第 4 章 独創的研究支援プログラム · 電気通信-4章-初[99-108].indd 93 2012/07/09...

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第 4 章  独創的研究支援プログラム

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第 4 章  独創的研究支援プログラム

電気通信-色扉-初[1-18].indd 7 2012/07/10 10:14:52

窒化物半導体によるミリ波用トランジスタの研究 �� ��(極�高速電子デバイス研究��)

1.はじめに

情報通信の大容量化・高度化に伴い,ミリ波,更

にはサブミリ波帯で動作する電子デバイスには動作

周波数と共に,高耐圧への要求も大きくなっている。

一般にこれらの周波数帯に応用されているインジウ

ム燐(InP)系デバイスは,耐圧が低いという欠点

がある。この現状を打破する手段として,高耐圧特

性に優れ,かつマイクロ波帯への応用が既に進んで

いる窒化物(GaN)系半導体を用いた高電子移動度

トランジスタ(HEMT: High Electron Mobility Transistor)をミリ波等,更なる高周波帯域へ拡張

することが考えられる。 GaN系材料は電子の飽和速度が高いため,材料特

性の見地から高周波特性にとって有利であることが

知られている。反面,電子移動度が1500cm2/V.s程度とGaAsに比べて低いため,効果的に電子を加速

させるためのデバイス構造が他の材料系以上に求め

られる。これまで GaN 系 HEMT では,トランジ

スタの遮断周波数は約 200GHz にとどまっている。

ミリ波帯の中でも今後の研究領域として重要になっ

てくるであろう 100GHz 以上の帯域への応用を考

えると,最大発振周波数で300GHz以上を実現する

ことが望まれる。 以上の背景から,本研究では GaN 系 HEMT に

おいて最大発振周波数(fmax)で 300GHz 以上を実現

し,また,トランジスタのオフ状態耐圧(BVoff)との

積,fmax・BVoffにおいて InP 系HEMT を上回る特

性を実現することを目的とする。

図1.AlGaN/GaN HEMTのドレイン電流(Id)-ドレイン電

圧(Vds)特性(DC Id-Vds,及び,パルス Id-Vds特性)

