存在する共同体社会が、あちこちにできてくると、当然、それらの共同体社会の私的所有者間での接触が始まる。

 地域的文化的違いからA社会で作られていないものが、B社会で作られていたり、その反対だったりすることが分かってくる。こうして、異なる社会間で、「ないものどうし」を交換し合う交易が始まる。それは一社会内での統治関係によって行われる生産物の分配ルールとは異なるルールで行われていたと推測される。なぜならそれは社会と社会の間で行われる「取引」であり、別なルールが必要であったと考えられるからである。

 そこでは、さまざまな産物の交換が行われはじめ、人間の交流も始まる。その過程で、偶然自分の欲しいモノを持っている他者同士が巡り会い、そこで取引が成立する形の取引から、いつでもあらゆるモノとの交換を媒介できるオールマイティーな媒体として必然的に「貨幣」が登場してきたと考えられる。そのことによりすべての商品がある「価値」として表示され、同じ尺度で比較されうる様になったと考えられる。そしてそれにより一気に交易の範囲が拡大し、それまでは物々交換だった交易を「商品の売買」というかたちで行う本来の商人を登場させることになったと考えられる。彼らは遠い国から安く仕入れた商品を別の国で高く売って、富を蓄えることを生業とする「商業」という職業を生み出し、そこに「私的所有の権利」という考え方が定着したと考えられる。

 商品交換による交易は文明社会登場と同じくらい古くから存在したと考えられるが、古代社会における商品経済はまだ支配的階級が自分たちの望む財を手に入れるために行われた異なる社会間での交易の段階にすぎなかったと考えられる。

 中世の社会では、領地の所有権を世襲的に与えられた封建領主によって生産手段としての土地を貸し与えられた農民が、そこで自分たちの生活に必要な資料としての農作物を生み出すとともに、領主に献納する租税分の作物を生み出すための労働(剰余労働)を行い、その収穫としての剰余生産部分を差し出す義務を負わされていた。

 そのコミュニティー(領主の城を中心とした市街とそれを取り巻く農地という形態が一般的だった)では王侯貴族やその配下の軍事担当の家臣団(武士階級)などのために家屋・家財の製造や武具の製造に携わる職人たちが一定の人口を占めるようになり、そうした小規模なコミュニティーでの商品経済が定着しつつあってそれに携わる商人も定住していたと考えられる。

   2.1.2.3. 商品経済の発展と商人資本家の登場

 こうして商品経済が発展して行く中で、共同体社会が大きくなれば、共同体内部での分業によるモノづくりの目的・手段連関の全体像すら見え難くなるのだから、他の社会におけるモノづくりの目的・手段連関などは、当然、見えない状態である。したがって、商品の交換が行われる際には、交換の対象となっているモノがどのようにして作られたかなどということは分からない。

 そのため、商人たちは無数の商品交換が繰り返される間に、市場での商品の売れ具合によって経験的直感的にどのくらいその商品の「価値」があるのかが把握できるようになり、それによって貨幣を媒介した商品の交換が行われるようになったと考えられる。これがのちに「交換価値」という概念を生み出すことになったと言えるだろう。

 そしてモノの本来の機能を果たす使用価値ではなく、その交換価値がモノの価値であるという倒錯したとらえ方がここから登場したと考えられる。 商人達はこのあらゆるモノを買うことの出来る貨幣をその交換価値の化身として万能の力をもつ神のように崇めるようになり、貨幣を所有し増やすことに命を賭けるようになって行ったのである。これが資本家の原型である。

 2.2. 資本主義社会の登場

 私たちの暮らしている現代の社会は19世紀イギリスでほぼその基本形を確立した産業資本主義社会の生産様式の上に築かれた社会の延長上にあるといってよいだろう。

 その資本主義的生産様式は一方で生産技術を中心としためざましい技術革新をもたらし、同時にその基礎となる科学的研究の成果をもたらした。それによって私たちの生活形態や社会のあり方がそれ以前と比較してどのように変わってきたかを見る必要があるだろう。そしてその中でどのようにして「デザイナー」という職能が生まれてきたのかを知ることによって、その職能の本質が見えてくるはずである。「存在の理由は発生の論理にある」からである。

