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「熱力学第二法則の理論」 白井光雲 大阪大学・産業科学研究所 1.1 2015 12 23

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「熱力学第二法則の理論」 

白井光雲

大阪大学・産業科学研究所

第 1.1版

2015年12月23日

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本書は現時点で個人的な印刷物であるので,公的な出版物として扱うことはできない.しかし著者の著作権はある.従って,引用に当たっては次のサイトを明記することが求められる.http://www.cmp.sanken.osaka-u.ac.jp/ koun/therm/therm.html

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目 次

第 1章 エントロピー導入以前 11

1.1 熱力学のはじまり . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 11

1.2 第一法則 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 14

1.3 第二法則 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 18

第 2章 エントロピー 25

2.1 不可逆性の定量化 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 25

2.2 エントロピー表式の完成 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 32

2.3 エントロピーの性質 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 34

2.4 第二法則のエントロピーによる表現 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 36

2.4.1 物質の基本的エネルギー方程式 . . . . . . . . . . . . . . . . . 37

2.5 第三法則 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 38

第 3章 可逆・不可逆および準静的過程に関する議論 45

3.1 教科書における問題 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 45

3.1.1 教科書の記述 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 45

3.1.2 「準静的は可逆」とする根拠 . . . . . . . . . . . . . . . . . . 48

3.1.3 その他関連する問題 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 50

3.2 可逆・不可逆の判定法 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 53

第 4章 公理論的アプローチ:準備 57

4.1 熱力学系の記述 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 57

4.1.1 状態空間 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 57

4.1.2 考察する系 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 59

4.2 熱平衡と経験温度の導入 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 60

4.3 第一法則 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 61

4.3.1 可逆過程における第一法則の表現 . . . . . . . . . . . . . . . . 62

4.3.2 内部エネルギーの性質 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 62

第 5章 解析的エントロピー関数 65

5.1 状態の序列 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 65

5.1.1 標準系の状態の序列 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 65

5.1.2 状態の序列の表現 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 67

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5.2 全積分可能な線形微分形式 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 69

5.2.1 線形微分形式 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 69

5.2.2 三次元以上への拡張 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 74

5.3 カラセオドリの原理 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 76

5.3.1 計量エントロピーと絶対温度 . . . . . . . . . . . . . . . . . . 78

5.4 残された問題 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 83

第 6章 第二部の結語 87

6.1 エントロピー増大則までの論理 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 87

6.2 カルノー機関の意義 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 90

6.3 熱力学の目的 . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 91

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はじめに

本書はの正確は一口に言えば「比較熱力学」とでもいうべきもので,古典熱力学の核心である第二法則の導出をいく通りもの仕方で示す.勿論物理法則である以上導き出された結論は同じである.ではなぜそのような思考の浪費と思えるような繰り返しをするのか?熱力学は難しい学問である.これは学生の側ではなく教える側の話である.2005年

出版のGyftopoulos and Berettaの教科書では,その緒言で「グッゲンハイムの教科書で,「既に熱力学の教科書は多くある.にもかかわらずここに敢えて新たな一冊を加えるのはなぜか?」と問うている.この問いは 70年も経った今も変わらない」と始めている.そのときベストと思ってもまたベストが現れる.これは何よりも当事者の物理学者自身が熱力学に困惑した経験を持ち,その解決のため長年思考を重ねてきたことの証拠でないか.ある意味で量子力学より難しい.量子力学であれば教える側は少なくとも教科書レベルの問題でわからないことはない.しかしこと熱力学となると教授でさえも不確信であることが往々としてある.問題は何か?ほとんどの場合はエントロピーとその周辺の概念,特に可逆・不可逆

過程の理解だろう.たいてい大学の教科書では理論が中心である.学生は熱力学のいろいろな式を教わり,教えられたことは一応理解したようにみえる.ところがいざ実際の問題に当たるとお手上げだ.筆者 †はそのような方向の教え方は避け,できるだけ多くの実験事実を挙げ法則の主張するところを理解させるという方法を取った.それを具現化したものが拙著「現代の熱力学」(共立出版,2011年)である(以降,単に「現代の熱力学」と記す).これは幸い各方面で好評を戴き,初等的な熱力学の教え方に悩んでいる教師にも賛同の意を戴いている.同時にいろいろ疑問・反論も戴いた.その多くは可逆・不可逆という概念に関する

ものだ.他の本を読んだ学生は「先生の教えることは他の本とは反対だ」という質問を受ける.いや一流の研究者・教授からも「間違っている」という批判を受けた.それはその本を著すときに既に予想していたことで,だからこそ問題となる概念について詳しく具体的な例で説明したのである.しかし発せられる疑問・反論の背景は実に多様で,説明は一筋縄ではいかない.特色のある熱力学の教科書では,著者独自のアプローチを用いており,理論展開するため前提としていることが他と違う.たとえば準静的過程という概念が既に違う意味で使われている.そういう論理の流れを無視して,疑問の一部分を切り出したのでは議論がかみ合わない.物理では法則を教えるとき違ったアプローチを取ることはよくあることだが,最終的にたどり着く物理法則自

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体は同じであるはずだ.従ってそれぞれが用いている論理の道筋をよく解析すれば,それらの間の食い違いを解消できるはずだが,これが大変難しい.というより,違う本を読み比べると,ますます食い違いが拡大しさえする.学生が戸惑うのも当然である.そういう状況で,言いたいことだけを述べる本はもう要らない.それらの食い違いを説明するものが欲しいと思うのは当然だろう.本書の目的はこの要望に応えるため書かれた.しかしこれは大変困難な仕事である.違った観点で書かれているものを比較するとき,まずは,それぞれの考えの中に深く入った上で著者の意図を正確に理解しなければならない.本人に訊かない限り意図が分からないこともある.何といっても他人のものを比較検討することを躊躇わせる最大の理由は,これを実行することは,とりもなおさず一流の物理学者が書いた教科書の数々を批評のまな板に載せることを意味する.浅学の傲岸不遜,天につばする行為である.その後の浴びるであろう集中砲火を思うと気が重い.しかしこういう分析をしない限り,いつまでも熱力学に対するたわだかまりを解消することはできないことも事実である.これは一握りの物理学者の内部問題ではない.熱力学を教わる学生は困惑したまま社会に巣立つ.企業,行政機関,マスコミなど社会が大学に問い合わせても違った答えが返ってくるようでは大学を信頼するだろうか.筆者は何も大学人を代表するような人間でないが,教える側の一人として責任を感じる.さて実際のところ何から手を付けるか?数多くの熱力学教科書の中で解読すべき本をどう選ぶかがまず問題となる.これに関しては,上のような質問を繰り返し受けるうちに自然に方向性は出てきた.受ける質問は,可逆・不可逆という概念に集中する.それらが発せられる背景をみると,多くはいわゆる公理論的アプローチの理論書に拠る議論が多い.そのようなアプローチの最右翼は Caratheodaryの定理を用いた議論であろう.したがって本書ではこのアプローチの教科書に焦点を当てることになる.本書は以上のような要望に応えるために書かれたものだが,単に他の教科書の論評をしたらよしとするものではない.学習者が悩むところを分析したうえで,より望ましい第二法則の定式化を目指している.終章の締めくくりでは,これからさらに出版されるであろう熱力学教科書への統一的な記述への提言を行う.冒頭で述べたルール通り,これからもさらに良い教科書が出てくることを知っている.それは過去の問題を克服することろに生まれ,本書がその契機となってくれればと願っている.

この本は3部の構成となっている.第一部は,前作「現代の熱力学」の要約となっている.これは一般的な熱力学で書かれていることでもある.これをここに書く理由は,一つに以後の公理論的アプローチと比較するために必要になるからである.用語の定義,概念を比較することは特に重要である.ただそれだけではない.そこではエントロピーの解釈を全面に出してきていることである.それによれば,エントロピーは始めから動機付けられ,学生は何を目的とするかが理解できる.第二部は,Caratheodoryの定理本書の核心部分である.エントロピーという量を

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実際の問題に適応するとき往々にして問題となる「可逆・不可逆」についての矛盾を解析している.そして,それらの矛盾の解決を意識しながら第二法則の公理論的扱いを再現してみせる.つまり第二部は公理論的教科書ともなるよう務めている.第三部では,どちらとも違ったアプローチを説明する.それは安定な平衡状態を全

ての議論の出発点とするアプローチで主にMITの教授らによって書かれている.これによると,不可逆とは詰まるところ「安定ではない状態から安定な平衡状態へ向かう過程」と捉え,第二法則を安定な平衡状態の性質から述べるというものである.私も不可逆性をこのように解釈していて,こういうところから第二法則を記述できないか漠然と考えていたが,私にはそのような抽象化をする能力はなかった.MITの教科書では見事にそれを成し遂げている.このような理論展開に感銘を受けたが,私の知る限り,これらの訳書またこのような記述をしている和書は見当たらない.それゆえ日本の読者のためこのアプローチを紹介する.

