金融経済システムの安定と効率化に向けて -...

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金融経済システムの安定と効率化に向けて ―マクロ・ポリシーミックスと金融市場の視点― 井上 哲也 *1 要  約 2007 年以降の世界的な金融経済危機は,リスクの集積に始まり,危機の顕在化を経て, その後の回復まで含めて,先進国における財政,実体経済,金融システムの相互連関の構 造を浮かび上がらせた。従って,将来を展望しても,各領域に関わる政策が個々に目標を 追求するのでなく,相互に連携しつつ運営することの重要性が示唆される。 もっとも,危機を経た金融経済の特徴である「低成長・低インフレ」―その背後には, 過剰な民間債務が形を変えた政府債務が調整途上にあり,経済資源の非効率配分の惧れが ある―の下で,裁量的な財政支出の余地は乏しく,「非伝統的金融政策」も限界を露呈し つつある。また,金融システムの安定を目指す政策である「マクロプルーデンス政策」が 金融機関の監督強化とともに推進される一方,金融システムがマクロ経済において果たす 経済資源の効率的配分については,「非伝統的金融政策」による副作用も含めて,必ずし も十全な役割を果たしているとは言えない。 先進国が金融経済の回復を目指す上での取組みとして,金融システムのマクロ的な安定 のための政策と金融システムを通じたマクロ的な経済資源の効率配分のための政策とをよ りバランス良く運営することが考えられる。そのためのオプションの一つは,中央銀行が 金融経済危機以降に関わっている二つの政策―前者の観点での「マクロプルーデンス政策」 と後者の観点での「信用緩和」―とを整合的な考え方の下で運営することである。一方, 中央銀行に対してマクロ政策の機能や役割が過度に集中することのないよう,長い目で見 てかつ一般的には,個別の金融機関に対する監督は監督当局,また,マクロの資源配分に 行政的に介入する政策は財政当局が主として専門的に携わる姿が展望される。 こうした模様替えを行うとしても政策当局同士のコミュニケーションは一段と重要であ るだけでなく,マクロの金融経済に関わる政策当局は,現状の枠組みの下でも連携しつつ 活用可能な手段を駆使することが求められている。 キーワード:金融危機,マクロプルーデンス,非伝統的金融政策,ポリシーミックス JEL Classification::E44, E58, E65 *1 株式会社野村総合研究所金融 IT イノベーション研究部長 本論文の作成に際しては,著者の主宰する「金融市場パネル」の合計 34 回に亘る会合での議論や,金融政 策とマクロ・プルーデンス政策を中心とする国内外の政策当局や実務家,研究者との継続的な意見交換の成 果を活用している。多数に亘るため個別の言及は控えるが,この場を借りて関係者の皆様に心より御礼を申 し上げたい。もちろん,本論文にありうるべき誤りは筆者に帰する。また,本論文は著者の個人的見解であり, 株式会社野村総合研究所ないし野村グループ,財務省ないし財務総合政策研究所の公式見解ではない。 - 7 - 〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 27 年第5号(通巻第 125 号)2015 年 10 月〉

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金融経済システムの安定と効率化に向けて ―マクロ・ポリシーミックスと金融市場の視点―

井上 哲也* 1

要  約 2007 年以降の世界的な金融経済危機は,リスクの集積に始まり,危機の顕在化を経て,その後の回復まで含めて,先進国における財政,実体経済,金融システムの相互連関の構造を浮かび上がらせた。従って,将来を展望しても,各領域に関わる政策が個々に目標を追求するのでなく,相互に連携しつつ運営することの重要性が示唆される。 もっとも,危機を経た金融経済の特徴である「低成長・低インフレ」―その背後には,過剰な民間債務が形を変えた政府債務が調整途上にあり,経済資源の非効率配分の惧れがある―の下で,裁量的な財政支出の余地は乏しく,「非伝統的金融政策」も限界を露呈しつつある。また,金融システムの安定を目指す政策である「マクロプルーデンス政策」が金融機関の監督強化とともに推進される一方,金融システムがマクロ経済において果たす経済資源の効率的配分については,「非伝統的金融政策」による副作用も含めて,必ずしも十全な役割を果たしているとは言えない。 先進国が金融経済の回復を目指す上での取組みとして,金融システムのマクロ的な安定のための政策と金融システムを通じたマクロ的な経済資源の効率配分のための政策とをよりバランス良く運営することが考えられる。そのためのオプションの一つは,中央銀行が金融経済危機以降に関わっている二つの政策―前者の観点での「マクロプルーデンス政策」と後者の観点での「信用緩和」―とを整合的な考え方の下で運営することである。一方,中央銀行に対してマクロ政策の機能や役割が過度に集中することのないよう,長い目で見てかつ一般的には,個別の金融機関に対する監督は監督当局,また,マクロの資源配分に行政的に介入する政策は財政当局が主として専門的に携わる姿が展望される。 こうした模様替えを行うとしても政策当局同士のコミュニケーションは一段と重要であるだけでなく,マクロの金融経済に関わる政策当局は,現状の枠組みの下でも連携しつつ活用可能な手段を駆使することが求められている。

 キーワード:金融危機,マクロプルーデンス,非伝統的金融政策,ポリシーミックス JEL Classification::E44, E58, E65

*1  株式会社野村総合研究所金融 IT イノベーション研究部長   本論文の作成に際しては,著者の主宰する「金融市場パネル」の合計 34 回に亘る会合での議論や,金融政

策とマクロ・プルーデンス政策を中心とする国内外の政策当局や実務家,研究者との継続的な意見交換の成果を活用している。多数に亘るため個別の言及は控えるが,この場を借りて関係者の皆様に心より御礼を申し上げたい。もちろん,本論文にありうるべき誤りは筆者に帰する。また,本論文は著者の個人的見解であり,株式会社野村総合研究所ないし野村グループ,財務省ないし財務総合政策研究所の公式見解ではない。

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〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 27 年第5号(通巻第 125 号)2015 年 10 月〉

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Ⅰ.基本的な問題意識

Ⅰ-1.ポリシーミックスの視点 本論文は,2007 年以降の世界的な金融経済危機後の先進国において,金融経済の安定と効率をバランスよく達成するには,マクロ的な視点や効果を持つ様々な政策を相互に連携させつつ運営すること(ポリシーミックス)が重要になっていることについて,政策論の立場から議論する。具体的な議論に進む前に,その背景を整理しておきたい。 第一に,世界的な金融経済危機の原因については,それ以前の過度に緩和的な金融政策だけでなく,規律の低下した財政政策や不適切な金融監督に帰するべき要素も関係していたことが明らかになっている。こうした見方は,後から見ると合理化の難しいほどの過剰な投資や消費,資産価格の高騰やリスクプレミアムの消失などが「バブル」期に見出されることと整合的である。つまり,中央銀行がリスクテイクに好適な政策運営を行ったことは否定できないとしても,それだけで多様な経済主体が「踊らされ続けた」と理解するのでなく,マクロ的な視点や効果を持つ様々な政策が「同じトーンの音楽」を奏で続けたゆえに,実現した金融環境の継続に対する強い「確信」の下で,多様な経済主体

が「踊り続けた」と理解する方が適切である。 第二に,「バブル」が崩壊し危機の局面に入ると,金融経済の主たる領域が悪循環を生ずるため,これを断ち切るために様々なマクロ政策を連携しつつ運営することが不可欠になる。筆者が「悪魔のトライアングル」とよぶ悪循環(図表 1)は,資産価格の大幅な調整に伴う家計や企業の純資産価値の毀損が,これらに与信を持つ金融セクターに不良債権を生じさせ,政府によるその救済に伴う負担が財政状況を悪化させる循環と,税収の減少によって一層悪化した財政状況が,ソブリンリスクの上昇を通じて金融セクターを不安定化し,結果として生ずる信用仲介機能の低下によって,家計や企業の経済活動を阻害する循環が同時に生ずる状況である。財政政策や金融政策だけを発動しても悪循環を止めることが難しい点は,危機後に実際に採用された政策の効果から明らかである。 第三に,その後今日に至る中で先進国に共通して観測される「低成長・低インフレ」(図表 2)に対応する上でも,様々な視点や効果をもつマクロ政策の連携が重要であることが明らかになりつつある。つまり,先進国の金融経済面の特徴を辿ると,ネットの資本形成が顕著に鈍化し

図表 1 「悪魔のトライアングル」

(資料) 著者

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ており,背景の一つとして経済資源(資本ないし労働)の過剰(excess)が調整されずに残存している可能性が浮かび上がる1)。これらが非効率な生産を通じて潜在成長率と要素価格を押し下げるだけでなく,過剰競争を通じて企業の価格決定力を低下させ,結果として産出価格を低位に推移させている可能性である2)。従って,マクロの金融経済に対しては,危機の再現を防ぐための政策とともに,マクロ的な資源配分の効率化を促す政策の実施が求められる。

Ⅰ-2.市場への着目 本論文でマクロ政策の連携を考える上では,2007 年以降の金融経済危機によって顕著な影響を受けた米欧に焦点を当て,危機から今日に至る展開と実際の政策を議論のベースとして活用する。これらの事実には,マクロ政策当局が今後も念頭に置くべき要素―フローの金融経済活動と比べたストックとしての資産のウエイトの上昇,低成長と低インフレ,金融経済活動のグローバル化など―が含まれている。また,この間における政策の実践を通じて,「マクロプルーデンス政策」に関する議論と導入の点で進捗がみられる。

 また,検討の際にはマクロ的な視点から金融市場に注目する。今回の危機は金融市場が震源地となったのみならず,多くの部分が金融市場―国内市場だけでなく,国際金融市場を含む―を通じて波及した。加えて,米欧当局が採用した政策の多くは,「信用緩和」のように金融市場の機能を代替しあるいは回復を促すものであった。さらに,その後の政策課題の一つが,マクロ的に効率的な資源配分であるとすれば,それは金融市場を通じて実現される。 なお,過去の実例に基づく議論を行う場合は,特殊なケースを安易に普遍化したり,特殊な課題への対処だけを念頭に議論したりしないよう注意する必要がある。その意味で,世界的な金融経済危機後に金融規制や監督の見直しに際して意識された“Do not fight the last battle”という言葉には一定の普遍性がある。一方で,現在の先進国の金融経済には,2007 年以降の世界的な金融経済危機に関わった要素が消滅せず残存しているだけに,危機の再発を避けながらマクロの金融経済を再建するための議論においても,米欧のケースは引続き有用となりうる。

1 )例えば,米国ではいわゆる「secular stagnation」の中で触れられている(Summers(2014)など)。また,日本ではいわゆる「構造改革派」が強調する点である(吉川(2013)など)。

2 )寡占的な産業構造の下で価格決定力が失われると,需給の変化に対する企業の価格行動は非対称となり,価格が低位に安定しやすくなる。

図表 2 GDP 成長率(4 期 MA,前年比),CPI インフレ率(12 か月 MA,前年比)

