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{PAGE }/4 固体NMRによる高分子構造解析の基礎 ( 東工大院理工) TEL : 03-5734-2137, FAX : 03-5734-2889, e-mail : [email protected] . 固体NMRスペクトルの高分解能化 固体試料の NMR スペクトルは,液体及び溶液 NMR( ~Hz) に比べるとその線幅が一般に大 きく( ~数十 kHz) 、化学的環境の異なる核種を識別して観測することが困難である。その原因と して,おもに a) 磁気双極子相互作用、b) 化学シフト異方性、c) 核四極子相互作用の3つが挙 げられるが、 c) は核スピンが 1/2 より大きな核の場合にのみ生じるため, 1 H, 13 C, 15 N, 19 F, 31 P など の核( スピン 1/2) に注目する場合は、a) b) が消去されれば,原理的には高分解能のスペクト ルが得られる.現在、多重パルス法や CP/MAS 法などの開発により、例えば高結晶性の試料に ついては溶液スペクトルに近いスペクトルを観測可能となっている。特に系内に 1 H, 19 F など天然 存在比の高い核を含んだ試料では、 13 C, 15 N などの天然存在比の低い核を測定する目的に CP/MAS 法が広く用いられている.一方, 1 H, 19 F など天然存在比の高い核は,同種核間の双極子 相互作用が大きいため、多重パルス法、多重パルス法+MAS 法、高速回転法などやや高度な技 術が用いられている。本論では,高分子分析法として汎用性の高い 13 C 核や 15 N 核の観測を念頭 に置いて,その基礎と測定手法について概説する.なお,当日の講演ではできるだけ多くの高 分子試料の観測例(スペクトル)をあげて具体的に説明する予定である. . CP/ MAS法 一般に CP/MAS 法と呼ばれている方法は、交差分極 (CP = Cross Polarization) ,マジック角回転 (MAS = Magic Angle Spinning) ,広帯域双極子デカップリング(DD = Dipolar Decoupling) を併用し た汎用性の高い観測手法である。以下に 13 C の場合を例に解説する. DD 法> 希薄核である 13 C ( 15 N, 31 Si などスピン 1/2 の核) の周囲は通常, 12 C1 H のような存 在比の高い核種によって占められている。 12 C は磁気モーメントを持たないので 13 C 核には磁気 的な影響を与えないが, 1 H は大きな磁気モーメントを持つため 13 C 核に対して局所磁場を誘起 し、 13 C に線幅の広がりを与える( 異核種 間双極子相互作用) 。この 13 C- 1 H 間相互 作用を消去する手法が、 1 H デカップリ ング(DD) である。強い高周波磁場を 1 H スピン系に照射すると、 1 H スピンは高 速で反転し 13 C 核における局所磁場が ゼロに平均されることを利用している。 CP 法> 13 C 核は天然存在比が 1 %と低いため, S/N 比の高いスペクトルを得るには多数回の積 算を繰り返す必要がある。しかし,セグメント単位の分子運動が存在しない結晶やガラス状態 での 13 C 核では,スピン格子緩和時間( T 1 ) が極めて長くなることがある。即ち、スピンが上の準 位に励起してしまうとなかなか下の準位に降りてこない ( この状態をスピン温度が高いと表現 する) ため,次のパルスをかけるための初期状態に戻るのに時間がかかり、結果として積算に多

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Page 1: 固体NMRによる高分子構造解析の基礎PAGE }/4 ③ Hartmann-Hahn条件を満たす高周波磁場B1Cを13C核に照射することにより、交差緩和が 起こり,磁化が1H核スピンから13C核へ移動する.13C核の磁化が十分大きくなったとこ

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固体NMRによる高分子構造解析の基礎 (東工大院理工) 安 藤 慎 治

TEL : 03-5734-2137, FAX : 03-5734-2889, e-mail : [email protected]

