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【2012 年度 松浦良充研究会 夏課題】
9 月 19 日(水)提出
戦後教員養成政策の再検討
―「開放制」原則はどのように担保されたのかー
(仮)
慶應義塾大学文学部
人文社会学科教育学専攻 4 年
山口雄祐
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(学籍番号:10917098)
【アブストラクト】
1.本稿の目的
近年の教員養成政策はめまぐるしい展開を見せている。こうした教員養成の方向性はおおむね教員
養成の「専門職養成化」としてとらえることができよう。こうした改革の動向は教員の専門性向上を
求めている我が国にとっては一見すれば非常に好ましい動きとも取れるが、一方でこの動向を批判的
にとらえる研究者もいる。つまり、専門職養成化が進む一方で、「国家の再統制化」、「開放制の弱
化」が指摘されているのである。
さて、戦後の教員養成は「大学における教員養成」と「開放制」という二つの大きな原則によって
出発し、教員養成改革はこの理念のもとに展開されてきたといわれている。教員養成改革を進める主
体である文部科学省は前出の答申においても「「大学における教員養成」及び「開放制の教員養成」の
原則については、今回の改革でも基本的に尊重する」との立場を明確に示していることから戦後を通
じてこれらの原則・理念を一貫して貫いていたことが分かる。しかし、いくら国の方針として二大原
則を尊重する立場を示しているといえども、これらの原則・理念が失われてしまっている、弱化して
いると捉える先行研究者がいるのもまた事実である。このような矛盾ともいえる状況がなぜ生じてい
るかを考えたときに、単に「大学における養成」や「開放制」という用語に縛られるだけではなく、
その内実が何を意味しているのかを明らかにしていくことが肝要ではないかと筆者は考える。戦後の
日本教員養成改革はこの 2 つの原則を前提としてなされてきたが、実は「開放制」原則については非
常に概念があいまいであることが指摘されている。したがって、批判するにしても肯定するにしても
研究者や識者は多様な意味の中から都合の良い部分のみを抜き取って論じてしまっているのが現状な
のである。内実・本質を問わずに、用語上だけの議論をしたところで全く生産的な議論は行えない。
教員養成改革が大きく動き出している今こそ、その背後にある戦後の教員養成の原理・原則を問い直
し、その内実を検討していくことが必要であると私は考える。以上の問題意識のもと本稿では「開放
制」の原則に焦点を当てて議論を進めていく。
その際、戦後教員養成制度の出発点である「教育刷新委員会」の議論を中心に、「開放制」がどのよ
うな議論のもとで生まれてきた概念であるか、またその本質にある考え方はどのようなものであるか
を改めて明らかにする。それとともに、その理念がどのように戦後の教員養成政策や制度に反映され
てきたのかを歴史的に捉えなおしていくとともに、戦後教員養成の中で「開放制」がどのように担保
され、もしくはどのような点から批判がされていったのかを見ていく。以上を通して、戦後一貫して
尊重されてきたとされる「開放制」原則の意義と問題点を明確にし、現在の教員養成政策の批判的検討
と今後の日本の教員養成改革の方向性を考えるための視座を得たい。
2.研究の手順
第 1 章では戦後の教員養成改革の議論の前提となる、戦前の教員養成政策を概観し、その概要及び特
質を明確にする。戦後の教員養成の原理原則は戦前の否定にあったということを踏まえ、どのような
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点において批判の対象となったのかを明確にする。また併せて、日本の戦後教育改革を主導したアメ
リカが日本の教員養成をどのように把握し、どのような改善を求めたのかという点についても整理す
る。
第 2 章では「大学における養成」と「開放制」の原理がどのように成立したのか、その背景を見て
いく。とりわけ日本の戦後教育改革を担った「教育刷新会議」の議事録を頼りに議論の分析を行う。議
論を踏まえて「開放制」原則の裏にある(「開放制」原則を支えた)思想を明らかにする。
第 3 章では「「開放制」の概念のあいまいさを第 1 に指摘する。その上で前章までの歴史的検討を
踏まえながら、「開放制」を論じるための視点を定める。その後に戦後の教員養成政策の流れを概観
しながら政府(文部省・中央教育審議会)が「開放制」をどのように変質させていったのか、またど
のように開放制は担保されていたのか、そしてこれらの政策に対して先行研究者たちはどのような視
点から批判を展開していったのかについて見ていく。
第 4 章では時代を現代に移す。第 1 にこれまでの議論を踏まえて「開放制」の意義と問題点を明ら
かにする。その後に現在進んでいる教員養成の改革のなかでも、教職大学院と教員養成の 6 年制化
(修士課程化)について細かく検討していきながら「開放制」の視点から評価をする。
第 5 章では十分触れられなかった養成に関わる様々な政策や問題点を整理しつつ、本稿のまとめを
行う。併せて、これまで論じてきた「開放制」を軸として今後の教員養成政策を考えるうえでの示唆
を示す。
*明朝赤字→修正の余地がある部分
*丸文字赤字→現時点での構想の箇条書きおよび反省点。
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目次序論.........................................................................................................................................1
第 1節 本稿の目的...............................................................................................................1第 1項 問題意識...............................................................................................................1第 2項 本稿の目的............................................................................................................2
第 2節 本稿の流れ...............................................................................................................2第 1 章 戦前師範教育と戦後教育改革の動向................................................................................4
第 1節 戦前における教員養成の動向......................................................................................4第 1項 戦前の教員養成の概要(師範教育を中心に).............................................................4第 2項 戦前期の教員像批判とまとめ...................................................................................6
第 2節 戦後教育改革の動向とアメリカの影響.........................................................................6第 1項 戦後の教育改革の動向............................................................................................6第 2項 戦後教員養成の出発................................................................................................7
第 2 章 教育刷新委員会における議論展開と「開放制」..............................................................10第 1節 日本サイドの教員養成構想①―「大学における養成」原則の誕生―..............................10
第 1項 第 1 回建議「教員養成について」の成立に至るまで.................................................10第 2項 議論に対する考察―戦後二大原則は確立したか―....................................................11
第 2節 日本サイドの教員養成構想②―「学芸大学」をめぐって―...........................................12第 1項 アカデミシャンズとエデュケーショニストの対立....................................................12第 2項 第八特別委員会の議論と「学芸大学」構想..............................................................13第 3項 まとめ―開放制の内実の検討―..............................................................................15
第 3 章 「開放制」の歴史的検討..............................................................................................17第 1節 「開放制」の曖昧さ.................................................................................................17
第 1項 「開放制」という用語への批判..............................................................................17第 2項 「開放制」の曖昧さ..............................................................................................17第 3項 「開放制」を論じる軸..........................................................................................18
第 2節 「開放制」の歴史的検討①-日本政治の保守化と教員養成―........................................19第 1項 教育職員免許法の制定と開放制..............................................................................19第 2項 1958 年中教審答申に見られる「開放制」批判.........................................................20第 3項 1958 年中教審答申以後の動き...............................................................................22第 4項 検討と考察..........................................................................................................22
第 3節 「開放制」の歴史的検討②-70 年代以降の教員養成―................................................23第 1項 1971 年中教審答申と教員養成...............................................................................23
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第 2項 臨時教育審議会と教員養成....................................................................................24第 3項 教育職員免許法の改正..........................................................................................25
第 4 章 近年の教員養成改革の動向と「開放制」........................................................................26第 1節 「開放制」の意義と問題(歴史的検討をもとに)........................................................26第 2節 現在の教員養成の政策動向(教職大学院、修士課程化を中心に)..................................26