  2.2.1. 「市民(ブルジョアジー)社会」の登場

 最初は異なる共同体社会間での交易から始まった商業はやがて高度に分業化した一つの社会内部にも浸透し、生産的労働に直接携わっておらず、支配的階級にも属していないにも拘わらず莫大な富の蓄財をした商人達が社会の経済的実権を握るようになると、そこから定着する商品と貨幣の流通の中で、安く仕入れて高く売ることで貨幣としての富があたかも「自己増殖する」かのように見える私的所有欲の対象として「資本」という怪物が社会全体の経済を支配する体制が生まれてくることになった。これが資本主義社会である。

 ヨーロッパ中世封建社会崩壊の過程で、商人資本家と結びついた王族とその配下の軍事力と航海術を持った人々が世界中に富を求めて繰り出し、新大陸やアフリカ、インドなどへの航路を切り拓き、その地で侵略行為を行い、現地の資源の略奪や人々への略奪行為などで確保した地域の先住民たちの奴隷労働による搾取を繰り返すことで、資本の「元本」ともいえる本源的蓄積を行ったのである。この間の事情はマルクス「資本論」の「本源的蓄積」の章に詳しく描かれている。

 こうして商人資本家たちによる商品経済の発展が世界規模での社会間交流をも発展させて行ったと考えられる。それにより蓄財した商人資本家たちはやがてその富を武器として既得権階級であった封建貴族や王族に対抗する「ブルジョアジー(市民)」階級として私的所有の「自由・平等」を旗印に16〜18世紀西ヨーロッパでまず経済的な支配権を確立し、やがて19世紀には実質的に政治的な支配権も確立していったのである。

  2.2.2. 資本主義的モノづくり体制の確立

 その過程で、例えばイギリスでは自営農業耕作地が資本家たちに儲けの多い羊毛商品生産のための牧草地として買い取られるなどで多くの農民は、生産手段である土地を奪われ、生活のために資本家企業で労働者として働かざるを得なくなった。

 一方でモノづくりの世界では自立した職人の生産の場であるギルド工房が、経済的実権を握った商人たちによって支配されるようになったことで、ギルド工房は「売るための商品」を生産する目的で「合理化」され、再編された。

 モノづくり労働のプロセスは細分化・単純化され作業場内分業が進むとともに、作業ごとに特化された作業機が導入されて行き、いわゆるマニュファクチュア(工場制手工業)の時代となった。

 やがてそれら作業機全体を動かすための動力源として水力や蒸気力が導入され機械が作業場全体の同期をとって動くようになり、労働者たちは完全にその機械の従属物にされていった。

 やがて工場は大規模化され、そこに土地から引き離された元農民たちや生産手段を奪われて失業した職人たちが賃金労働者として大量に流れ込み、労働者階級が形成されていった。

 こうして資本家階級が労働者階級を支配する産業資本主義社会特有のモノづくり体制、つまり資本主義的生産様式が確立された。

 なお、この辺りの歴史的経緯についてはマルクス「資本論」第1巻第3編「絶対的剰余価値の生産」と第4篇「相対的剰余価値の生産」に詳しく述べられている。

  2.2.3. 資本主義的モノづくりの基本的な矛盾

   2.3.3.1. 階級社会としての資本主義社会の構造

 どのような社会においてもその社会に必要なモノを生産し、それをその社会の構成員が消費する仕組みが存在するが、資本主義社会では社会的生産と消費は流通場面での商品の交換を基礎にして成り立っている。 

 それは、「商品(W)」——「貨幣(G)」——「商品(W)」という過程を繰り返しある使用価値をもった商品と別の使用価値を持った商品が貨幣を媒介として交換され流通するが、資本家はこの同じ流通過程をG(貨幣資本)——W(商品資本)——G(貨幣資本)という面で捉え、貨幣を得るために商品を売り、その過程で資本を増殖する。 つまり資本家にとって商品の使用価値を生みだすことが第一義的目的なのではなく、商品の使用価値は、交換価値の媒介物としてのみ意味を持ち、第一義的目的は価値の増殖なのである。