2.実験

2.1.SiCN絶縁膜を用いたAlGaN/GaN MIS HEMT構造の検討

昨年度の研究により,AlGaN/GaNヘテロ構造を

用いた HEMT の基本プロセスは確立した。しかし

同時に,トランジスタ特性において2つの大きな問

題を確認した。ひとつは,ゲート電極における漏れ

電流が大きいことである。これは図1において電流

−電圧曲線が原点からずれていることで確認でき,特

にゲート電圧が大きくなるほど顕著となる。これは

ゲート電極がショットキー接合のため,順方向電流

が流れるためである。もうひとつの問題は,ゲート

入力をオフからオンにした直後のドレイン電流が,

静特性から予測される電流値より大幅に低下する問

題(電流コラプス)である。これは図 1 において,

ゲートにパルス電圧を入力した場合の電流−電圧特

性(Pulse)を静特性(DC)を比較することによっ

て確認できる。電流コラプス現象はGaN系HEMTにおいてしばしば観測される問題で,半導体表面や

ゲート電極との界面における深い準位が関係してい

ると言われている。 これらの問題を解決するために,ゲートに MIS(Metal Insulator Semiconductor)構造を用いた

AlGaN/GaN HEMT(図 2)を検討した。GaN 系

HEMTにおけるMISゲート用絶縁体薄膜としては,

一般には SiN あるいは SiO2が用いられるが,半導

体との良好な界面を形成するためには,O2プラズマ

処理や N2O ラジカル処理などの前処理が必要であ

ることが報告されている。

図2.SiCNを用いたAlGaN/GaN MIS HEMT

独創的研究支援プログラム

93

電気通信-4章-初[99-108].indd 93 2012/07/09 19:15:04

本研究ではゲート絶縁膜として HMDS(ヘキサ

メチルジシラザン)を気化導入したプラズマ CVD法によって堆積したSiCNを用いた。この堆積法で

は,350℃に加熱したステージ上に試料を設置して,

水素ガスをベースとして HMDS 蒸気を添加して反

応室に導入し,RF 電力を印加してプラズマを発生

させ,厚さ10nmのSiCNをAlGaN/GaN HEMT基板上に堆積する[5]。本手法の利点は,水素ガス

による試料表面の清浄化効果が期待されることから,

他の前処理無しでも良好な MIS 界面が実現できる

点である。

2.2.SiCN鋳型を用いたT型ゲート電極の形成

ミリ波帯等の高周波領域では,ゲート抵抗が

HEMT の最大発振周波数の律速要因となる。この

ためゲートを微細化に伴うゲート抵抗の増加を抑え

る手法としてT型ゲート電極を用いることが一般に

行われている。一方でゲート長の微細化に伴い,T型電極頭部が作る寄生容量がトランジスタの遮断周

波数を律速する要因となることを,我々は確認して

いる。このため,より細やかにT型ゲート電極の断

面形状を制御することを目的として,SiCN 薄膜を

鋳型として用いる新たな電極形成プロセス技術を提

案した。具体的には,試料上にエッチング特性が異

なるSiCNを連続的に堆積してゲート断面形状に加

工した「鋳型」を作製して電極金属を流し込む(図

3)。SiCN の堆積は,水素とアンモニアの混合ガス

をベースとして HMDS 蒸気を添加したガスを用い

たプラズマ CVD 法により行う。この水素とアンモ

ニアの混合比によって成膜されるSiCNへの炭素の

含有率が変わってくるため,エッチング特性が異な

る薄膜が生成できる。

図3. SiCN鋳型を用いたT型ゲート形成の流れ

図4.AlGaN/GaN MIS HEMTの Id-Vds特性

3.結果

3.1.AlGaN/GaN MIS HEMTの特性

図4に試作したAlGaN/GaN MIS HEMTの電気

特性の評価結果を示す。図1に示したショットキー

ゲート型のHEMTと比較して,電流−電圧特性の曲

線が原点を通っており,ゲート漏れ電流の低減が確

認できた。また,ドレイン電流密度や伝達コンダク

タンスが増加しており,それらのパルス測定下にお

ける劣化も抑制されている。これらの結果は,SiCN絶縁膜の堆積により,ショットキーゲートに比べて

良好な界面が実現され,ゲート入力によるドレイン

電流の制御性が向上したと考えられる。その原因と

してはSiCN堆積時の水素ガスによる表面清浄化効

果が考えられることから,ショットキーゲートの形

成においても,水素アニール等の前処理によって同

様の効果が期待できることを示唆している。 ゲート長 100nm の HEMT における電流利得の

周波数特性を評価した結果を図5に示す。電流利得

遮断周波数は 37GHz である。これは同じゲート長

のショットキーゲート型 HEMT と比較して SiCN MIS 構造の導入によって約 30%向上した。この遮

断周波数とゲート長から見積もられる電子速度は約

0.3×107 cm/sと,予想される最大電子速度より一桁

小さく,今後の更なる向上が期待される。

図5.AlGaN/GaN MIS HEMTの電流利得の周波数特性

形状1 形状2

図6.SiCN鋳型の構成と断面形状,及び,ゲート電極形

3.2.SiCN鋳型によるT型ゲート電極

平成 22 年度は,提案したT 型ゲート電極形成手

法の効果を実証すべく,3 層のSiCN によって校正

される鋳型を作製し,InP 系 HEMT に適用した。

その結果,SiCN 鋳型によるゲート電極断面形状の

違いと,それに伴うトランジスタ特性への効果を確

認することが出来た。しかし,完成したゲート電極

の断面は,ほとんど矩形に近いものと従来の工法に

よって形成される形状とほぼ変わらないものであり

(図6),より緻密な鋳型の形状制御が必要であるこ

とが分かった。そこで,鋳型となるSiCN薄膜の堆

積において,水素・アンモニアで構成されるベース

ガスの混合比を 10 段階に変化させて,組成の異な

る 10 層の SiCN からなる鋳型を形成し,エッチン

グによる加工を行った。新たに作製した鋳型の断面

SEM写真を図7に示す。昨年度の3層SiCN と比

較して,より理想に近いゲート断面構造を反映した

鋳型が形成できることを確認した。また,本意多賀

を用いて作製したゲート電極の断面を図 8 に示す。

従来の工法と比較して,よりなめらかな曲線形状を

持つ電極を形成することが可能となった。 4.まとめ

窒化物半導体によるミリ波トランジスタの実現に

向けて,SiCNを用いたAlGaN/GaN MIS HEMTを検討した。その結果,昨年度と比較してゲート漏

れ電流の低減とドレイン電流密度の向上を確認する

ことが出来た。またT型ゲート電極の形成プロセス

については,SiCN 鋳型を用いてより緻密に電極断

面構造を制御することが可能であることを確認した。

図7.多層SiCN鋳型の断面形状

図8.多層SiCN鋳型によるT型ゲート電極の断面

謝辞

窒化物系半導体プロセス用装置を使用させて頂い

た東北大学金属材料研究所の松岡隆志教授はじめ研

究室の方々に感謝する。また本研究の一部は,ナノ・

スピン実験施設の設備を用いて行われた。 関連成果査読付き学術論文(1件)

1. T. Yoshida, K. Akagawa, T. Otsuji, T. Suemitsu, “InGaAs HEMTs with T-gate electrodes fabricated using HMDS SiN mold,” Phys. Status Solidi C, 9, pp. 354-356 (2012).

国際会議発表(1件)2. T. Yoshida, K. Akagawa, T. Otsuji, and T. Suemitsu, “InGaAs

HEMTs with T-gate electrodes fabricated using HMDS-SiN mold,” 38th Int. Symp. on Compound Semiconductors (ISCS), Berlin, Germany, May 22-26, pp. 473-474 (2011).

国内学会発表(3件)

3. 吉田智洋, 赤川啓介, 尾辻泰一, 末光哲也, “HMDS-SiN 鋳

型により作製したT型ゲート電極InGaAs HEMTのゲート

遅延解析,” 第 72 回応用物理学会学術講演会, 山形,31a-A-3, Aug. 30-Sep. 2, (2011).

4. 吉田智洋, 鹿野優毅, 尾辻泰一, 末光哲也, “多層SiCN鋳型

を用いたT型ゲート電極の断面形状制御,” 第59回応用物

理学関係連合講演会, 東京, 18p-E2-3, Mar. 15-18, (2012).

5. 鹿野優毅, 小林健悟, 吉田智洋, 尾辻泰一, 片山竜二, 松岡隆志, 末光哲也, “SiCN をゲート絶縁膜として用いた

AlGaN/GaN HEMT,” 第 59 回応用物理学関係連合講演会,東京, 18a-GP7-3, Mar. 15-18, (2012).

著書(1件)6. T. Suemitsu, “Chapter 5.03: GaAs- and InP-based

high-electron-mobility transistors,” in “Compre- hensive Semiconductor Science and Technology,” Elsevier, pp. 84-112 (2011).

独創的研究支援プログラム

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電気通信-4章-初[99-108].indd 94 2012/07/09 19:15:05