第 5 章 まとめと残された課題................................................................................................29反省点と今後の方針................................................................................................................30参考文献一覧..........................................................................................................................31参考資料①-「教員養成に関すること(其の一)」-.................................................................35参考資料②-教員養成関係略年表-...........................................................................................36参考資料③-教員養成制度の改善方策について(答申)資料-.....................................................38
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序論第 1節 本稿の目的
第 1項 問題意識
近年、いじめや不登校、学力低下といった様々な問題が生じ、教育問題が高度化・複雑化している中
で、高度な「実践的指導力」、つまり現場で即戦力となれる教員を育成することが求められている。
例えば文部科学省が 2006 年に出した答申「今後の教員養成・免許制度の在り方について」において、
教員に求められる資質能力について以下のように述べている。
「社会の大きな変動に対応し、国民の学校教育に対する期待に応えるためには、教員に対する揺
るぎない信頼を確立し、国際的にも教員の資質能力がより一層高いものとなるようにすることが
極めて重要である。」1
この文言をまとめると、①教員の地位の確立、②教員の資質能力向上が現在目指されている方向性
であるということが分かる。こうした考えは近年、とりわけ 2000 年代後半以降の教員養成政策に如
実に反映されている。例えば、2006 年には「学部段階で教員としての基礎的・基本的な資質能力を修
得した者の中から、更により実践的な指導力・展開力を備え、新しい学校づくりの有力な一員となり
得る新人教員の養成」2を目的とした教職大学院が設置され、さらには教員免許制度改革においては免
許の「更新制」が導入されることとなった。さらに先日、中央教育審議会(以下、中教審)が「教職生
活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について」を答申し、教員養成の修士レベル化
が既定路線となったことが大きく報道された 3が、その中において教員養成の修士レベル化の意図を
「教員の高度専門職業人としての位置付けを確立するため」という地位の確立の側面と「教員養成段階
において、教科指導、生徒指導、学級経営等の職務を実践できる力を育成する」4という資質向上の側
面から述べられている。
さて、上記のように近年の教員養成をめぐる改革はめまぐるしい展開を見せている。こうした改革
の個別具体的な内容の紹介や検討は第 4 章で行うが、現在の教員養成の方向性はおおむね教員養成の
「専門職養成化」としてとらえることができよう。こうした改革は一見すれば非常に好ましい動きと
も取れるが、一方でこの動向を批判的にとらえる研究者もいる。例えば佐久間亜紀は 90 年代以降の教
員養成の動向に対し「国家の再統制化」、「開放制の弱化」を指摘するとともに、「「大学における教
員養成」「開放制」という語では、もはや 90 年代以降の変容をとらえきれなくなっている」5との見
解を示している。ここで述べられている「大学における教員養成」と「開放制」という語は戦後の日
本における教員養成の二大原則とされており、戦後の日本の教員養成改革はこの理念のもとに展開さ
れてきた。教員養成改革を進める主体である文部科学省は前出の答申においても「「大学における教
1 文部科学省「今後の教員養成・免許制度の在り方について(答申)」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/06071910.htm (2012.3.22 取得)2文部科学省「教員養成分野における専門職大学院の活用について」(平成 17 年)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo6/gijiroku/05091301/s002.pdf(2012.4.21 取得)3 例えば「朝日新聞<関東版>」 (2012 年 08 月 29 日 朝刊 2社会)4 文部科学省「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について(答申)」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1325092.htm (2012.9.3 取得)5 佐久間 亜紀「1990 年以降の教員養成カリキュラムの変容-市場化と再統制化-」『教育社会学研究 86』pp.97-111,2010
1
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員養成」及び「開放制の教員養成」の原則については、今回の改革でも基本的に尊重する」6との立場
を明確に示していることから戦後を通じてこれらの原則・理念が一貫していたことが分かる。しかし、
いくら国の方針として二大原則を尊重する立場を示しているといえども、これらの原則・理念が失わ
れてしまっている、弱化していると捉える先行研究者がいるのもまた事実である。
なぜこのような矛盾ともいえる状況が生じてしまっているかを考えたときに、単に「大学における
養成」や「開放制」というタームに縛られるだけではなく、その内実が何を意味しているのかといっ
た議論が十分ではないからではなかろうかと筆者は考える。したがって用語の内実を明らかにしてい
くことが肝要ではなかろうか。後に触れるが、戦後の日本教員養成改革をめぐる議論はこの 2 つの原
則を前提としてなされてきたが、「開放制」原則については政策実施の場面によって言葉が含む意味
合いが若干異なっていることが先行研究者によって指摘されている。批判するにしても肯定するにし
ても研究者や識者は多様な意味の中から都合の良い部分のみを抜き取って論じている現状が生じてい
るのである。内実・本質を問わずに、用語だけの議論では何も生まれない。したがって、教員養成改
革が大きく動き出している今こそ、その背後にある戦後の教員養成の原理・原則を問い直し、その内
実を検討していくことが必要であると私は考える。以上の問題意識のもと本稿の論を進めていきたい。
第 2項 本稿の目的
日本の教員養成の具体的な在り方や制度のデザインを考えていくためには、まずその前提としてこ
れまでの日本の教員養成改革を振り返っていくことは意義あることであろう。本稿では戦後の理念の
中でもとりわけ「開放制」の原則に焦点を当てて議論を進めていく。その際、戦後教員養成制度の出
発点である「教育刷新委員会」の議論を中心に、「開放制」がどのような議論のもとで生まれてきた
概念であるか、またその本質にある考え方はどのようなものであるかを改めて明らかにする。それと
ともに、その理念がどのように戦後の教員養成政策や制度に反映されてきたのかを歴史的に捉えなお
し、戦後教員養成の中で「開放制」がどのように担保され、もしくはどのような点から批判がされて
いったのかを見ていく。以上を通して、戦後一貫して尊重されてきた「開放制」原理の意義を明確に
し、現在の教員養成政策の批判的検討と今後の日本の教員養成改革の方向性を考えるための視座を明確
に持ちたい。
第 2節 本稿の流れ
本稿では「開放制」原則の検討を<歴史的な視点>から考察することに軸足において議論を展開す
る。教員養成の現在の動向を把握するためには、まず戦後の教員養成がこれまでどのような展開を
追ってきたのかを見ていく必要があると考えたためである。したがって本稿は上記の目的を果たすた
めに以下のような構成で議論を進めていく。
第 1 章では戦後の教員養成改革の議論の前提となる、戦前の教員養成政策を概観し、その概要及び特
質を明確にする。戦後の教員養成の原理原則は戦前の否定にあったということを踏まえ、どのような
点において批判の対象となったのかを明確にする。また併せて、日本の戦後教育改革を主導したアメ
6 前掲 4
2
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リカが日本の教員養成をどのように把握し、どのような改善を求めたのかという点についても整理す
る。
第 2 章では「大学における養成」と「開放制」の原理がどのように成立したのか、その背景を見て
いく。とりわけ日本の戦後教育改革を担った「教育刷新会議」の議事録を頼りに議論の分析を行う。議
論を踏まえて「開放制」原則の裏にある(「開放制」原則を支えた)思想を明らかにする。
第 3 章では「「開放制」の概念の曖昧さを第 1 に指摘する。その上で前章までの歴史的検討を踏ま
えながら、「開放制」を論じるための視点を定める。その後に戦後の教員養成政策の流れを概観しな
がら政府(文部省・中央教育審議会)が「開放制」をどのように変質させていったのか、またどのよ
うに開放制は担保されていたのか、そしてこれらの政策に対して先行研究者たちはどのような視点か
ら批判を展開していったのかについて見ていく。
第 4 章では時代を現代に移す。第 1 にこれまでの議論を踏まえて「開放制」の意義と問題点を明ら
かにする。その後に現在進んでいる教員養成の改革のなかでも、教職大学院と教員養成の 6 年制化
(修士課程化)について細かく検討していきながら「開放制」の視点から評価をする。
第 5 章では十分触れられなかった養成に関わる様々な政策や問題点を整理しつつ、本稿のまとめを
行う。併せて、これまで論じてきた「開放制」を軸として今後の教員養成政策を考えるうえでの示唆
を示す。
*第 3 章まではおおむね既定路線。第 4 章以降をどうするか構想が十分に定まっていない。
3
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第 1章 戦前師範教育と戦後教育改革の動向 戦後の教員養成は「大学における養成」と「開放制」という 2 点が最大の原則であると述べてきた。
「開放制」という言葉は非常に多義的で曖昧な言葉であることは後の章で言及するが、ひとまず『教
育学大事典』によれば「大学(短期大学)における養成を原則とし、官公私立いずれの大学において
も養成される方式」7と定義されている。この定義においては「開放制」は「大学における養成」を前
提とし、「教員になるためのルートを 1 つに限定せずに大学機関全体に広く開放した」という「制度
の開放」を意味するものと解釈できよう。これは「閉鎖性」の対概念として捉えられている。「閉鎖
制」という言葉は主に戦前における教員養成制度の在り方を示したものである。戦前の教員養成は師
範学校にいて担われており、原則として師範学校を卒業した者にしか教職に就くことは許されなかっ
たのである8。したがって、教員養成が師範学校のみに限定されていたという「制度の閉鎖」の対概念
として戦後の「開放制」理念があると考えてよかろう。黒澤英典は戦後の教員養成改革の理念につい
て「戦前の軍国主義教育を推進する師範学校における教員養成への深い反省にもとづき、民主主義、平
和主義の精神にもとづく教員養成の基本理念を確立した」 9と述べており、戦前の教員養成の否定が戦
後教員養成の出発点となったとの認識を示している。
したがって、戦後の教員養成原則を考えていくうえで、第 1 に戦前の師範教育の在り方を知る必要
があろう。本章では第 1 に戦前の教員養成政策(制度)を概観し、その特質を示すとともに、なぜそ
れが批判の対象となったのかを明確化する。そのうえで戦後の教育改革の中心的な役割を担った民間
情報教育局(CIE)やアメリカ教育使節団が戦前の教員養成をどのように捉え、それを踏まえてどのよ
うな戦後の教員養成改革案を示したのかを見ていくことにする。
第 1節 戦前における教員養成の動向
第 1項 戦前の教員養成の概要(師範教育を中心に)
さて、先にもふれたが教員養成政策を考える上で、「戦前」から「戦後」という変化は非常に大き
い。戦後の教員養成は戦前のそれに向けられた批判にこたえる形で展開してきたためである。した
がって、教員養成の歴史を見るにあたってまずは戦前の教員養成を簡単に見ていくところからはじめ
たい。
戦前の教師は主として師範学校において養成され、その卒業生に対して教員資格を与えるという形
式で養成が行われていた。したがってまず、第 1 に師範学校が作られた背景についてみていく。
日本の教育は 1872(明治 5)年に出された学制頒布によって近代学校制度を整えていくことになる。
師範学校と呼ばれる教員養成機関が作られた背景もこうした学制に基づく教育政策を推進させていく
ために、小学校教員の急需にこたえるためであった。1875(明治 8)年ころから前身であった伝習所
を府県立の師範学校として徐々に再統合し、法的には 1880(明治 13)年の「第 2次教育令」によっ
7 細谷 俊夫、奥田 真丈、 河野 重男編『教育学大辞典 第 2巻』第一法規出版,19788 戦前の小学校教員は本文の記述の通り師範学校出身者のみしか教員になることは許されなかったが、中学校においては大学や専門学校の出身者が教職に就いていた。9 黒澤 英典「開放制教員養成制度の成果と課題--21世紀を拓き担う創造的教師を育むために 」『教師教育研究(20) 』pp.11-17,2007
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て師範学校の設置が府県に義務付けられた。またそれと同時に、私立の師範学校は原則排除された。
その後、翌 1881(明治 14)年の師範学校教則大綱、1883(明治 16)年の府県立師範学校通則によっ
て国家的な基準の下で整備されるようになった。
