情報・史料学概説 情報技術発展史 その2...

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情報・史料学概説 情報技術発展史 その2 第1世代から「第5世代」、そして、現代へ. 2008 年度 林晋担当 ver2008/05/12. コンピュータの世代論. 1980 年代にコンピュータを5世代に分類するのが流行った。 第1世代 : 真空管 (CPU) ・ 水銀遅延線 ( 音を使うメモリ ) 第2世代:トランジスタ (CPU) ・ コアメモリ ( 磁気を使うメモリ ) 第3世代: IC (CPU) ・メモリも IC (ただし、第 3.5 世代?) IC: Integrated Circuit, トランジスタを集積 ( 密度を高めて一体化)したもの。 - PowerPoint PPT Presentation

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情報・史料学概説情報技術発展史 その2第1世代から「第5世代」、そして、現代へ

2008 年度林晋担当ver2008/05/12

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コンピュータの世代論 1980 年代にコンピュータを5世代に分類するのが

流行った。 第1世代 : 真空管 (CPU) ・水銀遅延線 ( 音を使うメモリ ) 第2世代:トランジスタ (CPU) ・コアメモリ ( 磁気を使うメモ

リ ) 第3世代: IC (CPU) ・メモリも IC (ただし、第 3.5 世代?)

IC: Integrated Circuit, トランジスタを集積 ( 密度を高めて一体化)したもの。 現在も同じ。つまり CPU 、メモリの基本は第3世代以後変化していない。

第4世代: MPU ( 一個の IC がコンピュータ本体 ) になる。 MPU: 今の PC の CPU, Intel Core 2 などのこと。

第5世代: 1982-1992 年に、未来の知的マシン「第5世代コンピュータ」を日本が作るとした、国家プロジェクトがあった。

世界的に流行るが、失敗。それから世代論が流行らなくなった? バブル景気 1986 年 12 月 -1991 年 2 月

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第1と第2世代 : UNIVAC, IBM 第1世代は ENIAC, EDVAC の時代の

コンピュータ。 UIVAC( 現 UNISYS)が最初に商業化。 IBM も参入。

第2世代までは、 UNIVAC が優位。 1955 年頃に逆転し、第2世代から第3世代で IBM の覇権が確立される。

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第3世代:メインフレームの時代 「メインフレームの時代」は、広い意味で

は第 1-3 世代、狭い意味では第 3 世代の時代のことを言う。

メイン・フレームを定義したといわれる IBM 360 が登場したのが 1963 年、このころから、 PC の時代に突入する 1980 年代までがメイン・フレームの最盛期。

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事務機としてのコンピュータ:Mauchly と Eckert のその後 ENIAC-EDVAC のプロジェクトは、電子技術

者と論理学者の対立、商業主義とアカデミズムの対立により崩壊したが、コンピュータを商品化したかった Mauchly と Eckert は、ペンシルバニア大学を去り、コンピュータを事務機にするための会社を設立する。

彼らのコンピュータの名前は UNIVAC  Universal Automatic Computer

その後、会社の名前にもなった。今の UNISYS 。 一時は、コンピュータの代名詞になった名前

であり、 IBM の好敵手だった。

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コンピュータ以前の office の情報化 コンピュータ以前にも、 OA (Office

Automation) は、あった。 UNIVAC が目指したのは、それをコンピュータで高速に実行できるようにすることだった。

UNIVAC, IBM の話をする前に、少し、それに触れる。

またまた、出てくる  Babbage と Babbage の経済学書!

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手形交換所  Clearing House Babbage が数表計算のために階差機関を作ろうとし

ていた 1820 年代には、事務所とは数名の事務員で運用するものだった。例:当時最大の生命保険会社 Equitable Society of London は 8 名の事務員が羽ペンと紙だけで仕事をしていた。

しかし、例外としてロンドンの手形交換所では、 de Prony 的なチーム計算で運営されていた。これを見た Babbage は、これが de Prony と同じ“頭脳労働の分業化”であることを認識したらしいという: Economy of Machinery and Manufacture Chapter 13 に London の Clearing House の記述があり、その合理性が分析されている。

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Hollerith Accounting machine( 会計機械 ) コンピュータ以前のオフィス自動化の花形

は、 accounting machine, tabulator などと呼ばれる、会計・統計用の機械だった。ただし、ほとんどアメリカ中心。

その嚆矢が、 IBM の創設者、 Herman Hollerith の、 Hollerith machine 。

会計機械 accounting machine, 統計機械、 tabulator とは、様々な情報の集計、分類などの統計計算を自動的に行うための機械。

会計機械の黎明期には、さまざまな機械や方式が工夫されたが1890年の米国国勢調査で、この機械が採用され、以後主流となる。

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会計機械からコンピュータへ 会計機械は、最初、特殊用途ごとに別の専用機械が