本研究ではゲート絶縁膜として HMDS(ヘキサ

メチルジシラザン)を気化導入したプラズマ CVD法によって堆積したSiCNを用いた。この堆積法で

は,350℃に加熱したステージ上に試料を設置して,

水素ガスをベースとして HMDS 蒸気を添加して反

応室に導入し,RF 電力を印加してプラズマを発生

させ,厚さ10nmのSiCNをAlGaN/GaN HEMT基板上に堆積する[5]。本手法の利点は,水素ガス

による試料表面の清浄化効果が期待されることから,

他の前処理無しでも良好な MIS 界面が実現できる

点である。

2.2.SiCN鋳型を用いたT型ゲート電極の形成

ミリ波帯等の高周波領域では,ゲート抵抗が

HEMT の最大発振周波数の律速要因となる。この

ためゲートを微細化に伴うゲート抵抗の増加を抑え

る手法としてT型ゲート電極を用いることが一般に

行われている。一方でゲート長の微細化に伴い,T型電極頭部が作る寄生容量がトランジスタの遮断周

波数を律速する要因となることを,我々は確認して

いる。このため,より細やかにT型ゲート電極の断

面形状を制御することを目的として,SiCN 薄膜を

鋳型として用いる新たな電極形成プロセス技術を提

案した。具体的には,試料上にエッチング特性が異

なるSiCNを連続的に堆積してゲート断面形状に加

工した「鋳型」を作製して電極金属を流し込む(図

3)。SiCN の堆積は,水素とアンモニアの混合ガス

をベースとして HMDS 蒸気を添加したガスを用い

たプラズマ CVD 法により行う。この水素とアンモ

ニアの混合比によって成膜されるSiCNへの炭素の

含有率が変わってくるため,エッチング特性が異な

る薄膜が生成できる。

図3. SiCN鋳型を用いたT型ゲート形成の流れ

図4.AlGaN/GaN MIS HEMTの Id-Vds特性

3.結果

3.1.AlGaN/GaN MIS HEMTの特性

図4に試作したAlGaN/GaN MIS HEMTの電気

特性の評価結果を示す。図1に示したショットキー

ゲート型のHEMTと比較して,電流−電圧特性の曲

線が原点を通っており,ゲート漏れ電流の低減が確

認できた。また,ドレイン電流密度や伝達コンダク

タンスが増加しており,それらのパルス測定下にお

ける劣化も抑制されている。これらの結果は,SiCN絶縁膜の堆積により,ショットキーゲートに比べて

良好な界面が実現され,ゲート入力によるドレイン

電流の制御性が向上したと考えられる。その原因と

してはSiCN堆積時の水素ガスによる表面清浄化効

果が考えられることから,ショットキーゲートの形

成においても,水素アニール等の前処理によって同

様の効果が期待できることを示唆している。 ゲート長 100nm の HEMT における電流利得の

周波数特性を評価した結果を図5に示す。電流利得

遮断周波数は 37GHz である。これは同じゲート長

のショットキーゲート型 HEMT と比較して SiCN MIS 構造の導入によって約 30%向上した。この遮

断周波数とゲート長から見積もられる電子速度は約

0.3×107 cm/sと,予想される最大電子速度より一桁

小さく,今後の更なる向上が期待される。

図5.AlGaN/GaN MIS HEMTの電流利得の周波数特性

形状1 形状2

図6.SiCN鋳型の構成と断面形状,及び,ゲート電極形

3.2.SiCN鋳型によるT型ゲート電極

平成 22 年度は,提案したT 型ゲート電極形成手

法の効果を実証すべく,3 層のSiCN によって校正

される鋳型を作製し,InP 系 HEMT に適用した。

その結果,SiCN 鋳型によるゲート電極断面形状の

違いと,それに伴うトランジスタ特性への効果を確

認することが出来た。しかし,完成したゲート電極

の断面は,ほとんど矩形に近いものと従来の工法に

よって形成される形状とほぼ変わらないものであり

(図6),より緻密な鋳型の形状制御が必要であるこ

とが分かった。そこで,鋳型となるSiCN薄膜の堆

積において,水素・アンモニアで構成されるベース

ガスの混合比を 10 段階に変化させて,組成の異な

る 10 層の SiCN からなる鋳型を形成し,エッチン

グによる加工を行った。新たに作製した鋳型の断面

SEM写真を図7に示す。昨年度の3層SiCN と比

較して,より理想に近いゲート断面構造を反映した

鋳型が形成できることを確認した。また,本意多賀

を用いて作製したゲート電極の断面を図 8 に示す。

従来の工法と比較して,よりなめらかな曲線形状を

持つ電極を形成することが可能となった。 4.まとめ

窒化物半導体によるミリ波トランジスタの実現に

向けて,SiCNを用いたAlGaN/GaN MIS HEMTを検討した。その結果,昨年度と比較してゲート漏

れ電流の低減とドレイン電流密度の向上を確認する

ことが出来た。またT型ゲート電極の形成プロセス

については,SiCN 鋳型を用いてより緻密に電極断

面構造を制御することが可能であることを確認した。

図7.多層SiCN鋳型の断面形状

図8.多層SiCN鋳型によるT型ゲート電極の断面

謝辞

窒化物系半導体プロセス用装置を使用させて頂い

た東北大学金属材料研究所の松岡隆志教授はじめ研

究室の方々に感謝する。また本研究の一部は,ナノ・

スピン実験施設の設備を用いて行われた。 関連成果査読付き学術論文(1件)

1. T. Yoshida, K. Akagawa, T. Otsuji, T. Suemitsu, “InGaAs HEMTs with T-gate electrodes fabricated using HMDS SiN mold,” Phys. Status Solidi C, 9, pp. 354-356 (2012).

国際会議発表(1件)2. T. Yoshida, K. Akagawa, T. Otsuji, and T. Suemitsu, “InGaAs

HEMTs with T-gate electrodes fabricated using HMDS-SiN mold,” 38th Int. Symp. on Compound Semiconductors (ISCS), Berlin, Germany, May 22-26, pp. 473-474 (2011).

国内学会発表(3件)

3. 吉田智洋, 赤川啓介, 尾辻泰一, 末光哲也, “HMDS-SiN 鋳

型により作製したT型ゲート電極InGaAs HEMTのゲート

遅延解析,” 第 72 回応用物理学会学術講演会, 山形,31a-A-3, Aug. 30-Sep. 2, (2011).

4. 吉田智洋, 鹿野優毅, 尾辻泰一, 末光哲也, “多層SiCN鋳型

を用いたT型ゲート電極の断面形状制御,” 第59回応用物

理学関係連合講演会, 東京, 18p-E2-3, Mar. 15-18, (2012).

5. 鹿野優毅, 小林健悟, 吉田智洋, 尾辻泰一, 片山竜二, 松岡隆志, 末光哲也, “SiCN をゲート絶縁膜として用いた

AlGaN/GaN HEMT,” 第 59 回応用物理学関係連合講演会,東京, 18a-GP7-3, Mar. 15-18, (2012).

著書(1件)6. T. Suemitsu, “Chapter 5.03: GaAs- and InP-based

high-electron-mobility transistors,” in “Compre- hensive Semiconductor Science and Technology,” Elsevier, pp. 84-112 (2011).