 貨幣を持った資本家が、商品市場で機械設備や工場などモノづくりのために直接必要な手段つまり労働手段と原料や補助材料などを含めた「生産手段」を購入し、その生産手段を用いて商品を作るために必要な労働力を「労働力商品」として労働市場で購入し、それを生産過程で生産手段と結合させ、労働させることによって商品として売るための生産物を作り出すのである。

 自分の労働力を資本家に売り渡し、資本家のために労働した労働者は、その労働力を日々の生活において養い再び労働力として再生産できるために必要な生活消費財の価値に相当する貨幣つまり労働賃金を受け取る。

 その過程で如何にして価値の増殖がなされるのであろうか?

 その秘密は、G——W——Gの中身を見れば分かる。それはG——W---P---W’——G’という形になっており、ここでW’ > Wとなっていることが分かる。つまり資本家は生産手段と労働力という商品を買って労働者に自分のために労働させる、つまり生産資本として機能させる過程で、それらの生産資本の価値より多くの価値を持った商品を手にするのである。したがってこのW---P---W’ の過程で何が行われているかが問題である。

 このP(生産資本)は生産手段と労働力という商品で形成されており、その労働によってモノを作らせる過程で労働者の賃金分に相当する価値を超えた価値(剰余価値)を生むまで彼らを働かせ、剰余価値部分も含めた彼らの労働の成果である生産物を、資本家自身の所有物として手にするのである。価値は人間の労働が生みだすものであり、例えば、労働者が日々6時間労働すれば、自分の生活に必要な消費財分の価値を生みだすことができるとしても、実際には例えば12時間働かされて、その倍の価値を生産物に対象化している。言い換えれば、資本家にとって、労働力という商品は、それ自身の価値以上の価値を生みだすという「使用価値」を持った商品なのである。

 この生活消費財価値の形成に必要な労働時間を超えて働くことで生みだされた剰余価値部分が生産物には含まれている。生産物にはどこにもこの必要労働時間と剰余労働時間の区別は書き込まれていないので、これを商品として市場に出して売ることでたとえ「等価交換」のように見えてもこの剰余価値部分から得る価値は無償で資本家の獲得する利潤となるのである。

 資本家は、これを以て再び新たな生産手段と労働力を購入する資金を得ることができるともに、自分の生活手段もその一部で買うことができる。

 一方労働者の側から見れば、彼らが生きるために必要とする生活資料商品も自分たちや別の労働部門で同じ様な立場のもとで働く労働者たちによって作り出されたモノである。

 労働者はもらった賃金によって本当は自分たちの労働が生みだした生産物(つまり社会的生産の目的となるべきモノ)である生活手段を資本家の商品として買い戻すことでそれを消費して生活しなければならないが、それによってその生活手段商品と引き替えに労働者が支払った貨幣は再び資本家の手に環流する。労働者は生活に必要な商品をその使用価値において買い、消費するが、その過程ですでに賃金として受け取った貨幣は「増殖された価値」として資本家の手に環流するのである。労働者はその賃金で買った生活手段を生活の中で労働力を維持するために消費し尽くすが、彼らの手元には最初から剰余価値の成果はなく、再び自分の労働力を生産手段の所有者である資本家に売り渡すことでしか生きて行けないのである。

 こうして「富の私有の自由と商品売買の自由」という名の下に、一方でつねに資本を持ち続け、それによって自分の利潤を増やしていける資本家階級と、つねに資本家に雇われて労働力を資本家に捧げることで生活を維持して行かねばならない労働者階級という基本的に二つのクラスの人間集団によって、社会的なモノづくり(生産)とその消費が、本来の目的と手段を逆転させた関係のもとで繰り返されるようになり、それがあたかも資本を所有し提供する人々と労働力を提供しモノづくりを行う人々という2大分業体制によって成り立つ社会の様に見せているのが資本主義社会の姿なのである。