1. 固体NMRスペクトルの高分解能化

固体試料のNMRスペクトルは,液体及び溶液NMR(~数Hz)に比べるとその線幅が一般に大きく(~数十 kHz)、化学的環境の異なる核種を識別して観測することが困難である。その原因として,おもに a) 磁気双極子相互作用、b) 化学シフト異方性、c) 核四極子相互作用の3つが挙げられるが、c) は核スピンが 1/2より大きな核の場合にのみ生じるため,1H, 13C, 15N, 19F, 31Pなどの核(スピン 1/2)に注目する場合は、a) と b) が消去されれば,原理的には高分解能のスペクトルが得られる.現在、多重パルス法や CP/MAS法などの開発により、例えば高結晶性の試料については溶液スペクトルに近いスペクトルを観測可能となっている。特に系内に 1H,19Fなど天然存在比の高い核を含んだ試料では、13C, 15N などの天然存在比の低い核を測定する目的にCP/MAS法が広く用いられている.一方,1H, 19Fなど天然存在比の高い核は,同種核間の双極子相互作用が大きいため、多重パルス法、多重パルス法+MAS法、高速回転法などやや高度な技術が用いられている。本論では,高分子分析法として汎用性の高い 13C核や 15N核の観測を念頭に置いて,その基礎と測定手法について概説する.なお,当日の講演ではできるだけ多くの高

分子試料の観測例(スペクトル)をあげて具体的に説明する予定である.

2. CP/MAS法

一般にCP/MAS法と呼ばれている方法は、交差分極 (CP = Cross Polarization),マジック角回転 (MAS = Magic Angle Spinning),広帯域双極子デカップリング(DD = Dipolar Decoupling)を併用した汎用性の高い観測手法である。以下に 13Cの場合を例に解説する. <DD法> 希薄核である 13C (や 15N, 31Siなどスピン 1/2の核)の周囲は通常,12C,1Hのような存在比の高い核種によって占められている。12Cは磁気モーメントを持たないので 13C核には磁気的な影響を与えないが,1H は大きな磁気モーメントを持つため 13C 核に対して局所磁場を誘起し、13Cに線幅の広がりを与える(異核種間双極子相互作用)。この 13C-1H間相互作用を消去する手法が、1Hデカップリング(DD)である。強い高周波磁場を 1Hスピン系に照射すると、1Hスピンは高速で反転し 13C 核における局所磁場がゼロに平均されることを利用している。 <CP法> 13C核は天然存在比が 1%と低いため,S/N比の高いスペクトルを得るには多数回の積算を繰り返す必要がある。しかし,セグメント単位の分子運動が存在しない結晶やガラス状態

での 13C核では,スピン−格子緩和時間(T1)が極めて長くなることがある。即ち、スピンが上の準位に励起してしまうとなかなか下の準位に降りてこない (この状態をスピン温度が高いと表現する) ため,次のパルスをかけるための初期状態に戻るのに時間がかかり、結果として積算に多

Page 2: 固体NMRによる高分子構造解析の基礎PAGE }/4 ③ Hartmann-Hahn条件を満たす高周波磁場B1Cを13C核に照射することにより、交差緩和が 起こり,磁化が1H核スピンから13C核へ移動する.13C核の磁化が十分大きくなったとこ

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大な時間を要する。これを克服するために 13Cをより低いスピン温度にある 1H に熱接触させて

スピン温度を下げる(これにより 1H →13Cで分極移動が起こり 13Cの磁化が惹起される)方法が考案された.この方法は交差分極(交差緩和)法と呼ばれ、固体NMRの分野では画期的な発明であった。実験室系では 1Hと 13Cに等しい外部磁場がかかっており,両者の Zeeman分裂の大きさが約 4倍異なるために磁化移動ができないが,1Hをスピンロック(次頁図3参照)しつつ,以下のHartmann-Hahnの条件

ω H = ωC すなわち γHB1H = γCB1C (ω 共鳴周波数,γ : 磁気回転比,B1: 回転系における磁場)