独創的研究支援プログラム

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電気通信-4章-初[99-108].indd 95 2012/07/09 19:15:05

自己身体表象を考慮した人間のマルチモーダル 感覚知覚処理機構の解明とモデル化: 視覚と触覚のインタラクション

松宮 一道(高次視覚情報システム研究分野)

[1] 研究費:物件費500万円,旅費0円 [2]成果 (1)研究成果 本年度は,以下に示す研究成果を得た. まず第一に,見ている手を自分の手であるという

認識(手の所有感覚)が,物体の運動知覚に影響を

与えることを明らかにした. 背景と目的 手を使って物体を操作するとき,

我々は物体と自己の手の両方の動きを注意深く見る.

そのような状況では,我々は,通常,見ている手は

自己の手であることに気づく.この見ている手の所

有感覚は物体操作を上手く実行するために必要であ

るように思えるが,物体操作において手の所有感覚

がどのような役割を担っているのかはよくわかって

いない.本研究は,手の所有感覚が,操作している

物体の動きから生じる視覚運動残効を増大させると

いう心理物理学的証拠を報告する. 手の自己所有感覚は,視覚と体性感覚といった複

数の感覚情報の統合に基づいて生成されていること

が近年の研究により明らかにされている.これは,

身体感覚の錯覚を用いて示された.例えば,図1に

示すように,被験者に被験者自身の腕が見えないよ

うにした状態で,被験者の目の前にゴムでできた偽

物の腕を置き,被験者の腕の表面を実験者が刷毛で

こすり,それと同時に,ゴムの腕の表面も刷毛でこ

すると,見えている偽物の腕が自分の腕のように感

じる.この錯覚は,ラバーハンド錯覚と呼ばれてお

り,自己の手の所有感覚は視覚と体性感覚の感覚情

報統合により生成されることを直接的に示している.

本実験では,この現象を利用して,手の自己所有感

覚と物体の視知覚の関連を調べた. 実験方法 本実験では,被験者の手を見えないよ

うにし,その見えない手と空間的に一致するように

仮想的な手を呈示した(図2).被験者自身の手で円

盤状の視覚刺激を回転させると,その円盤と一緒に

呈示された仮想的な手が被験者の手の動きに同期し

て動いた.我々は,被験者が自己の手で回転させる

視覚刺激の動きの順応によって生じる視覚運動残効

の強度を測定した. 結果と考察 仮想的な手を自己の手であるかのよ

うに感じたときに,視覚運動残効の強度が増大した

(図3).テスト刺激の中で,仮想的な手と被験者の

手の間の方位の不一致度を増すと,視覚運動残効の

強度は減少した.これは,本研究で得られた運動残

効強度の増大は順応時の注意による効果では説明で

きないことを示している.仮想的な手が被験者の手

の方位と平行でないとき,手でない仮想物体を呈示

したとき,あるいは,被験者の手が受動的に動かさ

れたときは,被験者は仮想的な手や手でない仮想物

体を自己の手と感じなかった.そして,これらの条

件では,視覚運動残効の強度は増大しなかった.こ

れらの結果は,見ている手の所有感覚が操作物体か

図1.身体感覚の錯覚.被験者に被験者自身の腕が見え

ないようにした状態で,被験者の目の前にゴムでできた

偽物の腕を置き,被験者の腕の表面を実験者が刷毛でこ

すり,それと同時に,ゴムの腕の表面も刷毛でこすると,

見えている偽物の腕が自分の腕のように感じる

ら生じる視覚運動信号を増強させることを示してお

り,身体の自己意識が物体操作時の視覚運動知覚に

寄与していることを示唆する. 第二に,高次感性情報である顔の表情認知が触覚

情報からでも行え,顔残効と呼ばれる順応現象が触

覚のモダリティにおいても生じることを発見した. 背景と目的 ある表情を持つ顔を見た後,中立顔

を見ると順応顔の反対の表情を持った顔として知覚

される(顔残効).これは,視覚に特化した現象であ

ると考えられている.しかし,近年,触覚でも顔を

認知できることが報告されている.そこで本研究で

は,触覚で顔残効が生じるかを調べた. 実験方法 被験者は,喜び顔か悲しみ顔のフェイ

スマスク(図4)を目を閉じて両手で 20 秒間触った後,中立顔のマスクを5秒間触り,その表情を応答した. 結果と考察 順応顔の表情に依存して,テスト顔

が反対方向の表情として知覚された(図5).これよ

り,触覚においても顔残効が生じることが示唆され

る.まだ未知な部分が多く残された触覚顔処理にお

いても顔残効をプローブとして調査できることを本

研究は示している.本研究は著者が知る限り,触覚

だけで顔順応が生じることを報告した最初の研究に

なる. (2)波及効果と発展性、将来展望など 身体感覚生成に関する感覚情報提示技術は,様々

な応用分野での活用が期待できる.例えば,遠隔医

療による診断・手術を可能にする,熟練工の技能を

効率よく直観的に伝達する,想像力や感動をより高

めるような教育向けの情報提示などに活用すること

ができ社会的意義が大きい.本研究の成果は,この

ような応用に向けた基盤的な研究であるが,身体性

自己意識といった高次感性情報を有する情報通信を

可能にし,インターネットや携帯電話のような現在

の通信技術と比べて今までにない新しいコミュニケ

ーションが実現できるようになる可能性を含んでい

図2.実験装置.視触覚刺激提示装置を使い,被験者の

手の動きに同期して動く放射状の縞模様とコンピュー

タグラフィックスで作成された手の視覚刺激を用い,し

ばらくその動きに順応した後に,静止した視覚刺激を見

ると順応した動きの方向と反対方向の動きが知覚され

る(運動残効).

図3.実験結果.(A) CGの手の姿勢が見えない被験者の手と一致,自己の手を能動的に動かす.(B) CGの手の姿勢が見えない被験者の手と不一致.(C) CGの矩形の方位が見えない被験者の手と一致.(D) CGの手の姿勢が見えない被験者の手と一致するが,手が触覚デバイスのアームにより受動的に動かされる.