† 本書ではいろいろな著作物を引用して議論する必要上,著者という言葉をよく使う.し

かしこれが問題となっている他人の著書の著者なのか,それともこの本を書いている本人を指

すのか不明確となる場合がある.これを避けるため,本著者つまり白井を「筆者」として書

き分ける.また,引用する文献は [1]とか [2]とかを使わず,本の筆頭著者を取って,例えば

[Fermi]というように記す.引用している文献の全てが教科書なので,その方が読者が対象文

献をイメージしやすいからである.

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第 I 部

初等熱力学

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「エントロピーとは不可逆性の尺度である」

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第1章 エントロピー導入以前

「現代の熱力学」の第4章までの要約を述べる.これはいわゆる伝統的な熱力学の教え方である.しかし後の公理論的アプローチと整合性を取るため,用語の定義をより精度を高めた部分が含まれる.

1.1 熱力学のはじまり

熱力学の議論で巨視的系のモデルは大変重要であるので,はじめにその定義を述べておく.孤立系と呼ばれるものは,図 1.1(a)にあるように外界といかなる相互作用もしないものである.孤立系Aは他とエネルギー交換ができないので全エネルギーEは保存される.熱力学の目的は究極的には,考えている系 Aが他の系 Bと相互作用した結果,どのような変化をするかを究めるためにあるので,他との相互作用の仕方をよく認識する必要がある.

(a) (b)

A

AB

C=A+B

Q

(c) (d)

A

AB

C=A+B

Q W

W B

図 1.1: (a)熱力学的孤立系,(b)熱力学的相互作用系.グレーの熱い壁は断熱壁を表す.

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12 第 1章 エントロピー導入以前

相互作用の仕方には,仕事を介した機械的相互作用と熱の流入による熱的な相互作用がある.そのうち,Aの外界Bとは機械的相互作用だけで結ばれるものは断熱孤立系と呼ばれる(同図 b).あるいは単に断熱系といえばこのことをさす.孤立系という言葉に釣られて,外界とは全く相互作用しないと考え違いをしないようにしよう.例えばAとして断熱用に入れられた水を考え,それを外界から攪拌する場合は,外界からは仕事だけがなされるので,Aは断熱孤立系である.一方,ある温度にある金属片Aに別の温度を持つ金属片Bを接触させたとき,その間には熱の移動がある.この過程で金属片の体積変化を無視できるとし,AB間には熱的な相互作用だけがある.この場合を熱的相互作用系という(同図 c).最も一般的なものは,機械的仕事と熱の移動両方ある場合で,一般的相互作用系と呼ぶ(同図 d).「現代の熱力学」では断熱とは「熱を断つこと」と実にあっさりと述べた.熱Qも仕事W も同等に扱う立場ではそれで十分であった.しかし第二部以降の公理論的扱いで,QをW と内部エネルギー∆U との差で定義する場合はもう少し正確な記述が必要となる.

定義 1.1 (断熱系)   断熱系Aは外部系A′と機械的仕事を通じてのみ相互作用する.

この点が,仕事のやり取りも認められない孤立系と違うところである.熱的に絶縁されたシリンダー内の気体は断熱系の例である.ピストンにより体積膨張でき,体積変化を通じて外部に仕事をする・されるのである.気体の内部エネルギー変化∆U は機械的仕事を通じてのみ可能である.

∆U = −P∆V

しかし断熱的相互作用はこのように体積変化をするものばかりでない.図 1.2のように熱的に絶縁された容器の中の水の攪拌を考えよう.この場合も外から力学的仕事を通じてのみ水の内部エネルギーを変化させているので断熱系である.∆U = W である.この場合,明らかに水の中で熱は発生する.したがってこの系は断熱系でないと思えるかもしれない.しかし容器の内部を問題の系Aと取る限り,熱の発生は内部で起きている現象でこれは断熱系とみなされる.「現代の熱力学」で強調しているが,仕事と熱とは境界でのエネルギーやり取りの形態であるから,考えている系 Aを図図1.2)の点線に囲まれる領域に取る限り,熱Qは現れない.Aに関するエネルギー保存則は,

∆U = W

とW だけが現れる.しかし境界の取り方を変えると解釈も違ってくる.その境界を攪拌する羽根と水の間にとると,これは断熱系ではなく,熱の出入りが存在することになる.一般的相互作用する系では,AとBも両方併せた全体系 C = A+Bは,さらにその外との相互作用がなければ孤立系とみなせる.したがって全系 C の全エネルギーEC = EA + EB は保存される.

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1.1. 熱力学のはじまり 13

W

図 1.2: 点線で囲まれる断熱系.外部から仕事のやり取りだけが許される.

以上の系の分類を実現するものが数々の拘束である.しばしば「壁」という言葉で象徴されるが,本当の壁に限る必要はない.熱の出入りを断つものが断熱壁である.熱は通すが物質の出入りを禁止するものは透熱壁と呼ばれる.物質の出入りを禁止するものは剛体壁と呼ぶが,一般的に特に断わらない限り壁というものは物質の出入りを遮断するので,断熱壁と言えば剛体壁の役割も果たすと考えてよい.相互作用する相手のBは任意のものでよいが,熱浴(heat bathあるいは heat reser-

vation)と呼ばれるものをこの本では特別にGで表す.熱浴とはその示強性状態量の変化が無視できるくらい大きいものをいう.大気や海などは実質的に熱浴である.熱浴はいわゆる物質ではない.状態方程式は存在しないし,また後に述べるように通常の物質とは違った性質を持つので,特別扱いをする.

定義 1.2 (熱平衡)   熱力学系が,時間とともにその状態を変えなくなった状態を「熱平衡状態」という.

熱力学的系は一般的にその状態が時間とともに変化するが,通常外からエネルギーを加えない限り,やがてその巨視的性質は変化しなくなる.その状態が熱平衡状態と呼ばれるもので,その状態は極く少数の平衡状態変数と呼ばれるもので記述される.体積 V,温度 T,圧力 pなどが状態変数の例である.状態変数には2種類があり,系を併せたとき加法性があるものを示量性状態量,一方,系の量には関係なく一様なものを示強性変数という(表 1.1参照).系が平衡状態にないとき,その状態を記述するには圧倒的多数の変量がどうなっているかを知らなければならない.熱平衡にもいろいろな種類がある.安定な熱平衡,準安定な熱平衡,中性平衡など.

外部からの摂動に対して元に戻ろうとするものが安定な平衡である.安定な平衡状態は,外部摂動の大きさが任意に対して復元力が働くもので,準安定平衡状態は,摂動の大きさがある有限の値以上を超えると復元力が働かなくなるものである.中性平衡は,ある範囲の中では外部力の作用なしで移動できるような状態である.安定な熱平衡,準安定な熱平衡,中性平衡でない状態は全て非平衡状態のことで,自発的に平衡

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14 第 1章 エントロピー導入以前

表 1.1: 熱力学的系Aを記述する状態変数.説明 例

示量性状態量 加法性がある 体積,粒子数 示強性状態量 均一性 圧力,温度 

に向かって変化する.  第0法則   系Aと系Bが熱平衡で,かつ系Bと系Cが熱平衡であるならば,系Aと系Cは熱平衡である.   

この法則は熱平衡状態を「測れる量」であることを保証する.具体的には,気体の体積などの示量性状態量により評価でき,それを経験的温度と呼び,θで表す.温度の定義にとってこのような三段論法が必要なことは,そうでないものを見ることで理解できる.化学反応においては,Aは Bと C両方ともに化学反応しなくとも,BとCは化学反応する場合がある.この場合化学反応の大きさを測る「化学反応平衡温度」というものは存在しない.

1.2 第一法則

  第一法則(表現 I)   ある巨視的系に加えられた仕事および熱はその内部エネルギーの変化をもたらし,量的には流入した仕事と熱の総和は内部エネルギーの変化と同じになる.

∆U = Q+W (1.1)

  

熱機関において1サイクルの後,外部には仕事をなしながら,かつそれ以外のいかなる影響も及ぼさない熱機関のことを第一種の永久機関と言う.この機関は内部から常にエネルギーを供給するということであるから,熱力学第一法則により第一種の永久機関は禁止される.

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1.2. 第一法則 15

第一法則はエネルギー保存則として自然に受け入れられる.しかしこの法則で強調されるべき点は「内部エネルギーは状態量」ということである.それが得られた経路によらない.一方,熱Qや仕事W は経路による.熱力学的なエネルギー保存則を「現代の熱力学」では,内部エネルギーとは微視的分子運動の集まりに他ならないことから説明した.しかし古典的熱力学を厳密に理論構築する場合,微視的な理論を導入すべきではないだろう.そのような理論構築では,「内部エネルギーは状態量」を出発点とする.「現代の熱力学」ではそのような論理的順番より,直感的な理解により熱力学を早く習得するという立場なので必要とあらば理解に無理のない限り微視的理論も利用した.

V

p

∆p

∆V

1

2

3

p=const

V=const

T=const

図 1.3: 等圧経路 1 → 2は,等積経路 1 → 3とそれに引き続く等温経路 3 → 2の和である.

内部エネルギーが状態量であることの恩恵は応用上計り知れないが,次に熱力学関係式の導出においても役立つことを示す.