作られていた。後には、 ENIAC と同様、ケーブルの配線を変えるなどして、「汎用会計機」が作られる。

しかし、それはあくまで会計用の機械であり、後に、より汎用のコンピュータに置き換わる運命にあった。

最初の近代社会ともいえるアメリカ社会では、コンピュータ登場以前から、こういう機械が普及していた。これが UNIVAC 登場の下地となっていることに注意。

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最初の「会計・統計用」コンピュータ UNIVAC ペンシルバニア大学を飛び出した Mauchly と

Eckert は、 1946 年、彼らのコンピュータを、事務機として使うという構想を実現するため、 Electronic Control Company ECR を設立。

やがて、 ECR は、当時の事務機メーカの一つ、レミントン・ランドの計算機部門になる。

1951 年ころには、システムの開発は波に乗り始め、1953 年には UNIVAC で大統領選の趨勢を予想するというテレビでのデモンストレーションも行われる。これは米国大衆に強くアピールし、 UNIVAC はコンピュータの代名詞となる

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IBM の参入 これに危機感を持ったのが IBM 。 当時まだ統計機械メーカだった、 IBM はコ

ンピュータの開発を決意し、 701(1952), 702(1953), 605(1953) という三つのコンピュータの開発を開始する。

IBM の機械は、最初、 UNIVAC に対し、技術的な欠点が多く、 IBM が UNIVAC を超えたのは 1955 年だった。

IBM の制覇により時代は、 1960-70 年代の本当の意味でのメインフレームの時代に突入する。

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CPU に IC を採用。 一台のマシンでなく、小型機から大型機ま

での色々な機種からなるコンピュータの family 。

最大の特徴は Compatibility: family のどの機械でも、原則的に同じソフトが走り、同じ周辺機器が使える。

ソフトや I/O device ( プリンタ , display, keyboard,…) を family 全体で共有すれば、ソフト開発のコストなどを全体として低減できる。(すくなくともユーザーは。)

第3世代の代表的マシン:IBM System/360 (1963 年 )

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第4世代へ:  Intel 4004   個人用のコンピュータという意味の PC は、原理的に

はハードウェアの方式には関係ない。しかし、経済的理由などにより、その出現は、ひとつのチップにコンピュータの心臓部( CPU )が全部収まるマイクロプロセッサ (Microprocessor) の出現によって可能となった。

現在のPCの CPU Intel Core 2 などの先祖最初の microprocessor は  Intel 社 4004 。

その開発は日本の電卓メーカビジコンの依頼からはじまった。

ビジコンの技術者嶋正利が深くかかわったといわれており、嶋は、その業績で京都賞を受賞。しかし、 Eniac のときと同様、 Intel 関係者と嶋の話は対立している…。

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Alto system 1978 年頃 すべての PC, Workstation の直接の祖先。 Xerox 社の Palo Alto Research Center, 通称

Xerox PARC で開発。 Mouse, Bitmap display, Network と、現代的

PC のすべての要素を持っていた。当時の普通のコンピュータとは全然違った!

現在の Ethernet の原型となる Alto Aloha Network でつながっていた。

Xerox STAR 1981 Alto の商用版。高かった。遅かった。売れな

かった。

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IBM PC 1981 年。 IBM が PC 業界に参入する。ビジネス用としての PC 。

アーキテクチャを open にしたのも幸いして、爆発的に売れ、これが PC の defacto standard となる。(そして、現在も、その子孫が市場を 支配している。)

IBM/PC の OS として採用されたのが、 MS-DOS 。

作成は Microsoft 社にまかされた。これが 現在の Microsoft 社の繁栄の基礎となった。

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Apple と Macintosh 一方、 Apple 社は、 Alto に影響され、 Lisa

という PC を 1983 年に開発。現在の PC と同様、 Alto と、ほぼ同じ機能を備えていたが、1万ドルもして、かつ、遅かった。 Star と同じ運命を辿る。

その後、 1984 年に Macintosh を発表。一体型でディスプレイこそ小さかったが、 2,500 ドル ! しかも、十分早く、かつ、デザインがよかった。爆発的人気!ただし、 office の仕事には必ずしも向かなかった。

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Windows その後、 Microsoft 社は、 Macintosh 用のソフトウェア