独創的研究支援プログラム

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電気通信-4章-初[99-108].indd 96 2012/07/09 19:15:06

自己身体表象を考慮した人間のマルチモーダル 感覚知覚処理機構の解明とモデル化: 視覚と触覚のインタラクション

松宮 一道(高次視覚情報システム研究分野)

[1] 研究費:物件費500万円,旅費0円 [2]成果 (1)研究成果 本年度は,以下に示す研究成果を得た. まず第一に,見ている手を自分の手であるという

認識(手の所有感覚)が,物体の運動知覚に影響を

与えることを明らかにした. 背景と目的 手を使って物体を操作するとき,

我々は物体と自己の手の両方の動きを注意深く見る.

そのような状況では,我々は,通常,見ている手は

自己の手であることに気づく.この見ている手の所

有感覚は物体操作を上手く実行するために必要であ

るように思えるが,物体操作において手の所有感覚

がどのような役割を担っているのかはよくわかって

いない.本研究は,手の所有感覚が,操作している

物体の動きから生じる視覚運動残効を増大させると

いう心理物理学的証拠を報告する. 手の自己所有感覚は,視覚と体性感覚といった複

数の感覚情報の統合に基づいて生成されていること

が近年の研究により明らかにされている.これは,

身体感覚の錯覚を用いて示された.例えば,図1に

示すように,被験者に被験者自身の腕が見えないよ

うにした状態で,被験者の目の前にゴムでできた偽

物の腕を置き,被験者の腕の表面を実験者が刷毛で

こすり,それと同時に,ゴムの腕の表面も刷毛でこ

すると,見えている偽物の腕が自分の腕のように感

じる.この錯覚は,ラバーハンド錯覚と呼ばれてお

り,自己の手の所有感覚は視覚と体性感覚の感覚情

報統合により生成されることを直接的に示している.

本実験では,この現象を利用して,手の自己所有感

覚と物体の視知覚の関連を調べた. 実験方法 本実験では,被験者の手を見えないよ

うにし,その見えない手と空間的に一致するように

仮想的な手を呈示した(図2).被験者自身の手で円

盤状の視覚刺激を回転させると,その円盤と一緒に

呈示された仮想的な手が被験者の手の動きに同期し

て動いた.我々は,被験者が自己の手で回転させる

視覚刺激の動きの順応によって生じる視覚運動残効

の強度を測定した. 結果と考察 仮想的な手を自己の手であるかのよ

うに感じたときに,視覚運動残効の強度が増大した

(図3).テスト刺激の中で,仮想的な手と被験者の

手の間の方位の不一致度を増すと,視覚運動残効の

強度は減少した.これは,本研究で得られた運動残

効強度の増大は順応時の注意による効果では説明で

きないことを示している.仮想的な手が被験者の手

の方位と平行でないとき,手でない仮想物体を呈示

したとき,あるいは,被験者の手が受動的に動かさ

れたときは,被験者は仮想的な手や手でない仮想物

体を自己の手と感じなかった.そして,これらの条

件では,視覚運動残効の強度は増大しなかった.こ

れらの結果は,見ている手の所有感覚が操作物体か

図1.身体感覚の錯覚.被験者に被験者自身の腕が見え

ないようにした状態で,被験者の目の前にゴムでできた

偽物の腕を置き,被験者の腕の表面を実験者が刷毛でこ

すり,それと同時に,ゴムの腕の表面も刷毛でこすると,

見えている偽物の腕が自分の腕のように感じる

ら生じる視覚運動信号を増強させることを示してお

り,身体の自己意識が物体操作時の視覚運動知覚に

寄与していることを示唆する. 第二に,高次感性情報である顔の表情認知が触覚

情報からでも行え,顔残効と呼ばれる順応現象が触

覚のモダリティにおいても生じることを発見した. 背景と目的 ある表情を持つ顔を見た後,中立顔

を見ると順応顔の反対の表情を持った顔として知覚

される(顔残効).これは,視覚に特化した現象であ

ると考えられている.しかし,近年,触覚でも顔を

認知できることが報告されている.そこで本研究で

は,触覚で顔残効が生じるかを調べた. 実験方法 被験者は,喜び顔か悲しみ顔のフェイ

スマスク(図4)を目を閉じて両手で 20 秒間触った後,中立顔のマスクを5秒間触り,その表情を応答した. 結果と考察 順応顔の表情に依存して,テスト顔

が反対方向の表情として知覚された(図5).これよ

り,触覚においても顔残効が生じることが示唆され

る.まだ未知な部分が多く残された触覚顔処理にお

いても顔残効をプローブとして調査できることを本

研究は示している.本研究は著者が知る限り,触覚

だけで顔順応が生じることを報告した最初の研究に

なる. (2)波及効果と発展性、将来展望など 身体感覚生成に関する感覚情報提示技術は,様々

な応用分野での活用が期待できる.例えば,遠隔医

療による診断・手術を可能にする,熟練工の技能を

効率よく直観的に伝達する,想像力や感動をより高

めるような教育向けの情報提示などに活用すること

ができ社会的意義が大きい.本研究の成果は,この

ような応用に向けた基盤的な研究であるが,身体性

自己意識といった高次感性情報を有する情報通信を

可能にし,インターネットや携帯電話のような現在

の通信技術と比べて今までにない新しいコミュニケ

ーションが実現できるようになる可能性を含んでい

図2.実験装置.視触覚刺激提示装置を使い,被験者の

手の動きに同期して動く放射状の縞模様とコンピュー

タグラフィックスで作成された手の視覚刺激を用い,し

ばらくその動きに順応した後に,静止した視覚刺激を見

ると順応した動きの方向と反対方向の動きが知覚され

る(運動残効).

図3.実験結果.(A) CGの手の姿勢が見えない被験者の手と一致,自己の手を能動的に動かす.(B) CGの手の姿勢が見えない被験者の手と不一致.(C) CGの矩形の方位が見えない被験者の手と一致.(D) CGの手の姿勢が見えない被験者の手と一致するが,手が触覚デバイスのアームにより受動的に動かされる.

独創的研究支援プログラム

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電気通信-4章-初[99-108].indd 97 2012/07/09 19:15:06

ると考える.

(3)主な発表論文等 〔雑誌論文〕(計1件) 1. Matsumiya, K.:Haptic face aftereffect,i-Perception,

査読有,3(2), 97-100,2012.