(資料) 内閣府,総務省,BEA,BLS,Eurostat

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Ⅱ.ポリシーミックスの展開

Ⅱ-1.危機対策Ⅱ-1-1.米欧で生じた問題 2007 年以降の世界的な金融経済危機の際に米欧が直面した問題は「悪魔のトライアングル」に集約できる(前掲の図表 1)。つまり,広範な経済主体の純資産価値の毀損が金融セクターに不良債権を生じさせ,その救済に伴う負担が財政状況を悪化させる循環と,税収の減少も加わって悪化する財政状況がソブリンリスクを通じて金融セクターを不安定化し,結果として生ずる信用仲介の低下によって経済活動を阻害する循環が同時に生じた。 各頂点の問題に関わる政策当局―左から右に財政当局,金融当局,金融監督当局―を当てはめれば,このトライアングルは各当局の課題も示すことになる。実際,この図(前掲の図表 1)は,筆者の主宰する「金融市場パネル」3)の事務局資料として 2012 年に提出したが,多くの専門家によって類似の図表が使用された事実は,こうした悪循環と各政策当局の課題について,一定のコンセンサスが存在することを示唆する4)。もちろん,「悪魔のトライアングル」は,原理的には過去にも生じた可能性のある現象である5)が,2007 年以降の欧米に生じたケースでは悪循環の因果関係がより明確に顕在化しただけでなく,いくつか特徴的な要素を指摘できる。 第一に金融システムにおけるリスクテイクの相対的な規模が大きかった。全体のリスク・エ

クスポージャーの規模を正しく把握することは,いずれにしても容易でない。しかし,投資銀行のレバレッジやシャドー・バンキングを通じた与信量は規模の大きさを示唆する(図表 3)。もちろん,金融経済が時とともに成長し続けることを踏まえれば,重要なのは相対規模―リスクテイクが経済規模対比で過剰かどうか―である。そこで,例えば,バーゼル銀行監督委員会(BCBS)の下で合意された自己資本比率規制の一部である「カウンター・シクリカル・キャピタル・バッファー」を設定する際の参考指標―対 GDP でみた マクロのクレジット残高のトレンドからの乖離―をみても,ここでの推論に大きな問題がないことが確認できる(図表 4)。 第二に資産価格の変動が想定外の大きさとなった。米欧当局が実施した様々な検証は,過去の実績をベースとした確率モデルに基づくリスク管理が機能しなかったことを示している6)。結果的に米欧の実体経済は深刻な打撃を受けただけに,多くの金融資産の「本源的価値」も大きく低下したと考えられるが,同時に多くの市場で「ブラック・スワン」と呼ばれるほどの価格変動が生じたこととは必ずしも整合的でない。結局,多くの金融市場で,一方に偏ったポジションを短期間に圧縮しようとする動きとマーケット・メイクの停止が同時に生じ,裁定関係にある市場も同時に同じ問題に巻き込まれたことで,市場流動性が広範かつ顕著に毀損し

3 )野村総合研究所「金融市場パネル」の第 22 回会合(2012 年 7 月開催)に事務局資料として提出したものに含まれている(http://fis.nri.co.jp/~/media/Files/fmp/fmp/jp/fmp_22_chartf.pdf)。

4 )例えば,日本銀行の白川総裁(当時)の講演資料(白川(2012))を参照(http://www.boj.or.jp/announcements/press/koen_2012/data/ko120824a2.pdf)。

5 )日本に関しても,1990 年代末の金融危機に際して,不良資産処理に対する政府の直接・間接のサポートが財政状況の悪化に拍車をかけたことは否定できないし,ソブリンリスクが起点でないとしても,経済活動の低迷に伴う不良資産が信用仲介機能を低下させ,「貸し渋り」などを通じて経済活動を阻害するといった形で,悪循環の一端が生じていたと理解できる。

6 )例えば Senior Supervisors Group(2008)を参照。

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金融経済システムの安定と効率化に向けて―マクロ・ポリシーミックスと金融市場の視点―

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図表 3 グロスのシャドー・バンキングの内容別構成(百万ドル:フロー)

(資料) FRB図表 4 日米欧の民間負債の対 GDP 比(倍)

日本 米国

(資料) 日本銀行,内閣府,FRB,BEA,ECB,Eurostat

欧州

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たことを考慮に入れない限りは合理的な理解は難しい。

Ⅱ-1-2.米欧で取られた対応 2007 年以降の金融経済危機に際して米欧当局が講じた政策対応には次の特徴がある。

〈中央銀行による政策の多用〉 米欧とも中央銀行による政策を多用した。もちろん,危機の下で家計や企業,投資家が究極の「質への逃避(flight to quality)」としてキャッシュに対する需要を急速に高める局面では,中央銀行のみが「最後の貸し手(lender of last resort)」の役割を発揮できる。しかし実際は,こうした役割を終えた後に,中央銀行は大規模な「非伝統的金融政策」を実施した(図表 5)。 「非伝統的金融政策」は,中央銀行が政策金利の名目ゼロ制約を克服するために発動した多様な政策を包括的に指すが,2007 年以降に着目すると,信用仲介の機能を代替ないし回復させるための手段(「信用緩和」7))と,長期金利の抑制のための国債買入れ(「量的緩和」)の二つに集約される(図表 6)。「信用緩和」は,「量的緩和」のようなインパクトはないが,中央銀行の政策におけるイノベーションである。つまり,

これまでのように「最後の貸し手」のような狭義の危機対策を終えた後は,中央銀行は政策金利を通じた価格メカニズムを活用する政策に専念すべきという考え方でなく,米欧でも「信用緩和」が維持されたことの背後には8),金融システムが果たすべき経済資源のマクロ的な配分メカニズムが毀損しただけでなく,その修復に時間を要するという認識があったと理解できる9)。 「信用緩和」の内容については,米国では証券化市場の再活性化を目指す対策が中心となったのに対し,欧州では銀行貸出の再活性化を目指す政策が中心となった。こうした相違は第一義的には米欧間での金融システムの特性の差異を反映している。しかし,「信用緩和」は金融政策の波及メカニズムを再構築する狙いも持つことを考えれば,米欧間での政策手段の相違は,米欧間での金融政策の波及メカニズムの違いも同時に示している。 「信用緩和」は実際に市場機能の維持に効果を持った。米国では MBS 市場への介入によって MBS 利回りの対米国債スプレッドを縮小させ,モーゲージ市場の回復に寄与した(図表 7)。ユーロ圏では,欧州中央銀行(ECB)による数次に亘るカバードボンドの買入れが,銀行による資金調達圧力を軽減し,銀行貸出の減少を

7 )「信用緩和(credit easing)」の語を最初に使用したのは Bernanke(2009)である。8 )「信用緩和」は,狭義の危機対策としての「最後の貸し手」とは異なり,市場機能の回復や維持を目指す政

策である点を映じ,「最後のマーケット・メイカー(Market-maker of last resort)」と呼ばれることがある。9 )例えば,野村総合研究所「金融市場パネル」(第 20 回会合:2012 年 2 月)での雨宮(2012)の講演を参照。

図表 5 日米英欧の中央銀行の資産規模(対 GDP 比 %,2007 年 3 月を 100 とする指数)

(資料) 日本銀行,内閣府, FRB, BEA, ECB, Eurostat, BOE, ONS

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金融経済システムの安定と効率化に向けて―マクロ・ポリシーミックスと金融市場の視点―

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食い止めた(図表 8)。一方で,「信用緩和」の直接介入的な性格を反映して副作用も顕在化した。「信用緩和」を長期に維持すれば,リスクプレミアムの過度な縮小に象徴されるように価格メカニズムを毀損しうる。実際,米国ではMBS と国債の利回りの逆転現象が生じた訳であり,「信用緩和」が最も効果を発揮するのは,実は金融システムによるマクロ的な資源配分の機能が復活した後であるという不都合な事実も浮かび上がった。つまり,市場参加者のリスク選好が健全に戻った後にも「信用緩和」によってリスクプレミアムを一層圧縮すれば,最終的には過度なリスクテイクに道を拓くことになり

かねない10)訳である。 これに対し「量的緩和」は,先進国の金融システムで最大規模をもつ国債市場を対象としており,少なくとも当初は限界が強く意識されることはなかった11)。こうした下で,先進国の中央銀行が規模をアピールする政策へ移行した背景には,政策金利を活用する通常の金融政策に比べて効果を定量的に推計しにくいことに加え,①経済主体の期待を転換する12)には,量的規模に基づくインパクト(シグナリング効果)が重要であること,②政策の波及経路として資産価格(なかでも為替レート)が暗黙に意識されていること,といった点が関与している13)。

10)2014 年後半以降の FOMC 議事要旨における金融政策の「正常化」プロセスに関する議論をみると,超過準備を吸収する手段としてのリバースレポ(売り現先)について,FRB が事実上の金融仲介に関わり続けるべきではないという理由での慎重論がみられることが注目される。

11)日本国債(普通国債)の残高は 2014 年度末で約 780 兆円に達し,名目 GDP の約 160%の規模を有する。12)政策金利の名目ゼロ制約の下で,金利面から経済活動を刺激する効果を発揮するためには,金融市場や経

済主体のインフレ期待を高めることで,実質金利を引き下げる必要がある。

図表 6 先進国による「量的緩和」と「信用緩和」

(資料) 日本銀行,内閣府, FRB, BEA, ECB, Eurostat, BOE, ONS

期間 規模対 GDP 比(導入時)

QE2(FRB) Nov. 2010 to Jun. 2011 $800bil(incl. reinvestment of MBS)  6%

QE(BOE) Nov. 2009 to ??? £375bil 27%

LTRO(ECB) Dec. 2011 and Mar. 2012 € 1.02tn 11%

QE3(FRB) Oct. 2012 to Oct. 2014 $1,590bil 10%

量的・質的金融緩和(BOJ) Apr. 2013 to Dec. 2015 ??? ¥217tn 45%

QE(ECB) Oct. 2014 to Sep. 2016 € 1.2tn 12%

期間 規模

TALF(FRB) Mar. 2009 to Jun. 2010 $78bil

SLS(BOE) Aug. 2008 to Jan. 2009 £185bil

CBPP(ECB)Jul. 2009 to Jun. 2010Nov. 2011 to Oct. 2012Oct. 2014 to Jun. 2016

€ 600bn€ 160bn

(€ 75bn)

包括緩和(BOJ) Oct. 2010 to Mar. 2013 ¥24tn

TLTRO(BOJ) Sep. 2014 to Jun. 2016 (€ 212bil)

ABSPP(ECB) Nov. 2014 to Dec 2016? (€ 5bil)

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 「量的緩和」の効果については,米国で実証研究の成果が蓄積されつつある14)。これらの結果は,方向として総じてポジティブであるが,その程度にばらつきがある。また,三次に亘る「量的緩和」によって推計結果に違いがある分析も多く,長期金利の大幅な低下をもたらしたとする分析には,三次の緩和による効果の累計に言及しているものもある。また,「diminishing return」と揶揄されるように,「QE1」(2009

