ジオエコノミクス・レビュー vol.18 20161224

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P A G E ジオエコノミクス・レビュー 1 巻 18 号 実践編 今号の趣旨 米国の次期大統領はトランプ氏となりました。このことにより、世界は更なる不確実 性を抱えることになったとの指摘もあります。一方、株価は好調に推移しています。リ スクと言うとネガティブに聞こえがちですが、実際には予想より良くなることも「リスク」で す。トランプ次期大統領の政策がまだハッキリしていない、そして、従来の米国大統 領とは異なる路線を採るであろう可能性が高いと考えられているという意味で、現状 はリスクが高い、すなわち将来シナリオの振れ幅が大きいと言わざるを得ません。つま り世界は「今までは考えられなかったことを考えなくてはならない」状況に突入したと言 えるでしょう。日本企業を取り巻くリスク環境はどのように変化するのでしょうか。 米国は本当にアジアから引くのか まず第一に、日米安保の行方が注目されます。半世紀以上も続いた両国の関係 が見直されるとすれば、言うまでもなく大きなリスク要因となります。仮に米軍が日本 の防衛を完全に放棄するとなれば、日本の防衛コストは跳ね上がるでしょう。安倍 首相は当然ながら日米安保堅持の方向ですが、一方でロシアにも接近するなど、バ ランスの変化を意識しているともとれる外交を展開しています。 ただ、トランプ氏は当選後、日韓の核武装容認について「言っていない」と発言し軌 道修正したようです。北朝鮮政策についても明確な方針は見えてこないとの有識者 の見解もあり、アジア地域での安全保障政策については、まだこれから策定していく 段階にあるかもしれません。その意味では、日本の米軍駐留費用負担増の要求は あったとしても、日米安保の大原則を維持していく可能性もありそうです。後述する 国会安全保障担当の大統領補佐官に就任するフリン氏は、日米同盟重視との報 道もあります。 ご挨拶 本ニューズレターも第 18 号発行と なりました。 本ニューズレターでは最近注目を集 めている「ジオエコノミクス」的観点か ら日本企業を取り巻く政治経済情 勢を分析し、皆様のビジネス上の意 思決定の一助となれればと思ってお ります。 今回は米国大統領選挙を受けて 変化するリスク環境についてみてい きたいと思います。 株式会社藤村総合研究所 代表取締役 藤村慎也