例 1.1 (固体における Cp − Cv)   理想気体の場合は,比熱の差 Cp − Cv は Rで与えられることはよく知られているが,固体の場合は簡単ではない.それは

Cp − Cv =TV

NκTβ2 (1.2)

で与えられる.ここで β = (1/V )(∂V/∂T )p は体積膨張率,κT = −(1/V )(∂V/∂p)T

は等温圧縮率である.1

  Cpは P = constにおける温度変化∆T に対する流入する熱 (dQ)p = (∆U)p + P (∆V )pである.これは図 1.3において経路 1 → 2における変化に対応する.物質の状態は経路 1 → 3とそれに引き続き経路 3 → 2を辿った場合と結果は同じである.

(∆U)1→2 = (∆U)1→3 + (∆U)3→2 (1.3)

1本書では至る所,このように本書で説明されていない式を使う箇所があるが,これは本書が教科書でないこと,興味ある結果を早く出したいという理由からである.解くための適当な知識はだいたいどの教科書にもある.

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16 第 1章 エントロピー導入以前

ここに (∆U)p = (∆U)1→2,(∆U)v = (∆U)1→3 であるから,

Cp ≡(dQ

∆T

)p

=

(∆U

∆T

)v

+(∆U)3→2

∆T+ P

(∆V

∆T

)p

(1.4)

右辺第一項は Cv に対応する.経路 3 → 2の計算は少し注意が必要である.この経路では温度一定であるから,この項の寄与は形式的には (∂U/∂T )T と表され,温度一定なのに「温度変化」は何かという矛盾したことを問うているように見えるがそうではない.この経路で体積変化 (∂U/∂V )T がありその体積変化には温度依存がある.体積変化の値は (∆V )pである(図1.3参照).それゆえこの部分は (∆U)3→2/∆T = (∂U/∂V )T

(∂V∂T

)p.これから

Cp = Cv +

(∂U

∂V

)T

(∂V

∂T

)p

+ P

(∂V

∂T

)p

= Cv + βV

{(∂U

∂V

)T

+ P

}(1.5)

となる.第一法則から (∂U/∂V )T = T (∂S/∂V )T − P で,右辺の第二項の波括弧部分はT (∂S/∂V )T となる.またマックスウェル関係式の一つ (∂S/∂V )T = (∂P/∂T )v を使い,後者に偏微分に関する公式 (

∂Y

∂X

)Z

=(∂Z/∂X)Y(∂Z/∂Y )X

(1.6)

を適用し, (∂S

∂V

)T

=

(∂V∂T

)p(

∂V∂P

)T

=βV

V κT=

β

κT(1.7)

となる.これより式(1.2)が得られる.

この種の関係式を導出しようとすると,偏微分が多くなるにつれ間違いが冒しやすくなる.[Callen]などには系統的な処方箋が与えられているが,それでも式の形式的な操作だと誤りがちとなる.ここで行ったようにU が状態量であることを利用し,変化経路を視覚的に辿ることで,物理的な中身を明確にでき,間違いを大幅に減少させることができる.

定義 1.3 (準静的過程)   系 Aの変化において,変化過程の瞬間瞬間には Aは熱平衡とみなせるくらい無限小にゆっくり変化させる過程.

状態量というものは厳密には熱平衡状態,すなわち静止した状態において定義されるものであるが,状態の変化している途中を記述したい場面は多い.我々の経験は,ゆっくりとした変化なら平衡状態の状態変数を使って十分記述できることを教える.十分な量のお湯を放置するとやがて室温まで冷えるが,その途中の温度はきちんと定義,測定できる.計算においても同様である.この準静的過程という手段のおかげで,我々は熱現象の変化過程も熱力学の枠内で記述できるようになったのである.この準静的過程は,後に述べる可逆過程との差異がしばしば混乱するものであるが,後者は熱力学第二法則にとって本質的に重要であるのに対し,前者は計算あるいは実験の便宜上導入された概念であり原理にとっての重要性はない.

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1.2. 第一法則 17

準静的という言葉を使っていない熱力学の教科書はたくさんある.[キッテル],[プリゴジン],[Guggenheim],[Epstein],[Callen],[Waldram],[Wylen],[Gyftopou-los]など.興味深いのは,物理化学の分野の権威ある教科書で準静的という言葉を使っているものはほとんどない.[ルイス・ランドル],[バーロー],[ムーア],[Atkins],[Glasstone],[玉虫],[井上]などである.おそらく,化学反応では「ゆっくり」でも不可逆のものがいくらでもあるという事情のためだろう.材料科学の教科書 [DeHoff],あるいは生化学 [ベルゲソン],[Haynie]でも同様である.一方,可逆・不可逆の言葉を使わず第二法則を説明することは不可能である.

p2

H=const

p1

(a) (b)

H2= H1

図 1.4: 細孔を介した気体の絞り過程.(a)では細孔の左と右の状態の間にH が一定が成り立つが,その内部では乱流で著しく平衡から外れる.(b)は細孔の内部状態を示し,準静的過程の極限では細孔の微小領域で∆H = 0が成り立つ.

例を取って説明する.

例 1.2 (ジュール・トムソン効果) ジュール・トムソン効果とは細孔を介して圧力の高いところから低いところへ気体を「絞る」ことで温度が下がる現象である.この過程には仕事が含まれないので過程の最初と最後の間はエンタルビーが同じである.しかし過程の途中についてはエンタルピーは不変とは限らないことを教わる(「現代の熱力学」p.91).有限の圧力差があるところでエンタルピーという平衡状態量を定義することができない.

この効果は低温装置に応用されているが,実際のヘリウム液化機を見ると,とても準静的とはいえない激しい過程である.当然過程は可逆過程とはほど遠い.しかしそのような場合であっても過程を準静的変化に置き換えることで途中のエンタルピーを計算し過程を解析することができる.図 1.4の細孔の部分の気体の変化は大変複雑であろう.しかしいずれにせよ圧力は P1 から P2 へ連続的に変化するのは確かである.そこでこの過程を非常に遅いもの,しかし最終的には P1から P2へ到達するものに置き換える.これは P2に到達するのにサイクルを何回も繰り返す,あるいはそれだけ細孔を長くすることに相当する.P2 に到達するのに時間はかかるだろうが,時間は我々には興味ない.その上で細孔の空間領域を微小空間に分割し,その中では圧力変化は微少量となる.この微小圧力変化 ∆P に対してはエンタルピー変化∆H はやはり微少量となり,解析することが可能となる.エンタルピーH一定の元で圧力の変化に伴いどれくらい温度が変化するかは µ = (∂T/∂p)H

と表される.例によって始めに (∂T/∂p)Hの意味を図で確認しておく.図1.4をみると (∂T/∂p)HはH一定における p−T の傾きであるが,それは P 一定の経路(1)でエンタルピーを∆Hだけ変化させ,引き続き T 一定の経路(2)で元のエンタルピーに戻したとき得られる∆T/∆p

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18 第 1章 エントロピー導入以前

T

p

∆p

∆T

1

2

3

p=const

H=const

T=const

図 1.5: 等エンタルピー過程における圧力減少に対する温度低下.等エンタルピー経路 1 → 2は,等圧経路 1 → 3とそれに引き続く等温経路 3 → 2の和.

と同じであることがわかる.すなわち,(∂T

∂p

)H

=(∆H1/∆p)T(∆H2/∆T )p

(1.8)

が成り立つ.これは偏微分公式(1.6)に対応するものである.経路(1)では,∆H1 = Cp∆T である.経路(2)では,第一法則から∆H2 = T∆S+V∆pより,(∆H2/∆p)T = T (∆S/∆p)T +V.またマックスウェル関係式の一つ −(∂S/∂p)T = (∂V/∂T )p ≡ V β を使うことで

µ ≡(∂T

∂p

)H

= −−T

(∆V∆T

)p+ V

Cp=

V

Cp(Tβ − 1) (1.9)

が得られる.µはジュール・トムソン係数とよばれる.

この例は,圧力,密度が著しく違った複合系でも,各々の領域で状態量がはっきり定まるような微小区間に分けることができるならば平衡状態の変数だけで記述できることを示している.このようなある部分領域が平衡パラメータで表されるものを「局所平衡」という.準静的過程は,実用上は重要で,それなしには熱力学的変化過程を定量的に記述することはほとんどできないだろう.実際,熱力学の教科書でも機械工業への応用を意識したものでは,必ず最初に説明される.だからこそだが,そのような教科書では可逆過程と混同しないよう注意深い考察がなされている.

1.3 第二法則

第二法則にとって,可逆・不可逆過程の理解はその根底になる.ある巨視的系Aが変化する過程が可逆であるか不可逆であるかは,はじめは直感的に区別できる気がする.有名なジュールの実験(図 1.6)を例に取ると,重りを下げて水を攪拌しその温度を高めることはできるが,その逆すなわち水の温度が下がり重りが上がることはない.このような例は物理を学ばなくとも直感的に理解できるだろうが,だんだんと考

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1.3. 第二法則 19

察を進めるとその区別がわからなくなる.したがって日常用語とは区別して,物理学の上での可逆・不可逆の正確な定義は不可欠である.