年 3 月~2010 年 6 月)が最も効果を発揮し,「QE3」(2012 年 9 月~2014 年 10 月)の効果は最小に止まったとの見方も強い。その理由としては,「量的緩和」が少なくとも部分的には「アナウンスメント効果」に依存することや,金融経済が改善し続けた中で政策に対する金融経済の「弾力性」が低下したとみられること,などが考えられる。加えて,金融危機直後で MBSの買入れにウエイトのあった「QE1」の場合は,

13)例えば,日本に関しては「量的・質的金融緩和」に関する黒田(2013)の説明を参照。14)Bernanke(2012b)(2013b)や Fischer(2015)に引用された多くの実証分析を参照。

図表 7 MBS と米国債(ともに 30 年債)の利回りとスプレッド(%, bp)

(資料) Thomson Reuters

図表 8 CBPP と銀行貸出金利(億ユーロ,%)

(資料) ECB

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金融経済システムの安定と効率化に向けて―マクロ・ポリシーミックスと金融市場の視点―

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「信用緩和」としての意味合いが強かったことに留意する必要がある。 「量的緩和」に対する慎重論の多くは,一定の効果を認めた上で副作用の方が大きい(ないし大きくなる)との懸念に基づく。米国では既に「QE3」も終了したが,実施中を含めて指摘された副作用は,①事実上の財政ファイナンスを通じて財政規律を低下させる,②金融システムを通じた経済資源のマクロ的な配分に歪みを生ずる,③中央銀行の資産を最終的に毀損し,米ドルに対する信認を低下させるといった点が中心であった15)。なお,市場の一部が意識する副作用としての「長期金利低下に伴う資産価格インフレへの懸念」は②に含まれる。 これらに共通するのは長い時間的視野である。しかも,米国では,二大政党の妥協によって財政赤字が漸減したほか,国内の原油生産の顕著な拡大と原油価格の下落によって経常収支赤字も圧縮されたという意味で,「双子の赤字」の改善が進む幸運も生じた(図表 9)。このため,「量的緩和」の慎重論者にとっては,上記の①や③が少なくとも短期的には説得力を失いつつある。その上,②も国債市場の取引量やスプレッドの動きといった変数をフォローすることは比較的容易である一方,究極的には潜在成長率のような長期の問題に関わっているだけに,客観的な決着をつけるには金融経済に関するデータの蓄積が必要となる。 欧州でも,イングランド銀行(BOE)が 2010年に「量的緩和」を開始したのに続き,ECBも 2015 年に実施に踏み切ったが,早くからコスト・ベネフィットを巡る議論が活発であった。ユーロ圏に特徴的なのは,GDP で約 1/4 を占めるドイツで財政ファイナンスに対する強いアレルギーが存在する点である。この点は,欧州中央銀行が危機対策として導入した「証券市場プログラム(SMP)」や「公開市場買入れ(OMT)」の時点から顕在化し,欧州中央銀行の根拠規定

である「リスボン条約」が国債の直接引受けや域内での財政移転を禁止していること(第 123条および第 125 条)に抵触するとして,ドイツ国内での憲法訴訟に発展した16)。 ユーロ圏での「量的緩和」に対する慎重論は,欧州債務危機後の「低成長・低インフレ」に対する ECB による政策対応に,結果的にはその導入順序の面で影響を与えた。すなわち ECBは,最初は 2014 年 6 月に「銀行貸出支援策」としての資金供給オペ(TLTRO)とカバードボンドや証券化商品の買入れを決定した後,同9 月に政策金利(預金ファシリティ金利)のマイナス化を決定,最後に 2015 年 1 月に「量的緩和」の実施を決めた訳である。 「量的緩和」に対する慎重論に対しては,ECB による政策の効果を毀損する惧れがあるという意味で,ユーロ圏の共通利益を顧みない「ドイツ単独主義」といった批判的も散見される。しかし,2012 年の欧州中央銀行による 1兆ユーロに及ぶ巨額の資金供給オペ(3 年物のLong-term refinancing operation〈LTRO〉)を機に域内の国債市場が安定に向かう下で,問題国における財政健全化は実際にペースダウンした(図表 10)ことを考えれば,慎重論にも一定の合理性がある。ECB による「量的緩和」の下でも,長期金利が抑制されるほどに,域内問題国の財政健全化に向けたインセンティブが低下するリスクが残ることは否定できない。

〈財政政策〉 大胆な金融政策の活用と対照的に,危機後の米欧は財政政策を限定的に運営している。ただし,政治的な要因もあって財政支出に歯止めのかかった米国に対し,「悪魔のトライアングル」の記憶が新しい下で,財政当局が財政赤字ないし政府債務を増やすことに慎重になっている欧州の状況はその背景の点で大きく異なる。一方で両者に共通する問題として,足元にかけての

15)こうした批判のポイントは Labonte(2014)に整理されている。16)この訴訟は,ドイツ憲法裁判所が欧州司法裁判所に意見を求め,2015 年 1 月に「リスボン条約」に反しな

いとの意見表明(ただし法的拘束力はない)を受けた後,現在はドイツ憲法裁判所での審理に戻っている。

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〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 27 年第5号(通巻第 125 号)2015 年 10 月〉

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低成長の定着が,税収の伸び悩みを通じて財政当局を自ら慎重にしている面もあろう。 米国で財政健全化が進捗したことは注目に値する。その背景については,ドイツにおける「財政ファイナンス・アレルギー」と同じように,共和党に象徴される「小さな政府」論が存在する政治風土に求める見方がある。実際,米国ではオバマ政権による医療保険改革(「オバマケ

ア」)などの施策に反対する共和党が,2011 年の夏にかけて政府債務上限の定常的な更新を拒否し17),財務省が連邦職員の年金基金への拠出を一時停止するなど異例の事態が生じた。しかも,調整を目指して設置された両党代表者による特別委員会も一部の減税措置の延長を除いて紛糾,2013 年 2 月の期限までに妥協策を成立させることができず,財政支出の強制削減―共

図表 10 ユーロ圏主要国のプライマリーバランスと債務残高(一般政府,対 GDP 比%)

(資料) 欧州委員会

図表 9 米国の双子の赤字(対 GDP%)

(資料) FRB

2006-2010 平均 2011 2012 2013 2014 2015F 2016F

ユーロ圏 -0.5 -1.2 -0.6 -0.1 0.1 0.4 0.6

ド イ ツ 1.0 1.6 2.4 2.2 2.2 2.0 1.9

フランス -1.9 -2.5 -2.3 -1.9 -2.1 -1.9 -1.8

イタリア 1.1 1.1 2.2 2.0 1.6 1.7 2.4

スペイン -2.5 -7.0 -7.4 -3.5 -2.3 -1.3 -0.5

2006-2010 平均 2011 2012 2013 2014 2015F 2016F

ユーロ圏 ─ 86.4 90.8 93.1 94.3 94.4 93.2

ド イ ツ 69.5 77.6 79.0 76.9 74.2 71.9 68.9

フランス 71.3 85.0 89.2 92.2 95.3 97.1 98.2

イタリア 106.5 116.4 122.2 127.9 131.9 133.0 131.9

スペイン 45.3 69.2 84.4 92.1 98.3 101.5 102.5

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金融経済システムの安定と効率化に向けて―マクロ・ポリシーミックスと金融市場の視点―

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和党にとって重要な国防関係費と民主党にとって重要な社会保障や公共事業の関係費が対象で,10 年間で合計 1 兆 2000 億ドルにも達する―が実際に発動された18)。 金融経済の面では,低成長の下で財政健全化に伴う負担(fiscal drag)を破綻なく吸収したことも注目される。特に 2012 年末から 2013 年にかけては,財政支出の強制削減だけでなく,2008 年に危機対策として導入された失業保険給付の期間延長措置の終了や所得課税の軽減措置の撤廃などが集中したため,金融市場では,

「財政の崖(fiscal cliff)」―直接的影響に加え,家計や企業の間での不安心理も含む―への懸念が強かった。しかし,実際は,2012 年の第 4四半期から 2013 年の第 1 四半期に影響もみられたものの,当初の懸念ほど尾を引くことはなかった。この間,FRB が「QE3」を実施していたことは事実であり,結果的には,財政緊縮と金融緩和というポリシーミックスの下で景気が維持された訳である。ただし,それが可能であったのは,そもそも米国の金融経済が欧州よりも早期に改善していたことによる面がある。 米国の経験は,「危機対策」の内容―手段としての適切さや規模―が,その後の回復期にも金融経済に影響を与えるという主張に繋がる。ただし,これを実証的に示すことは容易ではないし,「危機対策」をその後もずっと解除できず,結果としてモラルハザードを生ずるリスクもアプリオリには無視し得ない。また,資本市場のウエイトの高い金融システムと銀行中心の金融システムでは,最適な調整速度に違いがあるこ

とも考えられ,政策によって調整過程をどの程度促進しうるかもケース・バイ・ケースであろう。その理由の一つは,銀行中心の金融システムで信用仲介を回復させるには,銀行システムの自己資本増強が基本的な対策となるが,それが効果を持つには時間的ラグも大きいことである19)。それでも,米欧の政策当局は,今回の危機に基づく教訓として「早期で大規模な危機対策」が有効との理解を共有したように見える。 域内の一部国における財政問題が危機の契機となったユーロ圏では,危機対策が一段落した後に,財政規律の強化の枠組みが導入された。具体的には,ユーロ圏を維持する上でコアとなる従来の「安定成長協定」によるルール(単年度の財政赤字は GDP の 3%以内,財政債務をGDP の 60%以内にそれぞれ抑制)について,2011 年と 2013 年の 2 回に亘って遵守に向けた動きを促すよう,定義や考え方の明確化が図られた20)。また,2011 年には「European semester」と呼ばれる予算や財政計画の事前レビューの枠組みを整えたほか,2013 年にはこれを強化し,欧州委員会が各国の次年度予算案に意見表明を行うプロセスも導入した21)。これらの対応は,少なくとも当初は問題国政府による大胆な政府支出の削減を引き出した(図表 11)。 もっとも,2013 年後半には,ユーロ圏の経済成長が低迷する中で,ECB に「量的緩和」の実施を求める意見が強まるとともに,それだけで成長率を顕著に押し上げ,低インフレを脱却することは難しいとの理解に基づき,財政余力のある国に「柔軟な」財政政策を求める議論

17)2011 年夏には,S&P が米国政府の債務償還に対する影響を懸念し,米国債の格付を AAA から AA+に引下げる事態も生じた。

18)米国内では,妥協を導くことができなかった点について,大統領の権威とともに財務省の政治力に対する懸念を示す向きも少なくない。

19)例えば,公的資金によって金融機関の自己資本を増強しても,そのメリットを与信拡大に活かすかどうかは当該金融機関の判断によるからである(むしろ,市場性資産への投資により,短期的なリターンを目指すことも考えられる)。

20)2011 年には,①歳出伸び率の上限を潜在成長率との関係として規定したほか,②中期財政目標からの乖離限度およびこれに伴う罰則を明確化した。また,2013 年には,①構造的財政収支に規定を導入したほか,②債務上限を超えた場合の削減ペースを具体的に規定した。