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ジオエコノミクス・レビュー 1 巻 18 号 実践編

今号の趣旨

米国の次期大統領はトランプ氏となりました。このことにより、世界は更なる不確実

性を抱えることになったとの指摘もあります。一方、株価は好調に推移しています。リ

スクと言うとネガティブに聞こえがちですが、実際には予想より良くなることも「リスク」で

す。トランプ次期大統領の政策がまだハッキリしていない、そして、従来の米国大統

領とは異なる路線を採るであろう可能性が高いと考えられているという意味で、現状

はリスクが高い、すなわち将来シナリオの振れ幅が大きいと言わざるを得ません。つま

り世界は「今までは考えられなかったことを考えなくてはならない」状況に突入したと言

えるでしょう。日本企業を取り巻くリスク環境はどのように変化するのでしょうか。

米国は本当にアジアから引くのか

まず第一に、日米安保の行方が注目されます。半世紀以上も続いた両国の関係

が見直されるとすれば、言うまでもなく大きなリスク要因となります。仮に米軍が日本

の防衛を完全に放棄するとなれば、日本の防衛コストは跳ね上がるでしょう。安倍

首相は当然ながら日米安保堅持の方向ですが、一方でロシアにも接近するなど、バ

ランスの変化を意識しているともとれる外交を展開しています。

ただ、トランプ氏は当選後、日韓の核武装容認について「言っていない」と発言し軌

道修正したようです。北朝鮮政策についても明確な方針は見えてこないとの有識者

の見解もあり、アジア地域での安全保障政策については、まだこれから策定していく

段階にあるかもしれません。その意味では、日本の米軍駐留費用負担増の要求は

あったとしても、日米安保の大原則を維持していく可能性もありそうです。後述する

国会安全保障担当の大統領補佐官に就任するフリン氏は、日米同盟重視との報

道もあります。

ご挨拶

本ニューズレターも第 18 号発行と

なりました。

本ニューズレターでは最近注目を集

めている「ジオエコノミクス」的観点か

ら日本企業を取り巻く政治経済情

勢を分析し、皆様のビジネス上の意

思決定の一助となれればと思ってお

ります。

今回は米国大統領選挙を受けて

変化するリスク環境についてみてい

きたいと思います。

株式会社藤村総合研究所 代表取締役

藤村慎也

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米国と中国がぶつかれば、どうなるか

仮に大枠は現状維持の方向性になるとしても、もしもの事態も想定するのがリスクマネジメントです。したがって、信じたくはないけれど

も想定しなければいけない事態として、東シナ海や台湾海峡、南シナ海における米中衝突というシナリオがあります。これに関して米国

の著名シンクタンクであるランド研究所が昨年の状況を前提としたシミュレーションを行い、報告書を発表しています。その結果によれ

ば、嘉手納をはじめとする日本の米軍基地への大規模ミサイル攻撃も避けられず、日本においても物的・人的損害は避けられないと

のこと。また、勝者なきままに想定外に長期化するリスクも指摘しています。そして何よりも、米中の力の差は縮まりつつあり、特に台湾

では米軍は劣勢と予測しています。

もっとも、実際に米中のいずれかがきっかけとなって軍事衝突に発展する可能性は低いかもしれません。よりイメージしやすいのは、フィリ

ピンと中国、台湾と中国、日本と中国といった具合に、近隣諸国と中国が何かのきっかけで小競り合いを起こし、それが米軍の発動を

促すケースです。その場合、そもそも米国がフィリピン、台湾、日本をどの程度防衛するのかがシナリオの分岐点となってくるでしょう。ステ

ィーヴン・ウオルト氏(ハーバード大教授)他、「ネオリアリスト」と呼ばれる人たちは、「中国に対しては、北のロシア、西のインド、東の

日本から、軍事的に牽制させる」「そのため日本にも核兵器を持たせる」「オフ・ショア(沖合)に退いてはいるが所要に応じて戦力投

射できる準備はしておく」といった政策を提言しており、トランプ氏も概ねこの提言に沿った発言をしていたという指摘もあります(ただし

前述のとおり日本の核武装容認発言に関しては撤回)。トランプ氏がアジアにおいて本気で中国に軍事的な意味で対抗するのか、

私たちとしても早期の見極めが必要となりそうです。

米露は接近するのか

米露関係にも注目が集まっています。選挙期間中はプーチン大統領とトランプ候補が接近しているようにも見えました。しかし 12月

下旬に入り、プーチン大統領、トランプ氏ともに核戦力の増強を発表しています。ウクライナ、そしてシリアと米露関係が冷え込む中、

両国が接近することはあり得るのでしょうか。ハーバード大学のグラハム・アリソン教授は、核を中心とした軍事面でのロシアの力を前提

として、ロシアとの関係改善を訴えています。春名氏はトランプ氏がロシアに接近し、中国に対する力を強めるという、ニクソン元大統領

とは逆の政策を採るのではないかと指摘しています。両国は今後も戦争することなく、そうかと言って同盟を結ぶこともない、これまで通

りの関係を続けていくのかもしれません。ただ言えるのは、おそらくトランプ氏は、オバマ政権ほどにはロシアを敵対視せず、利害関係を

見つつ、ロシアと付き合っていくのではないだろうかということです。国家安全保障担当の大統領補佐官に就任するマイケル・フリン氏、

国務長官に就任するレックス・ティラーソン氏はいずれもロシアに近いようです。プーチン大統領も「米軍が世界最強であることは『争う