WQ

W

W'

(a) (b)

W

Q

( )

M

図 1.6: (a)系Aに仕事W をすることはできるが,(b)Aから仕事をもらうことはできない.

定義 1.4 (熱力学的可逆性)   巨視的系 Aが最初の状態 1から状態 2に変化する.外部系 Bにいかなる痕跡も残さずAをはじめの状態に戻せるとき可逆という.そうならないものは不可逆である.

外部系 B も含めて元に戻ることが肝心なところで,B が元に戻る必要がないならば,どのような過程でもAは元の状態に戻せることになる.箱の中の気体の自由膨張は不可逆過程の典型であるが,もし気体の状態を元に戻すことだけを考えるなら仕切り壁を動かして元の体積に戻すことができる.しかし外部系Bは圧縮するために仕事をしなければならない.明らかに痕跡が残る.この可逆性という意味にもう少し説明を加える.状態 1から 2へ移行する過程 aを

(a : 1 → 2)と表す.戻す逆過程 (b : 2 → 1)は,aの時間的発展を逐一ひっくり返す必要はない.いかなる痕跡も残さなければどのような過程であってもよい.図 1.6の水を攪拌する例を取る.容器に閉じこめられた水が今考えている系 Aで,外部系 Bは重りである.滑車でつながれた重りを下げ水を攪拌すると水の温度は上がる.その過程を正確に反転するということは,乱雑な分子運動に転換したエネルギーが,分子の運動を逆方向に揃えることで羽根を逆回しにして重りを上げるということを意味する.これは日常経験で決して起こらないことであるが,それをもって不可逆過程と考えるのは不十分である.他の経路をたどって元に戻ることができれば可逆過程である.したがって,他のあらゆる経路でも不可能であることを示さねばならない.これは背理法を使って次のように示せる.この過程 (a)が可逆過程であったとする.

すると状態 2から出発して,Aを高い温度 T2から低い温度 T1に,重りBは元の高さまで持ち上げられる過程 bが存在することを意味する.これは単一の熱源から熱を取り出すことにより外部に仕事をなし,なおかつ外部にはそれ以外の影響を残さないことを意味し,それは後に述べる第二種の永久機関の禁止に反する.ゆえにこの攪拌過程は不可逆過程である.

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20 第 1章 エントロピー導入以前

過程とは経路の違うもの一つ一つを指し,その点が経路によらない状態量と違う点である.系Aが状態 1から状態 2に到達するとき,その経路 (a)により周囲の結果は異なる.しかし過程が可逆であれば,そのときに限り同じ結果を生む経路は複数(一般には無限に)ある.可逆過程は準静的過程でなければならない.しかし準静的過程は可逆とは限らない.可逆となるには厳しい条件が必要となる.

例 1.3 (熱力学的過程を不可逆にする要因) は多くのものがあるが,次のものは典型的なものである.

(i)摩擦  あらゆる種類の摩擦で失った熱は元に戻らない.

(ii)温度差  温度差があるところでは,熱は温度の高いところから低いところに流れてしう.これを元に戻すには冷却器が必要で,外部に痕跡を残す.

(iii)濃度差  濃度差があるところでは,粒子は濃度の高いところから低いところに流れ,自然には戻らない.

(iv)燃焼  化学反応における燃焼は放置しても元に戻らない.

これで尽くされたというものではないが,具体的な例を頭に描くことで,不可逆過程を解析するのに何を考慮しなければならないかが明確になるであろう.「現代の熱力学」ではこれらの例を分析し、可逆過程になるためには,

条件 1.1 (可逆過程の条件)  

(1) 準静的であること

(2) 摩擦がないこと

と述べている.これは [Zemansky]からの転用であるが,2番目はやや実用上の表現に置き換えた.摩擦だけでなく,有限温度差の間の熱の流れ,有限圧力差での分子の流れ,あらゆる種類のエネルギー散逸過程が含まれると [Zemansky]では書かれている,その通りであるが,「エネルギー散逸」という言葉を使うと,聞きなれないエネルギー散逸とは何かを説明しなければならない.それゆえ日常用語として直感的に理解できる摩擦という現象を挙げることで代用した.机の上を転がるボールが摩擦により静止する過程は,ボールの巨視的運動が机との相互作用(表面にある幾何学的凹凸,表面の分子間引力など)のためやがて乱雑な分子運動に転換する過程である.温度差がある二つの物質を接触させるとやがて均一な温度になる過程は,始めに温度という巨視的な量で差がある二つの分子運動が,やがて乱雑さにより均質な分子運動に転換する過程である.圧力差があるときの粒子拡散過程は,粒子の密度に巨視的な差があった二つの領域が,やがて乱雑さにより差が消

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1.3. 第二法則 21

失する過程である.エネルギー散逸過程とは制御された巨視的状態が,制御できない乱雑なエネルギー・粒子の運動に転化する過程でこの点で摩擦も温度差あるいは密度差があるときの緩和過程も同じである.2このように具体例を調べると,結局のところエネルギー散逸過程と不可逆過程とは同義語となることがわかり,前者をもって後者を説明するのはできない.第三部で説明されることであるが,不可逆過程とは究極的には,外部から仕事をし

ない限り自然が向かう「非平衡状態が平衡状態へ向かって変化する過程」全てとするのが最も適切な定義である.非平衡状態から平衡状態への移行は常に一方通行である. 

 第二法則(表現 I) 第二法則はいくつもの言い表し方を持つ.  

定理 1.1 (ケルビン・プランク定理)   熱機関の1サイクルで,熱源から熱Qをもらい,そのQを全部仕事W に換え,なおかつ周りの環境にそれ以外の変化をもたらさないような熱機関は存在しない.

定理 1.2 (クラウジウスの定理)   低温 Tlの熱源から,高温の熱源 Thへ熱を移動させ,なおかつ周囲に全く何の痕跡も残さないようにすることは不可能である

定理 1.3 (カルノー定理)   二つの熱源,Th,Tlの間で動作する全ての熱機関の効率は,カルノー機関の効率 ηC

を超えることはできない.またその熱機関が可逆であれば,その効率はカルノー機関のそれ ηC に等しい.

定理 1.4 (クラウジウスの関係式)   一般の熱機関では ∮

δQ

T≤ 0 (1.10)

となる.等号は可逆機関のときのみ成り立つ.

  

式(2.22)はクラウジウスの不等式と呼ばれ,左辺の積分はクラウジウス積分とよばれる.つまりクラウジウス積分は正にはならず,かつ可逆機関のときのみ 0となる.

2このようなエネルギー散逸をなくすため拘束が挿入される.温度差をなくするためには断熱壁で,密度差があるときは剛体壁で外界と切り離す.摩擦に対しても同じである.摩擦をなくす「断摩擦壁」ということは,ボールと机の間の相互作用を完全に遮蔽しまうもので,潤滑液,あるいは超伝導による磁気浮上がモデルとして考えられる.

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22 第 1章 エントロピー導入以前

第二種の永久機関(PMM2)の禁止とは,単一の熱源から熱を吸収し,外部には仕事を行い,かつ外部にはそれ以外の痕跡は残さない熱機関をいう.ケルビン・プランク定理は第二種の永久機関を禁止することと同等である.PMM1はエネルギーを無から生み出す機関であり,物理的にあり得ないことは誰にもわかる.それに比べてPMM2は 100%の効率を禁止するだけである.90%の効率は許されるので,入力資源として僅か 10%ほど多く必要になるだけだ.それゆえPMM1

ほど深刻な問題でないないように思える.しかしそうではない.熱機関から海あるいは大気に熱が排出されるが,PMM2があれば低温側に捨てられた熱からエネルギーを取り出し有用な仕事ができることになる.実質的にエネルギー問題は解決されることになる.「現代の熱力学」では,カルノー定理を理想気体の性質から導き出したが,媒体の性質によらず一般的に成り立つ.ここで温度 T を分かりきったものとは扱わず,第0法則から導き出される平衡パラメータつまり経験温度 θを使って示す.カルノー定理は,2つの異なった平衡状態(θ1と θ2)の熱源間に働く可逆機関の熱効率は全て等しい,つまりQ1とQ2あるいはW の相対値は不変であることを主張する.これはQ1とQ2の比は,θ1と θ2のユニバーサルな関数,

Q2

Q1= f(θ1, θ2) (1.11)

であることを述べている.我々はこのユニバーサル関数に関してもう一歩進めることができる.A1とA2をそれぞれ,経験温度 θ0と θ1及び θ0と θ2の熱源間に働く可逆機関とする.A1は熱源 θ1

から熱Q1を取り出し熱源 θ0に熱Q0を捨てる.これから

Q1

Q0= f(θ1, θ0) (1.12)

A2は熱源 θ2から熱Q2を取り出し熱源 θ0に熱Q′0を捨てる.