21)例えば,次年度予算案が協定に重大に反する場合は,欧州委員会は当該国に対して改訂を要求することができる。

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〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 27 年第5号(通巻第 125 号)2015 年 10 月〉

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が目立つようになっている。同時に,問題国の間でも,財政健全化のペースをサステナブルなものへ減速させることで,実質的に「暗黙の財政支出」を発動し,「低成長・低インフレ」に

対応する動きもみられる。これらは,ECB による金融緩和に伴って問題国の国債利回りが顕著に低下し,問題国にとって財政健全化の切迫度が低下した中で生じた訳である。

Ⅲ.危機の予防

Ⅲ-1.平時のトライアングル 先進国の金融経済が回復に向かう状況となっても,財政,経済,金融システムの間には危機とは異なる形であるが相互関係が残存する。つまり,経済活動の回復に伴う税収増加によって財政は徐々に健全化しているとしても,危機から持ち越した債務負担というストックの問題は容易に解決しない。そこで,歳出の削減や税制の見直しなどを実施に移すと,いずれにせよ総需要の面から経済活動に下方のストレスが生ずる。まだ期待成長率が低い下で,企業や家計のリスク・アピタイトが減退するといった二次的効果が生じれば,金融システムによる信用創出も減少する。一方で,財政健全化を意図的に遅

延することが国債格付の低下を含むソブリンリスクの高まりを招けば,金融システムにもストレスが生じかねない。 このように,深刻度合いは低下したとしても,ストックの面を中心に「悪魔のトライアングル」と同じような構造が相応に残存する蓋然性が導かれる。従って,財政だけでなく実体経済や金融システムに関しても,「低成長・低インフレ」の下で政策の選択を誤るようであれば,程度はともかく悪循環が再現する可能性は排除できないことになる。 この間,次の危機を防ぐために米欧の政策当局は努力を重ねてきた。その多くは金融システムの安定の面でなされ,例えば,個々の金融機

図表 11 欧州問題国の財政健全化策

(資料) IMF,欧州委員会

国2010 年の財政状況

(GDP 比)財政健全化の目標 主な対策 2013 年の財政状況

ス ペ イ ン財政赤字:9.2%政府債務:60.1%

2011~2014 年で財政赤字を 7.1%pp 削減

VAT 引上げ,歳出削減(公務員給与,医療費補助,失業給付,各種補助金,公共投資など)

財政赤字:6.8%政府債務:92.1%

イ タ リ ア財政赤字:4.5%政府債務:119.0%

財政赤字を 2012 年までに3%以下,2014年までに均衡

歳出削減(地方政府移転,公務員給与,公共投資など),脱税の抑制

財政赤字:2.8%政府債務:127.9%

アイルランド財政赤字:32.4%政府債務:96.4%

財政赤字を 2015 年までに3%以下

民間銀行への資本注入終了,VAT引き上げ,歳出削減(公共投資,社会保障給付など),中期歳出上限の導入

財政赤字:5.7%政府債務:123.3%

ポ ル ト ガ ル財政赤字:9.1%政府債務:92.9%

財政赤字を 2013 年までに3%以下

公的企業の再編,歳出削減(医療費補助,公務員の年金・賃金,公務員教,公共投資など)

財政赤字:4.9%政府債務:128.0%

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金融経済システムの安定と効率化に向けて―マクロ・ポリシーミックスと金融市場の視点―

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関が容易に破綻しないよう,自己資本比率や流動性比率などに関する規制は強化されつつある。また,仮に破綻した場合も金融システム全体に影響が波及しないよう,デリバティブの取引所に対する集中や証拠金規制の強化,さらには破綻処理計画(いわゆる Living Will)の事前作成と当局による承認といった措置が導入されつつある。この結果,金融経済の内外で相応のショックが生じた場合も,トライアングルが金融システムで分断されるようになることが期待される。 これに対し,今日に至る間に財政状況に目立った改善がみられたのは米国であり,欧州の場合は財政で悪循環を断ち切るというより,財政を起点とするリスクも引続き意識されている。また,米欧の経済が低成長を続けているため 2007 年以前に比べてバッファーに乏しいとすれば,実体経済で悪循環を止めることも難しい。つまり,危機から今日に至る局面では,金融経済全体(財政―経済―金融システム)の安定が金融システムにむしろ依存を強めている構造が浮かび上がる。この点は,金融システムの安定を目指す「マクロプルーデンス政策」に対して近年注目が集まっていることとも整合的である。 「マクロプルーデンス政策」では,金融システムをマクロ的に捉えた場合の安定,つまり「システミック・リスクの顕在化」を予防することが意識されている。この点に関しては,2007年以降の世界的な金融経済の危機を経た上で,三つの特徴に注目したい。 第一の特徴は,「システミック・リスクの顕在化」を予防することは可能であり,予防する方が望ましいという考え方である。これは BISの White や Borio らが今回の危機前から提唱していた考え方として「BIS view」と呼ばれることがある22)。これと対照的な考え方は,「システミック・リスクの顕在化」を事前に防ぐこ

とには無理があり,当局は「バブル」の崩壊等によってシステミック・リスクが顕在化した場合には,直ちに大規模な「危機対策」を迅速に遂行することに専念すべきというものである。FRB の Greenspan 議長(当時)が代表的な論者であったこともあり,こちらは「FED view」と呼ばれる。 2007 年以降の世界的危機が米欧の金融経済に 深 刻 な 打 撃 を 与 え た だ け に,今 や「BIS view」がドミナントになったとの見方もあるが,政策当局の立場からは,実務上の優劣は必ずしも明確ではない。例えば,英国で近年に顕在化した住宅価格上昇をみても,それが過熱であるとして「マクロプルーデンス政策」で沈静化すべきかどうかについて,政策当局間での認識のギャップも含め,必ずしも明確な形で決着した訳ではない。つまり,システミック・リスクの蓄積途上で「芽を摘む」ことには実際には困難な面があり,それに挑戦するとしても,「第二次防衛線」として政策効果の明らかな「危機対策」をしっかり準備し,問題が顕在化したら迅速にこれらを実施に移すことで被害を最小限に抑えるのも,実務的には意味のある対応である。 「システミック・リスクの顕在化」の予防に関する第二の特徴としては,「マクロプルーデンス政策」以外の政策も有効であり,活用されていることが挙げられる。「マクロプルーデンス政策」では,金融システムを鳥瞰してリスクの集積を防止するとともに,問題が生じたプレーヤーが円滑に退出しうるようにしたり,大規模なプレーヤーが過度なリスクテイクに走らないようインセンティブを設定したりする対応が求められる。その上で,個々のプレーヤーのレベルで同方向のリスクが蓄積しないようにすることや,自己資本の充実等を通じて債務超過に陥る事態を防ぐといった対応も重要であるが,これらは「マクロプルーデンス政策」というより,むしろ監督当局による伝統的な金融機

22)このような主張の詳細は,例えば Borio(2003)を参照。「FED View」については,例えば Greenspan(2002)を参照。

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〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 27 年第5号(通巻第 125 号)2015 年 10 月〉

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関監督として行われてきた訳である。 ただし,個別の金融機関に対する監督の成果を「システミック・リスクの顕在化」を防ぐ目的に直接的に活用するためには課題も残る。例えば,オンサイトの検査は数年に一度というインターバルで行われるだけに,「システミック・リスク」が拡大する途上でその成果を活用できるかどうかは,アプリオリには不透明である。だからこそ,米欧の金融監督当局は,少なくとも大規模なプレーヤーに対しては,オンサイトの検査で徴求するのに近い内容のデータや情報を,頻度の高いオフサイトの検査でも収集できるよう対応を進めている。 政策当局が「システムミック・リスクの顕在化」の予防に注力する上では,第三の特徴として,米欧で「マクロプルーデンス政策」に責任を持つ当局を明確化する動きが進展したことが挙げられる。 先行した米国で最初に動因となったのは,監督当局の「gaps and overlaps」への反省である。つまり,金融の業態ごとに異なる監督当局が存在した一方,複数の監督当局に関わる金融ビジネスが成長した結果,既存の監督当局にカバーされない領域が生じたり,複数の監督当局がカバーするが主たる監督当局が明確でない領域が生じたりした。結果的には,監督の空白領域でシャドー・バンキングが成長したり,主たる監督当局が明確でなかった金融コングロマリット23)が破綻の危機に瀕し,システミック・リスクの面で大きな脅威になったりした訳である。 この問題に関する回答は,いわゆる「ドッド・フランク法」に基づき,監督当局の合議体である「Financial Stability Oversight Board(FSOC)」を新設し,「マクロプルーデンス政策」を付与するものであった。FSOC に特徴的な点として,中央銀行である連邦準備制度理事会(FRB)

のステータスが挙げられる。米国の場合,FRBは危機前から銀行持株会社と州法銀行に対する監督権限を有する監督当局でもあり,FSOC に参加したことは自然である。しかし,FSOC が「マクロプルーデンス政策」を実施する上で,FRB は他の監督当局と横一線でない機能を付与されている。具体的には,①金融システム上重要な金融機関として特に監視や監督を行う先(Systemically Important Financial Institutions〈Sifis〉)の選定を担う,②こうした先に対する破綻処理計画(Living will)の策定や破綻処理を連邦保険公社(FDIC)とともに担う,というものである。 一方で,FSOC の議長は財務長官が担い,事務局として金融安定調査局(Office of Financial Research〈OFR〉)が新設された。また,既存の監督当局の抜本的統合は見送られ,貯蓄貸付組合のような貯蓄金融機関の監督を担当していた Office of Thrift Supervision(OTS)のみが廃止され24),その役割が FDIC に引き継がれた。FSOC に関するこうした制度設計にも拘わらず,FRB は「マクロプルーデンス政策」の運営に関して,金融システムのモニターや調査分析,これらに基づく政策企画の面でも大きな役割を果たしているとみられる。もっとも,FDIC や OCC も,予てから個別の金融機関に対する監督情報を活用しつつマクロの視点による調査分析や政策企画を行っており,その意味で「マクロプルーデンス政策」を担い続けている。米国内では,OFR には人的ないし財務的なリソースの制約もあり,少なくともこれまで「マクロプルーデンス」政策において期待された役割を果たしていないとの指摘も聞かれる。 これに対し,欧州で「マクロプルーデンス政策」の責任部署を明確化する動因となったのは,域内国における業態ごとの監督当局の分断とい

23)米国では保険会社に対する監督権限が州政府に置かれていることもあり,AIG のような保険を中心とする金融コングロマリットの場合,関連する監督当局の数が 100 を超える事態も生じた。

24)OTS の廃止については,不正な金融取引などから消費者を保護することを目的とする当局であるConsumer Finance Protection Bureau(CFPB)を新設するためのスクラップ・アンド・ビルドという面もあろう。

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金融経済システムの安定と効率化に向けて―マクロ・ポリシーミックスと金融市場の視点―

