視聴の場に作用する社会的コンテクスト
• 前スライドに記述した「タフな」「ハードな」「男性的な」と言った形容詞に関しては、一般に従前に比べて価値が低下している
• マスメディアでも「男らしさ/女らしさ」といった、性別と役割との結びつきに関する固定的な捉え方の見直しを要求する議論が多く見受けられる
• 長引く不況、「改革」への気運の上昇、環境保護運動の浸透、その他様々な背景から、旧来の産業・経済中心の社会のあり方が、「男社会の弊害」としてネガティブな意味に集約されている
• この様な状況で、前スライドで仮定した広告はどのように読解されるのか?
• それぞれの人がおかれる社会や文化のコンテクストの違いは、その人が広告から読み取るものに、どのような影響を与えているか?
• 大雑把な分け方であるが、男性と女性とでは、この広告を単なる洋酒の広告と捉えるかメッセージを受け取るかが異なると推測できる
• バーボンは一般に男性の方が好んで飲む
• その違いには、男性と女性との間にある社会や文化のコンテクストの違いがある
• そもそも男性と女性の区別を設ける社会のコンテクストの影響が背景にある
• 同じ男性でも、それぞれの人のおかれるコンテクストの違いによって異なる
• 仮定)• 「タフな」「ハードな」「男性的な」と言った形容詞群を肯定的に捉える価値観の持ち主がいたとする
• その人物が先ほどの「その生き方のままでいい」と言うコピーを読むとすれば、共示義としてどのようなメッセージを読む事が推察されるか?
• 「その生き方」と言う言葉に対して、現在の自分が信じている「男らしいタフな生き方」を重ね合わせた上で、「自分はやはり今の生き方を貫こう」と思うかもしれない
• この様なメッセージを読み取ったとすれば、そのメッセージ自体が、広告の読み取りの基調を成すコンテクストとして作用する
• 5人の男達はメッセージの語り手として、「タフで男らしい生き方」を視聴者に語りかける
• 彼らが手にするバーボンは、そのような価値観を象徴するアイテムとしての意味を持つ
• この事は、「バーボンを飲む事」自体が単なる飲酒行為を超えた意味として、「男らしさ」を主張するための行為となる事を視聴者に信じさせる契機になる
• 一つの仮定条件から簡単に推測したが、可能性は個人の数だけある事に注意
社会の中のメディア・日常の中のメディア
• メディアは社会の中で、その一部として機能する
• メディアの視聴という行為は、日常のあらゆる行為の一つとして行われる
• 社会や日常のコンテクストの中では、メディアテクストの表示義のみならず、共示義の内容が大きな問題となる
• 社会的コンテクストの前提• メディアの視聴は視聴者自身の日常生活の一環として行われるあらゆる行為の一部
• 視聴者が個人として営む日常生活は、必ずある特定の時期の特定の社会の中に位置を占めている
• それぞれのコンテクストの内容は、視聴者が生活する社会の現実と不可分である
• 視聴の場に作用するコンテクストの内容と社会的現実との不可分性を認識する事は、メディアの視聴の場に作用するコンテクストについて理解する上で重要である
• そもそも、視聴者にとってのコンテクストとは?
• 仮にテレビを見ていたとしたら• テレビから送り出される様々な映像や音声の組み合わせから、ひとまとまりの意味内容をメッセージとして読み取る
• この時、視聴者にとっての「読み取りの対象」は、映像や音声によって構成される表現
• 視聴者は表現から再構成されるメッセージとして、情報を手に入れる
• 但し、この時視聴者が読み取るメッセージは、表現として提示されるもののみに由来するのではない
• 表現の外部にある手がかりや、その手がかりが生み出す脈絡の中でメッセージは形成される
• この表現の外部にある手がかりや、それが生み出す脈絡が、視聴者にとってのコンテクストである
• メディアの視聴に作用するコンテクストがその様なものならば、具体例として何が考えられるか?