1886(明治 19)年に森有礼文部大臣のもとで出された「師範学校令」においては「師範学校ハ教員
トナルヘキモノヲ養成スル所トス但生徒ヲシテ順良信愛威重ノ気質ヲ備ヘシムルコトニ注目スヘキモ
ノトス」10と明記され、師範学校を各府県に1校設置し「順良」、「信愛」、「威重」という気質を
持った教師を養成することが目指されていた。ここから、専門的知識や教える技術(教授力)よりも
人間性を重視していたことが分かる。さて、上記のように法整備を経て確立した師範学校の特徴を山
田昇は次のようにまとめている11。(1)学科過課程において各科目の内容は国家基準によって詳細に決
められた。(2)入学資格は高等小学校12卒業以上の学力を持ち、年齢 17歳以上の者に与えられ、就業年
限は 4 年間の中等レベル教育機関として位置づけられた。(3)生徒の募集は公募以上に群や区長による
薦挙が重視された。(4) 学費は公費による完全支給性であり、これに対する債務として卒業後は教職に
就くことが義務化された。(また、そのために経済的に豊かでない者が生徒として多く集まった。)
(5)全寮寄宿舎制をとり兵式体操の重視と独特な訓育方式を採用した。この特徴はおおむね戦前の師範
教育において部分的には改訂されつつもおおむね維持されていった。
さて、その後の教員養成機関の変化についても関係法規をもとに述べていこう。1897(明治 30)
年に出された「師範教育令」においては、高等師範学校は師範学校・尋常中学校・高等女学校の教師を、
女子高等師範学校は師範学校女子部・高等女学校の教師を、師範学校は小学校教師をそれぞれ育成する
場として位置づけが明記された。また、「高等師範学校女子高等師範学校及師範学校生徒ノ学資ハ文部
大臣ノ定ムル所ニ依リ其ノ学校ヨリ支給スヘシ前項ノ外文部大臣ノ定ムル所ニ依リ私費生ヲ置クコト
ヲ得」13(第七条)との規定も示され、公費生だけでなく、私費生も認めることになり志願者も増大し
ていった。また、1907(明治 40)年には「師範学校規程」が定められ、これによって師範学校の編
成が変わり、従来の高等小学校卒業者が入学する本科第1部(4 年制)の他に中学校や高等女学校の卒
業生を入学させる本科第 2 部(1 年制 or2 年制)が設けられることになった。当初、第 2 部は第 1 部
の補充的な役割を担うにとどまっていたものも、中等教育修了者が教職の地位に就く道を開いたこと
は画期的であり、後に第 1 部と第 2 部はまったく対等な関係となった。こうした背景から師範学校は
中等教育機関レベルの地位から専門学校レベルへと引き上げられることになる。それが実現されるの
は 1943(昭和 18)年の「師範学校教育令」の全面改正であり、これによって師範学校は中学校卒業
程度を入学資格とする 3 年制の専門学校程度の教育機関と位置づけられるようになったのである。
以上が戦前の師範学校、師範教育の制度的な変遷を追ったものである。教員養成の「閉鎖性」がはっ
きりとわかることと思う。次にこうした制度下で養成された教員についてどのような批判がなされた
10 「師範学校令」(明治 19 年勅令第 13 号)第 1条より引用 中野文庫「師範学校令」http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rm19-13.htm (2012.4.28 取得)11 細谷ら『前掲書』p.27712 高等小学校とは、義務教育であった尋常小学校の修了後に進学する初等教育機関のこと。13 「師範教育令」(明治 30 年勅令第 346 号)第 7条より引用 中野文庫「師範学校令」http://www.geocities.jp/nakanolib/rei/rm30-346.htm ( 2012.9.10 取得)
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か、先行研究者の意見を少し見ておこう。
第 2項 戦前期の教員像批判とまとめ
陣内靖彦は教員像を「現実超越性(聖)」と「拘束性(俗)」、「公事性」と「私事性」という対立
軸をもとに 4 つに類型化した。明治政府による近代化政策の中で公的制度として確立した教員養成制
度の中で、教師の役割は定型化され、教師は役割を画一的、形式主義的に遂行することに拘束される
ことになったのである。いわゆる教職を「公務」と位置付ける「師範型」教員の登場である。この時
代から教師の役割を農民層が担うようになり、師範学校出身者で構成される教師はパッケージ化され
た知識を忠実に伝えることで国家体制を保持すること求められるようになった。そうした意味で
「公」の性質を有しているといえる。14
さらに師範タイプの教員を批判的に捉えたのは唐澤富太郎である。彼は師範学校出身の教師を「仮
面をかぶった性人的な性格をもって」おり、「卑屈であり、融通のきかぬということなどが世の批判
を浴びて来た」15と分析している。
さて、これまで戦前の教員養成制度、とりわけ師範学校(師範教育)の仕組みを制度の面から概観
し、そこで養成された教員像に関する批評を示した。以上をまとめてみると、 (1)教員養成のルートの
「閉鎖性」の下、(2)中等レベルの教育機関が(3)過度な国からの介入による目的養成の色合いが強いカ
リキュラムの中で教員を養成し、それが教員の「矮小化」、および国家主義を支えるものとして批判
の対象となったと言うことができよう。戦後教員養成はこうしたことの反省から成立していくのであ
る。したがって、次項以降ではいかに戦前の教員養成の問題点を乗り越えようと試み、戦後教員養成
の原則・理念を構築していったのかに視点を絞り検討を試みたい。
第 2節 戦後教育改革の動向とアメリカの影響
第 1項 戦後の教育改革の動向
さて、戦後における教員養成政策の展開をみる前に、戦後の教育政策がどのような形で形作られて
いったのかの全体像を示す必要があろう。したがって本項では戦争直後の日本の状況と教育改革につ
いて概観する。
敗戦後の日本を統治したのはアメリカである。したがって、戦後の教育改革の中心的役割を担った
のは連合国軍最高司令官総司令部(以下 GHQ)の部局である民間情報教育局(以下 CIE)であり、併
せて戦後の日本はアメリカ教育使節団の影響を多分に受けている。その流れを簡潔にまとめておこう。
まず、占領期においてアメリカが求めた日本の改革の根底には「教育の非軍事化」を進めるという
目的があり、この理念の下で GHQ は「4大指令16」を提示した。さらに、GHQ の最高司令長官のマッ
カーサーは日本の教育を再建するためにアメリカからの教育使節団を招聘した。これが 1946 年にス
トッダードを団長とするアメリカ教育使節団であり、彼らがまとめた報告書は日本教育に大きな影響
を与えたのである。彼らの報告書は「日本人がみずからその文化のなかに、健全な教育制度再建に必
14陣内靖彦『日本の教員社会 歴史社会学の視野』東洋館出版、1988、p.117 より作成15 唐澤富太郎『教師の歴史―教師の生活と倫理』創文社 1955、p.916 ①極端な軍国主義教育の禁止、②軍国主義教員の審査と教職追放、③神道への政府関与の禁止、④修身・日本歴史・地理の授業停止、を求めたもの。
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要な諸条件を樹立するための援助をしようと努めた」17ものである。その中身を見てみると、概ね次の
ようなことが述べられている。18①軍国主義・国家主義を排した平和と民主主義の教育を行うこと。②
地方分権的な教育行政を行うこと。③男女共学の実施。④単線型学校系統の採用。⑤ 9 年制の義務教育
の実施。⑥国語の改革。⑦師範教育改革。個別具体的な改革内容を扱うことはここではしない(⑦につ
いては節を改めて議論する)が、現在の教育制度を鑑みればこの報告書が与えた教育改革への影響が
大きいことが分かるだろう。
さて、以上は占領側であるアメリカが日本の教育改革にどのようにかかわったのかを概説したもの
であるが、その一方で日本において教育改革を主導する役割を担った機関として「教育刷新委員会」
がある。教育刷新委員会は使節団を迎えるにあたり組織された日本側教育者委員会を母体として 、
1946(昭和 21)年 8 月に内閣総理大臣の諮問機関として発足し、1951(昭和 26)年まで存続した。
日本の戦後教育制度の根幹である 6.3.3.4 制の学校体系の実施や教育基本法の制定といった重要な役割
を担うとともに、戦後の教員養成の在り方(大学における養成と開放制の二大原則)などについての
建議も教育刷新委員会で行われた。(教員養成をめぐる議論については次章で詳しく検討していくこ
ととする。)
戦後の新教育体制さらに、こうした背景のもとで制度が整備され、国民学校は小学校と名前を改め、
新制中学校、高等学校が発足し、スタートしていくのである。(年表参照)
図○ 新教育制度の成立19
第 2項 戦後教員養成の出発
前項までに戦前の教員養成制度(師範教育)概要及び、戦後の教育改革の大まかな流れについて述べ
てきた。その中で戦前の師範教育は「閉鎖性」が色濃く、戦後の教員養成ではこれらの課題を乗り越
17文部科学省「米国教育使節団報告書」http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317998.htm(2012.9.10 取得)18 脚注 17 及び、時事通信出版局編『教職教養の重点研究 2012 年度版』時事通信社,2010,pp.276-279 を参考にした。19 時事通信出版局編『前掲書』p277 より。
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えなければならなかったということ、また戦後教育の出発点には CIE とアメリカ教育使節団というア
メリカサイドの機関と、教育刷新委員会という日本サイドの機関が主として大きな役割を担ってきた
ことを指摘してきた。本項ではその流れを踏まえ、日本を統治する側であったアメリカ教育使節団が
戦前の教員養成をどのように捉え、またどのような教員養成制度を志向していったかを具体的に見て
いくことにする。
1. CIE“Education in Japan”に見る戦前教員養成の実態
まず、アメリカサイドの考えた教員養成について概観していこう。戦後の教育改革ははじめ、主に
CIE によって担われ、その CIE がまとめた“Education in Japan”という報告冊子をもとにアメリカ教
育使節団が日本教育の視察を行ったという流れがある。そこでまず、“Education in Japan”に描かれ
た当時の日本の教員養成の実態を示し20、そのうえでアメリカ教育使節団報告書の中身を検討していく。
“Education in Japan”の中ではまず、1934 年時点での教員免許の実態について明らかにしている。
小学校教員免許状を与えられた教師のうち、師範学校卒業生が 30.9%、他の方法で取得したものが
69.1%であり、中等学校教師については 1944 年現在で高等師範学校卒業生が 4.81%、その他の高専
大学の卒業生が 59.92%、その他の方法で取得したものが 37.27%であったというのである。この調
査から師範学校を卒業した正規の教員の割合が低いことが分かる。師範学校出身の教員数は各府県に
おいて不足しており、教員充足のための様々な手段がとられていたのであり、それが上記の「他の方
法」であった。例えば、「小学校教員については、府県で講習会を行なって教員免許状を与えて任用
したり、中等学校卒業生を代用教員として授業にあたらせることもあった。中等学校教員については 、
文部省において検定試験を行ない、合格者に中等学校教員免許状を与える制度をとった」21という。
このような点を踏まえると、戦前において師範学校における教員養成が必ずしも十分な役割を果た
しているとは言えない実態がわかるだろう。アメリカ教育使節団はこうした報告をもとに、教員養成
改革を進めていくことになる。
2. 「アメリカ教育使節団」の教員養成理念
さて、CIE の報告をもとに、アメリカ教育使節団が実際の調査を行い。報告をまとめることになる 。
日本の新教育体制に大きな影響を与えた「アメリカ教育使節団報告書」には教員養成についてどのよ
うな記述がなされていたのであろうか。
まず、「報告書」の序論では教員について「教師の最善の能力は、自由な雰囲気の中でのみ栄える
ものである。…(中略)…子どもたちの測り知れない資質は自由主義の陽光の下でのみ豊かな実を結
ぶ。この光を供するのが教師の務めであり、決してこの逆ではないのである。」22 (p.22)と述べてお
り、ここにアメリカ教育使節団が戦後の教育を担う教員に対する期待感が表明されていることが分か
る。では、教育使節団はこうした教員を養成するために具体的にどのような制度を志向していたのだ
ろうか、報告書の記述をもとに見ていこう。
教員養成については報告書の「第 4 章 授業および教師養成教育」に具体的に記されている。その中
20 “Education in Japan”の内容については海後宗臣『教員養成』東京大学出版会、1971 を参考にした。21 海後宗臣『教員養成』東京大学出版会、1971,pp.5-622 村井実訳『アメリカ教育使節団報告書』講談社学術文庫,1979 より。以下、「アメリカ教育使節団報告書」の引用は村井訳のものによる。
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での教員養成に対する認識を見ていこう。まず、戦前からの教員養成に対して「教師は、何を、どの
ように教えるかを厳密に指示されてきた。授業は、全体として、形式的で型どおりのものであった。
…(中略)…このような組織は授業を硬直化させる効果をもつ」 (p.75)との批判をしている。こうし
た批判の下で、アメリカ教育使節団は教員養成についてどのような意見を持っていたのかを抜き出し
てみると、まず「教師の教育上の資格も、臨時の機関を除いては、教育機関で適正な準備を経たうえ
でないかぎり、それが認められないことに改められるべきである。…(中略)…教育について系統的
な準備教育を受けていないものには、教える資格を与えるべきではない」 (pp.92-93)と述べ、教員に
は養成教育が必要であるとの立場を明確に示している。そして、養成教育の内容は「一般教育ないし