〔学会発表〕(計5件) Matsumiya, K., Shioiri, S.: “Effects of a seen hand on visuo-haptic motion processing”, Asia-Pacific Conference on Vision (APCV), Hong Kong, July 2011. (i-Perception, 2(4), 411, 2011)

2. Takahashi, M., Matsumiya, K., Kuriki, I., Rumi Tokunaga, R., Shioiri, S.: “Similarity and difference in symmetry between the visual and haptic motional representations”, 12th International Multisensory Research Forum (IMRF), Fukuoka, October 17-20, 2011. (i-Perception, 2(8), 854, 2011)

3. Shioiri, S., Yamazaki, T., Matsumiya, K., Kuriki, I.:

“Visual and haptic mental rotation”, 12th International Multisensory Research Forum (IMRF), Fukuoka, October 17-20, 2011. (i-Perception, 2(8), 823, 2011) Matsumiya, K., Shioiri, S.: “Influence of active manipulation of an object on visual motion perception”, 12th International Multisensory Research Forum (IMRF), Fukuoka, October 17-20, 2011.(招待講演)

松宮一道:“触覚顔残効”,第三回多感覚研究会,東京都・

東京大学, 年 月.

図4.触覚顔刺激.

図 5.実験結果.ある表情をもつフェイスマスクを 20秒間能動的に触った後,中立顔のフェイスマスクを5秒間触り,その中立顔の表情を応答した結果を示す.縦軸

は悲しい顔と応答した割合を示す.

超高速ミリ波通信用 シリコンオンチップアンテナの研究開発

ユビキタス通信デバイス研究分野 准教授 中瀬博之 [1] 研究費:物件費500万円 [2]成果 (2-1)研究の背景と目的

60GHz帯を用いた無線通信システムは数Gビット毎秒の通信速度を実現可能な唯一の周波数帯であ

り、国際標準化機関であるIEEE802委員会WG15、TG3c で規格の策定が完了し、実用化開発のフェーズに入りつつある。また、シリコン CMOS を用いたRFデバイスも、微細化に伴い高周波化が進み、90nm以下の加工寸法において 60GHz帯デバイスの研究開発が盛んである。

60GHz帯は波長が短い(λ=5mm)ため、アンテナが本質的に小型となり、ギガビット伝送の携帯端末

などへの搭載が容易である。しかしながら、伝送線

路やケーブル・コネクタによる減衰が大きく、RFデバイス(特に電力増幅器)とアンテナの低損失接続は重要な開発課題である。アンテナとRFデバイスの接続を最短にする最良の方法は、RF デバイスのIC上にアンテナを搭載することである。60GHz用CMOS RFICに用いるシリコン基板は、低抵抗基板であるため、高周波信号に対して損失が大きい。そ

こで、RF デバイスを作成する際に最低層の金属膜を用いて、シールド層(グランド層)を形成する。このシールド層は、損失の大きなシリコン基板を伝送

線路から分離する効果が大きいが、アンテナから見

ると反射板として動作する。アンテナ素子と反射板

が、λ/4以下に近接すると反射波による放射信号の実質レベルの低下に加え、寄生容量の増加に伴う不

整合が発生し、アンテナとして動作しなくなる。 本研究では、RFICのシリコンチップ上に60GHz帯アンテナ(ゲイン 5dBi 以上)を搭載しデバイスアンテナ一体型RFチップの実現を目指し、オンチップアンテナの研究開発を行う。λ/4以下の繰り返し金属パターンにより自然界に存在しない物性定数を

実現可能なメタマテリアルを利用し、シールド層と

アンテナ素子を電磁気的に分離しシリコン基板上に

60GHz 帯のアンテナを実現する。初年度であるH23年度は、電磁界シミュレーション(FDTD法、アジレントテクノロジ EMPro)を用いて、60GHz帯に最適なメタマテリアル構造を明らかにする。

(2-2) シミュレーションのモデルと結果 図1に、シミュレーションのモデルを示す。厚さ

200mの誘電体上に、18mの金属膜によりパターンを形成する。今回は、メタマテリアルでインピー

ダンス無限大の反射面を 60GHz帯で実現することを目的として、メタマテリアルの代表格であるC型のスプリットリングを用いた。誘電体の比誘電率は、

自由空間の1、テフロン基板の2.4、シリコン IC層間絶縁膜の 4.2を用いた。境界条件として、誘電体表面方向は繰り返し、法線方向は放射とした。誘電

体膜に垂直に平面波を入射し、透過したエネルギー

を求めることで反射特性を推定した。

図1 シミュレーションモデル

図2は、誘電体表面に配置するスプリットリングの寸法図である。スプリットリングは、金属配線が

インダクタンス、配線に形成するギャップがキャパ

シタンスとなり、その共振周波数がメタマテリアル

として動作する周波数となる。60GHz 帯で動作する構造を得るために、スプリットリングのピッチ、

縦サイズ、横サイズ、配線幅、ギャップをパラメー

タとしてシミュレーションを行った。

図2 スプリットリングの構造

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電気通信-4章-初[99-108].indd 98 2012/07/09 19:15:06

ると考える.

(3)主な発表論文等 〔雑誌論文〕(計1件) 1. Matsumiya, K.:Haptic face aftereffect,i-Perception,

査読有,3(2), 97-100,2012.

〔学会発表〕(計5件) Matsumiya, K., Shioiri, S.: “Effects of a seen hand on visuo-haptic motion processing”, Asia-Pacific Conference on Vision (APCV), Hong Kong, July 2011. (i-Perception, 2(4), 411, 2011)

2. Takahashi, M., Matsumiya, K., Kuriki, I., Rumi Tokunaga, R., Shioiri, S.: “Similarity and difference in symmetry between the visual and haptic motional representations”, 12th International Multisensory Research Forum (IMRF), Fukuoka, October 17-20, 2011. (i-Perception, 2(8), 854, 2011)

3. Shioiri, S., Yamazaki, T., Matsumiya, K., Kuriki, I.:

“Visual and haptic mental rotation”, 12th International Multisensory Research Forum (IMRF), Fukuoka, October 17-20, 2011. (i-Perception, 2(8), 823, 2011) Matsumiya, K., Shioiri, S.: “Influence of active manipulation of an object on visual motion perception”, 12th International Multisensory Research Forum (IMRF), Fukuoka, October 17-20, 2011.(招待講演)

松宮一道:“触覚顔残効”,第三回多感覚研究会,東京都・

東京大学, 年 月.