   2.2.3.2. 資本家的「自由競争」が社会を支配する

 モノづくりの本来の目的と手段の関係が「売るためにつくる」という形で逆転することになった資本主義生産様式では、資本家企業内で行われるモノづくりのシステムは、その目的と手段の連関がきわめて合理的・計画的に構築され分業化されるが、それはあくまで、できうる限り合理的に多くの利潤を得るためという単純な目的においてである。

 一方で商品は市場での「自由な競争関係」を通して社会的に流通販売されることで市場価格が決まるために、規制や束縛のない自由な競争を維持することが要求され、市場では「自由」であるとともに誰にもコントロールされない「無政府的状態」であることが原則となっている。

 その結果、市場は個々の資本家たちの本来アンコントローラブルな欲求が、その合成力として市場全体において生み出す「需要供給の法則」、いわゆる「市場原理」によって逆にコントロールされることになるのである。そして、彼らのこうした「自由」を可能にするために労働者の労働力も賃金さえ払えば「自由」にこき使えるのである。

 つねに競争にさらされる資本家の立場からすれば、いかにして同じ労働時間であっても生産量を増やし生産物1個当たりの相対的な剰余価値部分を増やし、それをもって市場での価格競争に勝ちながら、利潤を最大限獲得できるかが大きな目標となり、そのためにできるだけ生産性を高め短い時間で多くの商品を生み出すための生産手段の改良や合理的仕組みを考える。

 そのためこの相対的剰余価値の増大を目指して資本主義生産様式はその技術的生産力が著しく高められたが、その「合理化」は決して労働時間を短縮し労働者の労働を軽減するためではなく、相変わらずできうる限り最大限の剰余価値をもたらすために過酷な長時間労働や労働内容の強化が違った形で維持され、でき得る限り多くの利潤を得るという逆転した資本家のモノづくりにおける目的意識がつねに貫かれてゆくのである。

 このことが資本主義生産様式特有の分業形態や労働形態によるモノづくりの特徴をもっとも顕著な形で顕在化させていくことになり、この体制が基礎となってその上に築かれるさまざまな輸送、流通、販売などの分野でのさまざまな分業種の登場によって構成された生産・流通様式とその上に築かれた生活様式が「近代文明社会」といわれる歴史的に特有な社会形態の基盤を構成しているのである。

   2.2.3.3. モノがヒトを支配する社会

 資本主義社会の特徴は、社会的な生活に必要なさまざまな生産物を全て商品として生み出すと同時に、それを生み出すための労働を行う労働者の労働力をも商品として扱うまでに徹底した商品経済社会だということができる。

 このような社会にあっては、「労働力商品」の価値は、労働者がその日の労働で消耗支出した自分の生命力を、再び翌日の労働のために必要な労働力として再生産する(養う)ために必要な生活資料(商品)の価値で表されることとなる。

 労働そのものは価値を生み出す実体ではあるが、価値ではない。「生きた労働」が労働過程で支出され、その結果「死んだ労働」あるいは「過去の労働」となって生産物に対象化されることによって初めてそこに価値が生みだされるのであって、価値が価値を生み出すことはできないのである。

 つまり、価値を生み出す源である生きた人間の労働力がモノ(必要生活資料)の価値として扱われるという矛盾(言い換えればモノを生み出す労働力が生み出された結果としてのモノに支配される)によって成立する社会が資本主義社会なのである。

 そこでは、必然的に人間が生み出した「道具」が逆に人間を支配するという事態を生み出す。例えば大量生産工場のでは機械に人間が従属し、単純労働という形であたかも労働者が機械の奴隷の様に働かされる。

 また最近の頭脳労働者は、コンピュータやネットワークによって作り出された世界に支配され、その下で働かされる奴隷のような状態となる。したがって労働は食うためにやむなく行わねばならない、つらくストレスフルな「業」として捉えられ、そこから逃れることが「自由時間」とされるようになる。

 しかしそれが「賃金奴隷」として見えないのは、そうした労働を行う労働者が生活の中で賃金によって買う商品が、さまざまな「おもしろさ」や「楽しさ」を提供してくれるように出来ているので、あたかも日々の厳しい労働はそうした個人の消費生活において「自由」を確保させるための手段であるかのように見えるからである。 