は自由教育」、「教えることがらについての特別な知識」、「自分の仕事の専門職的側面についての
特別の知識」(以上、p.93)の 3 点、言い換えれば「一般教育」「専門教育」「教職教育」の 3 つか
ら構成されるべきであるとしている。そして、こうした戦前師範教育(教員養成)の実態と自身の認
識を踏まえ、新たな教員養成について次のような勧告をしている。
「師範学校は、より優れた専門職的養成とよりふさわしい自由教育を提供するために、より高度の
レベルに再編成されるべきである。すなわち、師範学校は、教師の養成教育のためのより高度の
学校あるいは単科大学とすべきである。」(pp.96-97)
以上が『アメリカ教育使節団報告書』の教員養成に関する部分の概要である。この中身をまとめる
と、「教育段階において一般教育をベースにしながら、「教職の専門性」の育成も意図的に行うべき
だ」という立場を示したということになろう。こうした思想の背景にある、アメリカの教職観にも触
れておこう。アメリカは 1930 年代において、小中学校の教員養成はリベラルアーツ・カレッジや
ティーチャーズ・カレッジにおいてなされていた。これらの機関では教職専門教育の重要性は認知さ
れていたという。23こうしたアメリカの養成の考え方が報告書の中にも反映されていったのである。
3. まとめ
さて、この報告に筆者なりの見解を加えてまとめとしたい。この報告書の中では戦後の二大原則の
うちの「大学における養成」原則は明確に打ち出されていることは十分に観てとれるが「開放制」の
原則が明確に表れているかについては疑問である。こうした提案は戦前の師範教育を乗り越える形で
の提言・勧告であり、師範教育の中身の批判なども盛り込まれているのだが、いわゆる従来言われて
いるような「閉鎖性」や「師範タイプ」の教師養成を批判するというよりはアメリカ型の教員養成の
目的養成化を進めていこうという意思の方がより濃く反映されているように思えるのである。
では、こうした教員養成に関するアメリカサイドの勧告を受けて日本はどのような対応をとって
いったのかを次章において見ていこう。
23 浜田博文「アメリカの初等教員養成プログラムにおける教職専門教育について―1930 年前後を中心に」『東京学芸大学紀要 第 1 部門教育科学』(47),1996,pp.215-227
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第 2章 教育刷新委員会における議論展開と「開放制」
さて、前章では戦前の教員養成政策および、それを踏まえた「アメリカ教育使節団報告書」の勧告
について見てきた。その中には教員の「目的養成化」を目指す思想が背景にあったことを明らかにし
た。しかし、当時の日本においては「教職を専門的職業と捉える職業観も、その養成教育のために
「特別な準備教育」が必要だとする教員養成観も、終戦直後の日本の知識人には受け入れがたい考え
方」であり、目的的な教員養成に対して、「教育刷新委員会の大勢はあくまでも忌避の姿勢を貫い
た」24という。日本人にとっては教員養成の「特別の準備教育」とは軍国主義やナショナリズムを広く
浸透させるために利用されたと捉えられ、<戦前の師範教育>の否定はすなわち<目的養成の否定>
と等置として捉えていたというのである。
本章ではこの先行研究での言明を念頭に置いたうえで、戦後の教育政策の基本方針を策定した教育
刷新委員会において、教員養成政策の制度設計がどのような議論のもとでなされ、戦後を貫く 2 つの
原則、すなわち「大学における養成」と「開放制」が生まれたのかを見ていく。その中で「アメリカ
教育使節団報告書」の理念はどのように反映され、もしくは批判されていたのかについてもみていき
たい。そうした検討を試みることで、日本の戦後教員養成原則の出発点および日本的な特質が浮かび
上がってくると考えるのである。
第 1節 日本サイドの教員養成構想①―「大学における養成」原則の誕生―
第 1項 第 1回建議「教員養成について」の成立に至るまで
日本の教員養成の議論は教育刷新委員会において行われた25。その流れを、まずは戦後の教員養成の
研究書の中でも最も有名な海後宗臣の『教員養成』を頼りに見ていく26。海後は教育刷新委員会におけ
る教員養成に関する議論を 3 つの時期に分けている。
第 1期は 1946(昭和 21)年 9 月 13 日の第 2 回総会から 12 月 27 日の第 17 回総会までである。こ
の時期の主となる議論は「師範教育に対する批判と教育養成の新しい原則をめぐる問題」であった。
教員養成制度の在り方については多くの意見が出されたが、その議論の中で「師範学校でなされてき
た教員養成のあり方を否定しなければならない」という点はほぼ共通していたという 27。例えば第 7回総会(1946(昭和 21)年 10 月 18 日)において、東京天文台長であった関口鯉吉は「この学校の先
生になるためにはこの程度の教育をすればいいのだ」というように、「周囲から上の方に限度を作っ
て居る」ところが「師範教育で一番いけない」と発言している28。また、同総会において、東京高等師
範学校学長の務台理作は新学制(6・3・3・4 制)を想定したうえで、「義務教育を担任する教師は、
24 TEES 研究会『「大学における教員養成」の歴史的研究」』学文社,2001,第 2 章「教育刷新委員会における論議」より pp.88-89 を引用。25 第 2 回総会(1946(昭和 21)年 9 月 13 日)で木下一雄東京第一師範学校長が「教員養成制度につきましては最も根本問題だと思います」と述べたことで重要議題として取り上げられることとなった。26 主として「第 1 章 教員養成制度の改革構想」< 第 4節 教育刷新委員会における制度改革の論議>を参考にした。27 TEES 研究会『上掲書』 p.8028 日本近代教育史料研究会編『教育刷新委員会・教育刷新審議会会議録<第 1巻 教育刷新委員会総会(第 1 - 17 回)>』岩波出版,1995,p.40<孫引き>
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原則として大学教育を受けるということは大切なことになる」と述べ、従来の師範型に全くとらわれ
ない、そういう或る意味で非常に自由な大学の必要性を説いている。こうした議論から戦後の教員養
成原則である「大学における養成」原則の萌芽をみることができよう。「大学における養成」が議論
の末に結実するのは第 17 回総会(1946(昭和 21)年 12 月 27 日)において採択された第 1 回建議「教
員養成について」である。この議論は第五特別委員会において議論されたもので、「何か特別な教員
養成のための機関を設けるということはいけない」(天野貞祐)や他方での「現にある教師養成の機
関を拡充してこれの内容を改革して完備させる」(及川規)という対照意見を背景としつつ、教育大
学の特設を主張する立場とそれに批判的見解を持つ立場の論議を踏まえ、また「教育の技術」必要論
を踏まえて「綜合大学に 1 つの科として教育科というか師範科というか、それを考える」という方針
が形成されていったのである29。そして、これらの議論を土台として、第 1 回建議「教員養成につい
て」では教員養成は「綜合大学及び単科大学において、教育学科を置いてこれを行うこと」との原則
が打ち出されたのである。第五特別委員会の小宮豊隆主査はここでいう「教育学科」については「従
来の総合大学の教育学講座よりももっと広い講座グループ」として考えており、「単科大学の中でも
教員養成のための大学、すなわち「教育大学」を作るのは望ましくない」という立場を明確にしてい
る30。また、南原繁も「教育大学というと単なる名称だけでない、やはり教育専門の人を養成する、ま
た教育だけの学問を主とする大学だということにどうしてもなる。これがまさに今日の師範学校制度
の根本の改正しなければならん点」であるとの見解を述べており、ここに教員養成目的大学をつくる
ことには否定的だったということが認められよう。
第 2項 議論に対する考察―戦後二大原則は確立したか―
さて、少々細かく議論内容の変遷を見てきたが、これまでの流れを踏まえれば第 17 回総会で出され
た建議をもっておおむね「大学における養成」原則が確立したということができよう。複線型学校体
系において「学問」系統から分離され、しかも低い段階に位置する「特殊な学校」で養成されていた
小学校教員が、単線型学校体系における「最高学府」としての大学において学問に直結しうる養成教育
を受けるという重要な制度転換なのである31。「アメリカ教育使節団」は大学における養成を勧告して
おり、その点においては理念が反映されているといえる。
しかし、使節団が勧告した目的養成については、師範学校や教育大学といったような目的養成に特
化した機関を作ることに対して教育刷新委員会はこの時点では否定的な立場をとっていたのであるが
一方で、教員養成のための準備の必要性はある程度認めており、それが「教育学科」における養成に
つながったのだと考えられよう。
では、もう 1 つの大原則である「開放制」の原則についてはどうだろうか。先行研究者の中ではこ
の建議をもって開放制原則が確立されたと指摘するものも多い32。確かに、上記の南原発言に見られる
ように戦後の師範教育を目的養成の側面から批判を行い、養成に特化した「教員養成のための大学」
29 臼井嘉一『開放制目的教員養成論の探求』学文社,2010,p3130 要出典確認。『教員養成』p.40 から引用したもの31 TEES 研究会『上掲書』p.8232 例えば海後上掲 p.40 や黒澤 英典「開放制教員養成制度の成果と課題--21世紀を拓き担う創造的教師を育むために 」『教師教育研究 (20)』,pp.11-17,2007,p.13 など
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の設立を否定したという点においては戦後の師範教育の形を乗り越えた視座が提供されたととること
ができる。つまり、「教員になるためだけの教育」(=目的養成)からの開放、および「師範学校だ
けでの養成」(=閉鎖性)からの開放という点から見れば確かに「開放制」原則が見いだせるとも考
えられなくもない。しかしこの建議を読み限り、結局教員養成は「教育学科」で行わなければならず 、
十分「開放制」の原則を示しているといえるのかは疑問が残る点であるし、「開放制」という言葉自
体が議論内で明確に表れているわけではなく、その内実も不明確であると考える。我々が何をもって
「開放制」と捉えるかによって見解は変わる(つまり後世の我々が教育刷新委員会の議論の一部を切
り取ってその 1 部を操作的に「開放制」と定義することは可能である)が、それでは原則の本質を見
失ってしまうことになりかねない。戦後の教員養成改革を議論していた者たち(主として教育刷新委
員会)がどのように「開放制」という理念を生み出し、そしてそれをどのように捉えていたのかを明
らかにすることこそが必要なのである。しかし、この議論だけでは私にはまだ見えていない。した
がって、「目的養成の否定」の理念が打ち出されたことは認められるが、それが即「開放制」の原則
なのだと捉えるのは危険なように思う。したがって、筆者はこの時点において「開放制」原則が確立
したと考えるのはやや不正確であるとの立場をとる。もう少し教育刷新委員会の議論を追っていく必
要があり、その議論全体を通して「開放制」がどのように論じられ、その内実にはどのような理念や
思想が含まれていたのかを探っていきたい。
*夏課題執筆時点で上記の「教育学科」が指し示すものが自分の中でも十分認識できていないため
に今回はこの立場をとる。原典に立ち戻ったときに立場が変わる可能性がある。(翌年の修正案
をめぐる議論の中で、「教育学科」についての性格が議論されている(後述)のだが、その性格
がこの建議における「教育学科」においても共通して当てはまるものなのかは定かではない。)
第 2節 日本サイドの教員養成構想②―「学芸大学」をめぐって―
第 1項 アカデミシャンズとエデュケーショニストの対立
教育刷新委員会ではこの後も教員養成をめぐる議論が活発化していく。海後のいう第 2 の時期(第
25 回総会(1947(昭和 22)年 2 月 28 日~第 34 回総会(同年 5 月 9 日))のメインテーマは上述の建
議で示された「大学における養成」原則に見られる「大学」をどのような大学とするべきなのかとい
う問題である。この議論の背景には 2 つの課題があった。1 つは教員需要の急激な増加にどのように
対応するかという課題33であり、もう 1 つは戦前の師範学校をどのように処遇するかという課題であ
る。こうした課題をもとになされた議論の中でとりわけ厳しい対立が生じたのが「目的養成」(「目
的大学」)の是非に対する議論であった。山田昇はこの対立を学問が十分にできることが優れた教員
につながるという「アカデミシャンズ」の立場と教員としての特別な知識・技能を備えることが教員
に求められるという「エデュケーショニスト」として捉えている 34。本項では、目的養成をめぐる教
33 新しい学校制度がスタートしたときに、教員の人数が足りなくなってしまうとの試算があった。この試算は教員養成に特化した機関をつくるべきだとの主張につながった。(「計画養成」の考え方)34 山田昇「教育刷新委員会におけるアカデミシャンズとエデュケーショニスト」『和歌山大学教育学部紀要―教育科学―(20)』,pp.87-96,1970
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育刷新委員会の議論を追っていきながら、その結果生まれた「学芸大学構想」を支える理念を明らか
にしていく。それを踏まえて「開放制」原則の内実に迫りたい。
まず、アカデミシャンズとエデュケーショニストのそれぞれの立場を簡潔にまとめておく。教育刷
新委員会においてはこの二派が激しい対立をしながら議論されていくのである。
アカデミシャンの立場には関口鯉吉や天野貞祐などが代表者として挙げられよう。天野は「特別な
教員養成機関をつくることは是非止め」てほしい、「普通の大学」でしかも「人文主義的な色彩を多
分に持った」大学を卒業した者が教員になるのが望ましいと述べている35。こうした