図4.触覚顔刺激.

図 5.実験結果.ある表情をもつフェイスマスクを 20秒間能動的に触った後,中立顔のフェイスマスクを5秒間触り,その中立顔の表情を応答した結果を示す.縦軸

は悲しい顔と応答した割合を示す.

超高速ミリ波通信用 シリコンオンチップアンテナの研究開発

ユビキタス通信デバイス研究分野 准教授 中瀬博之 [1] 研究費:物件費500万円 [2]成果 (2-1)研究の背景と目的

60GHz帯を用いた無線通信システムは数Gビット毎秒の通信速度を実現可能な唯一の周波数帯であ

り、国際標準化機関であるIEEE802委員会WG15、TG3c で規格の策定が完了し、実用化開発のフェーズに入りつつある。また、シリコン CMOS を用いたRFデバイスも、微細化に伴い高周波化が進み、90nm以下の加工寸法において 60GHz帯デバイスの研究開発が盛んである。

60GHz帯は波長が短い(λ=5mm)ため、アンテナが本質的に小型となり、ギガビット伝送の携帯端末

などへの搭載が容易である。しかしながら、伝送線

路やケーブル・コネクタによる減衰が大きく、RFデバイス(特に電力増幅器)とアンテナの低損失接続は重要な開発課題である。アンテナとRFデバイスの接続を最短にする最良の方法は、RF デバイスのIC上にアンテナを搭載することである。60GHz用CMOS RFICに用いるシリコン基板は、低抵抗基板であるため、高周波信号に対して損失が大きい。そ

こで、RF デバイスを作成する際に最低層の金属膜を用いて、シールド層(グランド層)を形成する。このシールド層は、損失の大きなシリコン基板を伝送

線路から分離する効果が大きいが、アンテナから見

ると反射板として動作する。アンテナ素子と反射板

が、λ/4以下に近接すると反射波による放射信号の実質レベルの低下に加え、寄生容量の増加に伴う不

整合が発生し、アンテナとして動作しなくなる。 本研究では、RFICのシリコンチップ上に60GHz帯アンテナ(ゲイン 5dBi 以上)を搭載しデバイスアンテナ一体型RFチップの実現を目指し、オンチップアンテナの研究開発を行う。λ/4以下の繰り返し金属パターンにより自然界に存在しない物性定数を

実現可能なメタマテリアルを利用し、シールド層と

アンテナ素子を電磁気的に分離しシリコン基板上に

60GHz 帯のアンテナを実現する。初年度であるH23年度は、電磁界シミュレーション(FDTD法、アジレントテクノロジ EMPro)を用いて、60GHz帯に最適なメタマテリアル構造を明らかにする。

(2-2) シミュレーションのモデルと結果 図1に、シミュレーションのモデルを示す。厚さ

200mの誘電体上に、18mの金属膜によりパターンを形成する。今回は、メタマテリアルでインピー

ダンス無限大の反射面を 60GHz帯で実現することを目的として、メタマテリアルの代表格であるC型のスプリットリングを用いた。誘電体の比誘電率は、

自由空間の1、テフロン基板の2.4、シリコン IC層間絶縁膜の 4.2を用いた。境界条件として、誘電体表面方向は繰り返し、法線方向は放射とした。誘電

体膜に垂直に平面波を入射し、透過したエネルギー

を求めることで反射特性を推定した。

図1 シミュレーションモデル

図2は、誘電体表面に配置するスプリットリングの寸法図である。スプリットリングは、金属配線が

インダクタンス、配線に形成するギャップがキャパ

シタンスとなり、その共振周波数がメタマテリアル

として動作する周波数となる。60GHz 帯で動作する構造を得るために、スプリットリングのピッチ、

縦サイズ、横サイズ、配線幅、ギャップをパラメー

タとしてシミュレーションを行った。

図2 スプリットリングの構造

独創的研究支援プログラム

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電気通信-4章-初[99-108].indd 99 2012/07/09 19:15:07

図3は、スプリットリングの縦横サイズと共振周波数の関係である。構造を簡単とするため、縦と横

の寸法は同一とした。ピッチ、配線幅、ギャップは

それぞれ 1mm、50m、150mとした。スプリットリングのサイズと共振周波数の関係は、係数が負

の比例関係にあり、サイズが大きいほど共振周波数

が低くなる。図中黒丸で示す領域が必要な共振周波

数領域であり、誘電率 2.4の場合、スプリットリングのサイズは 500m 周辺が最適であることが分かる。

図3 スプリットリングのサイズと共振周波数

図4は、スプリットリングのギャップと共振周波数の関係である。サイズは500m、ピッチと配線幅はそれぞれ 1mm、50m とした。ギャップが広がるとキャパシタンスが小さくなることから、ギャッ

プと共振周波数は比例関係にある。比誘電率 2.4、共振周波数60GHz近傍では、ギャップ50mが最適であることが分かる。

図4 ギャップと共振周波数

図5は、スプリットリングの配線幅と共振周波数の関係である。スプリットリングのサイズ、ギャッ

プは、それぞれ 500m、50m とした。ピッチは1mm とした。配線幅は、自己インダクタンスに影響を与えることから、配線幅が太くなると共振周波

数が向上することがわかる。また、プリント基板を

用いた試作を考慮すると、最小加工寸法の50mに限界があることから、比誘電率 2.4において配線幅50mとするのが良いことが明らかになった。

図5 配線幅と共振周波数

図6は、スプリットリングのピッチと共振周波数の関係である。スプリットリングのサイズ、配線幅、

ギャップは、それぞれ500m、50m、50mとした。これまでのシミュレーションにおいてもピッチ

1mmと空間波長の 1/4であることから、0.8mm~1.4mmの範囲でピッチを変化させても、他のパラメータほど顕著な共振周波数の変化は見られない。比

誘電率 2.4 の場合、1mm ピッチとすることに決定した。

図6 ピッチと共振周波数

以上の検討から、厚さ0.2mm、比誘電率2.4のテフロン系プリント基板の場合、サイズ500m、配線幅 50m、ギャップ 50m、ピッチ 1mmと決定した。 図7は、決定した寸法で形成したスプリットリングの構造を示す。