 また最近では「シンギュラリティ」として話題になっているように、人間が生み出した頭脳労働の延長としての人工知能の技術があたかも将来人間からすべての頭脳労働を奪ってしまい、人類はAI に支配されてしまうという恐怖やその反対に労働はAIに任せて人間は遊んで暮らせば良い、などという資本主義的疎外労働から生みだされる特有な倒錯した意識をも生み出すことにもなるのである。

 2.3. 資本主義的分業形態の発展とモノづくり労働の変質

 そこで資本主義生産様式の確立によってモノづくり労働の内容がどのような形態に変化し、変質していったかについて見ることにしよう。

  2.3.1.「産業革命」による資本主義的分業体制の登場

 中世的ギルドにおける、親方と職人たちの協働体では、特定の生産物ごとに独立した分業の形(例えば靴工房、縫製工房、陶器製造工房など)を取りながら、工房内部では、作業の分担は別れていたが一人一人の職人が一通りすべての仕事を経験してそれらに精通してから、一人前の職人として自立しそれぞれに適した役割が振り当てられ、その中でもっとも優れた職人は職人たちを統括し、そこで作り出されるモノの全体像を考えるマイスター(親方)となった。

 しかしやがて商人資本家たちが、交易や商売の目的で、自分が売りたいモノを、職人工房を使って作らせるようになると、カネを払って作らせることによる工房の支配権を握った彼らが、生産効率を目的にした作業の細分化と並列化を進めだし、マイスターと職人たちの関係によるギルド協働体の倫理と秩序は崩壊し初めた。

 それとともに売ることを目的とした資本家の目的意識が支配的となり、職人たちが持っていた「技」の衰退とそれへの職人の誇りは失われ、同時に作られモノの品質への責任感も失せていった。

 ギルド的協働体が破壊され、生産様式が細分化された労働に作業機を導入した工場内分業にもとづくマニュファクチュアとなり、やがてそれらの作業機全体を同期させて動く原動機(蒸気機関など)が導入された機械制大工業に移行すると、一つの生産物においてさえ、その生産目的を最後まで頭に入れつつ労働過程を担う人間がいなくなる。

 こうして自然発生的社会内分業とは別に資本主義生産様式特有の工場内分業が進み、モノづくりの全体像はますます見えなくなっていったのである。それはモノづくりの目的と手段関係が逆転し、モノの使用価値を生みだすという本来の目的意識が、売るために必要な手段としてのモノの使用価値という形に変質し、モノを生みだす過程がそのための効率を高めるために細分化され分断化(合理化)されていったのである。

 そのためモノづくりの目的意識が生産現場から離れ、それらを商人的立場で推進する資本家の頭の中にのみ存在するようになる。生産に携わる労働者達は単純労働を行う賃金労働者として雇われ、ただその支配人である資本家の意向に沿って機械に従属した手足のごとくものの断片を作るだけとなっていった。

 こうして「トータルなモノづくり能力(デザイン能力)」は職人から奪い取られ、職人の意識と技能をもって如何に優れたモノを作り出すかというクラフトマン・シップは完全に失われてしまったのである。

 しかし資本家は元来、使用価値ではなく交換価値を求めているので、モノづくりそのものへの興味はなく、何が作られようと儲かれば良いのであり、当然その経験もないから、あらかじめ作り出されるべきものの姿をしっかり描き出すことなどできるわけがない。そこで資本家は自分のために工場で生みだされる製品の全体像を自分に代わって考えてくれる人材を求めるようになったと考えられる。

 そのような状況は結果として新たな資本主義社会特有の社会的分業種を生みだしていくことになったのである。

  2.3.2. 生産手段の生産における設計技術者の登場

 ギルドの親方がいなくなったとはいえ、生活消費財はこれまで生活において用いられてきたモノを参考にすればそれと同等のモノをマニュファクチュア工場で効率よく作るのはそれほど難しくない。かつてのギルド親方的能力のある者が資本家に代わってそれを専門的に行うこともできたであろう。