アカデミシャンズの立場をまとめると、教員に大切なのは「学問的教養」と「優れた人間性」であ
り、それらは「学問」を追求することによってこそ培われるのだという認識に立っており、師範学校
はそれをせずに「教員としての特別な教育」を第 1 に据えたために、そのいずれにおいても狭隘な教
員を生み出してしまったというのである36。つまり、彼らの考えの中心は教員の目的養成化の否定なの
である。こうした思想が先述の第 1 回建議「教員養成について」に色濃く反映されている37。
一方エデュケーショニストは「教員としての特別な教育」の必要性を説き、「教育大学」において
教員養成が行われるべきだとの立場をとっており、その代表格が倉橋惣三と木下一雄である。彼らは
「教育使節団」の報告を踏まえたうえで、師範学校は実際には教員が必要とする知識・技能を十分に
扱っていなかったという点で批判されるべきなのであり、新たな社会に向けての「教育専門家」とし
ての教育には「教育者のための特別な教養」が必要であると述べている。
第 2項 第八特別委員会の議論と「学芸大学」構想
さて、このアカデミシャンズ VSエデュケーショニストの対立がどのような帰結となり、戦後の教
員養成原則を形作ったかを主に第八特別委員会において行われた議論をもとに見ていこう。その中で
目を引くのは城戸幡太郎の意見である。彼は第八特別委員会第 3 回会合(1947(昭和 22)年 3 月 28日)の中で「リベラルアーツを主にし」て「一般の国民としての高い教養を与える」ような大学を考
え、「そこで必ずしも教員養成のみという風に初めから目的を規定するんじゃないが、大体その大学
を出たものは、教員にふさわしい、教員として職を奉ずるにふさわしい人間を創っていくということ
をはっきり目標にした国民大学とでも称するようなもの」38という構想を示した。この案は 4 月 4 日
の同委員会中間報告の中に「国民一般の教養を主とする大学(学芸大学・教養大学)」という文言で示
されている。ちなみにその中間報告で示された内容を簡潔にまとめておくとおおよそ次の内容であっ
たという。39
(1) 小・中学校の教員は、綜合大学の教育学部、綜合大学及び単科大学の教育学科、「国民一般の教
養を主とする大学」すなわち学芸大学あるいは教養大学、および教育大学において養成40する。
35日本近代教育史料研究会編『前掲書』 p.172<孫引き>36 TEES 研究会『前掲書』 p.8337 建議を議論した第 5 特別委員会の委員にはアカデミシャンズの立場の委員が多かった。38日本近代教育史料研究会編『教育刷新委員会・教育刷新審議会会議録<第 9巻 第 7 特別委員会、第 8 特別委員会>』岩波出版,1995,pp. 291-292<孫引き>39 海後『前掲書』p.4340 海後と TEES 研究会では「学芸大学」と「教育大学」の順番が異なっている。原典に当たり正しい順番を確認する必要がある。今回は参照した海後の意見に合わせて記述した。
13
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(2) 従来の学費支給制、就職に関する指定義務制は廃止する
(3) 教員養成は官・公・私立いずれの大学でも行なうこととする。
さて、まずはこの中間報告の内容に対し、筆者なりの考察を試みたい。(1)についてポイントとなる
のは前年の建議に加えて「教育大学」および「学芸大学」という言葉が付け加わったことだろう。そ
れについては後程改めて検討するが、ここで指摘したいのはこの文脈においてもアカデミシャンズと
エデュケーショニストの双方の立場が文言内に両論併記されていることである。この時点では対立は
収束しておらず、妥協的な記述となったことが分かる。 (2)では閉鎖性の撤廃が完全に謳われている。
つまり、教員養成のルートを進むと「教員にしかなれない」という戦前の師範学校的な制度の解体が
ここに明記されているのである。明確な戦前体制の否定とも受け取れるだろう。 (3)については「教員
養成について」で明確に示された「大学における養成」の再確認ともいえよう。
こうして妥協的に示した中間案にはとりわけ、前年度の建議との矛盾点に対して多くの批判が集
まった。この批判の下、4 月 11 日に出された中間報告の修正案においては教員養成に関して、小学校、
中学校の校長及び教員は、「綜合大学及び単科大学の教育学科」、「教育者の育成を主とする学芸大
学」、「音楽
、美術、体育、家政、職業に関する高等教育機関」において養成するとの文言に差し替わった。「教育
大学」や「教育大学」という文言は削除され、その代わりに学芸大学の形容句に「教育者の養成を主と
する」との文言が付け加わったのである。「教育大学」の削除について務台理作主査は「教育大学は
原理的によくないものである、教員養成に副わないという意味で取ったのではない」との見解を示し
ている。教育大学という名称では「教員養成諸学校がそのまま教育大学という名前になってしま」い、
その結果師範教育の刷新が不徹底になってしまうのではないかと考えたというのである。一方学芸大
学についても「文理科を兼ね備えたような文理科的の内容を持った大学」で「教育者になる者をそこ
でより多く出す」が「それと同時に教育者にならない人、一般に高い教育を以て世の中に出ていくよ
うな人もそこにおる」大学と説明している41。
さて、もう 1 つ注意しておかなければならないのは文言の中にある「教育学科」という語の持つ性
格についてである。これは 46 年 12 月の建議においても明記されていたものであるが、務台はこれに
ついても 33 回総会で以下のような言及をしている。
「教育学科というのは、広く心理学、実習等を提供する学科のことであり、その学科を出なければ
教員になれないというような性格のものではないと同時に、従来の中等学校教員養成のように、専
門科目の他に教育学の単位を一つか二つ取ればよいというものでもない。場合によっては教育に関
する科学的研究を中軸とした一つの専門学部にも発展しうるような組織である。」42
この言明を見ればわかるように、この考え方は現在の「教職課程」に近いといえよう。すなわち、
我々が一般的にイメージする開放制原則を支える考え方はこの時点で明確になったことが分かる。
41日本近代教育史料研究会編『教育刷新委員会・教育刷新審議会会議録<第 2巻 教育刷新委員会総会(第 18-36 回)>』岩波出版,1995,p. 304<孫引き>42 海後『上掲書』pp.53-54 より引用。出典元が不明のため要確認。
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こうした修正を通して先ほどの中間報告は 1947(昭和 22)年 5 月 9 日の第 34 回総会で「教員養成
に関すること(其の一)」として採択された。その中では教員養成について次のように定められてい
る。(全条文は参考資料に載せた。)
一 小学校、中学校の教員は、主として次の者から採用する。
1. 教育者の育成を主とする学芸大学を修了又は卒業したる者。
2. 綜合大学及び単科大学の卒業者で教員として必要な課程を履修した者。
3. 音楽、美術、体育、家政、職業等に関する高等専門教育機関の卒業者で、教員として必要な課
程を兼修した者。
五 現在の教員養成諸学校中、適当と認められるものは、学芸大学に改める。但し、臨時措置に関い
ては、別に対策委員会を設けてこれを審議する。
六 教員養成諸学校の教員養成のためにする学資支給制指定義務制は廃止する。教員の配当計画につ
いて、別に考慮する。
七 教員の養成に当たる学校は、官公私立のいずれとすることもできる。
この建議を見ればわかる通り、修正を経て学芸大学は教員養成を担う機関の 1 番最初に明記される
こととなったが、この学芸大学の中身はアカデミシャンズとエデュケーショニストの妥協の産物であ
り、その内実は非常にあいまいであったのである。
第 3項 まとめ―開放制の内実の検討―
さて、これまでかなりの紙面を割いて教育刷新委員会の議論の変遷を教員養成に関わる部分に絞っ
てみてきた。その中で戦後教員養成の二大原則である「大学における養成」原則の確立は議論の中で
明確に示された一方で、「開放制」については必ずしも明確に示されたわけではないということを明
らかにしてきた。ここでは「教員養成に関すること(其の一)」が建議されるまでの議論を整理し、
戦後の教育刷新委員会が目指した開放制の理念を浮き彫りにしたい。
今まで述べてきた教員養成をめぐる議論をまとめると次のように進展していったと捉えられる。
① もとはアメリカ教育使節団報告の勧告とは逆に「目的養成」を完全否定する形で制度設計の議
論が進められた。その建議はアカデミシャンの立場の者が多く存在した。
②エデュケーショニストの立場や現実的な需給問題に対応する意味もあり、目的養成的な機関の
設置も 1 部容認する動きが見られた。
③最終的には修正を経て、妥協する形で中身があいまいな「学芸大学構想」が生まれた。また、
「教育学科」という文言も消え、「課程制」が明記された。
これを踏まえると、師範教育の完全否定43という側面から戦後の教員養成の基本理念は出発し、その本
質は、「目的養成」の否定、つまり教師になるための教育を否定するところにあったのではないかと
考えられる。それがエデュケーショニストとの対立を経て徐々に変容していき、現在のように「制度
43師範教育に対する評価の違いがアカデミシャンズとエデュケーショニストの対立を招いたとも考えられる。
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の開放」、つまり政府が認めた課程を設置していればどの大学においても教員を養成することができ
るという制度として定着するように至ったのではないかと考える。
したがって筆者は「開放制」の本義は目的養成の否定であり、その派生的性質として(目的養成の
否定を担保するために)課程制、すなわち「制度の開放」の考えが「開放制」に内包されたのだと考
える。
*夏課題では時間がなかったために 1947 年 5 月の段階までしか議論を精緻に見ていくことが出来て
いない。また、ここまでである程度「開放制」原則が確立していると判断した。卒業論文においては
もう少し先の部分まで 1 通り教育刷新委員会の動向はおさえるつもりでいる。
*また、「学芸大学」と「教育大学」が併存している状況についても言及を深める必要がある。役割
分担等。
16
教育刷新委員会の内容については先行研究者が述べていることに対して自身の見解を述べるという形になっており、原典(議事録)自体を読むことが出来ていない。そのため、出典もとがあいまいな部分があるとともに自分なりの視点というものが形成されていない。そのため、卒論提出時までには教育刷新会議の議事録にもっと深く目を通し、自分なりの見解・発見を盛り込むようにしたい。そのため、卒論亭主
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第 3章 「開放制」の歴史的検討第 1 章および 2 章では戦前の教員養成、アメリカ教育使節団、教育刷新委員会の議論を中心に振り返
りながら、「開放制」理念がどのような過程を経て誕生し、その本質にはどのような理念があるのか
を考察してきた。本章ではまず、改めて「開放制」の曖昧さを指摘するとともに、第 1 章の考察を踏
まえて「開放制」を論じる軸となる視点を定める。その上で戦後の教員養成政策の展開を概観すると
ともに、「開放制」批判が展開された主要トピックについて何がどのような視点から批判されたのか、
また「開放制」はどのような形で担保されえたのかという点について考察をしていくことにする。
第 1節 「開放制」の曖昧さ
第 1項 「開放制」という用語への批判
「開放制」という言葉の多義性や曖昧さは多くの先行研究者によって批判されているところである 。
例えば、岩田康之は開放制概念の曖昧さについて次のような見解を示している
「「開放制」が教員養成・免許授与の開放的なシステムを意味することのみならず、「(旧師範学校―教
員養成系大学以外に)多様な主体の参入がある」という実態や、「国家的な規制が緩い」という運用な
在り方や、さらにはその効果として「(いわゆる「師範タイプ」以外の)幅広い人材を教育界に確保す
る手立て」であること等の様々な含意が付随し、しかもそれらの中から論者の立場に適うものが恣意的
に組み合わされて論が構成されている…(後略)…」44
この指摘は非常に重要である。戦後の教員養成に関して「開放制が変容している」と主張したとし
ても、それはあくまで論者、研究者の恣意性が含まれているものなのである。そうした現状を踏まえ
れば、竺沙知章が「教員養成制度やその内容を掘り下げて考えようとするならば、「開放制」という
言葉は用いるべきではないだろう」45と述べたことにもある種、納得がいく。しかしだからと言って
「開放制」という言葉を蔑ろにしてよいわけではなかろう。戦後から現在に至るまでずっと用いられ
てきた用語46であり、文部科学省(政府)自体もその原則を尊重する姿勢を貫いているのである。した
がって現在求められるのは「開放制」という用語の多義性や曖昧さを批判することではなく、「開放
制」の本質を精緻にとらえ直し、そこからぶれない一貫した軸を見出し、その軸をもとに恣意性を排
して戦後の教員養成改革の動向を再検討していくことなのではなかろうか。1 つの軸からクールに
「開放制」がどのような点から批判をうけ、もしくはどのような点が担保されていったかを分析して
いくことで「開放制」の意義や課題が浮き彫りになるのだと筆者は考えるのである。したがって、ま
ずは次項以降において「開放制」を論じる一貫した軸を定めたい。
第 2項 「開放制」の曖昧さ
さて、開放制を論じる軸を定める前に、まず「開放制」という言葉がどのような多義性を持ってい
るかを見ていくことにしよう。上記の岩田の言及以外にも開放制の多義性を批判する研究者は多い。
例えば佐久間亜紀は開放制の含意を①「供給ルートの開放」②「教育内容の開放」③「教育環境の開
44 岩田康之「新自由主義的教員養成改革と「開放制」--教員養成制度再構築の視角」『教員養成学研究 』(3),pp.1-10,2007,p.245 TEES 研究会『前掲書』 p.40946 そもそも「開放制」という言葉がいつから使われるようになったのかはまだ調査できていないためにそこを見ていく必要がある!!!