の開発を通して、 Macintosh の技術を学び、 Windows OS を開発することとになる。

Apple 社はハードウェアとソフトウェア (OS等 ) の両方を自社で作ったが、 MS はソフトウェアに特化。ハードは多くの会社が作る IBM PC 仕様の計算機ならば、どれでも使える。 (IBM PC はアーキテクチャが open だったことに注意! Apple 社は closed の道をとった。 )

1995 年の Windows 95 くらいから Macintosh の優位は揺らぎ、やがて追い抜かれた。

Windows の first version Windows 1.0 は 1985 年 11 月発表。

そのころ日本では・・・

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日米貿易摩擦 日本経済が敗戦から立ち直り始めた 1950 年代半ば、日本の安い繊維製品がアメリカで問題となる。1枚1ドルの日本製ブラウスがスーパーマーケットで爆発的に売れ、アメリカの繊維業界が大恐慌をきたした。これが日米繊維摩擦の発端と言われる。

東京オリンピック( 1964 )も終わり、1970年代になると、日本からの安く優秀な製品による経済摩擦の主役は、鉄鋼・カラーテレビ、 80 年代には自動車・半導体・VTR、そしてスーパーコンピュータへと移っていく。

基礎研究ただ乗り論も盛んだった。「日本はアメリカが発明したアイデアを改善して安く売り自国では本質的に新しいものを発明していない。日本はアメリカの研究にただ乗りしている」という説で、1990年代ころまでは、日本国内でも常識だったが、日本からノーベル賞がドンドン出始めたころから、段々聞こえなくなった?

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第5世代コンピュータプロジェクト2007/10/28 の wikipedia 日本語版から 第五世代コンピュータ(だいごせだい - )とは , 通商産業省

(現経済産業省)が 1982 年に立ち上げた国家プロジェクトの開発目標である . 1992 年に終結し , 570億円を費やした .

1980 年代に 入り , 日本のコンピュータ産業は輸出も増え , 市場規模も 2兆円まで成長した . 従来 , 通産省は 1983 年ごろまで貿易自由化対策としてコンピュータ企業への 助成金を出していたが , 既にそのような直接的な助成金は意義を失っていた . また , 海外からも IBM互換機を輸出する日本に対して風当たりが強くなっていた 時期でもある( IBM産業スパイ事件が起きたのは 1982 年) . 林の注釈: IBM互換機。 IBM のメインフレーム用のソフトが

そのまま走るコンピュータ。後で詳しく説明。

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続き wikipedia そこで , 次は第四世代と言われていた時代に , あえて更に先

の第五世代コンピュータを開発するプロジェクトを立ち上げ , 日本の独自性を打ち出そうとした .

この検討が開始されたのが 1979 年である . 当時 , 電子技術総合研究所(現在の産業技術総合研究所)の淵一博らは述語論理によるプログラミングに強い関心を持っていた . 淵らは独創性を求めるこのプロジェクトを絶好の機会として働きかけ , 第五世代コンピュータの目標は「述語論理による推論を高速実行する並列推論マシンとそのオペレーティングシステムを構築する」というものになった .

当初の予定から 1 年延びた 1992 年 , プロジェクトは上記目標を達成して完了した .

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ところが…

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第5世代コンピュータプロジェクト2007/10/28 の wikipedia 英語版から The Fifth Generation Computer Systems project

(FGCS) was an initiative by Japan's Ministry of International Trade and Industry, begun in 1982, to create a "fifth generation computer" (see history of computing hardware) which was supposed to perform much calculation utilizing massive parallelism. It was to be the end result of a massive government/industry research project in Japan during the 1980s. It aimed to create an "epoch-making computer" with supercomputer-like performance and usable artificial intelligence capabilities.

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続き Another problem was that existing CPU performance

quickly pushed through the "obvious" barriers that everyone believed existed in the 1980s, and the value of parallel computing quickly dropped to the point where it is today used only in niche situations. Although a number of workstations of increasing capacity were designed and built over the project's lifespan, they generally found themselves soon outperformed by "off the shelf" units available commercially.

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続きの続き By any measure the project was an abject failure. At the end of the

ten year period they had burned through over 50 billion yen and the program was terminated without having met its goals. The workstations had no appeal in a market where single-CPU systems could outrun them, the software systems never worked, and the entire concept was then made obsolete by the internet.

Ironically, many of the approaches envisioned in the Fifth-Generation project, such as logic programming distributed over massive knowledgebases, are re-interpreted in current technologies. …. The Fifth-Generation project was aimed at solving a problem that is only now realized by the world at large.

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どちらが妥当? 日本語の Wikipedia と英語の

Wikipedia のどちらが「正しい」判断だろうか?