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う問題だけでなく,地理的に分断されていた監督当局が連携して対応することの重要性に対する認識である。後者に関しては,危機の渦中で問題を生じた大手金融機関が欧州内の複数の国々でビジネスを展開していただけに,こうした先の問題に対応する上で関係国間の調整の難しさが顕在化した訳である25)。 そこで,ECB と域内中央銀行(NCBs)を中心 に 設 置 さ れ た ESRB(European Systemic Risk Board)が「マクロプルーデンス政策」の調整役とされ,「システミック・リスクの顕在化」に繋がる様々な問題を取り上げ,関係当局に対応を求める活動を行っている。ESRB はこうした活動の一環として,2012 年に欧州域内国に

対して「マクロプルーデンス政策」の遂行を担う当局を決定するように求めた26)。このことが各国内で「マクロプルーデンス政策」の体制を巡る議論を一層活性化し,責任部署の明確化に拍車をかけたことは事実である。 もっとも欧州では,地理的な要因に加えて行政機構上の複雑さもあって,「マクロプルーデンス政策」に関わる政策当局は多岐に亘る。欧州全体の「マクロプルーデンス政策」の基本的枠組みを企画し,各国共通の基盤となる「指令(directive)」を作成するのは欧州委員会であるが27),これをもとに各国の法制を整備する役割は,各国内の監督制度の違いによって監督当局が担う場合もあれば,中央銀行が担う場合も

25)そもそも,Lehman Brothers の破綻に際して欧州域内に散在していた関連会社の処理が問題になっただけでなく,Dexia のような欧州内の多国籍銀行の破綻処理も困難を極めたとされる。

26)ESRB による各国への recommendation は(図表 12)を参照。27)世界的危機後の自己資本比率規制の強化などとともに,「マクロプルーデンス政策」の手段やその発動にお

ける調整の枠組みなどについては,いわゆる「CRD IV」(Directive 2013/36/EU)に記載されている。

図表 12 ESRB による Recommendation(主なもの)

2011 年 11 月

・外貨貸出について─ 東欧や体制移行国の国内における外貨建て貸付(ユーロやスイスフラン)の為替リスクと流動性

リスクを取り上げ,各国当局に,金融機関のリスク認識の徹底,モニタリングの強化,金融機関のリスク管理の徹底等を求めた

2012 年1月

・各国当局のマクロ・プルーデンス製作に関するマンデート─ 政策目的,担当当局,同当局の役割と機能,透明性・説明責任,独立性等を明確にするよう求めた・金融機関の米ドル資金調達について─ 金融機関による米ドル資金の調達について,モニタリングの強化と金融機関に対する緊急措置の

徹底を求めた

2013 年2月

・MMF について─ MMF がストレスの結節とならないよう,時価評価や実績配当の徹底,流動性規制の導入,情報

公開の徹底等を求めた・金融機関の米ドル資金調達について─ 前回に続き,金融機関に対して,流動性リスク管理や流動性ポジションの情報開示等の徹底を求

めた

2013 年6月・マクロ・プルーデンス政策について─ 中間目標の設定と達成,政策手段の適切性の評価,これらの運営に関する戦略の策定等を求めた

2014 年6月

・カウンター・シクリカル・バッファーの設定に関するガイドライン─ クレジットの対 GDP 比の長期トレンドからの乖離をベースとしつつ,その他の定量的・定性的情

報を勘案すべきことや,リスクが高まった場合の迅速な導入とその際のコミュニケーションの重要性などを指摘した

(資料) ESRB

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〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 27 年第5号(通巻第 125 号)2015 年 10 月〉

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ある。また,ESRB においては事務局機能を果たす ECB や域内国の中央銀行(NCBs)のように中央銀行勢のウエイトが大きい一方,これ以外に監督当局の連携のための仕組みとして,業態別に三つの機関が「リスボン条約」に基づく形で新設された(European Banking Agency, European Security-Dealers Agency, European Insurance and Occupational Pension Agency)。 さらに状況を複雑にしたのは,ECB が 2014 年11 月から単一銀行監督制度(Single Supervisory Mechanism〈SSM〉)の中心を担うようになったことである。この結果,ユーロ圏の域内国における銀行監督当局は,政府当局であるか中央銀行であるかを問わず,ECB の下で実際の監督に当たることになった。さらに,欧州における金融システム上重要な金融機関(Sifis)とされた先のうちユーロ圏に本拠を置くものは,各国の監督当局の協力の下ではあるが ECB が直接に監督を行うことになった。一方で,欧州域内でもユーロ圏以外の国の銀行監督当局は,従来と同じく各国内の銀行を監督しつつ EBA を通じた連携を維持している。 ESRB の機能に関しては,設立当初は,米国の FSOC の場合と同様に課題が多いとの指摘も散見された。この点は,金融システムの監視やそれに基づく調査分析に一定の知見をもつはずの ECB が事務局として活動を支えていることを考えると興味深い。ただし,少なくとも危機―特に 2010 年末からの欧州債務危機も含む―の以前は,「マクロプルーデンス政策」との関係で重要となる市場や金融機関のデータ収集,こうした先とのコンタクトの面で,ECBは各国の中央銀行などを介した間接的活動に終始する面が多かった訳である。つまり,その後の危機や危機対策は,ECB のハンディキャップを軽減するプロセスでもあった。もっとも,

その後に ECB が SSM を通じて Sifis などの主要銀行に対する直接的監督を開始したことで,ESRB における ECB の役割は再び不透明になりつつある28)ように窺われる。

Ⅲ -2.ポリシーミックスの観点からみたポスト・クライシスの課題

 前節の議論からは,米欧の金融経済が回復に至る局面のマクロ政策についていくつかの課題が浮かび上がる。

〈政策の重心のシフト〉 金融経済の回復期には,これに先立つ危機からの脱却を目指して採用された「信用緩和」―金融システムの機能の回復または維持のための政策―が残存している蓋然性が高い。一方,危機の再現―つまり「システミック・リスクの顕在化」―を予防する政策である「マクロプルーデンス政策」も導入され始める。ただし,「マクロプルーデンス政策」の政策手段には,金融システムが過熱して初めて効果を表すもの29)もあるだけに,直ちに双方がコンフリクトを起こす訳ではない。 それでも,反対の効果を持ちうる政策が併存することは,政策効果(特にアナウンスメント効果)を減殺しあうだけでなく,政策当局と金融市場や幅広い経済主体とのコミュニケーションを難しくし,政策自体でなくても政策当局への信認を妨げるリスクがある。例えば,市場参加者が都合の良い情報に耳を傾け,そうでないものへ感度を下げがちであるとすれば,金融システムの安定が課題となった場合により強力な「マクロプルーデンス政策」が必要となる。 こうしたコンフリクトを回避する上では,残存する「信用緩和」の必要性を常にレビューし,適時適切に exit することが重要である。また,

28)ECB が「システミック・リスク」の顕在化に繋がる問題を把握した場合,参加者が極めて多く調整に時間を要する ESRB で議論を行い,その結果をもとに関係当局に働きかけるよりも,今や自らが直接的な監督権限を行使して Sifis の行動を是正する方が,直接的で効率的に所期の政策目的を達成しうることが考えられる。

29)例えば,金融機関のレバレッジや特定の取引の LTV,ICR などに一定の上限を設けたとしても,金融活動が過熱しない限りは binding にならない。

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金融経済システムの安定と効率化に向けて―マクロ・ポリシーミックスと金融市場の視点―

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危機の予防のための「マクロプルーデンス政策」の導入に過度に慎重になり,導入時期を不適切に遅延させることで,危機の予防に間に合わなくなったり,「バブル」を不適切な形で崩壊させたりしないよう注意することも重要である。 「信用緩和」から適時適切に exit することは,先立つ危機が深刻であるほど,経済活動の停滞感が強いほど,実際は容易ではなくなる。この点に関する処方箋としては,「信用緩和」を導入する時点で,政策当局と市場参加者の間でexit の条件を予め共有することが考えられる。そうでなく,「信用緩和」の exit を金融経済の推移に基づいて(state contingent に)判断しようとすれば,継続を正当化する反論に直面しやすい。金融経済が回復しつつあるとは言え不安定性が残ることを考えれば,exit のあり方に関するコンセンサスを事後的に形成するのは難しい。

〈ポリシーミックス〉 「信用緩和」と「マクロプルーデンス政策」の調整は時間方向に最適な政策の組み合わせを探る問題(vertical issue)であるが,伝統的なポリシーミックスとして,同時間での最適なマクロ政策の組み合わせを探る問題(horizontal issue)にも目を向ける必要がある。 金融経済の回復過程では,これに先立つ危機を通じて負担を増やした財政が「癒しの段階(healing process)」にあり,また,危機の記憶が新しい下で,危機の再来を防ぐ「マクロプルーデンス政策」の重要性が監督当局だけでなく市場参加者と共有されつつある。従って,金融経済の回復は金融政策に依存しがちになる。実際,米欧ともに中央銀行が大規模な「量的緩和」を展開してきた中で,財政支出は極力抑制され,グローバルな金融規制や監督の強化とともに「マクロプルーデンス政策」に関する枠組みが徐々に導入されてきた訳である。 財政健全化や金融システムの安定に高い優先順位が付されること自体には一定の合理性がある一方,少なくとも現時点では,大規模な金融

緩和による深刻な副作用は顕在化していない。それでも,金融政策のみによって金融経済の回復を目指すことには潜在的なコストもある。その中身としては大幅なインフレーションや財政規律の低下といった長期のリスクが挙げられる場合が多いが,最近は,資産買入れの持続性といった短期のリスクも関心を集めている。 「量的緩和」の限界が当初の想定よりも早くbinding になれば,「財政政策」や「マクロプルーデンス政策」とのポリシーミックスにも,無視し得ない repercussion を持ちうる。例えば,「量的緩和」が「買える時間」はさほど長くない以上,財政の健全化も金融システムの安定化も,より短期間に意味のある成果を挙げておくことが求められる可能性があろう。

〈中央銀行の機能の拡大〉 既に見たように,米欧では中央銀行の役割や機能が顕著に拡大している。「信用緩和」の多くは中央銀行が実施したし,「マクロプルーデンス政策」のなかでも,金融システムのリスクのサーベイランスや,これに基づく政策の企画などを中心に中央銀行の役割が拡大した。さらに,「量的緩和」として大規模な国債の買入れを行うことは,結果として資源配分に直接的に介入しているという意味で,実質的には財政政策の領域に入りつつある。 もっとも,こうした傾向への懸念も根強く存在し,その理由はいくつかの論点に分解できる。第一に,中央銀行による直接的な市場介入は望ましくないとの考え方である。こうした立場からは,「信用緩和」だけでなく,「量的緩和」も金融経済の安定に必要最小限に止めるべきであり,できるだけ早期に政策金利を軸とする金利メカニズムによる政策に回帰すべきことになる。第二に,中央銀行に過度に権限を集中すべきでないとの考え方である。こうした問題意識がより明確なのは欧州である。つまり,ECB は,新たに個別金融機関に対する監督権限を付与されるとともに,域内の問題国に対するサーベイランスを欧州委員会や IMF とともに担ってい