 しかし、工場などで用いられる高度なメカニズムを必要とする生産機械類や増大する大量な物流の処理に必要な新たな運輸交通手段などの様にこれまで存在しなかった範疇のモノの生産においては、職人的経験や勘ではそれらの姿やメカニズムを描き出せないことは当然である。

 そこで、社会的に要請されたのが、それら機械などの新生産物の設計を行えるような知識と技術を持った頭脳労働者である。彼らは一定の物理工学的知識を身につけ、作り出されるべきモノ(主とし生産機械や運輸交通手段)のメカニズムや構造を物理的工学的知識によって描き出し、これを生産するために必要な方法やその姿をあらかじめ描き出す図面の作成などに専念する頭脳労働者として産業界に現れるべくして登場したのである。

   2.3.2.1. 設計技術者という職能の本質

 設計技術者という職能はもっぱら、つくり出されるモノの機能を実現させる機構・構造とその物理的条件を考案するという形で、物理的法則という客観的真理をある目的を達成するために適用するという行為(技術的実践)を行うモノづくリの普遍的側面を持つが、その「目的」そのものが最初から資本家の意図を代行するという形で外部から与えられその設計行為全体を支配しているのである。

 こうして設計技術者という頭脳労働者が、産業資本主義社会における分業の一形態として、あらかじめつくりだされるモノの機能と構造を含む全体像を考え、その製造過程での失敗のリスクを最小限におさえられることを確認するためにそれを図面やモデルなどに描き出し検討するといった頭脳労働を資本家に提供することが役割となり、一方で生産現場において、その設計図通りのモノをつくるために機械に従属させられ肉体的労働力を要求される単純労働者とは明確に分離・区別されていった。

 設計技術者は、一方の工場労働者に見られるような肉体労働の単純化とそこからの設計意図の疎外という矛盾を、生産物における資本家の意図の実現という形で対極的な位置において補うための労働として、言い換えれば産業資本主義的モノづくり労働の「疎外の両極」の一端として社会的に確立されたのである。

 設計技術者は、いうなれば資本家の要求する生産物全体に関する構想立案を、資本家の目的意識の代行者として具体化し実現する頭脳労働者であり、その結果に従属して資本家の手足として労働する生産現場の労働者と比べて、より資本家的意識に近い立場にあり、ある種の「エリート労働者」であるといえる。しかし設計技術者は形の上では単純労働者とは別格の存在であり、資本家から高給で雇われていたり、自立してその能力を資本家のために売っていた。

 彼らの労働の結果が、資本家の意図の実現としてそれ以後の生産物の製造工程や販売・流通過程、消費過程のすべてを大きく左右することになるからであり、同時に設計技術者になるためには高等教育が必要であり、その職能としての頭脳労働力を身につけるためにかかる高い教育養成費が、設計技術という労働力を資本家に売り渡す際に考慮されねばならなくなるのである。

 またその労働力は「誰でもできる単純労働」に比較して供給が限定された労働力であるため、労働市場において相対的に高い労働力の価格(賃金)を得ることができるのである。

 しかし、設計技術者の労働も、自分自身の主体的あるいは内発的意図とは無関係な資本家の意図に支配されており、そういう形での疎外労働なのである。だからその設計対象が大量殺人兵器であっても地球環境に大きな悪影響を与えるものであってもそれを設計者自身の判断によって止めるわけにはいかないのである。

 このことは、工場の単純労働者に比べて比較にならないほど大きな社会的影響力を有する立場であるにも拘わらず、その責任を自らの判断では処し得ない立場に置かれているということであり、彼らのほとんどはそれが資本主義的労働の疎外形態の所以であることを自覚しておらず、むしろ設計技術者自身の倫理の問題として捉えているのである。