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設」④「学生の進路の開放」という 4 点に分類している47。題目を見ればおおよその意味合いはわかる
だろうが、簡単な解説を加えておくと、①は「一般大学での養成」、②は「学問の自由が奪われるこ
と」からの開放、③は「師範学校における兵舎化された寄宿舎で日常生活まで厳しく管理されたこ
と」からの開放、④は「教職にしか就けないこと」からの開放を意味するものである。また竺沙知章
も「開放制」の意味を①「教員養成機関の開放的性質」②「制度論としての開放制」③「目的養成を含
む開放制」という 3 点に分類している。また、肝心の文部科学省(政府)が示した「開放制」の定義
も示しておこう。
「国立・公立・私立のいずれの大学でも、教員免許状取得に必要な所要の単位に係る科目を開設し、
学生に履修させることにより、制度上等しく教員養成に携わることができること」48
この定義を見ればわかる通り、文部科学省は「開放制」を制度的な側面からしかとらえていないこと
が分かる。文科省はこの定義を示したうえで、この原則が「質の高い教員の養成や、戦後の我が国の
学校教育の普及・充実・社会の発展等に大きな貢献をしてきた」というポジティブな評価を与えてい
るのである。つまり、「開放制」という言葉の多義性の中で研究者が「内容における開放制の制限」
を指摘したとしても文科省の立場からすれば「制度面は制限されていない」ため「開放制」が制限さ
れているとの認識を受け入れることはできまい。そのため、噛み合うことのない平行線の議論が展開
されることになってしまうのである。こうした不毛な議論を防ぐためにも客観的に「開放制」をとら
え、再検討することが求められるのである。
第 3項 「開放制」を論じる軸
では、「開放制」をどのように捉えればよいのかという議論に戻ろう。そのヒントは教育刷新委員
会の議論にあると筆者は考えている。つまり、戦後原則の出発点にこそ当時の識者たちが志向した教
員養成の理念が明確に示されているのであり、その中身は前章で述べた通りである。つまり、明確な
目的養成の否定が「開放制」原則の根底にあり、それを保障する制度設計として「課程制」(制度の開
放)が付随しているのである。天野の発言引用!!「大学における養成」の目的とは、土屋によれば「新制大学の理念のもとで、高い教養と深い専門
的な学芸の研究を通して個性豊かな人間を形成し、そのような大学教育を受けた者のなかから、教育
についての専門的な知識と技術を身につけた教師をうみだすことを制度的に確立しようとする」 もの
であり、開放制原則の意義については「教師教育という大事業をすべての国公私立大学に開放した点
にある」 と述べている。また、向山浩子も開放制原則を支える理念として「戦前の師範教育的な教員
養成教育の矮小化を防ぐ意図をもった教師教員養成論」49の存在を指摘している。この思想は教育刷新
委員会の南原繁の発言に明確に表れている。
したがって「開放制」を論じる軸は第 1 に政策理念の中に目的養成の意志が含まれていたのかとい
う視点であり、第 2 にそれを担保する制度設計がどのように変質しているかという点である。こうし
た視点から戦後の教員養成がどのような展開を見せていったかを、次節以降で捉えなおしていきたい。
47 佐久間「前掲論文」p.10948 文部科学省「前掲 1」49 向山 浩子、五十嵐 顕「戦後教員養成論の再検討(上)」『東京大学教育学部紀要 15』pp.197-210,1976, p.200
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第 2節 「開放制」の歴史的検討①-日本政治の保守化と教員養成―
本節以降は戦後の教員養成がどのように展開され、またどのような批判を受けていたのかという点
について考察をしていく。とりわけ、開放制の観点から全国私立大学教職課程研究連絡協議会がどの
ような批判提言を行っていってかについてもみていく。
第 1項 教育職員免許法の制定と開放制
教育刷新会議での議論を経て、戦後の教員養成理念が制度として結実するのは 1949 年の「教育職員
免許法案」および「同施行法案」が衆議院本会議に上程され、原案通りに可決されたことによる。そ
の法案の原則は次の通りである50。
① 免許状主義:教育職員は、例外なく相当の免許状を持つべきこと。
② 専門性と職階性:免許状を 4段階(1級、2級の普通免許、仮免許、臨時免許状)に区別した。
③ 開放制原則の確立:免許状授与に関して、基礎資格として大学または指定の養成機関でうける教
育の年限、単位取得という客観的基準によって免許状が与えられる。
④ 単位の取得:一般教育、教科に関する専門科目、教職に関する専門科目の各々について、所定の
単位が決められた。
⑤ 現職教育の重視:
⑥ 免許状行政の地方移譲:免許証の授与は都道府県の教育委員会が行うこととした。
この教育職員免許法は戦後何回もの改定が行われつつ51も現在に至るまで存続している法律であり、
②の原則は姿を消すがその他の原則は現在に至るまで一貫して変更のないものである。
さて、この制定当初の原則を見てみると、「目的養成」の否定の意志を明確に受け取ることが可能
であるし、制度面における開放制の担保も謳っているため、教育刷新委員会の意図を具体的に制度化
したものであるということができよう。この教職免許法の制定により、開放制教員養成制度の法的順
が完了したことを意味することになったのである。
こうした戦後の教員養成制度に制限が加えられたとされるのが、1953 年の教育職員免許法の 1 部改
正である。1953 年の免許法改定で議論になったのが「課程認定制度」である。課程認定とは、教育養
成審議会(以下、教養審)が(大学の種類を問わず、)免許状授与の所要資格の得させるための課程と
して適当と認める課程を設置した大学・学部においてのみ、教科専門科目及び教職専門科目の単位修得
を認めるという制度である。つまり、文部大臣が大学の課程に対する介入を行う ことを意味するもの
である。この制度の導入には「一般大学」における免許状の乱発が問題点として指摘され、教養審で
大学の与える単位が無条件に免許取得に有効であることを改めるべきという議論がなされたという背
景がある。それゆえ、この課程認定制度は免許法上の「取り締まり」の方法として生み出されたもの 52
であり、開放制教員養成制度は「一定の質的水準維持という観点から制限が加えられる」 53こととなり、
これによって大学の自主的な教職課程カリキュラム編成権を、文部省が拘束することになったのであ
る。
50 篠田弘、手塚武彦編著『学校の歴史 第 5巻 教員養成の歴史』第一法規、1979,p.196-19951 教育職員免許法の改正については参考資料に年表を記載しておく。52 黒澤英典『私立大学の教師教育の課題と展望』学文社、2006、p.1753 松浦 正博「戦後の教員養成制度改革とその課題 」『広島女学院大学人間・社会文化研究 1』pp.49-63,2003,p. 53
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さて、この改正における「開放制」の変質について検討を試みる。確かに免許法上は国家による統
制が強くなり、大学のカリキュラム編成に干渉をすることとなったため、国からの統制は強まったと
いえよう。しかし、一般大学に教員養成を開放している点、また教員養成系の大学に優位に働くよう
な政策ではないため、「目的養成化」を志向したわけでもいだろう。したがって、この改正において
は「開放制」原則は戦後理念のまま担保されていたと筆者は捉えている。
なお、ここで留意しておくべき点は「開放制と教員の質の相関関係の有無」である。課程制導入は
最低限の質保障の観点からであるといわれているが、国家がカリキュラムに介入することで果たして
本当に教員の質は維持されるのかという点には疑問を抱く。「開放制」の原点には目的養成よりも多
様な学問を学ぶことの方がより質の高い教師を創るというアカデミシャンズの立場が色濃く反映され
ていたはずだからである。そうした点で、この変質は改めてより深く議論しなければならない点であ
ろう。
ちなみに、制度的な側面からも「開放制」について触れておくと、1956 年時点で、幼稚園から高等
学校までの教員 68万 4千人のうち、新制大学(4 年制、短大)の卒業生は 19%を占めるに至っており、
そのうち 6割以上が学芸大学・学部、教育学部の出身者であったというが一般大学の卒業生も 4割近
くを占めていた54という。そのため、制度的にも学芸大学の出身者のみが教職についていたという現象
はなく、供給ルートの開放もできていたと考えられよう。
第 2項 1958年中教審答申に見られる「開放制」批判
さて、1950 年代の日本社会において、少し言及しておこう。1949 年から 50 年を転換点として、
占領軍の対日政策は、冷戦体制の構造下で日本社会の非軍事化・民主化・自由主義化から「反共のとり
で」化、経済復興政策へと転換していく。そうした中で国内の政治体制も保守化が進行していくので
ある。教育改革でいえば、首相の私的諮問機関として設置された「政令改正諮問委員会」の「教育制度
に関する答申」において、戦後教育改革を「国情を異にする外国の諸制度を範とし、徒に理想を追う
に急で、わが国の実情に即しないと思われるものも少なくなかった」ために「わが国の国力と国情に
合し、真に教育効果をあげることができるような教育制度に改善する必要がある」 55と述べ、日本独自
の改革の必要性を主張している。こうした中で例えば、教育二法56の制定(1954 年)や教育委員会の公
選制の廃止(1956 年)、教職員の勤務評定(1957 年)など国家からの統制が強化されるような教育政策
が矢継ぎ早に決められたていったのである。
話が前後したが、免許法改正後の教員養成政策の動向に話をもどそう。1950 年代後半の日本におい
ては、優秀な教員や科学技術の進歩に対応できる教員が求められるようになり、それに合わせて教員
養成をめぐる議論も活発化していくことになる。とりわけ教員養成の再編をめぐる議論は 1957(昭和
32)年に当時の灘尾弘吉文部大臣が中央教育審議会(以下、中教審)に対して「教員養成制度の改善
54 松浦「前掲論文」p.54 より。このデータがどこからの引用かが明記されていないため、1次ソースを探る必要がある。55 広島大学文書館「森戸辰夫関係文書資料画像>政令改正諮問委員会の教育制度に関する答申」よりhttp://home.hiroshima-u.ac.jp/hua/catalog/moritolist.html ( 2012.9.18 取得)56 「義務教育諸学校における教育の政治的中立確保に関する臨時措置法」と「教育公務員特例法の一部を改正する法律」
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方策について」諮問を行ったことによる。この諮問理由を見てみると、「教員の資質については必ず
しもじゅうぶんとは認めがたい」、「需給の調整についても問題なしとしない。」という点を挙げ、
検討課題として「少なくとも義務教育学校教員については,現行の国立大学における教員養成を質的
にもさらに強化する必要はないか。」との主張がなされている57。つまり諮問の直接的な促進要因は
「教員の資質や教員の需給関係からする開放的養成制度への疑問や批判であり、計画養成への主張」で
あったことが分かる58。この諮問に対する答申は翌年に出される。その中では教職を「高い教養を必要
とする専門職業」と位置付け教員に必要な資質として「一般教養、専門学力、教職教養」の 3 つが求め
られるとして、「これらが教師としての人格形成の目的意識を中核として有機的に統一されることが
必要である。」と述べている。その一方で、戦後の教員養成について次のような批判がなされている。
①開放制への批判:
「開放的制度に由来する免許基準の低下と,制定当時の教員需給の関係等による級別免許状制度
の採用とにより,単に資格を得るために最低限度の所要単位を形式的に修得するという傾向が著
しく,このため教育実習等教員に必要な教育が名目的に行われる場合も少なくない。その結果教
員たらんとする者に対してもその職能意識はもとより教員に必要な学力,指導力すら十分に育成
され得ない実情にある。」
②目的養成の必要性:
「義務教育の教員の育成に当っている国立大学においても,教員を育成するという目的が必ずし
も明確でなく,免許法の欠陥と相まって,教員を育成するに必要な教育が十分には行われず,ま
た設置当初の事情から教員組織,施設設備もきわめて不十分であり,その形体についても,教員
の育成のための統一ある教育を行い難いものもあり,他方教員の需給も十分な計画の下に行われ
ていないため混乱を生ずるにいたっている。」
上記の内容を見ればわかるように、この時点において文部省は「開放制」原則が十分に機能していな
いとの認識に立っていたことが分かる。
さて、こうした問題意識の中でこの答申は「教員の質向上」と「計画養成」の方針を明らかにして
いる。その中身についても少し見て行こう。まず、この答申に明記された教員養成の基本方針には
「教員の養成は,国の定める基準によって大学において行うものとする。この基準に基き必要に応じ
て国は教員養成を目的とする大学を設置し,または公私立大学について認定する」と述べており、
「教員養成を目的とする大学」における養成に言及していることは注目すべき点であろう。この「教
員養成を目的とする大学」は「単科大学または総合大学の学部とする。」と規定されており、単科大
学の場合は,「視野が狭くならないよう留意」する旨が記載されてはいるものの、明確に教員養成の
目的養成化を謳っているのである。しかも、この答申では「教員養成を目的とする大学」と「一般大
学」を同列に扱わず、前者を優位にした教員養成政策が提言されている。これは教員資格の付与につ
57 中央教育審議会「教員養成制度の改善方策について(答申) (第16回答申(昭和33年7月28日))」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chuuou/toushin/580701.htm ( 2012.4.30 取得)58篠田弘、手塚武彦編著『前掲書』p.216
21
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いて明確に現れている。条項を抜粋すると、教員資格付与の様態について「教員養成を目的とする大
学の卒業者には正規の教員資格を与える」が「一般の大学の認定された学科(専攻)において所定の
単位を取得した卒業者」と「国家検定試験合格者」には「条件付の教員資格を与え,仮採用後,一定の
勤務期間,所定の実習,研修を終了した後,正規の教員資格を与える。」と述べているのである。
以上みてきたとおり、この答申は教員養成の目的養成化を強化し、国家基準において教員養成を行
おうとする構想を示すものであった。
第 3項 1958年中教審答申以後の動き
この答申の構想はさらに教育職員養成審議会(以下、教養審)においてより具体的な検討がなされ
ていく。教養審は、1962(昭和 37)年に「教員養成制度の改善について」を建議し、教員養成の目
的・性格の強化、教育課程の国家基準、教育免許状の国家基準による授与、試補制度の採用などをもり
こんだ。また、その後 1965(昭和 40)年「教員養成のための教育課程の基準について」、1966(昭
和 41)年「免許法の改正について」と相次いで建議を行ない、教員養成大学・学部の目的・性格を明
らかにし、その整備・充実を図ること、および教員養成のための教育課程の基準の具体的な考え方等
について意見を発表した59。
また、これが現在の教育大学、教育学部につながっていくのである。つまり、この答申においては
教師を専門職業としてとらえられている一方で、開放性がそうした専門職業としての教師を養成しえ
ていなかったという欠陥を指摘しているのである。
第 4項 検討と考察
*執筆中(データ不足。赤字で今後の執筆方針を記した。)
*1958 年当時の中教審の委員長は天野貞祐。教育刷新委員会ではアカデミシャンズの立場であったはず
にもかかわらず…この変質はなぜ??