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〈財務省財務総合政策研究所「フィナンシャル・レビュー」平成 27 年第5号(通巻第 125 号)2015 年 10 月〉

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る(「Troika」)。これらは特定国の金融経済に相当に直接的な影響を与えうるだけに,政治的な批判の対象となりやすい30)。究極的には,選挙で選出されていない ECB 総裁が大きな権限を持つことは望ましくないという考え方である。もちろん,こうした考え方は米国にも観察される。例えば,新たな金融監督の枠組みを設計する際には,FRB に「マクロプルーデンス政策」の責務を単独で付与するどうか,あるいは,業態別の監督当局を整理した上でそれらの権限を FRB に付与するかどうか,といった点も論点となった。しかし,例えば FSOC の議長を財務長官とした判断には,欧州と同じく,「選挙で選出されていない」FRB に大きな権限を付与するのは不適切との主張が影響を与えたことが推察される31)。 中央銀行の役割や機能の拡大に対する慎重論―特に二番目の批判―は,中央銀行の政策に対する政治的関与と関連している。そもそも,金融政策に政治的な独立性が必要という議論の根幹は,①政治は選挙のサイクルに支配されやすく,短期間で効果を求めがちである,②経済や物価の安定を達成するには,景気サイクルを超える中長期の視野が必要である,というギャップにある。興味深いことに,米欧では,金融システムの安定も金融活動の循環的な変動を超える中長期の視野が求められるという理由で,「マクロプルーデンス政策」の担い手にもある種の独立性が必要との指摘が聞かれる。 中央銀行の政策運営に対する政治の介入をコントロールするには,中央銀行法など制度面での手当てが重要であるとともに,独立性の重要さについて金融市場や経済主体が理解を共有することが大切である。同時に,中央銀行が役割や機能を拡張するのであれば,あいまいになり

がちな「シナジー論」だけでなく,より客観的で合理性のある根拠を示すことが求められる。例えば,中央銀行が「信用緩和」を担うことも,単に資金供給オペとの親和性が高いといった効率性だけでなく,金融システムの機能回復を通じて金融政策の波及を強化するという意味で,中央銀行の本業の強化に繋がる意味合いを持つことを強調すべきであろう。

〈資源配分の手段としての財政政策〉 危機における「悪魔のトライアングル」だけでなく,その後の低成長に伴う税収の伸び悩みなどを背景に,財政状況は引続きストックの意味で芳しくないものになりがちである。これに対し米欧が実際に財政支出を慎重に運営しているにも拘わらず状況が好転しない理由を考えると,結局は,政府に蓄積された債務規模が余りに大きいという現実につきあたる(図表 13)。これをマクロの資金循環の視点で時間軸に沿って捉え直すと,「バブル」の中で企業や家計によるレバレッジ拡大とともに蓄積された民間負債が,危機対策や税負担の軽減,経済対策などを通じて,結果的に政府に移転されたと理解できる。その上で,拡大した政府債務が利払い負担によって発散しないようにするには中央銀行の大胆な金融緩和による低金利環境の維持が意味を持つことや,「量的緩和」によって大量の国債を買い入れることは,政府債務の安定の維持に対して結果として貢献していることも明らかである32)。 このような状況での財政健全化には微妙なバランスが求められる。まだまだ経済成長が低位に止まっているだけに,大幅な増税に踏み切れば経済活動に大きな負担を課す一方,財政健全化を著しく遅延させれば,やがてソブリンリス

30)2015 年 3 月の ECB の新社屋落成式典や 4 月の政策理事会後の記者会見で騒ぎを起こした activist も,行為自体はともかく,主張しようとした内容はここでの議論と相応の整合性を持っているように見える。

31)例えば,Yellen 議長による議会証言の際には,主として共和党の議員から FRB の権限の大きさに対する懸念が表明されることが多い。

32)マクロ的な視点から債務(debt)の蓄積や残存がその後の金融経済に与える影響に関しては,既に様々な場で議論されており,例えば 2014 年の BIS 年次総会に提示された Lo and Rogoff(2015)を参照のこと。

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金融経済システムの安定と効率化に向けて―マクロ・ポリシーミックスと金融市場の視点―

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図表 13-a 日米欧の主要部門別の純資産(兆円,10 億ドル,10 億ユーロ)

(資料) 日本銀行,内閣府,FRB,BEA,ECB,Eurostat

図表 13-b 日米欧の主要部門別の純資産(2000 年以降の累計:兆円,10 億ドル,10 億ユーロ)

(資料) 日本銀行,内閣府,FRB,BEA,ECB,Eurostat

日本 米国

欧州

米国日本

欧州

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クの増大が金融システムの安定を脅かす。しかも,政府が大きな債務を抱え続けることは,金融経済の資源配分に歪みを生ずるという別の重要なリスクを浮上させる。 政府に蓄積された債務は,民間投資家による国債保有によってファンディングされている。これは,実質的には民間貯蓄の大きな部分が政府によって投資されたり消費されたりしていることを意味する。しかし,金融経済危機の渦中で政府が投資したり消費したりすべき対象と,その後の回復期に投資や消費の対象となるべき対象が同一である保証はない。前者は深刻な影響を受けたため救済する必要のある領域かもしれない一方,後者は金融経済の回復にとってcrucial な領域であるかもしれない。 このような問題に対する普通の処方箋は,政府が金融経済の好転に即して財政支出の規模を縮小し,リスク・アピタイトの回復した民間投資家が新たな投資や消費を行うものである。つまり,危機の下で政府が民間の代りに民間資金を借りて投資や消費を行ったものを,フローの調整を通じて,民間部門が直接に投資や投資を行う姿に戻すことである。このようにフローを中心とする捉え方は,財政政策を巡る「クラウディングアウト」の議論とも整合的である。 しかし,今回のようにストックの意味で政府債務の規模が極めて大きい場合,こうしたアプローチへの依存も実際には難しくなる。なぜなら,こうした漸進的なアプローチで投資や消費をシフトしようとすると非常に長い時間を要することになる一方,政府が果たしてきた投資や消費の大きな役割を,短時間のうちに民間が肩代わりすることも現実的ではないからである33)。 政府が投資や消費の「代役」を大規模に果たし続けることがマクロ的な経済資源配分の歪みを生ずるリスクが高まった場合,財政政策に残された「Second best」のアプローチは,ストックとしての投資や消費の規模を大きく変えずに

内容を修正することである。これは,対民間の財政支出の規模には大きな変化がないという意味でストックの意味で「均衡財政政策」に当たる。フローに着目する立場からは均衡財政は金融経済に対する影響を持たないが,投資や消費の内容の変化が生ずる限り,金融経済の資源配分を変化させることで成長率に影響を及ぼしうるはずである。 もちろん,均衡財政のアプローチの場合も,政府がこれまでの投資や消費に替えて新たな投資や消費にシフトする際の選択をどう行うかは大きな課題である。価格メカニズムを尊重する原則に立てば,民間による投資や消費にパッシブに追随することが原則となろう。しかし現実には,民間による投資や消費が「バブル」を構成しつつあるかもしれず,政府として何らかのメルクマールが必要となろう。 時間をかけて均衡財政的なアプローチを採る下でも,投資や消費の役割を政府から民間に徐々にシフトする努力を続ける必要があることは言うまでもない。そうでなければ,我々は大きな政府債務を抱えたままで次の景気後退や危機に直面することになり,それがどのような事態を招くかを容易に想像しうる。そこまで厳しい事態に至らなくても,金融経済が回復していく時期にマクロ的な経済資源の配分における歪みを避けるには,均衡財政はあくまで Second best であって,究極的には政府による投資や消費の規模自体を縮小していく必要がある。 このように実際の対処には様々な難問も付きまとうが,それでも,金融経済が回復していく時期に政府が依然として投資や消費の上で大きな役割を維持することの副作用は決して小さくない。この点は,現在の先進国に共通する低成長に関して注目を集める「secular stagnation」の議論が,結局のところ過小投資や労働生産性の低迷に着目していることからも推察される。なぜなら,これらにとって非効率な経済資源の

33)中央銀行が「量的緩和」を実施している場合には,保有してきた国債を民間の金融機関や投資家に売り戻すことに該当する。

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配分は大きな説明力を持つからである。

Ⅳ.市場の役割とその議論

Ⅳ-1.危機の伝播 本稿の趣旨は,金融経済の回復期から将来に向かってポリシーミックスのあり方を展望することにあり,危機自体のメカニズムに関する詳細な分析はスコープ外にある。一方,この時期の政策運営は,政策当局が「危機の教訓」と理解する内容に影響を受ける。従って,今後の政策運営を考える上では,金融経済危機において生じたことをレビューすることにも意味がある。その際には金融市場に着目することが有用である。なぜなら,2007 年以降の世界的な金融経済危機では,これに先立つリスクの集積過程だけでなく,その後の「システミック・リスク」の顕在化とその伝播で金融市場が大きな役割を果たしたからである。こうした視点からみると,今回の危機の特徴は次の点に整理される。

〈リスクテイクのインセンティブ〉 金融システムでリスク・エクスポージャーが集積される上では,まず,金融環境が緩和的に維持されることが重要である。2000 年代前半において,この点が大きな影響を持ったという理解には異論も少ないであろう。ただ,冒頭に述べたように,緩和的な金融環境も米欧の金融政策が緩和気味に維持されたこと(図表 14)だけで出現する訳ではない。視点を金融市場に絞っても,例えば,①長期金利が低位で安定していたこと,②金融経済に対する楽観論が共有されていたこと,といった要素も関係してくる。 長期金利の安定に関しては,当時の FRB 議長であった Greenspan も含む様々な専門家が“conundrum”と呼ぶなど,原因については

当時から論争の的となった。Greenspan 自身は,主たる原因を国際金融面に求め,新興国による過剰貯蓄や通貨の減価政策(=輸出促進策)による面が大きいと論じた34)。これに対し,主たる原因を米欧経済に求め,インフレ率とインフレ期待の低下が,(予想)短期金利の低下やリスクプレミアムの減少を通じて長期金利を抑制したとの主張もみられた35)。こうした論争に決着をつけることは本稿のスコープを超えるし,双方ともに実証的に支持される面があるので,ここでは双方とも重要な要素と理解しておきたい。 金融経済への楽観論を定量的に把握することは難しいが,米欧ともに「バブル」に先立つ時期に生じた様々な問題から脱却しつつあったことが,経済主体のマインドを大きく好転させたことは推察される。米国では IT バブルによる資産価格の調整を終え,欧州でもユーロ圏に対する初期の懐疑的な見方が後退し,ユーロ相場の過小評価が修正されつつあった。実際,サーベイによると米欧で期待成長率の回復がみられた(図表 15)。加えて重要なのは,金融機関や投資家がリスク・エクスポージャーを増やすインセンティブである。この点では,当時も現在も,金融規制や監督がインセンティブを与えたとの批判が根強い。確かに,自己資本比率規制の偏重や技術的な“loophole”の存在は,証券化技術を通じた“originate to sell”といったビジネスモデルへの過度な傾斜を生み,資産価格調整のドミノに大きく道を開いたことは事実である。 しかし,教訓を活かす上では,多くの金融機