そもそも、この場合の「正しい」判断とは?

という、重く大きい問題を残して、説明は先に進む!

当時の時代背景ももう少し説明。23/04/21 24

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1970 年代の日本のコンピュータ産業 現在では , 日本のコンピュータ産業は , 世界的に言えばゲーム機以外では陰が薄い . 現在では , 日本のハードウェアが世界一だと思っている人はあまりいないだろう .

しかし , 日本のコンピュータが世界一の品質を持ち , あるいは , 直ぐにそうなり , Toyota の自動車のように , 世界の市場を席巻するのではないかと思われていた時期があった .

1970 年代 , 日本では富士通・日立 , NEC ・東芝 , 三菱・沖という電気電子メーカが , メインフレームを生産していた .

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Mighty MITI のコンピュータ政策 富士通・日立のように , “ ・” をつけてあるのは , 例えば,このケースの富士通と日立のグループのように , メーカがグループを作ってメインフレームを生産していたため .

このグループ作りは , 現在の経済産業省の前進である通商産業省 (通産省 , MITI) の指導によるものだった .  MITI は「傾斜生産」という政策など , 第2次世界大戦 後の日本の復興に大きな貢献があった .  

しかし , その「官民一体」のやり方(実際には「民」は嫌っていたという人も少なくない)は , 雪崩のように安い商品を輸出してくる日本に危機感をもった米国などから非難を浴びるようになった .  

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最盛期にはMighty MITI

と呼ばれていた

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IBM互換路線 コンピュータの場合 , 特に問題となったのが MITI

が推進した IBM互換路線 .   これは , 要するに今の中国がコピー商品を大量に安

く生産しているようなもので , 独自の設計は控え , IBM のメインフレームが発表されると , それを買ってきて分解し,同じ(ような)ものを安く作って売るということをしていた .

大きな理由はユーザが IBM コンピュータの資源を持っており , IBM のシェアを切り崩すには , それを使えるようにするしかなかったからといわれる .  今の Apple/Mac のようなもの .

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独自路線の模索 しかし , 現在は中国が「コピー商品」を非難されて

いるように , この路線は非難を浴びた . これに「危機感」を持った通産省の若手官僚たち

が , アメリカにないものを日本で作り出そうと考え始め,それが当時の第3世代を二つ飛び越えた第5世代コンピュータという発想を呼び,その思惑と , 日本人技術者渕一博が独自に構想していた従来にない「計算機アーキテクチャ」の研究計画が合流して FGCS/ICOT が生まれたとされる .

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1980 年代という時代:Japan As Number One! 1979 年 , Harvard 大学の Ezra F. Vogel

は , Japan As Number One: Lessons for America という本を出版し , 21 世紀が日本の世紀になると予言した .

当時 , ようやく敗戦の劣等感を克服しつつあった日本は , これを大歓迎した . そして , この「 Japan as Number One 」というフレーズは , 1987 年からのバブル経済で真実味を帯び , 1992年のバブル崩壊まで続くこととなる .

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歴史の必然 FGCS を構想した 第5世代コンピュータ研究所長の渕一博は , 哲学などを好み、技術も歴史観に基づいて考えられる、日本の技術者としては、珍しくスケールの大きい人物だった。

そして、渕は、その科学技術史観から、この「第5世代」へのプロセスを歴史の必然とみていた .

確かに世代論が , そのまま「進化」により伸張していくのだったら , 渕の予測は自然だし , 正しかっただろう .

しかし , 1980 年代とは , その世代論自体が「解消」していく時代だったのである .

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1980 年代という時代 1980 年代 , 特に 1985 年ころは , 様々な分野

で , それまでのパラダイムが崩れていく時代だった .

原因は , 林には , まだ良く分からない . ここでは現象としてのみ捉えてみる . そうすると前回・前々回で話したソフトウェア工学の B. Boehm や S. Kline の非線形モデルの話とこの話がオーバーラップすることがわかる .

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二つの線形モデル Linear model

科学 基礎研究 開発研究 設計 製造 販売

市場

Waterfall model

顧客 要求仕様 設計 実装(プログラミング) 検証(テスト) インストレーション(設置)

メンテナンス

顧客

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渕の線形思考 コンピュータが実行すべきことは述語論理あるいはその拡張で

記述できる.(形式的技法と同じ前提 .) その論理をベースにした Prolog という原語がある . 述語論理の実行は遅い.(数学の定理を計算機に証明させるこ

とと思えばよい .) Prolog の実行もあまり速くはない . しかし , 実験してみると , 想像するほど遅くもない .

