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Page 1: p38-41 - Sapporo39 定じ ょ う 山ざ ん 渓け い 鉄て つ 道ど う の 開か い 通つ う 大た い 正し ょ う 七 年ね ん ( 一 九 一 八 年 ) 十 月が

39

定じょう

山ざん

渓けい

鉄てつ

道どう

の開か

通つう

■大た

正しょう

七年ね

(一九一八年)十月が

38

そうこなく

ちゃね

白石駅から

新しい鉄道が

できているよ 見

てごらん

新しい鉄道は

定じょう

山ざん

渓けい

鉄道と

いって

白石駅から

定じょう

山ざん

渓けい

までの

二九・九キロを

結むす

んでいるんだ

もっとも人々は「定じ

ょう

鉄てつ

」と

いう愛あ

称しょう

で呼よ

んでいたけどね

定じょう

鉄てつ

今のレジャー

ブームの先駆が

けに

なったんだ

定じょう

鉄てつ

レジャーは

どんな

関係が

あるの?

分かった

定じょう

山ざん

渓けい

温おん

泉せん

僕ぼく温お

泉せん

だ〜いすき

正せい

解かい

だけど

最さい

初しょ

のころは

温おん

泉せん

客きゃく

あまり

乗ら

なかった

みたいだよ

あれ!?

定じょう

山ざん

渓けい

温おん

泉せん

そばにある

豊とよ

羽は

鉱こう

山ざん

から

掘ほ

られる

銀ぎん

・鉛な

まり

・亜あ

鉛えん

豊ゆた

かな

天てん

然ねん

資し

源げん

札幌へ運ぶ重じ

ゅう

要よう

輸ゆう

送そう

機き

関かん

として活か

躍やく

していたんだ

あれっ

機き

関かん

車しゃ

二両り

ょう

坂を登の

って

いるよ

定じょう

鉄てつ

が開通した大正時代

温おん

泉せん

へ行く

ことは

大たい

変へん

ぜいたくな

ことだった

んだよ

そうだっ

たの…

昔の人と

比くら

べたら

僕ぼく

たちは

ぜいたくして

るんだな

ただ

定じょう

鉄てつ

温おん

泉せん

客きゃく

乗せるため

だけにつくられ

たわけじゃない

定じょう

山ざん

渓けい

周しゅう

辺へん

森林から

切られた木も

材ざい

など

定じょう

鉄てつ

の線路は

坂が多いので

大たい

変へん

だったんだ

一度

後あと

戻もど

してから

勢いきお

いを

つけて

登のぼ

り切る

ことも

あったんだ

大正時代に

入ってからも

白石の

発はっ

展てん

止まることが

なかったんだ

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41 40

ようやく

終わったな

今年の

収しゅう

穫かく

まずまず

だったな

年ごとに定じ

ょう

鉄てつ

輸ゆ

送そう

量りょう

は増ふ

えて

いった

さらに

大正の終り

ごろから

一いっ

般ぱん

の人々にもお金の

余よ

裕ゆう

が出てきて乗客も

増ふ

えてきたんだよ

ついに

白石にも

温おん

泉せん

ブームが

きたんだ

定じょう

鉄てつ

輸ゆ

送そう

力りょく

増ふ

やすために

昭和四年に

電でん

化か

された

この時に

料りょう

金きん

が値ね

下さ

され、ブームに

勢いきお

いがついた

んだよ

ねえ

この冬は

一家で

温おん

泉せん

行きましょう

秋の取り入れが

終お

わるころに

なると

そうだな

定じょう

鉄てつ

運うん

賃ちん

値ね

下さ

されたしな

うちも

少し余よ

裕ゆう

出てきたし

子供たちも

喜よろこ

ぶわ

そうか

よ〜し

行こうか

やった

約やく

束そく

だよ

おとう

さん

ありが

とう

わっ

すごい

人…

白石駅の

定じょう

鉄てつ

利り

用よう

者しゃ

五〜六倍ば

なったという

から

すごいね

当時はまだ

レジャーと

いう言こ

葉ば

なかった

けれど

そんな定じ

ょう

鉄てつ

昭和三十年代後半に

なると、輸ゆ

送そう

量りょう

急きゅう

激げき

に減へ

るんだ

利り

用よう

者しゃ

はバスに

物ぶっ

資し

はトラックに

取って代わられ

自じ

動どう

車しゃ

の時代に

なってしまった

開かい

業ぎょう

から五十二年目に

あたる昭和四十四年

定じょう

鉄てつ

は、多くの

人々から惜お

しまれ

ながら、

その姿す

がた

を消し

たんだ

残ざん

念ねん

だわ

一度乗って

みたかったわ

なんだあ

僕ぼく

が生まれる

前になくなっ

ちゃったんだ

踏ふみ

切きり

が多い

定じょう

鉄てつ

は、

時代の流れに

敗やぶ

れ、ついに鉄道の

廃はい

止し

を決定したんだ

定じょう

鉄てつ

おかげで

どれほど

多くの

人々の

心がいやされ

たか計は

知れないね