34)Greenspan 自身による説明は,例えば Greenspan(2005)を参照。35)BIS の White(2008)は諸仮説の検証を行っている。なお,Summers は「secular stagnation」の議論の

中で,中央銀行による低金利政策の影響を重視しており,その意味ではこうした立場に近いと考えられる。

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図表 14 日米欧の政策金利と実質 GDP 成長率およびインフレ率(%,前年比 %)

(資料) 日本銀行,内閣府,総務省FRB,BEA,BLS,ECB,Eurostat

図表 15 米欧の期待成長率と実質 GDP 成長率(前年比%)

日本

欧州

(資料) FRB,BEA,ECB,Eurostat

米国 欧州

米国

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金融経済システムの安定と効率化に向けて―マクロ・ポリシーミックスと金融市場の視点―

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関や投資家の行動を「性悪説」に帰するだけでなく,掘り下げて理解することも重要である。まず,2007 年以降に責任を追及された米欧の大手金融機関の幹部の多くが,高いリターンの追求を余儀なくされた点に言及してきたことが思い起こされる。これには,投資家の「無理な要求」に帰する責任逃れという批判もあろうが,金融機関の行動原理として改めて認識しておく必要があろう。つまり,投資家が「無理な要求」をしたとしても,その原因をさらに追究することが重要である。例えば,金融経済への過度な楽観論があり,経済実態からかけ離れたリターンを要求したことが考えられる。金融機関は様々な技術革新を過剰評価したことが考えられる。デリバティブや証券化,資産運用に関する理論の発展も,金融システムに残る歪みや取引費用の軽減を通じて先行者に超過利潤をもたらすとしても,一般化するにつれて取引機会が減少すれば高いリターンの継続は難しい。

〈金融資産の価格調整のドミノ〉 今回の危機の端緒は,米国の住宅金融が住宅バブルの崩壊に伴って不良資産化したことにある。しかし,グローバルな金融市場からみて極めて限定されたセグメントの問題が,米国当局

による当初の楽観36)をはるかに超える影響を生ずるに至った点では,広範な金融資産の価格に次々に大きな調整を生じた事実が注目される(図表 16)。こうした現象の根幹には,市場のリスク・アピタイトが急速に後退し,リスク資産から安全資産への「質への逃避」が生じたことがあるが,インプリケーションを引き出すには理由まで掘り下げて理解することが重要である。 危機の展開を一般化して言えば,ある金融資産の価格が大きく下落すると,その資産(そのデリバティブを含む)を保有する金融機関や投資家がリスク管理の観点から自ら抱えるリスク量を圧縮しようとする結果,一方向の取引が集中することで市場機能を破壊し,資産価格の変動を一層拡大する。こうなると,平時にはマーケット・メイカーの役割を果たした金融機関もリスク量の急速な拡大に直面して役割を放棄し,結果として市場機能は一段と悪化し,資産価格の変動はさらに拡大することになる。そこで金融機関や投資家は拡大したリスク量の圧縮を急ぐことになり,当初の原因とは関係の薄い他の資産まで短時間に処分しようとする結果,市場機能の破壊が次々に異なる市場へ拡大する。 同時に,資産保有のファンディングないしレバレッジに伴うリスクを軽減する目的で差し入

36)FRB は,こうしたサブプライム問題が,米国の金融システムにおいて一部に過ぎない住宅金融のそのまた一部に過ぎないとして,調整があっても局所的な影響に止まるとしていた。例えば,Bernanke(2007)を参照。

図表 16 米国発の危機の波及メカニズム

(資料) 著者

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れられる担保も―多くが金融資産であれば―価値は急減する。そこでファンディングを維持するために,金融機関や投資家は担保資産の置き換えのために安全な資産へのシフトを図るであろう。それだけでなく,追加担保の差入れ要求(margin call)に対応しきれない金融機関や投資家は,ファンディングの継続を断念し,保有していた資産を急速に処分しようとする(fire sales)。これらもまた,当初の問題と関係のない資産の価格が大きく変動する原因である。 2007 年以降に世界を襲った金融経済危機では,資産価格のドミノ的な調整が生じたことが特徴である。それが金融資産に対するエクスポージャー(およびそれに伴うレバレッジ)という目に見えない関係によって生じた点では,あるプレーヤーの破綻が決済の連鎖を通じて他のプレーヤーの破綻に繋がるという「システミック・リスク」の顕在化に関する伝統的な理解とは異なる。もっとも,伝統的理解を理論化した Diamond の古典的モデルと比較した場合,今回も,①金融機関や投資家が同時に同方向での資産取引を行おうとすることが事態を深刻化させるという意味で“coordination failure”の意味合い37)も有する,②資産を保有していた金融機関や投資家がレバレッジや期間の変換を組み込むことで収益性を高めようとした結果,ファンディングに起因する問題が深刻化した,といった要素では共通する面もある。 これらの特徴を踏まえ,米欧の監督当局は現在に至るまでに様々な対応策を導入している。リスクの集積を防止するためには,①大規模な金融機関によるリスクテイクの抑制,②リスクの集積状況に関する監視の強化,の二つが柱であり,①については,Sifis と呼ばれる金融機関の特定と自己資本比率規制などの強化38)に加え,金融機関が実施しうる業務範囲の(再)限

定が進められている。また,②は,当局側における「マクロプルーデンス政策」の体制整備とともに,オフサイトを含むデータ収集や,マクロ・ストレステストの実施とその結果に即した金融機関監督の強化が中心である。金融資産のドミノ的な価格調整を防ぐうえでも,大規模な金融機関によるリスクテイク抑制が期待されているほか,破綻した場合も円滑な退出を可能とする破綻処理計画の義務付けや,政府当局による破綻処理機関の強化が進められている。同時に,取引所や決済機関によるリスクの伝播を防ぐため,担当となる監督当局の責任を明確化した上で,担保や証拠金にかかる規制の強化が進められている。

Ⅳ-2.ポスト・クライシスの市場機能 2007 年以降の世界的な金融経済危機からの回復過程における,マクロ政策当局にとっての重要課題として「低成長・低インフレ」の克服があり,その長期的対策として,資源配分の効率性改善の重要性が高まっているのは先に見た通りである。しかし,こうした課題の克服に中心的な役割を果たし得る金融システムに対し,米欧でも必ずしも大きな期待が寄せられているわけではない。 市場からは,むしろ,現在実施されているマクロ政策が,金融システムによる経済資源のマクロ的な最適配分を阻害しているという指摘が聞かれる。具体的には,第一に時間的視野やリスク選好,要求収益率などの面でのプレーヤーの多様性が低下しているとの見方がある。市場から見れば,ここには金融機関の業務範囲の(再)限定や,ストレステストや自己資本比率規制などによる金融監督の標準化などが影響していることになる。仮に市場参加者の属性やリスク管理が収斂していれば,市場が価格発見の

37)市場機能が毀損する結果,リスクプレミアムが overshoot し,資産価格が過小評価されやすい。このため,自己資金のように安全なファンディング手段を持つ投資家は,割安になった資産を買い入れることで,金融経済の回復に伴う資産の本源的価値の回復がなくても,後に過小評価が修正されるだけで収益を獲得できる。

38)この対策は,いわゆる「Too-big-to-fail」に伴うモラルハザードの防止も目的であるが,金融機関側でリスクテイクのコストを内部化させる意味では,不適切なリスクテイクを防止するという目的も有している。

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役割を担う意味は乏しくなる。 第二に,市場流動性を支えるインフラもむしろ毀損しているとの見方がある。この点は,取引所や決済機関の機能強化と矛盾する印象を与える。しかし,市場からすれば,金融機関の業務範囲の(再)限定に加え,自己資本比率規制のような動きは,マーケット・メイカーの役割を果たすことへのインセンティブを低下させる。この点はビッド・アスク・スプレッドを拡大しマーケット・メイクのリスクを高める点で,プレーヤーの多様性低下にも関係している。 第三には,金融経済の回復に必要な金融取引が,政策当局のカバーする金融システム以外の場所へシフトしているとの見方である。実際,米国では「シャドー・バンキング」の規模が足許でむしろ拡大し,危機前のピークを上回る規模になっている。市場の立場からすれば,金融経済危機の再発防止を目指す規制や監督の強化によって,conventional な金融システム内で金融取引を続けることが様々な意味でコストに見合わなくなったということになる。 監督当局だけでなく,中央銀行による政策も金融システムによる経済資源のマクロ的な効率的配分を阻害するとの見方も増えている。確かに,米欧の中央銀行は少なくとも 2008 年以降に「信用緩和」政策を実施し,こうした面での機能回復にむしろ注力してきたが,その一方で「量的緩和」を通じて年間発行額を超える規模の国債買入れを行ったり,ゼロ金利に止まらずマイナスの政策金利を導入してきたりしたことが,マクロ的な経済資源の効率配分に影響を及ぼしうることに異論は少ないであろう。 視点を国際金融に広げると,中央銀行による「罪」のリストはもう一つ増える。米欧の中央銀行が「量的緩和」の実施を通じて暗黙に自国通貨安政策を続けてきたことが,為替レートを「均衡」から一定の期間に亘り乖離させた可能性である。為替市場の場合,米欧における金融規制や監督の強化によって大手金融機関による

取引やマーケット・メイクが低下したことを除くと,取引や市場参加者の減少といった副作用は必ずしも明確でない。しかし,為替レート自体に歪みを生じているのであれば,それは自国と世界の間での経済資源の配分に影響を持ちうる。 もちろん,これらの指摘を並べるだけでは議論として不十分である39)。つまり,金融システムがマクロの経済資源の効率配分に与えた影響を定量的に明らかにする必要がある。しかし,この課題に正面から答えることは容易でないだけに,ここでは検討の方向性を整理したい。 金融システムにおける重要度の高い金融市場で,参加者の多様性が低下したり,マーケット・メイクが低下したりすれば,均衡への収束が時間的に不連続になる結果,価格のボラティリティが上昇しやすくなる。これは,取引される資産の価格に関するリスク量を増加させることで,自ら悪循環を生じうる。併せて取引量が減少すれば,一定の取引に対する価格の復元力も低下し,さらにボラティリティは上昇しやすくなる。同時に参加しうるプレーヤーの属性が限定される結果として期待が均質化すると,資産価格の変動方向にもバイアスが生じやすくなる。 これらの結果生ずることは,取引によって成立する資産価格が利用可能な情報を適切に反映した「均衡」かどうか,市場参加者も政策当局も判別しにくくなるという意味で,資産価格の発見機能が失われることである。これが金融システムにおける重要度の高い国債市場において生じれば,ベースとなる安全資産(国債)の価値が不明確になる結果,これにリスクプレミアムを乗せて評価されるべき多様なリスク資産の評価も困難となり,結果的に過大または過小なリスクテイクを通じて,経済資源のマクロ的な配分に歪みを生ずる。あるいは,国債利回りに対するリスクプレミアムの変化のような「早期警戒」を認識することが困難になる結果,財政健全化に対するイニシアティブを毀損し,同様に過大な財政支出という経済資源の配分上の歪