Q2

Q′0

= f(θ2, θ0) (1.13)

A2に関して出入りするエネルギーはその相対値を変えずに大きさだけを変えることができ(同じ機関を何台も並列につなぐなどして),Q0 = Q′

0とすることは常に可能である.これにより

Q2

Q1=

f(θ2, θ0)

f(θ1, θ0)(1.14)

となる.今度は熱機関A1とA2を組み合わせる.A2は熱源 θ2から熱Q2を取り出し熱源 θ0に熱Q0を捨てるが,A1は可逆機関であるので逆に操作し,そのQ0を熱源 θ0

から受け取り,熱源 θ1に熱 Q1を受け渡すことができる.この複合機関全体として,熱源 θ0には何の変化もなく,熱源 θ2から熱Q2を取り出し,熱源 θ1に熱Q1を捨てる

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1.3. 第二法則 23

機関として働く.その出入りする熱の比 Q2/Q1 = f(θ2, θ1)には θ0は無関係となる.これより,

Q2

Q1=

T (θ2)

T (θ1)(1.15)

となるような θのユニバーサルな関数 T (θ)が存在することがわかる.これが(熱力学的)絶対温度 T と呼ばれるものである.

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25

第2章 エントロピー

前章は第二法則の各種表現を学んだ.物理の法則というものは物理量の間の関係が等式で

表現されるものが常であるが,第二法則は例外的である.それは不等式で表現されている.つ

まり限界が示されるだけで具体的な値が何かは明らかにしていない.何かしら物理の法則と

してしっくりしない印象を与える.この章では第二法則を数値的に表現する.通常の教科書で

は,エントロピーを数式として導入し,その後その意味を与えるが,ここでは逆の方向,自然

の法則として不可逆性から出発し,それを数値的に評価するものとしてエントロピーを定義

し,それが第二法則の定量化に相応しいものとなっていることを示す.

2.1 不可逆性の定量化

第二法則の定量化をする試みとして何を目標にするか?ということから始めねばならない.そもそも「不可逆性」という定性的な表現は定量化できるのだろうか?決して自明ではない.第二法則の表現はいくつもありどの表現も等価であるが,定量化しやすい表現を選ぶ.そのような目的には熱機関を使った表現が適している.熱機関効率という数値化された量が使われているからである.カルノー定理(1.3)を言葉で表現すると,

「不可逆性が入ると熱機関の効率が必ず落ちる」

となる.これを論理の出発点とする.これは日常的に経験するなじみ深い事実であるので,理論構築のための自然な出発点となる.カルノー定理には熱機関効率 ηという定量化された物理量が現れている.そして「不可逆性」という概念も入っているが,これを定量化できたなら,熱機関効率との関係付けられ,原因と結果の脈絡がつくというものである.不可逆の中にも大きな不可逆,小さな不可逆があると考え,Xが不可逆性の大きさを測る尺度であるとして,Xはどのように定義できるだろうか?このように問題を設定する.この問題に対して,Xが状態量であるかどうか,また問題としている系の性質なのかどうかという知識さえも前提とせず,以下,順をたどって答えてゆく.以下,断熱孤立系と断らない限り,系Aは外部系Bと相互作用していることを前提としているが,特にBは熱浴Rを取っていると考えてよい.

ステップ 1◦ (古典力学からの類推) 古典力学からの類推から始めよう.テーブル上に玉を転がす.摩擦がなければ球は永遠に動き続ける.運動エネルギーEK は一

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26 第 2章 エントロピー

定である.これに摩擦が加わるとやがては玉は静止する.この場合,玉の運動エネルギーEK は時間とともに減少する.摩擦があるかないかは,玉のEK を追跡することで分かる.このような考えで,不可逆性の大きさを何かの物理量Xで測ればよいだろう.しかし残念なことに今述べた類推は熱力学には使えない.熱力学では摩擦熱自身も含めて全エネルギーが保存されるからである.第1法則は不可逆性の判定には使えない.

「X は力学的エネルギーではあり得ない」 (2.1)

ステップ 2◦  (仕事による評価) 次に熱力学における不可逆性を検討しよう.不可逆性の端的な例として図 1.6にあるような水の撹拌を考える.容器に閉じこめられた体積一定の水が考えている系Aで初期状態 1にある.滑車でつながれた重りを下げ水を攪拌すると水の温度は上がる.しかしその逆,水の温度を下げて重りを上げることはできない.乱雑な分子運動に転換したエネルギーが,分子の運動を揃えることで,羽根を逆回しにして重りを上げるということは決して起こらない.初期状態 1に対し水を撹拌した後が終状態 2である.この過程を (a : 1 → 2)あるいは略して (a)と表す.このAから得られる方向の仕事W(a)を正と取ると,Aからは得られる仕事W(a)

は決して正にはなりえない.W(a:1→2) ≤ 0 (2.2)

不可逆とは変化が一方向性ということであり,式(2.2)の片符号しか持てないことは不可逆性をよく表している.まず,この仕事W(a) が X を表す量の第一候補である.今の例では,攪拌の仕事W(a)によって系Aの終状態 2は変わり(温度 T2が変わる),W(a)に対し状態 2は一対一の関係にある.しかし,Aの体積が変わるような場合は,同じ 1と 2に対していろいろなW(a)の値がある.それゆえ,始状態 1と終状態 2を固定して,その中で許される様々な過程に対して不可逆性の大小が比較できなければならない.

V1 V2 V1 V2

(a) (b)T=const

W W=0

図 2.1: 準静的等温膨張と,自由膨張では系 Aの到達する状態 2は同じだが,この過程で得られる仕事W(a:1→2)は異なる.

そこで系 Aが始状態 1から出発し同じ終状態 2を得られるような過程を考えよう.この馴染み深い例はシリンダー内の気体Aの膨張である(図 2.1).体積 V1の状態 1

を体積 V2の状態 2まで膨張させる.これを準静的に等温膨張させる過程 (a)は可逆過

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2.1. 不可逆性の定量化 27

程である.このとき,気体を膨張させるエネルギーは外部から熱Qとして流入し,それが外部系Bに仕事W をする.その大きさはW = RT ln(V2/V1)である.一方,同じ終状態 2を得るのに自由膨張過程 (b)を使うことができる.はじめに仕切っていた壁を突然取り払う.この場合も系 Aの最終状態は,温度 T,体積 V2の準静的等温膨張のものと同じである.しかしこの場合は外部には仕事はしない(W = 0).この2つは考え得る過程の両極端であるが,その中間の過程 (c)を考えることがで

きる.たとえば,準静的膨張過程で使ったピストンの壁にわずかの穴を開ける.気体Aはその穴を通って少しづつ右側の空間に漏れる.漏れればピストンが右に押す力はそれだけ減少する.穴が大きければ大きいほどその減少は大きくなり,極限的には自由膨張にたどり着く.不可逆の程度X を得られた仕事W(c)で評価すると,体積が変わらないときはその上限は式(2.2)で与えられるように 0であるが,体積を変えることにより可逆仕事W(a)まで大きくできた.

0 ≤ X ≤ W (rev) = W(a) (2.3)

となる.終状態 2を固定したことによりX の下限も設定されたことになる.

12

(R)

2'

=0

図 2.2: 可逆過程では途中任意経路でX は保存.

ステップ 3◦ (Xに求められる性質) 上で述べた我々のもっとも素朴なXは,熱力学の理論枠に適合するものだろうか?熱力学は厳密な理論であるから,厳しくチェックしなければならない.そのチェックの拠り所はやはりカルノー定理である.図2.1のピストンの例を念頭に置き,これまで考えた状態1から2への過程 (a : 1 → 2)

を逆にたどり元に戻し1サイクルを完成させることを考える(図 2.2).この逆過程を(b)あるいはより正確には (b : 2 → 1)とする.(b : 2 → 1)は正確に (a : 1 → 2)を逆に辿ったものではなく,端の状態 1と 2が同じであれば任意である.この1サイクル(a) → (b)をつぶさに観察し,不可逆性の尺度X に求められる一般的な性質を導いておく.まず1サイクルというものの性質である.往路の途中任意の点 2′で引き返しても可

逆をたどれば1サイクルの後では仕事は 0である.可逆過程では、正味仕事には損も得もない.このことより可逆過程には何か保存量あるいは不変量ともいうべき量があるということが推察される.不可逆性がなくなった極限ではXはこの性質を持ってい

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28 第 2章 エントロピー

なければならない.可逆過程では,1サイクルを完成させた結果

(∆X)cycle = 0 (2.4)

となる性質を持つべきである.(∆X)cycleは∆X を1サイクルにわたり積分したものである.一方,これは不可逆過程であれば (∆X)cycle = 0であることを述べる.これだけであれば (∆X)cycleは正にも負にもなり得る.しかし不可逆の場合はどちらか一方しか取れない.これは次のように示せる.(∆X)cycleは正にも負にもなるならば,(∆X)cycleが正になる過程と負になる過程をつなぎ合わせ,キャンセルさせることができる.これは2つの不可逆過程をつなぎ合わせ可逆過程を作ることができるということになり,不可逆性が少しでも入ると元に戻せないということに反する.つまり(∆X)cycleは正か負かどちらか一方しか取れない.正にするか負にするかは定義の問題である.熱力学ではこれを正と取る.つまり自然に起きる過程はXを増加させることだけで,決して減少はしないということである.

条件 2.1 1サイクルの後の (∆X)cycleは非負,

(∆X)cycle ≥ 0 (2.5)

等号は可逆のときのみ成立.