*目的養成化が政府の中で強まっていること。=戦後出発点の理念が崩れている。教員養成のそもそもの
出発点は「目的養成の否定」だったはず。この答申に対して先行研究者はどのような視点から批判を展開し
たか。*開放制と質保証はどのように論じられるべきなのか(その相関は??)。目的養成=質保証という
のもおかしな気がする。文部省の意図はどこ?
*当時の社会が教員にどのような目を向けていたのか(評価を持っていたのか)、「デモシカ教師」の問
題、採用率と志願率、免許取得数などのデータも示せればよい。
*S40 年代までは「デモシカ教師」の問題やなり手が不足していたため「計画養成」が求められたとい
う背景はわからないでもない。(外的な要因による開放制理念の変質?)
59 文部科学省「学制百年史 一、教員養成制度の整備」よりhttp://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317829.htm(2012.9.19 取得)教養審答申については原典が手に入っていないため、入り次第大幅な加筆を行う予定。
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→40 年代以降は教職志願者数が増大(人材確保法、教育職員給与等に関する特別措置法)し、供給が
需
要を上回る状況になったという。=計画養成の必要なくなったのでは??では 70 年代およびそれ以
降
の教員養成政策はどのようになっていったのかを見て行こう!=次節へ
第 3節 「開放制」の歴史的検討②-70年代以降の教員養成―
さて、前節では主に 1960 年代に至るまでの政府の教員養成に対する認識と政策を概観してきた。
「計画養成」の必要や教員確保のために目的養成化が明確に政策として打ち出されることになったの
であるが、70 年代以降の教員養成制度はどのように展開したのであろうか。本節では 70 年代 1988年の教免法の大幅改定までの流れを概観し、「開放制」理念の変質についてみていきたい。
第 1項 1971年中教審答申と教員養成
1960 年代には高度経済成長のもとで高校や大学への進学率が急増した時期である。こうした社会の
変化とともに、学校教育改革を求める声が大きくなり、1967(昭和 42)年に「今後における学校教
育の総合的な拡充整備のための基本的施策について」が諮問されることとなった。中教審は数年にわ
たる議論を答申にまとめ、1971(昭和 46)年に発表することになる。この答申の中の「教員養成」の項
においても「開放制」に関わる議論がなされている。この議論における教員養成改革の目的は「学校
教育に優れた教員を確保するとともに、その教育活動の質的な水準と教員の社会的・経済的地位の向上
を」はかるためであるとして「初等教育の教員は主としてその目的にふさわしい特別な教育課程をも
つ高等教育機関(以下「教員養成大学」という。)において養成をはかり、中等教育の教員のある割合
は、その目的に応じた教員養成大学において養成をはかるものとすること。他方、一般の高等教育機
関卒業者で一定の要件を具備したもののうちから広く人材を誘致して、すぐれた教員の確保をはかる
こと」、「一般社会人で学識経験において学校教育へ招致するにふさわしい人材を受け入れるため、
検定制度を拡大すること」、「教育に関する高度の研究と現職の教員研修を目的とする高等教育機関を
設けること」、「すぐれた人材が進んで教職を志望することを助長するにたる高い水準とし、同時に
より高い専門性と管理指導上の責任に対応するじゅうぶんな給与が受けられるように給与体系を改め
ること」などを提案している60。注目すべきはこの提案に関する説明部分である。
[説明]の部分には次のような記述がなされている。(筆者要約)
①「教職は、本来きわめて高い専門性を必要とするもの」であり、「教育の理念および人間の成長
と発
達についての深い理解」、「教科の内容に関する専門的な学識」、「実践的な指導能力」などが要
求さ
れ、そのような資質と能力は、その「養成、採用、研修、再教育の過程を通じてしだいに形成さ
60文部科学省「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について(答申) (第 22 回答申(昭和46 年 6 月 11 日))」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_chukyo/old_chukyo_index/toushin/1309492.htm(2012.4.31 取得)
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れ
る」べきである。
②初等教育の教員は、多くの国においても同様であるが、そのための特別の教育課程をもつ教員養
成
大学でなければ、実際上養成は困難である。
③中等教育については、教科別の教育を担当する教員としては必ずしも教員養成大学を必要としな
い。
しかし、義務教育としての中学校の教育や 80%以上の者が進学する高等学校の教育は、戦前の中
等
学校とは異なり、中学校はもとより、高等学校についても、多様な青少年に対する教育指導の方
法
について十分修練を積んだ教員が必要となり、そのための教員養成大学が重要な意味をもつ。
この「説明」の要約を見ればわかるようにこの時点において、教員養成大学の役割を文部省はとり
わけ重視していたことが分かる。教科の専門性以上に教職に関する科目が重視されることとなったの
である。また、その一方で多様な人材を確保する方針を掲げるなどある種の矛盾が含まれた提案のよ
うに筆者には思えるのである。(*以下構想中。
目的養成を重視→目的養成によって優れた教員が確保できるはず。にもかかわらず、なぜ一般高等
教育機関の卒業者や社会人などを「優れた教員の確保」という名目で受け入れようとしているのだろ
うというところに筆者の疑問がある。目的養成と社会人の受け入れという矛盾的な政策はこれ以降継
続しているように思う。この謎を明らかにすることで文科省の意図、開放制への認識を暴けない
か??)
こうした答申の具体化として翌年には教養審が「教員養成の改善方策について」の建議を行い、教
員研修の充実や現職教育を目的とする新構想大学院の設置等の方針が示された。その後、 78 年に国立
学校設置法改正が成立すると、同年に兵庫教育大、上越教育大、81 年に鳴門教育大学が新構想大学と
して開設されることとなった。
第 2項 臨時教育審議会と教員養成
さて、教養審によって建議がなされたとは言ってもそれが即教員養成政策に反映されていったわけ
ではない。1978(昭和 53)年の中教審答申「教員の資質能力の向上について」においては「戦後そ
の基本とされてきたいわゆる開放制の原則を維持すべきであるが、高等教育の規模の拡大とともに教
員免許状を取得する者と実際に教職に就く者との数に著しい開きが生じ、教育実習その他実際の指導
力を養うための教育に不十分な面がみられる」との認識を示している61。つまり、「開放制」という原
則の重視をうたう一方でその不十分さを指摘しているのである。(*文部省がいう「開放制」は何を
指しているのか?これまでの答申では「目的養成」を謳っていたにもかかわらず。また、不十分な理
61文部科学省「教員の資質能力の向上について(答申)(第 24 回答申(昭和 53 年 6 月 16 日))」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_chukyo/old_chukyo_index/toushin/1309536.htm(2012.9.19 取得)
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由を免許授与数と実際に教職に就く人数の差と指摘しているため、その数のデータが必要。また、免
許授与数=教職に就く人となれば、制度の開放を担保できないのではないかという筆者の疑問があ
る。)
戦後、長期政権を敷いた中曽根康弘内閣は「戦後教育の総決算」を掲げ首相の諮問機関として臨時教
育審議会(以下、臨教審)を設置した。臨教審答申は全部で 4 つの答申を出すことになるが、とりわ
け第 2次答申において教員養成に関する言及がなされている…執筆中
その後、1987(昭和 62)年には臨教審答申の基本方針に基づいて教養審答申がまとめられた。この答
申に基づいて初任者研修の義務化や教育職員免許法の改訂が行われることになるのである。その後、
第 15期中教審答申「21世紀を展望した我が国の教育のあり方について」に基づいて文部大臣が教養
審に「新たな時代に向けた教員養成の改善方策について」を諮問し、それらが第 1次答申「新たな時
代に向けた教員養成の改善方策について」(97 年)、第 2次答申「修士課程を積極的に活用した養成の
あり方について」(98 年)、第 3次答申「養成と採用・研修との連携の円滑化について」が相次いで発
表されることになる。(次章で見ていく予定。)
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第 3項 教育職員免許法の改正
さて、前項までは教員養成政策の展開を文部省(中教審答申)の立場から概観し、その背景にどのよ
うな意図があったのかを検討してきた。ここではその具体的な制度として教育職員免許法の改正の流
れを概観し、その中で 88 年改正がもたらした意義を検討したい。
・・・執筆中
◆供給ルートの多様性という意味で、私大の教員養成の意義・私大の人たち( Ex.全私教協)が開放制
にどのような批判を向けていたかを見ることは大切。)
26
![Page 32: matsusemi.saloon.jpmatsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2012/09/201… · Web view小柳 和喜雄「教職大学院の現状とスタンダード開発の取り組み」『日本教師教育学会年報](https://reader036.vdocuments.pub/reader036/viewer/2022070710/5ec5a3d7691079698166a1ba/html5/thumbnails/32.jpg)
第 4章 近年の教員養成改革の動向と「開放制」
第 1節 「開放制」の意義と問題(歴史的検討をもとに)
・・・執筆中
第 3 章までを明確に仕上げてからその中で議論されていた論点や課題を整理する。
第 2節 現在の教員養成の政策動向(教職大学院、修士課程化を中心に)
*現時点では量的開放は担保されている(以下のデータ62をもとに論じる予定)
62 文科省「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について 参考資料 1」http://www.mext.go.jp/component/b_menu/shingi/toushin/__icsFiles/afieldfile/2012/08/30/1325094_2.pdf ( 2012.9.19 取得)
27
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![Page 34: matsusemi.saloon.jpmatsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2012/09/201… · Web view小柳 和喜雄「教職大学院の現状とスタンダード開発の取り組み」『日本教師教育学会年報](https://reader036.vdocuments.pub/reader036/viewer/2022070710/5ec5a3d7691079698166a1ba/html5/thumbnails/34.jpg)
では単純に今のままの開放制でよい?
*質の面で問題が指摘されていた。
*人数が多すぎると「教育実習公害」のような問題が生じる&実習の質が担保できない
→では、目的養成化して志願者を減らす方がよい?それで質は向上するのか??
→6 年制検討・教職大学院検討
*「計画養成」は必要なの?
6 年制化への批判と問題点
①志願者減少に拍車がかかる
②志願者の幅が狭まる
③養成機関の減少
④免除保持者の供給不足・・・・など
*もともとは教員の矮小化を防ぐために、目的養成を否定する形で戦後の教員養成理念が形作られた
にもかかわらず、教職大学院や教員養成の修士課程化は国家による「統制強化」と「矮小化」につな
がってしまうのではないか?
・6 年制化は私立を排除する動きにつながりかねない。→私大がどこまでコスト負担をするか?
・教職大学院の現状(26校中 20校が国立):教職大学院の発展→統制化強化?
・教員の多様性を確保するための特別免許状
→授与者少数&「養成」そのものを否定することにつながってしまうのではないか?
*「教職に関する科目」の増大、「コア・カリキュラム」「教育実践演習」など国家によるカリキュ
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![Page 35: matsusemi.saloon.jpmatsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2012/09/201… · Web view小柳 和喜雄「教職大学院の現状とスタンダード開発の取り組み」『日本教師教育学会年報](https://reader036.vdocuments.pub/reader036/viewer/2022070710/5ec5a3d7691079698166a1ba/html5/thumbnails/35.jpg)
ラムの統制が強まっている。(学問の自由の脅かし??)内容面でも「自由」や「開放」が失われ目
的養成に拍車がかかるのでは?
教員養成期間が限られてしまう=目的養成の学校のみになってしまう可能性もあるのではないか??