を満たすように 1Hと 13Cに異なる高周波磁場 B1Hと B1Cをかけると,回転系におけるZeeman分裂が等価となり,両スピン間においてエネルギー交換が可能になる (図1) 。このとき 13C核の強度は最大で γH /γC ({ EMBED Equation.3 }4)倍となるので、積算効率が向上するだけでなく信号強度も増加する(S / N比が向上する)。また, 1Hの磁化を観測に用いているため,次の積算を行うまでには 1Hの磁化が実験室系のZ軸方向に回復していればよく,13Cではなく 1Hの T1の 5倍程度の待ち時間で十分である.結果として,測定の大幅な効率化が達成される.

1H 13C gHB1H gCB1C

<MAS 法> 観測核の周囲の電子分布は一般に異方的であることから、磁気遮蔽効果を表す化学シフト相互作用は2階のテンソル量であり、3つの主値 (σ11, σ 22, σ 33)で特徴づけられる。多結晶試料や無定形固体では,これらの主軸が分子軸と磁場方向の間の角度のあらゆる値をとるこ

とから、CP+DD法で測定したスペクトルは図2のような粉末パターンを与える。主値の情報がこの中には含まれるが、分子中に化学シフトの異なる複数の核が

存在しているときは、これらの核の信号が重なるため詳細な情報

が得られない。 この線幅の広がりは、磁場方向と試料の回転軸方向のなす角 bの関数 3cos2β−1 に比例するので、3cos2β−1=0 となる角度 β=54.7°(Magic Angle)を選び、試料を 3~4 kHz以上で高速回転させることで、化学シフト異方性を除去あるいは低減でき,結果

として溶液のスペクトルと同様の等方平均化学シフト σisoが観

測できる。但し,回転速度よりも化学シフト異方性が大きな場合には,スピニングサイドバン

ド(SSB)とよばれるゴーストの信号が出るので注意が必要である.CP法とMAS法を組み合わせたCP/MAS法の具体的な手順は次のようになる。 ① 外部磁場により z軸に向いている 1H核の磁化に高周波磁場B1H(90°パルス)を x’軸側から照射し y’軸に倒す。(x’, y’は回転座標系)

② B1Hの位相を 90°シフトして y’軸から照射し続けることにより、1H核の磁化を y’軸方向に固定(Spin Lock)する(→磁化は時定数 T1ρ

Hで減衰する)。

図2 粉末パターン

σ11 σ22 σ33

エネル

ギー

移動

図1 回転系におけるエネルギー移動

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③ Hartmann-Hahn条件を満たす高周波磁場B1Cを13C核に照射することにより、交差緩和が

起こり,磁化が 1H核スピンから 13C核へ移動する.13C核の磁化が十分大きくなったところでB1Cを切ると、

13C の FID信号が観測される.

CP/MAS 法で注意すべきことは,交差緩和が双極子相互作用に基づく磁化移動を利用しているため,分子運動が束縛されている核の信号が強調されたスペクトルが得られ,スペクトルには

定量性がないことである。運動性の高い部分を強調して観測するPSTと呼ばれる手法もある。

3. Dipolar Dephasing 法

CP法により 13Cに磁化を生成した場合、C-H間の相互作用の強い 13Cは相対的に速く緩和し、C-H間の相互作用の弱い 13Cは相対的に緩和が遅い。これを利用して FIDの取り込みの際に遅延時間 (t)を設ける、即ち t の間デカップリングを切ることにより、水素と結合した炭素に比べて緩和の遅い4級炭素やメチル炭素の信号を選択的に観測することができる。この方法を

Dipolar Dephasing法と言う。実際の測定では位相を合わせやすくするために、t の間に π パルスを入れてエコー信号を観測する。また測定され

る信号は tの間、双極子相互作用により強度が減少するが、この減少の程度は 13C 核(観測核)の感じる双極子相互作用の大きさに依存するため、t を変化させて強度を観測すれば双極子相互作用