図 2.3に可逆から出発し不可逆性が大きくなればなるほどXは増大する様子が示されている.

(R) (IR)

X

Wextra

図 2.3: 不可逆性X をW (extra)で評価する.X は一方的に正にしかならない.

条件 2.2 さらにX には幾つかの付加的な条件が課せられている.(a)不可逆性は考えている系Aの性質ではなく外界Bも含めた性質XA+B

 シリンダーの中の気体Aは,可逆をたどろうと不可逆をたどろうと終状態 2は同一の状態である.Aの状態だけを調べてもそれが可逆をたどってきたのか不可逆であるかは分からない.全体を調べて初めて判定できる.一方,(b)XAは系A自身の性質

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2.1. 不可逆性の定量化 29

でもなければならない.今の例を使うと,シリンダーの中の気体Aの自由膨張は,A

を孤立系として扱っても同じ結果となる.自由膨張では外界との熱の出入りがないからである.その場合は A自体が全体系で,不可逆性は Aの性質XAだけで表されねばならない.XAが Aの性質で,XA+B が A+ Bの性質であれば,外界 Bもそれ自身の性質としてXBを持たねばならない.つまり,系A,外界Bそれぞれに性質XA,XBが付随し,不可逆性は全体系A+Bの性質XA+Bである.孤立系での自由膨張の例は,外部系Bがないので,XAだけで不可逆性が判断できることに相当する.XAがAの性質ということは

(c)XAは系Aの状態量であることを意味する.(d)加法性まだ素朴な仮定だが X は仕事で定義される.図 2.1のシリンダーの断面積を2倍にすればとり出せる仕事も2倍になる.これよりXAは示量性状態量であることがわかる.系A,Bそれぞれに性質XA,XB が付随し,合成系A+BにはXA+B が対応するので,

XA+B = XA +XB (2.6)

ただし,この条件は微妙で,Xを仕事で定義したから加法性が導きだされたともいえ,下手をすると循環論法に陥りかねない.むしろ,単に「Xは加法性を持つもの」と定義すると考えておく.

ステップ 4◦ (余分に必要な仕事) 1サイクルの性質に基づいたX が満たす条件を念頭に,2◦に戻って具体的にX の表現の問題を考えよう.2◦の議論で,Aから取り出すことのできる仕事W をもってXと定義すれば,その

X は式(2.3)を満たすことを述べた.しかしステップ 3◦ の条件式(2.5)からはX

は1サイクルで評価したほうが好ましい.1サイクルで考えたとき,系Aが状態 1から 2へ進む過程が不可逆とは「周囲に何の痕跡も残さず状態 2から 1へ戻すことができない」ということを意味する.カルノー定理の言い換えである.可逆では外部も含めて全てがそっくり元の状態に戻る.不可逆でも考えている系Aは戻せるが,しかし外界Bはそのため元に戻らない.外界には必ず痕跡が残る,この痕跡とは具体的には何か?図 2.1の例で述べると,可逆過程を用いれば膨張過

程 (a : 1 → 2)で得た仕事W(rev)(a) を,そっくりそのまま圧縮過程 2 → 1に使うことで,

Aは元に戻るだけでなく,外界も全く元の状態に戻る.痕跡は残らない.一方,自由膨張の例では,体積 V2になった後,また V1までかつ同じ温度になるようにピストンを使って圧縮することは可能である.これは可逆の等温圧縮過程で達成できる.これにより気体 Aは元の状態に戻せる.しかしそのために外界 Bは仕事をしなければならない.膨張過程 (a)では外部には一切仕事をしていないので,圧縮に要する仕事は正味新たに付け加えなければならない.一般的には外部系Bには仕事W ′だけでなく熱Q′もやり取りがある.系Aが元に

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30 第 2章 エントロピー

戻るために,Bも全体としてのエネルギーは保存しなければならないので,W ′ = −Q′

が成り立つ.二つの場合があり得る.一つにBが仕事をしてその量をそっくり熱に変えることである(Aからみると仕事をもらって熱として排出する).もう一つが逆に熱を供給しそれをそっくり仕事に変えることである.このうち後者はケルビン・プランク定理により禁止される.つまり外部にとってできることは一方的で,仕事をすることだけである.これが外界に残す痕跡である.系Aを元の状態に戻すために必要な仕事のうちで最小限のもの(以下,余分の仕事と略す)W (extra)

A とは次のように計算される.系Aについて一般的な変化過程 (a : 1 → 2)

が与えられ,それは可逆,不可逆どちらでもあり得る.それに対し系Aを可逆な過程(b : 2 → 1)を使い元に戻す.系Aを元の状態に戻すのに要する余分の仕事W (extra)は

W(extra)A = W

(rev)(b:2→1) −W(a:1→2)

この値は,最良の場合でも (a)が可逆過程を使った場合で,その値は 0である.それが下限を与える.こうして,このW

(extra)A をもって∆XAとすれば

(∆XA)cycle ≥ 0

が成立し,条件式(2.5)の性質を満たす.

A'

A

12

(IR)

(R)

Q

W(R)

W

Q(R)

Wextra = W(R) W

図 2.4: 系Aを元に戻すのに要する余分の仕事.

したがってXA ≡ W

(extra)A (2.7)

とするのがよさそうである.「元に戻すため最小限必要な仕事」により不可逆性X を評価することの関係を図 2.4に示す.なによりも仕事はきちんと測定できる量であるからありがたい.

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2.1. 不可逆性の定量化 31

ステップ 5◦ (仕事から状態量へ) 最後に,式(2.7)で定義されたX が 3◦で述べた残りの条件(2.2)を満たすか検討しなければならない.条件(2.2)のうち,(d)加法性は仕事W という量の本質から満たす.(a)系A,(b)外部系Bそれぞれに付随するという条件は,Aがなす仕事,Bからなされる仕事という表現のように特定の系を参照にしているので満たされる.X に求められる残りの条件は(c)X は状態量であるべしである.実際X を式(2.7)のように仕事と取ったのではその条件を満たさない.仕事は状態量ではないからである.Xが状態量でなかった場合,不可逆性を評価するという根本が破綻する.例を引こう.

例 2.1  図 2.1(b)の自由膨張に対してピストンで戻す過程を考える.往きの膨張は温度 Thで行われたとしよう.次に圧縮するが,それをまず断熱膨張で温度を Tlまで下げよう.その上で Tl の熱浴に接触させ圧縮する.最後に断熱圧縮で再び T まで上げ元の体積まで戻す(図 2.5).この過程を全て可逆で行えば,圧縮でなされる全体の仕事はW (rev) = RTl ln(V2/V1)である.これは正の量であるが,Tlを低くすればするほど小さくできるので,元に戻すのに要する仕事W (extra)はいくらでも小さくできる.過程の不可逆性の大小を仕事で評価しょうとしているのに,その仕事が測定によってどのようにでも変わり得るのでは話にならない.

(小問 2.1)この圧縮経路 2 → 3 → 4 → 1でなされる全体の仕事はW = RTl ln(V2/V1)

であることを示せ.この式の中には途中に寄った体積 V3、V4は入らず,はじめの体積 V1,V2だけで与えられる.

1

2

34

V

p(IR)

(R)

図 2.5: 始状態 1から終状態 2まで不可逆で到達する過程(破線).それを可逆過程で元の状態に戻す(実線).

致命的な問題である.問題は何であったかを考えると,純粋な力学的量であったはずの仕事が熱現象の中で評価しようとすると温度の影響を受けるという事実である.そこで,W (extra)に何か修正を施し,測定温度の影響を受けないようにできないかを考える.最小限の修正としてW (extra)にある正値のスカラー量 λを掛けた量を考える.λの符号が決まっているのでこれまでのW (extra)が一方的に増加するという性質は損

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32 第 2章 エントロピー

なわれない.勿論 λがただの定数であるならば意味のないことであるが,T 依存を持つと考える.このλを定めるため,例題 2.1(b)の自由膨張で考えよう.ここからは外部系Bとして温度TRの熱浴Rと取る.系Aを戻すために要する仕事はW

(extra)A = RTR ln(V2/V1)

である.温度の記号を書き改め,往路の温度を T1,復路を TRと取る.往路では全く仕事をしていないので,W

(extra)A は復路のW (rev)そのものとなる.

W(extra)A = RTR ln(V2/V1)の形を眺めると,必要な仕事は TRに比例する.という

ことはW(extra)A を TRで割った量

W(extra)A

TR

は復路をどのような温度で取っても同じ量となる.往路の不可逆性の評価としては相応しい.つまり λとしては可逆で戻しているときの温度(の逆数)を取ればよい.次に図2.1(a)の等温膨張の場合を考える.この場合は熱浴は二つ必要となる.往路の膨張は温度T1の熱浴R1との熱接触で行われ可逆過程である.外部になす仕事はW1 =

RT1 ln(V2/V1)である.可逆な復路で外部からなされる仕事W(rev)2 = RT2 ln(V2/V1)

は温度 T2の熱浴R2との熱接触で行われる.全体として (∆X)cycle = 0とならなければならないので,やはり温度でスケーリングした仕事を使えば良い.