   2.3.2.2. 設計技術者の分業形態

 設計技術者という職能の「発生の論理=存在の論理」は上記で述べた通りであるが、その職能の機能自体もさまざまな形で分業化されていくことになった。

 初期の生産機械の設計技術者は、ジェームス・ワットのように、当初、職人的技術を持った機械製造業者の中から生まれたものと思われるが、やがてアイサンバード・ブルネールに見られるような高度な工学的知識を駆使した技術者が登場するとともに、やがては最初から工学的教育をうけたエンジニアが専門の教育機関によって養成されるようになっていった。

 こうして生まれたエンジニアという職能の頭脳労働は、資本主義生産様式になくてはならない存在となり、やがてその頭脳労働の内容も設計対象が複雑化するにしたがって、設計対象の一部分(特定の機械要素など)の設計に特化された技術者と、モノ全体の形状設計を行う設計技術者、たとえば、船舶や鉄道車両、橋梁、兵器などの全体の構造や形状設計を担う設計技術者に階層化されていったと考えられる(例えば機構設計、機械要素設計など)。

 またこうした新たな分業種のうみだす設計内容を忠実にモノとして作っていくための労働の形態も新しい形の分業種として再構成されていったと考えられる(例えば旋盤工、ミーリング工などはかつてのマニュファクチュアには存在しなかった職能である)。

  2.3.3. 生活手段と生産手段にまたがる建築設計労働

 一方建築の分野では、日本における大工・棟梁といった職人たちによって引き継がれた住宅建築や神社・寺院建築などの分野において伝統的に設計建築技術の伝承が行われ、職人棟梁的立場の人々によってその構想を絵図面などで表現することが行われてきたと考えられる。古代ヨーロッパでは、ローマ時代のヴィトルビウスに見られるようにそれは当時最先端の工学的知識と美的表現が一体となった技術として伝承され理論化されさえしていた。

 このようなルーツを持つ建築設計においても産業革命頃から、生産現場・運輸などの分野、例えば工場や倉庫の建築、鉄道・橋梁建築などへの需要が高まり、そこに当時の先端的工学知識が集中された。その技術は当然従来の生活手段としての住居建築などにも大きな影響を与えた。

 こうして、近代になって建築・建設労働が大規模になり、それに対する高度な工学的知識が必要になると、建築設計分野でも分業化が必要となった(例えば外観設計、構造設計、家具什器類設計など)。

 しかし建築設計の場合は、上述の通り、もともと建築物といういわば生活資料として欠くべからざるモノの一つである住居であり、労働手段としての生産物である機械設計とは基本的に異なる立場から発している。

 また、産業革命後の工場建屋や倉庫の設計などの場合のように広い意味で労働手段の一部であってもそれは基本的に住居と同様に一品生産であり、産業革命の生み出した同じ製品を多数生み出す設計技術とは基本的に異なる性質をもった設計技術である。

 その生産機器の設計との違いは、長期に渡って使用する生活資料であるために居住者の感性に訴える傾向の強い形状や色彩の構想全体を行う立場(主として建築意匠設計)とエンジニアの知識を分担する立場(主として構造および工程設計)として建築特有の職能分担形態を生みだしていったと考えられる。

 また、建築物が工場で作られる部品によって組み立てられるようになり、産業革命的な合理主義が主流となっていくと、コルビュジエのように、「建築は住むための機械である」というとらえ方も出てくる。しかし、そこでも生産技術の合理性とは根本的に異なる生活手段のもつ必要条件としての人間の生理心理的要素の重要性が改めて認識されることにもなったのである。

  2.3.4. 資本主義的モノづくりがもたらす生活形態の変化

 富を所有する資本家が生産手段と労働力を購入し、「売るためにつくる」生産システムを構築し、直接モノをつくる労働者はそこに雇用され、自らの労働力を賃金と引き替えに資本家に売り渡すことで、資本家の工場で細分化され機械に従属した単純労働に従事しなければならないという体制が確立され、そこで行われる様になったモノづくりにおいては当然「モノづくりの倫理」や「クラフトマンシップ」が労働現場から失われ、作られるモノの姿は労働者ではなく資本家の意図が反映されたものとなった。一方では商品購買者でもある労働者にとって、生活ギリギリの賃金で購入できる生活資料商品は大量に工場から生みだされる安くて質の低いモノとならざるを得なかった。