30
![Page 36: matsusemi.saloon.jpmatsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2012/09/201… · Web view小柳 和喜雄「教職大学院の現状とスタンダード開発の取り組み」『日本教師教育学会年報](https://reader036.vdocuments.pub/reader036/viewer/2022070710/5ec5a3d7691079698166a1ba/html5/thumbnails/36.jpg)
第 5章 まとめと残された課題*大学改革、質保証という観点から論じる必要性。本稿ではその視点が十分も反映できていない。後
の研究で「大学における養成」については扱う。
*そもそも教員を「養成」することの意義はどこにあるのかという議論にふれられていない。
→教師の「専門性」論との兼ね合いで論じきれていない。
・関連して:特別免許状(授与者は非常に少ないが)の登場→多様性の確保
But/「養成」そのものの意義が問われることに。
*地域運営型の教員養成学校の誕生→地方自治体が望む教員の養成が行われている。採用の際の優遇措
置等。→・「矮小化」が促進されるのではなかろうか?
・地域行政と教員養成機関の関係性についても論じられていない。
*教員養成と自治体・教育委員会とのつながり→従属関係(岩田・佐久間)
―これを断ち切ることも求められる。
―にもかかわらず、文部科学省は教育委員会等との連携強化を謳っている。。。 →え・・・?
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![Page 37: matsusemi.saloon.jpmatsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2012/09/201… · Web view小柳 和喜雄「教職大学院の現状とスタンダード開発の取り組み」『日本教師教育学会年報](https://reader036.vdocuments.pub/reader036/viewer/2022070710/5ec5a3d7691079698166a1ba/html5/thumbnails/37.jpg)
反省点と今後の方針<反省点>
◆まずは、構想が十分に定まっておらず、調べるべきことも十分調べることができずに赤字だらけの
夏課題になってしまった。お見せするレベルに至っていないものを提出することになってしまった。
自分の準備不足、見通しの甘さは反省している。
◆戦後の教員養成原則の現出を見ていくにあたって、先行研究が膨大にあり過ぎたために、その整理に
まずは手間取ってしまった。また、原典に当たることができずに、先行研究の引用を孫引きする形に
なってしまっており十分なオリジナリティが発揮できていない。
◆第 2 章まではおおむね整理をしつつ、自身の見解を織り交ぜて執筆できたつもりで入るのだが、時
間がなく、また資料や先行研究を十分に読みこめていないがために第 3 章以降は事実の列挙のみと
なってしまった感がある。しっかりと先行研究を読み込んで具体的な形で落とし込み、論じきれるレ
ベルに持っていかなければならない。
◆前項に付随して、特に第 3 章以降をどのように論じればよいかという部分で迷走してしまってイマ
イチ何を明らかにしたいのかが明確になっていない。しっかりと構成を立て直す必要がある。(アド
バイス求む。)
<構成>
◆<戦前の師範教育→戦後の議論→教員政策の歴史的概観→現代の考察>という枠組みは堅持して、そ
の中身をどうするか、どのように見せるかという点を考えたい。
◆第 3 章の冒頭を第 1 章に持ってきた方が読みやすい?歴史的事項を整理することの意味が明確になる
と思った。現状の構成だとやや読みにくいか。
<今後の方針>
◆自分としては本研究のオリジナリティは「開放制」の理念を検討し「今」を批判的に考察するところ
にあると考えている。特に取り上げた題材は 1ヶ月前に出された答申であり、まだそれを検討してい
る研究者はいないと思われるからである。
◆現在の段階では質の低い「調べ学習」の域を出ていないことは自身が一番承知している。まずはしっ
かりと先行研究を読み込むとともに、赤字丸フォントで記した事項を中心に修正を行っていきたい
(原典の通読は早急に行わなければならない。)。
◆ 資料集め早急に。また、現時点では論じる事象の幅(輪郭?)が定まっていないためそこを絞る。
◆「仮説」をどのように立てるべきか、どのような論にしていくべきかが現時点でも十分定まってい
ない。皆さんに一番意見を求めたいところである。「開放制」という軸は自分自身の関心対象なので
変えたくはない。「開放制」の何をどのように論じていくのかが迷走してしまっている。
最後に、拙い夏課題を最後まで読んでいただきありがとうございました。
皆さんから多くのアドバイスをいただき、卒業論文に生かしてまいりたいのでご指導よろしくお願い
いたします。
32
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参考文献一覧【書籍】
TEES 研究会編『「大学における教員養成」の歴史的研究-戦後「教育学部」史研究-』学文社,2001今津 孝次郎『教員免許更新制を問う』岩波ブックレット(No.753) ,2009岩田康之・三石初雄編『現代の教育改革と教師-これからの教師教育研究のために』東京学芸大学出版
会,2011臼井嘉一『開放制目的教員養成論の探求』学文社,2010江川玟成、高橋勝、葉養正明、望月重信編『最新教育キーワード[第 13版]』時事通信出版局,2009唐澤富太郎『教師の歴史―教師の生活と倫理』創文社,1955海後宗臣『教員養成 戦後日本の教育改革 8』東京大学出版会,1971黒澤英典『私立大学の教師教育の課題と展望』学文社,2006佐藤晴雄『教職概論‐教師を目指す人のために[第 3次改定版] 』学陽書房,2009篠田弘、手塚武彦編著『学校の歴史 第 5巻 教員養成の歴史』 第一法規出版,1979陣内靖彦『日本の教員社会 歴史社会学の視野』東洋館出版,1988土屋基規『戦後教育と教員養成』新日本出版社,1984土屋基規『日本の教師―養成・免許・研修』新日本出版社,1989東京学芸大学教員養成カリキュラム開発研究センター編『教師教育改革のゆくえ―現状・課題・提言―』創
風社,2006日本教師学会編『教師とは―教師の役割と専門性を深める―』(講座 教師教育学第Ⅰ巻)学文社,2002日本近代教育史料研究会編『教育刷新委員会・教育刷新審議会会議録<第 1巻 教育刷新委員会総会(第 1 - 17 回)>岩波書店,1995日本近代教育史料研究会編『教育刷新委員会・教育刷新審議会会議録<第 2巻 教育刷新委員会総会(第
18-36 回)>』>岩波書店,1995日本近代教育史料研究会編『教育刷新委員会・教育刷新審議会会議録<第 9巻 第 7 特別委員会、第 8 特別
委員会>』岩波書店 ,1995細谷 俊夫、奥田 真丈、 河野 重男編『教育学大辞典 第 2巻』第一法規出版,1978右島洋介、鈴木慎一編著『教師教育 ―課題と展望―』勁草書房,1984三石初雄・川手圭一編『高度実践型の教員養成へ―日本と欧米の教師教育と教職大学院―』東京学芸大学出
版会,2010向山浩子『教職の専門性-教員養成改革論の再検討-』明治図書出版,1987村井実訳『アメリカ教育使節団報告書』講談社学術文庫,1979八尾坂修『教職大学院―スクールリーダーをめざす―』協同出版,2006横須賀薫『新版 教師養成教育の探求』春風社,2010
33
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【雑誌論文】
東 敏徳 「教職の専門性について」『哲學 94』pp.115-138,1993岩田康之「戦後教育改革期の教師教育をめぐる教養観の諸相 : 制度改革論議の位相と養成現場での模索 」
『東京大学教育学部紀要 31』pp.55-63, 1992岩田康之「<研究ノート>教員養成の「開放制」をめぐる問題構制」『杉野女子大学・杉野女子大学短期大
学部紀要 36』pp.173-178,1999岩田康之「教員養成課程の規模に関する考察」『教員養成カリキュラム開発研究センター研究年報
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![Page 40: matsusemi.saloon.jpmatsusemi.saloon.jp/wp-content/uploads/2012/09/201… · Web view小柳 和喜雄「教職大学院の現状とスタンダード開発の取り組み」『日本教師教育学会年報](https://reader036.vdocuments.pub/reader036/viewer/2022070710/5ec5a3d7691079698166a1ba/html5/thumbnails/40.jpg)
小柳 和喜雄「教職大学院の現状とスタンダード開発の取り組み」『日本教師教育学会年報 18巻』pp.38-47,2009小池 俊夫「開放制教員養成の哲学と現実」『學苑 835』pp.1-10,2010西之園 晴夫「これからの教師教育はどうあるべきか : 変革の主体者としての教師と教師教育」『年会論文集
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村田 俊明「一部自治体・教育委員会による「教師塾」の開設と教員養成改革」『摂南大学教育学研究
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【WEBページ】
中野文庫「中野文庫―儀典と法律の総合ウェブページ―」
http://www.geocities.jp/nakanolib/ (2012.9.10 取得)
広島大学文書館「森戸辰夫関係文書資料画像>政令改正諮問委員会の教育制度に関する答申」http://home.hiroshima-u.ac.jp/hua/catalog/moritolist.html(2012.9.18 取得)
文部科学省「教職生活の全体を通じた教員の資質能力の総合的な向上方策について(答申)」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/1325092.htm(2012.9.3 取得)
文部科学省「今後の教員養成・免許制度の在り方について(答申)」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/06071910.htm(2012.3.22 取得)
文部科学省「教員養成分野における専門職大学院の活用について」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo3/021/gijiroku/05080301/san.htm(2012.4.21 取得)
文部科学省「修士課程を積極的に活用した教員養成の在り方について」http://fish.miracle.ne.jp/adaken/toshin/tosin11.pdf(2012.9.3 取得)
文部科学省「新しい時代の義務教育を創造する(答申)」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0/toushin/05102601/all.pdf (2012.9.3 取得)
文部科学省「新たな時代に向けた教員養成の改善方策について」http://fish.miracle.ne.jp/adaken/toshin/tosin10.pdf(2012.9.3 取得)
文部科学省「米国教育使節団報告書」http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317998.htm(2012.9.10 取得)
文部科学省「学制百年史 一、教員養成制度の整
備」http://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1317829.htm(2012.9.19 取得)
文部科学省「今後における学校教育の総合的な拡充整備のための基本的施策について(答申) (第 22 回
答申(昭和 46 年 6 月 11 日))」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_chukyo/old_chukyo_index/toushin/1309492.htm(2012.4.31 取得)
文部科学省「教員の資質能力の向上について(答申) (第 24 回答申(昭和 53 年 6 月 16日))」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_chukyo/old_chukyo_index/toushin/1309536.htm (2012.9.19 取得)
文部科学省「養成と採用・研修との連携の円滑化について (第 3次答
申)」http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/old_chukyo/old_shokuin_index/toushin/1315385.htm(2012.9.19 取得)
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参考資料①-「教員養成に関すること(其の一)」-
一 小学校、中学校の教員は、主として次の者から採用する。
1. 教育者の育成を主とする学芸大学を修了又は卒業したる者。
2. 綜合大学及び単科大学の卒業者で教員として必要な課程を履修した者。
3. 音楽、美術、体育、家政、職業等に関する高等専門教育機関の卒業者で、教員として必要な課
程を兼修した者。
二 高等学校の教員は、主として大学を卒業した者から採用する。
三 幼稚園の教員は、大体「一」に準じて採用する。
四 盲学校、ろう学校の教員並びに養護教員は大体「一」に準ずる。
五 現在の教員養成諸学校中、適当と認められるものは、学芸大学に改める。但し、臨時措置に関し
ては、別に対策委員会を設けてこれを審議する。
六 教員養成諸学校の教員養成のためにする学資支給制指定義務制は廃止する。教員の配当計画につ
いて、別に考慮する。
七 教員の養成に当たる学校は、官公私立のいずれとすることもできる。
八 教育者の養成を主とする、学芸大学の前期を修了した者は、小学校教員となることができる。
右の者は後日、希望によっては復学して後期の過程を修めることができる、復学せずに通信教授
または所定の講習会を完了したものは、考査の上、その大学の卒業者とすることができる。
九 以上の教員養成制度が充実するまでの応急措置として、取りあえず、現在制度の大学専門学校の
卒業者が多数教職につくよう、また現在すでに退職し、あるいは転職している有資格者が再び教
職につくよう特に勧誘することを文部当局に希望する。
十 教員の再教育については、組織的制度を設けることを文部当局に希望する。
十一 教員資格に関しては別に考慮する。
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参考資料②-教員養成関係略年表63-
63黒澤英典『私立大学の教師教育の課題と展望』学文社、2006、pp.18-19 より抜粋
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参考資料③-教員養成制度の改善方策について(答申)資料-
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