それならば述語論理に適したハードウェアを作ればよい.それには並列計算が適しているし , 並列計算はそれに適してる . ( 当時 , 並列計算は花形 ! それに適しているという言語が数多く提案されていた .  殆どは渕のケースの Prolog のように数学理論ベース .)

これが実現すれば , AI, 自然言語処理などもうまくできるに違いない .

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Page 34: 情報・史料学概説 情報技術発展史 その2 第1世代から「第5世代」、そして、現代へ

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ところが…: Wikipedia History of Software Engineering 1945 to 1965: The origins

コンピュータという機械ができた。兎に角、がんばって、ソフトを作っとこう、という無手勝流の時代。

1965 to 1985: The software crisis どうもソフトがうまくできなくて困る。どうしよう?ソフトウェアを作るため

の工学や科学がないからだ!そういう工学・科学の体系を作ろう!という時代。

1985 to 1989: No silver bullet 数学見たいのとか、論理学みたいのとか、色々考えたけど、どうもうまくいか

ない。ソフト生産には、ばら色の科学技術はないみたいだ・・・、という時代。

1990 to 1999: Information Superhighway 2000 to Present: Lightweight Methodologies

数学のような重厚な理論や工学体系を作ろうとして失敗したが、軽くやると結構うまくいくぞ!、という時代。

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90 年代だけ異質

Page 35: 情報・史料学概説 情報技術発展史 その2 第1世代から「第5世代」、そして、現代へ

非線形システムとしての Web 「渕の線形思考」は , むしろ真っ当であるとさえいえる . しかし , 80 年代の SE を議論を , 全く違う土俵である Internet/Web による社会変化がかき消してしまったように , 渕の思考もかき消されてしまった .

Wikipedia と , 研究者から読者へ一方な情報の流れが起きる「線形」の既存辞書との対比 . またInternet/Web の動的ネットワークと Chain-link モデルの構造的類似性からわかるように , Internet/Web への流れも一種の非線形ターンであった .

これを象徴するような事実がある .

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Page 36: 情報・史料学概説 情報技術発展史 その2 第1世代から「第5世代」、そして、現代へ

続き The term fifth generation was intended to convey the system

as being a leap beyond existing machines. Computers using vacuum tubes were called the first generation; transistors and diodes, the second; ICs, the third; and those using microprocessors, the fourth. Whereas previous computer generations had focused on increasing the number of logic elements in a single CPU, the fifth generation, it was widely believed at the time, would instead turn to massive numbers of CPUs for added performance.  以前配った年表

Opinions about its outcome are divided: Either it was a complete disaster, or it was ahead of its time.

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早過ぎたという意味?

Page 37: 情報・史料学概説 情報技術発展史 その2 第1世代から「第5世代」、そして、現代へ

Terry Winograd, そして , Larry Page 渕に衝撃を与え結果として FGCS の種をまいたともいえるのが人工知能研究者 Winograd 。

その Winograd が、 1986 の Understanding Computers and Cognition: A New Foundation for Design  で , この「非線形ターン」を行った . 最近の , Shifting viewpoints: Artificial Intelligence and human-computer interaction, in Artificial Intelligence, 2006 では , これを  Rationalistic vs Design という標語で説明している .

そして , 現在の Web の状況を代表するともいえる Google の創設者  Larry Page は Winograd の学生であり、 Google の発想には Winograd の影響が見える .  

と書いた後で、 Winograd さん本人に聞いたら、自分たち二人ともが、シリコンバレーの精神に影響されているのだと思うとのことだった。

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真の第5世代? Network Information super highway つまり、 Internet ! NET でつながれた、 PC 群。 これこそが本当の「第5世代コンピュー

タ」だったのではないだろうか?

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Internet の歴史は? これは技術史として、凄く面白いけれど、省略! 詳細は情報・史料学非常勤講師の喜多千草先生の 『インターネットの思想史  』 青土社 , 2003 年を参照。

昨年の喜多先生の特殊講義のテーマがこれだった。 今年は違うみたいだが来年は?

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Web 1.0 から Web 2.0 へ? 最近では検索エンジンを中心として、 Web の世界

が第2段階 (Web 2.0, Web のバーション 2.0) に入ったという意見が定着した。

ということで、林のイントロは、ここで終わり。 第5世代、 Internet, Web など、すべて報告のテー

マとして面白いので、これをやりたい場合は、林にも相談して欲しい。特に第5世代は、林が昨年来、調べているのが、技術史的評価としては最初の試みだろう。これの史料が沢山ある。