 さらに機械の導入による労働手段の合理化により労働生産性が上がれば上がるほど、ますます労働の内容は空虚化し、少ない労働者で大量の生産物ができるようになるので労働者数が削減され、労働者はつねに失業の不安にさいなまれるようになった。

 だから産業資本主義の隆盛期には、機械こそが労働者を苦しめる元凶であるとして労働者階級による機械打ち壊し運動が起きたのである。そしてモリスの工芸運動も機械生産によるモノの質の低下に抗して始まったのである。

 しかし、確かに資本主義的生産の「合理化」は労働者の労働手段への従属という主客逆転を生じさせたが、少ない労働時間でより多くのモノを生み出せるという意味では普遍性があるともいえる。

 要は、それが資本に労働力を売り渡し、その支配下で「賃労働」という形の疎外された労働として行われる「合理化」なのか、そうでなく労働者自身が主人公である生産様式において行われる合理化であるのかであって、後者の場合は同じ労働過程の合理化でもその現象形態が資本主義生産様式とは全く異なった形になっていくであろうといえる。これについては第3部で論じることとする。

 こうした状況の中で、すべての生活消費財が商品として作られる社会が確立し、社会的に必要なモノづくりを行う人々は賃金労働者として資本家企業に雇用され資本家のために商品をつくる労働を行わねば生きて行けなくなり、雇用先を求めて都市に人口が集中し、労働者階級の多く住むスラム街が黒煙を吐く煙突の林立する工場地帯に近い場所に登場し、街には生活消費財を販売する商店が建ち並び、また資本家や医者、弁護士、地主、高給頭脳労働者などの上層階級の人々が住む郊外の高級住宅地や商店街が明確に労働者街と区分され、「貧困層」と「富裕層」の格差は目に見える形で鮮明となり、資本主義社会特有の近代的都市の原型が形づくられていったのである。

 2.4. 20世紀前半までの社会経済的変化とデザイン運動

 イギリスにおいてこのような資本主義的生産様式が確立したのはまさにウイリアム・モリスによるアーツアンドクラフツ運動が始まる直前の時期である。その後19世紀末から20世紀初頭にかけては近代工芸運動の歴史が続くのであるが、ここではその要点のみを筆者の視点から記すに留めることにする。

  2.4.1. 設計技術者と芸術家の乖離

 建築物や生活用具、に関してはそれまでの歴史の中ではモノづくりの作り手である職人のモノのあり方に対する自己表現の中に含まれており、そこには直感的・経験的に理解できる比較的簡単な物理的法則性(いわゆる「ナイーブ・フィジックス」)にもとづくモノの仕組みを考えることと同時に作り手自身の美意識やクラフトマン・シップという形で表現される倫理観の表現も行われていた。

 しかし資本主義生産様式の中で、中世社会の職人工房での手仕事においては統一されていたモノづくり労働の論理的思考と作り手の美意識および倫理的意識の表現が、資本主義的生産様式特有の頭脳労働として論理的思考の側面が労働手段の機能やメカニズムを考える設計技術者という分業種として特化され、生活手段としての生産物をつくる労働から切り離されてしまったと同時にその美的倫理的側面も失われてしまったのである。

 家具や生活調度品などの生活資料を生み出す労働は細分化された労働が機械を用いることによる工場生産が主流を成すようになったが、その生産物全体の形状などを考えるのは経験に基づけば設計技術者でなくともある程度は可能であり、美的表現が要求される場合は、従来の装飾芸術家などがそれに当たったと考えられる。しかしそこでは産業革命以前の職人的労働にあった生活用具としての機能と外観の統一された姿に表現される美や倫理性「用の美」は失われ、いわば「取って付けた様な」装飾となっていったと考えられる。その結果、工業製品として生み出された生活用具や建築物に、あとから装飾をくっつけるといった安易な形のデザインが大量に生み出されるようになっていったのである。

 一方でいわゆる「純粋芸術家」は、職人的モノづくりから切り離されて、「用の美