図7 決定したパラメータによるスプリットリング

共振器パターン 図8は、図7のパターンを用いて行ったシミュレーション結果である。比誘電率 2.4において、共振周波数 60.597GHz、バンド幅 1.4GHz が得られた。以上の結果より、本構造を用いることで所望の周波

数帯でエネルギーを反射するメタマテリアルを実現

できる見込みが立った。

図8 スプリットリングを用いた透過特性

(2-3)波及効果と発展性、将来展望など (大型プロジェクトへの発展・国際会議(シンポジ

ウム)ヘの発展・学外研究者との交流・新研究領域

の開拓・成果の他分野への応用・萌芽的研究への発

展等) シリコン基板上にアンテナを形成する研究はさま

ざま行われているが、現時点で 0dBi 以上の利得を得られている例はほとんどない。本研究で、メタマ

テリアルを用いることでインピーダンス無限大の反

射板を形成し、利得 5dBi 以上のオンチップアンテナを実現することは、ミリ波によるギガビット伝送

システムへのインパクトは大きい。また、アンテナ・

RF デバイス一体化はミリ波トランシーバーの小型化を促進する。その結果、携帯端末への搭載が容易

になることからミリ波トランシーバーの実用化普及

に大きく貢献すると考える。 参考文献 [1] C. Caloz and T. Ito, Electromagnetic

Metamaterials: Transmission Line Theory and Microwave Applications, John Wiley & Sons, 2005.

[2] T. Ishihara, メタマテリアルー最新技術と応用―、シーエムシー出版、2007.

[3] D. R. Smith et al., Phys. Rev. Lett. 84, 4184 (2000).

[4] R. A. Shelby et al., Science 292, 77 (2001). [5] 萩行正憲、宮丸文章, 応用物理 78, 511, (2009).

独創的研究支援プログラム

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電気通信-4章-初[99-108].indd 100 2012/07/09 19:15:07

図3は、スプリットリングの縦横サイズと共振周波数の関係である。構造を簡単とするため、縦と横

の寸法は同一とした。ピッチ、配線幅、ギャップは

それぞれ 1mm、50m、150mとした。スプリットリングのサイズと共振周波数の関係は、係数が負

の比例関係にあり、サイズが大きいほど共振周波数

が低くなる。図中黒丸で示す領域が必要な共振周波

数領域であり、誘電率 2.4の場合、スプリットリングのサイズは 500m 周辺が最適であることが分かる。

図3 スプリットリングのサイズと共振周波数

図4は、スプリットリングのギャップと共振周波数の関係である。サイズは500m、ピッチと配線幅はそれぞれ 1mm、50m とした。ギャップが広がるとキャパシタンスが小さくなることから、ギャッ

プと共振周波数は比例関係にある。比誘電率 2.4、共振周波数60GHz近傍では、ギャップ50mが最適であることが分かる。

図4 ギャップと共振周波数

図5は、スプリットリングの配線幅と共振周波数の関係である。スプリットリングのサイズ、ギャッ

プは、それぞれ 500m、50m とした。ピッチは1mm とした。配線幅は、自己インダクタンスに影響を与えることから、配線幅が太くなると共振周波

数が向上することがわかる。また、プリント基板を

用いた試作を考慮すると、最小加工寸法の50mに限界があることから、比誘電率 2.4において配線幅50mとするのが良いことが明らかになった。

図5 配線幅と共振周波数

図6は、スプリットリングのピッチと共振周波数の関係である。スプリットリングのサイズ、配線幅、

ギャップは、それぞれ500m、50m、50mとした。これまでのシミュレーションにおいてもピッチ

1mmと空間波長の 1/4であることから、0.8mm~1.4mmの範囲でピッチを変化させても、他のパラメータほど顕著な共振周波数の変化は見られない。比

誘電率 2.4 の場合、1mm ピッチとすることに決定した。

図6 ピッチと共振周波数

以上の検討から、厚さ0.2mm、比誘電率2.4のテフロン系プリント基板の場合、サイズ500m、配線幅 50m、ギャップ 50m、ピッチ 1mmと決定した。 図7は、決定した寸法で形成したスプリットリングの構造を示す。

図7 決定したパラメータによるスプリットリング

共振器パターン 図8は、図7のパターンを用いて行ったシミュレーション結果である。比誘電率 2.4において、共振周波数 60.597GHz、バンド幅 1.4GHz が得られた。以上の結果より、本構造を用いることで所望の周波

数帯でエネルギーを反射するメタマテリアルを実現

できる見込みが立った。

図8 スプリットリングを用いた透過特性

(2-3)波及効果と発展性、将来展望など (大型プロジェクトへの発展・国際会議(シンポジ

ウム)ヘの発展・学外研究者との交流・新研究領域

の開拓・成果の他分野への応用・萌芽的研究への発

展等) シリコン基板上にアンテナを形成する研究はさま

ざま行われているが、現時点で 0dBi 以上の利得を得られている例はほとんどない。本研究で、メタマ

テリアルを用いることでインピーダンス無限大の反

射板を形成し、利得 5dBi 以上のオンチップアンテナを実現することは、ミリ波によるギガビット伝送

システムへのインパクトは大きい。また、アンテナ・

RF デバイス一体化はミリ波トランシーバーの小型化を促進する。その結果、携帯端末への搭載が容易

になることからミリ波トランシーバーの実用化普及

に大きく貢献すると考える。 参考文献 [1] C. Caloz and T. Ito, Electromagnetic

Metamaterials: Transmission Line Theory and Microwave Applications, John Wiley & Sons, 2005.

[2] T. Ishihara, メタマテリアルー最新技術と応用―、シーエムシー出版、2007.

[3] D. R. Smith et al., Phys. Rev. Lett. 84, 4184 (2000).

[4] R. A. Shelby et al., Science 292, 77 (2001). [5] 萩行正憲、宮丸文章, 応用物理 78, 511, (2009).

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