気はない』と述べた」(日本経済新聞)そうです。核戦力の増強はあったとしても、協調関係が築かれていくのかもしれません。

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トランプ次期政権の波乱要因はむしろイランと北朝鮮

日米、米中、米露関係に関しては、突発的なリスクは抱えつつも、基本シナリオとし

ては、現状から大きく揺らぐことはないと想定して良いかもしれません。むしろ不安定

要因となりかねないのがイランと北朝鮮です。藤原帰一東大教授は「大きな変化が

起きるのは、イランとの核合意が破棄されたとき」としています。そのときイランの核武

装を防ぐためには、先制攻撃しかないとの見解が根強いからです。また、藤原教授は

「北朝鮮については、すでに先制攻撃以外に成す術がないところまで」来ていると言

います。これに関してもトランプ氏が先制攻撃を仕掛ける可能性は、ないとは言い切

れません。いずれも仮に実現した場合は、国際情勢を大きく揺るがすことでしょう。

激変の可能性が高いのは、むしろ経済政策か

話は変わり、経済です。TPP に関してトランプ氏は大統領就任と同時に「離脱」を

宣言することを表明。これを受けてオバマ大統領も正式に「断念」を表明しました。

保護主義的な主張がトランプ氏の売りの 1 つであったことからも、この点について譲

歩・撤回するのは難しいかもしれません。

では今後どうなっていくのでしょうか。まず指摘されているのが、二国間 FTA(自由貿

易協定)です。TPP のように多国間ではなく、日米間で交渉しようというものです。トランプ氏のこれまでの言動からしても、日本に対し

て厳しい交渉をしてくることが予想されています。

が風前の灯火となりつつある今、日本の規制環境見通しには大きな影響があります。それぞれの業界で軌道修正が迫られ、各社対

応に迫られることは必至です。

アジア経済のルールはだれが作るのか

そうなってきたときに、中国の動向が注目されます。米国が TPP 離脱となれば、米国のアジア諸国への影響力は弱まりかねません。そ

の帰結として、中国の影響力が相対的に強まります。すでに習近平主席はペルーで開かれた APEC で演説し、中国を含む自由貿

易圏拡大に意欲を示しています。RCEP 等、中国を含む経済連携協定が拡大することになれば、アジアの貿易ルールを主導していく

のは中国になるかもしれません。誤解を恐れずに言えば、現在の中国大陸のビジネスのルールが、アジア諸国に広がっていく可能性も

否定できません。今後、日系企業の経営者も TPP ではなく、中国主導のアジア経済圏をも視野に入れたうえで、ビジネス上の意思

決定をせざるを得なくなるのではないでしょうか。

ボストン近郊の風景

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〒101-0054

東京都千代田区神田錦町 3-21-1017

090-3684-5781

[email protected]

http://www.fujirc.com

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参考文献

「北方領土『二島返還』の罠」 選択 2016 年 11 月号

「米中がもし戦争をしたら」 選択 2016 年 11 月号

Stephen M. Walt, “Could There Be a Peace of Trumphalia?”, Foreign Policy, Nov 14, 2016

「[FT]トランプ氏顧問ら、対中貿易戦争に重き置かず」 日本経済新聞 2016 年 11 月 16 日

平井久志「トランプ新体制と朝鮮半島(上)「先制攻撃」か「話し合い」か」Foresight 2016 年 11 月 17 日

平井久志「トランプ新体制と朝鮮半島(下)「求愛」と「恫喝」の並進路線」Foresight 2016 年 11 月 18 日

アンキット・パンダ「東アジアに地政学的リスク」FACTA 2016 年 12 月号

宮家邦彦「“トランプショック”は日本の好機になる」Wedge 2016 年 12 月号

柳澤協二「トランプ・ショック『アメリカ抜きの世界』で日本の防衛を考える」Foresight 2016 年 11 月 21 日

伊藤俊幸「トランプ新体制でも『在日米軍』は変わらない」Foresight 2016 年 11 月 25 日

冨澤暉「軍事のコモンセンス(8) トランプ新大統領と米国軍事戦略の行方」Foresight 2016 年 12 月 17 日

Graham Allison and Dimitri K. Simes, “A Blueprint for Donald Trump to Fix Relations with Russia”, The

National Interest, Dec 18, 2016

「『第 2 回国際報道メディアサミット』より(下)米国は新たな「戦争」に突入するのか?」Foresight 2016 年 12 月 21 日

Paul McLeary, “Putin and Trump Talk Up Need for More Nuclear Weapons”, Foreign Policy, Dec 22, 2016

春名幹男「米情報コミュニティと全面対立:トランプ次期大統領、本音は『逆ニクソン』か」Foresight 2016 年 12 月

23 日

「プーチン大統領『建設的な米ロ関係を』 定例会見で」日本経済新聞 2016 年 12 月 23 日