39)こうした市場機能論は金融ビジネスの維持のための議論に矮小化されやすい面がある。

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みを生ずる40)。つまり,国債市場の機能低下による副作用に起因する要素だけでも,「悪魔の

トライアングル」と同じような悪循環を引き起こしうる面がある。

Ⅴ.ポリシーミックスの展望

Ⅴ-1.金融経済におけるストックの重要性 最後に,米欧の経験とそれに関するこれまでの検討をもとに,マクロ政策の面から,先進国の金融経済の回復に重要と思われる点を整理したい。本稿を通じて得られたメッセージは,関連する政策当局が金融経済の全体を鳥瞰しつつマクロ政策を組み合わせるべきということである。その最大の理由は,金融経済の回復期にも財政と経済と金融システムが相互に依存しあうこと自体には変わりがないからである。 ポリシーミックスを探る上では,金融経済においてストックの重要性が増していることを念頭に置く必要がある。代表例は,「バブル」期に民間部門が蓄積した債務の多くが,実質的に政府部門にシフトされたことである。これは,財政負担を通じて金融経済の安定に対する潜在的な脅威となりうるだけでなく,資源配分の固定化を通じて金融経済の効率にも影響しているとみられる。しかも,政府債務の圧縮だけを進めたり,逆に負担を恐れて政府債務を放置したりすれば,問題の解決を難しくするだけでなく副作用を顕在化させる厄介さを持つ。 これらの根源に遡ると,金融経済の中で金融活動の持つウエイトが高まってきたこともわかる。実際,2007 年以降の世界的な金融経済危機の後には,金融活動を経済活動に見合うまで縮小すべきとの議論が支持を得た41)。しかし,より長い目で見た場合,金融活動が相対的に速いペースで拡大することは長期のトレンドであ

る。それは,先進国の場合,フローの経済活動が生む価値に比べ,それらの時間的な蓄積である資産の価値が大きいという発展段階に達して久しいからである(図表 17)。金融活動の中心も,生産された価値や所得をフローの意味で円滑に交換することから,蓄積された資産をストックの意味で円滑に移転することへ変化している。 2007 年以降の世界的な金融経済危機は,経済活動と金融活動のバランスの変化にマクロ政策が適切に対応しない場合,大きなコストを生じかねないことも示唆している。例えば,「過度に緩和的な金融環境」についても,フローの経済活動の観点からは,目標の範囲に維持されたインフレ率の下で緩和的な金融政策は最適であったし,国債金利が低位に維持され財政資金の調達が順便な下で,経済成長率が顕著に過熱しない限り,財政支出を抑制する必要は乏しいと判断された。それでも,財政と金融のポリシーミックスが結果として不適切な金融環境を現出し,資産価格インフレを通じて危機を導いた事実を重く受け止める必要がある。

Ⅴ-2.新たなポリシーミックスに向けて 大きな政府債務を抱えている国の場合,金融経済の回復に向けた政策が金融政策に依存しがちになることが仕方ないだけでなく,中央銀行が具備する政策手段の有効活用という面で合理性も認められる。もっとも,「時間を買う」こ

40)為替市場でも,「均衡」から乖離したレートが維持されると,本来行われるべき輸出競争力の強化が先送りされたり,対外投資にかかるリスクを過小に表し,過大なリスクテイクを促したりする副作用を生じうる。

41)日本の場合,製造業が金融業よりも国際競争力を有していたことや 1990 年代の金融危機の経験もあり,金融は(非金融の)産業をサポートする役割に徹するべきとの考え方が予て強かった印象を受ける。

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とを期待された中央銀行の政策には限界も窺われる。その意味で,ポリシーミックスにとっては,金融経済の安定を維持するという目標と経済資源をマクロ的にみて効率的に配分する目標とのバランスを重視することが求められる。例えば,これを金融システムに関する既存の政策に即して言えば,「マクロプルーデンス政策」と「信用緩和」とをバランスよく運営することになる。

 「マクロープルーデンス政策」は金融システムの安定を目指すものであり,実際,米欧の政策当局は次の「バブル」を防止する上での「第一防衛線(first line of defense)」としての役割を強調している42)。一方,金融経済の「低成長・低インフレ」を脱却する上ではマクロ的な経済資源の効率的配分が重要であるが,中央銀行が実施してきた「信用緩和」は―金融政策の波及メカニズムの代替や修復が主眼とされてい

図表 17 日米独の家計と非金融法人のストック/フロー比率(倍)

(資料) 日本銀行,内閣府,FRB,BEA,Eurostat

42)例えば,Yellen(2015)や黒田(2014)を参照。ECB の Draghi 総裁も記者会見でこうした考え方にしばしば言及している。

日本 米国

ドイツ

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たが―価格メカニズムの回復や強化を通じて,金融システムによる経済資源の効率的配分に資することが期待される。 これら二つの政策をバランスよく運営するには様々な選択肢が考えられる。そのうちの一つは,「マクロプルーデンス政策」のうち少なくとも中央銀行が担っている部分について,「信用緩和」との整合性を意識しつつ運営することである。一体化した政策の主眼を一言で言えば,金融システムが安定と効率を両立しつつ機能を発揮するよう促すことであり,政策目標は金融活動の変動(financial cycle)が過度に拡大したり縮小したりしないよう維持することになる。これは,中央銀行にさらに新たな役割を付与することではなく,伝統的な金融政策との親和性の高い領域について実質的に「看板を架け替える」ものである。 伝統的な金融政策は,政策金利を調整して消費や設備投資を増減させ,マクロの経済活動の過熱と過度な収縮を実体経済の capacity の範囲内に抑えること,つまり,実体経済の変動(景気循環)を平準化することである。しかし,先進国の場合は,政策金利の変更も直接的には資本市場や金融機関による信用仲介に影響を及ぼし,結果として経済活動に効果が及ぶ。しかも,経済におけるストックがフローを凌駕し,資産に関わる金融活動のウエイトが大きくなる下で,政策手段も資産価値に第一義的な影響を及ぼすものへシフトしている。例えば,「forward guidance」は,将来に亘る政策金利を一定に維持することで金融緩和を時間軸方向に「積分」する効果を狙うものであり43),「量的緩和」におけるアナウンスメントや大量の国債買入れと同様に,まずは(予想)短期金利の流列に影響を与え,結果として生ずる資産価値の変化を通じて消費を増やしたり,financial accelerator を通じて投資を増やしたりする効果が期待されている。このように,先進国の中央銀行による金

融政策は,既に現時点で,目的の面でも手段の面でも金融活動の変動(financial cycle)が過度に拡大したり縮小したりしないようにしているものと理解しても本質的な相違は小さいことになる。 中央銀行が,金融活動のサイクルを安定化する視点を意識することのメリットの中には,中央銀行に与えられた独立性を再定義する可能性も含まれる。つまり,中央銀行が金融活動を「over the cycle」で平準化することを目指す以上,短期的な視点や指向から距離を置きながら政策を運営することが重要であるが,これは,伝統的な金融政策において中期的な物価安定を達成するために短期的な視点や指向から距離を置くことと本質的に同じ意味合いを持つからである。先進国を念頭に置く限り,金融活動と経済活動のサイクルがまったく逆に変動する可能性は大きくなく,その意味では中央銀行が引続き伝統的な金融政策を運営しても,結果的にはさほど大きな差異はないかもしれない。ただし,「低成長・低インフレ」の下で伝統的な金融政策はファインチューニングの繰り返しを余儀なくされることが考えられる一方,金融活動のサイクルに着目する政策はより長周期の視点による運営が可能になることが考えられる。 もちろん,中央銀行が政策の視点を変えるようとするだけでも実務的な課題は少なくない。金融システムのモニタリングとその分析には既に蓄積された知見や経験の活用が期待されるとしても,安定と効率のバランスはどのような政策当局にとっても難問である。金融活動の過度な変動を抑えるために適切な目標を設定するという課題も大きく,実体経済の分析と金融活動の分析を統合することにも難しさがある。もっとも,安定と効率のバランスをある程度長い時間軸で達成すればよいとすれば,様々な柔軟性の余地も浮かんでくる。例えば,技術革新や新規参入による金融活動の変化などに即して,双

43)例えば,Reifschneider and Williams(2000)が「forward guidance」をモデル化した際には,政策金利をゼロに維持するコミットメントは,過去に最適な政策金利がマイナスであった局面を勘案して運営されるべきとの考えを示した。

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金融経済システムの安定と効率化に向けて―マクロ・ポリシーミックスと金融市場の視点―

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方の目的のバランスを柔軟に変えることも考えられる。 中央銀行の政策をいわば模様替えするとしても,中央銀行の機能や役割を拡充してきた米欧の場合は,中長期的なマンデートの(再)見直しもポイントとなる。例えば,個別の金融機関監督のように,価格メカニズムの活用でなく行政の執行という性格の強いマンデートは,中央銀行よりも監督当局が担うことにメリットが感じられる。「マクロプルーデンス政策」に関しても,政策手段に着目した場合,金融機関に対する LTV やレバレッジに関する規制の企画や発動のように直接介入の性格の強い領域は,監督当局との親和性が高い。より一般的にも,マクロ政策の機能や役割を中央銀行に集中させることに対しては,特に政治面からの批判が強いことも無視し得ない。さらに言えば,中央銀行が担っている金融政策自体についても,資源配分に直接に介入するような性格や効果を持つ政策手段を中心に,長い目で見て,財政政策との関係の再整理が必要となろう。 機能と役割に関するリシャッフルを行っても,マクロの金融経済に関する政策を担う当局同士が良好なコミュニケーションを維持するこ

との重要さには変りがない。その意味では,各政策当局がお互いにマンデートを認識し,情報や知見を密接に交換するための手段の一つとして,ポリシーミックスに関わる政策当局が一様に関与する「場」を設定することも考えられる。

Ⅴ-3.おわりに 米欧の政策当局は,マクロ政策のポリシーミックスを金融経済の実態に合わせて調整する上で様々な課題に直面してきた。もっとも,金融経済を取り巻く環境は,最適な枠組みが整うまで待ってくれる訳ではない。2007 年以降の世界的な金融経済危機から既に 8 年が経過し,欧州債務危機からも 5 年が過ぎようとする中で,先進国での金融政策の「正常化」や財政健全化の遅延が及ぼす影響も含め,市場機能の低下や広範な資産価格の上昇,国際資本フローの偏り,銀行部門の収益力低下など,気になる要素も散見され始めている。 「次」の危機を防ぐと同時に金融経済の回復を促すために,先進国のマクロ政策当局には,情報や知見を最大限共用しつつ発動可能な政策手段を駆使しながら,新たなポリシーミックスの枠組みや運営を模索していくことが求められる。

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