(∆X)cycle =W

(rev)2

T2− W1

T1(2.8)

が求めるX としては適切である.加えて往路で外部になす仕事WAは T1の熱浴 R1

からもらう熱Q1に等しく,可逆復路で外部からなされる仕事W2は熱浴R2に排出する熱Q2に等しいので,表現を仕事から熱に変え

(∆X)cycle =Q2

T2− Q1

T1(2.9)

を得る.この式は今の等温可逆膨張に対しては 0を与え,自由膨張の場合は正の数を与えるので,求めるXの条件(2.2)を満たす.この式(2.9)は熱をAから見たときの出入りするものと見ると符号が反対となり,おなじみのクラウジウスの不等式(2.22)となる.以下,この議論を温度が任意に変化する場合にも一般化できることは伝統的な教科書の扱い通りなので繰り返す必要はないだろう.

2.2 エントロピー表式の完成

前節の議論で,Xに関する量がどの系のものか曖昧になりやすいので,添え字でそれを所有する系を明示して表式をまとめておく.これまでの議論から,(a : 1 → 2)という過程の不可逆性はAとRを含めた全体系の状態量

(∆XA+R)cycle = (∆XA)cycle + (∆XR)cycle (2.10)

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2.2. エントロピー表式の完成 33

で判断するものである.これから言えることは一つに,1サイクルでAは元に戻るので (XA)cycle = 0,したがって

(∆XA+R)cycle = (∆XR)cycle (2.11)

が不可逆性を測る量であるということ.これが元に戻すために要する修正された「余分な仕事」ということになり,それはAの性質ではない.その具体的表式が(2.9)であり,連続温度変化に一般化したものが

(∆XA+R)cycle =

∮dQR

T(2.12)

である.QRはRに入るほうを正とする.T はRの温度である.もう一つは,Aの性質であるところの (∆XA)(a:1→2)の求め方について教えるもの

である.1サイクルでAは元に戻るので,

(∆XA)(a:1→2) = −(∆XA)(b:2→1) (2.13)

加えて復路 (b : 2 → 1)では可逆過程なので,

(∆XA)(b:2→1) + (∆XR)(b:2→1) = 0 (2.14)

であるから,(∆XA)(a:1→2) = (∆XR)(b:2→1) (2.15)

を得る.つまりAの性質であるところの (∆XA)(a:1→2)は常にRの変化を参照して計算される(測定される).しかしこれは (∆XA)がRに依存することを意味するものではない.復路は可逆過程なので,式(2.14)が成り立ち,

(∆XR)(b:2→1) =

∫ 1

2

dQR

T(2.16)

かつQA = −QRであるので,

(∆XA)(a:1→2) =

∫ 2

1 (rev)

dQA

T(2.17)

が導かれる.こうして定義された状態量X をこれからはエントロピー S と呼ぼう.一旦満足で

きる定義が見つかれば,途中の試行錯誤,紆余曲折を忘れてよい.新しい呼び名はそれまでの試行錯誤をリセットするためのものである.

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34 第 2章 エントロピー

2.3 エントロピーの性質

このエントロピー Sという言葉を用いて,これまでに得られた重要な結果をまとめると,

定理 2.1 (状態量としてのエントロピー)   与えられた系Aにおいて,ある状態にそのエントロピー Sという状態量が対応し,状態 1から 2までの変化は

S(2)− S(1) =

∫ 2

1 (rev)

dQ

T(2.18)

で定義される.

既にこの定義は考えている系A,外部系B双方に同等に適用できるので,添え字Aを外している.式(2.17)に比べて簡明な書き方になっているが,式にある量の所有権がどこにあるかを常に意識しなければならない.系Aに関して適用する場合,積分経路は実際の経路 (a : 1 → 2)ではなく,始点,終点を同一にする可逆な経路 (b : 1 → 2)をたどらねばならない.表式に現れる熱 Qとは,したがって仮想的な経路を経たときの熱Q(b:1→2)であり,Aが実際に受けた熱の出入りQ(a:1→2)とは別物であることを理解しなければならない.前節の導出では理想気体を仮定してきたが,結果的にはクラウジウスの不等式(2.22)と同じものとなった.クラウジウスの不等式(2.22)は理想気体でなくとも一般的に成り立つものである.そういうふうに熱力学的絶対温度を定義し,それがたまたま理想気体の状態方程式に表れる経験温度と一致した.それゆえ結果は全く一般的である.系 Aの変化過程 (a : 1 → 2)の不可逆性は Aと Rを含めた全体系の状態量(2.10)で判定されるべきであった.そしてそれは条件式(2.5)の性質を満たす.

定理 2.2 (不可逆性の評価)   系 Aの変化過程 (a : 1 → 2)の不可逆性は Aと Rを含めた複合系のエントロピーSA + SRによって定量化できる.

(∆SA +∆SR)(a:1→2) ≥ 0 (2.19)

可逆過程は等号のときのみ.

特別の場合として,孤立系 Aに対しては,A自身が全体系となるので,そのエントロピー Sが不可逆性の判定条件となる.つまり孤立系では系のエントロピーは減少しない.不可逆性の程度は変化過程 (a : 1 → 2)に対し,Aを元の状態に戻す可逆過程 (b :

2 → 1)における余分な温度でスケールされた仕事という意味が与えられる.現実の過程では必ずペナルティが課されるということである.

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2.3. エントロピーの性質 35

この性質を述べるとき,「いかなる不可逆過程に対しても,それを可逆で結びつける経路が必ず存在する」を暗に仮定している.いつでも存在しているだろうか?決して自明ではないが,熱力学はそれを想定する.系Aの変化∆SA自体は負にもなり得る.ただしそれは熱接触している他の系Bの

∆SBの増加によって補償される場合に限って可能となる.その場合でも全系のエントロピー SA + SB は増加する.ここまでは,不可逆性の尺度は常に複合系のエントロピー SA +SRとして与えられ

た.それでは個別の SAにはどのような意味があるのだろうか?系Aの任意変化過程(a : 1 → 2)に対し,不等式(2.19)が成り立つ.熱浴Rに対しては常に式(2.18)が成り立つ.それゆえ,

∆SA +QR

TR≥ 0 (2.20)

第一法則より,∆UA = QA +WA,またQR = −QAより

−WA ≤ −(∆UA − TR∆SA) ≡ −∆FA (2.21)

となる.これは系Aから取り出せる最大の仕事は−∆FAで制限されるということを意味する.伝統的にはFAという量には自由エネルギーという言葉が使われている.しかしこれはエネルギー価値と呼んだほうが実感がある.第一法則より系Aがエネルギーを下げた分∆UAだけ外にエネルギーを供給できるはずであるが,FA = ∆UA−TR∆SA

の表式の通り,全ては仕事に変換できず,TR∆SAだけペナルティが課される.このことは

定理 2.3 (系Aのエントロピーの意味)   その物質のエントロピーとは.そのエネルギー資源とのしての価値低下を示す.

を意味する.実際の例題を見ることで,系Aの持つ仕事をする能力の劣化,資源価値の低下とい

う解釈がつくことが分かる.シリンダーに詰められた気体は体積が増大すると,ピストンの仕事をする能力は低下する.これは∆S = R ln(V2/V 2) > 0より読みとれる.逆に高圧に詰められたボンベは仕事をする能力が大きい.この仕事をする能力はその状態に達した過程には依らない.自由膨張であれ準静的等温膨張によってであれ,伸びてしまったシリンダー内の気体は,仕事をする能力が減退したことには変わらない.系A資源価値は下がる一方ではない.価値を上げることもできる.バッテリーは充

電することでエネルギー価値を取り戻すことができる.しかしそれには代償が伴う.充電電力の消費である.相互作用する相手系の資源価値を低下という犠牲を払って,自分の資源価値を高めることができる.しかし二つ併せた全体としては依然,資源価値を下げていることには変わりない.

定理 2.4 (エントロピーの二重性)  エントロピーは系に賦与された性質,状態量であり,それが達成された経路には依ら

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36 第 2章 エントロピー

ない.一方で,過程の不可逆性という物質の状態量でない量を評価するものでもある.

このような一見矛盾した使い方が初心者を混乱させる要因となっている.エントロピー Sとは別に,不可逆性を示す量として Iとかもう一つ別の量を使えば良かったのかもしれないが,ともかくも今ではどちらも Sで賄うようになっているので,今さら変えることは無理である.

外部熱浴Rも含めた全体系A+Rで見れば,不可逆性を表す全エントロピーSA +SRは全体系A+Rの状態量となり,状態量という性質を表す量と過程を記述する量が一致する.理論的にはそれでよい.しかし熱浴というのは特殊な「物質」である.それは状態方程式を持たない.鉄 1gのエントロピーは物理・化学のデータハンドブックにでている.エントロピーは物質の性質だからである.しかし熱浴のデータは存在しない.それゆえデータハンドブックをみて可逆か不可逆かを判定できない.本書では幾つかの場面でこの事情に遭遇する.

2.4 第二法則のエントロピーによる表現

エントロピー Sを使うと,これまで述べてきた第二法則の様々な表現を定量的なものにできる.