• 表現から読み取られる話題に関しての予備知識
• 視聴者の抱く願望や思い入れによって形成されるストーリー(物語)が、表現の意味づけに投影されることもある
• あまりにも当然すぎて視聴者自身が格段意識しない様々な知識や常識が、表現が直接語らない事を補って解釈するために用いられる
• 「メディアの視聴」と言う行為そのものに付随する様々な条件も、視聴のコンテクストとして意味づけに影響を与える
• テレビで言えば、家庭内のどこにあるか・チャンネルの選択権は誰か・他のどの様な行為との関連の中で視聴が行われたか等
ニュースの現実ニュースは信頼に値するか?
ニュースの作られ方
• ニュースとは作られるものである• 人の手によって恣意的に選ばれ、加工されてマスメディアによって届けられる
• 「ニュースとは、社会で起きた出来事が伝えられるものである」と言う報道メディア・メッセンジャー論
• 「記事は記者が書くから解釈が入るが、写真や映像は事実である」と言う映像神話論
• これらは残念ながら願望であって、事実とは異なる
• 意外な事だが、日本には「ジャーナリスト」を育成する専門の課程を持った大学を含む教育機関が非常に少ない
• 記者としてマスメディアに採用される条件として上記教育機関の然るべき学部等の卒業を要件としている場合はほぼ無い
• 各社が独自のジャーナリズムを教育している
• マスメディアが伝えるコンテント(番組・音楽・映像など全ての情報)は、全てが加工された「商品」である
• ニュースも真実を伝えているが、事実を伝えているわけではない
• ニュースには正反対の真実も存在する• 2002年12月、政府は海上自衛隊のイージス艦をインド洋に派遣する事を決定した
• 読売新聞• 「平和ボケ論理から脱却せよ」
• 当たり前のことを決めたにすぎない。むしろ遅すぎるくらいである…イージス艦派遣は、後方支援活動を支える上で必要かどうか、という観点から淡々と判断すべき問題だ。政治的思惑で左右すべきではない。自衛隊の活動に足かせをはめさえすればよい、といった誤った平和主義に基づく安保論議から、もう卒業するときだ。
• 朝日新聞• 「これは納得できない」
• イージス艦を投入すれば、その豊富な情報を利用して米軍が武力行使を行う、つまり憲法が禁じる集団的自衛権の行使に結びつく可能性が高まるという理由から、与党内にも反対論が根強い…自衛隊の活動はどこまで広がるのか。国民のそうした不安をぬぐうだけの説得力には乏しい。この決定は場当たりに過ぎる
• 今見たように、同じニュースの対象であっても、新聞によって論調の違いがはっきりする
• 論調の違いは「社説」だからではないかと言う点に疑問は残る
• では「客観的事実」が書かれているはずの事件記事では?
• 松本サリン事件• 1994年6月27日深夜、松本市で毒ガスであるサリンが散布され7人の死亡者を出した。
• 1994年6月29日の全国紙朝刊の見出しを比べてみる
• 毎日新聞• 第一通報者宅を捜索「調合間違えた」救急隊に話す 薬品類を押収
• 朝日新聞• 会社員宅から薬品押収 農薬調合に失敗か
• 読売新聞• 通報の会社員宅捜索 薬品数点を押収 除草薬調合ミスか
• 事実は、第一通報者は薬品も農薬も調合はしていなかった
• 新聞によって調合した事になっているのは「薬品」「農薬」「除草薬」とまちまち
• 毎日の「調合『間違えた』救急隊に話す」は事実無根
• この様に、一つの事実から複数の真実が産まれ、マスメディアによって報道される
• 一般に複数の新聞を取っている人は少ないので、自分の読んだ新聞の記事を信じる
• 可能な範囲で複数の新聞やニュースを見て、違いを見つける事が重要である好例
• The NewYork Timesは「掲載しているニュースの定義」を同紙の標語として一面に掲載している
• “All the News That’s Fit to Print”
• 印刷するにふさわしいすべてのニュース
• つまり、ふさわしくないニュースもある