による緩和時間 TDDを測定できる。この TDDは T2 (スピン-スピン緩和時間)に対応している。

4. TOSS (TOtal Suppression of Sidebands) 法

MASによって生ずるスピニングサイドバンド(SSB)はMASスペクトルにおいて観測核の信号の両側、MAS 回転数のちょうど整数倍の位置に現れるので,見分けることは比較的容易だが,観測したい信号に重なってしまう場合に

は,TOSS とよばれる方法で除去することができる.これは観測核側に連続的に

πパルスをかけることによってSSB信号の位相をずらし、その和がちょうどゼロ

になるように調整するもので、13C核の正

13C の磁化M

図3 回転系における核スピンのスピンロッキング→交差緩和

y’

z’

x’

y’

z’

x’

y’

z’

x’

1Hの磁化M 1Hの磁化M

① ② ③

B1H B1H

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確なπパルスとMAS回転数の安定が必要であるが、非常に便利な方法である。

5. CP法から得られる緩和パラメータ

交差分極における 1Hと 13C核スピンの緩和過程のモデルを図4に示す。緩和の時定数T1ρC, T1C

が相対的に長いため、分極の移動はおもに TCH (交差緩和の時定数) および T1ρH (回転系での 1H

のスピン−格子緩和時間)の2つのパラメータによって支配される。まず 90°パルスにより 1Hに励起された磁化が時定数 TCHで

13Cに移動を始める。観測核を含む分子が γHB1Hと同程度の運動

成分を強く持っていない場合には T1ρHは TCHに比べて 1~2桁大きいので分極移動の初期では緩

和は無視できる。初めは 1H及び 13Cの磁化の間に大きな差があるために分極移動が急激に起こるが、ある程度 13Cに磁化が移って 1Hとの差が小さくなると磁化の増大はゆっくりになる。その後、13C核の得た磁化は、1Hや格子への緩和により減衰する。格子への緩和過程は T1ρ

C, T1Cに

も依存するがこの効果は小さく(これらの緩和過程はかなり遅く)、1Hと格子との間での緩和(T1ρH

による)を通して磁化の減衰が起こる。従って 13Cが 1Hから得ることのできる磁化の大きさM (tc)を、接触時間(contact time)に対してプロットとすると図5の曲線(点線)のようになり、時定数 TCH 及び T1ρ

Hを用いて

{ EMBED Equation.3 } (tc: 接触時間,A: 係数)

と表すことができる。TCHは局所的な13C−1H双極子相互作用を表す時定数であり、磁化を効率的

に与えることのできる 1Hがその 13C核の周りにどれだけあるかに関する情報を与える。ここで,T1r

Hの値はスピンロック周波数(数十kHz)近傍の局所的な分子運動性についての情報を与える。

M

CP-MAS/DD法はすでに多方面で高分子固体の構造研究に用いられており、成書も多く出版されている。また、最近は 2次元NMR法や多量子遷移を用いたMQ-MAS法が一般的になりつつあり、観測対象も高分子に関係の深い4重極核(17O, 23Na, 25Mg, 27Alなど)にも広がっている。

参考書 “Spin Dynamics: Basics of Nuclear Magnetic Resonance”, M.H. Levitt, John Wiley & Sons (2001). “A Practical Guide to Understanding the NMR of Polymers”, P.A. Mirau, Wiley-Interscience (2005) 新高分子実験学5 高分子の構造(1) 磁気共鳴法 高分子学会 編 共立出版 高分子の固体NMR 安藤 勲 編 講談社

T1ρΗ

TCH

1H 13C

格子

T1ρC T1C

T1!C

図4 1Hと13Cの核スピンの緩和過程

T1H

TCHが支配的

Τ1ρΗが支配的

図5 13C-1H交差分極による13C磁化の変化

接触時間 tc (ms)