• ケルビン・プランク定理

熱機関の1サイクルで,熱源から熱Qをもらい,そのQを全部仕事W に換え,なおかつ周りの環境にそれ以外の変化をもたらさないような熱機関は存在しない.

(証明)作業流体 Aは∆U = Q + W = 0により,元に戻った.ゆえに Aは∆S = 0.一方,温度 T0の熱浴は,Qを奪われているのでエントロピー変化は∆S′ = −Q/T0 < 0.従って,全エントロピー変化は∆S + ∆S′ < 0

となるので,全エントロピーの増加法則に反する.

• クラウジウス定理

低温 Tl の熱源から,高温の熱源 Thへ熱を移動させ,なおかつ周囲に全く何の痕跡も残さないようにすることは不可能である

(証明)

熱Aはそっくり低温熱源から高温熱源へ熱を移動する.低温熱源のエントロピー変化は∆Sl = −Q/Tl、高温熱源は∆Sh = Q/Th.従って,全エントロピー変化は∆Sl +∆Sh = Q (1/Th − 1/Tl) < 0となるので,全エントロピーの増加法則に反する.

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2.4. 第二法則のエントロピーによる表現 37

• カルノー定理

二つの熱源,Th,Tlの間で動作する全ての熱機関の効率は,カルノー機関の効率 ηC を超えることはできない.

またその熱機関が可逆であれば,その効率はカルノー機関のそれ ηC に等しい.

(証明)

• クラウジウスの不等式一般の熱機関では∮δQ

T≤ 0 (2.22)

となる.等号は可逆機関のときのみ成り立つ.

(証明)

例 2.2 クラウジウスの関係式の解釈第4章では,クラウジウスの関係式(4.27)は,不等号の関係を使って不可逆過程を示すものとして述べたが,その値自体がどのような意味を持つかは述べなかった.だがここにおいてその値の意味も確定した.

「クラウジウスの関係式(4.27)は,その符号を負に取ったものが,1サイクルの後の全体系(あるいは熱浴と言い換えれる)のエントロピー変化に他ならない」

例 2.3 水の攪拌によって仕事を得ることの不可能性図 1.6にあるように,水の攪拌によって水の温度を上げることはできるが,温度を

下げることで仕事を得ることはできない.

(証明)

水Aの系は断熱系なので,外部への仕事はAの内部エネルギーの減少によってのみ可能となる.温度を下げることは,水Aのエントロピーを減少させることである.S < 0.また Sは全系のエントロピーそのものであり,従ってエントロピー増加に反する.

2.4.1 物質の基本的エネルギー方程式

物質の状態変数として新しい示量性変数Sが仲間入りした.ここで状態変数の間の関係をまとめよう.簡単な例として気体を考える.状態方程式に表れる状態量として,V,P,T の三つがあるが,それらのうち二つだけが独立である.残りの変数は始めの二つにより一意的に定まる.たとえば,V,T を独立変数と取ると,P はP = P (T, V )で与えられる.第一法則は,物質の状態量として内部エネルギーUの存在を主張する.この

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38 第 2章 エントロピー

Uを先の二変数の関数として表したものが物質の平衡状態の基本関係式(fundamental

relationship)である.U = U(T, V )

物質の平衡性質は全てこれから決まる.数学的な形式だけをみると状態方程式のようにも見えるが,両者の間には本質的な違いがある.U は物質の内部情報を表し,物質ごとに違う.一方で,V,p,T は外部から与えられるパラメータであり直接に観測できる.それらのパラメータ間の関係は物質ごとに違うが,それはより基本的な内部情報 U = U(T, V )から導き出される2次的な関係式である.第二法則は新たな状態変数 Sを導いた.やはり物質固有の内部情報であるが,U により物質の性質が原理上完全に決定されることから,U と独立ではない.逆に物質の基本情報を Sで与え,U を導くことも可能である.したがって Sも U と同じように二つの外部変数で与えることができる.

S = S(T, V )

二つの独立変数の選び方は任意にとれるので,それらを U と V ととれば

S = S(U, V )

と取ることもできる.これらの関係を図形的に表現すると,理解の助けになるので,そのような仕方で可逆・不可逆過程を説明する.考えている物質 Aの平衡性質は,図 2.6で示されるように S = S(U, V )の満たす曲面で表される.非平衡状態は2つの巨視的変数の関数では表されないので,非平衡状態はこの U − V 空間から消えるを意味する.この系Aが熱浴Rと熱交換し,始状態 1から終状態 2へ到達する過程を考える.その経路は無限にある.可逆過程は平衡状態の連続でなければならないので,Aは図の S = S(U, V )曲面の面内を移動しなければならない(図の実線).また可逆過程は∆S(0) = ∆SA +∆SR = 0を満たさなければならないので,熱浴 Rは S = S(U, V )曲面に沿う形で符号を変えたものとして変化する.明らかに 1から 2に向かう可逆過程 1 → 2は無限にある.一方,不可逆過程は,視点から始まった瞬間 U − V 空間から消え,系の最後の状態 2で突然現れる(図の点線で示される).この場合は,たとえ復路 2 → 1を可逆にとっても,全系A(0) = A+Rは元の状態には完全には戻らない.

2.5 第三法則

「現代の熱力学」でも述べたが,第三法則の存在は大変議論を呼ぶところである.ことに絶対0度でのエントロピーが 0になるかどうかを考えるといつまでも議論が終わらない.しかしこのようなエントロピーが0かどうかは微視的理論になって初めて出てくる問題である.我々は古典的熱力学を考えている.この巨視的理論には,分子

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2.5. 第三法則 39

1

2

S

S=S(U,X)

U

X

図 2.6: 系Aの基本方程式 S = S(U, V ).Sは U − V 空間の中で曲面で表される.始状態 1から終状態 2へ到達する過程はいろいろある.可逆過程は実線で表され,不可逆過程は点線で示される.S = S(U, V )の面内で移行する過程が可逆過程,面から外れる過程が不可逆過程である.

構造のように微視的構造の知識は入らないし,前提としてもいない.そのような立場からは,絶対0度でエントロピーが0になるかどうかは問題ではない.かわって絶対0度への到達不可能性を第三法則の主張と考える.到達不可能な状態のことを考える無意味さより,到達できない事実を取ろうという実際的な立場を取る.

S

T

1

2

S

T

図 2.7: 等温度ー等エントロピー曲線

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40 第 2章 エントロピー

第三法則の存在意義は,単に絶対0度という極限的な状況だけにあるものではない.実際この第三法則がないと,PMM2の不可能性が破綻する.カルノー機関は,2つの熱源において等温過程と,その間をつなぐ断熱過程により構成される.知られているように2つの断熱線は交わらない.交わると PMM2が存在できることになる.また温度に関しても違った温度の2つの等温線は交わらない.こうして等温線と等エントロピー線は図 2.7のように2次元空間をくまなく埋め尽くす独立座標の役目を果たしている.しかしこれには例外がある.絶対0度は特異点である.この近傍では T → 0

では S → 0で,T と Sは独立ではなくなる.そして T = 0では二つの曲線は交わる.したがってカルノー機関で断熱膨張で T = 0まで下げてしまえば,排熱をすることなしに元の状態に戻すことができ,PMM2が存在できることになる.このように第三法則は第二法則と密接に関係する.

古典的熱力学におけるエントロピーの解釈

「エントロピーの真の意味は統計力学で初めて明らかになる」とよく言われる.筆者自身もつられてそう言ってしまった(「現代の熱力学」p.180).これは迷信である.これは立場の違いに依るものである.統計力学は微視的な状態数というものが見えるので,エントロピーに微視的な状態数という解釈が与えられる.しかしそれは微視的な解釈がつくというだけで,だから微視的理論の方が上に立つとは言えない.古典的熱力学でもその立場からの解釈がある.それが「不可逆性の物差し」および「エネルギー資源としての価値低下」である.これは逆に統計力学自身の中には入ってこない.統計力学は微視的状態が指定された物質のエントロピーを計算するが,それだけでは不可逆性については何も言えない.熱浴の分配関数など計算しようがないからである.従って利用可能なエネルギーという概念も入ってこない.巨視的理論と結びついて初めて可能となる.微視的な情報がなくとも第二法則は成り立つ.エントロピーの解釈で古典熱力学と統計力学の同格性がいえれば,もう「統計力学は古典的熱力学よりも基本的な理論」という主張が誤りであることがわかる.二つはお互い独立した理論で,どちらがなくとも他方は成立し,かつ両者からの結論は整合性があるというのが正しい.

第0法則 古典的熱力学における経験温度 T と統計力学における β変数が,熱平衡を特徴づけるために導入されたパラメータである点で等価である.

第1法則 エネルギーの保存は,統計力学に行っても証明されるものではない.どちらでも同等の法則である.

第2法則 エントロピー増大則は,古典的熱力学では不可逆現象から,統計力学では等重確率という事実から普遍的法則として見い出されたもので,論理としてどちらがより基本的ということはない.

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2.5. 第三法則 41

第3法則 絶対零度への到達不可能性は統計力学に行っても証明されるものではない.